2011年04月30日

マンハッタン計画―プルトニウム人...
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Albuquerque Tribune (原著), 広瀬 隆 (翻訳)

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マンハッタン計画指令系統
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マンハッタン計画黒幕
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ネットでちょっと閲覧出来るもの
恐怖の人体実験
医学は何をして来たのか
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/medical_experiments.html

コメント欄
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201103/article_164.html
●末弟、アーサー・コンプトン、Arthur Holly Compton。

電子の軌跡を写真撮影し、X線の波長の変化を追跡した"コンプトン効果"の発見によって、1927年にノーベル物理学賞を受賞し、アインシュタインの量子論を確立した人物。

マンハッタン計画には初期から参加した中心人物で、ウランの軍事利用を研究する国立科学アカデミーの委員長をつとめたあと、書簡当時、シカゴ大学 冶金学研究所の所長としてフェルミの連鎖反応を成功させ、のち、デュポン社を使ってハンフォードのプルトニウム製造工場で新しい核物質の量産に尽力した。

本書のプルトニウム人体実験で、内臓、骨から遺体に至るまで人体組織の研究をおこなった機関、アルゴンヌ国立研究所の理事長をつとめた。

●長兄、カール・コンプトン、Karl Taylor Compton。

彼も、マサチューセッツ工科大学(MIT)の学長として放射線物理学の権威であったが、アーサーと共に、トルーマン大統領に日本への原爆投下を勧告した重要人物。


●次兄、ウィルソン・コンプトン、Wilson Martindale Compton。

彼は、第二次世界大戦中に陸軍の原料部門を担当し、ベルギー領コンゴからのウランの調達につとめ、ワシントン州立大学の総長、国連総会アメリカ代表をつとめた要人である。

彼らは、"原爆のコンプトン三兄弟"として知られたが、この書簡に登場するのは、オッペンハイマー~フェルミの研究現場にいた末弟のアーサーと考えられる。

1939年 08月02日 ルーズヴェルト大統領宛てのアインシュタイン書簡
1939年 09月01日 第二次世界大戦勃発
1939年 10月12日 ウラン諮問委員会の設立命令
1941年 12月08日 日本が真珠湾攻撃
1942年 08月17日 マンハッタン計画が発足
1942年 12月02日 フェルミが最初の連鎖反応に成功
1943年 05月25日 オッペンハイマー~フェルミの50万人殺戮計画書簡
1944年 09月18日 完成した原爆を日本に使用することを決定
1945年 03月    プルトニウム人体実験の計画打ち合せ
1945年 04月10日 第一号患者にプルトニウムが注射される
1945年 04月12日 ルーズヴェルト大統領死去。トルーマン大統領就任
1945年 05月08日 ドイツ降伏
1945年 07月16日 世界最初の原爆実験に成功
1945年 08月06・09日 広島・長崎に原爆が投下される
1945年 08月14日 日本降伏。第二次世界大戦終了
1945年 08月30日 連合軍最高司令官マッカーサー来日
1945年 09月    アメリカ軍の災害調査団が広島・長崎の安全声明を発表
1946年 05月01日 GHQ支配下で日本科学技術連盟発足
1946年 06月30日 アメリカが南太平洋(ビキニ)で最初の原爆実験
1947年 01月01日 原子力委員会AEC発足(マンハッタン計画を継承)
1947年 03月12日 トルーマン・ドクトリン発表(東西冷戦の布告)
1947年 03月20日 GHQが日本の全科学者の身元調査を指令
1947年 06月05日 ヨーロッパ復興計画"マーシャル・プラン"発表
1947年 07月01日 広島赤十字病院に原爆傷害調査委員会ABCC開設
1947年 07月18日 プルトニウム人体実験最後の患者に注射がおこなわれる
1947年 07月26日 アメリカ中央情報局CIAと国防総省発足
1948~52年、ニューメキシコ州などで飛行機から放射性物質を散布する実験を12回実施
1949年 08月29日 ソ連がシベリアで最初の原爆実験に成功
1950年 06月25日 朝鮮戦争勃発(東西対立激化)
1951年 01月27日 アメリカが西部ネバダ州での大々的な原爆実験開始
1952年 11月01日 アメリカが南太平洋で最初の水爆実験に成功
1953年 12月08日 アイゼンハワー大統領の原子力平和利用宣言
1954年 01月12日 ダレス国務長官が大量報復戦略を発表
1954年 08月12日 ソ連が最初の水爆実験に成功
1955年 11月14日 日米原子力協定ワシントンで調印
1956年 10月    イギリスで世界最初の商業用原子炉が運転開始
1957年 10月26日 国連本部に国際原子力機構IAEA発足
1959年        日本の東海村原子炉第一号が発注される
1965年 05月04日 日本の東海村原子炉第一号が臨界
1973年 01月28日 プルトニウム人体実験患者の追跡検査を開始
1973年 10月06日 中東戦争勃発(石油危機・大々的な原子力宣伝開始)
1974年 10月11日 原子力規制委員会NRC発足
1974年 11月13日 カレン・シルクウッドが謎の交通事故死
1977年 10月01日 エネルギー省DOE(AECなど諸機関を継承)
1979年 03月28日 アメリカのスリーマイル島原発二号炉で大事故発生
1986年 04月26日 ソ連のチェルノブイリ原発四号炉で大事故発生

