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[27284] 習作でARIA
Name: ヤルダバ◆c7be7aa7 ID:751ca440
Date: 2011/04/21 03:48
こんにちわでこんばんわでおはようございます。
はじめまして、お久しぶりと様々な挨拶をば。
かつてマブラヴオルタ板でヤルダバオトのあつーい話を書いていた者です。
完結させたとはいえ……少々、いやかなり自分的にも微妙に終わってしまったのが残念。
しかしそんなことはどうでもいい。
そう、もはや過ぎた事を気にしてはならないのです!

さて前置きは流していただきまして。
皆さま、ご存知でしょうか。
ヒーリングストーリーと呼ばれるARIAという漫画を。
今回はそれを未熟者ながらに小説として書いてみました。
賛否両論。こんなんARIAじゃない!
と言われるかもしれませんが、書いてしまったのです。
書いた物はどうしようと悩み、結局こちらへ投稿させていただこうと思いました。
見苦しいかもしれませんがどうぞ、暇潰しにでもなればと。
面白くなければブラウザのバックをクリックしてくださいませ。

突っ込みどころ満載かもしれませんが、どうか生温かい、もしくは白い目で見て行ってくださいませ。



感想掲示板で「その他に移動して」と言われたので「その他」に移動してみましたw
まさか隠れるように投稿したのにこんなに見つかるとは……。
驚きと同時に、とてもありがたい。
ただ、邪魔でしたら再び「チラシの裏」に逃げますのでご安心を。
……板の移動初めてなので、ドキドキしますね(ぁ



[27284] ARIA
Name: ヤルダバ◆c7be7aa7 ID:751ca440
Date: 2011/04/19 00:23

ARIA


 氷の職人さんが居る。彼らは四角い氷の塊から様々な物を作り出すことができる。例えば氷からペンギンを掘ったり、例えば花瓶とそこに咲く花を掘ることすらできる。
 そんな氷の職人たちが、この冬、ネオ・ヴェネツィアにやって来る事になった。
 そのニュースを、水無灯里は既にドキドキのワクワクで見つめていた。
「氷職人さん達は凄いですね、アリシアさん」
「そうね。こんな大きな氷を掘るなんて、大変でしょうに」
 地球<マンホーム>の中でも、特に特殊な部類に入るだろう人々。ハイテクな技術に囲まれた地球の合理性や効率化により美化されてしまった世界。そんな中でも、やはりある程度のレトロを楽しむ人間は少なくはない。そのレトロな技術の一つが、氷職人だ。
 ニュースには、そんな氷職人達の芸術を、このネオ・ヴェネツィアで披露するというもの。
「凄い楽しみです」
「うふふ。そうね、凄い楽しみだわ」
 場所はサン・マルコ広場。このネオ・ヴェネツィアで最も大きな広場で、一日か二日かけて掘り出すらしい。とても辛い作業だろうが、完成した時の達成感がたまらないと職人の一人がインタビューに答えていた。
 使う工具は様々だが、基本はノミとハンマー。特定の場所だけに使う工具もあるらしい。
「わあ、この人凄い。氷でにゃんこさんが三匹遊んでるように掘ってますよ」
「まあ。とても奇抜な発想をする人らしいわね」
「そうですねー」
 雑誌などほとんど見ない二人だが、今日は散歩の最中に偶然見つけた氷の雑誌。その拍子が綺麗な氷細工の写真だったのが運の尽き。灯里が購入し、会社に持ち帰り、アリア社長と見ているところへアリシアが帰宅し、現在に至るのだが、二人は気付いていなかった。後方の影に。
「灯里、何度も呼んでるんですけど?」
「アリシアさんも気付いてください」
「あ、藍華ちゃん、アリスちゃん、何時の間に」
「あら?」
 どんっと灯里の両肩に力強く両手が乗せられたのはその瞬間だった。ビクゥと肩を震わせて、灯里は後ろを見る。そこには何時もの面子とも言える二人が立っていた。
 アリシアも本当に気付いていなかったらしく、ごめんねと小さく謝る。それに対して、アリスは気にしていませんと答えておいた。
「さあ練習の時間よ! 行くわよ灯里!」
「わわわ、藍華ちゃん待って待って!」
 両肩に置いた手をそのままに引っ張って連れて行こうというのか、藍華は灯里を強引に引っ張る。椅子に座っている灯里はその瞬間に梃子の原理で何もできずに両手両足が宙に浮く。慌ててテーブルにしがみ付こうとするが、時既に遅し。
「のわぁ!?」
「うきゃぁ!」
 藍華は自分で引っ張って置いて止められずに、灯里の下敷きとなる。同時に灯里は後頭部を打ち、痛みに耐えながら床をゴロゴロ転がる。
 そんな二人を何をしているのかと冷めた目で見つめるアリス。あらあらといつもの調子でアリシアは藍華の上に乗った椅子を取り、灯里の後頭部を摩る。
「大丈夫?」
「は、はひ……痛い」
「ごめん灯里……引っ張りすぎた」
 お互いに痛い思いをした藍華と灯里は、あははと笑う。基本的に藍華が悪いのだが、既に二人の中ではお互いさまということになっているらしい。
 喧嘩などほとんどしない彼女らは、そんな仲である。
「さあ先輩方、練習に行きましょう」
「ちょ、ちょっとまって後輩ちゃん」
「も、もうちょっと待ってアリスちゃん」
 結構痛いのか、足を抱えたまま動けない藍華と後頭部を抑えたまま動けない灯里。二人とも涙目でアリスに訴えるような目を向ける。そんな二人を見て、さすがにアリスとて鬼ではない。小さくため息を吐いてから、仕方ないというように痛みが引くのを待つことにする。
 ふとテーブルの上に視線が行き、氷職人達の渾身の力作の載っているページをペラペラ捲る。すると、捲る度にアリスの瞳が僅かに開かれていく。
「あ、アリスちゃんも氷職人さんの作品にくぎ付けだー」
「でっかい綺麗です」
「あらあら」
 痛みに耐えながらも、アリスが自分と同じ物に興味を持ってくれたことが嬉しいのか、灯里が幾分か元気のある声を出す。それに対して短く返して、アリスは雑誌から目を離さない。
 そんなアリスの持つ雑誌に、ようやく痛みが治まって来た藍華が立ち上がる。そしてアリスの後ろから見て、おーっと声を上げる。
「綺麗。今度の休みにネオ・ヴェネツィアで大会を開催――なるほどね」
「灯里先輩の耳に、私達の声が入るわけがなかったみたいですね」
 サン・マルコ広場で数日間の大会を開催すると書かれた大きな見開き。なるほど灯里がワクワクドキドキしてこのことしか考えられなくなり、他の事が頭に入らなかったということだろう。それを理解して、藍華とアリスはこれでは仕方が無いというように、溜息を吐いた。
 少しでも素敵や綺麗な物、可愛い物から変な物までなんでも興味を持てば進んでがっつき、楽しむ女の子。それが水無灯里という少女であり、そう言う物が絡むとほぼ何も聞かないし聞いていないのが彼女だ。
「エヘヘ。ついつい楽しみになっちゃって」
「妄想が凄かったのだと思います」
「そうね、きっとそうね」
「あらあら」
 呆れたような、いつものことだというような、そんな感じで藍華はアリスの言葉に答える。そんな二人に照れながらえへへーと笑う灯里を、アリシアは何時も通りアリア社長を抱き上げながら灯里の隣で微笑む。
「すみませーん」
「あら、お客様」
 そんな午後のまったりタイムも終りのように、ARIAカンパニーに声が響く。その声に反応するのはアリシアで、素早く仕事モードへ。
「それじゃあ灯里ちゃん、練習がんばって」
「はい。アリシアさんも頑張ってください」
 痛みが治まった灯里は元気良く答えて、アリア社長と一緒に手を振る。
「では、私たちも行きましょう」
「そうね。じゃあ今日は灯里から」
「うん、まかせてー」
「ぷいぷいー!」
 雑誌をテーブルの上に置き、三人と一匹も行動を開始する。
 何時もの合同練習。場所はネオ・ヴェネツィアの水路。いつもの日常だが、なんだか今日は素敵な出会いがありそうだと、灯里はニコニコ笑顔でゴンドラへ向かう。
 水の惑星AQUAで、果たして氷の芸術はいかなる素敵を運んで来てくれるのか。それが、彼女はもうたまらなくワクワクで、待ちきれないらしい。しかし大会開催まであと一日だ。藍華もアリスも、些か灯里のことだけを言う事は出来ない。やはり、二人もドキドキしているからだ。
「いざ、今日の出会いへ!」
「違うでしょ!?」
「灯里先輩、でっかいハイテンションです」
「ぷいにゅー!」
 灯里の見当違い、もとい目的の違いに思わず全力で突っ込みを入れる藍華。しかしそんな事はお構い無しに灯里とアリア社長はゴンドラの上でどこか判らない方向に指を指す。
 そしてゆっくりと、本日の合同練習が始まった。



「ほくほく~」
「で、なんで早速さぼってるわけ?」
「美味しいですね~」
「ぷいにゅ~」
 始まった合同練習は、あまりの寒さに即悲鳴を上げ始めた灯里に対し、アリスがとある提案したために開始15分ほどで休憩タイムに突入していた。
 そこは街の中でもゴンドラでなければ少々遠回りをしなければ辿り着けない、じゃがバター屋である。大きなジャガイモにバターを乗せただけの至極単純な食べ物。しかし熱々のジャガイモに溶けるバターを絡めて食べるその単純な食べ物はとても美味しいので、三人のお気に入りである。勿論、アリア社長も良く食べる。
 問題は、ただあまりにも早い休憩だということ。
「午後2時といえば日中でも気温が高いはずなのに~」
「今日は寒いですね……」
「……今日くらいペアに……」
「灯里、プライドを捨てない」
 あまりの寒さにか、アリスの両手袋<ペア>を見て、自分の手を見てから問題発言をする灯里。すかさず止めるように言う藍華だが、気持ちはわからないでもないので強くは言えない。
 ホクホクとじゃがバターを食べながら、しばしのあったまりタイムをして、水筒に入れておいたホットティーを出して暖まる。ほふーと身体の中から感じる暖かい感覚に、少しこそばゆいと灯里が呟いた。三人と一匹のティータイム。いつもの休憩。
「さあ、そろそろ行きましょうか」
「うん」
 じゃがバターを食べ終えた藍華が提案すると、残りの二人も食べ終えてやる気を復活させる。
 後片付けをしてからゴンドラの方へと戻り、再び灯里がオールを持った。
「今日はネオ・ヴェネツィアの水路で良いよね」
 ゴンドラを漕ぎだして、同時に藍華に問う。すると藍華は膨れたお腹を他人から見えないようにしながら摩りながら答える。
「そうねー」
 結構、ゆるい返事だった。
「アリア社長……でっかいヌクヌクですね」
「ぷい!」
 ぎゅーっとアリスはさきほどまで一緒にじゃがバターを食べていたアリア社長を抱き締めている。猫はやはり暖かい毛皮を持っているので暖かいようだ。
 灯里はそんな一人と一匹を見て微笑むと、サン・マルコ広場の方面へと動きはじめる。氷の芸術大会の明日の準備をしているはずなので、もしかしたら大きな氷があるかもしれないと思ったからだ。滅多に見られないだろうそれを、少しくらいなら見ても良いよねと思うのは至極当然というものだ。
 しかし、提案はしない。驚かせてやりたいからだ。
「灯里、どこ向かってる?」
「……」
 藍華の問いの、灯里は答えない。返事が無い事に視線を灯里に向けると、素敵タイムに入っている灯里の様子を見て藍華も、アリスも、アリア社長すらも理解した。明日の氷の芸術を考えているなと。
「……サン・マルコ広場に向かうのは良いけど、あまり近づいちゃ駄目よ」
「え!? 藍華ちゃんなんで判ったの!?」
「むしろ判らないのは灯里先輩だけです」
「ぷいにゅ」
 なぜっ!? と灯里が謎を突きとめようと考えようとするが、不意に大型の船がゴンドラの前方を通るのを見つける。灯里はオールを動かしてブレーキをかけ、同時にゴンドラの向きを少し斜めにする。
「あ」
 大型の船などあまり通らないネオ・ヴェネツィア付近の海。そこを通るとなれば当然理由が必要なのだが、灯里はその船の上に乗っている巨大な、そう、とても巨大な氷がいくつもあるのを見つける。
 四角い氷、細長い氷、縦に長い氷。形は様々だが、その大きさは灯里達の乗るゴンドラほどに大きい。
『――――』
 息を呑む三人。氷は、太陽の光を屈折させて様々な色を出していた。時に曲がり、時に動き、まるで生きているように光が動く。いくつもの氷の中で何度も屈折しているせいか、船の上の氷はキラキラと輝いていた。
 ボォーっと、船が汽笛を鳴らす。大型の船ならではの音に、灯里はうわーっと声を上げた。それは驚きの声でも、怖いから出る声でもない。初めて見た大きな氷と、その氷から出る綺麗な輝き、そして船から鳴る汽笛に、灯里は嬉しくて声を上げたのだ。
「まるで、これから起きる芸術大会の前に、船の上の氷と光がワルツを踊ってるみたい」
 揺られる船の上。氷の中で光がクルクルクルクル、確かにワルツを踊っているように見える。藍華もいつもの台詞を忘れて見入っていた。
 そして灯里達のゴンドラの前を通り過ぎ、サン・マルコ広場への方向に向かう船。
 こうなっては、もう行かないわけにはいかない。しかしこれからあの氷を降ろす作業があるはずなので、邪魔にならないだろうかと灯里は思う。
「明日の大会をでっかいワクワクで見るために、今日は我慢しませんか?」
「――それだ!」
 アリスの提案に、灯里はビシッとアリスを指差して叫ぶ。それに対してビクッと震えるアリスだが、灯里にはアリスの気持ちが伝わったようだ。
 今を我慢して、明日を全力で楽しむ。
「それに、今行ったら邪魔になりそうだしね」
「うん。それじゃあサン・マルコ広場は止めとこう」
「じゃあ、今日は水路を適当に動きまわりましょう」
『賛成』
「ぷいにゅ~」
 灯里達はサン・マルコ広場を諦めて、いつもの水上練習区間を動きまわることにする。
今は我慢と、灯里は心の中で自分の好奇心を全力で抑えるという、彼女にとってはとても大変な事をしていたりする。



「なあ、そこの水先案内人<ウンディーネ>さん!」
「はひ?」
 水上をスイーッと走り、小さな橋の下を潜ろうとした時、上から声をかけられて灯里は頭に?マークを浮かべながら見上げた。
 そこには20代後半くらいだろう若い男性がおり、見た目寒そうなツナギの上にジャンパーを着た男性が立っていた。
「この辺で革製の袋を見なかったか!?」
「?」
 男性の問いに、灯里は藍華を、アリスを見る。お互いに視線を合わせてアイコンタクトするが、全員が首を横に振るう。
「すみません、見ていません」
「そうか……申し訳ない、邪魔をした」
「いえ」
 そうだよなー、ないよなーと呟きながら項垂れる男性。何か相当重要な物でも入っているのか、大切な物でも入っているのか、その落胆ぶりに灯里は思わずうんっと一度頷いてから問い掛ける。
「あの、どんな革袋ですか?」
「ん? ああ、かなり長い間使ってるからな……そうだな、特徴と言えば袋の端っこに俺の血の染みが付いてるってことくらいで、なんの変哲もない革袋だ」
「血って……職人さん?」
 袋に血が付くってことは、手に怪我をしたために付いた物だと思いながら、藍華は灯里より先に問い掛ける。すると男性はコクリと頷いた。
「ああ、明日の氷大会でどうしても必要なんだ。あの中には、俺の大事な工具が入ってる」
「ということは、結構大きいんですよね?」
 男性の言葉にピクリと反応したアリスが更に問い掛ける。その言葉に、再び男性は頷いた。
「そうだな、大きさは……そこの猫と同じくらいかな」
「アリア社長くらいの大きさ……それなら判りそうなもんね」
「……大きさ的には無くすようなものではないように見えますが」
「うっかりしてたんだよ。まさかアクアに来て氷を掘れるなんて思わなくて、年甲斐も無くはしゃいじまったんだ。そしたら気付いたら袋が無くてな」
 三人が、結構天然さんなのかと心の中で思いながらも、顔を見合わせてニコッと笑みを浮かべる。
「アクアは、気に入っていただけましたか?」
「勿論だ。一度は来たいと思っていたし、付くと同時に制作意欲を突かれてな。もっと楽しみたいんだが……いかんせん、工具を無くしたのはまずい」
 誰かに持っていかれたのか、もしくは捨てられたのかなと男性がキョロキョロしながら呟く。しかし男性の言葉から推測するに明らかに今日、それもさきほど辿り着いた感じだ。ネオ・ヴェネツィアに来た人は出鱈目に動くと必ず迷ってしまうほどに複雑な街だ。となれば、ここは灯里達の出番だろう。
「私たちも、ご一緒にお探しします」
「職人、工具、そして明日の大会ってことは」
「氷職人さんでまちがいないと思います」
 灯里の言葉に、藍華とアリスは推測を立てる。となれば、彼の工具がなければ一つの氷細工が作られないということになってしまう。それだけはなんとしても避けたい。
 二人も真剣な眼差しで、男性を見つめる。灯里に至ってはもう決定事項のようだ。
「ホントか? 申し訳ないが……正直ここがどこだかもわからん。ウンディーネさんに手助けしてもらえるなら心強いよ」
「藍華ちゃん、お兄さんを乗せちゃって良いと思う?」
「……半人前である以上乗せることは難しいわね……」
「では、友達ということで」
「おお、俺たちはもう友達だ!」
 何時の間にやら橋の上から移動し、横の岸に移動していた男性が叫ぶ。偶然にも船着き場がある橋の上だったので、運良くその場で乗れる位置に居た。
 三人は再び顔を見合わせて、うんと頷く。
「じゃあどうぞ」
「ありがとう。うおっと」
 灯里がゴンドラをギリギリまで寄せて、手を出して男性をゴンドラの上に誘う。男性はゆっくりと乗り込み、やはり少し不安定な上に驚く。
 灯里は差し出した手の平に、男性の職人の手と思われる手の平を触って、そのゴツゴツとした手に驚いた。間違いなく、職人の手だ。ならば今からやることはただ一つ。
「革袋を探して、レッツゴー!」
 おーっと声の上がるゴンドラ。再びスイーッと動きだしてから、藍華は男性に問い掛ける。
「それで、どの辺りに行ったか憶えてる?」
「それがな、全然わからんのだ」
「走り回るとどこがどこだか判りませんからね、この街」
 地元民ですら時々判らなくなる街だ。地球から来た人にとっては判る判らないの問題以前に、場所を把握しきれないはずだ。地図を片手に歩いても判らないことも多々ある。
「じゃあ、聞き込み調査だね」
「……もしかしたら、悪戯で捨てられたかな」
 うーっと少し暗くなりながら、男性が呟く。だがその男性の心配だけは、おそらくはない。
『それは無いです』
 だから、三人は声を合わせてまで、その男性の考えを否定した。男性はどういう意味かと顔を上げると、そこには三人の笑顔がある。
「この街の人達は、優しい人ばかりです」
「落ちてる物は勝手に持ち運んだりしません」
「ほぼ確実に警察の手に届きます」
 どこかに本当に消えることは、むしろ稀ですと三人は強調する。この街が好きで、この街の人々を信じて疑わない少女達三人。そんな三人に、男性は釣られて笑みを浮かべた。
「そっか……じゃ、頼むぜお嬢さんたち」
「ぷいにゅ」
「お、変な鳴き方するんだなお前」
 ヒョコヒョコと男性の膝の上に移動するアリア社長。そんな火星猫の鳴き声を聞いて、男性はクックックと笑いながらその腹を撫でる。おお、と小さな声が出た。
 そんな男性を見て、灯里はあっと声を上げた。
「あの、私水無灯里って言います」
「私は藍華・S・グランチェスタ」
「アリス・キャロルです」
「そういえば自己紹介して無かったな。俺は荒井だ。須藤荒井。よろしく」
『よろしく』
「で、こっちの猫は?」
「アリア社長です」
「ほほう。そうか、お前社長か。水色の瞳ってわけだな」
 アリア社長の両手を掴んでヒョイッと持ち上げる荒井。ぷいっと声が上がるアリア社長。面白いなこいつと、荒井の瞳が光る。
「うりゃうりゃ」
「ぷぷぷいにゅ~!」
 膝の上に降ろして、その軟らかい腹をグリングリンと動かし始める。アリア社長が逃げようとするが、そう簡単には逃がさない。荒井はおもしれーと言いながらお腹で遊ぶ。
 そんな彼をクスクスと笑いながら見てる三人。そこに声がかかる。
「灯里ちゃーん、こんな寒い中お疲れ様だね。どうだい暖かい紅茶でも?」
「あ、おばさーん。ごめんなさい、今日はちょっと。ところで一つ聞いても良いですか?」
「ん? なんだい?」
「この辺りで革製の袋を見かけませんでした? 赤い染みが付いてるらしいんですが」
 道を行くおばちゃんに声をかけらえて、灯里はまるで昔ながらの友達のように話をする。しかし、アリスも藍華も見た事が無いおばちゃんである。もちろん荒井は知るわけも無い。
 誰にでも聞いてみようというのか、灯里の問いに、しかしおばちゃんは首を横に振った。
「ごめんね、見てないね」
「そうですか、ありがとうございます。今度紅茶飲ませてください」
「あいよ~、いつでも来てね」
「はひ!」
 細い水路の短い陸地の上からのおばちゃんでした。普通に通りすがりだというのに、かなりの会話の量である。
 そしてそのまま水路を進んでいくと、
「灯里ちゃーん、今日は男の人とお出かけかい」
「はーい。あ、おじさんおっきな荷物ですねー」
「おー、今日は明日の大会があるからな、今準備してるんだ」
「明日の大会に使う備品なんですね」
「おうとも」
「重そうですねー……あ、ところでおじさん。革製の袋を見ませんでした?」
「ん? 革製の袋?」
「はい、赤い染みが付いてるんですけど」
「んにゃ、見てないねぇ」
「そうですか、ありがとうございます。準備頑張ってください」
「おうさ。おじさん頑張るから、灯里ちゃんは明日見に来てね」
「勿論!」
 手を振ってお互いに去って行く。まるでそれが極普通のように灯里は再びゴンドラを漕ぎ始める。
 それから角を曲がる度に声をかけられ、真っ直ぐに長い道の上でも声をかけられ、果てには藍華、アリスが知らないオレンジぷらねっと、姫屋の人にまで声をかけられる始末。
 呆然と、藍華、アリス、荒井は見ていることしかできない。灯里が居ればどんなものでも見つかるのではないか、そう思えてならない。
しかしやはり目撃例はない。
「灯里……あんた更に知り合い増えてない?」
「まさかオレンジぷらねっとや姫屋の人にまで知り合いが居るとは思いませんでした」
「街中全員知り合いか……」
「エヘヘー。この街が大好きですから」
 満面の笑顔。それは灯里の心からの本当の笑顔だ。一点の曇りも無いその笑顔に、この場に居る誰一人として何かを言う者はいない。ただ、見ている側が呆れるほどの笑みというのは、そうそう見れる物ではないだろう。
「凄いな灯里ちゃん。俺地球でもここまで街中に知り合いいないぞ」
「私も地球では多分、普通ですよ。でもこの街は素敵な物が多すぎて……思わず声をかけたりしちゃうんです」
 灯里の言葉に、藍華達は苦笑するしかない。
「そうか……声をかける達人か、君は」
「人から教えて貰う素敵も沢山ありますので」
「あんたはなんでも素敵でしょうが」
 藍華の短い突っ込みもなんのその。灯里はエヘヘーと微笑む。



