「この試練、夢に」 櫻井よしこ氏が大震災復興支援講演会
2011.4.27 23:01
大震災復興支援「正論」講演会で講演する、櫻井よしこ氏 =27日午後、東京都品川区(荻窪佳撮影)
東日本大震災の被災者らを勇気づけようと、東京都品川区の五反田ゆうぽうとホールで27日、「大震災復興支援『正論』講演会」(産経新聞社主催)が開かれ、第26回正論大賞を受賞したジャーナリストの櫻井よしこ氏が「日本再生で国難を乗り越えよ」をテーマに熱弁を振るった。
櫻井氏は冒頭、「この未曽有の国難は、日本を根本からつくり替えるきっかけにもなる。この試練を夢につなげていこう」と力強く呼びかけた。
その上で、今回の大震災で国民が示した沈着冷静な行動を、天皇陛下のお言葉を引用しつつ評価し、「すさまじい被害の中でも、日本人はかくも雄々しかった」と強調した。
一方、会議ばかりで具体策を示せていない菅直人首相の対応を批判。「これは菅首相だけの問題ではない。戦後日本の国家のありようを象徴している」とし、憲法改正を含む日本再生の必要性を訴えた。
会場はこの日、約1400人の聴衆で埋め尽くされ、櫻井氏の迫力ある主張に繰り返し拍手がわき起こるなど熱気に包まれた。
今回の講演は、櫻井氏の正論大賞受賞を記念して行われたが、大震災を受け、被災者への追悼とお見舞いの気持ちを込めた特別講演となった。
会場では櫻井氏のサイン入りの著書なども販売。その収益の一部は、この日集まった義援金とともに、産経新聞厚生文化事業団を通じて被災者支援などに役立てる。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/trd11042723020026-n1.htm
「根本からわが国をもう一度作ろう」櫻井よしこ氏、大震災復興支援講演会
2011.4.27 22:55 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/trd11042723000025-n1.htm
大震災復興支援「正論」講演会で講演する、櫻井よしこ氏 =27日午後、東京都品川区(荻窪佳撮影)
わが国を襲った未曽有の大地震、大津波、原発事故という人類が初めて直面する国難の時期に、日本国民として生きていることは、それ自体が宿命だ。だが、間違った方(菅直人首相)が、自分がこの国の再生を果たすことが「宿命だ」といい始めた。間違った方にいわれると困る。
日本全体が影響を受け、日本はこのまま沈むのではないかと思うような現象はそこここに見られる。だが一番はっきり見えてきたものは日本人の姿だ。その姿はこのうえなく立派な姿だ。いつもは反日世論が吹き上がる中国でさえも「日本人は立派だ」といった。
私は被災者をみたとき、胸を打たれ、感動の涙を流した。絶望してもおかしくない中で、わが国の国民は沈着冷静で、思いやる心を忘れず、美しい助け合いの姿をみせてくれた。
自衛隊は戦後の歴史の中でどのような存在だったか。必ずしも感謝されなかった。むしろのけ者にされ、白い目でみられた時期がずっと続いてきた。
自衛隊の人たちは誠実に任務を果たしてくれている。にもかかわらず、自衛隊は「暴力装置」などといった東大を出た日本一頭の良い愚か者(仙谷由人官房副長官)がいるのではないか、この日本に。菅首相は「感謝する」といったが、足りない。誇りに思って、彼らに栄誉を与えなければならない。
国家とはどう繁栄していくか。経済活動で豊かになる。日本の原発技術はすばらしいものだ。原発事故は技術の失敗というよりも、東電、菅直人民主党政権による人災だ。
菅さんは一命をなげうってやるといった。けれども人間は自分の実像を見る目を持っていないと、ピエロになってしまう。自分がどこまでの器かを見ることが本当に大切だ。だが、その任にはあらずというのが、世論調査にも統一地方選の結果にも出ている。
戦後の日本の姿が菅さんの中に凝縮されている。国家なき国家だ。日本は戦後、国家でなかった。国家とは、国土と国民を自力で守ることができ、国家としての生き残りを自力で担保できることだ。
私たちはこの復興を願うときに考えないといけない。根本からわが国をもう一度作ろう。それは憲法改正、教育改革であろう。日本人の価値観を取り戻すことだ。いろんなところに手をつけなければ真の復興はあり得ない。
自称従軍慰安婦の証言 http://makizushi33.ninja-web.net/
慰安婦問題の有力な証言者として積極的に公演を行っているのが「黄錦周」「李容洙」さんの2人
以下はすべて、従軍慰安婦として有名な「黄錦周」(ファン・クムジュ)さん1人による証言です。
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」
(3)日本TV企業”TBS”「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」
(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期
「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」
(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』
(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
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公演するたびに、証言が変わるのが特徴
しかし、彼女の証言は、日本軍に従軍慰安婦を強制された証言として
歴史学者達に引用されている。
「文玉珠」さんの証言
「文玉珠さん」という(自称)従軍慰安婦女性は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、
2万6145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしています。
千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べていますが、
現在の価値なら、4000万~5000万円程度の金額を、
彼女が慰安婦であった約3年間で貯めていたことが分かります。
慰安婦であった期間に文原玉珠名義で、合計12回の振込み(計26,145円)を行っていますが
当時、家が20~30件買えるほどの大金