てぃーだブログ › World Pops NOW › 千趣会 delica › 田中好子さんが今の私自身を飾らずにさらけ出したい・・・
 人気アイドルグループ『キャンディーズ』のメンバーとして大ヒット曲を連発。解散後は女優業にも進出し、大輪の花を咲かせたきた田中好子さん。

 4月21日(木)午後7時4分、乳がんのため都内の病院で永遠の旅立ち。55歳でした。心から哀悼の意を表します。 

 僕は仕事で何度か、田中さんと会いました。千趣会から発行されていたデリカの連載『PEOPLE NOW』でも取材。

 1983年12月20日(火)PM18:00から20:00まで。場所は六本木スタジオの4スタで行う。撮影は海田俊二。 

 掲載は84年4月号で、僕のクレジットはインタビュー/構成。添付した記事である。

 記事から抜粋。『キャンディーズ時代から11年。芸能界へ復帰して早くも3年が過ぎた』と書き始めた。そして『スーちゃんの面影はなく、田中好子は映画やテレビドラマと着実に実績を重ねている』と。  

 抜粋が続く。『本格的な歌手活動へ再始動』とも。田中さんは84年1月25日にソロアルバム『好子』を発売。

 僕が『音録りから参加しているようですけど』に、田中さんは『レコードができていくのを見ているのは初めてなんです』と。 

 『キャンディーズ時代は?』には『自分じゃなかったみたい。キャンディーズってのがあって、そのために私たちが頑張っていた。随分と距離がありました』と本音で語る。

 さらに抜粋が続く。『スーちゃんって呼ばれるのは抵抗がありますか?』には、『自分で好子ですって言うのもなんとなくテレくさいけど、まずは自分の方から変えていかなくてはね』。 

 『相変わらず健康的で、かわいらしいですね』に、田中さんは『もう27歳なんですけど・・・でも、それでいいと思う。無理にそういう部分を消すのもおかしいし、少しずつ大人っぽくしていくつもりです』。

 誰もが『スーちゃん』の愛称で呼んでいたキャンデーズ時代。

 1974年7月9日(火)PM13:00から15:00まで僕は、小学館から発行されていた女学生の友『プチプチ』で初取材。スーちゃんをセンターにして、銀座ロケで楽しそうにはしゃいでくれた。掲載は74年9月号。スケジュール調整は、渡辺プロダクション宣伝部の白石さん。

 スーちゃんこと、田中好子さんの訃報で涙に暮れている頃だろう。今、僕は初取材後の74年9月21日に発売された名曲『なみだの季節』http://bit.ly/huRbUn を聴いている。同年8月5日(月)には軽井沢ロケでも取材。その節は、お世話になりました。