 しかし、驚くのはここからだった。灯里が様々な人に話しかけ、話しかけられ、広がった輪。それはいつしか色々な人に話が流れ、現在灯里が工具の入った革製の袋を探しているという話が一定の人々に流れていた。
 それを勿論知らない灯里達は、それでも尚道行く人に問い掛ける。
 時刻は午後5時。少し小腹も空いてきたところで、藍華が少し休憩をしようと提案する。勿論それは賛成なので、灯里達は視界の端に入った喫茶店に入る事にする。もちろん、新しい出会いがあるかもしれないという灯里の提案である。
 そんな彼女の純粋すぎる希望に、誰も逆らえない。
「こんにちわー」
 お店の中に入り、灯里は元気良く挨拶する。その後ろで、残りの三人と一匹も挨拶をする。
「おや灯里ちゃん。いらっしゃい」
「あれ? おばさんここの人だったんですかー!?」
 それは、さきほど声をかけて来た人の一人のおばさん。エプロン姿でトレイを持ち、カップとケーキが乗せてある。おばさんはちょっと待ってねと言って一つのテーブルへ。
 二つを置いて戻ってくると、おばさんはとりあえず空いてるテーブルに案内してくれる。
「それじゃあ、注文は後で取りに来るからね」
「はい。あ、オススメとかあります?」
「当店オススメはちょっと甘いカフェモカとちょっと苦味のあるケーキだよ」
「へー、普通と逆なんですね」
「ええ、そこがウチの売りなのよ。普通じゃつまらないからって」
 また不思議なお店である。普通ならば甘いケーキに対して少し苦いコーヒーだろう。しかしそこを少し捻り、わざわざ甘めのコーヒーであるカフェモカと、少し苦めのケーキ。とはいえコーヒーである以上、カフェモカとて少しは苦味がある。
 はたしてどんな味なのか、灯里はドキドキしながらオススメの品を頼む。勿論、藍華とアリスも一緒のモノで、荒井もそうだ。
 しばし、注文をしてから待つと、運ばれて来たのはビターチョコレートのケーキとカフェモカである。カフェモカにもチョコレートソースのようなものが掛けられ、実に美味しそうだ。
「はいどうぞ」
「わぁー」
 どちらもチョコレートで甘いはずなのに、苦い部類にされる食べ物。その矛盾した摩訶不思議な食べ物に、灯里は感嘆の声を漏らす。
 そして早速一口ケーキを食べる三人。
「苦いけど……」
「スポンジが甘くて……」
「絶妙です……」
 そっちで味を調整するのかと、三人は衝撃を受ける。そしてカフェモカのチョコレートを溶かすように掻き混ぜて、泡とチョコが混じった色になったところで一口。口の中に最初に甘い味が広がり、後味のように苦味が来る。苦味と甘味の絶妙な味付けだった。
『美味しい!』
「気に入ってくれたかい?」
「最高です!」
 街の素敵を一つ発見したような、そんな気分。灯里は落ち着いた喫茶店を見渡して、綺麗な内装とのんびりしているお客さんを見てから、再び視線を自分のケーキとカフェモカに向ける。
 時々、灯里はまったりモード全開で居られる場所を探す。その一つに、この喫茶店も入るようだ。
「うむ、すげぇ美味い」
『はふー』
「ぷいにゅー」
 ケーキとカフェモカを一気に喰い尽くした荒井が最後に一言。そして三人の綻ぶ顔を見て、クックックと笑う。
「可愛い女の子三人と喫茶店か……なんだかハーレムみたいで気分がいいな」
「……」
 ニッと三人を眺めるように見ながら言った荒井の言葉に、三人とも顔を少し赤らめて下を向く。可愛いと言われて嬉しく無い女の子はいないだろう。
 そんな時だ。店の扉が開き、一人の少年が入って来る。元気一杯の10歳前後ほどの少年だろうか。左手にサッカーボールを持ち、右手に袋を持っている。
「おかーさーん、こんなの見つけたんだけど」
「おかえり……って、あら、それもしかして」
 モグモグと食べながら灯里はその少年とおばさんを見つめる。どうやら息子さんのようだ。
「なんか、街の人が言うに灯里って人が探してるとかないとか」
「? あんた灯里ちゃんの名前なんで知って……」
 灯里は自分の名前が少年から出た事に僅か疑問に思いつつ首を傾げると、おばさんは息子さんから荷物を受け取り、それを灯里達に向けて一言。
「灯里ちゃん、もしかして探し物はこれかい?」
『――――っ!』
 ケーキを口に運んだ状態のまま、三人が目を見開く。同時に荒井ががたんと立ち上がった。
「あぁぁあああー! 俺の工具袋!」
 口の中に残っていたケーキを飲み込む前に、荒井が駆け出す。おばさんから袋を受け取ると、ズシッとした重量と金属同士が当たる音が響いた。荒井が中身を確認すると、その中にはハンマーからノミ、ドリルにナイフ、様々な工具が入っている。物騒なものではあるが、彼にとっては大切な特殊工具達だろう。
 後ろから工具を確認する荒井の手の中を覗き込んで、灯里達は微笑む。
「良かったですね、見つかって」
「ああ、本当にありがとう灯里ちゃん! 藍華ちゃん、アリスちゃん! アリア社長!」
 ぷいにゅっとブイサインを出すアリア社長。灯里は笑みを返して、藍華とアリスは手をテーブルの上から振るう。
 ようやく見つかった革袋を握り締めて、荒井は少年の頭をグリグリと強めに撫で回す。
「ありがとな少年! 助かったよ!」
「お兄さんのだったんだ?」
「ああ。お礼に、明日の大会楽しみにしてろよ? 俺のとっておきを見せてやるからな!」
「明日の大会だって? もしかしてあんた、氷職人さんかい」
「そうだ。俺は明日の大会の参加者だ」
「そうかい。それじゃあ楽しみにしているよ。何番だい?」
「俺は6番の氷を掘ってる。灯里ちゃん達も、見に来てくれよ?」
「勿論です!」
 二カッと笑い、自分の分のケーキとカフェモカの金額を置いて、荒井は走って店を後にする。
 残された灯里達はお互いに視線を合わせてクスクスと笑う。大人の男性のような静かな人だったと思えば、探し物が見つかった途端に少年のように顔を輝かせた。本当に大事な工具で、氷を掘るのが本当に大好きなんだと、灯里は感じられた。
「灯里ちゃん、その顔は誰が見てもワクワクしちゃう笑顔だね」
「はひ、すっごく楽しみです」
 あっはっはと笑うおばさんと、そのおばさんに背中をバンバンと叩かれる灯里。
「全く、可愛い笑顔だよ!」
「い、痛いですおばさん」
 くーなんて言いながら今度は灯里の頭をグリグリと撫でるおばさん。その動きはまるで、娘と一緒に居るかのようだ。
 少年はしばし呆然としてから、家の中へと戻って行く。しかし直ぐにサッカーボールを置いて、走って店の奥から出て来た。そして凄い勢いでそのまま外へと駆けて行く。果たしてどこへ行くのか。
 灯里はおばさんから解放されると、藍華達の元へと戻って来る。
「良かったわね、見つかって」
「まさかのまさかですね」
「でも、どうしてあの息子さん、灯里先輩の名前を知ってたんでしょうか」
「きっと、色々な人に流れたのよ。あれだけの人に話たり聞いたりすれば、そりゃ何時の間にか話も広がるわよ」
 藍華とアリスの言葉に、灯里は少し頬を赤く染める。
 まさか、と心の中で思いながらも、灯里達もケーキと食べカフェモカを飲み干し、代金を払って店を出る。
「灯里……あんたは、もしかしたらこの街の中心に成り得る人物かもね」
 そう、唐突に藍華が言った。その言葉にえっと声を上げてから藍華の見ている方を見ると、灯里が声をかけた人、声をかけられた人が、ゴンドラに乗って「赤い染みの付いた革袋を知らないか」と街中に聞いていた。しかも乗せているのは灯里が話しかけたとあるおじさんのゴンドラだった。
「灯里先輩、もう見つかったって教えないと」
「そ、そうだね!」
 アリスの言葉に、灯里は慌てる。アリア社長がゴンドラに乗り、藍華とアリスが乗ると同時に、灯里は素早くゴンドラを動かす。そして元気一杯に声を張り上げた。
 それから数十分、灯里の言葉によって集まった一部の人々は、何故か灯里に感謝して去って行く。ゴンドラに乗っていた人達はそれぞれ帰路に付き、ゴンドラのおじさんも帰って行く。
 藍華とアリスも灯里に帰る事を提案し、明日の合同練習の時間は大会までと話し合ってから、別れる。
 そしてARIAカンパニーに戻った灯里は、その日はドキドキワクワクで、眠るのが少し遅れてしまったのだった。



 翌日。ゴンドラでの合同練習は終り、氷の芸術大会が開かれた。だが、どうやら昨日の夕方から既に開始していたらしく、夕方に終わるように設定していたらしい。
 その大会が終わったのは、灯里達が練習を終えてサン・マルコ広場へと辿り着いてから、約1時間後だった。ほとんど完成したところからしか見れなかった三人は少し残念に思ったが、そんな気持など吹き飛ばすほどに見事な、とても見事な氷の芸術達が、そこに居た。
 氷で造られた、いくつもの動物達。鳥に猫に、存在はしないが認知度は高い幻想の存在、フェニックスやドラゴン、それから火星猫やAQUAが舞台ということでケットシーを掘った人も居た。
 完成された氷は一般公開され、当然しばしの間全てを見て回る時間がある。それを投票により勝者を決めるというものだが、灯里は正直言って決めかねていた。
 藍華、アリス、灯里の三人は勿論の事、この時間はウンディーネ業もしばしの休憩。大会や祭りは、街の人総出で楽しむから、仕事が一時的に中断されるのだ。
 だから、三人の傍にはアリシア、晃、アテナも居たのだが、やはり三人も決めかねていた。
「どれもこれも素晴らしいわ」
「うむむ……これのどれかを選べと言うのか……」
「凄いリアル……」
 あまりにも出来の良い氷の芸術というものに、水の三大妖精とはいえ唖然としていた。19歳の女性とはいえ、やはり女の子である以上、綺麗な物や可愛い物には目が無く、あっちをこっちを見て回る三人。
 何時の間にやら、それぞれが別々に見て回る事になっており、投票次第サン・マルコ広場の二本の柱の間に集合ということになっていた。
 灯里は、とりあえず15番の人から見て回り、ゆっくりと眺めては次へ、眺めては次へと繰り返していた。
 15個ものチーム。彼らが作り上げた動物たちは間違いなく素晴らしい出来だった。中には夕方に審査になるということを考慮して、夕焼けになるとその真価を発揮するという出鱈目な計算の上にできた氷の芸術までもがあった。
 本当に綺麗で、素敵で、どれを選べば良いのか本当に困り始めていた灯里。
「あは」
 しかし、あまりにも贅沢なその悩みに、彼女は笑う。氷の芸術達に囲まれたサン・マルコ広場。その中に立っていられる自分が、とても幸せな気分だった。
 その中で、ついに6番目を見る。そこで、灯里は目を見開いた。そこにあったのは、一隻のゴンドラ。だが間違えてはいけない。それは紛れも無く氷で造られ、そのゴンドラには誰がどう見てもアリア社長と思われる火星猫が、これまた氷で掘られているのだ。
「――」
 言葉を失う灯里。その先端の形状は、紛れも無く灯里のゴンドラと瓜二つ。そしてゴンドラの横には、本物のゴンドラにはない「ARIA COMPANY」の文字。
 唖然と、灯里はそのゴンドラを見つめる。
「お、灯里ちゃん。どうだい、このゴンドラは君のゴンドラを掘らせて貰ったんだが」
「あ、荒井さん……」
 悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、荒井は自分の作品を前に灯里の横に立つ。灯里は何を言えば良いのかパクパクと口を動かしたまま、目を見開いて固まっている。
「おお、驚いてる驚いてる。だが驚くのはまだ早い。これは完成じゃないんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。っと、悪いな親方が呼んでる。灯里ちゃん、大会の審査が終わり次第頼みがある。サン・マルコ広場の二柱の間に居てくれるかい?」
「え、あ、はひ」
 目をぱちくりぱちくりさせながら、灯里は6番エリアの周りから人がゆっくりと離れるのを感じ取る。いや、どうやらサン・マルコ広場が動きだしたようだ。審査時間の終わりらしい。灯里は慌てて5から1のチームの作品も見て、最終的にどれが一番良かったかを考える。
 だが――思い浮かぶのは6番。まるで灯里のために造られたようなあのゴンドラに、投票しないわけにはいかなかった。
 投票箱の6番にカードを入れて、灯里の投票権は終り。それから少し氷のゴンドラを思い出して、ニヘラっと顔が緩む。止められない灯里は、その笑顔のまま二柱の間へ移動する。
「あ、ほら後輩ちゃん、やっぱり満面の笑みよあの子」
「でっかい予想的中ですね」
 そんな事を言いながら、藍華とアリスも笑みが浮いている。その後ろに居る三人も物凄い笑顔だ。
「灯里ちゃん、良い笑顔だね」
「やっぱり、あのゴンドラは灯里ちゃんのだよね」
 晃とアテナもまた、予想通りという笑顔を浮かべていた。
「灯里ちゃん、もしかして昨日言ってた荒井さんって」
「あ、はい。6番の……」
「それならそうと教えて頂戴。私、何事かと思ってビックリしたわ」
「す、すみませんアリシアさん」
「ううん。とても素敵な物を作って貰って……良かったわね、灯里ちゃん」
「――っはひ」
 満面の笑みのアリシアに負けないほどの満面の笑み。
 そして、サン・マルコ広場にマイクの声が響き渡る。最初に演説。それから参加者のチームの紹介、そして投票結果。一位は見事な火の鳥、不死鳥とも呼ばれるフェニックスを作り出したチーム。その後にケット・シー。その次に猫達だ。三位は一票差で決まったらしく、フェニックスは圧倒的だったようだ。
 優勝チームが「1」と書かれた場所に立ち、2、3と続く。そして閉会式が始まろうとした、その時だ。
 ――荒井という男は奇抜な発想の持ち主。そう、チーム紹介の中で言われていたのだが、どうやらその奇抜な発想というのは今大会にも使われていたらしい。
「さあ、公式の場はこれで終わりだ! ここからは俺の感謝を込めたサプライズだ!」
 マイクを一本借りて叫び始めたのは、荒井だ。同時にどこからともなく、大型のプールが運ばれて来る。そのプールの上には、何時の間に置かれていたのか氷のゴンドラが浮いていた。
 もちろん、それは先ほど6番で見た氷のゴンドラ。「ARIA COMPANY」の文字がしっかりと、この夕焼けの世界に映っている。
「俺の作品はこれだけじゃぁない! 灯里ちゃん、こちらへ!」
「へ?」
 ビクリと、灯里が頬を引き攣らせて固まる。だがニヤリと笑う小悪魔二人。晃と藍華だ。しかし勿論アリシアも混ざり、灯里の背中をグイッと押す。
「わ、わ、わ!?」
 藍華と晃、そしてアリシアに押されて、さきほどまで今大会の勝者達が立っていた場所に、灯里が無理矢理に押し出される。緊張にガチンゴチンになっている灯里は、完全に笑みが固まっていた。
「これが俺からの感謝だ、灯里ちゃん。これを足底に付けて」
 マイクを通さず、荒井が灯里の横に立ってニヤリと笑う。それは本当の悪戯っ子の笑みだった。
 灯里はとりあえず、言われた通りに足元にあったテープを踏む。一見なんの変哲もないが、どうやらそれは滑り止め加工を靴の裏にする物だったらしく、灯里はまさかと目の前のゴンドラを見る。
 巨大なプール、その上にある氷のゴンドラと、氷で造られたアリア社長――と思えば、姿を見なかった本物のアリア社長が既にソコに居た。
「あ、あの私は――」
「さあ、乗った乗った!」
 グイッと引っ張られて、灯里は諦める事にする。仕方が無いので、灯里は足を出す。ドキドキしながらその氷に足を置く。滑り止めの効果は絶大のようで、靴はガッチリと氷の芸術をキャッチする。
 そして、えいやっと灯里はそのゴンドラの上に。
「――あはっ」
 その瞬間、氷の船は灯里をしっかりと受け止め、同時にオレンジ色に焼ける世界を彼女にプレゼントした。
「凄い、本当に氷の船――」
「まだまだぁ! 行くぞおめーら!」
『ぉぉおお!!』
「へ?」
「ぷいにゅ?」
 灯里が船の上に乗り、バランスを取ってしっかりと乗った事を確認するや否や、荒井が吼える。同時に、何時の間に準備していたのか大会参加者である全員が、彼の今やろうとしている事に力を貸していた。
 何事と思った瞬間、乗っていたプールが動き始める。同時にポーンと投げられて来たオールを、灯里は反射的に掴み、バランスを取り始める。
 向かう先は――お客さん達が道を開く先、海だ。
「はわわわわわわわ!?」
「ぷぷぷぷいにゅー!?」
 かなりの勢いで押されている灯里の乗るゴンドラの乗るプール。移動式だったのはさっき見ていたから判ってはいるが、この状況でこの先は――まずいのではないか。
 後ろを見ると、さすがにこの状況は理解できなかったのか、藍華や晃すらも唖然としている。というよりも、街の人々全員が唖然としていた。
「これが――」
 ガコンッとゴンドラの入っているプールが落ちる。その真下には、確か船着き場があったはずだ。慌てて下を見ると、そこには何時の間に撤去されたのか何も無かった。
 だがプールが落ちると言う事は勿論、氷のゴンドラも落ちる事になる。
 口を開けたまま、灯里とアリア社長は悲鳴も上げられない。
「俺の――」
 だが次の瞬間、灯里を乗せたまま海へダイブするのかと思われたゴンドラは、唐突に横から光りの翼を広げた。それは、地球の技術。このアクアという星ではあまり使われない、便利な技術だ。
「本当の作品――」
 空を、浮かぶ。氷のゴンドラは灯里を乗せたまま、ゆっくりと空へと浮かんだ。
 何が起こっているのかさっぱり分からない灯里は、しかし下を見て、前を見て、後ろを見て――唖然としていた表情がどんどん笑顔に変わって行く。
「蒼い星のウンディーネだぁ!」
 荒井が叫んだ、刹那。蒼い照明が、灯里を照らす。惜しみなく使われる本来の技術。空飛ぶ光の翼、蒼い光を放つスポットライト。そして――日が沈み、夕焼けとなった空を浮かぶ、蒼い光を放つゴンドラ。それに乗るウンディーネである灯里は、まさに蒼い星のウンディーネだ。
 うぉおおおおおっと、ネオ・ヴェネツィア中の人々が叫び始める。どうやら本当のクライマックスはここだったらしい。大会はまだまだ続いている、いや祭りはまだまだ続いているのだと、街が叫んでいた。
「ぷいにゅー!」
「気持ち良い――アリア社長、私達今、精霊さんになってます!」
 オレンジ色の空を、滑空するように飛ぶ氷の船。その上で、灯里は叫んだのだった。



