第1回
「雨」
黒澤映画における自然表現のなかで、まず思い浮かべるのは、どしゃ降りの雨だろう。その双璧は何といっても「羅生門」と「七人の侍」だ。
まず「羅生門」の雨の勢いは、羅生門を人間社会から切り離すかのように、異常に激しい。黒澤自身、中途半端が大嫌いな性格なので、その降らせ方は半端じゃない。撮影監督の宮川一夫は、雨を目立たせるために、消防ポンプの中に墨汁を入れて、黒い雨を降らせたという。
一方、「七人の侍」は、最後の決戦のシーンにおいて。黒澤は本場に負けない和製西部劇を作ろうと志し、「砂煙はアメリカの西部劇のオハコなので、こちらは雨でいこう」と言い出した。助監督は消防ポンプ車3台を要求したが、黒澤は5台を要求した。撮影は氷点下の2月に、1週間かけて敢行。土はぬかるみのようになり、立っていた黒澤はズボズボと沈没。助監督たちから引き抜かれて助けられた。ぬかるみの力によって絞められた足の爪は、全部死んだという。
「赤ひげ」のむじな長屋のシーンでも、叩きつけるような雨が登場する。ところが、長屋の一番奥の担当が、直下ではなく、雨を斜めに流していた。それを見た黒澤は、雨の中を脱兎の如く走り出し、怒鳴りつけたという、雨粒一滴も見逃さない黒澤の姿勢がここにある。
近年では、「八月の狂詩曲」が、久方ぶりのどしゃ降りだった。傘を持ったおばあちゃん(村瀬幸子)は突然走り出す。この強風はヘリコプターのプロペラで作られたそうだ。
初期作品としては「素晴らしき日曜日」。恋人と喧嘩した雄造(沼崎勲)のアパートで、天井から洗面器にポトン、ポトンと落ちるその音が、彼のわびしさを一層かきたてる。
「静かなる決闘」の冒頭シーンは、どしゃ降りの雨の中で、手術が行われている。「静か」であるはずのこの映画にしては、暴力的でエネルギーに溢れる名シーンだった。
「野良犬」は、炎天下の後に夕立がやって来る。ホテルに犯人(木村功)を追い詰めた佐藤刑事(志村喬)。徐々に高まるサスペンスを、雨がさらにドラマチックに彩っている。
「用心棒」でも雨が降る。居酒屋で休んでいる三十郎(三船敏郎)を、一方のヤクザの親分・丑寅(山茶花究)が迎えに来る。
「どですかでん」の六ちゃん(頭師佳孝)は、傘を身体にくくりつけ、雨の日も幻想の電車を運転している。
「影武者」では、お払い箱になった影武者(仲代達矢)が屋敷を出る時に雨が降る。雨は男の寂しい心を代弁しているかのようだ。
「乱」では、狂った秀虎(仲代達矢)が、嵐の中で花を摘む。このシーンは、九州に上陸した本物の台風を待って、その中で撮影された。
「夢」の第1話は「日照り雨」。黒澤映画にしては珍しいほどソフトな雨の後に、少年が狐の嫁入りを見るというお話。
雨のシーンを思い出せば、それぞれに特徴のある雨が並ぶ。それらをいかにして創造したかの話を聞くと、まさに黒澤は、雨にまで演技させているかのようだ。
西村雄一郎 プロフィール
佐賀市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。ノンフィクション作家、映画評論家、音楽評論家。早大卒業後、キネマ旬報社に入り、パリ駐在員として3年間フランスに滞在。現在は地元の佐賀大学の特任教授となり、九州龍谷短期大学でも教鞭も執っている。 著書に、「黒澤明 音と映像」「黒澤明と早坂文雄―風のように侍は」、「黒澤明 封印された10年」、「ぶれない男 熊井啓」ほか多数。 6月に新刊「黒澤チルドレン」が小学館文庫から発売。6月末、モスクワ映画祭で行われる「黒澤明シンポジウム」に招待され、日本代表として講演を行った。