キャリア&転職研究室魂の仕事人第34回 終身刑設立を目指し全国行脚 ストッキ・アルベルト-その1-終身刑の創設を求めて全国行脚
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魂の仕事人   photo
魂の仕事人 第34回 其の一
妻と娘の死を無駄にしたくない 死刑と無期懲役の溝を埋めるべく 終身刑の創設を求めて全国行脚
終身刑の設立を求めて、日本中を走り回っている男がいる。ストッキ・アルベルト53歳。イタリアとスイスの国籍をもつ外国人がなぜ日本の法律を変えようとしているのか。日本で地獄を味わった男の魂の叫びを聞いた。  
終身刑設立を目指し全国行脚 ストッキ・アルベルト
 

終身刑の成立を求めて全国行脚

 

 現在、終身刑の設立を目指して、全国をバイクで回っています。今年で4周目になります。集めた署名も、メールや郵送を含めて9万5000人に上りました。昨年、集まった署名を法務大臣に渡して、終身刑の必要性を話して、法律の改正をお願いしました。

 こういった活動をしているそもそもの理由は、2004年5月27日に私の家が放火されて、妻と娘の命を奪われたからです。

ある日突然最愛の妻と娘を奪われた
 

 当時、私は宮崎で妻の公子と中学に上がったばかりの次女・友理恵と3人で暮らしていました。長女の美由紀は大学受験を控えており、実家から離れた予備校に通うため、独り暮らしをしていました。

 2004年5月28日、つまり放火された日の翌日、私たち家族は私の仕事の関係で、宮崎から千葉に引越しする予定だったんです。だから1階に梱包した荷物を運んでいて、2階はふとん以外からっぽ。そこで私と妻と次女は寝ていました。

 3人とも引越しの荷造り作業の後だったんだけど、みんな風呂に入らずにそのまま床に就いたんです。疲れていたんだろうね。こんなことは滅多になかった。さらに、ほとんどみんな同じ時間に眠ったんですよ。床に就いてから30分以内にみんな眠ってしまった。

 そしたら突然、「アルベルト、火事だ!」という大きな叫び声がして、目が覚めた。最初は火事じゃなくて地震じゃないかと思いました。家がすごく揺れてたんですよ。でもすぐに真っ赤な炎とバチバチ、バーンバーン!!という音が迫ってきて火事だとわかった。妻と娘が寝ている隣の部屋に「火事だ! 逃げろ!」と声をかけたけど、反応がないから、「2階から飛べ! 飛べ!」と叫んだ。私は無我夢中で目の前の窓から飛び降りた。そしたら隣の家との境にあるブロック塀に腹から落ちたんです。頭から落ちてたら死んでたかもしれない。それでもひどい火傷とケガはしましたけどね。

 でもふたりは死んでしまった。妻は46歳、娘は12歳でした。11時10分に放火されて、12時30分には全部なくなりました。

なぜ自分だけが助かったのか…
地獄の毎日
 

 あの夜はたぶん、すべてが悪い方へ働いたんだと思います。もし、あの夜お風呂に入ってたら、もし、誰かひとりでも起きていたら、もし、雨が降ってたら……もしかしたら妻と娘は助かってたかもしれない。最悪の条件がそろってしまった。

 また、もしあの夜、長女が家にいたら……。でももっとひどいことになっていたかもしれない。それはわかりませんからね。助かったからって幸いだったともいえないしね……。

 あの火事の時に聞こえた「アルベルト、家事だ!」という声も、よく考えてみたら誰の声だったのか……。あのタイミングであの声が聞こえるのはありえない。もしかすると、すでに亡くなっていた家内の声だったのかもしれません。

 事件の後、人からはどうしておまえだけが助かったのかと非難されました。警察からもおまえが犯人なんじゃないかと疑われました。私だって思いますよ、なぜ私だけが生き残ったのか。私は本当に何もできなかったのか………もうあのときのことは思い出しくないし、話もしたくないんだけどね……でもそのときはもう家内が死んでるの、わかってた。声をかけても反応がなかったから。もうわかってる。何もできない、なおさら、悔しい。ごうごうと燃え盛る火が身体に当たってた。火にあと1メートル近かったら私も死んでいたかもしれない。あるいは何かできたかもしれない。それはわからないんですよ……。

 放火されて娘と妻を亡くしてからは、毎日地獄。それだけ。今でも同じ。だからPTSD(※1)になった。長女も。夜、眠れない。暗くなったら怖くなるし、不安になる。突然思い出がフラッシュバックしてくる。突然涙が出てくる。悔しい。苦しい。悲しい。ほんとに地獄。

※1 PTSD──Post-traumatic stress disorderの略。心的外傷後ストレス障害。災害、事故、事件などから被った精神的ショックから、断続的な不安や恐怖、情緒不安定、睡眠障害や記憶障害などが引き起こされる。

