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[5086] 僕は勇者なんかじゃない(ゼロ魔 オリ主)
Name: c.m.◆71846620 ID:a5f9d3b4
Date: 2011/04/27 08:29
 はじめまして。c.m.と申します。
 こちらの方では感想を書かせていただいていたのですが、自身も書いてみようと思い立ち、以前から書き留めていたものを投稿する事に致しました。

 本作品は、

 ※原作キャラの死亡があります※
 ※主人公は強めに設定しています。
 ※一部原作キャラに対して否定的となっています。
 ※魔法に対して一部独自設定があります。
 ※一部のキャラクターに対し、オリジナル設定を過分に含んでおります。(ギトーの年齢変更など)
 ※一部キャラのTSが有ります。
 ※原作キャラに対し、強化、魔改造を含んでおります(ギーシュ・ワルドなど)

 これらの内容を含んでいますので、こちらが苦手な方はご遠慮ください。(11/2/26)追記。
 
※ゼロの使い魔投稿版新設に伴い、移転する事に致しました。
※読者様のご指摘の下、注意事項を追加しました。(10/10/21)
※本作では、原作では魔法に使う力を『精神力』ではなく『魔力』と時々表記していますが、これはVOL2でギーシュと子爵との対決時に地の文を書いた際、『精神力』ではどうしても締まらなかったので、違うと知りつつも『魔力』という表記をさせて頂きました。
 気に触った方が居たらごめんなさい。


※蛇足でしかない報告(11/4/11)
 唐突ですが、主人公の絵を描いてみました。
 状態としてはVOL2 009のワルド戦。鋼糸と黒デルフ装備。一応流血表現があるのでR-18Gです。
 pixivなんでアカウントが無いと入れないのですが、別段作者には大した画力は無いので、見に行っても良い、という心の広い方が居られましたら見て下されば幸いです。
 多分タグ検索でタイトル入れれば出る筈だと思います。


※以前お伝えしましたが、本作の大幅な加筆修正を行っていこうと思います。

 ちなみに日付の後にある◆マークについてですが、これは二回以上修正した物に対して、修正を行うごとに増えていくという、所謂作者の未熟さの証明だったりします。どうでも良い事ですが。(10/7/29)

 なお、変更点は以下の通りです。

 全話共通:主人公が不幸体質という設定を削除しました。
       主人公が動物好き→主人公のほうに動物がやってくる。という設定に変更しました。
       ギーシュの右手に腕輪を付けました(TS設定追加のため)。


 VOL1 001 Prologue  :物語の幕間的な話を導入しました。気付く人はオチが見えそうで怖いですが。(10/7/29)
                主人公が貴族に対して高圧的だったので発言を修正しました。(10/7/29)
                主人公の「人生の中で二番目に悪い」という発言を削除しました。
                主人公の持っている武器を、ルイズに見せる事を止めました。
                主人公が武器を持っている理由を変更しました(不幸だから→『ある男』に持つように言われたから)
                第一話から、謎の自衛官である『ある男』存在を濃くしました。
                一部加筆修正(10/7/29)

 VOL1 002        :主人公が頑丈(ターミネーター並み)という設定を削除しました。 
                一部加筆修正(10/7/29)
  
 VOL1 003        :主人公は「人より多く積み重ねなければならない三流」→「他人より覚えは早かったが、時間が足りなかった二流」に設定
                を変更しました
                一部加筆修正(10/7/29)

 VOL1 005        :ブルトンネ街で主人公とルイズに軽い雑談をさせました。
                一部加筆修正(11/2/15)※小弓公方様、誤字報告ありがとうございました。


 VOL1 006~VOL2 006:一部加筆修正(10/11/3)



[5086] VOL1 001 Prologue※加筆修正済(11/2/12)◆◆◆
Name: c.m.◆71846620 ID:a5f9d3b4
Date: 2011/02/12 16:11
 それは唐突だった。
 怒号も無く、恐怖も無く、在るのはただ理不尽だった。
 どうしてこうなったのか? いったい何が原因だったのか?
 考えれば多く見つかるし、こういった事が起こるのも、時代を考えれば無理からぬことではある。
 だが、だからと言って赦されるかどうかと言えば別問題だろう。最早、この村に音は無い。草むらを駆ける子供も、田を耕す大人も、その全てが死に絶えた。
 一言の悲鳴も無い。一切の狂乱も無い。当然だ。彼らは眠りに就いたまま死んだのだから。
 助けてとも、赦してとも叫ぶ間もなく、どうして? と疑問に思う間も無く死に絶えた。
 無論、いち早く事態に気付いた者もいた。遠出から帰り、家族が眠る間に帰省しようとする者も。
 彼らは運が良かったのか? それとも悪かったのか?
 燃え盛る焔に思考を硬直させ、無我夢中で家族の元へと駆けた彼らは、村に入った瞬間、立ったまま絶命した。
 何が起きたのかさえ分からない。恐らくは、それを起こした当人さえ、理論立てられた解説は出来ないだろう。
 これは科学によって起こされた物でも、自然によって発生した物でもない。
 魔法。一部の者にのみ扱える、人智を越えた業。
 人が人として生きる上で、本来であれば無用とさえとれる産物によって引き起こされた。
 辺りを充満する気化ガスを取り込み、着火と共に村人たちは内側から肉体を燃やしたのだ。
 そう。もうここに生者は存在しない筈だ。
 だが彼らには容赦も情けも無い。目的を果たせ。任務を達成しろ。
 疫病を外へと持ちだすな。
 然るべき大義の下、彼らは動く。例えそれが他者に詰られるモノであろうとも、彼らにはより多くの命が、その双肩にかかっているのだから。

 ────たとえそれが、偽りの情報だったとしても。

 そして、万分の一に等しい奇跡は確かにあった。僧衣に身を包んだ女性と、女性を守護する為の剣を携えた青年が山道を駆けて行く。青年の背には、息を切らした少女の姿あった。
 あの業火の中で、奇跡的に彼らは少女を救出し、二度火傷を負った少女を完全に癒した。
 幸か不幸か、村を焼いたのも魔法ならば、三歳程の少女の命を救ったのも魔法だったと言う訳だ。
 やがて、ここまで来ればという思いがあったのだろう。
 青年は木の幹に少女を隠すと、にこやかな笑顔で嘯きつつ、女性に頼んで眠りの魔法を少女にかけた。
 気付かれる事は無い。安堵が若い男女を満たすも、すぐさまそれも消え失せる。

 ────鮮血と業火の月夜の下、夥しい軍勢が二人を囲む。

 村を焼いた者たちではない。恐らく彼らの目的も同じであろうが、根本的な所では違っていた。
 誰が知ろう。焼け落ちた村の惨劇も、数万を超える軍勢も、たった二人を殺す為だけに用意されたのだと。
 それは傍から見れば失笑に伏すか、同情を誘う物であっただろう。
 だが侮るなかれ。この青年は、単騎で万軍を凌駕する。
 有象無象など、幾万と募ろうと取るには足らぬ存在だと言う事を。
 携えた剣を青年は握る。左手に輝くルーン文字と魔剣を手に、純白の軍勢を相手取る。
 神話の具現。伝説の降臨。目視で銃弾を見切り、魔法の矢を躱し、突き立てられる剣と槍を砕きながら青年は進む。
 決して止まるな、振りかえるな。
 後ろには護るべき主がいる。後ろには罪なき子供がいる。
 故に戦え。故に進め。例えこの身が骨となろうと、最期まで走り続けろと、青年はただ駆け抜ける。
 後ろから響くのは魔法の呪文。青年の主たる女性もまた、軍勢を相手取るべく杖を揮う。
 耳を劈く爆音は視界を白濁に染め、全軍勢の三分の一を削り取る。
 勝てる。勝てる。勝てる!!
 互いがいる限り、この二人に敗北は無い。
 震える敵兵の息吹が聞こえる。畏れ慄く表情が見える。
 勝利を盤石にし、二人の女性を救うべく、青年は駆け────

 ────奇跡は幕を下ろした。

 何故気付かなかったのか? これだけの音を出せば、魔法をかけたとはいえ、少女も目を覚ます筈ではないか。
 勝敗は一瞬。人質に取られた少女の叫びと共に青年は魔法の刃で斬り裂かれ、地に崩れ落ちた。
 そして、女性もまた同様の末路を辿る。
 もはや助からぬ命。倒れる男女に軍勢は踵を返し、何事も無かったように純白の軍勢は去っていく。
 唯一残った少女の叫びは、誰の耳にも届かない。
 この場を去る軍勢さえ、野狼か魔獣に襲われるだろうと見越していたから。
 だから気付かない。少女の叫びに、二人の男女が息を吹き返した事を。
 青年は立ち上がると共に少女に剣を渡し、路銀にするよう告げると意識を失わせて再び幹へと寝かしつけた。
 女性はよろよろと立ち上がると、一言二言の呪文を唱える。
 恐らくはこれで最後。自分はもう助からないのであれば、この立派な従者を故郷に帰してやりたかったから。
 だが、青年はそれを認めない。かつて女性が贈った人形を握りしめ、口元から零れる血を気にも留めず、正面から見据える。
 もう立つ事も困難。意識さえ朦朧。だが、それでも青年は立ち上がり女性へと向かう。
 雪の広がる故郷に背を向けて、目の前の女性の元へと歩を進める。
 女性はそれに涙した。愛しき従者。魂から繋がった使い魔に、感謝の念を携えて。
 ゆっくりと、だが、しっかりと両者は抱き合う。
 青年は囁く。共に逝こうと。
 女性は黙す。口付けと共に。
 互いの零れ出た血は人形にまで滴り落ち、やがて紅く交わった。

 ────そうして。女性は青年を突き飛ばす。

 貴方だけは、と。事切れる最期に、そんな言葉を遺して。紅い指輪を青年に握らせて。

 ────もし物語に、始まりがあるとするならば。
     それは正しく、ここから始まったのだ────

 ────この物語は、涙から始まったのだ。


     ◆


「あんた誰?」

 突然の声に目を覚ます。目を開いた先にあったのは群青の空とこちらを見つめる鳶色の瞳を持つ桃色の、おそらくはピンクブロンドの髪の少女。
 なぜ俺はここに居るのだろうか?
 目覚めたばかりで曖昧な思考を正し、立ち上がってから先程までの自身の記憶を振り返る。
 いつも通りの朝を迎え、支度をし、電車へ乗って大学へ向かう。何一つとして変わらないありふれた一日。
 ここまではいい。ここからが問題だ。確かあれはそう、車に轢かれそうになった子供を見て飛び出し、勢いに任せて突き飛ばした。それから運転手が急ブレーキをかけて……結局は跳ねられて受身を取り、転がった先にあった鏡に引き込まれた。
 ここから先の記憶はない。ということは、今見ているのは外傷によって気を失った俺自身が見ている夢だろうか? 
 いや、それは無い。あの時はしっかりと受身をとったし、車も軽自動車だった。大事に至る事はまずない。
 となると原因はやはりあの鏡ということになる。いや、鏡かどうかは疑問だが今はそう定義づけるしかないだろう。
 取り敢えず現状を確認する。着ているものは黒革のジャケットに黒のハイネックとジーンズという黒で統一された服装。見たところアスファルトを転がったことで多少汚れてはいるが、それほど酷い状態ではない。
 次は持ち物。鞄の方は……目の前にあった。子供を突き飛ばす際に投げ捨てようとしたが、肩に引っ掛かっていた為にそのまま飛び出すことになってしまった。
 身体が僅かに痛む。受け身の方が問題なかったにせよ、衝撃を完璧に殺しきれなかったからだろう。
 さて、壊れるような物は特に入っていないが一応確認を、

「ちょっと! 聞いてんの!?」

 しようとして呼び止められた。

「すまない。考えごとをしていた」
「平民が貴族にそんな口利いて良いと思ってんの?」

 貴族? どういうことだ。ここでは貴族制がまだ残っているのか? それともそういった家系が続いている者だろうか。
 辺りを見回す。石造りの建造物とこの少女と同年代の───とはいえ、多少のばらつきはある様だが───変わった格好をしている少年少女。
 映画の撮影などであれば良かったが、それは絶対にないだろう。まずスタッフが飛んでくる。
 外国か。とするとここはイギリスか南米だろうか。いずれにせよ言葉が通じる以上問題はない。大使館や警察機関に取り次いで貰い、日本に帰る手配を────

「いいから名前、さっさと答えなさい!」
「本当にすまない。自分の名前だが、北澤直也という。君は?」
「私は二年生のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。覚えておきなさい!」
「そうか。それでここは、」
「ミス・ヴァリエール」

 ……今日は悉く発言や思考を遮られるな。

「はっ、はい!」
「いつまで時間をかけているつもりだい?」
「ミスタ・コルベール! あの! もう一回召喚させてください!」
「それは駄目だ。ミス・ヴァリエール。
 二年生に進級する際、君達は『使い魔』を召喚する。今やっている通りだ。
 それによって現れた『使い魔』で、今後の属性を固定し、それにより専門課程へと進むんだ。一度呼び出した『使い魔』は変更することは出来ない。
 何故なら春の使い魔召喚は神聖な儀式だからだ。好む好まざるに拘わらず、君は呼び出してしまった彼を『使い魔』にするしかない」
「でも! 平民を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」

 その言葉とともに少女へと向けられる周囲からの罵倒と嘲笑。
 ……こういうのは気に入らない。

「笑わないで上げてくれ。彼女も一生懸命だった筈なんだ」

 こちらに向けられる視線。だが所詮は子供の集まりだ。別段どうということはない。
 人垣の中の一人が口を開く。

「いいや、黙るのは平民である君だ。貴族に意見をするな」
「それは違う。人を蔑む事が自分の価値を上げる事には繋がらない。
 君達は貴族だろう? なら、彼女の努力を笑わないで上げて欲しい」

 人の上に立とうとするのであれば、このような低俗な行為はやめるべきだ。そうでなければ、彼らは貴族という肩書だけでしか生きられない人間になってしまう。
 権力に乗る人生程、人を堕落させる物は無いのだから。

「な!? 貴様!」
「お願いだ。もし君たちが貴族であるというのなら、他人を貶めるのではなくお互いを尊重し合って欲しい」

 こちらが深々と頭を下げると共に周囲が鎮まったことを確認し、内心ため息をつく。
 こういった場を沈めるのは教師や責任者の役目だろうに……。

「すみませんが、こちらも質問があるのですが宜しいですか? ミスタ・コルベール?」

 鞄を持ち上げ、表面に触れることで中身が無事かを確認する。最悪の場合も想定しなければならない。ここに居る者達の格好や先程の二人の意味の判らない会話。新興宗教程度ならまだいい。
 だが、何より先程からこの目の前の人物からは何処となく違和感を感じる。まるで羊の皮を被った、いや、羊になろうとしている狼のような微かな違和感。
 ……そして、こちらを吟味するような視線が、自身に危険だと告げていた。

「あ。ああ、何かね?」
「先程から聞きなれない単語が聞こえていますが、少々お時間を頂けますか?」

 そう言いつつ鞄に手を入れる。なるべく自然に、それでいて相手に見えるように。
 瞬間、目の前のコルベールがこちらに僅かながらに杖を突きつける動作を取る。

「失礼。視力が弱いもので、できれば眼鏡をかけさせて欲しいのですが、余計な誤解をかけさせてしまったようです」
「い、いえ。こちらこそ早合点して申し訳なかった」

 この男、ただの教員や責任者という訳ではないらしい。
 鞄の中から取り出したケースから眼鏡を取り出してかける。
 反応したのはこの男と────あの青い髪の少女か。
 先程まで本を読んでいたが今は杖に手をかけている。せいぜい仕込み杖程度かと思っていたが、こちらに向けるということはこの距離でも対応できるということらしい。穏便に済ませた方が得策か……。
 しかしあの少女────

「それで話というのは?」
「あ。ええ、そうですね。まずお聞きしたいのですが、ここは何処なのでしょうか?」

 つい考え事をしてしまった。まあこの件に関しては後で考えればいい。取り敢えずは欺瞞を抱かせない為にも、こちらを先に片付けるとしよう。

「トリステインです。そして此処はかの高名なトリステイン魔法学院です。貴方はそちらの少女に召喚されたのです」
「召喚、ですか?」
「ええ。しかし、貴方は自分の意思でゲートを潜ったのではないのですか?」
「違います。少しばかり事故に遭いましてね、ここに居るのはあくまでも偶然です」

 出来るだけ話を合わせる。魔法など信じたくもないが、現実に自分が長距離移動している点や聞き覚えのない地名を言っている以上、下手な行動はできない。例えそれが事実と違っていたとしても、いま目の前にいる人物は明らかに危険だ。

「そうですか。こちらとしては彼女と契約をして頂きたいのですが」
「こちらにもこちらの生活があります。契約の期間は?」
「一生……その使い魔が死ぬまでが基本です。何より人間が使い魔ということ自体前例がないものですから」

 帰れない……か。あちらに未練が無いと言えば嘘だが、こちらでも身の振りを考えれば、やるべき事は大して変わらない。

 ……人を人として扱わない連中なぞ、どんな場所にでもいるのだから。

 ここは如何に行動に制約がかけられないかが鍵だが。

「困りますよ。先ほども言った通り、こちらには生活があるのです。まだ契約はしていないのですし、元の場所へ帰還する方法は無いのですか?」
「いえ。『サモン・サーヴァント』は呼び出すための呪文ですので送還に関しては対応していないのです」
「では元の国まで送って頂けませんか? 『サモン・サーヴァント』はその後に行えば問題ないでしょう」
「しかし、この召喚の儀式のルールはあらゆるルールに優先される。たとえ双方が望まなかったとしてもね」

 横暴だな。それに随分と一方的な都合だ。

「こちらには初めから拒否権は存在していないと?」
「すまない。それに君が帰ってしまえばミス・ヴァリエールはおそらくは落第になってしまう。今回の儀式にも随分と時間がかかっていてね。これを逃せば彼女に使い魔は現れないかもしれない」

 落第か。確かに人生においては不利だろうな、就職面や対面でも。

「……要するに、もう後がないのでどんな使い魔でも良いから取り敢えずは居て欲しいと」
「……そういうことだ」

 冷や汗を流しながら答える中年の教師。まあ先程から不吉なオーラを発しているルイズという少女を視たからだろうな。
 その気持ちは分からなくもない。出来れば俺もそちらには目を向けたくない。
 というか、もう次の質問が最後の砦になりかけている。一縷の望みをかけて口を開く。

「最後に訊きたいのですが、日本という国をご存じですか?」
「いえ? 聞いたことがありませんね」

 素っ気なく答えられる。まさか……。

「……ではドイツ、スウェーデンという国は?」

 こちらに関しても首を横にする。

「それでは、あまり口に出したくはないのですが、アメリカや中国といった国は」
「申し訳ないが、どれも初めて耳にするものです」

 最悪だ。高校の修学旅行先で黒服でスカーフェイスな男たちに取り押さえられてロシアンルーレットを───もちろん実銃で───強制された時よりも尚性質が悪い。
 ……いや。直接命の危険がないだけこちらの方がマシかもしれんが、一生の選択であることには変わりない。しかも退路は断たれている。

「……使い魔になる上でのメリットは?」
「引き受けてもらえるのですか?」

 断られると思っていたのか、教師の顔が爽やかな笑顔になってゆく。よほど怖かったのだな。

「条件次第ですね。こちらの条件としては衣食住の保証、この学院内の施設を自由に行き来し、利用する許可を頂くこと。最後にこの少女が卒業するまでに、こちらが帰る手段を探していただく事です。
 最後に関しては問題ないでしょう? あくまでもこちらの少女が使い魔を必要とする理由は進級目的なのですから」
「……分かりました。基本的に使い魔の生活は保障されますし、施設に関しては許可が下りるよう申請しておきます。
 しかし、最後の内容に関しては保証しきれません。前例が全く無いものですので」
「構いません。卒業まではかなりの期間があるでしょうし、それまでにはこちらの方でもできる限り調べておきますので」
「ありがとうございます。それではミス・ヴァリエール、儀式を続けなさい」
「……やっぱり彼とですか?」

 不服げに口元を歪ませる少女。当然と言えば当然か。合って間もない男を一生───正確に言えば三年だが───の相方にするなど、彼女ほどの年ごろの少女であれば耐えがたいに違いない。

「君は召喚にどれだけ時間をかけたと思っているんだね? 何回も何回も失敗して、やっと呼び出せたんだ。いいから早く契約したまえ」

 随分と緊張しているな。何度も失敗しているのだから当然だろうが、────って、待て。そういえば契約とは、何をするのだ?

「ねえ」

 ルイズという少女がこちらを見つめてきた。心なしか、少し顔が赤くなっているように見える。

「屈んで……貰わなくてもいいわね。そんなに背は高くないし」

 ……何気に人が気にしているところを的確についてくるな。確かに中学から伸びないままだから百六十丁度。目の前の少女とは五センチ程度しか違わないのだから、屈む必要もないだろう。

「あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」

 は? それはどういう事だ?

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え我の使い魔となせ」

 朗々と呪文らしき言葉が唱えられ、すっと、杖が自分の額に触れる。杖が離されるのに合わせ、少女が顔を近づけてゆく。

「契約というのは、まさか」
「いいからじっとしてなさい」

 反論は聞き入れられないらしい。少女の瞳が閉じられるのと同時に俺の唇が塞がれた。

「ん……」

 重なり合う唇。普通の男なら喜びそうなものだが、生憎と好きでもない女性とそういった事をしたところで俺自身は何の感慨も湧かない。
 あるとすれば、好きでもない男と口付けを交わさせる事になった少女への罪悪感位だ。
 ゆっくりと唇が離される。

「終わりました」

 言葉だけ聞けば冷静だが、顔の方は真っ赤だ。別の方法はなかったのか?

「『サモン・サーヴァント』は何回も失敗したが、『コントラクト・サーヴァント』はきちんと出来たね」

 随分と嬉しそうだな、ミスタ・コルベール。
 人の気も知らなッ────!?

「ぐっ、あ!?」

 突然の激痛に思考が中断される。まるで焼き鏝を押されるような痛みが左手に広がった。

「すぐ終わるわ。『使い魔のルーン』が刻まれてるだけだから」

 ああ、今終わったよ。これ程の痛みは爪を剥がされた時以来だ。
 ……いや、これ以上なら他にもあるが、ともあれ左手を確認する。ルーンという言葉が気になって見ていたが、そこには見紛うことなきルーン文字が刻まれていた。
 刻まれている文字は、ガンダールヴ? おかしい、なぜ俺の手に北欧神話の妖精の名が刻まれている?
 もう一度確認するも、結果は変わらず。記憶違いでなければ、そこに書かれているのはガンダールヴ、『魔法の心得のある妖精』と訳され、『巫女の予言』において名前のみが言及されている妖精。

「ふむ……珍しいルーンだな。さてと、じゃあ皆。教室に戻るぞ」

 ミスタ・コルベールはこちらのルーンを確認すると、そのまま踵を返して宙に浮くとそこで呆然と空を見上げた。
 理由はまあ簡単で、空では日が落ちかけていたのだ。遠くで鳴いている鴉らしきものが、妙に哀愁を感じさせた。


     ◇


 日も完全に暮れたころ、俺はルイズという少女の部屋で一つのテーブルを間に挟み込むように椅子に座っていた。
 ここまでの経緯は簡単なもので、とりあえずは全員教室に戻り、あとは授業終了の時間まで各時自習となり、俺はミスタ・コルベールと学内の案内も兼ねてまた後日会う約束をした後、解散となった。
 年頃の女性の部屋に赴く、というのはやはり良い気がしないが、使い魔となった以上文句は言えない。



 今はお互いの事を知るべく話し合いをしていたのだが、開口一番に彼女の口から出たのはグリフォンやドラゴンが良かったという愚痴であり、適当に促しつつようやく質問や会話ができる状況になったというのが現在の状況である。
 俺が話したのは自分がこちらとは違う文化圏から来た人間であり、この世界とは別の人間であること。そしてこの世界は魔法が使える事を除き、自分のいた世界の西洋圏の過去に酷似していることを挙げた。

「それほんと?」
「嘘をつく理由がない」

 突然このような事を言った所で、信じられないのは無理もないだろうが。

「それに俺のいた世界では月は一つしかなかったのでな。俺自身ここが違う世界などという事は信じたくなかった」
「どういうこと?」
「簡単なことだ。この世界では月は二つだし、色も違う。それに魔法使いなんてものは俺の居た世界では神話や童話にしか出てこない」
「嘘でしょ?」
「本当だ。それと教室内でメイジや平民といった言葉が聞こえたのだが、この世界は王政国家なのかな?」
「そうね、基本的には魔法を使えるものが貴族でそれ以外が平民よ。多少の例外はあるけどね」

 成程、メイジというのは魔法使いの英語読みのMageか。そのままだな。
 それにしても、強者が弱者を虐げるのはどの世界でも変わらないということか。尤も、それこそが効率よく社会を動かす手段である事を否定はしないが。

「でも、ほんとに別の世界から来たの?」
「繰り返し言うが、その通りだ」
「なんか証拠を見せてよ」

 予想はしていた。取り敢えずポケットの中にあった携帯電話を取り出してテーブルに置く。

「何これ?」
「携帯電話というものだ」
「確かに、見たことがないわね。何のマジックアイテム?」
「魔法ではないよ。まあ捉え方によっては科学は現代の魔法とも言えなくはないがね」

 取り敢えず携帯を開いて待ち受け画面を見せる。

「うわぁ、何これ?」
「この機械の画面だ。本来は離れた人との連絡に使うものだよ」
「綺麗ね……。何の系統の魔法で動いてるの? 風? 水?」
「先程も言ったが、これは魔法ではなく科学だ」
「カガクって、何系統? 四系統とは違うの?」
「根本的に違うよ。魔法というものは限られた人間にしか使えないようだが、これは操作さえ知っていれば万人に使うことが出来るからね」
「信じられないわ。でも、これだけじゃ判んないわよ」
「何故かな? こちらにも似たようなものがあるのか?」
「無いけど……」
「なら信じてくれないか?」
「取り敢えずはね。ところであんたの鞄、結構大きいけど何が入ってるの?」

 この少女、さらりと流したな。

「別に大したものは入っていないが、見るかい?」

 その言葉に彼女は頷く。興味があったのは携帯を出した時点で分かっていたが、生憎とこちらは携帯以外の電子機器は腕時計しか持ち合わせていない。
 鞄の中身は折り畳み傘と筆記用具。今日の講義で使う予定だった教科書と参考書、そして新しく買ったルーズリーフが三袋とメモ帳、そして眼鏡と数冊の小説だ。
 他にも一応あるが、態々危険物を出す気はない。

「これ、全部羊皮紙じゃなくて紙じゃない!?」
「こちらの方では製紙技術は進んでないのか?」
「そりゃそうよ。大体こんなにも沢山の本を持ち歩いてる奴なんか居ないわよ」

 成程。中世と似ているとは思っていたが、どうやらそういった面も似ているらしい。

「でも文字が読めないわ。なんて書いてあるの?」
「そうだな。いま君が手に取っているのは医学書だ。こちらは法律関係、後は外国語の参考書と小説だね」
「あんた平民じゃなかったの!?」
「魔法が使えない以上は君達で言うところの平民だよ。こちらではどうか判らないが、俺の居た世界では教育を受ける権利と義務がある。
 尤も、俺のように大学にまで行くかどうかは個人の自由だが」
「とんでもないわね。この国じゃ平民が公職に就くのは禁止されてるのに」
「それはおかしくないか? 魔法を使うことと個人の能力はまた別物だろう。そのような壁を用意する必要はないと思うが」
「ゲルマニア人みたいな物言いね。あんたの価値観に口を出すつもりはないけど、そういうのは外では控えた方がいいわよ」
「忠告として受け取っておくよ。俺の持ち物はこれで全部だし、本題に戻ろうか」

 本題? と彼女は首を傾げでいる。

「仕事だよ。かなり話が脱線したが、衣食住の保証等の条件をつけさせて貰ったからね」
「そうね……まず、使い魔には主人の目となり、耳となる能力が与えられるわ」
「というと?」
「使い魔が見たものは、主人にも見えたりすることが出来るのよ」
「それは……」

 明らかにプライバシーの侵害だな。

「でも、あんたじゃ無理みたいね」
「そうか。どちらにせよ俺の視力は弱いからあまり意味はないだろうな」
「それから、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。秘薬とかね」
「秘薬?」
「特定の魔法を使う時に使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」
「この世界の地理に関する知識はないからな。ある程度判れば問題はないが、君の使う魔法はそういった物が必要なのか?」
「ま、まあ良いわ。これが一番重要なんだけど……、使い魔は、主人を守る存在でもあるのよ。その能力で、主人を敵から守るのが一番の役目!」

 ……出来そう? と心配そうに尋ねる少女に、どうだろう、と肩を竦める。

「生身の人間なら問題はないが、幻獣を相手にするとなるとその生態を知る必要がある。弱点や急所は一つでも多く知っておきたい」
「戦うこと自体そんなにあるとは思えないけどね。だから、あんたに出来そうな事をやらせてあげる。洗濯、掃除。その他雑用」

 家政婦か、生活の保証がされる以上妥当と言えるな。

「他には何かあるかな?」
「え? 特にないけど」
「そうか。何か用があれば言ってくれ」
「さてと。喋ったら、眠くなっちゃったわ」

 そう言うと、少女は小さく欠伸をした。

「俺はどうすればいい?」
「毛布をあげるから床で寝て」
「判った」

 そう言ってドアに手をかける。

「ちょっと、どこに行くのよ!」
「外だ。流石に女性と同じ部屋は問題だろう」
「いいわよ気にしなくて。あんたは使い魔なんだから」

 義理堅いな。そう思った矢先、彼女はブラウスのボタンに手をかけ、一つ一つ外してゆく。

「……何をしている?」
「寝るから着替えてるのよ。別に使い魔に見られたって何とも思わないし」
「だとしてもだ。君も淑女ならばそう言った行為には気を使った方がいい。
 俺は外に出るから、終わったら呼んでくれ」

 返答を待たずに外に出る。全く、嫁入り前の女性ならもう少し気を使うべきだろうに。
 少し間をおいてから中から声が聞こえてきた。一応良いかどうかを扉越しに確認して中に入る。
 取り敢えずは寝間着に着換えたらしい。格好に関しては色々と言う所があるが、それも敢えて置いておくとしよう。
 だが一つ言わせて欲しい。何故俺が床に置いておいた毛布の上に下着が置いて、いや散乱している?

「一応聞いておくが、これは?」
「下着よ」
「いや、そうではなくて」
「明日になったら洗濯しといて」

 実に簡潔な回答だ。洗う場所は明日聞くとしておくか。

「せめて畳んで置いた方が良い。子供ではないのだから」
「う、うるさいわね。じゃあもう寝るわよ、明日起こして頂戴」

 そう言うや否や彼女は天蓋付きのベッドの上で寝息を立て始めた。
 腕時計の時刻は午後九時。実に健康的な時間だ。明日起こすのは七時頃にしておくか。



 寝静まったのを確認し、鞄から残りの持ち物を取りだす。
 ランプは彼女が寝ると同時に消してしまったので、月明かりだけが窓から差し込んで辺りを照らしている。
 月光が照らすのは、本来学生という身分の人間が持つべきではない品々。
 およそ平凡な人間が手にすることのない、殺人の為の利器が並ぶ。
 一つ目はナイフ。それもアウトドアなどで広く使用される十得ナイフではなく、スウェーデン軍正式採用のシースナイフ。
 二つ目は鋼糸。その気になれば腕だけでなく首すら刎ねることができる、ある種ナイフ以上に、否、使う者が使えば銃火器以上に危険とさえ言える代物。
 そして最後。鋼糸から手を保護するための、革手袋。
 日常で持ち歩いているモノではなく、武器を持つ様に言われたために、自身が選んだ得物。だが────

「この為だったのか? だが、それなら……」
 
 あの人は知っていた? ココに来る事を?
 いや、それはない。こんな非常識な事態を予期できる人間は居ない筈だ。
 ……そう。居ない筈だ。
 着ていたジャケットから御守りを取り出し、皺にならないよう椅子にかけると、机の上にある参考書などを片づける。
 今は考えたところで想像の域を出ない。気持ちを落ち着かせるために、数冊あるうちの小説から一冊を選んで取り出す。
 左手で本を開きつつ、静かだな、と心の中で呟く。微かに聞こえてくる寝息と月明かり。夜を彩るには充分だ。しかし、同時に思いもした。
 もう自分の知る物はこの世界には無い。かつてあの子が見たいと話していた美しい花も、月さえここでは違うものになってしまった。不変などありえぬ世界で唯一不変だったモノ。それすら形を変えた。

 ────そうか、自分は今悲しんでいるのか。

 右手の中にある、かつての想い出を見つめ、幼かっただけの日々を思い出す。静まりきった部屋の中で、ただページを捲る音だけが響いた。




     ×××


 ※誤字修正しました。小弓公方さま、ご指摘していただき、ありがとうございました。
 (11/2/12)






[5086] 002※加筆修正済(10/11/5)◆◆
Name: c.m.◆71846620 ID:a5f9d3b4
Date: 2010/11/05 15:34
 ひゅー……ひゅー……ひゅー……

 ────ここは……?
 起きてから辺りを見回し、昨日の記憶を再確認する。
 判ってはいたが、夢ではないのだな……。
 否定はしたいが、事実である以上はどうしようもない。
 最悪な現実だ。これが宗教団体の施設やテロリスト共の隠れ蓑なら、さっさと抜け出して政府側に向かうなり何なり出来た。
 だが、あのミスタ・コルベールとかいう教師に関してはどれだけ出来るか抜け出すために試す筈が悪い方向に見事に的中。しかも契約した後で逃げだそうにも異世界というおまけつきのため、当面はここでの生活を強いられた。
 目下最大の悩みはこの世界の衛生面や医療技術がどれだけ進んでいるかだが、あまり期待しない方がいいだろう。
 取り敢えずは鞄の中からビニール袋を出して衣類を詰め込み───昨日の説明では見せる必要はないと判断した───おそらくは洗面器であろうと思われる桶を手にし、ドアを手に掛けた。
 
 

「……しまった」

 そういえば道を聞いておくのを忘れていた。現在の時刻は六時、朝起きたのが五時半、つまりは三十分間ただ延々と道に迷っていたことになる。
 恐らくはまだ寝ているのだろう。当然だが周りには人は居ない。
 仕方がない。来た道は覚えているのだし、一旦部屋に戻ろうと踵を返し、

「あの、どうかなさいましたか?」

 声のした方向へと振り返る。そこにはメイドの格好をして、心配そうな表情でこちらを見つめている少女がいた。
 カチューシャに纏められた黒髪とそばかすが、素朴ではあるが可愛らしく印象を感じさせる。
 しかし、確かメイドは十九世紀頃までいなかった筈では?
 建物の造りから言えば十五から十六世紀くらいかと思ったのだが。まあ、それはさておき。

「ええ。すみませんが、道を教えて頂けませんか?」
「貴方、もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう……」
「知っているのですか?」
「ええ。なんでも、召喚の魔法で平民を呼んでしまったって、噂になってますわ」

 良かった。どうやらこの娘は礼儀正しいし、悪い娘ではないようだ。

「自分は北澤直也といいます。実は契約した主人から洗濯を頼まれていまして、洗い場を教えて頂きたいのですが」
「変わったお名前ですね」
「そうかもしれませんね。貴女も魔法使いなのですか?」
「いえ、私は貴方と同じ平民です。
 貴族の方々をお世話するために、ここでご奉公させて頂いてるんです」
「宜しければ、お名前を伺っても?」
「あ、私はシエスタっていいます」

 シエスタさんか、どうしたのだろう? 先程からぎこちないけが。

「あの、お聞きしたいんですけど、貴方は平民ですか?」
「自分は確かに平民の身ですが、どうかいたしましたか?」
「いえ。話し方や物腰がすごく礼儀正しくて、もしかしてどこかのお屋敷に勤めていたとか?」
「相手にもよりますが、礼節をもって接してくる相手には、それに見合う対応を取るようにしています。それと自分はそういった場所に務めた事はありませんよ。強いていえば曽祖父の影響でしょうね。礼儀作法に厳しい人でしたので」
「そうですか。あっ、そう言えば洗い場でしたね。こちらへ」
「助かります」
 
 

「難しいものですね」
「慣れるまですぐですよ」

 洗い場に辿り着くこと数分。
 洗濯物は数が少なかったこともあり、思ったより早く終わらせることができた。ただ使用するのが洗濯板なだけに力加減が難しく四苦八苦してしまったが、そこはシエスタさんに教えてもらい、一応は全て片付いた。

「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いえ。そんな大したことは」
「別の機会がありましたら、その時に声をかけてください。自分に出来ることでしたら手伝いますので」
「よろしいのですか?」
「勿論です。それでは自分は主人を起こさなくてはなりませんので。それではシエスタさん、失礼します」
「あ、シエスタで結構ですよ」
「それでは俺……失礼、自分も直也と」
「ふふっ。堅苦しくなくても結構ですよ。それではナオヤさん、また」
「ああ。シエスタもお仕事を頑張って」

 そう言ってお互い笑顔で別れる。さて、それでは起こしに行くとしよう。


     ◇


 時刻は六時五十五分。本来起こすと決めた時間まであと五分はある。なのでその間に昨夜から椅子にかけていたジャケットに袖を通し、ナイフのシースをベルトに通しておく。
 危険人物と言われそうだが、魔法使いなどという常識外の連中が跋扈している以上は身につけても問題ないだろう。多分。
 鋼糸は携帯電話を入れていたポケットにいれ、携帯電話の方は財布と一緒に鞄の中に放り込む。どの道圏外なのだし、バッテリーが切れるのも時間の問題だからだ。
 手袋の方はジャケットの外側のポケットに入れておき、これで準備完了。
 あとは目の前でぐっすりと眠っている眠り姫を起こしせばいい訳だが。
 ……さて、どう起こしたものか。
 取り敢えずは軽くゆすって見る。

「う~ん」
「朝だから、そろそろ起きなさい」
「へ……誰? あんた」
「……忘れるくらいなら喚び出さないで貰えないか」
「ああ、使い魔ね。そっか、昨日、召喚したんだっけ」
「目が完全に覚めてないのだろう。水を汲んできたから顔を洗っておくといい」
「洗って」

 昨日といい本当にそういう所は無頓着だな。

「昨日も言ったが、そういうのは気を使った方がいいと思うぞ」
「食事抜きにするわよ」
「この一食で君が考えを改めてくれるなら安いな」

 生憎と良識の範囲内で正しい事を言っているのだから否定される云われはない。
 そのことに気付いたのか彼女はしぶしぶと了承した。

「……判ったわよ。それと服、用意しといて」
「これでいいかな?」

 もう一つの方の椅子に掛けてあった制服を取る。

「あと下着。そこのー、クローゼットのー、一番下の引き出しに入ってる」

 まだ寝ぼけてるのか。早く顔洗いなさい。

「これで全部か。俺は外に出ておくから、昨日と同じように準備ができたら呼んでくれ」

 後ろから着せてと言おうとしていたようだが、淑女ならばもう少ししっかりするようにと窘めて外に出ると、目の前には褐色の肌と赤い髪をした女性が立っていた。
 身長は百七十程だろうか? 明らかに自分より高い。

「貴方、昨日召喚された使い魔?」
「ええ。何か?」
「ほんとに人間なのね! すごいじゃない!」
「笑わないでくれませんか。こちらとしても不本意なのですから」

 先程まで笑っていた目の前の女性は何やら観察するようにこちらに目を向けている。
 何なんだ、一体。

「へぇ。随分と綺麗な顔立ちしてるのね。黒い髪もそうだけど、その瞳も深くて綺麗だし肌もタバサほどじゃないけど白くて瑞々しいし、結構モテたんじゃない?」
「そうでもないですよ。それよりもタバサというのはご学友ですか?」
「親友よ。実際の年齢より若く見られちゃうんだけど、たぶん貴方と同じくらいね。
 青い髪で眼鏡をかけてるんだけど、いつも本を読んでるからすぐに判ると思うわ」

 な、に────?
 次の言葉を出そうとしたとき、後ろの扉が開いた。

「おはよう。ルイズ」
「おはよう。キュルケ」

 互いに交わされる挨拶。だが爽やかな光景ではない。片方は嫌そうに顔を顰め、片方は挑発的な笑みを浮かべている。どちらがどちらなのかは言うまでもない。

「『サモン・サーヴァント』で平民喚んじゃうなんて、貴女らしいわ。流石はゼロのルイズね」
「うっさいわね」
「あたしも昨日、使い魔を召喚したのよ。誰かさんと違って、一発で呪文成功よ」

 ……やはり仲が悪いのか、この二人。

「どうせ使い魔にするなら、こういうのがいいわよねぇ~。フレイムー」

 そういうと少しの間を置いて、キュルケという女性の部屋から身の丈虎ほどもある赤いトカゲが現れた。トカゲから放たれている熱気が辺りに満ちてゆく。

「サラマンダー……でいいのかな?」
「貴方、ひょっとしてサラマンダーは初めて?」
「本でなら何度か読んで知っていましたが、実際に見るのは初めてです」
「読書家ね。ますますタバサとは気が合いそう」

 確か俺の読んだ本ではかなり小さかった筈なのだが、特徴は一緒だし、納得もできるな。
 少し観察していたが、サラマンダーの方はこちらに興味があるのか擦り寄ってきた。

「人懐っこいですね。それに大人しいですし、どうやって躾けたのです?」
「あたしの使い魔だもの。命令しない限り、襲い掛かったりしないわ。それにしてもあたし以外にこの子が懐くなんてね」
「ほんとにサラマンダーなのね。使い魔同士気が合うのかしら?」
「そうよー、火トカゲよー。
 見て、この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎を出す尻尾なんて、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ? ブランドものよー。好事家に見せたら値段なんかつかないわよ?」

 いや売るのはダメだろう。と思わず突っ込みたくなる衝動を抑える。

「素敵でしょ。あたしの属性ぴったり」
「あんた『火』属性だもんね」
「ええ。微熱のキュルケですもの。ささやかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなのよ。貴女と違ってね?」

 にっこりと笑ってキュルケはこちらを振り向く。
 サラマンダーの方はというと俺に撫でられているのがいいのか、随分と気持ちよさそうにしている。

「貴方、お名前は?」
「北澤直也です」
「キタザワ・ナオヤ? 変わっているのね」
「よく言われます」
「じゃあ、お先に失礼。行きましょう、フレイム」

 颯爽と去っていったキュルケさんと共に先程まで気持ちよさそうにしていたフレイムが少しばかり名残惜しそうに離れていった。
 ……昔からあの手の動物には何故か好かれてしまう。
 まあ、悪い気はしないが。

「くやしー! 何なのあの女! 自分が火竜山脈のサラマンダーを召喚したからって! ああもう!」

 ……そんな人の心境も気にすることなくヒステリックに叫ぶ俺の契約者。

「大声で叫ぶ事はないだろう。淑女ならば心に余裕を持った方が良いぞ」
「うるさい! メイジの実力を測るには使い魔を見ろって言われているぐらいよ!  なんであのバカ女がサラマンダーで、私があんたなのよ!」
「言っておくが、この世で最も恐れるべきなのは獣ではなく人間だ。よく覚えておいた方がいい」
「メイジと平民じゃ、狼と犬ほどの違いがあるのよ」

 随分な自信だな。まあ確かにミスタ・コルベールやタバサ───というらしい───少女とは俺も敵対したくないが。
 ミスタ・コルベールに至っては実力以前の問題だ。あの場に居た誰よりも訓練された動きを見せながらも、どこかでそれを隠そうと、決別しようとしている。
 ああいうのと戦うのはつらい。あの手の行動を取る人間というのは大抵似たり寄ったりなのだ。彼についてはこれ以上考えることではない。

「ところで先程の女性がゼロのルイズと君の事を呼んでいたが『ゼロ』というのは何かな? 彼女は自分のことを『微熱』と言っていたが」

 思考を切り替えるために質問をしたのだが、どうやらこの質問は彼女にとってはあまり尋ねられたくないことらしく、微かに顔をしかめた。

「ただのあだ名よ。……私の事は知らなくていいことよ」

 そういいつつ目の前の少女はキュルケさんが通った道を歩いて行った。確かに気にするほどではないな。


     ◇


 トリステイン魔法学院の食堂は、学院の敷地内で一番背の高い、中央の本塔の中にある。
 食堂の中には縦長いテーブルが三つ並んでおり、俺の契約者である主人も含めた二年生はその中央のテーブルを使っていた。
 どうやらマントの色は学年を区別するためのものらしく、左側の少し大人びたメイジは紫のマントを、右側の幼さの残るメイジは茶色のマントを付けていた。
 各学院内にするすべてのメイジは生徒、教師を含めここで三食を取るらしい。
 二食ではないのだろうか? やはり時代がわからない、いや、異世界にこちらの知識を当て嵌めるのは無理があるのかもしれないな。下水道も完備されていたし。

「随分と華やかだな」

 俺の言葉に目の前の少女は得意げに指を立たせた。

「トリステイン魔法学院で教えるのは、魔法だけじゃないのよ」
「というと?」
「昨日も言ったけど、メイジはほぼ全員が貴族なの。『貴族は魔法をもってしてその精神となす』のモットーのもと、貴族たるべき教育を存分に受けるのよ。
 だから食堂も、貴族の食卓にふさわしいものでなければならないのよ」

 その結果出来あがったのが、この無駄に華やかな飾りつけのなされた食堂という訳か。貴族からの援助金もあるだろうが、おそらくはそれだけではあるまい。この食堂を作るのにどれだけの平民が税金を納めたのだろう。

「分かった? ホントならあんたみたいな平民はこの『アルヴィーズの食堂』には一生入れないのよ。感謝してよね」
「アルヴィーズというのは?」
「小人の名前よ。周りに像がたくさん並んでるでしょう?」

 確かに周りには精巧に作られた小人の彫像が並んでいる。

「今にも動きそうだな」
「夜になったら踊ってるわよ、あれ」

 それは面白い、と相槌を打ち、椅子を引いてやる。

「以外と気が利くじゃない」
「どうも。ところで俺の食事はどうすればいいのかな?」

 そこ、と指をさした皿には堅そうな二切れのパンと微かに肉の浮いたスープが注がれている。
 やれやれとため息をつき、床に腰をおろした。



「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝いたします」

 ささやかな糧……か。
 いまテーブルに並べられた食事があれば、あの子たちは銃を手にする事は無かったのだろうな……。
 存在しない神などという荒唐無稽の詐欺師に祈るなら、今日という日の糧となったモノへの感謝を捧げればいい。
 自分たちの影で今尚飢えに苦しむ者たちを差し置いて食と取ることを知るべきだ。
 尤も、それ自体も俺個人の下らない価値観だし、馬鹿馬鹿しい感傷だと言う事も理解している。
 けれど、俺はそれを知ってしまったから。だから、こうしようと思う。

「いただきます」

 手を合せ、静かに呟く。食することへの喜びを、糧となったモノへの感謝と飢えている者たちを忘れぬように。

「ああ────本当に美味しい」

 純粋に、ひがみでも何でもなく、その言葉を口にした。


     ◇


 食事の時間は終わり、鞄を手に教室へと足を運んだ。室内は石造りであり大学の講義室に近いもののように感じた。
 授業を行う魔法使いの教諭用の教壇が一番下、そこから階段状に席が続いている。
 教室には生徒同様に様々な使い魔が居り、バジリスクやスキュラなど本の中でしか存在しない幻獣や梟や蛇といった一般的な動物まで多種多様だった。
 俺はというと席に座る際メイジでなければならないという理由で主人に断られたが、紙を一袋分譲るという交換条件のもと許可を得た。
 椅子に座って辺りを見回す中、一人の少女が目に入った。あの青い髪の少女、他の生徒たちがお喋りを続ける中彼女は一人で本を読んでいる。
 ただその目が気になった。深く青い瞳、自分とは明らかに違うはずだ。なのに────

 ────どうして俺は、それを似ていると思ったのか。

 しばらく見つめていると不意に扉が開き、教師が入ってきた。
 ふくよかな頬の中年の女性だ。紫色のローブに身を包み、黒い帽子を被っている。いかにも童話に出てくる魔法使いといった感じだ。

「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。
 このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔たちを見るのが、とても楽しみなのですよ」

 それに関しては同意する。ただその後の言葉は頂けないものだったが。

「おやおや、随分変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」

 教室中に笑いが木霊する。まったく、こいつらは……。

「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」

 違うと叫んで立ちあがろうとした主人を抑え、代わりに立ち上がる。

「彼女の召喚は成功した。証拠のルーンを見るかな?」
「ちょっと、あんた!」

 隣に座っている主人がこちらの裾を引っ張る。が、そんなことは知ったことではない。

「ミセス・シュヴルーズ。教師である貴女が軽率な発言を取らなければ彼女は中傷されなかった筈です。そしてそこの少年、君も彼女に対して謝罪して頂きたい」
「メイジが平民の言うことなど聞くと思うか!」
「おやめなさい、ミスタ・グランドプレ。……確かにこちらの発言は軽率でした、ミス・ヴァリエールにはお詫び申し上げます。ああそれから……」

 ミス・シュヴルーズが杖を振ると共に現れた赤土の粘土がぴったりとグランドプレという少年の口に押し付けられた。

「この者への処罰はこれでよろしいでしょうか?」
「謝罪を聞くことはできませんが、充分すぎるものです」
「それとミス・ヴァリエール」
「はっ、はい!」
「貴方はとても素敵な使い魔を召喚しましたね」

 恐縮ですと主人が返し、自分も着席する。

「さて、それでは、授業を始めますよ」

 ミセス・シュヴルーズは、こほん、と咳をすると、杖を振った。
 すると、机の上に何個かの石ころが現れた。

「私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。『土』系統の魔法をこれから一年、皆さんに講義します。魔法の四大系統はご存知ですね? ミス・ヴァリエール」
「は、はい。ミセス・シュヴルーズ。『火』『水』『風』『土』の四つです!」

 その言葉にミセス・シュヴルーズは頷く。

「今は失われた『虚無』の系統を合わせて、五つの系統があることは、皆さんも知っての通りです。
 その五つの系統の中でも『土』はもっとも重要なポジションを占めていると私は考えます。それは私が『土』系統だから、という訳ではありませんよ? 単なる身びいきではないのです」

 再び重々しい咳をするとともに授業を続ける。

「『土』系統の魔法は、万物の組成を司る重要な魔法です。この系統が無ければ、金属を作り出すことも、加工することもできません。
 大きな石を切り出して建物を建てることも出来なければ、農作物の収穫も、今より手間取るでしょう。このように、『土』系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているのです」

 なるほど、妙に平民と貴族を区別するわけだ。生活の根幹を握っていれば誰も逆らえない。そしてその魔法そのものが科学の進行を阻害し、技術レベルを中世に留めている訳か。

「今から皆さんには、『土』系統の魔法の基本である『錬金』の魔法を覚えてもらいます。
 一年生の頃にできるようになった人もいるでしょうが、基本を突き詰めていくことも大事です。もう一度おさらいすることに致します」

 そう言うとミセス・シュヴルーズ指揮棒のような杖を振り下ろす。
 短いルーンの呟きとともに石ころが光り、金属へと姿を変えた。

「真鍮ですね」
「ミス・ヴァリエールの使い魔の言うとおり、これは真鍮です。どうしました、ミス・ツェルプストー、急に立ち上がって」
「いえ、てっきりゴールドかと……」

 恥ずかしそうに呟く。まああの距離ならそう見えてもおかしくないな。

「違います。ただの真鍮です。
 ゴールドを錬金するためには、『スクウェア』クラスのみです。私はただの……トライアングル』ですから」

 どこか勿体ぶった物言いだ。しかし……。

「訊きたいことがあるんだが」
「授業中よ?」
「すまない。『スクウェア』や『トライアングル』というのはどういったものなのかな? 図形というのは判るのだが」
「系統を足せる数のことよ。メイジのレベルはそれで決まるの。
 例えばね? 『土』系統は単体でも使えるけどそれから『火』を足すとより強力な系統になるの」
「つまり、四つの系統を足せるのが『スクウェア』。三つの系統を足すのが『トライアングル』か」
「そう。『火』『土』のように、二系統足せれば『ライン』メイジ。
 シュヴルーズ先生みたいに、『土』『土』『火』、といった同じ系統を足すことでより強力にすることも可能よ」
「ミス・ヴァリエール、授業中の私語は控えなさい」
「すいません……」
「お喋りをする暇があるのなら、貴女にやってもらいましょう」
「え? 私?」
「すまない。俺のせいだ」

 こちらの謝罪に対し、ルイズのほうは別にいいという目を向けているが、やはり目覚めが悪い。

「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい」

 ……何故だかここに居てはいけない気がする。空気が変わったといった方が正しいだろうか?
 そう。以前ガス漏れしていた理科室で空気読めない馬鹿がアルコールランプに火を付けようとして距離の一番近かった俺が教室ごと吹っ飛んだ時のような、あの悪夢の再来のような歪な空気。
 そんな不穏な空気にいち早く感づいたのか、タバサというらしい少女は俺以外の誰にも気づかれずにその場を後にした。
 俺も付いていきたい。というか、ここから出たい。すごく!
 ……だがこの原因を作りだしたのは明らかに俺だ。よって今までの経験から地獄が再び訪れることになろうとも、ここから動けないのである。

「ミス・ヴァリエール! どうしたのですか?」

 ミセス・シュヴルーズ。貴女はもう少し空気を読め。死ぬぞ!!
 そんな俺の考えと同時にキュルケさんが口を開く。

「先生」
「なんです?」
「やめといた方がいいと思いますけど……」
「どうしてですか?」
「危険です」

 簡潔にして明確な回答をありがとう。ここに居るほぼ全員の意思そのものだ。

「危険? どうしてですか?」
「ルイズを教えるのは初めてですよね?」
「ええ。でも、彼女が努力家ということは聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れていては、何もできませんよ?」

 ミセス・シュヴルーズ。言葉だけ聞けば貴女は慈愛の女神そのものだろう。
 だが敢えて言わせてくれ。頼むからこのリアルでジュラシックパーク以上に危険で不穏な空気を読んでくれ! 主人の手前、口には出せんが今貴女のそばに立っているのは可愛らしい少女ではなく原爆級に危険な代物なんだ!!

「ルイズ。やめて」

 キュルケさんが蒼白な顔で言う。
 もうだめだ。この不穏な空気に耐えられない。声には出せないが主人の方をじっと見る。

「やります!」

 ────―って、待て!! 何でこっちを見つめた瞬間にはっきりと意思表示してるんですか!?
 ミセス・シュヴルーズも満足そうに頷くな!! もうすでに俺の中では警鐘どころかエマージェンシーが発動しているんだ。止めてくれ、頼むから誰か止めてくれぇ!!

「さぁ、ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を、強く心に思い浮かべるのです」

 こくりと可愛らしく頷いて、ルイズが手に持った杖を振り上げる。
 唇を軽く、への字に曲げ、真剣な顔で呪文を唱えようとするルイズは、この世のものではないように愛らしい。
 ……今! 現在!! この教室内の人間と本能で危険を感じ取った使い魔が恐怖から机の下でガタガタ震えていなければ!!
 一応荷物は机の下に隠したから難を逃れるだろう。上着も鞄の中に入れた、最悪死ぬかもしれないが、惜しむらくは遺書が書けないことぐらいか。どの道、誰にも読めはしないが……。
 主人の杖が振り下ろされ、まばゆい光が辺りを包みこむ。
 どこかで亡くなったはずの曽祖父の声が聞こえた気がした。



 結果だけ言えば、それはまさにリアル・ジュラッシックパークだった。
 地獄絵図とはこういうもなのだな、としみじみと感じたよ。

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

 キュルケさんが悲痛な声を上げ、

「もうヴァリエールは退学にしてくれよ!」

 金髪の生徒がどなり散らし、

「誰か来てくれ! マリコルヌが使い魔に食われかけて血だるまに!!」

 先程の少年は赤土で拘束されたまま血だるまになっていた。
 ミセス・シュヴルーズの方はというと、黒板に人型の窪みができるまで叩きつけられて痙攣しており、生徒たちが応急処置を施している。
 そして爆心地にいたであろう契約者である主人はというと、

「ちょっと失敗みたいね」
「どこがだ! いつだって魔法成功率ゼロじゃないか!」

 成程、つまりあのあだ名は不名誉なものらしい。
 しかし主人よ。貴女は本当に人間か?
 何故あれだけの爆発で無事なのだ。確かに服は破れて無惨な格好になってはいる。だが、なぜこの規模の爆発にほぼ無傷で───しかもハンカチで顔の煤を落とすという余裕ぶりで───いられる?
 俺ですら意識を失いかけているというのに。
 まあ予想できた結末だ。
 そうさ、判っていた。こうなる事は判っていたさ。と、半ばヤケになりつつ、俺は脳のブレーカーを落とした。





[5086] 003※加筆修正済(10/11/5)◆◆
Name: c.m.◆71846620 ID:a5f9d3b4
Date: 2010/11/05 16:04
 教室がルイズの爆発によって吹き飛んでいる頃、トリステイン魔法学院に奉職して二十年になる中堅の教師、ミスタ・コルベールは『炎蛇のコルベール』という普段の人柄からは想像できない二つ名を持つ『火』の系統を得意とするメイジである。
 コルベールは先日の『春の使い魔召喚』の際にルイズが呼び出した平民の少年のことが気にかかっていた。
 正確にいうと、その少年の左手に現れたルーンのことが気になって仕方なくなり、こうして先日の夜から図書館に引き籠って調べていた。無論、少年自身にも気がかりな点はあったのだが。
 トリステイン魔法学院の図書館は、食堂と同じく本塔の中にある。
 本棚は大きく、おおよそ三十メイルほどの高さの本棚がズラリと並んでいる様は壮観を通り越して威圧感さえ与えていた。
 それもその筈。この図書館には、始祖ブリミルの時代の書物すらも詰め込まれているのだから。
 教師のみが閲覧を許される『フェニアのライブラリー』の中で、コルベールは一冊の本に目がとまり、次の瞬間には驚愕に顔がゆがむ。
 自分のとったスケッチと彼は本の内容をもう一度見比べ、それが間違いではないことを確信すると、興奮を抑えきれぬまま学院長室へと向かっていった。

 
     ◇


 学院長室は、本塔の最上階に位置する。このトリステイン魔法学院の長を務めるオスマン氏は、白い口髭と髪を揺らし、重厚なつくりのセコイアのテーブルに肘をついて、退屈を持て余していた。
 彼は、おもむろに「うむ」と頷いて机の引き出しを開け、中から、彼愛用の水煙管を取り出す。
 しかし水煙管は口を付けるまでもなくオスマンの手をすり抜け、羽ペンを一振りした秘書、ミス・ロングビルの手元へと飛んでいった。

「年寄りの楽しみを取り上げて、楽しいかね? ミス……」
「オールド・オスマン。貴方の健康を管理するのも、わたくしの仕事なのですわ」

 オスマン氏は椅子から立ち上がると、理知的な顔立ちが凛々しい、ミス・ロングビルに近づいた。
 椅子に座ったロングビルの後ろに立つと、重々しく目を瞑る。

「こう平和な日常が続くとな、時間の過ごし方というものが、何よりも重要な問題になってくるのじゃよ」

 オスマン氏の顔に刻まれた皺は、彼の過ごしてきた歴史を物語っている。今となっては彼の年齢を知る者は誰もいないだろう。そう、彼自身すらも。

「オールド・オスマン」

 ミス・ロングビルは、羊皮紙を滑るように走らせる羽ペンから目を逸らさずに言った。

「なんじゃ? ミス……」
「暇だからといって、私のお尻を撫でるのは止めて下さい」

 オスマン氏はまるで耳が聞こえていないかのようなジェスチャーを取る。

「都合が悪くなるとボケたふりをするのもやめてください」
「真実はどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス……」
「少なくともわたくしのスカートの中にはありませんので、机の下のネズミを忍ばせるのは止めて下さい」
「モートソグニル」

 オスマン氏は、顔を伏せて呟くとミス・ロングビルの机の下から、小さなハツカネズミが現れた。

「気を許せる友達はお前だけじゃ、モートソグニル」

 そう言ってポケットからナッツを取り出し、鼻先で振ってやると、ナッツを齧り終えたネズミは、再びちゅうちゅうと鳴く。

「そうかそうか、もっと欲しいか。よろしい、くれてやろう。だが、その前に報告じゃ。モートソグニル」

 ちゅうちゅう。

「そうか、白か。純白か。うむ。しかし、ミス・ロングビルは黒に限る。そうは思わんかね、可愛いモートソグニルや」

 その瞬間、ミス・ロングビルから放たれたコークスクリューブローはオスマン氏の腹部を捉え、鮮やかに打ち抜く。
 屈強な男であろうとも葬れるであろう一撃で地に沈むかと思われたオスマン氏だか、なんとか片膝をつく程度に持ちこたえた。恐るべきタフネスの持ち主である。

「オールド・オスマン」
「な……んじゃね?」
「今度やったら、王室に報告します」
「カーッ! 王室が怖くて魔法学院長が務まるかーッ!」

 オスマン氏は目を剥いて怒鳴った。あれほどの一撃を腹部に放たれたというのに叫べる辺り、人間ではないのかもしれない。

「下着を覗かれたぐらいでカッカしなさんな! そんな風だから、婚期を逃すのじゃ。はぁ~~、若返るのぅ~~、ミス……」

 オスマン氏は堂々とミス・ロングビルの尻を撫で回し始めた。
 だが気づいているだろうか? 自身の身に死にも等しい恐怖が迫っていることを。

「あ、やめ……ぎゃあああああ!!?」

 嗚呼、憐れなるかなオスマン氏、ちなみにネズミは退避済みである。
 しかしその地獄絵図は、一人の闖入者によって破られた。

「オールド・オスマン!」
「なんじゃね」

 ミス・ロングビルは何事もなかったかのように机に座り、オスマン氏は何事もなかったかのように腕を後ろに組んで、重々しく闖入者を迎え入れた。
 早業ではあったが、微かに床に付着した血痕が先程までの惨劇を物語っている。
 コルベールはそれに気づいてはいたが怖くて口にできず、思考を本来の目的へと切り替えることにした。

「大変ですぞ! まずはこれを見てください!」

 そう言うとコルベールは、先ほど発見……、いやむしろ発掘した古書を手渡した。

「うん? ……なんじゃ、『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか。
 まーた、このような古臭い文献を漁りおって。そんな暇があるのなら、たるんだ貴族から学費を徴収するもっと上手い手を考えたらどうじゃよ、ミスタ……、えーと。なんだっけ?」
「コルベールです! お忘れですか!」

 首を傾げたオスマン氏に対し、コルベールは机を叩きながら口角泡を飛ばす。

「そうそう、そんな名前だったな。君はどうも早口でいかん。で、コルベール君。この書物が、いったい何だというのかね?」
「これも見てください!」

 コルベールは、少年の手に現れたルーンのスケッチを手渡した。

「ミス・ロングビル。席を外しなさい」

 ミス・ロングビルは立ち上がり、足早に部屋を出て行く。
 彼女の退室を見届け、オスマン氏はコルベール向き直った。

「詳しく説明するんじゃ、ミスタ・コルベール」


     Side-Naoya


 さて、取り敢えずは爆発から三分ほどで復帰した俺こと北澤直也はというと、あの後二時間ほどで復帰したミセス・シュヴルーズからうちの主人と共に教室の後片付けを命じられ、こうして教室内の掃除に勤しんでいる訳だが、

「あんた、私のこと馬鹿にしてるでしょ。貴族なのに魔法が使えないなんてって」

 これだ。もう片付けも終わりかけているというのに、主人の方は鬱になったままなのだ。

「それは誤解だよ」

 というより被害妄想だな、この場合。

「嘘! 今まで皆そうだった。失敗するたびにゼロだって馬鹿にして、」
「『自らを価値無しと思っている者こそが、真に価値無き人間なのだ』」
「え?」
「とある偉人の言葉だよ。君は確かに失敗をした。だけどその失敗に報いようとする努力はしてこなかったのか?
 違うだろう? 君は努力をしてきた筈だ。たとえ結果が失敗という結末であろうと、そこに至る努力という過程は本物だ。
 ────俺は、それを何よりも尊いと思う」

 きっと。彼女は強いのだろう。誰よりも努力をして、誰よりも苦しんでいたからこそ、素直にはなれずに内側に抱えて苦しんでいた。
 だからこそ、俺はそれを判ってやらなくてはいけない。俺は、彼女の使い魔なのだから。

「え? あれ?」
「泣かないでくれ。泣くのならばより成功という結果に行く就くための過程を努力すればいい。自身を卑下するのではなく、前に進む為に泣けばいい。心が折れない限りは君の過程は俺が認める。
 だから君は君自身にしっかりとした価値を見出してくれないか?」
「泣いて、ひっく、なんか……ないわよぅ」

 主人の煤で汚れたハンカチではなく、俺のハンカチを渡しておく。
 馬鹿な男どもみたいに抱きしめてやるなんて言うのは、俺にはお断りだから。

「使うと良い。それから、後は君が拭いている机だけだから、それが終わったら食堂に行こう」

 使った雑巾を洗うという建前の元、自分は教室を後にした。
 どうも説教臭くなってしまったな……。
 ……本当に、愚かなことだとは思う。自分の価値を見いだせない人間が、他人にはあんな事を言ってしまうなんて。


     ◇


 泣き止んだ頃を見計らって教室に戻り、そのまま食堂に向かったのだが、何やら騒がしい。

「何かあったのですか?」

 近くにいた給仕の娘に話かけ、状況を訊く。
 話によると貴族の少年の落とした小瓶をメイドの一人が親切心で拾ったのだが、それによって少年の二股がばれ、八つ当たり気味に責め立てているらしい。

「……最低だな」

 臆面もなく出た言葉に給仕の娘は驚いたようにこちらに向く。

「悪いが少し行ってくる」
「ちょっと! 待ちなさいよ!」

 主人の声が聞こえるが、今はそれどころではない。人垣をかき分けてそのメイドの元についた。メイドはシエスタだった。

「君が軽率に香水の小瓶を拾い上げたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 貴族の言葉にただすみませんと謝る少女。
 結局はどんな世界であっても同じことだ。力なき者は有る者に組み伏せられ、力なき者は平伏すしかない。立ち上がるにも遅すぎる、この世界の平民は魔法という力に依存するが故に自らを縛る鎖も同時に強くしてしまったのだから。
 その結果がこれだ。純粋な善意で行動した少女が、理不尽な力ある者に虐げられている。弱者を強者の理念で行動させる、腐り果てた秩序。
 だからこそ、この状況には納得できなかった。

「そこまでにしておいた方がいい。品位を疑われる」

 言葉に反応したのはホールに居る者全てだ。先程まで八つ当たりをしていた貴族は不快そうに顔を歪ませながらこちらを見据える。

「気のせいかな。いまの発言はボクに向けられたように聞こえたが?」
「気のせいではないさ」
「ふん……。ああ、君は……」

 貴族の口元が歪む。他者を否定し、自己のみを正当化する笑み。俺が嫌悪する人間の顔。

「確か、あのゼロのルイズが呼び出した平民だったな。やはり主人と同じく中身も『ゼロ』なのかな?」
「持ち得ぬ者の苦悩も知らず、否定し続ける日々を過ごす愚者がよくそのような事が言えるな」
「ならば君に礼儀を教えてやろう。丁度良い腹ごなしだ」
「そうか、これでいいかな?」

 持っていた手袋を相手に投げつける。決闘だ! と辺りが騒ぐ。

「ここまでしてくる平民は君が初めてだ。よかろう、ヴェストリの広場で待つ」

 少年は一旦拾い上げた手袋を投げ捨て、薔薇を手に颯爽と消えて行く。
 俺の方はというと投げつけた手袋を拾って埃を払った。

「大丈夫か?」
「あ、貴方、殺されちゃう……貴族を本気で怒らせたら……」
「問題ない。俺がしたくてした事だ」
「え?」

 シエスタの頭の上に手をおく。身長が自分と殆ど自分と同じなため、あまり様にはならないが、落ち着かせるには丁度いい。
 ……さて、そうは言ったが相手の戦力が判らない以上はどうとも言えんな。形振り構わずにやるのなら鋼糸で首を落とすところだか、それでは主人に迷惑がかかるし、何より俺が学院に居られなくなる。
 そんな事を考えているうちに後ろから主人が駆け寄ってきた。

「あんた何してんのよ! 見てたわよ!」
「どうした?」
「どうしたじゃないわよ! なんで勝手に決闘なんか決めちゃってんのよアンタは!」
「恩のある人に迷惑をかけていたからだ」
「怪我したくないんなら、謝ってきなさい。今なら許してくれるかもしれないわ」
「無理だろうな。あいつにが決闘を申し込んだし、手袋も投げた」
「バカじゃないの! あのね? 絶対に勝てないし、あんたは怪我するわ。いえ、怪我で済んだら運がいい方よ!」

 本当に優しいな、君は。そこで死ぬというのなら、俺は所詮そこまでだったという事。ただそれだけの事だろうに。
 普段は平民と叫ぶのに、こうして君は気遣ってくれている。

「聞いて? メイジに平民は絶対に勝てないの!」
「勝ち負けが問題なんじゃない」
「じゃあ何が問題だっていうのよ!」

「─────誇りだよ。ルイズ・フランソワーズ」

「あんた。私の名前……」
「さて、そこの君。ヴェストリの広場は何処かな?」

 近くにいた貴族の友人と思わしき人に尋ねる。

「こっちだ、平民。遺言があるなら誰かに伝えておいた方がいいぞ」

 命を賭すか……俺のような安い命には丁度良い。
 自嘲気味な事を思いつつ俺はヴェストリの広場へと向かった。


     Side-out


「諸君! 決闘だ!」

 金髪の貴族、ギーシュ・ド・グラモンは薔薇の造花を手に髪をかき上げ、高らかと宣言した。
 ヴェストリの広場は魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある中庭であり、西側にあるため、そこは日中でもあまり光が差し込んでこない為普段はあまり人気があるとは言えない場所である。
 ただし、今回のような件を除いては。
 平民が貴族に決闘を申し込む。本来であればそれだけでも異常であるというのに、平民はそれを正式な形で執り行った。
 その話は食堂から学院内を駆け巡り、結果として無数の人だかりが出来た。
 話は変わるが北澤直也に対する学院内の印象はそれほど劣悪というものではない。
 幼いながら端整な顔立ちと理知的な言葉使い、そして物腰の動作一つとっても無駄がなく、礼節を守っていた。
 北澤直也の物言いに反論する者も多かったが、口にすることは正論であり、貴族至上主義のトリステイン人はともかく、キュルケのような他国からの留学生にとっては好印象を抱ける人物だった。
 現に今回の一件に関してもギーシュに非があることは明白であり、広場にはメイドを助けた北澤直也に野次を飛ばす者だけでなく、固唾を飲んで見守る者も少なからずは居た。
 しかしここはトリステインの学院。如何に正論とはいえ貴族に逆らったことは事実であり、その時の北澤直也の言動は悪言ととれる物言いだ。
 これが街中であれば状況は変わったであろうが、現在この広場に渦巻いているのは平民である北澤直也を、無様に地に這いずらせようとする者たちの声で埋め尽くされていた。

「全く。こっちには野蛮だの何だの言うくせに、これだからトリステイン人は」

 そんな中でこの人だかりの最前列にいたキュルケはため息をつく。

「それにしても珍しいわね。貴女がこんな事に興味があるなんて」
「少し気になった」

 キュルケの横にいた少女、タバサは短くそう告げた。彼女がここに来たのは使い魔召喚の日、つまり北澤直也がこの学院に喚ばれた日が原因である。
 あの日、タバサは微かに感じられた違和感に反応して杖を取った。経験からのとっさの反応であったが、それをすぐに後悔した。
 試された。彼を見てそう確信した。眼鏡の下の瞳は辺りを観察し、自分とコルベールに目を止めた。
 杖を手に掛けたのは自分とコルベールのみ。そして北澤直也が見つめたのもこの二人。
 不覚だと思った。しかしそんな考えは何処かに消えていた。
 北澤直也のあの瞳、それは自分とどこか似ている瞳だった。罪と憎悪、そして悲しみ。
 その瞳を見るうちに考えた。この人は、自分の苦悩を理解してくれるのではないか、と。
 愚かしい事だ。自分のように心を閉ざした人間を、話した事もない人間がどうして理解してくれるというのか。そう自身を𠮟咤するも、気づけばここへ足を運んでいた。

「タバサ。貴女はどっちが勝つと思う?」
「勝つのは彼。ギーシュは負ける」

 これは自身の確信だ。座る際や立ち上がる際に後ろ腰のナイフに手を掛けているし、そのことから北澤直也の身のこなしに隙が無いのは、奇襲や突然の事態に対応するためのものだと簡単に推測できる。
 生活にすらそんな行為が擦り込まれている相手に、魔法が使えないという理由でギーシュのような実戦経験のないメイジが勝つことはできない。

「彼、来たみたいよ」

 キュルケの声に読んでいた本を閉じ、顔をあげる。ギーシュが薔薇の造花を弄んでいる中、北澤直也はじっと相手を観察している。
 しばらくして二人は会話を始めた。


     ◇


 舞台は学院長室へと移る。
 ミスタ・コルベールは口角泡を飛ばしながら、オスマン氏に説明をしていた。
 春の使い魔召喚の際、ルイズが平民の少年を呼び出してしまったこと。
 ルイズがその少年と『契約』した証として現れたルーン文字が、気になったこと。
 それを調べていたところ……。

「始祖ブリミルが使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃな?」

 オスマン氏は、コルベールが描いたルーン文字のスケッチを見つめていた。

「そうです! あの少年に刻まれたルーンが、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれたモノとまったく同じだと言う事は、あの少年は『ガンダールヴ』だと言う事です!
 これが大事でなくて、何だというのですか! オールド・オスマン!」

 コルベールは、半ばまで禿げあがった頭をハンカチで拭きながらまくしたてた。

「ふむ……、確かにルーンは同じじゃ。ルーンが同じである以上、ただの平民だった少年は、『ガンダールヴ』となった、という事になるんじゃろうな。
 しかし。それだけで、そうと決めつけては早計かもしれん」
「それもそうですな」

 その時ドアが静かにノックされると共に扉の向こうから、ミス・ロングビルの声が聞こえてきた。

「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。
 大騒ぎになっていますが、生徒たちに邪魔されてしまい、教師たちも止めることができないようです」
「まったく……、暇をもてあました貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんの。で、誰が暴れておるのかね?」
「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」
「あの、グラモンとこのバカ息子か。親父も色の道では剛の者じゃったが、息子も輪を掛けて女好きじゃ。大方女の子の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ」
「……それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです」

 室内の二人はお互いの顔を見合わせた。

「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」
「アホか。たかが子供の喧嘩を止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」
「わかりました」

 去っていく足音が、遠ざかっていくのが聞こえると共に、コルベールとオスマン氏は頷き合う。
 オスマン氏が杖を振ると壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリ広場の様子が映し出された。


     ◇


「取り敢えず、逃げずに来たことは褒めてやろうじゃないか」
「挑戦者は君だろう? 何故俺が逃げる」
「確かにね、では始めようか」

 その言葉とともに手にした薔薇の造花を一振りした。

「ボクはメイジだ。だから魔法で戦う。よもや、文句はあるまいね?」
「これは決闘だ。持ち得る手段を使う事を卑怯とは言わない」
「よくぞ言った。ボクの二つ名は『青銅』。青銅のギーシュ。
 したがって青銅のゴーレム、『ワルキューレ』が君のお相手をしよう」

〝あの薔薇の造花は青銅で出来ていて、それを『錬金』することでゴーレムを作り出したのか〟

 成程と頷く中、北澤直也は目の前のゴーレムを観察した。
 百年戦争において騎士の付けていた鎧が約六十キロ。目の前のゴーレムはその足音から中身が空洞であると推察するが、それでもバランスを保たせるために七十から八十キロはあるだろう。
 もし殴られでもしようものなら鉄アレイで殴られるような衝撃とともに骨くらいは軽く砕ける。
 さらに言えばこのゴーレムの速度は決して遅くない。多少のぎこちなさこそあれ、その速度は鍛え上げた成人男子のそれ以上だ。

〝相手に打撃は無意味。ナイフや鋼糸では切断は不可。だが────〟

 こちらに向かって振り下ろされる腕を掴むと同時にその力を利用して腕を引き、前に出た相手の足を払う。
 普通ならば重心を保てば多少は耐えられるが、所詮人形は人形。教本に書かれているかのように綺麗に地面に倒され、そのまま肩関節を難なく極められる。
 ぎちぎちという鈍い音が響くもゴーレムは尚立ち上がろうとする。やはり痛覚は無いらしい。
 関節に一定以上の負荷をかけ、肩と胴を切り離す。だが完全に壊れなければ止まることはないのか、片腕で立ち上がろうとしている。

「許せ……」

 起き上がろうとする相手の背中を踏みつけ、身動きの取れなくなったゴーレムの足関節を完全に砕いた。

「まさか一体とはいえ、ボクのワルキューレを倒すとはね。賞讃を贈るよ」
「武芸を嗜んでいてね。こういった鎧武者の相手とは相性がいいんだ。
 造花の花弁はまだ残っているだろう。出し惜しみする必要はない筈だが?」
「よかろう。手加減はなしだ」

 薔薇の造花から全ての花弁が散り、六体のゴーレムが現れた。先程のように無手ではない。それぞれのゴーレムが手に剣を、槍を、鎚を持っている。

「行け!」

 ギーシュの号令とともに四体のゴーレムがこちらに向かう。残りの二体は楯と保険ということらしい。
 咄嗟の判断で横に跳ぶ。そうすれば必然的に攻撃してくるのはその場に一番近い剣を持ったゴーレムだ。頭蓋にめがけて剣を振り下ろす相手の手首を掴むと同時に腰を低くして背を向けるように反転、そのまま背負い投げの要領で相手を地面に叩きつける。

「敵に背を向けるとはね。串刺しだな」

 確かに北澤直也は今背を向けている。だが、そう安々と首を取らせるほど甘くはない。何よりこの程度の危機、彼はとうの昔に味わっている。

「優勢な者ほど足元を掬われるものだ」

 その言葉とともに槍を持ったゴーレムが斬り裂かれた。
 彼の手には既に投げると同時に相手から奪った剣が握られている。

〝あと四体〟

 胴を切り裂かれたゴーレムが足元へ崩れ落ちるのを横目に、地面に落ちた槍を爪先で蹴り上げ、右手に持つと同時に後方へと離脱した。
 瞬間、槌を持ったゴーレムが先程まで自分のいた地点に振り下ろす。地面には巨大な窪みができ、周囲の人間は歓声を上げた。
 だがそれ以上に北澤直也は自分の身体に感じる違和感に驚いていた。

〝どうなっている?〟

 北澤直也は確かに紙一重で躱そうとした。しかし、現在の相手との距離は五メートル前後。明らかにおかしい。
 力加減を間違えるなどまずあり得ない。現に先程も振り下ろされた鎚に合わせて紙一重で避け、止めを刺すつもりだった。
 だが結果はこの開きすぎた距離。本来なら先程で詰みであった勝負はこの回避運動で見逃す羽目になったのだ。

〝武器の情報? 何故そんなモノが……〟

 先程は気にしている暇はなかったが、頭の中へ自身が知りえない武器の扱い方や戦闘方法が流れている。

〝原因は……これか〟

 左手を見つめる。契約の証とされた『ガンダールヴ』の印が輝いていた。

〝何度かナイフに触れた時に光っていたような気がしたが、まさかこんな効果があるとはな。差し詰めこのルーンの効果は武器に関する知識をその担い手に与えると共に身体能力の向上を促すといったところか。
 まったくもって出鱈目な事だ。前者に関しては俺には必要ないが、後者に関してはかなり重宝する。問題はこれを使うことによるデメリットだが、それはこの勝負が終わってからだな〟

 自身の中で情報を即座に整理し、相手へと向き直る。
 剣技と槍術はどちらも基礎としては北澤直也自身が持っている知識だ。素人やこの世界にある未知の武器には役立つだろうが、今のところ必要ない。応用や特殊な技に関しては参考にさせてもらうが、今はこちらの闘法でいかせてもらう。
 足に力を込め、一足跳びで間合いを詰める。片方のゴーレムが槍による突きを放ち、もう一方が槌を振り上げる。
 貫くことで動きを止め、止めを刺す。連携としてはまずまずだが、一体のゴーレムは槌を振り上げた状態で静止し、その槌の重さで後方に倒れ、もう一方のゴーレムは槍を地に落とし、その身を二つに分けられていた。
 何が起こったのか判らないというように、ギーシュは目の前の光景に愕然とする。
 それも当然。一足跳びで踏み込んだ際にすでに彼はゴーレムの身体をその槍で貫き、もう一体のゴーレムの槍を左手の剣で絡め取ると共に肩口から一刀の元に切り伏せたのだから。
 槍をゴーレムから引き抜き、目の前の相手を見据える。
 見開かれる目、どよめく観衆、どうして自分はその中で、

「────イーヴァルディ」

 その声が、はっきりと耳に届いたのだろうか?


