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中沢啓治さん:「原発、人間の手で制御できない」広島、福島重ね

記者会見で質問に答える「はだしのゲン」原作者の中沢啓治さん=広島市中区の原爆資料館で2011年4月26日午後7時55分、中里顕撮影
記者会見で質問に答える「はだしのゲン」原作者の中沢啓治さん=広島市中区の原爆資料館で2011年4月26日午後7時55分、中里顕撮影

 原爆投下後の広島でたくましく生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん(72)を追ったドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」が完成し、広島市中区の原爆資料館で26日、試写会があった。旧ソ連・チェルノブイリ原発事故から25年を迎えたこの日、中沢さんは福島第1原発事故の被害を憂い、「広島での体験から、放射能の恐ろしさは知っている。原発に頼らない日本に切り替えるべきだ」と訴えた。

 試写会はチェルノブイリ事故から四半世紀の日を選んで企画。中沢さんは15年前、現地を訪ねた。手持ちの放射線計測器は振り切れた。「地震が多い日本でも何か起こるんじゃないか」と思ったという。この日の会見で「人間の手で制御できない原発ばかりに頼るのは危険だ。これを機に自然エネルギー利用に転換すべきだと思う」と語った。

 被爆者は戦後、広島でも「毒がうつる」などと差別された。中沢さんは上京後、被爆体験に触れただけで、仲間うちからも冷たい視線にさらされたことが忘れられない。福島県からの避難者が「放射能がうつる」と偏見にさらされているニュースに心を痛めているという。「戦後、米国や日本政府は原爆放射線の影響を隠したため、いろんな風評が出て被爆者は就職や結婚時に差別された。政府や科学者らは正しい情報を伝えてほしい」と話す。

 映画は1時間17分。中沢さんは被爆後に避難した場所などを訪ね、「あの日」の惨状と、廃虚となった街で生き抜いた日々を証言している。広島の市民団体の協力で、被爆者の証言ビデオなどを手がけた石田優子監督(32)が製作した。【矢追健介】

 ◇なかざわ・けいじ

 広島市生まれ。被爆時、広島市内の小学1年生。中学卒業後に看板店で働き、後に上京して漫画家になった。「はだしのゲン」は1973年から「週刊少年ジャンプ」に連載。原爆被害を描いた漫画の代表作として知られ、十数カ国で翻訳出版されている。

2011年4月28日

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