 それから約数分後に、灯里は船の上にあるレバーを発見。それを操作すると光りの翼が動き、船の方向が変わる。その向きをサン・マルコ広場に向けて、灯里はしばし空の旅を満喫した。それからゆっくりと高度が下がり、光の翼が消えはじめる。どうやら充電切れのようで、ゆっくりと下降していった。
 そうして海へと辿り着いた氷のゴンドラは、今度こそ本当に灯里の手によって海を動き始める。
 海底が見れる氷の船。その上で、灯里は魚と一緒に泳いでいる気分にすらなって、気付けばサン・マルコ広場の船着き場に辿り着いていた。
 そこでアリシアに抱き締められ、藍華、アリス、晃、アテナに褒められる。感極まった灯里もまた、アリシアに抱き締め返し、凄く素敵だったということをひたすらに教えたのだった。
 それから数時間後には、大会も終り、完全にサン・マルコ広場に静寂が戻る。大会の後片付けは明日からだという。
「灯里ちゃん、どうだったかな、俺のサプライズ」
「あ、荒井さん」
 まったりモードに入り始めていた灯里達の元に現れる、荒井。そんな彼を、全員が拍手で迎える。どもどもと照れ笑いをしながら、荒井は二カッと灯里に笑みを向ける。その笑みに、灯里は笑みで返す。
「とても驚いて、何が起こってるのか判らなくて――気付けば空を飛んで、氷の船は蒼く光って――本物の、水の精霊<ウンディーネ>になった気持ちになれました」
 空をゴンドラに乗りながら飛ぶなんてことを考えた事も無かった灯里は、その瞬間の気持ちを思い出してドキドキワクワクする。胸のあたりがキュッと締められる感覚を思い出して、灯里は笑顔を浮かべる。
 その笑顔は、見ている周りの人間すらも、ドキッとさせられるあまりにも可愛い笑顔だった。
「本当に、ありがとうございました」
「――あ、あはは、いやこちらこそ」
 その笑顔に、しばらく見惚れていたのだろう、荒井は一瞬遅れて返事を返した。
「灯里ちゃん。君がプリマになった時、俺は必ず、君に観光案内してもらいに来る。その時を、心待ちにしてるよ」
「――はひ」
 水無灯里。彼女が居る傍では、笑顔が途切れることはないという。それは事実で、なにより本人が常に笑顔で居ることが多い。その笑顔は、素敵な物を見つけたり、綺麗な物を見つけたり、何かを見つけた時に浮かび上がる。
 だが――彼女の本当の笑顔は、他の人すらも元気にさせるほどの笑みがある。
 そんな「笑み」というものが存在するということを、地球からやってきた氷の職人達は知った。
 そして、彼女の周りのウンディーネ達は、やはりそういう効果があるのだと、再認識した。
「さあ、そろそろ帰りましょう。明日も、練習頑張らないと!」
 灯里の言葉に、皆が頷いた。
「プリマ目指して、がんばるぞー!」
『おー!』
 少女達の笑顔はどこまでも明るく、彼女達を見守る先輩達の笑顔はどこまでも暖かかった。




――――――
はいどうも、ヤルダバです。
熱血な小説書いてたくせに今度はまったりを書いてみました。
灯里やら藍華やらアリスやら、クセのあるキャラばかりのARIAですが、書いててなんかまったりしてました。
うん、綺麗だ素敵だと何度も書いてるけど……別に良いかとか、細かいこと忘れていましたね。
まったり、ゆったり、実のところ自分はまったりするのが好きですw
とまあグダグダ長くするのは止めて。
最後まで読んでくださった方に、多大なる感謝を。
では!



[27284] アクア・アルタ
Name: ヤルダバ◆c7be7aa7 ID:751ca440
Date: 2011/04/21 03:53


 アクア・アルタ。地球で言う梅雨のような時期に発生する、ネオ・ヴェネツィア特有の浸水現象のことである。といっても、この高潮現象は南風と潮の干満に気圧の変化が重なって起こる、いくつかの偶然が重なって生み出す現象であり、この時期に毎年起こるものだ。
 故に、ネオ・ヴェネツィアの人々は一切焦らないし、この時期が近付くと買い溜めをしておいて準備をしている。そのため生活には問題はなく、実際この時期であってもお店は開店している。
 ただし、観光業である水先案内人<ウンディーネ>の仕事は開店休業中だ。
 街中は水で埋め尽くされ、床上浸水で、大洪水。だというのにこのARIAカンパニーの社員である水無灯里は今日も元気一杯に――うたた寝していた。

「くー……」

 事務業務がいくつか残っていたため、その後始末をしている最中だったため、灯里は机に突っ伏したまま眠っていた。しかもこの現象を楽しむ灯里は、ちょっといつもと違う事をやってみようと水が溜まっている一階で事務業をしていたのだ。
 だがそれをするにはいくつかの問題があった。まず事務業務の後始末というのがアリシアの予約表の整理。それから経費で使った金額の整理と売り上げの金額の整理である。これが数字をひたすらに追う為に少し気を抜くとくらっと眠くなってしまうのだ。

「ん~……」

 次に、季節的には春と夏の間であるこの時期は、非常に日光が気持ちが良い。部屋の中は勿論とても暖かく、ポカポカホカホカと布団に入っている時の温度を常に身体に感じるのだ。そしてトドメが足の水である。海水なのだが、アクアの海水はとても綺麗で触れたとしてもなんら問題はない。水温はそこそこ暖かいのだろうが、身体に感じる熱と合間って体感温度はとても冷たい。
 つまり、足元がひんやり冷たく、身体はポカポカ――とっても気持ちの良い状況なのである。
 そのため灯里はついつい油断してしまい、睡魔という悪魔に身を委ねてしまったのだ。ちなみに足をツンツンと突く魚のささやかな攻撃は彼女にとってはなんら効果はない。

「ん? ふぁ……あ」

 背中にコツン、という衝撃の直後にぽちゃんという何かが水の中に落ちる音に、灯里は瞳を開いた。まどろむ瞼に入って来る太陽光。その光に眩しいと思いながら、灯里は寝ぼけ眼で振り返る。
 アリア社長が、階段の上からボールペンを投げていた。クスンクスンと泣いている。同時に鳴り響くのはアリア社長の腹の虫。
 一気に目が覚めた灯里は目の前にある書類関係をかき集め、慌てて階段のところへ移動する。猫は水が好きではないのだが、火星猫もそこは同じらしく、アリア社長は灯里にボールペンを投げて必死に起こすという手段を取るしかなかったらしい。
 ちなみにアリシアはゴンドラ協会の会合で今は留守だ。

「す、すみませんアリア社長。昼食で……す……ね?」

 灯里は書類を持ちながら器用にアリア社長を抱き上げて二階への階段を登る。そして時計を見て、灯里は愕然とする。時刻は1時半。とっくに昼食の時間は過ぎていた。

「あわわわわわ」
「ぷいにゅ~!」

 時間を見て固まった灯里を、アリア社長が猫パンチする。全く痛くはないのだが、基本的にそんなことすらしないアリア社長である。どうやらとてつもなくお腹が空いているようだ。
 灯里はハッとしてとりあえずアリア社長をテーブルの椅子の上に。それから二階に避難しておいたアリア社長のお気に入り猫飯を取り出してそれを皿の上に出し、水と一緒にアリア社長の前に置く。その間、実に素早い動きで灯里は行動していた。基本まったりだが、いざという時は早いのである。

「ごめんなさいアリア社長。あまりに気持ちが良かったのでつい……」
「ぷぷいぷいにゅ!」

 気にするなとでも言うように凄まじい勢いで食べながら叫ぶアリア社長。ご飯さえ貰えれば良かったらしい。灯里はアリア社長の横で寝てしまったために進んでいない事務業務を終わらせるためにテーブルに座る。
 ――それから一時間後にようやく整理が片付いたところで、時刻は2時半。
 少しもったいない事をしたかな、と思いながら灯里はARIAカンパニーのベランダに出る。
 見渡す限り水、水、水。どこを見ても水で、ネオ・ヴェネツィアは海の中に入り込んでいる。いや、今日この瞬間は溶け込んでいるといっても過言ではないだろう。

「はぁ~……気持ち良い」

 風は涼しく、日は暖かく、灯里はとても贅沢な気分になってしまう。まったりモードに入りそうになりながら、灯里は幸せのバロメータが上がって行くのを感じる。
 しかしここで動かないのはまたもったいないと灯里は顔を上げる。ではどうするか。もちろん、散歩である。一日中まったりゴロゴロするのも良いかもしれないが、折角のアクア・アルタ。楽しまないのはもったいない。

「よし。アリア社長、お出かけしましょう!」
「ぷいにゅ!」

 満腹になったアリア社長が、灯里の言葉にブイサインを返した。



 灯里は一年ぶりのアクア・アルタをどう楽しもうか考えながら歩く。長靴を穿いているが、水深があまり深く無いところならまだいいが、少し深い場所を歩けばすぐに水が入って来てしまう。
 毎年それは判ってはいるのだが、いかんせん最後には水が浸入していて結局裸足で歩くことになっていたりする。今年はそうはならないと、灯里は少し水笠が浅いところを歩く。そして目指すは、ネオ・ヴェネツィアの中でも景色のいいところだ。
 そう、去年トレジャーハンターの気分でお宝探しをして見つけた、心の宝を、久々に見に行こうとしていたのだ。
 歩けば歩くほどに大好きになって行く不思議な街――不思議な惑星。本当に、摩訶不思議なこの世界が、灯里は大好きだった。例えこうしてアクア・アルタで沈んでいようとも、それはこの街の在り方を少し変えて、灯里に新しいネオ・ヴェネツィアを見せてくれる。
 それが、たまらなく嬉しい。

「アリア社長、確かこっちですよね」
「ぷいにゅ!」

 アリア社長専用の小さなゴンドラを、少し狭いとはいえ坂道になっている道の途中に止める。さすがに持って歩くわけにはいかないので、ゴンドラは流れないように丁度いいところにあった電柱に紐で括り、流されないようにしておく。
 それからアリア社長も歩いて、灯里と共に喜劇小道に続く道を登って行く。
 目的地はすぐそこだ――もう既にドキドキワクワクしている灯里は、にやける顔を止めることができない。あの時見た景色は十分に、この心の中の宝物入れに入っている。
 今度は、アクア・アルタの状態。素敵な景色は、更なる素敵な景色へと変わっていることだろう。それがとても楽しみで、とてもワクワクで。灯里は一人占めできるその景色が、楽しみで仕方が無いのだ。

「ありました! アリア社長、この階段を下れば――アリア社長?」
「ぷぷいにゅ~」

 ふと気付けば、どうやらかなりの速い足取りで歩いていたらしい。アリア社長は疲れ切っているようで、はあはあと肩で息をしていた。あははとやってしまったと笑う灯里。
 アリア社長を抱き上げて、灯里は狭い階段を下る。

「行きますよ、アリア社長」
「ぷいにゅ」

 疲れて元気が少し無くなってしまっているアリア社長。心の中で謝りながら、灯里はゆっくりと階段を下りて行く。
 そして見えた――蒼い街。

「――――うっわぁぁあ!」
「ぷぷいにゅ……」

 下から吹き上げて来る風に潮が混ざる。その風がとてもひんやりとしていて気持ちが良い。しかし、それはこの美しい景色の一つのアクセントでしかない。
 今、このネオ・ヴェネツィアはまさにアクアの街となっていた。
 蒼い水に沈んだ街。しかしその実、見晴らしの良いその場所からは、海が、空が、どこまでも繋がっていて、境界線が判らない。その所為か、海に映る雲のおかげで、まるで街が空に浮いているように見えた。

「アリア社長、ネオ・ヴェネツィアが空に浮いてます!」
「ぷい、ぷいぷいにゅ!」

 言うなれば、空に浮かぶ建物達。言いかえれば、空中庭園。箱庭のような小さな街が空に浮けば、そう呼んでも差し支えはないだろう。
 海にしばしの間支配されてしまうネオ・ヴェネツィア。だが場所を変えてみれば、まるで空に支配されてしまったように見える不思議。そして灯里に吹き付ける風は強く、まさに空に居るような錯覚にすら陥る。

「なんだか私達、空中庭園に迷い込んでしまったようですね」
「ぷいにゅ! ぷぷいにゅ!」

 アリア社長も、灯里の想いに賛同するように声を上げる。どうやらさしものアリア社長も、この景色は驚きのものだったようだ。
 っと、その時である。

「恥ずかしい台詞禁止!!」
「はひ!?」

 凄まじい怒声のような声で叫ばれる何時もの言葉。振り返ってみれば、そこには顔を赤くした藍華が立っていた。目をパチクリさせて、灯里は引き攣った笑みで藍華を見つめる。

「あ、藍華ちゃん……いつからそこに?」
「ん、実は結構前から後を付けてた」

 全然気付かなかったと思いながら、灯里はすぐさま二マーっと笑う。それを見て、藍華は何よと言う。言ってしまう。

「藍華ちゃんもこの景色に見とれてたんだー」
「――そうよ、悪い!?」
「でっかい素直ですね、藍華先輩」
「ひょっ!?」

 灯里の言葉に頬を染めながら言った藍華。直後、藍華の背後より更に第三者の声が響く。しかもそれが耳元での発言だったために、藍華はびっくうと本気でビビる。
 灯里も驚きながら、そこに立っていたアリスにビッと親指を立てる。刹那、アリスも親指を立てた。してやったりというようなその二人の合図に、藍華は悔しがる。

「……後輩ちゃん、いつからそこに」
「藍華先輩が灯里先輩を尾行していたのを見つけて、私も尾行していました」
「ってことは、アリスちゃんもこの景色に?」
「……はい、しばしこの空中庭園に見惚れてました」

 ちなみに灯里の台詞は全て聞かれていたらしい。しかし、灯里はそんな事を気にするような女の子ではない。なんでもかんでも素敵にしてしまう彼女からは、いつも突拍子もない言葉と、目の前に浮かぶ情景を素敵な言葉で表現してしまう。
その一つたる空中庭園という言葉を気に入ったのか、アリスは早速その名を使う。本当ならば浮き島をそう呼んでもおかしくないのだろうが――酷いようだがあれでは小さすぎるし規模が違いすぎる。

「二人とも居たんなら声かけてよ~」
「ごめんごめん。どこ行くのかなーって思ってね」
「……なんだか灯里先輩の行く先には、素敵な物が多いですね。まさかこんな良い物が見れるなんて」

