手柄山交流ステーション(姫路市西延末)が完成し、29日から旧姫路市営モノレールが公開される。“最後の運転手”を務めた松芳敏さん(63)=太子町東出=は、37年ぶりの再会を心待ちにしている。
松芳さんは姫路大博覧会に合わせモノレールが開業した1966(昭和41)年春、市役所に入庁。書写山ロープウエーで研修を受けてモノレールの駅務員兼車掌を経て、あこがれの運転手になった。
しかし、博覧会終了後、乗客が激減。8年間運行したが、赤字続きで運休が決まり、1974年4月10日、松芳さんは「サヨナラ運転」で運転した。その後、下水道や農業などを担当し、定年まで市で勤務した。
松芳さんは「当時、最先端技術を取り入れた車両に、夢が膨らんだ」と当時を振り返った。姫路駅を出て大将軍駅や手柄山駅に至る約1・8キロの軌道には急勾配がある。松芳さんは「高性能のモーターを装備し(自動車のアクセルにあたる)ノッチを入れると、瞬く間に時速40〜50キロ程度まで上がったので、すぐに戻して惰性で運転した」と懐かしんだ。
車掌のころは、姫路城や書写山円教寺など、姫路の名所を車内で案内放送していたという。さまざまな思い出が詰まった車両と間もなく対面する松芳さんは「孫と一緒に行き、走っている頃の映像も見たい」と楽しみにしている。
(坂本 勝)
(2011/04/28 09:15)
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