第12回
「社会へのメッセージ」
黒澤明の家庭でのニック・ネームは瞬間湯沸かし器≠セったそうだ。彼の怒りは、収まるのも早かったが、雷の落ち方は、目が覚めるくらいに激しかった。しかも言っていることがしごく正論だったので、誰も文句は言えなかったという。そうした黒澤の正義感、批判精神、本質を見抜く慧眼は桁はずれて大きかった。
その怒りが、しばしば映画によって、社会に向けられることがある。こうした社会に対して言いたい、メッセージを伝えたい、異議申し立てをしたいという社会派≠ニしての側面は、忘れてはいけない黒澤映画の重要な要素だといえる。
黒澤が社会に対して発したメッセージは、当然のことながら、現代劇の中で多く行われる。最も分かりやすい例は「悪い奴ほどよく眠る」だろう。「黒澤プロができたら早速、もうけのための写真を作った、などと言われるのもシャクでね。一番難しいものに取り組んでやろうと思った」と黒澤は言う。
「一番難しいもの」とは、政治である。この映画では、汚職にまみれた政治家や、利権を狙う公団の職員が告発される。しかし上からの圧力や会社の方針で、なかなか思うようにはいかず、シナリオも黒澤組始まって以来の5人という最多の人数で書かれ、第七キャンプまで張って、難産を極めた。だがそれでも悪の描写は的確で、今この映画を見ると、汚職の構造は半世紀前と何ら変わってないと驚かざるをえない。
もっと庶民に密着したテーマを取り上げ、大衆の共感を得たのは「生きる」だろう。市民課長(志村喬)の葬式の席で、一人の市役所職員(山田巳之助)が「役所では、どこかの町内のゴミ箱をかたずけるのに、ゴミ箱がいっぱいになるくらいの書類が必要なんですからね」と言う。黒澤は、そうした公務員の怠惰や事流れ主義、官僚の堕落に対して、痛切な批判を浴びせている。町の婦人たちが陳情に来て、いろいろなセクションに回される、いわゆるたらい回し≠フ現実を、映像を12回ワイプすることによって一発で描いた。長崎市では、この映画を職員の教育に使っているそうだ。
「醜聞」は、イエロー・ジャーリズムに対しての批判である。イエロー・ジャーナリズムとは、有名人をネタに収益を上げようとする出版界のこと。新進画家(三船敏郎)と人気歌手(山口淑子)は、スキャンダルをでっち上げた雑誌会社の社長(小沢栄太郎)と裁判で戦う。
「静かなる決闘」は、戦時下の野戦病院の手術中に、梅毒を移された若い医者(三船敏郎)の話。移した本人(植村謙二郎)は、最後に自分の胎児の姿を見て発狂する。梅毒を撲滅しようというメッセージが熱く語られている。
「天国と地獄」は、誘拐は憎むべき卑劣な犯罪で、もっと刑を重くすべきだというモチーフによって作られた。実際に、映画公開後、誘拐罪は改正された。ただしそれは、映画「天国と地獄」の手口を真似た事件が続出したために、罪状が引上げられたという皮肉の結果ではあったが……。
黒澤が、最も声を大にして一貫して訴えていたことは、原子力に対しての反対意思、即ち反核≠ナある。その態度は終生ぶれなかった。その立場を表明した最初の映画は「生きものの記録」である。フランスでの題名は「もしそれを鳥たちが知ったなら?」――原水爆の危険性を知ったなら、鳥たちは本能的に自分の棲みかから逃げ出すだろう、という意味である。
町工場を経営するワンマンの老人(三船敏郎)は、原水爆の恐怖にかられ、家族全員をブラジルへ避難させようとする。老人はビキニ沖での原水爆実験を知らせる新聞を見ながら、「こんなものを作りやがって!」と吐くように言う。その言葉は、黒澤の偽らざる気持ちだったのだろう。
「八月の狂詩曲」は、長崎の原爆投下で被爆したおばあちゃん(村瀬幸子)が主人公。ひと夏を過ごすために、孫たちがおばあちゃんの家を訪れると、山向こうから、蛇のように気味悪い目玉がギロリとにらむ。おばあちゃんは「ピカの目じゃ!」と言うが、その目は、人間の底知れぬ悪の部分、傲慢さを象徴しているようにも見える。
そうした黒澤の反核の思いは、原発の方にも向いた。オムニバス映画「夢」のなかの第6話『赤富士』では、富士山が噴火し、ふもとの原子力発電所6基が次々に爆発する。続く第7話『鬼哭』では、放射能によって出現した巨大な植物の前で、角のはえた鬼(いかりや長介)はさめざめと慟哭する。
黒澤はノーベル賞作家のガルシア・マルケスと対談している。そのなかで、「核は使い方によっては、平和のために使えるのではないでしょうか?」というマルケスの問いに、「核ってのはね、だいたい人間が制御できないんだよ。そういうものを作ること自体、人間が思い上がっている証拠だと思う」と断じていた。
『赤富士』『鬼哭』という悪夢の後だからこそ、第8話『水車のある村』における理想の夢が輝いて見える。桃源郷の中で、103歳の老人(笠智衆)は、「近頃の人間は、自分たちも自然の一部だということを忘れている。自然あっての人間なのに、その自然を乱暴にいじくり廻し、俺たちはもっといいものができると思っている」、「まず人間に一番大切なのは、いい空気やきれいな水、それを作り出す木や草なのさ」と言う。
黒澤は40年も前に、「デルス・ウザーラ」で人間は自然と共存して生きていかなければならないという命題を、我々に突きつけていた。「デルス・ウザーラ」は、環境問題をいち早く予見した映画だったのだ。
これらのメッセージは、公開当時、説教臭いと批判されたこともあった。しかし今回の大地震の後に「夢」を見直してみると、黒澤が発していたメッセージがいかに未来を予言していたかに驚かされる。民衆が逃げ惑う阿鼻叫喚たる『赤富士』は今の日本の状況、襲いかかる放射能を含んだ赤い霧を振り払う私(寺尾聰)は、今の我々の姿なのだ。 黒澤がこの震災を眼にしていたら、何と言うだろう?
西村雄一郎 プロフィール
佐賀市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。ノンフィクション作家、映画評論家、音楽評論家。早大卒業後、キネマ旬報社に入り、パリ駐在員として3年間フランスに滞在。現在は地元の佐賀大学の特任教授となり、九州龍谷短期大学でも教鞭も執っている。 著書に、「黒澤明 音と映像」「黒澤明と早坂文雄―風のように侍は」、「黒澤明 封印された10年」、「ぶれない男 熊井啓」ほか多数。 6月に新刊「黒澤チルドレン」が小学館文庫から発売。6月末、モスクワ映画祭で行われる「黒澤明シンポジウム」に招待され、日本代表として講演を行った。