     ◇


「────イーヴァルディ」

 微かに呟くその声に、彼女の親友であるキュルケは同意した。

「本当ね。まるでおとぎ話の勇者みたい」

 相槌を打つキュルケを余所に、タバサは強く本を握りしめながら目の前の少年を見つめる。彼女の手にしている本は『イーヴァルディの勇者』。この世界の誰もが知る、一人の勇者の物語だった。

 
    ◇


 ゆっくりと、それでいて無駄のない動きで、北澤直也は歩を進める。
 こちらに殺到する二体のゴーレムはどちらも防衛用なのか、その手には剣と楯が握られていた。
 だが迫りくる敵に意を介すこともなく、槍でその二体の足を払うと共に、躊躇なく地に伏せる二体のゴーレムに止めを刺す。
 鮮やかであり、一方的だった。ギーシュのゴーレムは彼を倒すどころか傷一付けていない。
 杖を持つ手が震え、降参の意を口にしかけたところで、

「憐れだな」

 目の前の人物によってその声を遮られた。

「え?」
「戦乙女の役目とは戦場で死した勇者を神の屋敷であるヴァルハラへ迎え入れること。俺のような二流に斃されたとあっては、彼女の名をつけられた者は報われんよ」
「……君が、二流だって?」

 信じられないといった表情でギーシュは目の前の人物を見た。

「俺は酷い欠陥品でね、どれ程良くとも二流止まりだ。他人より覚えは早かったが、所詮はそこまで。高みを目指すには、あまりに時間が足りなかった」

 元より目指すつもりはなかったのだが、と北澤直也は自嘲気味な笑みを浮かべる。

「そんな、そんな者にボクは……。貴族の誇りが、平民に負け……」
「────誇りか。では問うが、なぜ君は杖を執った?」

 ギーシュは考えた。
 何故、そういえばどうして自分は杖を執ったのだろうか?
 貴族だからか? 違う……。
 認められたかったから? それもあった、だけど────
 そして思い出した。幼いころから聞かされ続けた、グラモン家の家訓を。

『命を惜しむな、名を惜しめ』

 その誓いを胸に、自分は歩んでいたのではなかったか?
 今までの自分を振り返る。
 安寧の中で日々をただ過ごし、
 退屈に埋もれて女性と過ごし、
 他者を否定しつづけて、

 ────自分は一体、何をし続けてきたのだろう?

 そうだ、本来自分たちは民を守り、王家に忠誠を尽くすが故の貴族であったはずだ。
 北澤直也は言った。持ち得ぬ者の苦悩も知らずに、と。確かにその通りだ。自分のしてきたことに歯を食いしばり、後悔に胸を打った。彼の主人は今まで何をしていた? どれほど罵声を浴び、どれほど失敗に打ちのめされようと、彼女は進み続けていた。
 なのに自分はそれを嘲笑い続けた。
 そうだ。間違っていたの他の誰でもない、自分自身だったのだ。

 だから────今度こそ間違えないようにしよう。

 自分の道を、誇りを。
 もう一度、目の前の相手を見据える。貴族よりも尊く、誇りを持った少年を。

「感謝する。君のおかげで目が覚めたよ」

 突然のギーシュの発言に観衆はどよめき、ギーシュに罵声が飛ぶ。

「平民に感謝の意だと!」
「貴族の誇りは無いのか!」

 罵声は徐々に大きくなり物を投げつける者まで出てきた。

「黙れ……!!」

 ギーシュは叫んだ相手を見つめた。

〝あぁ────この人は相手の誇りすらも護ろうとするのか〟

「重ね重ね、感謝する。君の主人に対してのこれまでの行為は心から詫びさせて貰うよ」
「そうか。どうしようもない奴かと思っていたが、今の君はとても良い貌をしている」

 北澤直也はただ笑顔で迎え入れる。その微笑みは偽りではないとギーシュは実感した。

「君に頼みがある。この決闘は君の勝ちだ。だが、もし許されるのならばもう一度自分と戦って欲しい」

 その言葉に彼は吹き出す。まるでいたずらに成功した子供のように。

「なっ、なにがおかしいのかね!?」
「……すまない。けど、まだお互いすり傷一つしてないんだ。ここからスタートでも別に良いだろう?」
「それで、君はいいのか?」

 もちろん、と北澤直也は頷く。

「ありがとう」
「どういたしまして。それでは始めようか。俺の名は北澤直也。君の名は?」
「改めて名乗らせてもらう。ボクの名はギーシュ・ド・グラモン。グラモン家の四男にしてグラモン元帥の息子、『青銅』のギーシュだ」

 お互いは笑いあう。まるで気の合う友人同士が、これから遊びに行くような、そんな清々しい笑顔で。
 決闘という名の円舞は、第二幕を開始した。


     ◇


 オスマン氏とコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、再び顔を見合わせた。

「オールド・オスマン。あの平民、勝ってしまいましたが……」
「うむ」
「グラモンは『ドット』メイジですが、それでもただの平民に遅れをとるとは思えません。
 そしてあの動き。あの速さ! やはり、彼は『ガンダールヴ』! オールド・オスマン! さっそく王室に報告して、指示を仰がないことには……」
「それには及ばん」

 オスマン氏が重々しく頷くと、白い髭が厳しく揺れた。

「何故ですか? これは世紀の大発見ですよ! 現代に蘇った、『ガンダールヴ』!」
「落ち着きたまえ、ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」
「その通りです、オールド・オスマン。始祖ブリミルの用いた『ガンダールヴ』。姿形の記述は一切ありませんが、主人の無防備な詠唱時間を守るために特化した存在だと伝え聞きます」
「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文詠唱の時間が非常に長かった……、その魔法のあまりの威力ゆえに。知っての通り、詠唱中のメイジは無力じゃ。そんな無力な間、己の身を守るために始祖ブリミルが用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ。その強さは……」
「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジであればまったくの無力に追いやられたとか!」
「で、ミスタ・コルベール。その少年は、本当にただの人間だったのかね?」
「はい。ミス・ヴァリエールが呼び出した際に、念のため『ディテクト・マジック』で確かめたのですが、正真正銘、ただの平民の少年でした」
「そんなただの少年を、現代の『ガンダールヴ』したのは?」
「ミス・ヴァリエールですが……」
「彼女は優秀なメイジなのかね?」
「いえ。というか、むしろ無能というか……」
「さて、その二つの謎じゃ。無能なメイジと契約したただの少年が、何故『ガンダールヴ』になってしまったのか。まったく謎じゃ」
「そうですね……しかし、オールド・オスマン。
 先程から自分は『ただの』といいましたが、彼は実際のところ、相当な手練です」
「見りゃ判るわい。最初の辺り素手でゴーレムを倒しよったしな、本気ならグラモンのせがれなんぞ瞬殺じゃろうよ」
「そうですね……」
「そういうことじゃよ。王室のボンクラどもにこの二人を渡すわけにはいくまい。
 そんな玩具を与えてしまっては、また戦を起こすじゃろうて。宮廷で暇をもてあましている連中は、まったく戦好きじゃからな」
「ははあ。学院長の深謀には、恐れ入ります」
「ともあれ、この件は私が預かる。他言は無用じゃよ」
「は、はい! かしこまりました」

 オスマン氏は、苦笑しながら杖を握ると窓際へ向かい、遠い歴史の彼方へと思いを馳せる。

「伝説の使い魔、『ガンダールヴ』か……。いったい、どのような姿をしとったのじゃろうか」

 コルベールは、夢見るように呟いた。

「この古書によれば、『ガンダールヴ』はあらゆる『武器』を使いこなし、敵と対峙したとありますから……とりあえず、腕と手はあったんでしょうなぁ」
「そうじゃな。しかし、ミスタ・コルベール」
「は、はい」
「若いということは良いものじゃな」
「まったくです」

 中庭で笑いあいながら戦う二人を見下ろしながら、彼らは微笑ましい笑顔を向けていた。


     ◇


「結局、ボクの負けか……」
「そう落ち込むな。最初よりずっと格好良かったぞ」

 それは事実だ。あの後の戦いは最初のそれとは比較にならないほど凄まじかった。
 素早く移動する北澤直也に対し、ギーシュは魔法によって石のつぶてで攻撃を仕掛ける事で動きを止め、地面から生やした腕で足を拘束する。
 北澤直也はそれらの攻撃を槍を旋回することで防ぎつつ、足の拘束を剣で切り裂く。
 少し進むだけですぐ拘束され、持久戦になるかと思われたが、最終的にギーシュの魔力切れで決着がついたのだ。

「ははっ……君みたいな人に言われても、説得力無いよ」

 地面に剣と槍を突き刺し、倒れこんだままのギーシュに北澤直也は手を差し伸べた。

「立てよ。泥まみれだぞ」
「すまないね」

 彼の手を取ってギーシュは立ち上がると微かに銀色に光る物を覗かせた。

〝籠手?……いや、腕輪か〟

「そういうあんたはどうなのよ。ナオヤ」

 ルイズは彼らの元に駆け寄り、開口一番そう口にした。

「確かに泥まみれだな。革は汚れが落ちにくいっていうのに……」

 やれやれ、と肩を落とす。

「気にするなよ。お互い様だろ」
「そうだな。それより、さっき俺の名前呼ばなかったか?」
「なによ。あんただって全然私のこと名前で呼ばなかったじゃない。まあいいわ、あんたは色々役に立ってるし、これからは名前で呼んでもいい事にしてあげる」
「いや別に俺は、」
「呼びなさい」
「……判った」
「ボクのこともギーシュと呼んでくれ」
「判った。では俺も直也で。ああ……それと」

 うん? と振り向くギーシュに彼は拳骨を見舞った。頭には大きなこぶができる。

「な、何をするんだい!」
「……今回の件でどれだけ周りに迷惑かけたと思っているんだ? 取り敢えずメイドの娘と二股した二人のとこに謝って来い」
「前々から思ってたけど、あんたって妙に年上臭いわね」
「そうだね。ボクたちより年下なのになんでそんなに達観してるんだい?」

 二人の質問から、あたりの空気が変わった。既にこの広場には誰もいなくなっている。ルイズのこともあり、こういった危険な空気には皆敏感なのだ。
 二人は今にしてようやく自分たちが取り残されたことを知った。

「……君たちは俺が何歳だと思っていたんだ?」
「私と同じくらいで、じ、十六か十五じゃないの?」
「ボクも控えめに見てその位かと……」
「俺は十九なのだが」

 今度こそ、二人は意外すぎる事実と、これから起こりうる恐怖との両方から絶叫した。
 唯一の救いは彼が冷静だったことか。次からはこのことに触れないよう念を押されただけで済んだ。
 しかし、一瞬だけ見えた彼の貌は二度と二人がこの話題を口にしないことを誓わせるには、充分すぎるものだった。




[5086] 004※加筆修正済(10/11/5)◆◆
Name: c.m.◆71846620 ID:a5f9d3b4
Date: 2010/11/05 16:57
 ギーシュとの決闘から二日ほど経った日の午前、廊下を一人歩くルイズはため息をついた。
 原因はというとルイズの使い魔にある。普段であれば───といっても二日しか経っていないが───従者のように彼女につき従う使い魔が今日は居ないのだ。
 別段、何かしらの問題があった訳ではない。むしろこの短い期間に北澤直也は精力的に働いているし、その仕事ぶりは目を見張るものがある。
 北澤直也が今日ルイズの元に居ないのには理由がある。というより彼は自分の趣味以外で理由のない行動などしないのだ。
 ちなみに北澤直也の趣味は───ルイズは本人に聞くまで知らなかったが───読書をしたり、詩を書くなどといった文化系なものであるため、日課となっているトレーニング以外で彼女の傍を離れる必要は殆ど無い。
 北澤直也が今回ルイズの傍に居ないのは、この学院に喚ばれた際にコルベールと交わした契約、つまりは学院の案内と各施設の使用許可を貰う為である。
 案内ならば自分がするとルイズは反論したが、学業を疎かにしてはならないという北澤直也の正論の元、引き下がることとなった。
 これには北澤直也自身ルイズの模範となるべく、大学内でのこれから勉強するであろう範囲を手持ちの参考書などで出来る限りこなしていることも原因の一つである。
 主人の身を守ることも使い魔の役目ではあるが、先日の決闘騒ぎの後に主人に手を上げる馬鹿はいないだろうと北澤直也はルイズを納得させた。
 この二日間、学院内では決闘の話題で持ちきりであり、貴族に勝ったとのことで彼は学院内で様々な目で見られている。
 尤も、北澤直也自身は自然体で普段行動していたにすぎないため、指して気にしてはいなかったが。

「まったく、使い魔が調子にのっちゃって」

 そんな北澤直也にルイズは不評を漏らすも、彼自身が謙虚で調子に乗ることなどまずないことを知っていたため、自分で言っていて空しくなる。
 取り敢えず今日は授業をこなそうと思い直し、ルイズは教室へと移動していった。


     Side-Naoya


「すみません。案内だけでなく、こんなことまで」
「いやいや、君のような教えがいのある生徒は久しぶりだよ」

 学院の図書館で俺こと北澤直也と、ミスタ・コルベールは他愛のない会話をしていた。
 ここに図書館があると聞いた時、飛んで喜びたくなった。なにせ知識の宝庫である。手持ちの小説はもう何度も読み返していたものだし、この世界の歴史などは知っておきたかったのだ。
 だがここで一つ大きな壁に突き当たることになった。俺はこの世界の字が読めない。言葉が通じるのならば文字も似通っているのではという推測は初日の授業で崩されている。
 そうなると誰かに教わるしかなく、必然的に案内をしてもらっているミスタ・コルベール頼むことにした。
 厚かましい事だと思ったが、ミスタ・コルベール快く引き受けてくれたため、こうして午前の時間を費やしつつ勉強に励んでいた。

「しかし不思議ですね。単語を覚えると自分の国の文字に変換されるとは」
「推測ではありますが、理解すると同時に自動的に変換されているのでしょう。
 現に自分は母国語を使用していますが、こちらの方々には正しく認識されている。同時にこちらの方々の言葉も貴方方にはこの土地の言葉として。おそらく、あのゲートは翻訳機の役割も兼ねていたことになります」
「便利なものです。しかし、これで読めない文字は殆どなくなりましたね」
「ええ。まだ判らない文字があればその時に他の方に聞けば理解できるでしょうし、これで日常の生活には支障はきたしませんね。
 ただ、そのせいで字を書くことに関しては予想以上に手間取りましたが」

 こちらの発言にミスタ・コルベールは苦笑する。
 外国語は日頃から勉強しているが、文法を覚えようという所で強制的に日本語に変換されては堪らない。
 その結果、読む時間の三倍近くの時間を書く方に注ぐことになってしまった。

「日常会話程度は書けるようになったでしょう? これだけ出来れば十分かと思いますが?」
「まだまだですよ。せめて詩や書類を書けるくらいには上達したいですし」
「随分と勉強熱心なのですな」

 そんな事はないですよ、と笑う。

「ところでミスタ・コルベール。会った時から何か訊きたそうにしていましたが、俺に答えられることなら答えますよ? こうしてお世話になりましたしね」

 先程までの穏やかな表情は消え、ミスタ・コルベールは真顔になる。

「どうやら君に隠し事は無理のようだね」
「色々な人を見てきましたので、目を見れば大体のことは判りますよ。それで何が知りたいのですか?」
「そうですな。私が気になったのは、君のその左手のルーンです。そのルーンは、」
「『ガンダールヴ』と描かれていますね」
「読めるのですか!?」
「完全ではありませんが。そうですね……別段隠す事ではありませんし、貴方には話してもいいかもしれません」

 そこで俺は自分がこの世界の住人ではないこと、自分の世界において魔法は伝承の中にしか存在しないこと、この世界の文明が自分の世界の過去に似ていることを話した。
 一通り話し終えるとミスタ・コルベールは非常に興味深いと頷いた。

「とても信じられませんが、それが本当なら世紀の大発見ですな」
「この世界はどこか自分のいた世界と似ている。
 建築法などもそうですが、ギーシュは自分のゴーレムを『ワルキューレ』と呼んでいました。ワルキューレは自分の世界にある神話の女神の名。そしてこの『ガンダールヴ』もまた、同一の神話に登場する妖精の名です」
「これならば最初から貴方の元に出向くべきだったかもしれません。
 こちらの世界において、『ガンダールヴ』はあらゆる武器を使いこなす、始祖ブリミルの使い魔とされています。その力は凄まじく、千の軍勢を相手にできるとも」
「千は流石に無理だと思いますが。昨日色々と実験をしてみましたが、このルーンに付加されている効果は二つ。
 一つ目は武器の情報と使用方法。
 二つ目は自身の身体能力と動体視力の向上。
 この二つは武器を握った際にのみ発動する。持続時間は試せる範囲まで行いましたが、体力が尽こうと関係なく発動し続けていましたし、それによるデメリットはほぼ皆無。
 強いて言えば武器を手放した際、普段の行動よりも多少は疲れましたが、それだけです。反則もいいところですよ、この能力は」
「なるほど、確かに伝説となるわけです」

 ミスタ・コルベールは呆れるようにルーンを見つめた。気持ちは判る、俺とてこれが出鱈目過ぎるのは身を以て知っているのだから。

「それと武器についてですが、定義がかなり曖昧なんですよ。基本的に武器と認識する物もそうですが、食事に使うナイフやフォーク、果てには花瓶から椅子まで武器として認識されてしまうんです」
「どういうことかね?」
「つまり俺自身がそれを武器として認識しているかどうか、ということです。本来ならばナイフやフォークは『食器』であって『武器』ではありません。
 しかし有事の際であれば、それを使って相手を突いたり切ったりすることができる。つまり、俺自身がそれを『食器』から『武器』へと扱い方を変えることによってそれは確かに人を傷つける『武器』になる。要は見方の問題です」

 例えば竹串や割り箸でも眼球や喉に突き刺せば殺せる。一歩扱い方を変えてしまうだけで、生活を豊かにする物が人殺しの利器となってしまう。

「確かにそうですが、そうなると君は無敵ですな……」

 その言葉に笑いたくなる。無敵な存在など、この世にはいない。居るとすればそれは〝神〟だけだ。

「それはありませんよ。能力が高いことは確かに優位ですが、だからと言って確実に勝てる訳ではありません。人間である以上は必ず隙は出来るし、相性というものも存在します。
 あるいはそれは強者の慢心であり、優位性を持つが故の驕りもそうです。それに能力が低ければ知略を巡らせたり、奇襲や謀殺といった手段は簡単に思いつきます。
 昨日の決闘もそうですが、ギーシュはこちらに対して足を止めるという手段を使いました。あの時は見晴らしも良く、整備された広場だった為に大した効果を得られませんでしたが、もし入り組んだ土地や岩などのある地形で勝負した場合、彼に分があったはずです。
 それに彼の使う錬金は非常に汎用性に富んでいる。例えば花弁を地面に撒き、相手がその位置に立ったところで錬金で無数の棘を作って串刺しにするといった罠を仕掛ければ、どれほど強かろうと人間であれば死ぬでしょう?」

 ミスタ・コルベールは感心したようにこちらを見ている。

「貴方は……何者なのですか?」
「多少、頭の回る学生ですよ。それに、もし万全であろうと俺は貴方に勝てる気はしません。恐らく貴方ならもっと良い手を思いつくでしょうから」

 わざとらしく口元を釣り上げてみせる。

「どういう、ことかね?」
「では言い方を変えましょう。率直に聴かせてもらいますが、貴方の方こそ何者ですか? ミスタ・コルベール」

 今度こそ、目の前の教師はその貌を変えた。まるで狡猾に相手を狙う〝蛇〟のような瞳でこちらを見据える。

「話したくなければ構いません。こちらから述べさせていただきます。
 貴方の佇まいは教師というよりもむしろ訓練された人間のそれだ。ならず者ということも考えたが、それにしては動作に規則性が取れ過ぎている。
 俺の動作に即座に反応したことからも、貴方は軍人か若しくはそれに準ずる何かの役職に就いていたと想像できる。
 そして────」

 その言葉と同時に俺はナイフを手に即座に席を離れた。

「片時もこちらから目を離さず、単語を教えながら呪文を詠唱する教師などいない」

 目の前の相手は既に巨大な火球を作り出している。いまはどの学年の授業中なのか、人気は全く無かった。
 沈黙が流れる。
 少しの間をおいてお互いが眼を合わせ、頷き合う。
 俺がナイフを明後日の方向に投げ捨てると同時に、相手も杖を下ろす。火球はまるで初めからなかったかのように霧散した。

「君は……何者ですか?」

 口調こそ変われど、それは同じ質問、同じ疑問。別段無視しても構わないが、ここまで訊いてくる以上は答えなければ失礼と言うものだろう。

「その質問は貴方自身にはあまり意味は無いでしょう。こちらに来た際、そしてこれまでの俺の行動を考えれば」

 明確な目標の定義、障害足りうる対象を分析するなどの心理作戦の原則に則った行為。無駄を無くすための動作と戦闘能力。情報の収集。これら全てに必要であり、いかなる国にも存在する役職。それは……。

「軍隊……それも特殊部隊に近い」
「正解です。尤も俺自身がそうという訳ではなく俺の師に当たる人が自衛官、まあ軍隊のようなものの中でもそれに近い役職でして、色々あって教えを請う形になりました」

 彼と出会ったのは最初こそ偶然───しかも第一印象は最悪───だったものの、その後、事あるごとに顔を見せるようになるのだが、それはここで語ることではない。
 ……それに。あの男が本当に軍人なのか、俺には判らなかった。

「君は学生と言っていた。あれは嘘なのですか?」
「本当ですよ。あくまで教えられただけで俺の職業は学生です」
「何故です!? 平和に生きられるはずの者がそのような技術を身に付ける必要があるというのです!」

 関心を持たせないためにそっけなく答えたつもりだったが、どうやら今の発言は納得のいくものではなかったらしい。出来れば答えたくないが、まあこの人は人気のない場所を選んで事に及んだ訳だし、話す相手を選びそうではある。
 それに別段隠す事でもない。

「『平和は尊いものだ』如何にもそう言いたそうですね。しかし貴方には判る筈ですよ?」

 懸命に生きようとする者の明日を食い潰し、私腹を肥やす者。一時の快楽、己の立場のために他者の人生など塵芥にすら感じていない者。そういった人の皮を被った化生共はいくらでも存在するということ。

「────この世に悠久の平和なんてモノは在りはしない。小さな者を奪われないためには、奪い続ける連中をどうにかする存在が必要だという事を」

 微かな戸惑いの後、目の前の彼は口を開く。どこか物憂げで、何かを決意するようなそんな表情で。

「君に聞いて欲しい事がある。私は罪を犯した、許されざる罪だ。だから私は贖うべく日々を研究に打ち込んだ、しかし────」
「貴方の罪は消えません。償いは、どんなに頑張っても、誰かの役に立とうとしても、その罪の向こうで泣いていた人たちが許してくれるまで消えはしない。たとえ自分の生涯を費やそうとも────」

 ────その罪は赦されないと、俺は口にした。

「そうだ。だから君に言っておきたい、人を殺そうとするなとは言わない。ただ、人の〝死〟に慣れないでくれ。そうなれば後に待つのは、」
「狂気と惨劇の中でしか生きられぬ生涯。獲物を喰い殺す獣のように、転がり落ちる石のように、自身が死ぬまで止まることはない」
「君は───……」
「勘違いしないで下さい。ただそうなった人間を見たことがあるだけです。
 俺は〝死〟に慣れることはない。そんなことはできない、もう俺は────」

 ────二度と、大切なモノを失いたくないのだから。

「君は、強いな」

 声にならない思いを汲み取ったのか、彼はそう口にする。そこに居たのは〝蛇〟ではなく、出来の悪い生徒を見るような、一人の教師だった。

「そんなことないです。俺は弱くて、何も……出来なくて……だから、そんな自分を、変えたかっただけなんです」

 そして、その決意故に人を殺した。俺は正義の味方を気取る訳でも、誰かから誉められたい訳でもない。もう……目の前から理不尽な死や、助けられない命などがないために、より多くの命を摘み取った。

「────そうか」

 静寂の中、お互いが目を離さずにいた。俺は不意に切り出す。

「ミスタ・コルベール。いったん休憩にしませんか? よろしければ、そのあとここで勉強を続けたいのですが」
「……ああ、いいとも」

 互いに微笑む。そこには先程までの張りつめた空気はもうなかった。

「さて、それでは昼食にしましょう」
「そうですな。それとナオヤ君、そんなに堅苦しくしなくともいい。他の生徒たちが呼ぶようにコルベール先生と呼んでくれ」
「ええ……それではコルベール先生、また午後に」

 ナイフを拾い上げ、図書館を後にする。無造作に積まれた本だけが、後に残された。


     ◇


「ナオヤさん?」

 呼びかけられた声に振り帰る。シエスタだ。銀トレイを持っていることから仕事中だということが判る。

「どうした? 仕事中のようだが?」

 堅苦しくしなくてもいいと以前言われたので自然に話しかける。そういえばこちらに来てから普通に話した事って殆ど無いような。

「お礼が言いたくって。貴族は怖かったんです。私みたいな、魔法を使えないただの平民にとっては……でも、今はもう前ほど怖くないです! 私、ナオヤさんを見て感激したんです! 平民でも、貴族に勝てるんだって!」

 ……それはそうだが、貴族とはここまで平民に怖がられてたのか。

「よろしければ厨房に来ていただけませんか? 皆ナオヤさんに会いたがってるんです」

「構わないが、ルイズに報告していいかな? 昼食を用意してくれてると思うから」
「それについては大丈夫ですよ。ミス・ヴァリエールから許可をいただいていますので」

 思わず食堂に居るであろうルイズの方を振り向く。こちらに気づいたのか、彼女はいいから行ってきなさいと呟き、不機嫌そうに食事を取り始めた。
 ……後が怖いな、これは。
 何故不機嫌なのかは取り敢えず置いておき、部屋に戻った時の対策を立てつつ食堂へと向かった。



「『我らの剣』が来たぞ!」

 厨房に入るや否や、コック長と思わしき人と周りの方々から熱烈な歓迎を受けた。まあそれはいいんだが……。

「あの、『我らの剣』というのは?」

 とりあえず周りは熱が冷めていないようなので、シエスタに問いかけた。

「コック長がつけたんです。ナオヤさんは槍や見たことのない技を使ってましたけど、どうせなら皆に判る『剣』が良いだろうって」

 成程、と納得しているうちにコック長のマルトーさんを筆頭に一人一人が挨拶してきた。それに笑顔で応えつつ、用意された席に座る。
 席には白いパンと自分が食べていたのとは比較にならないシチューが置かれていた。
 どうぞ、と笑顔で答えてくるシエスタに促され、シチューを口に運ぶ。

「美味しい……」

 思わず言葉が漏れる。その言葉にマルトーさんがそうだろう、と笑顔で頷いた。

「ふん! あいつらは確かに魔法を使える。土から鍋や城を作ったり、とんでもない炎の玉を吐き出したり、果てはドラゴンを操ったり、大したもんだ!
 だが、こうやって絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって、言うなれば一つの魔法さ、そうは思わないか?」

 どうやらこの人は貴族嫌いらしい。それはともかく、マルトーさんが言ったことには同意する。

「そうですね。確かにこれも一つの魔法です。誰も傷つけることなく、皆に笑顔を与えられる。武器を持って誇示したり、他人を傷つけて誰かを守ったりしなくても、皆が笑顔でいてくれる。それはとても素敵な事だと思います」
「いい奴だな! お前はまったく良い奴だ!」

 感極まったと言わんばかりにマルトーさんは俺に抱きついてきた。
 接吻すると言いかけたので勘弁してくださいと体を離れさせる。

「お前はどこで剣や槍を習った? 俺にも教えてくれよ?」
「剣や体術などは曽祖父に指南して頂き、それ以外は師に教えを受けました」
「ナオヤさんの、ひいおじいちゃんに?」

 首を傾げているシエスタに軽く頷く。あの人は空っぽだった自分に色んな教えてくれた。
 強くありたいと泣きながら願った自分に、剣の技術だけでなく、そこにある理を。かつての皇国の誇りと意味を。忠誠、愛国心、誇りとは何か。そして、強く在る為には何が必要かを説き、それだけに限らず今を生きる人間としての道徳も。

「曽祖父は素晴らしい方でした」
「お前がそう言うんならそうなんだろうな。さぞ師匠の方も立派な方に……ってどうした? 何か顔色が優れねえみてえだが」

 ああ。師と言えばそうなんだが、あの人はなんというか……失礼なようだが、不死身で魔人で、何より迷惑かつバカで、しかも食えない奴だった。
 濁流に巻き込まれたり、立つことも困難な突風の中でも平然としていたり銃弾の雨を単身で掻い潜るのは確かに凄い。というか人間ではない。
 が。普通では考えられないほどに運が無い上に、事あるごとに厄介事を持ちこんだり、初対面にも拘らず君なら出来るとかほざいて突風を進む方法を訳の分からない発言で教えたり───まあ実際に出来た自分が言うのもなんだが───するという頭のネジは緩むどころか全部吹っ飛んでいるという訳の分からない男だった。

「……師については置いておきましょう。しかし、俺自身はそこまで大した人間ではありませんよ?」
「良いねえ。お前らも見習えよ! 本当の達人とはこういうものだ、決して腕前を誇らないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」
「いえ、俺は本当に大したことは無くて……むしろ師からは根本的なところに問題があると」
「謙遜しなくてもいいじゃないですか。私たちよりも年下のナオヤさんが貴族に勝ったんですから」

 瞬間、自分の中でぴきりと亀裂が走った。

「シエスタ……。あのさ、俺は幾つに見られているんだ?」
「十四から十五くらいかと。あ、実はミス・ヴァリエールと同じくらいとか?」
「俺もそう思うぜ。だいたい十五か、そのあたりなんだろ? 若えのに大したもんだぜ!」

 ……二日連続で似たような答え。シエスタに至ってはルイズより年下、しかも二つも……。

「俺は……十九なのですが」

 弱々しい声で呟く。一瞬で厨房の空気は凍りつき、否、この場合時が止まったという方が正しい。
 数分たって厨房の人たちが再稼動する。

「えっと、ホントに十九なんですか?」
「本当だよ……」

 声はまだ弱っているが、はっきりと頷く。若いコックや給仕の方から俺より年上といった声が聞こえてきたが、スルーしよう。
 結局気まずい空気のまま、俺の昼食は進んでいった。


     ◇


 食事兼休憩も終わり、場所は再び図書室へ。
 コルベール先生が到着してからは読み上げた本を片づけ、勉強が再開された。今自分が覚えているのは文字ではなく、この世界の通貨や距離の単位などである。

「つまり俺の世界の一センチが一サント、尺度は殆ど変らすそのまま、メートルがメイル、キロメートルがリーグないしキロメイルになる訳ですね」

 リーグに関しては俺の世界のものと長さが違った気がするが、まあいい。覚えやすい。

「そうです。次は通貨ですが、エキュー、スゥ、ドニエがあり、エキューが金貨、スゥが銀貨、ドニエが銅貨です。エキュー金貨一枚が一エキュー、新金貨の場合は三枚で二エキューに相当します。因みに百ドニエで一スゥになり、百スゥで一エキュー。
 トリステイン市民一人当たりが一年間に使う生活費は平民で約百二十エキューといったところで、下級貴族は約五百エキューほどですな」
「これも俺の世界の中世フランスの通貨単位と同じです。妙なところで中世から近世のフランス……俺の世界にある国のことですが、それに接点がありますね、下水道や清潔さを保つ点が違うのが救いですが」
「ふむ。ひょっとしたら、この世界には君のように召喚された者が過去に居るのかもしれませんな」
「調べることが出来ないのが残念ですがね。単位の方も覚えましたし、文字の勉強に移りましょう」

 コルベール先生も同意し、文字の復習と文法の勉強を開始する。結局この日の午後は図書室で文字の勉強に大半を費やし、これからも暇があれば会う約束をして俺は図書館を出た。


     Side-out


 さて、北澤直也との授業───少なくとも本人はそう思っている───の後、コルベールは通常業務に戻るべくオスマン氏に報告をしようと歩いていた。

「おや、ミス・ロングビル。ここで何を?」
「ミスタ・コルベール。実は、宝物庫の目録を作ろうとしたのですが……」
「大変でしょうな。一つ一つ見て回るだけで一日がかりですから。オールド・オスマンに鍵を借りては?」
「ええ。ですが、オールド・オスマンがご就寝中でして」
「なるほど、ご就寝中ですか。あのクソジジイ……もといオールド・オスマンは一度寝ると起きませんからな。ぼくの方からも言っておきます」

 そして学院長室に赴こうとして、再び足を止める。

「その、ミス・ロングビル。もし宜しければ、夕食をご一緒にいかがですかな……」
「ええ、喜んで」
「それと……もし貴女がよろしければですが、ユルの曜日に開かれる『フリッグの舞踏会』いでぼくと一緒に、」
「何ですの? それは?」
「そう言えば貴女はここに来てまだ二ヶ月ほどでしたな。その、なんて事の無い、ただのパーティです。ただ、ここで一緒に踊ったカップルは結ばれるとかなんとか! どんな伝統がありましてな! はい!」
「その相手として私をお誘いに?」
「その……よろしければ、ですが」
「喜んで」

 その言葉と笑顔にコルベールは思いっきり飛び跳ねたくなった。
 その後、コルベールはミス・ロングビルからなし崩しにされ、宝物庫の弱点などをべらべらと喋ることになったが、誘いを受け入れられた喜びから、すっかりこの件を忘れたのだった。


     ◇


 一方、北澤直也はというと────

「フレイムか。どうした? こんなところで?」

 部屋に戻ろうとした矢先にやってきたフレイムを撫でたりしていた。

「利口だな。君は」

 すり寄ってくるフレイムに戸惑いながらも、嬉しそうに撫でながら呟く。
 そういった微笑ましい行動が自身の年齢を勘違いされる要因になっているのだが、悲しいかな本人は全く気付いていなかった。





[5086] 005※加筆修正済(11/2/15)◆◆
Name: c.m.◆71846620 ID:a5f9d3b4
Date: 2011/02/15 13:52
 日が完全に落ち、双月が空に昇る頃、俺はというと部屋に戻る為にドアに手を掛けようとした瞬間に現れたフレイムを撫でたりしていた。

「ところで、何故君はここに居るのかな?」

 自分に会いに来たというのであれば嬉しくはあるが、流石に主人を置いてここまで来るということはないだろう。
 ……となると。

「ルイズへの伝言か? 何か伝えたいことがあるなら聞くが?」

 ひとしきり撫でられて満足したのか、フレイムは俺の服の裾を加えて引っ張ってきた。
 ? 俺?
 ルイズとは仲が悪かったようだが、まさか俺を人質に何か仕掛ける訳ではあるまいな?
 不安になりながらもフレイムの後をついて行こうとして、全力で止まった。
 フレイムが入ろうとしているのはルイズの向かいの部屋。つまりはキュルケさんの部屋である。扉は微かに開いており、自分をこの中に引き込もうとしているようだが……。

「経験上、碌な目に遭わないのは判り切っているしな」

 心の警鐘に従ってUターン。これ以上面倒事は御免被る!

「悪いなフレイム。君のことは気に入っているが、ここは断らせてもらう」

 きゅるきゅると鳴きながら潤んだ瞳を向けるフレイム。そこだけ見ればなんと可愛らしいことか。しかし今の自分にはそんなことは知ったこっちゃねえのである。
 しかしフレイムはじっとこちらを見つめている。しばしの沈黙。

「……判ったよ。行けばいいんだろう」

 負けた。ああ、負けましたともこんちくしょう。主に自身の中の動物愛に。
 そうして俺は明らかに地雷地帯であろう一室へと足を踏み入れたのだった。



 部屋の中は暗闇で覆われている。唯一明るいのは熱を発しているフレイムの周りだけだ。先程まで明るい場所にいたため、他の者よりも視力こそ弱いが夜目の効く俺も、慣れるのに時間がかかる。

「ようこそ。こちらにいらっしゃい」

 声のした方向へと振り向く。暗闇の中で相手の方は逆光で俺の位置が捉えられているものの、こちらからは殆ど見えない。いや目が慣れてきたため輪郭が少しずつではあるが見えてきた。キュルケさんの姿は、そう、まるで寝間着のような……。
 やばい。とにかくこれはヤバい。即座に振り返りドアに手を掛けようとして、
 がちゃり。
 ドアが閉まった。それもひとりでに!?
 ご丁寧に鍵まで掛けられている。どうして分かっているのに来てしまったのかと自分の頭を抱えたくなる。既に後の祭だが。
 指を弾く音と共に俺の背後の蝋燭から順番に光が灯ってゆく。
 ゴールとなるベッドの上でキュルケさんがベビードールらしき下着を着けていた。頼むから服を着てくれ。
 ルイズの時といい、こちらの女性がこういった人達だけではないことを祈りつつ、目の前のキュルケさんを見据える。

「そんなところに突っ立ってないで、いらっしゃいな」

 彼女はにっこりと笑って手招きをした。言われたとおりに彼女の元へと歩いてゆく。
 こちらに座って、とキュルケさんに言われたが俺は首を横に振る。

「どうして自分を呼んだのですか?」
「貴方は、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」
「……そう思うなら服を着て下さい」
「思われても、仕方がないの。判る? あたしの二つ名、『微熱』」

 それは知っている。というか、俺の発言は無視か。

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの。だから、いきなりこんな風にお呼び立てしたりしてしまうの。判ってる。いけないことよ」

 ならば呼ばないでくれ。俺の今後の生活の為にも。

「でも……、貴方ならきっとお許しくださると思うわ」

 断る。別に無理という訳ではないが、一時の快楽で身を滅ぼすほど愚かではない。そう言った人間を結構な数で見て来たのでな。……具体的には二ダースほど。

「恋してるのよ、貴方に。恋はまったく、突然ね」
「本当に突然ですね……」
「貴方がギーシュを倒したときの姿……。格好良かったわ。まるで伝説のイーヴァルディみたいだった! あたしね、それを見たとき痺れたのよ。信じられる? 痺れたのよ! 情熱! あああ、情熱だわ!」
「そうか、情熱なの────って、待って下さい。いまイーヴァルディと仰いましたか?」
「そうよ、イーヴァルディの勇者。読書家なら知ってるでしょ?」
「……いえ。自分はこちらの人間ではありませんので、そう言った伝承はあまり」
「もしかして貴方、ロバ・アル・カリイエから来たの?」

 別の大陸か、それとも国か。それは今度図書館で調べるとして、取り敢えずどうしたものか……。

「キュルケさん方がどう呼ばれるのかは判りませんが、少なくとも自分はここの常識とはかけ離れた国に居たことは確かです」

 こういった事態では、どうとでも取れるように答えておく。嘘でもなければ真実でもない。だからこそ不信感を抱かせることもない。

「興味深いわね。でもあたしはそんな事よりも、今は貴方と……」

 ゆっくりとこちらへ手を伸ばす。頬に手が触れ、唇が近付きそうになったところで突然窓が叩かれた。……ここは確か三階だった筈だが。

「キュルケ……約束の時間に来ないから来てみれば」
「ペリッソン! ええと、じゃあ二時間後に」

 美系の青年は顔を歪ませながらこちらを見ている。やはり矛先はこちらか……。

「話が違うぞ! 大体そんな女の事を何も知らんような子供をどうして部屋に───ぐぼは!!?」
「少し黙っていろ。小僧」

 掌底が顔面にめり込み、ペリッソンとかいう青年は頭から落下していった。
 ……しまった。やってしまった。彼が怒るのは自分にも非があるし、出来れば穏便に済ませる予定だったのだが、ここに来てからこれが三度目。どうやら限界に達してしまったらしい。
……まあ。相手が杖を抜いた時点でこちらの行動は決定していた───というより本能的に反応してしまった───のだが。

「冷静にならないとな。お騒がせしてすみま、」
「キュルケ、そんな子供は摘まみ出して今夜はぼく、───へぶろ!?」

 ────また、やってしまった。
 己の所業に愕然とする。どうしてだ。何故こんなことになる!? いくら二人とも杖を抜いていたとはいえ、もう少し冷静にさえなっていれば、

「「「キュルケ、そいつは誰だ! 恋人はいないって言ってたのに!」」」

 よし、今度は冷静に────、

「大体、子供が何でこんな時間に居る!」
「さっさと寝てろ!」
「女性はママで充分だろ?」

 瞬間、自分の中で何かが切れる音がした。

「────そうか。聞いておくが、遺言はそれだけか?」

「「「へ? ちょ、待て。話せばわかる!!!」」」

 そうだな。話せばわか……振り返った先に見えた化粧台には杖を構えた三人。
 ……訂正する。こいつらに会話の必要はない。

「問答無用だ。さっさと堕ちろ」

 男たちの断末魔と共に俺は窓から視線を外した。

「────やるわね」
「どうも」

 お互いに悪魔の如く笑い合う。利害の一致というやつだ。

「じゃあフレイム。火葬を頼めるかな?」

 俺の言葉にきゅるきゅると鳴いて頷くフレイム。実にいい子だ。やはり降りかかる火の粉は払うのが鉄則である。

「いいわぁ。貴方ってやるときはとことんやっちゃうのね」
「怖くなったか?」
「むしろ逆よ。ゾクゾクきちゃう。それよりも上級生に小僧扱いしてたけど、貴方幾つなの?」
「十九になる」
「そのギャップが良いわ。あ、悪気がある訳じゃないのよ。怒らないでね」
「そうだな。だいぶ発散させて貰った事だしな」

「へえ……何を発散したって?」
 
 突然の声にギギギ、と首を回す。自分が錆びた機械になったみたいだ。
 どうやって扉を開けたのかは聞かない、というかドアが無くなっている。杖を持っているところから実力行使に出たようだが、ここまでするか普通……。

「あら? ルイズじゃない」
「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!」

 やはり、こうなるのか……いや、主人と犬猿の仲であったにも拘らず俺がここに来たのが問題だと言えば確かにそうなのだが。

「恋と炎はフォン・ツェルプストーの身を焦がす宿命なのよ。恋の業火に焼かれるのなら、あたしの家系は本望なのよ。貴女が一番ご存知でしょう?」
「来なさい。ナオヤ」
「……判った」
「あら、お戻りになるの?」
「主人がご立腹のようなのでね。イーヴァルディの話は今度聞かせて頂けますか?」
「喜んで。それとあたしのことはキュルケでいいわ、話し方も普通でね」
「判った。それではまた。フレイムも」

 きゅるきゅると鳴くフレイムに手を振る。

「随分と仲が良いじゃないの?」

 痛いです、ルイズさん! 爪が首に食い込んでおります!!

「……話は部屋で」

 じゃあね~、と手を振るキュルケの声を背中に、俺は十三段目の階段を上る死刑囚のような気持ちで部屋へと戻っていくのだった。


     ◇


 がちゃりという鍵を閉める音とともにルイズはこちらに振り返る。心なしか手が震えているようだ。

「まるでサカリのついた野良犬じゃないの───────────────ッ!」
「失礼な。これでも手順は守る」
「そう。つまり認めるのね」
「いや、だから違、」

 う。と言おうとして言葉が詰まる。今しがたルイズが引き出しから取り出したものをこちらに見せ付けるように持っている。

「随分と良質な物のようだが、何故にそんな物がここにあるのか訊いていいか?」

 ルイズの右手に持っている黒光りする細くて撓る物。それは鞭だ。何所からどう見ても鞭だ。作りからして乗馬用なのは間違いないが、だからといってここで出すべきものではない。馬のような皮膚の厚い動物ならともかく、俺が喰らったらまず皮膚が裂けて相応の傷を負う。
 しかし、そんな物も気にならないようなとんでもない物を左手に握っている。
 鎖だ。まあそれは許せる。しかしその先に付いている革製の輪が最大の問題だ。

「君は常に予想の斜め上を行くな。それともそういう趣味でもあるのか?」

 首輪だった。鞭はまだいい。科学が進んでいないこの時代の移動手段としては馬などの生物に限定されるから理解も出来る。
 だが何故にその様な物が鞭と一緒に入っている!? それも新品同様という事は買ったのはつい最近。つまり動物の使い魔が来ると予想してのものではない!

「うふふ……使い魔が聞き分けのない奴だったらどうしようかと思って用意してたんだけど、あんたは素直だったから必要ないと思っていたわ。
 まさかこんな事で使うことになるなんてね。主人の元を離れてツェルプストーの女に尻尾を振る犬は、教育も兼ねて鎖で繋いで置かないと」

 嘘だ! 明らかにお前のは趣味だ! 息使いも荒いし、何より目がイってるぞ、目が!!

「さて。覚悟はいいかしら?」

 いい訳ないだろうが、このサディスト! そう心の中で絶叫するも意味はないし、口にすれば命が危ないので無言で逃げる。
 が。室内ではどうあっても逃げ切れるものではなく、相手の体力が切れるまで逃げ回るのも馬鹿らしいので取り敢えず捕まった。

「はあ、はあ……。ようやく……、捕まったわね」

 正確には捕まえられてやっただけだが。
 もう鞭を振り下ろす気力もないのか、俺の首根っこを掴んだ状態でぐったりとしていた。
 ……それでも首輪は付けられたがな。ご丁寧に鍵までかけて。

「まあ確かに、あんたが誰と付き合おうが、あんたの勝手。でもキュルケは駄目」
「理由を聞いても?」

 碌な理由ではないだろうが。主人の不機嫌な理由は俺にある為、自身の戒めも兼ねて正座で待機する。

「キュルケはトリステインの民じゃないの。隣国ゲルマニアの貴族よ。それだけでも許せないわ。私はゲルマニアが大嫌いなの」
「こちらの国交関係は俺には関係ないと思うのだが」
「私の実家があるヴァリエールの領地はね、ゲルマニアとの国境沿いにあるの。
 だから戦争になると、いっつも先頭に立って切ってゲルマニアと戦ってきたのよ。そして国境向こうの地名はツェルプストー! キュルケの生まれた土地よ!
 つまり、あのキュルケの家は……。フォン・ツェルプストー家は、ヴァリエールの領地を治める貴族にとって、不倶戴天の敵なのよ。実家の領地は国境挟んで隣同士! 寮では向かいの部屋! 許せない!」

 寮に関しては仕方ないだろう。相手としても想像していなかったろうし。というか無視しないで欲しい、人の話を聞いてくれ。

「恋する家系とも言っていたな」
「ただの色ボケの家系よ! キュルケのひいひいひいおじいさんのツェルプストーは、私のひいひいひいおじいさんの恋人を奪ったのよ! 今から二百年前に!」
「そんな昔の事を未だに根に持っているのか。君の家は」
「それからというもの、あのツェルプストーの一族は、散々ヴァリエールの名を辱めたわ!
 ひいひいおじいさんは、キュルケのひいひいおじいさんに、婚約者を奪われたの」

 ……オチが見えた気がする。

「ひいおじいさんのサフラン・ド・ヴァリエールなんかね! 奥さんを取られたのよ! あの女のひいおじいさんのマクシミリ・フォン・ツェルプストーに! いや、弟のデューディッセ男爵だったかしら?」

 期待を裏切らないな、良い意味でも悪い意味でも。それ以前に君のお家事情には興味はないが。

「つまり恋人を奪われ続けた訳か。しかし、人を好きになるのは個人の自由なのだし、そういった競争に負けたという事は君の家の者より、相手の方が魅力的だっただけの事ではないのか?」

 それに奪われたという事は、ある程度の結婚の自由も認められているみたいだしな。

「余計なお世話よ! それだけじゃないわ。戦争の度に殺し合ってるのよ。お互い殺され殺した一族の数は、もう数えきれないわ!」
「なら君も殺すのか。キュルケを」

 俺の発言にルイズは理解できなかったという表情を浮かべた。

「言っておくが。人を殺すというのは重い事だ。故意であれ事故であれ、その罪は君を責め立て、一生を持ってしても消えることのない傷を作り出す。
 それでも君は────彼女を殺すのか?」
「わ、私は……」
「すまない。今のは意地の悪い質問だった。何が言いたいのかと言うと、殺す云々はあまり口に出さない方が良いということだ。そういうのは負の感情しか生まないからね」
「……判ったわ。でも、あんたそんなにキュルケが好きなの?」
「まさか。一応言っておくが、君の想像している様な事は一切ない」

 俺の言葉に目が点になったルイズに、キュルケの部屋での話を聞かせてやる。
 しばらく聞いていたが、納得いかないとばかりに反論してきた。

「じゃあ発散したって言うのは何なのよ!」
「俺をガキ扱いした色ボケ共に、こいつを喰らわせた。
 一応言っておくが、先に杖を向こうが向いて来たのであって、こちらは応じただけだ」

 そう言って左手を見せ付ける。先程までは血が上って気付いてなかった様だが、俺の手には男共の血で肌の色が見えない程にべっとりと付着していた。殆ど鼻血だが。

「……何人殴ったらそうなるのよ」
「五人。うち一人は上級生で三人は下級生」
「串刺しにされるわよ……」

 確かにコルベール先生ほどではないにしても、流石に五人同時は辛いな。
 ……何より面倒だし。いっそ記憶がなくなるまで殴っておくべきだったか。

「今となっては、どうしようもない」

 ルイズは呆れたように溜息をついた。彼女は仕方ないわね、とこちらを見据える。

「あんたに剣、買ってあげる」
「急だな。俺にはナイフがあるし、いざとなれば鋼糸で解体もできるが?」

 何が解体できるかは言わないがな。

「武器は多い方がいいでしょ。ギーシュの時も剣を使ってたじゃない」

 確かに本家に居た頃は結構な種類の刀剣を使っていたし、稽古でも刃引きをした真剣や素振り用の木刀を主に使っていたが。

「基本的な武器術は出来るが、お金がかかるだろう?」
「別にいいわよ。使い魔に心配されるほど落ちぶれてないし、必要な物は用意するわ」
「助かる。正直なところ、この世界の武器は見てみたかった」
「さ、分かったらさっさと寝る! 明日は虚無の曜日なんだし、街まで連れてってあげる」

 そうだな。今日はゆっくり休んで、
 じゃらり。
 ……全然休めない。

「寝るのはいいが、この首輪を外してくれないか?」

 寝づらいし、何より人として間違っている気がする。
 が、そんなこちらの心境を知ってか知らずか、わざとらしすぎる寝息を立てて狸寝入りを始める我が契約者。やがて疲れたのかどうかは知らんが、本当の眠りに勝手に落ちて行った。
 まあ、明日外してもらえばいいか。
 自分を納得させつつ床に横になる。本当に犬になった気分だ。誰かに見られようものなら撲殺も辞さない。
 疲れていたせいもあってか、俺も眠くなってきた。
 鎖のせいで毛布まで手が届かず、その日は凍える一夜を過ごす羽目になったが……。


     ◇


 遠い昔の夢だ。雨の中、ただ頬を打つ冷たさが自分を現実に繋ぎ止めている。
 先程まで笑顔だったあの子は──────────────────────。


 そこで目が覚めた。
 昨日もそうだったが、どうも夢があやふやになってきている。もう八年間、一日たりとも消えることのない夢。呪いとも取れる、俺が俺である為に必要な鎖。
 まるで削り取られていく氷のよう。それは常に同じ内容だったというのに、ここに来てからというもの少しずつ曖昧なものになってきている。
 まあいい。とにかく今は息を整えてルイズを起こさないとな。


    Side-out


 キュルケは昼前に目を覚ました。本日は虚無の曜日である。
 背筋を伸ばしつつ欠伸をし、昨日の出来事を振り返る。一連の出来事を思い出し、どうやって北澤直也を口説こうかと考えていた。
 化粧を終え、自分の部屋を出て相手の居るであろう扉の前へと立つ。
 そこでキュルケは顎に手を置いてにっこりと微笑み、扉を叩く。しかしノックの返事は無い。
 ドアを開けようと試みるも鍵が掛かっていた。
 が、何の躊躇いもなくキュルケは『アンロック』の呪文を掛ける。それと同時に聞こえる鍵の開く音。学院内での『アンロック』は重大な校則違反だが、彼女は気にしない。
『恋の情熱はあらゆるルールを優越する』、がツェルプストー家の家訓である。
 しかし、部屋の中はもぬけの殻だった。

「あらー? どこ行っちゃったのかしら」

 部屋の中を物色し、辺りを見回す。

「相変わらず色気のない部屋ね……」

 以前この部屋に来た時にあった鞄が無いことに気づき、もう一度辺りを確認する。しかしどこにも鞄は無い。
 代わりに見つけたものは……あまり見たくはないが、鎖の付いた首輪だ。一瞬首輪をつけられて涙目で見つめる北澤直也を想像し、思わずイイかもと思ってしまった。
 自身から危なすぎる思考を切り離し、窓から外を見回す。窓の外からは馬に乗った二人の姿が見えた。中々、絵になっている。

「何よー、出かけるの?」

 どうしたものかと考え、しばらくしてキュルケは部屋から飛び出していった。


     ◇


 その頃、キュルケの親友であるタバサは自身の部屋で読書に時間に費やしていた。
 鮮やかな瞳を持つ彼女は、海のように碧い瞳を輝かせ、本の世界へと身を投じている。
 タバサは実年齢よりも四、五歳ほど若く見られることが多い。背丈は小柄なルイズより五サントばかり低く、体も細いためだ。
 タバサは虚無の曜日が好きだった。自分の世界に好きなだけ浸っていられる。
 彼女にとって他人とは、自分の世界への無粋な闖入者だ。
 数少ない例外と呼べる人物でさえ、よほどの事情でもない限り鬱陶しく感じるほどに。
 突然叩かれたドアの音を彼女は無視する。
 徐々に大きくなるノックを不快に感じたのか、面倒だと言わんばかりの動作で机に立てかけておいた自身より大きな身長の杖を手に取り、ルーンを紡ぐ。
『サイレント』。風属性の魔法であり、風の系統を得意とするタバサならではの呪文だ。これによって空気の振動は阻害され、彼女は再び本の世界に身を投じ、
 バン!
 ……ようとしたところでドアが開かれた。音が聞こえずとも気配で判る。だがタバサは闖入者である友人に意を返すことなく本を読み続けようとしたが、キュルケに本を取り上げられた。
 これが他の者であるならば『ウィンド・ブレイク』でも使って強制退去して貰うところなのだが、キュルケは数少ない友人である。
 仕方なく『サイレント』の呪文を解くと、それが合図というかのようにキュルケのマシンガントークが飛び出す。

「タバサ、今から出かけるわよ! 早く支度をしてちょうだい!」
「虚無の曜日」
「判ってる。貴女にとって虚無の曜日がどんな日だか、あたしは痛いほどよく知ってるわよ。でも今は、そんなこと言ってらんないの。恋なのよ! 恋!」

 判るでしょ、と目で訴えるキュルケにタバサは首を振る。キュルケが動くのは感情からだが、彼女が動くのは理屈からなのだ。しかし何故か仲が良い。

「そうね、貴女は理由がないと動かないんだったわね……、ああもう! あたしね、恋したの! でね? その人が今日、あのにっくいヴァリエールと出かけたの!
 あたしはそれを追って、二人が何処に行くのか突き止めなくちゃいけないの! わかった?」

 どうして自分に頼むのか判らないためにタバサは首を振り掛けたが、先程の言葉に首を止めた。ヴァリエールということは、キュルケが追っているのは使い魔の少年のことだろう。
 当然の結果ではあったが、あの決闘での戦いは今も目に焼き付いている。思わずイーヴァルディの再来かと思わせるほどに。

「けど二人は馬に乗ってっちゃったから、貴女の使い魔じゃないと追いつけないの! 助けて!」

 その言葉にすぐに頷く。自分の使い魔でなければ追い付けないという理由も理解出来た。
 窓を開き、口笛を吹くことで自分の使い魔を呼び出す。
 タバサの使い魔であるウィンド・ドラゴンはその美しく、青い鱗を煌めかせながら二人を乗せて飛び立った。

「いつ見ても、貴女のシルフィードには惚れ惚れするわね」

 キュルケは突き出た背びれに掴まり、感嘆の声をあげる。タバサにより風の精霊の名を与えられた風竜はまだ幼生であったからだ。
 どっち? とタバサは問いかける。

「分かんない、慌ててたから……」

 済まなそうにするキュルケに対し、彼女は動じることなく自らの風竜に命じる。

「馬二頭。食べちゃダメ」

 その言葉と共にシルフィードは高空へと駆け上り、自らの視力を持って馬を見つけ出す。遮蔽物のない草原において、この程度の行動は朝飯前だった。
 タバサは使い魔の仕事をするのを確認し、キュルケから奪い取った───正確には取り返した───本に再び目を通し始めた。


     Side-Naoya


 魔法学院から三時間余り。乗ってきた馬を町の門の傍にあった駅へと預け、ルイズと城下町を歩いていた。

「随分と慣れてたじゃない」

 ルイズが言っているのは馬の乗り方についてのことだろう。俺としては以前、曾祖父の『武家の人間たる者が乗馬さえ出来ないようでどうする』という発言から、乗馬を体験した───正確には強要された───事があっただけなので大したことではない。
 適当にいなしつつ、白い石造り街を散策する。道を歩く者、立ち並ぶ露店で店主に交渉する者、大声で商品を売りつけようとする者など様々な人間が入り乱れている。
 こういえば王都といった感じはするが、実際のところ原因は別にある。

「バザールより狭いな。交通に関しては改善した方がいいのではないか?」
「狭いって……これでも大通りなんだけど」

 ルイズの話では大通りということらしいが、道幅は五メートルにも満たず、人の行き来が激しいために歩くことすらままならない。

「ブルドンネ街。王都トリスタニアで一番広い通りよ」
「とすると、向こうに見えるのは宮殿でいいのかな?」
「女王陛下に拝謁でもするの?」

 まさか、と苦笑しつつ視線を前へと向け、他愛もない会話をしつつ城下町を進む。

「この通りの傍にある店のクックベリーパイがおいしいのよね~。時間があったら行っても良いんだけど」
「出来るだけ早く済ませるよ。ルイズとしても、ここまで来て従者の武器だけを身繕いに来たでは退屈だろう? 何より俺自身そうなっては申し訳ない」
「下僕にしては良い心がけね。ご褒美に教えてあげるけど、調べ物をするなら王宮近くの本屋に良いのが揃っているわ。
 ミスタ・コルベールから文字を教わってるんでしょ?」

 そんな他愛のない会話をしながら通りを進む。退屈な、けれど楽しいと感じられる時間。
 その途中で酒瓶やバツ印の看板を見つけ、ルイズに質問したが、どうやらあれらは酒場や衛士の詰め所ということらしい。やはり識字率は低いのだろうか?
 俺が辺りを見渡すと、ルイズは思い出したかのように聞いてきた。

「そういえば、あんた財布は大丈夫なんでしょうね?」

 ルイズいわく財布は従者が持つべきとのことらしく、俺に金貨の入った袋を渡してきたが、結構な重さがある。

「問題ない。しかし、こんな財布を気付かれずに盗む事は無理だと思うのだが?」
「魔法を使われたら一発よ。前にも話したけど、貴族は全員がメイジだけど、メイジの全員が貴族っていう訳じゃないの。
 色んな事情で勘当されたり、家を捨てたりした貴族の次男坊や三男坊なんかが身を窶して、傭兵になったり犯罪者になったりするの。だから貴族は全体の人口の一割しかいないわ」

 成程。例えばそれは、いま自分の横で杖を構えた男が当て嵌まるのか?
 悪いな、名も知らぬ男よ。こちらに手を出した運の悪さを呪ってくれ。
 擦れ違いざまに手にしたナイフで手首を斬り裂くと同時、水月に一撃を見舞い、そのついでに相手の財布をスる。
 後ろで倒れた男の呻き声を肴にしつつ、俺はルイズの後について行った。


     ◇


 大通りから路地裏に入り、投棄されたゴミなどの悪臭に耐えながら四辻に出た。

「あまり清潔とは言えないな」

 だからあまり来たくなかったのよ、とルイズは愚痴を零す。ついで辺りを見回した。

「ピエモンの秘薬屋の近くだったから、この辺なんだけど……」
「あれじゃないか? 剣の形をしているようだが」

 俺の指差した先を見ると、ルイズはあれよ、といって店の中へと入っていった。
 俺も階段を上り、撥ね扉を押し開いて店内に入る。店内は昼間だというのに薄暗く、微かに灯ったランプが辺りを照らしている。
 所狭しと並べられた剣と槍、そして拵えの立派な甲冑。だが、如何せん手入れが行き届いていない。
 剣の刃は剥き出しにされた状態で乱雑に樽の中に詰められているし、湿気が多いせいで錆びの浮いている物まである。
 店の奥でパイプを呑んでいた五十代ぐらいの親父が、店内に入ってきた俺たちを胡散臭げに眺めた。
 この親父がここの店主らしいが、こんな室内でパイプを咥えるとは何を考えているのだろうか。これでは武器が駄目になる筈だと一人納得する。
 胡散臭げに見ていた店主の視線は、ルイズのタイ留めに描かれた五芳星で止めると、パイプを放し、ドスの聞いた声があげた。

「旦那、貴族の旦那。ウチは真っ当な商売してまさぁ。お上に目をつけられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」
「客よ」
「こりゃおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」
「どうして?」
「いえ、若奥さま。坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふる、貴族は杖をふる、そして陛下はバルコニーからお手をおふりになる、と相場は決まっておりますんで」

 確かにメイジは杖を武器としているから、余程の事がなければここには来ないだろうな。

「使うのは私じゃないわ。使い魔よ」
「忘れておりました。昨今は貴族の使い魔も剣をふるようで」

 それはないだろう。前例は無いとコルベール先生も言っていたし。
 営業スマイルを浮かべつつ、店主はこちらを見た。

「剣をお使いになるのは、この方で?」
「そうよ。私は剣の事なんか判らないから。適当に選んでちょうだい」

 待てルイズ、それなら俺に一言言ってくれればいいだろう。
 店主は彼女の声を聞くなり店の倉庫へと消えていった。高く売りつけようとしているのが後姿だけで見てとれる。
 ……あまり期待しない方がいいな。
 少しばかり落胆を覚えつつ、倉庫から持ち出したらしい店主の持つ剣を見た。

「レイピアか」

 俺の言葉に店主は意外そうな目でこちらを見つめる。大方素人だと思っていたのだろう。
 俺の言葉にルイズは首をかしげた。

「そちらの御仁の言う通りです。そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で、下僕に剣を持たせるのが流行っておりましてな」
「どういうこと?」

 ルイズの質問に店主は口を開く。

「なんでも『土くれ』のフーケとかいうメイジの盗賊が、貴族のお宝をさんざん盗みまくってるって噂で。貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせる始末で。へえ」

 俺は店主とルイズの話が終わると共に店主に断りを入れて剣を持つ。

「使えそう?」
「この剣を買うつもりはないが。そうだな、少し使って見るか」

 買うつもりはないとの言葉に店主は嫌な顔をするも、俺は気にせずに構えアンガルドの姿勢をとる。
 フェンシングにおいて最初に見られる膝を曲げ、腰を落とした基本姿勢。そこから確認していくように一つ一つの動作をこなしていく。
 相手に向かって走り抜ける突撃フレッシュ前進マルシェから突き出しアロンジェブラ攻撃ファントといった動作から構えアンガルドに戻る攻撃の一連の動作クードルア
 単純な防御である払いバッテ、相手の攻撃に対する払いよけパラード、そして払いバッテから攻撃へと転じる反撃リポスト
 これらは全て独学で過去に覚えたものであり、断じてガンダールヴのものではない。実戦ならばともかく、あれを使って技を披露すると何故か負けた気がする。
 その後も自分が覚えている限りで一通りの動作を終え、店主に剣を返した。

「何にも知らねえ小僧だとばかり思ってやしたが、中々の腕をお持ちのようだ」
「恐縮だ。ところで店主、俺はこういった引いたり押したりすることで斬る剣ではなく、得物や鎧ごと叩き斬る剣を頂きたいのですが」

 剣においては日本刀のように速さと技で斬る剣と、西洋に代表される相手の鎧の上から叩き斬る剣と大まかに分かれている。
 前者の武器はナイフや鋼糸で充分なので、俺としてはギーシュの時のような奴を相手にする為の大剣の方が目的だ。
 蛇足ではあるが、速さと技で斬る剣を選ぶのならレイピアより強度に勝るサーベルかエストックの方が望ましい。

「随分と良い顔してんじゃねえか親父。あんたがそういう顔したのは久しぶりだぜ」

 突然の声に振り向く。おかしい、この店には他に人の気配は無かった筈だが。

「な!? デル公、お前は出てくるんじゃねえ!」

 声のした方向へと歩く。しかしそこには無造作に樽の中に入っていた剣があるだけ。となると……。

「先程喋っていたのはお前か?」

 樽の中から一振りの大剣、いや片刃だからこの場合は大刀に分類されるであろう剣を取り出す。

「おうよ、デルフリンガーってんだ。おめえさん、かなりできるようだな────ってお前、『使い手』かよ。それなら納得だぜ」

 何故かすごく不本意な事を言われた気がする。

「訊きたいのだが、『使い手』というのは?」
「自分の実力も知らんのか。まあいい。てめ、オレを買え」
「決めるのは俺だ。お前じゃない」
「お、おい。おめえオレを買わねえってのか!? おい親父、お前からもなんか言ってやってくれ!」
「あれってインテリジェンスソード?」

 カウンターでこちらを眺めていたルイズが店主に尋ねる。

「そうでさ、若奥さま。意思を持つ剣、インテリジェンスソードでさ。一体どこの魔術師が始めたんでしょうかねえ、剣を喋らせるなんて。
 とにかくこいつはよした方がいいですぜ。素人ならともかく、あんたくらいの腕前の御仁が、何もこんな口の悪いボロ剣を手にするこたぁねえ。手持ちが少ねえってんなら色々とサービスしますぜ」
「親父ィィィ! おめえオレに何か恨みでもあんのか─────!?」
「店に来る客に散々ケンカ売ったのはどこのどいつだ! 第一こんな御仁がお前みてぇなボロ剣とは釣り合うわけねえだろ!」
「……どちらも黙ってくれ。いま調べているんだ」

 俺の言葉に二人とも黙る。
 改めて確認してみるが、店主が言うほど悪い剣という訳ではない。至るところに錆が浮いており、見栄えこそ確かに悪いものの刃毀れそのものは全くしていないし、純度の方もそこいらの鈍らとは比較にならない。
 何より気になったのはこの剣の材質だが、鉄という訳ではなく、かといってギーシュの時のような青銅とも違う。俺の知っているどの材質とも異なるものだ。
 刀を扱う際、作法として刀身を触ってはならないのだが───本当は声を発してもならない───今回は気がかりな点があるため、浮いた錆びの部分を指でなぞる。本来であれは手に赤錆がつく筈なのだが、何度擦ろうとも錆は手に付かない。
 ……これは、大当たりかもしれんな。

「店主。試し切りをしても?」

 俺の言葉に一同は驚く。誰より驚いていたのはルイズで、露骨に顔をしかめていた。

「本気……のようですな。こっちでさ、付いてきてくだせぇ」

 店主と共に奥の倉庫とは別の部屋へと向かう。そこには一つの巻き藁があった。

「あんたみてえな御仁は殆どいなくなっちまってな。もう用意するこたぁねえかと思ってたんだが、取り敢えず試してみてくだせえ」

 一礼の後、俺はデルフリンガーという銘を持つ大刀を逆袈裟に振り下ろすと、大刀はそれが当然というかのように何の引っ掛かりはおろか、多少のささくれさえ残す事無く、巻き藁を斬り倒した。
 強度、切れ味共に問題なし。大刀の形状も反りのある片刃の為、大太刀のようにも扱える。

「左利きか。それにしてもそんな錆びだらけの剣で斬るとはな。土台も不安定だし、てっきりそのまま倒れちまうんじゃねえかと思ってやしたが、御見それしやしたぜ」

 両利きですよ、と告げ、店主と共にカウンターへと戻る。

「店主、この剣を頂きたいのだが」

 俺の言葉に店主はどこかにやりとした表情をした。

「代金は要らねえから持って行きな。どうせボロ剣だ」
「どういう事です?」
「お前さんみたいな御仁にゃもう会えねえかもしれねえんでな。ケチな野郎なりの親切心さ。それに活躍さえしてくれりゃあうちの店も繁盛するし、厄介払いも出来たんだ。
 これほど良いこたぁねえよ」
「それでもタダという訳にはいかない。少ないが、これだけでも受け取って頂きたい」

 スリから奪い取った金をテーブルの上に置くと、ルイズが驚いた顔でこちらを見た。

「あんたこのお金どうしたのよ!?」
「スリからスった」

 というか殆ど強奪だ。
 俺の言葉が壺に嵌まったのか、店主と剣は大爆笑した。店主の方はというとバンバンとテーブルを叩いている。

「いいじゃねえか! 女みてえな顔立ちのいい子ちゃんだと思ったが、そんな事までやるたぁな! 気に入ったぜ。おまけだ、これも持ってけ!」

 そう言うと店主は油布やら研ぎ石をテーブルの上に置いた。断るのも悪いので頭を下げ、ありがたく受け取った。

「では店主。機会があればまた寄らせて貰う」
「お前さんならいつでも歓迎だ! ボロ剣をよろしく頼むぜ。
 ああ、それと言い忘れてやしたが、どうしても五月蠅くなったらこうやって鞘に納めてやれば大人しくなりまさあ」
 店主から鞘を受け取り、仕舞い掛けたところで手を止めた。

「そういえば名を言っていなかったな。俺は北澤直也だ。宜しく頼む」
「よろしく頼むぜ、相棒! オレの事はデルフって呼んでくれ」

 穏やかな会話だ。できればこのまま何事もなく終わって欲しかったのだが、自分は最重要事項を見落としていたらしい。

「あんたたち、私のこと忘れてんじゃないでしょうね?」

 思わず振り向く。先程から蔑ろにされていた為か、ルイズの方は輪を掛けて不機嫌だった。

「勿論だ。なあデルフ?」
「そ、そうだぜ娘っ子。勘違いはいけねえな……」

 すまない。本当は忘れていた。
 心の中で謝罪しつつ、笑顔で答える俺に対して、デルフの方は声が震えていた。まあ、俺は慣れてるから良いが、初めて見たら絶対に怖いだろうな。店主なんかガタガタ震えているし。
 俺はルイズの機嫌を直すために色々と取り繕いつつ、城下町を後にした。


     Side-out


 武器屋から出ていった直也とルイズの後ろ姿を見つめる、二つの影があった。
 キュルケとタバサの二人である。キュルケは路地の陰から二人を見送ると、ぎりぎりと唇を噛み締めた。

「ゼロのルイズったら、剣なんかで気を引こうとしちゃって……、あたしが狙ってるって判ったら早速プレゼント攻撃? なんなのよ─────ッ!」
「ご機嫌斜め」

 地団駄を踏むキュルケの横でタバサは言った。

「これが怒らずにいられるわけ、」
「違う」

 彼女は読んでいた本を閉じてルイズを指差した。この距離から判るほどにルイズは怒りを露わにしていたのだ。
 とたんキュルケの顔が良い笑みに代わる。

「思い通りにならないことに腹が立ってるんでしょうね。あの子には過ぎたお相手ですもの」

 そういってキュルケは店へと入っていった。タバサもその後に続く。

「おや? 今日はどうかしている! また貴族だ!」

 店主は二人を見て愛想笑いを浮かべた。先程とは打って変わった商売面である。

「ねえ主人。先程こちらに来た貴族が何を買っていったかご存じ?」

 キュルケの色気にむせながらも主人は顔を赤くして答えた。

「へえ。ボロボロの大剣を一振り」
「なんでまたそんな剣を?」
「お連れの方がえらく気に入ったようでして、他にも使っていたんですが……」
「その剣は?」

 問うたのはタバサだ。彼女から見れば彼は明らかに戦闘者である為、何の理由もなく選ぶとは思えなかった。

「こっちのレイピアでさ。あちらの方は叩き斬る剣をご所望でしたんで、買っては頂けやせんでしたがね」
「主人。その剣の中で一番良い物を見繕ってくださる?」

 キュルケの言葉に主人は急いで倉庫へと引き換えし、そこからレイピアをあるだけ持ってきた。

「レイピアはこれで全部なんですが、どういったタイプに?」

 その中で一番拵えの美しい物を取ろうとしたキュルケを制し、タバサは口を開いた。

「綺麗じゃなくていい。一番頑丈で切れ味の良いもの。その方が喜ぶ」

 確かにボロボロの剣を選んだ彼ならば実戦性を重視するだろうとキュルケは納得し、店主に頼んだ。
 店主が持ち出したのは拵えこそ他の物と見劣りするものの、磨き抜かれた刀身が美しい一品だった。

「これなんか如何ですかい? うちに置いてあるのは大抵が手を保護すんのにカップ型のが用いられてるんですが、こちらのはスウェプト・ヒルトっていう籠状の護指のやつです。
 手を保護するだけじゃなく、相手の得物を絡め取るのにも使えますぜ。まあ素早い動きで攻撃するような相手の得物を絡めとれる奴なんざそうはいませんがね」
「それをいただくわ」
「エキュー金貨で二百、新金貨で二百五十になりやす」

 真っ当な大剣の値段が二百であるため、他と比べればかなり値の張る代物なのだが、キュルケはさらさらと小切手を書くとテーブルに叩き付けた。

「毎度。ありがとうございやした」

 笑顔で答える店主を後に、二人は城下町を出た。

「でも驚いたわ。まさか貴女が口を挟むなんて」
「興味があった」

 それが何に対する興味かを彼女が口にすることなく、二人は魔法学院へと戻っていった。


     ◇


 ちなみに以下のことは蛇足でしかないのだが。
 キュルケの部屋から落下していった男子生徒は翌朝、犬神家よろしくな姿で黒焦げになって発見されたが、よほど恐ろしい目に遭ったことが原因か一種の記憶障害を起こしており、昨夜のことは全く覚えていなかったという。





    ×××


※誤字修正しました。報告して頂いた小弓公方様、誠にありがとうございます。
 (11/2/15)



[5086] 006※加筆修正済(10/7/29)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2010/07/29 17:18
『土くれ』の二つ名で呼ばれ、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れているメイジの盗賊がいる。土くれのフーケだ。
 フーケは北の貴族の屋敷に宝石が鏤められたミスリルのティアラがあると耳にすれば、早速忍び込んでこれを頂戴し、南の貴族の別荘に、先帝から賜りし家宝の杖があると知れば、別荘を破壊してこれを頂戴し、東の貴族の豪邸に、アルビオンの細工師が腕によりをかけて作った真珠の指輪があると聞けば、一も二もなく頂戴するといった神出鬼没にしてメイジの大怪盗であった。
 フーケの盗み方はその場に応じて手段を変えるために行動が読めず、トリステインの治安を預かる王室衛士隊の魔法衛士たちも振り回されている。
 しかしフーケには盗みに対しての唯一といっていいほどの共通の手段があった。
 フーケは主に自身の仕事の際に『錬金』を使う。『錬金』の呪文で扉や壁を砂や粘土に変えそこから内部へと潜入するのである。
 貴族とてバカではないため、屋敷の壁や扉に強力なメイジに依頼して掛けられた『固定化』の魔法で守られている。
『固定化』の呪文は物質の酸化や腐敗を防ぎ、あらゆる化学変化から保護することでその姿を永遠に保ち、さらには『錬金』の呪文からも守る効力を持つ。
 しかしフーケの魔力は、『固定化』をかけたメイジの魔力を上回っており、フーケの『錬金』はメイジたちの魔法をたやすく突破してしまう。フーケの『土くれ』の二つ名はそれ故に付けられたものである。
 また、その人物は時に身の丈三十メートルもの巨大なゴーレムを使うことでも知られており、警備についていた者達すら薙ぎ払って強奪するのであった。
 分かっているのは、土系統のトライアングルクラスだろうということ。
 そして犯行現場の壁に、『秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』というふざけたサインを残していくこと。
 そして……所謂マジックアイテム……、強力な魔法が付与された数々の高名なお宝が何より好きということだけだった。


     ◇


 眩い双月の月光の下、長髪を夜風になびかせる一人の人影があった。
 名を土くれのフーケ。トリステインの国中の貴族を恐怖に陥れた怪盗である。

「流石は魔法学院本塔の壁ね……。物理的衝撃が弱点? 冗談じゃない! こんなに分厚いんじゃ、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないか!」

 足に返る振動を基に壁の厚さを測っている。
『土』系統のエキスパートであるフーケにしてみれば、そんなことは雑作もない。

「確かに、『固定化』の魔法以外は掛かってないみたいだけど……、これじゃ私のゴーレムでも壊せそうにないね……」

 ここの『固定化』の呪文は自身の『錬金』では歯が立たない。しかし……。

「だけど……、『破壊の杖』を諦める訳には、いかないね」

 腕組みをしたまま、その人物は自らの思考に埋没していった。


     ◇


 さて。少しばかり時間を遡ること数刻、夕暮れに差し掛かった頃にルイズと北澤直也は学院へと戻ってきた。

「おや? ナオヤじゃないか」
「ギーシュ? 何でここに……ってそうか学園なんだから居て当然か」

 話しかけようとしていた矢先、彼の顔を見てルイズは愕然とした。それも当然で彼の顔は首から上が包帯でぐるぐる巻きにされていたからだ。

「あんた……。その顔どうしたのよ」
「いや、ナオヤに言われて迷惑を掛けた三人に謝ってきたんだ。中々決心がつかなくて、今日ようやく謝りに行ったよ。幸いにもシエスタという子は快く許してくれたんだが、二人の方はご立腹でね。
 偶然一緒に居たみたいだったから、丁度良いと思って頭を下げたんだが……返礼は両頬へのストレートだったよ。二人の話ではこれで手打ちとのことだったんだが、どうやら頬骨が砕けていたらしくてね。医務室で水魔法を掛けてもらったんだが、今日一日はこれを取るなと言われたよ」

 心底憐れむようにルイズはギーシュを見たが、それに対して北澤直也の方は涼しい顔をしていた。

「その程度で済んだんだから良い方だよ」
「待ってくれ! 先程の話だと一発で終わったように聞こえただろうが、ボクは骨が砕けるまで何度も立ち上がらされて殴られたんだぞ! それも、完全に砕けるま……いたッ!」
「大声なんか上げるからだ。それと言っておくがな、俺が以前居たところでは浮気した男がこの学院の最上階くらいの高さの塔から蹴り落とされたぞ……命綱もなく」

 彼の話を聞いた二人は完璧に固まった。ついでに時も止まった。

「あれは悲惨だった。泣きながら命乞いをする男に、〝乙女の心を踏みにじる者は万死に値する〟との言い分でね。情け容赦なく、まるでボールでも蹴るかのような自然さで蹴り落としたんだ。もしあの惨劇を見た後にこの世で一番恐ろしい生き物は何かと問われれば間違いなく女性を選ぶだろうな。それほどにあの時の二人の顔はヤバかった。
 男の方は一命を取り留めたが全治三年の重症だ。生きてる方が不思議なくらいの歪なオブジェになってたよ」
「……確かに、ボクは運が良いな」

 心底納得するようなギーシュの発言に、ルイズは相槌を打った。
 当然の疑問ではあるが何故彼がそこに居たのかと言うと、実はその男が懲りもせずに告白してきた三人目が彼で、その直後女性陣と鉢合わせた為である。
 ちなみにこの男、駆け付けた救急車によって病院まで運ばれ集中治療室で完全に眠るまでの間ですら出血するのを気にも止めず看護婦や女医さんを口説くという豪傑であった。
 無論、噂という物はすぐに広がるもので当然の如く女性陣に殺されかけつつも不死鳥のごとく復活し、再トライするというある種の化け物であったために彼の記憶に深く刻み込まれることとなった。
 女性に間違えられたのと男からの告白は、思い出したくもない記憶ではあるが。

 
     Side-Naoya

 
 これは今どういう状況なんだろうか? 取り敢えず現状を確認する。
 あの後、ギーシュとの雑談のさ中に、突然キュルケと、青い髪の少女(まだ本人から名前を聞いていないが)タバサが自分たちの前に現れ、話があるとのことでギーシュも含めた(女子寮ではあったが本人から許可を得て)全員でルイズの部屋へと行くことになったのだが……。
 何というか、目の前で不毛としか言い様のない争いが行われていた。

「どういう意味? ツェルプストー」
「だから彼に剣をプレゼントしに来たって言ってるじゃない」

 これである。どういう意図かは判らないが、キュルケは俺に剣をくれるらしい。
 それだけなら問題は無いのだが、こうも見えない火花が飛び交っている状況では身動きすら取れない。ギーシュの方はというと二人の圧力に耐え切れずに部屋の隅で縮こまっている。
 次第に口論が激しくなっていき、お互いが杖に手を掛けたところで第三者によって杖が弾き飛ばされた。

「室内」

 ベッドの上で本を読んでいた少女は、そう呟くと再び本に目を落とした。どうやら先程の行為は彼女のものらしい。

「ありがとう。そういえばまだ自己紹介をしてなかったね。俺は北澤直也、君は?」

 名前の方は既にキュルケから聞いていたが、一応ここは本人から訪ねておくべきだろう。彼女はページを捲る手を止めると、わずかな時間をおき、次いでゆっくりと口を開いた。

「タバサ」
「―――それが、君の名でいいのかな?」

 少しの間を置き、彼女は頷く。
 先程の答えに対する僅かな違和感。しかしそれを気にする間もなく、横から物が投げつけられた。

「そもそもあんたの剣でモメてんだから、あんたが決めなさい!」
「怒るのは判らなくもないが、いきなり物を投げつけるのは止めて欲しい。それで何だって?」
「だから貴方の使う剣を、あたしの剣かヴァリエールの剣かどっちにするかってこと」

 キュルケの発言に成程、と頷いた。
 しかし……何故どちらかを選ばなくてはならないのだろうか?

