5、虚偽の理由による損害賠償請求
被控訴人は損害賠償請求の提訴を行うにあたって、控訴人による街頭宣伝活動によって、「原告加藤を始めとする原告会社の従業員が畏怖」「原告会社の正常な業務を妨害」「信用及び名誉を毀損」「原告加藤のプライバシーを侵害」「生活の平穏を侵害」(訴状7ページ)と訴えている。
しかしながら原審理の過程においてこれらの主張がすべて、虚偽であることが明らかになった。
控訴人西村の説得によって本件映画の上映を自主的に中止した以下の三映画館に対する損失補填が目的であることが明らかとなった。
シアターN(東京都渋谷区桜ヶ丘24−4)
シネマート六本木(東京都港区六本木3−8−15)
シネマート心斎橋(大阪府大阪市中央区西心斎橋1−6−14)
これら三館は控訴人西村の説得に応じて、反社会的映画を一般に公開する事の危険性を理解して上映の中止を決めたものである。
しかしながら控訴人西村が行った上映中止を求める国民運動がマスメディア等によって報道されたことで、世間の注目が集まった。
盗撮によって作られた芸術性の片鱗もない、劣悪作品ではあったが、集客を見込める商業作品としての価値が付与されることになった。
当初は社会正義と公序良俗の見地から上映を中止した三映画館であったが、中止したために、本来得られると思われた入場料収入が得られなかったことに対する不満が被控訴人に寄せられたものと思われる。
その詳細については別紙、「証拠申出書」に基づいて、被控訴人加藤からの証言を以って明らかにする。
原判決では、「それは本件訴訟の結果として賠償金を取得できた場合の使途を述べたに過ぎないから、原告らの損害の主張が虚偽となる物ではない。被告の上記主張は採用できない」、と論じている(13ページ)が失当である。
儲けそこなった三映画館に金を払うという本来の目的を隠蔽しながら「原告加藤を始めとする原告会社の従業員が畏怖」「原告会社の正常な業務を妨害」「信用及び名誉を毀損」「原告加藤のプライバシーを侵害」「生活の平穏を侵害」と虚偽の被害を並べて、賠償金を略取することが、認められることなどあってはならない。
原判決がこういった不当行為を認めるのであれば、これはわが国の裁判史上において判例として永久に残ることになる。
被控訴人が請求した110万円というのはあくまでも「原告加藤を始めとする原告会社の従業員が畏怖」「原告会社の正常な業務を妨害」「信用及び名誉を毀損」「原告加藤のプライバシーを侵害」「生活の平穏を侵害」を回復するためのものと主張していたはずである。
これが虚偽であると立証された以上、本請求の原因は消滅した事になる。
三映画館に対する補償が必要であれば、その根拠となる原因と金額を別訴で審理しなければならない。
原判決における判断は暴論も甚だしい。
と、いうもの。
つまり、加藤は「西村氏の街宣活動によって被害を受けた。その救済のために賠償金を払え」、
と訴えていたが実際は自主的に上映中止した映画館への補償金を取るのが目的だった。
こういった事実が判明したにもかかわらず、東京地裁民事15部の裁判長・阿部潤は、
「賠償金を取得した後の使途などどうでもよい」、結論付けたのである。
これが、真っ当な司法判断であるはずがない。
これが判例として生きてくるのであれば、他の如何なる裁判においても適用できてしまう。
「車にぶつけられて足に後遺障害が残った。車椅子を買うために損害賠償を払え」、と訴えた原告がいたとしよう。
裁判の過程で、実は足はなんともない。車椅子は必要ない。実は手が不自由であったと判明した。
それでも判決では「車がぶつかったことは事実であるから、賠償金を何につかおうと関係ない」と言っているのと同じだ。
日本の司法は完璧に死んでいる。
裁判と言う形は存在するだけで、形骸化した茶番劇にさえも当たらない,お遊戯の場と化している。
脳死状態の患者に司法を委ねているようなものだ