第3回
「刑事もの」
黒澤明は、世界のミステリー小説を「すごく読んでいる」そうだ。特に「シメノンがすごく好きだ」と言う。シメノンとは、『メグレ警視』シリーズを書いたベルギーの作家ジョルジュ・シムンのことで、黒澤は昔風に、英語読みで呼んでいた。黒澤が「シメノン風にやろう」と企画した初めての刑事映画が「野良犬」である。
まずシメノン風に、ストーリーを小説体で書いたが、それをシナリオに直すのに、50日以上もかかってしまった。しかし完成した「野良犬」は、ミステリー映画の傑作として、日本映画における刑事もの≠フはしりとなった。
盗まれたピストルの行方を追って、2人の刑事(三船敏郎、志村喬)が東京の街を歩き回る。製作年度の昭和24年は、下山、三鷹、松川という迷宮入りした三大事件が発生した年だが、この24年の夏を、「野良犬」は克明に記録しているのだ。
和田誠監督は、戦後闇市を舞台にした「麻雀放浪記」(1984年)を撮る際、「野良犬」をスタッフ全員に見せて、当時の雰囲気を体得させたという。
村上刑事(三船)がスリのお銀(岸輝子)を追いかけ、復員兵の格好をして彷徨う場末の闇市、ピストルの仲介屋(山本礼三郎)を逮捕する後楽園球場、犯人(木村功)を追い詰める大泉学園駅など、戦後東京の喧騒と風景が活写されている。それらを背景として、犯罪を追及していくなかで、社会の貧相を浮かび上がらせるという図式は、黒澤明が初めて切り開いたパターンだった
この方法論を、「僕の助監督のなかでは一番目立たない男だった」と黒澤から評された小林恒夫監督が受け継ぎ、東映の「警視庁物語」シリーズ(55年〜)が製作されていく。そのドキュメンタリー・タッチの犯罪ドラマは、「七人の刑事」「特別機動捜査隊」「事件記者」といったテレビ・シリーズにもつながっていく。
また同じ黒澤の助監督であった野村芳太郎は、松本清張原作を初めて映画化した「張込み」(58年)で、「野良犬」を相当に研究している。清張も犯人と刑事が格闘するラストのお花畑のシーンを絶賛し、「私は『野良犬』こそ『羅生門』より黒澤の代表作だと思っている」と断言している。
野村は、「張込み」の成功以後、「ゼロの焦点」(61年)、「砂の器」(74年)といった清張原作の秀作を連発していく。うそ臭い名探偵を主人公にした探偵映画ではなく、市井の生きた人間を主人公にした清張もの≠ニいわれる社会派ミステリー映画のルーツも、実は「野良犬」だったのである。
一方、黒澤が作ったもう一本のミステリー映画が「天国と地獄」だ。神奈川県警の戸倉警部(仲代達矢)と誘拐犯(山崎努)の激突を、横浜や腰越の街を背景に取り入れ、サスペンスたっぷりに描いていく。
誘拐の犯行現場や、有名な身代金受け渡し現場である酒匂川を実際に歩いてみると、地理的なウソがないことが分かる。黒澤は「地理だけじゃなくって、推理ものは、あらゆるウソはよくない。ストーリーを合わせるために、すぐ都合のいいウソが出てくるが、それをやると途端に作品がつまらなくなる」と語っている。
「天国と地獄」では、特に論理的で緻密なシナリオを作ることに、全力を傾けたそうだ。「ミステリーは数学。謎解きって、数学的に解いていくんだから、推理小説には、そうした緻密さが絶対必要だね」と強調する。
公開された昭和38年は、「天国と地獄」の犯行を真似た誘拐事件や脅迫事件が続発した。特に誰彼かまわず難題をふっかける草加次郎事件が発生し、得体の知れない愉快犯≠ェ、日本犯罪史上に登場するきっかけを作った。
黒澤は刑事もの≠2本しか作らなかったが、その影響は映画だけでなく、社会にも及ぶほど大きかったのである。
西村雄一郎 プロフィール
佐賀市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。ノンフィクション作家、映画評論家、音楽評論家。早大卒業後、キネマ旬報社に入り、パリ駐在員として3年間フランスに滞在。現在は地元の佐賀大学の特任教授となり、九州龍谷短期大学でも教鞭も執っている。 著書に、「黒澤明 音と映像」「黒澤明と早坂文雄―風のように侍は」、「黒澤明 封印された10年」、「ぶれない男 熊井啓」ほか多数。 6月に新刊「黒澤チルドレン」が小学館文庫から発売。6月末、モスクワ映画祭で行われる「黒澤明シンポジウム」に招待され、日本代表として講演を行った。