東日本大震災による津波で福島県いわき市の自宅が浸水後、市内の避難所などを転々とした89歳の認知症女性が、4カ所目の移動先の特別養護老人ホームで避難開始から39日後に亡くなった。「急性循環不全」という死亡診断書には震災の記載はない。だが、同居していた長男は「移動を繰り返さなければもっと長生きできた」と憤る。文部科学省の審査会には28日、福島第1原発事故の避難に伴う肉親の死亡への賠償を認める指針案が示されたが、震災発生から1カ月以上たった今も人的被害は続いている。【町田徳丈】
「さっぱりとした顔つきで元気です」
震災発生直前の3月11日昼、いわき市久之浜町の農業、新妻一男さん(67)は、母栄子さん(89)の介護日記にこう書き込んだ。栄子さんは70代で骨折してから寝たきりになり言葉を発しないが、この日は食欲があり、煮魚やイチゴなどの昼食を残さず食べた。
大きな揺れが来た。外にいた新妻さんは海辺の様子に危険を察し、慌てて家に戻って介護用ベッドの手すりをつかんだ瞬間、波が押し寄せた。海水は天井近くまで達し、新妻さんと栄子さんはベッドごと浮いた。水が引くと、新妻さんの妹玲子さん(58)が近くで倒れていた。声をかけ続けたが、ほどなく亡くなった。
栄子さんは搬送先で低体温症と診断されたが、翌日の福島第1原発の事故も重なり市内は物資不足に陥った。入院5日目に「医療品が不足し、適切な治療を受けられない可能性もある。転院したらどうか」と告げられた。だが、紹介された病院は関東地方で付き添いできない。近所の人たちが避難する中学校に相談すると「すぐに来て」と受け入れられ、学校の好意で以前進路指導室に使っていた個室も用意してくれた。
ところが、栄子さんは食事がのどを通らない。16日夜に巡回に来た医師は「今夜にも危ない」と、市内の別の病院を探してくれ、18日に入院した。そこでいったん栄子さんの体調は回復したかのように見え、病院側からも4月7日ごろ「病状が安定してきた」と説明された。
新妻さんは9日、「今度は落ち着いて滞在したい」と市内の特別養護老人ホームを選んだ。だが、入所後、栄子さんの血管は次第に細くなり、点滴の注射針が入らなくなった。18日に体調が急変、翌19日朝、亡くなった。
玲子さんの死亡診断書は「津波による水死」だったが、栄子さんにはこうした記載はない。それでも新妻さんは、災害弔慰金の適用を求める考えだ。地域で海藻やトウモロコシを売り歩き、「とうみぎ(とうもろこし)おばちゃん」と近所の人たちに慕われた母を思い、「津波さえなかったら、もう少し一緒にいることができたはず」と声を震わせた。
毎日新聞 2011年4月28日 12時05分(最終更新 4月28日 13時04分)