VOL.2
この惑星と同様に火星タカワルハラでも地球についての歴史文献は皆無といって良い。
20世紀以降より盛んに記録された音声と映像も殆ど現存していないと聞かされている。
それは過ぎ去った忌まわしい暗黒の歴史でしかないのだと・・・・・・・・・・。
多くの思想家たちが残した文献はあっても、その歴史的背景に触れることすら出来なかった。
私たちは、あらゆる文化と文明が否定され、一切の書物と思想的活動の途絶えた時期だと教育されてきた。
ネットで世界史を調べ直してみたが、やはりここでも21世紀末から百年前後の記録が空白になっている。
もし国立図書館に行くことが可能で、閲覧できたとしても同じ結果に終わるのは明白だろう。
寝る暇も惜しんで古臭い端末に齧り付いていたが、この一週間の努力は無駄骨折りだったらしい。
あのハヤトが言っていたように、誰かに頭を下げない限り謎を解くことは不可能なのかも知れない。
大きなパーティーは月に二回ほど催されるらしいが、この屋敷は催しがなくても毎日多数の人間が出入りしている。
邸内のゴルフ場とカジノを利用する客や、その他目的の分からない人たちが毎晩のように乱痴気騒ぎを繰り広げているのだ。
中には高学歴の物知りもいるだろうし、口の軽い人間も少なからずいるに違いない。
彼らと接するための仲介役は・・・・・やはりマリアに頼る以外に方策はないか。
彼女は庭園で仲間の女の子たちと戯れているか、カフェバーで楽しそうにお喋りをしている姿をよく見かける。
しかし先日のパーティー以来、私と擦れ違ってもプイと横を向いてしまう様になってしまった。
屋敷内での自由は与えられているとはいえ、囚われの身である私には他人の感情に配慮する余裕までは持てないのだが。
この惑星では、利用出来るものは全て利用すると割り切って考えた方が良いのかも知れない。
腹を割って話し合えば彼女もきっと理解してくれる筈だ。
私はあの夜、彼女のご機嫌を損ねているので、直接話しかけたら逃げ出して二度と会えなくなってしまう恐れがある。
そこで、いつも私の身の回りの世話をしてくれているメイドに取り次いで貰うようにした。
待つこと30分、彼女からの返事は今夜七時に例のピアノバーで会っても良いとの事だった。
まだ午後五時前だが、他に用事でも出来るといけないと思い直ぐさまバーへ向かった。
ところが店内へ入ると、驚いたことにこの間と同じ小さいカウンターにひとりポツンと座っているマリアの姿がある。
彼女も私に気付いたので手を振りながら歩み、遠慮がちに席を一つ置いて腰掛けた。
『久しぶりだね、変わりなかったかい。』
「たった一週間でしょ。」
『私は永いように感じたんだけど。』
「どうして隣に座らないの。」
『約束の時間よりも早過ぎるので、他の人と待合せしているのかと思ったんだけど。』
「じゃあ他のカウンターに座れば良かったんじゃない。」
『聞いて確かめないと分からないし、食事を摂る予定かも知れないし・・・・・・』
「ここは食堂じゃありませんから。」
『じゃあ何でこんな早い時間に・・・・・・・・・』
「疲れてるからお茶を飲んで寛いでいたのに貴方が邪魔しに来た。」
駄目だ。完全にお冠状態で甚だしくツンケンしている。
しかも飲んでいるのはお茶などではなくカクテルではないか。
『お酒なら私も付き合うよ。』
「バーテンさん、お客様にアースクェイクお願いね。チェイサーはバーボンの水割りダブルで、ウフッ。」
『実はね、私は歴史研究者なんだが、この地域の詳細な歴史について研究しているとどうしても壁にぶち当たってしまう。』
「ふ〜ん。」
『高名な歴史家や偉大な歴史の探求者たちは皆、世界各地を駆け巡って人々から貴重な言い伝えや逸話を直接聞いた。
そしてその耳と目に焼き付けた事実を記したのが世界史の始まりなんだ。』
「へ〜。」
『私は歴史家の真似事をしているに過ぎないのだが、偉大なる探求者に倣って生涯を賭けた仕事を成し遂げたいと思っているんだ。』
「へ〜〜〜。」
『そこで君に折り入って頼みたいことがあるんだよ。』
「ふ〜〜〜ん。」
『この屋敷を訪れる人の中に、大学教授とか歴史に詳しそうな方がいたら是非とも紹介して欲しいと思ってね。』
「バーテンさん、お客様にアブサン・ストレートトリプルとバーボンダブルのチェイサーおかわりね、ウフフ。」
『いや別に地位は高くなくても、君がこの人は学識があって物知りだと思っている人物だったら誰でも構わないんだけど。』
「物知りだったら貴方の目の前にいるわよ。マリアは冠木さんが鈍い方だってこと知ってるの、ウフッ。」
『歴史学に限定しての話なんだけど。』
「それで今日になって新たに、冠木さんが嘘吐きだと学習したの、ウフフフ。」
『それは心外だなあ。大真面目に話してお願いしてるのに。』
「さる偉大な歴史家はこの様に仰いました・・・・・・・
生真面目な人間が悪の存在を許し、生真面目な人間故に不正の温床を作り上げた・・・
それは生真面目であるが故、悪に立ち向かう事も善悪理非の判断も敵わなかったからである・・・・・とか。
或いは・・・
善人の仮面を剥ぐとそこには悪魔の仮面があり、更にその下には幾重もの善人と悪魔の仮面があった・・・・・
善人とは悪魔の血に染まって生きる動物である・・・・
それは彼らが善人だからこそ何も成し得ず、人の道に背いて一生涯を終える運命であるからだ・・・・・とも。」
『君の神経が良く分かったよ・・・・・・・・・・・・私が馬鹿だった。』
「そんな言い種って・・・・・・・」
『じゃあ、縁があったら・・・・・』
マリアの術中に嵌まってしまい、強い酒を何杯も飲まされる破目となり完全にダウンである。
やはり絶対に他人を頼るべきではない。だから私は馬鹿だったのだ。
他人を信じて期待を裏切られた時、その者に対して憎悪の念を抱く事にもなり兼ねないからだ。
翌朝、頭痛と吐き気と共にいつもより早く目覚めてまったので、サウナへ行き酔いを覚ますことにした。
早朝のため誰もいない広いサウナルームにゴロッと寝転んで物思いに耽っていた。
冷静に考えてみれば私の一時的感情から自分で自分の首を絞め、八方塞がりにしてしまったのではないか。
もしかすると私は本当に鈍感で嘘吐きの愚かしい男なのかもしれない。
かつての同志たちも言葉巧みに誘い計画を強要したにも関わらず、一方的な思い込みから殺意を抱いて行き着いた所は・・・・・・
そこへ、ひとりの大柄な男がサウナ室に入って来た。この顔には見覚えがある。
ここへ連行されたあの日、地下室で取り調べに当たった乱暴な奴だ。
男は故意にだろうか、仰向けに寝ている私の頭の直ぐ隣に腰を下ろした。
しかし端末は持ってきていないので話をする必要はあるまい。この男も承知している筈だ。
「朝っぱらからサウナとは結構なご身分だな冠木。刑務所じゃあ月に一度シャワーを浴びるだけだって事を良く覚えときな。
受刑者は朝から晩まで強制労働に駆り出される。昼飯と夕飯にありつく為には一心不乱に働かなきゃあならねえ。
犯罪者に与えられる唯一の自由は勝手に餓死することだ。働かざる者喰うべからずってな。
ところでよう、お前は世話になってる御主人様に礼のひとつも言えねえ野郎なのかい。
オヤジさん、いやクロッカワー氏はお前の事をいつも気にかけて俺によく尋ねてくるんだよ。
監視カメラで見張ってるわけでもねえから、お前の言動や行動が読み取れねえんだ。
俺の言っている意味が分かるか。感謝の気持ちを忘れるなってことだよ。
今から六時間後の午前十一時に迎えを遣るから身支度を整えて待っていろ。
分かったな冠木。」
そう告げると大柄な男はさっさとサウナ室を出て行ってしまった。
奴は余計な脚色をしていたが、恐らくことづてを伝えるため来たに違いない。
監視してないなどとは信じ難いが、軟禁状態での緩やかな尋問があってもおかしくはない。
クロッカワーは痺れを切らしたのだろうか。私から何かを訊き出したい事は容易に察しが付く。
こちらも収穫を得られるかもしれないので精々楽しむとしよう。
そして午前十一時過ぎ、約束通り使いの男二人がやって来て屋敷の奥へ案内された。
長い通路の前で目隠しをされ左右に何度も折れた後、エレベーターに乗せられ地下深く降りてから目隠しを外された。
そこは前に連行されて来た時の雰囲気とは異なり、目の前には一面豪華な大理石造りの壁や彫刻が並び、静かな音楽も鳴り響いている。
ここからは綺麗なドレスで着飾った女性が案内役になるらしい。
女性の話によるとフレンチレストランでクロッカワーが待っているのだという。
少し歩いた所の正面に大きな格子模様の扉があるのだが、看板も何も見当たらない。
直前まで行くと扉は徐に左右へと開かれ、黒服二人が深くお辞儀をしている。
フロントの左右を見ると、フレンチには相応しくない和服姿の女性が数名いて深々と頭を下げている。
その女性のひとりに案内され広くてゆったりとした店内へ入ったが、更に奥のVIPルームに招待した主が首を長くして待っているそうだ。
その個室の前に立っている警備員らしき男が、右手と左手をモニターに翳して自動ドアを開けると更にドアがあり、私一人そこの狭い空間へ入るように言われた。
十秒ほど缶詰にされた後、目の前のドアは開かれ、そこにはテーブルに座るクロッカワーの姿があった。
私はここでの慣行に従い、取り敢えず深くお辞儀をする事にした。
「やあ、冠木くん、久しぶりだね。まあ挨拶はいいから、お掛けなさい。」
『パーティーには出席しましたので、それ以来ですね。』
「ああ、そうか。まあいいからいいから。」
このVIPルームにも黒服二人と和服の女性二人がいて、奥の方には専用の調理場があるのだろうか、微かにフライパンの音や火で炙るような物音がする。
クロッカワーの前のテーブルに着くと、不覚にもまた例のお辞儀をしてしまった。
「まあ固くならず気軽に最高級グルメを楽しんでくれればいいんだよ。」
『今日は何かお話でもあるのかと思ってました。』
「いやいや、大切なゲストを食事にお招きしただけだがね。」
『そうだったんですか。』
「そろそろ料理が運ばれて来る。フォークとナイフ以外は持つ必要がないから、その端末機はポケットにしまって置きなさい。
私が何か喋っても答える必要はないので、頷くか首を横に振るだけでいいのだ。」
こちらには喋らせないという新手の尋問だと受け取れば良いのだろうか。
クロッカワーの言ったようにワインに次いで、大きめの皿に小さく盛られた料理が続々と出てくる。
食事は昨日の昼食以来、酒以外は何も口にしていないのでマナー違反で少々品が悪くなっていた気がする。
