2011年02月19日

ケイト・ミドルトンはシースルードレスでウィリアム王子のハートをゲット!"男はチラリズムに弱いのね"


ウィリアム王子Prince William)と婚約者ケイト・ミドルトンKate Middleton)さんが出会うきっかけとなった“運命のシースルードレス”が競売にかけられる。



■大胆なドレスでロマンスに発展?!




 ミドルトンさんは、ふたりの母校であるセントアンドルーズ大学(St Andrews University)で02年に開催されたチャリティファッションショーモデルとして登場。黒の下着合わせたメッシュのスリップドレスにという大胆なスタイルを見事に着こなした。



 一方、ウィリアム王子は最前列のチケットを200ポンド(2万7000円)で購入し、ショーを鑑賞。報道によると、王子はその日の夜に開催されたアフターパーティでミドルトンさんに接近。その後、二人の友情はロマンスに発展をとげた。



■最初はドレスでなく「スカート」



 “運命のドレス”をデザインしたのは、ウェストイングランド大学(University of the West of England)で服飾デザインを専攻していたシャーロット・トッド(Charlotte Todd)さん。「誘惑の芸術(The Art of Seduction)」と題した企画のために、約1週間かけてスカートを制作した。



 その作品を後日チャリティ・ファッションショーに提供。ミドルトンさんはこれをスカートでなくドレスとして着用し、見事王子のハートを射止めた。



 トッドさんは「私の作品が王子とミドルトンさんのロマンスのきっかけになったのであれば、小さなことではありますが、非常に光栄に思います」「これがとても重要な一着になるなんて、制作時には想像もしていませんでした」とコメント



■落札予想額は100万円以上



 ドレスはロンドンの「ケリーテーラー・オークションズ(Kerry Taylor Auctions)」で3月17日に競売にかけられる。落札予想価格は8000ポンド〜1万ポンド(約108万円〜135万円)。
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キャサリンエリザベス・ミドルトン(Catherine Elizabeth Middleton、1982年1月9日 - )は、イギリス王室ウィリアム王子の婚約者。



王子との関係は内外のメディアの注目を集め、既に初期の報道の段階で、2人がいずれ結婚するだろうという憶測を呼んでいた。2010年11月16日、クラレンスハウス(ウェールズ大公チャールズの公邸)は、ミドルトンとウィリアム王子が2011年の春か夏に結婚する予定であると発表した。2011年1月5日に、王室自身が概要を明らかにして、4月29日にロンドンウェストミンスター寺院で執り行われると表明した。

出会い

ミドルトンはバークシアで育った。マールボロカレッジに通った後、セント・アンドルーズ大学に進学した。大学在学中の2001年に、ウィリアム王子と出会った。2人はすぐに交際を始め、メディアも速くからそれを報道した。報道は加熱し、彼女の弁護士がメディアに対して不満を言うまでになった。2007年4月にし、一旦友人に戻ったと報じられたが、同年後半に復縁した。それ以来、ミドルトンは多くの王室のイベントに参加している。彼女のファッションセンスは称賛され、多数の「ベスト・ドレッサー」の称号を得ている。なお、名前に関して、一般的に「ケイト」は「キャサリン」の愛称であるが、彼女の場合、王室との絡みでマスコミに登場するまで、周囲から「ケイト」と呼ばれた事はない。



生い立ち

いわゆる中流階級の生まれである。1982年1月9日、王立バークシア病院で生まれる。父マイケルフランシス・ミドルトン(1949年6月23日生)は玩具のメール販売会社を経営しており、母キャロル・エリザベス(旧姓ゴールドスミス、1955年1月31日生)は元客室乗務員である。マイケルとキャロルはバッキンガムシャードーニー教区教会で1980年6月21日に結婚した。ケイトの父方の家系は西部ヨークシャーのリーズに由来を持ち、曾祖母のオリヴィアはラプトン家出身者である。地方の仕事で商業的に成功し、家系はリーズで数代に亘って活発だった 。母方の家族はダラム労働者階級の労働者と鉱員からなる。1987年にミドルトン夫妻は通信販売会社「パーティピーシーズ」を設立、会社は成功し、2人は大富豪になった 。ケイトは兄弟に、フィリッパシャーロット(1983年生)、ジェームズウィリアム(1987年生)がいる。姉妹ピッパ・ミドルトン(エジンバラ大学卒業生)もケイトとの関係と彼女自身のライフスタイルへの関心からプレス報道を受けた。



ケイトはバークシアで育ち、セント・アンドルーズ大学に通った。大学で美術史の学位を取得後、ファッションブランドジグソー」のアクセサリー部門のバイヤーをしていたが、2007年に写真家になるためにその職を辞めたと報じられた。

Kate Middleton



ウィリアム王子との交際

セント・アンドルーズ大学で、学友としてウィリアム王子と知り合う。大学内で開かれたファッションショーモデルとして出演したケイトにウィリアムが一目惚れし、ルームメイトだったこともあり、親しく交際が始まった。在学中に他の友人も交えた共同生活で絆を深めた。



ずっと交際の噂はあったものの、2人の関係が公になったのは、2004年頃で、ウィンザー家毎年恒例のスキー旅行にケイトが同行したことで、「未来のプリンセス」として取り上げられた。



2007年1月ごろ、イギリスメディアがケイトの誕生日の9日にウィリアムがプロポーズし、婚約するという報道を行った。この頃から報道合戦が過熱し、パパラッチが問題視され、報道規制がかけられる事態となった。



2007年4月14日、英大衆紙「サン」はウィリアムとケイトの関係が突如破局したと報じた。理由に関しては定かではないが、BBCの王室担当記者は「2人の仲は問題はないように思えたので驚きだ」と語り、「王子は結婚はまだ早すぎると話していたが、王子の決断というよりは2人で合意したことだろう」と指摘した。一部メディアは破局の一因としてパパラッチの問題や、中流階級であるケイトおよびケイトの母親の言動を挙げ、階級差を指摘し王室に相応しくないと報じるマスコミの存在を指摘している。



英大衆紙『News of the World』は、エリザベス女王が「(結婚の意思がないのなら)急ぐべきでない。ダイアナ妃の二の舞になる事を望んでいない」とウィリアムに対し忠告したと報じている。



2007年6月24日付けの英大衆紙「メール・オン・サンデー」がウィリアム王子との復縁を報じる。7月1日に行われたウィリアムとヘンリー王子主催の故ダイアナ妃の追悼コンサートに姿を見せた。既に同棲しており2009年には結婚、と伝えるメディアもあるが、公式には復縁の発表はなかった。

Funny Kate Middleton faces



2010年10月、二人は旅行先のケニアで婚約し、11月16日、王室より正式に公表された。婚約指輪は故ダイアナ元妃のものであった。挙式は2011年4月29日に決定されている。結婚式当日は公休となり、夜にはバッキンガム宮殿で、祖母エリザベス女王主催のパーティーが開かれる予定である。



その他

2007年1月に自宅前で駐車違反の切符を切られたが、ウィリアム王子の恋人という立場を悪用することなく素直に受け入れた様子を英大衆紙「デイリー・メール」が報じた。

言動の他にファッションも注目を集めており、週刊誌やダブロイド紙、ファッション雑誌などが彼女のファッションを特集記事として掲載している。ケイトのファッションはコンサバでリッチな「スローニー(Sloany)」といわれるスタイルである
posted by kisebeauty at 18:26| Comment(0) | ファッション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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