◇…スポーツ報知の購読申し込みは、フリーダイヤル 0120-16-4341(イロ ヨミヨイ) まで…◇
◇…過去の記事は、ご使用のプロバイダのデータベース・サービスをご利用ください。…◇
◆ヤクルト4―1巨人(27日・静岡) ヤクルト・由規投手(21)が、亡き先輩に勝利をささげた。宮城・仙台育英高時代にバッテリーを組んだ斎藤泉さんが27日、宮城・石巻市内で遺体で発見された。由規と1学年上の斎藤さんは、06年夏の甲子園で2回戦進出。斎藤さんは東日本大震災発生当日の3月11日に被災し、行方不明となっていた。両親から死を聞かされた右腕は、巨人戦(静岡)に先発して5回4安打1失点で2勝目、チームに8連勝をもたらした。
何としても負けられない。由規は土砂降りの雨に打たれながら、右腕を力強く振り続けた。「球場も狭いし、雨もあって注意することがたくさんあったけど、条件は相手も同じ」。最速154キロをマークして5回を4安打1失点。2点リードの6回の守備に入る前、降雨で1時間近い中断があり、勝利投手の権利を持ったまま、72球でマウンドを譲った。
「無事を祈ることしかできないですから」。しかし、由規の願いは届かなかった。試合前、仙台市内に住む家族から、つらい事実を知らされた。3月11日の震災発生当日、斎藤さんはマグニチュード9・0の地震発生後、石巻市内で勤務する運送会社の従業員の安否確認をしているところで、津波にのみ込まれたという。開幕カードで敗れた巨人戦の試合前。21歳の心は揺れ動いたに違いない。
それでも、決して悲しい顔は見せなかった。グラウンドでは時折笑顔を見せながら、ウオーミングアップに励むプロ4年目の由規の姿があった。悲しい思いを胸にしまい込んで、自分の仕事に集中していた。それは、試合後も変わらなかった。「自分が投げる試合は雨予報が多いんですけど、中止になったことはないんです。だから、自分では晴れ男だと思っています」と笑った。折れない強い心を持って、最後まで振る舞った。
次男の由規にとって、斎藤さんは「もう一人の兄貴」のような存在だった。「自分にとって大きな存在だった。泉さんがいたから、思い切って投げることが出来た」。高校時代、快速球右腕のスライダーを身をもって止めてくれた。後ろにそらさない技術と熱いハートが、由規に自信を植え付けてくれた。甲子園出場を決めた06年夏の宮城大会決勝、延長15回引き分け再試合の一戦で、先制点をスクイズでもぎ取ったのも斎藤さんだった。
5月20、21日には、宮城・仙台で楽天との交流戦が予定されている。由規の登板は未定だが「もし、今年も投げられる機会があれば、また違ったやりがいを感じると思う。仙台で、地元で何かしたい」と思いをはせていた。時間が許せば、石巻への弔問も検討するという。
背番号11の勝利への執念に打線も応え、チームは1分けを挟んで8連勝。斎藤さんの両親は「きょうは泉が勝たせてくれるよ」と話していたという。全身全霊を傾けた投球で2勝目を挙げた由規が、白星を積み重ねることで斎藤さんに恩返しする。
◆両親がお別れの会でサインボール棺に
仙台市に住む由規の両親が27日、石巻市で斎藤泉さんの遺体と対面してお別れの会に出席した。遺体発見を知らせた仙台育英高野球部の佐々木順一朗監督(51)夫妻とともに、斎藤さんの自宅を訪問。父・均さんはヤクルトのレプリカユニホームと由規の帽子、サインボールを用意した。納棺の際にはボールを斎藤さんの手に握らせたという。
登板前を気遣った遺族から由規に知らせないように頼まれたが、均さんはあえて知らせた。「毎日のように気にしていた。息子には『あとは自分の力を信じて頑張れ』と伝えました」と苦渋の決断を明かした。28日は震災発生から49日目。供養の意味も込めて、この日のウイニングボールは斎藤家に届けられる予定だという。
(2011年4月28日06時05分 スポーツ報知)
国内最大規模の携帯ニュースサイト。スポーツニュース速報のほか、旬の社会、芸能ニュースも満載。月額84円(税込)
巨人軍公式サイト。待ち受け画像や注目の選手情報など、シーズンオフも必見。「NEWS読売・報知」の全コンテンツも利用できて月額210円(税込)!
翌日朝掲載の釣果情報を当日夜に配信。厳選した指定船宿と協力店からの正確な情報や、船宿の自慢料理・仕掛けなど、実用的なメニューもご用意。月額210円(税込)
携帯初の競輪予想情報。グランプリやダービーはもちろん、関東・南関東を中心に各レースを徹底予測。月額210円(税込)
転職
リクルートエージェント