しかし次から次へと料理皿の出されるこの国のフレンチとは、どの様な歴史的経緯があるのかなどとも考えながら。
「これは懐石フレンチ全席といってね、高級ワインを味わうものとして考案されたんだよ。
ワインは白・赤・ロゼと取り揃えてあるが好みにあったものを飲めば良いのだ。
人類が創造した至高の芸術品の一つがこの懐石フレンチ全席だといわれている。」
なるほど、私が今までにこの地で味わってきた料理とは異なる芸術性を感じる逸品であることは確かだ。
グルメ通の老人は料理が運ばれてくる都度、得意気にその料理の起源やら素材の生産方法などについて訴え掛けてくる。
しかし私とて使い慣れないフォークとナイフで料理の洪水に舌鼓を打ちながら、和服美女が次々とお酌するワインを飲み干さなければならないのだ。
極上の料理と酒と美女の連続攻撃で、老人の自慢話を聞いている暇もない。
そして急に口数の少なくなったクロッカワーは、時折私の顔を窺い何度も頷きながら満面の笑みを湛えている。
最後のメニューとなるケーキとエスプレッソコーヒーが供された時、再びグルメ老人は私に語りかけて来た。
「実はな冠木くん、これがデザートではないのだよ。」
『と、言うと・・・・・』
「まあ、ゆっくりコーヒーでも味わっていてくれ。」
そう告げるとクロッカワーは立ち上がり奥の方へ向かった。
手洗いにでも行ったのだろうかと思っていると、余り時間を置かずに戻ってきて、これからがデザートの時間だとニヤニヤしながら言うのだった。
いや、これからが本格的な尋問を始める時間ではないのだろうか。
私は大切なゲストであろう筈がないからだ。天国から地獄へ直滑降なのか。
そして店の奥の方に着いて行くとエレベーターがあり、店内にいた黒服二人を連れ立って更に地下深くへ向かった。
この黒服二人は老人のボディーガードのようだ。
「これから行く所はVIP専用の会員制クラブだ。君は自由の身なので眠くなったらいつ寝ても構
わないがな。」
『この敷地内では自由の身なんだろ。』
「その通りだが、凶悪犯罪以外は全ての権利が認められている。」
『それも敷地内の権利だな。』
「ああ、それからな、その端末機は必要ないので預っておくよ。」
『話をしてはならないのか。』
「行けば分かる。」
エレベーターは程なく到着し、下りるとそこは広いロビーになっており分厚そうなドアが一つだけある。
二人の黒服がドアを開け中に入ると、そこは照明が落とされていたので最初は何なのか判別出来なかった。
眼を凝らして良く見ると部屋の至る所に数十名のバニーガールいて、しかも片膝を着き両手を胸の前で合わせ頭を垂れている。
大きめのボックス席が三つしかない空間で数十名のバニーガールが仰々しくお出迎えなのだ。
クロッカワーは私を連れ、中央の席に陣取って店長らしき男に何やら指示をしている。
ここまで来てやっと尋問が目的ではない雰囲気だと理解出来た。
それに今日のクロッカワーの上機嫌ぶりは、一体どういった風の吹き回しなのだろうか。
ふと目の前のテーブルを見ると、深々とした大きなソファーに比べて小さ過ぎるのに気付いた。
相変わらずクロッカワーは私を見詰めながらニヤニヤしている。
そこへバニーガール達が大きな皿を手にして現れ、ソファーの左右に二人、その下に二人づつが両脚を一方に揃えた格好で侍り皿を差し出すのだった。
更にもう一人グラスを持ったバニーが、私の両足の間に割って入る形で両脚を同様に揃えて侍り、グラスを両手で掲げている。
クロッカワーの方を見遣ると同じ配置で、ここには計十名のバニーが侍っているのだ。
老人はブランデーグラスを揺らしながら既に飲み始めているので、私もバニーが支え持つグラスを手に取り飲むことにした。
それは飲みたいと思っていた水割りだったので一気に半分ほど飲んだ。
すると真ん中にいるバニーが、微笑みながらグラスを欲しそうな仕種をしたので渡すと、即座に他のバニーが新しい水割りを運んでくるのだった。
そして私が食べたいと思っていた料理が、左右から箸とフォークを用い口元まで絶妙のタイミングで差し出されてくる。
不思議なことに余り好みではない生ものや、それに近い料理は皿の上を見渡しても一切ないのには驚かされた。
やはり厳しい監視の眼の下で個人データを収集し分析されているのだろうか。
そういえば先程からクロッカワーが何も話をして来ず、少々不安気になっていた。
すると、バニーたちと楽しそうに会話をしていたその老人は、思い出したかのように私の方に視線を向け話し掛けてくるのだった。
「どうだね冠木くん、この娘達は。これもまた神が創造した至高の芸術品と言っても良いのではないかな。
この娘達は単なるサービス業従事者ではなく神に選ばれし者達なのだ。
神の仮の姿として地上に降臨したのが上帝であることは言うまでもあるまい。
君が今口にしている酒や料理も偉大なる上帝からの有り難き賜り物だと肝に銘じるのだ。
地下水と海を汚染し尽くし、食料の確保も動植物の生存も不可能な状態で君たちは火星へ逃げて行ってしまった。
悪魔の呪いにより死に瀕した人類を救われた方こそ、神が人間の姿となられた上帝であるのだ。」
遂に始まったか。しかし端末を奪われてしまったので言い返す事も出来ない。
私は身振り手振りで端末を返すよう訴えた。
「いや、君は只ひたすら私の話を聞いていればいいのだよ、冠木くん。
私が間違っていると考えるのも君の自由なので、そうであればその様に考えるだけで済むのだ。
君は洗脳されているので何を言っても無駄なのも充分に承知している。
同様に君がこの国で情報収集をするのも破壊工作をするのも無駄な努力に過ぎない。
神など存在しない?自分は洗脳などされていない?、と言うのかね。そう信じ込ませるのが高度な洗脳ではないのか。
水の汚染は我々がやったと言いたいのかね?。犯罪者は必ず逃走するとだけ言って置こう。
私が読心術を?、いや君の考えていることは全て手に取るように分るだけだよ。
だから端末機は必要ないと言ったではないか。その意味がお分かりになったかね。
この空間では君は従順な奴隷に過ぎない事を。」
確かに私が頭に思い描いている言葉を完全に読み取られている。
この空間?・・・・この部屋が関係している・・・・・・・・・
そんな馬鹿な。我々ですら開発を断念した高度なブレーンポリグラフ装置など存在する筈がない。
「君には失望したよ、冠木くん。君はもう少し賢い人間だと信じていたんだがね。
敵味方を問わず、有能な者であれば付加価値が高いが、無能な者は生きている資格もない。
目が虚ろのようだが、気分でも悪くなったのかね。だから寝ても構わないと言って置いたではないか。
さて、餞別代りに私から心ばかりのプレゼントを差し上げたいのだが、何人でもテイクアウトして構わんのだよ。
うん、そうだよ、そこにいる美しい娘達だよ。ほう、そうかね、君は女性がお嫌いか。それは娘達もさぞ残念な事だろう。
君は無限の可能性を秘めている。また会える日を楽しみに待っているよ。
私は君の総てを知っている・・・・・・・・・おやすみ、冠木くん。」
目が・・・壁が、天井がグルグル回る。悪酔いするほど飲んではいない・・・・・薬を盛られたか。
足元もフラつき出した私は、黒服二人に両腕を支えられながら部屋まで辿り着いた。
眠いわけではないがベッドから起き上がる事もできない。
朦朧とした頭の中で、今まで遭遇した様々な出来事が走馬灯の様によぎって行く。
クロッカワーが勝ち誇ったように上機嫌だったのは勝利宣言を控えていた為か。
奴の口っぷりからすると、クラブに入る以前から私の心を読んで勝利を確信していたような気がする。
しかし高性能のハイテクマシンを駆使しているのなら、薬物など盛る必要が果たしてあるのかどうか。
いや待てよ。私の飲みたかった水割りが出された後、好みの料理を一分の狂いもなく勧めてきた。
店内に入る前から、料理まで準備万端整えて・・・・・やはり知り尽くしていたのだ。
そして彼女たちは指示通りに・・・・・いや、全員髪を上げていたのでイヤホンらしい物をしていれば直ぐ目に付く。
自分たちの意思のみで行動していたとしか思えない。
しまった・・・・クロッカワーが言っていた・・・・・・
娘達・・・・・・・・神に選ばれし者・・・・・・
迂闊だった・・・・・・テレパシー・・・・超能力者・・・・・
彼女たちは片手にグラスや皿を持つ傍ら、一方の空いた手を必ず私の体の一部に置いていた。
そして彼女たちの目はどことなく虚ろで視点が定まらないようにも見えたのだが。
薬物により力を得た身体の接触が発信源となり・・・・・いや、超能力など有り得るのか。
しかし私の心の全てを見透かされていたのは認めざるを得ない事実だ。
百歩譲って超能力であるとすれば、バニークラブに入る以前に何処で接触があって心を読まれたのかだ。
私の身体と誰かの身体が触れ合ったこと・・・・・酒・・・・薬物・・・・
パーティーの夜・・・・・・・・・まさか・・・・・・・
目が覚めたのか夢の中なのか分からない。頭がぼんやりして何も見えない。
ベッドから転げ落ちたのか硬い床の上で寝ているらしく、体が冷え切っているようだ。
いや、部屋の中は常時エアコンディショナーが効いているはずなのに何故こんなに寒いのか。
薄明かりが目に入るが、カーテンからは月明かりも眩しい陽光も差し込んで来ない。
太いコンクリートの柱が見えるが、他には家具も何も見当たらない。
いや、ここは室内ではない・・・・・屋敷の部屋の中ではないのだ。
ようやく上半身だけ起こすことが出来たが、ここはだだっ広い場所である事が分かった。
所々に鈍い光を放つ非常灯があり、太い柱が遠くまで何本も続いている。
どうやらここは地下駐車場らしいが車は一台もないようだ。しかし何故こんな場所にいるのだろう。
意識が徐々に戻り、昨日の記憶が鮮明に甦ってきた。
クロッカワーが餞別云々と言っていたのは最後の晩餐という意味が込められている。
ここは留置場でも刑務所内でもなさそうだが、なぜ警察に引き渡さずに放り出したのか。
厚手のジャケットとコート・・・・・・ポケットには端末機とずっしり重い金銀の硬貨が何十枚も。
そして体が重かったのはそれだけが原因ではない事に気付いた。
左脇のショルダーホルスターと背部のバックサイドホルスターには二挺の拳銃が。
これは元々私が所有していたモーゼルC96とルガーP08のようだ。それに弾倉もたっぷりとある。
泳がされているのは分かっていたつもりだが一体全体何の真似なんだ。
クロッカワーは再び私の心を弄び、験そうとしているのか。
兎にも角にも外へ出てみないことには埒が明かないだろう。
入って来れたのであれば必ず出口は見つかる筈だ。
