神社で人を供養別におかしいことではない!
元々は自然崇拝の日本神社で葬式も普通にあること神社で墓参りも普通のことおかしな話ではないのだ
仏教が後から来て聖徳太子のころに日本の一般的宗教になっているけどね聖徳太子も仏教だけじゃなく神教は特別に扱って尊厳を払っている
なぜか一般的にはお祝いは神社供養はお寺だけど
お寺で結婚式もあるんだよね
天皇家の墓って鳥居が建ってるの

神葬祭はなぜ少ないのか(拝借)
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神道では死は「ケガレ」。お社内にケガレを持ち込んではいけませんので、葬儀は別の場所で行います。 |
現在日本で行われる葬儀の場合、その94%は仏式で行われ、神道式(神葬祭)の割合はわずか2%(キリスト教式1%、その他3%)にすぎません。
初詣、お宮参り、七五三、結婚式……、誕生してからさまざまな場面で神社と関係があるにもかかわらず、なぜ葬儀となると神社とのかかわりが極端に薄れてしまうのでしょうか。
神葬祭の割合が低い理由のひとつには、江戸時代に体系化された寺請制度(檀家制度)の影響があげられます。この制度によって、すべての民衆は特定寺院の檀家になることが義務付けられ、宗旨人別帳(宗門改帳)で戸籍として管理されました。この時代、たとえ神社を司る神職といえどもお寺に属さなければならず、葬儀も仏式で行われていました。
明治になって、神仏分離令が施行されてから神職による神葬祭が行われるようになりましたが、すでに確立されている檀家制度はその後も安定した基盤を持ち続けていたため、神葬祭が一般に広がることがなかったのです。
また、「死」に対する考え方が神葬祭の広がりにブレーキをかけたとも言われています。神道で「死」は「ケガレ」とみなされますので、神社で葬儀を行うことはもちろん、鳥居をくぐることさえ許されません。死は「不浄」「ケガレ」であるから神職は近づくべきではないとされてきた一面がありました。
しかし、葬儀に対するタブー視が薄れたことや、簡素で荘厳なイメージのある神葬祭に興味を持つ人は増えてきています。神社を統括する神社本庁では「死者の不浄を祓い清めて、その不幸や悲しみを神葬祭や霊祭によって浄化することも大切なつとめ」として神葬祭の普及につとめています。
次ページでは神葬祭の流れについて説明します。
最終更新者:吉川 美津子 (更新日:2007年02月
神葬祭の流れ
神道は古来の習俗から自然に発生した民族宗教ですから、儀式が全国で統一されているわけではありませんが、大まかな流れは共通しています。
先日、神葬祭を紹介するイベントが葬儀業界人を育成する専門学校で開催されましたので、この流れを参照にご紹介します。
【遷霊祭(せんれいさい)】
遷霊祭とは、故人の御霊を遺体から霊璽(れいじ「仏式にあたる位牌」)と呼ぶ御霊代(みたましろ)にうつす儀式で、夜間に行うのが本式の作法です。御霊うつしのときは、会場を暗くします。※現在は、「遷霊祭」と「通夜祭」の儀礼を混ぜて行われることが多い(通夜祭の式次第は「葬場祭」に準じます)。
- 斎主・祭員入場
- 開式の辞
……司会者による開式の辞
- 修袚(しゅばつ・しゅうばつ)の儀
……お祓いのこと。神職が大麻(おおぬさ「榊の枝に布を取り付けたもの」)で神饌、玉串、斎主、喪主、参列者を祓い清めます。
- 遷霊(せんれい)の儀
……故人の御霊を霊璽にうつします。
- 遷霊祭詞奏上(せんれいのりとそうじょう)
……故人の略歴、功績、人柄を讃え、今後は祖霊となって遺族を見守ってくださるように祈ります。
- 斎主・祭員退場
- 閉式の辞
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お参り方法は、仏式の焼香に代わって「玉串奉奠」が行われます。 |
【葬場祭】
仏式葬儀の葬儀・告別式にあたります。斎主が祭詞を奏上し、参列者が玉串奉奠します。
- 斎主・祭員入場
- 開式の辞
- 総拝
- 献饌(けんせん)の儀
……故人の御霊に饌(せん「食事」)を差し上げる儀式。
- 奉幣(ほうへい)の儀
……故人の御霊に衣服を差し上げる儀式。
- 祭詞奏上
……故人の略歴を神道の作法のもとに読み上げます。
- 誄歌(るいか)奏楽
……故人を慰めるしのびうたを奏楽します。
- 弔辞拝受
- 玉串奉奠(たまぐしほうでん)
……玉串は神霊を迎える依代であり、祈る人の気持ちをこめることによって、霊性をあわせる仲立ちとしての役割があるといわれています。作法は二拝二拍手1拝という形が基本です。
- 撤饌(てっせん)の儀
……故人の御霊に差し上げた食事を下げます。
- 総拝
- 斎主・祭員退場
- 閉式の辞
※通夜祭の式次第も葬場祭に準じます。
次ページでは神葬祭に関するQ&Aをご紹介します!