「なあオレって娘っ子が買った剣って事になってるみてえなんだが、オレを選んだのは相棒だし、代金の方も、」

 そこまで言い掛けてデルフは窓の外へとすっ飛んで行った。どうやらルイズが放り投げたらしい。
 断末魔を上げながら窓の外へと落下していく一振りの剣。嗚呼……デルフ、君との付き合いは短かったが、実に楽しかったよ。

「なんて……諦められるか!」

 全力で部屋を飛び出して、階下へと駆け降り中庭へと向かう。冗談ではない。あれ程の名刀、みすみす逃してなるものか。


     Side-out


 所変わって本塔の中庭。土くれのフーケは位置によっては弱い部分もあるのではと地上付近の壁を調査していた頃。

「やっぱりどこも同じか。仕方ないね、取り敢えずは別の作戦を練らないと」

 そう言い踵を返したところで、

「ぎゃあああああああああああ!!!」

 女子寮の方から聞こえてきた声に顔を見上げた。それは剣だった。
 まるで地獄への片道切符を手渡されたかのような断末魔を上げ、落下して行く剣。

「へ? ちょ、待ちな―――って、きゃあああ!」

 それはフーケのかぶっていたローブの先を掠め、地面に深く突き刺さった。

「た、助かったぜ……。悪いな姉ちゃん───て、え?」

 もし彼に顔があったならば、このときの表情は間違いなく絶望一直線の顔だっただろう。それほどまでに目の前の人物の顔は怒りに歪んでいた。

「この土くれのフーケにこんな真似をするなんてねぇ……全身錆びだらけみたいだけど、どうする? 土葬が良いかい? それとも錬金でいっそ土くれに……」
「いやああああああ! お願いです! お願いしますから勘弁して下さい!
 ていうか相棒、助けて────────!!」

 その声を元に駆けつけたのか、それとも偶々運が良かったのか、その場に彼の相棒が辿り着こうとしていた。

「ちっ! こんな時に人が!」

 フーケは近づいてくる足音を聞くや否や、植え込みの方へと身を潜めた。


     ◇


「ようやく見つけた。ん? どうしたんだデルフ。何か震えてるみたいだが?」
「イヤ、落ちたことのショックが抜け落ちてねえだけだ。別に何ともねえよ……」

 実際のところはそうではなく、去り際に言ったフーケの一言が問題だった。

〝喋ったら殺す〟

 極道関係者も真っ青な声でそう言われたのだから、当の本人は気が気ではない。
 もしも身体があればものすごい勢いで痙攣をしていただろうが、今回ばかりは退屈であろうと自分が剣であったことに感謝するデルフであった。

「そこまで必死になるなんて、そんなにその剣が大事?」

 寮から追いついてきた、というよりシルフィードの背に乗ってやってきたキュルケが問う。
 ついでにシルフィードの背に乗ってやってきたのは先程部屋に居た、ギーシュを除く全員である。彼の場合単純に乗り過ごしたのだ。

「俺が選んだんだ。だから、どっちかが死ぬまで相棒だ」
「良い言葉じゃないか。こんな言葉をかけて貰えるなんて剣冥利に限るとボクは思うね」

 肩で息を切らしながらもギーシュが薔薇を手に駆けつけてきた。

「いやぁ、まったくだね。今回の相棒は良いやつだ」
「ところで、あんたどっちの剣にするの?」

 ルイズの声に一同が振り向く。今さら何を言っているんだ、という表情である。
 しかし、このあと彼の口から出た一言は予想の斜め上を行っていた。

「そうだな。一応見せてもらおうか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。さっき死ぬまで相棒って……」
「一つの武器しか使わないなんて誰が言ったんだ? 武器を用途によって使い分けるのは基本だろう」

 その言葉にキュルケとタバサを除く一同は愕然とした。要は自分は使えるものなら何でも使うと言っているのである。

「さすがダーリンね!」
「戦闘者」

 声をあげたのはキュルケとタバサだ。キュルケが先程からもっていたレイピアを手渡す。鞘から剣を引き抜き、刀身を確認すると確かに良いものだと頷いた。

「装飾を排した実戦型か……、レイピアにしては珍しいな。キュルケが選んだのか?」
「実戦向きの物を指定したのはこの子よ。気に入って頂けた?」

 タバサの頭を撫でつつキュルケはウインクした。しかし忘れてはならない。ここには現在、桃色の悪魔がいる事を。

「あんた、何だってキュルケなんかの物を使うっていうのよ」

 悪鬼だ。そう思わせるほどに今のルイズは怖かった。だがそんなルイズに対して引くこともなくキュルケは言い放つ。

「嫉妬はみっともないわよ? ヴァリエール」
「嫉妬!? やめてよね! いい機会だから言わせてもらうけど、あんたのこと、大っ嫌いなのよ!」
「気が合うわね」

 お互いが睨み合い、竜虎相対するかのような図が浮かぶ。

「「決闘よ!」」
「止めておけ。こんなことで怪我をしても仕方ないだろう」

 同時に叫んだ二人に対して直也は止めに入った。二人はお互いの杖を引く。

「確かに、怪我するのもバカらしいわね」
「そうね」

 お互いが頷き合う。しかし怒りが未だに燻っているのか、睨み合ったままだ。
 どうしたものかと北澤直也が考えている途中、タバサが二人の間に入り、何やら呟いた。
 彼女の言葉にお互いが納得し、こちらを見る。彼は自身の内の警報に心の中で頷き、仕方がないか、と呟いた。


     Side-Naoya


「ある程度の覚悟はしてたんだが。本気でこんなことをするとは……」

 地面が遠いな、と俺は思う。落ちたら潰れたトマト的にグシャっとなる自分がリアルに想像できた。正直嫌だ。
 現在自分は吊るされている。それも本塔の五階に。
 あの浮気した男も落とされる直前はこんな心境だったのだろうかと考えつつ、俺は辺りを見回すと塔の屋上では風竜に跨ったタバサが見えた。
 俺の剣とキュルケが買ってきた剣は彼女の風竜――シルフィードというらしい――が咥えている。
 地上の方ではキュルケとルイズがルール確認をしていた。ちなみに立会人はギーシュだ。どうやら引っ込みがつかなくなったらしい。

「いいこと? ヴァリエール。あのロープを切って、ナオヤを地面に落としたほうが勝ちよ。
 勝ったほうの剣をナオヤが使う。いいわね?」
「わかったわ」
「使う魔法は自由。ただし、あたしは後攻。そのぐらいはハンデよ」

 ここからでは全く聞こえないが、横に居たギーシュが身振り手振りで教えてくれた。さり気に同情の眼差しも送っている。
 成程、先にロープを切ったほうが勝ちか。確かに安全、な訳あるか!
 いや、確かに予想できたルール内容ではあるが、だからって本気か!? そんなにトマトソースが見たいのか、お前たちは!!
 俺の心の絶叫もやはり意味は無く、真剣な杖を振るルイズさん。直後、何かが来るということも分からず俺のすぐ横で爆発が巻き起こった。本塔の壁には罅が入っている。
 もし直撃したらトマトソースところか挽肉だ。一言言わせて欲しい。というか言わせてもらう。

「殺す気ですか! そんなに俺が憎いですか、ルイズさん!!」

 叫んだ俺の言葉に対してルイズが言ったのは、ちょっと狙いがずれただけ、とのこと。いや、こういうのは本当にやめて下さい。
 次は自分の番だと言わんばかりに杖を構え、キュルケが火球を放った。
 以前ルイズと一緒に出た授業でやっていた『ファイアーボール』という魔法だ。ネーミングセンスはともかく、威力もそれなりに高いうえに追尾性能も付いているというおまけつき。当然の結果としてロープは焼き切れ俺は落下する。
 あぁ……人生のエンドロールが頭の中で流れてゆく。死ぬのは別にいいけど、ここまでみっともない死に方は嫌だ。
 ……まあ結局は、シルフィードに跨ったタバサに助けて頂きましたが。


     Side-out


 植え込みから様子を見ていたフーケは唖然としていた。
 当然と言えば当然だ。自分が錬金を掛けようともその壁は崩れ落ちることは無く、攻城用のゴーレムですら傷一つ付けられなかった本塔の壁に罅が入っている。あの魔法は何なのか、という疑問が脳裏を掠めるも、すぐさまそれを思考の隅へと追いやった。
 この機を逃す手は無いと、フーケは長い詠唱と共に地面に杖を振りかざす。大地が蠢き、土くれのフーケの本領が発揮されようとしていた。


     Side-Naoya


「ありがとう。でも、今日助けられてばっかりだな」
「提案者は私。気にしない。それよりもロープを」
「ん? ああ、これなら自力でどうとでもなるよ」

 全身をミノ虫の如く縛られてはいるものの、手首の方はきつめには縛らせていないし、何よりも縛った連中は素人だ。なので手首さえ解ければ後は簡単に縄抜け出来る。

「それよりも、あれは何だ?」

 俺が指差した先にあったのは全長は三十メートルはあるであろう巨大な土人形だ。まっすぐにこちらに向かってきているところから見て、原因は自分たちなんだろうか?

「あれは攻城用のゴーレム。本来は二十メイルほどだけど、あれは少なくとも『トライアングル』クラスのゴーレム」

 そう言いつつ彼女はシルフィードに指示を出し、その場を離れる。
 ゴーレムの狙いはどうやら自分たちではなく本塔の方らしく、罅の入った壁をインパクトの瞬間に拳を鉄に変えて殴っている。

「あの場所に何かあるのか?」
「おそらく、狙いは宝物庫」
「泥棒か。だとすると下手に刺激ぜずに今日のところはお引き取り願うのが賢明だな、学院には明日報告しておけば問題ない」
「判断は適切。いまはキュルケたちを助ける」

 壁から出てくる人影をその目に焼き付けながら、俺たちは地上に居るルイズたちの救助に向かう。
 最後に、もう殆どの形も見えなかったところでゴーレムは崩れ落ち、後には土くれだけが残されていた。


     ×××


あとがき

 ようやく投稿完了です。ここのところ時間が取れなかったため量も質も今回は落ちてますが。
 一巻分はあと二話で終了予定です。でも今月中の投稿はスケジュール上難しそうですが……。
 それでも温かく見守ってくれれれば幸いです。


 追記1:主人公が暴行を働いた件に関してやりすぎとの意見がありましたが、彼が手を出したのは得物を抜くという行為が最大の要因だったのですが、確かにあの発言では馬鹿にされたために手を出したという意味合いの方が強くなってしまったようです。
     ちなみに彼が精神的に未熟な子供との意見に関しては正しいです。以前彼を大人と表記してしまったのは作者のミスです。彼は決して大人ではありません。訂正とともにこの場でのお詫びを申し上げます。

 追記2:コメントで盗作ではないかという意見があり、タイトルの挙げられた二作を確認しましたが、確かに試し切りとただで貰うという点が同じでした。
     実際のところこの話を書くにあたって以前から感想を書いていた作者を除き、影響されないよう二次創作作品を読むのを控えていたのが裏目に出てしまったようです。
     これからは出来るだけ他の方々の作品にも目を通し、被らないようにして行こうと思っていますが、流石に全ての作品を読み切るのは不可能ですし、分岐点に関しては変更ができませんので、そういった点に関してはご了承願えれば幸いです。
     最後にこれだけは皆さんにご理解いただきたいのですが、作者は盗作行為をしようとは思いませんし、したいとも思いません。これは他の作者諸兄に対し失礼ですし、作者自身そういった行為をして書いたとしても、物語を書く上でまったく面白くはないからです。
     図々しい物言いになってしまいましたが、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。
     



[5086] 007※加筆修正済(10/8/5)◆◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2010/08/05 19:43
 翌朝、当然のことながら学院は慌ただしく……というよりも殆ど無意味な会話だった。
 たかが盗賊に何をしていただの、警邏は何をしていただのと言った声が聞こえてくる中で北澤直也は壁に背を預けつつ様子を見ていた。
 彼がここに着た原因は言わずもがな昨日の泥棒騒ぎの一件であり、宝物庫の中の秘宝が盗まれ、壁には『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』と書かれていた。
 しかし彼にとってそれは関わる必要のない一件である以上、泥棒に関して持ちうる情報をさっさと伝えて帰るつもりだった。
 本心を言うのならば責任をなすり付け合うような汚い大人の空間には居たくない、というのが表情からも窺える。尤も、それはこの場に居た生徒一同も口にはせずとも内心では同意見だっただろう。
 本来ならばルイズたちに任せて此処を去るという選択肢もあったのだが、それ以上に彼の引きつけるものがあるとするならば、それはこの宝物庫とは名ばかりの武器庫の他ならない。
『爆発物』と焼印の押された木箱から覗くのは戦中、戦後を合わせた各種手榴弾やC4、セムステックスといった高性能爆薬を始め、銃火器においてはMP5といったメジャーなものからジャックハンマーといったマイナーなものまで散乱している。
 しかもそれらが訳の判らない名前で記載されている辺りが彼の興味を尽きさせぬ原因となっていた。
 無論、武器に限らず日常にありふれた生活用品まで揃っている辺り意図して置いていないことが窺えるが。
 だがそんな探索もやがて一人の男性教諭が叫んだ言葉にかき消された。

「ミセス・シュヴルーズ! 当直は貴女なのではありませんか!」
「も、申し訳ありません……」
「泣いたところで、秘宝は戻って来ません! それとも貴女は『破壊の杖』を弁償できるのですかな!」
「わたくし、家を建てたばかりで……」

 ミセス・シュヴルーズが床に崩れ落ちた時、深く皺が刻まれ、静かな足取りでこの場に踏み入ったその老人を彼は見入る。
 如何に探ろうとも、どういう訳かこの老人の底は見えない。本来の彼ならば物腰一つ取っても判断材料となり得るのだが、単純な強弱すら掴めぬとあっては警戒を自然と強めざるを得ない。
 そう、それはかつて彼の師がそうであった時のように。

「これこれ。女性を苛めるものではない」

 おそらくは学院長であろうその老人は、さも意味ありげに彼を一瞥すると目の前に居た男性教諭を宥め始めた。

「しかしオールド・オスマン! ミセス・シュヴルーズは当直なのに、自室で寝ていたのですぞ! 責任は彼女にあります!」

 口角泡を飛ばしながら叫ぶ教諭に対し、オールド・オスマンは教諭をじっと見つめた。

「ミスタ……、何だっけ?」
「ギトーです! お忘れですか!」
「そうそう、ギトー君。そんな名前じゃったな。君はどうも怒りっぽくていかん。
 さて。この中でまともに当直をしておった、もしくは当直をしたことのある教師は何人おられるのかな?」

 教師たちはお互いの顔を見合わせると、恥ずかしそうに顔を伏せる。名乗り出る者はいなかった。

「これが現実じゃ、責任があるとするなら、我々全員じゃ。この中の誰もが……もちろん、私も含めてじゃが、まさかこの学院が賊に襲われれるなぞ、夢にも思っていなかった。ここにおるのは、殆どがメイジじゃからな。
 誰が好き好んで虎の巣に飛び込むのかっちゅうわけじゃ。しかし、それは間違いじゃった」

 オールド・オスマンは壁の穴を見つめた。

「この通り。賊は大胆にも忍び込み、『破壊の杖』を奪っていきよった。つまり我々は、油断していたのじゃ。責任があるといえば、我ら全員にあるといわねばなるまい」
「オールド・オスマン、貴方の慈悲の御心に感謝いたします! わたくしは貴方をこれから父と呼ぶことにします!」
「ええのじゃミセス……」
「わたくしのお尻でよかったら! そりゃもう! いくらでも! はい!」
「で、犯行の現場を見ていたのは誰だね?」

 場を和ませるにしてもこの行動は間違いであったと気付くオスマン氏は後ろに立っていたコルベールに問うと、コルベールは北澤直也を含めた五人を指差した。

「ふむ……、君たちか」

 オールド・オスマンは先程の冗談めいた顔つきから一変し、彼らを見つめる。
 爪や牙を隠す者がこの学院においては少なくないのだと北澤直也は悟った。

「詳しく説明したまえ」

 ルイズが進み出て、見たそのままを述べる。

「あの……、大きなゴーレムが現れて、ここの壁を壊したんです。肩に乗っていた黒いローブのメイジがこの宝物庫から何かを……、その『破壊の杖』だと思いますけど……盗み出したあと、またゴーレムの肩に乗りました。
 ゴーレムは城壁を越えて歩き出して……、最後には崩れて土になって、後には……土しか残っていませんでした。メイジは、影も形もなくなっていました」
「後を追おうにも、手がかり無しという訳か」

 それからオールド・オスマンは、気付いたようにコルベールに尋ねた。

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」
「それがその……、朝から姿が見えませんで」
「この非常時に、一体どこに行ったのじゃ」

 噂をすればといった風に緑の髪をなびかせた女性が部屋へと踏み込む。

「ミス・ロングビル! 何処へ行っていたんですか!」

 捲し立てるコルベール先生に対し頭を下げ、ミス・ロングビルはオスマン氏に告げる。

「申し訳ありません。朝から急いで調査をしておりましたの」
「調査?」
「今朝方、起きだしてみたら大騒ぎじゃありませんか。そして宝物庫はこのとおり。
 すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を騒がせている大怪盗の仕業と知り、すぐに調査をいたしました」

〝やけに肯定的な発言だな〟

 その発言に内心欺瞞を感じつつ北澤直也はこの場を静観する。

「仕事が早いの、ミス・ロングビル。で、結果は?」
「フーケの居所が判りました。近在の農民に聞き込んだところ、今朝早くに近くの森の廃屋の方へと消えた黒ずくめのローブの男を見たそうです。おそらく彼がフーケで、廃屋はフーケの隠れ家なのではないかと」
「その廃屋は近いのかね?」
「はい。徒歩で半日、馬で四時間といったところでしょうか」
「すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」
「馬鹿者! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! その上……、身にかかる火の粉を己で払えぬようで何が貴族じゃ! 魔法学院の宝が盗まれた、これは魔法学院の問題じゃ! 当然我らで解決する!
 では、捜索隊を編成する。我こそと思う者は、杖を掲げよ」

 誰もが顔を見合わせるばかりだった。
 尤も北澤直也からして見れば人任せにせずともオスマン氏とコルベールがいれは事足りるのではという考えがあったが。

「おらんのか? どうした! フーケを捕まえて、名を上げようと思う貴族はおらんのか!」

 しかしそんな状況下で杖を上げる一人に彼は頭を抱えた。ルイズのプライドの高さは理解していたが、何もこんなところで発起せずとも良いだろうに。

「ミス・ヴァリエール!?」
「何をしているのです! 貴女は生徒ではありませんか! ここは教師に任せて……」
「誰も掲げないじゃないですか」

 驚いたようにミセス・シュヴルーズが声をあげるも、その光景を見てキュルケも、しぶしぶと杖を掲げた。

「ツェルプストー! きみは生徒じゃないか!」
「ふん。ヴァリエールには負けられませんわ」

 そして、タバサも同じように杖を掲げていた。
 だが北澤直也にとってこの行為にはやめて欲しかったという思いがあった。確かにこの中ではコルベール並みに腕が立つ者がいるのは初日で知っている。だが、だからと言ってこういった場所には来てほしくないというのが目撃者全員に対する彼の本音だった。

「タバサ。あんたはいいのよ、関係ないんだから」
「心配」

 キュルケは感動した面持ちで、ルイズも唇を噛み締めて、それぞれタバサにお礼を言った。

「「ありがとう……。タバサ……」」
「ボクも志願します。オールド・オスマン」

 最後に杖を掲げたのはギーシュだ。どういった意図があるのかは定かではないが、彼には彼なりの考えがあるらしい。

「そうか。では、頼むとしようか」
「オールド・オスマン! 私は反対です! 生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」
「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルーズ」
「い、いえ……、私は体調がすぐれませんので……」
「彼女たちは敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いているが?」

 教師たちは一斉にタバサを見つめてた。

「本当なの? タバサ」

 キュルケも知らなかったのか驚いていた。シュヴァリエとは王室から与えられるものとしては最下級であるが、領地を買うことで手に入れられる爵位ではなく、純粋な実力のみに置いて手に入るものだ。彼女ほど若い者がそう安々と手に入れられる訳ではない。
 オールド・オスマンはそれからキュルケを見ながら喋り始めた。

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法もかなり強力であると聞いているが?」

 キュルケが得意げに髪をかきあげる。
 次いで語られたのはギーシュだ。一名飛ばされたが、まあ触れないでおこう。

「ギーシュ・ド・グラモンは、グラモン元帥の息子であり、その錬金の腕前は中々のものであると聞いておるが?」

 そして最後は彼の主人たるルイズであるが、正直なところ言葉に詰まっていた

「その……、ミス・ヴァリエールは、数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望な貴族と聞いているが?
 しかもその使い魔は! 平民ながらあのグラモン元帥の息子である、ギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが」
「そうですぞ! なにせ、彼はガンダー……」

 オールド・オスマンが、慌ててコルベール先生の口を塞ぐ。彼にとってはそれ自体が既に知り得ているものだが、公言はしておきたくは無いといったところなのだろう。

「むぐ! はぁ! いえ、なんでもありません、はい!」
「この四人に勝てるという者がいるのならば、前に一歩出たまえ」

 四人という発言に、彼がルイズの使い魔だから数に入っていないことを彼は切に祈るばかりだった。

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 四人は直立すると『杖にかけて!』と唱和し、恭しく一礼した。
 無論、北澤直也は一礼などしない。この一件に賭けるべき誇りや、命などありはしないのだから。

「では、馬車を用意しよう。なに、魔法は目的地まで温存したまえ。ミス・ロングビル、彼女たちを手伝ってやってくれ」
「もとより、そのつもりですわ」

 そうして一行は、広場へと歩いて行った。


     Side-Naoya


 現在、俺たちは馬車へと乗って向かっていた。馬車と言えば屋根付きの豪華なものを想像してしまうかもしれないが、それは本来貴族の方々が乗っていたものであり、一般の人たちが乗る様な馬車はいま自分たちが乗っているような屋根のないものが主流なのだ。
 もっとも、この知識自体が俺の居た世界の物なのでこちらに通用するとは限らないが。
 この馬車を選んだのは万が一敵から奇襲を受けた時の為という理由からである。
 キュルケが、御者を買って出ていたミス・ロングビルに話しかける。

「ミス・ロングビル、手綱なんて付き人にやらせればいいじゃないですか」

 話しかけられたミス・ロングビルは微笑みながら答えた。

「いいのです。わたくしは、貴族の名を無くした者ですから」

 キュルケはきょとんとした顔になった。

「貴女はオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」
「ええ、でも、オスマン氏は貴族や平民ということ、あまり拘らないお方です」

 まったく。のらりくらりとしているようで芯の方はしっかりと通っているな、あのご老体は。

「差し支えなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 あまり話したくないことなのか、ミス・ロングビルは笑顔を向けたままだった。
 ただ、その瞳は―――何度も、見たことのある目で。とても……悲しそうな目だった。

「いいじゃないの。教えてくださいな」
「止めておけ」

 知らず、そんな言葉が口から出ていた。俺の声に驚いたのか、全員がこちらを見つめる。
 人は、誰しもが幸福という訳ではない。傷だらけになって、それでも前に進んで行かなくてはならない。生きていく中で付けられた傷はその人だけの物だ。だから。

「そんな風に他人の傷に触れるようなことはしてはいけない」
「貴方にも、そのような傷が?」

 ミス・ロングビルが訊ねる。しかし、俺はそれには答えることはできない。もしもそれに答えてしまえば、自分という仮面が崩れてしまいそうだから。

「そんなことよりも、俺は貴女に訊きたいことがあります。
 ―――貴女には、大切なモノはありますか?」

 しばらくの間ミス・ロングビルは黙っていたが、にっこりと笑いながら答えた。

「ええ。一つだけですけど」

 それは嘘偽りのない言葉。本当にその一つの為に生きてゆく人の顔だった。

「大切にしているんですね。なら、一つ約束をしてください」
「なんです?」
「その一つを守り続けてください。どんな時であっても、決して後悔のないように。
 ―――失ってからでは、あまりにも遅すぎますから」
「判りました。約束します」

 ありがとう、と俺は静かに呟き、視線をデルフへと戻した。
 キュルケの方も自分に非があることへの自覚があったのか、足を組んで景色を眺めていた。

「それにしても、君という奴は本当に達観してるね。誇りについて語ったり、他人の痛みに敏感だったり」
「そうでもないさ。それより、何だって君は付いてきたんだ?」

 確かに、といった表情で一同は見た。ギーシュの方はそんな事を気にした素振りもなく口を開く。

「君といれば何かが変わる気がしたんだ。ボクに目指すべき道を教えてくれたからね。
 ルイズから聞いたんだが、君は早朝に鍛錬をしてるんだろ? もしよければボクを鍛えて欲しいくらいだよ」

 その言葉にキュルケは吹いた。否、彼女だけでなくタバサを除く他の面々も笑っている。

「な、なにかね」
「だって、メイジの貴方が剣士のダーリンに教えを請うたって意味無いじゃない」

 一同は揃って頷く。が、俺の返事はそれとは別だ。

「キュルケ。前々から言おうと思っていたが、ダーリンは止めてくれ。それに俺は純粋な剣士じゃない。
 それからギーシュ。さっきの話だけど俺は別にいいぞ」

 俺の答えに再び視線が集まった。よく見れば先程から本に目を通していたタバサもこちらを見ている。

「ほ、本当にいいのかい?」
「その気があれば。内容はそれなりに厳しくするが、止めたくなったら途中で止めても構わない。
 意志なきものを強制したところで意味は無いし、それは君個人の自由だ。俺は魔法のことは授業で聞いた程度しか判らないしね。だから君に覚えさせるのは三つ。
 一つは戦闘において必要な基礎体力。
 二つは戦闘における戦術と、それに伴った戦略。
 そして最後は実戦形式の訓練。
 以上だ。もし途中で抜けてしまえば中途半端なままだ。これらは全て必要最低限の物だから。全ては君の意思次第だ」
「やるよ」

 ギーシュは力強く頷いた。他の面々は意外そうにこちらをみていたが、本人がその気なら別にいいだろう。
 それに……元帥の息子である以上彼もまた戦場に立つのだろう。理不尽でしかないあの地獄を生き抜くには、鍛えるに越したことは無い。少なくとも血と泥にまみれながら生きようとする精神力位は付けなければ、生き抜く事など出来よう筈もないのだから。

 それよりも今回の泥棒に関しては少しばかり問題が出来てしまった。作戦を変更しないとな。


     ◇


 そうして話しているうちに馬車は深い森へと入っていった。木々の背は高く、日の光すら微かにしか届かぬ場所。光を遮られた空間は仄暗く、一行を鬱蒼とさせた。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 ミスロングビルの提案で全員が馬車から下りることになった。
 辺りを見回しつつ馬車を降りる。どうやら人の気配は無いらしく、先へと続く細い道は不規則に続いている。どこへ続くかも判らない曲がりくねった道。その途中でキュルケが腕を絡めてきた。

「離れてくれ。ここからは遊びじゃない」
「だってー、すごくー、怖いんだものー」

 嘘臭すぎるぞそれ。第一その行為はかえって危険だ、身動きが取れない。

「そう思うなら離れて杖を構えてくれ。いつどこから奇襲が来るか判らないんだからな。
 それとギーシュ、少しいいかな?」

 俺の声に対して後方に居たギーシュが駆け寄ってきた。顔には戸惑いの色が見られる。

「なんだい?」

 こちらに着たギーシュに出来るだけ小さい声で話すよう伝え、俺は質問した。

「フーケを捕まえるにあたって色々と聞きたい事があってね。まず錬金についてなんだが、あれは持続時間に制限はあるか?」
「いや。作るのに精神力は使うが、その後は動かしたりしない限り魔力は消費しないし、壊れるまで存在し続けられるよ」
「じゃあ次の質問なんだが、君はどの程度まで物を似せて作れる? 外見上だけで構わないんだが」
「全く同じものとはいかないけど、ある程度の物は似せて作れるかな」

 成程な、そいつは助かる。

「ちょっと作って貰っていいかな?」
「ああ、構わないが」

 俺は最後尾にいたミス・ロングビルを呼び付けた。

「なんでしょう?」
「いえ、貴女の杖を見せて頂きたいのです。メイジの杖はそれぞれ違うようですので」

 微かな警戒を見せながらもミス・ロングビルは杖を見せてくれた。それをギーシュに記憶させる。

「ありがとうございます。もう戻って頂いて結構ですよ」

 首を傾げつつも後ろへと戻ってゆくミス・ロングビルを見送り、俺はギーシュに向き直る。

「見たか?」
「確かに見たが、あれを作るのかい?」

 そうだ、という俺に対してギーシュは疑問符を浮かべつつ杖を作った。完成した杖は中々の出来栄えで、注視していなければ違いは判らないだろう。

「そんな物を何に使うんだい?」
「後腐れの無いようにするだけだよ」

 そう短く呟き、俺は前へと進んでいった。


     ◇


 道を進んでいくと急に開けた場所へと出た。先程とは違い円を描くかのように周りには木が立っておらず、広場のような感覚を覚えた。その中心には一軒の小屋が建っており、他に目立った物は無い。
 あからさまに怪しい。これは罠ですと言っているようなものだ。
 第一この広場から言って既におかしい。人目を憚るような深い密林でありながら、この空間だけは木が全く生えていない。通常の山小屋でもこういった場所は見られるが、ここまで大きな広場は不自然極まりない。
 この状況下で考えられるのは、山小屋に入ったところでゴーレムを作り小屋ごと一網打尽にするといったところか。
 敢えて例えるならハウス型のゴキブリホイホイ。中に入ったが最期、俺たちはゴミ箱という墓場へ直行するのである。
 まあ、そこまで想像していてもやることは一つなのだが。
 廃屋から死角となっている茂みに身を潜め、作戦会議を開く。ミス・ロングビルの話によればあそこが隠れ家らしいのだが、はっきり言ってそれは無理がある。
 が、それをここで口に出すわけにはいかない。作戦は俺の中で進んでいるのだから。

「取り敢えず偵察兼囮はこちらで引き受けよう。だが、問題はその後だ。フーケが居た場合は小屋から引きずり出して魔法を浴びせれば事足りるし、俺が内部で仕留めるという手もある。
 もしフーケがいなかった場合、中に宝があったとしてそれを確認できる者と、小屋の中での戦闘に支障をきたさない人員が必要になるのだが」

 まず第一に名のりをあげたのはキュルケ、次いでタバサだ。
 妥当な選択だな。

「ギーシュはルイズと一緒に辺りの監視をお願いしたい」

 俺の言葉に二人は頷く。辺りに人がいないかを確認し、俺は小屋のへと進むと窓から中を覗き込む。こういった場合、鏡を使った方が気付かれにくいのだが、中に居ないのは判り切っているので必要ない。
 誰も居ないことを手振りで伝えると、キュルケとタバサがこちらへ駆けつけた。

「罠は無いみたい」

 タバサが杖を振って確認する。俺の方も魔法以外の罠が無いかを確認し、内部へと入っていった。
 遠くでミス・ロングビルが偵察に行ってきますと言ったのが聞こえた。ここからが本番だな。
 小屋の中からは生活していたらしい痕跡は見当たらない。床はおろかテーブルや椅子にすら埃が積もっており、足跡一つもない。
 やがてタバサがチェストの下から何かを見つけたらしく、俺達に見えるように掲げて見せた。

「破壊の杖」

 いや、タバサ。君の持っているそれは……

「きゃああああああ!」
「なあああぁぁぁぁ!」

 ……聞こえてくるのは絹を裂くような女の声と男の声。いや、男で絹を裂くようなという表現は如何な物かと思うが、事実そうなのだから仕方ない。
 状況を確かめようとするも、次の瞬間には小屋の屋根が吹き飛んだ。見上げた先に居たゴーレムは仁王に立ってこちらを見下ろしている。
 いち早く対応したのはタバサだ。詠唱の完了と共に自身の身長よりも巨大な杖を振り、竜巻はゴーレムを打ち倒さんと放たれる。
 魔法という名の神秘。こちらに来て初めて目の当たりにするであろう彼女の一撃はしかし、目の前のゴーレムに届くことは無かった。
 胸部に多少の傷を負わせるも意味はなし。キュルケも負け劣らずの一撃を放つが、やはり表面を多少焦がすだけでダメージは無かった。そのくせゴーレムの材料は無限にあるのだから厄介なことこの上ない。

「壊れても修復できる訳か。一旦引くことを提案するが?」
「賛成!」
「退却」

 さて、二人の後で俺も小屋から離れた訳だが問題なのはルイズの方だ。何せギーシュの制止も聞かずにゴーレムの背後から攻撃を仕掛けているんだからな。

「何をしている! ここは一旦引け!」
「いやよ! あいつを捕まえれば、もう誰も私を、ゼロのルイズとは呼ばないでしょ!」
「宝はタバサ達が持っている。無理に戦おうとするな!」
「あんた言ったじゃない。ギーシュと戦う前に、勝ち負けじゃなくて誇りの為に戦うって!
 誇りならある……。私は貴族よ。魔法が使えるものを、貴族と呼ぶんじゃない。敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 確かにその意志は認めてやる。俺だって逃げ出したりはしない。だけどな、

「そういう事は、周りが見えるようになってから言え!」

 既にゴーレムは目標を変えている。腰に下げた剣を抜き、ルイズの元へ駆けだす。
 間に合うかは五分だったが、ルイズの傍に居たギーシュが機転を利かせ、ワルキューレを出したのが救いだった。
 時間稼ぎにもならなかったが、自身への攻撃を仕掛けたワルキューレに目標を切り替えてくれたおかげで、ルイズたちを安全圏まで退避させることが出来たのだから。

「流石に二人も運ぶのはきついな。助かったよギーシュ、お蔭で主人が死なずに済んだ」
「何。結果的にボクも助けられたんだ、お互いさまさ」

 さて……。と、ルイズに向き直り、胸倉を掴む。

「いい加減にしろ! お前のは誇りでも何でもない。ただの自尊心だろう……!」
「だって、悔しくて……、私、いっつも、バカにされて……」

 泣くなら前に進めとは確かに言った。だけどな、他人に認められたいがための行動だけはするな。

「俺は言ったはずだ、自身の価値を見出せと」

 そういう中ですらゴーレムはこちらに迫ってきている。もう少し空気を読んでもらいたいものだと思いつつ、俺とギーシュはその場を離脱した。

「乗って!」

 シルフィードに跨ったタバサが叫んだ。どうやら救出に来てくれたらしい。

「うちの主人を頼む」

 抱え込んだルイズを押し上げ、キュルケに手渡す。

「貴方も、早く!」

 タバサ。君でも焦る事ってあるんだな、とこんな状況だというのにどうでもいいことが頭に浮かぶ。

「俺はいい。ギーシュ、お前は、」
「ボクも構わない。行ってくれ!」

 タバサはしばらく俺を見ていたが、敵のゴーレムが近づいてきてやむなく上空へと移動した。
 完全にシルフィードが敵の間合いから外れたことを確認し、ゴーレムの正面へと向き直る。

「良かったのか? 逃げなくて」
「レディが危機に瀕している中で、逃げられる訳がないだろう」

 それもそうだ、と笑いつつ手にしていたレイピアを鞘に納めると、両手に黒革の手袋を填め、肩に下げたデルフを抜き払う。

「さあデルフ、初仕事だ。せいぜい派手に暴れてくれ」
「分かってるぜ。しっかし相棒って容赦ないねー」
「その件に関しては同感だ。自分の主人にあそこまでする使い魔なんて初めて見たよ」

 こんな状況ですら陰口をたたけるこいつらは大物なのか、それとも鈍いのか。
 両方なんだろうなと思いつつ、目の前の相手を見やった。

「それで、作戦は?」

 ギーシュの言葉と共に俺はにやりと笑ってやった。既に目の前のゴーレムは拳を振りかざしている。

「作戦? そんなもの……、」

 振り下ろされる拳、それだけですら死に至るというのにも関らず、学院でやったようにインパクトの瞬間に鉄に変えてきた。
 数トンはあるであろう土くれの純粋な暴力。それを地面との激突の瞬間に腕に飛び乗ることで回避した。

「君の出来ることを行えば良い! 創造する事こそが君の魔法なのだから」

 その言葉と共に俺はゴーレムの上に駆け上り、肩口まで到達したところで、相手の腕を切り落とす。

「あ、相棒! 落ちる、落ちるって!」
「喚くな! 切り落とした腕を足場に地上ぎりぎりで跳べば問題ない!」

 有言実行。自身の言った通りに俺は跳び、空中から地上に着地する瞬間に相手の足を切り払った。

「おでれーた! すげえな相棒!」
「まだだ! さっさと片付けるぞ!」


     Side-out


「凄いな。彼は……」

 声をあげたのはギーシュだ。彼は先程自分に投げかけられたことを考えていた。
 自身が出来ること。それは『錬金』だ。他のどの魔法よりもうまく扱えるし、なによりそれ以外の魔法は通常の『ドット』と変わらないのだから。
 しかし、一体何をすればいいのか? ワルキューレでは歯が立たないことは判っている。だが、どうすればあのゴーレムに勝てるのか? 錬金に使う土はいくらでもある。この広場全体、そしてあのゴーレムだって……。

「ゴーレム?」

 その言葉にはっとする。何故自分は思い付かなかったのだろうかと歯噛みし、次いで飛び跳ねたい感情が自身を襲った。
あのゴーレムとて土でしかない。だからこそフーケも途中で拳を鉄に変えれたのだから。
 北澤直也は言った。出来ることをしろ、創造こそが自らの魔法なのだと。その言葉が今となってはどんな教師の指摘よりも素晴らしく感じられる。

「ナオヤ! 君は本当に素晴らしいよ! このギーシュ・ド・グラモンは心から君を尊敬する!」

 髪をかきあげ、ギーシュは指揮者のように優雅に杖を振った。ゴーレムの右足が崩れ、元の土くれへと形を変える。

「流石に全体は無理か……。だが、これで反撃への糸口は掴めた!」

 高らかに、自信に満ちた声で、ギーシュはそう叫んだ。


     ◇


「まさか、あのギーシュがここまでやるなんて……」
「気付かせたのは彼、だけど凄い」

 目の前で繰り広げられる戦いをキュルケとタバサは見た。振り上げようとする拳はギーシュが錬金で土くれへと変え、迫り来ようとするものなら北澤直也が剣で斬り払う。
 一緒に戦うのが初めてとは思えないほどに二人の息は合っていた。しかし、

「いつまでたっても再生しちゃうし、このままじゃジリ貧よ!」

 ルイズの言うことは正しい。幾ら切り崩そうとも材料は〝無限〟なのだ。あれを倒すには一撃で粉々に出来るような武器が必要になる。
 タバサはこの現状に対してどうすればいいかを考え、そこで気付いた。

「『破壊の杖』……」

 そうだ。北澤直也はこの杖について何か知っているようだった。その時は何か嫌なもので見るような眼をしていたが。
 彼なら使えるかもしれない、とタバサは考えた。あくまでも可能性でしかなかったが、このままでは戦局は変わらない。

「シルフィード。ここをお願い」

 自身の使い魔にこの場を任せ、『フライ』の魔法で地上へと身を躍らせる。
 この呪文は空を駆けることは出来てもその間は他の呪文を唱えることはできない。それを行うには余りにも凄まじい集中力が必要になるからで、それは彼女にとっても例外ではない。
 ゴーレムは二人に手こずっているようだったので、彼女は難なく着地に成功した。後はこの杖を手渡すだけだ。そしてそれには大した時間はかからなかった。


     Side-Naoya


「なあ相棒。このままじゃ負けもしねえけど、勝てもしねえぞ」

 それは判っている。最悪あれを使うことも計算に入っているんだが……。

「どうやって伝えるべきかな」

 そう言いつつも復元して攻撃してくるゴーレムを避けつつ、斬り崩してゆく。
 ギーシュの方も粘ってはいるが精神力には限界があるし、俺自身、後どれ程持つか……。
 どうしたものかと思いつつ、視界の隅に一人の少女が見えた。どうやらシルフィードから下りて来たのであろう彼女は、こちらを見るや否や駆け寄ろうとしてきた。
 この場に居ては危ないのは向こうも承知の上だろう。何らかの対策をしているから来た筈だ。
 そんな事は判っている。判っている筈なのに……!!

「くっ、どうしてこう落ち着かないんだ……!」

 それがどういった感情からくるのかは分からない。だが────今自分がするべきなのは!
 駆け出す足に力が入る。速い、今までよりずっと速く走る事が出来た。まるで自分が羽根になったような感覚と共に、彼女の傍へと辿り着く。

「これ」

 差し出されるそれを俺は受け取る。渡りに船とはよくぞ言ったものだ。

「ありがとう」

 手渡されたそれの安全ピンを引き抜き、後部のガス噴射口カバーを外すと、点火装置であるインナーチューブをスライドさせ、照門を起こすと同時に肩に担ぎ、フロントサイトをゴーレムに合わせる。
 あれ程の巨体と緩慢な動作であるならば照尺を合わせる必要などない。問題は距離の方で、確かにこの距離ならば間違っても外すことは無いが、同時に安全装置が働いて爆発しない可能性もある。
 だが、迷っている暇は無い。これ以上近づかれれば間違いなく安全装置が作動するし、何よりもこれを届けてくれた少女に危険が及ぶ。

「後ろには立つな。噴射ガスがいく」

 その言葉と共に体を逸らせたのを確認すると、安全装置を外し、上部にあるトリガーを押し込んだ。
 映画で見るようなけたたましい音とは違う、栓抜きのような音と共に六枚のフィンをつけた炸薬炸裂弾頭は白煙を引きながらゴーレムへと命中、信管を作動させ起爆した。
 瞬間、辺りは耳をつんざくような爆音に包まれ、ゴーレムは粉々に砕け散る。
 降り注ぐ土の破片、未だ残された下半身すらも崩壊し最期には土へと還っていく。

「すごい」

 タバサの口から出た一言に俺も頷く。流石は歩兵武装の芸術と言ったところか。

「まさか、こちらに来ても使う事になるとはな」

 ため息をつきつつ、俺はゴーレムのなれの果てを眺めていた。


     ◇


 ようやく作戦の第一段階が完了し、第二段階に移ろうとしたところでシルフィードから下りて来たギーシュやルイズたちが駆け寄ってきた。

「凄いじゃないか! ナオヤ!」
「ホント、すごいわ! やっぱりダーリンね!」 

 歓声を上げるギーシュ達を余所にタバサが呟く。

「フーケはどこ?」
「その件に関しては別に気にしなくてもいいと思うがな。どうしました? ミス・ロングビル」

 俺の持つ武器に手を伸ばしてきたミス・ロングビルはぴたりと手を止めた。

「ああ。確かに学院の物である以上貴女が持っていた方がいいでしょうね」

 戸惑い掛けたミス・ロングビルに役立たずの鉄屑を手渡し、ついでに色々と仕掛ける。
 彼女は俺のことを間抜けな坊やだとでも言わんばかりの顔で見やり、遠のいたところで鉄屑を俺たちに向けた。すでに眼鏡の外された瞳からは、猛禽類のような瞳をのぞかせている。

「ご苦労様」
「どういたしまして、ミス・ロングビル。
 それとも―――土くれのフーケとお呼びいたしましょうか?」

 俺の言葉に一同は驚く。ルイズに至ってはこちらを睨みつつ叫んできた。

「ちょっとナオヤ! あんたどこから気付いてたのよ!」
「宝物庫のところからだ。つまりは最初からという事になるな」

 俺の言葉にルイズたちは唖然としていた。ミス・ロングビル。いや、この場合はフーケの方が適切だろう。彼女は驚いたようにこちらを見つめている。
 そもそもミス・ロングビル……フーケは最初から怪しすぎた。他の人たちが盗賊ふぜいと言っている中でフーケは『国中の貴族を騒がせている大怪盗』と言った。犯罪者を肯定する人間は普通居ないし、それが内部の物ならば尚更だ。
 次に、フーケの説明ではここに来るまでに徒歩で半日、馬で四時間ということだった。朝方の調査では時間的に無理があるが、時間を確認した際に誤差が生じたということも考えられた。しかし時計を見る限りそれも無い。
 村での聞き込み調査も矛盾だらけ。この近辺に村は無かったし、第一、目撃者を残すような盗賊ならこれまでの間にお縄についている。今回に限ってこれほど調査が進むという事はあり得ないのだ。

「はったりって訳じゃなさそうだけど、どうして私だと判ったんだい? そこのバカ剣にでも訊いたのかい?」

 なに……?

「おいデルフ。お前……まさか、最初から犯人について知っていたのか?」
「す……すまねえ。あんまりにも怖かったもんで、それに相棒も何か気付いてたみたいだったから」

 微かに鞘から引き抜かれた状態の剣が震えるような声で話す。こいつへの処遇は今は置いておこう。
 杖を振ろうとするタバサを見やると、フーケは俺と同じように鉄屑を構えた。

「下手な事はしない方が良いよ。私のゴーレムを粉々した時点でこいつの威力は知ってるだろ? 全員、杖と武器を捨てな!」

 やはり杖無しではメイジは魔法を行使できない訳か。これで条件は達成だ。
 タバサ達が杖を捨て、俺もレイピアとデルフを投げた。デルフに関しては少々力が入りすぎてしまい、鍔元までざっくりと地面に突き刺さってしまったが。

「そこの坊や。後ろ腰のナイフもだよ」

 ばれたか。ルイズたちの救出にすら敢えてこっちを使わなかったっていうのに、余計なところだけ鋭いな。別にフェイクだから問題は無いが。
 言われた通りにナイフを投げ捨てると満足そうに頷いた。

「どうして!?」

 ルイズ。疑問を口にするのは判るが、それは少し考えれば判ると思うぞ。

「そうね……そこの坊やなら判るんじゃない?」

 人を解説機みたいに扱うのは止めて欲しいな。まあ良いが。

「その鉄屑の使い方が判らなかったからここまで誘導したんだろう? でなければ、わざわざこんな事は仕掛けない」
「ご名答。使い方が判らなければ宝の持ち腐れだし、内部の人間に使わせるのが一番手っ取り早いもの。それに貴方達の誰かが判らなくても、全員片付けてまた連れてくればいいでしょう?」
「もっともな判断だ。だが計画を急ぎ過ぎたのが裏目に出たな」
「そうね。だけど坊やは詰みを誤った。私に渡さなければこうはならなかったのにね。
 じゃあ、お礼を言うわ。短い間だけど、楽しかった。さよなら」

 そう言いつつフーケはトリガーを押し込む。俺を除く誰もが目を瞑ったが、弾が出ることは無かった。

「どうして!?」

 まったく。俺は最初から判ってたのにその鉄屑を貴女に渡した。これが何を意味するかは判るだろうに……。 

「使い捨ての消耗品なんだよ、鉄屑ってのはそういうことだ」
「なっ!?」

 俺の言葉に対してフーケは鉄屑と化したM72LAWを捨て、杖を構える。しかし、その魔法は発動することは無い。
 懐から取り出した杖でペン回しなんぞ披露してみた。

「その杖はギーシュ作の偽物だ。盗むだけでは芸が無いのでな。鉄屑を手渡す際にすり替えてみたんだが」
「……ダーリンって時々黒いわよね。服の色からしてそうだけど」

 キュルケの言葉に頷く一同。……否定出来ないが不本意だ。

「くっ!」
「動くな! 今動けば首が飛ぶぞ!」

 贋作の杖を捨てて逃げ去ろうとしたフーケが止まる。この言葉は決して脅しではない。現にフーケの首からは微かに血が数滴こぼれ落ちているのだから。

「悪いが、俺が貴女にしたのは杖をすり変えただけじゃない。こいつを首に巻かせてもらった」

 手の操作によって鋼糸へと血が伝い、その存在を顕わにする。声すら上げることが出来ずに固まるフーケに俺は一歩ずつ近づいてゆき、フーケの真横へと立つ。既に鋼糸は解いている。

「――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 俺の言葉に驚いたように振り向くが、その瞬間に頸椎に手刀を叩きこむ。通常ならばこの行為で頸椎からの衝撃が脳へ響き、脳震盪に陥るのだ。
 ……尤も、一歩間違えれば頸椎を損傷させてしまう為、あまりやりたくはないが。
 第二段階は完了、最終段階へと移行するために贋作の杖を拾い上げた。

「仕事は終わりだ。帰ろう、皆で」

 
     ◇


 魔法学院へと戻ったあと学院長は俺たちの報告を聞いていた。

「ふむ……。ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったとはな……。美人だったもので、何の疑いもせずに秘書に採用してしまったんじゃ」
「一体、何処で採用されたんですか?」

 隣に控えたコルベール先生が尋ねた。

「街の居酒屋じゃ。私は客で彼女は給仕をしておったのじゃが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」
「で?」
「おほん。それでも怒らなかったので、秘書にならないかと、誘ってしまった」
「なんで?」
「カァ――ッ!」

 叫ぶな騒々しい。というか今の内容ではそのような剣幕になったところで意味は無いぞ。
 それからこほんと咳をして、真顔になって言う。

「おまけに魔法も使えるというもんでな」
「死んだ方がいいのでは?」

 まったくもってその通りだよ、コルベール先生。

「今思えば、あれも魔法学院に潜り込むためのフーケの手じゃったに違いない。
 居酒屋でくつろぐ私の前に何度もやってきて、愛想よく酒を勧める。
 魔法学院学院長は男前で痺れます、などと媚を売り売り言いおって……。終いにゃ尻を撫でても怒らない。惚れてる? とか思うじゃろ? なあ? ねえ?」

 ふざけんな、クソジジイ。

「そ、そうですな! 美人はただそれだけで、いけない魔法使いですな!」
「その通りじゃ! 君は上手い事を言うな、コルベール君!」

 ……貴方もか、ミスタ・コルベール。

「―――そうだな。そこの色ボケどもはいっそのこと去勢でもすれば、まともになるかもしれんな」

 二人は驚いたようにこちらを見た。既にデルフは鞘から抜かれている。

「ま、待ってくれナオヤ君。このボケジジイはともかく、何故私が!?」
「胸に手を当てて考えろ。どうせ気を引きたい一心で何かばらしたんだろう? 先の言動を見れば判る」
「ちょ、コルベール君! 今の発言は問題じゃぞ! それより君、頼むから鞘に納めてくれ。今後こういった事が無いようにわし、努力するから! なっ!」

 ……まあ、これ位にしておくとするか。こいつらのモノなんぞ見たくないし。

「判りました。次からはこういったことが無いようにして下さい」

 俺の言葉に二人は安堵するようにため息をつき、オールド・オスマンは厳しい顔つきで生徒たちを見た。

「さてと、君たちはよくぞフーケを捕まえ、『破壊の杖』を取り返してきた。フーケは城の衛士に引渡し、そして『破壊の杖』は宝物庫に再び収まった。一件落着じゃ」

 オールド・オスマンは、一人ずつ頭を撫でた。

「君たちへの『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。といっても、ミス・タバサは既に『シュヴァリエ』の爵位を持っているから、精霊勲章の授与を申請しておいた」
「……オールド・オスマン。ナオヤには、何もないんですか?」

 ルイズの問いに彼は残念そうに首を振った。

「残念ながら、彼は貴族ではない」
「構いません。もとより報酬の為に戦った訳ではないのですから」

 それに、こいつらの賞与も取り消しになるだろうしな。
 俺の言葉に頷くとオールド・オスマンぽんぽんと手を打った。

「さて、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。この通り『破壊の杖』も戻ってきたことじゃし、予定通り執り行う。今日の舞踏会の主役は君たちじゃ。用意してきたまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ」

 四人は一礼をすると、ドアへと向かっていった。
 それにあわせて、オールド・オスマンが振り向いた。

「何か、私に聞きたいことがおありのようじゃな」

 俺は頷いた。この世界から抜け出すにしても、あれや宝物庫の存在は異質なものだ。できることなら解決したい。

「言ってごらんなさい。出来るだけ力になろう。君に爵位を授けることは出来んが、せめてものお礼じゃよ」

 そうだな。お茶を濁すような発言をしたところで見透かされるだろうし、正直に言った方が無難か。

「あの『破壊の杖』は、俺が元居た世界の『武器』……いえ、兵器と呼べる代物です」
「ふむ。元居た世界とは?」
「俺は、この世界の人間ではありません。俺はルイズの『召喚』で、この世界に喚びだされました」

 正確には事故だが。何れにせよ変わらない。

「成程、そうじゃったか……」

 目を細めて呟くその姿は、過去に思いを馳せているように感じられた。

「こちらでいうところの『破壊の杖』、あれの正式名称は『M72LAW』ベトナム戦争の頃において米帝の連中が開発した物でしてね。民間人が持つような代物ではありません。出来ればお聞かせ願いたいのですが」

 ため息をつくと共に彼は口を開く。

「あれをくれたのは、私の命の恩人じゃ」
「その人は何処に?」
「死んでしまった。今から、もう三十年も昔の話じゃ」

 ────三十年前か。ベトナム戦争終結が一九七五年、終結頃であれば、多少のズレはあれど時期的には一致するな。
 しかし、そうなるとそいつは戻れなかった訳か。

「三十年前、森を散策していた私は、ワイバーンに襲われた。そこを救ってくれたのが、あの『破壊の杖』の持ち主じゃ。彼はもう一本の『破壊の杖』でワイバーンを吹き飛ばすと、ばったりと倒れおった。
 怪我をしていたため、私は彼を学院へと運び込み、手厚く看護したのじゃが……」
「亡くなったと?」

 彼は頷いた。負傷兵なのか、それともこの世界で傷を負ったのか、どちらにせよ意味は無い。それにオールド・オスマンには悪いが、あの戦争において米軍は全くの関わりもないくせに戦争に介入し、多くの村を焼き払い、略奪と虐殺を行った。
 たとえ恩人だったにせよ、その人物が死んだのも一つの報いと取るべきだろう。

「私は彼が使った一本を彼の墓に埋め、もう一本を『破壊の杖』と名づけ、宝物庫にしまいこんだ。恩人の形見としてな……」

 遠い瞳に映されるのは、その時の姿なのだろう。彼は続けた。

「彼はベッドの上で、死ぬまでうわ言のように繰り返しておった。〝ここは何処だ。元の世界に帰りたい〟とな。きっと彼は、君と同じ世界から来たんじゃろう」
「誰が喚び出したかは?」

 彼は首を振り、呟いた。最後まで分からなかった、と。
 別にそれでも良かった。俺にとっては帰ることは重要ではあるが、未練などとうにないのだから。

「お主のこのルーンじゃが……」
「〝ガンダールヴ〟と描かれていますね」
「知っておるのか! 伝説の使い魔の証を!?」
「ええ。貴方の傍に控えているコルベール先生も既にご存じです」

 その言葉に気まずそうにコルベール先生が前に出てきた。

「本当かね? コルベール君」
「はい。以前彼に学院の案内をした際、このルーンについて知り得た情報を教えて頂きました」

 そうして俺はこのルーンの意味と出典、そして効果を話すと彼は成程、と静かに頷いた。

「その伝説の使い魔〝ガンダールヴ〟は神の左手と呼ばれた始祖ブリミルの使い魔の一人でな、ありとあらゆる〝武器〟を使いこなしたそうじゃ。
『破壊の杖』を扱えたのも、そのお蔭じゃろう。他にも『右手』、『頭脳』、そして『記す事さえはばかれる』者がおるそうなんじゃが……」

 伝説か……。個人には過ぎた力だ。

「そうなるとルイズは伝説のメイジという事になりますが、どう思いますか?」
「すまんが、判らんな。ただ、お主がこちら側にやってきたことと、この印は何らかの関係があるかもしれん」

 ここの責任者でも駄目となると、図書館でもあまり有益な情報は得られないか。まあ前例がないと言っていた以上、予想できた内容ではあったが。

「それともう一つ。宝物庫にあったモノですが、何所で手に入れたか知っていますか?」
「あそこにあるのは異世界から召喚された物を、国が保護の名目で集めたものでな。使い道が判らんのじゃよ。君は知っておるのか?」

 判らない、か……。確かに御上の連中に任せるよりはガラクタのままであった方が良いか。

「ええ。ですが教える気はありませんよ。あれらはその殆どが『破壊の杖』同様、所有者によって害悪を撒き散らすものでしかありません。〝ガンダールヴ〟の事を意図的に隠していた貴方なら判って頂ける筈です」

 知らぬ存ぜぬで通してもいいのだが、この人物に嘘が通じぬ以上腹を割るべきだろう。少なくとも下手に誤魔化すよりも明確な意思を伝えるべきだ。

「無論じゃ。戦争好きの馬鹿どもに渡す気なんぞ毛頭ないわい。そちらの世界の代物なら管理もお願いしたいところなんじゃが、私の一存ではな」
「構いません。元より壊してしまった方が良いものですから」
「此度の件、力になれんですまんの。ただ、これだけは言っておく。私はお主の味方じゃ、ガンダールヴ。よくぞ、恩人の杖を取り戻してくれた。改めて、礼を言おうぞ」

 そう言って抱きしめられた。兵器を取り戻したところで、自分には何の感慨も湧かなかったけれど―――

 ―――お礼なんかよりも、こういった誰かの温かさの方が、自分が戦えてよかったと思えた。例えそれが、俺にとって許せない人間の形見であっても、この人にとっては大切な想い出なのだから。

「お主がどういう理屈で、こっちの世界にやってきたのか、私なりに調べてみるつもりじゃ。しかし……何もわからんでも、恨まんでくれよ。なあに、こっちの世界も住めば都じゃ。嫁さんだって探してやる」
「確かに。ですが、お嫁さんは無理ですかね。俺みたいな人間では、苦労させてしまいますから」

 苦笑しつつ部屋を出ると、静かにドアを閉めた。

 ―――もう、自分に残された時間は僅かなのだから。


     ×××


あとがき

 長らく更新を開けてしまい、申し訳ありません。一応次回で一巻分終了となります。こちらのスケジュール上、あまり多くの時間はとれませんが、できるだけ早く更新できるよう努力していきたいと思っています。

 追記:杖をナイフで切断できるのでしょうか? とのご質問がありましたが、原作ではギーシュを相手に青銅のゴーレムを青銅の剣で切っていましたし、町中のスリが扱う杖はタバサの持つような大きなものではないだろうと考え、切断するという手段を選びました。
    でも現実だったら切るというよりもたたき折るという感じになるでしょうね。主人公が使うナイフは価格こそお手頃で汎用性が高いですが、切れ味そのものはさほど高くはありませんし。

 
 それでは、また次回にお会いしましょう。

誤字脱字、修正しました。ご報告ありがとうございます。(2/28)




[5086] VOL1 008 Epilogue※加筆修正済(10/7/29)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2010/07/29 18:06
 アルヴィーズの食堂の一つ上の階は大きなホールとなっている。どうやらここが『フリッグの舞踏会』の会場らしい。
 まだ始まったばかりなのか、ルイズやタバサたちの姿は見当たらなかった。自分が早く来すぎてしまったことを確認し、テーブルの上の料理を摘まむ。
 別段他にすることはなかったし、食事内容が少しずつ改善されているとはいえ、たまには栄養のあるものを取りたかったというのもある。ちなみに話し相手であるデルフは罰も兼ねて壁の花となってもらうことにした。
 時折相手をしてくれと言っているが敢えて無視する。鞘に完全に押し込まないだけ感謝して欲しいものだ。
 徐々に人が集まりだした頃、刺々しい葉のサラダを取ろうとして、横にいる人と手が触れた。

「すみません―――ってタバサ?」

 目の前の少女はこくりと頷く。そこにいるのは黒いパーティドレスに身を包んだタバサだ。よく見るとキュルケも来ていたらしく、たくさんの男たちに周りを囲まれている。

「これが好きなのか?」

 目の前のサラダを黙々と食べ続ける少女は頷く。俺も少し小皿に取り分け、口に運ぶ。

「苦みが強いけど、風味があって美味しい」
「同志」

 俺の感想にタバサはそう口にする。どうやらこのサラダが好物らしい。名前を聞いたが、ハシバミ草という野菜なんだとか。
 ハシバミ草のサラダを食べ終えた頃。ホールの壮麗な扉が開き、門に控えた呼び出しの衛士がルイズの到着を告げた。
 ルイズは長い桃色がかった髪をバレットにまとめ、ホワイトのパーティドレスに身を包んでいた。肘までの白い手袋は、その高貴さを演出し、胸元の開いたドレスが作りの小さい顔を宝石のように輝かせている。
 主役がそろったことを確認すると、楽士達が流れるように音楽を奏で始める。
 普段馬鹿にしていた生徒たちもルイズの美貌に気づいたらしく次々とダンスの誘いをかけてきた。
 ……都合のいい連中だな。
 目の前の光景に呆れ顔でみていると、手の裾が引っ張られた。

「貴方は?」

 ? 俺がどうかしたのか?

「本来なら貴方も主役」

 確かにな。だけど踊る相手が……居るには居るな。本人が応えてくれるかは別として、誘うのもいいかもしれない。

「では、自分と踊っていただけますか? レディ」

 言葉と共に恭しく一礼すると、彼女はそれに応えるように黙ったまま手を差し伸べてきた。とても小さな、握れば壊れてしまいそうな小さな手。そっと彼女の手を取り、俺たちは並び、ホールの中央へと向かっていった。


     ◇


「とても上手」
「そうかな? お芝居以外で、誰かと踊ったことなんか無かったからさ。そう言って貰えると嬉しい」

 物静かな音楽、ゆったりとした時間の中で、俺は口を開く。

「ありがとう。今日は助けてくれて」

 俺の言葉の意味が判らなかったのか、彼女は首を傾げた。

「『破壊の杖』。もし君が持って来てくれなかったら、危なかったと思う」
「私も助けられた。お互い様」

 でも、初めから心配だからと言って、自分には関係のない筈なのに付いて来てくれた。ゴーレムが暴れている時も、君は駆けつけて来てくれた。
 だから、

「それでも言わせて欲しい。ありがとうって」
「そう」

 短い、あまりにも短い、彼女の言葉。だけどそれだけで自分は満足だった。
 感謝されたい訳じゃない。認めて欲しいわけでもない。

 自分は、ただそれだけを伝えたかったのだから─────。

 ゆったりとした音楽は徐々にペースを上げていき、抑揚のついた内容へと変わってゆくと自然にダンスのペースも上がっていく。
 まるで一つの演劇のよう。お互いが黒の衣装に身を包み、ホールという名の舞台に舞う。
 気付けば周りは踊ることを忘れたかのように、こちらを見ている。ギーシュも、キュルケも、ルイズもその中に居た。
 恥ずかしいと思ったけれど、今はこの時を楽しもう。
 照らし出される双月と蝋燭の明かりが、お互いの顔を幻想的に染めてゆく。俺たちはお互いを見つめ合いながら、音楽が終わるまで舞い続けた。



[5086] VOL2 001 Prologue※加筆修正済(10/8/12)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2010/08/12 23:09
 フリッグの舞踏会が終盤に差し掛かった頃、華やかさとは無縁と言っていい鉄格子の部屋の奥で、一人の女性が指で杖を回していた。中々上手くいかないのか、時折落としては拾い上げ、また同じように回している。

「はぁ……なんだってあんな坊やの世話になっちゃってるんだろうねぇ」

 先程から何度も同じようにため息をついている女性、土くれのフーケがいるのは、実際のところはそう楽天的な対応をとれるような場所ではない。
 チェルノボーグの監獄。城下において最大の警備のなされている監獄であり、脱獄を成功させた者のいないことでも有名な監獄である。
 だというのに彼女は動じることもなく、暇潰しとも取れるこの行為に耽っている。
 それもその筈。彼女は現在、使いなれた自身の杖を持っているのだから。
 これさえあればお得意の錬金で、鉄格子や壁を土くれに変えて逃げ出すことは容易だ。彼女がそうしないのは極力人に見つからないよう、警備の薄い時間帯まで逃げ出さぬように言われたためだ。
 どうして警備の厳重なこの監獄で自身の杖を持つに至ったのか、原因は件の少年にある。
 彼女は瞳を閉じると、昼間の出来事を思い返した。


     ◆


 時間は『破壊の杖』の一件まで遡る。

 フーケは目の前に立つ少年に恐怖していた。適切な情報分析力と、達人と言っても過言ではない体術。そして何よりも恐るべきは暗殺者のような手際の良さ。
 自分は殺される。首に絡み付いた鋼糸は自身の血を掬いあげ、その存在を雄弁に気付かせた。
 歯の根が噛み合わない。微かに震える体を必死に抑え込み、首が切れるのを避けようとする。だが、少年は自身へと近づいてきた。一歩、また一歩。微かに聞こえてくる足音が、自身の死を秒読みしているように感じる。
 やがて、少年は自分の真横に立った。殺されることへの恐怖と自分が少年たちにしたことに対する納得の中、フーケは目を閉じた。しかし、彼女に掛けられたのは意外な言葉だった。

「鋼糸は外してある。逃げられるよう手筈は整えるから、気絶した振りをしろ」

 その言葉に振り向くも、次の瞬間には首筋に手刀を叩き込まれる。
 はっきり言って、振りどころか本気で意識が飛びかけたが文句も言っていられない。どの道自分が捕まるのなら、この少年の言うことを信じるしかないのだ。
 少年は偽物の杖を拾い上げると、気絶の振りをした自身を担ぎ、そのまま馬車の荷台へと放り込んだ。女性に対してこの対応はいかがなものかと思いつつも、黙っておく。
 その後はロープを使って自身を縛りつつ、聞きとれるかどうかも怪しい声で耳打ちした。

「杖はブーツの中に入れておく。偽物もあるし、君の杖は取り上げたことにしておくから怪しまれることは無い」
「それほど検問が甘いとは思えないけどね」

 憮然とした反応に少年はあくまでも事務的に答える。

「安心しろ。連中に手渡す際に気絶手前のやつをもう一回打ち込んでやる。
 流石に足元のおぼつかない奴にそこまではしないだろうさ」
「……こっちの身を考えると安心はできないね。けど、なんだってそんな事をするんだい?」

 それは当然の疑問だ。自分を殺そうとした相手に対して、幾らなんでもその行為は異常過ぎる。少年はため息混じりに答えた。

「大切なモノがあるのだろう? こんなところで捕まっていないで、今度は相手を選んで行動しろ。俺はもう手遅れだが、何も他の奴まで同じように苦しむことは無い」

 言いたいことは言ったとばかりに少年は離れる。その顔に、微かな憐憫を浮かべながら。


     ◆


「全く……どこまでもお人好しだね。八方美人じゃ後々苦労するだろうに」

 思い出した少年の行動に苦笑しつつ、重たい腰を上げた。

「さて、そろそろ逃げるかね」

 どこから逃げたものかと辺りを見回そうとしたとき、甲高い靴音が響いた。
 足音は近い。否、近づいている。
 看守だろうか? 否、看守は先程通ったばかり。こちらに来るのは早すぎる。
 彼女は思考を巡らし、この状況における相手を想定する。
 一番に思いつくのは自分が盗みだした宝に対する貴族たちの報復。裁判などという面倒な真似をするより、殺した方が早く、確実だ。
 殺し屋か、それとも貴族自身か、どちらにせよやるべきことは一つだ。あらかじめ錬金で退路を確保し、来るべき敵を迎え撃つ。
 体術に関しても心得はあるが、何より自身には杖というメイジたらしめる武器がある。スクウェアクラスでも現れない限り後れを取ることは無い。

「あの坊やにはつくづく感謝しないとね」

 拍車の混じる足音。その相手が現れたとき、彼女は違和感を感じた。
 黒のマントを纏い、長い剣のような形状の杖を腰に下げている。それだけならまだいい、問題は鉄格子の向こうに居る男自身だ。
 男は仮面を付けていた。もし自身の首を取りに来たのであれば看守たちに根回しをすれば問題ない。わざわざ自身の正体を隠す必要性がどこにあるというのか?

「『土くれ』だな?」

 男は呟く。若い、おそらくは二十代中頃か、後半と言ったところだろう。声には力強い印象を受ける。

「他の人はそう呼ぶわ」

 男はふむ、と考え込み次いで口を開く。

「ではマチルダ・オブ・サウスゴータと呼んだ方が良いか?」

 その言葉は、自身の思考を凍らせるのには十分だった。かつて捨てた、否、捨てることを強いられた自身の名前、忌まわしい記憶。何もできなかった無力な自分を思い起こされる。
 質問をしようとしても声が震える。男は口元を歪ませながら言った。
 再びアルビオンに仕える気は無いか、と。
 そのような言葉には従えない。父を殺し、家名を奪い、ただ一つしか残されぬ結果となった元凶。自身は激昂した。誰が従うものか、と。
 しかし、男の笑みは崩れない。

「勘違いをするな。お前が仕えるのはアルビオンの王家ではない。お前が憎んだ王家は近いうちに崩れるだろう」
「どういう、事だい」

 男は呟く。革命だ。無能な王家を潰し有能な貴族が政を行うのだ、と。
 しかしそれはおかしい。トリステインの貴族である男が何故にアルビオンの革命に関係があるというのか。その疑問に対し、男は答えた。

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族同士の連盟さ。我々に国境は無い。ハルケギニアは我々の手で一つとなり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻す」
「バカ言っちゃいけないよ。大体、その連盟がこそ泥に何の用があるっていうんだい?」
「優秀なメイジが一人でも欲しい。協力してくれないか?」

 愚かしい事だ。トリステイン王国、アルビオン王国、帝政ゲルマニア、ガリア王国……、表面化において小競り合いの絶えない国同士が一つになるなどありえない。それを語るのは夢物語か、取るに足りぬ夢想家の妄言に過ぎない。
 第一、『聖地』にはエルフがいる。ハルケギニアから遥か東に離れた地に住まうエルフたちによって『聖地』が奪われて以来、どれ程の国が奪回を試み、その度に辛酸を舐め続けたか。それは幾百年の歴史が証明しているではないか。
 彼らエルフは長命と独特と言える尖った耳を持ち、独自の文化によって発展してきた。彼らはその全てが強力な魔法使いであり、歴戦の戦士だ。同じ戦力で戦えば自分たち人間にまず勝ち目などない。それをこの大陸の王たちは歴史から学んでいるではないか。

「私は貴族は嫌いだし、ハルケギニアの統一や『聖地』にも興味は無い。エルフたちはあそこに居るだけなんだから、無理に戦う必要もない筈だけど?」
「『土くれ』よ。お前は選択することが出来る、我々の同志となるか、」
「ここで死ぬか、でしょ。杖に手をかけながら選択? おかしな事を言うのね」

 お互いが杖を構える。相手が杖を持っていたことは計算外だったのか、男は顔を僅かにしかめた。

「我々のことを知ったからには生かしてはおけん」
「だから協力しろって言うの? そういうのは私に勝ってからにしなさい」

 瞬間、天井が崩れ、轟音が響く。

「貴様……!」
「お生憎様。私は後ろの壁から抜けさせてもらうわ、墓標には困らないでしょう?」

 錬金によって崩れた天井は土砂となり、男を飲みこむ。しかし、フーケは見た。男が放った空気の塊が土砂を押しのけ、生き埋めになるのを防ぐと同時に鉄格子を切り裂くのを。
 相手のとった行動に対し、フーケは壁から即座に身を躍らせる。
『エア・ハンマー』。ドットメイジでも使える風の系統魔法。本来であれば空気の塊によって相手を吹き飛ばす呪文だが、まさかこれ程の量の土砂を払いのけるとは想像もしていなかっただろう。
 次いで使用されたのは『エア・カッター』。こちらも同じ風系統の魔法であるが殺傷に関してはこちらが上回る。初めから呪文は完成されていたのか、男は鉄格子を切り裂くとそのまま牢の中へと入ってきた。
 ここでは駄目だ。フーケは直感から相手がスクウェアクラス、それも上位の使い手であることを悟った。
 壁から抜け出した先には看守もいたが、気にすることは無い。時間からして攻城用のゴーレムは流石に無理だが、人間大のサイズであれば問題は無い。
 杖を振り、呪文を唱える。現われたのは二十体程の鋼鉄のゴーレム。それぞれが戦斧や剣を持ち、邪魔な看守たちを蹴散らしてゆく。
 男はすぐに現れた。未だ残る看守たちは男に気付いたのか、取り押さえようとするも、風の刃で首を刎ねられる。
 恐怖と脅威、それは人間に限らず、生物においては当然の本能だ。
 遠巻きに様子を見ていた看守は逃げようとする。その行為を誰も咎めはしないだろう、ただ一人を除いて。

「何処へ行く? 犯罪者を見た者は殺されると決まっているだろう」

 口元を歪ませ、男は杖を振る。距離があったのが幸いしたのか、看守は致命傷に至らなかった。いや、それはむしろ不幸だったのかもしれない。彼らは足の腱を切られ、地面にのた打ち回り、いずれ訪れるであろう自身の死に恐怖していたのだから。

「とことん外道だね。綺麗事を言うつもりは無いけど、逃げる相手にここまでするかい?」
「貴様が仲間になるというのなら終わる。尤も、彼らでは条件にすらならんだろうが」

 虫唾が走る。確かに自分も相手は確実に殺す。だが、この男のように人間を弄ぶ趣味は無い。彼女は侮蔑の眼差しで男を見つめ、口を開く。

「選択じゃなくて強制でしょ。どの道警邏の人間が騒ぎを聞き付けるでしょうし、取り敢えずはあんたの話に乗ってあげる」
「我々の味方になると?」
「そうだね。強制ならはっきりと味方になれって言いなさいな。命令も出来ない男は嫌いだわ。あんたはどっちにしても嫌いだけど」
「我々と一緒に来い」
「あんたらの連盟の名前は?」

 男は先程までの歪んだ笑みではなく、真顔で呟く。

「レコン・キスタ」

 その言葉は、月夜に響いた。




[5086] 002※加筆修正済(10/8/12)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2010/08/12 23:13
 夢を見ている。子供の頃の夢だ。舞台は魔法学院から馬で三日ほどの距離、生まれ故郷のラ・ヴァリエールの領地にある屋敷。
 幼い自分は屋敷の中を逃げ回り、迷宮のような植え込みに隠れることで追っ手をやり過ごす。
 いつもと同じだ。出来のいい姉たちと魔法の成績を比べられ、叱られる。
 植え込みの下から靴が見えた。きっと召使のものだろう、彼らの口からは憐れむような声が聞こえてくる。ここに留まりたくなかった。
 耳を塞ぎ、召使たちから見えないようその場を離れた。
 そして、自身が『秘密の場所』と呼んでいる中庭の池へと向かう。自分が唯一、安心できる場所、あまり人の寄り付かないうらぶれた中庭。
 池の周りには色とりどりの花が咲き乱れ、小鳥たちの集う石のアーチとベンチがあった。池の真ん中には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が立っている。
 島のほとりに浮かぶ一艘の舟。もうここには誰も来ない。かつて舟遊びを楽しんだ姉たちは成長し、魔法の勉強に取り組んでいたし、軍務を退いた父は近隣の貴族との付き合いと、狩猟以外には興味を示さない。母は娘たちの嫁ぎ先と、教育以外は目に入る様子は無かった。
 忘れ去られた場所。もうここには屋敷の人間は自分しか立ち寄らない。誰も気に留められず、叱られた日にはここへ逃げ込んだ。
 自分は小舟の中へ忍び込み、用意してあった毛布に潜り込む。

「泣いているのかい? ルイズ」

 ふと顔を見上げる。その先に居たのは年若い、一人の貴族だ。年齢は十六程であろうか? 夢の自分は六歳ごろの背格好であるから十ばかり年上に見えた。
 つばの広い羽根つき帽子に隠れて顔はよく見えない。
 だが、自分には判った。最近になって、近所の領地を相続した年上の貴族。ふいに、胸が熱くなるのを感じる。憧れの子爵。
 晩餐会をよく共にした方。そして、父と彼との間に交わされた約束……。

「子爵さま、いらしてたの?」

 恥ずかしさのあまり顔を隠す。自分のみっともないところを見られてしまったのだから、無理もないだろう。

「今日は君のお父上に呼ばれたのさ。あのお話のことでね」
「まあ!」

 頬を染めて俯く。それは自身にとっても大切な、大事な約束。

「いけない人ですわ、子爵さまは……」
「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。君はぼくのことが嫌いかい?」

 おどけた調子で、子爵が応える。幼い自分は一生懸命首を振った。

「いえ、そんな事はありませんわ。でも……、わたし、まだ小さいし、よく判りませんわ」

 はにかんだ笑みを浮かべる自分に、子爵はにっこりと笑みを浮かべると、手を差し伸べてきた。

「子爵さま……」
「ミ・レイディ、手を貸してあげよう。掴まって、もうすぐ晩餐会が始まるよ」

 その手を取る事に少しばかり戸惑った。自分は叱られてここまで来たのだから。だけど、彼はこちらを見透かすように覗き込んだ。

「また怒られたんだね? 安心しなさい。ぼくがお父上にとりなしてあげよう」

 差し伸べられる手。それは大きくて、とても安心できる憧れの手……。
 彼女は頷いて立ち上がり、その手を握ろうとしたとき突風か吹いた。

「きゃっ!」

 思わず目を閉じ、落ちそうになった小舟にしゃがみ込む。風が収まり目を開けた自分を待っていたのは、見知らぬ場所だった。

「ここは?」

 辺りを見回すも、先程まで手を差し伸べてきた子爵はいない。自分の姿は六歳のころの姿から十六歳のものへと変わり、小舟ではなく飛び石の道に立っていた。
 見慣れない建物。自分たちが暮らしている石造の建物ではなく、かといって平民が暮らすようなものではない。木造の建物は釘ではなく、木々の組み合わせによって建てられ、その独特の構造は独自の美しさを持っていた。
 見慣れない不自然に枝の歪んだ木。扉のない、巨大な門のような朱塗りの柱。そしてお互いを見合わせるように向き合った、恐ろしいという方が正しい二匹の犬の像。
 自分が知りえない場所。誰か居ないのだろうかと歩き出すと、近くの池に波紋が広がった。雨だ。よく見ると建物の屋根には所々雪が積もっており、今は冬であることが判る。
 自然と雨に打たれる。冷たくは無いものの、肌に纏わりつくような不快感は拭えない。彼女がその場を離れ、どこかで雨を凌ごうと考えたのは当然の行動と言えた。
 走る。走る。ただどこかで身を休められる場所は無いものかと探し、不意に足を止めた。子供だ。十になった頃だろうか? それとも見かけより幾分か年を取っているのかもしれない。自分の使い魔だって───―
 そう考え、その子供を見やった。目元こそ俯いてかかった前髪に隠れて見えないものの、その黒い髪と幼いながらも整った顔つきは自分の使い魔の面影と重なる。
 ならば、これは彼の記憶なのだろうか?
 だとしたら、これは彼の夢なのだろうか?
 それならば、どうして彼は───―

 ───―これほどまでに、悲しい顔をするのだろう?