少し傾斜が付いているので、上って行けば外に出られるかも知れない。
相当広い駐車場のようでかなりの距離を歩いたが、やっと左側に階段を見つけた。
螺旋状の階段を何段も上がると三つ目の踊り場に錆び付いたドアがあった。
外からは人の話し声も聞こえてくる。
恐る恐るノブに手を遣ると、呆気なく開いた。まばらだが人も歩いている。
裏通りに出たようだが、ここは一体どこなのだろう。
表通りらしき場所に出てみると裏通り同様に人の行き来は少ない。
屋敷で盛られた薬物が未だに残っていて、体はフラフラするし景色も多少歪んで見える。
濃い目のコーヒーでも飲みたい気分だが、この辺りには気の利いたカフェなどあるのだろうか。
広い道路に沿って歩いてみると全く車が走っていないのに気が付いた。
そして、どこを見渡しても割れたウィンドウと崩れ掛けたビルしか目に入らない。
この風景はどう考えても、あの豪奢な造りの屋敷近辺からは遠く離れた地域だ。
そこで、数少ない通行人が歩いて行く方向へ従って進んでみる事にした。
30分程で今までとは異なる少し賑やかな繁華街らしき所が目の前に現れた。
看板や屋台も見えるし、ここならば暖かいコーヒーに有り付けるかもしれない。
思った通りCAFEやCOFFEEと書かれた看板が幾つも並んでいる。
道を行ったり来たりしながら物色して、その中で最も清潔そうな一軒の店に入った。
その立ち飲みカフェの店員が前払いだと言うので、銀貨を一枚払ったところ店員はマジマジとそれを眺めた後、10枚ほどの小さい銀貨を返して寄越した。
直ぐに出されたおかわり自由のコーヒーはお世辞にも美味いと言える代物ではない。
なかなか目が覚めないので二杯目を頼み、軽い物でも腹に入れようかと考えていた時、ふと向かい側のカウンターを見ると何か騒然としている。
客たちは衛星テレビを見ているらしいのだが、皆私の方に顔を向けて指を差しているのだ。
そして、客の内の一人が人殺しがいると叫ぶと、別の客は賞金首だと大声で喚き始めるのだった。
店員と客全員の刺すような鋭い視線が私に放たれている。
それは次第に重苦しい空気に変わっていったので、仕方なくその場から退散するしかなかった。
恐らく人違いだろう、それ以外には考えられない。いや、そうに決まっている。
私は死刑判決を受けた身だが、ここの話ではない無縁の世界の出来事だ。
もしかすると諜報活動で銃撃戦の日々を送っていた頃からお尋ね者になっていたのかも知れない。
しかし、冷静に事態を見極めなければならないと考え、暗くなるまで少し離れた空きビルに身を潜めることにした。
真昼でも薄暗い廃墟となったビルの片隅で、この地へ来てからの様々な人達との巡り逢いに思いを馳せていた。
ゴローたちは今でも派手な銃撃戦を演じているのだろうか。そしてアジトを探して帰るのは賢明な選択なのか。
被弾したマミアは無事回収されてまた一緒に活動しているのかどうか。
その後、あの屋敷に幽閉されてからがそもそも摩訶不思議な物語の始まりだったように思う。
最後にクロッカワーの言っていた意味が幾ら考えても理解出来ない。
生殺与奪の権は全て彼が握っていたのだ。
警察に引き渡さなかった理由は、未だに奴がプログラムしたゲームの渦中に置かれていると解釈すれば良いのか。
私に心を寄せていたマリアにまで疑いの目を向けてしまったが、いつも酒を飲んだ後サウナでマッサージなど頼んでいた自分を責めるべきなのだ。
私は生まれた時から本当に鈍感で愚かしい男でしかなかったのだろう。
行く当てもなく、精神的にも病んできた。疲れていて・・・眠い・・・・・・・
「よーし、殺人鬼。起床ラッパが鳴ってるぜ、とっとと起きねえかい。おーっと、銃を抜いたら蜂の巣になるぜえ。」
しまった・・・・・・ウトウトしていたら武装した男数十人に囲まれている。警察か・・・・・
「銃は預っとくからな。いい子にして逃げようなんて考えは起こすんじゃあねえぞ。
姐御がお待ちだ、おとなしく着いて来な。おかしな真似しやがったら足をぶち抜くからな。」
姐御?・・・・・警察ではなかったのか。
逃げられそうもないので、その待ってるという姐御とやらに会ってみるしかないのか。
銃で小突かれながら外へ出ると車が何台も並んでいる。そしてトラックの荷台に乗せられ太陽の昇っている方向へ真っ直ぐに突っ走った。
10分ほど行った所で、車は余り人気のないビル街の一角に停車した。
また銃で小突かれながら急ぎ足で地下へ向かうと、広い駐車場に沢山の大きなテントが張られており、その内の一つに左右から両腕を押えられ入って行った。
中には派手な服装で化粧の濃い金髪女が、足を組みタバコを吹かしながら待ち構えている。
「よう女殺し、昨日はスカッとしてきたのかい。名前はカブラギ・スサノオってんだな。
違うたあ言わせないよ。お前は特別に御頭がお呼びだからな、嘘吐くんじゃあないよ。」
こいつが姐御で、その上に頭目がいたのか。しかし端末機を奪われているのでは嘘も真実も言い様がない。
その御頭とやらがいるテントに入るとヒゲ面の男が腕組みをして仁王立ちになっており、何も言わずひたすら私の顔を睨み付けている。
私は端末機が欲しくて頻りに顔を左右へ振ったり目で訴え掛けたりしていたが、男は一向に動じず只じっと睨み続けているのみだ。
御頭といわれる男は椅子に腰掛けボトルをラッパ飲みした後、やっとその重い口を開いた。
「何か言いたいんだったらさっさと言わねえかい。俺は気が短いんでな、事と次第によっちゃあ生かしちゃあ帰さねえぜ。
分かってんのかよ、鬼畜。ゴグランドシティーじゃあゴロツキの間でも女殺しは最も罪が重いのは知ってんだろうな。
おめえら、いいから手を放してやんな。変な気は起こすんじゃねえぞ、賞金首。」
両手が自由になったので、身振り手振りで端末機の事を必死になって訴えたが、誰も意味が分からないらしい。
「あ〜、おめえもしかして口が利けねえのかよ。嘘だったらただじゃあ済まねえけどよ。」
「二枚目のおにいさんは地獄で閻魔さんに舌を抜かれたらしいぜ、御頭。」
「おめえは何か要るって言いてえのかよ。それじゃあおめえら、こいつに持ちもんけえしてやれや。」
銃と金以外は全部返してくれたので、これでやっと言葉を伝えることが可能になった。
信用出来そうもない奴らだから適当に誤魔化すのが最善の策だろう。
『私は人殺しなどしていない。君たちは何を証拠にお尋ね者扱いしているのだ。』
「おめえさんは衛星テレビじゃあ有名人だってことよ。
バニーガール二人をレイプした上に惨殺。更に警備員三人を撃ち殺して逃走だ。」
『全く身に覚えのないデッチ上げだ。そんな大罪を犯した後、暢気にカフェでコーヒーを飲んでいたとでも言うのか。』
「いや、俺はおめえを冷血なプロだと見ている。大金を持っていたのが何よりの証拠だ。」
『では硝煙反応を調べてみたらどうだ。』
「どうせ他の銃を使って捨ててきたんだろうが。」
『そのバニーガール二人の名前を教えてくれ。それと警備員三人の姓名もだ。』
「知らねえなあ。おめえは墓参りでもしてえのかよ。」
『ああ、何らかの陰謀に巻き込まれた哀れな犠牲者がいるとすればだがな。』
「どうしてもシラを切り通すつもりかい。」
『今すぐ名前を調べろ。』
「知らねえって言ってんだろうが。奴らは細かい事まで公表しねえんだよ。」
『その結果がこの人民裁判か。お前たちは賞金目当てかリンチに掛けたいんだな。』
「ケッ、俺様は腐ってもあいつらから金をせびったりはしねえんだよ。奴らから金を奪うのが俺たちの商売だからな、良く覚えとけ。」
『つまりお前たちは義賊だと言いたい訳だな。ならば私も凶悪犯ではなく義賊の一人だ。』
「ようよう殺し屋。おめえは何が言いてえんだよ。」
『被害者の名前を挙げられない限り、私を有罪にする事は不可能だと知れ。』
「俺はなあ、おめえみたいに屁理屈を抜かす野郎がでえっ嫌えなんだよ。俺様の機嫌のいい内にとっとと消えな。」
『証拠不十分で無罪放免にするしかないと分ったようだな。では持ち物を全部返してくれ。』
「おめえさん、奴らの追跡から逃げ果せるとでも思ってんのかい。相手は財界の大物クロッカワーなんだぜ。」
『君はクロッカワーを知っているのか。』
「この辺にゃあ知らねえ奴は一人もいねえ。よりによってヒルズ街のクロッカワー邸でヤマ踏むたあ、おめえもいい度胸してやがるぜ。」
『だからそれは冤罪だと・・・・・・・・・・』
「まあいい。おめえらぁ、こいつに持ち物全部けえしてやんな。旅に出たきゃあ行くがいいし、定住したきゃあ俺たちに着いて来ればいい。おめえの好きにしな。」
どうやらこの男はかなりの単細胞らしい。かと言って極悪人とも思えない。
冷静に考えれば、濡れ衣を着せられたまま逃げ切るのは難しそうな情況に置かれているのは確かだ。
この辺りの地理については何も知らされていないので、アジトを探して帰るのは尚更困難だろう。
暫くの間はここに留まって様子を見るのが得策かもしれない。
『君はそんな簡単に他人を信用する人間なのか。』
「おめえの目は嘘を吐いてる目じゃあねえ。荒くれの手下ども千人以上を仕切る俺様の目に狂いはねえ。」
『目は口ほどにものを言うらしいからな。』
「敵対グループとの抗争が激しいもんでな、兵隊は一人でも多く欲しいってえ事よ。おめえは銃も使えるんだろうしよ。」
『さっき話していた金を奪う商売について教えてくれないか。』
「まあ、追々分るから心配すんねえ。ところでおめえ、偽名は使ってねえだろうな。」
『私は生まれた時から冠木だよ。』
「そうかい、俺様はマゴグってえこの辺一帯を取り仕切ってるもんよ。そこのブロンドの姐御は物資調達係のルミターナだ。嫌われると非道い目に遇うぜ、ヘッヘッヘッ。」
「サツの犬じゃないってえ証拠は持ってきたのかい、ハンサムなおにいさん。」
『目を見れば分るだろ。』
その後、頭目のマゴグと姐御ルミターナは意外にも私の質問に逐一答えてくれたので、少しだけこの国に対する疑問が解けてきた。
クロッカワー邸のある場所はヒルズ地域と呼ばれる独立自治体で、その中でも有産階級が多く住むヒルズ街といわれる地域だそうである。
この様な独立自治体が各地に48ヶ所あって、それらが所有する土地の面積は国土の七割を超えており、比して居住人口は全体の三割弱なのだという。
ヒルズ地域に属さない七割強の人口を有する残り三割の地区はダウンタウン或いはゴグランドシティーと称され、その中には無数のスラム街があるのだとか。
ヒルズ地域住民が裕福な一級市民であり、ゴグランドシティーの住民は市民権を持たない二級市民扱いされているのだとも。
