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映画を何本も撮ってきて、文章の行間という言われ方と同じく、カットからカットへ編集するその間にこそ映画が存在するんじゃないかと黒澤は気付いたという。
「まだよく分からないけど、これは映画になったと納得できるところは、つなぎ目が明確なところだと気がついた」
転換のタイミングが絶妙で、描きだそうとするものに力を与える感じ、それこそが正真正銘映画的なものだと黒澤は述べたという。
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生涯黒澤の芯になったもの、それが「反戦」「反核」かもしれない。
「戦争を始めるのは簡単だ。でも巻き込まれた人間の心が立ち直るまでさらに世代を超えて累々と悲しみは続くんだ」と黒澤は言う。
黒澤作品の根底に流れているのはいつも「人類愛」そして「反戦」。
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「海外の映画祭なんかで色々な映画監督と出会うじゃない、話しているととても楽しい。具体的な映画の現場の話だから本当に面白い」
ルーカスやスピルバーグ、スコセッシなど多くの巨匠との友好関係を持っていた黒澤。
日本の若い監督とももっと話したがっていたという。
もっとも、「おっかない監督」とレッテルが張られていたため、なかなか若い監督たちが訪ねて来てくれなかったというが、黒澤監督としての心残りは「日本の若い監督ともっと話がしたかった」という事だったのかもしれない。
9
グルメで有名な黒澤明だが、親友の本多猪四郎監督との話しでもやはり食べ物の話になり、
戦時中どんなにお腹が空いていたかの話になったらしい。
「今時はハングリーじゃなきゃ良いものは作れないっていうけど、あんなに腹が減ってちゃ
良いものなんて創れないよね。」
黒澤映画の源は、美味しい食事だったのかも知れない。
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「影武者」から着彩の精密な画コンテを描きだした黒澤監督。
「描きこんだ画コンテを描いてみて、スタッフにも一目瞭然に分かってやりやすいって評判が良かったけど、何より自分のためになったんだよ。詳細な画コンテを描くためには、
画面に映るすべて一つ一つのものが具体的に自分の中で見えてないと描けないんだ。
これは何色で何処に置かれていてどんな形でって準備するうえでも演出するうえでもすごく為になる」若いころは絵描きになりたいと志していた黒澤監督の画コンテは今も色彩豊かで
それ単体が命を持っているよう。
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「人間の頭脳がその夢を作るときに、天才的な表現力を駆使しているという驚くべき事実もまた、夢というものが人間の純粋切実な願望ギリギリの表現だからだと考える他ありません。人間は、夢を見ている時、天才なのです。天才のように大胆で勇敢なのです」
映画「夢」を作った時、黒澤が述べたコメント。
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映画の封切が近づく宣伝時期にたくさんのインタビューを黒澤監督は受け、元来話が好きな黒澤監督は予定時間をオーバーして話しこむこともあったという。
ただ「この映画は何がテーマですか」といった質問をされると、「何がテーマかなんて簡単に言えるならこんな苦労をして映画をつくらない」とご機嫌斜めになったという。
確かに黒澤映画には、一言でテーマを括れない人間の複雑さやヒューマニズムが溢れている。
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黒澤が監督した映画「夢」の八話「水車のある村」老人のセリフで、「あんた、生きるのは苦しいとか何とか言うけれど、それは人間のきどりでね、正直生きているのはいいもんだよ、とても面白い!」というのがある。
黒澤自らの脚本でありながら、周りのスタッフも、黒澤も気に入っていたセリフだという。
ヒューマニズムあふれる、黒澤らしい言葉たち。こういった胸にしみるセリフに出会えるのが黒澤映画の醍醐味でもある。
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「映画界に入るまでは、偉そうに、続けていると言えることなんかなかったね。映画の世界に入っても、最初は辞めたくて仕方なかったんだ。もう何十年も続けているわけ、気付いたらそんなに続けてきたんだなって思った。この頃、続けてきて良かった、続けてきたことが大切なんだって思うようになったよ」と。
80歳を目の前に娘に語る黒澤監督。シンプルにして明確。デビューから55年間映画を作り続けてきた黒澤監督だけに、説得力がある一言。
3
1975年、黒澤明監督が“映画づくり”の神髄をしたためた著書、その名も『黒澤明 悪魔のように細心に!天使のように大胆に!』
準備段階ではどんなに細かいことにも気を配りなさい。しかし、一旦カメラが回ったら小さいことなど気にしないで撮影にのぞみなさい、という、創造する行為において必要な資質を言い表した言葉。
映画以外のフィールドでも通用し、生き方の教訓になる名言。
2
黒澤最期の作品『まあだだよ』のセリフで
「みんな、自分が本当に好きなものを見つけてください。自分にとって本当に大切なものを見つけるといい。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。」
と書いている。好きな映画一本で生きてきた監督・黒澤明が最後の映画に込めた本心からのメッセージ。だから説得力がある。
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アメリカのアカデミー賞特別名誉賞受賞の際に、黒澤が発したあまりにも有名なコメント。 この時、御歳80歳。80年間映画を追いかけ続けた監督・黒澤の物作りに対するまっすぐな熱さが伝わる一言。