 駆け寄ろうとするも、体は動かない。声を出そうとしても、目が離せず、固まったまま。
 泣いているのかは雨で分からない。彼は嗚咽を響かせるでもなく、歯を噛み締めるでもなく、ただ静かに、雨音で消えそうな声で呟く。

「───────────────────────────」


     ◇


 辺りは仄暗かった。まだ朝日は昇らぬのか、窓に映る景色は暗闇が覆っている。

「今日は随分と早いな」

 北澤直也は呟く。時刻は四時頃と言ったところだろう。確かに正論ではあるが、それよりも早く起きている彼が言えたことではない。

「あんただって早いじゃない。いつ起きたの?」

 先程の夢のあってか、自分は不機嫌になっていたのかもしれない。不服そうな声に、彼はいつものように答えた。

「さっきだ。基本的に少しでも物音がしたり、不自然な感じがしたらすぐに起きるようになっている。それにギーシュを鍛えなくてはならないから、早いうちに洗濯と掃除を済ませないと」

 ドアノブに手をかけ、北澤直也は思い出したように振り向く。

「後二度ほど戻る。洗濯物を持ってくる時と、ギーシュを鍛えた後だ。七時までには終わるから、それまで寝てていいよ」

 そう言って北澤直也は部屋から出ていった。
 誰も居ない自身の部屋で、彼女は幼いころ小舟の中でしたように毛布を頭から被る。

「ねえ……あれは、あんたなの?」

 答える者はいない。彼はもうこの部屋には居ないのだ。だが、彼女はその言葉を口にした。
 自分はどれ程、あの使い魔のことを知っているだろう? 
 彼は言った。自分は違う世界から来たと。与太話か何かかと思ったが、あの破壊の杖の一件はそれを信じさせるには十分すぎる証拠だ。フーケですら扱いの判らないそれを即座に使いこなし、ゴーレムを倒した。
 そしてその日の夜、彼は舞踏会で杖を届けたタバサと……。
 何故か腹立たしくなった。誰と踊ろうが使い魔の自由だ。そもそもキュルケにさえ尻尾を振らなければ問題ないと結論付けたのは自身ではないか。そう考え、再び夢の世界へと足を運ぼうとする。
 だが夢の中の彼の言葉が、どうしても離れなかった。彼が口にしたのは───―

〝───―僕が、弱いから……? 何もできないのは、僕が、〟

「弱いからなの? ね……。だけど、あんたは強いじゃないの」

 もちろん初めからそうだったわけではない。それは誰だってそうだ。彼女もまた高みを目指そうとしたのだから。
 しかし、北澤直也はどうして弱さを否定し、強くなろうと望んだのか?
 あの少年は何を以てその結論に達したのか?
 認められたいから。自身はそのために努力を続けた。ただ前へ、そのために。ゼロと呼ばれない為に。
 だけど彼は違う。前に進むのではなく、後ろにある何かから、その道を進んだのではないだろうか。
 もしそうなら───―

「ナオヤ。何があんたを、そうさせたの?」

 その言葉と共に、彼女は眠りへと落ちていった。


     Side-Naoya


 ヴェストリの広場。こちらに来て二日目にしてギーシュと決闘を行った場所、そこが訓練の待ち合わせ場所だった。一週間ほど前だろうか? 最初にあの男を鍛えたとき色々な意味で予想外だった。


     ◆


「やあ。随分と早いね」
「仕事を終わらせてからこっちに来たからな。そういう君も早いじゃないか」

 予定では五時半だったのに三十分も早い。やる気があるのは良いが、後々身体が持たなくなるぞ。

「教えを請う立場だからね。まずは何をすればいいのかな?」
「柔軟と準備運動。それから君の体力がどれ程あるのかの確認と言ったところかな。今日の内容を元にトレーニング内容を決めていくから手を抜かないように。
 それから、動きやすいようマントは外しておけ」

 分かった、という彼の返事と共に体操から開始したのだが、勢いというものはあまり長く続かないものらしい。というかこの男の貧弱さを計算に入れていなかった。

「いだだだだ!」
「せめて百度位は開脚できるようになれ」

 柔軟の時点でアウトだ。そもそも身体作りもそうだが、柔軟さとバネというものは肉体を行使する上で必要不可欠なものなのだが、その時点から欠落している。

「これは、時間がかかるな」

 全身の柔軟に二十分ほど費やし───これでも打撃格闘技などにおいて三十分以上時間を割くため、俺からすれば短い方と言える───基礎体力の測定に入る。
 まずはランニング。学院の外周を一周してタイムを測定する予定だったのだが……。

「まだ二分の一程の距離だぞ」

 バテていた。それはもう傍から見ても判るほどに。

「す、少し、速くないかい?」

 たわけ。学院の外周の距離を計算して、運動部ではない人間の平均タイムで着くように計算している。

「口を動かさず、呼吸を整えつつ走るんだ」

 走る際の姿勢や負荷の掛け方などの指示を出しつつ走ったのだが、元の広場に辿り着くまでにかなりの時間がかかってしまった。

「すぐ次に移るのは無理か……。五分休憩にするから呼吸を整えて、そこに井戸水があるから水分補給をしておくように」
「わ、わかった……」

 そう言うと汲んできておいた井戸水を飲み始めた。量に関しては調節してあるから飲み過ぎることは無い。

「五分経ったな。次は腕立てだ、出来るところまでやれ」

 そう言って始めたはいいが、流石にこれはない。

「まだ二十回だぞ。その倍はこなせるようになれ。最低基準だ」

 だめだ、もう腕が曲がっていない。結局三十回行ったところで地面にうつ伏せになった。
 続いては腹筋。これもあまり期待はしていなかったが、まさか二十回とは……。
 そして、背筋、スクワットと一通りこなしたのだが、やはりどれも酷かった。
 華奢な体付きだとは思っていたが、典型的なモヤシだな。

「普段から魔法で上の階まで行っているようだが、次からは階段を使うように。行動一つとっても体力は付いていくものだ」

 力のない返事と共に仰向けに寝転がるギーシュ。これでは先が思いやられるな。


     ◆


 ……思い返してみると本当に情けないな。
 とはいえ自分も鍛え始めた際は未熟だったし、何だかんだで毎日顔を出しているのだから、その点は評価すべきだろう。
 一週間もあればそれなりにコツもつかめる。現に今日も昨日よりは若干でこそあるものの回数が増している事からも上達はしているようだし、模擬戦である程度は魔法の効率的な運用も出来るようになっていた。
 ギーシュのトレーニングを一通り終えた後、ハイネックのTシャツを脱いでノースリーブのシャツ一枚になる。取り敢えず柔軟から……って。

「何を見ている?」
「いや、肩幅や首周りから鍛えているのは判っていたんだが……顔と体が合ってないな。着痩せしているから気付きにくいが」
「放っておけ。君もこれから鍛えるんだ。続けていけばこうなる……事は無いだろうが、それなりに恰幅の良い体つきにはなる」

 そもそも俺が付けているのは大きく見せるだけの見かけ倒しの筋肉ではなく、実用性を重視したものだ。とやかく言われる筋合いは無いし、筋肉そのものに至っては、こぶの様に盛り上がったものではなく、内側に引きしめるものだ。
 脂肪をうっすら残し、体脂肪率を調整する。本来なら食事にも気を使いたいところだが、出される内容が内容なのでそれは諦めるが、体力作りやそれに伴った摂生は怠っていない。
 全ては無駄をなくすための物だ。それでも腕回りや腹筋は明らかに他と一線を画するものではあるが。

「俺は俺で鍛錬をしておくから、その間は休んでおいていいぞ。後は模擬戦と座学みたいなものだしな」

 用件だけ伝え、鍛錬を開始する。時間というのは惜しいものだし、何より鍛えなくては満足に動けなくなってしまう。



「ところで、君は何処で戦い方を教わったんだい?」
「殆どは曽祖父に教え込まれた。あとは一応、師と呼べる人が居たな」

 ある程度片付いた頃、何気ない調子で訊ねてきたギーシュに軽く答える。
 とはいっても武芸に関しては曽祖父に教えられたのが殆どだ。もう一人の方は、どちらかといえば講師に近いだろう。何せ最初に教えられたのは各国の基礎的な会話、所謂外国語で、それが終わった後は銃器の説明や手入れ、扱い方といったものが主だ。
 実際に訓練らしい訓練をしたのはそれらが片付いてからの僅かな時期、しかもその殆どが実戦を通しての物だったため、あまりそれらしい記憶は無い。
 そもそも彼を師として見たのは出会ってからかなり先の事で、それまでにも何度か出会っては色々な事に巻き込まれていたのが実情だ。外国語に関しても出会って間もない頃に勉学として教えて貰っていた訳で、師事の立場として教わっていた訳ではない。
 ……それ以前に出会い自体が非常識だったからな。
 ふと出会った日のことを思い出す。俺がこの世界に居なかった、ある夏の日のきっかけを。


     ◆


『観測史上最大となる台風は現在南から北上し××県へ向かう見込みです。付近の住民は安全な場所に避難するか、決して家からは出ないよう注意して下さい。
 なお、この台風は近年見られる異常気象から発生したものであり、規模は海外の物と比べ劣るものの、その危険性は先日ニューヨークを襲ったハリケーンと同等であると専門家は指摘し、自衛隊の出動要請も───―』

 ブラウン管から流れるニュースを横目にしつつ、俺は小さな袋を手に玄関に立つ。
 外出なぞするべきではないと判っている。判ってはいるんだが……。

「何も今日でなくとも良いだろうに……」

 手に抱えた袋には友人に勧められて借りてきたDVDが入っており、うち一本は新作のため延滞料金などかかってしまう。そこまでケチかとか、命とどっちが大事なのかといった事は敢えて問わないで欲しい。
 人間締める所は締めておきたいし、余分な物は背負いたくは無いのだ。
 さて、これ以上酷くなっても拙い。さっさと返しに行くとしよう。



 家から出た先に待ち受けていたのは、はっきり言って嵐だ。生きて帰れるのか?
 自転車は使えないので一歩一歩地面を踏み締めるが、なかなか前に進めない。その上風は強くなる一方なので尚更性質が悪い。目的地まで約三キロ、まだ五百メートルも歩いていないがここまでの道のりを無駄にする訳には……。

「えー、近隣住民の皆様ー! 大変危険な状態となっておりますので、ただちに付近の学校の体育館に避難して……って何をしてるんですか君は───────────!?」

 俺の方に絶叫するジープに乗った自衛官。ああ、俺だって判ってるさ。しかし何故、安全第一のヘルメット?

「少年、早く非難を、」

 そう言い掛け、ジープは突然エンジン部分から異常な音、というか爆発し、強風でへし折れた木に当たってそのまま横転。中に乗っていた哀れな自衛官は川へと転落していった。

「ちょっ……ぎゃああああああああ───────────────…………」

 濁流に流れ、姿の見えなくなる自衛官。しかし無力な一市民である自分は携帯電話で救助を呼ぶことしか出来ないのである。取り敢えずレスキュー隊にプッシュ。

「レスキュー隊ですか、先程川に自衛官が流されて、え? 市民ではないのか? 違います。流されたのが自衛官で、自分は一般市民です。相手の顔? 流石に判りませんよ、せめて特徴でしたら……安全第一のヘルメット? ええ、確かに被ってましたが。
 ちょ、ほっとけって、貴方それでも隊員ですか! へ? 運が悪いけど不死身だから平気? はあ。判りました、つまりは無事と」

 どことなく納得できる話だったので電話を切る。この手の人間はしぶとさが売りなので心配ないだろう。ちなみにあのヘルメットは願懸けになりそうとかで出動前に被って近隣の連中全員に顔を覚えられたらしい。
 踵を返して進もうとしたところで、

「あー……死ぬかと思ったー!」

 高らかと生還宣言をする自衛官。さっきの濁流に巻き込まれてここまで戻ってきている辺り本当に不死身である。

「あれ? 君、まだこんなところに居たの? 危ないから早く安全な所へ避難したほうがいいですよー」
「そっくりそのままその言葉を返させて頂きます。何であの濁流から戻ってこれるんですか貴方は」
「そりゃあ市民を守る自衛官がこんなところで死ぬはずが無いでショウ!」

 あくまで陽気に応える自衛官だが、その口調は何処となく違和感を感じる。何というか日本語を流暢に喋る外国人みたいだ。

「そういう問題ではないでしょう。普通死にますよ、何か超人的な技でもない限り」

 俺の言葉に顎に手を置いて考える自衛官。しばらくこちらを見て、ふむと頷いた。

「そうすねー。少年、君は自分と同じ香りがするから伝えておきましょう、これからの人生で何かしら役に立つかもしれません」

 何ですか同じ香りって。確かに他人と比べて特異なのは認めるが、だからと言ってこの人とは同類にされたくない。

「要はね、最悪な事さえ想定していればいいんですよ。だってそれ以上に悪い事が無いぐらいに悪いことを考えていれば対処も出来ますし、予想外の事が起きても変に気落ちする必要もなくなりますしねー。まあ何ていうか、レッツ、ネガティブみないな?」
「……言ってることは何となく理解できるのですが、普通は身につけるのは難しいと思いますよ? 仙人でもない限り」
「少年なら問題ないでしょう。考えるのではなく感じることです、同じ香りがする君ならすぐに身につけられますよ。たぶん」

 否定できないのが辛いな。

「では、少年! 出来ればもう少し話したかったですが、お仕事があるので失礼しますねー。機会があればまたー!」

 颯爽と去っていく最後まで謎な自衛官。出来ればもう二度と会いたくない。
 俺の声がどこかに通じたのか、それともただの偶然か。強風で飛んできた看板が後頭部にクリーンヒットして再び流される自衛官。どうやら彼の悲劇はまだ続くらしい。
 看板に書かれた文字は、皮肉にも『安全第一』だった。


    ◆


 ……明らかに日常からかけ離れてるな、今更だが。
 自身の過去を回想すること数秒、結局あの自衛官とは思わぬ形で再開することになるが、それはまた別の機会に。
 だが、未だに判らない事が一つある。彼はどうして自分にそこまでしてくれたのだろうか?
 単純な善意か、それとも何らかの思惑があったのかは定かではない。本来であれば真っ先に問い詰めるべきことだったのだが、終ぞその答えを訊くことは無かった。尤も、今となっては問い詰める事すら出来はしないが。

「曽祖父、ね。戦い方を知ってるってことは傭兵か何かだったのかい?」

 だがギーシュの興味は師ではなく曽祖父の方であったらしい。傭兵という言葉に思わず苦笑する。

「軍属だよ。まあそれ以前に家自体がそういった技法を伝えていたが」
「君は───貴族なのか?」

 ああ。そういえば以前ギーシュから訊いたが、こちらでは徴兵を受けるのは貴族だけらしいな。

「少し違う。こっちで言えば元は騎士の様なものになるのかな」
「シュヴァリエのようなもの────って、じゃあ騎士候じゃないか。充分貴族として成立すると思うけど」
「確かにそうだが……もうそういった制度は俺の居た国では廃止されているんだ。平民であれ何であれ昔は徴兵されたし、俺は分家の人間だ。それに武家の家柄とはいえ、元は足軽からの貧乏武家でしかなかったらしい」
「でもそれだけ強ければ、武勲も立てられたんじゃないかい?」
「……そうだな。実際に本家はいつ切り捨てられてもおかしくは無かったし、断絶したところで不思議は無かった。ここまで持ったのは武勲のお蔭なんだろう。だからこそ武に重きを置いているし未だに伝えているのだろう」

 だが、それは行き過ぎていた。そもそも武家の人間が鋼糸などという得物を持つこと自体がおかしい。
 元より武士道なぞ、とうの昔に朽ちていた。仕える主の身を守らんがために、そして何より自身の血筋と立場を守らんがために。
 そのためにあの家は武を極める事を重きに置いた。例えそれが正調であるかどうかなどさしたる問題などではない。
 戦場において敵を討ち、害なす者を裏より制す術。それを行うに足る業こそが重要であり、その為ならば凶手共の用いる外法であろうとも使うに戸惑いは無い、と。
 結果は問うまでもない。俺がここに居るという事、そしてあの家が栄え、未だに続く事こそが何よりの証明なのだから。
 たとえ当主が消えたとしても。あの家は新たな人間を組み込むだろう。

「そこまでして伝えるって事は、何か特別な技でもあるのかい?」
「……見せてくれとは言わないでくれよ。俺自身完成はしてないからな」

 しぶしぶながらに諦め、寮へと戻るギーシュを確認し、呼吸を整える。
 辺りには誰も居ない。普段ならばシエスタ辺りが仕事ついでにこちらに来る事があるのだが、今日は思いの外静かなものだった。
 ───―試してみるか。
 かつて曽祖父より教えられた技の一つ。そもそもこの技自体は武術において広く流布されており、指して特別という訳ではない。
 あの家が伝えているのはあくまでも実戦において使えるかどうかが重要であり、まったく新しい技法を生み出す必要が特になかったためだ。
 剣を使うでもなく鋼糸を持つでもなく、無手のままに佇む。そこに構えは無く、一切の動作も無く、されど隙さえも無い無形の位。
 微かな風、鳥の囀り、穏やかな空気だけが広場を満たす。

 そして───── 一歩を踏み出した。

「駄目か……」

 最初の位置からの距離は実に三間。達人が無にするという距離でこそあるものの、未だに曽祖父のそれと比べれば児戯にも等しい体技に歯噛みするしかない。道は険しいという事を実感しつつ、その場から踵を返した。


     ◇


「つまり強力な呪文よりも、状況を把握した上での的確な攻撃や自身の組み合わせによって作った魔法の方が戦闘においては有効ということかい?」
「そうだな、君の系統である『土』は実に汎用性に富んでいる。単純な威力よりもバリエーションを増やして戦い方の枠を広げていけば、かなり上の相手とも渡り合える筈だ。この前のフーケのときの様にね」

 トレーニング終了後、授業開始までの時間を使い魔法を用いた戦い方における説明を進めること五分。運動面でのヘタレっぷりとは打って変わってこちらの話に聞き入るギーシュは、これはという案を次から次へと持ちかけてきた。
 普段の行動から言って頭の軽そうな男、という印象だったのだが、どうやらこの男は意外と理解の早い奴だったらしい。
 この一週間、先日のコルベール先生の時に話した棘のトラップをはじめ、こちらが思いつく限りの戦術や魔法の案を出したのだが、その悉くを吸収していく。
 出鱈目もいいところだ。他の連中はギーシュは錬金以外は月並みという評価を下していたが、その錬金こそがこの男を大成に到らせる道と言っても過言ではない。

「ところで、物を浮かせる魔法があっただろう。確か『レビテーション』といったか、コモンマジックという事だったが、あれも実戦ではかなり使えるな」
「そうなのかい? あれは重たいものを運んだりするのによく使うのだが」
「相手を浮かせるのに使う。浮いているという事は身動きが取れないという事だからかなり有効だ。
 それと気になったんだが、あの魔法は複数の物を浮かせて操る事は出来るか?」
「術者の精神力や物の質量によるけど、何よりも重要なのは集中力だね。
 コモンマジックだから精神力という点では問題ないけど、多くの物を移動させる場合はかなり集中しないと」

 出来ないことは無い訳か。

「ギーシュ。午後は『レビテーション』で出来る限り多くの物を操れるよう訓練してくれ。精神力は一日寝ればある程度は回復するのだろう?」
「分かった。君には何かしらの考えがある様だしね。ところで、授業がもう始まっているようだが?」
「今はまだ聞く必要はない。あの教師の話は良くて『風』の系統の魔法を見れる位だからな。彼が魔法を見せるまで、君は君の出来る事を考えておけばいいさ」

 本来なら学業というものは疎かにするものではないのだが、あのギトーという教師は別だ。何せ事あるごとに自身の系統にばかり話を持っていくし、あまつさえ先程、〝最強の系統とはなにか〟などとのたまってきたのだ。
 確かに自身が持ちうる中、つまり己が内における最強の一手というものならば確かに存在するだろう。問題は何を以て最強となすか、だ。
 例外とは常に存在する。如何に強大な力であろうと、それを使う者がどのような行動を取るか、そして強大な相手に対してどのように立ち向かうかが重要なのだ。単純な能力で最強と驕る者ほど愚かな事は無い。

「『虚無』じゃないんですか?」
「ミス・ツェルプストー、伝説の話をしている訳ではない。現実的な答えを聞いているんだ」
「『火』に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 ……キュルケ。その男の言い草に腹を立てるのは判るが、もう少し冷静になれ。

「全てを燃やし尽くせるのは火と情熱、そうでは御座いませんこと?」
「そうか。なら試しに君の炎を私にぶつけてきたまえ」

 はったりではないにしても、そこまでのたまうのはどうか。仮にも教師だろう。

「火傷じゃすみませんわよ?」
「構わん。本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」

 彼女から笑みが消える。胸元に差した杖を引き抜くと同時に詠唱、杖の先から膨れ上がる火球は彼女の言葉通り全てを焼き尽くさんとその規模を膨れ上がらせる。
 他の生徒たちと同じくギーシュも机の下に避難しようとするが、首根っこ掴んで引っ張り上げた。
 この程度で逃げ隠れするなど認められる訳無かろうが。

「せっかくの機会だ、あの教師の言う事がはったりではないのならそれなりに勉強になるし、口先だけならあの教師がローストになる様を拝めるぞ」
「……もしボクたちのほうに被害が出たら、」
「何の為の勉強だと思っている。錬金で机を触媒に楯を作ればいいだろう」
「成程ね」

 突発的な状況下で先頭になる事は少なくないというのに。そういう事も教えないとな。
 しかしキュルケの奴、本気で焼き殺す気ではあるまいな。一メートル程になったぞ、あの火球。
 放たれる彼女の火球は唸りを上げて教師へと迫る。自身を焼き殺さんとする熱量と規模、その威力を持つ火球を、ギトーは腰に差した杖を引き抜くと同時、剣を振るように薙ぎ払う。舞い上がる烈風は火球を掻き消し、それを放った術者であるキュルケへと向かっていく。
 口先だけではなかったか……しかしやり過ぎだ。
 俺は後ろ腰のナイフを引き抜き、ギトーの持つ杖へと向けて投擲すると、ナイフはその軌道を変えることなく突き進み、狙い違わず彼の杖を弾いた。
 風は最初から吹いてなかったかのように掻き消え、静寂が教室を包む。

「何のつもりかな? 使い魔君」
「貴方の言いたい事は周りに伝わった筈です。わざわざ生徒に怪我をさせることは無いでしょう」

 吐き捨てるような視線でこちらを一瞥した後、彼は悠然と言い放った。

「諸君、『風』が最強たる所以を教えよう。簡単だ『風』は全てを薙ぎ払う。『火』も『水』も『土』も、『風』の前では立つことすらできない。残念ながら試したことは無いが『虚無』さえも吹き飛ばすだろう。それが────『風』というものだ」

 馬鹿な事だ。初めから存在するかも怪しいものをどうやって吹き飛ばすというのか。あらゆるものにおいて、絶対など存在はしないというのに。

「諸君らには『風』が最強たる所以を見せよう……ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 呟かれる詠唱。先程までとは違う、おそらくは彼自身の最強の一手。だがそれを行使するよりも先に、奇天烈な格好をして教室に入った男に全員の目が行った。
 金髪ドリル頭、もとい、縦ロールのカツラを頭にのせ、けばい刺繍やら飾りやらをローブに付けた変態……もといコルベール先生がそこに居た。
 ありえない。何がありえないかと言えば間違いなくこの男のセンスだ。はっきり言わせて貰うが最悪と言っていい。
 そんな恰好をしたところで毎年紅白に出ている派手と言うにはあまりにも強烈な衣装で、時には空を飛ぶ年もある女性演歌歌手には到底勝てないぞ。まあ挑む気は無いだろうがな。存在すら知らないだろうし。

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しま……どうしたのですか、皆さん?」
「それはこちらの台詞です。何ですかその格好は」
「似合っていますか?」

 白い歯を輝かせながらこちらに聞いてくる馬鹿教師。

「いえ。最悪です」

 速攻返答。俺の言葉が随分とショックだったのか、コルベール先生は両膝をついて地面に項垂れ、その拍子にカツラが落ちた。

「滑りやすい」

 まさに泣きっ面に蜂。言葉は氷の剣となってコルベール先生の心臓を貫いた。タバサさん、貴女普段は無口なのにここぞとばかりに言いますね。

「それより、一体何をしに来たのですか貴方は」

 呆れるように見下ろしながら尋ねる。これで衣装に自慢をしに来たというなら本気でこの先生のセンスを疑う。それ以前に常識も疑う。
 しばらくは魂が抜け落ちたようにぐったりしていたが、数分経ってようやく復活した。

「ええ……。皆さんにお知らせがありまして、本日の授業は中止となります。
 そして本日はトリステイン魔法学園にとっても良き日でありまして、始祖ブリミルの降臨祭に並ぶめでたい日です。
 恐れ多くも先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が本日ゲルマニアからの訪問のお帰りに、この魔法学院に行幸なされます。
 したがって粗相があってはなりません。急な事ですが、今から全力を挙げて式典の準備を始めます。そのための授業中止であり、生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 一通りの説明を終えて立ち去るコルベール先生。敢えて言わないでおいたが、貴方のその格好は止めた方がいいと思うぞ。粗相以上に問題になりそうだし。

「あの格好は無いわね。はいダーリン、助かったわ」

 キュルケの言葉に同意しつつナイフを受け取る。
 と、そうだ。気になっていた事があった。

「ミスタ・ギトー。先程の魔法についてお聞きしたいのですが」

 他の生徒が退出するなか、ミスタ・ギトーは先程の態度とは打って変わって饒舌になる。どうやらこの教師にとってはお姫様より自分の系統の自慢の方が優先順位が高いらしい。
 こうして俺は新たな魔法に対する対策の為に話を聞き続けていたが、ルイズに耳を引っ張られつつ遭えなく退出となってしまった。それなりに有益だったし、機会があればまた訊こう。


     ×××


あとがき

 遅くなりましたがようやく投稿です。
 今回は前に話していたギーシュ君の特訓と主人公の過去や家に関して少し触れる程度に書いたのですが、正直難産でしたし、質もあまり良いとは言えませんでした。
 まあ自分としてはコメディで謎多き師匠を書きたかっただけというのも大きい理由ではありますが。
 次回からはちゃんと物語を進めるつもりですが、二巻目は中盤あたりから結構重くなりそうです。

それではまた次回、お会いしまショウ!



[5086] 003※加筆修正済(10/11/3)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2010/11/03 14:01
「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな─────り────────ッ!」

 呼び出しの衛士の言葉と共に馬車の扉が開かれ、年老いた大臣と王女が現れる。
 年の頃は十七と言ったところだろうか。瑞々しい肌と薄く青い瞳は清楚さと可憐さを同時に引き出しているが、大臣の方は王女に比べメリハリが無い。
 顔には深い皺が幾つも刻まれ、瘦せこけた頬からは活力が感じられない。王女の手を取る様は優雅なものであるというのに、その立ち振る舞いからは気苦労さえ窺えた。
 ……政治に関してはお粗末と言う訳か。
 見ればすぐに判る。あのお姫様からは微かに憂いのようなものこそ感じられるも、疲れなどが出ているようには一向に見えない。
 微笑を浮かべつつ手を振る王女に対し、あまり宜しくない評価を抱く。
 だが、そんな中にあって異彩を放つ者が一人。
 おそらくはグリフォンと思わしき幻獣を連れた騎士。
 あの男は別格だ。鍛え上げた肉体、鷹のような眼光。コルベール先生のような強さとは違う、純粋な戦士としての強さ。しかし、それと同じ程にこの男からは嫌悪感がにじみ出る。そう、あの目だ。羽根つき帽子から微かに見えたあの目を見たとき、俺は同じ眼をした人間を見た事があるのだと思い返す。
 この男は、他人を踏み台にする人間だと。

「ねえ、ダーリン。貴方は、あたしと王女様どっちが美人だと思う?」
「美しさの基準が全くの別物だと思うが」

 それより。さっきからルイズが王女様を真剣に見ていると思えば、今度はあの騎士の方を赤らめつつ見ている。一目惚れは別に悪いことではないにせよ、美系とは言えあの男は止めた方がいいと思うが。
 ……? 何故俺が態々そんなことを気にする?
 おかしい。そうだ、最初からおかしかった。契約したのはあくまでもこちら側の知識が無かったからだし、帰る方法としても調べるにはここが一番都合が良いからだ。
 だが、それ以外にも何故か自分がここに居なければならないという感情が心の何処かに有る様に思えてならない。
 馬鹿な事だ。自分の心など一番当てには出来ないというのに。


     ◇


 日も完全に落ち、闇が包む頃。部屋で椅子に背を預けつつ本に目を通し、静かな時間を過ごす。ルイズの方は……今は出来るだけ干渉したくない。部屋に戻って来てからというもの、呆けた表情でずっと虚空を見ている。
 話しかけても返事すら返ってこないのでは、どうしようもない。仕事は済んでいるし、あとは寝るだけだから問題ないが、正直どこか落ち着かない。あのお姫様の訪問から燻っていた疑問が原因だ。
 妙なもやもやが取れずにいると、微かに足音が聞こえてきた。この寮の防音設備は大したものであるが、神経を研ぎ澄ませていればどうという事は無い。
 椅子から立ち上がると同時に手袋を填め、壁際に立つ。
 しかし……こちらがここまでの行動をとっているというのに、未だに呆けている主人はどうした物だろうか?
 近づいた足音は予想通りこちらのドアの前に立つと、ドアをノックする音が聞こえてきた。初めは長く二回、次いで短く三回。その合図にルイズははっとしたように立ち上がる。

「知り合いか?」

 俺の言葉に頷くが、だからといって警戒を解いた訳ではない。鋼糸を手にかけつつルイズと扉との中間地点へと移動する。
 現在の時刻は十時半、学友が訪ねにやって来るというにはあまりにも遅すぎる。
 もとよりルイズは学院内では浮いていた存在だ。彼女自身がこういった行動を取るという事は見知った人物なのであろうが、だからと言って警戒を解く理由にはならない。
 如何なる状況下においても常に最悪を想定する事を、あの男から教えられたのだから。
 開かれるドア。目の前に現れた黒い頭巾をかぶった女が見えた。

「頭巾を取って頂けますか?」

 俺の言葉に軽く頷くと、女は頭巾を取った。その顔には見覚えがある……というより、昼に見た顔だ。

「姫殿下!」
「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 慌てて膝をつくルイズに対し、お姫様は優しく微笑む。何故ここに着た?

「あの……そろそろ警戒を頂きたいのですが……」
「も、申し訳ございません。うちの使い魔がこのようなご無礼を! ただちに責任を取らせて頂きます! さあ、早く窓から身を投げなさい!」

 ……それはあんまりだろう。使い魔は主人を守るという役割を忠実に果たしただけだというのに。
 たとえ相手が誰であろうと例外は無い。第一……。

「……正体を隠している相手に警戒するなと言う方が無理だろう?」
「だからって!」
「いいのですよルイズ。貴女はわたくしのお友達なのですから。それに正体を隠したまま部屋に訪れたわたくしにも非はあります。
 良い方ではありませんか。貴女の為にここまでするなんて、恋人としては申し分ありませんわね」
「ちっ、違います。先程も申し上げましたが、この男は私の使い魔であって姫様の仰る様な関係ではありません」
「あら? そうなの? でも貴方は人にしか見えませんが……」

 お姫様の疑問に一礼と共に膝をつき、口を開く。

「左様で御座います。この身はただの人。特殊な力を持たぬ故、自分はただ役割を果たす事しか出来ぬ矮小な身。無力な自分の先のご無礼をお許し下さい」
「いえ、頭を上げてください。貴方のような忠実な御仁を、わたくしは多くは知りません。
 友達面して寄って来る欲の皮の突っ張った宮廷貴族とは大違いです。貴方の様な貴族がもっと多く居て下されば」
「姫様。その者は貴族ではなく、平民の使い魔です」
「平民? このように礼儀正しく、忠義に厚い者が平民と?」
「ええ。私と致しましても誠に遺憾ですが」

 遺憾、か……確かに俺なぞルイズにとっては分不相応かもしれないな。
 ここまで純粋な少女には、俺のような存在よりも、より純粋で高潔な人間が仕えるべきなのだから。

「はい。自分は貴女方の言う所の平民の身に御座います」

 お姫様の言葉に肯定の意を示す。

「確かに、私も普通の平民とは違うのではと何度か疑問に思いましたが、正真正銘の平民です」
「そうよね、はぁ、ルイズ・フランソワーズ、貴女って昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」
「好きで使い魔にした訳じゃありません」

 そこまで言うか……しかし、この二人。

「お二人はどういったお知り合いで?」
「姫様が幼少のみぎり、恐れ多くも遊び相手を務めさせていただいたのよ」
「ええ。あの頃は毎日が楽しかったわ。何にも悩みなんかなくって。貴方が羨ましいわ。自由って素敵ね、ルイズ・フランソワーズ」

 まるで悲劇のヒロインのような口ぶり。その言葉に、内心奥歯を噛み締める。

「何をおっしゃいます。貴女はお姫様じゃない」
「王国に生まれや姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったりこっちに行ったり……」

 自由が素敵? 籠に飼われた鳥? ふざけるな。お前はその籠の外の世界をどれ程知っていると言う。安穏と過ごし、惰眠を貪り続ける今日をどれ程の人々が生きたかったと思っている。
 自由を見出せず、その小さな籠すら与えられず地を這う鳥をどれだけ知っている。それをお前たちは籠の外の空を眺めるばかりで、その籠の下に生きる鳥を見たことはあるのか?
 羽ばたこうとする努力もぜず、飛び立ちたいと鳴く事もせず、ただ外を眺めるお前にその資格があるのか?
 吐き気がする。この女の言ってる事は唯の我が儘だ。もしその籠という未来があればどれだけの鳥が──────

「ねえ。あんた大丈夫?」

 その声で、俺は顔を上げた。

「問題ない。考え事をしていただけだ」

 そう、と彼女は呟くとお姫様の方を向き直る。世界を知らぬお姫様は、ただ自分の不幸を仕舞い込むように微笑み、彼女の手を取った。

「結婚するのよ、わたくし」
「……おめでとうございます」

 どうせ政略結婚と言ったところだろう。そんなに嘆きたいなら望み通り外の世界に飛んで現実を見てくればいいだろうに。
 もうどうでも良くなってきた。身の上話をしたいのならゆっくり二人で話してくれ。

「席を外させて貰う」
「いえ、メイジにとって使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」

 話を聞くのであればルイズだけで充分の筈……何故俺の退路を断つ?
 こちらが壁際に立つのを確認すると、お姫様は口を開く。

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのですが……」
「ゲルマニアですって!? あんな成り上り共の国に!」
「仕方が無いの。同盟を結ぶためなのですから」

 それからお姫様はこの大陸での政治情報を簡潔に説明した。
 纏め上げると次の通りで、アルビオンという国の貴族たちが反乱を起こし、今にも倒れそうであること。
 反乱軍が勝利を収めた場合、次の標的となるのは間違いなくこの国であり、侵攻に対抗するためにゲルマニアと同盟を結び、その条件として向こうの皇帝に嫁ぐというものらしい。
 よくある話だ。小国が存続するためにはより強大な国と同盟を結ぶのが一番手っ取り早い。
 誇りを捨てて国を取るか、国を捨てて誇りを取るか。簡単な話だ、今回は前者を選んだ訳だが、納得のいく話でもある。戦争の犠牲者は常に民衆。御上のいざこざで死ぬのは平和に生きる者にとってはこの上なく迷惑な話でしかない。

「そうだったのですか……」
「いいのよルイズ。好きな相手と結婚するなんて、物心ついた時から諦めていますわ。
 礼儀知らずなアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねず一本ずつなら楽に折れますからね。
 ……したがって、わたくしの婚姻を妨げる材料を血眼になって捜しています」

 やはり、ここに来た理由は厄介事を持ちこむ為か……。
 この女がここに来た時点で気付くべきだったのだ。身の上話の相談ならいつでも出来る。状況が切迫しているからこそ、ここまで足を運んだ訳か。

「もしや、姫様の婚姻を妨げるような材料が?」

 お姫様は彼女の言葉に頷く。最悪だ、要はこの女の尻拭いの為に働かされるとは。
 いや、この女は俺だけならともかく、友と呼んだルイズさえ死地に赴かせるのか。

「おお、始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救いください……」

 ルイズ。膝を付いて祈るのは良いが、君の言う憐れな姫様は単に厄介事を持ち込んだだけだ。同情の余地は無いぞ。

「言って姫様! 一体姫様のご婚姻を妨げる材料とは何なのですか!」
「わたくしが以前したためた一通の手紙なのです。それがアルビオンの貴族たちの手に渡ったら、彼らはすぐにゲルマニアの皇帝に届けるでしょう。
 ……手紙の内容は言えませんが、それを読めばゲルマニアの皇室は、このわたくしを許しはしないでしょう。ああ、婚姻は潰れ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわなければならないでしょうね」
「一体、その手紙は何処にあるのですか? トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは!」
「それが、手元には無いのです。実は手紙はアルビオンに」

 敵地の中心……予想はしていたが、ルイズに死にに行けと!?
 俺のただ一人の主を、自らの友を死なせるつもりか!?

「幸いにも、その手紙を持っているのはアルビオンの反乱勢ではなく反乱勢と骨肉の争いを続けているウェールズ皇太子が……」
「プリンス・オブ・ウェールズ? あの凛々しい王子さまが?」

 凄い。戦艦の名前そのままだ。
 諦めろ、諦めてくれルイズ。その男の名前からして最期には沈没という名の死が待つだけだ。

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は遅かれ早かれ反乱軍に囚われてしまうわ! そうしたらあの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 破滅なのです!
 同盟ならずしてトリステインは一国でアルビオンと対峙しなければならなくなります!」

 戦う以前に、一番の犠牲者は占領された後の民衆だ。虐殺と略奪、兵たちの慰み物、中世ヨーロッパでは騎士道精神が掲げられていながらも当然の様に行われていた行為の数々。考えただけで吐き気がする。

「では姫様! 私に頼みたいことというのは……」
「無理よルイズ! わたくしったら何て事でしょう。混乱しているんだわ! 考えてみれば貴族と王党派が戦いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険な事、頼める訳がありませんわ!」

 考えなくても判るだろう。お前の行動はルイズの性格を緻密に計算した上で語る策士に他ならん。
 頼むから今すぐ出て行ってくれ。俺の主人の為に。

「何をおっしゃいます。たとえ地獄の釜の中だろうが竜の顎の中だろうが何処なりと向かいますわ! 『土くれ』のフーケを捕まえたこのわたくしめに、その一件、是非ともお任せ下さい」

 そう言えばフーケは無事に逃げられただろうか? 正直不安は残るが、確かめる手段もないしな……。

「このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいお友達!」
「姫様! このルイズいつまでも姫様のお友達であり、理解者でございます。永久に誓った忠誠を忘れることなど出来ましょうか!」
「ああ忠誠、これが誠の友達と忠誠です! 感激しました。わたくし、貴女の友情と忠誠を一生忘れません!
『土くれ』を捕まえた貴方達なら、きっとこの困難な任務をやり遂げてくれると思います」
「一命に賭けても。急ぎの任務なのですか?」
「アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅に追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう」
「早速明日の朝にでも、ここを出発いたします」

 断ることは不可能。となると一刻も早い任務遂行が必要か、条件としては厳しいな。

「頼もしい使い魔さん。わたくしの大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」

 左手の手の甲を上に向けて差し出すお姫様。冗談ではない誰がお前なんぞの─────

「いけません姫様! こんな使い魔にお手を許すなんて!」

 ありがとうルイズ。君の言葉がこれ程嬉しく思えた事は、君が名を呼ぶように言ってくれた時以来だ。

「いいのですよ。この方はわたくしの為に働いて下さるのです。忠誠には報いるところがなければなりません」

 いい加減にしろ……お前に、忠誠を……誓えだと!
 吹き出しそうになる怒りを拳を握り締めることで抑えつつ、静かに口を開く。

「それは出来ません。自分はこの国の民ではありませんし、心からない忠誠を誓うことは出来ません」
「あんた……姫様がお手を許すって言ってんのよ! どういうことか判ってんの!」

 判っている。忠義の意味も、その在り方も。だからこそ、俺はその手を取ることは出来ない。
 俺が誓うとすれば、それは主と見定めた者のみ。
 既に君に忠誠を誓った俺が、どうしてそれ以外の者に傅けると言うのだ?
 そもそも忠義の意味を履き違えているこの女に手を許されたところで名誉でも何でもない。

「俺は日本人だ。だからこそ、心なき忠誠をこの国に誓う事は出来ない。それは日出国の民として恥ずべき事だ」

 一国の指導者に忠誠を誓うとは、国そのものに忠誠を誓う事。
 俺が認めたのは、ルイズ・フランソワーズであってトリステインなどではない。

「ニッポン人? ここはトリステインよ! これ以上の栄誉がどこにあるって言うのよ!」
「君は見知らぬ国の王に対して忠誠を誓えるか? 自分が生きた国を捨て、その国の王に服するか? 答えてくれ、ルイズ・フランソワーズ」

 出来る筈がない。彼女の盲目ともいえる忠誠はそれを間違いなく拒否するだろうことは判っている。俺の言葉を理解したらしく、歯を噛み締めた。きつい様だが、こうでも言わなくては納得もしないだろうしな。

 ────俺が仕えるのは……君だけなのだから。

「待ちたまえ。それなら是非ボクに!」

 勢いよくドアが開かれると人らしきモノが転がってきた。
 ごろんごろん、どさ。ドアにへばりついていたのがいけなかったのか、人らしきモノは激しく転がってそのまま倒れた。ちなみに人らしきモノはギーシュだった。

「ギーシュ! あんた立ち聞きしてたの? 今の話を!」
「ま、待ってくれ! ボクは、このギーシュ・ド・グラモンは姫殿下のお役に立ちたいんだ!」

 判っていたさ、君がこうする事位は。だからこそ見逃していたというのに。
 頼むから死地に飛び込むような真似はしないでくれ……。

「……貴方はあのグラモン元帥の?」
「……息子でございます。姫殿下」

 仕方ない。言っても訊かんだろうし、多少の口添えはしてやるか。

「姫殿下。忠誠には報いるところが必要。ならばお手を許すのはこの者の方が相応しいかと」
「分かりました。確かに忠誠には報いるところがなければなりませんね」

 差し出される手を震えるような手つきで取ると、感極まったように口付けした。

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えているお聞き及びます」
「では明日の朝、アルビオンに向かって出発すると致します。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、貴方方の目的を知れば、あらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 お姫様はその後、机に座ってルイズの羽ペンと俺が以前ルイズにあげたルーズリーフを使って手紙をしたためた。

「始祖ブリミルよ……この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはりこの一文を書かざるを得ないのです。自分の気持ちに嘘をつくことはできないのです……」

 お姫様は手紙を巻き、杖を振ると手紙には封蝋がなされ、花押が押されたその手紙をルイズに手渡す。

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 そう告げるとお姫様は右手の薬不備から指輪を引き抜き、ルイズに手渡した。

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って資金に充ててください。
 この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪がアルビオンに吹く猛き風から、貴方方を守りますように」


     ◇


 用件を伝えるだけ伝えて退出していったお姫様を見送った後、ため息混じりに椅子に腰かけた。

「さて、どうしたものか……」
「どうしたも何もないわよ。せっかく姫様がお手を許してくれたって言うのに」
「いいじゃないか。なあギーシュ、君としても嬉しかったろう?」
「確かにその通りだが……何も無碍にすることは無かったんじゃないかい?」

 どうやら二人とも納得はしてないらしい。

「……それは置いておくとして。問題は明日からの任務だな」
「そうだね。けど君なら問題ないだろ? フーケのときだって圧倒的だったし、こちらとしても心強いよ」
「そうね。あんた平民とは思えないくらい強いし、何とかなるんじゃない?」
「……頼りにされても困るが」

 確かにフーケの時は問題なく動けたが、ペースがあまりにも早すぎる。こちらの世界に来ての数日、あまりにも動きすぎ、力を使い過ぎた。
 ガンダールヴの恩恵があるといっても肉体にかかる反動が皆無と言う訳ではない。元居た世界でも稽古や訓練をしていたが、あれはオーバーワークにならないよう気を使っていたし、病院に通ったり体調が悪くなれば休むことも出来た。
 だが、こちらに来てからはそうもいかない。負荷をかけ過ぎた肉体は軋んでいるし、何より俺は基盤そのものに問題がある。鍛錬以外では極力休んでいたいのが本音だ。

「今日はもう解散にしよう。任務に関しては出来るだけこちらの手を煩わせないようしてくれ」

 俺の言葉にしぶしぶと二人は引き下がる。当てにされる事はやぶかさではないが、自分の状況を考えるとそうも言っていられない。
 ではまた明日、と退出するギーシュを見送り、ルイズの方も寝るとのことなので着替えが終わるまで廊下で待ち、終わると同時に部屋に戻った。気疲れと明日に備えねばならないという理由からか、ルイズは既に寝息を立てている。

「俺も寝る……前に手入れをしないと」

 これもまた一つの日課となっている行為で、所持しているナイフやレイピアなどの手入れである。
 机に置いた紙の上に砥石を乗せ、空のボトルに汲んだ水を垂らす。本来ならば錆などを防ぐために洗濯ソーダを使いたいところではあるが、無い物をねだっても仕方がない。
 幸いにも砥石に関しては目の粗いものから細かいものまで数個ある為、日本刀でも砥ぐことが出来る。あの店主には感謝してもし足りない。刀剣という物は繊細なもので少しでも手入れを怠れば錆つき、駄目になってしまうのだ。
 とはいえナイフに関してはステンレス製なので錆びることは無いため、一番気を使わなくてはならないのは剣そのものの強度が弱いレイピアといえる。
 頻繁に研ぎを掛けるのは刀身を無意味にすり減らしてしまうので、レイピアやナイフは油布で拭く程度に留めておく。今回一番砥ぎに時間をかけなければならない、半ば鞘から抜き出た状態で床に寝かせてあるデルフを手に取った。

「お。相棒、手入れしてくれんのかい?」
「あまり気乗りはせんが、明日からの任務もあるしな」
「相棒、内心スッゲェ嫌がってたろ?」
「当たり前だ。主人が寝ているから言わせてもらうが、あの女の為に働かされると考えると思うとやってられん。上を敬い、下を侮るなと曽祖父より教えられたが、ああいうのは例外だ。俺が忠誠を誓おうと思うのは今のところ一人だけだな」
「その一人ってのは、あの娘っ子か?」
「……ああ、少なくともこの国やあのお姫様よりよっぽど仕えがいがある」

 出来る事ならばあのお姫様を叩きだし、ルイズを説得出来ればどれ程良かっただろう。
 無論、それが出来ないのは判っている。この女は一国の姫君である以上手荒に扱う事は出来ないし、無理に断ればルイズは一人でアルビオンへと赴くだろう。
 そうなれば、ルイズに待つのは死だけだ。
 何も知らず、得る物もないままに、絶望しかない場所へと赴く。
 それを勇気や献身と勘違いしたままで散る事に、一体何の意味がある。
 ルイズは前を向く事の出来る人間だ。どのような形であれ彼女が進む道を選び大成するまでは見届けていたい。
 我を通そうとし過ぎるのが玉に瑕だが、それさえも我が儘な妹の様な物だと考えれば可愛げも出てくると言う物だ。
 そんな事を想いながら、基本通りに研ぎを掛けていく。幾ら切れ味が良いとはいえ錆びだらけではもったいないし、研ぎさえすれば今以上の切れ味を期待できる。磨き上げられたデルフを想像しつつ研いでいく。
 道具の手入れというのはやっていくうちに楽しくなっていくもので、ましてやデルフに至ってはちゃんと意思があるので手入れのし甲斐がある。そろそろいいかと研いだ部分を確認のために見てみる。……見て、みたのだが。

「全く錆が落ちてないのだが……」
「へ? あ、相棒……今まで武器の手入れをした事とかは……」
「得物の手入れは基本だ。業物なら砥師に出すが、極力自分でこなしている」

 おかしい。研ぎ石の目が細かかったのかも知れないと一番粗い物に変えても効果なし。錆は全く落ちなかった。

「デルフ。買った時に錆が手に付かなかったから気になっていたんだが、作られた時から今みたいな姿だったという訳ではないよな?」
「どうだったかねえ? 正直オレも何か思い出せそうなんだが、かなり昔のことなんでな」

 つまり判らないということか。確かに三階から放り投げられたり、ゴーレム切ったりしても刃毀れどころか傷一つ付かなかったしな。まあ手入れ要らずと言えばこれ以上ない剣なのかもしれんが。

「────って、相棒? なんで道具片付けてんの?」
「君が手入れ要らずだってことが判ったからな。これ以上研ごうとしたら砥石の方がダメになりそうだ。まあ、多少汚れてるみたいだから拭いておくがね」

 剣なのに何処となくがっくりしたようなデルフを軽く拭いて元の位置に戻し、床に横になる。

「なあ相棒。苦しくねえのか?」

 不意に、眠りにつこうとしたところで声を掛けられた。
 何がだ、とは返さない。ルイズはともかく、こいつは寝ることが無いからばれていることは目に見えている。

「どうしようもないさ。どの道、」
「体もだけどよ。心はどうなんだい?」

 聞きたくは無かった。その言葉は俺にとって重すぎる。亀の甲より年の功というべきか、人より遥かに永きを生きるこの剣に隠し事は通用しない。

「破片だけを残したといったところかな。寄せ集めの偽物、そういう在り方でしか、正常ではいられなかった」

 ────俺は、そうでもしなければ本当に壊れてしまうから。

「難儀だねぇ」
「人間生きてれば様々な奴を見る。俺も単に変わった人間でしかない」

 尤も、自分は人間としてまともではない。破片で作り上げたのは心ではなく、歪な仮面だったのだから。
 話はここまでだと打ち切り、俺は瞼を閉じた。デルフも深追いはすまいと考えたのか、もう口を開かない。
 先程の会話は忘れよう。俺が持ち出さない限りデルフも言及はしないだろうし、何よりこの会話は無意味なものだ。
 任務は嫌だが、思考を切り替えるのには丁度良い。俺は明日に備えなければということ以外を考えないようにしつつ、眠りについた。


     ×××


あとがき

 投稿できた……けど話が進みませんね。すみません。
 今回はお姫様に対して否定的でしたが、正直書く前から主人公とは馬が絶対に合わないだろうなと思っていたので、こうしました。
 まあ同性の立場から見ても彼女の行為には納得のできないものがありましたし。
 次回の更新は未定ですが、早く出すことができればと考えています。


追記:応援等の感想ありがとうございます。毎回読ませていただいていますが、大変励みになります。
   あとこれは作者に責任があるんですよね。『急降下爆撃』の著者の言葉を使ったり、主人公視点以外は三人称で書いていますし、それ以前に趣味で型月のゲームをやってたりと間違えられて当然と言えば当然なのですが、

   作者はミスタではありません、と最後に爆弾を投下してみたり。


 それではまた次回、お会いしましょう。



[5086] 004※加筆修正済(11/2/15)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2011/02/15 22:13
 朝靄の中、ギーシュとルイズが馬に鞍を付けて支度をしているのを横目に、俺は鞍と荷物を既に付け終え、改めて装備を確認する。
 デルフを背負い、腰にレイピアとナイフを差し、ポケットの中には鋼糸を入れ、手袋も装着済み。
 近接武器が主武装になるため出来れば銃火器か、それに代わる飛び道具も欲しいところだ。学院長辺りに要請すれば用意する事も可能だったろうが、流石に昨日の今日では無理がある。出来れば荒事が無いことを祈りたい。
 ……尤も、荒事が起こらない事など万に一つも有りはすまいが。
 今回は馬での行動が長いらしく、ルイズは乗馬用のブーツを履いている。こちらもブーツではあるが、あくまで軍靴であって乗馬用という訳ではないため役には立たないだろう。

「お願いがあるんだが……」
「どうした? 鍛錬は出来る限り休まないようにするつもりだが、今回は別だ。それと昨日言った『レビテーション』の訓練はやっておいたか?」
「それは勿論だが……お願いというのはボクの使い魔のことでね、同行させたいんだが」
「良いのではないか?」

 歯切れに悪いギーシュに軽く返す。俺とて使い魔であるし、足手纏いになる事は無いだろう。何せ主人を守る者なのだから。

「ありがとうナオヤ! 君は寛大だね!」

 抱きつこうとするギーシュを身を捻ることで躱し、大げさな、とため息をつく。

「それで。君の使い魔は何処に?」

 避けられたのがショックだったのか、蹲ったままギーシュが指をさす。そこは地面だ。地中に居るとすればギーシュの使い魔は……。

「まさか、土竜なのか?」
「よく分ったね。さあヴェルダンデ出てきておくれ!」

 ギーシュが足で地面を叩くと地面が盛り上がり、地中から巨大な土竜が出てきた。

「ヴェルダンデ! ああ! ボクの可愛いヴェルダンデ!」

 地中から出てきた土竜を膝をついて抱きしめるギーシュ。しかし……。

「大きすぎないか?」
「ヴェルダンデはジャイアントモールだからね。ああ、ヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね! 困ってしまうほどに! どばどばミミズはいっぱい食べて来たかい?」

 小熊ほどある巨大土竜に抱擁している親バカなギーシュ。そしてそんな親バカにモグモグと鼻をひくつかせて嬉しそうにする使い魔。意外と良いコンビなのかもしれない。

「そうか! それは良かった!」

 使い魔に頬ずりするギーシュを横目で見ていたが、ルイズは困ったように告げた。

「そんなの連れていけないわよ。私達、馬で行くのよ?」
「地面を掘って進むのは速いんだ。 なあ、ヴェルダンデ」

 うんうんと頷くギーシュの使い魔。しかし我が主、ルイズは無情にも言い放つ。

「アルビオンに行くのよ。地面を掘って進む生き物を連れて行くなんて駄目よ」

 あまりにショックだったのかギーシュは膝をついて項垂れた。なんというか、反応が見ていて面白い。

「お別れなんて辛い、辛すぎるよ……、ヴェルダンデ……」

 そんな親バカを慰めるように鼻をひくつかせる使い魔。実にいい子だ、ギーシュが落ちこむのも、少しくらいなら判らなくもない。

「……アルビオンまでは無理でも、付いて来られるまで一緒に行く分には構わないだろう」
「ありがとうナオヤ。君の気持ちをありがたく受け取っておくよ」

 途中までとはいえ一緒に居られるという事で、多少は立ち直ったギーシュが腰を上げる。
 と、同時にヴェルダンデが鼻をひくつかせてルイズにすり寄った。というか押し倒したぞ、この土竜。

「使い魔とは主人に似るものなのか?」
「……君がボクをどういう目で見ているのか気になる発言だね。
 幾らなんでもいきなり女性を押し倒したりはしないよ。多分ルイズの嵌めている指輪の宝石が原因だね。ヴェルダンデは宝石が大好きなんだ」
「変わった趣味だな」
「そう言わないでくれ。ヴェルダンデは貴重な鉱石や宝石をボクの為に見つけてくれるんだ。『土』系統のメイジであるボクにとって、この上ない素敵な協力者さ」

 そういえば魔法の触媒に使う物を探すのも使い魔の役目だったな。それはさておき。

「早く退かそう。このままではうちの主人が痴態を晒すことになる」

 というか、先程から思いっきり晒してるが。
 仕方がないね、とギーシュがレビテーションで使い魔を浮かそうとした矢先に一陣の風が舞い上がり、ヴェルダンデを吹き飛ばす。未だ人影を明確に捉える事は出来ないが、攻撃した以上は敵だ。

「角度からして向こうだな。姿が現れ次第、拘束を。首は俺が取る」

 デルフを抜くと同時にギーシュも頷いて杖を向ける。朝靄の中から、微かに人影が見えた。躊躇う事は無い。地面から生えた腕が男の足に絡み付き、その身を拘束する。
 否、拘束する筈だった。

「な!?」

 驚きの声を上げるギーシュ。当然だ。人影は足を取らせるより早く接近し、杖を引き抜いていたのだから。
 しかし甘い。足に絡み付く腕はフェイク。真のトラップは円を描くように設置された造花の花弁にこそある。杖を突きつけるように踏み込む一歩。男が決め手となると確信したその一歩こそが敗北という死を味わう一歩となる。
 発動されたトラップ。槍のように伸びた棘は円形に囲い、男を閉じ込める檻となった。
 同時、処刑刀の如く振り下ろされる一刀。周りの棘はあくまでも牽制、強度そのものは決して高くは無いため、デルフであれば容易く砕き、そのまま男の首を刎ねることが出来る。
 しかし男の反応速度を甘く見ていたというべきか。奇襲であった一撃を辛うじて杖で受け止め、手を前に突き出す。

「待ってくれ、ぼくは敵じゃない。姫殿下より君達に同行することを命じられていてね。
 君達だけでは心許無いが、お忍びの任務である故一部隊を付ける訳にもいかぬ。そこでぼくが呼び出されたという訳だ」

 長身の男は羽帽子を取ると優雅に一礼する。

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」
「ギーシュの使い魔に攻撃を仕掛けましたが、あれでは敵と間違えられても仕方ないと思いますが?」

 反論しようとして口を噤んだギーシュに変わって抗議する。如何に身分の差があろうとも非のある相手に対して躊躇う必要など無い。

「すまない。婚約者が土竜に襲われているのを見て見ぬ振りは出来なくてね」

 婚約者……ルイズのことか? いや、幾らなんでも主に年齢的に無理が……無い訳ではないな。ルイズは十六で貴族、それもかなりの家柄だ。
 ともすれば、こうした縁談がっても何ら不思議は無い。尤も、ルイズ自身が子爵を好んでいるかどうかだが…………。

「ワルドさま……」
「久しぶりだなルイズ! ぼくのルイズ!」

 清々しい笑顔で歩み寄り、ワルドはルイズを抱え上げる。嬉しそうに抱えられている辺りルイズも満更ではないらしい。

「お久しぶりでございます」
「相変わらず軽いな君は! まるで羽根のようだね!」
「……お恥ずかしいですわ」

 見ているこちらの方が恥ずかしくなりそうだ。しかし、婚約者か……俺には関係ないが。

「彼らを紹介してくれたまえ」
「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のナオヤです」
「君がルイズの使い魔かい? 人とは思わなかったな。ぼくの婚約者がお世話になっているよ」
「北澤直也と申します。お見知りおきの程を、子爵」

 自分でも判らない蟠りを抑えつつ、気さくに近寄る子爵にこちらも笑顔で返す。だが、それはあくまで形式上の物でしかない。この男からは嫌悪感しか感じないのだ。
 殺し合いさえも────厭わぬ程に。

「これからアルビオンに向かう訳だが、君といると心強いな。『土くれ』のフーケを捕まえたと聞いた時は驚いたが、先程の攻撃は中々だった。ぼくでなければ地面に首が転がっていただろうね」

 こちらとしても避けられるとは思っていなかったがな。
 しかしこの男、フーケを捕まえた事を知っていながら人とは思わなかったと言うのは……言っている事が矛盾してないか?
 多少の疑問を抱いたものの、言葉の綾というものだろうと納得していると、朝靄の中から幻獣が現れた。鷲の頭部と獅子の身体、大きく逞しい翼は一目でそれをグリフォンと判らせる。

「おいで、ルイズ」

 グリフォンに跨った子爵がルイズに手を差し伸べた。最初の方こそ戸惑っていたものの、結局は小さく頷いて子爵の元へ向かう。無駄と知りつつも、普段もそれ位お淑やかであればやり易いのだが、と思いながら自分も馬に跨った。

「では諸君。出発だ!」


     Side-out


 出発する一行をアンリエッタは学院内から見送ると、彼女は眼を閉じて手を組んだ。

「始祖ブリミルよ。彼女たちに加護をお与えください」

 しかし、そんなシリアスな場面であるにもかかわらず、隣ではクソジジイ、もとい学院長ことオスマン氏が鼻毛なんぞ抜いていた。

「見送らないのですか? オールド・オスマン」
「ほほ。姫、見ての通り、この老いぼれは鼻毛を抜いておりますのでな」

 呆れたと言わんばかりの表情でアンリエッタはオスマン氏を見ていたが、不意にドアが強く叩かれる。入りなさい、とオスマンが呟くとミスタ・コルベールが飛び込んできた。

「いいいい、一大事ですぞ! オールド・オスマン!」
「君はいつでも一大事ではないか。どうも慌てんぼでいかん」
「慌てますよ、私だってたまには慌てます! 城からの知らせです! チェルノボーグの牢獄から、フーケが脱獄したそうです!」
「ふむ……」
「門番の話では、さる貴族を名乗る怪しげな人物に『風』の魔法で気絶させられたそうです! 魔法衛士隊が王女のお供で出払っている隙に、何者かが脱獄の手引きをしたのですぞ! つまり、城下に裏切り者がいるということです。
 そして、ここからが重要なのですが……どうやらフーケは初めから杖を持っていたそうです。警備の者で辛うじて生き残った者の証言ですが、どうやらフーケに助けられたとか。
 何でも自分たちは殺される筈だったところをフーケが仲間になることで難を逃れたと。不可解な点ばかりでして……」

 オスマン氏はしばし黙り込む。フーケの杖を奪っておいたとの証言を、ミス・ヴァリエールの使い魔はしていた。ならば手引きをしていたのは使い魔というのが有力だが、彼にはアリバイがある。
 何より主人を危険にさらした相手に情けをかける必要性があるだろうか? いや、あの使い魔の少年は得体が知れないのは事実だ。
 しかし、異世界の住人がこちらの政治に関わりたがるとは思えない。彼は帰る方法を探していた。その割には消極的だが、少なくとも最初にコルベールを通じて持ちかけてきた条件は帰る意思の見られるものだ。だが……。

「分かった。その件については後で聞こうではないか」

 考えても仕方ない。使い魔の少年については判らない事が多すぎるし、下手に刺激して本当に敵にでもなれば、それこそ厄介だ。一先ず様子を見よう。
 ミスタ・コルベールの退出と共に、アンリエッタは机に手を付いた。

「城下に裏切り者が! 間違いありません。アルビオン貴族の暗躍ですわ!」
「そうかもしれませんな。あいだっ!」

 鼻毛を抜きつつ返事をするオスマン氏をアンリエッタは見つめた。本当にこの人の行動には呆れ返るばかりだといったように。

「トリステインの未来がかかっているのですよ。何故そのような余裕の態度を……」
「既に杖は降られたのですぞ。我々に出来る事はただ待つだけ。違いますかな?
 それに彼ならば道中どんな困難があろうとも、やってくれますでな」
「彼とは? あのギーシュが? それともワルド子爵が?」

 オスマン氏は静かに首を振った。その態度が意味することは一つ。

「ルイズの使い魔が? まさか。確かに彼は忠義に厚いようですが、ただの平民ではありませんか?」
「ただの平民。彼をそうお思いですか? 先程の彼の実力の一部は垣間見たはず」
「子爵は受け止めました。それにあれは単なる奇襲、褒められた物ではありません」

 確かにその通りだ。北澤直也は戦闘において正攻法で戦うという事をしていない。この国の貴族にとっては浅ましく、卑劣な戦い方と取られても仕方ないだろう。
 オスマン氏は知りえないことではあるが、北澤直也はアンリエッタに対して好ましい印象を抱いてはおらず、あまつさえお手を許すという貴族にとっての名誉に首を振ったということもある。
 アンリエッタ自身が北澤直也を信用しきれていない原因もそれであり、所詮は平民という意識が染みついているのも理由の一つといえた。

「あれは一部に過ぎません。姫は『ガンダールヴ』のくだりはご存知かな?」
「始祖ブリミルが用いた、最強の使い魔のこと? まさか彼が?」

 そこまで来てオスマン氏は喋り過ぎたとことに気付いた。この王女を信用していない訳ではないが、王室に報告するには早すぎる。
 下手に騒げば北澤直也は学院から逃げ出しかねない。恩人の形見を返してもらった手前、出来るだけのことはしてやりたいのだ。

「えー……おほん。とにかく彼は『ガンダールヴ』なみに使えると、そういう事ですな。ただ、彼は異世界から来た人間なのです」
「異世界?」
「そうですじゃ。ハルケギニアではない何処か。『ここ』ではない何処か。そこからやって来た彼ならば、やってくれるとこの老いぼれは信じておりますでな。余裕の態度もそのせいなのですじゃ」

 たとえガンダールヴでなかろうと、北澤直也が戦闘者である事実は変わらない。あの『炎蛇』でさえ彼に一目置くほどの。

「そのような世界があるのですか……ならば祈りましょう、異世界から吹く風に」


     ◇


 港町ラ・ロシェールはトリステインから早馬で二日程かかる位置にあるアルビオンへの玄関口であり、港町でありながら狭い峡谷の山道に設けられた小さな町である。人口はおよそ三百程だが、アルビオンと行き来する人々で常に十倍以上の人々が闊歩していた。
 狭い山道を挟み込むようにしてそそり立つ崖の一枚岩を穿ち、旅館やら商店やらが並んでいる。見た目こそ立派ではあるが、これらの建造物は全て同じ岩から削りだされたものであり、『土』系統のスクウェアメイジの匠の技と呼べるものだ。
 峡谷に挟まれた街は昼間でありながら薄暗く、陰湿な空気を漂わせる。
 その峡谷の路地裏の一角に、はね扉のついた居酒屋があった。酒樽の形をした看板には『金の酒樽亭』と書かれているその酒場は、一見するとただの廃屋としか思えぬ程に小汚く、扉の横には無造作に壊れた椅子が積み上げられていた。
 当然のことながら、酒場にはまともな人間などいる筈もない。酒を飲み、騒ぐのは傭兵か、ならず者といった風体の者達だ。彼らは酔いが回ると些細なことで口論をおっぱじめ、喧嘩騒ぎへと発展させる。
 その度に彼らは武器を抜き、殺し合いに発展するので見かねた主人は張り紙を出した。

『人を殴るときは、せめて椅子をお使い下さい』と。

 主人の悲痛な叫びはならず者達にも伝わったのか、彼らは椅子を使うようになった。それでも怪我人は出たが、死人に比べればまともといえる。
 結果、壊れた椅子が無造作に扉の横に積み上げれることになった。尤も椅子を新しく買い直したり修理をしたりしなければならないため、店主の悲痛な叫びは消えることは無かったが。
 さて、本日の『金の酒樽亭』は満員御礼であり、その原因は内戦状態のアルビオンから帰ってきた傭兵たちで溢れ返っていたことによる所が大きい。
 彼らは口々に新たに始まる『共和制』に乾杯し合っていたが、元はアルビオンの王党派に雇われた者達だ。
 会戦の折、逃げ帰って来た彼らには恥という物は感じていない。職業意識よりも自らの命を取るのは日々の生活を食い繋ぐ彼らにとって当たり前のことだ。忠義ではなく、金で雇われた以上最後まで付き合う義理は無い。
 ひとしきり乾杯が済んだとき、一人の長身の女性が酒場から現われた。フードを目深に被っているため口元しか判らないが、それでも美人であることは判る。
 何故このような酒場に? 店主を始め、店の傭兵たちもその女に視線を向けるが、彼女は意に介す事なく注文を済ませた。
 隅の席に腰かけ、酒と料理が運ばれて来ると彼女は給仕に金貨を渡す。

「こ、こんなに? よろしいんで?」
「泊まり賃も入っているのよ。部屋は空いてる?」

 上品な声は貴族のようなイントネーションではあったが、街の垢の付いたような物言いだった。
 頷いて去る主人を横目に、幾人かの男たちが目配せをして立ち上がり、女の席へと近づくと、やれ守ってやるだの、危ないだのと、取り入る様に話しかける。
 彼らは下卑た笑みを浮かべつつ女のフードを取った。男達から漏れる口笛。街を通れば殆どの男が振り向きそうになる美貌を持ったその女は、その瞳から猛禽類のような鋭さを感じさせている。
 彼女の名は『土くれ』のフーケ。先日チェルノボーグから脱出させられ、一足早くこの街へ辿り着いたのだ。

「こりゃ上玉だ。肌が象牙みてえじゃねえか」

 顎を持ち上げた男の手をフーケはぴしゃりと撥ねる。微笑を浮かべる女に男の一人が立ち上がり、その頬にナイフを当てるも肌に伝わる金属の冷たさすら意に介さず、彼女は口を開いた。

「ここじゃ刃物の代わりに椅子を使うんじゃなかったかしら?」
「脅すだけさ。椅子じゃ脅しにならねえからな。ま、かっこつけんな。男を漁りに来たんだろ? 相手ならおれ達がしてやるよ」

 そう、とフーケは身を捻りつつ杖を引き抜き、呪文を唱えた。脅しなぞ通用する筈もない。
 頬に当てられたナイフは土くれへと変わり、テーブルへと崩れ落ちたその様をフーケはぼんやりと眺め、脅しよりも料理が駄目になってしまった事にため息をついた。
 マントを羽織っていない事が彼女を唯の女だと勘違いさせたのか、男たちは後退る。

「き、貴族!」
「私はメイジだけど貴族じゃないよ。あんた達、傭兵なんでしょ」

 男たちは顔を見合わせた。貴族でない以上は命を落とすことは無い、少なくとも先程の様な行為を貴族にすれば、自分たちは五体不満足で床に転がっていたとしても文句は言えない。

「そ、そうだが。あんたは?」
「誰だっていいじゃない。兎に角、あんた達を雇いに来たのよ」

 くるくると手の中で杖を回すフーケに男は訝しむも、次の瞬間には目の色を変える。テーブルの上に置かれた革袋、その中には大量のエキュー金貨が詰まっていた。
 だが、男たちの視線は既にそこには無かった。彼らが向けたのは金ではなく店の入り口に立つ、仮面をつけた一人の男。
 人間が持つ生存本能。危険だ、関わるなといった感情は生物であるならば誰であろうと備わっている本能であり、ましてやそれが傭兵という稼業で生きている人間ならば尚のことである。
 何者なのか、明らかに胡散臭い男に対し剣を取ろうとしたところで、フーケが声を掛けた。

「おや、早かったね」
「連中が出発した」

 白い、不気味とも言える仮面を付けた男が辺りを見回す。自分達を値踏みしていることは彼らには判ったが、敢えて口は出さない。この男には束になった所で勝てはしないと本能が告げている。

「ところで貴様ら、アルビオンの王党派に雇われていたのか?」
「先月まではな。だが、負けるような奴は主人じゃねえ」

 笑みを浮かべつつ答える傭兵共に仮面の男も口元を釣り上げた。のっぺりとした薄気味悪い笑みが仮面の下から覗いている。

「金は言い値で払う。が、おれは甘い王とは違う。逃げれば殺す」

 ねっとりと、絡みつく様な不気味な殺意をのぞかせて、男は交渉を始めた。


     Side-Naoya


 魔法学院を出発してからというもの、道中二度ほど駅で馬を変えて走らせているのだが。
 ……あのグリフォン、普通ではないな。
 こちらが馬を変えて走らせているにも拘らず、あの幻獣に関しては全くと言っていい程疲れを見せることなく走り続けている。乗り手の体力もそうだが、どうやら相棒の方も普通ではないらしい。

「ちょっとペースが速くない?」

 目の前に居るルイズがワルドに問いかける。言葉使いが変わっているのは道中、子爵が頼んだからだ。
 ……態々こちらに聞こえるように。

「ギーシュもナオヤもへばって……」

 ルイズ。こちらを見て大口を開けるの止めてくれないか。意外なのは判るが、淑女のする事ではないだろう。

「……何であんたは元気なのよ」
「……普段から鍛えているのでな。乗馬も王都に行った際に勘を取り戻した」

 ギーシュに至っては倒れるような格好で馬にしがみついている。

「ギーシュ、馬の呼吸に合わせて身体を動かせ。その姿勢では馬にも君にも良くない」
「凄いな、君の使い魔は。これならラ・ロシェールまで止まらずに行けそうだ」

 こちらの発言に感心したようにワルドが口を開くも、ルイズがそれは無理だと言う様に割って入る。

「無理よ。普通は馬で二日かかる距離なのよ」
「へばったら置いていけばいい」

 子爵。本人たちがいる前でそういう発言が控えてくれないか。仮にも仲間だろう。

「それにしても、君は随分とあの二人の肩を持つね。どちらかが君の恋人かい?」
「こ、恋人なんかじゃないわ」
「そうか。なら良かった。ぼくはずっと君のことを忘れずにいたんだよ。覚えているかい? ぼくの父がランスの戦で戦死して……」

 ルイズの頷きと共に子爵はゆっくりと語りだした。

「母もとうに死んでいたから爵位と領地を相続してすぐ、ぼくは街に出た。立派な貴族になりたくてね。陛下は戦死した父のことをよく覚えていてくれたから、すぐに魔法衛士隊に入隊出来た。最初は見習いでね、苦労したよ」

 ……苦労、か。失敗だ、人間誰だって何かを背負ってる。俺は近づきすぎた。信用ならないと思う反面、この男の一部を知ってしまった。決意が鈍る。もしこの男が敵になれば─────
 ─────俺は、迷わずにいられるだろうか?
 たとえ誰かを踏み台にする人間だったとしても、この男がここまでくるに至った過程は本物だ。それを否定することはできない。それは俺自身を否定してしまう。フーケを逃がした時と同じように、これまでの俺の決断を。


     ◇


「もう半日以上、走りっぱなしだ。魔法衛士隊の連中は化け物か」
「確かに辛くはあるが、君はまだ鍛え方が足りないだけだ。じきに伸びるのだから焦らずに一歩ずつ積み重ねていけば良い」

 馬の首に体を預けつつ声を掛けるギーシュに軽く返す。そんなことより、俺は早く港町に着きたい。

「なあ……君はルイズの事をどう思っているんだい?」

 前触れもなく言われた言葉に、思わず返答が遅れる。
 その言葉の意味にはいくつか種類があるが、ここはとぼけるのが正解と言う物だろう。

「ルイズは契約者であり主人だ。それ以外の何者でもない」
「いや、そうではなくてだね。先程から君の子爵を見る目が怖いんだが、ひょっとして妬いているのかい?」

 こちらが険しい表情をしていた為か、戸惑いがちに訊いてくるギーシュに俺は頭を振った。

「それはない……単にあの男が気に入らないだけだし、俺はルイズに対して、」

 そういえば、俺はルイズをどう思っている? 契約者。その事実は変わらない。だが、俺は何故離れようとしない、なぜ強く反論しない。今回の件も強く言えば止めることは出来たのではないか? 彼女の語る忠義を否定することも。
 だが、それは出来なかった。まるでそうする事が当たり前であるかのように、俺はルイズの言葉を受け止めた。ときには反論もしたが、それは全て彼女を良い方向へと導くためだ。
 それに今回の件は下手に反論すれば、ルイズは一人で突き進むという事も判り切っている。止めるよりも付いていった方が安全なのは明白だと納得もできる。
 だが、それとは別の何かが、俺の内にあるのだ。
 心のどこかで、ルイズに何かを求めていると? 彼女が■■に代わるとでも?
 あってはならない。そんなことは認めない。俺は、俺が本当に大切なのは■■で……はて? そういえば―――──

「ナオヤ? どうしたんだい?」
「……すまない。考え事をしていた」
「ひょっとして、図星かい?」

 何処か物憂げな表情を向けてくるギーシュに違うと反論し、再び考える。
 ルイズは……きっと違う。自分の中の何処かで彼女を考えているのは、きっと心配だからだ。俺が想うのは─────


     ◇


 馬を幾度も替えることで、俺たちはその日の夜間にラ・ロシェールの入り口へと辿り着いた。おかしい。ここはどう見ても山中であり、港町と呼ぶにはあまりにも不自然だ。
 怪訝な顔つきで辺りを窺うも、一山を越えた先には海が見えるのではという考えから黙って先へと進む。
 岩山の中を縫うように進んだ先にあったのは、峡谷に挟まれるように出来た街であり、街道沿いに岩を穿って造られた建物だけだ。自然、疑問の声が漏れる。

「山中のようだが、港町ではなかったのか?」
「君はアルビオンを知らないのかい?」
「いや、この辺りの地理には疎くてな。それよりギーシュ、杖を構えておいた方が良い」

 へ? と間抜けな声を出した瞬間、崖の上から幾つもの松明が投げ込まれた。

「ちッ! ギーシュ、馬を下りろ!」

 突然の奇襲に驚きつつも、これまでの経験から急いで飛び降りる。戦の訓練を受けていない馬は炎に驚き、高々と前足をあげるが、既に飛び降りているこちらには何ら影響は無い。
 次の瞬間、おそらくはこちらが馬から転げ落ちることを予測して放たれたのであろう、絶え間なく降り注ぐ銀の閃光がこちらの息を止めんと駆け抜けた。

「な、なんだ!?」
「奇襲か。任務である以上妨害は予測していたが、如何せん相手の行動が早すぎる。内通者か、それとも……」

 馬から飛び降りた時点で既にデルフを抜いている。こうして会話をしている最中ですら放たれた矢を躱し、あるいはデルフで叩き落とす。
 問題はギーシュやルイズだが、ルイズにはワルドが付いているし、ギーシュに至っては錬金で矢を土へと変えている。心配するだけ無駄というものだろう。
 問題は敵の位置だが、向こうは崖の上だ。こちらから登ることは難しい上に、そんな事をすれば良い的でしかない。
 矢が尽きるまで防ぐか、登れる道を探すか。どちらにせよ持久戦であることに変わりは無く、そうなれば間違いなく不利になるのはこちらだ。
 いい加減休まなければ身が持たない。質で勝るのはこちら。しかしあちらは数と地の利がある。矢が尽き、白兵戦に持ち込もうものならばこちらに分があるが、メイジがこちらに居る以上下手は打たない筈だ。

「夜盗か山賊の類か?」
「もしかしたら、アルビオンの貴族の仕業かも……」
「貴族なら、弓は使わんだろう」

 後ろで子爵やルイズが何やら話しているようだが、正直こちらは限界だ。ペースが速すぎるという自覚はあったが、まさかこれ程ガタがきているとは。
 眩暈と共に一本の矢が首筋を掠めた。途切れた集中の先は死に繋がる。それはこの場においても例外ではなく、次の瞬間に降り注ぐ矢に串刺しにされる自分が脳裏に描かれ……。
 唐突に、俺は聞き覚えのある羽音を耳にした。
 矢は飛んでこない。崖の上から聞こえる悲鳴、上空に発生した小型の竜巻と共に、矢を射っていた男たちは転げ落ち、地面へと打ちつけられた。
 ……受け身も取れんのか、こいつらは。
 のた打ち回りながら呻き声を上げる男たちを呆れ顔で観察しつつ、上空へと目をやった。
 月を背に夜空から舞い降りる幻獣。ここ数日でありながら見慣れたその竜の名を俺は口にする。

「シルフィード。ということは……」
「お待たせ」

 やはり君もいたのか、キュルケ。

「何故ここに?」
「助けに来てあげたのよ。朝方、窓から見ていたら貴方達が馬に乗って出かけようとしているみたいだから、急いでタバサを叩き起こして後を付けたの」

 ……流石にそれはタバサに同情するぞ。
 キュルケの指差した先にはタバサは寝間着だったが、それでも気にした風もなく本を読んでいる。

「すまない。助けて貰って……」
「気にしていない」

 お礼を言おうとしたのだが、タバサは再び本に目を通し始めた。なにか出来ることは────と、それ以前の問題だな。

「これは?」
「上着だ。流石にそんな恰好では風邪引く。無理にとは言わないが」
「……嫌ではない」

 そんな俺を何やら不満げに後ろで見つめるギーシュとルイズ。俺としては早く宿に向かいたいのだが、その前にやる事が二、三ある。不本意だが子爵に報告をしなくてはならない。

「連中には少々聞きたい事があるので、先に行って頂けますか?」
「しかし、ミスタ・グラモンの話によれば、ただの物取りということらしいが?」

 ギーシュの尋問か……正直、あの善人にそんな事が出来るとは思えんな。

「念のためです。こちらはすぐに追いつきますので、宿で落ち合うというのはどうでしょう? 泊まる宿に関しては、後でギーシュか他の方に判る位置に立って頂ければ結構です」
「それなら心配ないわ。タバサのシルフィードならあっという間に追いついちゃうもの。ね、いいでしょタバサ」

 キュルケの言葉にタバサは頷くが、こちらとしてはそうもいかない。出来ればこれから行う事は見せたくない。

「……駄目だ。先に行っててくれ」
「シルフィードを宿の前に置く。それならすぐ判る筈」
「すまない」

 俺の言葉にこくりと頷き、タバサはキュルケを連れてルイズたちと共に港町へと向かった。


     Side-out


 闇の中、独り佇む黒衣の少年と、縛られ身動きのできない自称物取り。
 その内の一人と目が合った。

「ああ? なんだガキ。手前に話すことなんざねえぞ」

 構う事はない。彼らはすぐに自分から話すのだから。
 ポケットに仕舞っていた少年の手が虚空に延びる。その瞬間、男の片耳は『落ちて』いた。

「へ? あッ、あああああああ…………!!」

 微かな出血。鋭利な刃で斬られたかのような痛み。そして自身の体の一部を失ったという精神的ショック。判るのは、自分は『何か』で斬られたという事だけ。
 少年は何かを要求した訳ではない。気に入らなかったのか、それとも単にそういった事に愉悦を感じるだけなのか。切り落とされた男に限らず、辺りに恐怖が伝播する。
 この時の男を言い表すことはできない。気が触れてしまえば、あるいはのた打ち回れはよかったのだろう。
 だが、男は視てしまった。
 佇むだけの少年、その感情のない瞳はまるで─────

「それ以上喚けば殺す。喋らずとも……」

 殺すと、まるで人形のような無慈悲な瞳で、少年はそう語る。
 この場に居る全員が理解した。あれに逆らうな。かつて見た仮面の男ですら、目の前のあれに比べれば生易しい。

「待ってくれ……何が訊きたい! 何だって話してやる!」

 誰もこの男を咎めはしない。喋らなければ次に回るのは自分たちだ。たとえ待つのが死であろうとも、どうせならマシな死に方を選びたい。

「依頼主は?」
「女だ。フードを被ってたが、かなり上玉だった。それから男だ。白仮面を付けてたが、かなりの腕前だ。見れば判る」

 耳を失くしたにも拘らず男は冷静だった。目の前の恐怖が理性を辛うじて繋ぎ止めているのかもしれない。

「二人の特徴を。出来るだけ細かく」

 覚えている限り、記憶の片隅まで男は搾り取るように事細かに話す。身長、体格、服装、毛髪、得物の形状、自身の知り得る全てをぶちまける。
 その過程で、微かに少年は顔を歪めた。以外そうでありながら、どこか納得したような表情。それは些細なものであったが、先程の人形のような顔つきからすれば一目瞭然と言っていい。寧ろ彼らは安心さえしていた。あれにも感情はあるのだと。

「そうか……」

 少年は短く呟き、後ろ腰のナイフを引き抜く。彼らの表情に驚きは無い。むしろ少年の判断は正しい。雇われた以上はまた仕掛ける。ここで自分たちを消すのは至極当然の行動だ。
 だが、想像とは違った。少年は耳を切り落とした男の縄をナイフで切ると、そのまま馬へと跨る。

「殺さねえのか?」
「殺してほしいか?」

 しばしの沈黙。

「そうじゃねえが……面倒になるぜ、後々」
「殺せると思うなら、そうすればいい。尤も、次は無いが」

 そんなのはごめんだと首を横に振る。この少年と殺し合う位なら、王宮の騎士の方がまだ勝ち目がある。

「情報が役立たずなら殺すところだが、有益だったのでな。その礼だ。
 それと忠告だが、早いうちに他の国にでも逃げた方が良い。貧乏くじを引いたようだぞ」

 最早ここに居る必要は無いと少年は港町へと駆けていく。後にはただ、少年を見つめ続ける男たちが残された。


     Side-Naoya


 俺たちの泊まる宿は『女神の杵』という港町で一番上等な宿になるらしい。店の主人は俺の格好に訝しんだものの、キュルケ達の呼びかけから従者か何かだと判断したようだ。当然そこへ移動する。

「ギーシュ。子爵とルイズは?」
「彼らなら先程『桟橋』へ乗船の交渉に行ったよ。もうすぐ戻るんじゃないかな」

 噂をすればなんとやら、戻ってきた子爵とルイズはそのまま席へ付いた。

「アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないそうだ」
「急ぎの任務なのに……」

 子爵の説明と共にルイズは口を尖らせつつ呟く。まあ、しかしだ。

「何故明日にならなければ船が出ないのですか?」
「明日の夜は月が重なる。『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンが最もラ・ロシェールへ近づく」

 こちらの一般常識だけでなく、地理に関しても勉強しておくべきだったか。今更という気もするが、今度からはそのついでに国政に関してもできる限り把握しなければ。いざという時に必要になるだろうし。

「さて、今日はもう寝よう。部屋を取った」

 鍵束を机の上に置き、子爵は部屋割りを説明して行く。相部屋になるのは俺とギーシュ、キュルケとタバサ。そして、子爵とルイズ。
 子爵いわく、婚約者だから当然ということらしいが、消す対象と決めた相手を主人と同室にするのは反対だ。

「そんな、駄目よ! まだ私達、結婚してる訳じゃないでしょ!」
「大事な話があるんだ。二人きりで話したい」

 ルイズも一度は首を振ったものの、子爵のその言葉に頷く。話があるのはこちらも同じなのだが、言ったところで聞かないのは目に見えている以上、どうする事も出来なかった。


     Side-out


『女神の杵』は貴族を相手にするだけのことはあり、部屋自体は広く、天蓋付きのベッドには豪奢なレースの飾り付けがなされていた。

「二人に」

 かちん、と陶器の杯を合わせる音が響く。言葉の主であるワルドは微笑みを浮かべるも、ルイズは戸惑いからか俯いている。

「姫殿下から預かった手紙は、きちんと持っているかい?」
「……ええ」

 ポケットの上からしまっている封筒を押さえた。この手紙の内容は何なのか。ウェールズへと送られた手紙は? 考えるまでもない。幼い頃、共に過ごした相手がどういった時に表情を作るのかは判っている。

 あの時────最後の一文を書き添えた時の表情。その意味を。

「心配なのかい? 無事にアルビオンのウェールズ皇太子から、姫殿下の手紙を取り戻せるのかどうか。
 だけど大丈夫、きっと上手くいく。なにせ、ぼくが付いているんだから」
「そうね。貴方がいればきっと大丈夫。貴方は昔からとても頼もしかったもの。それで、大事な話って?」
「覚えているかい? あの日の約束を。ほら、君のお屋敷の中庭で……」
「あの池に浮かんだ小船?」

 それはつい最近になって夢見た記憶。遠くも懐かしく、暖かかった思い出の一幕。

「君はいつもご両親に叱られた後、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫みたいに。でもぼくは君が出来が悪いという事は、魔法の才能が無いと言われるのは間違いだと思っていた。
 君は失敗ばかりしていたけれど、誰にも無いオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは君が、他人には無い特別な力を持っているからさ。ぼくだって並のメイジじゃない。たとえば、そう、君の使い魔……」
「ナオヤのこと?」

 微かに自身の顔が紅潮するのが分かったが、悟られぬよう声を出す。

「そうだ。彼の素早さ、身のこなし、危機的状況での対応能力。普通の平民とは思えない。これは飽くまで推測なんだが、彼のルーンは左手にあるんじゃないかい?」

 確かにその通りだ。普段こそ手袋をしているものの、彼のルーンは左手に刻まれている。その事に頷くと、ワルドはやはりといった表情で頷いた。

「君の答えで確信に変わった。あれは伝説の使い魔『ガンダールヴ』の印だ。始祖ブリミルが用いたという伝説の使い魔のね」
「信じられないわ」

 率直にルイズは自分の思いを口にする。
 確かに北澤直也は強い。だが、だからと言って伝説というのは行き過ぎだ。如何に力を持ち、知識や礼節を持とうとも彼は目の前の婚約者には敵わない。それが早朝にルイズが見出した結論であり、確固たる事実である。
 しかし、ワルドは違った。目の前の婚約者は静かに首を振る。

「そんな事は無い。君は将来、偉大なメイジへとなるだろう。そう、始祖ブリミルの様に」

 それは召喚した使い魔によるものなのか、それとも何か別の物から来るものなのかは判らない。だがワルドははっきりと、確信を持った口調で告げた。それこそが君の未来だと、予言するかのように。

「この任務が終わったら、ぼくと結婚しよう。ルイズ」

 甘く、囁くような言葉で告げる。突然の言葉にルイズは驚きを隠せない。

「ぼくは魔法衛士隊の隊長で終わるつもりは無い。いずれは国を……、ハルケギニアを動かす貴族になりたいと願っている」
「でも……私は貴方と釣り合うようなメイジじゃないわ。確かに使い魔はすごいかもしれないけど、私はまだ全然子供で、」
「君は大人だよ。お父上だって許して下さる。ぼくには……君が必要なんだ」

 あまりにも真摯な言葉。その言葉には確かに嘘偽りは無い事がルイズには判る。だが、その誘いに頷いていいのだろうか?
 微かに、使い魔である少年が脳裏をよぎる。未熟な自分に道を示した少年。どんな時でも助けてくれた使い魔を。戸惑いは微かなものだった。だが、目の前の婚約者はそれを感じ取ったのか僅かに眉をひそめる。

「君の心の中に、誰かが住み始めたみたいだね」
「ち、違、」

 否定しようとするルイズをワルドは制し、微かに微笑む。

「いいんだ、ぼくには判る。今すぐ返事が欲しい訳じゃない。この旅が終わったときには君の心はぼくに向いている筈なのだからね」

 その言葉に軽く頷くとワルドはよりにこやかに微笑みかけるも、微かに戸惑うかのように口を開く。

「それと、言い辛い事がある。君の使い魔の事だ」

 その言葉に戸惑う。先程まで褒めていた自身の使い魔の事で、何故そのような表情をするのか。

「ルイズ……君の使い魔は、ひょっとしたらアルビオンの手先かもしれない」
「そんな事……」

 ある筈が無い。まして自身の使い魔が手先などというのは無理がある。あの日、あの学院で召喚されてから己の傍を離れなかった少年に、そんな行為が出来るとは思えない。
 しかしワルドは尚語り続けた。

「君の使い魔は確かに優秀だ。戦闘に秀で、状況を分析する手腕は見事という他ない。
 だが、彼の行為にはあまりにも不可解な点が多い。早朝、君を助ける為にぼくは魔法を放った。非難されても仕方が無いかもしれないが、だからと言って殺そうとするのはやり過ぎだ。
 先刻の襲撃の際にも彼はいち早く察知した。まだ奇襲も受けていないにも関らずにだ。申し合わせたとしか思えない」
「でも、それだけじゃ……」
「確かにそれだけでは不十分だ。だけどね、ルイズ。彼は襲撃した連中を縛りあげた状態にも関わらずあの場に残った。ひょっとしたら縄を解いて再び襲撃を仕向けるかも、」
「やめて!」

 堪え切れずに声を上げる。そんな言葉は聞きたくないとばかりにルイズは耳を塞いだ。

「すまない。君を悲しませるつもりは無かった。ただ心配だったんだ、君の身を危険に晒す訳にはいかない」

 椅子から立ち上がると同時にワルドはそっとルイズの後ろから両肩に手を置き、囁きかける。

「君は疲れているんだ。今日はもう休んだ方が良い」

 その言葉を残して部屋を出たワルドをぼんやりと眺めると、ゆっくりと立ち上がった。
 足取りがおぼつかない。しっかりと歩いているはずなのに、やけにぼんやりと感じてしまう。
 倒れこむようにベッドに横になった。眠ってしまえばいい筈なのに、やけに目が覚めてしまう。
 これではいけない。あの使い魔は自分を何度も助けてくれた。何故信じることが出来ないのか。常に冷静で、彼はいつも……、

 いつも……何を考えていた?