自治体が独立しているのならば、中央政府は存在しないのかとの問いには二人とも言葉を濁していた。
大小の工場は全てインフラの整備も完全に整っているヒルズ地域内にあり、各独立自治体は緊密な連携の下に通商を行っているらしい。
しかし地方の豪族の類が恣意的に近代的経済を動かしておれば、それは戦国時代以前の問題であり、その軋轢はやがて戦争へと発展する。
各地方の有機的結合を促すために必要不可欠な機関が政治経済の中枢としての中央政府なのだ。
私の独善的な判断では中央政府は必ず存在し、それは地下に潜って暗躍しているとの結論に至った。
いや、その形態はナショナリスティックな政治権力ではなく、巨大な国際独占資本が牛耳っていると見て間違いない。
これ以上の事を知るには、ゴグランドシティー住民が立ち入り禁止区域に指定されているヒルズ地域に潜入でもしない限り解明するのは不可能なようだ。
余興に私が大学で学んだ様々な古代史や古い時代の政治経済に関する薀蓄を披露すると、マゴグは大変感銘を受けた様子で私の長話に聞き入っていた。
そして苦労の甲斐あって信頼が得られたのだろうか、私にはブレーンとして特別なポストを与えるとまで言い出す始末なのだ。
盗賊一味の幹部に抜擢されては有難迷惑も甚だしいのだが、断ればどんな仕打ちが待っているか分からない。
しかし他に行く当てもないので、連中に従いながら時機を待つより仕方あるまい。
口の悪い姐御ルミターナが、実は世話女房のような細かい気配りが出来る女だと知り驚かされた。
彼女は私の面が割れているとからと言い、大きめのサングラスやゴーグルを幾つも用意してくれるのだった。
更に服装や靴もセンスの良い物を自分が選りすぐったからと、コーディネートに口うるさいほど注文を付けてくる。
彼女は美容師の経験でもあるのだろうか。器用に私のヘアスタイルを短くお洒落にカットしてくれた御陰で、サングラスを掛けると別人のように見える。
その他にも髭剃りや歯ブラシやバス用品などの銘柄が何やかやと押しかけ女房気取りである。
それは、このゴグランドシティーにもれっきとした文明と大衆文化が息衝いている事を裏付ける証明でもあった。
寝泊りするテントを一つ与えられたので、中を調べてみるとネットに繋がるケーブルが完備されている。
屋敷で使っていた時とは異なり、回線に無断で割り込むにはかなりの知識が必要だと分かった。
古臭い端末ではあるが、外に出れば衛星回線からアクセス出来ることも知っているのだが、この時代の物は旧すぎて理解に苦しむ。
そこでルミターナに頼んで端末に詳しい者を紹介して貰い、端末機を渡したところ瞬く間にケーブル回線に接続した上、衛星回線にもアクセス可能なように設定したくれた。
早速、例のでっち上げ事件がどの様に報じられているのか検索してみると、私の顔写真はデカデカと載せられているのだが、被害者については顔も名前も一切伏せられている事を知った。
クロッカワーの狙いは一体何なのか。ただ単に心を弄んでいるだけと思い込んではならない。
再び拘束されたその時が、運命の別れ道になると肝に銘じるべきだろう。
翌日、マゴグが幹部の緊急会議を開くとの事で私も早朝から叩き起こされた。
マゴグのテントへ行くと、既にルミターナを始め十数名が集まっていた。
話を聞いていると、どうやら私の初出勤での初仕事は金塊強奪作戦らしい。
この近隣の上空を、金塊を積んだ輸送機が通過するという最新の情報が入ったそうだ。
そして約二時間後に現地へ赴き作戦を実行する計画が決定された。
この近辺には対立するグループが複数あり、獲物の取り合いで連日血腥い抗争を繰り広げているらしい。
私は敵の襲撃に備えて援護する傍ら、将来の幹部として場数を踏んで置けという命令だ。
マゴグの眼が昨日とは打って変わって厳しさを増し、その口から発せられる言葉も宛ら軍司令官の様な威光を放っている。
車に乗り込み現地へ向かう途中マゴグから聞いた話では、高性能のジェット戦闘機やミサイルの類は過去の遺物と化したのだそうだ。
それは21世紀前半に開発されたジャイロスコープを無力化するハイテク兵器の登場により、飛び道具は役立たずで無用の長物に成り下がったからだとか。
機械式ジャイロも電子式ジャイロも、持ち運び可能な自律機能撹乱兵器EJWによっていとも容易く機能を破壊されてしまう。
戦闘機やミサイルがコントロールを失って落下するその様は、殺虫剤を噴霧されたハエや蚊に喩えられたのだという。
現在でもこの問題は依然として解消不可能なままであり、大空を羽ばたいているのは航空機とは名ばかりの初期型プロペラ機やヘリコプターの改良型なのだ。
つまり攻撃を加える側も高度な誘導ミサイルなどは使用出来ず、リモコン誘導式のローテクロケット弾を連射して撃ち落す。
空軍の戦力と存在は形骸化しており、同様に高価で無防備な高性能艦船も製造困難であるため海軍の行っている任務とは専ら海賊退治である。
それらの事情とは無縁で、軍の中に於いて最も装備が充実し幅を利かせているのが陸軍だ。
戦車や装甲車または自走砲などは21世紀に確立された技術の延長線上にあるのだが、機動力と破壊力と信頼性は格段に向上しているそうだ。
もし陸軍機甲部隊と対峙する様な事態に至った時は、潔く撤退するのが最も賢明な戦術なのだと。
それ故に地下道から脱出可能な地下駐車場に居を構え、各所を転々とする日々を送っているとの話も聞かされた。
総勢100名以上を乗せたトラックと乗用車20台余りが空き地に入り停車した。目的地に到着した模様だ。
マゴグの指示に従って次々とロケットランチャーや計測器などが配置されて行く。
待つこと約20分、上空から微かに爆音の響いてくるのが分かった。
モニターが目標をはっきりと捉えた。上空3000m辺りを大型のヘリがゆっくりと飛行している。
号令一下、50基のランチャーが轟音と共に一斉に火を吹いた。打ち上げ花火のように煙を上げながらロケットが飛んで行く。
なるほど旧式のロケットらしくフラフラと舞い上がり軌道が全く一定しないらしい。
大幅にバラけているのは下からも容易に確認出来るが、果してこれで命中するのだろうか。
数十秒後、一発のロケット弾が見事ローターを捉えた瞬間がモニター画面に映し出された。
大型ヘリは白煙を噴きながらキリモミ状態で100mほど先に落下した。
ここからは回収部隊が先行して落下地点へと急行だ。
この近辺には対立する数百名のグループの縄張りがある上、周辺には大きなスラム街も二つあるため、急いで金塊を回収しなければならない。
運良くヘリは広い空き地に墜落してバラバラになっている。そして辺り一面に金の延べ棒とアルミケースが散らばっている事が分かった。
程なくロケット部隊も到着し、回収作業は20分余りで何事もなく無事終了した。
撤収の号令が掛かる間際ヘリの残骸に眼を遣ると、陸軍航空隊と書かれてある事に何となく不安を掻き立てられたのだが。
全ての収穫物は地下テント村へと集められ、約1トンの純金が手に入ったことを知らされた。
その夜は棚からぼた餅の臨時収入を祝って飲めや歌えのお祭り騒ぎである。
マゴグとルミターナが頻りに酒を勧めてくるが到底そんな気分ではない。
普段は酒好きの私も、心から祝杯を上げる気にはなれなかった。
これは正しく組織的な強盗行為であり、数名の尊い命も犠牲にしている。
仲間達は肩を組み合って革命歌を大合唱しているが、今の私にとっては革命という言葉を聞くだけでも反吐が出る。
呑気に酒を飲んで歌っている彼らは、陸軍による報復の心配をしていないのだろうか。
ここでの仕事初日は決して良い一日とは言い難く、早目に切り上げて床に就く事とした。
深夜、やはり私の不安は的中した。陸軍の機甲師団が近くまで迫って来ており、無差別砲撃を加えているとの情報が入ったのだ。
この辺りも瓦礫の山と化すのは時間の問題だ。
必要なものだけを持ち、地下道から二手に分かれて脱出せよとの指示が伝えられた。
私はルミターナ率いるグループと共に東の方向へ向かう事になった。
懐中電灯なしでは一歩も進めない真っ暗闇の比較的広い地下道の脇には下水が流れているようだ。
歩を進める度に周りが騒がしくなるのだが、ここに棲息しているのはドブネズミだけである。
先頭を行くガイドはどこに出口があるのか分かっているのだろうか。
もうかれこれ30分以上歩いているが、地下道は限りなく延々と続いている様に感じる。
少し行った所でルミターナが再びグループを二分するとの指示を出した。
私はルミターナとは別の20名程いるグループの最後尾に着いた。
もう既にどちらの方向へ向かっているのかは全く見当も付かない。
更に30分位歩いていると、段々と私の持っている懐中電灯が暗くなり始めた。
予備の電池はないので、前方の明かりを頼りに歩くしかなさそうだ。
先頭の方向から、白骨化した死体が幾つも転がっているので足元に注意しろと小声で伝えられた。
前を行く人間とは少し距離を置いて歩いていたのだが、その付近に差し掛かった刹那・・・・・・
うっかり足を取られ、よろけて右側の通路に背中から倒れ込んでしまった。
しかしそれは、平らな道ではなく急傾斜していた事を知るのに然程時間は掛からなかった。
緩いカーブを描いたツルツル滑る路を何回転もしながら転げ落ち、水溜りに嵌り込んでようやく止まった。
どうやらこれはバイパスの役目をする路だったらしい。
上には戻れそうもないので、手探りで歩いてみることにしたが、転落中に足を挫いてしまい殆ど進めない。
無理をして先を急ぐと、そこは行き止まりだった。
逆方向へ向かったが足が言う事を聞いてくれない。
疲労も重なっていたため、私はその場にへたり込んでしまった。
このまま暗闇で動けなくなれば一巻の終わりだ。
それよりも何よりも疲れ切っていたので睡魔が襲ってくる。
ここで朽ち果てる運命だったのか。
どれ位の時間が過ぎ去ったか覚えていない。
何か物音がするが、ネズミではないらしい。
近くに誰かいるのだろうか。
いや、これは確かに足音だ。しかも複数のカツカツという響き。
遠くから何本もの光の筋が見えてきた。仲間なのかそれとも。
徐々にその足音は大きくなり、それは軍靴である事がはっきり聞き取れた。
捻挫が先程よりも一段と悪化していて動くのは困難だ。
年貢の納め時か・・・・・・・・・
間もなく私は発見され、この場で撃ち殺されるか死刑台送りになるのだろう。
せめてもの願いは、ネズミの餌にならない事だけだ。
死刑囚はやはり、死刑台の上で最期の時を迎える掟から逃れられないようだ。
地下道で軍に拘束された私は、今ヒルズ地域郊外にある陸軍基地の一室で取り調べを受けている。