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94歳肥田医師  原爆患者を診ている方が語る現状(続きを読むに文字起こしあります。

http://www.youtube.com/watch?v=tCV3beH_IWI


爆風で即死してひともいれば、元気で、大往生するヒトもいる。

ピカにやられなかったのに、家族を探しナガサキ・ヒロシマに入って、被爆して亡くなった方もいる。
今まさに、放射能の影響が出始めているヒトもいる。千差万別です。

因果関係が証明できない。チェルノブイリでさえそうなのです。

だから、放射能は怖い。だから、「ただちに影響がない」っていう言葉でごまかすんです。

「将来的に影響が出ないって言ってないでしょ?」

今の医学では放射能が原因と証明できないから完全犯罪。

被爆者に親切な医者はアメリカから目をつけられる

(1947年 03月20日 GHQが日本の全科学者の身元調査を指令 ※プルトニウム人体実験より)

(40分前) 戦争の終わりに被爆した人が、今にがんや白血病で苦しんで亡くなっている。放射線とはそういうもの。

福島の女性「人は土と水と空気さえあれば生きていけます。札束なんかあっても生きていけない。その一番大切な物を福島県民はうばわれました」

民医連新聞2011年1月3日/1491号
http://www.min-iren.gr.jp/syuppan/shinbun/2011/1491/1491-13.html

被爆体験を引き継ぐことは人類が生き残るための唯一の手段です

肥田舜太郎医師

 原爆被害とは投下された瞬間の巨大な爆発にとどまりません。空中に飛散したウ ラニウムの微粒子は、きのこ雲となって上昇し、やがて放射性物質として降下して人体に吸収されます。放射性物質は体内で核分裂を繰り返し、放射線起因の病 気を起こして生命まで奪います。ところが、米国は被爆時の強力な放射線だけに被害を認め、体内に吸収された放射性物質の被害は頑強に否定し、隠蔽(いんぺ い)してきました。
 人類が核兵器と共存できないのは、ウラニウムを地中から取り出し、殺人爆弾をつくって戦争被害の質と規模を拡大するとともに、平時の発電事業の中で気づ かずに無数のがん患者をつくり出して人類の滅亡をすすめているからです。
 原爆被害は、その本質をとらえれば、現在の私たちと未来の子どもたちの問題です。同時に広島・長崎だけではなく、世界中の問題です。だからこそ、最初に 原爆被害を受けた被爆者の証言は貴重で、世界記憶遺産として人類の共有財産にする価値があるわけです。
 放射性物質の人体への影響は現代科学では解明できていません。ただ、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長として、一万人以上の被ばく者を診療し相談に のってきた経験から、「内部被曝こそ人類を絶滅させる脅威」と、とらえています。
 内部被曝はウラン鉱の採掘、核兵器の製造、原子炉の操業などあらゆる過程で起こります。チェルノブイリ原発事故やイラクで米軍が使った劣化ウラン弾によ る被曝にとどまらず、今、この瞬間にも新たな被曝者が世界中で生まれています。
 人類で最初に原爆被害を受けた日本人は、人類存続の危機を最初に告知された民族だと思います。被爆体験を引き継ぐことは、人類が生き残るための唯一の手段です。



