「Jリーグ仙台 川崎に2-1で勝利」豪雨と向い風の中での逆転
震災で7週間の中断をしたJリーグが再開し、大きな被害を受けた仙台が、アウェーで(等々力陸上競技場、観衆15030人)川崎と対戦した。
前半、川崎の早いパス展開から37分に田中祐に先制を許したものの、仙台から駆けつけたサポーターの大声援を受け厳しい時間帯、体を張った守備で凌ぐ。少ないチャンスを確実につなげ、28分、太田吉彰がゴール前で粘って転倒しながらも放ったシュートで同点に。そのまま終るかと思われた42分には、ファールが少しずつ多くなっていた川崎のスキをついてFKを獲得。梁勇基の正確なFKから、最後は鎌田次郎が頭で合わせて2-1と勝ち越した。
仙台が等々力で川崎に勝利したのは初めてで、震災後、本拠地での練習ができずに苦しみ、また得点源になるはずだったマルキーニョスが退団、柳沢敦の手術など数々のアクシデントを乗り越えた仙台が魂の1勝をあげた。29日にはホームに浦和を迎える。
(会見速報コメント)■手倉森監督 終った後、感極まって涙が出た。終ってみれば最高の結果だった。勝ち点3が取れたことに感激している。アウェーのスタートこそアドバンテージになる。しっかりスキをつく、そういうことができたのは、行け行けにならないゲームができた、ということ。2点取られれば厳しかったが、その後からだを張って守り、サポーターの激励があって、我々への日本全国からの声援があのボールに(逆転)乗り移ったのではないか。
ーきょうの4-2-3-1の手ごたえは?流動性、連動性を試したかった。うまくいかねば戻せばいいと思っていた。ボランチのウエイトは非常に大きくなる。その気持ちを表したかったのでボランチ全員をベンチに入れた。
ー中島を入れて2トップにしたのは?ビハインドだったり、仕掛けのポイントに中島を、とは試合前から考えていた。相手のCBが赤嶺へのファールが多くなってきたので、中島を入れて2トップにした。そこで少しはかく乱できたと思う。
ー太田はの故障は?足がつっただけでした(笑)。ー試合前、川崎のサポーターが激励したが。もともとフロンターレと仙台のサポーターはフレンドリーだと聞いていた。しかし、そこに寄りかかってはヤバイなと思っていたが、こんなにいい雰囲気の中で試合ができ、フロンターレの関係者に感謝したい。
ー地元を勇気づける1勝か。
私も青森県人だが、選手たちは東北のためにやってくれた、と思ったら試合後涙が出てきた。こういう戦いを続けることで、シーズンを通じていい順位につければ、その時には東北の復興も進んでいるはずだ。
■川崎・相馬監督 特別な試合だったが、相手の執念が上回った。勝ちきるには本当に難しい、恐らくシーズンを通じて一番難しい試合だったかもしれない。決して悪くはなかったが、仙台の気持ちを上回る試合ができなかった。
コラム「激しい雨、強い向かい風の中での逆転」
大雨警報が出される豪雨の中、仙台は前半、本来ならばアドバンテージのはずの強い追い風を生かすことができなかった。それどころか、川崎に先に得点されてしまい、梁は「想定外でした」と振り返った。
しかし後半、特別な試合を「冷静に」進めた仙台にチャンスが訪れた。Jリーグでも強力な攻撃を武器とする川崎に対して、アウェーの仙台は「行け行けどんどんにならないように」(手倉森監督)アンカーを置き、拾って、粘ることで中盤の底での主導権を握ろうとした。監督が、ボランチのポジションがこの試合を分ける、としてMF5人をベンチに置いたのは、その強い意思表示だった。
後半20分を過ぎた時間帯、前半にリードした川崎に、スリッピーなピッチもあってファールが少しずつ増えていった。忍耐でチャンスを待った仙台は28分、高橋からのボールがDFにあたってこぼれたところへ、前半から飛ばし、すでに足がつっていたという太田が飛び込んだ。「最後はもうスライディングするくらいしか力が残っていませんでした」(太田)と渾身の力で打ったシュートが川崎のDF・横山をかすめる形でゴールに。太田は試合後「足がつるなんて恥ずかしいですが、皆で押し込んだゴールだった」と照れ笑いした。
昨年、途中移籍しながら無得点。ここでゴールできなければ、と、自分を追い込んだ覚悟の移籍初ゴールだった。
同点で勢いをつけた仙台はさらに、途中交代でゴール前で赤嶺との2トップとなった中島の動きで川崎をほん弄する。横山のファールで獲得したFK、梁は、「二アにさえひっかけなければ誰かが飛び込む」と正確なボールをゴール前にあげると、これが向い風で少し押し戻されたことによって、GKはパンチングのタイミングを逸して動けず、逆に、飛び込んだ鎌田の頭にピシャリと合い、14分間での鮮やかな逆転となった。
勝てなかった等々力での勝利、何よりも、前半の追い風ではなく、後半、雨も、風も一際激しく「向って」いた時間帯に2点を奪ったことに、苦しかったこの1ヶ月半、被災地のクラブとしての思い全てが、言葉以上に力強く込められていた。
退団したマルキーニョスは、震災後、フィアンセを連れて再来日をしていた。婚約者が4月上旬に誕生日を迎え、ブラジルの法律で結婚が許される16歳になる日をともに祝って「結婚」するためだったことを聞くと、仙台でのプレーすることの意味をどれほど重く感じていたかが分かる。強い余震の日、静岡の知人のもとに身を寄せていた妻、そしてブラジルにいる家族からの叫びに帰国を決断したJリーグ得点王は、成田空港で見送った関係者に涙を流しながら「仙台を思ってプレーします」と言って日本を後にしたという。
対戦した川崎の中村憲剛は、3月29日、日本代表とのチャリティマッチが終った長居のロッカーで梁にこう宣言したそうだ。
「4月23日の再開幕まで、最高の準備をして仙台を迎える。そして試合ではやっつける。それがプロとしてできる一番の激励だから」
約束の日まで、中村も川崎も、そして梁も仙台もそれをやり抜いた。 「お互いに大事に試合で100%同士の力でぶつかり合えたことに満足している。そしてその中で勝てたことがうれしい」と試合後、梁は言った。
ともすれば感傷的になってしまう試合をものにした仙台の冷静さ、それを堂々迎えた川崎のフェア精神、ともに称えられる。
試合が終った等々力競技場には、激しい雨と風から一転、陽の光が差し込んだ。