 しばし、三人は目の前の景色を見つめる。
 空と、海。蒼と蒼――繋がる境界線。その蒼に埋もれる建物。アクアとネオ・ヴェネツィアが一体になったかのようなその光景は、そうそう見られるものではないだろう。
 素敵な、素敵な世界。灯里は、益々この星が、この街が大好きになってしまう自分が居る事に、なんだか少しこそばゆい気持ちになっていた。

「不思議な事を教えてくれるアクア――摩訶不思議な出会いをくれるネオ・ヴェネツィア――藍華ちゃん、アリスちゃん、私もう、この街から離れられないよ」
「は、恥ずかしい台詞……禁止」
「藍華先輩、今、灯里先輩の言葉に感動しましたね?」

 優しい、どこまでも優しい灯里の笑顔とその台詞に、藍華は思わず赤くなりながらいつもの突っ込みをしようとするが、照れてしまって強く言えなかった。その理由をしっかり図星で突っ込みを入れるアリスに、藍華はうっさいと照れ隠しに叫ぶ。
 そんな二人をクスクスと笑いながら、灯里はもう一度このキラキラとした景色を見て、やっぱり素敵で、やっぱり綺麗で、やっぱりとても素晴らしくて――我慢できずに叫ぶ。

「ぜっけーかなー!!」

 抑えられない気持ちを叫んで、灯里は笑う。彼女に釣られて藍華もアリスも笑う。
 そして、三人は暗くなる前に帰路に付く。お土産話は、ちょっと贅沢な幸せのお裾分けである。




――――――

ARIAを知っている人が結構いる事に驚いているヤルダバです、こんばんわ。
時刻は夜中の3時を回っております。なにしてんのかな俺は。
というわけで調子に乗って書かせてもらっちゃいました。
とはいえ――実は最近ARIAを読み直し、アニメの方まで全てを見てしまうというどっぷりとまったりワールドに入り込んでいるのです。
故に少し書いてみたいというお話がいくつかありますので、もし良ければ今後ともよろしくお願いします。

さて今回はアクア・アルタです。それと宝物探しで見つけた高い場所からの景色。
高い場所からの光景が自分は結構好きだったりします。
そこでアクア・アルタと合体。
高いところから少し海に入り込んだ街を眺めるとどんな景色になるのか……正直想像もできませんが、「空中庭園」とか出しちゃいました。
きっと写真を撮ってもその凄い景色はどうあっても表現できないでしょうね。
なんかそういうの、生で見たいな。
ちなみに自分が見たい光景を、今回は灯里に見て貰った感じですね。
と、今の世の中から現実逃避するようなことを言ってみました。
ではでは、また。



[27284] 岬で
Name: ヤルダバ◆c7be7aa7 ID:751ca440
Date: 2011/04/22 21:02

 現在アクアという火星は、その名とは全くの正反対の「水」の惑星としてとても親しまれている。
 しかし、その水を生み出すのには途方も無い時間と、途方も無い犠牲があった。
 何十年、何百年――火星に住もうとした人々は必死になって命の源である水を作り出す方法を模索して、それを見つけ、ついに恵みの水を手に入れたのだ。
 そう、アクアとは実際には数多の犠牲の上に立つ、奇跡の星である。
 だから――水無灯里は歴史の本を見ながらこの惑星を「アクア」と呼ばれる星にしてくれた先祖達に、多大な感謝を送っていた。

「アリア社長、凄いですね」
「にゅ?」

 灯里が思わず立ち止り、本を読み始めてから暇になってしまったために、ゴロゴロとその辺を転がっていたアリア社長に、灯里がいきなり絶賛の言葉を上げる。何の事か判らず、アリア社長はクエスチョンマークを頭の上に浮かべた。
 灯里はクスッと微笑みながらアリア社長を抱き上げて、本を元の場所に戻す。

「私達がここにこうしていられるのは、奇跡なんだなって」
「ぷいにゅ?」

 なんのこと? と首を傾げるアリア社長。しかし言いたい事はそれだけだったのか、それとも灯里はその言葉を口にしたかっただけなのか。それは彼女にしか判らないが、何時も通り元気一杯の女の子は細かい事など考えさせない笑みを浮かべて、本屋から外へと出る。
 今日も素敵な出会いがありますように――そう願いながら。

「あっ。アリア社長、久しぶりにお花畑を見に行きましょう!」
「にゅ?」

 灯里の頭に浮かんだのは、アリスと初めて会った岬。藍華とシングルの訓練として行った場所で、アリスと初めて勝負をした場所でもある。とはいえ、勝負は灯里の所為でお流れになったのだが。
 春はそろそろ過ぎ去ってしまう。ゴンドラの合同練習の時間は今から――となれば、思い立ったが吉日である。
 灯里は集合場所へと向かい、藍華とアリスに提案しようと考えながら、もう既に頭の中はお花畑の光景で一杯だった。



「良いわね。それじゃあ灯里、一番手ね」
「あのお花畑、確かに綺麗でしたからね」
「わひー」

 集合場所で待っていた藍華とアリスに早速提案した灯里。勿論二人は二つ返事でオーケー。灯里は喜びながらオールを引っ掴み、では早速と海へと出かける。
 ゴンドラが海を割いて進む。塩水を含んだ風が頬を撫でる。しかし優しく、触れる程度の風。太陽はポカポカ。うん、水上を進むのにこの三つは欠かせない。灯里は何時も感じているそんな普通が、しかしこれも奇跡であることに思い当たる。

「……この蒼さ、恵みの水。そして太古の昔から存在する風。昔は無かったかもしれないこの世界に――今は確かに存在するんだね」
「恥ずかしい台詞禁止!」
「ええー!」
「灯里先輩、今日はやけにしんみりしてますね」

 灯里はエヘヘーと微笑みを浮かべながら、アリスの問いに答える。先程本屋にてアクアの歴史本を見た事を。パラパラっと見ただけなのだが、昔は水などどこにもなく、どこまでも砂しかない惑星であったという部分にへぇっと目を通してしまったのだ。
 結果、どういう経緯でこの惑星が水の惑星となったのかが気になり、しばしの間読んでいた事。
 未だ、この惑星アクアにはテラフォーミングをする上で犠牲になってしまった島が多々あり、同時に沈んでしまった工事現場……というのは少しおかしいかもしれないが、工場地区と呼べるそんな場所が多々あるのだ。今は、そこで働いていた人々のお墓があるだけの、ちょっと寂しい場所になってしまっているが。
 だから、こんな些細な風や、水の上を走るゴンドラというのは、こうしているだけで昔の人々にとっては奇跡で、想像もできなかったに違いない。灯里は、そんな人達の努力を今を生きる人間として精一杯楽しもうと思ったのだ。
 だけどまずは、小さな事から感じる事が良いと思ったわけである。

「なるほど、歴史を紐解いてしまった灯里先輩は、現在でっかい感謝をしているのですね」
「うん。だって凄い事だよ。惑星が砂しかなかったのに、今はこうして水で一杯になってるんだよ」
「確かに、昔の人がいなければ私達はここには居ないし、私達がウンディーネとして出会う事も無かったでしょうね」
「だから――これは奇跡で、凄い運命なんだよ! 素敵な巡り合わせは、この恵みの水を生み出した人達の時からきっと始まってるんだよ!」
「恥ずかしい台詞禁止!」
「素敵ングー!!」
「あ、灯里先輩素敵モードが」

 藍華の突っ込みに反応すらできないほどに頭の中が「奇跡、運命、素敵」に支配されてしまった灯里。アリスはそんな灯里を呆れたように見て、しかしそこにある微笑みに釣られて微笑んでしまう。
 藍華はもはや聞いていないと諦めて、アリア社長を抱き締める。そして小さくため息を吐いた。

「この星が――奇跡で出来てるなんてとっくに知ってるんだから、今更はしゃぐところでも無いでしょうに。それに、素敵な巡り合わせっていうけど、灯里、あんたは私と会うべくして会ったんだから、曖昧な運命なんて言わないの」
「私も、きっと藍華先輩や灯里先輩に会うべくして会ったんです。奇跡や運命なんかじゃないです」
「……藍華ちゃん、アリスちゃん」

 確かに、この惑星は奇跡によって出来ているだろう。それは否定しないし、否定できるものではない。昔の人々が必死になって作り上げた水の惑星なのだから、それを否定してはこうして住んでいる自分たちをも否定することになってしまう。
 だけど、藍華とアリスは灯里と出会えた事や、素敵な先輩達と出会えた事を奇跡とは思わない。それはきっと必然で、出会うべくして出会ったのだと。

「うんっ!」

 力強く頷いた灯里に、少し頬を染めながら二人は笑みを浮かべる。
 素敵な出会い――それは奇跡か、運命か。いや、きっと出会ったその瞬間から、運命のような出会いは、必然の出会いとなるのだろう。
 灯里は二人の親友に新しい事を教えて貰い、それを感謝しながら突き進む。
 アクアの海は、ウンディーネ達を優しく包んでいた。



 辿り着いたのはいくつかの小さな島が点在するエリアだ。ウンディーネ業界でもそこそこ有名な訓練場。点在する島によって潮の流れが常にバラバラで複雑で、その潮を上手く捉えられるかが難しいのだ。藍華が言うには難易度は上級者向けらしい。
 ここに来るのも久々だなーなんて思いながら、灯里はスイスイとてこずっていたはずの道を軽く漕いで行く。自分の腕が上がっている事を確認できて、なんだか嬉しい灯里だった。

「さあて、お花はどこかな?」
「確かあっちの岩場の影にありましたよね」
「……でも……岬全部が花になって無い?」

 灯里とアリスは前に見た黄色い花の場所を思い出しながら、そこへ向かおうとしていた。しかし藍華が呟いた言葉に、灯里は藍華が見つめる先を見てゴンドラを停止させる。
 一瞬の間。藍華とアリスも固まっている。
 ゴンドラがゆっくりと流される。大きく飛び出た岩が邪魔で見えない位置に止まってしまっていたようだが、流されてみればそこには――岬一面の花畑のようなものが見える。
 灯里は素早く態勢を整える。えっと藍華とアリスが思った直後には、もうワクワクのドキドキで周りが見えていない灯里の表情がそこにはあった。その瞬間、複雑な潮の流れもなんのその。余裕でそれらを全てクリアーしてあっという間に岬に到着である。
 灯里の底力、恐るべしと藍華は思った。

「うっわー!」

 そしていつもの驚きの声を上げる灯里。その声に少し呆れながらも、藍華もアリスも岬を見る。そして顔を三人で見合わせて、笑う。
ゴンドラを近くの木に紐で繋げて、三人は上陸。岬の周りは木々に囲まれていて見えなかったが、その奥。近くで見れば見るほどはっきりと判るそこは、まさに、カラフルなお花畑だった。

「うわ……すご」
「でっかい綺麗です」
「岩場どころじゃないね」

 ほぼ、岬の全てが花だらけ。どちらかといえば、お花の絨毯というところだろうか。思い返してみれば、あの時アリスと出会ったのは春になってから間もなかった。今は春真っ只中であり、少しばかり季節の状況が違う。
 アリア社長がダッシュで花畑に突撃し、ゴロゴロと転がる。とても楽しそうで気持ちよさそうだ。
 灯里達も顔を見合わせてから、花畑へ入り込む。そして足の踏み場もないそこで、三人は寝転がる。下敷きになってしまう花は申し訳ないが――しばしの間この場所を満喫させてほしいと灯里は思う。

「ん~……気持ち良い」
「あったかいですね」
「はぁ~……」

 花の良い匂いがする。日光が良く当たるためか、どうやらこの場所は花の楽園のようだ。蒼に紅に黄色。鮮やかな紫なんかもある。様々な花が、春という季節を堪能しているようだ。

「……お花の咲く星になった時、昔の人はどれくらい嬉しかったのかな」
「そりゃ、本当に嬉しかったでしょう」
「こんな当たり前の事が――本当に奇跡なんですね」
「……後輩ちゃん、恥ずかしい台詞禁止」
「でっかい恥ずかしくないです」

 少し頬を染めながら、藍華の突っ込みに対抗するように言うアリス。
 灯里はそんな二人を見ながら、微笑む。そして二人もまた、微笑む。

「藍華ちゃん、アリスちゃん」
『ん~?』

 二人に声をかけると、現在この気持ちの良いポカポカとした陽気を堪能しているのか、二人は気の無い返事を返して来た。だが、そんな事は気にしない。
 微笑みを浮かべたまま、寝転がっている二人と、自分。灯里はクスクスと笑いながら、言った。

「この小さな小さな微笑みも――私達が気付かない小さな奇跡だね」
『―――――っ』

 灯里の言葉に、藍華とアリスは目を見開く。なんて小さい事を、なんて嬉しそうに言うのか。二人は顔を見合わせて、クスッと笑う。そして我慢できずに大笑い。それに釣られて灯里も笑う。アリア社長は嬉しそうに周りを飛び跳ねている。
 アリスと藍華は思う。ああ、まったく、確かに本当に――呆れるほどに小さな奇跡だ。






―――――――
さて、一時間ほどで書いたものです。なんか頭に浮かんだのでカタカタと。
なんだか……ARIAにどっぷり浸かってる自分がいます。
しかも漫画片手に書いてるっていうw

今回は奇跡が多用されてますねぇ。とっても奇跡の連呼。
しかし……恥ずかしい台詞だなぁホント。
書いててこっぱずかしくなるw
藍華やアリスは多分こんな事を言うのではないか、なんて思う。っていうかどこかで言ってたと思います。はい。

アクアは数多の犠牲の上に出来ているというアニメの話。
それを元に書いてたら何故か岬に移動。
そもそもにして頭に浮かんだのは「季節の違う場所に行くと新しい発見がある」というフレーズ。
そこで岬の話を書こうとしたらなんでかアクアの過去がw
不思議だ……ARIAを書くと不思議な感じがする。

とまあ再び調子に乗って短いながらに。
皆様にどう感じられるかわかりませんが、まったりワールド、皆さまも楽しみましょう。
きっとちょくちょく投稿させてもらいます。
ちなみに現実にも季節によって顔を変える場所がありますね。
確か春夏秋冬がはっきり判る花の公園とか。
ああいう場所に行ってみたいなぁ、まったり時間がある時に。



[27284] 洞窟
Name: ヤルダバ◆c7be7aa7 ID:751ca440
Date: 2011/04/22 01:29



鍾乳洞。それは天然の洞窟。
長い年月を掛けて大地が作り上げる洞窟である。
人の手は入らず、もちろん動物の力すらも入らない。偶然に偶然を重ね、数百年以上の年月によって完成するそれは、地球では今も国宝級の扱いになっている。
 人間の手では到底創ることが出来ない、その神秘の領域。
 しかし残念ながら、ネオ・ヴェネツィアにはそう言った物は無く、さすがに鍾乳洞と呼ばれる場所はない。
 季節は夏。灯里はその観光シーズン真っ只中で、ARIAカンパニーも例外なく忙しい中、お客様に聞かれた質問に答えられなかった事に少し落ち込み気味だった。
 その質問とは、「鍾乳洞とかの洞窟みたいな観光地はないのかしら」という質問だ。
 アリシアもさすがにそれは聞いたことが無いと言い、申し訳なさそうにしていた。

「テラフォーミングされてから150年……洞窟は見つかって無い」
「そうねぇ。そもそも、鍾乳洞ってどれくらいの期間でできるのかしら?」
「少なくとも数十年以上だとは言われてますが……アクアがこうやって海に沈むほどの水に包まれたのって、実際には100年も経ってない……んですよね?」
「そうねぇ。テラフォーミングをするっていうプロジェクト開始時期と、準備期間、それからこうして水が溢れるほどに出て来るまでにきっと50年は必要だったかもしれないから」

 アクアの歴史を紐解けば、年代などは判るだろうし、水がこうして溢れてからどれくらいの期間が経っているのかも判るだろう。そしてこの惑星のどこかに天然の洞窟はあるかもしれない。だがさすがにそれを見つける事は難しいし、なにより地球でも鍾乳洞見つけようと思って見つけた物ではない。偶然見つけた物をかなりの年月をかけて中を調査し、その後に一般公開されたりするのだ。
 つまり、今この瞬間に誰かが見つけていたとしても、その情報がネオ・ヴェネツィアに流れるにはまだまだ先だろう。

「鍾乳洞かぁ……昔地球で見ましたけど、とても素敵な場所でした」
「へぇ~。私は見た事無いから、ちょっと羨ましいわ」

 地下洞窟、というのも少し変だが、アクアにはネオ・ヴェネツィアの真下にあるノームの地下の街がある。それが唯一洞窟と呼べるところではあるが――とてつもなく失礼に当たるので口には出さないことにする。
 灯里は少し考えて、どこかの島にあるかもなーと考えながら、もし見つけたらどんな世界が広がっているのか、どんな光景が広がっているのか、想像してみる。すると、それだけでワクワクしてしまう。

「灯里ちゃん、今ちょっと、想像してるでしょ?」
「はひ。バレちゃいました」
「うふふ。そんなワクワクドキドキの顔を見せられたら、誰でも判るわ」

 クスクスと笑いながら、アリシアは時計を見る。時刻は7時を過ぎていた。晩御飯を食べてからのしばしののんびりタイムはそろそろ終わりだ。

「それじゃあ灯里ちゃん。私ももう帰るわね」
「あ、はい。お疲れ様でした、アリシアさん」
「うん。灯里ちゃんも。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「ぷぷいにゅー」

 玄関までアリシアを見送りして、ARIAカンパニーから離れて行くアリシアを確認してから扉を閉めて鍵をかける。それから灯里はアリア社長に振り返り、一言。

「それじゃあアリア社長、私達も寝ましょうか」
「ぷいにゅ」

 何故かブイサインを出して来るアリア社長。灯里はそのブイサインに首を傾げた。なんのブイサインなのだろうと。きっと寝る前なので少しテンションが上がっているのだろうと思い、灯里は寝る前にお風呂に入るために着替えを二階に取りに行く。
 それから最近の楽しみであるお風呂に入れるお花の粉。例えばラベンダーの葉を特殊な形で粉にし、それをお風呂に溶かすというものだ。バスクリン、お風呂の添加剤なんて呼ばれたりもするそれを入れるのが、最近のお気に入りだったりする。
 お風呂に入れるだけで――花畑に行った気分になれる優れものだと、灯里は思っているのだ。

「さあ、今日もさっぱりしてから寝ましょう!」
「ぷいにゅ!」

 灯里の言葉に元気良く答えておきながら、そこは猫である。お風呂が嫌いなために、素早く撤収。灯里はそんなアリア社長をクスクスと笑いながらも、しかしニヤリと笑ってアリア社長を追い掛けてとっ捕まえる。それからお風呂場へ連れ込み、その身体を大雑把に洗う。

「ほーらアリア社長、綺麗綺麗です!」
「ぷいにゅ-!!」

 びええええっと悲鳴を上げながら灯里から逃げようとするが、こんな時ばかりは灯里は全力。素早くアリア社長の身体を洗い、解放する。その時間、今はもう慣れたために15分とかからない。
 とはいえ水で毛皮を洗うだけなのでそんなものである。むしろタオルで拭き取る時間の方が長い。
 ちゃんとシャンプーを使って洗う時は、アリシアも一緒の時である。
 さて、と灯里はアリア社長の安易風呂が終わったところで、自分の番となる。着替えを確認してから、灯里は一度リビングへ。

