「ギリシャの財政破綻から始まったヨーロッパの動揺。この問題は、決して対岸の火事ではない」
通常国会閉会翌日の六月十七日。民主党参院選マニフェストの発表記者会見に臨んだ首相・菅直人は、財政再建が焦眉の急と訴え、消費税率を十%程度まで引き上げる方針を表明した。前首相・鳩山由紀夫と前幹事長・小沢一郎のダブル辞任は民主党支持率のV字回復をもたらし、惨敗必至とみられた参院選の情勢は一変していた。
勢いづいた菅は、従来タブー視されてきた「増税を訴える選挙戦」に打って出る。先行して「消費税十%」を掲げた自民党に抱きつく形で争点を消し、与野党の違いを曖昧にして勝利を確実にする狙いだ。思惑はそれだけにとどまらない。参院選圧勝で長期政権への足掛かりを築き、財政再建の第一歩を踏み出した宰相として歴史に名を刻む――。
市民運動家から一国のトップに登り詰めた菅が抱く、密かな野望だ。
鳩山が辞任を表明した六月二日、副総理兼財務相として政権ナンバー2の座にいた菅は「天下取り」へ素早く動いた。
「辞任と同じ日に代表選への出馬表明をするのは『待ってました』と言わんばかりで、イメージが悪い」
側近の内閣府政務官・津村啓介が進言したが、菅は「勝負は一日半で決まる。先にカードを切る」と振り切り、首相官邸に飛び込んで鳩山に出馬を伝えた。政治とカネの問題を抱え、政権の“がん”と化した小沢切りのタイミングを計っていた国家戦略担当相・仙谷由人や行政刷新担当相・枝野幸男、国土交通相・前原誠司ら「反小沢」の閣僚は相次いで菅支持を表明。小沢包囲網は猛烈な勢いで広がり、勝負は短時間で決した。「小鳩」政権で小沢と付かず離れずの関係を保ってきた菅が、土壇場で見せた「バルカン政治家」らしい勝負勘だった。
系列議員約百五十人を率いて民主党内に睨みを利かせてきた小沢には、菅が立候補するなら自分の力を頼るはず、という過信があった。六月一日の会談で鳩山がセット辞任を求めてきた際、「私も同じ気持ちだ」と受け入れたのは、幹事長を退いても菅新政権で影響力を維持できるという自信ゆえだった。この日、会談を終えた鳩山は国会を出る際、左手の親指をグッと突き立て、仏頂面で去った小沢とは対照的に笑顔を弾けさせた。
永田町には「鳩山が辞任圧力を押し返した」という続投説が拡大した。
「あのポーズは何だ!」
一日夜、環境相・小沢鋭仁、参院議員・羽田雄一郎らと赤坂の居酒屋で食事をしていた官房副長官・松野頼久は、携帯電話で激しく食ってかかる複数の小沢側近への対応に追われた。飛び交う憶測をよそに、小沢は鳩山辞任表明の場となる両院議員総会を二日午前に開催するよう指示。後継の党代表を選出する両院議員総会を四日に開催する日程も固めた。二日間の短期決戦なら、本命の菅にかなう候補はいない。小沢は菅政権誕生へレールを敷き、恩を売ったつもりだった。
■真紀子が「血判状を持っていけ」
だが、菅と小沢の間柄は険悪になっていた。三月十九日、菅は小沢が打ち出した「政務三役と都道府県連役員の兼務禁止」の方針に従い、民主党東京都連会長を退いた。新方針の表向きの理由は「挙党態勢確立」だが、小沢の真の狙いは、参院選候補者選定をめぐる地方組織の抵抗封じにあった。菅は会長辞任前、小沢と会談し、蓮舫、小川敏夫に続く東京選挙区三人目の候補擁立に異論を唱えた。「蓮舫は大丈夫だが、小川は苦しい。三人目は勘弁してほしい」。だが、小沢は「複数区は、俺が悪者になって小さい県でも二人擁立を決めた。バランスを考えれば、東京が二人というわけにはいかない」と頑なだった。
同じ頃、菅は周囲に「野党第一党の自民党が消費税率アップを主張している。今がチャンスなんだ」と財政再建への思いを熱っぽく語り、小沢が忌避してきた増税への意欲を見せ始めていた。菅がこのとき既に、小沢と袂を分かつ決意を固めていたのは間違いない。
小沢の誤算により、一糸乱れぬ行動を取る小沢系中堅・若手の「一新会」は混乱を極めた。勝負どころは九月の代表選と見定めた小沢の動きは鈍く、代わりに側近議員が菅の対抗馬探しに奔走した。有力視されたのは、小沢に取り立てられて閣僚の座を射止めた総務相・原口一博だ。原口が将来の党代表を見据えているのは間違いない。だが、勝負時をもっと先と見ていた原口は、小沢側近の打診にも慎重姿勢を貫いた。
