東日本大震災

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東日本大震災:200年の「命」つないだ しょうゆ会社

八木澤商店の河野通洋社長=岩手県陸前高田市竹駒町で、野口由紀撮影
八木澤商店の河野通洋社長=岩手県陸前高田市竹駒町で、野口由紀撮影
津波で全壊した八木澤商店。手前にあった土蔵は跡形もなくなった=岩手県陸前高田市気仙町で野口由紀撮影
津波で全壊した八木澤商店。手前にあった土蔵は跡形もなくなった=岩手県陸前高田市気仙町で野口由紀撮影

 岩手県陸前高田市にある創業200年のしょうゆ醸造会社「八木澤商店」は、東日本大震災の津波で建物や生産設備、原料を流された。だが、9代目社長、河野通洋さん(37)の元に今月中旬、1本の電話が掛かってきた。「『もろみ』は生きているよ」。しょうゆの味を決める「命」を守った研究所からだった。絶望の中、ようやく一筋の光が見えてきた。【野口由紀】

 3月11日、気仙川を逆流してきた津波は堤防を越えると、容赦なく建物を押し流した。もろみを発酵させる酵母菌や乳酸菌などの微生物は土蔵によって異なり、味の違いを生み出す。八木澤商店の「命」を収めた土蔵も崩れ去った。

 「何とかもろみを見つけられないか」。社員はもろみを入れた14個の木おけを探した。ようやく、気仙川の川上約700メートルのところで1個発見した。しかし、海水をかぶっており、生きているか分からない状態だった。

 そんな中、北里大学海洋バイオテクノロジー釜石研究所(釜石市)から電話があった。

 八木澤商店が釜石研究所の要請を受けてもろみを研究用に譲ったのは、わずか2、3カ月前だった。釜石研究所は沿岸にあり床上浸水はしていたが、1キロのもろみはビニール袋に収められていたため無事だった。

 思わぬ朗報に河野社長は「何とか伝統をつないでいけると、跳び上がらんばかりの気持ちだった」と振り返る。5月から県の研究機関に場所を借り、醸造を始めるつもりだ。

 ■

 八木澤商店は1807(文化4)年創業。県産の大豆と小麦を使うことにこだわる。「ヤマセン醤油」のブランド名で知られ、県内と東京に出荷している。焼き魚に垂らすとほわっと広がる香りが食欲をそそると評判だった。

 本社は陸前高田市の気仙川近くにあり、黒壁と格子状のしっくいが盛られた土蔵は町の名所になっていた。

 震災では、消防団の活動をしていた営業課長の佐々木敏行さん(当時47歳)を失った。その中で、河野さんは今春、父和義さん(66)から社長を引き継いだ。「こんな時こそ、若さが必要だと思った」からだ。

 会社は陸前高田、一関両市の仮設事務所で営業を再開したが、39人いる社員の多くは親族を捜したり、消防団の遺体捜索活動に参加しており、全員の復帰はまだ先だ。顧客の多くも被災しており、自社工場での醸造が実現するまで何年かかるか分からない。

 伝統の味は、会社は、守れるのか。河野社長は「社員や仲間を亡くし苦境に立たされているが、伝統を守り、地元の人たちに勇気を与えたい」と前を向く。

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 八木澤商店には、全国から激励の手紙が次々に寄せられている。

 23日、宮城県から来た男性が、仮設事務所を訪れた。「前払いさせてほしい」と言って、いつ販売できるか分からない商品の代金を預けていった。製造設備を取り戻す道は険しい。だが、戻ってきた社員たちは顧客への礼状を書くことから歩みを始めた。

毎日新聞 2011年4月26日 9時19分(最終更新 4月26日 10時54分)

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