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〈離島から夢の舞台へ:上〉信念の指導、揺るがず

2011年1月31日16時28分

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写真:21世紀枠での出場が決まり、仲川篤志主将を胴上げする佐渡の選手たち=佐渡市石田、川村直子撮影拡大21世紀枠での出場が決まり、仲川篤志主将を胴上げする佐渡の選手たち=佐渡市石田、川村直子撮影

 佐渡高の深井浩司監督(48)は今も忘れられない日がある。

 同校に着任したばかりの2006年4月。野球部員を前に「甲子園に行くために佐渡に来た」とあいさつした。すると部員から失笑が漏れた。

 「甲子園なんて行けるわけねえっちゃ」

 深井監督は前任の柏崎高では部長として03年春に甲子園へ導いた。そのとき出場した島根県の離島チーム、隠岐高の活躍に触発され、希望して佐渡に単身赴任した。この思いを部員たちにどう理解させるか。ここから監督の甲子園への戦いは始まった。

 部長を経て06年7月に監督に就任。キャッチボールや全力疾走といった基本的な練習から厳しく鍛え始めた。そこで気づいたのは部員の生活態度が乱れていたこと。あいさつができず、遅刻や授業中にいねむりをする生徒もいた。

 「野球だけがうまくても社会では通用しない。人間力、すなわち人間として生きていく力を身につけてほしい」と、日ごろの行動規範などを定めた60カ条の「選手心得」を作った。だが、その教えはなかなか浸透しなかった。

 練習試合で選手が悔しさまぎれにバットやヘルメットを投げつけたことがあった。深井監督は部員たちを諭した。「道具を粗末にする者が甲子園に行けると思うか。おまえたちは甲子園に行きたくないのか」

 以来、部員たちは気持ちを入れ替えて練習に励むようになった。当時のエース中河達哉さん(現国学院大)は「深井先生を信じてついていけば本当に甲子園に行けるかもと思った」と振り返る。

 そして08年夏。県大会で佐渡高は快進撃を見せた。チームが一丸となり、決勝へ進出。延長戦の末、涙をのんだものの、「佐渡でもやればできる」と島民を勇気づけた。

 深井監督は長野の名門、丸子実業高(現丸子修学館高)の出身。主将も務めたが甲子園には出場できなかった。30歳で新潟県内の高校教諭になるまで東京都内の児童養護施設で働いた。不登校などさまざまな困難を抱える子どもたちと接しながら、共に成長する喜びを味わった。

 この7年間の経験が現在の指導の根底にある。「指導者が信念を持てば生徒はついてきてくれる。離島であっても甲子園に行けるんだと」

 佐渡高が練習する佐渡市佐和田球場にはこんな横断幕が掲げられている。「佐渡から甲子園」。監督と選手たちが誓い合った目標は28日、現実となった。

     ◇

 離島のハンディを克服して佐渡勢として初めて甲子園への切符をつかんだ佐渡高校。ここまでの道のりと、大舞台に向けての意気込みを紹介する。

(この連載は川崎友水が担当します)

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