山本被告「殺害すれば攻撃やむ」=中央大教授事件で本人質問―東京地裁
時事通信 11月26日(金)19時38分配信
東京都文京区の中央大キャンパスで昨年1月、理工学部教授の高窪統さん=当時(45)=を刺殺したとして、殺人罪に問われた卒業生山本竜太被告(29)の裁判員裁判が26日、東京地裁(今崎幸彦裁判長)であった。被告人質問が行われ、山本被告は「高窪教授を殺害すれば自分への攻撃がやむと思った」と述べた。
山本被告が事件当時妄想性障害にかかっており、心神耗弱状態だったことに争いはなく、争点は刑の重さに絞られている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101126-00000134-jij-soci
殺す相手は誰でも良かったのかもしれないね
と言うか殺人犯が精神病患者だとしても
10年程度で釈放されたら・・・・君の近所に殺人犯とか精神病患者が住んでいるとする
その患者は時々変なうなり声をだすかもしれないし
普段は真面目におとなしくしているかもしれない
だけどたまに
変な目つきでウロウロ
怖くないか?近所に住んで欲しくないよね
精神病患者認定であっても死刑執行するべきではなかろうか?
こんなおかしな人間が10年程度で出獄したら迷惑
犯行直前は「神風特攻隊の心境」 中大教授刺殺第2回公判・法廷ライブ
産経新聞 11月26日(金)13時28分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101126-00000559-san-soci
高窪統教授が刺されて死亡した中央大学理工学部のキャンパス=2009年1月14日、東京都文京区(本社ヘリから、後藤徹二撮影) (写真:産経新聞)
《中央大学理工学部教授の高窪統(はじめ)さん=当時(45)=を刺殺したとして殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告(29)の裁判員裁判員第2回公判が26日午前、東京地裁で始まった。恩師の殺害を決意した山本被告が、徐々に殺害の準備に取り掛かっているときの心境が生々しい言葉で再現されていく》
《裁判員らは厳しい表情を崩さないまま、手元のモニターに映し出される資料を見つめている。山本被告もうつむきながら、じっと検察官の読み上げる内容に耳を傾けている》
検察官「犯行を平成20年5月ぐらいに決意してから、計画を練る時間がほしいと考えるようになったため、掛け持ちしていた2つのアルバイトのうち、パン屋のバイトを6月末でやめたいと申し出ました」
「計画を練り始めた当初から、殺す場所は大学の校内と決めていました。だって、高窪教授の自宅は知らないし、確実に会えるのは大学だと考えていたからです」
《犯行を決意して約1カ月後の20年6月10日、山本被告は犯行の下見のために大学を訪れる。このときに校内の掲示板で高窪教授が火曜日と水曜日に授業のため出勤してくることや、試験期間の開始日を確認した》
検察官「試験期間が(半年後の)1月15日に始まると知り、それまでに実行しようと決めました。試験期間が始まると、高窪教授がいつ出勤してくるか分からなくなるからです」
《この日、山本被告は、卒業生が校内でうろついていることを不審に思われないように、卒業証明書などを受け取って行動のカムフラージュをしていたという》
検察官「この日は、高窪教授のところには行こうとは考えませんでした。殺すと決めた人に会いに行く気にはならなかったからです」
《具体的な殺害方法や、場所についてどのように考えていたかに話が移る》
《山本被告は事件当時、妄想性障害があったとされる。山本被告は高窪教授が自分のことを盗聴していて、襲撃に対する準備をしている-と考えていたようだ》
検察官「殺す方法は刺し殺そうと決めていました。刺すというのは一番やりやすいからです。高窪教授の個人的なことは全然知らないけど、もしかしたら、武道をやっているかもしれない。一発で殺すためには刺すのが一番です。これについては迷いませんでした」
「最初は包丁で刺すことも考えましたが、奪い取られたら逆にこっちが危ない。次に、オノのようなものを考えましたが、オノは重く、体力に自信がないのでやめました」
「その結果、ヤリなんかがいいなと考えるようになりました。ですが、売っているところを知りませんでした。でも、ホームセンターで枝きりばさみをみて、分解したらヤリみたいになると思いつきました」
《そう考えた山本被告は9月下旬、自分がアルバイトで働いているホームセンターとは別のホームセンターで刈り込みばさみを購入した。これを分解してヤリのような形にし、先端部分をヤスリでとがらせるなど、殺害に使用しやすいように加工していった》
《さらに、高窪教授が武道をしているかもしれないと思いこんだ山本被告は、予備の凶器も準備した》
検察官「高窪教授は、自分が殺そうとしていることを知っているはずだと考えていました。取り上げられたときにもう1本いると考え、用意しました」
