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2011年04月05日
福島県浜通りの四つの火力発電所が東日本大震災で激しい津波被害を受け、現在も稼働再開の見通しが立っていない。各社は早期復旧を目指すが、東京電力福島第1原発の放射能漏れ事故の影響で復旧作業は思うように進まない状況だ。被害が甚大で、再開まで相当な時間を要するとみられる発電所もある。
「巨大な波が沖の堤防をのみ込み、あっという間に到達した」。新地町にある相馬共同火力発電所新地発電所(2基計200万キロワット)の荒良昭グループマネジャーは、3月11日を振り返る。
当時、発電所には社員やPRセンターを訪れた家族ら約1100人がいた。全員が1号機のタービン室に避難したが、津波で建屋1階が浸水し丸1日孤立したという。
貯炭棟といった施設や変圧器などの電子機器は全て水浸し。石炭を運ぶベルトコンベヤーは壊れ、揚炭機2機は大きく傾いた。その南側には石炭船が座礁している。
社員は連日、がれきの撤去や施設の修理に追われる。荒マネジャーは「夏の電力需要期は厳しいが、冬には間に合わせたい」と話す。
いわき市の常磐共同火力勿来発電所(3基計145万キロワット)。被災前から1基は定期検査中で、復旧作業を含め稼働まで3カ月はかかるという。残り2基も停止中で損傷箇所を確認中だ。
同発電所の高田暁次長によると、福島第1原発事故の屋内退避圏(原発から半径20~30キロ)の外にあるため屋外作業が可能。「深刻なダメージはない。夏までに1基は動かしたい」と言う。
先の見えない施設もある。南相馬市原町区の東北電力原町火力発電所(2基計200万キロワット)は、被災直後から2基とも停止したままだ。 避難時に社員1人が死亡。油漏れによる火災も起きた。揚炭機全4機が破損し、8万トン級の石炭船も沈没した。保安要員を除き、全社員が退避している。
原町区は原発事故の屋内退避圏に当たる。復旧は進んでおらず「再開は未定」(東北電力)という。業界関係者からは「津波による被害は相当厳しい」との指摘もある。
広野町にある東京電力広野火力発電所(5基計380万キロワット)も屋内退避圏に含まれる。全基が停止中で、被害の確認作業すら行えない状況が続いている。(太楽裕克、加藤敦)
写真:津波の直撃で傾いた相馬共同火発新地発電所の揚炭機(奥)=福島県新地町