写真や情報提供募集の広告を見るたび
記事を読むたびに辛いと思う
その過去の時間へ行ってみた
概要
栃木小1女児殺害事件(とちぎしょういちじょじさつがいじけん)は、2005年12月に、栃木県今市市(現・日光市)に住む小学1年生(7)の女児が行方不明となり、茨城県常陸大宮市の山林で刺殺体となって発見された事件。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%83%E6%9C%A8%E5%B0%8F1%E5%A5%B3%E5%85%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
栃木小1女児殺害事件
発生直後に事件の画像と有希さんの写真から過去の時間へ飛んでみた
彼女はまだ恐怖の底にいるので出来れば上級者に頼みたいと思います
少しだけのビジョンが見られました
犯人は20~30代
色の濃い帽子を被るなぜか部屋でも被って青い警報機を触っていた
部屋の置くまで日が差し込める明るい部屋にいる
部屋に家具みたいなのがあまり見えない
彼女の服もランドセルも見えないので多分捨てたか?
一人暮らし
お節介な家族がいれば部屋の掃除をしているはずだが、このお節介な親は証拠品を勝手に処分している可能性もあります
日立や大田とか栃木を往復している人のような気がします
あるいはその周辺を車で移動しているかも
マンションと言うよりコーポとかハイツとかのアパートで外壁は白?クリーム?
日当たりが良いみたいだから多分二階の部屋で南向きかも
当時のカーナビは茨城県についてあまりよく無いので土地勘のある人間と思われる
普段は大人しい
時々らしき人物の匂いに飛んでみている
中肉中背?デブではない
部屋きれい
以下2chより転載
:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/05(日) 17:33:22
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001012020001
県警「無念はらす」 有希さん事件5年
常陸大宮市の山林で2005年、栃木県今市市(現日光市)の小学1年の吉田有希さん(当時7)が遺体で見つかった「今市事件」は1日、未解決のまま発生から5年を迎えた。有希さんが身につけていた服やランドセルなどは一切見つからず、犯人に結びつく有力な情報もない。
県警はこの日、現場近くの街頭で情報提供を呼びかけ、遺体が遺棄された時間帯と考えられる夜に捜査幹部が現場を訪れ、手を合わせた。(目黒隆行)
日光市内にある有希さんの墓碑には、有希さんの代名詞でもあった「笑顔」という言葉が刻まれ、ほほえむ有希さんの写真が飾られている。
岩城新治郎県警捜査1課長は1日朝、街頭活動をする常陸大宮市のショッピングセンターで捜査員らを前にこう決意を述べた。
「有希さんの墓碑に刻まれた『笑顔』。これを取り戻すべく捜査を続ける。遺族の無念を、犯人検挙という形ではらしていく――」
地元の大宮署長や地域の防犯協会などの約60人が、国道118号を通る車やショッピングセンターを訪れる人に、不審車両とされる宇都宮ナンバーの白いセダンなどの情報提供を求めるビラを配った。
有希さんが遺体で発見されたのは、普段人気のない常陸大宮市の山林の斜面だった。遺棄されたのは1日夜から2日昼。犯人が人目を避けて夜中に遺棄した可能性も高い。県警幹部ら約10人が1日夜、遺棄現場に入った。
県道からそれた幅約2メートルの林道を100メートル以上。さらに脇道に入り45メートル先に現場がある。ここまで街灯は全くない。照度計の数値は0を指す。当時と変わらない現場は暗闇が包み、ライトがないと歩くことさえ困難だ。夜は捜査員でも迷うという。
5年前は新月だった。当時の最低気温は零下2度だったという。有希さんはこの暗闇の中で遺棄されたとみられる。
遺棄現場の目の前に立った捜査員が口にした。「脇道と斜面の境目も見えない。怖くて足を踏み出せない」
有希さんが行方不明になってから発見されるまでの約24時間の足取りは依然として不明だ。今市市からここまでは車で約2時間。この日、その道のりを視察し、現場を見た助川大刑事部長は「犯人がなぜここに遺棄したのか。土地勘を有するものの犯行でないか」と強調した。
3:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/05(日) 17:35:07 http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001012030003
通学見守りいつまで…
栃木県の小学1年の女児が殺害・遺棄された「今市事件」が未解決のまま発生から5年を迎えた。遺体が見つかった常陸大宮市は事件後、集団登下校などを実施。先生や保護者が通学路に立って警戒を続けている。
ただ、犯人が捕まらず、捜査が長期化する中で「いつまで継続すればいいのか」という声もある。
遺棄現場から北に約1・5キロにある市立大宮北小の鈴木理恵教諭(38)は、2005年12月2日のことをはっきり覚えている。
上空を旋回するヘリコプターのバタバタという音。何だろうと思いながら、自宅に帰ると、学校から「クラス全員の無事をすぐに確認してくれ」という電話が入った。「そんなことは後にも先にもこの時しかありません」
その日午後、県警は野鳥探索に来た人たちの通報を受け、近くの山中で女児の遺体を発見。当初は身元が分からず、市教委が市内全小学校に安否確認の緊急連絡をした。
