性犯罪者小沢一郎を支援
投稿者: みるる : 2010年9月13日
【民主党代表選】“ミラーマン”植草氏が小沢応援? ブログで徹底擁護 (1/2ページ)
2010.9.12 18:52
民主党代表選で、小沢一郎前幹事長(68)のブレーンが話題になっている。議員関係や財務省関係に加え、有名エコノミストの植草一秀氏(49)がさかんに小沢氏を応援しているのだ。「ひょっとしたら小沢氏の経済政策に深くかかわっている?」「いや、そんなはずはない」など憶測が飛び交っている。(夕刊フジ)
小沢氏の経済政策のブレーンとして有名なのは民主党の田村耕太郎元参院議員(47)。自民党時代に「政府紙幣及び無利子国債の発行を検討する議員連盟」に所属していた。小沢氏は代表選で非課税無利子国債の発行による高速道路建設をブチ上げている。
財務省人脈では、勝栄二郎事務次官や香川俊介総括審議官。特に香川氏は竹下内閣時代の1987年、官房副長官だった小沢氏の秘書官を務め、小沢氏が「優秀な人材だ」とうなったという。
一方、植草氏はエコノミストとしてメディアなどで活躍。2003年4月に早稲田大大学院教授に転じた。しかし、その後は“別の意味”で注目されてしまう。
04年4月、女子高生のスカートのなかを手鏡でのぞこうとしたとして、東京都迷惑防止条例違反で現行犯逮捕。「天地神明に誓って無実」と主張したが、罰金50万円、手鏡1枚没収の判決を受け確定した。06年9月には、電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、同条例違反で現行犯逮捕。実刑を受けた。
現在は、国際政治経済情報、市場分析リポートの提供を行うスリーネーションズリサーチという会社の社長。ネット上で「植草一秀の『知られざる真実』」というブログを運営している。
民主党関係者がいう。「ブログで小沢氏を徹底的に擁護する一方、菅直人首相を徹底的にけなしています。党内では、小沢氏の経済政策の発案にかかわっているのでは、ともいわれています」
確かにブログには「菅直人氏総理居座りなら日本経済の崩壊は確実」「うそつきが総理の座に居座ることは日本の損失」と過激な見出しが躍る。一方、小沢氏については「共同会見、公開討論会、街頭演説会を通じて、小沢一郎氏フィーバーが生まれている」と持ち上げている。
植草ブレーン説に対し、同党議員は「いくらなんでもそんなことはない。経済学者としてはすばらしくても、事件のことを考えると厳しいでしょう」とみる。
ここはひとつ、植草氏自身に確かめたいところだが、連絡先のスリーネーションズ社に照会しても10日現在、返答は届いていない。
変態は小沢一郎からいくらもらった?
