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差別用語 |
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東京都の石原知事が週刊誌で「文明がもたらした最も悪しき有害なものはババァ」と発言した問題で、都内のババァ131人が損害賠償と謝罪広告を求めた訴訟の判決が東京地裁であり、裁判長は請求を棄却した。
『ババァ』という不適切な表現が用いられ、女性の多くが不愉快な感情を抱いたことが推測できるが、たいした問題ではないと述べ、原告は敗訴した。 (2005/02/24) どうにも最近は差別用語が多く、何を基準に差別用語と言っているのか理解できない。 呼び名を変えることで何かの変化があるのだろうか。 最近では「痴呆症」と言う呼び名は差別だと言い「認知症」と変更された。 痴呆症のどこがいけないのだろう。 つんぼ、めくら、ちんば、おし、かたわ等は死語になりつつある。 狂牛病は、BSEであり、黒人、黒ん坊はアフリカ系○○人、乞食(こじき)はホームレス、きちがいは精神障害者、バカチョンはオートマチック、父兄会は保護者会と言わなくてはならない。 つんぼ桟敷、と言う言葉がある。 意味は、歌舞伎の二階桟敷の一番奥で、舞台の役者の声がよく聞こえない場所のことを言い、声が聞こえない桟敷だから「つんぼ桟敷」と言うのだが、今では差別用語として使用できない。 つんぼ桟敷におかれた、という風に使われ、無視されている意味合いに使われる。 その他にも、めくら蛇に怖じず、目くら千人目明き千人、目くらに提灯などことわざにも使われている。 本来、差別用語などと言う言葉は無く、差別だと言って騒ぐ人がいるだけなのだ。 何でも差別だと騒いで謝罪させ、変更されるのを楽しんでいるだけの無知な人々なのだ。 根本的には、用語の問題ではなく5体不満足の人や社会の弱者に対する思いやりが大切なのだ。 当然、障害者や弱者を侮蔑するために蔑(さげす)んで言葉を使うことは、同じ人間として許されない。 日本では障害者を低く見て対等な意見を言うことを許さない風潮がある。 差別待遇が平然と行われている現実のほうが、用語よりもはるかに重大で陰険な問題だ。 自分が偶然5体満足で生まれ育った事で、障害のある人に対して差別したりいじめたりする事は決して許されない。 街中で見かける障害者の数が外国に較べて遥かに少ない事がそれを証明している。 先進国では障害のある人が安心して街中を動けるように検証し、歩道の看板や危険な物を置く事を禁止している。 日本特有のいじめも差別と同列に扱わなくてはならない。 差別の後にはいじめが始まる。 障害者などの立場の弱い人や大勢とは異なる人に対して、精神的、肉体的に苦痛を与える行為の事だが、一度いじめが始まるといじめる側に立たなければ自分もいじめられる、と言う恐怖心から同様に差別し、いじめる。 いじめる側の人はいじめる事で優越感を感じ、また、退屈しのぎ、うさ晴らしに差別し苛めるなどの、不適切で屈折した方法で自己満足感や快感を得ようとする。 その事に加担しない場合でも、見て見ぬ振りをする。 日本での差別の問題は用語ではなくその対応に問題があるのだ。 歴史的に使われてきた言葉を安易に「差別用語」と規定し、その使用を禁じるのは愚かなことであり、言論の自由、表現の自由の侵害にもあたいする。 時代と共に色々と変化していくなか漢字や呼び名がそのまま適切でない事も多いが、あえて呼び名を変える、と言う事は世の中が煩雑になるだけで、何の利益も変化も無いと思う。 それぞれに語源があり、それを知る事で歴史も見えてくると思う。 おしまい
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