何を訊問されようと完全黙秘を貫き通し、仮令拷問の地獄に晒されようが仲間を売る考えなど微塵もない。
そして運命に抗う行為から解き放たれた心は、既にひとつの場所だけを目指している。
私の犯した罪、かつての仲間たちを殺害した代償は、死刑による安楽死程度で補えるものではなかった。
私と同様に残忍な心を持った死刑執行人へ身柄を引き渡すのが最善の選択だったに相違ない。
それは高天原最高裁判所が生き地獄の責め苦に身を置く決定を下したのであり、決して神々の怒りに拠って与えられた試練などではない。
天罰とは地上の陪審員が罪人に対して求める魂の解放である。
突き付けられた運命を呪わず自分の情けない死に様を嗤え。
先程から焦燥に駆られた二人の取調官が怒鳴り散らしながら私の胸ぐらを掴んで髪を引っ張ったりしているが、何を言っているのか殆ど聞き取れない。
机の上に置かれた大小二つの端末機で頬を張ったり頭を小突いたりもしている。
私はその間中、如何にして拷問に耐え、本来行くべき場所まで辿り着けるかだけを考えていた。
有り難いことに連邦司令本部は、私からものを言う権利を奪い去ってくれた。
耐えられそうになかったら両手の指を全てへし折ればいい。
数時間に及ぶ訊問が無駄だと判ったのか、取調官たちはスッと立ち上がり取調室から出て行った。
もしも薬物を投与された場合、自白を免れる術はあるかどうかも考慮に入れなければならない。
しかし、何れも身体ではなく心が決める問題であることは当然至極だろう。
あれから1時間近くの時を経たが、取調官たちは食事でもしているのか。辺りは静まり返っており交代要員も現れる気配がない。
更に1時間以上経過したが、これは作戦なのか、こちらの方が焦りと苛立ちを覚えてきたのを感じる。
ありとあらゆる手段を講じ、恐らく眠ることも食事を摂ることも許さないつもりでいるに違いない。
私の気持ちが少し動揺し始めた頃、突然取調室のドアが開かれ、陸軍将校軍帽を深く被った大柄な男が入って来た。
その将校が机の近くまで歩み寄るとそれは・・・・・・・・・・・例の、キグチ大尉だった。
「やあ、冠木くん。久しぶりだね、元気そうで何よりだ。まさかここで再会するとは思わなかったがね。
君の噂は色々と聞いているが、それは軍情報部の管轄ではなく国家保安局の問題であることを先ず断って置こう。
自分としては再び君と酒を酌み交わしながら、議論に花を咲かせたいとの想いは今でも変わらない。
だから下級の取調官のように無粋な訊問を繰り返すつもりは全くないのだ。
即ち君たちが行ったとされている金塊強奪事件については一切触れず、仲間の情報を訊き出す意図もない事を約束しよう。
さて、聡明な君のことだから、これ以上の説明は必要ないと思うがね。それと、コーヒーを頼んであるから少し待っていてくれたまえ。」
これは恫喝しても口を割らない容疑者に対する懐柔策の一環ではあるまいかと思う。
しかしキグチ大尉はクロッカワーとは次元の異なる見識を持った人間であるのは疑うべくもない。
彼は取り調べの任務を帯びている訳ではなく、単なる接見が目的で来たとも考えられる。
顔見知りでもあるし、容疑者然として完全黙秘を貫徹するのは却って不信を招く。
金塊強奪に加わった事実は否定出来ないが、私は強姦殺人犯では有り得ないのだから。
『そうですか、キグチ大尉。そのお気持ち、有り難く心に受け止めたいと思います。』
「ああ、コーヒーが来たので冷めない内に飲みなさい。カクテルを出せないのは残念だがね。」
『私はあのパーティーの後、様々なことを学びました。
それは、この国の国家としての在り様に対する疑問だったり、或いはこの国に住む人々が種々雑多で多様性に富んでいる事も。』
「ほう、それまでの君はこの国の在り方に疑いを抱き、国民に対しても偏見を持っていたと言うのか。
しかしその心に抱き続けていた疑念は払拭されず、燃え盛る紅蓮の炎となり噴出した訳だな。
いや、決して君を責めている訳ではないから気にする必要はない。
自分は君に対して極々一般的な問題提起を試みようと思っているだけなのだ。
そこで一つ是非とも聞きたいのだが、この国と国民を如何様に導けば恒久不変の真理に到達出来るかだ。
恒久不変の真理とは甚だ大仰で宗教的な言い回しだが、それは宇宙の本質とでも解釈すれば良いだろう。
但し、民主主義に関する議論の蒸し返しは聞く耳持たないので、ひとつ宜しく願いたい。」
『それは以前お話した通り、それこそが人類に課せられた永遠不変のテーマではないでしょうか。
特定の思想に限定するのではなく、不断の有為転変を繰り返しながら醸成されるより方法はないものと思われますが。』
「無為に時を過ごし、自然淘汰に総て委ねるのが人類の賢い選択という訳か。
それでは冠木くんを挑発するためにひとつの仮定を設けてみよう。
この宇宙の生命が永久ではなく、終わりの瞬間が時々刻々迫りつつある事を人類が知り得たとする。
逃げ場は何処にもないかも知れないが、高等動物である私たちは種の保存のために未来を切り拓かねばならない。
下等動物であっても凶暴な肉食獣の匂いを嗅げば一斉に逃げ出す。高等な人類が危険を察知したのであれば尚更の事だ。
その判断が冷酷極まりない行為だったとしても、座して死を待つより賢明な選択をしたと歴史には記される筈なのだ。
つまり何らかの決断を下さない限り危機を回避することは適わず、人類は滅び去るのを待つのみだ。
その選択が真理や本質からは遠くかけ離れていたとしても、総てを見極めたと仮定した事が実は真理であり本質でもあったと書き残せば良いとは思わないかね。」
『それは具体的に何の喩え話のつもりなのだ。仮定ではなく妄想と言った方が正しくはないのか。
一体全体何を根拠に宇宙が滅亡するという発想に至るのだ。加えて、舌の根も渇かぬ内に歴史の捏造を肯定するとは噴飯物の極みだ。
以前、貴方は私の話を観念的だと仰ったが覚えて居られるか。観念的思想が間違っていて荒唐無稽な空想は無謬だとでも言いたいのか。』
「いや、果てしない大宇宙の事ではなく、この小さい太陽系宇宙に起こり得る出来事と置き換えれば良いのだ。
しかも自然淘汰ではなく人為淘汰が発端となって物語は展開されるのだとね。
まあよかろう。君も近い将来、好むと好まざるとに関わらず体験せざるを得ないだろうから。
さて、この話は限がないので打ち切りに・・・・・・・・・・・」
『ちょっと待ってくれ。それは地球と火星との間に生じる摩擦だと受け取れるが、あんたはそれを望んでいる様に聞こえる。
人為淘汰とはどちらかが全面戦争を企て先制攻撃に討って出ると予測しているか、或いは計画を知り尽しているか、何れかに間違いないな。』
「君の致命的な欠点は総ての事象を即物的な感情論で訴え掛けようとする所だろうな。感情的になる事は即ち心理戦に敗北を喫した事と思いたまえ。
妄想は心理戦の主たる戦術のひとつだが、延長線上では戦略的な最終兵器とも成り得るのだ。
心理戦に勝利した者のみが、覇者の証たる永遠の勝利に酔い痴れる権利を有している。」
『私が感情的になるのは、あんたがどうかしているからだ。』
「なるほど、それは奇妙な現象だな。では第二楽章を始めるが、ここには神の存在と書かれてある。
冠木くんは気付いていないかも知れないが、君は既に神と出遭っている可能性があるのだ。
それは人の姿ではなく、人の発する言葉を借り、言霊となって顕れる。
冠木くん、君は神を信じるか。」
『キグチ大尉は確か事実以外の出来事は認めないと言っておられたが、本当は空想癖をお持ちなのが事実ではありませんか。』
「事実の定義を一体誰がしたのかね。歴史を事実や真実であると認識している者は現在に於いては皆無に等しい。
事実とは個別的な体験であり、偶然の出逢いが契機となり魂を打ち震わせた想念でもあるのだ。
それは決して他人がアカデミックにとやかく口を挟む問題ではない。」
『逃げ口上では論理破綻から逃れる事は不可能です。貴方は私と同様に観念の虜になっているとお考えにはならないのですか。』
「盲目な心を持つ者たちは皆この様に言う。
在りもしないものを在るとする行為は極めて簡単だ。しかし存在しないものを存在しないと証明するのは困難を極める。
因って、在りもしないものを盲信している者達が勝利を収めるのが世の常である、と。
しかしそれは敗者の論理であり、自らを負け犬と認めた証明でもあるのだ。」
『確かに存在を明らかにするのが科学ですが、有り得ないものを強引に存在するものだと言い張るのは非文明社会の証左でもありますが。』
「いや、そうではなくて、読解力に難のある愚民には有り得ないものも在るとしておけば良いと言っているのだ。
無いものも在ると思い込ませれば、分け隔てのない幸福を皆一様に享受することが可能となる。
人間の本質とは、我と我が身の仕合わせのみ追求して自己完結を図ろうとする動物以外の何ものでもない。
大衆にとって必要欠くべからざるものとは啓蒙である。即ち、大衆の無知蒙昧を啓くために必要不可欠な機関が国家なのだ。
罷り間違って強い信念を持った人間を発見したとすれば、それは無能な愚民大衆ではなく人間に姿を変えた神に他ならない。」
『無能で暗愚な権力者が最も陥り易い暴論だな。その傲慢さ故、為政者は市民の信頼を勝ち得ることが未来永劫ない。』
「神は絶対に存在すると言っておいた方が楽だとは思わないかね。普遍的な存在が否定されたとしても、ああそうでしたかで済むのだ。
一例を挙げれば、天動説も容易く地動説に宗旨替えが可能だったのは歴史的事実ではないのかね。
絶対に無いと主張していた人間が致命的な論駁に晒される、つまり存在する事の証明が為された時は死を以って償う以外に道はない。
世の中は須く安楽な道を歩むべし。真実を探求するなどとは無能者が自己満足に浸っているに過ぎない。」
『良く言えば支離滅裂で味噌も糞も一緒だが、別の言葉では分裂質の悲劇と表題が付きそうな内容だな。』
「それでは第三楽章・・・・・・・・・・・・・」
『いいえ、もう存分に堪能したので結構です。』
「それは残念だな。第三楽章から終楽章へ掛けてがこの楽曲の聴き所なんだがね。
まあよかろう、冠木くんとはまたカクテルバー・・・・・・・
いや、次回は厳選された美味しい料理と絶品のワインを味わいながら議論を闘わすのが宿命だからな。
またの思いがけない出遭いを楽しみに待っているよ、冠木くん・・・・・・・フッフッフッ。」
この男はいつも言いたい事を言い終えるや否や、文字通り風の如く消え去ってしまう。
死者に鞭打つとは言い得て妙だ。やはり彼は死刑囚をからかいに来ただけなのだろう。
