第27話 「歌と月と…M‐78?」
【2001年2月25日 国連軍横浜基地・PX】
「え~と諸星さんでしたよね、あなたは一体何者なんですか~?」
食事を終えた私に訓練兵の中の一人が声をかけて来た…というか、この外見と大きな瞳と可哀想なまでに薄い胸元は間違いなくあの課長さんの御子息…いやもとい、御子息のような御息女だろう。
「うむ、いい質問だね。 ところで君のお名前は?」
「あ、失礼しました~ボクは207訓練小隊所属の鎧衣美琴訓練兵です」
「鎧衣…ああ、では君が鎧衣課長の御子息でしたか。 いやいつもお父上にはお世話になっています」
「あの~~~~ボクは女の子なんですけど…」
「え、ああ…そうでした失礼、お父上がいつも“息子のような娘”と言って自慢されるのでつい…」
「うう~~~お父さんのバカ~~~」
ちょっといじける鎧衣訓練兵の姿が実に可愛らしい…いや、あんまりからかってはかわいそうだな。
「いや申し訳ない。 それで私が何者なのかですが、まあ早い話がお父上の同業者でして」
…いろんな意味でね。
「えーと、それじゃああなたも商社関係のお仕事をされているんですか~?」
「まあそうですな…ここの食事の材料から兵器関連までなんでもござれのよろず屋商売、といったところですかな」
「よろず屋…と言われたが、今の歌を流しているのもあなたなのか?」
それまで黙っていた御剣訓練兵が意を決したように尋ねて来た。
「そうです、今の曲のタイトルは『春よ、こい』と言います。 そして作詞・作曲・歌手の名前は…全て秘密です」
「ふええ~~? なんで秘密だべか~~?」
「多恵! あんた分かんないの!?」
「へええ~~?茜ちゃんは分かるんだべか~~~? すごいなや~~~」
「…もう、この子は」
「あはははは…多恵らしいねえ~~~」
おやおや…どうやらこの3人組はA分隊名物の築地・涼宮・柏木のトリオかな?
「ははは…まあ分かる人にはすぐ誰か分かる事ですが、この曲の歌手は少々複雑な事情がある人なのですよ」
「少々?」
御剣訓練兵の横にいた少女がぼそっと聞いてきた…いや、単にツッコミを入れただけかな?
「少々、というのは適切ではないかも知れませんね…“大いに”と言うべきなのでしょう」
「大いに複雑?」
さらに疑問形で繰り返すこの子は…先生、あなたの娘さんは立派に育ってますよ…特に胸が。
「…いやらしいこと考えた?」
ギクッ!
「彩峰!失礼でしょ!」
眼鏡の少女が彼女…彩峰慧をたしなめる。
榊総理、あなたの娘さんも立派に育ってます…少々性格はキツ目のようですが。
「ええと…まあそれはいいとして、御剣訓練兵」
「はい、なんでありましょうか?」
彼女には話しておくべきかな…何故この歌が巷に流れているのか、その理由を。
「貴女は何故この歌が流れているかおわかりですか?」
「わかりません、何故あの方がこのような…」
「歌手のような真似をしているのか…ですか?」
「…はい、何故でしょうか?」
さて、なんと言ったものか…いや、ありのままを言えばいいか。
「理由は簡単なものです。 彼女の声を全ての人々に届けるためですよ」
「声を…届ける?」
「ええ、この歌を唄っている人は本来ならばその声と言葉がこの国の全てに届いている筈の人です」
「…はい」
「ですが、現在では様々な事情から彼女の言葉は一定の制約の下でしか語られず、その真意も伝わりにくい状況にあります」
「……」
「自分の発言が制約され、その真意が歪めて伝えられる…その現状を少しでも改善するために“歌”という形で自分の真意を伝えようとしているのですよ」
「歌という形…ですか?」
うむ、まだよく理解出来ていないようだね。
「あなたは“歌”と“言葉”ではどちらが先に生まれたと思いますか?」
「それは言葉が先ではないでしょうか? 言葉があったからこそ、歌が生まれたのではありませぬか?」
「私は逆だと思っています…歌が先で言葉が後に生まれたと」
「え?」
何?といった顔で彼女が呟いた。
「確かに“詩”(うた)が生まれたのは言葉より後でしょう、しかし“歌”(うた)が生まれたのは言葉以前…おそらく我々人類がまだ原始の世界に住んでいた頃だろうと思っているのですよ」
そう、これは私の個人的な意見だが…
我々人類が言葉を生み出す以前は互いに“鳴き声”で意志を疎通していただろう。
その鳴き声がやがて言葉に進化したのだとしたら、それは最初ある種の旋律を伴う鳴き声…即ち“歌”と呼ぶべきものであった筈なのだ。
その“歌”の旋律や音色からヒトは互いの意志を知り合い、やがてそれが全てのヒトに伝わっていくことで思考や認識力を進化させ、そこから“ことのは”…即ち“言葉”が生まれて来たのだと思う。
そう、“歌”こそが我々人間が自分の意志を他者に伝えるために生み出した手段であり、言葉やそれに伴う様々な文明の源泉であるのだろう。
最初に“言葉”があったのではない、最初に“歌”があったのだ。
「…とまあ、私はそう考えているのです」
「……」
御剣訓練兵は…いや、周りの少女たち全員がなにやら珍獣を見るような目で私の方を見ている。
くっ、やはり私のこの見解は世間には理解して貰えないのか…
「げふん!いやつまりですな、なかなか世間に向けて自分の真意が伝えにくい“彼女”がこの“歌”を流すことで自分の心や願いを多くの人々に伝えようとしている訳です」
「心や願い…あの方の…」
オウム返しのように呟く御剣冥夜……ふむ、もう少し説明が必要かな?
