気象・地震

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沿岸南行記:津波被災地より 仙台・28日 気力失い「名前捨てた」

 「カメラマンか?」と問われ、記者だと答えると「荒浜はどうだ?」とまた問われた。紺色の作業着姿で肩に大きなバッグ、白髪交じりの短髪で、無精ひげが伸びる。こけたほおや深いしわが1カ月を超えた路上生活の苦労を物語る。その男性と出会ったのは取材の下見帰りの27日夕、仙台市青葉区のJR仙台駅西口のベンチだった。

 よどんだ目で彼が話した身の上は--。

 震災前。ベンチから約10キロ離れた海辺の同市若林区荒浜地区に、足腰が弱い妻と住んでいた。勤め先で被災し震災翌日、タクシーと徒歩で荒浜へ。津波に襲われた自宅は土台しかない。その2日後、一部が欠けた妻の遺体に両手を合わせ、そのまま去った。避難所に一晩いた後は駅や公園を転々としている。

 「母ちゃんを守れなかった俺が他人様の手を借り生きて何になる。もうどうでもいい」。気づけばベンチに座っていた。震災から1週間。「母ちゃん……」とつぶやき、初めて泣いたという。

 何度尋ねても「もう60歳になる。名前は捨てた」。春の装いで人々が行き交うベンチ周辺で四十九日の28日も捜したが、いなかった。仙台平野の水田地帯・荒浜へ。まるで砂漠のように強風で砂が舞う。かすむビル群がある市中心部のどこかに、背を曲げ歩く男性がいる。隣の名取市へ向かおうにも動けず、私はしばらく虚空を見つめた。【狩野智彦】

毎日新聞 2011年4月29日 東京朝刊

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