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原子力を考える (13)




北朝鮮と核問題 第四話

-原子力に人類の叡智を!-

 北朝鮮にある5千キロワットの黒鉛原子炉はイギリスが開発したコールダーホール型である。イギリスが正しいとすると北朝鮮が爆弾を作ることのできる原子炉の技術をもっても問題はない。私の考えではなくイギリスが正しいとしたらという意味である。

 そして現在、北朝鮮は数発の核爆弾を持っていると言われる。コールダーホール型原子炉を提供した時には「平和目的」だったかも知れないが、原子力技術には平和用も軍事用もないので、それをどう使うかはその国の意志による。

 これも私の意見ではなく、国際的に認められた認識である。

 北朝鮮は食糧もエネルギーも不足している。だから国際的に助けてあげないと餓死者や凍死者が出るかも知れない。それにでも北朝鮮が核を軍事用に使い出したというので重油の供与を中断してしまった。北朝鮮はさらに困った状況に立ったのである。

 かつて第二次世界大戦の前、日本はABCD(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)の経済包囲網の前に苦しんだ。経済的な締め付けであるが、日本人はこれを命に対する大国の挑戦と考え、戦争に突入した。

 歴史は「経済封鎖は軍事行動と同じ」と言うことを教えている。これも私の意見ではなく歴史的事実である。

 相手を非難したり、攻撃したりしても、その国にはその国の事情があるから、そんなことをしている内に原子爆弾は世界中に広まるだろう。核爆弾はどの国が持っているかは明らかにしないので判らないが、すでにアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、中国、北朝鮮、インド、パキスタン、イスラエルは持っているのではないかと言われている。

 核爆弾は通常の火薬と違い格段の威力がある。だから「持っている」とか「持っていない」などを言う必要はなく、「持っていそうである」「使いそうである」というだけでよい。これを「核の抑止力」と言い、他の国から侵略される危険性を回避する。

 こんなに危ない原子力だから止めた方が良いとの意見もある。それはそれでもっともであるが、もともとこの宇宙には原子力以外のエネルギーは知られていない。

 あえて言えば重力エネルギーがあるが、まだ科学的には水力発電、潮力利用など一部しか利用できないので現実的に私たちが利用できるエネルギーは原子力エネルギーだけといっても良い。

 石油・石炭・天然ガスは原子力エネルギーの蓄積体であり、太陽エネルギー、風力なども原子力エネルギーの使用の一形態である。だから人類がエネルギーを必要とする限り原子力をおろそかにできない。でも原子力ばかりではなくエネルギーは力があるから危険でもある。

 問題は原子力を避けるのではなく、人類に役に立つように使うことができるかが問題である。かつてダイナマイトを発明したノーベルがこの強力な火薬が軍事用に使われないことを期待してノーベル賞を作ったように、原子力も使い方次第ということになる。

 原子力を発電に使う時、軍事用に転用されない仕組みが必要である。これを国際的に実施できれば人類は原子力を使っても「核の恐怖」からは逃れることができる。

 そのためには、どうすれば良いのだろうか?

 原子力技術は、濃縮、発電、処理の3本柱だが、このうち、爆弾につながるのは濃縮と処理である。国民が必要なのは発電である。

 そこで濃縮と処理を別のところに置き、発電だけを国際的に管理できるところに設置する。ウランは少量で大きなエネルギーを出すので、発電の原料となるウランやプルトニウム、処理をする核燃料廃棄物の量が少ないので、世界で1カ所か2カ所にまとめることができる。

 国際管理の下で軍事力が弱く情報がオープンである国に濃縮と処理の工場を作り、船で原料を輸送し、使い終わったら集中施設に返す。そうすれば核の管理はまったく問題にならなくなる。

 またその前に世界の核爆弾保有国が一斉に核爆弾を放棄しなければならない。「ある国は正しいから核爆弾を持っても良いが、他の国は持つことができない」などという理屈は第二次世界大戦後の臨時の措置として成り立つだけであり、長期的には理屈が通らないのは当然である。

 でもこのことを実施するためには、
1) 原子力には平和利用も軍事技術もないこと
2) 戦争に核爆弾を使わないこと
を国際的に決めなければならない。

 平和に対する希望が強ければできる。条約を締結するのは各国政府であるが、決定権は国民にあるのだから。日本もまずアメリカに核爆弾を放棄するように言うべきである。

 でもアメリカはまた独特の感覚を持っていて、「世界のことには興味がない。でも世界は我々と同じであるべきだ。」と言うのが基本的な感覚であり、モンロー主義という。

 このアメリカの考えも困った物だが、アメリカ人がそう思っているのだから、それはそれで独立国であるアメリカの言い分を尊重しなければならない。だから「アメリカが間違っている」と言ってはいけないが、私たちは繰り返し「核爆弾を捨てなさい!」と言うべきだろう。

おわりに

 北朝鮮と日本とは不幸な関係にある。隣国というのはとかくそういうものであるが、日本から言えば「朝鮮は元寇で鎌倉時代に日本を占領しようとしたではないか」というし、朝鮮の人から見れば「豊臣秀吉の時も朝鮮併合でも、日本は酷いことをしたではないか」と言うだろう。

 双方とも言い分があるので、過去を清算し、日本は最近まで朝鮮を占領していたことを反省し、北朝鮮はもし日本人を拉致したならそれを謝り、のどに突き刺さったような拉致の問題を解決する。お互いに前向きに行きたいものである。

 きっと北朝鮮の人も日本人も平和を愛し、家族を大切にする立派な人たちだから、再び日本が朝鮮を占領した時のような悲惨なことや、広島長崎のようなことが起こらないようにするだけの理性はあるだろう。

 北朝鮮の人たちは食糧や暖房に困っていると言う。それが本当ならまず助けてあげたい。それが一時的にせよ朝鮮を占領していた日本のせめてもの償いである。

 でも、難しいことがある。

 現代の日本人はすでに朝鮮を占領していた時代の日本人と世代が変わっている。人間の心は苦しい思い出はいつまでも覚えているが、自分たちの国がかつて朝鮮を占領し、そこの人たちに苦しい思いをさせたことには実感がない。「歴史」の中で頭で知らなければならない。

 体で苦しい思いをした人と頭でそれを理解しなければならない人、その間の断層が双方の理解を難しくしている。これは拉致された日本人の家族と「拉致された家族の辛さ」を頭で理解しなければならない北朝鮮の人の間の感覚の差でもあろう。

 私たちはともにアジア人であり、隣国に位置する。現代では日本人と言っている私たちもかつてはアジア大陸から渡ってきたと言い、白人から見れば区別がつかない。現在の状態はこじれた兄弟げんかのようなものである。

 歴史認識をもう少し長く考えれば、我々は同胞である。早く問題点を解決し、それをもって恨みを捨て、一致団結したいものである。そうすれば原子力の問題も軽くなり、私も北朝鮮の原子力について解説をしなくて良くなる。

終わり


武田邦彦



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