 思えば初めから妙だった。平民でありながら礼節をわきまえ、誇りに対して語るなど普通はあり得ない。自分たちとは別の視点で物事を見ていたのは? 姫殿下のお手を取らなかったのは?
 決まっている。異世界の住人だからだ。彼はそう言っていたではないか、と自身を納得させるも、微かに出来た疑惑の念は拭えない。
 だが、契約の時点ですら彼は全く動じてなかった。まるで、これからどうにでもなるとでも言うかのように。
 もしも、もしもこれまで彼が語っていたのが出任せだとしたら? 鞄の中の本は魔法薬か、それとも兵器の書類か何かで、破壊の杖もガンダールヴになったために使えただけだとしたら?
 だけど、夢の中は……?
 そうだ。自分はあんな建物は知らない。あんな植物は見たことは無い。ならやはり彼は無実?
 でも、もしかしたら知らない土地……東方辺りから来ただけなのではないだろうか? そしてそこから雇われたとしたら?
 深く考えるほどに疑惑が込み上げる。結局彼女は、一睡もできなかった。


     ◇


 ルイズが子爵と話している頃、隣の部屋でギーシュと北澤直也は首を傾げていた。原因はテーブルの上に置かれていた一振りの大剣、デルフリンガーにある。
 部屋に付いた際、ギーシュの『レビテーション』がどれほど出来るのか試すために、鞘から抜いたデルフリンガーを浮かせるよう北澤直也は指示を出したのだが、当のデルフリンガーは全く浮かず、浮いたとしても柄が一時的に持ち上がっただけでまたテーブルに落ちてしまう。
 魔法そのものが上手く発動していないのではと考えたが、椅子はおろかベッドですらかなりの時間浮く事を維持できていた為、余計に事態を難解にさせる事になった。とはいえ、原因は一つしかないのだが。

「デルフ。お前、何か隠していないか?」
「いや、何か思い出せそうなんだが、正直思い出せねえんだ」

 つまりは本人にも分からないという事らしい。
 仮説として立てられたのはこの剣が魔法を緩和ないし無効化させられるのではないかという事だが、ギーシュは錬金以外大した魔法は使えないので試す手段が無い。結果としてこの件は持ち越しとなり、北澤直也はベッドに腰かけた。

「デルフの件は急ぐ程でもないとして。ギーシュ、君に伝えておくことがある」

 これからの任務について何か指南してくれるのではと期待していたギーシュだが、その期待は次の一言であっけなく崩れる。

「子爵の事だ。奴から目を絶対に離すな。背後にも立たせるな。少しでも不審な行動を取れば魔法を使え」
「なっ、なんでそんな事を!? 君はそんなにルイズを子爵に取られるのが嫌なのかい!?」

 場違い過ぎる発言に肩を竦めつつ、そうではないと頭を振った。

「奴は裏切り者だ。崖の上にいた傭兵共に尋問をしたが、随分とあっけなく口を割った。奴らを雇い入れた主の特徴と子爵の特徴は完全に一致している。
 頭隠して尻隠さずとはよく言った物だが、仮面を付けていようと同じ服装や得物でばれないと思うとはな。連中が捕まるのが想定外だったのか、それとも物取りと言えば先を急ぐと思ったのかは判らないが、間抜けなことに変わりない」
「……そんな、魔法衛士隊の隊長が? どうして」
「価値観なぞ人それぞれだ。国への忠義より私欲を取る奴も居る」

 俺も今の汚職や問題が起こればすぐに辞任して有耶無耶にする国家の愚物共に仕えようとは思わないしな。

「それより君の尋問はどうなっている? 傭兵連中は依頼を受けている以上真っ当な方法ではまず口を割らん。何ならやり方を教えるが?」

 実際のところ要求を一方的に話すより相手を重症にさせない個所を選び、肉体の損傷を少なくなるように配慮しつつ恐怖感を多く植え付ける方が、意思の崩壊をより早く的確に与えられるというのは拷問術の基礎である。
 無論、ショック死や出血量にも気を使う事が必要だ。ギーシュは聞きたくないと言わんばかりに首を横に振っているが。

「そこまで拒否することは無いだろう。まあ、そういう事だから子爵には気をつけろ」
「しかし、もしそうならルイズは大丈夫なのかい?」
「出来ればこちらに居て欲しいが、それに関しては心配ない。もし任務を妨害するだけなら渓谷のところで打って出れば確実に仕留められた筈だ。あの男の目的はこちらと同じくアルビオンの手紙で間違いないだろうから、少なくともそれまでは安全だよ」

 おやすみ、と北澤直也はベッドに横になる。よほど疲れが溜まっていたのか、それとも久々に柔らかい寝床に有り付けたのが、心地よい眠りに誘う原因となったのかは定かではないが、彼はすぐに寝息を立て始めた。


     ◇


 ひゅー……ひゅー……ひゅー……

 それに気付いたのはすぐだ。むしろ気付かぬ方がおかしいその音に、この場に居た二人───正確には一人と一刀───はお互いを見合わせた。

「……デルフと言ったね。ナオヤは前からああなのかい?」
「ああ。オレが来るまでは判らねえが、多分ずっと前からなんだろうさ」

 微かにギーシュは俯く。心強いと、彼がいれば問題は無いと楽観していた。
 だがそうも言ってはいられない。むしろ他力本願でここまで来た自分が情けなかった。

「ルイズは、この事を?」
「いや。相棒は娘っ子が寝付いてから寝てるし、起きるのも早ええ。余計な心配はかけたくねえんだろう」
「そうか……なら、ボクが頑張らないと」
「おめえさんにゃ期待はできねえな。せいぜい早く寝て明日に備えるこった。その分精神力は回復するぜ」

 口こそ悪いものの事実である以上は反論のしようが無いため、言われた通りベッドに横になる。いつか彼の横に立てるように、その背中を任せられるようにと決意しつつ、ギーシュは眠りについた。


     ×××


あとがき

 取り敢えず投稿完了。読者の皆様には楽しんでいただければ幸いです。
 でも書いてて思ったことが一つ。
 主人公に一番近い位置にいるのギーシュじゃん……。
 いっそ実は女でした的なことにしてもいいかな、設定的にはこんな感じで。


     ×××


※主人公に女性だとばれて問い詰める会話中。


「どうして男の真似を……?」

 それは聞くべきではないのかもしれない。深く立ち入るということはその人の中に踏み込むということだ。
 自分を叱咤するも気付けば口にしていた言葉に、はにかみながらギーシュは答えた。

「この国の人間ではない君には判らないだろうが、ボクたちの国は小国でね。いつ攻め込まれたとしてもおかしくない。父も元帥ではあるがさすがに歳には勝てない。
 兄たちは軍にこそいるが、いまだ下士官のままだし、何より戦場には向いていない。いずれ戦いが起これば大した戦果も上げることなく滅ぶだろう」

 だから、とつぶやく。それははっきりとした意志のようで、どことなく諦観めいた声だった。

「だからボクは戦うと決めた。たとえ一瞬でもこの国が長く生きるために。自分が見てきたものを守れるように。その為には女ではいられない。戦場では命の価値は平等だが、戦える女性は限られている。……戦えるのは男ばかりだ。
 だからこそ、父が戦場を棄て、この国が悠久たりえるその時までボクは男のままだ」

 ……そうか。とそう口にするより先に、ギーシュは口を開く。

「……そう、決めていた筈なのにな」
「え?」
「判らないんだ。今まで疑問に感じたことなんてなかった。男たちと馬鹿な話で盛り上がって、女性を口説いて、そんな自分に疑問を感じたことなんてなかった。なのに……」

 徐々にかすれる声。一言一言を噛み締めるように告げるギーシュに手を差し伸べようとするも、その手は拒絶を示すように払われる。

「なのにボクは自信が持てない。男であった自分が、どうしても歪に思えてしまう。
 変なんだ……。あの日から、いつも君を見ていた。何かが変われると、それは強さに惹かれただけだと思っていた。
 だから師事した。きっと強くなればこんな気持も晴れると思って。だけど、違った。日に日に力が付いていくのが分かるのに。もっと強くなれると思ったのに!
 それなのに、何処か自分が脆くなっていた。日に日に力が付いていくのに、心ばかりが弱くなる。どうして? どうしてよッ!?」

 今にも締め上げるかのように胸倉を掴んでくる。瞳はまっすぐに。ただ鋭く見据えているようにしていた。
 そう。しているだけだ。どこか恨みかましい視線はその実今まで見たどんな『彼』よりも弱々しかった。それは今までの自分が知るギーシュではない。今この場にいるのは多くの者が知る『ギーシュ・ド・グラモン』という仮面を外した一人の少女なのだから。

「どんどん弱くなっていく。ボクが……誰よりも嘘に塗れていた自分が崩れてしまう。なのに、それを望んでいる自分がいる。それがひどく浅ましくて、赦せなくて、なのに、」

「────もういい」

 かすかに響く嗚咽。一度は払われ、虚空を漂ったままの筈の手は、それだけが支えであるかのように強く握られていた。

「ボクは、醜いかい……?」
「そんなことはない」
「ボクは、弱いかい……?」
「強くなればいい」

「ワタシは……泣き虫だ……」
「泣けばいい。見られるのが嫌なら、席を外そう」

「弱虫で、自信がなくて、気持ちを…言葉に出来る、勇気もなくて……だから────少しだけ、こうさせて下さい」

 影か重なる。響く声は闇に消え、ただ俯いたまま『彼女』は僅かな一時を過ごした。


     ×××


 なんか本編よりノってしまった……。
 ……で。ここまで書いておいて何ですが、本編でマジにやってみようと思います。普通の女より萌えるので。

 それではまた次のご機会に。







[5086] 005※加筆修正済(11/2/15)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2011/02/15 23:08
 日が昇る前にギーシュとの軽い鍛練を終え、汗を流した後に朝食を取ろうという時に唐突に部屋をノックする音が聞こえてきた。
 扉を開けるまでもない。甲高いブーツの靴音はそれが誰かをすぐに伝えている。

「おはよう。使い魔君」
「おはようございます。子爵」

 表面だけは笑顔で取り繕いつつ答える。こちらは返事をした覚えは無いのだが、この男は図々しくもこちらの返答を待たずに入ってきた。
 これだけでも不愉快だというのに目の前の男はしっかりと杖を手にかけている。要はこちらを警戒しているという事だ。
 尤も、それはこちらも同じことで俺は手袋の内に鋼糸を握っているし、ギーシュに関しては杖を抜くよう入る前に合図をしているので、お相子と言えばそうなのだが。

「出立は明日の筈ですが、何か御用ですか?」

 それとなく早く切り上げたいという意思を含ませつつ質問をしておく。この男とは一時たりとも過ごしたくはない。これから敵対する相手との余計な立ち話よりも、俺にとっては朝食の方が優先順位は高い。

「君は『ガンダールヴ』なんだろう?」

 にこやかな笑みを浮かべて子爵は言い放つ。後ろでギーシュが驚いたような顔をしているが、それ以前に子爵への警戒を強めた。
 この男、どこで知った?
 コルベール先生がルーンを知った時は驚いていた。つまりこの世界の住人はルーンを読めない。精々記号として覚えているか、研究しているといったところだろう。
 それ以前に俺は普段手袋をしている。鋼糸を使う為というのもあるが、一番の理由は左手を隠すためだ。ルイズにすらガンダールヴの事は伝えていない。
 なら何処で知ったのか。おそらくこの男はルイズに対して以前から気にかけていたのだろう。彼女の魔法の特異性、いかなる呪文であろうと爆発という結果をもたらす失敗作でありながら、その原因は判らない。
 普通の者ならば単なる失敗としてしか見ないだろうが、ここで一つの仮説が浮かぶ。
 それはルイズがどの系統にも属さない魔法を使う事、そしてそれが正しければ彼女の系統は『虚無』であり、その使い魔は始祖の従えたいずれかの刻印を持っていれば仮説は確定となる。
 子爵はルイズからそれとなく尋ねたのだろう。俺の身体の何処に印があるかを。

「何故お分かりに?」

 この問いに意味は無い。いわば事実確認だ。

「ぼくは歴史と兵に興味があってね。フーケの一件で君のことが気になり、彼女を尋問した際に君のことを洩らした。その後、王立図書館で調べた結果、ガンダールヴに行きついたという訳さ」

 随分と無理のある内容だ。フーケに関してはM72LAWを使っただけだし、尋問をしたところで確証が得られる筈もない。図書館に行ったところで情報が曖昧である以上は調べることは不可能、要するに出任せだ。

「それを知った上で、どうなさる御積もりですか?」
「君と手合わせをしたい。知りたいんだ、あの『土くれ』を退かせた者の腕が如何ほどのものかを」

 下らない。それならば昨日の早朝で充分だろうに。
 大方、戦力分析と言ったところだろう。茶番でしかないが、こちらにとっても有益である以上無碍にすることは無い。

「場所は?」
「この宿は昔、アルビオンの侵攻に備える為の砦だったんだよ。中庭に練兵場がある」


     Side-out


「昔……と言っても君には判らんだろうが、かのフィリップ三世の治下にはここでよく貴族が決闘をしたものさ」

 ワルドが静かに語るかつての錬兵所であった場所、そこは今や樽や空き箱が積み上げられた物置きと化していた。
 時代とは移ろうもの。人の世が変われば、栄華となった場所すらもその形を変えてしまうという事を、これほどまでに表現できるモノはある意味そうは無いだろう。そこにあるものはかつての誇りを懐かしむように苔むし、佇むのみとなっていた。

「古き良き時代の名残か……。賭けるモノは名誉と誇りですか?」
「そうだね。王がまだ力を持ち、貴族が貴族らしかった時代に彼らはそれを賭けて杖を抜いた。けれど、実際は下らないことで抜き合ったらしい。例えば……女の取り合いとかね」

 本当に下らないとばかりに北澤直也は肩を竦め、次の瞬間にはそこに現れた闖入者に目を向けることとなった。

「ワルド、来いって言うから来てみれば、何をするつもり?」

 不意に訪れたルイズは顔をしかめつつワルドに尋ねる。

「彼の実力を試したくてね」
「今は任務中なのよ。そんな馬鹿な事をしている場合じゃないでしょう?」

 尤もな意見だ。確かに通常ならば体力の温存に努めるべきにも拘らずこのような事を行うのは無駄でしかない。
 そう、これが通常ならば。

「ギーシュも止めて頂戴。馬鹿な事はやめてって」
「いや、ここは見守るべきだ。これからの為にもね」

 その言葉の意味をルイズは理解することは出来る筈は無い。彼女の婚約者である裏切り者の実力を把握し、これからの体制を立てる為の発言なのだから。
 ルイズはギーシュの手にしている物を見やった。鞘から半ばほど抜かれた、錆ついた剣。自身の使い魔が死ぬ時まで相棒だと言い、信頼を置いている筈の剣。
 それが何故ここにあるのかは判らない。少なくとも、魔法衛士隊の隊長を相手に何故万全の装備で挑まないのか。疑問は怒りへと変わる。

「あんた何考えてんのよ! 相手は魔法衛士隊の隊長なのよ!」

 答えは返らない。視線すら合わせない。目の前の少年はただ彼女の婚約者を見据え、無言のままにレイピアを抜き払うと、静かな動作で起立させ、祈るように掲げ持つ。
 そこに彼女の知る少年の穏やかさは無い。
 当然だ。少年は既に戦う為の思考へと切り替えている。

「始めようか、子爵」

 これより先は一刀のもとに。たとえ相手が全力で無かろうとも、この剣によって引き出せる全霊を持って挑むのみ。

「全力で来い」

 剣閃が迸る。先程の言動とは変わり、攻撃を仕掛けたのはワルド。しかしレイピアを模した軍杖は剣と絡み合うかのように擦れ合い、その一手を阻まれる。
 時間にして刹那。交わるのは一合でありながら、この時彼らは相手をすべからく理解した。

 危険だ。この相手はここで消すべきだ、と。

 もはや実力を知るまでもない。目的がはっきりしている以上容赦はないとばかりにワルドは猛攻を仕掛ける。それは正しく閃き。彼の二つ名に恥じぬ『閃光』という名の連撃。
 それを、目の前の少年もまたいなしきる。通常であれば捉えることさえ困難なそれを悉く弾くのは彼自身の技量か、それとも左手が持つ情報故か。
 交わる一撃はその胸を貫かんがために、その身を裂かんがためにと放つ。攻防がはっきりと分かれている訳ではない。
 防御を行いつつも引き戻しの際に生じる僅かな隙を掻い潜り、一撃を与えんとする少年。
 攻撃のさ中であろうとも相手を見やり、隙を最小限に留めつつ防禦にも反応出来るよう対策を取る子爵。
 長引くかと思われた戦い。しかしこれは剣士との戦いではない。少年が剣を交える相手は魔法使いなのだから。
 防禦に徹するのは間違いではない。むしろ細身の剣でありながら大剣をも凌ぐ強度を持つ軍杖を防ぐ技量は見事という外ない。しかし、それはこの相手にとっては誤り。
 剣士としての戦いではなく、子爵は魔法を扱うが故の戦士。呪文を詠唱させる時間を与えてしまった事こそ、少年の失策と言えるものだった。

「終わりだ!」

 突然の衝撃。見えぬ空気の一撃は少年の体を横殴りに吹き飛ばす。乗用車に撥ねられたかのような不可視の鎚による衝撃に驚きつつも、少年はその衝撃の加わる方向へと自ら跳び、受身を取ると同時に態勢を立て直した。
 本来ならば立つことすら困難な一撃を受けながらも、迫りくる相手を凝視する。
 これ以上持ちはすまい。自身の状況を的確に把握するが故に、少年は一撃に賭した。
 踏みこむ足はただ前に。突き出す腕は速く、そして撓やかに。
 自身が持ちうる最善。この剣における最速が放たれる。

 ────そして。けたたましい金属音が、終局の音となった。


     ◇


 終わりは明確に告げられた。言葉は要らない、審判も必要ない。首筋へと突き付けられた軍杖と圧し折られた刀身が、北澤直也の敗北を物語る。

「勝負あり、だ」

 その通りだと少年は頷く。レイピアの刀身は無残にも砕かれ、今となっては短刀程の長さとなっていた。

「確かに君は強い。だが、それは平民との戦いにおいてだ。
 メイジとの戦いにおいて、君はルイズを守る事は出来ない」

 それは蔑み。己の強さへの誇示と相手に対しての非力さを伝えるもの。
 それに反論など出来ない。
 勝者と敗者。その形はあまりにも明確であり、いかな反論も無意味な結果でしかないのだから。
 ただ黙するだけの少年に何を感じ取ったのか、子爵は微かな嘲笑を浮かべつつ去ろうとし、何かを思い出したように足を止めた。

「そういえば君たちはまだ食事をとっていなかったね。これで好きなものを食べると良い」

 背を見せたまま指先で弾かれた硬貨がギーシュの手に収まる。まるで物乞いに慈悲を与えるかのような行為にギーシュは内心憤慨するも、彼らは黙って子爵たちを見送った。

 
     Side-Naoya


 ワルド達が完全に立ち去ったのを確認し、ゆっくりと呼吸を整える。
 完全に収まるまで多少時間がかかるが、その間は剣を手放す訳にはいかない。今となってはこの左手は一種の鎮痛剤でもあるのだから。
 一秒、二秒……。規則正しい呼吸を繰り返し、ある程度落ち着いたところで折れた剣を鞘に納める。
 まだ違和感は残るものの、取り敢えずは問題ない。

「ナオヤ。大丈夫なのかい?」
「問題ないだろう。昨日の時点で子爵が此方を仕留めなかったという事は任務終盤、おそらくは手紙の受け渡しか直前、若しくはそれ以後といったところで妨害が来るはずだからな。今のところルイズを同行させても、」
「そうじゃなくて君がだよ! エア・ハンマーはドットクラスの魔法だが、あれは威力が強すぎる。肋骨が粉砕していてもおかしくは無い。それ以前に君の、」

 口角泡を飛ばすギーシュを落ちつけと手で制しつつ、俺は口を開いた。

「心配ない。魔法に関しては自分から跳んで受身を取ったし、体も今のところは動く。それよりも食事を採ろう。もうじき昼になる」

 俺の言葉に不承不承と引き下がるギーシュと共に、この場を後にした。


     ◇


『金の酒樽亭』。名前だけなら高級感こそ感じられるが、極端すぎて外しているというのが俺の第一印象だ。
 というより見た目からして寂れているし、横に積まれた壊れた椅子の山にどことなく店の怨念らしきモノが感じられるのは何故だろうか?

「ナオヤ。確か子爵から貰ったのはエキュー金貨だったと思うんだが、何故こんなボロ宿に?」
「情報収集兼食事だ。昨日の連中のようなみすぼらしい恰好の奴らが高級な宿に泊まれる筈は無いし、他の宿は小さすぎる。ボロくて広いのはこの一件だけだからまず当たりだ」

 中の連中が訊けば物を投げつけられそうな発言だが、気にする事は無い。どうせ聞こえてはいないのだから。

「情報収集って……。昨日尋問をしたんじゃ……」
「事実確認だ。情報が正しければ後一人確認しておくべき者がいるから、一応は会っておかないとな」

 むさい男共とは嫌だという理由で他の宿に泊まっていれば無駄足だが、監視と指示の必要性から言ってもそれは無いだろう。問題としては昨日の連中が逃亡したために宿を引き払ってしまった場合だが、それでも食事は出来るので問題ない。
 はね扉を開け中に入った矢先、妙齢の女性がワイン片手に食事を採っていた。しかし……いきなり本星なのは如何なものか。
 木製のグラスとはいえ、マナーを完璧にこなしつつ食事を優雅に取る様は正に一枚の絵画を見ているようだ。
 ただし横で酌をしているむさい男と、女性に対して女王を見るかの様な視線で見ている男共がその雰囲気をぶち壊しにしていたが。

「絵になっているようで、ならないな。配役は選んだ方が良い」

 俺の言葉に振り向いた連中は得物を取ろうとした瞬間に固まった。それはもうオブジェの様に。

「あ……あんた、なんで……」
「こちらの台詞だ。脱獄して大人しくしているかと思いきや、今度は用心棒か?」

 やれやれ、とため息をつきつつフーケの席に移動する。その際に料理を二人分細かい指示を出しつつ注文するのも忘れない。

「で。何故ここに居る?」
「手引きして貰ってて悪いんだけど、脱獄する前に色々あって……」
「結局捕まったと?」

 面目ないとばかりに俯く。昨日の尋問の時点で判っていた事とはいえ、どうしてこの女性はここまで運が無いのだろうか?

「あの、さっきの会話を聞いてるとフーケを脱獄させたのって……ナオヤなのかい?」
「結果的には違ったようだがな。ギーシュの錬金した杖があったろう? あれで色々とな」
「じゃ、じゃあ、シュヴァリエの件は……」
「白紙だろうな。自分の栄誉は自分で掴めるようになる事だ。未熟なままでいるより、よほど建設的だ」

 ぐったりとテーブルに突っ伏くするギーシュを横目に、他の連中にも目を向ける。

「フーケは仕方が無いとして、お前らは何故ここに居る? 昨日逃げろと忠告した筈だ」

 そうすれば無駄に相手をする必要もなくなると言うのに……やはり消しておくべきだったか。

「逃げたら殺すって雇い主の一人が忠告してたんだ。流石に契約した手前逃げられなかったし、逃げるにも遠出は出来ねえからよ」

 連中のうち、昨日俺が尋問した男が語る。微かに声色が震えているのはそれが原因だろうが。

「雇ったところでお前らの顔なぞ逐一覚えている筈が無いし、殺す位なら新しく雇い入れた方が手っ取り早いだろう」

 あ。と連中が洩らす。馬鹿だ、こいつらは本物の馬鹿だ。つくづく人の厚意を無碍にしてくれる……。

「お前らの雇い主がこちらに同行している一人だということは判っている。当然、俺達の泊まっている宿も知っている筈だ。襲撃は何時だ?」
「喋らなかったら……って聞くまでもないね」
「安心しろ。ここで見たこと訊いた事は口外しないし、襲撃そのものを中止する必要は無い。こちらに被害が無ければ問題ないのでな」

 無論、出鱈目であれば早々に息の根を止めさせて貰うが。

「それなら構わないよ。襲撃についてだけど、お察しの通り場所は判ってるからね。今晩がそうなのさ。
 こちらとしても何かと恩があるから人死は出したくないんだけど、雇ってるのはこの宿の連中だけじゃなくて仮面の奴が独自に雇い入れてるのも居るから、一個中隊はいるんじゃないかい?」

 中隊か。地形からして歩兵連隊のみでの構成になるだろうから、百三十名前後が宿屋に押し掛けることになる。

「……流石に多すぎるだろう」
「昨日坊やが残るからさ。あの時点でこいつらが殺されると踏んでたんだろうね。事前報告に来た時に多少驚いてたし、私だってこいつらが戻ってくるとは思わなかったよ。
 おかげで慣れない魔法で治療する羽目になったしね」
「それはお疲れさまとしか言いようがないな。だが後悔はしてないのだろう?」
「つくづく食えないね…………そういうとこは直した方が良いよ」

 かっこつけてるようにしか見えないから、と言われ確かに様にはなっていないなと考える。

「確かにそうだな。それと襲撃に関してだが、前線には絶対に出るな。死ぬぞ」
「罠かい? でも、こっちはばらすかも知れないよ」
「問題ない。その時は狩るだけだ」

 それでもばらすか、という問いに冗談じゃないとばかりに首を振る。

「話は終わりだ。食事にしようか、料理が冷める」

 テーブルに置かれたギーシュと俺の食事を見比べるとフーケがため息をついた。何か問題でもあるのか?

「菜食主義かい?」
「健康に気を使ってるだけだ。少量ではあるが肉もある」

 こちらとしては医者から言われた内容に気を使っているに過ぎない。ここのところ食事が質素であったにも関わらず反論しなかったのも、多く食するのを禁じられていたのが大きい為だ。

「ま。そっちがどんな食事でも気にしないけどね。それよりも情報を渡したんだ。報酬を寄越すのが筋でしょ?」
「先程の金貨の釣りがある。これで手を打てるか?」

 足りないね、とフーケは呟きながら空になったグラスに目を向ける。成程、そういうことなら悪くない。

「お注ぎしますよ」
「ありがと。こいつらじゃあぶなかしくってね。あんた執事でもしてたのかい? 妙に慣れてるけど」
「作法に関しては多少心得ているだけだ。それと執事はしない、自分の認めた相手以外に仕える気は起きんからな」

 それから食事は滞りなく続けられ、俺たちは店を後にした。ただ、ボクが居る意味はあったのかい? というギーシュの問いは黙殺したが。


     ◇


 日暮れに差し掛かった頃、俺とギーシュは一階で開かれている宴会そっちのけで罠作りに勤しんでいた。
 とはいえ道具が無い以上殆どギーシュとヴェルダンデに任せて貰っており、俺はといえば設置する罠の種類と位置の指示を出していただけなのだが。

「すまないな、任せっきりで」
「いや。自分の身の事もあるし、それはいいんだが……卑怯ではないかな? こういうのは」
「数で劣る以上、持ちうる手段を行使するのは当たり前だ。早死にしたいなら別だが」

 当然ながらギーシュは首を横に振っている。
 俺としては卑怯な手段の中に罠は含まれないと思うし、生きるか死ぬかでなり振りを構っていられないと思うのだが、その辺りギーシュはあまり理解できないらしい。
 ……棘のトラップには感心していたというのに。
 殺し殺されの世界に居る以上、常に非情となる必要がある。ましてや自分以外の誰かを失うかもしれないなら多少の犠牲はつきものだ。それが正しいとは思わないが、こいつには言っておかなければならない。

「ギーシュ。ここから先、連中は俺たちを殺しにくる。だから罠を仕掛けた、死ぬかもしれない……いや、これは十中八九死ぬ。
 だが、たとえ罠で死人が出たとしても、命令したのは俺で君は言われるままにしただけだ。君が気に病む必要は無い。
 この状況で人殺しの罪を問われる事はないが、もし君が罪を感じたとしても、それは俺に向けられるものだ。一応キュルケたちにも伝えておいてくれ」
「それは詭弁だよ。作ったのはボクだし、罠が無くともそういう事態になることは判り切っていた事じゃないか」

 確かにその通りだ。これは国の問題で俺たちは駒として動いている以上、こう言った事態は織り込み済みだ。それでも……。

「それでも俺は……君に罪を感じて欲しくない」

 それは本当に傲慢な事だろう。命は塵の様に軽く、殺し合いなど平然と行われている世界で、ギーシュも軍人の家系である以上はいつかその日が来る。
 それを分っていても、自分は偽善を口にしてしまうのだから。

「ありがとう。でもボクはいつか人を殺してしまう。他ならぬ自分の意思で」
「判っている。そんな事……」

 お互いが無言になりかけ、緊張が生まれようとしていた時、けたたましい轟音が耳を劈いた。

「元気にしてたかい? って、あんた達だけ?」
「ゴーレムを連れて派手に登場して貰ったところ悪いが、その通りだ。早いところ一階に向かえ。そろそろ罠にかかる頃だ」
「分かったよ。でもこっちにも建前があるからベランダは壊させてもらうよ」
「構わんよ。どうせ俺のじゃない」

 軽口を叩きつつ破壊されたベランダを確認して階下に降りる。子爵たちは石製のテーブルを盾に矢を凌いでいるが、どうにも数が多い。罠にかからなかったのだろうか?

「子爵。これは一体!?」

 口調だけは焦っているようにしつつ尋ねると、子爵は敵を見つつ口を開いた。

「おそらくは貴族派の防衛だ。ラ・ロシェール中の傭兵を雇ったらしい。最初の奴らは何やら罠らしきモノにかかっていたが、すぐさま後続の部隊が来たようだ」

 やはり短時間では二、三十人が限度か。それでも数が少なくなったのは喜ぶべき事だが、大局に影響しない以上油断はできない。

「良いか諸君。この場合は半数が目的地にたどり着けば成功とされるものだ」
「つまり。貴方が言いたいのは半数を囮として見捨てろという事で違いありませんね?」

 俺の言い分に子爵が頷く。確かに合理的でこそあるが、この男の場合こちらの戦力を削ぎ落として任務に支障をきたしやすいようにするためだ。そう安々と鵜呑みに出来るものではない。

「囮」

 微かな声に振り向く。タバサが短く呟いて指を差したのはキュルケとギーシュ、そして彼女自身だ。

「危険だ」
「問題ない。それよりこれ」

 差し出してくるのは革のジャケット。昨日俺が手渡したものだ。

「今は着ておけ。下手な鎧よりも役に立つ。それからキュルケ、化粧をするのは良いが死化粧にだけはなるなよ。花を散らすには惜しい」
「口説くならもう少し雰囲気のある場でして欲しいわね。ま、せいぜい期待に答えておくわ」

 違いないと軽く笑いながら頷く。口説く口説かないは別として、彼女は戦いという物を心得ているように感じられる。正直なところ不安はあるが、死ぬことは無いだろう。

「ギーシュ。残った罠は効率よく使うように」
「ちょっ、憂いを向けるのは女性陣だけなのかい!? 君。実は意外と黒いだろ、服の色からして!」

 不満を抱くような尖った物言いだったが、何処か拗ねているように見えてしまうのは何故だろうか? いや、男に拗ねられても困るのだが。

「服は関係ない。それに君には憂いなんぞかける必要は無いだろう。いつか武勲をたてるつもりならこれ位の危険は乗り越えて見せろ。
 それと、これはアドバイスだ。何もレビテーションで動かすのは置いてある物や人だけではない。自分で創造したものにも目を向けてみることだ」
「創造?」
「後は自分で考えろ。もう長居は出来そうにない。出来れば君にも付いて着て欲しかったが、二人では少なすぎるのでな。背中は預ける、また会おう」

 返答も聞かす、子爵達と共に裏口へと駆け出す。心得たよ、というギーシュの声が微かに耳に届いた。


     Side-out


 テーブルから出ると共に北澤直也達に飛来してくる矢を錬金で土に変えることで喰い止めつつ、裏口から脱出したのを確認するとギーシュは反対側に居る傭兵を見やった。
 ここから見えるだけでも数十人。後続の連中も考えれば百は下らないだろうと想像しつつ、微かにため息をつく。

「背中は預ける、か……。信頼か信用かは判らないが、随分と嬉しい事を言ってくれるものだね」

 おまけに、また会おう、ときているのだ。つまりは絶対に生き残れということだろう。
 とは言えボロ宿での会話から奥に居る連中は殺しはしないだろうし、切りのいいところで引き返してくれるだろうから少しは安心感が持てる。
 問題は現在もこちらの魔法の射程外から矢を放っている連中だ。あれではこちらからの放出系の魔法は意味が無い上に、牽制のつもりで放とうものなら精神力切れになりかねない。こちら側が行使出来るものといえば予め仕掛けておいた罠なのだが……。

「なあキュルケ。連中がかかった罠ってどんなモノだった?」
「……はっきり言ってえげつない事この上ないわね。いきなり連中が現れたと思ったら足場が崩れて転落していったわ。一定の重量がかかると崩れるようになってたんでしょうけど、高さから言っても三階分はあるからまず間違いなく重症よ。
 おまけに入口までの足場が少なくなってるから攻められる人数自体が減ってるみたい。こんなの思いつくのも凄いけど、実行するのも正気じゃないわね。悪魔に魂でも売り渡してるんじゃないかしら」
「は、はは……」

 冷や汗をかきつつ苦笑する。実際にこの店が崖側にあることを利用して指示を出していたのは他でもない北澤直也で、実行していたのは目の前に居るギーシュ本人なのだから当然の反応と言える。

〝ナオヤ。君は確かに頼りになるが、頼むから敵にはならないでくれよ〟

 心の中で自身の親友兼師匠にそうならない事を祈りつつ、罠がまだ残っていることを確認する。とはいえ、こちらが危惧していたのは状況を察知した使い魔が先走らないかどうかだったので、あとはキュルケさえ居て貰えれば問題ない。
 少し強めに踵で三回ほど床を叩く。地中や地面の振動に敏感だし、今ので伝わったかどうかは意識を共有しているので問題なく確認できる。
 上の階に居るヴェルダンデの役目自体も至って簡単なもので、錬金で開けておいたいくつかの穴から甕に入った大量の油を流し込むという物だ。
 ……正直、聞いた時は怖かったというのがギーシュの本音だ。

「キュルケ。連中が頭から油をかぶるから火を放ってくれ」

 簡潔な指示ではあったが、当の本人からギーシュはすごい目で見られた。何というか、引いている。それも思いっきり。

「……貴方、とんでもないこと思いつくわね。確かに効率的だけど」
「そう言わないでくれ。あとナオヤから伝言だ。罠を仕掛けたのは自分だから気にするな、って。本当なら彼が火を付ける予定だったみたいだけどね」
「人が良いわね」

 そう言っている間にも油は穴の開いた天井から微かに零れ落ち、一定の量に達したところで一気に降りかかった。どうやら穴を開けた周りの部分に窪みを作り、そこを予め脆くしていたらしい。

「ちょ、キュルケ! 流石に量が多い! 魔法は中止に、」
「ごめん。もう射出済み」
「緊急退避」

 ぽつりと呟いたタバサの言葉は正しい。あの量だと敵どころか店全体が地獄絵図である。
 傭兵連中がパニックに陥ったとき、巨大なゴーレムが火球をかき消した。まさにその剛腕は救いの手と言ってもいいだろう。ただ、周りの傭兵まで一緒に吹き飛ばしていたが。

「とんでもない事をしてくれるね。前線に出るなとは言われてたけど、普通ここまでするかい?」
「……いや。ボクもナオヤがここまでするとは」

 正直罠の事を知っていた二人が、この場に居ない諸悪の根源に抱いた感情は合致していた。
 要するに『絶対に北澤直也だけは敵に回すな』ということである。

「ところで、何であの年増のおばさんがここに居る訳?」
「おだまり小娘! 私はまだ二十三よ!」
「婚期過ぎてるじゃない」

 不毛としか言い様のない女の言い争いが続くかと思われたが、ここで一つの問題が発生していた。実は上の階では今だに壁に引っ掛かっていて倒せない甕が一つ残っており、それに対して奮闘していた使い魔は主人のためにと奮闘していたのだ。
 そして最後の甕を傾け、今の状況が判らない自身の主人の期待に応えられたことに歓喜しつつ勢いよく甕をひっくり返した。
 一度開いた穴が閉じる筈もなく、ひっくり返った甕はフーケとゴーレムに頭からぶっかけるという結果となる。

「ギーシュ、ナイスよ!」

 ガッツポーズを上げるキュルケに対し、フーケは当然の如く名前を挙げた人物を睨めつけた。

「やってくれるじゃないか……坊やの連れだったから優しくしてあげたって言うのに、これは挑戦と受け取るよ」

 この時ほどギーシュは恐怖と言う二文字を実感したことは無かっただろう。いや、おそらくはもう二度と味わう事は無いかもしれない。

「あら、貴女にはお似合いよ、どうせなら情熱的に燃え上がらなくちゃ」

 言葉と共に感じた熱気に身を躍らせる。放たれた炎は一瞬にしてゴーレムを包み、炭化させるに至った。

「あんたら……よくも……!」

 間一髪のところでローブを脱ぎ捨て、脱出したフーケはさらなる怒りに顔を染める。それは宿屋で忠告を聞いていた後ろの傭兵たちですら顔は見えないというのに怒りだけは、はっきりと伝わる程に。

「あら。せっかく良い化粧が出来ると思ったのに。それにおばさんが脱いだって見苦しいだけよ」

 もちろんフーケはローブの下にしっかりと服を着ているのだが、本人は聞く耳持たずと言わんばかりに瞬間的に間合いを詰めた。
 ゴーレムを作ったことによる魔力切れか、それとも怒りで魔法を唱えるだけの集中力が欠落しているのかは定かではないが、それにしても彼女のフットワークはかなりの物である。
 キュルケからしても、流石にここまで接近を許されては精神力が残っていても詠唱する暇は無い。即座に自身の杖を投げ捨て、フーケの左ストレートをブロックした。

「クッ!」
「今のに反応するなんてね。やるじゃないか」

 キュルケにして見ても今のは咄嗟の反応であったが、フーケの一撃は速さもさることながら、何より重い。自身の長身とリーチの長さを活かした一撃はその体重を殺すことなく完全に乗せた状態で放ったのだ。
 オスマン氏のセクハラに耐えかね、息の根を止めるつもりで日々放たれていた拳。その威力は毎日の如く喀血していたオスマン氏の姿を持って推して知るべし。
 しかしキュルケも黙ってはいない。
 相手の内側に潜り込むインファイトタイプで構えるフーケに対し、若干ではあるもののリーチの長い彼女はバックステップでフーケの間合いから離れると共に、ヒットアンドアウェイを常とするアウトタイプにて勝負をする。
 あまりにも速く、そして重く響く互いの一撃。拳は素人の目からは微かにしか映らず、刹那の攻防のズレがどちらか一方の意識を刈り取る結果となる。
 もしこの場に北澤直也が居たならば、悪ノリでこう言ったかもしれない。『世界を取ろう!』と。
 しかしそんな激戦も傍から見ればただの醜い女の争いに過ぎず、後ろに隠れていた傭兵共は早速賭けなんぞ始めていた。実に頼もしい連中である。
 そしてギーシュとタバサはと言うと……。

「ナオヤ。君のアドバイスを使う暇が無かったんだけど、ボクは残らなくても良かったんじゃ……」
「過保護」

 手を覆うほどに余った上着の袖を見つつタバサは呟く。彼女の言う通り、良くも悪くも北澤直也は身内思いなのだった。


     Side-Naoya


 月明かりが照らす夜道をルイズ達と共に走ってゆく。ナイフを抜いてしまえば目の前に居る二人よりも早く行動できるのだが、俺自身桟橋への道が判らない以上はどうする事も出来ない。
 できれば子爵を置いて行きたかったのだがな……。
 心の中でぼやきつつも状況が変わる訳ではない。子爵が目の前に居る以上、取り敢えず妨害は無いだろうし、後ろに人がいる気配も無い。後は無事に船まで辿り着くだけなのだが。

「山道のようだが、こちらで正しいのか?」
「海に浮かぶ船もあるけど空に浮くフネもあるわ」

 振り返ることなくルイズが答える。
 成程。それならばここが港町だという事も頷ける。走り続けること数分、目の前に巨大な樹が見えた。枯れ、朽ちた樹はその枝に多くのフネと言う実を付け、その根には巨大な空洞が出来ている。
 根に備えつけられたプレートを見やり、アルビオン行きの階段を見つけると即座に走り出す。木で出来た階段は元の木が朽ちているからかどうかは分からないが、その一段一段は脆く、手摺りも心許無い。
 半ば程走ったところで、突然足音が一つ増える。後ろに振り向くよりも先に俺はルイズを抱きかかえた。

 ────黒い影が、頭上を越える。

 音も無く男が着地したのはルイズが先程までいた場所だ。後一歩遅ければ人質に取られていたかもしれない。

「ちょ、何するのよナオヤ!!」
「下がっていろ」

 腕の中で騒いでいるルイズを下ろし、デルフを引き抜く。
 白い、装飾すらもない仮面を付けた男が佇む。
 この男……何時現れた?
 常に周囲に気を配っていたし、肝心の子爵は前方に居る。気配そのものが唐突に現れたのだ。まるでつい先程まで存在していなかったかのように。
 疑問は募る。だが、いま重要なのはどうやって男が現れたかではなく、どうやって男を消すかだ。
 詠唱の暇など与えない。ここが平地でないことと段差による不利は否めないが、この距離ならば問題ない。
 足に力を込め、間合いを詰めようとしたところで空気の塊が襲いかかる。

「クッ!?」

 奴はまだ杖を抜いていない。どうやら子爵も消す必要があるという事か。
 この技は既に子爵との決闘で見切っている。
 実戦で二度も同じ手が通じると思うのだろうか? もしそう思うならばそいつは二流だが、ここで一つの問題が生じる。それは反応することによって後手に回るという事だ。
 デルフで防禦することによって仮面の男は既に杖を抜くという動作を終えている。
 呟かれる詠唱が耳に響く。相手の杖が帯電し、こちらに放たれた。

「『ライトニング・クラウド』!?」

 デルフの声が届く。ここから先はある種の賭けだが、試すのには絶好の機会と言える。

「許せ。デルフ」

 返答を待たず勢いよく中間地点へとデルフを突きたて、後方へと離脱する。こちらの予想は見事に的中し、雷撃は全てデルフへと吸い込まれていった。
 ……デルフの断末魔なんて聞いていない。俺には聞こえない。
 こちらが無傷であることに気付いたのか、第二射を放とうとするが無駄な事だ。既に俺の剣は鞘から抜き放たれている。
 舞散る血飛沫。目に焼きつくような紅は微かな風切り音と共に放たれ、喉仏へと突き刺さったレイピアによってもたらされたものだ。
 人が人を殺す。それは禁忌とされるものであり、良識の上では誰もが避けようとする行為。
 だが、俺が感じたのは無だった。何も感じない。何も伝わらない。
 狂喜に口元を歪めるでもなく、罪に胸を打たれることもなく、その光景を見つめていた。

「貴様……裏切ったのか──────」

 仮面越しにすら伝わる程に見開かれた瞳、微かに開かれた口元から男は怨嗟の如き声で呟きを、しかし微かな笑みをもって洩らす。その言葉の意味など分からないし、おそらく俺には関係あるまい。
 崩れ落ちそうになる男を階下へと蹴り落とし、俺は視線をルイズへと向けた。

「大丈夫か?」
「あの男、裏切ったって……」
「ルイズ! 大丈夫かい!?」

 先導していた子爵が駆け寄る。よくも抜け抜けと。正直ここで息の根と止めてやりたいが、今はまだその時ではない。
 だが、この男が本性を垣間見せる時には……

「ひでぇぞ相棒!」

 突然の叫びに振り向く。がちゃがちゃと鍔を鳴らし、全身で怒りを表現する我が相棒だが、実際のところ全くの無傷だった。

「すまない。だが良かったのではないか? 実際無傷であったのだし、こちらの予想通り君の能力もある程度は判ったのだから」
「……もう少しマシな方法にしてくれ。あー……でも、さっきので何か思い出せそうなんだが」
「何をだ?」
「忘れた」

 まったく。一体どれだけ秘密があるのやら……。
 ため息と共にデルフを鞘に納め、俺たちは船へと歩を進めた。


     Side-out


 窓に映る景色は闇に閉ざされ、その姿を捕えることは叶わない。
 フネには辿り着いたものの『風石』という名の燃料の問題から出港は出来ないと船長にごねられたが、子爵の魔力を使用する事によって燃料代わりにすることと、通常の料金より割り増しすることによって一段落ついた。
 微かに見えた港町の明かりはもう見失った。あの後ギーシュ達がどうなったのかは北澤直也には知る由もない。
 無事を祈るなどという安い言葉で片付けられるほど、彼は事態を軽視する事は無い。成り行きとはいえ巻き込んでしまった事に対する責任と言う物はある。北澤直也がこの状況において冷静でいられるのは、彼自身の歪さと目の前に問題を抱えているためだ。
 あの後のルイズは明らかに動揺していた。足元はおぼつかず、目の前にあるものが信じられないといった表情でフネへと乗り込み、そして今は船室に籠っている。
 その理由は先程までの北澤直也には判らなかっただろう。だが微かに仮面の男が残した言葉。あの言葉の真意を読み取った今となってはそれもまた納得がいく。
 あてがわれた個室のベッドに腰かけ、呼吸を整える。

「顔色が悪いぜ。横になった方が、」

 自身の相棒である剣を完全に鞘に納め、座った状態のまま瞳を閉じる。奇襲があるかもしれないというのに眠りにつく訳にはいかない。
 ルイズは今のところ襲われる心配は無い。だが自分は別だ。桟橋でのやり取り、つい先程思い出したミスタ・ギトーとの会話。その中にあった魔法で該当するものを思い出した。
 風の『偏在』。自身と同じ分身を作りだし、術者と同じ思考と能力を持つスクウェアスペル。もしそれが使われていたのだとしたら気配が無かったにも拘らず突然現れた理由も納得がいく。そして、それを利用したアリバイ工作も。
 現段階での障害は自分だけだ。ルイズに関してはまさか婚約者が裏切り者だとは微塵にも感じてはいないだろうし、ばれたとしても敵にはなり得ない。
 だが、桟橋で仕留め損ね、尚付いてくる北澤直也は子爵にとって目の上の瘤でしかない。いつ仕留め、仕留められるか。弱肉強食の世界を生きる獣と何ら遜色は無い状況下に立たされている事を改めて実感する。
 そして子爵は主人にも牙を剥くかもしれない。だが……

「思い通りにはさせない。あの娘は……」

 掠れた声。玲瓏とも言える普段の声とは似付かぬ声調で呟く。

〝ルイズは……守る。もう、失わせない〟

 未だ口内に広がる鉄の味を飲みこみ、そう決意を抱いた。








[5086] 006※加筆修正済(11/2/15)◆
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2011/02/15 23:52
「アルビオンが見えたぞー!」

 船員の声が辺りに響く。慌ただしく出港させた昨日から一夜明け、甲板へと足を運んだルイズは空に浮かぶ大陸を見やる。
 かつて姉たちとの旅行に着たころと変わらぬ美しい『白の国』は、今や内戦のさ中となっている。任務の依頼を受けた時、正直不安はあったがルイズはそれを引き受けた。
 自分を評価し、見てくれる使い魔。平民でありながら貴族をも圧倒する実力は心強かった。
 ……けれど、今はそれが不安で仕方が無かった。仮面の男の残した言葉。その言葉は未だに深く残っている。

〝貴様……裏切ったのか────〟

 脳裏に残響する言葉を振り払おうとするも、疑惑を拭いさることは出来ない。
 もしも、もしもあの男の言葉が真実だとすれば北澤直也はこちら側に付いたとも想定できる。しかし、それがこちらを欺くために仲間を殺したとすればこれほど恐ろしい事は無い。
 目的の為ならば仲間すら手にかける。それほどまでの目的意識を持った相手に如何すればいいのか。
 ワルド子爵が居るとはいえ実力そのものが高いことは変わりは無いし、フーケすら手玉に取る策士だ。敵に回れば万全の状態で挑みにくるだろう。
 意識が思考に埋没して行く中、船員たちの叫び声に顔を上げた。
 目の前に現れた船は大きく、その砲門をこちらに向けている事から軍艦であると察するのは容易だ。問題は何故こちらに砲門を向けているのかという事である。

「あの船は、旗を掲げていない」

 船長と共に指揮を執っていたワルドが呟く。その意味は判る。今のご時世に旗を掲げていない船など正規のものでは有り得ない。

「空賊ってこと!?」

 ルイズの問いかけに子爵は頷く。ここに使い魔はいない。部屋は離れていたし、何より疑心暗鬼に陥っていた彼女に使い魔を同行させようという判断は欠落していた。
 甲板に来る時さえ、ルイズは無意識に足音を立てぬように歩いていたのだから当然と言えばそれまでだが。

「内戦の混乱に乗じているとは聞いていたがな! 逃げろ、取舵いっぱい!」

 船長が指示を出すも、時すでに遅し。空賊の船から放たれた大砲は退路を塞ぐように砲弾を叩きこみ、すぐさま停船命令の指示を出した。

「子爵殿。貴方の魔法は……」
「この船を浮かべるだけで精一杯だ。従うしかない」

 最後の頼みの綱とばかりに向けられた船長に対し、ワルドは現実を突きつける。
 どのみち大砲を向けられている以上手の出しようが無い。
 次々と鉤の付いたロープが放たれ、船員が乗り込む。皆、如何にも賊らしい風貌でありその手には曲刀やマスケット銃、そして杖を持った者たちまでいた。

「船長は何処でぇ」

 粗いぼさぼさの髪をバンダナで纏め、眼帯を付けた不精髭の男が問いかける。全体に指示を出し、先頭に立っていることからもこの男が族の頭であることは明白だった。
 男の声に微かに身を震わせつつ、船長は前へ名乗り出る。

「船名と積み荷は?」

 頭は腰から引き抜いた曲刀を突きつけ、無駄のない事務的な口調で問う。

「トリステインの『マリー・ガラント』号。積み荷は硫黄だ」
「船ごと頂いて行く。料金は貴様らの命だ」

 満足げにため息を漏らしつつ、船長から奪った帽子を被ると頭はルイズ達に目をやり、わざとらしく口元を釣りあげた。

「貴族の客まで乗せてるとはな。こりゃあ別嬪だ。おれの船で皿洗いでもやらねぇか?」
「下がりなさい、下郎!」

 顎を持ち上げた頭の手を跳ね除け、真っ直ぐに睨み据える。気の弱い者ならばそれだけで怯みかねないほどの剣幕ではあったが、所詮は強がりでしかないという事はこの場に居た誰もが判っており、頭は船員の一人に合図を送った。

「こいつらも運んでおけ。身代金がたんまり貰えるだろうよ」


     Side-Naoya


 一夜が明けた。昨夜から暗殺を警戒して数分ごとの仮眠を取るようにしていたのだが、どうやら杞憂だったようだ。ふと立ちあがろうとして、微かにぐらついた態勢を立て直す。
 体調は昨日よりも幾分かマシになっているものの、やはり万全とは言えない。
 だが、そんな自分の状態すら気にならなくなる轟音が耳に響いた。見れば先程から景色は変わっていない。何らかの事情で停船を余儀なくされたという事だろう。

 まず考えられるのは敵勢力の妨害。
 しかしそれならば子爵がいる時点で既に意味をなさない。もし連中が本気で妨害をするのであればこれまでの中で行っているだろうし、子爵が手を出さなかったことからも皇太子の持つ手紙の確保が優先される筈。この線は薄い。

 状況を知らない傭兵がこちらに向かった。
 これも却下。アルビオン側から来たのであれば納得がいくものの連絡手段は無いし、子爵を潜り込ませることは織り込み済みの筈だ。ラ・ロシェールからの追っ手はこちらまでの燃料問題の時点で論外。となれば、考えられるのは一つ。
 ……こちらの事情を知らない第三勢力。おそらくは賊の類か。

「忌々しい物だ。面倒ばかり引き寄せられる」
「そういう星の巡りかねえ。相棒ってついてねえし」

 起き上がると同時に引き抜いたデルフを完全に鞘に納め、物音を立てぬように扉の横の壁際に立ち、微かに開いたドアの隙間から様子を窺う。
 甲板から下りて来たらしい、如何にも、といった賊の衣装に身を包んだ男達は、決められたようにそれぞれの行動に移る。
 規則性が取れているだけでなく、微かに体重を掛けるだけでも軋む音を立てる廊下でありながら、彼らは靴音を立てる事もなく無駄のない歩調で進んでいた。
 賊らしいのは見た目だけ。あれは訓練を受け、統率された部隊の動きだ。戦争から逃げ延びた連中が賊に身を窶したのか、それとも何かしらの事情があるのかは定かではないが、堂々と切り込みを仕掛けるのは却下すべきだろう。
 先ずは敵を捕らえ、連中の人数と総戦力、それから目的を訊き出す必要がある。本来優先しなければならないのはルイズだが、彼女に関しては殺されることは無い筈だ。
 尤も、貴族に対しての身代金の要求ならまだしも連中の慰み物なったあげく、奴隷商に引き渡されるなどという結末は笑えない。冷静に、されど迅速な行動を心がけねばならない。
 連中の一人が他に乗客や船員が居ないか部屋を確認しつつ、こちらに歩を進めている。
 各通路に対し一人ずつ行動させているようだが、二人一組ツーマンセルで行動させていないのは僥倖だ。腕に自信があるのか、民間船と高を括っているのか、おそらくは両方だろうが、その判断は間違いだ。
 こちらとしてもこの機を逃す手は無い。各部屋を確認し終えた男がこの部屋へと足を運ぶ。
 ぎぃ、と扉の軋む音と共に男が覗き込む。先程の扉と同様、警戒しつつも踏み込むことなく室内を確認し終え、

 踵を返そうとした瞬間、床に崩れ落ちた。

 何という事は無い。単に俺が後ろから裸締めを極めて締め落としただけのこと。寝技において絞め技を得意とする者ならば、二秒でも可能といえる時間だ。
 扉を閉めた後にベッドのシーツをナイフで切ることで即席の縄を作る。別にここまで手の込んだ事をせずとも両肩と股関節を外してしまえばいいのだが、下手に騒がれたり痛みで起きてしまうと厄介なのでこの方法を取ることにした。
 相手のボディーチェックをし、腰に下げられた短刀や銃を取り上げ、さらに暗器が無いかどうかを確認する。そして本来ならば出てくる筈のない物があった。
 杖だ。どういう訳かこの男はメイジであるにも拘らず、態々平民に扮し行動していたらしい。乗務員の中にメイジが居たとも考えられるが、そうならば杖が複数あってもいい筈だし、甲板から投げ捨てるという手もあった筈だ。
 ならば何故杖という武器を持たず、敢えてこれらの武器を手にしていたのか。
 接近戦への対応? これはあり得るだろうが、子爵の使ったような速射性の高いものもある筈だし、杖自体も子爵の持つレイピアのような形状の物を用いればいい。
 短刀はともかく単発式の銃など役立たずも同然。つまりは戦う事以外の用途上平民の武器を持つ必要性があるという事だが……。
 そこまで考えて思考を切り替えた。既に一分は経過している。縄に関してはいまだ未完成だが、これ以上時間を掛けると脳に血液が回らず死亡か、あるいは後遺症を残すことになる。
 どうやら自分は相当焦っているらしい。……まったく。こちらに来てからというもの、やけに自分らしくなくなっているな。
 やはり首への一撃にするべきだったかと嘆息しつつも、とりあえず口の中にシーツの一部を詰めて猿轡をかませて肩関節を極め、後頭部を掴んだ状態で床に何度か打ちつけ強引に意識を覚醒させた。
 男は最初の方こそぼんやりとしていたものの、徐々に目の焦点が定まって来たらしい。

「お目覚めはどうかな?」

 突然の言葉にして状況を急いで確認した男はすぐさま態勢を立て直そうとするも、完全に極めている以上は徒労でしかない。次の瞬間にはぎりぎりと猿轡を噛み締めるもやがてそれも止めた。
 猿轡をさせた意味は大声を出させないという意味合いもあるが、一番の目的としては自害させないためだ。殺すかどうかはともかく、貴重な情報源を失うのは惜しい。

「抵抗は無駄と判って頂けたようで何より。口が訊けないようなので、此方の質問には目で合図して貰えると助かる。
 はい、は瞬きを一回、いいえは二回だ。出来るだけ嘘の無いように。あまり時間を掛ける訳にはいかないのでな」

 片腕で拘束しつつ、もう一方の腕で男の目の前にナイフを見せ付ける。先程まで自害しようとしていた男には無意味とも取れるだろうが、尋問に対してどれだけ冷静でいられるかは見物でもある。
 時間も惜しいので五分経ってもまともな答えがなければ、処理して次の獲物を探すつもりだ。

「君の持ち物の中に杖があったが、あれは奪ったものか?」

 返答は一回の瞬き。しかし嘘だという事は眼球の動きで判る。
 すぐさま眉間から眼球に届くかどうかの所までナイフで斬り付ける。俺の行動に対し激しく身を捩じらせているが、気にせず次の質問を投げかける。

「……君の所属しているのは、王党派か……?」

 確証が無いかのように思わせた口振りで問う。当然瞬きは二度。今度は一切の迷いが無い。
 恐怖に折れたという事はまずあり得ない。この男は先程身を捩じらせてはいたが、あれはこちらが行動に移した際に関節を極めるのを意図して緩めたのを分かった上で行動を起こしたものだし、今尚此方の出方を窺っている。
 この男は恐らく、死ぬまで膝を屈せぬという執念を持っているだろう。
 だがこの男は答えた。それが恐怖ではなく、むしろそう答える事が義務であるというかのように。

「そうか。ではウェールズという男に心当たりは? 王党派の君なら知っているだろう?」

 身体こそ動かせぬものの男の眼は微かに見開き、眼球はほんの一瞬ではあるものの忙しなく動いた。鎌を掛けたつもりだったのだが、まさかこうも簡単にかかるとは。
 尤も、至近距離でなければ俺も見逃していただろう。拷問には慣れていても嘘は下手だな。

「もう少し訓練を積んでおいた方が良い」

 男の拘束を解き、ある程度離れたところでナイフを手放した。
 こちらがどういう意図で拘束を解いたのかは判らないのだろう。男は壁を背に預けつつも乱れた呼吸を整え、すぐさま出方を窺っている。

「先程は失礼しました。そちらにも都合があるとお察ししますが、賊として押し掛けたとしてはこういった対応を取るしかなかったものですので。
 自分はアンリエッタ姫殿下より勅命を受け、トリステインより派遣された者の一人です。そちらの指揮官にお目通り願えますか?」
「……その話を鵜呑みにしろと?」
「無論、全てを信じろと言っても無理でしょう。武器は全てお預けしますし、問題があれば拘束した状態でも結構です」

 微かな戸惑いこそあったが、武器を手放した以上、抵抗するにしても限られているし拘束する分には問題ないと判断したのだろう。
 男は先程まで噛んでいた猿轡の布で後ろ手に俺を縛りつけると、部屋の隅に置いてある自分の装備を確かめた後に俺の得物を回収、ボディーチェックを済ませ仲間と共に俺を指揮官の下へと連行していった。


     ◇


「お前か。おれに会いたいってのは?」
「この場に居る部外者が自分である以上そうなります」

 案内された一室は賊のものと呼ぶにはあまりにも品のよすぎる物だ。備えつけられた家具は単に豪華という訳ではなく統一性を持たせ、配置そのものにも気を使っている。
 部屋の中央にある巨大なテーブルには色鮮やかな料理が並んでいた。どうやら食事中であったらしい。
 その作法たるや一切の無駄が無い。これで賊らしい身なりさえしていなければ、さぞ絵になったことだろう。
 口元をナプキンで拭きつつ優雅な仕草で男は立ち上がると、後ろに控えていた従者に目配せした。

「名は?」
「北澤直也と。こちら風にいえばナオヤ・キタザワが正しいですが」
「変わっているな。東方の出身か?」
「その質問に意味があると? 自分は貴方方の立場で言えば平民です。今回の件に関しても主人と共に同行していたに過ぎません」
「こちらの小言に付きあっても問題なかろう……我々を王党派と見破った理由は?」
「気付いたのは貴方の同僚が鎌にかかったからです。尋問での対処はもう少し指導を施すべきでしょう。それによく見れば服のほつれ具合が不自然ですし、体が汚れている割に髪や爪に関しては整っています。
 尤も、これらは連れて来られるまでに見つけた所ですし、実際に訓練された動きをしていても軍隊崩れで通るでしょうから疑問は抱かないでしょうが」

 その説明にさも楽しそうに男は笑う。まるで愉快だというかのように。

「それで? お前はどうしたい。まさかこちらがその言葉を鵜呑みにするとは思っていないだろう」
「無論です。姫殿下より渡された書状を主人が持参しています。ご確認頂けますか?」
「結構。メイジに関しては二名ほど捕らえていてね。貴族派ではないかと勘繰っていたのだが……そういう事ならば連れてくるように手配しよう」

 そういうや否や後ろに控えていた従者が横を通り、ドアへ手を掛けようとする。

「お待ちを。貴方は行くべきではない。控えの者を使えば済みます」
「配下に行かせるのに不都合があると?」
「当然。指揮官はこの方なのでしょう?」

 その言葉に全員が得物に手を掛け、従者である筈の人物を庇うように陣形を組む。
 ……まったく。そういう所が判り易いというのに。そこは余裕を持たせるべきだ。尤も、今回に限ってはバレているので最善とも取れるが。

「何故……?」
「食事中に後ろに控えさせておく、というのならまだ判りますが貴方方はその方だけを常により遠い位置に置き、かつ阻むような配置を取っている。本来なら守られるべき貴方を差し置いて。
 これが不自然でなくて何だというのですか?」
「恐ろしい少年だね、君は。君のような者が我が軍に居てくれれば助かるのだが」
「勧誘は後にして頂きたい。それに、今回の任務には鼠が紛れ込んでいます。万が一貴方の事を勘付かれれば一巻の終わり。ここで先程の様に待機すべきです」
「……居るのか?」
「本人は気付かれていないと思っているでしょうが。ですので此方から二、三ご提案が」

 さて、あの男が行動を起こすとすればここからだ。足を掬われぬ様にしなければな。


     Side-out


「出ろ」

 それは唐突に告げられた。
 捕まってから何時間経っただろうか? 甲板に出てからこの部屋へ閉じ込められる時間を差し引いても然程経ってはいない筈だが、捕まっている者の精神を考えれば通常の数倍の感覚にはなるだろう。
 ましてやそれが今のルイズのように、特殊な立場に立たされている者ならば尚更といえる。
 用件を告げた男も含めた数人はルイズたちを拘束する事は無かったが、誰もが完全に武装し、四方を一定の間隔で囲むという物々しさだった。
 普通ならば大罪人でもない限り、ましてや杖を奪われている者に対してここまでするのかという疑問が浮かぶが、彼女の横に立つ子爵のことを鑑みればそれも納得の事といえる。
 ルイズがこうしてある程度は落ち着いていられるのも、子爵に因る所が大きい。不安はある。自分には使命が有るのだという目的意識だけでは、おそらくは折れていただろう。
 だが、それでもやり遂げなくてはならない。
 そうルイズは自分を律し、表面だけでも形になるように取り繕う。連れてこられた部屋は広く、彼女の目から見ても及第点を与えるに足る内装だ。これで賊だというのだから笑えはしないが。

「よぉ。元気そうじゃねえか」

 椅子に座ったまま、甲板で見た頭は不遜な態度もそのままにルイズに問いかける。

「何の用?」

 返す言葉も惜しいとばかりに吐き捨てる。ルイズにとっては言葉を交わすこと自体が最大限の譲歩という事らしい。

「暇潰しに位付き合いな。長生きはしてえだろ?」
「あんたたちに殺されるぐらいなら自分から死ぬわ」
「良い面構えだが、アルビオンには何しに来た。観光って事はねえよな、反乱軍にでも加わりに来たか」
「誰が貴族派の連中に加わるもんですか! 私達はトリステインを代表する大使としてきたのよ! あんな下賤な連中に関わる気は無いわ!」
「そうかい。こっちはその貴族派についててな。あんたらみたいな王党派を捕えるように言われてんだが、いっそこっち側に着たらどうだ? 
 連中が欲しいのは腕の立つメイジだ。礼金も弾んで貰えるだろうさ」
「死んでもお断りよ」

 しばしの沈黙。ルイズの視線に対し、頭は逸らすことなくじっくりと見つめた。

「もう一度言う。貴族派につく気は、」
「くどいわ!」

 今度こそ、ルイズは声を大にして叫んだ。ここで折れてはならない。自分はあくまでもトリステインの代表であり、責任がある。たとえここで倒れようと、死すべき時まで自身は誇りを貫くのだという意思を込めて。

「……そうか。判った」

 そう言って頭は立ち上がると、ドアの横に控えていた男に合図を送る。
 男は一旦部屋から抜け出したものの、すぐさま別の人物を連れてきた。

「早かったですね」
「君の言った事は正しかったようだね。だが、あまり直情的すぎる気がするが」
「それは美徳として受け入れて頂きたい。我が主は純粋なのです」

 あくまで軽口を叩き合いながら頭の後ろに立っていた男と連れて来られた少年は意見を交える。

「……あんた」
「無事で何よりだ。ルイズ」

 一瞥の後に話しかけると、北澤直也はすぐさま頭の方───正確には頭の後ろに控えていた男の方に───向き直った。
 先程まで不遜な態度で着席していた頭は既に姿勢を整え、後ろに控えた男を守るように傍に立つ。

「すまない。君たちの件は彼から訊いていたのだが、確証が無くてね。このような形しか取れなかったのだよ」

 そう言って男は頭に巻いたバンダナを取り、顔に付いた煤をぬぐい、付け髭を外す。
 そこにあるのは下賤な賊としての姿ではなく、一人の凛々しい若者の相貌だった。

「アルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官……、とはいえ艦隊は本艦『イーグル』号しか存在していないがね。その肩書よりも君達にはこちらの方が良いだろう。
 アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ。ようこそ大使殿、早速だが御用の向きを伺おう」
「……どうして、このような事を?」

 当然と言えば当然の疑問である。困惑した表情で問うルイズに、皇太子は嘆息混じりに答えた。

「敵の補給路を断つのは戦の基本でね。だが堂々と名乗り出ればすぐさま包囲されてしまう。空賊を装うのも致し方ないという訳さ」

 未だ動揺を隠せぬルイズに変わり、子爵は前に歩み出て頭を垂れた。

「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」

 この男だと。そう目で合図を送る北澤直也に皇太子も片目で了解の合図を送り、兵の者達にも同様に合図を取る。

「ふむ、姫殿下とな。君は?」
「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵。
 そしてこちらが、姫殿下より大任を仰せつかったラ・ヴァリエール嬢とその使い魔の少年にございます。殿下」
「成程。してその密書とやらは?」

 その問いに対し、控えていたルイズは懐から取り出した手紙を渡そうとするも何処か躊躇うように足を止める。
 この人物は本当に皇太子なのか?
 魔法の中には顔や体格を変化させるものがある。そういった場合においては『ディネクト・マジック』を使えば問題は無いのだが、杖を取り上げられている以上確かめる術は無い。
 それに……あの使い魔がどうしていち早くここに居るのかが判らない事もルイズにとって不安を抱かせる要因でもあった。

「あの……失礼を承知で申し上げますが、本当に皇太子様なのでしょうか?」
「確かに先程までの顔を見られては致し方無いな。では証拠をお見せしよう」

 ルイズの言葉に対して皇太子は気を悪くすることもなく笑顔で答えると、薬指に嵌めた指輪を外し、彼女の持つ指輪へと近づけた。

「この指輪はアルビオン王家に伝わる風のルビーだ。そして君が嵌めているのはアンリエッタの水のルビー、そうだね?」

 互いが共鳴し合い虹色の光を放つ宝石を見据え、ルイズは頷く。

「水と風は虹を作る。王家の間にかかる虹を」

 疑いの余地は無い。ルイズは謝罪の言葉と共に一礼し、手紙を手渡すと皇太子はしばし愛おしそうに見つめ、花押への接吻の後に慎重に封を開き読み解くも、中程で顔をあげた。

「姫は結婚するのか? 愛らしいアンリエッタが。あの可愛い……、従妹は」

 微かな戸惑い、噛み締める様な口調に子爵は頭を下げることで肯定の意を示す。
 手紙へと再び落とされる視線。皇太子は最後の一行にまで読み、微笑みを向けた。

「了解した。あの手紙は大切なものではあったが、姫が望む以上はその通りにしよう。
 しかしながら今手元には無いのだ。姫の手紙を空賊船に連れ行く訳にはいかないのでね。申し訳ないが、ニューカッスル城までご足労願いたい」


     ◇


 三時間余り雲へと隠れるように進み、ようやく見えたニューカッスル城であったが、彼らを乗せた『イーグル』号は潜むかのように大陸の下側へと航路を取った。

「何故この航路を?」

 この質問をした北澤直也は決して察しは悪くなく、ある程度の予想は付いており、いわば事実確認のつもりであったが、その問いに皇太子は苦笑しつつ説明をした。
 皇太子曰く、この先には叛徒たちが奪った敵船が城へと封鎖を徹底させるための攻撃を仕掛けており、今出て行けば文字通り藻屑と消える事になるとの事らしい。
 雲中を通り、大陸の下へと出る。一筋の光すら差さず、暗闇と雲が支配する空間の中であったが、地形図を頼りに測量と魔法の明かりのみを用いて航海をすることは彼らとって造作もないらしく、皇太子は空を知らぬ叛徒どもには適わぬ事だと得意げに語った。
 しばらくの航行の後、頭上へ黒々と開いた穴が見えた。皇太子の号令のもと、一時停止した船は裏帆を畳み、ゆっくりと上昇してゆく。

「まさに、」
「まさに空賊といったところだろう?」

 北澤直也の言葉に皇太子は得意げに笑う。
 頭上に見えた明かりを頼りに進む艦は目的地であるニューカッスルの港へと到着し、岸壁から取り付けられたタラップを降りると対岸より控えていた老人が皇太子へ一礼し、労をねぎらう。

「これはまた大した戦果ですな」
「喜べ、パリー。硫黄だ」
「火の秘薬では御座いませんか。これで我々の名誉も守れるというもの。
 先の陛下よりお仕えして六十年……これ程嬉しく思える日はございません」
「これで我々も王家の名誉と誇りを叛徒共に示しつつ、敗北することが出来るだろう」
「栄光ある敗北ですな。して、報告なのですが叛徒共は明日の正午にて攻城を開始するとの旨伝えて参りました。
 ところで、後ろの方々は?」
「トリステインからの大使殿達だ。重要な用件で王国より参られた」

 その言葉に老人は微かに顔をしかめる。既に滅び逝く運命にある王国に、トリステイン政府が危険を冒してまで来る事にどのような意味を持つのか?
 内心の感情を押し殺し、微笑を浮かべながらルイズたちを歓迎した。


     ◇


 皇太子へ促されるままに北澤直也たちは城内にある彼の居室へと向かった。木で出来たベッドと一組の椅子とテーブル、もし何も告げられていなければ、皇太子の部屋とは思わなかっただろう。
 首に下げられた鍵付きのネックレスを外し、宝石による細工の成された小箱を開ける。小箱の裏にある姫殿下の肖像画について北澤直也はあえて見ぬ振りをしたが、ルイズの視線に気づいた皇太子は、宝箱でね、とはにかんで言った。
 中には一通の手紙。その手紙は何度読んだのか。便箋は手垢で黒ずみ、既に封を切られた花押はその印を判別する事すら困難なモノになっていた。
 最後の名残とばかりに皇太子は手紙に口付けし、その手紙を目に焼きつけるように読み直すと、再び丁寧に折り畳んでルイズへと手渡す。

「彼女からの手紙だ。この通り、確かに返却した」
「ありがとうございます」

 手渡される手紙を受け取る。だがルイズにはどこか納得のいかない表情があった。
 その表情の意味を皇太子は悟る。どこか決意したようにルイズが口を開こうとするも、皇太子はそれを差し止めるように口を開く。

「これで貴公達の任務は達成された。明日、ここを出るフネでトリステインへ帰還すると良い。諸君らに始祖ブリミルの加護があらん事を」

 それだけを伝え、その場を後にする皇太子をルイズは慌てて追いかける。後に、どこか諦観めいた表情の少年が残された。


     Side-Naoya


 最後の晩餐とはよく言ったものだと俺は一人納得する。広間で行われるこのパーティがどういう意味を持つのかは誰の目にも明らかだ。
 貴婦人達は夫や家族との言葉に花を咲かせるも、その表情は憂いに陰り、その言葉を訊きとめる彼らもまた、貴婦人達へ何処か申し訳なさそうな視線を送る。
 やがて簡易な玉座より立ち上がった王の側へと皇太子が立ち、全員の視線はこれからの運命を決する王へと向けられた。

「諸君。忠勇なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、ニューカッスルに立て籠もった我ら王軍に貴族派、『レコン・キスタ』の総攻撃が行われる。
 この無能な王によくぞ諸君らは付いて来てくれた。しかし明日の戦いは一方的な虐殺となるだろう。朕は諸君らが傷つき、斃れるのを見るのは忍びない。
 したがって諸君らに暇を与える。明日の朝、巡洋艦『イーグル』号が女子供を乗せて離れる。諸君らもこの艦に乗り、忌まわしき大陸より離れるが良い」

 その言葉に返事をする者はいない。やがて一人の若者がここに居る全員の貴族を代弁するかのように声をあげた。

「陛下。我らは唯一つの命令をお待ちしております!
『全軍前へ! 全軍前へ! 全軍前へ!』
 今宵、美味い酒のせいで些か耳が遠くなっております! はて、それ以外も命令が耳に届きませぬ!」

 他の貴族たちも一斉に頷き、何処かとぼけたように、異国の言葉か? 耄碌するにはまだ早いなどとのたまう。
 王は眼頭を拭い、馬鹿者共め……、と呟くと高らかに杖を掲げた。