《殺す場所についても、当初からトイレでの殺害を計画していたようだ》
検察官「用を足しているときは無防備で殺せるのではないかと考えました。あるいは、トイレの時間は分からないので歩いているときに襲うことも考えました」
《11月下旬から、山本被告は下見を繰り返し、校内の写真を撮影するなどして殺害のイメージトレーニングを重ねた。高窪教授の行動も監視し、待ち伏せする場所などの計画を練り始める》
《下見の結果、出勤のときは毎回、東門から入ってきていることに気付いた。また、トイレで待機して高窪教授がいつ利用するのかを確認した》
検察官「トイレのドアのすき間に顔を近づけ、じっと外の様子をうかがっていました。ですが、12月中には高窪教授はやってきませんでした」
「1月6日の下見のときに、4階のトイレに隠れて10~20分たったころ、高窪教授が入ってきました。格好や背丈から高窪教授だと思いました。本当に来てくれた。待ったかいがあったとうれしくなりました」
「トイレでの犯行はあきらめていたので、一気に期待感が高まりました」
《高窪教授の姿をトイレで確認したことで、山本被告は殺害の場所をトイレに絞った。日程も、15日には試験期間に入るため、高窪教授が出勤してくるのは13、14日しかなくなっていた。山本被告は、撮影した写真をもとに殺害のイメージトレーニングを重ねたという》
《そして、山本被告は殺害前日の13日に最後の下見を行う》
検察官「この日、凶器をもって実行しようと考えていたが、なんとなく本番前の最後の予行演習になると考えていました」
《下見でしていた通り、午前10時ごろに高窪教授が出勤してくるのを確認し、トイレに身を隠した。そこで、トイレに入ってくる高窪教授を確認した》
検察官「サンダルの音がして気持ちを集中させました。高窪教授が入ってきましたが、この日は決心がつきませんでした」
「中途半端なことをやっては私がやられてしまう。絶対に殺さなくてはならない。まさに神風特攻隊の気持ちでした」
《13日の犯行は断念し、試験期間の最後の“機会”だった14日の実行を決意した山本被告。この日も自宅に帰って約3時間のシミュレーションを重ねたという》
検察官「14日はついにこの日が来たと思いました。前日の夜は時々目が覚めました」
「何としても今日中に殺さなくてはいけない。命懸けで刃向かってくるだろう。逆に殺されるかも-などと考えていました」
《山本被告は下見の通り、午前6時半ごろに校内に入り、4階の空き教室で凶器の準備に入る。そして午前10時ごろに高窪教授の姿を確認した》
検察官「ついにきたと思いました。緊張で顔がこわばっているのが自分でも分かり、神風特攻隊が敵を見つけて飛び立つ心境でした」
《山本被告は変わらず、うつむいたままじっと検察官の朗読に聞き入っていた》
↓の方が怖い
かごの置き方に執着、突然姿消す…被告の勤務態度 中大教授刺殺第2回・法廷ライブ
産経新聞 11月26日(金)16時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101126-00000581-san-soci
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山本竜太被告(写真:産経新聞)
《中央大学理工学部教授の高窪統(はじめ)さん=当時(45)=を刺殺したとして殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告(29)の裁判員裁判員第2回公判が26日午前、東京地裁で始まった。山本被告の勤務先だった電子機器会社の社員の供述調書の男性弁護人による朗読が続いている》
《調書によると、グアムでの社員旅行で、山本被告がバスの車内で突然大声を上げ始めたという》
弁護人「『どうして私だけ…』と叫び、一呼吸置いて『何で…するんだ』と続けました。さらに一呼吸置いて、『わ…じゃないか』と言っていました。大声でしたが、突然のことだったので、聞こえないところもありました。3回くらい、体を震わせながら叫んでいました」
「思い当たることといえば、旅行2日目の昼食後、山本が謝ってきた際、『いい、いい』とろくに返事しなかったことくらいです。この一件で早く解雇しなければ、との思いを強くしました。心の病を抱えていると思ったからです」
「研究員としてだけでなく、他の部署でも役に立たないだろうと考えました。上司(法廷では実名)に進言したところ、上司もグアム旅行の顛末(てんまつ)を知っていたため、今度は解雇が決まりました」
《試用期間での解雇が決まった後も、勤務中の奇妙な行動は目立ったようだ》
弁護人「就業時間中、突然いなくなったことがありました。解雇の方針はすでに決まっており、仕事には影響がありませんでしたが、会社に損害を与えるような行動に出られたら困ると思い、研究員全員で社内を捜しました」
「山本は屋上に通じる階段で、携帯電話で電話をしていました。内容は聞き取れませんでしたが、母親と話し込んでいるようでした」
《その後、正式に解雇を言い渡された山本被告。物静かな印象を一変させ、契約の継続を求め声を荒らげたという》