お喋りの相手をしてやったのは、サービスで出されたコーヒー代の支払いだと思えばいい。
キグチ大尉と入れ替わりに取調官二人が部屋へ入って来た。
国家保安局に身柄を引き渡すのだという。秘密警察の正式名称が国家保安局だ。
間もなく私服のそれらしき男がやって来て、手錠を掛けられ外で待機していた車の後部座席に乗せられた。
車は人家の全くない広大な平野を通り、曲がりくねった山道を越え、再び平地へ下りると高速道路に入り一気に加速した。
左右を眺めていると所々に建物が目立ち始め、更に数十分ほど行くと風景は一変し、眼前には大きな市街地が広がっている。
クロッカワー邸から見た景色とは異なり、ここはビルの建ち並ぶ都市部らしい事が分かった。
車は高速を下りて混雑した道路をゆっくりと走っているが、不思議な事に周辺にはゴグランドシティーで良く見かけた高層ビルがひとつもない。
しかし歩道はどこまで行っても人の波で溢れ返り、走行しているより信号待ちの時間の方が長い。
そして登り坂の入り口近くにある細い脇道へ入ると、直ぐ前方に広場のような所があり、その奥にはレンガ造りの瀟洒な建物が見えてくる。
車はその建物の横へ回り、地下にある自走立体駐車場を深く下りた所で停車した。
最初の入り口で顔写真の撮影と指紋の採取が行われ、エレベーターを上がった所のロビーにある一室で両手の静脈をスキャンされた。
更にエレベータで最上階の5Fへ上がり通路を右に左に折れた後、第一取調室と書かれた部屋へ通された。
どうやらここが国家保安局本部のようだが、この部屋は全面に異様な真っ黒のガラス張りが施されている。
恐らくマジックミラーか何らかの電子的仕掛けがしてあるものと思われる。
暫く待っていると、一人の男が乱暴にドアを開けて入り、また力一杯乱暴にドアを閉めた。
この特徴あるヒゲ面で赤ら顔の男は・・・・・・・・・・あのハヤト部長だ。
「よう、冠木。お前は必ずここへ来ると信じてたよ。俺はなあ、お前のヒトとは違う獣の臭いを嗅ぎ分けていた。
早期の取り調べも検討していたが、クロッカワーが邪魔立てしたもんで罪もない犠牲者を増やしてしまったと悔やんでいる。
どう足掻いても極刑は免れんから素直に吐くんだな。お前に唯一出来るのは刑に処されてあの世で詫びる事だけだ。分かってんのか、冠木。」
この男は直情型で単純な頭の持ち主だ。どうせ逃れられない運命ならば今度は私がからかってやるのも一興だ。
『国家保安局のNo.2であるハヤト部長殿が、ケチ臭い強姦殺人犯を直々の取り調べとは大変痛み入ります。』
「おい、貴様はてめえの立場が分かってんだろうな。この場から即座に強制収容所送りにしてやってもいいんだぜ。
意味が分かるか、冠木。ここは原始的な拷問をする場所じゃあねえって事だよ。
何故No.2の俺が直々に取り調べるかだと。貴様が頭のいい奴なら説明の必要もなかろうがな。
俺もそんなに暇を持て余しているわけじゃねえからな、強制収容所へ行きたくなければ白状した方が利口だって教えてやるためにだよ。
先ずはな、貴様が引き起こした事件について洗いざらい吐いてすっきりしろ。
それからキグチとどんな会話をしたか何もかも包み隠さず吐くんだ。」
キグチ大尉と話したのを知っていたとは驚きだ。これでハヤトの来た理由がはっきりした。
ハヤトの顔付きから想像するに、でっち上げ事件よりもキグチ大尉との接見の方に比重を置いている節がある。
二人の間には深い因縁が横たわっている筈なので話が面白くなりそうだ。
『物事は総て段取りを付けた上で因果関係を明らかにするのが肝要だ。
そのために貴方は、被害者とされている方々の氏名を私に告げる必要がある。』
「よう、冠木。捜査が終了するまで被害者の氏名を明かせないのは当たり前だろが。
刑が確定した時に初めて貴様は犠牲者の氏名を知る権利を得るんだ。」
『その様な前例がない事くらい知っているぞ。この件だけが特例措置として扱われている訳だよ。
一体全体裁判でどうやって名無しの何某殺害事件を立証するつもりなんだ。
三文芝居に不手際があったようだな。ペットでも名前くらい付いているだろうが。』
「貴様なあ、それは司法の問題だって事も分からねえのか。
それから貴様はなあ・・・・・・・・・・・・・ちょっと待ってろ。」
ハヤトは気ぜわしく立ち上がりインターホンで何か連絡した後、再び私の前にある椅子に座り横を向いてタバコを吹かし始めた。
黙りこくったまま三本目のタバコに火を点けた時、エプロン姿の若い女性がお辞儀をしながら取調室に入って来た。
そして女性は私たちの前に来ると再び丁寧にお辞儀をし、蓋付きトレーの中からグラスを出して机の上に置き始めた。
アイスコーヒーとクリームソーダが各二つずつあるのだが、酒癖の悪いハヤトは甘党なのだろうか。
甘党のハヤトは、真ん丸のアイスクリームを長いスプーンですくって一息に頬張ると、ストローも使わずソーダを一気に飲み干してしまった。
「おい、俺のポケットマネーだからな、両方とも飲めよ。ひとつ飲み終わったら話を続けてやるからな。」
『それはどうも。』
私もちょうど喉がカラカラだったので、ハヤトと同じくクリームソーダを有り難く頂戴することにした。
ハヤトは横を向いたまま四本目のタバコに火を点け、ストローでアイスコーヒーを上品に飲んでいる。
私がクリームソーダを飲み終わると同時に、ハヤトはこちらへ向き直り尋問を再開する姿勢を窺わせた。
「なあ、冠木よう、俺は子供の頃から心に誓っている事があってなあ。
その誓いが俺に法律を学ばせ、現在下院議員として活動する原動力になっているんだ。
それは閉塞状態に陥ったこの国の腐った政治を如何に改革し、国民をより良い方向に導いて行くかに尽きるんだ。
実現させるために必要な条件として、真理を深く見極める作業が最も肝心だと考えている。」
『真理だけでは漠然としているが。それに具体的な誓いの内容とは。』
「真理とは世界の本質を言い表す言葉故に曖昧模糊としているのは仕方がない。
誓いとは神と交わした契約だから他人が知る必要はないと思う。」
『ハヤト部長らしからぬ奥歯に物の挟まったような言い方に聞こえるんだが。』
「憂国なんて言ってもお前には関係ないだろうからな。」
『私が無神論者だからさ。』
「いや、俺も無神論者だけど森羅万象に宿る精霊としての神々は敬っている。」
『それならば私にも理解可能だ。』
「だから以前話したと思うが、自然破壊を平然と行った野蛮人が許せないんだよ。
それが何百年も前の出来事だとしても、傷跡は深く残って決して消え去ることはない。
精霊である神々の怒りはやがて我々の知る所となり、必ず不埒な人類を滅ぼして幕を閉じる。
神々の復讐が地球と火星間の不和という形で結実するのは多くの学者が指摘している処だ。
花も雑草も小動物も小さな魚も遍く万物に精霊が宿っているのであり、人類もその内のひとつに過ぎない。
人類だけが特別な存在だなどと考えるのは自然界に対する不遜も甚だしい。
悪性ウィルスが自然界に蔓延して大自然そのものを滅ぼしてしまうなんて事は有り得ない。
ウィルスは必ず自分の生命を維持するために活動を縮小し、どこかに潜伏しなければならないのが自然界の掟だ。
しかし何時の間にか人類と云う名の背徳者が自然界の頂点に君臨してしまった。
彼らが悪性ウィルスと同じ運命を辿る日は遠からずやって来るのだ。」
『人類の遠い御先祖様はウィルスかも知れないしな。それで、地球と火星の不和とは如何様に決着がつくとお考えかな。』
「まあ俺は軍人じゃないんで想像の域を出ないが、早晩必ず起こり得る事だけは確信している。
但しそんな破滅的な思想が古くからあった訳ではなくて、極々最近になってから盛んに吹聴される様になったんだ。
所謂宇宙最終戦争論の提唱者とは、お前も良く知っているあのキグチ上院議員だ。
平和主義者だったキグチは20年程前、突如として宇宙最終戦争論者に変貌を遂げてしまった。
彼は大学時代から多数の著作を残している学者肌の軍人だが、後輩の俺から見れば或る日突然人間性が変わってしまったとしか言えないんだ。
俺が政治家を兼任してから傲慢になったのではなくて、あいつが害悪を垂れ流すから反論を試みたに過ぎないのだ。」
『宇宙最終戦争とは穏やかじゃないな。キグチ大尉の性質は何となく判ってはいたけどね。』
「この世に神と悪魔が存在すると仮定したら、あいつは明らかに人間を憎み呪う悪魔の化身だ。
奴が豹変してしまった理由なんだが、幾つか証拠を挙げる事は可能だ。
ただ主観的な誹謗中傷に矮小化するのだけは避けたい。個人間でしか分からない確執でもあるしな。
客観性のみで・・・・・いや、多分に主観も入っているが、火星との関係が無縁ではないとだけ言って置けば良いだろう。
余りある事ない事、想像だけで言い触らすと名誉毀損で刑務所行きにも成り兼ねないからな。」
『死刑の確定した私は何を発言しても別段問題化はしないので言うが、私にはキグチ大尉の正体と宇宙最終戦争論が何だか判る気がするよ、ハヤト部長。』
「はっきりし過ぎては身も蓋もないけどな。
ああ、もうこんな時間か。すっかり忘れていたが白状する気になったか、冠木。」
『だから被害者の氏名を出さない限り進展はないと断った筈だが。』
「キグチと何を話したかだけでもいいんだがな。お前も強制収容所は好きじゃないだろ。」
『覚悟は出来てるよ。』
「それは残念だな。お前は悪そうには見えないんで、非常に惜しいと思ってる。もう一度聞くが、吐く気にはならないか。」
『私は嘘を吐くのが苦手でね。』
「じゃあ、お別れだな、冠木。」
『アイスコーヒーとクリームソーダ、どうもご馳走さん。』
囚人護送車に乗せられて市街地を後にする頃には、辺りは既にすっかり夕闇に包まれていた。
護送車は陽が沈む方向へ真っ直ぐ向かっているようだ。
時折、助手席に座っている奴が振り向いて鉄格子付きの窓から監視している。
両手両足を太い鎖で車に括り付けられていては逃げようにも逃げられないのだが。
宇宙最終戦争・・・・・・・キグチ大尉らしい論理の飛躍した発想かも知れない。
論理の飛躍・・・・・そういえば今日の二人の話にはおかしな共通点がある。
真理・・・本質・・・地球と火星・・・人間憎悪・・・神・・・・・そしてコーヒー・・・・・
二人の性質が似通っているからなのか、単なる偶然だったのか。
ハヤトは陸軍取調室を盗聴していた可能性もあるので同じ話題を振って来たのか。
いや、会話の内容を知っていたのなら、わざわざ私にしつこく訊く必要はなかっただろう。
まさか逆にキグチ大尉がハヤトの話す内容を予め想定して・・・・・・・まさか、そんな馬鹿な。
車は田園地帯を抜け未舗装の山道に入った。収容所もこの近辺にあるのだろうか。