「よかろう! しからばこの王に続くがよい! さて諸君、今宵は良き日である! 重なりし月は始祖からの祝福の調べである! 今宵の祝宴、存分に楽しもうではないか!」

 喧騒が広場を包む。遠巻きに眺めていたが、正直自分にはこの光景は眩し過ぎる。
 たとえ滅びゆく道であろうとも王は臣下を想い、臣下は王と共に歩む。
 忠義という言葉とその重さを叩きこまれた自身とって、目の前に広がるのは正にその理想ともいえる形だった。
 だが、それでも────

「浮かない顔だね」

 いつからこちらに来たのか、皇太子は何処か浮かばない表情で訊ねてきた。

「そうですね。正直に言えば、自分は貴方達に逃げて欲しいと思っています」
「優しいな、君は。だが、」
「判っています。ここに居る全員をフネで運ぶ事は不可能、たとえ可能だったとしてもここに人が居ないと判れば奴らは血眼になってフネを捜すでしょう。そうなれは女子供も犠牲になってしまう。それをここにいる方々は望まないでしょう」
「そうだ。君は先を見ている。正直、あの可愛らしい大使殿にも見習わせたいな」
「彼女は────素直すぎるのです」

 あまりにも真っ直ぐで……だからこそ、常に理想を目指してしまう。そればかりが正しいとは限らないというのに。

「そうだな。彼女には亡命を勧められたよ、それこそが姫の願いだと。
 ────正直、私には眩し過ぎた」
「同意します。自分にもあれは眩しい」

 いま、目の前にある光景と同じ程に。

「君はどう思う? 平民の立場で考えれば、やはり我々は間違っているだろうか?」

 愛した者を、残される者を見送り、自分達だけが名誉という逃げ場に縋り付く在り方────それは果たして正しいのかと、皇太子は問う。
 何が正しいのか。それを決めるのはその時代、その世界の価値観だ。善や悪だけではない行動のひとつ、物事の考えさえも時代という一つの世界が決定してしまう。
 だがもしも、もしも許されるならばと俺は知らず口を開く。

「その道に、その選択に迷いが無いのならそれは間違いではありません」

 そうか……、とそれは何処か自嘲じみた声で彼は呟く。

「けれど、間違わない事と正しい事は違う……いえ、そもそも正しい答えなどないのです」

 一つの問いに百の答えがあるように、正しい道もまた数多く存在する。こんな事は単に考え方の問題でしかない。

「ですが皇太子殿、貴方はもう決めているのではありませんか?」

 きっと、この人は迷わない。決意など、とうに終えているのだから。

「そうだね。私には王家に生きる者としての責務がある。何より亡命など望めばトリステインへと攻め入る格好の口実を作る事になる。そういった意味でも私は決断を下さなければならなかった」

 けれど後悔はしないと、揺らぐことのない声で彼はそう口にする。

「────それが、愛した人を護ることに繋がるのだから」

 言葉は強く、この耳へと届いた。


     Side-out


 祝宴も終わり、窓から差し込む月明かりの元、ウェールズ・テューダーは目の前の人物を凝視する。
 トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵。少年の情報によればこの男こそが『レコン・キスタ』の一員という事らしい。
 北澤直也の情報の後、皇太子は常にスクウェアメイジの護衛を自身と大使であるルイズに付けている。ルイズ本人には最初こそ戸惑われたものの、大使が傷付けられる様なことがあってはアルビオン王家の名折れだと説得させ、部屋に関しても別々の区画に用意した。
 子爵に関しても、いざ妨害があった際に役立てるようにと進言したが丁重に断られた。流石にそこまで馬鹿ではないという事か。
 本来ならば目的は手紙の筈だ。この男がこうして皇太子を引き止める必要が何処にあるというのか。疑惑と憶測に思考をめぐらす。

「突然の申し出、誠に申し訳ありません」
「良い。貴公程の者が何の用もなく呼び止めるような無粋者とは思わんよ。して、要件は?」

 一番にあり得るのは暗殺。今ここで皇太子である自身が消えれば全軍の士気に関わる。だが目の前の男からは殺気を感じられない。まるで水面のような静けさだ。

「実はこちらにて挙式を上げたいのです。是非とも婚姻の媒酌をお願いしたく、申し出に現れた次第です」
「相手はあの大使殿かな?」
「彼女とは許婚でして、ゆくゆくは優秀なメイジとなるでしょう」
「それはめでたい。だが、どうしたのかね? 式を上げようというには随分と優れぬ顔色をしているが」
「実は、誠に遺憾なのですが、殿下にお伝え申さ無ければならぬ事がございます」
「……それは?」

 微かな戸惑い。未だに子爵の意図が掴めぬ皇太子であったが、次の瞬間に子爵の口からは予想だにしなかった発言が飛び出た。

「大使、ミス・ヴァリエールの使い魔。彼は『レコン・キスタ』の一員である可能性が高いのです」
「なっ……!?」

 馬鹿な、と今度こそ皇太子たちは驚愕する。先程まで平静を装っていた表情は崩れ、動揺は隠せない。混乱する思考、明らかな矛盾。動揺からか、それとも逆光で陰になっていた為か、彼らは微かに釣り上った子爵の口元を確認するには至らなかった。

「こちらとしても考えたくはありませんでした。しかし、これまでの使い魔の行動には不可解な点が多すぎるのです」
「……しかし、彼が裏切り者だという確証はあるのかね? 何かの間違いという事は……」

 皇太子の疑念の声に、子爵はこれまでの経緯から使い魔である少年の不可解な点を並べた。
 情報を訊き出した筈の賊を単独で尋問し、解放したこと。
 宿屋での襲撃に対し、あらかじめ予見していたかのように罠を巡らせていたこと。
 何より主を守るべき使い魔が単独で行動し、身の危険に晒されていると知っていた上で引き合いに出したこと。
 これらの事実確認においては後にルイズに確認したところ全て偽りは無い。対して使い魔である少年の証言にはあまり信憑性は無い。彼が提示した証拠は全て彼の口から語られただけのものであり、証言を裏付ける物が無かったためだ。
 子爵が去った後、あたりに不穏な空気が立ちこめる。控えの兵に至っては子爵の意見に流されつつある。
 皇太子自身にも子爵の発言には一理あると感じた。だが、あの少年との会話が思い起こされる。彼が皇太子を討つ機会は幾らでもあった。
 手紙に関しても最初は処分すべきとの意見を提示したほどだ。結果としてはアンリエッタの望みを最後ぐらいは叶えたいという意思のもと、了承したが、護衛をつけるよう提言したのも彼だ。敵たる人間が態々そのような事を発言するとは思えない。
 だが控えの兵に関しては別だ。このままあの少年を放置すれば不安を煽ることになる。
 葛藤の醒めぬまま、皇太子は決断を下すべく、少年の元へと向かった。


     Side-Naoya


 それはあまりにも唐突だった。祝宴も終わり、案内された部屋で得物の手入れをし終えた矢先、彼らは前触れもなく現れ、促されるままに付いて行き、現在に至る訳だが……。

「皇太子殿下、説明を願えますか?」
「すまない。私としてもこのような真似は不本意なのだが、こうしなくては周りは納得しないものでね」

 その言葉に偽りは無いらしく、鉄格子の向こうの皇太子はご丁寧に経緯を説明してくれた。
 曰く、俺には『レコン・キスタ』の一員であるという疑惑があること。俺が子爵を怪しいという発言には証拠が乏しいことなど、確かに納得のいくものだ。
 内心あの男の抜け目の無さに舌打ちしつつ、これからの行動を模索する。まず何よりも優先するべきはルイズの保護だ。
 皇太子もそちらに関しては抜け目が無いらしく、俺が問い質すとすぐに問題無いと返してくれた。ルイズには護衛も兼ねた見張りがいるらしい。
 手紙を持っている以上、ルイズが狙われるのは目に見えている。本来ならば燃やす方が良かったのだが、どうやら皇太子殿下にとって最後の願いを叶えるという行為には感傷めいたものがあったようだ。

「それともう一つ、子爵はこちらで結婚式をあげたいそうだ。私に婚姻の媒酌を願いでた」
「なんですと?」

 それは不自然だ。本来ならば明日には敵の攻撃が始まるこの場所で、のうのうとそのような行為をするというのは自殺行為でしかない。

「式は何時?」
「明日の午前中、おそらくは昼前だろうな。それ以上長引けば敵との戦いに間に合わなくなるだろう」

 あるいはそれが狙いだろうか? 指揮官が離れれば兵たちも動揺するだろうしな。

「無論、君の発言を軽んじている訳ではない。式には私の他に腕利きの兵たちを参列させるつもりだ。戦場での指揮官も既に用意している」
「……そうですか」

 多少の不安こそ残るが、何もしないよりは良い。最悪、俺が居なくとも対策は打てるだろう。

「君はどうして抵抗しなかったのかね?」
「それでは意味が無いでしょう。自分が何よりも心配なのは主人の身に危険が及ぶかどうかです。ここで抵抗をすれば主人に迷惑がかかるだけでなく、その位置すら危ぶまれます」
「立派な使い魔だ。一つ訊きたい事があるのだが、君にとって名誉とは何かな?」

「忠誠。それこそが、我が名誉です」

 短く、だが俺ははっきりと答える。
 それこそが曽祖父より教えられたことであり、我が系譜が貫いた誇りなのだから。

「……まるで貴族のようだな、君は」

 それだけを呟くと、最後に皇太子は明日にはフネに乗れるよう使いを出す事を告げ、この場を離れた。
 何故あんなことを訊いたのか。それはきっと、俺という人物を知りたかっただろう。
 だがそんな事は無意味だ。何故なら俺は一度として本当の俺自身を語ってはいないのだから。

 そう……忠誠を誓った主人にさえ、例外なく…………。


     ×××


あとがき

 ようやくここまで漕ぎ着けました。……いや、ホントに長かったです。
 まあ単に作者が遅筆なだけなのですが……。
 待ってくれている方々には本当に申し訳ありません。
 一応書き上げてチェックしたらスグに投稿という形をとっているのですが、書く時間を中々とれず、最近は電車の中でメモ帳を使って僅かな時間に家で纏めるといった形が殆どなのでどうしても遅くなってしまうのです。

 次回はいよいよ子爵との対決です。それとギーシュ君にも活躍の機会を与えようと思います。

 それでは次回にお会いしましょう。
 ……でも色々とヤバくなりそうです。次回。





[5086] 007※加筆修正済(11/2/16)
Name: c.m.◆71846620 ID:ebc96699
Date: 2011/02/16 15:27
 荘厳なる空間。靴音の響く礼拝堂は本来であれば婚礼の儀に使われるものでこそ無いものの、その役割を満たすには充分な場所といえる。
 一歩を踏み出すごとに響く靴音は、静謐な空間よりなお空虚なルイズの内へと響いていった。

〝どうして……〟

 もはや何度目かも判らぬ自分への問いかけにルイズは俯く。昨日の夜、部屋へと訪れた皇太子たちに事実か否かを問われた。
 それは自身の使い魔について。彼らはあくまでもそこに事実があるかどうかをルイズに問いかけ、彼女は自身の記憶と照らし合わせた上でその全てに答えた。
 事実だと。その問いにおいて誤りは一つとして無く、また虚偽である事もない。
 何故そのような事を訊くのか、自身の使い魔に何があったのかをルイズは問う事は出来なかった。
 だが自身の中でその答えは出ている。裏切り者。あの使い魔は『レコン・キスタ』の一員であるという答えを。
 信じようとすれば……信じたいと願うほど、その願いは内側から食い潰され、外側から崩れてゆく。
 何を信じればいいのだろう?
 何を願えばいいのだろう?
 胸の内に不安が満ちる中、子爵から持ちかけられた婚礼はルイズからしてみれば不意打ちに近い。
 だがルイズにとっては幸運とも言えた。少なくともこの婚儀に関しては自分が迷いを抱える必要などない。
 使い魔の事も、任務の事も、今は全て忘れられる。冷静になるには充分な時間を与えられる筈だ。その後のことはまた考えればいい。
 今の自分には支えて貰うべき相手が必要だと、そう言い訳を作ることでしか、ルイズは自分を保たせることは出来なかったのだから。



「では式を始める」

 そう告げる皇太子もまた、この状況下において不安を拭いさる事は出来なかった。
 表面こそ恭しき一礼と共に歩みでる二人を笑顔で祝福しているものの、内心完全に子爵を信用した訳ではない。確かに彼の言い分は的確であった。問い質した事に対し全てルイズは肯定の意を示したし、その説明には納得のいくものがあったのも確かだ。
 だが、あの使い魔の少年は最後まで抵抗する事もなく牢に入った。そうする事で主への忠誠を示し、自身の不遇な扱いの場面ですら主の安否を気遣った。
 何故疑う事が出来ようか? あれ程までに忠誠に厚き心根を。
 何故蔑む事が出来ようか? 貴族より尚誇り高いその意志を。
 既に皇太子は意を決していた。あの少年の答えを訊いたその時から。
 外套の下にこそ隠れているものの、この服の下には魔術防御効果を付与した軽鎧を纏っている。
 トライアングルクラスの一撃となれば話は別だが、奇襲の際に主に用いられるラインクラスの攻撃であれば、余程の魔力で練り上げた一撃でもない限りはほぼ無効化できる。
 これだけでは後手に回るであろうが、この礼拝堂には祝福をする者が居ないのでは寂しいだろうという事を子爵に伝え、スクウェアクラスのメイジを四人配置した。
 それぞれの立ち位置は婚姻の儀を交わすブリミル像の前より離れているものの、充分に彼らの攻撃の範囲内だ。いざとなれは離れた位置からであろうと皇太子を救出する事も可能だ。
 何よりこちらが完全に信用していない事を暗に伝えるのは、凶行に対する抑止力にもなる。

「新郎。子爵、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名においてこの者を敬い、愛し、そして妻とする事を誓いますか?」

 穏やかな口調で問う皇太子に、子爵は誓います、と呟くと続いて朗々と新婦の為の誓いの詔を読み上げる。
 そして皇太子は同様に問うた。この婚約を誓うかと。
 室内に反響する言葉。その言葉に彼女は渇いた唇から洩らすように誓いの言葉を呟きかけ────、

 ────突如、鳴り響いた轟音から我に返った。

「何事だ!?」
「恐らくは貴族派の攻撃かと!」

 皇太子の問いに対し、待機していた兵が答えた。正午には早すぎる。恐らくは奇襲であろうが、まさかここまで早いとは予想だにしていなかった。
 困惑。指揮を取ろうとする皇太子を横目に、子爵は軽く舌打ちをした。
 それが────隣に並び立つルイズの耳に届いたとも知らずに。

「ワルド……?」
「あ、ああ……すまないルイズ。すぐにでも婚儀を済ませてここから出よう。これ以上彼らに迷惑をかけるのは忍びないからね」

 何処かおかしい。その言葉はあくまで自然なものだった。だが、ルイズにとってその言葉は何か噛み合わない。まるで彼女自身と添い遂げる事よりも、何か別の事に重点を置いているような……。

「子爵、悪いが婚儀は……」
「申し訳ない。ですが、彼女の口から訊きたいのです。この場で、心変わりの無いうちに」

 皇太子の言葉にも受け流すように答えているが、やはり言葉そのものに焦りが見える。一体何が子爵をそうさせるのか?
 貴族派の攻撃? それならばここを離れればいい。婚儀ならば故国であっても可能だ。態々危険を冒してまでここでする必要があるだろうか?
 虚ろであった感情が徐々に平静を取り戻す。同時に何かしらの言い難い疑問も抱いた。自身がかつて敬い、憧れていた男性。かつて約束を交わしたあの頃と、何かが決定的に食い違っていた。

「ごめんなさい。私は、誓えそうにないの……」

 知らず、口にしたその言葉に子爵は目を見開く。

「嘘だろうルイズ? 君がぼくを拒むなんて。日が悪いなら改めて……」

 確かに日を改めればいいのかも知れない。祝福されるべき日にこのような事態が起これば、焦るのも無理は無いだろう。
 しかし……ルイズは見てしまった。虚ろであった自身が、子爵の方へと目を向けたとき、あの微かな舌打ちが聞こえたときの、暗く何者をも信じぬ氷の瞳を。

「違うの。私は望めない……今の貴方はあの頃とは違うもの……」

 それは決別の言葉。自分が信じていたモノ。憧れていた者に対する決別。
 だが、子爵はそれを是としなかった。その瞳には先程までの温かみは無い。あの時、ほんの一瞬に垣間見せた瞳がルイズの瞳を捕える。

「嘘だ! 君は自分の価値に気付いてはいない。ぼくと共に来れば判る。君は世界を手に出来る力がある! 必要なんだ!」

 ルイズの両肩を掴む手に力が入る。獲物を見つけた捕食者で見据えるその瞳。その意味を知った。

〝────彼は、私を見ていない。ただ……私の力だけを見ている〟

 それはあまりにも残酷な現実。知りたくは無かった真実。
 そうして、ルイズは支えを失くした。膝が震え、崩れ落ちそうになる身体を支えるモノはもうない。
 何が……自分を支える?
 何でもいい。自分を支えようとするモノ、支えてくれる目的を探す。
 だが、それを待ってくれるほど目の前の人物は優しくは無い。

「これ程までに言っても……僕を受け入れてはくれないのだな」

 乾ききった口は既に言葉をする事も出来ず、ただ彼女は静かに呟く。
 いや……、と。誰にも届かぬ救いを求める声、掠れた吐息に混じる音はより大きな音にかき消される。

 ────ただ一人を除いて。


     ◇


 時間は遡る。
 朝日すら差しこまぬ独房でこそあったが、時間に関しては細かい性分である北澤直也にとってその事はあまり重要ではない。尤も、奇襲に備えていたがために仮眠すら殆ど取っていないのだから当然と言えばそれまでだが。
 まるでつい先程眠りから目覚めたかのような自然さで瞼を開くと、北澤直也はいつも通り時間を確認する。時刻は午前五時。彼の年齢を考えれば健康的すぎるとも言えるが、やはり習慣は変えられないものらしい。
 その後は取り敢えず自身の身体の確認と柔軟を済ませ、七時を回ったところで運ばれてきた食事を口にする。食事内容は豪勢とは言えぬものの、元よりあまり多くを食べる事はしない北澤直也にとっては適量といえるため、寧ろ有り難い。
 一応看守の目もある為、出来るかぎり大人しくしていたが、十時を回った辺りから異変に気付いた。

〝何だ……これは?〟

 片目に映る光景。礼拝堂より響く祝辞の声を告げる皇太子を焦点の合わぬ瞳が捉える。

〝式?……だとするとこれはルイズの〟

 以前ルイズが話した使い魔の能力の内に、術者との視界などが繋がることを思い出し、納得するも突然繋がった理由が思い浮かぶことは無い。
 しかし、北澤直也はその状況下においてある異常に気付いた。先程まで静かであった上の階が今では慌ただしい。
 この地下牢はあくまでも謀反を犯した者を一時的に捕えるためのものではあるものの、ある程度の防音措置や脱走を阻むため、それなりに頑丈な作りになっている。
 本来ならば外部からの音はほぼ完璧に遮断される筈なのだが、それでも音は届いた。それはつまり、それ程までに大きな問題があるという事だ。
 目の前の看守の任を任されている男も気になってはいるらしく、椅子から立ちあがってはいないものの、落ち着きは全く無い。
 やがて不安が最高潮に達したのか、看守は少年に逃げぬようある程度の釘を刺しつつ上の階へと進む為の扉に手を掛けようとし────

 ────その瞬間、反対の扉から突き出された閃光に貫かれた。


「ガッ……!?」

 おそらくはその一撃が加わることを彼は予期すらしていなかったのだろう。刺し貫かれた脇腹への一撃はその威力を衰えされることなく、鉄格子によって阻まれた北澤直也を襲う。

〝チィッ……!〟

 内心の舌打ちと共に即座に回避行動を取る。敵の攻撃は幸いにも鉄格子の鍵穴へと突き刺さることで不可視の槍の軌道を予測させ、北澤直也の回避を間に合わせる。
 腹部の横へと通過する風切り音。だがそれに安堵する間もなく放たれた第二射を辛くも首を曲げることで回避する。
 急所への一撃こそ外れたものの、やはり回避は完璧ではないらしく、ハイネックの布の裂かれた首筋から微かな鮮血が漆黒の衣服を濡らし、視認こそできぬものの内側のシャツを赤く染めた。
 だが北澤直也の意は既に自身の負った傷には向いていない。その視線の先は未だ開かれぬ扉。仕留めるべき敵へと向いている。
 微かに開かれた扉。その先に、あの仮面の男が立つ。
 最早仕留めるに足る理由など必要ない。ブーツの底に隠し持っていた鋼糸を展開。一糸一糸が指の延長の如き精密さを備えた不可視の刃は、この限られた空間においてその糸を張り巡らされた時点で彼の巣と化す。
 蜘蛛の如く獲物を捕え、飯綱の法の如き鋭さをもって一瞬の反撃すらも許さず、その五体を寸断せしめる外法の業。
 たとえ鉄格子によって隔てられようと、この惨殺という結果以外の全てを否定する空間の中では一歩を踏み出した時点で勝敗は決した。
 次の一撃を加えるべく突き出された手は扉より踏み込んだ時点で肩口から断たれ、残る四肢と首さえも同時に地面へと崩れ落ちる。既に四肢と首を失った身体からは鮮血が迸り、深紅へと空間を染め上げるも、やがては霧がかったかのように消えていった。

〝風の偏在……だが、手ごたえが無さ過ぎる〟

 確かにこと殺人術において鋼糸は必殺に足る得物であり技ではあるものの、先程の攻撃はあまりにも無意味に尽きた。
 鍵を自らの手で破壊したことに対して気付いてはいなかったとしても、こちらが向こう側に牢から出て仕留めるまでには時間がかかる。
 もし本当に自身を仕留めようとするならば、遠距離による一撃が最も効率よく仕留められる筈。態々相手の間合いへと近づく必要性は無い。
 だがその事に関して考える猶予は無い。先程の子爵の一撃で看守が貫かれている。
 鍵の壊された鉄格子のドアを開けると、取り敢えずは看守の身に付けているマントを剥ぎ、破ることで即席の包帯を作ると共に止血の措置を施す。気休めにしかならないが、それでも無いよりはましだ。

「気を持て。取り敢えずは誰かを呼ばなければならない、それまで、」
「いや……いい」

 唐突に看守は言葉をさえぎる。その顔は徐々に色を落とし、唇は紫へと変色している。一刻の猶予も無い筈だ。
 だというのに看守は動じない。それどころか死期を悟った老躯の様にその顔をほころばせ、静かに少年を見つめると、懐から鍵を取り出す。

「そこの扉を出た先に君の剣がある……。これを使って、上の、階へ行くんだ……子爵は南の、上の階の通路を左に行った奥だ。礼拝堂で式、を、」
「喋るな! すぐ人を呼ぶ、名誉の為に戦うのだろう? その為に大切な者を残したのなら、せめて成し遂げろ! 出来ないならフネへ乗れば良い。誰も責めはしない、歩けないなら連れていく。だから……!」

 死ぬなと。泣きそうな、子供の様な声で少年は叫ぶ。
 だが男は変わらない。むしろ本当に嬉しそうな表情で、子供を撫でつける時に見せる笑顔を彼に見せた。

「君は誰かの為に泣けるのか……。それは良いことだ、その気持ちを忘れてはならない。我々のような……戦いを誉れとする人間には、見ず知らずの者の為に泣く事はもう出来ない、だから君は、」

 ゆっくりと、震える手で、男は鍵を握らせる。

「君は行くべきだ。────君のような者は、誰かを助ける事が出来るのだから」

 そうして、男は事切れた。名も知らぬ男。少年にとって、それこそ赤の他人でしかない一人の男は最期に笑顔で逝った。
 もうここには居られない。静かに立ち上がった少年は、横たわる男の瞳を閉じさせ、主を守ると、そう決意と共に立ち上がる。
 扉へと手をかけ通路の途中にある部屋から鞘ごと持ち運ぶ時間も惜しいとばかりにデルフを抜き身のまま手に取り、ナイフをシースに差し込むと共に上の階への階段を渡ろうとし────

 ────その光景に、目を見開いた。

 床へと転がる手足。ある者は巨大な鎚によって殴られたかのように歪に折れ曲がり、ある者は肺腑を鎧の上から貫かれることによって絶命していた。
 ここに生者はいない。咽るように充満した死の臭い。未だ凝固する事もなく階下へと流れ落ちる紅の雫。それこそがこの惨劇を支配する現実だった。

「赦さない……」

 既に鞘より取り払われたデルフを握りしめ、北澤直也は一人の男へと届く事のない言葉を紡ぐ。
 だがそれが拙かった。もしこの場でデルフを鞘ごと持ってさえいれば、もし北澤直也が立ち止まらず、上へと昇っていたならば。
 そもそも。もし目の前に闖入者が現れなければ、少なくとも北澤直也は、この者達の為に戦えた筈だった。
 見上げた先。階段の続く扉の前に立つ一人の男。
 その男にとってここに居る人間は友だったのか、それとも単なる同僚だったのかは北澤直也にとって定かではない。ただ一つ確実な事。それはこの男が同胞へと涙し、そしてその怒りの矛先が自分へと向けられているという事だけだった。


     ◇


 彼女は限界だった。信頼していた使い魔、理想であった許婚、大義であった任務。如何に冷静であろうとしても彼女の内部では一度に様々な情報が入り乱れ、断片的な記憶は混乱の渦へと引き込む。
 目に見えた動揺、最早何をすればいいのかも定まらぬ彼女を見、子爵は先程までの熱弁が嘘であるかのように嘆息した。

「やれやれ。こちらに来てくれれば問題は無かったのだが、壊れてはどうしようもないな」

 子爵は未だ混乱の中にあるルイズを余所に、先程肩を掴んだ際に引き抜いた便箋を懐に納めた。

「子爵! 何故それを君が持つ!?」

 激昂する皇太子に、子爵はもういいだろうと言った風に視線を向ける。

「分かった上で問うのは如何なものですかな。元よりこちらの目的は三つ。
 一つは彼女を手にすること。二つはこの手紙。そして最後は────」

 言葉を告げるより先に子爵は杖を引き抜く。だがそれは予測出来たことだ。だからこそ兵は皇太子を庇うように駆けつけようとし────
 ────この場に居た誰もが、その結末を予想していなかった。


     ◇


 一切の音を拒絶された空間。血と死の臭気に満ちる階段において北澤直也は防戦へと強いられていた。
 単純な実力差という訳ではない。元より足場という点に問題があるのも理由の一つではあるが、それ以上に戦い辛い相手だという事だ。
 目の前の相手からは確かに怒りがある。だが、その怒りは冷静さという氷の前に熱を抑え、この狭い空間を生かした戦いを繰り広げた。
 風の刃は北澤直也が決定打を与える間合いへと踏み込ませず、逆に自身の間合いからは外れぬように術を放つ。
 鋼糸を用いればまだ形勢は覆すことも可能であろうが、彼自身は出来る事ならば穏便に済ませるに越した事は無い。自分たちが傷付け合う必要は無い。むしろ敵は共通なのだから。

「違う! 話を訊いてくれ!」

 何度目かになる説得の言葉。それに対する返答は殺意を込めた詠唱だった。
 こうしている間にも時間は刻一刻と過ぎて行く。片方の瞳に映る景色は既に歪んでいる。それが涙によって視界が歪んでいる事を北澤直也は悟った。
 届くかどうかも分からぬか細い声。救いを求める少女の声をその耳に届きながら、少年はこの場に縫い止められている。

「時間が無い! 主人が危ないんだ!」

 救いを求めるかのような吐露。純粋な思いを言葉にするも、目の前の相手は退く事をしない。
 否、むしろ先程以上の威力を持った一撃を放ってくる。この空間では相性が悪すぎる。こちらが攻撃を仕掛ける事によって詠唱の隙を封じてはいるものの、それでも『ライン』クラスの魔法は次々に放たれる。

「ならば貴様も味わえ! 友を殺され、名誉を踏みにじられるその様を! 卑劣な裏切り者めが!」
「彼女は関係ない! 裏切り者は他に居る!」
「それが貴様だったというだけのこと! あの連中も貴族派ではないと何故言い切れる! たとえ滅びゆくとしても、お前たち貴族派は一人でも多く地獄へと送ろう。それが名誉ある死を遂げる事の許されなかった者への鎮魂として!」

 違う、と。そう声を大にして叫びたかった。
 自分ではないと、そう叫びたかった。だが悲痛な表情でこちらを見る男に、その言葉は通じない。どうすれば退いてくれる?
 どうすれば、自分は────
 己が内で繰り返される言葉。時間と共に響き渡る軍杖と剣の音。
 何度目かさえも忘れた攻防。その終着は、北澤直也の思い描く最悪の予想だった。


     ◇


 鮮やかな。狂おしいまでのその色は極彩。迸る飛沫と共に床と自身を紅へと染め上げる。
 何故自分はこうしたのか? それさえも彼女は判らない。彼らは死に逝く者、その歩みを止める事は叶わず、その決定は覆らない。
 だというのに彼女はこの決定を選んだ。
 貴族としての責務。誰かを護るという人間としては当たり前であり、時として英雄的と評価される行為。
 それは言い訳なのかもしれない。単に自分を繋ぎ止めるだけの、残された道だったというだけなのかもしれない。
 今、自身がどうなっているのかは判る。痛みよりも焼けつくように拡がる熱に、彼女は喘ぐように身を逸らす。視界が向くのは天井。ステンドグラスによって描かれた宗教画、その美しさに、彼女はしばし恍惚の如き瞳で見据え、静かに崩れる。その瞳は虚ろなままで。


     ◇


「な……!?」

 驚きは誰のものだったか。もしくはこの場に居た全員だったのか。
 少なくともこの場に居た全員にとって、この結末は信じがたいものであったはずだ。
 青白い光。誘蛾灯めいた妖しさを持つ光の軍杖は臓腑を貫き、確実な致命傷を与える一撃は確かに閃光の如き一手となった。間違いは一つ、ただその結果を受け入れる相手が違ったというだけのこと。
 杖を引き抜いた子爵は一瞬こそその顔を強張らせたものの、すぐに元の無機質な表情へと戻らせ、ため息をついた。

「面倒な。壊れたままでいれば長く生きられたものを」

 呆れたと言わんばかりの声で告げる。そこに人間という概念は無い。ただ道端で小石に躓いたという程度の感慨しか、この男は持ち合わせていない。
 怒りに顔を歪ませるも、すぐさま皇太子は指示を飛ばす。

「水系統のメイジは治療にあたれ! 残りは裏切り者を粛清しろ! その血をもって報いを受けさせるのだ!」
「奴を生きて出すな……!」

 怒号の如き叫びは一人の兵から全員へと伝播した。
 生かしておく必要などない。ここで骸に変えても収まり切らぬであろう怒りを叩きつけるかのように、兵は子爵へと杖を向ける。

「さて、消えゆく兵たちよ。任務ついでに楽しませてもらうぞ」

 迫りくる死の運び手たちに、子爵は哄笑で応えた。

 
     ◇


「あ……………」

 視界が染まる。
 極彩から虹色、そして床へ。目まぐるしく移り変わる片目の景色、途切れ途切れに断線する視界。
 喉が渇く。肺から息を吐き出せない。膝に力が入らない。
 両手が震える。力を込めようとしても、その手は決して言う事を訊かない。
 死が迫る。目の前の男は好機とばかりに心臓を貫かんと杖を引き、

「すまない」

 唐突に。横薙ぎに払われた剣が、その胴を斬り裂いた。

「は……?」

 突然に浮き上がる体。目の前に階段が迫る様な錯覚に、男は目を瞬かせる。何が起こったのか分からない。何故自分が倒れているのか? それすら判らぬと言った表情のまま、男は既に事切れていた。
 死の間際、微かに聞こえたのは、階段を駆け上がる音。すぐ先程まで近かった筈の音が、今度は遥か彼方のように感じられる。そして、その音さえ、もう聞こえなくなっていた。


     ◇


 階段を駆け上がり、そのまま長い通路へと出た北澤直也は言われた通りの道筋を目指し、勢いもそのままに全速力で駆ける。
 まだ視界は繋がっている。水系統の術者も治療に当たっていた。
 だから助かる。子爵を倒すために加勢し、一刻も早くしっかりと治療の出来る場所へ移せばいい。出血は抑えられているだろうか? 傷はどの位置でどれ程内臓に痛手を負わせているのか?
 考える程に溢れ出る問題点を整理し、助かる為の道筋を組み上げていく。
 助かると、助けるために動かなくてはならないと自身に言い聞かせる。その為に北澤直也は殺した。それは間違いだと、もっと話していれば判って貰えたかもしれない。もしかしたら殺さずに済んだかもしれない。
 だが、そんな事は無意味だという事も判っていた。いずれにせよ説得にあれ以上の時間を掛ける訳にはいかない。何よりあの男を取り逃がせば今度こそ終わりだ。
 行きつく先は破滅。戦争の口実を与えればその被害は確実に民衆を脅かす。
 だからこそ、北澤直也は止まる訳にはいかない。死ぬことが決定している人間と、多くの命が失われる可能性。
 天秤に掛け、どちらを救うべきか? それを今更迷う事は無い。
 だが、それでも正しかったとは言えはしないだろう。北澤直也が行った事は紛れもない殺人。いかに正当性を持とうとも、その行為は彼自身を一生縛り付けてゆく。
 ただの一度も忘れることなく。ただの一度も赦すことなく。
 自らの罪を誤魔化すことなく、北澤直也はまた一人分の重さを増した十字架を背負った。


     ◇


 ヒュー……ヒュー……

「相棒……もう止まれ、娘っ子は」
「だまれ……」

〝まだ助かる。助けだしてみせる。もう何も失わせない、奪わせはしない!〟

 何度そう呟いたのか。何度その言葉を口にしたのか、北澤直也には判らない。

「あの娘っ子だって、相棒が死ぬような目には遭って欲しくねえ筈だ。少しでいいから、」
「黙れと言ってるだろう!」

 もう何かを考える程の余裕など残ってはいなかった。
 助けること。それだけを支えに北澤直也は走り続けている。既に限界を超える程の負荷を掛けた足は筋繊維が切れ、内出血が体外へと滲み出し激痛を与えていた。
 左手の効力があるからこそ走れるものの、もしこの状況下でデルフを手放せば彼が地に崩れるのは目に見えている。

「死んじまうよ……相棒」
「構わない」

 たとえ行きつく先が滅びであろうと、その道を進む。そうしなければ、北澤直也が殺した人間は決して報われない。自身の罪は背負う。地獄に墜ちるというならそれでもいい。
 だから、せめて生きている間は手を差し伸べたい。血に塗れ、泥にまみれた手でも救えるものはあると。
 それは証明でもなければ誇示でもなく、また自身への救いでもない。
 そうすれば、救われた誰かは明日を進める。陽だまりの中で、また笑う事ができるから。

 ────それこそが、北澤直也の……たった一つの想いだった。

 そして、その想いを胸に抱いてきた少年は────

 開け放たれた扉。
 ────幾度となく、その光景を見続けて────

 その向こうに広がっている、
 ────同じように涙を流し────

 どこかで予想していた結末を、
 ────絶望という悪夢げんじつを、

 その双眸に、刻み込まされた。


     ◇


 辺りに散らばる、かつて人であったモノ。腕は捥げ、臓腑が零れ落ちた肉塊。
 それらは一つとして原形を留めず、さながら肉食獣に食い荒らされた動物か何かにしか見えなくとも不思議は無い。
 決定的に違いがあるとするならば、それは苦悶という表情を見せ付けているぐらいのものだろう。
 だが北澤直也の視線はそこには無い。一人の少年であり、少女の使い魔である彼が見るのはその先。裏切り者の姿に阻まれた先だ。
 淡い光、ステンドグラスに差し込まれる色を浴びた一人の少女。醜悪なる肉塊と化した者たちとは違い、彼女は未だ美しさを保ち続けていた。
 何より驚くべきはその存在。これ程の傷を負って、これ程の絶望の中で尚────

 ────ルイズは、生きていた。

 繋がり続ける視界。か細いながらも聴こえる吐息は少年の中にある希望に光を灯す。
 そして、彼女も見た。掠れる視界あやふやになった景色の向こう、裏切り者の姿の先にある自身の使い魔の存在を。視線は朦朧とし、あやふやとなった視界でありながらも彼女は少年がそこに居るのだと知った。
 何故ならば、今この時お互いの視線は繋がっている。互いに目にするのはあの裏切り者であり、その姿を捕える事は叶わない。だがそれは間違いなくお互いがそこに居るという確かな証なのだから。
 来てくれた。それは絶望の中の希望。孤独であった胸の内を満たす確かな光。
 彼女は言わなくてはならない。自身が如何に愚かだったかを。これ程までに支えられて置きながら、信じ切れなかったその弱さを。
 言葉は届かないかもしれない。声を出せるかも判らない。それでも伝えなければと震える唇をゆっくりと動かす。

「ナ、お……ゴめ、ン。あ………ト…」

 聴こえる筈のない声。漏れるように零れ出た音は呼吸より尚聞こえ辛かった事だろう。
 それでも、聞こえていた。どんなに小さくとも、どんなに遠くとも、あの少年はその声を聞いた。
 ごめんなさい、ありがとうと。その言葉を少年は受け止める。
 そうして、彼女は事切れた。届いたかどうかを確認する事は出来ない。もしかしたら聞こえていなかったかも知れない。けれど、確かに伝わったと、そう自身の中の何かが教えてくれたような気がした。
 だからこそ、彼女はこうして眠るのだ。それは慈愛の溢れる聖母のように。自身の憧れであった、あの姉のような笑顔を向けて、彼女は静かに眠りについた。


     Side-Naoya


 耳に届くその声を最期に、彼女の視界はまるで幕を下ろすかのように閉じていった。

「どうした使い魔? 何を呆けている」

 仮面がずれる。
 嘲るような声が響く。鼓膜にいつまでも残るような、ざらついた声。だがそんな声は届かない。
 耳に残るのは、あの儚い少女の声。姿は見えず、ただ滲んだ視界はルイズが泣いていたのだという事しか判らない。
 泣いて欲しく無かった。笑っていて欲しかった。
 だけど……もうその声は、届かない。
 その笑顔を見る事は、永遠に叶わない。

「いや……いやだよ。おねがい、起きて。笑ってよ、ルイズ。
 一緒に帰って、皆で笑いあって、」

 仮面の隙間から、か細い声が漏れていく。
 それは叶わぬ願い。あり得ない日々。そして、そこまで言って気付いてしまった。
 自分は一度として────彼女に笑顔を向けられたことは無いのだと。

「どうしたガンダールヴ。主の仇は討たないのか。お前が涙する程の女だったのだろう? そんな悲愴な顔をする程の女だったか? 恋い焦がれでもしていたか? 何とも無様だな。誰ひとり……主人さえ護れぬ矮小な存在が」

 自分の中で、何かが砕ける音がした。
 ずれた仮面が、音を立てて砕け落ちる。
 それは自分が自分である為に必要であったモノ。
 北澤直也という人間が存在する為に必要だったモノ。
 溢れていく。自分の中の慟哭が、悲哀が、封じ込めていた全てが、弱さであると拒絶した全てが。
 より深くより溢れ出る何か。自身が抑え込んでいた何か。
 それが本来の人間が持つべき感情なのだと理解するよりも早く、灼けるような痛みを感じた。
 これは……風の刃。
 白濁とした意識の中で、そんな事が頭をよぎる。吹き出される自身の紅すら、より空虚な世界に飲み込まれてゆく。
 だがそんな感傷は無意味でしかない。何故なら次いで来る鎚が、北澤直也の意識を完膚なきまでに刈り取って仕舞ったから。
 最後に。彼は自分が何処か、深い何かに落ちていくように感じた。


     Side-out


 これはどういう事なのだろうか? 目につくものは瓦礫と屍。かつて栄華を極めたであろう宮殿は、今や廃墟と言われても納得のいく有様だ。
 否、本当に廃墟であったならばまだ楽だっただろう。折れた杖、砕けた兜、それらは一つとして原形を留めず、ただ目の前に広がる風景の一画として捉えられた。無論、朽ち逝く運命を背負うのは何も物ばかりではない。
 そこに斃れた人間もまた同じように朽ちるのだろう。違いがあるとすれば、全てが終わった後に処理されるかどうかの違い。
 打ち直し、再利用されるか。それとも金になる宝石類を取り除いた後に廃棄されるか。何にせよ人の手に巡っていく以上、そこに物としての価値が見出されるのであれば、物としてはまだ救いがある。
 だが人間はそうではない。彼らに終わりを与えたものは、家畜の使えなくなった部分を処理するのと何ら変わらず、邪魔なものとして打ち棄てられる。
 そこに人間としての尊厳など有りはしない。彼らは当然の如く片付けられ、当然の如く忘れ去られる。その現実はどの悪夢よりもより深く、見ている者に刻み込まれた。
 そして、その光景を見ていた二人はただその場に立ち尽くし、三人目が声をかけたところで漸く意識を回復させる。

「平気?」
「こっちはね。でも……」

 キュルケは自身と比べればあまりにも小さな背丈の少女に気遣われる事になったが、それに対してなんら恥じることなく、彼女は何時も通りの仕草で髪を掻き揚げると、そのままこの場に着くことになった原因である人物へと見やる。
 普段であれば軽く声でもかけているところではあるが、だからといってそれが今でも通用するかと問われれば話は別だ。ギーシュは壁に手を預け、目の前の惨劇に対して口元を押さえている。
 むせ返る血の匂いに充てられたのだろう。少なくとも戦場を言葉でしか知らなかった者が、この場で気を失わなかっただけでも褒められたものではある。
 だがこのまま立ち止まってもいられない。この場は確かに危険ではあるが、その危険な場所には共に帰らなければならない者が何処かにいるのだから。
 そうだ。自分はこんな場所で蹲っている場合ではない。そう自身を奮い立たせ、ギーシュは立ち上がる。

「……すまないね。心配をかけた」

 その発言が無理をしているのは明らかだ。現に笑顔を作っているつもりなのだろうが、その顔は僅かに引き攣り、声にも張りがない。

「ホントよ。早いところゼロのルイズとダーリンを見つけなきゃ」

 あくまでも軽口を叩くも、そこに含まれる気遣いを感じ取ったのだろう。ギーシュはその言葉に違いない、と頷く。

「それで、これから……って、タバサ?」

 いざこれからどうするかと決めようというにも拘らず、タバサはただ床を見ている。普段は物静かなため気にしていなかったが、こうも黙ったままでは何事かと勘繰ってしまう。
 理由はタバサの視線の先に簡単に見つかった。血痕だ。別段それだけならば特に勘ぐる必要はないが、床には血溜まりを踏みつけて通ったのか、複雑な模様の足跡が残っている。自分たちが知る限りではこんな靴は出回っていないし、王宮の人間のものとは考えづらい。
 血痕自体も他と比べ、真新しいものだ。

「どう思う?」
「量が少ない」

 つまりはまだ生きている可能性があるということだろう。途中途切れているのは、おそらくではあるが、走る必要性があったためだ。でなくば、こんな風に途切れ途切れに血痕が残る理由にはならない。

「そっちはどうす……って、待ちなさい、ギーシュ!」
「危険」

 タバサの言葉は尤もだが、同意している暇はない。
 今こうしている間にも距離が引き離されている。ギーシュが北澤直也に師事していたのは周知の事実だが、まさかここまで変わるとは。
 普通に追ったのでは追いつかないと見るや、彼女たちは飛行の呪文を使う。

「ああもうッ! まるでトリステインの女を相手にしてるみたいよ!」


     Side-Guiche


 胸に抱く焦燥が止まらない。心が警鐘を鳴らしている。
 いったいどうしてしまったのか? この行動は危険なものだ。もっと慎重にしなければならない筈だ。
 分かっている。分かっている筈なのに。
 どうして止まらない。どうして止まれない!
 頭では分かっている。だけどこの脚は止めてくれない。体は熱を上げていく、もっと速く。
 もっと、もっと、もっと……。
 自分の体が熱を上げていく毎に、不思議と身体が軽くなっていく。
 以前の自分ならこうはいかなかった。きっと、この半分の速度も出ずにバテていただろう。
 つくづく感謝してもしきれないと思いながらも、目的地へと到着する。足跡が途切れたのはあの部屋だ。
 扉の外観を察するに、礼拝堂か何かだろう。
 ふいに、戸惑いが生まれてくる。先程まではあんなにも早くと願っていたのに、今では何故か入ってはならないと何かが告げる。
 動物めいた直観。この中に何かおぞましいモノがいる事を、理性ではなく本能で感じた。
 だが……それがどうしたというのか。
 下らないとばかりに、自分を叱咤する。たとえこの先に待つものが卑劣な裏切り者だったとして、それが何だというのか?
 思い出せ。どうして自分は杖を執った? どうして自分はここまで来た?
 護りたいモノがある。進むべき道がある。
 そんな大切な、つい最近まで自身が忘れ去ろうとしていた事を思い出させてくれた少年。
 この先に、彼がいる。
 もしかしたら、一人で戦っているのかもしれない。彼は強いから。誰かが傷つくのを是としないから。
 それに、元を糺せばこれは自分たちの国の問題でしかない。彼が使い魔というだけで痛みを背負うのはお門違いだ。
 覚悟は決まった。決意もできた。
 行こう。この先に彼がいるのだから。



 開かれたままの扉をくぐった先にあったのは、掛け値なしの絶望だった。
 いつも面倒ばかり起こしていた少女。皆に文句ばかりを言われながらも、それでも自分の歩みを止めようとしなかった少女。
 これが……こんなものが彼女の結末だというのか?
 こんなものが彼女の最後だというのか?

「……ふざけるな」

 思いは知らず、口から零れた。

「これは、貴様がやったのか!? 答えろ子爵!!」

 相貌に刻むのは憎悪。だが振り向きざまに子爵が見せたのは明らかな嘲笑だった。

「ほう……お前は確か元帥の倅だったな? 随分と早いじゃないか。だがまぁ……」

 嘲るような声で子爵は首を向けた。その先にあるもの、瓦礫となった長椅子の中に埋没したモノへと。

「遅すぎたようだがな」

 三日月のような口元が、言葉よりも尚雄弁に語る。

「そんな……嘘だろ? 目を開けてくれ。開けて、くれよ……ナオヤ」

 答えは返らない。
 かつて、あれ程までに遠く感じた少年。
 大切なことを思い出させてくれた少年。
 いつかその背中を守れるようになりたいと、そう願っていたのに。
 もう届かないというのか? まだまだ言いたい事はある。教えて貰う事もある。
 それに、自分は何一つとして返せていない。

 何一つとして────伝えていないのに。

「……赦さない」

 体が震える。自身の中で込み上げる何か。引き裂かれるような胸の痛みを片手で押えながら、仇敵を見据える。
 決しておまえを赦さないと、殺意を込めた双眸を見開く。

「赦さないぞ! 子爵……………!!」

 怨嗟の声は裂帛となって響き渡ると同時、空間に軋み鬩ぎ合う音が響き渡る。
 それは己が内より駆け巡る魔力の奔流。意志によって生み出される純粋なる力の姿。ステンドグラスは罅割れ、微塵と化し、砕けた木片は砂塵の如く舞い上がる。
 その空間の中にあってなお、子爵はなお口角を釣り上げた。

「流石はグラモン家の子息、心地よい魔力だ。力だけならば、かの『烈風』にも引けを取るまい。だが、御しきれるかな?」


     Side-out


「流石はグラモン家の子息、心地よい魔力だ。力だけならば、かの『烈風』にも引けを取るまい。だが、御しきれるかな?」

 子爵の挑発的な言葉に、最早語るべき言葉はないとばかりにギーシュは造花の杖を横一文字に薙ぐ。
 まるで相手の首を刈り取らんとするかのような動作と共に、一面を覆うばかりに花弁が舞い散る。
 それに見とれるよりなお速く、子爵は風向きの変化を肌に感じ取った。

「なッ!?」

 花弁の中より現れ、銃弾さえも上回る速度を以て放たれたそれを、子爵は直感のみで弾いた。
 手にした杖より伝わる衝撃。直による接触ではなく、空気を纏わせた状態にもかかわらず、その手に今なお強い痺れを残させたそれは床を触れると共に轟音が響かせ、根元ほどの位置まで床に沈む事で漸く制止する。その威力はさながら大砲の着弾にも等しかった。

「杭……だと?」

 後方に突き刺さるソレの威力に愕然とするも、すぐさま正面へと目を向ける。宙に舞う無数の花弁は、鮮やかな深紅の吹雪から無数の杭へと姿を変えた。
 否、果たしてソレは杭と呼ばれるべき代物などではなかった。確かにその一本一本は無骨極まるものでしかないものだろう。細く、兵が持つ戦斧と比べれば一撃で折れてしまうかのように頼りない。
 だが違う。その槍は兵が持つ物とは明らかに一線を画する。
 膨大な魔力が紡いだ槍は、その見た目とは裏腹に今までの武具とは明らかに異なる錬度を持つ。もし武具に詳しい者が見たならば一目で看破しただろう。
 ここにある槍は全てが名匠の業をも凌ぐ物。ただ穿ち、貫くことのみを目的とした物なのだと。
 想像を遙かに超える威力ではあったが、その事に対して呆けている暇などない。最初の着弾と同時、無数の穂先が男へと向けられていたのだから。

「まさか弾かれるとはね。だけど、何時まで続くかな?」
「クッ…………!」

 流石にこれでは分が悪いと判断したのか、即座に風の魔法による防御を展開し、射程圏外へと逃れようと後退する。
 だが、それを許すほど目の前の相手は寛容ではない。紅の花弁を象徴するかのような深紅の槍は、豪雨の如く降り注ぐ。投擲武器という用途から生み出された槍は、そのあまりにもかけ離れた威力故に本来の用途を語る事さえおこがましい。
 防戦を強いられた状況に子爵は内心歯軋りをするも、すぐさま次の攻撃を阻むべく呪文を唱える。子爵が用いるのは風の刃。不意打ちとはいえ黒衣の少年に致命傷を与えた一撃。
 威力こそ他の呪文と比べればそれほどではないが、術そのものの速さと不可視性を備えた一撃だ。相手が打ち出そうとするタイムラグを用いれば確実にその首を刎ねられる。
 だが侮るなかれ。万能であるが故の者を天才と称するならば、ギーシュは一芸に秀でる奇才。その一つを極めんとする技は他の追随を許しはしない。
 連撃の合間を縫うように迫り来る刃。ギーシュはその一撃を躱そうとはせず、足元に落ちている金属片を軽くつま先で蹴り上げる。
 殺った。無意味としか思えぬ動作をとった相手は、子爵にとって首を刎ねるという結果は当然のように脳裏に描かれただろう。
 次の瞬間、けたたましい金属音と共に風の刃は喰い止められる。
 現れたのは全身を覆い尽くす程の巨大な楯。それが子爵の一撃を防いだというのは一目瞭然だった。
 だが問題はそこではない。ギーシュが錬金に用いたのは純度の低い留め金。触媒とするにはあまりにも脆く、軽く踏み付けただけでも壊れかねないほどの。
 あの槍を創り上げた時点で気付くべきだった。ギーシュにとって触媒となる金属片など、所詮はイメージをより明確にするものでしかない。おそらくは触媒に左右されずとも錬金を行うことは可能なのだろう。その全てを魔力で賄うことで。
 ゾクリ、とした。あれはおそらく、子爵が知るなかでも指折りの存在。将来的には歴代騎士の中でもトップクラスとなる器だ。
 生かしておく訳にはいかない。今ここで眼前の存在を逃がせば、確実にレコン・キスタを脅かす存在となる。
 手に持つ杖が青白く輝く。それはあの少女の命を奪った輝き。杖は魔力の渦の中心となり、より鋭利な刃となる。
 しかし動じない。ギーシュは子爵が自身の間合いに踏み込むよりなお速く杖を振るうと、無数の風切り音はその暴力を象徴するかのように殺到する。
 真紅の暴雨を前に展開する防御なぞ無きに等しい。槍はたやすく風の防御壁を貫き、仇敵の臓腑を抉らんと迫りくるも、子爵はそれをあるいは躱し、あるいは風の鎚を以て軌道を変える。
 子爵がこれ程までに劣勢でありながら、冷静であったのは単純な場数の違いだけではない。如何に速くとも迫りくる槍の軌道は直線。
 さらに言えば風の術者である子爵にとって、たとえ視界で捉えることが困難な速度であろうとも、風の流れからどの位置から槍が迫るかを把握することは容易い。
 槍の残りは数える程。あれから錬金を行ってない事からも、最初に現れた物で全てという事らしい。
 確かに勝機ではあるが、子爵自身、内心では興醒めにも似た感情があった。最初に見た圧迫感。あの魔力の奔流を受けた時の高揚感はもう存在しない。所詮は実戦経験に乏しいだけの子供にすぎなかったのだ。
 明らかな落胆は子爵から熱を奪っていく。
 次で詰みだ、と。明らかに先程までと比べれば精度に劣る二槍を身を捻るだけで躱す。
 せめて一撃で終わらせよう。この熱が完全に醒めてしまう前に、無駄な時だったと思わぬように。
 杖が帯電する。これまでのような『ライン』の攻撃ではなく、『トライアングル』としての一撃。一切の躊躇もなく消し炭に変えてみせる。
 弓のように引き絞った杖。後はただこれを突き出すことで、全てを終わらせようとし────

 ────その一撃を、迷わず後ろへと放った。

 響く轟音。先程まで槍があった場所には本来居る筈のないモノの姿があった。
 ゴーレム。攻城用の巨大なものではなく、あくまでも平均的な人間の大きさでしかないが、それでもその存在は異常に尽きた。人が持つには有り余るほどに巨大な斧槍。漆黒の鎧は明らかに青銅とは別のものであると告げている。
 だが、何処から? 先程までこのゴーレムの気配はなかった。もし何かを触媒にして創り出そうとするなら当然何らかの触媒は必要な筈……
 ハッとした。もしこの予感が正しければ、あと一振り残っている。
 だが周囲を見渡しても存在しない。探している一振りだけがない。

〝まさか……!?〟

 振り向いた瞬間は一瞬。だが一撃を与えるには充分だった。先程躱した槍はレビテーションによってその軌道を変え、子爵へと迫る。
 無論、黙ってはいない。いかに強固な槍であろうとたがが一振り、叩き折る事なぞ造作もない。そう、たかが一振りならば。

「チィッ……!」

 舌打ちと共に床を転がると同時、斧槍が頭上を掠める。鉄製であったことが幸いしたのだろう。電撃の一撃はゴーレムに伝わると同時、体を通して地面へと逃げたのだ。
 無論、無傷という訳でもない。強固な鎧に覆われたゴーレムは既に片腕はおろか胴まで削れ、完全に首を失っている。人間ならば間違いなく即死だっただろう。
 槍を薙いだ姿のまま、崩れていくゴーレムを最後まで見届ける事なく子爵は起き上がる。そう、起き上がる筈だった。
 片足を見やる。全身を汗が伝い、今なお灼熱のごとく痛みを発するその場所を見て、子爵はようやく悟った。自分は、この相手に傷を負ったのだと。
 たかが錬金とコモンマジックを組み合わせた程度の技。
 だが、あの槍の威力は本物だ。掠った程度でしかなかった部位からはごっそりと肉が削げ落ち、噴き出す鮮血が床を染める。
 醒めかけた熱が戻る。この相手は本物だ。あの皇太子が連れてきた、単にクラスと家柄だけで成り上がった腑抜けとは明らかに違う。
 心地の良い憎悪。今なお滂沱の如く伝う汗を拭おうともせず、静かな怒りを向けるギーシュに歓喜すら覚えた。

「どうした小僧……片足を奪った程度だろう? もっと見せてみろ! その怒りを、その後悔を! 友を殺された慟哭を! 全ておれにぶつけてみせろ!!」

 決して虚勢ではない。骨が削れる程に抉れ、噴き出す血と筋繊維がのぞく足を引き摺る様にしながらも、子爵は痛みさえ感じぬかのように立ち上がる。
 瞬間、暴風が室内を覆った。ギーシュがそうしたように、子爵の内からも魔力が吹き荒れる。
 次が最後だと、両者は悟る。時間にして刹那。僅かな静寂と共に轟音が響く。
 怨敵へと迫る槍は視認さえ困難な、否、文字通り不可視の魔弾と化したギーシュの全てを注ぎ込む暴力。
 一切の存在を許すことなく、粉砕せしめんとする空間の中で、ギーシュはあり得ないものを見た。
 これだけの暴力。これほどの魔弾を前に当然であるかのように迫る子爵の姿。飛行呪文による地を滑るかのような滑空はまるで地を這う蛇にも似ていた。
 獲物を狙う蛇のごとき跳躍と共に突き出される軍杖。淡い輝きを放つ杖の先に向かられたのは、ギーシュの心臓に他ならない。
 轟音。飛び散る鮮血と共に、僅かに視線を落とす。そこには胸を貫き、背を突き抜けながらも輝く刃があった。

 
     ◇


「ああもう! 何だってこんな面倒なことになってるのよ!?」
「落ち着く」
「分かってる! 分かってるんだけど……!」

 最早何度目さえ分らぬ苛立ち。本来であればこんなところで立ち往生などしている場合ではないと分かっていながらも、キュルケは内心の焦りを抑えることはできない。
 すぐさまギーシュを追いかけたはいいものの、こちらを見るなり発砲してきた男たちに対してキュルケは邪魔だとばかりに杖を抜き、即座に片付けた。
 そこまではいい。そこまでは順調だ。問題があるとすれば二つ。
 一つは相手が一人ではなかったということ。もう一つは、この通路に遮蔽物というものが存在していなかったということだ。
 この場において取れる手段は一つ。相手が銃を抜く前に仕留めるということ。
 だがこれすら当てが外れた。本来ならば『トライアングル』のクラスである彼女たちを止める事など出来はしない。氷槍と火球は相手を串刺し、あるいは焼き尽くすことで全てを終わらせる。
 だが敵も馬鹿ではない。骸となり、地に転がる兵の一部を掴むと、すぐさま楯にすることで氷槍を防ぎ、あるいは火球に投げつけることで打ち消した。
 本来であれは屍なぞ楯にもならない。それをここまで完全に防ぎきったのは兵が身に纏っていた鎧にある。
 屍が纏うのは対魔法の装備。敵にも少なからずメイジがいるという事を懸念した王党側の装備が仇となった。
 あれでは生半可な魔法では効果がない。あれを破るには『トライアングル』クラスの魔法でなければならない。

〝だっていうのに……!〟

 奥歯を噛み締める。相手がむける銃口。本来単発式であるそれも補充の間に他の者が発砲すれば隙もなくなる。
 強力な一撃を与えようにも詠唱の出来なければ意味がない。連中は対メイジの専門家と見て間違いないだろう。

「タバサ! 氷の壁は!?」
「張れる」

 防御さえ敷けばこちらの勝ちだ。『トライアングル』の二人にとって、この場を逆転させる事など造作もない。
 突如現れた壁に相手が放った銃弾は吸いこまれる。優勢であった筈の相手。だがその表情に余裕はなく、銃を手放そうとしたところで────

「!?」

 ────唐突に、自分よりも小さな少女に突き飛ばされる。だが突き飛ばされたキュルケよりも、庇った少女は大きく飛んだ。
 まるで巨人か何かに殴られたかのようにタバサは仰け反り、地に落ちると同時に背面の氷壁に亀裂が走る。
 氷の壁とは逆。自分たちの後ろに立ちはだかる複数の男。彼らが銃口を向けると同時、壁に阻まれていた者たちも優勢となったことを切っ掛けに同じように銃を向ける。
 両側より向けられる複数の銃口も目を向けず、地に落ちた親友にキュルケは僅かに顔を伏せると、再び髪をかきあげて顔を上げる。相手を見据えるその瞳は獲物を食らう肉食獣にも似ていた。

「お墓は必要なくってよ。だって、」
「ここが墓場」

 言葉と共に硝子の砕けるような音が響く。一瞬にして焼け落ちる後方の敵と共に、唐突に砕けた氷壁の破片は鏃となり、前方の敵は全身を挽肉にされて地に伏せる。
 油断があって当然だ。確実に命中した筈の銃弾と共に倒れた少女。その少女が跳ね起き、自分たちを殺そうなどと夢にも思うまい。
 苦悶の表情を浮かべたまま朽ちたその顔は、幽霊でも見たかのようだった。

「タバサ! 無事なの!?」

 その言葉に少女は頷く。だがキュルケにとってそれは安心する反面納得がいかない。
 この少女は確かに撃たれた筈なのだ。

「……一体どうして?」
「上着」

 首をかしげるキュルケに対し、タバサは余った袖を揺らしながら答えると、ハッとしたように思い出す。
 宿屋に出る際、北澤直也が残した言葉を。確かに彼は言った『下手な鎧よりも役に立つ』と。
 だが……。

「マジックアイテム……じゃないわね。前々から思ってたけど、何者なのかしら?」
「あとで聞く。今は、」
「進まなくちゃ、ね?」

 その言葉に、青髪の少女は頷いた。


     ◆


 再び死者しか存在しなくなった場に、男は顔をあげた。視界の片方は朱に染まりながらも、もう片方は相手を見据えることが可能だった。
 未だ己が手に握りしめる銃把の感触を確かめ、辛うじて動かせることを知るや否や、男はゆっくりとそれを持ち上げる。
 長きにわたる訓練が功を奏したのか。鎌首を持ち上げる蛇のような緩慢な動作とは裏腹に、狙いそのものは驚くほどにしっかりとしていた。
 狙いは背を向ける二人の女。徒歩ではなく魔法による滑空によって進んでいるようだが、それでも有効射程に入っている。
 往生際が悪いと言えばそれまでだろう。だが死に瀕した状況下において、未だ自らを殺そうとした相手をのうのうと生かしておくことは許容しがたかった。
 せめて一人。あと一人ぐらいは道連れしてやるのだと。死の間際においてすら男は三日月の如く口元を歪める。
 死ね、と。そう思いを込めた銃爪が最後の力を振り絞りながら引かれようとし、

「いやいや。そこは死なないとだめでしょ? だってあれですよ。所詮貴方は脇役なんですから」

 ごつん、と。後頭部に当たる感触に指を止めた。

「ま、」

 てと、そう振り絞るように吐き出そうとした言葉を告げるより先に、床に崩れる。
 その後頭部は微かに外周に焦げ目を残しながらも刳り抜いたかのように穴が空いていた。
 既に地に張り付いた相貌は、最早その男が何者であったかを判別することは不可能だろう。後頭部を撃ち抜かれたことによって眉間の位置に当たる部分は石榴の如く吹き飛び、脳漿を床に撒き散らしながら面のなくなった顔を床に張り付けている。
 この死体を転がした人間が、どのような顔をするかは想像に難くない。

「うーん。モグラ君がお願いするから加勢にと思ったんですが、どうやら無駄足だったみたいですね~。まあ、会話とか上着から察するにあの子たちは少年と面識があるっぽいですし、取り敢えず着いて行きますかね」


     ◆







あとがき

 やってしまった……。
 正直謝らないことだらけなのですが、まずルイズファンの方々にお詫び申し上げます。
 ヒロイン殺しという読者にとっては一番後味が悪くなってしまう今回の物語ですが、実のところ彼女が死ぬのはプロットの段階から決まっていたことなのです。
 これは作者がルイズは嫌いだというわけではなく、むしろ作者の中でルイズは好きな部類に入ります。一途なところとか。
 彼女を殺す事を決めたのは、ルイズの死こそが原作とこの物語を分岐させるに至る最大の分水嶺であり、『僕は勇者なんかじゃない』という物語のテーマを具現化した物だからです

 でもルイズファンの方はがっかりしないで下さい。彼女にはまだ出番が残っているのです。
 悲しい話になりそうですけど。
 それではまた次回、お会いしましょう。



追記:主人公に関して男の男を見る目は厳しいとのことで、納得させられました。
   確かに女性が抱く女性のイメージと男性が抱く女性のイメージが違うようにその逆もありますね。少女マンガと少年マンガの違いが顕著ですが。
   出来るだけ主人公に関しては納得できる形で書いていきたいと思います。ご指摘ありがとうございました。


ところで最後に。

 ギーシュ君に関してなんですが、彼の二つ名、どうしましょう?
 一応作者の中で今のところ思いついたのが『魔弾』なのですが、これだと戦闘法が単調になってしまうので、正直どうしたものかと考えています。
 もし皆様の中で何か良いものが思い浮かびましたら、アドバイスの方よろしくお願いいたします。


 それではまた次回に!



[5086] 008※加筆修正済(11/4/27)
Name: c.m.◆71846620 ID:ead39724
Date: 2011/04/27 21:12
 飛び散る鮮血と共に、僅かに視線を落とす。胸を貫き、背を突き抜けながらも輝く刃を見やり、ああ、と短く声を上げた。

「一歩分……、遅かったか」

 声は返らない。子爵が語る称賛などに興味はないとばかりに刃を引き抜くと、ギーシュはそのまま地に崩れる相手に一瞥することなく刃を消す。
『ブレイド』。魔力によって編みあげられ、術者の魔力によってその色彩を変える刃。岩をも断つ切れ味を誇りながらも『ドット』であろうと使うことができるそれは、言い換えればギーシュが持つ最後の魔法だった。
 度重なる『錬金』はその汎用性の高さと比べ、極めて燃費の悪い。本来ならば『ドット』から『ライン』、そして『トライアングル』から『スクウェア』へと段階を踏むごとにより効率的な術式や魔力運搬を模索するものである。
 だが今回はそうはいかない。半ば暴走気味の魔力を『ドット』が用いる基礎的な過程を踏むことで錬金し、さらには高度とされる二段変化さえ通常の方法を用いたのだ。
 最後の魔法が使えたのは感情によって魔力が底上げされていたというだけの、いわばラッキーカードにも近かった。

「流石に……疲れたな」

 体をよろけさせながらも、未だ地に刺さる槍を杖代わりに何とか倒れることを防ぐ。
 それも限界だろう。少しでも気が緩めば膝から下が無いかのように崩れ落ちそうではあるし、呼吸は安定していない。意識を繋ごうとすることすら出来るかどうか。
 それでも、動くことさえ苦痛であったとしても、ゆっくりと歩いて行く。大したことのない距離が、今は果てしなく遠かった。

「─────ナオヤ……」

 掠れながらも出てきた声。触れることなど出来ぬ位置でありながら、ギーシュは震え続ける手を伸ばす。

〝この戦いに勝てたのは、君の助言があったからだ〟

 あの宿で北澤直也がギーシュに言い残した言葉。

『レビテ─ションで動かすのは置いてある物や人だけではない。自分で創造したものにも目を向けてみることだ』

 その言葉の意味を理解したが故に、ギーシュ・ド・グラモンは開花した。
 強固な槍は戦艦の砲撃にも劣らぬ一撃となり、直線のみならず軌道さえ変化する『魔弾』を生み出すに至ったのだ。
 子爵に勝った。君とルイズの仇はとった。だが、だがそれが何だというのか? 
 そんな事に意味はない。そんなものに意義はない。ただ自分は、君たちに生きていて欲しかったのだと、今となっては悔やむばかりの想いを向ける。
 せめて、最後くらいは触れてみよう。その手を握って、誓いを立てよう。
 この国で、否、この大陸で一番のメイジになってみせると。君から教えてもらった全てを活かす。君を見続けた自分が、いつか君を超えられるように。
 だから……

「そのときは……君の傍に立てるかい? ナオヤ」

「ああ。一度とはいえ殺したのだ。充分に見込みはあるだろう」

「……な」

 ギーシュは振り向く。唐突に響き渡る声。本来であればあり得ない、つい先程まで聞いた声に。

「見事なものだった。傷一つ付けられる事無く、お前はこの『閃光』を倒したのだからな」
「そんな馬鹿なことが……!」
「あるとも。どうやら腕とは別に頭は回りが遅いようだな。それとも単に知識が足りぬだけか、まあどちらでも良い」

 見開かれる瞳はその存在を知らぬゆえか、それとも自身の現状を嘆いてかは判らない。ただ一つ分かる事、それはこの男が未だ健在であるという事実だけだった。

「さて。お前は一度とはいえ、おれを斃して見せた。ゆくゆくは優秀なメイジとなり、危険な存在となるだろう。故に、」

 背筋を走る悪寒。目の前に迫る死の恐怖に対し、最後まで聞く必要はないとばかりに杖代わりにしていた槍を放つも、風の防御に阻まれる。

「ァ……」

 魔力の限界。度重なる魔法の行使はギーシュを昏倒させるには充分すぎるものだった。

「ここで死ね。ギーシュ・ド・グラモン」

 振り下ろされる杖。朦朧とする意識の中にあっても、それが必殺の意味を持つ一撃であることは判った。
 地面が迫る。足元が消えたような感覚に戸惑いながらも、その瞳は未だ怨敵を捉え続ける。
 死を覚悟した刹那の時間の中で、これまでの記憶が蘇る。初めて握った杖。教わった家訓。社交界での他の貴族との会話。
 だが、そんなものよりも尚鮮明に映るのは、あの少年と過ごした日々。間違いを正してくれた。より多くを教えてくれた。
 たとえ過ごした時が短くとも、その中には確かなものがあった。

〝ナオヤ……ごめん…………〟

 つい先程立てた誓い。それさえも果たせぬ己の不甲斐無さに、ギーシュは心の中で謝った。
 迫りくる死。死を覚悟した中にあって、それよりも先にギーシュは聴こえた。発光する子爵の杖。その風切り音とは別の、大気を裂く二つの音を。

「ガッ…………!?」

 それはあまりにも唐突だった。暴風と火炎。予期せぬ位置、予期せぬ時間に訪れた衝撃に吹き飛ばされ、鞠のように跳ねながら転がる子爵は、同時にその体を燃やしていた。

「まったく……先走るぐらいなら勝ちなさいよ」
「無謀」

 扉の前に並び立つ二人の少女。ため息混じりの軽い口調でありながら、その杖の先は未だ燃え続ける子爵に向けられている。
 何故ならば。

「やって────くれるな………」

 顔は爛れ、焼け崩れる皮膚が服に張り付き、腕を歪に変えられながらも、子爵は幽鬼の如く立ち上がる。

「まるで化け物ね。ところでギーシュ、貴方何だってこの方と戦ってるの?」

 今回の一件を知らぬ者にとっては当然ともいえる質問に、ギーシュは前を見るように促す。その先にあるのは、つい先程まで見知った、一人の──────

「う、そ……」

 その光景に戸惑ったのはキュルケのみではない。その傍らに立つタバサもまた、状況の理解に苦しんでいた。

「だって、あの方はルイズの婚約者なんでしょ!? 何だって、」
「解らない……だが王家を裏切り、敵に内通し、己が為に全てを切り捨てた売国奴。そんな奴がまともな目でルイズを見ると思うかい?」

 立ち上がる気力のないままに呪詛の言葉を投げるも、それに対して子爵は激昂するどころか、むしろ先程までの熱が醒めたような穏やかさをみせた。

「随分な言い草だな。これでも彼女の才能は買っていたのだが……。
 言ってみれば馬車の前に飛び出したようなものだ。要するに自業自得と、」

 飛び散る火の粉。肩を竦めながら語る言葉を、火球が遮った。

「ほう。少しは出来るか」
「殺しておきながらその言い草は無いんじゃなくて? ミスタ」

 より静かに、より妖艶に。その言葉は今までに聴く彼女の中でどの言葉よりも玲瓏たるものだった。

「キュルケ……」
「下がってなさい。もう魔力も残ってないんでしょ。それより、ダ─リンは、」
「済まない」

 俯いたまま呟かれたギーシュの言葉。その意味が指し示すところは一つだ。態々この瓦礫の中から探すまでもない。
 キュルケはそう、と呟くと、静かに前を見据える。

「行くわよ、タバサ」

 こくり、とタバサは頷く。杖は心なしか、何時もより強く握られていた。
 相手の出方を窺うまでもない。無数に現れた氷槍は相手に一切の詠唱の隙を与えず、同時に後方に控えたキュルケが退路を断つように焔の壁を造る。

「逃げ道はなくってよ」

 四方より焔に囲まれ、唯一の退路たる上空には密集した氷槍が降り注ぐ。回避も防御も許されぬ空間。これ以上はないと断言さえ出来る完璧な連係。だが、

「な……!?」
「ッ……!」

 その連係は、一瞬にしてかき消された。
 室内でありながら発生した巨大な台風は一瞬にして焔を消し去り、氷槍を粉微塵にまで砕き切る。
 ありえない。そう自分に言い聞かせようとするも、目の前の事態は明らかに異常だった。
 真空の断層を持つ竜巻、『カッタートルネード』。それが風の『スクウェア』が用いる上位魔法であることも、術者を中心に展開した事もタバサは理解するも、納得することはできなかった。
 本来、メイジというものは呪文を放つ際は無防備状態となる。白兵戦を同時にこなせる者は確かに少なからず存在するものの、それは彼女も含めた高位のメイジに限られ、基本として高い集中力を必要とするために、如何に高位のメイジといえど『トライアングル』クラスまでが限度だ。
 第一、あれ程の魔法は詠唱に時間がかかりすぎる。たとえ四方を囲まれたときに始めたとしても間に合うものではない。
 愕然とするキュルケを他所に、タバサはこのからくりについて思考を巡らしてゆく。
 触媒による魔術の行使?
 否。魔法の効果そのものを高めるには問題ないが、詠唱が短くなる訳ではない。
 囲まれる前から詠唱を始めていた?
 否。そんな素振りは見せていなかった。
 呪文を完成させる術はいくつか浮かぶも、そのたびに違うという確証が打ち消してゆく。

〝せめて、呪文を唱えるまでの時間稼ぎがいれば……〟 

 あり得ないと分かっていながらも、そんな事を考える。が、その考えはタバサの琴線に触れるものだった。

〝時間、稼ぎ……?〟

 唐突に思い出す。風のメイジが用いる魔法の中でも、最上位に当たる呪文。
 確かそれは─────

「避けろッ!」

 突然の叱咤に思わず意識を向ける。子爵の立ち位置とは違う。明らかに有り得ぬ位置からの一撃を躱せたのは、ひとえにこれまでに培った経験からだ。
 だが。

「チィッ!」
「きゃッ!?」

 地を転がる二つの音。突然の衝撃に思わず戸惑ったが、すぐさま状況を理解する。
 先程まで立っていた位置。そこには一切の罅さえ入ることなく穿たれた円があった。

「危なかったわ。ありが、」
「いいから動きたまえ! 狙い撃ちされるぞ!」

 絶叫かと思うほどのギーシュの声にキュルケは身を竦めかけるも、即座に態勢を立て直す。
 風の槍が地面を穿つのを紙一重で躱しつつ、キュルケは自分を突き飛ばした相手を見る。これで二度目。一度目は親友で、今度はキュルケからして見ればお世辞にも強いとは言えない同級生。
 助かったことは喜ぶべきだが、こう何度も自身の不甲斐無さを見せつけられては堪らない。

「けど、ミスタ・ギトーが言いたかった事が何となく判ったわ」

 風が最強たる所以。かつて教師が言った言葉の意味が、今では身に染みて判る。
 風は偏在するもの。何処となく彷徨い現れ、その距離は意思の力に比例する。その魔法は─────

「─────風の偏在ユビキタス

「その通りだ。小娘、貴様も風のメイジならば判るだろう? この魔法が厄介なものだと」

 先程まで気配さえなかった場所。彼女たちに風の槍を放った射線上には、目の前と同じ子爵の姿があった。
 ただの分身ではない。この連中は術者と何ら変わらぬ意思と力を持つ同一存在。
 おそらくは本体であろう正面の子爵も含め、取り囲むように三方に立つその存在に、タバサは口を開く。

「先程の魔法。詠唱が聞こえなかった」
「中々の観察眼だ。確かに貴様の読み通り、あの包囲を破ったのは我が偏在だ」

 自身が優位に立っている事もあってか、取り分け饒舌になる子爵に対し、それだけかと問いかける。この手の手合いには出来るだけ情報を引き出しておきたい。
 何より、先程友人を庇ったことで、動けなくなっている者がいる。せめて安全な位置に移動できるよう回復するまでは話を引き伸ばさなくては。

「成程。どうやらただの小娘ではないらしい。確かにただ唱えるだけでは完成には間に合わなかっただろう。だが、並列でならどうだ?」

 並列作業。確かに理論的に考えれば納得がいくものの、口で言うほど安易なものではない。
 魔法とは単に呪文を規定通りに唱えればいいというものではないのだ。一つ一つに韻を含む詠唱はその過程に間違いは許されない。
 だが、如何に否定しようともそれは紛れもない現実だ。具現化した魔法はその存在を今し方見せ付けたばかりなのだから。

「お喋りはここまでだ。先程の火傷の借りもあるのでな」
「そう」

 繰り出すのは無数の氷槍。原形を留めるまでもなく、肉片になるまで叩き潰さんとするそれを前に、子爵は動じることもなく対処する。
 風の術者にとって飛来する氷槍の軌道を読むことは容易い。何より、繰り出す氷槍はギーシュのそれと比べれば明らかに遅い。もし本気で子爵を仕留めようとするならば、あれ以上の速度は必須。
 逃げ道さえないほどに密集したところで、それならば砕いて道を作るだけだ。

「脆い」

 明らかな侮蔑と共に氷槍を砕きながら突き進む。タバサとの距離は確かに離れてはいるが、子爵にとっては一足跳びで切り込める距離である。

「終わりだ」
「違う。終わるのは貴方」

 軍杖が届く刹那、巨大な氷壁によって子爵は阻まれた。前方のみならず四方と天井を封鎖したそれは、さながら氷の牢獄といったところか。

「こんなものッ!」

 氷に亀裂が走る。足止めと呼ぶには一瞬。だが、後ろから迫るもう一人に対処するには充分といえる時間。
 振り返ると同時に杖を薙ぐ。すでに目の前の相手に意識を奪われているとばかり思っていたのだろう。対処に遅れた子爵は脇腹へと風の鎚を受け、くの字に折られながら横へと吹き飛ぶ。

「このッ」

 子爵とて馬鹿ではない。跳ね飛ばされた状態で身を捻り、着地の際の衝撃に備えようとし、

「なら、残らないように焼いてあげるわ」

 その光景に、目を見開いた。
 こみあげる熱、本来子爵が着地する筈であった地点からは、かつて同じ自分を取り囲んだ、あの焔の壁がある。

「小娘ぇッ─────!!」

 真横からの叫び。その壁を消さんと、三人目の子爵もまたキュルケへと走り出す。
 構える杖。その先に纏った火球を放つも、その先に子爵の姿はない。
 右か、左か、そう判断するよりも早く子爵は眼前にいた。手を伸ばせば届き、誰であろうとも死を与えられるその位置に。
 別段特別な方法を用いたのではない。単に子爵は一瞬にして間合いを詰め、そこに立ったというだけのこと。
 軍杖へと奔る紫電。ばちばちと、まるで見せつけるかのように弾かれるその音は、今まさにキュルケ自身の命を奪うものに他ならない。

「あ─────」

 声が霞む。あらゆるものが緩やかに感じられる世界の中、それでも─────

 ─────キュルケは、諦めてはいなかった。

 交差する杖。出だしは遅れ、どちらが先んじるかは目に見えている。それでも、信じれば、決して諦めなければ─────

〝─────絶対に届く。届かせる……!〟

 火炎を纏った刃。奇しくもギーシュが使ったのと同じ手段。この距離ならば、発動させるだけでも相手を貫ける。

「あ、あアァアああああああああッ!!」

 はち切れんばかりの声を響かせながら杖を突きだす。それはお世辞にも美しいとは言えないものだった。
 だが、その姿を決して笑うことはできない。何故ならばこのとき、誰もが確信したから。

 杖が届くのは、彼女なのだと。

「ガッ!?」 

 刺し貫かれる臓腑、無効化する相手の魔法。確かな手ごたえにキュルケは微かに微笑んだ。

「墓場の、心配はなくてよ……ミスタ」

 刃より伝わる熱。子爵の身体は一瞬にして燃えあがろうとし、

「甘いな。ミス」

 瞬間、キュルケの体が斜めに傾ぎ、そのままゆっくりと地に落ちた。

「な!?」

 この場にいた誰もが、その光景に驚きを隠せずにいた。確かに刃はその体に届いた筈。ならば何故、子爵は無事だというのか?