弁護人「私と上司が山本を会議室に呼び出し、『仕事はできないし、グアムでも問題行動があった』と解雇理由を伝えたところ、『仕事を頑張りたい。ここで解雇されれば、もう再就職ができない』といい、『仕事ができないのは、周りの音が気になって集中できないから。理解してください』と話しました」
「私が『あなたは仕事以外で問題を抱えている。解決してからでないと仕事はできない』と話すと、『一日中、真剣に考え、仕事もしている』と反論してきました」
「実態とかけ離れた自己弁護にばからしくなり私が失笑すると、『上司がそんなだからダメなんだ』と、私の顔の一点を見据え、声を震わせた。やはり心の病なんだ、と思いました。これが山本の本性なのか、と」
《続いて、殺人容疑で逮捕されるまで勤務を続けていたホームセンターの同僚の供述調書が朗読される》 《山本被告は約2年間、週4日のペースで商品を売り場に陳列する「早朝品出し」の仕事を行っていた。まじめな勤務態度で問題を起こすようなこともなかったが、一点だけ強いこだわりをみせたという》
弁護人「買い物かごを置く位置には、妙なこだわりがありました。決まった場所に決まった向きで置くのですが、場合によっては邪魔になることもありました。はじめのうちは何度か注意しましたが、山本君は注意を聞かず、しばらくするとかごを元に戻していました。気が済まないんだな、とあきらめ、それからは何も言いませんでした」
「かごの位置をめぐり、お客さんとトラブルになったこともあったそうです。山本君に話を聞いたところ、『客にかごをどかせ、と怒られてしまった。でも、僕は悪くない』と話していました。実際のところは分かりませんが、そうしたこだわりが影響したのかもしれません」
《次に、事件の半年ほど前まで勤務していた製パン工場の工場長の供述調書が読み上げられる》
《平成19年9月から20年6月まで、午前のホームセンター勤務終了後、午後にパン工場で働いていた山本被告は、まじめな勤務態度で高く評価された。工場長から正社員登用の打診を受けたが、「やりたいことが見つかっていない」と応じなかったという》
弁護人「山本君を呼び出し、『いつか君も家庭を持つ。いつまでもアルバイトを続けているわけにはいかないだろう』と話したところ、『少し考えさせてください』と言われました。返事は1カ月から1カ月半たった20年4月か5月ごろで、『自分のやりたいことが見つかっていない。もう少しこのままでもいいですか』と断られました」
「その直後、20年5月下旬ごろ、『パソコン関係の仕事に就くことになったので、退職したい』と申し出がありました。辞めるまでの約1カ月間、ほかの従業員に『お世話になりました』と律義にあいさつして回っていました。変なことを口走るようなこともまったくなかったし、とても事件を起こしたことが信じられません」
《続いて、山本被告の幼いころからの知人である、中央大とは別の大学の准教授の供述調書朗読に移る。》
《准教授は山本被告が高校生のとき、山本被告の自宅を訪問した際の記憶を調書で述べている》
弁護人「久しぶりに訪れた山本君の家の壁に、以前にはないこぶし大の穴が3、4カ所空いていました。山本君のお母さんに尋ねると、『竜太がやった。(子供のころから習っていた)バイオリンも壊してしまった。包丁を持ち出したこともある』と話していました」
《准教授は15年ごろ、山本被告の母親から「息子が大学のゼミ担当教授からパワハラ被害に遭っている」と相談を受けたという》
弁護人「その教授はゼミのパソコンがウイルス感染したときに『お前がウイルスを作った』などとほかのゼミ生に言うなど、人格攻撃をしたという話で、『竜太は理工学部に進んだことを悩んでいる』と話していました。私は大学の事務方に相談したほうがいいと、アドバイスしましたが、その後の話は聞いていません」
「平成16年の2月か3月ごろ、山本君本人から自宅に『卒業が決まった。お会いしたい』と連絡があり、2人で会いました。食品会社((法廷では実名)の埼玉の工場に入ると、うれしそうに話していました。本人の口からパワハラの話は出なかったので、『一からスタートしなさい』とだけ励ましました。訪問のことは中央大の関係者を含め、誰にも話をしていません」
《さらに、幼いころから続けてきたピアノの女性講師の供述調書が読み上げられる。講師は山本被告に対する母親の干渉に懸念を抱いていたという》
弁護人「大学を卒業し、就職したがすぐに辞めた、という話は竜太君の母親から聞いていました。具体的な時期は覚えていませんが、竜太君から今後の進路について相談したい、と電話かメールで連絡があり、家に来ました」
「具体的な内容は覚えていませんが、私は『母親の言いなりにならず、自分のやりたいことをやりなさい』『母親から離れて一人で生活したらどうか』とアドバイスしました。母親は厳しい人で、いつも竜ちゃん、竜ちゃんと溺愛(できあい)している様子だった。小中高で竜太君は友だちのいない様子だったが、母親が家に友だちを呼ばないようにして、シャットアウトしている様子でした」