事件関連の経緯
複数の刑事事件とその影響
迷惑防止条例違反(一) 「手鏡事件」
- 現行犯逮捕・起訴(被疑者として)
2004年(平成16年)4月8日午後3時頃、早稲田大学大学院教授の職にあった植草は、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとしたとして、鉄道警察隊員に東京都迷惑防止条例違反(粗暴行為の禁止)の容疑で現行犯逮捕された[4]。植草は逮捕直後は容疑事実を認めたものの、その後「手鏡は持っていたが、のぞいていない」と否認に転じた[5]。
同年4月28日、東京地方検察庁は同容疑で植草を起訴[6]。植草は同年5月10日、保釈保証金300万円を納付して即日保釈された[7]。
- 事件の影響
事件を受けてテレビ各局は、植草をそれまでの出演番組から降板させた[5]。また、徳島県も2004年4月13日、植草をそれまでの「カモンとくしま」アドバイザリー・スタッフから解任した[8]。早稲田大学理事会も同年5月7日、植草の教授職解任を議決した。
また、警察が行った家宅捜索では、痴漢等を題材にしたアダルトビデオやDVDが植草の自宅屋根裏から発見され、押収されている。この事件では、犯行に使われたとされる手鏡が注目され、植草は『ミラーマン』と渾名・揶揄されることもあった[9]。
- 裁判(被告人として)
2004年6月17日、初公判が東京地裁で開かれた。植草は「起訴事実は真実ではない。この法廷の正義に誓って無罪、潔白です」と全面的に争う姿勢を示した。一方検察側の冒頭陳述によると、植草の自家用車の中から女子高校生の制服のような服装をした女性が写ったインスタント写真やデジタルカメラ画像が約500枚見つかり、また植草の携帯電話からも同様の画像が見つかったという[10]。
捜査の段階で収集した証拠により植草の特異な性的嗜好が公にされ、それらはマスコミによって世間にさらされることとなった。また、公判の中で検察側は植草が1998年(平成10年)6月にも東海道線横浜駅-品川駅間で痴漢行為を起こし、神奈川県迷惑防止条例違反で罰金5万円の有罪判決を受けていたことを明らかにした。
同年8月30日、植草は霞ヶ関で記者会見し、「手鏡はテレビ出演時に身だしなみを確認するため持っていただけ。天地神明に誓って潔白だ」と改めて身の潔白を主張した[11]。
2005年(平成17年)2月21日、検察側は植草に懲役4ヶ月、手鏡1枚没収を求刑、弁護側は改めて無罪を主張し、裁判は結審した[12]
- 有罪確定(罰金の支払い、社会復帰へ)
同年3月23日、東京地裁(大熊一之裁判長)は、「現行犯逮捕した警察官の証言は信用でき、証拠は十分だ。犯行は手慣れているとの印象さえある。犯行に至るまでの間も、不審な行動を繰り返しており、偶発的な犯行とは言い難い」とし、罰金50万円、手鏡1枚没収の判決を言い渡した[13]。
これに対し植草は「天地神明に誓って無実」と冤罪を主張しながらも控訴を断念し、同年4月6日の控訴期限日に刑が確定した[14]。
迷惑防止条例違反(二) 「電車内痴漢事件」
- 現行犯逮捕・起訴(被疑者として)
2006年(平成18年)9月13日午後10時頃、京急本線の品川駅-京急蒲田駅間の下り快特電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で警視庁により逮捕された。被害にあった女子生徒が声を上げ、周りの乗客が取り押さえた。逮捕直後から植草は「酒に酔っていて覚えていない」と容疑を否認していたとされる[15]。同年10月4日、東京地検は「常習性があり悪質」として植草を逮捕容疑で起訴した。植草は「人違いか(被害者の)勘違いではないか」と容疑を否認している[16]。
後日、植草は「警察のでっち上げだ」と前回の逮捕時同様無実を主張し、植草本人の「帰宅途中だった」という証言と矛盾する逆方向の電車に乗っていたと指摘されたことに対しては「(品川駅で)乗り間違えた」と主張した。当該電車は周囲の人の体が密着するほど混雑していないにもかかわらず、女子高生の後ろに密着するかのように乗っていたとされる。後日行われた家宅捜索において、事務所からはセーラー服が、自宅からはわいせつなDVDが複数押収された。
- 事件の影響