最終更新者:吉川 美津子 (更新日:2007年02月27日
神葬祭に関するQ&A
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日本人に馴染みのある神道ですが、神葬祭となるとお墓の問題、先祖供養の問題等があって普及しにくいのが現実です。 |
Q:
先祖代々お寺にお墓があります。でも私は神葬祭を希望。どうしたらいい?
A:
先祖代々の宗旨・宗派ではなく、自分だけが別の宗教で葬儀をしたいと希望する人は多いですし、可能です。しかし、問題はその先。別の宗教で葬儀を行ったとなれば、お墓は菩提寺でなく別の場所で探さなければなりません。神社内にお墓はありませんから、「宗旨・宗派問わず」を掲げている霊園・墓所を探すことになります。お墓は別になったとしても、先祖代々のお墓がまだ存在しているわけですから、菩提寺とのお付き合いの関係を上手に保てるように、あらかじめ身内・親戚間で話し合いをしておくことが必要です。
Q:
神道では、戒名にあたる死後の名前はあるの?
A:
神道の場合、生命の下に「之霊」「命(みこと)」「命霊(みことのれい)」「霊位」をつけたりします。また、男性は「大人命(うしのみこと)」女性は「刀自命(とじのみこと)」などをつけることもあります。
Q:
仏式の法要に代わる神道儀礼について教えて!
A:
葬儀が終わると、初七日法要、四十九日法要があって、一周忌法要を迎える……、というのが仏式で葬儀を行った場合の一連の法要の流れ。
神道の場合はどうなるのでしょう。
神道の場合は法要とは言わず、霊前祭と言いますが、それ十日ごとが基本となります。
・翌日祭(葬儀の翌日)
・十日祭(帰幽(きゆう「亡くなった日」)から10日目)
・五十日祭(50日目)
・百日祭(100日目)
・一年祭(一年後)
※二十日祭、三十日祭、四十日祭を行う場合もありますが、現在はほとんど省略されています。
ちなみに、仏壇のかわりに安置するものを祖霊舎(それいしゃ)といいます。霊璽は五十日祭の翌日に清祓い(きよはらい)を行い、その後、祖霊舎にうつします(それまでは仮の御霊舎に置く)。
人生の節目節目でお世話になる神社ですが、神葬祭となると馴染みがなく聞きなれない言葉も多いですね。しかし、仏教も神道も「祖先を敬い手を合わせる」という基本は同じ。その精神は大切にしたいものです。
【協力】
・駿台トラベル&ホテル専門学校 ライフステージ・プロデュース学科
【参考資料】
・神葬祭の栞「神社本庁」
最終更新者:吉川 美津子 (更新日:2007年02月27日)
じゃあ神社で葬式すれば神様?ではないよ
死者をあの世へ送る儀式は色々ある
神社には死者の封印と浄化の役割もある寺もその役割はあるけどね
だから除霊には神道系と仏教系とキリスト系とかあるわけ
冗談抜きで防空壕跡地のにキリスト系学校ができたら日本人の幽霊がいっぱい出てしまい、毎日賛美歌を歌って・・・・失敗した話もあるんだ
聖水は塩水だから多少は効くかもしれないけどね除霊に相当苦労したらしい
赤ちゃんも難しいけどね
http://sns.mynippon.jp/?m=portal&a=page_user_top
終戦忌、父知らぬ子と靖国へ 最高齢の参列者、96歳・高倉千代香さん
配信元:
2010/08/15 22:12更新
記事本文
「家族は元気でいます。皆を見守ってください」
初めて訪れた東京・日本武道館。真夏の強い日差しの下、参列者の最高齢、高倉千代香さん(96)=堺市=は、ひざの上に置いた夫、修さん=当時(34)=の軍服姿の遺影にそっと視線を送った。
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記事本文の続き 陸軍の飛行隊だった修さんが戦死したのは昭和19年11月13日。後に、フィリピン・ルソン島近くを飛行中「敵グラマン機と遭遇せり」との交信を最後に帰らぬ人となったと聞いた。