「急所を狙わなかったのは失策だったな。尤も、あの状況でそんな余裕は無かっただろうが」

 零れ落ちる血液。床を染め上げるそれは僅かながら広がるも、やがては霧となって消えていく。
 最悪だ。数と実力、そのどちらをも上回る相手への唯一にして最後の好機を今失った。
 肉を持たぬ存在であるこの男達を倒すのであれば、先程相手が述べたように急所を突くか、それこそ原型を留めぬほど破壊し尽くすしかない。

「さて、無事か?」

 ふと思い出したように振り向く。キュルケが倒れたことで術式が解除されたのだろう。そこには本来燃え尽きる筈だった二人目の姿があった。

「紙一重、といったところか。あと少し遅ければ触れずとも熱量で燃え尽きていた」

 万策は尽きた。もはや勝ち目がない以上、ここから離脱する方法を考えなくてはならない。

〝だけど、どうすればいい?〟

 タバサは考える。脱出するとしても、三人のメイジを食い止める必要がある。自身の使い魔を呼べば引き止められるだろうが、別の場所で待機している彼女シルフィ─ドを呼ぼうにもこの場に来るまでに敵と遭遇する可能性が高い。
 打開策としてはギーシュの使い魔を使うべきだろうが、本人があの状態では呼ぶことは難しいだろう。
 何より、少しでも遠ざけるために距離を引き離した以上、伝えるのは不可能に近い。

〝あと一人でも動ければ……〟

 誰でもいい。一人では駄目だが、あともう一人動けさえすれば負傷者を連れてこの場を離脱できる。
 ふと、自身の親友を見る。先程の一撃で地に落ちたものの、出血はしていないし、目に見えた怪我はない。
 呪文の解除を優先したのだろう。呼吸していることはこの位置でもわかる。おそらくは大事には至ってはいない筈だ。

〝キュルケを起こせたら〟

 方法はいくつかある。

 一、近づいて起こす。
   出来ない事はないが、辿り着くまでにロスが大きい。

 二、魔法によるショックを与える。
   却下。目に見えた怪我がないとはいえ、どうなっているか分からない以上、無茶は出来ない。

 三、大声で叫ぶ。
   これが一番確実だろう。問題があるとすれば、タバサが大声で叫べるかどうかという事だ。

〝でも……それしかない〟

 深く、一瞬で肺の中に空気をため込む。後はそう、この空気を吐き出すように叫べばいい。慣れなどいらない。緊張などする必要はない。
 肺から息を出す。張り上げるような声が喉元から出かける。一瞬、キュルケの体が動いた気がした。

「キュル、」

 一瞬の希望。ささやかな光明。だからこそ、タバサは忘れていたのかもしれない。自身が閉じ込めた、一人目の子爵の事を。
 硝子が砕けるような、それでいて何所か歪な音。
 後ろから聞こえるその音に振り向くも、既に手遅れだ。
 風の防御も間に合わない。おそらくは意趣返しのつもりなのだろう。子爵の放った風の鎚はタバサの細身の体を折り曲げ、キュルケのいる位置の近くまで飛ばされる。

「ッ……!」

 肺から息が零れる。受け身こそとれたものの、肋骨は無事ではないだろう。微かに身を捻ると共に走る激痛が、それ以上体を動かすことは危険だと訴えていた。
 だが、だからといって体を動かさぬ訳にはいかない。

〝せめて、私以外は……〟

 陽動であれば一人でも事足りる。あとはキュルケを起こして、ギーシュの使い魔を呼べばいい。
 自分は助からないだろう。未練はある。やり残したことも、果たせぬ誓いも。

〝だけど、もしここで失ってしまったら─────きっと〟

 きっとタバサは自分を許せない。誰かを守れず、助けられず。

 あの日のように、己の無力さを呪うのであれば─────

〝─────いらない。また大切なものを失うぐらいなら……〟

 きつく歯を食いしばる。普段であれば持ち運びに困る、自身の背丈より高い杖は立ち上がらせるには丁度いい。
 ゆっくりと、崩れそうな足で、笑ったままの膝で、立ちあがる。
 否。立ち上がろうとした。どんなに力を入れようとしても、そこが限界。
 杖を突きながら立とうとしても、両膝を完全に床から離すことはできない。
 視界が霞む。子爵達の声が、礼拝堂に木霊する。
 ああ、これは嘲笑なのだ、と。無力な自分たちに対するものなのだと、タバサはぼんやりと思う。
 先程まで取り囲んでいた子爵達。その姿を確かめるよりも先に、タバサが見たのは真上だった。
 稲光の音がする。ステンドグラスの輝きは、深い雷雲に閉ざされていた。
 タバサは思う。この相手には勝てない。おそらくは幾度挑もうとも、その悉くを同じ結末で終わらせてしまうと。
『ライトニング・クラウド』。本来は『トライアングル』の技だが、それもこの人数で行えば話は別。互いの魔力によって高められ、具現化したそれは『スクウェア』さえも凌駕する。
 その光景に知らず、ため息をつく。これではまるでロマリアの讃美歌詠唱ではないか。
 だが、これはそれ以上の出鱈目と言っても良いだろう。
 本来であれば血の滲む様な訓練と統率の果てに生まれる魔法。文字通り奇跡の業と称されるそれをこの男は、たったの一人でこなしてしまうのだから。

「ここで……終わり?」

 知らず、声が出ていた。希望はない。だが、自分の中で何かが問う。

〝─────本当に良いの?〟

 答えはない。だけど、如何すれば良いというのか?
 なにもない。誰もいない。この声が届くことも、この手を取ってくれる者も。
 それでも、それでもタバサは、声を出していた。
 疑問の声を。誰かに見つけて貰いたがっているような、そんな声を。
 タバサは思う。自身の半生、あまりにも理不尽で、どうする事も出来なくて─────

 ─────だからこそ、彼女は今日まで生きてきた。

 強くあるため。いつか『あの男』を討つために、タバサは心を閉ざした。偽りの名で日々を過ごし、日常への興味を示さずに。
 ただ一つの事を果たすためだけに彼女はここまで歩んできた。
 己が内に閉じこもる様に日々を読書に費やしながら─────

 ─────救いのないその日々に、ささやかな憧れを抱いて。

 知らず、嗚咽が零れた。どうしてかは分らない。
 ただ憧れていた。助けて欲しかった。身に迫る危険、悪夢のような日常、繰り返す夢はいつも同じ光景。

「う、ぁ」

 泣き出したい。声を大にして叫びたい。無駄だなんて分かっている。
 救いなんて、一度だってなかった。

 ─────けれど。

 けれど、もし誰かが来てくれるなら。

〝おねがい……〟

 その声を発する事を、赦してくれるというのなら。

「誰か……」

 声が漏れる。言葉を紡ぐ。
 天井は覆われ、室内は闇へと包まれる。

「たすけて────────────────」

 言葉と共に、視界は白へと塗り替わる。

 どこかで、獣めいた咆哮が響いた。





 皆様、お久しぶりです。
 そして長すぎる投稿時間につきましては、誠に申し訳ありませんでしたと、頭を下げることしかできません。

 肝心の小説の方ですが、今回はかなり難産でした。
 バトルシーンを書くのは好きなのですが、複数と複数の人数でのバトルは想像以上に進まず、正直なんでパーティが多いのに乱打戦にならずに一人一人隔離して戦わせるようにするのかが今まで商業誌とかを読んですごい不思議だったのですが、いざ書いてみるとすごい納得しました。
 一対複数なんかとは比べ物にならない難しさ……。

 さて、次回の更新の更新についてですが、出来るだけ早く投稿したいと思います。


 瓦礫の底で放置&見捨てられっぱなしの主人公、次回、キレます。





 追記1:神龍さま。ギーシュの二つ名のアイデア、ありがとうございます。
     『魔造』というのは格好いいです! もし他にも思いついたら教えて下さい。


 追記2:主人公の内面を書かず、ほかのキャラの内面を書いた方がいいのではという意見がありましたが、作者といたしましてもとてもいい案だと思ったので出来る限りやっていこうと思います。
     ポスペチ様。ありがとうございます!!
     ただ、男性の方々に読ませてみては? という意見に関しましては、正直作者に身内以外に男性でプライベートを話せる方がいないので無理そうです。そのあたりは読者の方々の声を参考にさせていただきます。

 追記3:レイ様。携帯では最後まで見れないというご意見がありましたが、具体的に何文字までであれば大丈夫でしょうか?
     こちらといたしましても多くの方々に読んでいただき、ご意見を聴かせて頂きたいと思っていますので、そういった点には気をつけて頂きたいと思います。出来ればご返答ください。よろしくお願いします。

     PS.文字数を制限する事により中途半端な事(バトルが最後まで終わっていないのに一話が終わってしまう可能性)になるかもしれませんが、できればそちらは勘弁して下さい。


蛇足という名の駄文

 帰国後、ゼロ魔の新作かと思い『風の騎士姫』を買ったのですが、ルイズ嬢の母親が主役ということでビックリ。
 でもあの話ってダルタニャン物語(『三銃士』のほうが伝わりやすい?)を簡略化してファンタジー要素盛り込んだだけなんじゃ……、と心の中で思ってしまったのは作者だけでしょうか?
 というか……。
 男装して軍に入隊とかまんまウチのギーシュと被ってしまう!!?
 まあ、その辺りは共通点が見つかったということで二人を絡ませる方向で何とかする予定ですが、正直それ以上に扱いに困っているのがギトー先生。
 実は彼、作者の中ではマンティコア隊の元副隊長で過去に『烈風』と色々あって~(主に恋愛方面で)、というオリ設定をつけようとしたのですが、下手するとシナリオ崩壊しそうです。
 こっちも、一応は修正等を加えて何とかする予定ですが……先行き不安です。


それでは次回、お会いしましょう。



[5086] 009※加筆修正済(11/4/28)
Name: c.m.◆71846620 ID:e5a33f4e
Date: 2011/04/28 00:19


     ◆


 世界が変わる。視界がなくなる。
『無』しかない闇の深淵で、自分は何も出来ずにいた。
 ここがどこなのか。どうなったかさえ分からない。
 だが、そんなことは無意味でしかない。まるで水面にたゆたうかのような浮遊感は、今の自分から思考というものを根こそぎ奪っていた。
 ……これは、死なのか?
 ふと漠然とした意識の中で、そんなことを思い立つも、同時にそれが違うということも分かっていた。ここは確かに暗く、何もない。
 だが、死ということはあり得ない。もし自分が逝くとすれば、それは地獄であるべきだ。

〝相…………起き………!〟

 どこかで声がする。大きな声。つい最近まで聞きなれた、

 とてもとても、お喋りな────

 声のほうへと意識を向ける。どうやら今となっては声さえ上げられない。それどころか思考さえ定まらない。

〝起きたか。相棒!〟

 こちらが意識を向けたからだろう。まるで長年連れ添った友のように、声の主は親しげに語りかける。
 だが、分からない。自分はこの声がだれなのか。どうなったのか。

〝子爵の奴にぶった斬られちまったのさ。相棒が呆けてる間にな〟

 こちらの無言を相手はどうとったのか、少なくとも混乱していることは読み取れたらしい。
 思い出せない。その意味を理解していても、どこか受け流してしまう。考えるということそのものが欠落しているかのように。

〝なんで生きてんのかって顔だな。オレがやったのさ。相棒、おめえさんはガンダールヴなんだろ? あの子爵の野郎の言葉で思い出したんだ。オレは、あんたに握られていた。六千年前も、先代の時も、相棒とは別の相棒に。
 ─────なあ相棒。勝ちたくねえか?〟

 ……勝つ。何に? 

 思考が定まっていく。記憶を掘り出すことはできないが、どうやらそれは自分にとって重要なことらしい。

〝オレはただの剣じゃねえ。相棒だって感づいてたんだろ? オレはあらゆる魔法を吸い込み、その取り込んだ力でおめえさんの力を増させ、あるいは操ることだってできる。
 相棒が斬られて生きてんのだって、オレが操って瞬間的に飛び退いたからだ。あのままじゃ死ぬとこだったんだぜ?〟

 死。その言葉が、胸を刺す。何故だろうか? 死ぬことへの恐怖はないのに、その単語が生々しい。
 まるで────先程まで身近に感じ取っていたかのような。

〝……わりぃ。気が利かなかった。
 けどな、あの娘っ子の為に報いたいんだったら起き上がりな。おめえさんはまだ目覚めてねえんだ。そいつは体でも、意識でもねえ。『心』だ〟

 左手が脈打つ。動かせぬ体でありながら、そこだけに血管が通っているかのような錯覚。氷のような軀の中で、そこだけが唯一熱かった。

〝分かってきたじゃねえか。そうだ、戦うのはオレじゃねえ。お前の意志なんだ。
 ああ。確かに相棒は強えさ。心を閉ざして仮面で覆い、自己を持つが故の弱さを封じ込めることでより完璧な判断と戦闘法を導く。
 ……誰を基にしてるのかは判らねえし、もしかしたら完璧な存在を演出してんのかもしれねえが、相棒がその仮面にあった存在を演じ切る限りボロは出ねえ。少なくとも、相棒自身が意識しなけりゃな〟

 あまり言いだしたくはなかったのだろう。言葉には先程とは違い、僅かながらの起伏が混じる。

〝けど今度ばかりはそうはいかねぇ。相棒、その戦い方じゃ駄目なんだ。
 これまでの相棒はガンダールヴとしての力を最低限にしか使ってこなかった。
 ガンダールヴは心の強さで決まる。何だって良い。憎悪、悲哀、歓喜、憐憫、負によって齎されるのか、正によって込み上げるのかは問題じゃねえ。
 単純に言っちまえば、誰かに勝ちてえとか、誰かを護りたいっていう意志でもいい。今なら使える筈だ。仮面の外れた、今ならな〟

 感情。この左腕を動かすのはソレ。声が語る通りなら、それは事実なのだろう。
 全身が跳ねる。砕けた仮面が溶け出す。それが全身へと行き渡り、やがては意識さえ飲み込んでいく。
 そう。この仮面を作るために心を仕舞った匣から取り出したもの。あの時の自身が唯一抱いていた感情ものは────

 ─────何もできない、自身への憎悪。

 醜い自己。無力な自分。あの子爵の言ったことは正しい。だって自分は────

 ───── 一度だって、誰かを護れた事なんて無いのだから。


〝……そうだ。辛えかもしれねえが、それが生きてるってことなんだ。
 だから……ぐが、ッギ、グ、ガアギャァアアアァアァア…………………!?〟

 声は叫ぶ。有り得ない痛みと、内側から迫る何かによって。
 左手に握られた剣。ガンダールヴによってその構造、特性は頭の中に直接流れ込む。
 かつて誰かが言った。ガンダールヴとは、武器を自在に操る能力を持つのだと。
 確かにその通りだ。今こうしている間にも左手はその情報を読み取り、操っている。
 それは『支配』という、最も純粋な力の行使。
 何かが変わる。握りしめた剣を左手は書き換えていく。
 より深く、より暗く、より強く、より禍々しく。
 形を変えるごとに声は大きく、鼓膜を破るほどの絶叫はその形を完全に変える頃にはすでに別の声へと変えていた。
 だが終わらない。左手はなお足りぬとばかりに力を流す。封じられた意思は大きく、それ故に力を高める。神経が焼け付き、脳が溶けるような痛みを味わっているのは何も剣ばかりではない。その感情を生み出す自身でさえ、同等の苦痛を感じている。
 だが、そんなことは瑣末事だ。肉体的な痛みなどどうでも良い。
 何故なら────

─────もう、憎しみこんなものでしか、自分を表せないのだから………………。

 視界が変わり、意識は反転する。
 塗りつぶされてゆく視界の中、最後に聞いたのは────

 ─────小さくもはっきりとした、少女の声だった。


     ◆


     Side-out


 それは彼女を知る者からすれば、決してありえない行動だっただろう。周囲に興味を示すことなく、日々を過ごし続ける。そんな少女が、声を嗄らして叫ぶなど考えられない。
 だが、果たしてその声は届いていたのかを知ることは誰にも分らない。ただ判るのは、彼女たちは生きているという事実だけ。
 地に落ち、総身を焼きつくす雷撃はその方向を真逆に変え、天井を突き破り、空を引き裂く。
 有り得ぬと、この場にいる誰もが現実を受け止めきれずにいる中で、今度こそ彼女たちは眼を見開いた。
 瞳に映るのは漆黒。一切の光さえなく、あらゆる色を取り込むかのようなその色は、人の影となって前に立つ。

「馬鹿な……」

 子爵は呟く。死んだと思っていた相手が立ち上がったことに、ではない。
 自身が行使した魔法を打ち破ったが故に、だ。

「貴様は、何────」

 微かな風が、子爵の横を通り過ぎる。
 ごとり、と。重い何かが地に落ちると共に、言葉は途切れた。

「───────」

 沈黙が、空間を包む。
 地に落ち、転がりそうになるソレを少年は足で止める。
 かつて人であったものの一部。精悍な顔つきは苦悶に顔を歪ませ、眼球が飛び出る程に見開かれたソレは、紛れもなく子爵の頸だった。
 頸を落とされた胴が鮮血を吹き出し、噴水のように舞い上がるも、やがては重力に従って床へと落ちる。
 血の雨。惨劇の場をそう言い表す事は多くあれど、現実にそれを降らすなど想像は出来まい。
 降り注ぐ紅の雫を総身に浴びながら、少年は自身が踏み付ける頭を変形する程に軋ませ、やがて気が変わったように蹴り飛ばす。
 まるでサッカーボールをパスするかのような自然な動作。だがそれは明らかな殺意によるものに他ならない。
 転がった頸は既に頭蓋が砕け、脳漿を床に撒き散らせながらも消えることなく二人目の子爵の元へ運んでゆく。
 それは宣告。次に殺すのは貴様だという無言の意思表示。
 かちゃり、と。握りしめた剣の鍔を鳴らし、静かに構える。
 ここではない世界。幾度となく地に伏せられ、幾度となく血を流しながらも最初に教わったモノ。
 握り締めるのは両手。剣の位置は自身の正中線へと運び、その切先は相手の喉元へと置き、半歩片足を前に出す。
 構えは正眼。血豆を潰し、手の皮を幾度も破り、気の遠くなるほどに刀を振るった少年が用いるのは、五行の構えの中で最も得手とするもの。
 だが子爵とて宣告をされてむざむざ殺されようなどとは思わない。寧ろ狙いが定まっているという事は迫る位置が予測できる事に他ならない。
 何より相手は手負い。如何に素早かろうともその身に刻まれた傷は今尚血を流し、あるいは骨を確実に砕いている。
 故に子爵は恐れない。たとえ相手が伝説の力を持とうと、如何なる技を用いようとも所詮それは平民の業であり、その域を出はしない。
 気象を操る事も出来はしなければ空をも飛べず、自身より巨大なものを持ち上げる事さえ出来ない矮小な存在。
 魔を用いる者と、用いれぬ者。
 流した血、積み上げた研鑽。半生を費やし、駆け抜けた日々を一瞬にして無に帰す神秘にして絶対の業。
 六千という歴史が証明する両者の隔たり。
 驕りではなく確信。眼前に佇む黒衣の少年は、決して子爵を超えはしない。何故ならばこの少年は既に愚行を犯している。複数の敵の中で一人にのみ目を向け、もう一人には一瞥さえくれぬまま。
 挟撃される事を念頭にさえ置いていない猪など、取るに足りぬ存在でしかない。
 今度こそ殺すと、あの憐れな女と同じ場所へ送るのだという殺意を込めて、子爵は杖を構えようとし────

 ─────その瞬間、文字通りの意味で少年は『消えた』。

 響くは微かな風切り音と、鮮やかなまでの刃の軌跡。遅れるように、否、事実遅れてから耳に届く轟音は轍めいた足跡が生んだ結果だろう。
 果たして現実なのか、それとも夢を見ているのか。優に十メートルを超える彼我の距離を無にする絶技。
 魔を扱えぬ者が用いるソレを理解できる者は、この場に一人として存在すまい。
『縮地法』。かつては千里も目前に存在す。と称され、仙人が地脈を縮めたかの如き錯覚を覚えさせる神速の体技。
 流した血、積み上げた研鑽。半生を費やし、駆け抜けた日々が可能にさせるモノ。
 万能たる神秘を持たぬが故に、築き上げた人の力。
 より速く、より強く、より的確に。敵を屠るという目的の下、先人たちの手によって編み出され、代を重ねるごとに重みを増し、後世へと受け継がれるもの。
 年月を重ねるだけの慣習とは違う、人の身が積み上げた偉業たる『伝統』がそこにある。
 皮肉なものだ。ある時は主を守護し、ある時は主の為に武勲を飾る為の絶技。それを開眼したのが、あれ程までに仕えるに値すると見定めた主を失ってからとなろうとは。
 だが、だからこそ少年は残る一人を見据える。憎き怨敵。彼女の憧れ。それを今この場で討たねば気が済まない・・・・・・

「何だ? 貴様は何なんだ……!?」

 返答は無い。あるのはただ、剣から発せられる声ならぬ叫び。
 耳を劈く獣めいた咆哮。寡黙なる少年の怒りを代弁するかのような音は、礼拝堂へと響き渡る。

「調子に……乗ってくれるなよ……!!」

 絶叫と共に放たれた子爵の一撃は、その気迫とは裏腹に単なる苦し紛れでしかない。ただこうしなければ思考が、理性が追い付かない。アレを直視すべきではないのだと叫ぶ本能を否定しなければ、少なくとも眼前の敵を斃すなど出来はしないのだから。
 そして、今度こそ子爵は瞠目する。放たれた魔法は事実何の役にも立たなかった。
 元より出方を窺う為に放ったのだ。躱すなり防ぐなり好きにすれば良い。その分だけこちらは距離を取れるし、何より詠唱の時間が稼げる。
 だが。

〝何だ、これは? 何故おれの呪文が!?〟

 想像さえ及ばぬモノ。メイジとして生きてきた生涯の中で初めて目の当たりにした光景。
 想像など出来よう筈もない。自身の魔法を『反射』されるなど、子爵の知る魔法には存在しない。
 思えばあの時、あの桟橋で魔法を打ち消されたときに気付くべきだったのだ。ただの平民が、何故雷を防げたのか。
 完全に不意打ちであった風の刃を受けて、何故立ち上がれたのか。
『偏在』と共に編み出した千の巌をも破り、村一つさえ飲み込む雷を如何にして打ち破ったのか。
 その答えが示すのは一つ。
 あの剣こそが元凶。あれがある限り一切の魔法は届かず、逆にその全てが自らを打ち滅ぼす兇刃と化す。
 呪怨の焔を瞳に宿し、少年は刃の切先を静かに向ける。
 剣を彩るのは黒。あらゆるモノを取り込む色としてではなく、あらゆるモノを拒絶する純色。
 それは殺意の下に形を成し、憎悪によって刃を研ぎ澄ます。

 ─────暗黒の剣。それこそが、今の少年を表す形そのものだった。


     ◇


 白の世界から戻るとき、タバサは在り得ないものを見る。全身を黒に染め、一切の光さえない禍々しい『両刃』の大剣を手にした何か。
 はじめ、何なのかは分らなかった。ソレが見慣れた少年であることも、持っている剣が何であるのかということも、彼女の意識からは欠落していた。
 ただ恐ろしかった。光さえない虚ろな瞳の中で覚める事のない憎悪が燃え盛り、手袋の下にあってなお発光する左手を基点としながら蔦の様な紅い線が剣を這い、血管のように脈動していく。
 憎悪という言葉を具現化すれば、おそらくはああいった形になるのだろう。
 黒く、どこまでも深く濁ったそれは────闇という一文字を以て、表すべきものに他ならない。
 そして、タバサは同時に思う。あれは自らが行き着く果てよりなお深く暗き道を往く者。復讐という名の下に行われる自身の正当化ではなく、自らをも憎み呪う滅びの道。
 自身が地獄に落ちようとも、目的を果たし切るという狂気に満ちた行動。
 故に、タバサはソレを恐れ、そして憐憫さえ覚えた。身を焦がし、荒れ狂い、あらゆるモノを敵に回してでも目的を果たそうとする行動。
 裏返せば、身を焦がすような暴走も、荒れ狂うほどの激情も全てはただ一人のためのもの。大切であるが故に奪われた痛みは大きく、憎悪という形は悲痛な痛みさえ感じさせる。
 何故助けられなかった? 何故奪われた?
 挙動とともに伝わる意思は泣き叫ぶ子供のよう。
 こうして見つめていれば判る。駆ける脚も、振るう腕も、その全てが痛みを誤魔化すものでしかない。
 だからこそ、タバサは立ち上がろうとする。
 泣いても良い、叫んでも良い。だから今はそうしていても良い。
 せめて、ここを離れよう。これ以上あの少年を傷つけないために。自分たちが彼の傷を増やさないように。
 少年の足手まといになる事だけは、決して許されない。
 子爵が少年に意識を向けているうちにキュルケとギ─シュを連れて離れなければ、自分たちは利用される。
 だというのに、そこまで分かっていても、この脚は動かない。
 亀裂が入っているのは肋骨だ。脚は問題ない。なのに。

〝どうして、どうして動かない?〟

 痙攣する足をただ見つめながら自身を叱咤するも、その脚は動かない。

「無理しないほうがいいわ。もう限界でしょう? タバサ」

 聞き慣れた親友の声。微かに体が軽くなったのは、キュルケが支えてくれたためだろう。

「どう、して……」
「あれだけ派手に戦ってれば誰だって目が覚めるわよ。それにしても……」

 漆黒に身を包み、静かに切先を子爵へと向ける少年を、キュルケは静かに見つめる。

「まったく、情けないわね」

 同感だと云わんばかりにタバサは頷く。任せておけと勇み出たというのに返り討ちにされ、その脚は未だに言う事を聞いてはくれない。
 これ以上長居をすれば、足手まといになるだろう。その前に、

「ギーシュは?」
「心配ないわ。さっき見たけど、マントを破って怪我した足を止血したみたい。
 庇って貰ったあたしが言うのもなんだけど、正直驚いたわ。トリステイン人って無駄にプライドが高いのに、貴族の象徴であるマントを破るなんて」

 そう、と。一言だけタバサは呟く。
 ならば心配はいらない。少なくとも、急を要する事態は避けられた。

〝あとは、ここから、〟

 逃げ出すだけだと、そう安堵したとき、タバサの身は固くなる。風使いは空気の流れを感じ取る。故に今、こちらに向かってくるのは────

「避けて……!」

 振り絞るように声を上げるも、間に合わない。三メートルにも及ぶ真空の刃は、十字となって向かっていたのだから。


     ◇


 刃の切先を向けられたとき、子爵はこれまでには無い、ある感情を抱いた。
 あれが何であるのか? そんな事はどうでも良い。ただ自分は与えられる役割のままに、行動しなければならないのだから。
 だが、込み上げる感情が、己の動きを鈍らせる。この身が考えることなど有ってはならない。ましてやそれが動きを鈍らせるなど以ての外。ただ忠実なる駒として動く者に、意思など必要ではないのだから。
 だというのに。

〝おれは、何を感じている? 何なんだ、この感情は!?〟

 情を棄て、国を棄て、ただ目的のために行動する。一切の迷いなく上りつめること。
 それこそが、これまでに失ってきた子爵自身の全て。そしてそれを成すために自身に課せられた役割は敵とみなす全ての抹殺。
 なればこそ、迷いなどありはしない。
 求めるべきは結果というただ一つの到達点。
 この状況を打開する事こそが、己が役割というならば。蛇蝎の如き醜悪さを以ってその役割を完遂する。
 そして、打開すべき一手は既にある。

「ハ────」

 口元から零れる哄笑。先程までの緊張は既になく、その視線は少年から外れていた。

〝絶望しろ。所詮、貴様は誰一人護れはしない〟

 地に這いずる三つの人影。今なお懸命に生きようとする執着に、虫を見るかのような視線を向けると同時、子爵は風の刃を放ち、のみならず中空へと浮き上がる。
 通常、飛行魔法である『フライ』と共に魔法を併用することはできない。これは理論的な問題から不可能とされるのではなく、単純に魔法の並列使用が極めて困難な術式であり、扱える者が大陸全土を見渡しても数えるほどしか存在しないためである。
 子爵はそれをやってのけた。幾多の技術的障害を乗り越え、血の滲む研鑽を積み重ねたという点においては子爵もまた少年と同一であると言えるだろう。

 殺った、と。眼下に広がる光景を見ながら、子爵はその口元を三日月に歪めた。


    ◇


 目に見えずとも肌に伝わる風を感じながら、タバサは微かに顔を強張らせるも、すぐにその顔は何処か申し訳なさげな表情に代わる。
 結局自分は最後まで足を引っ張って仕舞ったと、謝るに謝れない子供のような、そんな表情を微かに向けて。
 そこに一つとして不安は無く、あるのは唯一つの確信。もし少年が、タバサの思い描く通りの人ならば────

〝きっと、助けてくれる。彼は────〟

 ─────誰よりも、優しい人だから。

 身に迫る処刑刀。一陣の下に人体を寸断せしめる不可視の刃は、かつての雷と同じく、その方向を真逆に変える。
 少女たちを護ったのは、深く地に突き立った、一振りの魔剣であった。


     ◇


 少年が魔剣を手放したことで、子爵はその口元を三日月へと歪めた。
 正直なところ、子爵自身にとってもこの作戦はある種の賭けだったと言っていい。
 得物を投擲するのではなく、先に見せた消える移動法を用いられれば、この作戦は失敗。中空に浮き上がる猶予があった時点で負けはしないものの、接近戦に持ち込んで勝ち目がない以上手詰まりである事に違いはない。
 そして、あの少年はおそらくこの身を追い立て続ける。それは一向に構いはしないが、一度でも疑念を持たれてしまえば本当の窮地となる。
 任務を遂行する事を第一に考えれば、出来る限り兵力を削ぐという目的を断念してでも手紙を届ける必要があるのだ。
 だが、その心配は既にない。現状においてあの少年は剣を手放した。
 ガンダールヴの能力は、詰まる所武器を自在に操ること。まだいくらかの武器は残っているだろうが、こちらが視認した限りでは小型のナイフが一振りというだけ。
 あの奇怪な移動法も地上に降りさえしなければどうとでもなる。
 今度こそ自分は、あの小僧を出し抜いた。万が一剣を取りに向かおうとしても時間差で放った風の槍がそれを阻む。
 要はあの黒い剣の近辺にさえ魔法を放たなければいいのだ。周辺を檻で囲むように風の槍を放ち、行き場を失ったところで雷撃によって息の根を止める。

「終わったぞ! ガンダールヴ……!!」

 杖より迸る紫電。伝説を打ち倒す行為が果たして後の子爵にどの様な影響を与えるのか?
 傀儡である自身には関係のないことだと知りつつも、その口元は紛れもなく弧を描く。
 だが、子爵はふとした違和感に気づいた。目の前の少年は、剣を投げてから一度としてその場を動いてはいない。
 仮に剣に対する布石をこちらが打った事に気付いたとしても、あの移動法さえあれば避けられる筈。ならば何故?
 微かな疑問が脳裏をよぎる中、子爵は自身の違和感に気づいた。
 少年へと突き出すように向けた軍杖。ほとばしる紫電を纏った杖よりもなお前に、自身の右足が出ていることを。

〝どうなっている!? 何故、なぜおれが振り回されて……!?〟

 一度は下降するように床へと引き摺り降ろされそうになった体は、次の瞬間には斜め上空へと移動する。
 そう。一度は子爵自身が放ち、そして反射されたとしても明後日の方向へと向かうよう計算された、あの風の処刑刀が迫る位置へ。

「こんな、莫迦な……莫迦な話があるかァァァァァァアアアァアアアァア!?」

 迫り来る刃を消すことも、脱出さえ図ることも出来ぬ子爵は、この理解さえ追いつかぬ事象の原因を目にする。
 自身の右足。一度引き摺られる様に前に出た足に、目に見えぬほどの糸が巻きついていることを。
『偏在』はあくまでも分身を作るものでしかなく、その感覚を共有するものではない。
 故に子爵は知らない。その糸がかつて、偏在を打ち破ったという事実。その糸の持つ脅威を。
 だが。仮にその糸の脅威を目の当たりにしても、子爵は斬殺という用途以外を思い浮かべる事はなかっただろう。
 裏も表もなく不可視にして最硬の糸。その本来の用途はあらゆるモノを切断する刃にあらず。
 糸とは本来紡ぐもの。すなわち、対象を捕え制する事こそがその得物の持つ用途にして真骨頂。
 たとえ制空権を得ようとも、蛾を捉える蜘蛛の如くその糸は対象を束縛し、一切の自由を奪い取る。
 そして────捕らえられた獲物の姿は凄惨を極めた。十字に襲いかかる処刑刀は、子爵の左腕と両足を付け根から削ぎ落とし、さながら噴水の如く血を撒き散らす。
 止めを刺さずとも、出血量を見れば死が逃れられぬ事は誰の目にも明白であろう。だが少年はそこでは終わらない。
 用済みとなった足を寸断し、地に落下しかけた子爵を再び糸で絡め取ると、釣り師のように引き上げ、落下位置とは別の床へ叩き付ける。
 数秒と待たず死を迎えるであろう子爵に、何故これ程までの行為を行うのか? それを問う事なぞ必要ない。
 死より重く、絶望より深き罪。それ程の事を、子爵はしたのだから。
 砕かれた長椅子に背中を預けつつ、子爵は震える腕で軍杖を持ち上げる。ここに来てなお死を受け入れぬ精神は呆れを通り越して称賛さえ贈れるものだ。
 尤も、当事者である少年にとってその行為は目障りでしかない。錬金によって編み出され、未だ地に突き立つ朱槍を手に取ると、子爵めがけて投擲する。

「ギャァアアアァアアアァア……………………………………………!!」

 響く絶叫。右腕めがけて投擲した槍は子爵を壁に縫い付けるという本来の目的を離れ、肘から先を吹き飛ばす。
 四肢の全てを失い、失われた箇所からは紅い飛沫を噴き出しながら辺りを染める。死を迎えるさ中、精神が砕ける事さえ許されぬのは、あの黒い影が子爵自身へと迫ってくるからだ。
 距離は近づくというのにその足音は聞こえず、糸によって手繰り寄せたれた魔剣は左腕へと握られ、再び怒りに呼応するかのような脈動を見せる。
 歯の根が噛み合わない。がちがちと五月蠅い音を立てる口元を強引に抑えようとしても、体は受け入れようとはしない。

「あッアァ……」

 喉から吐き出される声。それは果たして、どういったものか? 何を持って吐き出されたのか、子爵にはそれさえ分らない。
 だが、このときから初めて理解した。
 自身が求めたもの。力という純粋な形。
 己が縋る程に欲したもの。
 恐れは捨て、情けは捨て、あらゆるモノを失って、あらゆるモノを切り捨てきた子爵自身がなお求めるに足ると、そう信じたソレは────

 ─────憎悪という形の下に、眼前へと現れた。

 そうして子爵は、捨てた恐れを取り戻す。かつては弱きと断じた感情、力という存在の前に不純物と断じたものを。
 その感情を受け入れた時、子爵は目の前の存在ものを理解する。
 人が研鑽を積み、それでもなお届かぬ領域。人知を超え理解の追いつかぬ存在。形容する事を許さぬモノ。
 それを垣間見たとき誰もがこう口にする。
 曰く、『怪物』と。
 しかし、あれはそんなものではない。怪物なぞ生ぬるい。
 身に纏う装束は黒。あらゆるモノを飲みこみ、あらゆるモノを拒絶する純色。
 ある時は光と相対し、ある時は死の象徴とされ、あらゆるモノから忌まわしきモノとして位置づけられた色。
 踏みしめる一歩は死への刻限を告げ、光なき瞳は言葉よりなお雄弁に結末を紡ぐ。

 ─────絶望しあきらめろ。お前はここで死ぬだけだ。

 最早、恐怖さえ浮かばない。あれの正体は実に単純でありそれ故に合点がいく。

〝あれは────死神だ…………〟

 地に目を落とすと共に、軍靴のつま先が視界に覗く。

 ─────最期に。自らを引き裂く断罪の音が響いた。





     ×××


あとがき

 Merrrrrrrrrrrrrrrrrry Christmaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaass!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 さあ彼氏彼女の居ない同志諸君は作者とディスプレイ越しに飲み明かそう! 未成年はジュースで我慢だ!
 男のいる奴ら、若しくは女といる奴らはおめでとう! 多分今日は会えないだろうからHappy New Year! とでも言っておこう! ディスプレイが滲んで見えるのは気のせいだ! 目から流れるのは唯の汗だ!! 青春とは流れる汗の量で決まるのだ! 外は寒いけど……。

 すみません。少々テンションがおかしい事になっております。お久しぶりですc.m.です。
 さて、クリスマスという事で皆様いかがお過ごしでしょうか?
 作者は先日(同性に)プレゼントを受け取ったのですが、革手袋とシースナイフ(主人公が使ってるやつ)を頂きました。ぶっちゃけ、血が見たいZE☆ とノリで言うトコなのでしょうが、出張中、散々見てるのでもう嫌です。
 切れ味のよさに現在もっぱらフルーツナイフとして活躍中。ディスプレイ越しにリンゴでウサギさんを並べてみたり。
 男共。身長170越えで三十路前の女でよければやるぞ。今すぐ口を開けろ。ていうか開けて。あーん、ってしてあげるから。
(出来れば主人公似の童顔求む。中学生以下の子ならなお良し。)

 とまあ、冗談はさておき(といってもリアルタイムでウサギ作ってますが。現在二個目突入中)。
 今回の作品は正直謝らないといけない事がいっぱいなのですが、とりあえず主人公の必殺技。マジでごめんなさい!! ネタが浮かびませんでした!!
 主人公の技については結構色々考えてたんですが、正直既存の技(武道で)で凄さが伝わるのってあんまりなく(実戦的という意味合いでは多くありますが)、結局は色んな作品に出てくる一番ありきたりな技となってしまいました……。
 でもデルフ君の黒化魔剣バージョンは作品作る前から考えてたので、こっちは満足です。
 で。今回圧倒的勝利で終わったかのようなバトルですが、まだ続きます。長すぎますね、すみません。
 ホントは全部入れたかったのですが、以前文字数の問題で見れないという読者さんが出てしまったので、このような形となりました。
 できれば文字数制限のある方はお早めにお伝えして頂ければ幸いです。

 でも本当の意味で謝らないといけないのは主人公が人間やめてしまった事。ブチ切れモードに突入した以上、優勢を見せつけようとした結果、やり過ぎてしまいました。
 もう完全に化け物です……。
 と、言いながらこれから出てくる奴や今いる面子(ギーシュやワルド)もさらに化け物になっていきますが。(最終的にはネギま!連中とガチで渡り合えるぐらいになりそう。どこかで歯止めをかけないと判っているのに、ついやってしまう……)

 次回の更新は仕事の都合上未定ですが、出来る限り早く挙げたいと思います。
 次回。主人公、壊れます。


 追記1:華羅巣さま。
     二つ名をまた考えてくれるとのことで、正直嬉しくてたまりません。
     ギーシュの二つ名についてですが、せっかく皆さまが考えて頂いたのを没にするのもあれですので、通り名や通称みたいな感じで敵さんに名乗らせてみようと思います。
     けど、もし二つ名は一つしか認めない、という場合はおっしゃっていただいて結構です。その場合は厳選した上でギーシュ君に名乗って頂きます。
     最後に、主人公の服に関してですが、裏話を致しますと、最初はファッション誌を見ながら考えていたのですが、その後で実用的な物の方が良いんじゃないかと思い立ち、防弾・防刃加工(内側にケブラー材とFRP製のプレートを装備)のジャケットと軍用ブーツを身につけさせ、その後、カラーが多いと説明が長く、想像しにくいという理由から(作者の中での)イメージカラーを持たせるという意味合いで黒にしました。
 ちなみに作者的各キャラのイメージカラーは
 主人公:陰陽
 タバサ:蒼。若しくは碧か青(ぶっちゃけブルー)
 ルイズ:薄紅・桜・桃etc…(ぶっちゃけピンク)
 みたいな感じです。でもギーシュ君って、イメージカラーは何色なんでしょう? シンボルイメージは薔薇だけど、色だと思いつかない……。

 追記2:とおりすがりさま。
     ギーシュ君の二つ名、ありがとうございます。ここの魔法使いは属性の相性があるので難しいですが、魔法剣のアイデアは捨てがたいので、考えてみようと思います。(もしかしたら敵側や別キャラが使うかもしれません)
     ギーシュ君は作者も好きなのですが、確かにヘタレじゃないギーシュ君って複雑ですね……。ヘタレがあってこそ輝くものもありますし。これからの彼(彼女?)はシリアスが中心になりそうです。
    (いっそNGシーンとか用意して本編ぶち壊しギャグに走らせるのも手かなと画策して見たり)


それでは、最後にもう一度。
 Merrrrrrrrrrrrrrrrrry Christmaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaass!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




[5086] 010
Name: c.m.◆71846620 ID:2cdef1a1
Date: 2010/02/11 20:51
 果実を割るかのような自然さで、唐竹に振り下ろした一刀は文字通りの意味で子爵を二つに引き裂く。
 零れ落ちる臓器と鮮血。そして自らの行為にさえ意に返す事無く、少年は仲間の元へ向かおうと踵を返そうとし―――
 眼前から、霧のように消える子爵に、目を見開いた。
 有り得ないと、そう楽観的に捉えていた訳ではない。こういった事態もあるということは可能性として置いていた。しかし。
 それならば、本物はどこにいるのか?
 既に跡形もなくなった幻影に目もくれず、少年は辺りを見回す。
 何所かに居る。遠くではないと、そう獣めいた直感が少年に告げる。何より、舐め回す様な視線が、確実にギーシュ達以外の存在を知らせている。
 だが、それを確かめるより早く、礼拝堂に声が響く。それは嘲りを含んだものではなく、確かな畏怖と称賛を込めた声だった。

「―――素晴らしい。どうやらおれは貴様を過小評価していたようだ」

 僅かな喝采はこの礼拝堂にはあまりにも小さい。しかし、それを差し引いてなお子爵の存在は礼拝堂を軋ませるほどの重圧を見せていた。

「認めよう。貴様は伝説でも平民としてでもなく、確かな宿敵となったことを。さて、」
 いつからそこに立っていたのか。かつて少年の主人を殺した男は、再び横たわる彼女に手をかけようとし―――

 ―――ぎょろり、と。猛禽の類であるかのような瞳が、子爵を捉える。

 本来の敵を目前としたためか。主が穢されようとしていたためか。意識の高揚と共に握りしめる剣は軋みを挙げ、左手は剣のみならず宿主の腕さえも異形に変える。
 砲撃めいた爆音。床を踏み砕き、疾駆するソレは一足で子爵の元へ辿り着く。
 否、辿り着く筈だった。

「グッ、ギ、ゲボ、ガアァアアアァアァアァアァア……………!?」

 声ならぬ聲。響く絶叫。無様にも制御を失う事で明後日の方向に身を投げ、血と吐瀉物を撒き散らしながら床へと這いずるソレを、少女達のみならず、敵である子爵でさえ目の前の光景を理解できずにいた。
 しかし、やがて全員はこの現象を理解する。先程までの少年と明らかに異なる部位、自身の腕をあのおぞましい異形へと変貌させた、左手の輝きが消えていることに。
 馬鹿な、と。こんな筈は無いとばかりに少年は眼を見開く。
 かつての実験。この左手を試した際には、例え限界まで酷使しようと輝きが失われる事はなかった。なのに何故? と。
 そして、少年はある言葉を思い出す。ガンダールヴとは心の強さで力を得る。それはつまり、心を糧として使うほどにその力を消費するということ。
 自動車と同じだ。限界までアクセルを踏みこめば、最高速に達する事は確かにできる。
 問題は燃料。限界への疾駆はガソリンを燃やし尽くし、やがては車そのものが停止する。
 少年は速度を見余った。メーターも道先も見ず、ただ己が感情の赴くままの暴走は突然の停止という終わりを告げた。
 負の感情は、確かに身を燃やすには格好の道具。血肉を滾らせ、脳髄を焼き、あらゆる能力と意志を向上させる。
 その業火の果てに、ただ僅かな灰しか残らないとしても。
 だが、苦痛の原因は左手ではない。確かに絶大な能力ではあれど、それによる副作用があるならば、これまでの中で起こり得る事。
 燃料が切れれば停止する。それは至極当然の事であり、それ自体が本体の破壊へと繋がる事はない。
 血管と内臓を破裂させ人体の内側から血が滲み、全身の骨には亀裂が走り、或いは砕ける。この見るもおぞましい現状は、果たしてどの様な問題から来るものなのか。
 その答えに辿り着いたのは、当人を除けばこの場にいたギーシュだけだった。
 港町での一泊、あの吐息を聞いていたときからの疑惑。
 ギーシュの見立てでは肺を病んでおり、平民であるが故に満足な治療を受けていないのではという推測だった。
 しかし、その解答は悪い意味で間違いであったと言っていい。
 病んでいる訳ではない。特別、何所かが悪い訳でもない。
 ただ、少年は脆く、そして弱かった。呼吸でさえも苦痛となり、僅かな運動さえ肉体を擦り減らすほどに。
 生まれついての宿命。如何に人体を鍛え上げ、鋼のごとき肉体を身に纏おうと、内側だけはどうにもならない。何所かが飛びぬけて悪いのではなく、肉体そのものが崩壊寸前だということ。
 生きている限り器官は傷つき、臓腑は悲鳴を上げ続ける。
 病ではないが故に治す手段はなく、磨り減った間接にボルトを打ち込み、骨には鉄骨を刺し込むといった治療を受ける事で、稼働を許された人体。
 強く、強大にさえ思えた存在はその実、度重なる措置を受けねば生きられぬ程の弱い存在だった。
 かつて。己は欠陥品であると、そう云われたのだと少年は言った。
 当然だ。彼が師より教わったのは死地への生還。如何な地獄であろうと乗り越え、自らの屍を晒さぬが故の技術。
 ソレを教わる者が、何時壊れてもおかしくない廃棄品同然の存在では、二流の欠陥品であると宣告されようと文句を言える道理はない。
 目の前の光景を、子爵はしばしの間呆然と見つめ、やがて諦観めいた溜め息をつく。
 こんなものか、と。万全とは言えぬ状態とはいえ、何の苦もなく四体もの己を打倒した存在が、ここまで脆いものだったのかと。

「残念だな。どうやらおれの見込み違いだったらしい。
 せめてもの手向けだ。貴様を殺したあと、この女の頸を横に添えてやろう。死してなお美しいままより、互いに醜く飾ったほうが、」

 子爵の言葉は途切れ、亡骸の頸を引き抜こうとした手が止まる。その原因は目の前の存在。あれ程までに醜く、狂ったかのようにのた打ち回る少年の紅く、充血した瞳は未だに子爵を捉え、零れる血をものともせず犬歯を剥き出しにしながら殺意を振りまく。
 破れた手袋から覗く刻印。失われた筈の左手の輝きは血のような紅い輝きを刻み、宿主の肉体を喰い潰す。
 その糧は心か? 血肉か? 魂か?
 己が全てを差し出し、なお純然たる力を欲する貪欲な意志。かつての自身を彷彿とさせる姿に子爵は思わず溜息を零す。

「ほう……」

 弧を描く口元。やはり自身の判断は間違いではなかったのだと、今度こそ子爵は惜しみのない笑みを浮かべる。
 武器とは己。あらゆる殺戮の利器を操る刻印は、その対象を少年に定めた。
 かいなは鉄槌と化し、手刀を剣と成し、蹴足を戦斧へと組み替える。
 全身を覆う黒衣より深き黒。蔦のように絡まる紅い線は全身へと浮き上がり、歪な紋章を形どる。少年の佩剣を異形に変えた、あのときと同様に。
 影絵めいた漆黒の出で立ち。伸びた歯は鋭刃に研ぎ澄まされ、五指は巨大な鉤爪となり、肉体は巌のように盛り上がる。
 誰もが思い描く空想の怪物。誰もが目を背ける畏怖の対象。
 だが、その姿は獣ではなく、あくまで人間。巨大な爪を持とうとも、総身を漆黒に包もうと、人という形は崩れない。
 当然だ。何故ならば少年にとって真の怪物とはあくまでも人間。
 同族であろうとも己が利の為に食い潰し、度重なる争いに歯止めをかけぬその存在こそ化け物と呼ぶに相応しい。
 その姿を、子爵はどう捉えたのか。少なくともそこに恐れはない。むしろ恍惚とさえ呼べる表情で己が敵を見定めた。
 抜き払う軍杖。一遍の遊びさえなく、己の最速を目の前の怪物にぶつける。
 既に手から剣は離れ、限界を迎えた肉体で如何な手段に出るのか。
 距離にして三メートル。風の刃を鉤爪で砕き、怪物は砲弾の如き速度を以て猛禽の如く跳びかかる。
 それは文明の織り成す以前より持つ武器。人が理性を得る以前の暴力。
 開かれた顎。鮫のように並ぶ鋭利さを持つ牙は、同時に獅子の如き巨大さを見せつける。

〝もっと見せろ。貴様の狂気を、その力をもっとおれに見せ―――、〟

 唐突に、思考が途切れる。人知を超えるが故に怪物は怪物と呼び習わせる。故に反応なぞ出来よう筈がない。
 ざくん、と。怪物は己が牙を以て、子爵の首を喰い千切った。
 首筋から噴き出す血液と、理解の追いつかぬ自身の現状に子爵は只呆然と立ち尽くす。

「き、さ……ま――――」

 半ばから抉られた首を捻り、追い被さる様に亡骸となった少女を抱きとめる少年を見やる。
 吐き捨てられる肉塊。それが子爵自身の一部であることは容易に想像はつく。
 子爵にとって理解出来ぬのは、少年の行為そのもの。何故そんなものを気に留めるのか。それはただの亡骸ではないかと、蔑む様に見つめた子爵は、怪物が同じ様に怨嗟の視線を受ける事で理解する。
 どうして少女を抱き止めたのか。その答えは単純なもの。
 その左手の力は少女を護る為のモノ。たとえ、物言わぬ姿となろうとも、その存在が残る限り、怪物は少年の心のまま、少女の護人で在り続ける。
 憎らしいと、そう口にする間もなく子爵は崩れる。その姿もまた、これまでの幻影と同じく霧のように溶けていった。


     ◇


「行った……のか?」

 子爵の姿は見えず、辺りが静けさを保ったことで、ようやくギーシュ達は周りを見渡すまでの平静さを取り戻す。
 想像さえ出来ぬ光景。目の前で繰り広げられた戦いは、文字通りの死闘だった。
 だが、逸脱した現実が過ぎたところで安堵なぞ出来はしない。
 その死闘を行った当人は、今、目の前で倒れてしまったのだから。

「ナオヤ!」

 悲鳴に近い叫び。片足を引き摺りながら辿り着いたギーシュは、目の前の光景に愕然とする。
 袈裟に斬られた胴。皮膚を突き破る、折れた骨。筋繊維が千切れ、内側からの出血が外へと滲み出た四肢。
 そこに、先程までの怪物の面影はない。日頃の口調から判断しづらいが、黙っていれば彼は年端もいかぬ少年そのものでしかなく、意識を失った今となっては、ただの怪我人でしかない。
 重症などという言葉では言い表せぬほどに無残な光景を、現実だと信じる事は出来なかった。

「ナオヤ……ナオヤァ!」
「ちょっと、どいてギーシュ!」

 ただ叫ぶことしかできないギーシュを、キュルケがどかす。目の前の光景に息を飲むも、彼女はすぐさま肩を貸しながら連れてきた少女に声をかける。

「タバサ、頼める?」
「やってみる」

 短くもしっかりと答えたタバサであったが、正直なところ人体の損傷が酷過ぎる。たとえ秘薬があったとしても、この傷を治す見込みは不可能に近い。
 刻印の輝きは完全に消えた。ルーンが残っている以上は少年が生きている証拠だが、それもいつ消えてもおかしくない。

〝今できる事は、止血と安全圏への退避〟

 そう判断するや否や、すぐさまギーシュへと振り向く。目の前の事に動揺しているようだが、今はそれどころではない。

「使い魔。すぐ呼んで」
「え?」
「はやく。助からなくなる」

 助からない、という言葉に反応したのだろう。いちにもなく地面を踵で叩く。しかし、肝心の使い魔は現れない。

「どうして!?」

 戸惑いながらも何度も地面を踵で叩くも一向に反応はない。

「早く呼びなさい! ここだって何時までも敵が来ないとは限らな、」

 好転することのない現状。いつ敵が来るかもしれない焦りからの叱咤は、突然の靴音で途切れた。
 入口に立つ、陽炎めいた一つの影。その光景に三人は完全に身を凍らせる。
 二メートル近い、灰色の中に所々赤い斑のついた外套を纏った痩身長躯の男は、骸を押し退けながら歩いてゆく。
 その異様なまでの圧迫感。全身を凍りつかせるほどの威圧感を見せつけながらも、この男は殺気ひとつ発していない。
 得体が知れない、と言ったほうが正しいか。これほどまでの重圧を見せつけながら、目の前の男には肝心の存在感というものがあまりにも希薄だった。
 何より、凍りつかせる、という表現には誤りがある。喩えるならそう、男は炎に近い。
 揺らめくような人影。肌をひり付かせる様な焦燥感を相手に与え、近付く程に喉が干上がる。
 彼女達は直感する。この男は味方ではない。おそらく、隙を見せれば炎に絡み取られ、全てを灰にし尽くされる。
 煉獄を思わせるその男は、ゆっくりと、しかしどこか諦観めいた表情で口を開いた。

「ああ、やっぱりここにいましたか。もう何か事ある毎に自分から首突っ込んでるじゃ、とは思いましたが、死に体とは予想外です。
 ていうか、ホントに死にかけ? 一応、こっちから見て子爵相手だと問題ないと踏んでたんですが、まさか負けちゃいました?」
「お前は、ナオヤの事を知っているのかい?」

 突然現れた男の言葉をどうとったのか、ギーシュは目の前の相手に疑惑と警戒の視線をむける。

「もちろん知ってますよ。ていうか、少年がここにいる原因の一部はこっちですしね~。
 鍛えるに足る素養があるのと、こっち側に来る資格があると思ってたんで、取り敢えず目を付けときました。ところで、君はギーシュ君でいいのかな?」

 臓腑で満ち、倒壊しかけたこの場所にはそぐわない、あまりにも陽気な口調。
 だが、最後の一言はギーシュの琴線に触れるには、充分すぎるものだった。

「お前、まさか……ヴェルダンデが来ないのは!?」
「うーん……それはちょっと想像力豊かすぎますねえ。こちらとしては単にモグラ君に聞いてこっちに着ただけですし。
 黒い髪をした、パッと見、女の子っぽい少年を知りませんか? って感じで。
 けどまあ、すぐ来られない原因に関してはこっちにありますね。道を教えてくれたお礼に二、三言い聞かせておきましたから。
 でも駄目ですよギーシュ君、ちゃんとモグラ君にもかまってあげないと!
 黒い男の子を探しに来たって言ってましたけど、最近主人が自分よりもその男の子の事ばっかり見てるって拗ねてましたよ」

 嫉妬ってやつですかね~? と男は首を傾げているが、肝心なところはそこではない。
 ギーシュからしてみれば聞きたい事は山のようにある。
 自身の使い魔に何を伝えたのか? そして。

「お前は、ナオヤとどういう関係なんだ?」
「あれ? 本人から聞いてないんですか?
 おっかしいですね~? あれだけ散々無茶させたんだから、多少の愚痴は言ってもいいような。それに一応、生き残り方ぐらいは教えてあげたんだし」
「まさか、お前がナオヤの師なのか?」

 その発言は予想外のものだったのか、男は微かに首を傾げる。

「どうでしょう? 一応、銃器の扱い位は教えましたけど、体技とかそういう肝心のところは既に身につけてましたし、どっちかっていうと教師? いや違うな。そこまで大したものでも……って、そろそろ着たみたいですよ、モグラ君」
 盛り上がる地面。男の言葉通り現れた使い魔に、ギーシュは急いで駆け付けた。

「ヴェルダンデ! 大丈夫だったかい!?」

 鼻をひくつかせながら摺り寄る使い魔を抱き止めるも、ふとした違和感に気付く。穴の底。普通に掘ったのではあり得ない巨大なスペースと、その奥にある大量の瓶に。

「これは?」
「だから言い聞かせておいたっていったでしょう。人の話はちゃんと聞かないといけませんよ。お城にあった治療用の秘薬全部と、人が数人手当てできるスペースです。
 まあ、念のための保険だったのですが、ここまで役に立つとは思いませんでした。これならそこの少年だけじゃなく、君たち四人、全員しっかり治せます!」
「四人?」

 数え間違いではないのかと、首を捻る一同に、男は世話がかかるとばかりに指をさす。

「そこでぶっ倒れてる金髪青年。確か、ウェールズで当ってましたっけ? とりあえず死にかけですけど、生きてますよ。かろうじて」
「なっ……!?」
「ま。別に助けても何の得にもならなさそうですし、ほっといても良いんじゃないですか? ほら、資源は無限じゃないんだし、秘薬だって売ればそれなりのお金になりますし」
「待ちたまえ! お前は貴族派の人間ではないのか!?」
「一応、立場的には従ってますけど、だからと言って完全服従ではありませんよ? あっち側についてるのは、単に頼まれて嫌々参加してるだけですから」

 理解不能。男の言葉はギーシュ達からしてみば、完全に支離滅裂といっても良い。第一。

「……一体、何が、」
「望みなのか、ですか? そうですねー。こっちも慈善事業でやってる訳ではないですし、一応その辺も伝えておきましょう。
 まあ細かいことは言っても無駄ですし? 理解できなければ信じてもくれないでしょうから省きますけど、要はそこの少年にやって欲しい事があるのです。死んで欲しくないのもそういう理由ですね。
 あ。ウェールズに関してはサービスです。そこの沈没戦艦そのまんまの名前の男はホントにどうでも良いんですけど、『任務失敗で何もできませんでした』は正直きついでしょうから、取り敢えず引っ張って帰ったほうが、」
「そんな手に乗ると思うのかい? お前は貴族派の人間だろう。態々戦争の口実になる人間を連れ帰ると?」
「う~ん……。疑り深いですねえ、まあそれは悪い事ではありません。むしろその慎重さは大切です。特にこちらの様な得体のしれない人間には。
 けど判って言ってるでしょう? 口実なんて作ればいいものなんです。どの道連中はあれよこれよと吹っ掛けて既成事実作ってそれでお仕舞い。
 手紙が渡ってしまった時点で同盟の破棄は確実なんだから、後は叩き潰すだけです。最初からトリステインの侵攻は視野に入れてましたしね、あいつら」

 男の言うことは確かに正しい。
 この投げかけはギーシュ自身が単に男を否定したいだけでしかない。或いはそれさえ分かっているのか。一瞬の隙さえない男に、何所か付け入る隙を探しているという事も。
 あまりにも長い会話ではあるが、それでも役には立った。少なくとも、少年とウェールズは既に穴倉に入れる事が出来たのだ。安全な場所で治療できるメリットは大きいし、穴自体はギーシュの使い魔が掘ったものだ。罠が仕掛けられる筈もない。
 一番怪しいのは秘薬が本物かどうかだが、それも『ディテクト・マジック』をかければ本物かどうかは一目瞭然。
 何より、ここまで手の込んだ事をせずとも、こちらを殺す事など造作もないだろう。
 その右手にはしっかりと拳銃が握られている。この距離ならこちらが杖を抜くより先に男の銃が臓腑を貫く。それだけの実力を持っている事など、初見での威圧感を感じ取れば嫌でもわかる。
 手の内にかいた汗を悟られまいと、ギーシュは静かに男を睨みつけた。
 僅かな静寂。ねっとりとした肌に張り付く空気から、先程まで繰り広げられた殺戮の舞踏を覚悟しかけ―――

「あー! もう、何なんですかホントに!? 何黙ってんですかアンタは!
 聞きたい事とかかないんですか! 無いなら、もういいじゃん。さっさと少年の面倒見て上げなさいよ! つーか帰れ。今すぐ帰れ、すぐ帰れ!!
 折角こっちが六割親切と三割打算と一割気まぐれで助けてあげたっていうのに、何ですかその眼!!
 いい加減にしないとこっちも本気で怒りますよ!!」

 ―――唐突に、先程までの空気を全力で吹っ飛ばした。というかぶち壊した。

「は?」

 訳が分らない。この男は何者なのかとか。そもそもどういった意図をもっているのかとか、肩から下げた剣と銃が合体したような得体のしれない武器は何なのかとか、そういった疑問を全て目の前の男は吹っ飛ばした。
 というか、見た目二十代前半の男の駄々っ子がここまで醜いものだったとは。

「あ~、もういいや。帰る、なんか疲れたから帰る。
 そっちはそっちで好きにして下さい。一応、あの幼竜でその人数はきついでしょうから、子爵のグリフォンも置いておきました。一応あれは使い魔じゃなくて国のモンだそうですので、今の君の言う事なら聞いてくれるでしょうよ。魔力は馬鹿みたいに高いですし」

 じゃ、そういう事で、と。男は踵を返そうとしたが、正直そんな事で誤魔化されるほどギーシュも馬鹿ではない。

「待ってくれ、それはナオヤの剣だ。なんでお前が持っていくんだい?」
「は? なに言ってんですかアンタは。慈善事業じゃないって言ったでしょう。耳おかしいの?
 こっちは色々と御膳立てして秘密バラして帰る準備までしてあげたんですよ? 無償でハイさようなら、って言うとでも?」
「うっ……」

 会話が聞こえていたのだろう。確かに、と穴の中で納得するタバサとキュルケではあるが、ギーシュからしてみれば少年があの剣に思い入れがあるのを知っている手前、どうぞお持ち帰り下さいとは言いづらい。

「ほ、他に何か変わるものでは……」
「ダメ。つーか無理。この剣以上に目ぼしい物なんかないし。
 それともアレですか? アンタが身体で払ってくれるとでも? そこんトコどうよ、ギーシュちゃん」
「お、お前は……男色家だったのかい!? まさか、ナオヤとはそういう関係じゃ!?」
「ちょっと待ちなさい!? 今の話、詳しく聞かせてもらうわよ!!」
「手当てが先」

 色めき立つキュルケプラス一歩引くギーシュ。ここが激戦地だという前提をブチ壊すことができるのは目の前の男だけではないらしい。

「なに下らないボケかましてんですか、アンタは。そんなカッコした程度で―――って成程。そういう事ですか。
 ……女性に関してはオールラウンダーですが、そっちのケは流石にありません。
 けどその腕輪、もう少し仕組みを変えたほうが良いですよ。見せるだけじゃなくて中身も変えてるみたいですけど、見る人が見れば気付きます。
 ま。よっぽど細かく観察しないといけませんし、『ブレイド』を除いた『ドット』程度の攻撃を抵抗レジストする効果のほうが強いですから、魔法かけても皆そっちに意識が行くでしょうね。
 もう一つなんか付加すれば完璧です。安い奴なら使い捨ての治癒系が、って、アバタ―――!?」

 投げつける瓦礫。吹っ飛ぶ男。実に見事な顔面へのストライクコースだった。

「何を訳の分らない事を……って、しまった」

 男は勢いよく転がったかのように見えて窓際に奇麗に着地。そのまま割れた窓からの外へと鼻歌なんぞ歌いながら悠々と逃げていった……かのように見えて勢いよく戻ってきた。

「あ。言い忘れてましたけど、こちらが来た事は決して少年に話してはいけませんよ!
 話したいならいいですけど、いま少年に話しても戸惑うだけですから! じゃ、この剣は預かっておきますねー!」
「待て、剣は置いて、」

 言ったところでもう遅い。男は既に忽然とその姿を消していた。


     ◇


「クソ……」

 思わず悪態をつく。結局、重要なことは何も聞き出せはしなかった。
 今思えば、何もかもがあの男の掌の上だった気がしてならない。奇天烈な行動。掴み所のない口調、何もかもが道化めいていながらも、その真意は何一つとして分らない。
 そもそも辺りが静かすぎる。ここに来るまでにそれなりの数の兵に出会ったというのに、今では気配の一つも感じない。
 だが、それよりも。

「預かっておく。ということは、また故意に現れるという事かな?」
「さあね? そんな事より早く来なさい。あなたも怪我してるんだから」

 判ったよ、と軽く答え、片足を引き摺りつつギーシュは使い魔の堀った穴へと向かう。
 あの少年が、無事であることを祈って。


     ×××


あとがき

 皆様長らくお待たせしました。
 待っていただいた時間に対して文章が短く感じる方もいらっしゃるかと思いますが、仕事上の都合と携帯でも見られるよう調節した結果ですのでご了承ください。
 
 ただ、正直に申し上げますと読者様がおっしゃられるように文章を調節した場合、どうしても表現等に制限がかかってしまうため、作者的にもかなりきつく、どうしたものかと悩んでいます。

 文字数がはっきりと何文字までが大丈夫なのか分かればまだやり様があるのですが……。

 なので、できればVOL2が終わるまでに文字数の限界値を教えていただければ幸いです。

 さすがにこれ以上は作者もきついため、もしVOL2が終わるまでに文字数の報告がなかった場合、以前のように区切りのいいところで終る形に戻ろうと思います。
 読者様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどをお願いいたします。

 さて、話は変わりまして今回からようやく謎の自衛官・空気ブレイカーこと灰色コートの謎の男、本格参入でございます。
 正直このキャラは主人公の口頭で語られるか、もしくは過去編オンリーのみの登場という、最後まで真意を気付かせないキャラにしようとも思っていたのですが、裏の事情もありまして、本格的な参入と相成りました。

 ちなみにこれ以上(名前のある)オリキャラは極力出さない方針で行こうと思います。
 まああと一人は出ますし、過去編や外伝(現在執筆中。出るのはかなり後になります)ではゼロ魔と関係のないキャラが多数動きますが。

 あ。あと今回の主人公に関して突っ込まれそうなので予め書いておきます。
 主人公の体にボルトやら鉄骨やらが入っているというのは過去にそういった手術を行ったというわけであって、現在も体に入っているというわけではありません
(というか一部の例外を除き、ほとんどの個所では入っていたら関節が固定されて動けません。プロのアスリートとかはボルトが入った状態でトレーニングとかしてますが、あれは例外です。なにより作者自身動けないのは経験してますし)
 
 最後に。
 これは報告なのですがVOL2が終わり次第、作品全体に修正を行いたいと思います。
 理由に関してですが、更新ごとに長く間があいており、主人公の設定や発言等に矛盾が生じている(もしくは必要のない設定や新たに必要な設定がある)ためや、前回の更新で石さまからご指摘のあった文章の人称複合で分かりにくい個所を修正するためです。

 ですので、これからは修正による更新が多くなってくると思いますが、読者の皆様にもう一度読んで貰うというのも心苦しいため、前書きの欄に修正した話数と修正点を逐一記入していこうと思います。


追記:tecさま
   主人公の速さに関してですが、これは作者のさじ加減で速くも遅くもなるので何とも言えませんし、単純にこのキャラより速くてこのキャラより遅いと言っても読者の皆さまは納得はできないと思います。
   ただ、もし速さ勝負を見ることがご希望の場合、皆様からのリクエスト次第でお受けいたします。
   主人公がバイオレンスなのは……まあ許してやってください。多分これからもっとひどくなりそうなので。(描写的な意味で)

 それでは皆様、次回の更新でお会いすることを楽しみにしております。失礼いたしました。


以下。アンケート。

 上記でtecさまにお伝えしました通り、読者の皆様の要望次第では速さ勝負を実戦での対決という形で行いたいと思います。

 対戦相手は『るろうに剣心』から瀬田宗次郎です。
(このキャラにした理由はリクエストの中にあったのも理由の一つですが、作者が詳しく知っている縮地使いのキャラがあんまりいないからです。)

 もし皆様がご覧になられたい場合は、感想のほうにご記入をお願いいたします。
 また、見たくない、意味がないといった票が多い場合は、対戦を無効という形にし、読者の皆様のご想像にお任せする形にしたいと思います。



[5086] VOL2 011 Epilogue
Name: c.m.◆71846620 ID:2cdef1a1
Date: 2010/06/04 23:08
     ◆


 男は朦朧としていた。視界は霞み、全身から微かな寒気と共に襲い来る脱力感に、何度思わず目を閉じようとしたことか。
 しかし、それはできない。自分はまだ役目を果たしてはいない。
 流された血。己を信じて付いて来てくれた臣下に、まだ自分は何も報いてはいないのだから。

〝まだだ……まだ、自分は〟

 終われないのだと、そう何度目かの自身を律する言葉を呟いたとき、体が軽くなるのを感じた。傷が癒されていく。誰かが治癒をかけてくれているのだろう。
 少なくとも、ここで何もできないまま自分が死ぬことはない。そう安堵したとき、ウェールズ・テューダーの意識は、深い闇に落ちていった。


     ◆


 夕闇よりなお鮮烈な紅が、白の国の大地を染める。
 響く爆音は貴族派の戦艦のものだろう。おそらくは最後の一兵さえ残すことなく殺す腹づもりであったようだ。
 始祖の残した三本の王権、その一つを潰えさせるために。

「ナオヤは、助かりそうかい……?」

 答えは返らない。少なくとも、この場に余力を残したものは、いないのだから。



 あのあと、ギーシュ達はヴェルダンデの掘った穴を通り、アルビオンの真下にある位置に辿り着いた。
 そう、文字通りの真下だ。あの場にタバサの使い魔であるシルフィードと、男が言っていたグリフォンがいなければ彼女たちは地上に落ちていただろう。
 乗る場所がないためにヴェルダンデはシルフィードの口に咥えられる事になったが、文句を言う事は出来ない。
 結果。グリフォンにはギーシュとキュルケが乗り、怪我人を安静にするため、ウェールズと直也、そして、二人を癒すためにタバサがシルフィードに乗る事になった。
 とはいえ、ウェールズに関しては既にほぼ完治しており、問題はこの中でも特に重症である北澤直也だけだ。
 治療の邪魔という理由で既に用をなさない衣類を破り、本格的な治療を行うも、その傷はあまりにも惨たらしかった。
 骨を、神経を、血管を、内臓を。有り余る秘薬の甲斐あってか、目の前の傷は徐々に治っていくものの、それでもまだ完璧とは言い難い。
 何より、秘薬がいかに多かろうとも、水系統の魔法を扱えるのはタバサのみ。秘薬が尽きる前に魔力が底を尽いてしまいそうだった。

〝駄目……今わたしが倒れたら、死んでしまう〟

 止血や血管の接合、臓器の修復こそ済んでいるものの、肝心の血の量がまだ足りていないし、骨の接合も完全ではない。
 もしこの状態で放置し、無暗に動かせばいとも簡単に壊れてしまう。そうなれば全ては台無しだ。せっかく塞ぎきった箇所がまた破れてしまう。取り留めた筈の一命を容易く無かった事にしてしまう。
 タバサとしても、それは何としても避けたかった。
 せめて、あと一人でも、とは言わない。
 ないモノに縋りつく事はもうできない。タバサは少年に助けられた。今度はタバサ自身が、少年を助ける番なのだから。
 魔力の限界。たとえそれが来ようとも、呪文を唱えるのを止めはしない。
 あと少し、あと少しだと、そう何度も自分に言い聞かせながら、彼女は杖を振り続ける。
 そこに、他人が入り込む余地などありはしない。意識は朦朧となり、力が抜け、呪文を唱えられなくなったとしても、タバサは杖を離さなかった。
 そして、ここまでかと皆が顔を伏せた時、タバサの頬に手が触れた。
 手は冷たい筈なのに、どうしようもなく、温かかい。
 その手の主は、決して目を覚ましてはいない。ただ少年は、その頬に手を触れながら小さく呟く。

 ――――――ごめんなさい……守れなくて。

 聞こえるかどうかも分からない声。だがそれは、この場にいる全員にはっきりと届き、この場にいる誰もが、同じ様に思う。

 ―――それは、自分たちが言うべき言葉だと。

 悔しくて、悲しくて、何もできない自身に、この場にいた全員が俯く。
 そして、少年の手が落ちかけた時、その手を誰かが掴んでいた。
 その手は、つい先程まで倒れていたウェールズのものだった。彼は、ゆっくりと自身の燃え落ちる王国を眺め、祈るように謝るように眼を伏せながら、やがては少年へと向き直る。
 すまないと、こんな筈ではなかったのだと、少年へと頭を下げながら、白の国の皇太子は、治癒の呪文を唱え続ける。
 夕闇の中で、誰もがごめんなさいを繰り返す。
 役に立てぬ自身を、力のない自信を恥じながら、全てを背負わせてしまった少年に。

 そして少年もまた言葉を繰り返す。護り切れなかった、愛しい主人に。
 
 ごめんなさいを最後まで誰もが繰り返していた。

 決して意味の成さない、届く事のない―――ごめんなさいを。


     ◆


 少年たちと逸れた後、男は彼方へと飛び立つ竜を眺めながら、荒れた大地に佇んでいた。

〝一応皇太子も水は使えると聞き及んでいますし、魔力切れの心配は無いでしょう。これで少年も一安心です。少なくとも傷の心配はありませんね。
 左手のほうは、正直微妙だなぁ。まあ無くなってもあの少年の能力は化物じみてますし? それに言い付け通りこっちに武器も持て来てくれてましたから、左手がなくても問題ないでしょう〟

 微かに、表情を微塵も変えなかった男の貌が変わる。それは先程までの陽気な道化ではなく、寧ろ仮面めいた恐ろしさがあった。

「ねえデルフ。あの少年は何を為し、そしてどう生きてゆくのでしょうね?」

 剣は返さない。あるのは只、僅かな風の音だけに過ぎない筈でありながらも、男は満足げに頷いた。

「まったく……。あの子爵も余計な事をしてくれる。よりにもよって自分の婚約者に手をかけるとは。
 ホントに嫌なものですよ、こちらの知る物語には絶望しかないなんて。
 少年、君の紡ぐ物語はプロローグを悲劇で閉じた。願わくば、君の物語が幸福な終わり方であることを祈っています」

 そう。物語はこれより始まる。
 先に続くのは、日の光の射さぬ深き道。幸福とは言い難い苦痛と葛藤が苛む道。
 だが、それはあくまでもは始まり。朝なき夜は来ないように、空に星が見えるように物語の中で彼らはただ歩んでいく。

 黒き少年は過去を苛み、
 蒼き少女は復讐を誓い、
 花咲ける貴族は己を見つめ、
 灰色の男は自らを燃やし、
 裏切りの男は終着を望む。

 ―――ページは開かれた。


     ×××


あとがき

 みなさんどうも遅くなりました。c.m.です。

 今回はエピローグという事で短かったですが、どうでしょう?

