在日朝鮮人帰国事業:9万人を北に送った日本政府

 太平洋戦争が終わった直後の1945年、200万人余りの在日朝鮮人のうち約140万人が帰国したが、約60万人は日本に残っていた。

 55年、北朝鮮は6・25戦争(朝鮮戦争)による労働力不足を解消するため、在日朝鮮人の帰国を推進した。日本は58年、在日朝鮮人帰国協力会を結成し、北朝鮮に友好的な態度を取った。表面的には人道主義を打ち出したが、実際には生活保護対象者の多くを占めていた在日韓国・朝鮮人に対する負担を減らすための「エスニック・クレンジング」だった。59年2月、日本の内閣は(在日朝鮮人の)帰還を決定した。

 韓国政府や国民の反対にもかかわらず、59年12月14日、在日朝鮮人975人を乗せた第1次帰国船が新潟港を出港した。59年12月だけでも2942人が帰国船に乗った。61年末までの2年間で、7万4779人が「地上の楽園」を約束され日本を離れた。

 第1次帰国船が日本を出発してから程なくして、手紙が途絶えるなど事態は尋常ではない方向に向かっていたが、日本政府はむしろ帰国者の数を週1000人から同1500人へ増やすことを要請した。帰国事業が終了した84年までに、日本人配偶者約1800人を含む計9万3340人が北朝鮮に渡ったといわれる。帰国者の多くは韓国出身で、北朝鮮に親族はおろか知人もいないというケースが多かった。帰国者のうち、相当数は強制労働収容所に連行され、悲惨な生活を送った。

チェ・ソンジン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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