小窓を通して見える景色は前も後ろも真っ暗闇のままだ。
急勾配の坂道を登り切り、下りに入ってスピードを増した所で突然車が急停車した。
そして間髪を入れず前方からガラスの砕け散る音が鳴り響いた。
暗闇で運転席は殆ど見えないが、目を凝らして見ると・・・・・・運転手と助手席にいた男の首がない。
確かに胴体だけ前のめりになっているのがヘッドライトの反射で見える。
何が起こったのか考えている間もなく、後部ドアの方で連続した甲高い金属音が聞こえてきた。
数秒後にその金属音は止み、観音開きのドアが徐に開かれた。
暗闇の中で不気味に赤く光を放つ八つの眼・・・・・・・・・ケルベロスだ。二頭の軍事警察犬ケルベロスがいる。
その内の一頭が車に乗り込み、あっという間に両手両足を縛っていた鉄の鎖を噛み砕いた。
『マッスグ ニシヘムカエ』
そして、もう一頭は何かを咥えてきて私の足元に置いた。それを手にしようと思った時、二頭は既に闇の中へ消え去っていた。
中身を調べてみると、ホルスターに入った銃が二挺ある。それは使い慣れたモーゼルC96とルガーP08らしい事が分かった。
後は端末機と財布とサングラス、それともうひとつ小さい革製のショルダーケースに何かの機械が入っているらしい。
兎にも角にも長居は無用だ。車がずっと目指していたのは西方向なので、このまま道を下っていけば何処かへ辿り着くだろう。
しかし見捨てたとばかり考えていた連邦司令本部は、どの様な思惑があって私の命を救ったのか。
連邦司令本部にどの様な意図があるにしろ、取り敢えず拷問は免れたので善しとして置こう。
なるべく余計なことは考えずひたすら西を目指し、一刻も早くヒルズ地域を抜け出すよう心掛けるべきだ。
囚人護送車が収容所に到着しなければ警戒態勢が布かれ、直ぐさま追手が迫って来るのは判り切っているからだ。
有難いことに新品の端末機は、詳細地図と位置情報が使用出来るようセッティングされている。
私の現在位置からゴグランドシティーの境界線までは直線距離で5km程ある。
しかし、幾つもの山道を抜けて行かなければならないので、実際には倍以上の時間が掛かりそうだ。
更に境界付近一帯には、必ずや鉄条網と地雷原が敷設されているであろう事も考慮に入れなければならない。
既に二時間以上も道なき道を彷徨い続けているが、殆ど境界線との距離は縮まっていないのが分かった。
先程から上空には、低空飛行でサーチライトを点けたヘリの姿が目立つようになって来ている。
そして、運良く境界線まで辿り着いたとしても越えられるかどうかは定かではない。
護送車を捨ててきた事が今更ながら悔やまれる。
地雷原を闇雲に突っ走るくらいならば、道路へ出て車を奪い検問を強行突破した方が生き延びる確率は遥かに高い。
夜明けまで余り時間は残されていない。暗い内に正攻法で勝負を仕掛けてみるべきだろう。
500m先にハイウェイがある。端末機にはそこから8kmの距離に検問所らしきマークが出ている。
山を一気に下ると、目の前に四車線の道路が現れた。しかし全く車の影は見当たらない。
待てど暮らせど猫の仔一匹通らず、東の空は徐々に赤みを帯びて来ている始末だ。
夜が明けたら再び山道へ逆戻りしなければならない羽目に追い込まれるのか。
いや・・・・・遠くの方から微かにタイヤの軋む音が聞こえてくる。
ヘッドライトのはっきりと見える距離まで近づいたが、軍用車ではなく大型の乗用車らしい事が 分かった。
ヒッチハイカーの真似をしても止まってはくれるとは思えない。ここは一芝居打つ必要がある。
フラフラッと車道を歩きながら、車が通る直前によろめき倒れる手が最も効果的だ。
車は後方50m辺りをゆっくりと走っている。あと数秒後が勝負の分かれ目か。
ヘッドライトが私の姿を捉え、前方に大きく影を映し出した。今がチャンスだ、轢かれても止む無し。
右手でホルスターを握り締めながら勢い良く車道の真ん中に倒れ込んでみた。
不思議な事に車は急ブレーキを踏む様子もなく、ゆっくりと私の身体の直前まで来て停車した。
ドアを開ける音と共にドライバーは車外へ降りたらしい。そして靴音が近付き、頭の直ぐ横で歩を止めた。
どうやら短めのスカートを身に纏った女性ドライバーのようだ。
天は私を身捨ててはいなかった。
ホルスターからルガーP08を抜こうとしたその時・・・・・・・・・・・・
「相変わらず田舎芝居がお上手ですわね、冠木さん。ウフフッ。」
そんな馬鹿な。この特徴ある喋り方・・・・・・この甘ったるい声の主は明らかにマリアではないか。
「そろそろ夜が明けます。時間がないのでさっさと車に乗って下さいな。」
『マリア・・・・・・・何で君が此処へ・・・・・・・』
「ぐずぐずしてないで、後ろへ乗ってスーツに着替えてちょうだい。」
『私がいるのを知ってたのか。』
「貴方、ドブネズミみたいな臭いがするわよ。とっとと乗って着替えて下さいな。」
『行く先も知れないタクシーに乗せるつもりなのか。』
「貴方は境界線を越えなくちゃいけないんでしょ、だったら早くして。」
やはりマリアの口っぷりからすると何もかも知り尽くしているらしい。
仕方なしに後席へ乗り込みスーツに着替えることにしたが、この女は一体全体何者で、誰の命令に従って此処へやって来たというのだ。
ルームミラーにはマリアの淫靡で物欲しげな両眼が映し出されている。
「検問所に向かうから、サングラスをして髪の毛も整えて、悠然と構えていてちょうだい。」
車は先程までとは異なる猛スピードでハイウェイを突っ走り始めた。
ほんの数分で検問所が見えてきたが、遮断機の両脇にはマシンガンを手にした兵士が3名いる。
マリアがカードと書類を取り出し兵士のひとりに見せると、その兵士は私に一瞥をくれただけで呆気なく遮断機は開かれた。
検問所がどんどん遠ざかって行く。何事もなく見事脱出に成功したようだ。
しかし、この逃走劇も連邦司令本部の描いたシナリオに間違いないのは分り切っている。
「ゴグランドシティーの比較的穏やかな場所まで送って行きます。後は御自分で頑張って下さいね。」
『君は一体何者なんだ。何某か組織の命令を受けて活動しているエージェントなのか。』
「冠木さんはアクション物がお好きみたいですわね。あたしは或る方に依頼されただけなんですよ。それが誰かは聞かない方が身のためです。」
『頼まれれば凶悪な強姦殺人犯の逃走も手伝うのか。』
「貴方にはあんな大逸れたことなんて出来ないでしょ、ウフッ。」
『随分と軽はずみな行動だな。強姦魔の私が君を犯した上に殺して、車を奪うかも知れないとは考えなかったのか。』
「それが本望だったら勝手になさればいいじゃないですか。」
『君がそう望んでいると受け取っても良い訳だな。』
「そんな勇気なんかないくせに・・・・・・・」
『そうではない、誰に頼まれたのか聞いているんだ。ゲーリングか。』
「存じ上げませんわ。」
『どうしても惚け倒すつもりだな。』
「貴方は妄想癖がお有りになるから。」
『その誰かがクロッカワーじゃないのは充分に承知している。問題は君が憎むべき敵か真の味方かと云う事なんだ。』
「敵味方の区別は相関関係に置かれているとお考えにはなれませんの。」
『私は理屈を捏ねてるんじゃなくて、真実を知りたいだけだ。』
「何も知らないのが一番仕合せなのかもしれないよね。」
『私だけが蚊帳の外だから言ってるんだ。』
「だから、それが至上の仕合せだと言ってるのに。」
『やはり無駄だったか。』
「無駄の始まりは生まれてきた事です。」
『なるほどね・・・・・・・・それで、これから君はあの屋敷に帰るのだろうけど、怪しまれたらどうするつもりなのか聞きたい。』
「御自分の心配だけされていればいいんじゃないかしら。」
『マリア・・・・・・・私には君という人が解らない。』
「それはあたしの言う台詞よ。」
辺りはすっかり明るくなり、周りにはゴグランドシティー特有の壊れかけたビル街が建ち並んでいる。
マリアにはもう何も尋ねないことにしよう。これ以上嫌われてしまうのも心苦しい。
それよりも、こんな若い女性まで巻き込んで利用しようとする連邦司令本部に対して、強い憤りの念を禁じ得ない。
マリアと視線を合わせないように歩道を眺めていると、車が進むに連れて歩行者が段々増えて来ているのが分かった。
近くに繁華街があるのだろうか。人の往来が激しくなった所で、マリアは周囲を注意深く窺いながら車を停めた。
「ではお別れです、冠木さん。この辺りには武器を持っている者は少ないのですけど、充分にお気を付けて下さい。」
『つまらない詮索ばかりしてしまったので申し訳なく思ってるよ。』
「違うの、あたしの・・・マリアのことを忘れないで下さいね。どうかご無事で・・・・・・・」
『まさか私の問題だから依頼を引き受けたんじゃないだろうな。』
「ずっと想ってた・・・・・・・マリアの気持ちはずっと・・・ずっと変らないよ・・・・・・・さよなら・・・・・・・」
『でも私はずっと愚かな人間のままだ。』
「マリアは絶対に諦めないから・・・・・じゃ、また・・・・・・・」
『君も気を付けて帰るんだよ。』
「うん・・・・・・・」
マリアは行ってしまった。
まるで永遠の別れみたいに涙ぐんで・・・・・・・絶対諦めないとは言っているが。
私は彼女に何もしてあげられないのに・・・・・・・逆に助けられるとは思いも寄らなかった。
総ては連邦司令本部の悪意に端を発している。それに加えて鈍感な私が火に油を注いでいる。
いや、もうこの事は冷血漢になり切って忘れるよう努めなければいけないだろう。
頭を冷やして今後の身の振り方を考えてみると、やはりマゴグのグループを探して一緒に行動するのが最も安全なのかもしれない。
しかし、マゴグとルミターナは無事逃げ延びることが出来たかどうか心配だ。
『ケイコクスル スミヤカニ マシンヲサドウサセヨ ケイコクシュウリョウ』
何だこれは・・・・・・・・・・ショルダーケースから音が出ているようだが。
そうだ、あの時ケルベロスが運んできた得体の知れない小さな機械か。
片手に隠せる程度の丸くて平たい真っ黒な物だが、どこをどう弄っても蓋は開きそうにない。
太陽が眩しくて良く見えないが、両面の真ん中が蒼白く点滅している気がする。
『サイシュウケイコク ニフンイナイニ サドウサセナイバアイ ハンケイゴキロガ ショウメツスル サイシュウケイコクシュウリョウ』
こいつは何を言っているんだ。これは強力な小型爆弾だとでもいうのか。 どうやれば作動させられるのか説明も無しか。
もう1分以上経ってしまった。もしかすると2箇所の青い点滅にヒントがあるのかも知れない。
