2011年4月22日15時52分
「E・T・」が泣けるのは、最初はグロテスクだった宇宙人がだんだん愛らしく見えてくるからである。日本の妖怪話もまたしかり。不気味な妖怪に親しみを覚えていく過程が面白い。
日本初の3D長編オリジナルアニメと銘打ったこの作品にも妖怪が大挙登場する。主人公の豆富小僧は豆腐を持って立っているだけの少々情けない妖怪。彼が現代の東京にやって来て、人間の少女と心を通わせるうちに自らの役割に気づいていく。
豆富小僧は元々愛らしい妖怪だからよいが、ろくろ首やのっぺらぼう、一つ目といった妖怪までもがあまりに可愛すぎないか。怖さが愛着に変化するというドラマツルギーは、ここには存在しない。
ただ、妖怪が可愛すぎることでこの映画の作り手を責めるのは酷だろう。現代の妖怪話の第一人者、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪の造形の変遷を見れば、「キュート化」が時代の要請であることがよく分かる。現代の妖怪はもはや愛玩動物になってしまった。
初期の水木が描くように、妖怪とは、自然の大きさに対する人間の畏怖(いふ)の気持ちを形にしたものである。ところが人間が自然をないがしろにするにつれ、妖怪も飼いならされていく。おごる人間に妖怪がお灸(きゅう)をすえるという物語が繰り返し描かれてきたのは、一種の警鐘だった。
この作品も、台風をコントロールしようという人間のおごりを主題にしており、従来の妖怪話の延長上にある。しかし、肝心の妖怪が愛玩動物になっていては説得力がない。そして豆富小僧が自分の役割に気づく場面など、人間のために妖怪が存在するという、人間のおごりが如実に表れている。
3D、大いに結構だ。しかし物語の奥行きを失っては元も子もない。(石飛徳樹)
29日から全国公開。