対抗馬擁立が不調に終われば、小沢は不戦敗のそしりを受け、求心力低下は避けられない。「形作り」の必要に迫られた小沢は六月三日、参院議員会長・輿石東とともに元外相・田中真紀子と会い、出馬を口説いた。だが、田中は「次は選挙管理内閣。私は出ない」の一点張り。逆に「あなたが出なさいよ。それがいちばん分かりやすい」と小沢の出馬を求めた。言葉を濁したまま小沢が帰ると、田中は小沢側近の党総務委員長・奥村展三と一新会会長の鈴木克昌を呼び出し、「血判状を持っていけば小沢は出るのよ。私の父親(元首相・田中角栄)がああして活躍できたのは、派閥が結束していたからなのよ」とまくしたてた。
「やっぱり俺が出た方がいいのかな」
一瞬ぐらついた小沢を、側近が「勝負は九月の代表選です。それまでは傀儡政権でいい」と押しとどめた。
一新会が三日夕、国会近くのマンション「パレ・ロワイヤル永田町」で予定していた会合は、約一時間遅れで始まった。開始がずれ込んだのは、小沢側近の衆院議員・松木謙公が元政調会長・海江田万里に出馬を要請していたためだ。海江田に断られ万策尽きた松木は、一新会メンバーに対し、次善の策として温めていた衆院環境委員長・樽床伸二の擁立を提案した。だが、知名度抜群、百戦錬磨の菅を相手に、樽床では勝ち目がない。
「それが本当に小沢先生の考えなのか」
会場は騒然とし、収拾がつかなくなった。小沢最側近の衆院議員・樋高剛に伴われてパレ・ロワイヤルに到着した樽床は、部屋に入って出馬の挨拶をすることさえ許されなかった。
一新会は自主投票――。
「鉄の団結」を誇った一新会は分裂状態となり、小沢支配に綻びが生じた。その後、小沢系議員は樋高、松木、衆院議員・岡島一正ら「茶坊主系」と、こうした側近の振る舞いを冷ややかに見つめる議員との二極分化が進みつつある。
「九月の代表選に小沢先生が出るなら当然支援する。そうでないなら菅首相を支えよう」
八日夜、都内で集まった衆院議員・中塚一宏ら一新会の若手は、「親父(小沢)の世話に専念したい」と公言する樋高らに距離を置く姿勢を確認した。
一方、勝利を確実にしていた菅は、代表選前日の三日夜から仙谷、枝野とともに閣僚、党役員人事に着手した。だが、菅側近も黙ってはいなかった。二日夕、菅から出馬の意思を聞いた鳩山政権の首相補佐官・荒井聡は、独自に人事構想を練り始めた。しかし、菅は自身のグループではなく、官房長官に仙谷、党幹事長に枝野を充てるなど、前原が率いる「凌雲会」メンバーを要職に起用した。側近よりも、能力的に使える人物を優先するドライな発想は、市民運動から議員に転じ、派閥政治の自民党に所属した経験がない菅の真骨頂と言える。菅の名代を気取った荒井は四日朝、海江田に幹事長を打診するなど独自に動いたが、その後、党本部で行われた菅、仙谷、枝野の「首脳会議」には加われなかった。
九日、枝野は小沢支配の象徴だった国会内の幹事長室で、小沢から形ばかりの引き継ぎを受けた。落ち着かない様子で入り口近くの椅子に座っていた枝野は、小沢が姿を見せると弾かれたように立ち上がり、「こちらにどうぞ」と席に案内し、ギクシャクした雰囲気の会談はわずか二分で終わった。論戦で言い負けしない弁舌は魅力だが、枝野にとって交渉ごとは鬼門だ。同日開かれた与野党幹事長会談では「古い政治なら幹事長が登場したら結論が出るものだが、私は議論をするために出席する」と、各党との「調整放棄」を宣言し、出席者を呆れさせた。
「参院選が終わったら内閣改造をしてもらって外相になりたい」
枝野は周囲にこう言ってはばからず、参院選向けの「テレビ用」幹事長であることを否定しない。
菅内閣は報道各社の世論調査で支持率が軒並み六割を超え、まずは順調に滑り出した。しかし、内閣発足直後に、国家戦略担当相に就いた荒井の事務所費問題が露見した。政治資金で女性下着や漫画を購入していた事実も判明。国会審議で荒井が火だるまとなり、参院選に波及する事態を恐れた民主党は、国対委員長に就いた樽床が野党に提案していた予算委開催を慌てて引っ込めた。みんなの党代表・渡辺喜美は十四日の衆院代表質問で、幕末の尊王攘夷派狩りからたびたび逃れた長州の桂小五郎(木戸孝允)を引き合いに「菅首相は奇兵隊の高杉晋作ではない。逃げの小五郎だ」と皮肉った。
■菅は小泉長期政権の分析を命じた
