第4回
「セット」
セットとは、映画撮影のために作る大掛かりな美術装置のことだ。普通は屋内に作る「スタジオ・セット」と、野外に作る「ロケ・セット」に分けられる。後者のなかでも、映画会社の敷地内に組んだ場合を、特に「オープン・セット」と呼んでいる。
黒澤作品のほとんどに係わった村木与四郎美術監督は、黒澤組のセットの特殊性を、「どこから撮ってもいいように、壮大なロケ・セットを一つデーンと作ることと、それに対して、総製作費の約四分の一という破格の予算が組まれることですね」と説明する。
「蜘蛛巣城」の山城、「影武者」の信玄屋敷、「乱」の三の城などは富士山の裾野に、「隠し砦の三悪人」の城址、「用心棒」の馬目の宿、「赤ひげ」の小石川養生所などは東宝撮影所の農場オープン≠ノ、あるいは「八月の狂詩曲」のお婆ちゃんの家は秩父盆地に建てられた。そのロケ・セットの壮大さと重厚さは比類がない。
特に、それが本物ではないかと思えるほどのリアリティーを感じさせるのは、汚し方の上手さである。「どん底」の汚い長屋のセットなどは、見ていてかゆくなるくらいだ。
木造の建物は、黒澤組独特の秘密兵器焼き板≠ナ造られる。火であぶって、真っ黒くなった木の板を金属ブラシでゴシゴシこする。それを乾いた布で磨くと、まるで何年もの年月を経たような木目が浮き出てくるのだ。「赤ひげ」の養生所のセットなどは、スタッフ全員で磨くのが日課だったという。
「用心棒」の宿場町のセットは、作ってはみたが、どうも何かが足りない。そのうち、風雪にさらされた土の盛り上がり方が違うのだと気づき、消防ポンプで何日も水を降らし、その屋根から落ちる水によって、土の凹凸を再現したという。黒澤組は、そこまでやるのだ!
しかし、リアリズムといっても、映画的発想を縛ってしまってはもともこもない。黒澤は「文献を徹底的に調べて、ある程度まで行けば、後は発想を自由にして、視覚的に写ることの方を優先していい」と強調している。
例えば、「用心棒」の宿場町は、横長のワイド画面に合わせて、実際の街道の幅より広く取ってある。「椿三十郎」の武家屋敷の部屋の高さは、本当は5尺5寸(約1・65メートル)だが、若侍の背は高いので、映画では6尺5寸(約2メートル)にしてある。「蜘蛛巣城」の城門は、騎馬武者が馬に乗って背旗を立て、身体を曲げて入ってくると格好悪い。そこで本物よりも大ぶりにしてある。
村木与四郎は「とにかく、黒澤組のセットは、実際より巨大に作る点が特徴的ですね」と証言する。黒澤映画を見て壮大≠ノ感じる秘密は、実はこんな所に潜んでいるのだ。特に黒澤は、シナリオを書いた後、撮影しようとする段階になって、そのイメージがどんどん巨大にふくらんでいくそうだ。
最もいい例は、「羅生門」のオープン・セット。黒澤は企画を大映に提出する時、「オープン・セットは羅生門1つだけでいい」と言ったから、会社は乗った。ところが実際には巨大過ぎて、上部の屋根をまともに造ったのでは、柱が全体を支えきれないために、屋根は半分しか造れなかった。しかしそのおかげで、朽ちて荒廃した感じがよけいに出たと言われた。会社の重役からは「黒さんには一杯食った。一つには違いないが、あんなに大きなセットを建てるくらいなら、セットを100建てた方がよかったよ」と皮肉られたほどだった。
セットを造らなかった失敗例は、「七人の侍」かもしれない。あれほどまでに撮影が長びいた理由は、野武士に襲われる村をバラバラの場所で撮ったからである。本来は田畑をまるまる買い取って、そこに村をセットで再現すればよかったのだ。しかし当時は、米を作る田圃が神聖化されていたので、それができなかったという。
ともあれ、こんな大オープン・セットのなかに居れば、俳優たちも映画の人物になりきれるのだろう。黒澤映画の役者たちがウソ臭くなく動け、 生活の実感を漂わせながら演じられるのは、美術部が精魂こめて造る、こんなセットが存在するからなのである。
西村雄一郎 プロフィール
佐賀市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。ノンフィクション作家、映画評論家、音楽評論家。早大卒業後、キネマ旬報社に入り、パリ駐在員として3年間フランスに滞在。現在は地元の佐賀大学の特任教授となり、九州龍谷短期大学でも教鞭も執っている。 著書に、「黒澤明 音と映像」「黒澤明と早坂文雄―風のように侍は」、「黒澤明 封印された10年」、「ぶれない男 熊井啓」ほか多数。 6月に新刊「黒澤チルドレン」が小学館文庫から発売。6月末、モスクワ映画祭で行われる「黒澤明シンポジウム」に招待され、日本代表として講演を行った。