「アリア社長、大人しくしていてくださいね」
「ぷいにゅ」

 風呂場から出て来たアリア社長に笑顔でそう言ってから、灯里は風呂へ。
 ちなみにアリア社長は「また洗われる!?」と毎日のようにこの瞬間だけビクッとし、灯里が風呂場へ戻ると同時に安堵のため息を吐くのだった。




 翌日。
 アリシアが仕事に出て行ってしまった後に、合同練習を開始。アリスと藍華はいつもの三人でありながら、灯里が少し上の空であることに疑問を浮かべた。
 きっとこの灼熱の日光の所為でぼんやりとしているのだろうと思うが、アリア社長の声にも反応を返さないので、藍華はおーいと声をかけてみる。
 その声に、灯里はハッと我に返った。ちなみに現在は藍華が漕いでいる。

「あ、うん、何藍華ちゃん」
「何じゃないわよ。どうしたの、なんかあった?」
「ほへ?」
「灯里先輩、でっかい上の空でした。アリア社長の猫パンチにも反応してませんでした」

 ほぼ完全に無視され続けたアリア社長は、現在アリスの腕の中で涙目になっている。くすんくすんと、泣き虫なアリア社長は灯里をジーッと見ていた。
 灯里はアリア社長に謝ってから、実はと事のあらましを話す。昨日のお客様から言われた、鍾乳洞、もしくは洞窟の件だ。

「なるほど、洞窟」
「確かに、観光地に行ったら定番といえば定番のモノですね」

 洞窟といえば、観光で旅行に行ったらその場にあったために、ついでに見ようと思い見たくなるものだ。とはいえ、さすがにこのアクアではそれを見た、聞いたという話は聞かない。
 アクアの大地は小さい。点在する島を地球のどこかの国をベースに作っていたり、もしくは別のエリアと区切ってそこをまたどこかの国のベースとしている。
 アクアにはネオ・ヴェネツィア以外の街も勿論あるが、基本的にそちらの方へはいかない灯里達には、その辺りの事は判らない。
 もしかしたらどこかにあるかもしれないが、正直言って灯里達には判らない。

「ならば、その洞窟。私達が探し出そうじゃあないの!」
「おー、探検ですな?」
「でも、どこを探すのですか?」
「じゃあ適当にあの島で」
『適当っ』

 本当に適当だった。少しばかり潮の流れが速い場所でスピードをコントロールする練習でもしようと、少しネオ・ヴェネツィアから離れた場所に来て居たのだが、少しどころか結構離れていた。故に、藍華は眼前にある大きな島でも歩いて探検しようと、本当に適当に選んだのだ。
 その大雑把な選び方に大丈夫かなと思いながらも、灯里もアリスも特に反論はない。島には木々が生い茂っているので、もしかしたら日陰に入れるかもしれない。そうすればきっと涼しいだろうと、二人は思っていた。
 とりあえず今現在はっきりしていることは――暑い。それだけは間違いなかった。

「さ、到着」

 場所が決まれば速い物で、昔と比べれば圧倒的に腕を上げた藍華にとってはなんら苦にならずに辿り着いた。ゴンドラを素早く岩に紐で繋ぎ、流れないようにする。繋げた紐を確認して、ビッと親指を立てる灯里。ソレに対してお弁当を取り出していた藍華とアリスもまた、ビッと親指を立てた。
 準備は完了。上陸も無事果たした。後は――鬱蒼と茂るこの森の中を、探検するだけである。

「ピクニックだね!」
「よぅし、では洞窟探索隊、出発!」
「灯里先輩、既に目的が……」

 グッと力強く手を握った灯里。彼女の叫んだ言葉を藍華は無視していざと叫ぶ。だがどうしても気になってしまったアリスが灯里に突っ込みを入れようとするが、灯里のドキドキとした表情に言葉を押し止める。
 もう、何を言っても無駄だと判っているからだ。
 そんな灯里は、アリア社長を抱き上げながら、森の中を指出して、言う。

「いざ、しゅっぱーつ!」
「……私も言ったじゃないのよ」

 藍華の言葉を一切合財聞いていなかったのか、既に出発している藍華に突っ込みを入れられる灯里。あれ? っと首を傾げる灯里は、ぼちぼちズレていた。どうやら相当にテンションが高いようだ。
 しばし、道なき道を行く三人と一匹。真夏の太陽が空からギンギンに照らしてきているはずなのに、周りからは蝉の鳴き声が響くだけで、そんなに暑くはなかった。
 やはり木々の葉が日影となり、直射日光が暑すぎる夏の太陽はしかし、丁度良い温度で大地に辿り着いている。

「わー、木漏れ日が綺麗だねー」
「まるで、光のカーテンですね」
「森の中に浮かぶ湿気の所為かしらね?」

 森の中を歩きながら、自然にそんな事を言う三人。実際、暗めの森の中に入り込んで来る太陽光は葉と葉の間から差し込んで来るだけ。その所為か湿地帯となっているようで、森の中には湿気が目に見えるほどに浮いている。
 ジメジメしているのだが――暑すぎないここの温度は、とても気持ちが良い。まるでこの中だけが春のような温度だ。

「さぁー、どこまで続いているのか」
「楽しみだねー」

 そういう二人の前を、元気一杯に突き進むのはアリア社長だった。ズンズン進んでいくアリア社長の後ろを付いて行くような形になっているのだが、何時の間にやらアリア社長の動きが段々素早くなって来ている。
 それに気付いたのは、アリア社長との距離が数メートル以上になった時だった。

「灯里先輩、藍華先輩。アリア社長、速くなってませんか?」
「た、確かに」
「アリア社長ー! まってくださーい!」

 声を上げても、アリア社長は素早く森の中を突き進んでいく。走っているわけではないのだが、ぽぷよんと野生の動物みたいに本能に突き動かされるように進んでいき、その速度が上がっている。
 ちょっと急がないと、見失ってしまう。仕方なく灯里は駆け足になり、藍華とアリスも歩き難い森の中を小走り気味に走る。
 すると、アリア社長が不意に左へと曲がる。やばいと、藍華が本気になって走り始める。既に息が上がっているのだが、一直線なら良いが曲がられては本当に見失ってしまう。

「灯里、後輩ちゃん、急いで!」
「は、はひ!」
「わ、わかりました」

 とはいえ、灯里は正直に言って運動音痴である。スポーツをするには体力があまりにも少ない。ウンディーネの仕事も体力勝負とはいえ、体力の使い方があまりにも違いすぎるのだ。
 だから、藍華とアリスに追いつけず少しづつ距離が離れ、アリア社長に至ってはもはや見えなかった。
 かろうじて動きだけは止めないようにして、限界が違くになって来た灯里は、倒れる前に足を止める。止めてはならないと判っていても、これだけの距離を走ったのは久しぶりでどうしようもなかった。

「はあ……はあ……あ、アリア社長~……藍華ちゃん……アリス……ちゃん」

 置いて行かれたくないので、必死になって歩く。すると、木々の間から藍華とアリスがこっちに来いというように手招きをしてくる。どうやらギリギリで終着地点まで付いて来ていたらしい。一瞬泣きそうになった灯里だったが、安心すると同時になんとか足を動かす。
 そうして、二人の居る場所に近づくに連れてなんだか凄い音がすることに気付いた。それは、かなりの水が流れ、落ちる音。つまり、滝の音がするのだ。

「はぁ、はぁ」
「お疲れさん、灯里」
「灯里先輩、大丈夫ですか?」

 二人とも荒い息をしているが、灯里ほどではないようだ。灯里は直ぐ傍に二人が居る事に安心して、ずるりと崩れ落ちる。丁度木の根が椅子のようにそこにあったので、そこに腰を落ち着ける。
 それから、さっきからドーっという凄まじい音を立てる方向に目を向けて、灯里は一瞬言葉を失った。

「―――」

 森の中にある、湧水の類だろうか。この島はもしかしたらどこかの大陸の山にでも繋がっているのかもしれない。かなり大型の川が、森の中にあった。だが問題はそこではない。
 高さはおそらく15メートル強。かなり高い位置から水が下へと降り注いでいる。大型の滝だ。その上、木々の隙間から入り込む太陽光に反射している水飛沫がキラキラと空中を漂っている。暑い身体にひんやりとしたその水飛沫はとても気持ちが良かった。
 灯里は持って来ていたバッグからタオルを取り出して、その滝に手を入れる。バチバチと水が腕に当たって痛いのだが、マッサージのようでそれが気持ち良い。
 藍華とアリスも既にそうしたようで、二人ともタオルを片手に額や腕、後ろを向いて背中の中などを拭いている。ここには人目も無いので、とりあえず全身を拭く事もできそうだ。さすがにやらないが。

「凄い綺麗だねー」
「まさかこんな場所があるなんてね」
「良い物見つけました」

 とりあえず休憩とそこにある木の根に座り、周りを見渡す。背の高い木が多く、根っ子もかなりの物だ。立派なその木々に、灯里は一体どれほどの年月ここに居るのかを聞いてみたくなる。当然返事はないが、30メートル級の縦長の木々ばかりなのだから、気になってもおかしくはないだろう。
 だが、おそらくはアクアに水が沢山出て来た頃から生まれた木で、それからずーっとここに居るのだろう。これほどまでに立派になるには、100年近い歳月は必要のはずだ。

「アリア社長は?」
「ここまで追い掛けて来たけど、ごめん見失った」
「ええー」

 もう駄目っと藍華もアリスもその場に寝転がっている。だが流石に、猫にこの森の中を走られては人間では追い掛けるのは無理がある。アリア社長がどこに行ってしまったのか判らないが、藍華とアリスの所為ではない。
 とにかく休憩が必要なので、灯里はどうしようと思いながらも動けないでいた。

「きっと……ここに居れば戻って来ます。アリア社長はでっかい寂しがり屋さんですから」
「そうだね」

 休憩ついでに昼食も食べてしまおうと、灯里達は持って来ていたお弁当を開く。水筒を出しながら、灯里は水筒の中のお茶を出そうとしてそうだと振り返る。試しに、滝の水を水筒のコップに入れてみる。
 透き通った透明な水。コクっと一口。

「!?」

 驚きに、目を見開く。灯里は再び水をコップに入れてゴクッと飲む。その行為を見て、藍華とアリスが首を傾げる。

「灯里? お水そんなに美味しいの?」
「あ、藍華ちゃん、アリスちゃん、このお水、オレンジの味がする」
『は?』

 まさかと思いながら、藍華とアリスも滝に手を突っ込み、直ぐに取り出す。コップ一杯に注がれた水を口に運んで、飲みながら驚き、そのまま飲み干す。

『………………』
「ね、ね、オレンジの味だよね!?」

 灯里の言葉に、二人は何故かは理解できないが確かに感じたオレンジの味に、うんっと頷く。
 藍華とアリスは信じられないと目の前の水を見つめる。

「私達、オレンジの王国にでも迷い込んじゃったのかな」
「い、いやそれはないでしょ」
「でも、でっかい謎です」

 とりあえずコップを再び差し出して、灯里はその水を気に入ったのかそれを持ったまま昼食へ。もしアリア社長がお腹を空かせれば、食べ物の匂いで戻って来るだろうと、灯里は油断する。
 そうして数分後――お腹が一杯になった三人は体力も戻って来たので、さてっと立ち上がる。

「戻って来ないね、アリア社長」
「さすがにまずい匂いがビンビンして来たわ」
「探さないとですね」

 やっばーと三人の間に微妙な空気が漂う。
 現状、素晴らしい景色のこの場で昼食をとれた事に感謝をしてから、灯里達は行動を開始する。おそらくはこの川の上流に居るかもしれない。
 その淡い期待を持ちながら、三人は再び行動を開始する。
 歩き難い道無き道を進むが、アリア社長の気配はしない。どこまで行ったのか、心配になってきた灯里は少し焦り始める。

「アリアしゃーちょー!」

 声を張り上げて森の中に叫んでみる。返事があれば良いのだがと耳を澄ますが、川の流れる音が聞こえて来るのと、風に揺られて鳴り響く葉の音くらいしか聞こえて来ない。
 小さくため息を吐いてから、三人は再び歩く。
 それから更に数分後の事だった。森の中に、より一層光の強い場所が現れる。そこから小さく、聞き覚えのある声のようなものを聞いた気がした。

「アリア社長ー!?」
「ぷいにゅー!」

 間違いなく、それはアリア社長の声だった。良かったと灯里は走る。その後ろを付いて来る藍華とアリス。
 そしてアリア社長を追い掛けた先に――森が開けた。

「ぇ――」
「う、うわ」
「なにこれ……」

 もはや言葉も無い。そこにあったのは、巨大な、それこそ巨大なオレンジの木が一本立っていた。威風堂々としたそれは、樹というべきものだろうか。その枝に付けたオレンジは大きく、その真下にある源泉には沢山のオレンジが落ちていた。ここが、この川の流れの大元なのだろう。
 樹の大きさは果たしてどれくらいのものだろうか。灯里達三人が手を限界まで開いても、おそらく一周はできないだろう。巨大な樹はおそらく、そこに生まれた時からずーっと成長を続けて来たのだろう。この森の主と言っても過言ではないその巨大な、巨大な樹は、あまりにも立派だった。

「あ、灯里! 灯里!」
「?」

 あまりの存在に目を奪われていた灯里に、藍華から声がかかる。声の主は、何時の間にやら樹の横に移動していた。しかしその視線は、更にその奥に向いているようだ。
 灯里とアリスは顔を見合わせてから、オレンジの樹横へと移動する。

「洞窟、みっけ」
『――――』

 私も驚いてますという顔で行った藍華の言葉に、灯里達は表情をコロコロと変える。どう喜びを表現すればいいのか、どうこの瞬間の気持ちを表現すればいいのか――さっぱり判らない。

「ほわぁぁあああ!!」
「や、やった、やりました!」
「やっちゃったわ私達!」

 灯里はもはや何を言えばいいのか判らないらしく、喜んでいるのか驚いているのか判らない叫び声を上げていた。アリスは灯里の両手を持ったまま洞窟から目を離さず、藍華は二人を抱き締める。
 その後方で、ちゃっかり灯里のかばんを受け取り、その中から自分の昼食を頬張っているアリア社長には一切気付かない。

「ぼ、冒険しちゃう?」
「行きましょう!」
「適当に選んだ島に、こんな場所があるなんて――なんてラッキー」

 緊張で震える全身を必死になって抑えて、三人は高鳴る心臓を抑えられないまま洞窟の中へ。外からの光がある程度まで中を照らしていて、キラキラ光る地面や天井、壁に三人とも言葉が出ない。
 そしてゆったりとした曲がり道のようで、少しずつ暗くなっていく洞窟内。さすがに光が必要だろうかと思いながらも、三人はゆっくりと進んでいく。
 そうして本当に真っ暗になり、後方から水の音が聞こえなくなったあたりで、洞窟の中が風の音だけが響き、とても静かな事に気付く。自分達の足や腰の動きで、洞窟の中が微妙に坂道になっている、ということくらいしか正直判らない。しかし、完全に漆黒の中に入ってしまうと同時に、進む先から光りが再び現れる。
 随分と軟らかい、蒼い光。
 そしてその光の正体を見て――三人は唖然とした。

「苔が……光ってる」
「凄い――」

 もう、驚く事が以外にできることがない。灯里も、藍華も、アリスも、言葉を失う。
 そうして蒼い光に導かれたそこで、もはやグゥの音も出ない光景に、目を奪われた。

『……』

 そこは地底湖と呼べる場所だった。洞窟の奥深くにある窪んだ場所に溜まった水。それが湖のように溜まったのだ。しかし、その水は至る所から垂れて来るほんのわずかな量の水が溜まって出来た物。これだけの水が溜まるまでに、はたしてどれほどの長い時間が必要だろうか。
 その大きさは、直径10メートルほどの横幅で、深さは30センチほどだろうか。奥の方は判らないが、もっと深そうである。というよりも、更に先がありそうだ。
 だが灯里も藍華もアリスも、これ以上先に行く気はない。無論、行けないからなのだが、それ以上先を求める必要がないからだ。

「す、凄い……まるで宇宙の中に居るみたい」
「光る苔なんて、初めて見た」
「これが存在したのは数百年も昔の地球の洞窟内部のはずです」

 何を、どう言えば良いのか。とにかく目の前の光景に唖然としていた灯里は、段々とその表情をにんまりとした笑顔に変えて行く。もう耐えきれないというように。
 しかし藍華とアリスも、似たようなものだった。

「まるで、銀河の中みたいだね!」
「惑星の中で銀河って変なんだけど」
「だけどキラキラ光る水と、淡く光る苔が、まさしく宇宙みたいです」

 キラキラと輝く洞窟内部にある水が数多の惑星で、蒼い苔が銀河の光。惑星の中なのにこんな光景を見せられてしまうと、三人は自分がどこに居るのか一瞬判らなくなってしまう。
 ここはアクアで、一つの島で、その中にある鍾乳洞で――素敵すぎる世界で。

「別の世界に迷い込んじゃったね」
「もう言葉も出ないわ……こんなの」
「さすがに表現のしようがないです」

 えへへーと笑いながら言う灯里。そんな彼女の言葉に、藍華もアリスもこの壮大すぎる世界を表現する事が出来ない。灯里もそれは同じで、微笑みを浮かべるだけ。
 だが――それでいいじゃないかと、灯里は思う。
 しばしの沈黙が流れて、三人は思い思いにこの光景を楽しむ。

「キラキラ煌めく星と、淡く優しい蒼い銀河……か。星間旅行をしてここに来たけど……なんだか本物の宇宙空間よりも、このアクアの宇宙の方が好きかも」

 灯里がそう言った時、まるで彼女の言葉を待っていたというように、唐突に蒼い光が強まる。
 えっと三人が驚いている間に、その光はどんどん強くなっていく。淡い光は巨大な照明となり、洞窟全てが蒼い光に覆われてしまった。
 そこで――灯里は気付いた。気付いてしまった。

「そっか、ここは、アクアなんだ」
「え?」
「静かで綺麗な空間は夜で、淡い光は街灯。だけど一度蒼い光が生まれて朝になれば――そこは淡い蒼い世界――アクアになる」

 そう、それはアクアそのもの。さきほどまでが夜ならば、今この瞬間は朝だ。
 蒼い洞窟――まるで、アクアの内側に居るようだ。しかしアクアの大気の中という意味ではなく、その言葉の通りの意味。つまりアクアという星の体内に入り込んだということだ。
 それはきっと、この惑星のプレゼントなのだろう。
 この星の、ウンディーネという水の妖精たちへの、ささやかなプレゼント。