その日を境に、安全に対する意識が変わったと、鈴木教諭は言う。「それまで子どもたちは放課後も自由に遊んでいたが、集団で登下校するようにした。先生や地域ボランティアも各通学路に立って、見守りを続けている」
事件後、少子化で小学校数は19校から13校に減った。遠方から通う児童の不安解消のためにスクールバスも走るようになり、現在7校で500人ほどがスクールバスを利用している。
「予算の問題もあるが、統廃合で広くなった通学圏の安全が確保できるというメリットは大きい」と学校関係者は話す。
ただ、限界もある。
事件から5年がたち、地域の警戒活動などについて「もうそろそろやめようか」という声もあがっているという。それでも「遺棄現場に近いここだけは続けなければ、という思いもある」と鈴木さん。
「犯人が捕まれば見直しの議論もできるが、今の状況だと継続的に活動するのが一番だ」と、大宮北小の横山優校長は話した。(目黒隆行)
4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/05(日) 17:38:44
http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=12912138024065
栃木女児殺害5年 夜の遺棄現場公開
常陸大宮市三美の林道脇で、栃木県今市市(現日光市)の市立大沢小1年、吉田有希ちゃん=当時(7)=が遺体で見つかった殺人・死体遺棄事件は1日で発生から5年が経過した。
県警は同日、有希ちゃんの遺体が遺棄されたとされる夜間に合わせて現場を報道陣に公開し、県警幹部らが当時の現場周辺の環境を再確認した。
同日午後6時ごろ、助川大刑事部長や岩城新治郎捜査1課長ら幹部と捜査員が現場の状況などについて報道陣に説明した。
県道から遺棄現場となった林道までは約200メートル。林道はコンクリートで舗装され、ゆるやかな上り坂が続く。Y字路にぶつかり、そこから約40メートル先の斜面で有希ちゃんの遺体が発見された。
この間に街灯は一切ない。周りは不気味なほど静寂が包み、聞こえるのは落ち葉を踏む音だけだ。
有希ちゃんの遺体が遺棄された5年前の夜は晴天で新月。遺体は全裸の状態で、最低気温氷点下2度の中、一晩放置された。
今回も天候は晴れで、明るさは当時とほぼ一緒。照度計の数字はほぼゼロを指し、照明を点灯しなければ、「5メートル先は判別できない」(捜査員)ほどだった。
林道は地元のハンターや野鳥の観察者しか使用しない。捜査員の一人は「土地勘がなければ、林道には気付かない」と話した。
助川刑事部長は「土地勘がある者の犯行ではないかと思う。不審車両もまだ解明できていない。県民からよりいっそうの情報をいただきたい」と呼び掛けた。
また、大宮署や大宮地区防犯協会は1日、常陸大宮市下村田の国道118号沿いのショッピングセンターなどで、事件の風化防止と情報提供を求める街頭キャンペーンを行った。
買い物客やドライバーらに、有希ちゃんの特徴などを掲載したチラシを配布するなどした。
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/05(日) 17:45:05 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20101202-OYT8T00029.htm
夜間の遺棄現場「漆黒の闇」
栃木女児殺害5年 県警が説明
常陸大宮市の山林で2005年12月、栃木県今市市(現日光市)の小学1年、吉田有希ちゃん(当時7歳)が他殺体で発見された事件は、1日で丸5年を迎えた。茨城・栃木両県警の合同捜査本部は計約200人態勢で捜査を続けているが、未解決のままだ。
県警は同日夜、遺体が捨てられたと見られる夜間の遺棄現場に、報道陣を初めて案内した。
午後6時。「晴天で、事件当夜とほぼ同じ状態です」と捜査員は話した。県道から車1台がやっと通れるほどの林道を約200メートル進むと、左側に献花台が見えた。遺体が発見された現場だ。頭に着用したライトを消すと、50センチ先も全く見えない。
捜査員が取り出した照度計は「0・01ルクス」。
星が雑木林の間から瞬いて見えるだけで、捜査員は「ここは昼間も薄暗い場所。夜は漆黒の闇」と説明した。
有希ちゃんの遺体は5年前の2日午後2時頃、全裸の状態で発見された。手元の温度計は9度。足元から冷気が襲ってくる。事件当夜の最低気温はマイナス2度という寒さで、全裸で一夜を過ごせる状況ではない。
県警捜査1課の岩城新治郎課長は「土地カンがなければこの場所には来ない」と犯人像を分析してみせた。
岩城課長によると、現場付近は地元住民がイノシシなどの獣を捕獲するわなを仕掛けたりするぐらいで、「人気がないとわかっていたはずだ」と語気を強めた。
◇
県警は1日も、一刻も早い犯人逮捕、事件の風化防止を掲げ、捜査に全力を挙げた。「事件から1826日が経過した。有希ちゃんの笑顔に報いるという気持ちを新たにしてくれ」。
事件発生から指揮を執り続ける県警捜査1課の黒沢和幸警部は同日朝、大宮署の合同捜査本部で捜査員を鼓舞した。
室内には有希ちゃんのほほ笑む写真がある。
捜査員は解決を誓いながら、それぞれの持ち場に散った。
同署の田口敏彦署長は同日午前、常陸大宮市内でチラシを配り情報提供を呼び掛けた後、遺棄現場を訪れ、花を手向けた。県警の助川大・刑事部長は、有希ちゃんが連れ去られたとされる栃木県日光市の現場付近に足を運び、遺棄現場へ。
報道陣に「県民から寄せられた情報を基に犯人にたどり着きたい」と決意を述べた。
(2010年12月2日 読売新聞)