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ふんばる 3.11大震災
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献杯のつもりで酒を/杜氏 横沢 裕子さん(36)=岩手県紫波町

酒瓶にラベル貼りをする横沢さん。「日本酒は楽しい時も悲しい時も人に寄り添う」と語る=27日、岩手県紫波町の月の輪酒造店

◎蔵元の支援、動画で訴え

 「桜の下で、おいしくお酒を飲んで私たちを応援してください」―。
 首都圏で花見シーズン真っ盛りの4月上旬。東日本大震災の被災者に配慮してか、「宴会自粛」のムードが高まった。そこへ、岩手県の酒蔵3社が、インターネットの動画投稿サイトで切実なメッセージを発信した。
 呼び掛け人の一人が、紫波町の「月の輪酒造店」の杜氏(とうじ)横沢裕子さん(36)。訴えは大きな反響を呼び、動画の閲覧数は27日までに3万7000回を超えた。
 お酒の注文も全国から相次ぎ、多い日で数十件の注文が舞い込んだ。売り上げは「何とか平年並み」まで戻したという。
 「家族や家を失った人の苦しみを考えて」という抗議の電話もあった。が、日本酒を応援し、賛同する声に元気づけられた。「動画を配信して良かった」と心から思う。

 月の輪酒造店は1886年の創業。横沢さんは7代目大造さん(68)の長女として生まれ、1997年に家業に就いた。2005年からは杜氏として従業員5人をまとめ、酒蔵を取り仕切る。
 3月11日の「その時」は、酒蔵で瓶詰め作業をしていた。「地震はいつものこと」と思い、瓶が倒れないよう手で押さえていたが、棚から空き瓶が次々と落ちて来た。「危ない」と感じ、従業員と一緒に外へ逃げた。
 酒蔵のシンボルだったれんがの煙突は崩れ、その破片で蔵の天井に穴が開いた。土壁も剥がれ落ちたが、仕込んであった酒は幸いに無事だった。
 だが、一安心もつかの間、ガソリン不足で酒の配送ができなくなり、イベントや酒席の自粛ムードで注文がパッタリ途絶えた。「このままでは倒産してしまう」。不安が胸に広がった。
 「こんな大変な時こそ禁酒でなくて飲酒で造り酒屋を応援してほしい」。震災から4日後、横沢さんはたまらず自社のブログに書き込んだ。
 それに水を差す話もあった。発言の主は石原慎太郎東京都知事。計画停電もあって、「桜が咲いたからって一杯飲んで歓談するような状況じゃないと思いますよ」と3月29日の記者会見で花見自粛論を打ち上げた。
 横沢さんには、やりきれない思いが募った。「消費できる人が消費しなければ造り酒屋だけでなく、酒屋や飲食店など幅広い業種に影響が出るのに」

 酒蔵を守る人間は共通して、酒に対し特別な思いを持っている。「日本酒は人のそばに寄り添う酒」と横沢さんは言う。
 うれしい時、楽しい時、酒はその思いを倍増させ、寂しい時、悲しい時、その気持ちを和らげてくれる―。そう信じて酒に接してきた。
 「どんちゃん騒ぎをすることだけが花見ではない。人の死を悼む時だってお酒を飲むのだから、桜を見ながら献杯のつもりで飲んでもらえたら」
 今満開の盛岡市の「石割桜」をはじめ、桜前線は北東北を北上中だ。
 「お酒を飲める状況にある人は、ぜひ飲んでほしい」。日常を取り戻したいから、社会に向かって言う。それが東北の復興支援にもなる。(鈴木拓也)


2011年04月29日金曜日