事件からまもなくして、ストッキ氏の家を放火し、ふたりの命を奪った犯人・竹山裕二(当時37歳)が逮捕された。竹山は事件の2年前に刑務所を出たばかりで、放火、窃盗などの罪で過去に6度の服役歴があった。動機は「借金や仕事などのうっぷんがたまってむしゃくしゃしていたから」──。こんな身勝手な理由でふたりの命を奪った犯罪者に裁判長が言い渡した判決は「無期懲役」。ストッキ氏は我が耳を疑った。

連続放火魔による犯行
 

事件の模様を伝える新聞記事(クリックで拡大)

 この夜だけで、5軒の家が焼けてしまいました。ちなみに私の家の裏には貴乃花の奥さんの河野景子さんの実家がありました。

 犯人はこの夜に5件、その前にも数十件、その後にも4件放火してるんです。つまり、何も反省していないことの何よりの証拠です。この犯人は放火当日、私の家が焼けるのを、家内と娘が焼け死ぬのを見物してるんですよ。(※2)喜んで。それがとてもとても悔しい。

※2 【長女 美由紀さんの証言】
放火犯は放火の現場に戻るという話を知っていたから、放火の後も毎日、現場を見に行っていました。すると、挙動不審な男がいたんです。よく見るとこれまで2度ほど見た覚えのある顔でした。3回目に「何なの、あんた?」ってその男に怒って言ったんです。捕まえようと思ったら逃げられました。しばらくして刑事が犯人としてつかまえたのがその男だったんです。

 犯人が見つかってからは少しほっとしました。犯人が見つかってない被害者の方たくさんいるからね。それに比べればましです。

 でも逆に複雑な気持ちですね。犯人を殺したい。でも国は殺させてくれない。まとまらない気持ち。犯人が見つかって本当によかったのか、悪かったのか、今でもわからない。

まさかの無期懲役
 

 最初、検事はこの放火事件で犯人を殺人罪で有罪にするのは難しいと言いました。放火によって人がふたりも殺されているのに何を言ってるんだと思いました。しかしあの当時ね、私は愛する家内と娘を失って、心がボロボロになってたんですよ。精神力がなかったんです。だから検事に任せようと思った。それが大きな間違いでした。

 検察側は判決が出る直前に、無期懲役を求刑したんです。それ、冗談じゃないんです。私は死刑にしてほしかった。検察は私に相談せずに勝手に無期懲役を求刑したんです。実際の判決も、求刑通り無期懲役だった。そこで私は大きなショックを受けました。

 無期懲役の場合、仮釈放で社会に戻ってくる可能性があります(※3)。なぜ、何軒もの家を放火して、刑務所を出たり入ったりして、妻と娘のふたりもの命を奪った犯人に社会復帰する可能性を与えなくてはならない? それは私には耐えられない。

 なぜ検察は無期懲役を求刑したか。その裏にはたぶん、司法取引があったんじゃないかと思います。早めに裁判を終わらせるために。私たちは死刑ではなく無期懲役を求刑するから、その代わりに、被告側に控訴しないでとお願いした。犯人はそれを承知したんじゃないですかね。でもその証拠がないんですね。このことを発表しても検察は知らないというでしょう。このことを教えてくれた人も公の場では知らないというでしょう。だから警察や検察と話をするときにはボイスレコーダーをもっていかないと絶対ダメなんですよ。それがあれば裁判をやり直すことができますから。

 無期懲役の判決が出たとき、私は犯人の死刑を求めて控訴するつもりでした。実際に検察にはお願いしたんですよ。でも検察は控訴してくれなかった。検察に見事にだまされてしまいました。

 日本の法律では、判決が無期懲役でも、やっぱり甘いと思ったら、判決後14日以内であれば控訴できるんですよ。もちろん私は判決直後から検察に何度も電話をしたり、出向いたり、控訴の嘆願書を提出したりしました。もちろん証拠もあります。何もしなかったわけじゃない。ほぼ毎日弁護士を通してお願いしてるんですね。でも取り合ってはくれませんでした(※4)。しかも検事は控訴の嘆願書が長すぎるからもっと短くしろと言った。これが一番頭に来ました。我々は犯人ですか?

ストッキ氏が提出した陳述書

 なぜ検察はこういう対応をしたのか。いったん無期懲役を求刑してその通りの判決が出ているのに、やり直しとなるとメンツやプライドに関わる。訴訟もややこしくなるし、時間と手間がかかる。それを避けるためになるべく早めに終わらせようとしたってことでしょうね。

※3 無期懲役の場合、仮釈放で社会に戻ってくる可能性があります──無期懲役といっても全員が死ぬまで刑務所の中で過ごすというわけではなく、服役期間が10年を超えると「仮釈放」の可能性が生まれる。とはいえ、近年では勾留期間は長期化の傾向にあり、平均勾留期間は25、6年といわれている(法務省調べ)。また、仮釈放者数も年々減少傾向にある。よって、巷に流布している「無期懲役になっても10年もすれば出所できる」という認識は間違い。しかし、社会復帰してくる可能性もあるので、死刑との差が大きすぎるという声も依然高い。政治の世界でも、2008年5月には超党派による新たな議員連盟「裁判員制度の導入の中で量刑制度(死刑と無期懲役のギャップ)を考える会」(仮称)が発足。仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入しようとする動きが始まった。