2006年9月26日、名古屋商科大学は理事会を開催し常勤職員の懲罰基準に照らし、植草の免職(解雇)処分を決議した(理由は、逮捕・勾留により後期授業をすることが不可能なため。発表は翌27日)。
- 裁判へ(被告人として)
2006年12月6日、東京地裁で初公判が開かれた。植草は「天に誓ってやっていない」と無罪を主張。起訴状によると事件当時、被害女性から「子供が見てるのに恥ずかしくないんですか?」と言われうつむいていると、他の男性乗客2人に取り押さえられ駅事務室に連行。当初は「私は女性が不快に思うことをやりました」と容疑を認めたにもかかわらず、警察の取調べに際し一転無罪を主張したとされる[17]。一方で、植草は「これが土石流のように報道され、家族も被害を受けてしまう。家族を守るためには私が死ぬしかない」と思い、駅事務室でネクタイを首に締めて家族のために自殺も図ろうとしたことも明らかになった。弁護側は「被告人は当時紹興酒を20~30杯近く飲んでいる酒酔い状態」であり痴漢などをできる状態にはなく、また「痴漢騒ぎかと思って、絶対に関わりたくないなと思っていたら自分が犯人にされた」と主張している[17]。
同年12月20日、第2回目公判が開かれ、検察側証人として目撃者が出廷し、被害女性もビデオで証人尋問に応じた。検察側証人の目撃者は「痴漢をしたのは植草被告人に間違いありません」と述べた。また検察は、事件当時の被害女性の肌着を鑑定している。その後の公判で植草の無実を証言する証人も現れた(ただしこの証人は植草が車内で取り押さえられたのは目撃したが、それ以前は寝ていたため、事件の決定的瞬間を目撃したわけではない)[18]。
2007年(平成19年)1月25日、第3回目公判が開かれ、肌着を鑑定していた科捜研の女性研究員が検察側証人として出廷。「被害女性のスカートとパンティの構成繊維と、植草被告人の左手人さし指、右手薬指、右手親指から採取した繊維片が類似」と証言した。
同年7月18日、検察側は「犯行は確信的で執拗(しつよう)だ。常習性が顕著で長期間、矯正をするため実刑にするのが相当だ」とし、懲役6月を求刑した[19]。
- 度重なる保釈却下
この裁判では、被告の保釈申請に対し、裁判所の許可、検察の抗告、被告側の不服申し立てといった数々の手続きを経て、逮捕の約3か月後にようやく保釈が認められたという経緯がある。
東京地裁は起訴翌日の10月5日、植草の保釈申請に対し、保釈保証金600万円で植草被告人の保釈を許可する決定をした。しかしながら東京地検はこれを不服として準抗告し、翌6日、地裁は地検の準抗告を認め、保釈を却下した。同16日、最高裁第1小法廷は保釈許可を取り消した地裁の決定を支持し、植草側の特別抗告を棄却した。2007年1月19日に、東京地裁は再び保釈許可を出し、植草側は保釈金600万円を納入した。しかし、同日東京地検が準抗告したため、保釈の執行は停止されていた。同22日、地裁が地検の準抗告を退けたため、植草は即日保釈された。
- 実刑判決、控訴へ
同年10月16日、東京地裁(神坂尚裁判長)は、「不合理な弁解をして反省の姿勢が全く認められない」と植草の姿勢を強く非難した上で、「規範意識に相当問題があり再犯のおそれも否定できない。もはや社会内での更生は期待できない」と懲役4月の実刑判決を言い渡した[20]。植草側は東京高裁に即日控訴した。
2008年(平成20年)3月18日、東京高裁(田中康郎裁判長)で控訴審が始まった。植草側は改めて無罪を主張し、被害者のスカートの繊維鑑定を求めたが、高裁は却下した[21]。
- 控訴棄却、上告へ
同年4月16日、東京高裁(同)は「被害者や目撃者の証言は信頼性が高い」として一審の実刑判決を支持し、控訴を棄却した。植草側は同日上告した[22]。
- 上告棄却、実刑確定、収監へ(受刑者として)
2009年6月25日、最高裁第3小法廷(近藤崇晴裁判長)は、一審及び二審の実刑判決を支持して植草の上告を棄却する決定を下した。これにより植草の懲役4月の実刑判決が確定し[23]、8月3日に収監され同年10月4日に、満期出所した。
- 出所後(社会復帰、更生に向けて)
出所後に文筆活動を再開し、講演活動を行うなどの社会的活動に乗り出した。ブログ『知られざる真実』は人気ブログランキングの人気投票において常に上位を維持している。