「藍華ちゃん、アリスちゃん、私達アクアに抱き締められてるんだね」
『―――』

 クルクルと回る灯里。その言葉に、藍華もアリスも敵わないなと思う。素敵な言葉を言いたかった。灯里に負けないくらいに。こんな光景を見たのだ、恥ずかしい台詞も何もない。
 だというのに、藍華もアリスも出て来なかった言葉。この景色を表現したかった。どうにかして言葉にしてみたかった。だがどうしても普通以上の感想が限界で、これらを表す言葉が出て来なかった。
 だからこの時、藍華とアリスは灯里の言葉にとても満足すると同時に、そういう感じ方ができる灯里が心の底から羨ましかった。

「敵わないわ」
「まったくです」

 そう言って、二人は灯里を見る。心底楽しそうにそこら中を見て回っている灯里を見て、まるで宝石のような笑みを浮かべる灯里に、微笑むしかない。
 この蒼い世界は、確かにアクアだ。
 だが同時に、二人は灯里もそうなのではないかと感じていた。蒼い世界で宝石のような笑みを浮かべるあの子は、まるで本物の宝石であるアクアマリンみたいだと。




 たっぷりと鍾乳洞を楽しんだ三人が外に出た時には、時刻は夕刻になっていた。
 さすがにこれ以上遅くなると森は真っ暗になってしまう。とにかく急いで戻ろうと三人は森を抜けるために川を下って行った。暗くなっては、帰り道が判らなくなってしまう可能性まである。
 アリア社長も今度は急がずに、灯里の傍を歩き続けていた。
 そういえば洞窟の中には入って来なかったなと思いながら、灯里はきっと怖かったのかもしれないと思う。
 そうして、三人は小さなお土産を片手に、無事ゴンドラまで辿り着き、灯里はARIAカンパニーへ、アリスはオレンジぷらねっとへ、藍華は姫屋へと帰宅した。
 そしてアリシアが最後の仕事を終えて帰って来た時、灯里は今日の話をした。そのお土産である、光る苔を持って。

「まあ、まあまあまあ! 灯里ちゃん、すごいわ!」
「とっても綺麗なんです、アリシアさん!」

 電気を消して光る苔を見て、アリシアは今日の仕事の疲れが吹き飛んだかのようはしゃぎ、驚きに目を見開いた。灯里の話は本当で、このアクアにも凄い鍾乳洞があるという事を知る。
 だが人を連れて行くような場所ではなく、もちろん人に教えられる場所でもない。
 だから、灯里達はあそこを彼女達だけの秘密の場所にしようと思っていた。それになにより、場所が遠い。

「素敵ねぇ……光る苔なんて、初めて見たわ」

 どうしてあそこに鍾乳洞と呼べる洞窟があって、その中に光る苔があるのかは灯里には判らないし知らない。しかし現実、あそこに確かにソレは存在していて、灯里達に素敵な思い出をくれたのだ。それ以上でも以下でもなく、それが真実。
 だから、光る苔の正体も、あの島の事も、灯里は気にしない。

「その内、私も連れて行ってね」
「はひ! 私もアリシアさんや晃さん、アテナさんにも見せてあげたいです!」

 興奮冷めぬやら、灯里は声を荒げてアリシアに言う。蒼い淡い光に照らされる灯里は、本当に良い笑顔で話をしている。
 アリシアはそれを見れる事も幸せだし、こうして彼女のお土産話を聞くのも楽しいし嬉しい。しかし灯里は知らないがアリシアにはそれよりも心配ごとが一つだけあることを、灯里は知らない。

「灯里ちゃん」
「? はい?」

 とりわけ今日は良く喋る灯里は、アリシアに言葉を止められて一瞬固まる。だが次の瞬間、ギュッとアリシアに抱き締められていた。
 一瞬、何事と理解することができずに、灯里はパクパクと魚のように口を開いては閉じる。

「色々なところに冒険に行って、色々な物を見るのは良いわ。だけど必ず、無事に帰って来ること。それが絶対条件。灯里ちゃんは、素敵な事になると見境がないから、少し心配」
「アリシアさん……私そこまで見境ないですか?」
「うん。ちょっと」
「がぁーん」

 クスクスと笑うアリシア。だがそれは心から心配してくれているからの言葉だろう。確かにこうして光る苔なんて綺麗で、奇跡的に存在する物を見せてくれた。しかし話を聞けば少しばかり危なげな場所でもある。だからこそ、アリシアは少しだけ釘を刺したのだ。
 灯里はしばし自分の行動を考えてみる。もし自分に後輩が出来て、こういう苔を持ち帰って来たら、まず喜ぶ。それは間違いなくて、同時にどんな場所に行ったのか判らないので心配もする。なるほどと灯里は理解した。

「可愛い後輩の笑顔とお話が聞けるから、私は嬉しいの。だから灯里ちゃん、あまり無茶は駄目よ?」
「はひ。私も、アリシアさんにそこまで心配かけたくありません」
「わかればよろしい」
「……」
「……」

 抱き締められたままポンポンと背中を優しく叩かれて、灯里はんーっとアリシアの身体にくっついたまま固まる。あら? と離れない灯里に、疑問符を浮かべるアリシア。
 直後、灯里はアリシアに抱き付き返す。

「アリシアさんぬっくいです」
「あらあら」

 ギューッと抱き付いたまま離れない灯里に少し困惑した笑みを浮かべるアリシア。だが灯里を無理矢理引き離すとか、そんなことはしない。それを知っているのかどうかは判らないが、灯里は幸せそうな笑みを浮かべている。
 優しい先輩の、優しい言葉。
 この素晴らしいアクアという星で、様々な出会いや、色々な素敵な体験をして来た。今日の洞窟探検もその一つだ。
 しかしやはり、一番嬉しい出会いは、この人だった。

「私、ARIAカンパニーに入れて、アリシアさんに出会えて、凄く幸せ者です!」
「あらあら……ふふ。それじゃあ灯里ちゃん、今日のお話、もっと聞かせてもらおうかしら?」

 今日は泊って行くわ、なんていうアリシア。その頬が暗い部屋の中でも少し赤く見えたのは、きっと気の所為ではないだろう。
 灯里は元気良く答えて、わーひとアリシアから離れる。
 それから、数時間後。夜遅くまで、ARIAカンパニーの二階には少女達の笑い声が響いていた。


 ちなみにこの時、アリア社長はあまりにも疲れてとっくに二階で眠っていたりするのだった。





―――――――
どうも皆さまこんばんわ。
今日は暇でした。同時に最近仕事の休みが固まっていて暇な日が続いていました。
ついでに言えばスパロボZ2、グレンラガンのギガドリルブレイクの演出に思わず笑ってしまいました。
アニメまんまなんだもんw

さあ書いてしまいましたやってしまいました。
皆さん鍾乳洞とか洞窟、見た事あります?
自分はいくつか見た事があります。
その時、わたくしめは生意気な餓鬼んちょでした。
見たくも無いと父さんに喚いたものですw
しかしいざ行ってみて、その凄まじい光景に唖然としたのを覚えてます。
世界は凄いです。日本は狭いです。
鍾乳洞。あんまりにも凄い光景やら景色を見ると、言葉も出ない事があります。
今回はその三つの驚きを灯里たちにしてもらいました。
「うわー」っと声に出す喜び。
「ぇ――」っと目を疑う喜び。
「―――っ」っと息を呑む喜び。
驚き方にも色々ありますが、やはり息を呑む瞬間が一番大きいでしょうか?
ちなみに、多分オレンジがいくつも川に落ちても、水の味がオレンジになるなんてことはないかと(オイコラ
数十年、ずっとオレンジがあれば、もしかすればと思いこんな感じになりました。

世の中、苛々したりすると見えないですが、まったりのんびりした時ほど「お~」なんて思う事は多々あります。
時々車で散歩もといドライブに行く時がありますが、畑の中やら森の中やら走ると、とても気持ちの良い穏やかな気分になります。
そんな感じで、今回はこれを書いてみました。
というか、ARIAの小説を書き始めた最近ですが、実はこれが書きたくて練習的に書いてました。
皆さまの感想で自信を少し貰い、夕方6時頃から9時頃まで書き、微調整的な事をちまちまやってやっと完成です。

皆さまにも新たな発見をしてもらえれば、なんて思います。
ではでは! ヤルダバでした!



[27284] 温泉の島
Name: ヤルダバ◆c7be7aa7 ID:751ca440
Date: 2011/04/27 21:56



「藍華ちゃん、アリスちゃん! 見てこれ!」
『はい?』
「にゅ?」

 唐突に灯里の声が上がった。
 時期は秋。時刻は正午。昼下がりの昼食後のちょっとした散歩の最中だった。
 カフェ・フロリアンでまったりと過ごした三人は店長に挨拶をしてから合同練習に戻ろうという、その最中である。
 灯里の声に二人と一匹が止まり、彼女の方を向く。そこに、とあるパンフレットを持って二人と一匹に見えるようにビシッと突き出す灯里の姿があった。

「日本の温泉ここに現る?」
「なんだかアニメちっくなタイトルですね」
「草津温泉だって! ねえ、行こうよ!」

 そこのパンフレットには「日本の最高の温泉! ついにネオ・ヴェネツィアに上陸!」なんて見出しがあった。ふむなるほどと、二人は考える。
 温泉という存在は、もちろんネオ・ヴェネツィアにも存在する。有名なところで言うならば屋敷の一階を丸ごと温泉にしてしまった名物温泉だろうか。だがその温泉は、ただの温泉。もちろん効能はあるだろうが詳しくは二人も憶えていない。
 しかし草津温泉と聞けば、地球にある日本の名物の一つだ。匂いは臭いらしいが、その効能は凄まじい物で、なんでも大きな物は皮膚病などの病、小さな物は擦り傷まで、なんでも治してしまうらしい。故に興味はあるし、気になる物でもある。
 悲しい事に、このネオ・ヴェネツィアどころかアクアにはそのような温泉は湧き出ていない。

「草津温泉っていうのはね、日本にも今は一ヶ所しかない温泉なんだ。予約がいつも一杯で入れないの」
「ってことは、あんたも入った事はないと」
「うん!」

 何故満面の笑みで答えるのか。それはもちろん、このネオ・ヴェネツィアにその温泉が来るからだろう。
 だがただ温泉が来るだけでは面白くないらしい。この草津温泉とやらを持って来ようという企画者は、どうやらネオ・ヴェネツィアが大好きなようで、レトロとハイテクを融合するという話もあるようだ。
 インタビューに答えているのは男性だろう。写真の横にそのインタビューの細かい話がある。

「なになに? ネオ・ヴェネツィアのアドリア海に人工島を置き、一週間の限定ツアーを開催。尚、この企画の手伝いをしてくださったARIAカンパニーには多大な感謝を込め――って、え?」
「へ?」
「お?」
「にゅ?」

 今、間違いなく聞き覚えのある名前があった。そう思い三人と一匹が目を擦り、見間違いではないかとマジマジとパンフレットを見つめる。
 そこには間違いなく、ARIAカンパニーの文字があった。

『……』

 しばしの沈黙。それからたっぷり数秒後。

『ぇぇえええええ!?』
「ぷぷいにゅー!?」

 三人と一匹の声がネオ・ヴェネツィアに響いた。




「あ、アリシアさん!」

 バァン! と勢い良く開いた扉。かなりの急ぎだったので勢い余って開いた扉はARIAカンパニーの壁に激突する。しかしそんな事は気にしない灯里は、パンフレットを持ったままアリシアへと近づく。

「あら、おかえり灯里ちゃん」
「ただいまです。ってそうじゃなくて!」

 灯里の様子に気付きながらもいつもの笑顔で迎えるアリシア。その笑顔に同じく笑顔になって答える灯里だが、フルフルと首を横に振る。
 そしてパンフレットをアリシアに見えるようにするのと、藍華とアリスが入って来るのはほぼ同時だった。

「あ、アリシアさん、これなんですけど!」
「ん? ……あら、あらあらまあ。本当にこの企画通ったのね」
「じゃ、じゃあやっぱりアリシアさんが?」
「この前のゴンドラ協会の会合でね、この話が出たの。そこで私が少し意見を述べただけなんだけど……」

 何にもしてないはずなのにインタビューで自社の名前が出ている事に、アリシアも驚いているようだ。しばしインタビューを読み、コクンと首を傾げる。

「あら、こんにちは藍華ちゃん、アリスちゃん」
『こんにちは』

 灯里と同じく肩で息をしている二人。三人とも大分急いで来た様子が良く判る。

「ARIAカンパニーには招待状を送る……って書いてあるわね」
「わ、私達入れるんでしょうか!?」
「多分?」

 パンフレットを再び見て、気になるところを言ってみる。その言葉にしっかりがっちり反応する灯里に、一瞬驚きながらもアリシアは微笑みながら首を傾げてみる。
 こういうパンフレットに書いてある場合、さすがに悪戯や冗談ではすまないだろう。まず間違いなく本当であることは間違いない。であれば、やはりフリーチケットなどが貰えるのだろうか。いやいや、さすがに値引き券など? 既に灯里の中では入れる事は決定事項。

「あ、灯里、落ち着いて」
「灯里先輩、凄い勢いでトリップしてますね」
「あらあら」

 ほわ~っと既に何かを夢見る少女になっている灯里に三人は苦笑いを浮かべる。
 とりあえず灯里を放って、アリシアはそうだと今朝届いていた手紙のいくつかを漁る。すると、その中に「ネオ・ヴェネツィア、草津温泉上陸企画部より」という手紙があることに気付く。
 このご時世に地球の人がメールではなく、わざわざ手紙を使っている事に僅か驚く。

「これだわ。かなり沢山チケットが入っているけれど……」

 取り出したのはチケットの入っている手紙。中の白い紙を見てみると、丁寧な字で「ARIAカンパニーの皆さまにこの度は多大な感謝を」と書かれている文章だけがある。

「……ちなみにアリシアさん、どんな意見を?」
「ん? んーっと……確か、ならネオ・ヴェネツィアに孤島を持って来て、そこに温泉を作ってはいかが? って言った記憶があるわ」

 本当に別に大したことは言っていない。何故多大な感謝をされ、更に無料招待券を6枚も用意してあるのか。首を傾げること数分、アリシアも灯里も、細かい事は気にしない事にした。

「招待されているんだもの、使わないともったいないわ」
「そうですね! 招待されたら行かないと! もちろん藍華ちゃんとアリスちゃんも行くよね!?」
『モチロン』

 灯里の言葉に即答する二人。その右手には親指がキラーンと立っていた。




 それから数日後。
 地球より飛来した人工島――その名も草津島はたった一週間のためだけに持って来られた。その移動の仕方は実にシンプル。巨大な宇宙航空便の中に入れて遠路遥々持って来たのだ。
 時刻は朝八時。良い時間である。波も高く無く、天候も晴れており、風も穏やか。「島」という巨大な物を降ろすには絶好の日だった。
 そしてなんと、「島」がネオ・ヴェネツィアにやってくるなんていうのはあり得ない事なので、その日は街を上げてのお祭り騒ぎ。ウンディーネ業界ではお客様には申し訳ないのだが、予約を入れていた人達の分は別の日に変更となり、どうしても今日でなくてはならないという人の分だけ、観光案内をする事になっていた。
 つまり――街を上げて本来の仕事は休んで、皆で温泉に行こうというのだ。地球ではありえない事を、平気でするのがこの街、ネオ・ヴェネツィアである。
 さすがに休んではまずいだろうという仕事、例えば郵便配達の場合は郵便物を回収し、速達分だけを配達して終わり次第終了。そんな感じだ。
 仕事はするが最低限の仕事でオッケーというわけだ。
 ちなみにARIAカンパニーには当日、予約は一件。一応事情を説明したところ、後日でも全然オッケーであり、その代わり草津島まで連れて行ってくれという話になり、決定。
 そう、草津島は人工島。それも巨大な船がアドリア海のど真ん中に降ろすのだ。
 大きさは幅500メートル、縦500メートルの超巨大な物。しかし温泉だけを入れる島なので重量も無ければ質量もほとんどない。言うなればフライパンを海に浮かせるようなものだ。

「す、凄いですアリシアさん。島が浮いてます」
「凄い光景ねぇ」

 さすがにこんな光景は見たことが無いため、アリア社長も含めその場に居る全員が唖然としていた。
 ちなみにそこに居るのは灯里とアリシア、アリア社長は当たり前だが、藍華、アリス、アテナ、晃のいつもの6人である。ちなみに藍華の手には姫社長。アリスの手にはマーくんが居る。
 全員呆然と見上げている。

「島の配達ってか?」
「配達っていうか……何?」
「でっかい物を、でっかい海に……」
「なんていうか、夢を見てるみたいね」

 それぞれの感想を、目の前の光景を見ながら言う面子。
 それもそうだろうが、上空には数百メートル級の巨大な宇宙艦がある。別に宇宙戦艦とかそういうわけではないし、母艦とかそういう仰々しい物でもない。ただ、巨大な物を運ぶための船なのだが、その大きさは圧巻であり、地球の最新技術の結晶とも言える船なのだ。だから、あまりに大きい所為で威圧感があるのは否めない。
 しかし、島は順調にゆっくりと降ろされている。海の上に降ろされる以上、船で行かねばならぬわけだが、ゴンドラを扱えるのは船を持つ人だけ。
 そこでウンディーネ協会に依頼が来て居た。シングルだけが集まってできるトラゲットを、渡し船として使用したいという考えと、幾人かのプリマに渡し船をしてほしいというもの。もちろん帰りも送る必要があるが、一度島に行った場合、夕方6時を過ぎない限り帰ってはならないという良く判らない条件があった。更には島に入る場合、入場時間は12時まで。条件付きである。
 おそらくは、その送り迎えのウンディーネ達にもしっかり楽しんで欲しいからなのだろうが。

「おー……」

 ゆっくりと降ろされた人工島、草津島。ただの温泉の為にどんだけの人件費と航宙費、更には様々な会社への依頼した際の契約金がかかっていることか。
 ちなみにARIAカンパニーは少人数すぎるので、今回のゴンドラ協会の「トラゲット」も「プリマの渡し船」にも参加しないことになっている。唯一送るのが元々予約で入っていたお客様だけである。つまり、お客様と一緒に草津島へ行くわけである。
 なんにせよ、灯里の顔はもうワクワクのドキドキで止まらない。いや、ワクワクもドキドキも越えて、今にもこの場ではっちゃけそうである。
 草津島から、湯煙が上がり始める。どうやら温泉を作り始めているようだ。
 さすがに地球から草津温泉そのものを持って来ることはできない。しかし今の技術ならば草津温泉と同じ物を作ることも可能である。だから、この企画者はこんな途轍もない事をやろうと計画したのだ。
 だが草津温泉――地球の神秘でもあり、日本の神秘でもある常に無菌の不思議な温泉。一説には火山の影響という話もあるが、そこまで勉強をしていないし調べてもいない灯里達には判らない。
 ただ単に温泉に入れる。それが重要なのである。