※4 取り合ってはくれませんでした─「電話をしても『電話では取り扱えません』。出向いたら門前払い。『いい加減にしてください』とまで言われました。いい加減にしてくださいと言いたいのはこっちです。まだ心の整理がついていない被害者に向かって、法の番人がよくそういうことがいえるなと。検察には上申もできないし、法律の説明もない、弁護士も取れない。それは法律違反だといわれたのですが、後々よく調べてみると両方ともできた。当時はそこまで考えることができませんでした。検察は我々が知らないってことがわかっていたんでしょうね。いいようにやられたという感じです」(美由紀さん)

5カ月のスピード判決

長女の美由紀さんと

 実際、裁判にはものすごく時間がかかります。インターネットで1948年から2007年までの死刑判決か無期懲役が出た判決例を全部読みました。ほとんど何年もかかってます。しかし私の放火のケースはたった5カ月で終わりました。たった5回の裁判で全部終わってしまった。中国みたいな猛スピード判決。1カ月に1回の裁判でぽんぽん決まってしまった。その理由は、犯人は犯行を全面的に認めて裁判に協力したから。それも死刑判決が出なかったひとつの理由らしいです。

 当時は東京に引っ越していたんですが、月に1度、宮崎に裁判を傍聴しに行ってたんです。あのときは早く決まった方がいいと思ってましたけど、今考えるとやっぱりダメです。本当にこれでいいのか、考える時間がなさすぎた。

 私たちは放火によってふたりも愛する家族を失って、仕事も失った。何もかも失って、戦う力がなかった。今みたいな精神状態だったら絶対戦います。まだ私、終わってない。またぶつかりにいきますけどね。そのチャンスを待ってるんですよ。私は忘れませんよ。家内と子供の命を奪われたことは当然、絶対に忘れられませんよ。検察にしてみれば終わった事件かもしれないけど、残された私と長女の中では終わっていません。黙っていられません。

 今の日本の法律では被害者の心の痛みと苦しみは考慮してもらえない。あまりにもおかしすぎる。皆さんだって、いつなんどき犯罪被害者になるかわからないんですよ。ある日突然、日常が奪われる。愛する者が殺される。これは地獄ですよ。

 当然、このまま無期懲役では納得がいかないので、殺されている側の権利として、この事件を国際裁判にかけようと思っています。私がイタリアとスイスの国籍を持っているので、家内と娘もスイスの国籍を持ってるんですよ。娘は日本とイタリアとスイスの三重国籍です。だからスイス市民として、国際裁判で戦うことができる。もちろん長くかかるでしょうけど、やるつもりです。

 でもその前に日本の政府と国民に訴えかけて、終身刑が成立すれば、国際裁判で戦う必要はありません。私の望みは日本に終身刑を創設することです。そのために、無期懲役が確定した2週間後の2005年7月14日から、終身刑成立を目指し、日本全国をバイクで回って署名活動を始めたんです。

ストッキ氏が全国を駈けずり回って集めた署名。これまでに9万5000人もの署名が寄せられた

 

放火によって愛する妻と娘の命を奪っておきながら、犯人は無期懲役にしかならなかった。この信じられない判決がストッキ氏を全国行脚の旅へと向かわせた──。

次回は署名活動によって得られたもの、活動のよろこび・苦しみなどについて語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回 2008.9.15リリース ある日突然妻と娘を奪われた 地獄の毎日の始まり
第2回 2008.9.22リリース 終身刑設立を求め バイクで全国行脚開始
第3回 2008.9.29リリース 「犯罪者を生み出さない社会」の実現が究極の目標

プロフィール

すとっき・あるべると
Stucki Alberto

1955年イタリア生まれ。1975年、剣道の修業のため来日。1年で帰国するつもりが剣道の魅力に取り付かれ、語学教師、建築資材の輸入業などを営みながら日本に定住。1983年、日本人女性と結婚。ふたりの娘をもうけ、幸せな日々を送っていたが、2004年5月、引越しの前日、連続放火魔により自宅を放火され、妻と次女の命を奪われる。犯人の竹山裕二(当時37歳)に下された判決は無期懲役。以降、終身刑の創設を目標に2005年からバイクで日本全国を回っている。これまで全国3周、約16万5000キロを走破。約9万5000名分の署名を集めた。活動費はすべて自費で、これまでにかかった総費用は2000万円。現在も講演のために全国を走り回っている。署名はメールでも受け付けている。

■署名・講演の問い合わせ
minervai@rhythm.ocn.ne.jp
携帯TEL:090-2505-1210
電話:072-762-3702
Fax:072-762-3703
住所:〒563-0036
大阪府池田市豊島1-5-27
シャーメゾン豊島106号

■募金口座
郵便振込口座
口座名義:ストッキ・アルベルト終身刑設立活動募金
口座番号:00990-7-107238

■署名協力
署名を希望する方は、こちらより署名用紙をダウンロードして、住所、氏名、サインもしくは捺印の上、〒563-0036 大阪府池田市豊島1-5-27 シャーメゾン豊島106号 ストッキアルベルト署名係まで送付してください。

 
お知らせ
 
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