低レベル放射能は危険

 NHKのニュースや解説は事実を語っていません。
低レベルの放射能も 十分危険なのです。

広島の原爆で 黒い雨に 打たれた人は 規定範囲外でも 癌や 白血病が発症して 裁判で訴え、認められています。 
市内から10Km以上離れた西区の人も、廿日市(はつかいち)市に住む人も原爆症の認定で訴訟を起していました。

低レベルの放射能も危険だという 疫学的事実・知見を詳しく書いている本 『放射線の衝撃 低線量放射線の 人間への影響』という本を 被爆医師 肥田舜太郎さんが 和訳され、これを読んだ大阪高裁が納得して被爆者認定を求める訴訟で 原告を実質勝訴させ、以降国救済対象がかなり広がりました。 

4/24広島にて内科医の肥田舜太郎医師講演(内容書き出しました)


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肥田舜太郎医師

94歳ですからあまり確かに話す事が出来ないかもしれないけど
まだみんなが知らされていない広島長崎原爆の本当の被害の中身をお知らせします

原子爆弾は放射線のエネルギーをもとにした爆弾です
放射線を燃料に使って爆発させる
その被害を受けた人は
火傷や爆風で飛ばされる以外に放射線が人間の体を色々と壊します

いわゆるピカを浴びた人は
頭の毛が抜ける、血を吐く紫の斑点が出るなどの特殊な5つの症状が出て直後に沢山死んだ

でも、放射線ははその場所に残っていて
地面の上に降り積もっていた放射線の粒を
人間が触ったり吸い込む
また、水源地が侵されて水を飲む

キノコ雲と言う舞い上がったあの雲は
爆発の時に酸化しなかった生のプルトニウムやウラニウムという放射線の粒がたくさん詰まっていて
成層圏まで舞い上がりそれが降ってくる

だから後から街に入った人
爆発とは何の関係もない人が後から街に入ったために
広島長崎では今の医学では診断のできない不思議な病気が起こって大変苦しんだ


大部分の被ばく者が今から10年ぐらい前50年60年たってから
癌や白血病と言う悪性の病気で今どんどん死んでいます


つまり戦争の被ばくをした人が
60年も生きて生きている間も健康で過ごせたわけでなく
しょっちゅう入退院を繰り返し
でも病気の原因が良く分からないでいた人が最後に白血病などの癌
になる
放射線はそういう性質を持っているのです

落としたアメリカは直接の強い放射線で殺される事は隠せないので認めたが
後から街に入った人が医学で分からない病気で苦しんだ事がわかっても
その患者を診た医者が原爆の事でデマを飛ばしているので
身体の中に入ったわずかな放射線は悪くないと言う事を
アメリカのトップから二番目の偉い軍人がきてまだ、マッカーサーが日本に上陸する前に
焼けのこった東京の帝国ホテルのロビーに外国から来ているジャーナリストを集めて
微量な放射線は身体に入っても何のがいもないのだと世界に向かって放送し日本政府にも言った


広島長崎で被害を受けた人はアメリカの軍事機密の原子爆弾の秘密の一部を自分の体で知ったわけだから
だからぜったいに人に話しても書いて残しても
写真や絵でもいけない厳罰に処すと一番最初に宣言した


広島長崎で被爆して兄弟も親も死に財産もなく生き場のない被ばく者が
とても困っているから助けて下さいと言えなくなった

アメリカが日本に原爆を投下したことはもちろん大変な罪悪ですが
それにもましてその後の大変な被ばくを負っている被害者の生きる道を閉ざすような悪い事をアメリカはした


それは自分だけが持っている原爆という新しい爆弾の秘密が他国に漏れることを非常に恐れたからです

アメリカ軍は戦後7年間兵隊で実際に軍事占領しました
私達は食べ物もない中から一生懸命働きました

私は医者ですから自然に被ばく者を沢山診ることになります

後から入ってきた被爆者がある日突然ものすごくだるくなって会社に行けなくなった
2,3日休んで良くなったからまた会社に行くと翌日にはだるくて動けない
そう言う患者が沢山出た