「“歌”というのはつまるところ言葉と音楽によって表現される心の情景なのです。 従ってこの歌は彼女の心…いや“願い”と言うべきかも知れませんが、その願いを最も素直に表現する手段なのですよ」
「春よ、こい……それがあの方の願い…春とは即ち…」
「…そう、季節の春ではなくこの国の全ての人々にとっての“春”を意味するのでしょう」
この国の人々にとっての春、それは言うまでもなく佐渡島ハイヴを攻略して国内からBETAの存在と脅威が消えた時がそうだろう。
彼女は、煌武院悠陽はその事を第一に願っている…それを政治的なフィルターを介さず直接国民に伝えるために私が考案したのがこの方法だった。
迂遠で分かりにくい手段に思えるだろうが、時間をかけて継続すればこの方法は思いの外効果的なのだ。
政治的な制約下での表面的な言葉や文言ではなく、彼女の願いを素直に表現した“歌”を流すことで国民の心に訴え、同時に互いに相争うのではなく融和を促すようなイメージを送る…そのために適した曲をいくつか選んで彼女に提示したところ、あの『春よ、こい』を選んだのだ。
御剣冥夜は何かを祈願するかのように瞳を閉じている…もう一つだけ伝えておこうかな?
「それとですね御剣嬢、あの歌は多分特定の人にも向けられたメッセージが込められていると思いますよ」
「…え?」
「いや、実はあの歌を選ぶにあたって私はプロデューサーとして他にも沢山の候補曲を提示したのですが、あの歌詞を見て“彼女”は「この曲がいい」と主張して譲らなかったのですよ。 あの“きみにあずけし わがこころは…”の部分の歌詞がどうしても歌いたいのだと」
彼女は、御剣冥夜は瞳を閉じて睫毛を微かに震わせていた…おせっかいを承知でもう一言だけ言っておこう。
「返事を待っているのなら、返事を返してあげるべきでしょうね。 彼女の“立場”からすれば不要ことかも知れませんが、彼女の“心”にとっては必要不可欠なものかもしれませんよ? あなたの“返事”が」
「…!」
驚いた表情で私の方を見る彼女に軽く会釈して、私は席を立つ。
「それでは皆さん、頑張って訓練に励んで下さい」
その場の全員にそう告げてPXを後にした。
さて食事も済んだし、次のお仕事は…おやおや、どうやら彼女が私に用があるらしい。
「何か御用ですか?月詠中尉」
背後を振り返ると、予想通りそこにいたのは斯衛軍第19独立警備小隊隊長の月詠真那中尉でしたが、おやおや…怖いお顔で睨んでますなあ~~この私を。
「私の事を知っているようだな、諸星課長」
「ええ、よく知っていますよ…あなたと同じ名前の女性が登場する“おとぎばなし”をね」
「…ッ!!」
顔色が変わったか…つまりは紅蓮大将か真耶大尉あたりから話を聞いているということだな。
「それで、私にどんな御用でしょうか?」
「…貴様は何を企んでいる?」
「…と、いいますと?」
「惚けるな!何のためにあのような歌を流し、挙げ句の果てに冥夜様に近付くのは何故だ!?」
はあ…やれやれ。
「あなたがそんなだからですよ、月詠中尉」
「なっ!」
「彼女が、御剣訓練兵が心配なのは分かりますが、そんな調子では返って彼女のためにならないと思いますがねえ」
「貴様…我らを侮辱するか」
「…ほら、それですよ中尉殿」
「むっ!」
「あなたの従姉妹である月詠大尉と話した時もそうでしたがね、目につくもの全てを謀反人や刺客の類だと決めてかかっていたら、結局彼女たち姉妹の味方は減る事はあっても増えることはないのではありませんか?」
「…貴様に何がわかるというのだ」
「ではあなたに私の、いや他人の何が分かるのですかな?」
「なに!?」
「自分の主君にとって敵か味方か…それだけを気にしているあなたに、本来そのどちらでもない人間の何が理解できるというのでしょうかねえ?」
「…ぐっ!」
「あなたがどう考えておられるかは知りませんが、世の中の人間の大半は彼女たちの敵でもなければ味方でもありません。 従ってそれらを敵とするか味方とするかは彼女たち自身とあなた方次第なのですよ」
「ふざけるな!あのお方は本来この国の全ての者が…」
「たとえどれ程高貴な身分の方であっても、人々が無条件でその人に尽くすなどという事はありえませんよ? 人の上に立つ者は自らが先頭に立ち、その声を全ての人に届けることで信を得られるのです…だからこそ、私はあの歌を流しているのですよ」
「………」
