第2回
「対位法」
「映像と音楽の関係は、映像プラス音楽≠ナはなく、映像かける音楽≠ナなくてはならない」
これは、黒澤明が映画音楽を語る時、必ず繰り返したキーワードのような言葉である。彼がこの信念を、具体的に実践したのは、「醉いどれ天使」においてであった。
肺病病みのヤクザ(三船敏郎)が、親分に裏切られ、失意と絶望のうちに闇市を一人歩く。この哀しみのにじみ出るようなシーンに、黒澤は町の拡声器から、陽気で活発な「カッコウ・ワルツ」を流したのだ。
普通ならば、哀しいシーンには哀しい音楽、楽しいシーンには楽しい音楽を流すというように、場面の雰囲気を高めるために、BGM風の音楽を流すのが通例である。ところが黒澤は全く逆の、明るく陽気な音楽を使用したのである。
つまり、画面を説明し、装飾し、なぞっていくような前者の映画の音楽を映像プラス音楽=Aそれに対し、場面の雰囲気とは正反対の音楽をぶつけることによって、かえってその場面の感情を増幅させる後者の方法を映像かける音楽≠ニいうのだ。
こうした掛け算ともいうべき音楽の入れ方を、特に対位法(コントラプンクト)≠ニ呼んでいる。対位法とは、もともと音楽用語で、異なったメロディーを同時進行させる作曲技術のことを意味する。黒澤はこれを映画に応用し、全く違った映像と音楽を衝突させることによって、強烈な印象を作り上げたのだ。
黒澤は前作「素晴らしき日曜日」で、その予行練習というべきシーンを作っている。恋人(中北千枝子)から去られた雄造(沼崎勲)が、アパートに一人寂しく残される。雨の降る中、向かいのラジオ屋から、陽気な音楽が流れてくる。
また「酔いどれ天使」で、その効果に自信を深めた黒澤は、対位法の手法を、続く「野良犬」の緊迫したシーンで、何度も行っている。どしゃ降りの夜、犯人のいるホテルから佐藤刑事(志村喬)は、電話をかける。2階から降りてくる犯人…。その緊迫した瞬間、フロント係りの女がラジオのスイッチを入れる。そこから流れ出す妙にけだるい南国風の「ラ・パロマ」の音楽。
有名なのはラスト近く、朝もやのかかる雑木林で、村上刑事(三船敏郎)と犯人(木村)が対峙する。緊張感が高まった瞬間……聞こえてくるのは、のどかなピアノ曲「ソナチネ」。 また泥だらけになって、荒い息をして草むらになだれこんだ2人の側を、子供たちが童謡の「蝶々」を歌いながら横切っていく。それは壮絶な戦いなのだが、それを包む雰囲気はあくまで平和的、というパラドックスなのだ。
「生きる」のクライマックスにも、対位法があった。喫茶店で「自分はガンだ」と市民課長(志村喬)が告白するシーン。活発なドイツ民謡「おもちゃの兵隊」の音楽が、主人公の心にビンビン響いてくる。その直後、これから死のうとする人間と、「ハッピー・バースデイ・ツー・ユー」の歌によって祝福を受ける少女とが階段ですれ違う。生命の下降と上昇を視覚化した、見事な対位法的演出だ。
「天国と地獄」では、犯人(山崎努)が汚いドブ川沿いを歩くシーンに、シューベルトの清らかな「鱒」が、あるいは逮捕されるシーンに、明朗なイタリア民謡「オーソレ・ミオ」が、ラジオから流れてくる。
黒澤は「対位法を使う場合は、音楽が町の拡声器やラジオなどから聞こえてくる現実音として使うこと、また音量を大きくして、観客の心に強く印象つけることがコツだ」と語っている。 対位法の演出は、音楽と映像がスクリーンの中で大胆にからみ合う、黒澤明の独壇場である。
西村雄一郎 プロフィール
佐賀市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。ノンフィクション作家、映画評論家、音楽評論家。早大卒業後、キネマ旬報社に入り、パリ駐在員として3年間フランスに滞在。現在は地元の佐賀大学の特任教授となり、九州龍谷短期大学でも教鞭も執っている。 著書に、「黒澤明 音と映像」「黒澤明と早坂文雄―風のように侍は」、「黒澤明 封印された10年」、「ぶれない男 熊井啓」ほか多数。 6月に新刊「黒澤チルドレン」が小学館文庫から発売。6月末、モスクワ映画祭で行われる「黒澤明シンポジウム」に招待され、日本代表として講演を行った。