東日本大震災で大津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた仙台空港(宮城県名取市)で、在日米軍による復旧作業が進んでいる。同空港は救援物資輸送のハブとなる戦略拠点。海兵隊、陸軍、空軍、海軍のテントが林立し、作業にあたる約250人の米兵はここを「キャンプ・センダイ」と呼び、米軍協力のシンボルとなっている。【高橋宗男】
「22年間の軍人生活でも、ベストな連携を図れた作戦の一つ」。ドウェイン・ロット大佐(45)は言い切る。米軍が沖縄県の米空軍嘉手納基地から投入した353特殊部隊を指揮する。同部隊は戦時の機動部隊だ。
特殊部隊が東京・米軍横田基地から特殊作戦用輸送機で航空自衛隊松島基地に乗り込んだのは大震災発生から5日後の3月16日早朝。隊員13人が高機動多目的装輪車2台に分乗して現地入りし、3週間近くになる。
空軍特殊部隊の任務はもともと敵地に乗り込んで迅速な拠点整備をすること。アフガニスタンやイラクなど戦闘地での作戦のほか、04年のスマトラ沖大地震によるインド洋大津波でインドネシアにも出動した。
大震災2日後の3月13日。事前調査で飛んだ偵察機から見下ろした仙台空港はがれきと汚泥、数百台の車両で埋め尽くされていた。ロット大佐は「難儀な仕事になる」と覚悟したという。16日、3000メートル滑走路のうち約1500メートルが使用できることを確認。その日のうちに物資や機材を積んだ輸送機C130の第1便が着陸した。
18日には静岡や沖縄の海兵隊約150人が到着。戦闘兵站(へいたん)連隊のジョン・シンプソン大尉(39)には「復旧まで3週間は必要」に見えた。がれきや車両数百台が散乱、最大厚さ約60センチの汚泥に覆い尽くされていたからだ。だが、復旧は一気に加速化した。滑走路の全面確保を最優先させ、10日後の28日までに全長で使用可能になった。大型輸送機C17も到着。非常管制塔の運用開始とともに交通航空管制業務も31日に当局へ引き渡せた。
「ミラクルです」。現地で調整に当たる陸上自衛隊の笠松誠・1佐(46)は言う。「自衛隊は被災者の近くに行くべきだと、役割を分担した。大きな連携がうまくできた。日米安保を絵に描いたような作戦」と説明した。
在日米軍司令部のニール・フィッシャー海兵隊少佐(39)も「ハイチ大地震(10年)では準備に4日かかった。だが今回はすぐにリクエストに応えられる態勢が整った」と米軍が日本に駐留する意義を強調する。
「キャンプ・センダイ」の米兵らは各地のがれき撤去などに力点を移しつつある。同連隊のブリアンヌ・ハプキン少尉(28)は1日、宮城県石巻市立湊小学校での作業中、「日本の人たちは必ずこの苦難を乗り越えるだろう」と話した。
毎日新聞 2011年4月4日 21時17分(最終更新 4月5日 21時07分)