今年初めには「逆立ちしても鼻血も出ないほど完全に無駄をなくす」と唱えていた菅が消費増税を掲げたことに対し「財務相就任後、すっかり役所の論理にからめ捕られた」との批判は絶えない。菅は十七日の記者会見前、「税率は十%で行く」と周囲に宣言し、側近の口出しを許さない高揚した面持ちだった。
枝野は選挙戦への影響を懸念、改選を迎える輿石の了解だけは取り付けるよう注文した。党内論議を省略するトップダウンは、菅が毛嫌いした小沢と同じ「強権手法」にほかならない。打診された輿石は「いいじゃねえか」としぶしぶ容認したものの、党内の反発は収まらない。二十一日の常任幹事会では政調会長・玄葉光一郎が集中砲火を浴び、「すぐに増税するわけじゃない。最短で二年から四年かかる」と釈明に追われた。
通常国会での郵政改革法案成立がかなわず、金融・郵政改革担当相を辞任した国民新党代表・亀井静香は「内閣支持率が高いからといって強引なことをすれば、大変な事態になる。あまり調子に乗らない方がいい」と警告する。亀井はかつて、野党に転落した自民党を社会党との連立で政権復帰させた政界きっての策士だ。今後、積極財政論者の亀井が消費増税に反対して小沢と連携し、菅を揺さぶる展開も予想される。
菅は「衆院の三百議席を減らす気はない」と早期解散を否定しているが、一方で、五年半に及んだ小泉長期政権の分析を側近に命じている。
衆院解散・総選挙により自民党内の「抵抗勢力」を一掃、郵政民営化を成し遂げた小泉に倣い、消費税率引き上げに反対する小沢一派を切り捨てるのではないか――。
永田町では、こんな「消費税解散」による大乱の見通しさえ、囁かれている。
「政府は何でアメリカにちゃんと言わねえのかなあ。九月に普天間は大きな争点になるよな」
六月十一日、小沢は赤坂の個人事務所を訪れた衆院国土交通委員長・川内博史に対し、米軍普天間飛行場移設問題が九月の民主党代表選で焦点になると告げた。玄葉は仙谷に「普天間はあなたがきちんとやるべきだ」と進言したが、議論好きの側面ばかりが目立つ仙谷に、米国や地元との折衝が務まるのか、不安視する声は多い。鳩山辞任で沖縄の怒りが静まったわけではなく、基地問題は菅政権の足下にも絡まり続ける。
菅が消費税率引き上げ方針を表明した後に実施された世論調査では、内閣支持率が一斉に下がった。菅が命運を懸けた増税―財政再建路線が、景気や暮らしへの影響を危ぶむ有権者の警戒感を呼び起こした形だ。菅は、参院選で自ら勝敗ラインとした「改選五十四議席」を確保すれば、無投票再選を画策するだろう。
だが、小沢は参院選公示日の二十四日、盟友・輿石の応援のため訪れた山梨県身延町で記者団の質問に応じ、「政党である以上、常に過半数(六十議席)を目標にするのが筋道だ」とハードルを上げた。さらに「当面消費税を上げないというのが、われわれの主張だった」と語り、公然と菅への不快感を表明した。
菅の思惑が外れて代表選が実施された場合、小沢サイドが有力な対抗馬を立てるにせよ、小沢自身が名乗りを上げるにせよ、普天間と消費税を対立軸に、党内を二分する激戦となるのは必至だ。菅「奇兵隊内閣」が鳩山短命政権後の単なるあだ花で終わるのか、小沢との最終決戦を制して長期政権を築けるのか。戦いは参院選後に始まる。 (文中敬称略)
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
的中した予言
特別企画 的中した予言50 われらの未来を考えるヒント
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三島由紀夫
「日本はなくなり、無機的なからっぽな国が残る」 持丸 博
- 松本清張 「日本人の休日の増加は欧米の謀略である」 佐野眞一
- 司馬遼太郎 「インダストリィは汚職する国家では興らない」 養老孟司
- 大宅壮一 「一億総白痴化」 猪瀬直樹
- 本田宗一郎 「やってみもせんで、何がわかる」 伊丹敬之
- 手塚治虫 「もう手塚治虫は、死んでしまったのかもしれない」 関川夏央
- アインシュタイン「人間を変えるより、プルトニウムを変えるほうがやさしい」 中原英臣
- 高峰秀子 「名前や顔を知られる人間には、責任があります」 斎藤明美
