NHK技研 R&D No.114 2009年
視覚障害者向けバリアフリー放送技術と その広がり
伊福部 達 / 東京大学 先端科学技術研究センター 教授
映像や音の情報も使っていないのに名作と呼ばれる小説からはリアルにその場の情景や登場人物の思いが伝わってくる。映像や音響がないことで我々の空想力が駆り立てられ,感性も磨かれるのであろう。一方,放送技術は映像や音響をできるだけ忠実に再生したり,現実に近づけたりする「臨場感」を目標にして発展してきた技術といえる。しかし,あまりにもリアルにすると行間を読み取る想像力を発揮できなくなる。視覚障害者向けバリアフリー放送技術は映像抜きでその場の情景や人の表情などを想起させ,非視覚情報だけで臨場感を出す方法を追究することである。すなわち,それは見えないけれどもあたかも見えているようにする一種の「可視化」技術といえる。
解説・報告
森田 寿哉 / 人間・情報
八木 伸行 / 人間・情報
近年のICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)の進展による多様な情報サービスは生活をより便利で豊かにしつつある。一方,障害者や高齢者はこれらのサービスを十分に利用・活用できないという情報格差に直面している。そこで,当所では,高齢者や障害者を含め誰もが豊かで高度な放送サービスが楽しめる「情報バリアフリー」に向けた技術の研究開発を積極的に進めている。本稿では,放送における視覚障害者を対象にした情報バリアフリー技術の課題をあげるとともに,現在,当所が取り組んでいる触覚提示技術および音声提示技術の研究について解説する。
坂井 忠裕 / 人間・情報
半田 拓也 / 人間・情報
放送や通信などのICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)の分野では情報提示の形態が急速に変化しており,視覚障害者が情報を取得する際のアクセシビリティーを確保することが強く望まれている。データ放送では図や表が多用され,Web(ウェブ)では視覚的に表現されるコンテンツが圧倒的に増加している。従来から,Webでは音声読み上げによる情報支援が行われている。しかし,GUI(Graphical User Interface)でWebの情報をナビゲーション(探索)する場合の階層構造,および,選択ボタンなどの画面レイアウトや図・表・画像などの視覚的に表現されたコンテンツを音声だけで伝えることは難しい。この課題に応えるために,聴覚と空間認知が可能な触覚とのマルチモーダルで情報を提示する技術の研究が進められている。本稿では, GUIなどの視覚的情報に対する情報バリアフリーの現状を紹介し,触覚提示の必要性や提示技術の研究動向を概説する。
今井 篤 / NHKエンジニアリングサービス放送技術部
清水 俊宏 / 人間・情報
松村 欣司 / システム
世木 寛之 / 人間・情報
村ア 康博 / 人間・情報
都木 徹 / 人間・情報
妹尾 宏 / システム
視覚障害者向けの音声提示技術について実例を基に紹介する。文字や写真など,健常者が視覚で得ている情報を音声に置き換えて受容する際には,さまざまな不都合が生じる。音声は時系列の情報なので,音声に置き換えた場合には情報全体を効率的に概観できなくなる。このことに不満を感じている人は非常に多く,その改善を望む声は多い。録音図書などでは通常の再生速度よりも高速で再生する,いわゆる,聞き飛ばしをして情報全体を概観しようとしているが十分ではない。本稿では,バリアフリー音声提示技術の研究動向として,視覚障害者が日常的に利用している音声提示技術の実例と当所で開発中の地震・津波速報読み上げ放送サービスについて紹介する。
論 文
坂井 忠裕 / 人間・情報
伊藤 崇之 / 放送技術研究所次長
放送でサービスしている多様な情報や災害時の情報を,視覚に障害のある人に伝えるための情報バリアフリー提示システムの1つとして,中途で失明をした人など点字の初心者や盲ろう者に優しく文字情報を伝えることができる6指点字方式を提案する。本稿では,種々の刺激を短時間提示して,点字の認識率にどのような影響があるのかを調べた心理物理評価実験について報告する。実験1では,皮膚に分布する皮膚機械受容器の特性を考慮して,1つの指の腹に振動刺激や圧力刺激,時間差刺激などを与えた場合の点字の認識率の評価を行った。実験2では,触覚のマスキングやファントムセンセーションの影響を軽減させることを目的として,6指間に時間差がある刺激を提示して点字の認識率の評価を行った。その結果,台形波状の圧力刺激が振動刺激よりも認識率が高いこと,指の腹で仮現運動を感じさせる凸刺激が他の刺激よりも有効であること,6指間に時間差を付けても認識率があまり向上しないことなどが明らかになった。
松村 欣司 / システム
都木 徹 / 人間・情報
世木 寛之 / 人間・情報
金次 保明 / システム
近藤 悟 / 大阪放送局技術部
清水 俊宏 / 人間・情報
視覚障害者からの要望の大きかった地震・津波速報の内容を音声で読み上げて放送するサービスを提案し,動作検証を行うためのシステムを試作した。試作システムでは,気象庁からの電文(配信データ)を基に読み上げ音声を放送局で自動的に合成し,データ放送の仕組みによって受信機で音声を自動的に再生するようにした。提案したサービスは現行のデジタル放送規格の範囲内で実現しており,一般に市販されているデジタル放送受信機を用いて動作検証を行った結果,提案した方式が従来の字幕スーパーのみでも困らないユーザーとも両立可能なサービスであることを確認した。
研究所の動き
当所では,次世代の高臨場感放送を目指して,超高精細な映像システム「スーパーハイビジョン」の研究に取り組んでいる。ここでは,スーパーハイビジョンの映像を高精細・高画質に表示するためのプロジェクターの研究を紹介する。
スタジオ内で使用するハイビジョンカメラをワイヤレス化することで,カメラケーブルの制約を受けない多様なカメラワークの実現や撮影時の安全性の向上など,さまざまな効果が期待できる。当所では,ミリ波モバイルカメラ(ミリ波帯の電波を使って高画質なハイビジョン映像を低遅延で無線伝送することができる放送局用のワイヤレスカメラ)の実用化に向けた研究開発を進めている。
発明と考案
本発明は,視覚・聴覚・触覚などの複数の感覚を使って視覚障害者に図や立体情報を効果的に伝える送受信および提示方式に関する技術である。送信部では図や立体オブジェクト(対象物)を適切な数のブロックに分割し,ブロックごとに物理的な属性やテキストデータを付加する。受信部では触・力覚提示装置でオブジェクトに触ることができるようにするとともに触れる部分の物理状態を制御する。更に,テキストを音声や点字で提示することを特徴とする。
本発明は,視覚障害者のためにテレビ映像の内容を補う目的で音声を付加する「解説放送番組」をより効率的に制作するためのものである。従来の解説放送番組の制作では,解説音声を番組音声であるセリフなどの間に挿入するために,熟練した作成者が解説音声の原稿を作り,スタジオ内でナレーターが発声のタイミングや速度に注意しながら読み上げるという,極めて手間のかかる作業を行っていた。これを効率化するために,本発明では,まず,音声合成によって解説音声を生成する。次に,セリフと生成した解説音声に対してそれぞれ話速変換処理を行い,解説原稿の文章量が最適化されていない場合でも,解説放送番組全体としての時間長を保つことを特徴とする。