「ん~! 私ワクワクしてきました!」
「あらあら。灯里ちゃん、もう爆発しそうよ?」

 今すぐにでも飛び出したそうにウズウズしている灯里を見て、アリシアは笑顔のままそんな事を言う。その発言の理由はもちろん、アリシアも内心ウズウズしているのだった。
 藍華とアリスは灯里の反応に苦笑いし、アテナと晃はアリシア同様にウズウズしていた。
 ぶっちゃけ、全員今すぐに海に飛び出したいのだ。しかしさすがにあの巨大な島である。あんな物が降ろされた直後に海に出ては波に押し倒されてしまう。
 いかに軽い人工島とはいえ、島だ。他の島と比べれば軽いだけで、その重さは実に数百トンはある。しかも機械の塊でもあるのだから、重い方だ。
 現在ARIAカンパニーの二階から見ているのだが、波は結構高くなっている。しばし待たない限り船出はできそうにいない。なにより……草津島の準備がまだかかりそうだ。
 巨大な航宙船はゴウンゴウンとアクアから離れて行く。一週間後に戻ってくるのか、アクアの近くで滞在するのか。おそらくは後者だろう。さすがに地球に戻るには一週間では短すぎる。

「まだですかね」
「まだよ」

 ドキドキしている六人中、もう我慢できないというようにソワソワしている灯里。もうどうしようもない。
 アリシアはそんな灯里を軽く落ち着かせようとしているが、灯里に即発されてアリシアもソワソワしている。
 そんな二人を見て、可愛いなぁ、綺麗だなぁと思う数人が横に居た。

「あ、皆さんあそこ」
『ん?』

 アリスが不意に、空を指差した。そこには大きめな飛行船のようなものが飛んでおり、そこには電光掲示板が流れている。そこにはこう流れていた。

「草津温泉の準備完了致しました。波が収まり次第ネオ・ヴェネツィアの皆さまの歓迎を行いたいと思います」

 準備完了が随分速いなと思いながらも、波は次第に穏やかになって行く。
 もう、ネオ・ヴェネツィアが待つ必要は無くなった。マルコポーロの海岸線や、サン・マルコ広場の船乗り場付近から、早速数人のゴンドラが流れ始める。同時に至る所から洗われるゴンドラの数、数、数。どこにこんなにという程に、ゴンドラがわらわらとネオ・ヴェネツィアから出て来る。

「うわぁ……まるでゴンドラの海だね」
「っていうか……ゴンドラしかいないわね」
「この状況で出るのはちょっと危ないかしら」

 灯里の言葉に、呆れたような藍華の言葉。状況を見て出遅れたかしらというアリシアの言葉は、間違いないだろう。思いっきり出遅れている。
 さすがに危ないなと思いながらジーッと見ていると。しかし数が多いだけで皆しっかりとゆっくりまったり、焦らずに草津島へ向かっていた。やっぱり大丈夫かもと思いながらも、少しだけ待つことにする。

「一階に降りましょうか」
「はひ!」

 トントンと階段を降り始めるアリシア。灯里は彼女を追い掛けるように階段に向かう。その後ろをアリア社長が付いて行く。
 二階からでも見えた湯煙は、今や凄まじい勢いで上がっていた。

「煙が凄いわね」
「まるで霧の中に浮かぶ蜃気楼が本物になったみたい」
「恥ずかしい台詞禁止!」
「そもそも秋に蜃気楼は発生しません」
「冷静な突っ込みは辛いな、アリスちゃん」

 少しずーんとなりながら、アリスの強烈な突っ込みに苦笑いしかできない灯里。しかし小さなことなど気にしない。率直な感想がそう思ったのだから灯里にとってはそんな事は些細な問題だ。

「灯里ちゃん、私はお客様を待つから、先に行って良いわよ?」
「いいえ、お供します!」
「でも……」

 アリシアの提案を、しかし灯里は突っぱね様とする。もちろん、あの草津島とやらに到着を一緒にしたいからなのだが、アリシアはもう今すぐにでも、正直ゴンドラが無くても海の上を走ってでも行きそうな灯里のソワソワっぷりに、見ている方までもがドキドキワクワクしてしまうのだ。
 アリシアとて一緒に行きたいのは山々だが、いかんせんそこまで楽しみにしている可愛い後輩を、お客様とはいえこちらの都合で待たせるのも悪いかと思ったのだ。
 しかしながら、そんなアリシアの意図を汲み取ったのか、晃が灯里の肩に手をポンっと置く。

「アリシアがこう言ったんだ。灯里ちゃん、藍華、アリスちゃん、先に行って良いよ」
「私達はアリシアちゃんとお客様を待つから」

 名前を呼ばれた三人は顔を見合わせる。晃とアテナも先に行けと手をシッシと振る。
 そうなれば、ならばと動き出すのはやはり藍華だ。

「では、お言葉に甘えて!」
「行きましょう、灯里先輩!」
「え、え、ちょっとまって藍華ちゃん、アリスちゃん!」

 ちなみに、実に準備の良い六人は、とっくにお風呂セットの準備は済ませていた。藍華とアリスは灯里のゴンドラに置いておいたので、ゴンドラに乗り込むなり出発である。もちろん、アリア社長達も一緒に。

「灯里ちゃん、後でねー!」
「はーひ!」

 問答無用で動き出したゴンドラ。灯里は仕方なく先に行く事にする。アリシアの声に元気良く答えておいて、灯里は正面に浮かぶ巨大な人工島を見つめる。

「んん――――――っ!! ワクワクが止まらない!」
「落ち着いてください灯里先輩」
「全く、ワクワクドキドキモード全開にもほどがあるわよ」

 思わず叫んだ灯里に対して、アリスも自分のドキドキを抑えながらそんな事を言う。それを知っている藍華は苦笑しながら灯里の全開っぷりに突っ込みを入れる。

「でも、楽しみだよね!」
「はい、でっかい楽しみです」
「当たり前でしょ。楽しみじゃないはずがないわ」

 何せこんな出鱈目なイベントなのだ。楽しみじゃない人なんて居るはずがない。
 至る所から上陸できるようになっているようで、灯里達も適当に草津島に上陸する。昨日まで無かったはずのその島。いや、それどころか先ほどまで無かった島なのだ。なんだか不思議な気分になって、灯里はそこに立ちながらはふーと溜息を吐く。

「ん~、新しい島って、なんか不思議」
「不思議っていうか……凄いかな」
「これが全部お風呂……ネオ・ヴェネツィアの人全員入れそうですね」

 確かにと、アリスの言葉に二人は頷く。
 周りを見てみると、楽しみにしていた人々がゆっくりと建物に向かって歩いて行く。と言っても、建物は一件のみで、上陸するための場所以外は全てが巨大な塀で囲まれている。なんだか城塞のような物々しさがあるが、お風呂なのだから当然といえば当然かもしれない。
 覗き見対策というところだろう。
 三人は建物に向かい、歩きだす。真新しい芝生は、靴越しに軟らかい感触がした。これらが全て人工とは到底思えない。芝生は人工芝生だろうが、それでもしっかりと緑を豊かに見せるその心は、見逃せない評価の一つだろうか。

「いらっしゃいませ。草津温泉へようこそ」

 そう言ってお姉さん二人が巨大な門の前で出迎えてくれる。本当にお城かと思ってしまうほどに大型の門は、しかし中を見てみれば以外にも大きめなロビーのようだ。
 どうやらロビーでお金を払い、中に入るらしい。お値段は高くもなく低くもなく。誰もが入れる値段でリーズナブル。更にタオルやシャンプー、石鹸などなどは必要ならば付けるとまで至り尽くせりである。更にマッサージエリアにアロマエリアなんかもある。

「な、なんか高級エステに来た気分だね」
「エステ……って?」
「地球で言う美容の味方ですね」

 灯里の言葉に、聞き慣れない言葉を聞いた藍華は首を傾げる。それにアリスが助け船を出すが、結局良く判らない。もちろん美容や身体のラインなど、女の子ならば気にしてしまう物は三人とて気にしている。だがそれでも、エステというものにはあまり興味が無く、見もせずにスルーしていた。
 ならば――今日はそのエステとやらを存分に満喫しようではないかと、三人はニヤリと笑う。

「あ、灯里先輩。ARIAカンパニーの方はこちらへって」
「ほへ?」

 ロビーで人々が並ぶ中、確かに一ヶ所だけそんな看板を掲げたまま立っている女性と男性が居る。灯里は一応チケットを取り出してその二人の元に歩いて行く。
 すると、二人の従業員はビシッと身嗜みを正し直立不動した。その行為に、ビクッと灯里が振るえる。

「お待ちしておりました、ARIAカンパニーの水無灯里さん、アリア社長様」
「そしてお友達の皆さまですね。では、どうぞこちらへ」

 そう言って開かれた場所は、他の人達とは違う道。なんだか悪い気がしながらも、どうぞどうぞと連れ込まれる三人と三匹。アリア社長も、姫社長も、マー社長も、なんとも言い難い雰囲気を出している。
 三人が入れられた部屋は、大きくもなければ小さくもない。そして見た所脱衣所という感じでもない。

「なに?」
「でっかい怪しいです」
「ふむ……嫌な予感」

 部屋の向こうで騒がしいロビーとは違い、異様に静かな部屋。こんな状況では不安になるなと言う方が無理だというものだ。
 しかしながら、灯里達の前に一人の男性が現れる。

「どうも初めまして。わたくし、今回この草津温泉ネオ・ヴェネツィア上陸企画を担当した者です」
『ど、どうも初めまして』
「はっはっは。そう硬くならないでください。ARIAカンパニーの灯里さん」
「わ、私の名前……」

 名乗ってもいないのに何故? とも思うが、企画担当者ということはこの企画の最高責任者ということになる。ということはARIAカンパニーとなんらかの繋がりがあるはずなので、灯里は首を傾げながらもどこかで聞いたのだろうと思う。
 しかし、男性は少し困ったという顔をした。

「おや、思い出して貰えないですか。私、数ヶ月前に灯里さん、あなたのゴンドラに乗ってるんですけど」
「ええー!? ど、どうしよう思い出せない……」
「ふふふ。いえ申し訳ない。さすがに沢山の人を乗せているのですから、私一人憶えていないのも無理はないでしょう」
「す、すみません。えーっと、えーっと……」

 黒い髪の毛。セミロングとまではいかないがそこそこに長い。黒縁のメガネとスーツ。しかし考えても考えても、思い出せない。んーっと考えていると、そういえば髪の毛の短い男性が、アリシアとの練習中にとある場所に連れて行って欲しいと言われて連れて行った記憶があるのを思い出す。
 その男性は絵が描きたいと言い、アドリア海のど真ん中に移動して、ネオ・ヴェネツィアを横一面に広げられる場所で絵を書いたのだ。揺れる船の上だというのに、である。

「私、あなたの言葉に驚いたのですよ。「このオレンジの光の中にあるネオ・ヴェネツィアはまるで夢幻のようで消えてしいそう、だから綺麗に描いてあげてください」と。そこまで街一つを愛せるあなたの言葉に、私いたく関心しまして、共に納得もしました。だからウンディーネという職業ができるのだと」
「……あ、ああー! もしかしてあの時の絵描きさん!?」
「そうです、思い出していただけましたか!?」
「はい! できたんですか、あの絵?」
「ええ、もちろん。確かに美しく、綺麗な世界。ゲットさせて頂きました」

 そう言って、男性はこちらへと優雅に三人を誘う。二人は頭の上に?マークを浮かべたまま灯里と男性の後ろを歩いて行くことしかできない。アリア社長すら疑問符を浮かべている。

「さあ、ご覧ください。あなたの心に負けないように、頑張って描き上げた私の最高作品!」

 辿り着いたのは大きな扉。その扉が開かれたその先にあったのは、巨大な絵画。そこには、長い髪の毛を持ったウンディーネの女性が、夕焼けのネオ・ヴェネツィアをバックに立っている絵画だ。しかしながらその女性、どっからどう見ても、灯里である。
 水無灯里本人の、満面の笑みがそこにある。

「………………ほへ?」
「あ、灯里だ……」
「灯里先輩……ですね」

 あまりにも綺麗な絵画。そのモデルはどう見ても灯里で、夕焼けに照らされる彼女はあまりにも美しい。

「水無灯里さん! 私はあなたに感謝しているのです! この美しいアクアの星を、本気で美しいと思える瞬間を与えてくださったあなたに!」
「お、大袈裟な」
「大袈裟なものですかっ! 故に、今回アリシア・フローレンス女史が提案された「島に温泉」という言葉を聞いた瞬間に閃いたのです! 灯里さん、あなたへの感謝の気持ちはこの草津温泉でお返ししようと!」

 全力全開で叫ぶ男性に、藍華とアリスはただただ見ていることしかできない。そして灯里は顔を真っ赤にしたまま巨大な絵画を見ている。自分そっくりの、夕焼けの中に佇む女性。
 だがとりあえず、藍華とアリスは理解した。――ああ、そう言う事かと。

「で、何故温泉?」
「灯里さんが温泉の話を熱く語られていたからです!」
「納得しました」

 藍華の問いに即答する男性。それだけであっさり理解したアリスはその時点でシャットダウンさせる。

「藍華先輩、これはもしや」
「ええ、判ってるわ後輩ちゃん。おそらくは私達の考えている通りよ」

 灯里と男性から少し距離を取り、藍華とアリスはこそこそと話す。
 そんな二人をしばし遠目に見ながら、灯里はボケーッとその絵画を見ていた。そうして、不意に口を開く。

「まるで、伝説の楽園と呼ばれる黄金郷みたい」
「っ!? 黄金……なるほど、そのような考え方もあるのですね」
「……ところで、そろそろ開店にしなくて良いんですか?」
「はっ! しまった時間が過ぎている! 開店だ! お客様を待たすな!」
『オープンします!』

 どこからともなく取り出したインカムに向かって、男性が叫ぶ。同時にインカムの向こうからまだーという声が聞こえて来ていた。そして開かれる巨大な門。もちろん男湯女湯に別れている。
 灯里、藍華、アリスの居る場所の扉は閉められ、男性も共に中に入る。

「ふう、お見苦しいところをお見せしました」
「いえいえ」

 ニコニコとしている灯里。男性はメガネを少し持ち上げて、頬を赤く染めたまま固まっている。

「あ、藍華先輩、これはもしや」
「シッ! 後輩ちゃん、ここは見守るべきところよ!」

 何時の間にやら隠れるようにしている二人。とはいえ灯里から少しばかり離れているだけだが。

「水無灯里さん」
「はい?」
「今回のこの企画は、確かにあなたへの感謝の気持ちです。ですが同時に、私はこのアクアという星を好きになりたい。そしてネオ・ヴェネツィアの人々と仲良くなりたいのです。これはその第一歩」
「そのお気持ちはとっても嬉しいです。ありがとうございます」

 なんだかだんだんと改まった態勢になり、男性は言葉を伸ばすように喋る。灯里はそれに対して心からの感謝を込めて答える。
 じれったいと思う影が、二人。

「人は美しいと思える物を美しいと思う。それは誰もが感じる感覚ですが、見慣れた物を美しいと思える人は滅多にいません。あなたは常日頃、新しい発見をされているようだ。ネオ・ヴェネツィアは、あなたにとって素敵な街ですね」
「はい。私にとって、ネオ・ヴェネツィアは唯一無二の存在です」

 そうして、男性はにこやかな笑顔を浮かべて、満足したように頷いた。

「では、灯里さん。あなたへの感謝はこの辺にして、たっぷりと楽しんでいってください」
「はひ、思いっきり!」

 灯里は笑顔で答える。その顔が少し紅潮しているのは気の所為ではないだろう。先ほどの絵画がそうさせているのだろうが、恥ずかしいとかそういうのを通り越して、嬉しすぎて赤い、というのが今の灯里には合っているだろう。
 藍華とアリスはおや? っと首を傾げるが、男性はそこの扉から女性更衣室に入れますと教えてからスタスタと歩き去る。

「あれ……告白とかないのかしら」
「おかしいですね……灯里先輩にでっかいゾッコンだと思ったのですが」

 どうやら、二人の乙女の勘は外れたようだ。
 しかし元よりそんな甘酸っぱい事すらも気にしていなかった灯里は、女子更衣室への扉へ。
 二人は灯里の後に付いて行って、「まいっか」と苦笑した。

「楽しもうよ藍華ちゃん、アリスちゃん!」
『もちろん!』

 開かれた更衣室からは、既に草津温泉の独特の匂いが漂っていた。




「はぁー……」

 極楽とはこのことを言うのだろうと、灯里は思う。
 超巨大な温泉。温泉のための島。実は草津島は日本にあるありとあらゆる温泉を再現しているらしく、草津温泉はその一部だった。北は北海道から南は沖縄まで、名所だった温泉の名を掲げたお風呂がいくつもあった。だからこその、500メートルなんていう規格外の大きさなのだ。
 とある昔のロボットアニメなどを見ると、そのロボットが15メートルとかなのだから、その大きさは計り知れない。人間って凄い物を作る時は凄い事をするんだなと、灯里は思う。

「きもちぃいー」

 現在、灯里は一人でまったりと草津温泉に身を委ねていた。白く濁ったお湯。その匂いは臭く、硫黄と呼ばれる火山近くによく発生すると言われる臭いだ。曰く、卵が腐ったような臭い。
 しかしそんな臭いなど灯里の障害には当然ならない。この白いお湯に浸かる為のちょっとした我慢だ。

「白いお湯に入れば、極楽天国……んー、臭いけど、なんだか不思議に気持ち良い」
「うん、とっても気持ち良いわね」
「はひ!? アリシアさん、いつからそこに!」
「ちょっと前から」

 まったりモード半分全開になりそうになりながら、灯里は唐突に現れたアリシアにビクッと反応する。
 ちなみにこの温泉にはタオルは付けないようにと書かれているので、灯里は少し沈み込む。アリシアは少し恥ずかしがり屋な灯里を見てクスクスと笑う。

「ところであの絵画……灯里ちゃんよね?」
「あ、はい……恥ずかしながら」
「あのシチュエーション、どこかで……」
「私が乗せたお客様が、この温泉の島の企画者だったんです」
「……そんなお偉いさんを乗せたことあったかしら?」

 んー? と首を傾げるアリシア。しかし思い出せないようでしばし沈黙した後、まあいいかと温泉に更に深く浸かる。
 どうやらネオ・ヴェネツィアの人にはこの草津温泉の匂いは少々きついらしい。入っている人はそんなにおらず、他の人はラベンダーやカモミールと言ったアロマ温泉、もしくは別の温泉に行ってしまっている。
 ほとんど、草津温泉付近は灯里とアリシアの二人の貸し切り状態。

「まあ……なんでしょう。この気持ち良い温泉に入れるなら、細かい事は気にしません」
「あらあら……そうねぇ」

 はふーと二人して溜息を吐く。この二人の場合、幸せが逃げると言われる溜息も、あまりにも溜め込み過ぎた幸せを放出しているというような感じに見える。
 まったりゆったり、白い水面に揺られる蒼い空。おそらく温泉の温度は38度前後。しばし長い間浸かっていられるような適温だ。高すぎると入れない人も居るからなのだろう。温度が低いと言う人はしばらく我慢すれば問題は無い。