昭和11年にお見合いで結婚。その後、満州で暮らしたが、修さんの南方派遣が決まり、千代香さんだけ故郷の福岡県に戻った。
「これを自分と思え」。見送りのとき、修さんは自らの髪をそり、千代香さんに手渡した。
戦後、千代香さんに届いた戦死の公報。役所で白い桐の箱を手渡された。中には遺骨代わりに名前が書かれた木札が一つ。遺髪は勲章と一緒に墓に納めた。「軍人だからあきらめてはいたけど…。しばらくは信じられなかった」。その後も、近所の帰還兵の足音を聞いては「夫ではないか」と家を飛び出した。
女手一つで2人の子供を育て上げた。この日、一緒に参列した長男、正達さん(65)は修さんが戦死した年に生まれ、23歳のとき「世界平和を祈りたい」と僧侶に。平成19年には千代香さんの願いでもあった戦没者供養の釈迦像を境内に造った。千代香さんは「私のような思いをする人を出してはいけない」と、像を見上げては平和を願うのが日課だという。
追悼式の前日、正達さんと靖国神社を参拝し、俳句を詠んだ。
〈終戦忌 父知らぬ子と 靖国へ〉
「胸がいっぱいです」と話した千代香さんは車いすを押す正達さんを背に、静かに手を合わせた。
靖国と菅内閣 国家の責務に背を向けた
配信元:
2010/08/16 07:05更新
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記事本文
【主張】
65回目の終戦の日の15日、今年も炎暑の中、多くの国民が靖国神社を訪れた。民主党政権下で迎えた初の8月15日だったが、やはり菅直人内閣の閣僚は一人も参拝しなかった。
このようなことは終戦の日の閣僚参拝について政府に記録が残る昭和60年以降、初めてだ。予想されたこととはいえ、戦没者遺族にとって無念だったに違いない。
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記事本文の続き 各閣僚の主体性のなさも問題である。菅首相や仙谷由人官房長官が内閣の申し合わせとして靖国参拝の自粛を求めたにせよ、全閣僚がそれに従ったというのは、情けない話だ。
改めて言うまでもないが、靖国神社にまつられている幕末以降の戦死者ら246万余柱のうち213万余柱は先の大戦の死者だ。それだけ、8月15日の参拝の意義は大きい。特に、首相が国民を代表して、国のために亡くなった国民の霊に哀悼の意を捧(ささ)げることは、国を守るという観点からも、重要な国家の責務なのである。
一方、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーは昨秋と今春の例大祭に続いて、この日も靖国神社を参拝した。民主党議員も参拝したが、菅内閣の副大臣、政務官は加わらなかった。
同会とは別に、自民党の谷垣禎一総裁、安倍晋三元首相らも参拝した。谷垣氏は昨年の総裁選で「8月15日に靖国参拝する」と主張し、約束を果たした。今後も、その姿勢を貫いてほしい。
この日の靖国神社は、年老いた遺族や戦友らにまじって、学生や若い男女、親子連れの姿がさらに増えたように思われた。8月15日の靖国参拝は、国民的行事として定着しつつある。
同じ日、韓国のソウルで開かれた日本統治からの解放65年を祝う「光復節」記念式典で、李明博大統領は日韓併合100年に関する菅首相談話を評価し、「歴史を忘れず、ともに新しい未来を開拓する」ことを訴えた。
10日に出された菅談話は日本の朝鮮半島統治を一方的に非難する内容で、与野党の反対・慎重論を押し切って閣議決定された。
今回、菅内閣の閣僚が参拝しないことも、中国や韓国のメディアは好意的に報じている。近隣諸国にのみ配慮し、戦没者の霊に背を向ける首相は、日本のリーダーとしての資質が疑われよう。