エンタメ【追悼 田中好子さん】AKBにつながる新しいアイドル 稲増龍夫・法政大教授+(1/2ページ)(2011.4.27 13:55

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【追悼 田中好子さん】
AKBにつながる新しいアイドル 稲増龍夫・法政大教授

2011.4.27 13:55 (1/2ページ)
キャンディーズのサヨナラ公演での田中好子さん(右端)。中央は伊藤蘭さん、左端は藤村美樹さん=昭和53年4月4日、東京・後楽園球場

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キャンディーズのサヨナラ公演での田中好子さん(右端)。中央は伊藤蘭さん、左端は藤村美樹さん=昭和53年4月4日、東京・後楽園球場

 55歳の若すぎる死が惜しまれた田中好子さん。アイドルグループ「キャンディーズ」としての足跡を稲増龍夫・法政大教授(59)が語った。

               ◇

 日本の芸能史で、田中好子さんがメンバーだったキャンディーズは、アイドルとしての新しいモデルケースを作った存在だった。

 キャンディーズが活躍した1970年代は、初めてアイドルブームが起きた時代。しかし、ニューミュージックの台頭もあり、70年代後半になるとブームは一時下火になる。アイドルというものには先がなく、末路は暗いと冷ややかに見られていた部分もあった。

 そのなかで、キャンディーズは見事にその偏見を打ち破った。「普通の女の子に戻る」という一つの選択肢を掲げ、それがさらに盛り上がりを呼び、引退時の人気は最高潮。当時のアイドルではまれなことで、アイドルグループの解散が大イベントになり得た初めてのケースにもなった。

 女性3人という形をとり、ファンに選択の多様性を持たせたのも、その後の第2次アイドルブームで出てきた「おニャン子クラブ」や、現在の「AKB48」などの人気女性アイドルの形につながったのではないか。

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田中好子さん

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