2006年 3月 30日 (木) 

       

■ 盛岡南サティあす閉店 入居テナント31店、それぞれに厳しい春

     
  31日に閉店する盛岡南サティ  
 
31日に閉店する盛岡南サティ
 
 

盛岡市三本柳の総合型スーパーの盛岡南サティ(鈴木和夫店長)が31日、27年間の営業に幕を閉じる。閉店後の建物活用は未定の状況。テナント31店の中には閉店後の対応が決まっていない店もある。周辺の店舗は、長年の顧客を考え、同じ場所に留まり、頑張り抜く姿勢も見せている経営者も。市内ではダイエー盛岡店に続く大型小売店の閉店で、雇用の問題も含めて地域経済に与える影響は小さくない。

 同店は79年にニチイ盛岡南店として開業。店舗面積は1万3千平方メートルで96年に現在の名称に変更した。売り上げは98年に70億円のピークに達したが、04年は40億円までダウン、1億5千万円の赤字を出した。

  昨年9月、同店経営の再生会社マイカル(本社大阪市、岡田元也管財人兼会長)が業績回復が難しい不採算店と判断、閉店を正式に発表した。その後、一方的な閉店通知に対抗して盛岡南サティ協友店会(道又和人会長、会員31店舗)が店舗継続を求める署名運動などに着手。マイカル側と話し合いも持ったが継続要望は受け入れられず、12月末で運動を終えた。

  同会副会長で衣料店のエフワン盛岡店の芳賀仁代表は「著名運動を展開してきたが聞き入れてもらなかった。残念。わたしの店はここ1店だが従業員もいる。生活がかかっている。閉店までもう1日。現在、ほかの場所を探しいる。良い場所が見つかれば良いが」と物件探しを今も続けている。

  盛岡市内で2店舗を経営する衣料店ローズタウンたまやの米澤隆夫社長は「盛岡サティ店は開業以来店を開けてきた。顧客も付いた。残念で仕方ない。サティ店の4人の従業員には大変申し訳ないが辞めてもらうことにした。どこかに良い場所があればまた店を開き、そのときは呼びたいと思っている」と肩を落としている。

  ほかに「当店を利用して旅行プランを決めた顧客ばかりだったのに。スタッフ4人は解雇となる。まだ次の職場を決めていない」(名鉄サービス盛岡南店)、「当店で飲食を楽しんでくれていた長年の客が多った。閉店間際なのにいつものようにお客がたくさん来てくれる。店はここだけ。閉店後はまだ考えていない」(飲食店あずまや)という声も。

  既に本宮に店を移転したり、近くの三本柳に場所を手当した店もある。サティの周辺の店舗では「当店のラーメンの味に対するファンが多い。閉めるわけにいかない。同じビル内の道路側に移転し頑張る。サティ跡の建物に何か入ることを期待したい」(ラーメン専門店桜園)、「サティ開業時にオープンした。店も土地も自分のもの。顧客もおりここから逃げるわけにいかない」(クスリのいわぶち)と同じ場所で営業する店も。

  盛岡南サティの従業員(パート・アルバイト含む)は約220人。マイカル広報担当は「テナントすべてとの交渉も終わり31日の閉店を待つだけ。従業員には就職先の面談を適宜行っている。閉店後の店舗の活用に関しては何も知らない」と話す。

  盛岡南サティの土地・建物の所有者は、みずほ信託銀行(池田輝彦社長)だが、信託財産受益者の資産管理会社の所在地は海外。土地・建物はマイカルが民事再生法の適用を受けており権利関係は複雑という。

  盛岡商工会議所都南地域運営協議会の高橋善躬会長は「盛岡南サティは都南の経済や文化に貢献してきた。当協議会として対応が必要だが権利関係などの複雑さもあり、なかなか対応できない。閉店後の動きに注視しながら都南地区全体の中で検討したい」と話している。

  盛岡市産業部の喜多正敏部長は「所有者とも話し合いを持ち、何らか形での依頼もしたが閉店後の建物の利用は未定の状態。今後も話し合いを持ちたい。いずれ閉店後に雇用問題が発生する。市としては関係団体と連携しながら支援の姿勢を続けたい」と話している。

  31日までの営業時間は午前9時から午後9時まで。31日は午後7時で閉店。


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