青い光の両端を親指と人差し指で強く押してみたが・・・・・何も変化がない。
両手の親指で両端を・・・・・・・・・・・
『ショキセッテイユウコウ フルインストールカイシ』
一体何が始まるというんだ。両親指が吸い付いた様に機械から離れなくなってしまっている。
そして両腕を何かが移動し、胸と腹の周辺が急激に熱くなりつつある。一体何が・・・・・・
『エムブイビー インストールシュウリョウ スベテノマシンセッティングカンリョウ
カウントダウンサドウジカン シンパイキノウテイシゴ ジュウビョウ ジッコウハンケイゴキロ ゴブウンヲ』
MVB・・・・・・・・・Micro Vaccum Bomb・・・・超小型燃料気化爆弾・・・・・・・・・
連邦政府はこんなものまで実用化していたのか。
しかも破壊力は戦術核レベルであり、威力半径5km程度で済まされるものではない。
あの黒い物体が無くなっているが、私の体内に全機能を移植してMVBを起動させる為の装置だったようだ。
私の死後カウントダウンが始まり・・・・10秒で・・・・・・・・・・・・・
馬鹿げている・・・・何が御武運をだ・・・・・・・・・・
遂に連邦司令本部は気が触れたのか。
人間爆弾など製造して何を面白がっているのだ。
テロリストはテロリストらしく自爆して死ねとでも言いたい訳か。
しかし、これは私の死後に起こる事なので自爆テロとは多少解釈が異なる。
敵も味方も巻き込んで玉砕・・・・・連邦司令本部は何が目的で・・・・・・・・・・
既にセットされてしまった運命から逃れる術はない。
これも死刑囚故に課せられた宿命と諦めるべきなのだろうか。
キグチ大尉は惑星間全面戦争を望んでいる。
それはゲーリングとて同様の思惑を抱いている筈だ。
連邦政府は私を利用し、戦乱の火蓋を切ろうとしているに違いない。
死刑囚を使って行われる陰謀・・・・・・・・・・・
そのストーリーは他ならぬ私自身が、これから監督の指示通りに演じることで総てが明らかにされる。
ここは流刑地や強制収容所などではなく戦場そのものだったのだ。
今更気付いても人間凶器に改造された後では遅きに失したという訳か。
しかし、秒読みが始まる時間に私は存在していないのだから後の事は全く無関係だ。
誰にも迷惑の掛からないよう、人里離れた場所で生涯を終えるのが最も道理に適っている。
だがそんな感傷に浸る猶予など鬼畜本部は与えてくれる筈がない。
毒喰わば皿まで・・・・・・・・・・
この呪縛から逃れられぬ運命なのであれば、一層の事奴らの策略に乗って引っ掻き回す方が天晴れな死に様を晒せる。
何人たりとも恣意で利用するつもりなど毛頭ないが、マゴグやルミターナにしても所詮は泥棒一味でしかない。
この惑星に棲んでいる人間とは、過去に選別を受けた棄民の子孫であると自分に言い聞かすべきなのだ。
仮に私が絶命して半径5km以上が消滅した所で、この惑星の上では微々たる範囲に過ぎない。
連邦政府が何を恐れているのか今の私に理解する事は不可能だ。
科学力と軍事力ひとつ取っても、火星と地球では比較にならない程の技術格差があるにも関わらず双方は開戦を望んでいる。
罷り間違って戦争が始まったとすれば、持久戦に持ち込む場面など全く有り得ない大人と子供の喧嘩で終わる。
通常の殲滅戦であれば勝負の行方は目に見えているが、連邦政府には大きな障壁が立ち塞がっていると判断するべきだ。
その秘密を白日の下に晒さない限り、私は死んでも死に切れない憤激に駆られる事だろう。
双方の隠し事を暴く役割こそが、私に与えられた使命だと勝手に思い込んでいれば良いのだ。
そうでも思わなければこれから先、一日たりとも生きて行けなくなってしまう。
誰に何と言われようが、他人様から後ろ指差されようが、図々しく生き残る意志こそが神々の御心にも適うに相違ない。
例の装置を手にしてからというもの、かなり長い時間この歩道に立ち尽くしている。
衛星テレビでは再び私の顔写真が大々的に放映されている筈である。
ここも安全な場所ではないので余りぼんやりとしてはいられない。
そして、頼れるものといえば結局の所マゴグのグループ以外にないのだ。
追っ手を振り切るため一刻も早くグループに合流しなければならないだろう。
しかし端末で位置情報は掴めるのだが、ここがどこなのかは見当も付かない。
地道に靴の底を磨り減らしてマゴグのグループを探すより方法はなさそうだ。
諦めの気持ちと開き直りが綯い交ぜになり、少し冷静さを取り戻したので自分自身の噂が気になり出してきた。
そこで朝の衛星ニュースを観てみると、凶悪な脱走犯と化した私の顔写真やビデオが至る所で放映されている。
端末機で会話をするとの情報も報じられていた為、これからは迂闊に立ち話も出来そうにない。
極悪な連続レイプ殺人犯が、警察官二名の首を残忍な手口で断って脱走したそうだから。
見知らぬ者とは筆談で済ますのが最も賢明だと考え、適当な物はないかと商店街を物色してみる事にした。
そして雑貨屋の看板を目にしたので中へ入り、あちこち探し回った末やっと筆記具を手に入れた。
雑貨屋を出ると、その脇にはハンバーガー・ホットドックカフェと描かれた屋台がある。
もう丸一日以上食べ物らしい食べ物は摂っていないので、少し休みながら失った体力を取り戻そうと思った。
早速ボールペンを取り出し、メモ用紙にモーニングチーズバーガーセットと書いて注文した。
出来合いのパンに中身を挟んだだけの粗末なモーニングセットは手にするとひんやりしている。
コーヒーはそこそこの味と香りだったのだが、チーズバーガーを口にした時に言い様のない違和感を感じた。
明らかにこのハンバーグの中身は豚肉と鶏肉の他に魚肉が多く混ざっている。
そこでメモ用紙に、これは魚肉バーガーなのかどうかと書いて小柄な店主に見せると・・・・・・
「おー、世の中には味覚の鋭いお客さんもいるんだねえ。うちの店じゃあ、鳥・豚の他に魚も入れてんだよ。
でも仕入先はちゃんとした所だから、変なものは混ざってないんで心配しなくていいよ。
スラム街の屋台で注文すると共食いになるけどさ、ヘッヘッヘッ。」
ここは無法地帯でもあるし、法律で制定でもしていない限り露店などこの程度の商売であることは承知の上だ。
ただ、私は今まで食べ物の味に余り敏感ではなかったので、今日になって急に気付いたのが不思議でならないのだ。
疲労が蓄積して、少々頭と味覚がおかしくなっているのかも知れないが。
まあまあの味がするコーヒーをもう一杯頼んでのんびりと飲んでいた所、暇そうだった屋台に客が群がってきた。
その中でコーヒーを注文した男の一人に見覚えがあるのだが、何処で遇ったのか思い出せない。
誰だったかと考え込みながら、屋台の横の方からサングラス越しに目を凝らして見ていると、相手も視線に気が付いたようだ。
男は私を横目で見遣りながら立ち去ろうとしている様に思えたが、片方の手を見ると人差し指で手招きをしながら歩いている。
変な趣味を持った男やも知れぬと疑いを抱きつつ、私も訊きたいことがあったので仕方なしに着いて行かざるを得なかった。
男は人気のない路地裏に入ったかと思うと、振り向きざまに・・・・・・・・・
「おめえカブラギだろ、そうだろ、なっなっ、間違いねえよな。全くとんでもねえ野郎だぜ。
御頭と姐御がすげえ心配してなさるからよ、案内すっから黙って着いて来な。」
ああ、今になってやっと誰だか分かった。この男は泥棒一味の幹部の一人だった奴だ。
金塊強奪の現場でも一緒に行動していたが、ありふれた人相なのでどうしても思い出せなかった。
男は車で近くのガンショップへ買い物に来た帰り、コーヒー屋台に立ち寄ったのだという。
少し回り道をしながら車で10分ほどの所にマゴグとルミターナはいるらしい。
こちらからマゴグのグループを探す手間も省けたし、これで心配の種もひとつ消えたことになる。
なるほど用心の為か、男は細い道を右に左に幾度も折れて車を走らせている。
車は20分近く走ったのだろうか、以前と似たようなビルの地下駐車場へ入って行った。
中には前と同様のテント村が出来上がっている。そして暫く車で待つように言われた。
周りにあるテントをキョロキョロ見ていると、突然奥の方から数十名の者達が駆け足でやって来た。
先頭にはマゴグとルミターナがいる。そして皆で車を取り囲み、頭を拳骨やライフルで叩くなど手荒い歓迎を受けた。
「よく戻って来やがったな、首狩り族の大将。俺はもう駄目だと思ってたんだぜ。
まあいい、これから歓迎パーティーやっからよう、こっち来いや。」
「あのさあ、その素敵なスーツは女がコーディネートしてくれたのかい、素敵なおにいさん。」
『いや、頭の悪い犬が咥えて来てくれたんだよ。』
そして恒例になっているらしい乱痴気騒ぎが始まった。
私とて例外とはいえないが、彼らも相当な酒好きが揃っているらしい。
でもこんなドンチャン騒ぎをする程、私のどこがそんなに歓迎されているのだろうか。
それが多少引っ掛かっていたので、ひたすら飲み食いに打ち興じているマゴグとルミターナに尋ねてみることにした。
『私のために歓迎パーティーをしてくれるのは嬉しいけど、仲間の一人が還ってきただけの話ではないのか。』
「あのなあ、おめえは何にも分かってねえんだなあ。ヒルズ地域から脱走や脱獄をした奴なんざあ今までに只の一人もいねえってぇことよ。
ゴグランドシティー住民の殆どが脱走事件を知っててだな、おめえは今日から英雄になってるってぇこった。
ところでよ、おめえはどうやって二人もギロチンにして脱走して来たんだい。」
『まあな、凶暴な犬に助けられたとでも想像してくれ。』
「あら、素敵なワン公だねえ。ファッションコーディネートも一人前に出来るしさあ。」
「今じゃあ犬も想像上の動物になっちまったけどよ。まあ堅い話はいいからよう、ジャンジャンやってくれや。」
二人ともすっかり上機嫌で、込み入った話は余りしたくなさそうな雰囲気だ。
私としてはこのまま泥棒稼業を続けていても良いのかとか、追っ手の動向や鬼畜本部が今後如何なる策を講じて来るか等々で頭が一杯なのだが。
更に、私の命が絶たれたと同時に、仲間も道連れにしなければならない宿命を背負わされてしまっている。
やはり今回の宴も気分良く酔い痴れる訳には行きそうにない。
生殺与奪の権など誰にもないし、未来永劫その権利は如何なる者の手にも渡してはならない。
せめてもの愚かな願いが許されるなら、私を全知全能の神と崇め奉って貰えればと欲するのみだ。
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