- 吉田 茂 「此敗戦必ずしも悪しからず」 井上寿一
- 北大路魯山人 「日本人はライスカレー、シチューまで甘くしてしまった」 山田 和
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勝海舟
「日清戦争は大反対だ。だって兄弟喧嘩じゃねえか」 半藤一利
- 中村歌右衛門 「歌舞伎は絶対に滅びません」 山川静夫
- 中原中也 「日本というのは、竹馬に乗って背伸びをして、滑稽極まりない」 水無田気流
- アンディ・ウォーホル「将来、誰もが十五分間は有名人になれる」 横尾忠則
- 芥川龍之介 「輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である」 水木 楊
- 星 新一 「過去から受けつぐものはペーソスで、未来に目指すべきはユーモア」 最相葉月
- 若泉 敬 「『強い日本・弱い支那』から『強い中国・弱い日本』に」 谷内正太郎
- 野茂英雄 「僕は英語を覚えに行くわけじゃない」 二宮清純
- ココ・シャネル 「宝石が好きなら、首から札束を下げておけばいい」 出石尚三
- 福田恆存 「アメリカが助けに来てくれる保證はどこにもない」 佐藤松男
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新渡戸稲造 「武士道を脅かしつつある」 李 登輝
- 松任谷由実 「私が売れなくなるのは都市銀行が潰れる時よ」 柳澤 健
- サー・E・カッセル「賭博師、投機家、銀行家。同じことをしてきただけだ」 西嶋周二
- C・イーストウッド「降ると思えば、雨は本当に降る」 芝山幹郎
- 孫 文 「日本が西洋覇道の鷹犬となるか、東洋の干城となるか」 福島香織
- 渋沢栄一 「人には景気を売買したがる性分がある」 鹿島 茂
- 山口百恵 「精一杯さりげなく生きていきたいとおもいます」 小田嶋隆
- W・バフェット 「最高のCEOは、ゴルフをすることを望まない」 神谷秀樹
- 横山やすし 「男は一着取らなアカン」 澤田隆治
- 石原莞爾 「意見のない者と、意見の対立はない」 保阪正康
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小泉純一郎 「自民党をぶっ壊す」 田原総一朗
- 坂本龍馬 「日本を今一度せんたくいたし申候」 松平定知
- 鈴木大拙 「『一』を立てると対立は終わらない」 岡村美穂子
- 岸 惠子 「もう大人の言うことはきかない」 白井佳夫
- ペリー提督 「日本は東洋で最も重要な国となる」 簔原俊洋
- 岩本 薫 「囲碁は単なるゲームです。ただし、最高の」 石井妙子
- 渡辺恒雄 「おれが知らない人は入るわけにはいかない」 鷲田 康
- トマス・マン 「政治を軽視する人間は、軽蔑に値する政治しかもてない」 村田晃嗣
- 伊藤みどり 「大根足だって勝てるんです!」 吉井妙子
- 阿久 悠 「今、言葉がない。誰も言葉を使わない」 鴨下信一
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西郷隆盛
「斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず」 山内昌之
- 岡田有希子 「短い人生でもいいから、自分の思うことがしたい」 二田一比古
- ドラッカー 「未来のことは分からない。ただし未来への予兆はある」 野田一夫
- 下村 治 「日本は江戸時代のような姿になるのがいい」 中西 寛
- 盛田昭夫 「自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」 石川 好
- S・リッター 「アメリカがイラク攻撃をすれば、北朝鮮の核の脅威が増す」 江川紹子
- 吉永祐介 「最高権力者と勝負するとき、それは頂上作戦しかない」 坂上 遼
- J・ニクラウス 「ボールをサイズアップしないと、ゴルフがつまらなくなる」 早瀬利之
- 山本夏彦 「驢馬は旅に出ても、馬になって戻るわけではない」 徳岡孝夫
- 城山三郎 「国家というものが、最後のところで信じられなくてね」 井上紀子