- なぜ核兵器が拡散するのか? -
核不拡散条約ができたおかげで、核兵器を持つ国の増加を抑制できたということは確かだが、正式に核の保有が許されているアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に続いて、イスラエル、インド、パキスタンが既に核兵器を保有していて、さらに最近になって北朝鮮、そして今年はイランが保有するだろうと考えられている。
核不拡散条約があるのに、徐々にではあるが核兵器を持っている国が増えていくのは、やはり核不拡散条約に含まれる矛盾が原因となっている。
なにしろ核兵器は悪いものなのに、悪いものを既に持っている国は持っていても良いけど、これから悪いものを持つのはダメだという条約の精神自身が根本的な矛盾を含んでいる。それが第一である。
第二には、核不拡散条約の基本的精神は既に核兵器を持っている5ヶ国が、持ち続けていても良いけれど核軍縮には協力するということになっている。ところが実際には中心となるべきアメリカが、積極的に新しい核兵器を開発しているのだから、説得するにも特に力が無い。
それにアメリカが支持しているイスラエルは核兵器を持っていても良いし、インドやパキスタンのようにアメリカが利用できる国にはペナルティーを課さないが、イラクなどのように核兵器を持っていなくても、アメリカに敵対する国は占領してしまうという不平等があるからだ。
核不拡散条約をうまく動かすためには、核を持っている国が自制することが重要である。つまり、核を捨てさせるというまでにはいかないけれども、核を持っている国も持っていない国も自制しようではないかということが基本にある。ところがアメリカは自制しないのでなかなかうまくいかない。
核兵器廃絶という平和運動があるが、この頃あまりパッとしない。その一つの理由はアメリカがあまりにも強くなったので、アメリカに抵抗しても無駄だというあきらめの気持ちもあるし、また国際政治は利己主義なので、運動しても核兵器を根絶することは難しいだろうという、これもあきらめの気持ちが強い。
でもそんなことは無い。すでに南アフリカや旧ソ連の国々のように、決意をして核兵器を放棄した国が4ヶ国もある。イギリスやフランスは主要な条約の加盟国であり、十分に集団的な自衛権を確保できるので、決意さえすれば核兵器を放棄することができる。
ロシアと中国は共同してアメリカと話し合い、核兵器を次々と放棄していけば、核兵器をこの世界から根絶することができる。私は科学者であるので科学が生んだ悪魔の兵器として原子爆弾をできるだけ早く放棄することができたら良いと思う。科学者はこれ以上原子爆弾を作ってはいけない。
1年ほど前、私はテレビ朝日の番組で、「北朝鮮が軽水炉を持てばやがてウラン爆弾とプルトニウム爆弾を持つことができるようになる」と発言した。プルトニウム爆弾は原子炉と再処理設備があればできるので、既に北朝鮮は原子爆弾を作って地下核実験をした。
ウラン爆弾は原子炉を動かしても直ちにはできない。自らが濃縮ウラン設備を持ってそれを数年動かす必要がある。しかし、どの国も独立しているしエネルギーの自立を求めているので、これまで日本がしてきたように軽水炉を持てばやがてウラン濃縮設備を持ち、そして再処理設備を動かすことになる。
技術をアメリカが提供したからといって、アメリカが自国の国益に反してまでどこかの国が核兵器を持つことには反対をしない。それは、イスラエル、インド、パキスタンの例を見ればわかる。国際政治は流動的であり、原理原則では決まらないところがある。
「軽水炉を持てばやがてウラン爆弾とプルトニウム爆弾を持つことができる」というのは科学的原理である。それに対して、「北朝鮮に軽水炉の技術を提供するのはアメリカだから、アメリカは、北朝鮮が核兵器を作るのを許さないだろう」と言うのは国際政治である。
どちらも行動しなければならないが、原理原則と国際政治は一応分けて考えておいた方が正しく世界情勢を判断できる。
私は原子力や核兵器に関する番組に出る時に必ず確認するようにしている。それはその番組が核兵器の廃絶を願い、平和を求めているのか、それとも興味本位に核兵器の問題を取り上げるようとしているのかということである。
核兵器というのは悪魔の兵器だから、人類はできるだけ早く核兵器を廃絶しなければならない。それがいくら理想論であっても、世界の人の多くがそのように考えれば厳しい国際関係の中でも、核兵器が徐々に減っていくのは確かである。だから、原子力や核兵器の問題は十分に議論しなくてはならないが、その底には常に核兵器をできるだけ無くすという信念がなければならない。
あまり細かいことに気をとられて、核兵器を無くそうという人たちの意見が分かれたり、揚げ足をとるようなことがあってはいけない。かつて原爆反対の平和運動が政治的な力によって大きく二つに割れ、それが核兵器の廃絶にもずいぶん大きな障害になった。
常に、厳密で詳細な議論が必要であるが、原子力エネルギーの利用は人類にとってとても大切なことであり、それは核兵器を廃絶しなければ達成されるものではない。
つづく
武田邦彦
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