しかし日本の医者はアメリカから被ばく者を見るような医者はアメリカに含むところがあると思うと睨まれて
目を付けると言われたので被ばく者を親切に診ることが困難になった

日本の国の政府も役人も何の役にも立たなくなった

銀座で酔ったアメリカの兵隊が数人で公然の場所で女性をレイプするところを見たことがあります
日本の警官も見ないふりをしている


原爆の病気の研究することも禁じられました
困っている被爆者を救うために何とか援護する事も禁じられました
軍事機密を知っているまだ敵の国民なのだだから特別に日本が面倒みる事は許さない

その後日米安保条約が出来
日本の政府は今でも日本を守ってくれるアメリカの核兵器が不利になる運動をしてはいけない
まだ、今の政府はそういう方針を持っています


福島の原発で事故が起きて家にも帰れない状態になっています

原発から漏れてくる放射線も原子爆弾の放射線も同じものなのです
プルトニウムとウランで熱を作って電気を起こしている
だが事故を起こしているそして止められない

みなさんが一番目にするエネルギーは火です
マッチもライターも
あらゆるエネルギーは消す事が出来ます
でも放射線のエネルギーは絶対に消す事が出来ないのです


あの事故も
ウランがそのまま熱を持って燃え続ける事を消す事が出来ないのです人間には
そう言う難しいエネルギーを
それを特別な科学の方法で無理やり引っ張りだした
最初に使ったのは人殺しの爆弾として使った
戦争が終われば工場が作り続ける必要が無くなるので
何とか使えないかという事で電気のエネルギーとして世界に売った

事故が起こらなければいいけど事故が起きたらもう、どう仕様もない
土に埋められないし海に投げるわけにもいかない
どうしようもない
出っぱなしです 放射線が

ずっと毎日朝から晩まで空中にも海にも出ている
なくならないから溜まるんですどんどん

そのまま風に乗って好きなところに行き地面に振る
そこにとどまりお米も作れないし
第一近くに行けば被ばくする
日本の国が東北は破壊された状態が起こっている


ところがテレビに出てきて知ったような顔する学者が沢山います
彼らは放射線を作る側の学問をしている人が出てきていて
ところが放射能が人間に当たったら人間がどのような変化が起こるか彼らは知らない
だから直ちに心配な事は起こらない
それはそうです

ところが
げんに東北では下痢がはじまっています
最初の症状の一つは下痢です
今の普通の薬では止まりません


私が一番心配しているのは東北で本当に苦しみ抜いている家から不便なところに居て
隣の人とは段ボールで仕切られたところで一か月以上生活している
この人たちの苦しみは今のところは不便なところで寝ていると言う事で年寄りや病人が死なれたりしてるけど
元気な人を含めて放射線の病気が始まってくるのは
おそらくこの秋から来年の春にかけて沢山出てくるだろうと私は想像しています


でもこの人の下痢が放射線のせいだと証明する学問が今はない
これが泣き所です
だから完全犯罪なのだ。証拠を上げられない
30年後に被ばくのせいで癌になったと何度言っても証明できない
今の医学はそれを見つけるところにまだいっていない

理由は粒の大きさです
放射線の粒の大きさは1ミリの60億分の一がウラニウムの粒の直径です
これが身体の中に入って悪さをする
今の医学は人間の体を分解して細胞と言う一番小さな単位の中で病気を見つける
これが60億分の一という所で病気を起こしていると言う事が見つける方法を持っていない


おす方法もなく消す事も出来ないエネルギーをなんで選んで日本で電気を起こさなければならないのか

みんなは知らないからあの方が沢山電気が起こせるとか
地球の空が汚れないとか温暖化防ぐなど上手い事言われて
出来る電気で恩恵を受けて のうのうとしているけど
敦賀の原発が今もし事故を起こせば広島はひとたまりもなくその影響に入る

