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黒澤作品キーワード

黒澤作品をより深く理解するためのキーワードをご紹介。毎月第一金曜日更新。

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黒澤作品キーワード
第5回

「幻の未発表映像」

Text by 西村雄一郎
 
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黒澤明が撮影したが、現在は見ることのできない映像というものが存在する。それら未発表映像、あるいは幻の映像となった理由は、さまざまである。

まず最も単純な理由は、シナリオ通りに撮影したが、黒澤の判断でカットされた例だ。

例えば、「七人の侍」の稲刈りのシーン。剣の達人・久蔵(宮口精二)は鎌で麦を刈るが、人を斬るようにはうまく行かないというシーンだった。しかし久蔵がそこまで人間臭くなってしまうのを嫌ってか、このシーンはまるまるカットされている。

あるいは、「天国と地獄」のラスト・シーン。実際の映画は、権藤(三船敏郎)と犯人(山崎努)が監獄で対峙するシーンで終わっているが、その後に、もうワンシーンあった。権藤と戸倉警部(仲代達矢)は、刑務所の地下から地上に上がり、2人が別れた後に、冬木立だけが残る、というのが本来のラストだった。使われなかったそのフィルムは、日本大学の映画学科に残っているという噂を聞いたことがある。一部は予告編に使われているので、それを見れば、どんな雰囲気かを掴むことは可能だろう。

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天国と地獄はラストにもうワンシーンあった。
 

」では、巻狩りを終えた秀虎(仲代達矢)一行が、月夜の道を歩くシーンがあった。空には金箔の月が冴えわたるというイメージだったようだが、光量が不足して、思った効果が出なかったためか、カットされた。クリス・マルケル監督が「乱」撮影中の黒澤を追った「AK」(85年)というドキュメンタリー映画のなかに、このシーンの撮影風景がある。

今年の6月、筆者はモスクワ映画祭の「黒澤明シンポジウム」に参加した。その時、特別上映されたのが、ソ連本国で公開された10分ほどの「デルス・ウザーラ」の特報だった。貴重だったのは、そのなかで未使用フィルムを見ることができたことだ。劇中、最もダイナミックな、赤い月に照らされた氷上を行くアルセーニエフ(ユーリー・サローミン)一行のシーンがそれだ。完成した映画では、月か太陽か分からないが、特報に含まれたカットは、明らかに月夜だと分かる。この特報を作った、当時助監督だったウラジミール・ワシーリエフさんに聞いてみると、「3回撮り直したが、最終的には合成でまとめた」そうだ。

外的な要因でカットした最たる例は、検閲≠ナある。デビュー作「姿三四郎」は、公開翌年の1944年に再上映した際、検閲に合っている。桧垣源之助(月形龍之介)が小夜(轟夕起子)に言い寄るシーンなど、戦争当時としては、軟弱だと思われるシーンなどが削除された。この時、本来のネガが消失し、以後、この時再上映された77分という短縮版が、これまでずっと流通してきた。

ところが、ペレストロイカ以後、ロシアの国立フィルムセンターである「ゴスフィルムフォンド」に、「姿三四郎」の原版が保存されていたことが分かった。終戦直前、ソ連が旧満州に侵攻した時、彼らは満州電影(現・長春撮影所)にあった多数の日本映画を本国に持ち帰っており、そのなかの1本に「姿三四郎」があったのだ。2000年に里帰りした際、完全ではないが、我々は日本で消失した7分間の断片を見ることができた。

未発表映像の極め付きは「白痴」である。最初、黒澤が編集したのは、4時間25分という途方もなく長い版だった。松竹は興行には長過ぎるという理由で、大幅なカットを要求。その結果、3時間2分に詰めてロードショウ公開された。ところが、そこでの評判があまりに悪く、松竹は更なるカットを要求。黒澤が怒って、「これ以上切りたければ、フィルムを縦に切れ!」という有名な言葉を吐くのは、この時のことである。

結局、一般公開されたこの2時間46分の短縮版が、現在我々が見ることのできるバージョンなのだ。当時、興行は1回こっきりと思われていたので、松竹はもとのフィルムをジャンク(破棄)してしまった。

ところが、最近「白痴」の完全版が存在するのではないか?ということが話題になった。筆者もこれについては相当調査したが、公開できない難しい問題が山積している。もし見つかれば、世紀の発見≠ニ言われる宝物になるだろう。

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白痴はもともと4時間以上もある作品だった。
 

「トラ・トラ・トラ!」(70年)は、最初、黒澤が日本側の総監督だったが、何シーンか撮影した時点で、黒澤は20世紀フォックス社から解任されている。映画は、舛田利雄と深作欣二監督がピンチヒッターに立って、俳優を代えて完成した。この時、黒澤が撮影した15分間ほどのフィルムが存在する。黒澤はそれを「みんなに見てもらったら、僕の言いたかったことが分かるはずだ」と語っていた。筆者はこの幻のフィルムを、アメリカの人間に依頼して、20世紀フォックス社の倉庫まで探してもらったが、結局見つからなかった。

これら黒澤明の未公開映像は、ファンにとっては、喉から手が出るほど観たい代物であるに違いない。未来のいつか、幻の映像が発見されて、ファンの夢を満たしてくれる日が来るかも知れない。

七人の侍七人の侍
初回放送日:2010/10/2(土)
天国と地獄天国と地獄
初回放送日:2011/1/3(月)
乱
初回放送日:2011/3/5(土)
姿三四郎姿三四郎
初回放送日:2010/5/4(土)
白痴白痴
初回放送日:2010/9/4(土)
 
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西村雄一郎 プロフィール

佐賀市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。ノンフィクション作家、映画評論家、音楽評論家。早大卒業後、キネマ旬報社に入り、パリ駐在員として3年間フランスに滞在。現在は地元の佐賀大学の特任教授となり、九州龍谷短期大学でも教鞭も執っている。 著書に、「黒澤明 音と映像」「黒澤明と早坂文雄―風のように侍は」、「黒澤明 封印された10年」、「ぶれない男 熊井啓」ほか多数。 6月に新刊「黒澤チルドレン」が小学館文庫から発売。6月末、モスクワ映画祭で行われる「黒澤明シンポジウム」に招待され、日本代表として講演を行った。

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