東日本大震災後、震度5弱以上が想定される場合に出される緊急地震速報の発表回数は70回を超えた。だが、速報が出ても大きな揺れが来なかったり、違う場所で地震が発生するケースが今も相次いでいる。震災発生直後は地震計のダウンが影響していたが、今は全て復旧済みだ。なぜ外れてしまうのか。【飯田和樹】
気象庁は24日午後8時50分、福島県会津地方を震源とする地震によって強い揺れが予想されるとして、緊急地震速報を発表した。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.5と予測され、震度は福島県会津で震度6弱~5強、山形県置賜で5強~5弱、福島県中通りで5弱、栃木・新潟・宮城・茨城の各県でも4程度と見込まれた。だが、観測された最大震度は福島県いわき市の「3」で速報の内容と大きく異なった。
気象庁によると、実際には会津地方で起こった地震は揺れを体に感じない程度の「無感地震」だった。この地震の約14秒後、福島県浜通りを震源にM3.6の地震が発生し、いわき市で震度3を観測したのだった。
緊急地震速報は、震源近くの地震計で最初に観測された小さな揺れの初期微動(P波)のデータから震源やMを推定し、遅れて到達する強い揺れの主要動(S波)の大きさ(震度)や到達時間を予想する仕組み。地震が頻発していない時には問題は生じないが、気象庁管理課は「現在のように地震活動が活発な時には、震源決定の精度が落ちてしまう」と話す。
24日夜の緊急地震速報はどうして誤ったのか。まず午後8時50分4秒に会津地方を震源とするM2程度の地震が発生し、同地方に防災科学技術研究所が設置した地震計がP波を検知。一方、約14秒後の同8時50分18秒、約100キロ離れた福島県浜通りで、より規模が大きいM3.6の地震が発生し、いわき市の水石山に設置された地震計がこの地震のP波を検知した。地震の規模が違うため、水石山で検知されたP波の方が、会津で検知されたP波より大きかった。
いずれの地震も、緊急地震速報の発表基準である震度5弱以上の揺れを引き起こすとは考えにくい規模の地震だった。ところが気象庁管理課は「二つの地震が短い間隔で発生したために一つの地震として扱い、予測を誤った」と説明する。
会津地方の地震しか起きていないとした場合、震源から遠いために揺れが小さくなるはずの水石山の地震計で大きな揺れを観測したことになる。このため「震源に近い場所はもっと揺れていると推定し、地震の規模を実際より大きめに推定してしまうことにつながった」(管理課)という。
大震災発生直後から同様の状況は起きていたが、余震の減少や地震計復旧などに伴って外れるケースは減っていた。しかし、今月11日に福島県浜通りを震源とするM7.0の余震が発生して以降、千葉県東方沖や茨城県沖などで発生する地震と混同して発表するケースが目立っている。
11日以降、21回の緊急地震速報が発表されたが、うち9回は二つの地震を同一の地震として速報を発表した。また11回は震源の位置が違い、10回は最大震度が3以下だった。
東日本大震災発生直後に緊急地震速報を発表する際には、3月12日に長野県北部で発生した強い地震の余震と、大震災の余震の区別をつけることができずに苦労した。気象庁の上垣内修・管理課長は「大震災発生後、同じ領域で1分程度の間に二つの地震が発生する確率は、震災前の25万倍ぐらいになった」と話す。
これを解決するために気象庁は、緊急地震速報のシステムの設定を調整した。P波を感知した二つの地震計が350キロ以上離れていなければ一つの地震として処理していたのを、150キロ以上まで狭めた。長野県北部と東北太平洋沖でほぼ同時に地震が起きても、別の地震として処理できるようになった。
だが、4月11日に福島県浜通りを震源とするM7.0の地震が発生した後は、この対策が通用しなくなった。地震の多発地域が福島県浜通りのほか、千葉県東方沖、茨城県沖、宮城県沖などと狭い範囲に集中し、150キロに狭めた意味がなくなってしまったのだ。
気象庁管理課の内藤宏人・即時地震情報調整官は「150キロより狭めると、一つの地震を二つに分離してしまいかねない。すぐに対処する方法はない」と説明する。
改善法としては、緊急地震速報に利用していない周囲の他の観測点の情報を取り入れたり、現在は使っていない地震波の振れ幅のデータを取り入れることなどが考えられるという。また、地震計の数を増やせば、震源決定の精度は上がると考えられる。ただ、どの方法も決め手になるかは分からない上、プログラムの大幅な改修が必要で、改善までには数カ月の期間を要する。
上垣内課長は「改善はできると思うが、どんな条件でも大丈夫という形にするのは難しい。ミスが続いて、緊急地震速報が『オオカミ少年』にならないかと心配しているが、地震計が地震を観測しているのは間違いないので、速報が出た時に危険回避行動をとってほしい」と話している。
毎日新聞 2011年4月27日 20時57分(最終更新 4月28日 2時52分)