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原子力を考える (11)




北朝鮮と核問題 第二話

-核に平和利用と軍事技術の区別はあるのか?-

 原子力の平和利用というのはほとんど「原子力発電」のことを意味しており、軍事技術はほぼ「原子爆弾の製造と運搬」と考えたらよい。アイソトープの利用とか水爆などがあるが特殊だから除外して考えた方が分かりやすい。

 原子力のすべてはウラン鉱から始まり、それを化学処理をしてウランを取り出し、ウラン同位体を濃縮する。そこまでが原料製造ということである。それを原子炉で燃やす。燃やすと核分裂生成物やプルトニウムができるので、それを原子炉から取り出して、処理をして回収する。

 この一連の技術の内、「普通の技術」と「特別な原子力技術」の二つがある。「普通の技術」とは自動車や船、ビル、化学工場などを作るのと同じような技術であり、高度であるから普通の人はできないが、「北朝鮮が自動車を作った」といってもニュースにならない、そういう技術である。

 それに対して「原子力技術」というのは、「濃縮」「発電」「処理」を指すが、これは特殊な技術で、きわめて難しい。その証拠に「発電」はアメリカしか技術を持っていない。これがいわゆる軽水炉で、現在では世界で優れた発電炉はこれしかないと言って良い。

 一方、その他の2つ、濃縮と処理だが、濃縮は日本のような高度工業国ですら国が2000億円を超えるお金を出して30年間でようやくできた。そして処理は同じぐらい膨大なお金を出したが日本での開発は失敗し、フランスの技術を導入した。そんな技術が「原子力技術」というものである。

 高濃縮ウランやプルトニウムがある場合、爆弾を作る技術が「普通の技術」に入るか、「原子力技術」になるかは意見の分かれるところである。なぜならば、高純度の濃縮ウランや、「爆弾級」のプルトニウムがあれば爆弾の技術はさほど難しくはないとも言われるからである。

 しかし、爆弾を作ろうと思ったら、軽水炉から取れるプルトニウムや中濃縮ウランなどのような「粗悪品の原料」だけしか無い時には困る。絶対に爆発するという原子爆弾を作るのは難しい。おそらくは粗悪品から爆弾を作ろうとしたら、今はアメリカ以外はできないかも知れない。

 でも核抑止力というのが「確実に爆発しなくても、爆発の可能性のある核爆弾を持っている場合」に有効であるとすると、粗悪品の原料を持っていても十分な抑止力になるだろう。だから議論は複雑になる。

 私は核というのが普通のものと違って一発の爆弾で10万人も殺戮できるという特殊なものなので、粗悪な原料でも爆弾原料を持っているだけである程度の力になるという考え方を持っている。

このようなことから「平和利用の原子力技術」はいつでもそれを運転している人がその気になれば「軍事用原子力技術」になる。技術としては同質のもので、違うのは使う方の意志だけなのである。

 平和利用を目的として、ウラン鉱石の製錬、ウラン濃縮、発電、処理ができる体制を整えたとしよう。まずウランを濃縮できるのだから発電用を作っていても、ある時に気が変わればウラン爆弾用の濃縮ウランを作ることができる。

しかも原子力発電所は大きいので普通の発電所を作れば年間200発もの爆弾を作ることができるのも困ったものである。

 さらに発電をすれば炉の中でプルトニウムができるし、かなり危険な放射性廃棄物が大量に発生する。これは処理をしなければならないので処理技術ができる。そうなると少し性能が悪くてもプルトニウム爆弾ができるし、ミサイルに放射性物質を搭載するぞといって脅すこともできる。いずれにしても周辺国には脅威になるだろう。

 その意味で「原子力技術は平和も軍事もない」と考えた方が頭で整理しやすい。

 ところで、「原子力」というのはなんとなくおどろおどろしく、難しいことのように思うが、技術的にはそれほど複雑ではない。その理由は覚えなければならないことが少ないからである。たとえば、「核」もとどのつまりは「燃える、燃えない」の話であり、燃えるのはウラン235とプルトニウム239で、燃えないものがウラン238やプルトニウム240である。

ウランは天然にあって、プルトニウムは原子炉で生産される。天然にあるウランはウラン235が少ないので、それを少し濃縮しないと燃えない。だから発電の前に「ウラン濃縮」が必要である。

 どの技術も同じことがあるが、発展の途上で優れたものと少し問題点があるものができる。たとえば大きな事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の炉は黒鉛と軽水を使った特殊な炉で、全体が小さなケースのものが多く詰まったような形をしている。

 この炉には大きな欠陥があった。それは運転を絶対に間違わなければ事故が起こらないが、間違うと起こるという炉だった。

 これに対して、現在の日本の軽水炉は人間がミスをしてもチェルノブイリのような爆発はしない。理由は単純で、爆発する危険が生じると自然に沈静化する。つまり冷却に使っている水の本来の性質でそうなる。だから日本の原子力発電所は絶対にチェルノブイリのようなことは起こらない。

 日本の軽水炉がチェルノブイリのような事故を起こすと主張する人がおられる。その多くの人が「原子力発電反対」の立場である。もちろん原子力に反対なのも立派な主張だが、だからといって科学的に間違ったことを論拠にしない方が良いと思う。原子力反対には立派な理由があるのだから、科学的には正しいことを言いつつ、それでも原子力には反対だと言った方がよい。

 先日、原子力反対の人が「プルトニウムは猛毒で、1グラムで全人類を殺せる」と言っていた。原子力憎ければ袈裟まで憎いという気持ちは分かるが、これも間違っている。プルトニウムはある程度の毒性があるが、吸収されにくいので、恐れるほどの毒物ではない。

 事実、これまでの核実験ですでに1キログラム以上のプルトニウムが地表にばらまかれた。このこと自体は実に困ったことだが、もしプルトニウム1グラムで地球上の人類が死ぬなら、全人類は1000回以上、死んでいることになる。これは北斗の拳の世界で、現実ではない。

 原子力反対派も推進派も、平和主義者も軍事優先の方も、事実は事実として受け入れ、その後にご自分の主張をするようにした方がすっきりしていると私は思う。

 話を戻すと、原子力技術には平和用も軍事用もない。だから・・・

 北朝鮮が軽水炉を持つということは、原子力発電で国民に電気を供給できることであり、同時にいつでも軍事用に転用できる力を持つことである。それはエネルギーの自立性からいって、ウラン濃縮も処理もやがて北朝鮮が持つことになるからである。

 ・・・それは、日本も同じである。爆弾を持つ意志はないが・・・

 

終わり


武田邦彦



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