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ニュースUP:ハーグ条約加盟を危惧する母親たち=社会部・酒井雅浩

 <おおさか発・プラスアルファ>

 ◇子の幸せ、十分議論を

 破綻した夫婦の子どもの扱いを定めた国際ルール「ハーグ条約」への加盟が外交問題に浮上している。欧米各国が早期加盟を迫り、日本政府が検討を進める中、加盟しないよう求める活動をする母親たちがいる。「当事者の会」を結成し、「加盟によって子の幸せを保障できるのか」と懸念する。その訴えを聞き、条約加盟について考えた。

 ■身を守るため

 「結婚生活が危機を迎えた時、母が子を連れて一時的に実家に帰る。日本ではよくあることも、条約に加盟すると禁止されます」

 昨年8月結成の「Safety Network for Guardians and Children」(略称SNGC)の代表を務める近畿在住の30代の女性は、そう訴える。約50人の会員はいずれも、国際結婚して外国に渡った後、夫のドメスティック・バイオレンス(DV)や、子への虐待から身を守るため帰国した日本人女性だ。

 代表の女性は、オーストラリア人男性と結婚。現在10代の長男が生まれ、オーストラリアで生活していたが、夫のDVが原因で長男を連れて別居し、帰国後に離婚した。

 元夫は離婚後、オーストラリアで長男の親権を求める訴訟を起こす。女性は、裁判費用や現地での生活費など約1000万円を親類からの借金で工面し応訴、「元夫の親権を認めない」との判決を勝ち取った。安心し帰国した後、現地で訴訟を担当した弁護士から思いもよらない連絡を受けた。元夫が再度、親権を求めて提訴し、出廷しなかった女性は敗訴。元夫に単独親権が認められたというのだ。さらに「あなたには現地の警察から『誘拐』の逮捕状が出ています」とも告げられた。

 オーストラリアはハーグ条約の加盟国だ。ハーグ条約は、子を養育する権利手続きは移動前の国で行われるべきだとの考えに立つ。日本も加盟すれば、「長男は連れ戻される」と女性は危惧する。加盟前にさかのぼって適用されないとの解釈が一般的だが、加盟後に元夫から帰国を迫られた場合、応じなければ条約の定めた不法行為とみなされる可能性がある。

 女性は現地に生活基盤がなく、元夫への嫌悪感もぬぐえないため、戻って再び裁判をしながら暮らしていくことは難しい。長男についても「就学前に帰国し、英語は話せない。長男の幸せはどうなるのでしょうか」と訴える。

 ■立証の難しさ

 1983年の条約発効当時、想定されていたのは、母に養育されていた子を、父が国外に連れ去るケースだった。しかし条約事務局が03年に行った調査では、連れ去りの7割が母親。DVや子への虐待が原因と考えられるという。

 条約には「元の国に戻った場合に重大な危険があるときは、裁判所は返還を命じないことができる」という例外規定がある。しかし、問題となるのが、DVや虐待の立証の難しさだ。判断には物証が必要とされ、連れ去った側に極めて高い立証責任が求められる。迅速審理を優先するため、例外の適用範囲は非常に狭く、母親へのDVは重大な危険と認められていない。SNGC代表の女性は「子どもへの虐待も、十分な証拠がないとして返還を命じられた例が数多い」と話す。

 背景にDVがあるとの指摘に対し、米国のキャンベル国務次官補は10年2月の記者会見で「実際に暴力があった事例はほとんど見つからない。大半は米国内で離婚し共同親権が成立しており、誘拐だ」と発言した。

 DVから女性を守る機関などは、海外にも存在するが、言葉の壁や、生活費などの問題で帰国せざるをえない、との指摘もある。

 ■「親権」にずれ

 外務省によると、これまでに外国政府から日本人による連れ去りを指摘された事例は米国100件、英国38件、カナダ37件、フランス30件にのぼる。

 欧米各国は連れ去りを誘拐とみなし、数年前から、日本の条約批准を「外圧」といえるほど強く要求してきた。今年1月、フランス上院議会が日本の条約批准を求める決議を可決。米のクリントン国務長官は日米外相会談の度に、早期加盟を迫る。政府は09年12月、外務省に「子の親権問題担当室」を設置。松本剛明外相は「東日本大震災後もしっかり国内作業を進めている」と外相会談で発言している。

 また、日本で暮らしていた外国人の親が、もう一方の親に無断で子を連れて母国に帰国しても、現状では連れ戻す手段はない。さらに、日本が条約に加盟していないことを理由に、海外在住の日本人母が、子を連れての一時帰国を許可されなかった例も報告されている。さまざまな問題の解決方法として、条約加盟を支持する意見も多い。

 こうした動きに「加盟は時間の問題」と危機感を強める女性は「メリット、デメリットを示して議論したうえで、国民が加盟を選択するなら仕方ない。でも、今は省庁の担当者ですら問題の本質を理解していない」と言う。

 日弁連は2月、加盟前に「DVや虐待事例は返還を拒否できるよう国内法を整備すること」との意見書をまとめた。兵庫県弁護士会も昨年末、「親の権利保護が第一とされ、子の利益への配慮が薄い」と国内法との整合性を問題視する会長声明を出した。「単独親権」で、親権のない親の面会権が制度化されていない日本に対し、加盟国は親権を両親が持つ「共同親権」の国が多い。条約の理念と日本の法制度の乖離(かいり)をどう解消するかも、制度化する必要がある。

 SNGC代表の女性は、帰国した理由を「現地では子を守ることができないため、やむを得ない選択だった」と話す。その上で「もし子どもが『父の元で暮らしたい』と言うなら、自分の気持ちは押し隠し、笑顔で送り出す」。この言葉が印象に残っている。

 条約に加盟した場合、運用を積み重ねることにより、国内の家族観にも影響を与えることは避けられない。まずは結論を出す前に議論を深めることが必要だと思う。

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 ◇ハーグ条約

 正式名称は「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」。加盟国は、子どもを連れ出された親が居住国の政府に返還を申し立てた場合、相手国の政府は子どもを速やかに元の国に戻す協力義務を負う。現在84カ国が加盟し、主要8カ国(G8)で批准していないのは日本とロシアのみ。

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毎日新聞 2011年4月27日 大阪朝刊

 

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