「まあ、あなたに理解していただけると思っている訳ではありませんが…しかし月詠中尉」
「何だ?」
「あなたこそ私の邪魔をするような事は謹んで頂きたいですな」
「なにっ!」
「私がここでしている事の半分はあの方の…殿下の御意志に基づいているのですよ?」
「くっ…」
「それと御剣訓練兵に告げたのは、あの方があの曲を選んだ時のお気持ちを伝えただけですよ」
「……」
「それでは失礼します」
そう言って無言でこちらを睨みつける月詠中尉に背を向ける私…………こわかったよおおおお~~~~~……いやホントに。
一体、何が悲しゅうて香月博士に続いてこんな怖い人の相手をせねばならんのだ。
だがそれにしても困ったものだね、あの月詠中尉の猜疑心の深さは。
まあ、“おとぎばなし”の記述や先生から聞いた話を考え合わせれば無理もないと思える部分もあるし、御剣冥夜にとってあまりにも理不尽な運命を告げたこの私が不幸をもたらすカサンドラに見えたとしても仕方が無いのかもしれないが…だがやはり、あの異常なまでの警戒心剥き出しの姿勢は感心しないなあ。
とはいえ、彼女たちの異常な警戒心が緩むことはないだろう。
この私の電脳メガネのサーチにも引っ掛かる多数のネズミ…この基地の周辺に潜み中の様子を窺おうとする連中の中には、明らかに207Bの少女たちを目標にしている者たちも含まれているのだ。
月詠中尉たちがナーバスにならない方がおかしいか…
まあ今は考えても仕方がないだろう、さあ戻ってお仕事お仕事。
【PM10:00 松鯉商事本社】
さて、そろそろ向こうもお仕事の時間だろう…お電話をしてみましょうか。
℡℡℡…℡℡℡…℡℡℡…
「ああ…もしもし、ウォーケン議員でしょうか? ええ、先月お会いしたモロボシですが…」
『君か…あのファイルの件かね?』
「ええ、そうです…実は例のファイルを大統領に見せて頂きたいのですが」
『ほお、またどうしてかね?』
「近日中に日本帝国の高官たちのほぼ全員があれの存在を知ることになります」
『成る程、それでは大騒ぎになるな…帝国も我が国も』
「はい、ですからその前に…」
『ふむ、いいだろう…だがその後はどうする気かね?』
「その答はこれからの帝国の変化を見てからになるでしょう、それとあのデータの検証内容について横浜の香月博士に問い合わせると、更に面白い話が聞けると大統領に伝えてください」
『ほほう、あの女狐をどうやって躾けたのかね君は?』
「いえいえ、躾けるなどととんでもない…高額の貢物で色々と便宜を図って貰っているだけでして」
『はっはっはっ…まあいいだろう、ではこの“M-78ファイル”は確かに2,3日の内に大統領にお見せしよう』
…はい? M-78ファイル?
「あの~ウォーケン議員、その“M-78ファイル”というのは一体…」
『何を言っとるのかね? 君のくれたこのファイルの用紙の全てにそう透かしが入っているではないかね』
え…透かし…しまった!やられた!ヨネザワさん…いや、スミヨシ君だな!教授と結託してこんな地味なイタズラをしてくれるとは…!!
『どうしたのかね? なにか問題でも?』
「ああいえ…実はその透かしはそのファイルを印刷した友人のちょっとしたジョークでして…ははは…」
『ふうむ、よく分からんがカレッジの学生のようなことをするのだな君の友人とやらは』
「ええ、本当に困った男でして…」
…おのれスミヨシ! よくも人のトラウマを掻き立てるようなイタズラをしてくれおって!
コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ…
『では確かに大統領にお見せしよう』
「お願いします…それと議員」
『何かね?』
「帝国内及びワシントンでのファイルの扱いや評価によって“霧の底”にいる連中の動きも活発になってくる筈です…くれぐれもお気をつけて」
『ああ、君もな』
「はい、ありがとうございます。 それでは」
…さてと、これで私の分の仕掛けはほぼ終わったな。
後は榊総理や鎧衣課長の分だろうが、まああの人たちは大丈夫でしょう。
とりあえず自分のアパートにでも帰って、酒でも飲みながらスミヨシ君たちへの御礼参りの方法でも考えるとしましょうか。
どうしてくれようあの連中…
第28話に続く
今回の地震と津波によって亡くなられた方や被害にあわれた方全てにお悔やみとお見舞いを申しあげます。