[トップページへ戻る][●●●  科学・教育・研究]


原子力を考える(9)- イランと日本 -




 イランが原子力技術を開発していることで、アメリカは国連を舞台にイラン非難を続け、それと平行して2006年9月に金融制裁を発動した。アメリカばかりではなく同盟国、白人グループはアメリカを横目で見ながら行動を取っている。

 イランのアフマディネジャド大統領は同年12月にお金に困って石油基金から6000億円を取り崩して天然ガス油田開発に回した。アメリカから見れば金融制裁が効いたということになるし、独立国家という視点から見ると、原子力を開発して国民のエネルギーを安定させようとしているのにそれを妨害していると映る。

 「武士は喰わねど高楊枝」でいくか「もみ手をして主人にゴマする商人」になるかは本人次第だ。今のところイランは前者、日本は後者を選択している。前者はお腹が減って辛いが、後者は「犬!」と呼ばれて精神的に辛い。肉体が辛いのと精神的に辛いのと、いずれも辛い。

 イランは石油埋蔵量が世界第二位で埋蔵量は1400億バレルもある。そして一年の輸出量は14億バレルだから石油だけで100年保つことになる。それに加えて天然ガスも埋蔵量は世界第二で25兆リューベ、毎年800億リューベを生産しているから、こちらも100年以上は保つ。

「イランは石油も天然ガスもあるのに、原子力を開発しているのはおかしい。自分で使いたかったら石油や天然ガスなどの「自分の貯金」を使ったらどうか。だからイランの原子力開発はいかがわしい」
「アメリカ人や日本人は贅沢な暮らしをしても良いが、イラン人が贅沢するのは許せない!」

 アメリカ人も日本人もほとんどはそう言う。私はそう思わない。国によって多少、経済的発展に差があっても、人の希望や夢はみんな同じだ。贅沢はあまり意味が無いけれど、贅沢したいというのは悪いということでもない。

 イランは石油や天然ガスに恵まれているけれど、日本は技術力に恵まれている。今でも日本の技術力は世界一で、トヨタは世界第一位の自動車会社であるGMを抜こうとしているし、松下電器でもソニーでもその技術は素晴らしい。

 それなのに日本政府は「技術立国」だからというので、さらに科学技術にお金をつぎ込んで世界で断然、トップの座を守ろうとしている。国というのはそういうものだ。「資源があるのだから、それを切り売りすれば良いだろう」というのは、イランのことを考えていないからそう言える。

 イランの原子力開発には軍事利用の臭いがする。でも、それはどの国でも同じだ。原子力というのは平和利用にも軍事利用にも使えるから、国家としては平和時には平和用として、一旦、国家の危機が訪れれば軍事用として使いたいと思うのが自然である。

 他の国のことを理解する時、アメリカのメディアが伝えていることをそのまま自分の意見にするのではなく、日本人は日本人の考え方でアジアの国のことを考えた方が良いのではないかと私はいつも思う。

 そして・・・
原子力は人類にとって大切な力であり、エネルギーとしては本質的には原子力しか無い。だから今の科学の知識のままであれば、1000年後に人類が使うエネルギーは全部、原子力である。だから、原子力の開発が悪いとか良いとかいう議論は無意味である。

1) 原子力は人類の子孫にとってもっとも大切な力である。
2) 原子爆弾は人類が絶対に作ってはいけないものである。
3) 「原子力の平和利用」と「強い者が勝つ」という現状を調和するのに知恵を使う。

 この3つを調和しようとしたのが核不拡散条約という変な条約なのだ。この条約が論理矛盾を持っているのは、1)から3)が論理的に矛盾しているからである。もし、ブッシュがウソを構えてイラクを攻めた結果、ブッシュが死刑になるなら核不拡散条約は要らない。でも、現世はそうではないのである。

 アメリカは強いからイラクを占領しても良い、だから原子力発電所には反対だ・・・というのが原子力発電所の反対運動の中心的な概念だが、それはどうだろうか? 

 イランや北朝鮮が原子爆弾を持たないようにするのは簡単である。それは「国際的にその国の安全が保証されていれば、核爆弾を持つ必要は無い」ということである。環境にしても、戦争にしても、また原子力にしても、不足しているのは難しい問題に正面から取り組み、そこに我々の知恵を働かせることではないだろうか。

 原子力はかけがえの無いものだが、使い方を誤れば世界が破滅する。平和利用に限定して原子力が人類の福利に貢献することだけが私たちの目標である。

おわり



武田邦彦



« 生物と二酸化炭素 | | 人生の鱗 第二十一話 »

[トップページへ戻る][●●●  科学・教育・研究]