私達はもちろん核兵器はもう作ってはいけない使ってもいけないと言っているが
だけどもこうなってみれば
原発だってもう許す事は出来ない

私達の仲間も、日本人がひとたび事故を起こせば何百万人と言う人が
東北の人達の姿が皆さんの明日の姿ではないと言えない

放射線は人間が自由にコントロールできないエネルギーなのだから
掘りだしす事も止める。もちろん作りだす事もやめる
人類が使う事もやめると言う事が
人類が長生きするためには世界中がこれをやらなければならない

政府は20K30K立退いて下さいってやっと言いましたね
アメリカは事故の翌日に80キロ逃げろと言っています
フランスドイツは12日朝には派遣している特派員に大阪まで逃げろと言っています
フランスもドイツもアメリカもよく知っている
つまりそれだけ逃げていなければ将来が危ないと言う事をよく知っているからそう言う


日本の政府はひと月たってからやっとおそるおそる逃げろと20K30K・・とぼけてる
つまり何も知らないんですよ日本の政府は 金もうけだけ考えている

私はきょう広島に来て
この中には山口県の新しくできる原発反対に協力している方が沢山いると聞きました
わたしも上関に健康診断に行った事がある
穏やかな魚の美味しいとても綺麗なところです
中電くるなと電気会社に対抗しています
力負けして向こうの方が有利になっているようですが
今度の事件があったので中電が強引に進めるのを少し休んでいる様です

これからの国民の戦い方一つで原発は日本から追い出す事が出来ると思っています
そういう力を集めて核兵器を絶対に世界からなくす

みなさんはのんきな顔しているけれども
民主党の中にも原爆を持てと言っている議員が60%こえている

日本が核兵器を持ってもう一度他国とケンカすると考えている議員が
全体の中ででも50%を越えている


だからみなさんのこれからの自分たちの将来、子供や孫に
放射線の恐ろしさを感じさせない国に作り変える事が今一番大切なことだと思っています

          先生は「被ばく者世界の終わりに」釜中ひとみ監督ドキュメンタリーの映画の主人公
          「内部被曝の脅威」ちくま書房から出ています



福島の女性

大塚愛です
私は福島県双葉郡川内村の住人でした
自給自足の生活がしたくて住みつきました
電気が通っていなかったので
4年間大工修行をしながら夫とソーラー発電を取り入れました
住んですぐに原発が近くにある事に気が付き
川内村は原発関係の村の中で原発は危ないと声を上げる事には勇気がありました
でもみんなは肌で知っていました
原発に働きに言った人が病気で亡くなるからです
息子さんを亡くした人
あっという間に亡くなった元気なおじさん
村の人は危ないと気が付いていたけどいらないとは言えない状況に居ました
原発で働いている人が同じ電気を作り
仕事でも自然エネルギーを作る職場だったらどんなにいいかと思っていました
3月11日の地震で
家は大丈夫だったのでいつもの通り夕方の生活を始めました
暗くなった頃ほんのちょっとだけ冷却装置ストップのニュースが流れ
3キロ以内避難指示のニュースが流れて
子どもを連れてとりあえずの荷物と言い聞かせながら家を出て
40キロ離れたところで一晩過ごし
翌日は100K当たりで見ていました
私は家に帰りたかった
突然断ち切られて
子どもがいるから避難しようと夫が行って
実家の岡山につきました
川内村は全損避難でからっぽです
働き者の大工の親方も春がきて種をまきたい人も狭い避難所に居ます
広島に来て
ここで普通に生活していた人たちが原爆で突然被爆したのだと気が付きました
ふくしまでも当たり前に過ごしていた日常の中
放射能が目に見えないのでその事実を認識するむずかしさがある
人はお金がなくても
土と水と空気があれば生きていける
お金だけでは生きていけません
その一番大切なものを奪われてしまいました
そのなかで地震が起きてしまいました
それから
この教訓からエネルギーシフト
明るいエネルギーに変えていけるようにみんなが繋がっていけたらいいなと思っています
廃炉アクションをしています
イマジンのフラで「アロハでハイロ」をつくって
去年から福島の人達と練習してきました



mikiki_bossmikiki_boss at 11:07│コメント(0)原子炉災害 | 医療利権この記事をクリップ!

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