「んにゃー……」
「あらあら灯里ちゃん、にゃんこさんになってるわよ」
「えへへ」

 もはやふにゃふにゃになっている灯里。しかしアリシアも似たようなもので、かなりふにゃりとした顔をしている。二人ともまったりモード全開である。

「あー、アリシアさん」
「んー?」

 灯里は四方を見渡して、囲まれているこの孤島を見る。不意に、実は世界はここだけしかないのではないかと錯覚してしまう。

「私達なんだか、素敵な小さな島に迷い込んだみたいですねー」
「んー」
「温泉が沢山あって、お腹が空いたらお菓子も食べれる」
「んー」
「小さな楽園――これがホントのネバーランド」
「うん、ここは温泉のネバーランド。きっと世の中には、もっと素敵なネバーランドが存在しているかもね」
「はひ。人が作った物でも、自然の物でも、素敵ならなんでもオッケーです」

 ニコニコまったり笑顔の二人。
 小さな楽園。500メートル四方しかない世界は、確かにそうだろう。
 外に出ればまたいつもの世界があるが、今はこの世界のみ。それがなんだか不思議で、灯里は温泉のネバーランドに迷い込んだ気分になっていた。
 何時の間にか、何時からか。もちろん自分達がここに来てからだが――この巨大な奇跡は、灯里の想いが元に作られている。
 巨大な絵画を見て、あまりにも美人に描かれている自分に少し恥ずかしがりながら、灯里は思考回路を止める。
 今はまったりゆったり、この温泉に浸かっていよう。
 細かいことは――気にしない。
 今は、この暖かい温泉に浸かりながら、秋の涼しい風を頬に感じて、澄んだ蒼い空を眺め、白い雲を観察し、光を放つ太陽を感じよう。ただそれだけで、十分。

「人工物と自然界に、サンドイッチ……摩訶不思議」

 ぽそりと呟いた灯里の言葉は、誰にも聞こえなかった。



 それから一週間。
 企画部担当の男性はARIAカンパニーに企画の元となった灯里への感謝をしにARIAカンパニーに再び現れる。
 男性は、実のところどこかのお偉いさんとか、どこかのおぼっちゃまとか、そういう人ではなかった。そう、彼の正体はただのプロのアーティスト。それも絵描きだったのだ。なるほど、あのネオ・ヴェネツィアをバックにした灯里の絵は彼が描いたものだったわけだ。
 今の今まで描かれた絵は全てが博物館レベル。飾られた数は実に数百枚を超えるといい、彼の描いた絵はなんと数十万から数百万で取引される。しかしそんな彼もスランプに陥り、どうしても絵が描けなくなってしまったという。
 そんな彼が灯里に出会ったのは、彼女がシングルになってから間もない頃だったらしい。灯里はなんとか思い出せたが、アリシアは正直思い出せなかったらしい。
 それほどまでに些細な出来事。しかし二人にとって些細な出来事でも、彼にとってはとても大きなことだったようだ。それにより、スランプを脱出。世界の新しい見方を知ったとのこと。
 故に、ゴンドラ協会に何か企画をということで、話をした。そこでアリシアから「温泉の島」というまず考え付かない考えを聞き、これだと思ったのだ。
 なにより、彼も温泉が好きであり、灯里も温泉が好きであり、二人は一時温泉の話で盛り上がったのだから。
 感謝するならば、でっかくしたいと、彼の突拍子もない考えからできたのが、この一週間の出鱈目な企画だったのだ。
 その費用はおそらく、考えるのもバカらしく、凡人には出せる物ではないことは間違いない。だが売り上げた金額もまた途方もない数字だろう。
 何せ、一週間ずーっと人が絶える事は無かったのだから。

「行っちゃいましたね」
「ええ、そうね」

 全てが終わった一週間。
 温泉の島とネオ・ヴェネツィアの人々にも好かれた孤島は、今はもうその姿はアドリア海にはない。元々そこには無かった島だが、あの大きさの物が一週間もあると随分と寂しい物がある。
 何も無くなったアドリア海。しかし、この場所には灯里だけではなく、ネオ・ヴェネツィアの人々全員が愛してやまない水の都を水の都たらしめる物である以上、やはりそこに大きな島があってはならない。
 アリシアとアリア社長と一緒に、ARIAカンパニーから見る夕焼け。
 そこにもう島は無いが、代わりに黄金の海がそこにはある。

「温泉の島も良かったけど……やっぱり私は、この景色の方が好きです」
「うん、実は私もそう」

 殺風景かもしれない。水平線の上に小さな島がポツポツある寂しい光景かもしれない。空に浮かぶ雲を見るくらいしかできないかもしれない。太陽の光を見つめる事くらいしかできないかもしれない。
 だけど――灯里は頬に触れる優しい海風が好きで、この何も無い景色が好きで、そして朝は蒼い海となり、夕方になれば黄金の海になり、夜には月光の海となる。様々な顔を見せるこのアドリア海が、好きなのだ。
 例え雲を眺めることしかできなくても、太陽の光を見つめる事くらいしかできなくても、ゆったりのんびり、それが出来るのであればどれだけ幸せか。

「アリシアさん」
「なぁに? 灯里ちゃん」
「黄金の海も、オレンジの空も良いですけど――私は、この素敵な光を放つネオ・ヴェネツィアも大好きです」

 そう、灯里が言った瞬間だった。僅かに波が高くなり、水飛沫が上がる。その水の粒は風に運ばれて空へと登る。すると水の粒は光を放ち、まるでプリズムのように光り輝き――水の粒は、ネオ・ヴェネツィアに虹を生み出す。

「色々な光を放つネオ・ヴェネツィアは、今日も絶好調ですね」
「灯里ちゃんの幸せ探しも、絶好調ね」
「……っ、はひ!」

 アリシアの笑顔と同時に、灯里は一瞬ドキッとする。しかし直ぐに満面の笑顔を浮かべた時には、彼女はいつもの元気な声を上げた。
 幸せの達人は、今日も絶好調である。






――――――――――――
どうもこんばんわ。ヤルダバです。
仕事が終わり次第書くと言う事をしていたら結構時間かかりましたw
やはり小説は難しい……そしてARIAが難しい。
今回は「まずないだろそんなの」という事をしたかったのでやってもらいました。
温泉の島……やりすぎですね。
ちょっと突拍子もない事をと思ったらとんでもないことにw
そして今回は特に灯里達の言葉もあまりなく……ちょいとARIAじゃない感じになってしまいました。
ARIAの雰囲気は壊したくなかったんですけど……んー。

ちなみに温泉の話を書いたのは、温泉に行ったから(ぉ
そして草津温泉のお湯に浸かったから(ぁ
いやぁ、気持ち良かった。
温泉って素晴らしいですね。まったりのんびりできます、本当に。
疲れも取れる、気分も安らぐ。良い事しかないなぁ。
ん~、やっぱ温泉に入ってる全員を書くべきだったかなぁ。
灯里ばっかりに行ってしまった気がする。あとアリシア。
この失敗を次の糧に!

ところで実は他の方のARIAをちゃっかり読み、オリジナルキャラを入れている作品を見て、オリキャラを作ってみたところ……駄目でした。
どうしてもARIAの雰囲気壊れますw
わたくしは灯里で楽しみますw
ではでは。

そして他の方々も頑張ってください!



[27284] 没ネタ1
Name: ヤルダバ◆c7be7aa7 ID:751ca440
Date: 2011/04/28 01:17
どうもヤルダバです。
書いてはみたけど「なんかな?」と思った物です。
灯里と晃の二人だけの話ですね。
かなり短いのでさすがにどうかなって思ってしまい、没にしたものです。
でも書いたからもったいないかなと思う貧乏性なワタクシヤルダバーは、こんなものすらも投稿させてもらっちゃいます。
……投稿させていただきますので、よろしくお願いします^^;

ではでは、どうぞ。











 春。陽気が気持ちの良い時期。
 気温はだいたい20度前後。とても過ごし易く、とても気持ちの良い温度だ。暑くも無く涼しくも無く、どちらかと言えばちょっぴり暑め。
 冬に比べて人が多く動き、同時に観光のお客さんも段々と来るようになる。
 しかし――本日、水無灯里はポカポカとした陽気の中、一人プリマへの練習中、一休憩していると思わずまどろむ瞼と格闘していた。動いていないと眠ってしまう。しかし休憩くらいはしたいので動きを止めてしまう。するとポカポカでホカホカの暖かい太陽の光は、人間に睡魔という悪魔を送り込んで来る天敵となる。
 とはいえ誰一人として、その睡魔に逆らえず、同時に太陽を憎むことはない。気持ち良くなって寝てしまうほうが悪いからだ。
「はぁー」
 少し息を吸い、それを吐き出す。小さな深呼吸をして、灯里は空を見上げる。ゴンドラは他のゴンドラの通行の邪魔にならないよう、メインストリートの端っこに止めてある。
 人々が行き気する往来の中、ゴンドラの上でまどろむ灯里。中々に肝が据わっている。
「すわっ! 灯里ちゃん、こんなところで何をしてる!」
「はひ!? 晃さん!?」
 ビクリと肩を震わせて、灯里は唐突に聞こえた声に慌てて振り返る。そこには腕を組み、仁王立ちをした黒髪の女性が立っていた。姫屋の晃・E・フェラーリである。
「ああ、その、と、とても良いお天気ですね」
「うむ。凄く気持ちの良い天気だ。それで、灯里ちゃんはここで寝ようとしてたね?」
「ええと……はい」
 空をちょっと見上げて、灯里の言葉に晃は同意する。
 うたた寝注意報を発令をしていたにもかかわらず、灯里はうつらうつらとしていた。それが晃に見つかったのは偶然だが、灯里とて眠りたいわけではなかった。ので、少しの弁解をしようとしたが、晃はよっこらしょと灯里のゴンドラに乗り込んで来る。
 そしてそのままゴンドラにある小さなソファーに座り込んで、ふぅと一息。
「…………」
「…………」
 静かな沈黙が流れる。
 どうやら、晃は別に灯里を叱るわけでも、怒るわけでもなく、ただ知り合いに出会ったからこうして乗って来たようだ。
 風が吹くと、海の潮が乗ってひんやり冷たい。しかし上空からの暖かい光は頬に付いたそれを一瞬で蒸発させる。この位置は、特にゴンドラやボートが通る場所なので水飛沫が立ち易く、風に潮が乗り易い。そのため非常に気持ちが良いのだ。おそらくは陸の上で寝転がるよりも更に気持ちが良い。
「……今日は珍しくフリーな時間が出来たんだ。お客様からの連絡で、とある事情でキャンセルになってな。そこで散歩していたら灯里ちゃんを見つけたんだ」
「なるほど、そうだったんですか」
「……アリア社長は一緒じゃないの?」
「今日は猫好きのお客様のご指名で」
「ああ、なるほど」
 灯里はまーったりとしながらも、ふと脇に置いてある水筒を思い出す。ゴソゴソと荷物の中を物色しながら、晃さんの観光案内をキャンセルしてしまうなんて、相当の事情があったんだろうなと灯里は思いながら、コップと水筒を取り出す。
 そして晃にコップを一つ渡して、灯里は自分特製の紅茶を差し出す。
「……これは、薔薇の匂い?」
「はひ。ローズヒップの紅茶です」
 人肌ほどのぬくい温度で水筒に入れていたそれは、良い匂いを漂わせる。晃はほほうと言いながら素直に受け取り、それを一口。薔薇の香りと、ほんのり甘酸っぱい味が口の中に広がり、春なのに薔薇とはこれいかにと思いながらも、その丁度いい味に心の中で大きな花丸を灯里にあげていた。
 そんな晃の小さな驚きは放って、灯里もコクコクと飲む。はふーと、短い溜息。
 こんな人波の多い水上で、まったりモード全開である。
「……なあ灯里ちゃん、道行く人に思いっきり見られてるぞ?」
「はいー。けど色々な人が通って、色々な船やゴンドラが通っているのを、私も見ています。――ああ、ネオ・ヴェネツィアは今日も大忙しさんなんだなって思いながら観察しています。だから、お互いさまなので気にしません」
 灯里は正面を見て、白いボート、黒と白のゴンドラ、道行く人々の服のカラフルな色。その行っては戻ってを繰り返す人波を見て、灯里はネオ・ヴェネツィアは今日も元気一杯の人々で賑わっているのだと満足気に微笑む。それ故に、こうしてここでまったりしていれば、逆に誰かに見られるのは当然というわけだ。
「確かに、大忙しで……お互いさまだな」
「はひ。それに――ここ、とても気持ち良いので人の視線なんてへっちゃらぽんです」
 街並みを観察するように見ているのだから、見られるのは当然であるという考え。お互いに見ているのだから気にすることはないというが、普通の人ならばおそらくは気にするだろう。不思議な考え方をする灯里だが、それが灯里にとっての普通なのだった。
 ただし、それはこの場に止まって良い場所だから。通行の邪魔にならない場所だからこそ、灯里もまったりしているのだ。さすがに灯里とてそんな理由で止めてはならない場所に止めるなんてことはしない。
 晃もここなら長時間止めていても大丈夫な場所であることを知っているので、深くは追求しないし言わない。なにより、こんな場所でも楽しめてしまう灯里に苦笑すら出る。
「ようし、なら灯里ちゃん。私と一緒に、春を見に行こうか?」
「え?」
 そんな提案がまさか晃から来るとは思っていなかった灯里は、口を開けたまま固まる。ぼけっと、固まる。
 晃はクックックと笑い、足を組んで、手を組んで、ニヤッと笑う。
「灯里ちゃんに私のとっておきを、お見せしよう」
「とっておき! 見たいです!」
 灯里は水筒をしまい、コップを受け取りゴミ袋にしまい、素早くオールを持ってゴンドラに立つ。そしてすぐさま移動開始である。晃との会話で、眠気はほとんどないのでオール捌きに心配はなかった。
「灯里ちゃん、向かうはあっちだ」
 そう言って晃が指を指したのは、ネオ・ヴェネツィアから離れる方角だった。しかしそんな些細な事は、もはや晃の「とっておき」宣言の正体を見たいと心をときめかす灯里にはなんの障害にもならなかった。



 辿り着いたのは、温泉。それもそこまで大きくはないが、どうやら前に藍華やアリスと共に行った場所とも少し違うようだ。
 灯里はドキドキワクワクしながら、ゴンドラをパリ―ナに括り付けてから晃と共に上陸。
 春を見る――そういえば、去年くらいにアリシアとも春を探しに出掛けたなと、灯里は思い出す。
「さあ、入るぞ」
「あ、でもタオルとか……」
「いらんいらん。ここではそれらの道具を全て貸してくれるんだ」
 へぇーと答えつつ、灯里は晃の後ろを付いて行く。
温泉の建物の中に入ると、まだ昼間だというのに人はまばらに居る。晃が店のおばちゃんと話をして、チケットらしきものを二枚。
「ここはな、アリシアとアテナ、それと私の三人の秘密の場所なんだ。ネオ・ヴェネツィアに住んでいても、ここには来ないからな」
「そうなんですか」
「そしてここは観光案内の本や、雑誌にすら乗らない隠れた名店。知る人ぞ知るってわけだ」
「そ、そんな秘密の場所に、良いんでしょうか私」
 畏れ多いなんて言いながら灯里がアワアワし始めるので、晃は苦笑いしながら彼女を背中から押す。気にするなと。
 そうして入った脱衣所で、さっさと服を脱ぐ晃。凄い綺麗なボディラインに少し見とれながら、灯里は一瞬の逡巡後に同じく服を脱ぎ出す。
「灯里ちゃん、入ると同時に、我が目を疑うよ?」
「え?」
 それ以上の言葉は不要とばかりに、晃は借りたタオルを身体に巻き付け、出入り口へ。
 灯里も慌てて服を脱いで、二枚のタオルの内一枚を身体に巻き付けて晃の後を追う。良く良く見れば、脱衣所の中には人がいない。
 さすがに、この時間は人が少ないようだ。
「さあ、行くよ?」
 ガラガラーっと、ガラスの戸が開く。
開かれたその先には、湯気の上がる温水――ではなく、桜の絨毯が、そこにはあった。
「う、うわー! うわー!」
「あはっはっはっは! 良い反応!」
 灯里の驚きに見開かれた瞳。声を上げて心底驚いてますという反応。驚かす為に連れて来たのだから、これくらいのリアクションは欲しい。そしてそのリアクションは晃を十分に満足させられるほどの、大きなリアクションだった。
 しかし、灯里にとってそれは純粋に驚いての反応。
 本来は温水があるはずであるお湯は全てが桜に埋め尽くされ、露天風呂と呼ばれる外に造られた温泉の上には桜の天井が存在していた。
「桜に挟まれてます! 世界がピンク一色です!」
 去年くらいだろうか。アリシアと共に見た電車の中の桜の絨毯と、桜の天井――あれよりは小さいとはいえ、数が大幅に多い桜の木の数。
 あれが壮大で威厳ある一本なら、これは迫力ある大群である。
「この時期になると、この温泉の周囲にある桜の木が一気に満開になるんだ。今日私がフリーになったのは偶然だから、灯里ちゃんは運が良い」
「晃さん、ありがとうございます!」
 灯里の満面の笑みは、桜に負けないほどに綺麗だったと、晃は思う。
「純粋にそこまで喜んでくれると、連れて来た甲斐があったよ」
 クスクス笑いながら、晃は良かった良かったと呟きながら温泉に入る。
 灯里もその後に続き温泉に入ろうとするが、その前にと足の指先だけで水面――というよりも、桜の絨毯に触れてみる。ふわふわと軟らかな桜の感触が、指先に触れてくすぐられるような気持ちになる。
 足の裏をゆっくりと付ければ、とってもこそばゆい。そうして足を温水の中に入れてみれば、まるでどうぞと言わんばかりに水面に出来た波紋によって桜の花が灯里を中心に離れて広がって行く。
「あはっ」
 それが楽しくて、灯里はゆっくりと桜の絨毯の中を歩く。膝に当たる感触はとても軟らかく、ひっついた桜の花はやっぱりくすぐったい。桜の木の下まで移動して、灯里はそこに腰を降ろす。
 春を連想すると、思い浮かぶのはポカポカの陽気と、活気溢れる人々と、心を穏やかにしてくれる桜の木。その内の一つ、桜の花びらが、今灯里の目の前で絨毯と、天井と、空間すらも一色に埋め尽くしている。
「綺麗で――暖かくて――とっても素敵」
 そう小さく呟くと、灯里の背後に晃が現れる。彼女もまた笑みを浮かべて、その桜の木を見上げて、灯里に問い掛ける。
「ふふ……それでは?」
「はひ!」
 力強く頷いて、灯里は両手を広げて――一言。
『春、みぃーつけた!』
 晃と共に、今年の春を見ることができた。それも、桜の大群である。
 晃という女性の新たな一面を垣間見れた事もあり、灯里はそんな細かいことは全く、何一つ、気にすることはなかった。







 ちなみに彼女らの隣では。

「ぁぁあー、いいなぁ、こんなのないなぁ」
「いやぁー、こうなんだ。肌からこう染み込んで来る感じだね」
「五臓六腑に染み渡るね」
「オヤジか。しかし言いたい事は判る。魂が振るえるからな」
「更に進化しそうになるね」
「魂が震えながら五臓六腑に染み渡り進化しそうになる温泉ってどんなだ」
「いやいや、そりゃおまえ」
『ハイパー気持ち良いということさ』
「なんなのお前ら」

 男の青年達が良く判らない会話をしていた。


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