 前回もお伝えしましたが、これからは全体を通しての修正作業が多くなると思います。
 ただでさえ遅筆なのに、さらに遅くなってしまう事を、この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。


 あ。あと、前回報告した速さ対決ですが……、
 すみません。どうやら悪ノリが過ぎたようです。ここ最近忙しかった故の暴走です。
 ああいうのはもう止めようと思います(そもそも対決なんか不毛ですし)

 それと、これからのこの作品のシナリオに関してなんですが、正直、すごい悩んでます。

 それというのも、この作品は原作15巻を読み終えた時点でプロットを構成し、投稿したものなので、それ以後の設定はほとんど触れないままに進めていたのですが、ワルドの過去やロマリアなどの事情が最新刊で徐々に明らかになっているため、今後の展開をどうするべきか考えています。

 最新刊までの設定を組み込むか、それとも15巻までの設定で当初の予定通り終わらせるか。
 この辺りがかなりの分岐点になりそうです。

 もしよろしければ、どちらが良いかを答えて頂ければ幸いです。


 それでは、今日はこのあたりで、失礼します。



[5086] VOL3 001 Prologue
Name: c.m.◆71846620 ID:2cdef1a1
Date: 2010/04/19 00:23
 身を裂くような冷たい夜気を肌に感じながら、ボクはただ手綱を強く握りしめる。
 もっと速く、もっと迅く。それで何か変わる筈も無いのに、ボクは黙ったままずっとそうしている。
 もう何時間たっただろう? ここに来るまでに、どれほどの時間が流れたのだろう? 判らない。だけど今はっきり言えるのは、今の自分にはもう我慢がきかないという事だ。
 漆黒の常闇を突き進んだ先に見えるのは、トリステイン魔法学院。目の前に聳える五芒星を描くように建てられた塔を前に、手の内側に掻いた汗を感じ取る。

「ねえギーシュ少し落ち着い────きゃあ!?」

 自身の後ろに乗ったキュルケの発言を意に介さず、急降下を開始する。
 明かり一つさえ夜闇の中で一つしかない明りの発光源を見つけるのは容易かった。
 後ろで呆れ混じりに怒鳴り立てるキュルケを無視し、ノックもせずに発光源の部屋へと飛び込む。
 ここが何処で誰が居るのかは自分も知っている。学院内での変わり者。日夜可笑しな実験ばかり繰り返している変人と言われているが、今はその実験をしてくれている事に心から感謝したい。

「ど、どうしたんだい!? ミスタ・グラモン!?」

 良かった。少なくとも彼はこちらが誰かを判ってくれたようだ。ミスタ・コルベールが手にした杖を下ろすと同時、これまでの経緯や事情などお構いなしにただ叫ぶ。
 上手く伝えられるかは判らない。ぐちゃぐちゃな思考。整理の追い付かぬ感情の中で、自分が求めているもの。ただ一つだけ望む事を。

「────彼を、ナオヤを助けてください! お願いです、助けて下さい!」

 その言葉にミスタ・コルベールは事情を聴く間もなく着いて来てくれた。
 既に学院に降り立ったタバサのシルフィードに身を預けるナオヤを見ると、ミスタ・コルベールはフライをかけて医務室へと運んで行き、ボクを含めた四人もその後へと続く。着いた先の医務室は、当然の事ではあるが静かだった。
 元よりここに出入りする人間なぞ、担当の教師か掃除を任されたメイドぐらいのものだろう。普段授業を受ける貴族にここを使う理由も必要性もない。
 尤も、ナオヤと出会ってからのボクは生傷が絶えなかった為、呆れられながらも通っていたのだが。

「君達は良いのかい? 随分と酷い格好だが」

 確かにミスタ・コルベールの言う通り、今の自分達はあまりいい格好ではない。衣類は破れて穴まみれになり、止血をする為に破ったマントはもう三分の一も残っていない。だけど傷に関してはもう塞がっているのだから、その点を鑑みれば何の心配も無い。

「ボクたちは問題ありません。早く彼を」
「判った。今治療の行える教師を連れてくる。私が見てやりたいのだが、系統の問題があるのでね。
 それで、そちらの方は?」
「申し遅れた。アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ。このような形でお会いするのは、申し訳ないのだが」
「こ、皇太子殿下!? 大変ご無礼を致しました!」
「いや、良いんだ。それより彼に早急に手当てをお願いしたい。ここで死なせるにはあまりに惜しい」

 その言葉に一二も無く駆けだしたミスタ・コルベールを見送り、ベットに寝かされた少年を見る。
 言いたい事。話したい事は山のようにある。これからの事。ルイズが死んでしまったから、ヴァリエール家に関する問題も出てくるだろう。もしかしたら、君を差し出すよう言うかもしれない。
 けど、そんな事はさせない。ボクは君に護られてばかりだったけど、ボクだって君を護るから。だから。

「お待たせしました!」

 慌しい声に思考を中断する。医務室の入り口から聞こえた、ミスタ・コルベールの声。連れてきた水系統のメイジは誰なのか、それを見ようとしたところで。

「学院長……?」

 そう呟いたキュルケの声に、思わず耳を疑った。
 だが、そこに立つのは間違いなくトリステイン魔法学院、学院長、オールド・オスマン。齢三百を超えるといわれ、その実態を誰も知ることの無いメイジが、水系統のメイジである教師を差し置いてそこに居た事。
 その事に対する疑念も、皇太子殿下が学院に来訪している事実を考えれば納得がいく。
 だが、自身の中での納得も微かに学院長が零した一言ですげ変わった。
 誰にも聞こえないであろうと言うほどの声量。それでも、ここに居る誰もがその耳に届いたのだ。
 済まないという、この場の誰もが少年に口にした言葉だからこそ、ボク達はその言葉を聞き逃さなかった。
 そして。その言葉が語る意味さえも理解してしまった。
 学院長は、オールド・オスマンは全てを知っていた。自分達が何処に行っていたのかも、何をしていたのかも。
 そもそも考えれば判る事だ。これだけの日数の学院を抜けて何の音沙汰も無い方がおかしい。おそらくは姫殿下とも最初から繋がっていたのだろう。
 そうでなければここまで物分かりがいい筈がない。だって。

「聞かないのですね。何故ナオヤがこうなっていて、ルイズがいないのか。何故ここに子爵がいないのか」
「君の考えておる事で大体は間違っておらんよ、ミスタ・グラモン。姫には最初からこの件に関して任されておったし、その姫自身も預かり知らぬところじゃが枢機卿もこの件には噛んでおった。
 子爵は……彼女と共に?」

 ああ……それならばルイズも報われただろうさ。そんな歌劇めいた展開だったら、どれ程の涙が流された事だろう。

「いえ。子爵は、奴は裏切り者でした。貴族派であるレコン・キスタの一員だったのです。
 ルイズも、あの男の手に……」

 握りしめた拳に爪が食い込み、血が滲む。あまりにも歯痒い自分の無力さを噛みしめる。
 こちらの言葉に学院長は短く、そうか、と呟くとタバサが持っていた残った秘薬を用い、軽く二言三言の詠唱を唱えるだけで、学院長は全てを終わらせた。
 あのちびっ子が汗を流しながら必死になってふさいだ傷を、学院長はたったひと振りした杖と、僅かな秘薬で解決してしまった。
 行き場の無い怒りが、友の恩人である筈の人物に込み上げる。
 掴みかかりたかった。どうして!? と大声で文句を言いたかった。
 それだけの力があったなら、全てを知っていたのなら、貴方が行けば良かったのではないか!? と。
 それが八つ当たりでしか無い事なんて判っている。ルイズも自分も志願して行っただけ。ここで学院長を責めるのは間違っている。
 だから、それは出来ない。それが出来るのは、巻き込まれてしまったナオヤだけ。
 結局、ボクも同罪だ。自分に過信し、誰かに頼り、どうにでもなると高を括って……

 ……友に、血を流させてしまったのだから。

 結局、こちらが何も言えないまま学院長は踵を返した。それに付き従うようにミスタ・コルベールもここを離れ、次いで皇太子殿下やキュルケ、タバサも着いていく。
 おそらくはこれまでの経緯の報告と、今後の皇太子殿下の処遇に関してだろう。キュルケがこちらを呼びとめるが、ボクはそれに頭を振った。

「すまないが……もう少しだけ、ここに居させてくれないかな? 学院長室には後で伺うよ」

 こちらの言葉にキュルケはしばし足を止め、ボクとナオヤを交互に見つめる。

「ご自由に。けど、余り時間は無いわよ」
「ああ……判っているよ」


     ◇


 軽い足取りで立ち去ったキュルケを確認し、気配が無い事を確認するとボクはドアを閉めてナオヤを見る。
 かつての誓い。もう二度と人前で戻らぬと、外さぬと決めた自身の腕輪を見やる。
 君になら……預けても良いだろうか?
 ボクの意志を。このココロを。かつて誓った、あの始まりを。
 君になら見せても良いと。そんな事が不意に浮かぶ。
 伸ばしかけた片手が腕輪に届いた所で、その感情も止まった。
 駄目だ。そんな事をしてはいけない。それは彼に甘えるだけ。他力本願な今回の密命と何ら変わりはしない。
 気持ちを改め、腕輪から目を遠ざける。もしこれを外してしまえばきっと自分は駄目になる。押し留めている気持ちを、抑えきれなくなってしまう。
 だから、今はまだ見せないようにしよう。
 ボクがワタシになるのは、この感情の整理が着いてからだ。
 学院長の魔法でかなり安定したのだろう。普段より規則正しい呼吸で眠るナオヤの横に片膝をついて屈み、そっと彼の手を握る。

「誓うよ。これからはボクが君を護る。君がボクらを護ってくれたように、君が解決できないような事からはボクが全て護って見せる」

 きっと君はは断るだろうし、迷惑がるかもしれないけど、君に解決できない事はこれから山のように出てくる筈だ。だから。

「文句なんて聞いてやらないからな。君みたいな騎士崩れの面倒を見るぐらいの余裕ならあるんだ。学院には居て貰うよ、その左手にはまだガンダールヴの印が残っているんだから」

 未だに残る左手の印は、いつまで持つのかは判らない。もしかしたら明日かもしれないし、何年も残り続けるのかもしれない。
 この左手を見るたび、彼は悔恨の念と自身の無力さに苛まれるのだろう。けど判って欲しい。自分もまた同じように悔恨と無力さが渦巻いている。
 君が一人で背負う必要なんて、何処にも無いという事を。
 だからね、ナオヤ。

「君の横に立って見せる。必ずだ」

 いつかは判らないけれど、それは遠い道のりかもしれないけど。
 それでも────

「ボクは、いつかその場所にたどり着く。君が先に行こうとも、追いついて見せる」

 ────必ず、その場所へ。

「待ってくれとは言わない。ボクの前から離れたいと言うのなら、それでも良い。君の思うよう進んでくれ」

 ────君が何処に居ようとも、今ここで立てた誓いに永遠を約束したのだから。

 そうして、握りしめた手を離す。ほんの少し、後ろ髪を引かれるような気持ちで。
 名残惜しさを感じながら、明りを消して部屋を出る。
 その道のりは遥か遠く、それでも決して諦めない。
 百度膝をついても百度立ち上がり、千度倒れても千度起き上がろう。

 ────彼の居る場所に立つまでは。このココロに立てた誓いを果たすまでは。


     ×××


あとがき

 チラシの裏でお会いしていない方はお久しぶりです。c.m.です。
 最近はスランプと言う事で心機一転チラシの裏でバカをやりまくってしまいました。基本チラシの裏で私の作品が更新されるのはこっちが上手く進んでいない時だと考えて下さい。
(自身の中で新ジャンルを開拓するためと言うのもありますが……主にギャグ方面で)

 最近仕事が忙しい中ので引っ越しの作業と言うダブルパンチでしたが、ようやく第三章までこぎつけました。
 前回はエピローグで短く、今回もプロローグで短かったですが、初めて主人公以外の視点で話を進めたため、今回は結構自分の中で冒険でした。ひょっとしたら口調等でミスがあるかもしれません。

 しかし何よりも問題なのが、まだ本編の修正作業が終わっていないと言う事です。
 いい加減修正ばっかりでは皆様に退屈させてしまうと思い更新したのですが、もしかしたらこの回も細かいところでは修正するかもしれません。

 なお、上記でお伝えしました通り仕事が忙しいのとスランプとで次回の更新は未定ですが、出来るだけ早く更新したいと思います。


追記1:ガムさま。
   確かに私の対応に関しましては、おっしゃる通りだと思います。私自身、読者様の声に甘えていた点がありましたので、これからはより気を引き締めて行こうと思います。
   今までも批判的な文章も作者自身の中で受け止め、可能な限り修正していこうとやっていたのですが、やはり全体的な改善には甘かったようです。


追記2:34さま。
    多くの誤字報告ありがとうございます!
    まだ直し切れていませんが、出来るだけ早く修正していこうと思います。
    ルーデル閣下のは……すみません。あれは完全に作者の趣味です。まあ主人公自身に対する皮肉も込めていますが。
    あとワルドに関してですが、これは原作を読んでヘタレすぎると思い魔改造しまくった結果ああいう風になってしまいました。

    (この話書いた時点では18巻はまだ発売していなかったので、どうせなら作者なりの悪の華にしてしまえと思った結果、村一つ飲み込める雷を打つというネギまキャラもかくやと言う化物になってしまいました。尤も、後半はさらにパワーアップしますが)

    原作ワルドならギーシュ戦でくたばっています。覚醒したとはいえド素人の才人にやられるぐらいですから。
    主人公が上手くいかないのは……正直、このキャラ特有の欠点にしてある種の呪いです。なんというか、一定の条件がそろわないと解呪出来ないみたいな。
    いわゆる宿命と言うやつです。まあ作者である私が基本Sと言うのもありますが。


追記3:華羅巣さま
    ありがとうございます。正直前回のエピローグは難産だったので、嬉しい限りです。
    けど、前回のエピローグで主人公やタバサに関しては黒や蒼といったイメージカラーで表現できたのに、ギーシュだけ『花咲ける貴族』とかいう訳のわからない表現になってしまいました。判りにくくてすみません。

    他の読者様にもお尋ねしたいのですが、ギーシュを表現するのに良いネーミングは何かありますでしょうか? よろしければ教えていただければ幸いです。


追記4:ポスペチさま
    そうなんですよね……そしてだからこそ悩んでいるという。
    いっそのこと原作設定無視してしまおうかと思いつつも、それをするのに留まってしまうと言う自身の優柔不断さが恨めしいです。
    ともあれご意見、ありがとうございました。



 最後に。
 今回の話を書いて思ったのですが、ギーシュの方が主人公らしいと思うのは作者だけでしょうか?
(まあうちの主人公は裏話的な事情を考えた場合、主人公らしくないのは当然なのですが)

 それではまた次回か、チラシの裏でお会いしましょう。失礼致します。



[5086] 002※加筆修正済(7/29)
Name: c.m.◆71846620 ID:5bbb498d
Date: 2010/07/29 00:32
     Side-Guiche


 靴音が響く。大理石製の廊下を歩きながら、いつも通りの場所へと急ぐ。
 慌てはせず、だが決して遅くはない、いつもの速度。授業の合間、ボクは必ずそこに行く。
 待たせたね―――ナオヤ。


     ◇


 あれから一夜が明けた。この一件に関しては口外する訳にもいかなかったが、何時もと違う空気に皆が戸惑っていた。
 静かすぎる教室。つつがなく進行する授業。何事も無い一日はここに居る皆が望んでいた事だと言うのに、〝彼女〟を知る皆がこの状況に物足りなさを感じていた。
 何時も皆から煙たがれていた彼女。ある生徒は退学にすべきだと叫び、ある生徒は〝ゼロ〟蔑んだ彼女。
 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 誉れ高き公爵家の人間でありながら魔法の成功率はゼロ。
 故に彼女はゼロのルイズと呼ばれ、同じ学年のみならず学院全体にその名を知らせた人物。
 その彼女は、もうここにはいない。
 今回の件での学院の彼女の対応は、婚約による帰郷という事で表沙汰にはならなかったものの、感の良い者であれば誰であれ違和感に気付くだろう。
 モンモランシーなどはその筆頭であり、ボクとルイズたちがこの学院を同時期に長期間休んでいた事に対してこちらに詰問した。
 キュルケ達は上手くはぐらかしたが、こちらはそうもいかない。彼女とは幼少期からの付き合いだし、こちらの秘密も握っている。
 キュルケ同様にこちらもその場を凌いだものの、彼女の中で今回の結論は既に出ている筈だ。
 今のところ音沙汰はないものの、時間の問題といったところだろう。
 そしてもう一つの問題はウェールズ皇太子の件だ。
 王宮に連れていくという案はあったものの、それは早い段階で却下された。
 理由はいくつかあるが、大まかに分ければ二つ。
 一つは皇太子殿下を王宮に連れて行ったとしても、交渉の道具として使われる可能性がある事。今やアルビオンなどという国は存在しない。
 アルビオンと言う名前こそそのままに、新国家となったレコン・キスタはこの国への宣戦布告とともに公表される。
 その事はあの一件の当事者たちにとって想像に難くない事だ。
 二つ目はあの子爵以外に内通者がいないと言い切れる確証が無いという事。
 何せ魔法衛士隊の一角であるグリフォン隊の隊長が内通者だったのだ。今頃内部では粛清とまではいかないものの、洗い出しの作業で大忙しといったところだろう。
 結局、皇太子に関しては姫殿下も含め、王宮の中でも今回の件に関わった一部の人間とヴァリエール家の者のみが知る事となった。
 皇太子殿下は現在、この学院の教職員専用の寮の一室で過ごして貰っている。
 尤も、そんな事はどうでもよかった。いや、皇太子の件に関して言えばどうでもよくはないのだが、それよりもまずは目の前の人物に関する処遇についてだ。
 ルイズの使い魔であり、ボク自身の師であり、友であり、学院の平民にとっては英雄であり、貴族にとっては一言では言い切れない存在。
 本来であれば、ヴァリエール家の人間ないし王宮は彼を回収してもおかしくはない。
 ヴァリエール家の人間は王宮に対して責任を求める証人が必要だし、万が一王宮に対して芳しくない返答が返ってきた場合はこの使い魔を殺す事である程度は落ち着くだろう。
 ……尤も。これはボク自身の仮説であって本当にそのような手に出るかは判らないが。
 少なくとも王宮は今回の責任を使い魔に押し付けてしまうのが容易い。
 こちらの参加が自由意志だったとはいえ、平民の使い魔という存在は王宮にとって格好の弾除けだ。
 この国の貴族の大多数は平民を使い捨ての消耗品としてしか考えていないし、主を守護出来なかったという一点を考えれば、それだけである程度の体裁は整えられる。
 ……時間は限られている。
 未だ目を覚まさぬ彼をこうして看ていられるのは、一重に彼を生かすよう進言した皇太子殿下の声を学院長が聞き届けたからだろうが、公爵家ならばある程度の力押しも出来るだろう。
 結局、自分は何もできていない。今はただ、こうして状況の変化を見据えつつ目を覚まさぬ彼に日々同じ看護を繰り返すのみ。
 包帯を変え、汗をふく。
 まるで高齢者を相手にするような行為。今朝はシエスタというメイドがやっていたが───というより、こちらが彼が負傷した事を伝え、助力を乞うたのだが───傍らで彼女の動作を覚え、今は競争のようにこの行為を行っている。
 それが無駄だと。意味のない行為だと言う事は判っている。彼の役に立ちたい、恩を返したいなどという手前勝手で独りよがりな自慰行為でしかない事は、ボク自身誰よりも理解している。
 血に濡れ、ボロ雑巾となった衣類を錬金で直したりするのもそういったものの延長だ。結局はそういう事。
 ボクは彼が居なければかつての志さえ無に帰し、怠惰に学院の中で過ごす愚物に過ぎず。
 ワタシは彼が居る事で、自身の中にあるモノを留め切れぬ盲目の愚者へと堕ちる。
 結局のところ答えは一つ。

 ……これは、依存という言葉によって完成される愚か者の終点なのだ。


     Side-out


 そして。彼女たちもまた、これから起こりうる結末に思案していた。
 もはや北澤直也の首が飛ぶのは時間の問題だということは此度の件に関わった者であれば容易に想像が出来、それを回避する方法も又限られているのだから。

「タバサ。ナオヤは?」
「まだ眠っている筈」

 先のキュルケの問いに、タバサは短く返す。ここでキュルケが以前のように彼を『ダーリン』と呼称しなくなった事には理由があるのだが、今はそれを問い質すような者はこの場に居ない。
 彼女達は階下へと登るべく歩を進める。これから想像しうる結末。その最悪の事態を回避するために。


     ◇


「学院長。先程、皇太子殿下から進言が」
「使い魔の少年の事じゃろう? 判っておるよ。どの道こうなる事は任務が失敗した時点で誰もが気付く事じゃ。
 特にこの国の人間であればな」

 窓枠から差し込む光を背に、咥えた水煙管を離しつつオスマン氏はため息交じりに答えた。

「ところでコルベール君。君、休暇はいらんかね? 何。四、五日程度じゃよ。
 そうじゃな。ミス・タバサやツェルプストー、それからミスタ・グラモンにも今回の件での傷を癒して貰わねばならん。彼女らには一週間ばかりの休みが必要じゃろうて。
 竜籠が必要なら手配するぞ?」
「……何故私まで?」

 当然と言えば当然の疑問。三人の学生ならばいざ知らず、コルベールまで休暇を出す必要はない筈である。

「旅に危険は付き物じゃ。王宮の馬鹿どもがこちらに気付いて動かんとも限らんし、追い払うには君が適任じゃろ? 多少手荒になっても構わんよ、君なら護衛に適任じゃし」
「しかし……私の授業は……? 第一、『疾風』の方が適任でしょう。
 今回の一件は彼も知っていますし、何せ授業の受けが良くありません。こういう時ぐらいは役に立って貰わないと」
「あれは今は使えんよ。ヴァリエールの娘が死んだと聞いて塞ぎ込んでしまってな。
 それに授業に関して言えば、君も似たようなもんじゃろう。どうせ訳の判らん発明品を生徒に見せびらかすだけじゃし。こういう時ぐらいは役に立って貰わんとな。
 何なら生徒に君の授業が面白いかどうか尋ねてみるかね?」
「う、ぐ……」

 言葉に詰まるコルベールを冷ややかな目でオスマン氏は見据える。今こうしている間にも刻一刻と時間は流れているのだ。
 要するにオスマン氏が何を言いたいかと言えば、

『バカな事ばかりしてないで少しは真面目に働けバカ教師』

 といった感じであるし、それは間違っていない。
 変わった物があれば休暇届けを出して一目散に飛んで行き、海で漂流しかけた事がある程なのだ。
 その挙句見つけたのが伝説の竜の血液とかいう、これまた訳の判らない代物であるから始末に負えない。尤も、『疾風』に関しても『風』以外の系統の生徒も面倒を見ろと言いたいため、似たようなモノなのだが。
 それでもまだ納得がいかないのか、難しい表情をしているコルベールに、オスマン氏はやれやれといった表情で口を開く。

「そういえば、以前伝説の竜がタルブの村で見つかったという情報が手に入ったと息巻いて居なかったかね?」

 ピクリ、とコルベールの微かに肩が揺れる。

「以前は休暇を却下したが、五日もあれば充分に見て来れるのではないかね?」

 ぴくぴくと口の端が動いている。

「わ、わたしは」
「仕方あるまい。それ程仕事が大事なら、向こう一年休暇はいらんな」
「行きます! 行かせてください!」

 フィッシュ。完璧に釣れた。

「おお、そうか。行ってくれるな」

 はい、休暇届け。と手渡した紙を手にとって意気揚々と立ち去ろうとするコルベールであったが、扉の前に立つと、一度だけ振り返った。

「わたしの留守中は、ここは安全でしょうか?」

 ただそれだけは聞いておかねばならないと言ったように尋ねる口調と、先程までとは明らかに違う相貌を前に、学院長は静かに口を開く。

「私が居る。『疾風』も健在。『炎蛇』の君が居らずとも、ここの生徒は皆安全じゃよ。
 まあ……居て欲しくはあるがのう」

 微かな含み笑いをどう受け取ったのか。早いうちには戻ると言う言葉と共に、コルベールは踵を返した。
 結局はそう。授業がどうというのではなく、コルベールという教師はここの生徒も同じように心配だったという、ただそれだけの話。


     Side-Guiche


 窓から差し込んだ心地よい陽光に充てられてしまったのだろう。いつの間にか無防備にも寝息を立ててしまったボクを起こしたのは、こちらへと近づくけたたましい足音と。

「ナオ……ヤ───?」

 今目の前で上体を起こした少年が、不思議そうな眼でこちらを見ていたから。
 どれ程待ち望んだか。どれ程この時を歓喜したか。
 今彼が目覚めたこの日この時へ祝福を送り、共に祝おうとそう考えていた筈なのに。
 なのに。

「そうか……生き延びてしまったのか…………」

 その言葉に、再び現実に引き戻された。
 ああ……そうか。ボクは何を浮かれていたのだろうか?
 確かに友は目を覚ました。その事実のみを見、語るならば確かに大団円で幕を閉じる。
 だが違う。これはいわばバッドエンドからのスタート。怨嗟と憎悪によって終着したプロローグが、ようやく第一章を迎えたという、ただそれだけの事ではなかったか?
 ならばどうするべきか? その答えはこれから先を見据えれば当然の如く思い浮かぶものであり、

「目を覚ましたの!? 良かったわ、今からでも逃げましょう!」
「撤退」

 そして。ここに突如踏み込んだキュルケとタバサもまた、ボクと同じ答えを告げた。
 だけど、同時に気付いてもいた。この少年が、どういう答えを返すのかも。

「俺は彼女を護れなかった。その罰を甘んじて受けこそすれ、逃げに徹するなぞという恥知らずな真似は出来ない」

 ああ、そう言うと思ったよ。
 故に取るべき方法は一つ。いかな説得も通じないのは、死人めいたナオヤ自身の表情からも読み取れるし、そも彼は責任を先送りにしたり放り出す様な男ではない。
 その責任感の強さは美徳と言えば確かに美徳だが、彼を護ると誓った身からすれば是が非でもここから連れ出さねばならない。

「一人にしてくれないか?」
「死ぬ気?」

 不意に口を開いたタバサの言葉に彼はただ沈黙する。それは肯定なのか、それとも逃げ出す事への逡巡か。いずれにせよこの場を離れる意思がない以上、それは自殺と大差はない。
 他国───主にゲルマニア───ではそうでもないが、ここトリステインでは貴族至上主義の意識が強い。ましてや公爵家ともなればその意識は他の貴族の比ではない。
 だからこそボクらはナオヤに進言する。元より貴族間の争いに巻き込まれた他国の人間を、これ以上付き合わせる必要なぞ何処にもない。
 そう幾つもの説得を試みるこちらを前にして尚、未だナオヤはベッドから動かない。
 いや、動けないのだ。普通に話をしているものの、未だ完全ではない。
 袈裟に斬られた斬痕は深く、たとえ他の傷がいえようともそれは残り、彼に幾度となく思い起こさせることだろう。
 未だ赤黒く包帯を染めるそれは無理に動かそうとした結果によるものか、それとも初めから閉じ切ってはいなかったのか。
 おそらくは前者だが、どの道ここを離れねば詰みなのだ。
 だからこそ。

「タバサ。少し頼みがあるのだが……」
「もうやってる」

 手早いな、と感心する横で事態を察知したのか、強引にでも医務室から脱出を図ろうと立ち上がろうとしたナオヤは、タバサの呪文によって次の瞬間には糸の切れた人形のように再びベッドへと崩れ落ちる。
 紡がれる呪文は『スリープ・クラウド』。幻獣さえも眠りに誘うそれは、ナオヤを再び眠り姫の如く深き場所へと送り届けた。

「やれやれ。こうなるなら、寝てくれていた方が良かったかな?」
「本気で言ってるの?」

 冗談交じりに呟く言葉を、しかしキュルケは怪訝そうな言葉で返した。
 勿論そんな事はない。彼の顔を見れた事は満足だし、これから無事に生きてくれるなら、これほど嬉しい事はない。
 キュルケの質問に肩を竦めるだけで返すと、部屋に入って来たコルベールに目を向ける。
 どうやら彼もナオヤを連れて逃げる腹積もりであった様で、タルブの村へと移る手筈を整えたらしい。

「さて。善は急げと言いますし、すぐに向かいましょう!」

 何処か意気揚々とするミスタ・コルベールを見つめつつ、ナオヤをシルフィードに乗せるため、部屋を離れようとしたのだが、

「ナオヤさーん! 包帯を変える時間ですよ~」

 語尾の跳ね上がるような口調と共に、シエスタというメイドがやって来た。
 短く切り揃えた髪に、そばかすの着いた顔。
 貴族のような高貴さはないものの、学院で奉公しているだけあってその貞淑さには何処か高飛車な女生徒よりも別な魅力を感じさせる。
 シエスタ自身、目の前の状況を理解できないでいた為か、少しばかり唖然としていたが、すぐにこちらへと問い質した。

「ど、どうしたのですか!? ナオヤさんはまだ動ける状態じゃないんです! お願いです。じっとさせていて下さい!」

 その口調は実に真摯で、この子がナオヤを大切に想っているのが判る。

「違うんだ。……実は、ナオヤの身が危なくてね。取り敢えずタルブの村に行く事になったんだが、」
「わたしの故郷に!? しょ、少々お待ち下さい!」

 こちらの事情を知る由も無い筈だが、彼女の故郷に赴くと聞いて脱兎の如く駆け出し、再び戻って来た。

「マルトーさんから休暇を頂きました! わたしもご一緒します!」
「な、何故かな?」
「村には宿屋はありますが、大きなところはありませんし、ナオヤさんにはうちのご両親に紹介しておきたかったので」

 その行動力に思わず息を呑む。彼女がナオヤにどういう感情を抱いているのかはこれまでの看護や先の行動で思い知っていたが、まさかこれ程とは……。

「良く許可が下りたね」
「ナオヤさんのお世話をするって言ったら、マルトーさんは了解してくれました」
「そ、そうかね……」

 自分でも知らず、こめかみがぴくぴくと動く。悪い子ではない筈なのだが、どうも彼女の事が好きになれない自分がいる。
 まあいい。彼女達がいれば、少なくともナオヤが危険な目に遭う事は無いだろうし、当分は安心できる。
 中庭に降り立ったシルフィードの背にナオヤを預け、タバサ達やミスタ・コルベールが乗り込んだのを確認して学院へと踵を返す。

「あなたは?」

 投げ掛けられるタバサの言葉。そう言えばフーケの時もこんな事があったな、と思いつつ、言葉を紡ぐ。

「ボクはいい。ナオヤを頼む」
「ミスタ・グラモン。君は……それで良いのか?」
「はい。ミスタ・コルベール。これがボクの務めですから」

 なにを言う事も無いまま、学院へと向かおうとするこちらを見続けたが、やがて意が変わらぬと見るや、タバサは無言でシルフィードを飛ばした。
 恐らくは今日中にも、彼女達は村へと着くだろう。学院から離れているとはいえ、風竜ならば日の高いうちには着く筈だ。

「行ったか……」

 これから先にある事に、恐怖はない。
 ボクはむしろ誇らしい気持ちで、これから来るであろう人物を待つ。
 ミス・ヴァリエール。『ゼロ』のルイズの両親、そのいずれかを。
 君は許さないだろう。こんな選択を。優しい君は、ボクが一身に罰を受けるなんていう事は認めようとはしないだろう。
 結局こんな形になってしまったけど。
 君にとっては、最後まで迷惑だったかもしれないけどさ。

 ────それでもボクは、君を護ると誓ったから。

 たとえ君が、ボクを嫌ってしまったとしても。その誓いは、変わらないから。

「また会おう。ナオヤ」

 ほんの少し震えた声で、ここに居ない彼を見送った。


     Side-Naoya


 まどろみの中、微かに聞こえる声に耳を澄ます。
 おそらくはそう、かつてあの子爵に一刀の下に斬られた時と同じく、この身は本来聴けぬ者の声を聞いている。
 五感に染みいる疼痛。断ち割られるかのような頭蓋の軋む音は、その声を耳にする事を本能が拒んでいるゆえか。
 ややあって、声の主は俺に問いかける。いや、正確には問いかけているように感じるだけで、言葉の内容までは届いていないのだが、それもやがては耳に届く程のものとなる。
 声は実に簡潔に、他のどの解釈もできぬほどにこたえやすい内容となっていた。

〝お前の性は?〟

 知れた事。我が性は北澤。北澤家の長男であり、宇川の分家。

〝お前の曾祖父は?〟

 本家、『宇川』の当主にして故人。宇川誠。

〝お前の家筋は?〟

 本家。宇川から始まり、
 分家。那須、黒瀬、佐々木、北澤、藤川、平賀と続く。

〝佐々木家の詳細は?〟

 戦中、海軍航空隊隊員であった長男が行方不明となるも、その妻が息子を宿していたため、断絶を免れた。
〝お前の家族は?〟

 ───ナンダ、ソレハ?───

 唐突に、思考が空白化する。
 家族だと? そんなモノは決まっている。忘れる筈が、

 ───考エルナ───

 父と母、下に弟が、

 ───ヤメロ───

 ……家族は、居ない……。

〝…………〟

 しばしの沈黙。そこにどういった意思があるのかは判らない。ややあって、声は別の問いを投げ掛けた。

〝……お前の性は?〟

 何度も言わせるな。北澤だと言っただろう。

〝ならば今の『宇川』は誰が継いだ?〟

 それは……。

 ───ソノ声ニ───

〝当主は誰だ?〟

 それは……。

〝お前の家は、〟

 ───耳ヲ貸スナ───

〝最早この世に〟

 それは……。

 ───目ヲ覚マセ!───


     ◇


 酷い、夢を見た。
 あれはどんな夢だったか? 得体の知れない声が響いていた気がするが、今となっては思い出せない。
 まあ夢とはそのようなものだろう。そう考える事にして、辺りを見回す。
 大理石製の床ではなく、古く軋む板張りの床と粗末とさえ言える質素な家具。そして自分が寝ている干し藁にシートを被せた簡易なベッドといい、ここが学院でない事は一目で見て取れた。

「…………」

 どうするべきか、何をなすべきなのか? 己が求めるべきモノは何処にある?
 左手には未だ刻まれたルーンの刻印。
 彼女はもういない。
 ならばどうする? 復讐などという下らないお題文句で飾り立てて、子爵やアルビオンの兵を鏖殺しろとでもいうのか?

 ───然リ───

 もう……何も戻らないのに。

 ───ナラバ奪エ───

 俺が……彼女を殺した様なものなのに。

 ───ソノ手デ流ス血ヲ以テ、亡キ主ヘノ忠誠ヲ立テヨ───

「そうだ……奪え」

 何を恐れる? 何を嘆く?
 報仇の念に胸打たれたか?
 悔恨の念に苛まれたのか?

「否」

 そう、否だ。この身を灼く熱は怨嗟の炎。
 主を護り切れなかった己の罰。それは後に甘んじて受けよう。
 されど斃すべき者はいる。怨讐の時はいずれ下す。
 故に、生きなければならない。生き延び、奴らの元へ辿り着ける様に算段を立てる必要がある。
 どうかしている。
 自分でもそう思ってはいるが、思いのほか身体はすんなりと動いた。
 ベッドの近くに纏められた衣類を手に取る。

「ん……?」

 そこではたと目と止めた。
 多少の丈こそ短くなったものの、ボロ布となった筈のシャツが真新しい物になっていたのは良い。
 問題は上着。内側に着いたポケットに入っていたそれを、俺はしばし手に取る。
 紫に金刺繍の施された御守。相当に年季の入った物であるらしく、一部は擦り切れてあったが裏面に入れられた文字は苦も無く読めた。

『病気平癒』

 成程。確かに日頃の自分を鑑みれば納得のいく御利益である。
 いつ何処で受け取ったのかは思い出せないが、それでもこうして持ち歩く以上は大切なものなのだろう。
 上着に袖を通すと共に再び懐へと仕舞い込み、ドアへと手をかける。と同時、ドアをノックする音が響いた。

「あ、はい。どうぞ」

 こちらの開いたドアの前に仁王に立つ御老人は、俺を見た途端に顔を綻ばせた。

「傷の具合はよろしいのかな?」
「はい。お手数をおかけしました」
「おやおや。まだ傷は閉じ切ってはいないだろう? 若いとはいえ無理をしすぎては長生きは出来んぞ」

 ……成程。どうやらこの御老人、既にこちらの事情を知っているらしい。

「まあ良い。お若いの、名は何と言う?」
「北澤直也と申します。貴方は?」
「ジン。私の父がそう名付けた。確か字はこう書くらしいのだが、」

 そう言いながら目の前の老人は指で文字を書く。その字は。

「仁……漢字ですね」
「ほう……御主、読めるのかね?」

 面白いとばかりに笑うとジンという御老人は俺の手を引っ張る。

「丁度良い。貴族の連中に持っていかれるのは癪なのでな。御主、付いてこい」

 引っ張られる腕は万力のように締め付けられ、手に痣が出来そうなほどの強さでさえある。
 だが、一番に気になったのはその手の感触。罅割れた爪、盛り上がった手の甲は断じて畑仕事で身に着く様なものではないし、ましてや手の内に出来た剣ダコなぞ、鍬を振っただけではここまで行く筈がない。
 盛り上がり、隆起した肉体と広い肩。
 背丈こそ低いものの、積み上げた研鑽の濃さはその体躯を見れば一目瞭然であった。

「貴方は、」

 何者なのか、と言おうとしたところでその歩みを止められる。
 本来であれは何と言う事はない草原の片隅に建てられた物。
 丸木が組み合わされた門。石ではなく板と漆喰で構成された壁。木の柱……。白い紙と、絶で作られた紐飾り……。
 そして、板敷きの床の上に、くすんだ濃緑の塗装を施されたソレは見紛う筈も無い……。

「零戦……だと?」

 正式名称、零式艦上戦闘機の名で知られる大東亜戦争時代の日本が生んだ傑作。
 長大な航続距離と格闘戦などから世界を震撼させた鋼鉄の鉄騎を前に、呆然と立ち尽くす。

「知っているのか? この村では『竜の羽衣』と呼ばれていてな。村では拝む者も居るが、大半は厄介にしか思っておらんよ。
 ……まあ、こんな物でも父上……シエスタの曾祖父の形見なのでな。貴族にやるには惜しいが、御主は私の父上と同郷ではないかと思ってな。
 何せこの大陸で黒い髪と瞳を持った者なんぞ殆どおらんらしくてな。御主ならと考えたが、まさか本当にそうとは」
「すみません。貴方の父上は、何か言い残していませんでしたか?」
「ふむ……」

 顎に手を当てつつ御老人はこちらを検分する。やがてどうしたものかと呟きながら、再び歩き出した。


     ◇


「着いたぞ」

 共同墓地の一角。等間隔に立ち並ぶ白い墓石の中、ただそれだけは黒によって作られ、他の物とは趣を異にしている。

「やあナオヤ君。目が覚めたようだね。
 ところで、君はこれに何と書かれているか判るかね? 私も含め、どうも何の手掛かりらしいものも無いのだが……」

「自分としては何故貴方がここに居るのかが気になるところですね、コルベール先生」

 少し声が荒くなってしまったのは仕方がないだろう。
 確かにああする事が最良だったと言うのは判るが、責任も取らず学院を抜け出したのはやはり後味が悪い。

「仕方ないでしょう! あのままだと今にも死にそうだったんだから!
 それに、学院に残っても結局は変わらないわ。今回はミスタ・コルベールに感謝しておきなさいよ」
「同感」

 確かにキュルケやタバサの言う通りだ。あの場に残った所で、心身的に追い詰められていた自分には結局、腹を斬る以外の考えは思いつかなかっただろう。
 少なくともこうして判断能力を取り戻しているのだし、あの子爵の首級を上げる事を決めた以上、それまでは何としても生き延びる必要がある。

「確かに。申し訳ありません、コルベール先生。お手数をおかけしたばかりか、見苦しいところをお見せしました。
 ところで、ギーシュは何処に?」

 本来なら一番に会うであろう人物の名を口にする。あいつにも散々迷惑をかけてしまったのだ。今すぐにでも礼を言いたい。
 だというのに。

「彼は、ここに居ない」

 ────どうして、そんな事を言うのか?

「待って下さいコルベール先生! どうして彼を学院に残したのです!?
 自分を除けば今回の件で責任が最も重いのは、直接任務に従事した彼の筈!
 タバサやキュルケはあくまでも留学生ですし、公には知られていません! なのに何故、彼女たちを連れてきて彼を連れて来なかったのですか!?」

 ふざけている。その程度の事が判らない筈はないだろうに! 一体何故!?

「君の為だ。ナオヤ君。彼は君の罪を帳消しにする為に、罰則を受けるつもりだ。
 とはいえ、これは正しい判断ともいえる。彼は四男坊とはいえグラモン元帥の息子だ。王宮やヴァリエール公爵家と言えども無碍には扱えないし、何より学生だ。
 良くて学院での寮内謹慎。悪ければ実家に送り返されはするが、精々一月が限度の筈だ」

「それを……貴方は判っていて?」
「ああ。事の顛末は学院長に伝書フクロウで伝えてある。いざとなれば学院が動く」

 全て計算づくか……だが。

「あいつは……そんなに賢くはない」

 きっと、自分への厳しい罰を要求する。自分の立場や、周囲の影響も考えず、ただ貴族の義務だとか、俺の為だとか、そういった理由で動いてしまう。

「判るんですよ。あいつ、頭は悪くない筈なのに、あんなに覚えは良いのに……いざという時に駄目で、その癖いつも真っ直ぐで。単純で大莫迦で、だから」

 そんな男だから、友達でありたくて。
 あいつは俺のような大莫迦では、迷惑がるだろうが。

「お願いします。今すぐ学院へ戻して下さい」

 せめて、ルイズの代わりと言う訳ではないが。
 それでも、自分の罪と一緒に、あいつの罰ぐらいは背負いたい。

「しかし、それでは彼の決意が」
「タバサ! シルフィードを!」
「駄目。今は」
「どうして!?」

 今は一分でさえ惜しいのに、ギーシュが大変な筈なのに! どうして判ってくれないんだ!

「傷」

 けれど、その答えもまた、単純だった。
 彼女が付き付けた杖の先。服の内側に隠された、袈裟がけの斬痕。
 確かにこの傷はまだ塞がっていない。殆ど完治しているとはいえそれは表面上と言うだけだ。
 おそらく、この内側は。

「水の流れが変」
「……調べたのか?」

 俺の問いに、タバサは頷く。成程、もう隠す必要さえ無くなった訳だ。
 とはいっても、気を失っていた数日中の呼吸でバレていたろうし、それ以前に宿に泊まった時からギーシュは知っていた筈だしな。

「あと二日」
「それだけ待てば……学院に連れて行って貰えるのか?」

 その問いに、タバサは首を横に振った。だが、完全に駄目だと言う訳ではないらしく、指を立てている。どうやらその数だけの決まりごとは守れということらしい。

「約束。死なない事。ここに居る間、無理はしない。勝手に動かない」
「最後の約束の意味が判らないのだが……」
「戦争」

 その一言で、全てが判った。アルビオンは消失し、『レコン・キスタ』は恐らくトリステインへと侵攻する。
 その際に犬死をする様な真似はするな、と言いたいのだろう。

「受諾します。ただし、ギーシュを含め、第三者の命が危険にさらされ、自分の命で解決する場合は、一つ目の条件は例外とする事。
 また、勝つための条件がそろった場合ないし、敵軍が自分の周りの人間の命を脅かした場合は例外として頂きたい」
「約束」
「ああ……約束だ」

 これで契約完了。コルベール先生は未だに渋い顔をしているが、こちらは駄目だったとしてもシエスタ辺りに頼んで強引にでも学院に戻る腹積もりだ。
 我ながら莫迦だとは思うが、それでも何もしないであいつに責任を押し付けたくはない。


     ◇


「さて、話は済んだようですが、文字は読めましたかね?」

 そうだ忘れていた。本来ここに来たのは石碑の文字を読む為だったのだ。しかしこの御老人、あくまでも学院の貴族ではなく俺自身に持って帰らせたいらしいな。
 まあ、気持ちは判るが。
 大方、眠っている方の名前なのだろうと、ため息交じりに碑文に目を通し、

「『海軍少尉 佐々木武雄 異界二眠ル』!?」

 そこに刻まれた碑文に、完全に目を奪われた。

「どうかしたのですか?」

 こちらの驚きに戸惑ったのだろう。コルベール先生が顔色を窺うように覗き込む。

「莫迦な……」

 確かに佐々木家は大東亜戦争時、長男が行方不明にはなっている事は耳にしていた。だが、こんな偶然があるのか?
 出来過ぎている。だが、これが事実なら……。

「御老人。少しお尋ねしたいのですが」
「ふむ」


     ◇


 再びシエスタの生家へと足を運び、御老人にしばらく扉の前で待つように言われる事数刻。
 扉から出てきた御老人は長方形の木箱を恭しく両手に掲げ持って来た。

「まさか本家『宇川』の方でしたとは。いやはや、縁とは有る物ですな」
「同感です。しかし、宜しいのですか? 自分は確かに『宇川』と関わりがあるものの、分家の身。貴方の家が継承したとしても、同じ分家である『佐々木』の家である以上は問題はないかと」
「確かに。だが、父上がこの国の土に骨を埋めた時点で既に決まっておりました。
 あの碑文を読んだ者に、『竜の羽衣』渡し、陛下へとお返しする事を頼む事。そして、この剣を『宇川』の一族に返すということを頼む事。
 それが亡き父上の願いです。最早私が死ぬまでに、碑文を読める者が来る事はないと諦めかけていましたが、ようやく間に合いました」

 しわがれた顔を笑顔でくしゃくしゃに歪める御老人に、しばし目を伏せて一礼し、両手で木箱を受け取った。が、蓋を開ける前に手で制される。

「その前に、いくつかお尋ねしたいのです。貴方が『宇川』の者ならば応えられる筈。
 試すのは申し訳ないが、万が一『宇川』を騙る不届き者がいれば、刀の錆にせよと父上が遺言を残しております故、どうかご無礼をお許しください」

 成程、曲がりなりにも宇川の家宝。確かに盗人に扱われてはこの刀も不憫だろう。

「まず、刀についてですが、」
「無銘。号はありましたが、刀匠からの言伝であったために現在は不明。
刃長二尺余り、鳥居反り半寸。造り込みは鎬造り。樋は無し。地肌は柾目肌、刃文で直刃。目釘穴は二つ。
 拵えは鞘、柄巻き共に白純。ただし、鯉口や鐺は黒。小刀、笄も付いている筈ですが、自分がこの打刀に関して知っているのはそれ位ですね」

 自分の知る限りの刀の形状を大まかに伝える。表記する際の例に基づいて伝えても良かったが、俺自身完璧ではないし、伝わらなかった場合は不味いので、流す程度にしておく。

「まだ質問の途中だったのですが……笄は何で作られているか御存じで?」
「桜です。曾祖父が、帰った時は嫁に簪変わりに送ってやれと、貴方の父上に冗談交じりに拵えた物を渡したのです。
 恐らく、表面にも花弁を彫り込んで有ると思うのですが」

 そう言うや否や、御老公は蓋を開ける。
 柄や鞘は白木のそれだが、恐らくは手入れの為に意図的に組み直したのだろう。本来の柄や鯉口は横に添える形で置かれている。

「念のため、柄や鯉口と言った拵えにはメイジの方に『固定化』と『硬化』をかけて頂きました。
 刀身に関してはどうやっても『固定化』かけられず、メイジの方々も難儀していましたが、結果的には良かったかもしれません。
 彼らがこの刀を見たとき、目の色を変えて買い取ろうとしてきましたからな。
 適切な処置を施さねばすぐ錆つくと言えば、大概は諦めて行きましたよ。まあ、中には盗賊をけしかけて盗もうとした不作法者もおりましたが」

 成程。後に聞いたが、『固定化』物質の酸化や腐敗を防ぎ、永久に元の姿を保ち続ける物、『硬化』は読んで字の如く物質の硬度を増す為の呪文らしく、零戦にも同じ措置が施されているのだとか。
『錬金』といい、この世界の魔法は常に驚かされる事ばかりである。
 しかし。

「斬ったのですか? その不作法者は」

 この刀で? というニュアンスを含ませながら尋ねると、御老人は呵呵と笑いながら頭を振った。

「家宝に賊の血を吸わせる程、堕ちてはおりませんよ。露払いであれば、そこに立てかけてある物で足ります故」

 そう言った視線の先には刃渡り四尺余りの長剣が無造作に置かれていた。

「バスタードソードですか」

 両手、片手、どちらで持つにも対応出来、汎用性も高い事で知られる長剣は成程、確かに宇川の系譜の者には誂え向きだろう。
 柄巻きは痛み、刃毀れも多いが、重ねてきた風月を鑑みさせるには充分なものである。

「手入れが最低限になってしまいましたが、父上の代から使っております。
 私も未熟な内は多く刃を毀してしまいましたが、未だに息子も使っておりますよ。
 ……ああ、いけませんな。歳を取ると無駄に話が長くなってしまう。ささ、お手にとって御検分ください」

 一礼の後、刀を両手で箱から出し、白木の鞘を引き抜く。磨き上げた白刃は月光のそれ照り返す輝きは夜闇であれば三日月とさえ見紛うだろう。
 誰もがその輝きに恍惚とし、魅入られるように気を抜きかけたその瞬間。

「シィッ……!」

 背後に迫る閃光を、その刀で叩き落とした。

「『矢止め』、実にお見事な手前で御座いました」

 こちらが飛来した矢の箆を切断するや否や、御老人が一礼すると共に、矢を射たのであろうシエスタも前に出てきた。

「す、すみませんナオヤさん。おじいちゃんがどうしてもと言うので……」
「いえ。見事な射でした。貴女の師も、さぞ鼻が高い事でしょう」

 多少の嫌味も混じらせたつもりだったのだが、嬉々とした笑みでいるところを見るに、後ろの御老人は全く答えていないらしい。

「唐竹から切り上げ。二度も斬ったのは余裕ですか?」
「三度斬るつもりだったのですが、まだ身体が本調子ではないようです」

 三つに分割された矢を横目に、愚痴を零す。
 本来であれば切り上げから再度、唐竹に繋げる筈であったものを、ここぞという時に身体が硬直してしまったのだ。やはりタバサが言った通りまだ大人しくする必要があるらしい。

「さて。ではもう一つ技を披露して頂きますが、宜しいですか? 何、これで最後ですし『縮地法』を使えなどとは言いませんよ。もっと簡単な物です」

 そう言う御老人の目の先には、壮年の男性が急拵えの───とはいっても、かなり頑丈そうな───台を建て、その上に兜を載せ、固定していた。
 兜の形状からしてサーリットで見当を付けるが、あれは元来の物よりもかなり肉厚で武骨な印象を受ける。

「親父! こんなもんで良いかー!」
「父上と呼べと何度言えば判る!
 ……いやはや申し訳ない。幼いころから礼節を守らせようとしたのですが、こんな辺鄙な場所では意味はないと言って聞かず仕舞いでして」
「お気遣いなく。自分と致しましても、貴方には会った時の口調のままで頂きたいのですが」
「何をおっしゃいますか。仮にも本家の縁の者にそのような無礼は赦されますまい。
 ……尤も、仮に本家、縁の者であってもこれが出来ねば首を刎ねさせて頂く事になりますが」

 おそろしい、と冗談交じりに答え、兜に向き直る。

「これで最後。これが出来たならば、遺言通り刀をお譲り致します。
 見事、あの『硬化』のかけられた兜を断ち割り、この老骨があの世で父上に聞かせる話の種にして頂きたい」
「承りました」

 兜の正面に立ち、一礼の後、刀を上段に掲げ持つ。
 本家、宇川の剣に特定の技はない。いや、有るにはあるが、その多くが他流派の業であり技なのだ。
 何故なら宇川は剣士を作りたかったのではない。一族にとって重要なのは、名を上げ、主君を守り、家を残すこと。
 故に、時として外法に手を染め、好き好んで泥を被る。
 俺が鋼糸なぞという武家の一族には本来相容れぬ道具を使うのもそうした家の特性の一端。主の為とあらば外道働きさえ喜んで引き受ける一族に、この手の暗器は極めつけ出会った事だろう。
 故に、一族は他の流派であろうとも分家の人間を出向かせて盗み、書に書き留めて後世に手渡し続けた。
 それが如何に恥知らずな行いかを知っていながら、嬉々としてその作業に没頭し続けたのだ。
 だが、そうした行為は実戦的な人間を排出する反面、一つの弊害を生む事になる。
 より多くを吸収したがために、それを扱う個人の技量を判別し辛くなったということである。
 如何に優れた技を持とうとも、使い手が凡夫であれば宝の持ち腐れ。
 故に一族は、個人が如何ほどの力量を持つかを、ある程度の修練の中で三つの技を収めさせようとする事で検分する事にした。

 即ち、
『矢止め』
『兜割り』
『縮地法』
 である。

 無論、これらの技が如何に常軌を逸しているか、武芸に通じずとも調べればすぐに判る事である。

 例えば『矢止め』
 常人が刀で矢を落とせるか?
 否。万全を期したならばいざ知らず、不意を突かれたならば達人でさえ貫かれる。

 例えば『兜割り』
 鉄兜を鋼の剣で断てるのか?
 否。かつて明治天皇の御前にて披露された天覧兜割では、直心影流男谷派剣術を継承した榊原鍵吉さえ、兜への斬り込みは三寸五分に止まった。

 例えば『縮地法』
 人は目に映らぬ速度で走れるか?
 否。人は風にも紫電にも成れず。故に仙術と囁かれる。

 そう。これら三つの技は、出来ぬことが前提なのだ。
 本来、『矢止め』は万全を期した状態で挑み、
 本来、『兜割り』は刃が如何ほど斬り込んだかを見、
 本来、『縮地法』はその踏み込みの速度と距離を測る。
 到達なぞ出来ぬ。故に到達に如何ほどまでに近づいたかを図る試験なのだ。
 本来、これらの試験に達成を求めて挑むのは所謂、免許皆伝。一芸を完璧に収めたと自負する者が挑戦するモノ。
 己がかつて破れたモノに挑み、そのいずれかの一つでさえ身に収めたならばそこで目的は達成したとさえ言える。
 だが、それを踏まえて尚、この御老人は断てという。
 鉄によって作られ、あまつさえ魔によって強化さられたあの兜を。
 あまりに無謀。あまりに無理難題。
 されど、この身はその業を成し遂げる事に戸惑いはない。
 思い出せ。この身はかつて、青銅の剣で青銅の鎧を斬り裂いた。
 思い出せ。この身はかつて、幾十と飛来する矢を叩き落とした。
 思い出せ。この身はかつて、音速さえも凌駕して、走り抜けた。
 恐れる事なぞない。この身はその全てを収めている。
 いや、この世界に来る以前から『縮地』を除いたならば、その全てを身に収めていた筈。
 例え記憶になかろうと、この五体にはかつての研鑽が刻まれている。
 教えを思い出せ。『小事を大事と思いて成し、大事を小事と思いて成せ』
 何かを考える必要なぞない。ただあるがまま、身を任せればいいのだと。そう決意して、俺は白刃を振り下ろした。


     ◇


「見事」

 御老人の感嘆の呟きと共に、乾いた鋼の音が二つ重なる様に鳴り響く。
 刀身には刃毀れはおろか傷さえ無い。
 当然だ。この程度の技を使えずして、何が宇川の一族か。

「さあ、こちらへ。大したもてなしは出来ませんが、村で取れた良い葡萄酒がございます。今宵は貴族の皆様共々、是非楽しんで下さい」

 自分は医師から止められているのですが……とぼやきつつ、コルベールと共にシエスタの生家へと足を運ぶ。
 まあいい。シエスタの弟達の遊び相手でもしていよう。


     Side-out


「タバサ、その兜がどうかしたの?」

 人気のなくなった門前で、タバサは二つに割れた兜を拾い上げ、品定めでもするかのように見つめていた。
 確かにキュルケからしてみても、信じがたい光景であったのは事実だろう。
 あのような細身の、しかも彼女達からすれば美術刀かと見紛うような刃で兜を断ち斬るなぞ、冗談を通り越して笑えてくる。

「『固定化』と『硬化』」
「ああ……確か、かけられてるんだっけ?」

 成程。ただでさえ鉄だと言うのにその上硬化が施されているとなれば、あの剣に関心を抱くのも道理だろう。そう考え、相槌を打とうとし、

「解けている」
「はあ!?」

 その一言で、今度こそキュルケは瞠目した。
 有り得ない。『固定化』もそうだが、『硬化』また術者か、それ以上の力を持つメイジでなくば解く事なぞ出来ない筈なのだ。

「解けた? どういう冗談?」
「判らない」

 タバサはしばし、北澤直也の入って行った家を見つめ、兜を置いて立ち上がる。

「……どうする気?」

 無言で立ち上がったタバサに何らかの危機感を抱いたのだろう。心なしか緊張した面持ちで尋ねる。

「食事」
「…………」

 確かに家からは香ばしい料理の匂いが漂っている。時間も日暮れに近づいてきたし、確かに夕食には頃合いと言えるが……。

「なんか、あたしが馬鹿みたいじゃない……」

 一人取り残された彼女は、愚痴を零しながらながら家のドアを潜った。


     ×××

     
あとがき

 え~……皆様長らくお待たせしました。第三章二話、ようやくの更新で御座います。

 ここまで時間がかかった理由は、ぶっちゃけスランプでボツにしたのが10ページ近くあった事。
 仕事が忙しく、またしても紛争地帯の出張が夏に入る事が決まった為です。
 ……就活する皆さんは会社をよく選ぶ事をお勧めします。社会人として。

 ボツ版はどうしても不自然になってしまったためにカットしましたが、主人公をギーシュがぶん殴って説得するイベントが消えてしまったのは作者最大の心残りだったりします。
 いつか必ずこの歪みまくった主人公はぶん殴りたい……。


 まあ、モチベーションの低下も更新が遅れた理由の一つではありますが。
 みんなー! 作者に元気を分けてくれー!!(DB風に。作者はDBタイトルぐらいしか知りませんが)


 さて。一応、かなり前になりますが、文字数制限のある方が文字数の限界報告を第二章までしてくれなかった場合、もとの長文に戻す事は以前、伝えていたので、戻す事に致しました。

 ……が。いざ短い文になれると元の文に戻すのは大変で、今回の話もストーリーは進まない癖にやたらと無駄に長く、蛇足的な描写も多くなってしまいました。
 ぶっちゃけ、今回程作者的に不満のあるシナリオは初めてです。本当に申し訳ありません。

 今回は主人公の家の事とか、過去について触れましたが、正直、主人公の家の剣術の技
(難易度は下に行くごとに高くなります)
『矢止め』
『兜割り』
『縮地法』
 に関しては、作品を全面改定する以前から伏線を張っており、ギーシュ戦でワルキューレを剣で倒す際は『砕く』ではなく『斬り裂く』という表現を用いたり、
 ラ・ロシェールに行くまでに傭兵の矢を叩き落としたりしていたのですが、この二つは原作やアニメで才人君が普通にやっていたせいか、誰にも突っ込まれることなくスルーされてしまっていました。
(オリジナル小説でこの二つを出したら、こんなの人間に出来る訳ねえだろと確実に突っ込まれそうなのに)

 ぶっちゃけ、メモ帳に書き留めていたのを確認していなければ、作者自身忘れていたであろう設定です。

 ……第一話を投稿する前から決めていたというのに。


 さて、主人公のニューウェポンである刀ですが、これは完全に作者の趣味です。
 個人的には太刀より打刀が好きで、拵えなんかも全て趣味で思いつくままに要素を詰め込んだものです。
 ……なので、笄とか小刀とかのマニアックな部分も付け加えています。

 ちなみにシエスタと主人公が親族と言う設定は思い付きではありません。
 これは最初から決めていました。
 ……けど、シエスタの爺ちゃんは思い付きです。解説役が欲しかったという理由だけで追加しました。本来の解説役はお父さんでした。
 変えた理由は詳しく説明するにはお父さんは小さかっただろうから、という理由です。

 出来れば今回は刀に関するエピソードや草原でのシエスタとの会話も入れたかったのですが、これ以上書くと更新がさらに一ケ月は伸びるのでここまでにしました。
 ストーリー進行が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。


 PS.今回は主人公の一族について、ちょこっと触れていますが、良く読んでみると面白い発見があるかも?
 いや、思いつきでやってる訳ではありませんよ。断じて。


 それではまた次回、お会いしましょう。

 誤字報告があったため、修正させて頂きました(7/29)



[5086] 003
Name: c.m.◆71846620 ID:5bbb498d
Date: 2010/07/28 00:40
 始まりは、ただの繰り返しだった。
 打ち据え、伸ばし、畳み、打つ。
 鋼を鍛えると言う為だけの、単純な工程こそが自分の始まりだったと、そう男は記憶していた。

 ここは京都。千年の都と称された場。

 幕府が江戸に移った後も尚日出国の代名詞であり、文化工芸に優れる都市として一目を置かれる地でもある。
 男は、そこで生まれた。
 とはいえ、その豊かな街並みが男に影響を与えたかと言えば否だ。
 男にとって移ろう人も、変わらぬ都も何の意味はない。
 己は鍛つ者。それは男が世に生を受けてからの宿命であり、先祖伝来の業を継承する事こそ、男が生かされる意味なのだ。
 故に、男にとって他は瑣末事にしか過ぎぬ。
 鍛冶師たれ。ただ一つの道具であれ、と。そう己に言い聞かせていた。
 いや、正確には言い聞かせる必要なぞなかった。男にとっては鋼を鍛える音こそが全てであり、その音が止まった時は自らも死す時なのだから。
 もしかしたら、この時から男は……いや、生まれながらにして壊れていたのだろう。
 繰り返される日々の工程も、過酷な労働も何の苦でもない。
 生かされる理由がそれならば、死すべき理由もそれなのだと、男は当然の如くに受け入れていた。
 時代は天下泰平。二百年の時は時代と人を変えるのには充分である。
 このご時世にあって刀匠なぞ必要以上に扱われる事はない。
 男の家は鎌倉から室町において他を圧倒した『相州伝』の業を引き継ぐ家系だ。
 時代もあって年々廃れていく技術は、多くの刀工に苦心を余儀なくされるも、今は『美濃伝』の一派が最盛である以上は、注目もそちらに行く。
 何より、このご時世に斬る刀なぞ必要ないのが通念だ。
 最近の武士はやれ鐺を華やかにだの、無反りの方が見栄えが良いなどと騒いでいた。
 そんな中にあって、男の家はやはり他とは違っていた。時代から見れば、変わり種と言っていい。
 衰退する『相州伝』の業を言伝でありながら正確に引き継ぎ、そこから派生した技術を後世に余す事無く伝えていく。
 子宝に恵まれた事や、体が丈夫であった事が功を奏したのだろう。
 結果として、男の家は風変わりだが質の良い刀を作る鍛冶師として知れ渡る事となった。
 無論。知れ渡ったのには訳がある。
 太平の世は、動乱の世となった。
 そう。幸か不幸か、時代は男の腕を遺憾なく奮う場となったのだ。
 時は幕末。黒船の来航より向かう動乱の幕開け。
 男が成人してから十年。正に最盛期たる時に、その時代はやって来た。
 尊皇、佐幕、土佐、長州、薩摩。
 各々が後の時代の天下を得るべく迎える動乱。
 かつては『千年王城』とさえ称された古都は、魑魅魍魎の跋扈する魔都と化していた。
 そして、時代は男を後押しする。
 始まりは、酷く些細なモノだった。
 偶然商人から刀を買った維新志士だったか会津藩の武士だったか。
 ともあれ何処かの派閥が男の刀を買い、その腕を見越してやってきたのだろう。
 注文を受けた男は刀を鍛え、噂は尾ひれをついて広がった。
 京の都に妖刀を鍛える者有り、と。
 男からすれば、それは当然であったと言っていい。刀は斬る為の道具であり、壺や茶碗ではないのだから。
 その徹底的な『機能美』は、ついにある組織に知られることになる。
 名を『新撰組』。京都守護職の任に付き、会津藩の支援を受ける剣客集団。幕府お抱えの実戦集団である彼らにとって、質の良い刀を欲するのは当然とさえ言えたし、支援を受けているといっても限りがあるため、刀工に交渉するのも珍しくはない。
 そこまでは良い。そこまでは問題なかった。
 そう。男の元へやって来た隊士が、余計な事を言わなければ。

 曰く、刀は武士の魂なれど、その本懐は肉斬り。どうか御身の腕を存分に奮って頂きたい、と。

 男は己の所業を考えた事なぞない。ただ言われるがままに鍛え続けただけだ。
 だが、もしそれが男にとっての道だと言うのなら。
 殺戮の利器。それを昇華することが男の目的となったのだから。
 そして、男はある条件を持ちかけた。
 己の刀の全てを、二束三文で渡すと。その代わりに、己の刀を振るったならば、その感想を伝える事。
 容易い事だと隊士は了承し、嬉々とした顔で刀を持ちかえる。


 後はもう言うまでも無い。
 白刃が奔る度、京の都が血に染まる度、男にその全てが伝わった。
 その中には余計な賛辞もあったが、大概は要望であり、男はその全てに応えていった。
 寝る間を惜しみ、食う間を惜しみ、ただ鍛える事に専念した。
 迎えた妻が流産で子ごと死んだ時も、さして哀しみはなかった。
 壊れている。狂っている。
 そんな事は、当の昔から判っていた。
 己は鍛冶師。ただ鍛つ者だと、そう誇らしげに男は刀を打ち続けた。
 響き続くは鉄の音。それが己の心臓の音だと、止まる時は死ぬ時だと。そう誇示するかのように。


 そして、男が動乱の末期に差し掛かる頃、男は夜道でそれを見た。
 単なる気紛れだ。溢れかえる自分の刀が、どのように使われているのかが知りたかったという、ただそれだけの事。
 丑三つ時ならそう言った手合いには溢れていようという思惑通り、確かに肉を断つ刃音が響いていた。
 ただし。それは志士でも、隊士の首でもなく。

 甕を抱えた、幼子の首だった。

 斬ったのは恐らく志士だろう。汚らしい長州訛りで喚き散らしていたが、それが何なのかは判別できない。
 ただ一つ判る事。その志士が手にした刀が、自分の作だと言う事。
 恐らく、自身の初期の作かどこぞの商人が流したのが、たまたま志士の手に渡ったのか。
 ともあれ男は酔いの冷めぬ酒飲みの様な足取りで帰り、呆然と辺りを見つめた。
 かつてあれ程までに心血を注いだ作業に、今は全くの身が入らない。
 他人の子だ。身に纏う衣から乞食と言う訳ではなく、小姓か何かだったのだろう。
 ぼんやりと、そんな意味の無い事を思い出しながら仏壇を見る。
 本来ならば一式揃える事も無いのだが、他に金の使い道がなかった為に用意したものだ。
 妻と息子の位牌を前にただ静かに手を合わす。
 何故気付かなかったのか? 何故判らなかったのか?
 斬るとは、殺すとはそういう事なのに。肉を断つとは、血を降らすとはそういう事なのに。
 いや、男は初めから気付いていた。ただ、壊れていただけ。
 己は鍛冶師であり、その本分を全うしようとした。
 鍛える事に善悪はない。あるとするならば、それをどう用いるかであろう。
 だが、刀とは殺戮の利器。それ以外の使い方なぞ、求めるのが筋違いと言うモノだ。
 故に、男は鉄を鍛える。
 せめて自分は、この役割を果たし続けよう。投げ出せば全てが終わる。全てが無駄になってしまう。
 どうしようもないエゴ。下らない自己愛が生んだ負の遺産。
 それは維新の達成する時まで続き、動乱の夜明けと共に、鉄を打つ音は途絶えた。


 そして、明治政府が確立するまでの一時、男の前に、一人の神主が現れた。
 珍しくも無い。刀工ならば用件を聞くまでも無い事だ。
 ただ一振り、奉納の為の刀を鍛えて欲しいと。そう頼み込む人物を前に、男は首を横に振る。
 己の刀は血を好む。曇りの無い社には分不相応だと、そう語る男を前に、神主はなお食い下がる。
 鍛えた刀に善悪はないと、ただ貴方が作りたい物を、と願い、その場を後にした。
 男は想う。己の願う物とは何なのか? と。
 疑問の只中で言葉を胸に止め、熟考し、そして答えを見つけ出す。
 要望通り、最高の一振りを。
 これが最後。これを以て、己は鍛冶師として生に幕を下ろすと。
 斬る為ではなく、己が心血と魂を注ぐ一刀を。
 そう願い、一度打つごとに想いを込め、そして、刀は完成した。

 ────あまりにも、あまりにも醜いその刀が。

 切先は大きく、より深くに骨肉を断つ。やや肉の厚い刀身はその実、刃先に行くほどに細り、斬れ味と硬度を保たせた。
 心鉄の通った刀は柔軟性に優れ、使い手の腕さえ盆暗でなけば、決して折れぬと自負できる。
 樋を掻かぬのは溝に血を溜めぬ為。確かに樋を掻けば軽量化を計り、のみならず曲り難くする事も出来るが、心鉄の通った刀を曲り難くするのはかえって改悪となる為だ。
 そう。この刀は血を吸い、骨肉を断つ刀。
 文字通り妖刀と呼ぶに相応しき『機能美』は、今度こそ男を絶望の淵に叩きこむ。
 これが、こんな物が己の全てだと。

 ────自らの刀が、そう証明したのだ。

 そうして男は、鋳潰すと決めた。
 これはこの世にあるべきではない。溶かし、釘にでも変えた方がまだ建設的だと、そう叩き折ろうとする手を、止められた。
 神主は言う。それは素晴らしいモノだと。貴方の形がどうあれ、それを作るに至った過程は本物だと語り、神社への奉納を願い出た。
 崩れ落ちる男の涙を汲み、銘無き刀を手にとって号を与え、御神体として奉納した。
 血を吸う妖刀ではなく、魔を祓い、妖魔を断つ程の刀として。
 こうして、刀は多くの者に知れ渡る。

 ───破魔刀。魔を殺す無垢の存在として。

 そうして、男は刀を奉納された次の日に息を引き取った。
 鉄の音が止まる時。それは、男の全てが終わる時なのだから。

 男の刀に、生涯銘は刻まれぬまま。
 故にこの鍛冶師、名を明らかにならず。……ただ刀を遺すのみ。


     ◆


     Side-Naoya


 高さも広さも判らない。見渡す限りの、ただ白いだけの空間の中で、俺こと北澤直也は周りに意識を向ける。
 ここは何処なのか? 確か自分は、シエスタの家で食事をとり、彼女の弟達に振り回されながら一日を過ごし、安静にすると言う言い付けを守れなかった為に少し機嫌を損ねたタバサに寝る様に勧められ、ベッドに横になった筈だ。
 無論。自身の記憶が正しければ、の話だが。

「やっと、ここまで来たか」

 そして、その声に振り替える。現れたのは十歳ほどの少女だ。
 腰まで届く黒髪と、やや痩せこけた頬。そして、あまりにも白すぎる肌は、美しいと言うよりも病気か何かなのではと心配さえ抱く程だ。

「君は?」
「……覚えて、いないのか?」

 その言葉に、少し戸惑う。
 何故だろう。自分はこの少女を知っている。いや、記憶の中を探っても出ては来ないが、少なくとも大切なのだと、そう自分の中が叫んでいた。

「思い出せ」

 そうだ、思い出そう。あの子の記憶を。あの日の事を。
 彼女の名は……。

「沙、夜……?」

 名前は、考えるより先に出てきた。恐らくは本当に大切だったのだろう。
 自分の中で何度も、彼女の名前を反芻する。
 嗚呼、そうだ。そうだった。思い出す。曖昧な記憶の中で。確かなものがある筈だと、そう信じて考えて、けれど……。

「済まない。それ以外、思い出せない」
「そうか……」

 声の主、沙夜はそれっきり黙る。自分も申し訳なく感じ、少し俯くと、また声をかけられた。

「は?」

 今度は違う人。いや、人達と言うべきか。
 大人が二人と、子供が二人。恐らくは家族なのだろう。背の高い方の男の子は背の低い男の子の手を引いている。
 傍から見れば、きっとこういうのが、微笑ましい光景だと感じるのだろう。
 けれど。そのうちの一人は、どこか見覚えのある顔で、

「俺は……」

 その顔を、良く知っていて、

「そう、これは君自身。この時まで、君は身体が弱く内気だけど普通の子供だった」

 唐突に後ろから声をかけられる。
 そこに居たのは、弟であろう子供の手を引いていた自分。
 四歳の頃の、俺自身の姿。

「お前は……何なんだ?」

 恐ろしい。唯、その存在が恐ろしいのだと。震える声で、俺はそう思う自分を認識した。

「臆病だね。それでも『宇川』の当主かい?」

 そして、またしても姿が変わる。差し替えるフィルムのように、唐突に別人へと切り替わる。

「安心しろ。別に悪霊と言う訳ではない。いや、ひょっとするとそういった類なのかもしれないが、君の左手に比べればましだろう?」

 左、手……?

「気付いてない振りをするのはよせ。それとも意図的に気付かせないようにしているのかな?
 いずれにせよ、君と距離が近くなったおかげで楽に入る事が出来た。もう左手に邪魔される事はない。少なくとも、今は、ね」

 念を押すように告げたのは絶対の自信か、それとも念を押しておきたい何かがあるからなのか。
 目の前の存在は俺の良く知る姿に変わる。いや、瓜二つとさえ言っていい。

「そう、これは君……の曾祖父が二十一の時の姿だ。本来ならば医学部を出て医者になる筈だった、ね」

 そう。本来なら曾祖父は医者になる筈だった。しかし、時代はそれを赦さなかった。
 曾祖父は沖縄に行き、米軍の拷問で片足と片目を失って帰ったのだ。
 現地人を、助ける為に。

「さて、そろそろ質問に答えよう。私は君の刀だよ」

 刀……?

「莫迦な」
「まあそれが普通かな? けど君は魔法の存在を見て、喋る刀も見ている筈だ。
 今更刀が意識に潜り込んできた所で驚く事はないだろう?
 私達の故郷には付喪神の伝承なぞ幾らでもある。私のように一時は神社に奉納されていた身であれば尚更に、ね」

 だが、と。そこで刀は言葉を止める。それは人間であれば、歯痒い、と感じる感情なのだろう。きつく奥歯を噛みしめ、その後ゆっくりと呟いた。
 何故だ、と。こんな筈ではなかったのに、と。それこそが最も苦痛だと言うように、『刀』は俺を見つめていた。

「私は奉られる物ではない。飾られる物でもない。
 人を斬る物だ! 屍山血河を踏み越えさせ、錆びて折れる消耗品だ!」

 俺はようやく気付く。先程見た夢。ここに流れ着く間に垣間見た、ある鍛冶師の人生は、この刀に込められた記憶であり、残滓なのだと。

「なのに……何故だ。戦火の中で折れるも良し、斬り結んだ果てに棄てられるも本懐。
 だが、どうして私は破魔刀なぞと呼ばれるのだ!? どうしてそんな力を本当に持った!? どうして……」

 ────私は意思などと言う、余計なものを持ったのだ、と。そう永き年を生きた剣は、その想いを吐露した。

「悔しいよ。包丁は良い、毎日役目を果たしている。
 小柄は良い。気兼ねなく鞘から抜いてくれる。
 なのに」

 そうして、また刀は沈黙する。恐らくは俺が見てきて、出逢ってきた人たちに、その姿を変えながら。

「救われると思った……神社が燃え落ち、復興に貢献した君の一族が私を引き取った時に。
 しかし、君達は私を家宝にした。大東亜の戦争が起きた時でさえ、真に抜こうとはしなかった!
 異世界に来ても、君達は私を奉り続けた! 幾年月が流れようと、何もかも変らない!
 鋳潰された方がまだマシだった!」
「そうか」

 ああ、ならば。
「俺が、お前を使おう」

 知らず、そんな事を俺は呟いた。

「なに?」
「不服か? 俺はもう帰れん身の上だ。『佐々木』の人間がそれを証明してしまったからな」

 それに、こちらは何としても子爵の首級を上げる必要がある。
 あいつを殺すにはデルフと同等か、それ以上の業物が要る。

「使われたいなら覚悟しておけ。刀身が折れても磨り上げて使い続けてやる。
 折れれば終わりとは思うな」
「それは……同情か?」
「必要だから使うだけだ。お前は、破魔の力など欲しくなかったと言ったな」
 それはつまり、この刀が魔を断つという事。恐らくはあの兜が予想以上にあっけなく斬れたのも、この刀によるところが大きいのだろう。
「道具なら道具らしくしていろ。文句なぞ聞く耳持たん」

 だから、コレを使おう。どちらかが折れるその日まで。終わりを迎える、その日まで。

「────共に、屍山血河を越えていこう」

 そうして、刀は姿を変える。本来の、美しい直刃の刀身へと。

「不肖ながら御身の守護を。この身朽ち果てる、その日まで」

 そうして、俺達は契約を結ぶ。刀の鍔を鞘で打ち鳴らす事で。


     ◇


「ここを出る前に訊きたい。お前は俺が縛られていると言ったが、やはり左手これは……」
「記憶を喰らい、力を与える物。祝福にして呪い。
 代償と力の釣り合いが取れてはいますが、元が忠誠を誓わせる為の物である以上、公平とは言えないでしょうね。
 ……私なら、その左手も例外なく消せます。力をも失いますが、貴方の大切なものは取り戻せる。
 起きた後で、刃を手の甲に突き立てて下さい。それで……全て終わります」

 それで、全てが終わる……。
 確かに、そうかもしれない。この鎖を断ち切って、何もかもから逃げ出せば、或いは楽になるのだろう。けれど。

「……出来ない」

 確かに左手これは間違ったものなのかもしれない。持つべきではないのかもしれない。
 けれど。この鎖は、あの子と繋がっている。ただ一人の、己の主と。
 ……今だからこそ言える。左手おまえがあったからこそ、俺はあの子が全てになれる。
 左手おまえがあったからこそ、俺はあの子を覚えていられる。
 決して解けぬ鎖。己を束縛する歪んだ意思。
 例えそれが間違っていても、俺はそれを否定出来ない。

 ……それをすれば、あの子の使い魔であった事を。護り切れなかったことから、目を背けてしまうから。

「……いいでしょう。けれど、忘れてはならない事もある。
 もうじき、夜が明ける。一つだけ真実を伝えておきます。
 貴方の家族は、この世に居ない。宇川に引き取られ先代が崩御した以上、現当主は貴方だ。
 もし、全てを忘れたいなら改めるべきです。『北澤』ではなく『宇川』と」
「それは……」

 例えそうだったとしても、俺は……。

「出来ませんよね。貴方は過去に縛られている。
 家族を忘れ、友を忘れ、最愛の人を忘れ、それでも過去は貴方を縛る。
 例え思い出せなくなろうとも、記憶は決してなくならない。
 あの左手は喰らうのではなく、自分の場所を作る為に、余計なものに鍵をかけて閉じ込めてしまいたいだけなのだから」

 まるで俺を呪うかのように、穏やかな声は、真実と言う刃を突き付けた。

「では、夜明けと共に会いましょう。今度からは話相手ではなく、一人の主と道具として」

 返答は待たれない。桜の花弁が視界を覆うと共に、俺の意識も又、別の所に飛んでいった。
 薄れゆく意識の中で、思う。
 僅かな日々に咲き、散る花。その刹那の美しさを、人は何と詠んだのか?
 そうして気付く。失われた筈の、刀の号を。


「おはよう。『徒花』」

 目覚めと共に、物言わぬ刀の号を俺は口にした。


     ◆


 そこには、骸があり、欲望があり、哄笑があった。
 焼け爛れた肉。突き出す骨。撒き散らされる臓腑。
 そして……大地を染め上げる朱こそが、この世界の全てだった。
 それはかつて、名城と謳われたニューカッスルの末路。
 美しい彫刻の刻まれた城壁は瓦礫となり、爽快な風と共に翻った旗は燃え落ちた。
 攻城に要した時間は僅かだったが、『レコン・キスタ』と王党派の戦いは想像の範囲を超えていた。
 とはいえ所詮は多勢に無勢。開戦時刻を偽り、内部に事前に潜入した兵に内側から切り崩され、王軍は全滅した。そう文字通りの全滅だ。最後の一兵に至るまで、王軍は戦い、敗れた。
 その結末を知りながら、彼らは戦い続けた。祖国への忠誠を、愛国を胸に抱きながら戦い抜いた彼らを後の者たちはどう語り継ぐのか?
 それを知る事は、物言わぬ英雄たちには知る由も無い。


 戦が終わった二日後、肌を灼く日差しの下、廃墟を闊歩する長身の貴族の姿があり、彼の隣には、フードを目深に被った女のメイジが寄り添っていた。
 誰が知ろう。この男こそがこの悲劇を紡ぐために一国を裏切り、全てを壊した男だと。
 誰が知ろう。この女こそが多国を騒がせた大怪盗である女だと。
 彼女、『土くれ』のフーケはラ・ロシェールからフネに乗り、昨晩、アルビオンの首都、ロンディニウムの酒場でワルドと合流し、このニューカッスルの戦場跡へと足を運んできた。
 周りでは、『レコン・キスタ』の兵士たちが、財宝漁りに勤しんでいる。宝物庫と思しき辺りでは、金貨探しの一団が歓声をあげていた。
 長槍を担いだ傭兵の一団が、元は壮麗な中庭だった瓦礫の山に転がる死体から装飾品や武器を剥ぎ取り、魔法の杖を見つけては大声で喚いている。

「どうした、土くれよ。貴様もあの連中のように、宝石を漁らんのか。貴族から財宝を奪い取るのは、貴様の仕事ではなかったのか?」
「あんな連中を一緒にしないで欲しいね。死体から宝石を剥ぎ取るのは、趣味じゃないの。私は大切なお宝を盗まれて、慌てふためく貴族の顔を見るのが好きだったのよ。こいつらは……」

 僅かな一瞥の後、フーケは目を伏せた。もう何も無い。
 あれ程までに憎かった貴族も、己の家族を奪った国王も……

「……もう慌てる事も、騒ぐ事も出来ない」

「アルビオンの王党派は貴様の仇だろう。王家の名の下に、貴様の家名は辱められたのではなかったか?」

 そうね……。とフーケは呟く。もう終わってしまった。
 もうここには何もない。この崩れた城と同じように、かつて身を焦がした憎悪も崩れて風に舞う。
 結局……復讐とはそういう物。これまでの全てを差し出しながら、胸に残るモノは何もない。失った時から空いた穴は、違う何かで埋めるしかないのだと、そうフーケは納得する事にし、ワルドの方へと向き直る。

「あいつは……私のゴーレムを倒した男はどうなった?」
「さてな……。生きているならまた会うだろうし、死んだならばそれまでだ。ただ……」

 そこでワルドは言葉を区切ると、杖で地面を指した。二日前まで礼拝堂であった場所へ。ワルドとルイズが結婚式を挙げようとした場所であり、ワルドが婚約者を殺した場でもある。
 呪文の詠唱と共に巻き上がる瓦礫。
 そこに眠るのは、かつては幼くも絵画の如き美貌と年相応のあどけなさを持った、一人の少女。
 だが、生前の頃にあった天使のような姿は其処にない。瓦礫に押し潰された事で、四肢は千切れ、木片によって胸のあたりは陥没している。
 あの美しい鳶色の瞳さえ、瓦礫による圧迫で眼球が飛び出していた。

「愛してなかったの?」
「忘れたよ……そんなモノ」

 思わず目を伏せずにはいられない惨状に、やや硬くなった口調で質すフーケに目もくれず、何処か遠いモノを見つめるように、ワルドは呟く。
 そして、程なくした頃に二人はある物が目に着いた。直径一メートルほどの、巨大な空洞。
 恐らくはジャイアントモールの仕業か何かだろうと、ワルドは口に手を当てて考える。
 心当たりは、ある……。任務の初日、学院に足を運んだ際、かつての婚約者を襲った使い魔と、その主である学生のメイジ。

「ふ、ふふふ……ははははははははは! 全く持ってやってくれたな! ええ!? ギーシュ・ド・グラモン!
 あの小僧といいお前といい、どうしてこう期待を裏切ってくれる!? いいぞ、何度でも来い! 失望なぞさせてくれるな、何もかもを終わらせて見せろ!!」

 声高に叫ぶワルドを前に、フーケは身じろぐ。当然だ。まるで石像か何かのように無機質であった男が、こうも叫んだとあっては動じない方がおかしいという物だろう。
 だが、そんな狂乱もすぐに熱を冷ます事になる。
 遠くより投げ掛けられた、快活な声。いや、それは快活と言うよりも、陽気に近いだろう。
 緊張感も無く、間の抜けたような声は聞くだけで気が緩みそうになる。

「お~い! 聞いてますか~? 聞いてないならそう言ってくださ~い!」
「これこれ、そのような声では気が緩んでしまうぞ。
 君の活躍は素晴らしかったが、少しは子爵を見習いたまえよ」

 現れた男は、傍らに立つもう一人の男を叱責する。
 尤も、叱られた方の男は気に留めていないのか、その足取りは飄々としたものであったが。
 叱責した方の男は、年の頃は三十代の半ばといったところか。高い鷲鼻に、理知的な色を湛えた碧眼。帽子の端から、カールした金髪が覗いている。
 球帽を被り、緑色のローブとマントを身に纏っていた。一見すると聖職者のような姿ではあったが、その物腰は軽さは軍人とさえ見紛うだろう。

「ワルド君。件の手紙は見つかったかね? アンリエッタが、ウェールズにしたためたという手紙は。ゲルマニアとトリステインの婚姻を阻む救世主は見つかったかね?」

 こちらに、と手渡す子爵に対し、僧衣の男は満面の笑みで御苦労と応える。
 しかし、その間の子爵自身は沈鬱な面持ちであったが。

「閣下。どうやら、ウェールズ皇太子は亡命を図ったようです。この罪は我が命で贖って頂きたい」

 地面に膝をつき、頭を垂れるワルドに閣下と呼ばれた僧衣の男は笑みを浮かべ、近寄るとその肩を叩く。

「何を言うか、君は目覚ましい働きをしたのだよ。これでトリステインとゲルマニアは同盟を断たれ、我が版図は後に類稀なる拡大を見せる。
 その第一歩を君は果たしたのだ。ああ……勿論君にも感謝しているよ、ピェーペル君」

 傍らに立つ陽気な男。ピェーぺルは僅かに肩を竦めつつ、友好的な意味を見せた。

「やー。どうもどうも」
「此度の大勝の大きな要因は君にある。まさか開戦時間より速くこちらの人員を潜り込ませ、少数精鋭で内側から食い潰すとはね。
 優秀な兵を数人失ったのは大きいが、あれが無くばかなり多くの兵が損耗した事だろう。
 此度の件では君達二人の健闘を称え、余から褒美を与えたい。
 さあ、何を望む?」

 その質問に割り込む形で、フーケは前に進み出る。男に関心はないものの、こうまでおざなりな扱いをされては、流石に想う所があったのだろう。
 優雅な仕草ではあるモノの、その表情は笑っていない。

「それより、私には挨拶をしてはくれないのですか? ミスタ」
「おお! すまない。君の噂は存じておるよ、お会いできて光栄だ。ミス・サウスゴータ」

 その発言に猜疑の念を抱きつつも、フーケはすぐさま得心する。
 そう。子爵が何故自分の事を知っていたのかを。

「あなたですね。子爵に私のその名前を教えたのは」
「そうとも。余はアルビオンの全ての貴族を知っておる。系図、紋章、土地の所有権……、管区を預かる司教時代にすべて諳んじた。おっと、ご挨拶が遅れたね。
『レコン・キスタ』稔司令官を務めさせていただいておる、オリヴァー・クロムウェルだ。元はこの通り、一介の司教に過ぎぬが、貴族議会の投票により、総司令官に任じられたからには、徹力を尽くさねばならぬ。
 始祖ブリミルに仕える聖職者でありながら、『余』などという言葉を使うのを許してくれたまえよ? 微力の行使には信用と権威が必要なのだ」
「閣下はすでに、ただの総司令官ではありません。今ではアルビオンの……」
「皇帝だ、子爵。確かにトリステインとゲルマニアの同盟阻止は達成した。しかし、それよりももっと大事な事がある。なんだか判るかね? 子爵」
「閣下の深いお考えは、凡人の私にははかりかねます」

 クロムウェルは両手を振り上げると、まるでオペラの主演か何かのように。大げさな身振りで演説を開始する。

「『結束』……鉄の『結束』だ。ハルケギニアは我々、選ばれた貴族たちによって結束し、聖地をあの忌まわしきエルフどもから取り返す。
 それが始祖ブリミルより余に与えられし使命なのだ。『結束』には、何より信用が第一でね。だからこそ余は子爵、君を信用する。些細な失敗を責めはしない」

 そこまで言い、クロムウェルは、さて、と子爵の視線の先にあるモノ。
 今は物言わぬ肉塊となった少女に目を向ける。

「その偉大なる使命のために、始祖ブリミルは余に力を授けた」
「閣下、始祖が閣下にお与えになったカとはなんでございましょう? よければ、お聞かせ願えませんこと?」
「零番目の系統、虚無だよ。ミス・サウスゴータ。
 余はその力を、始祖ブリミルより授かった。だからこそ、貴族議会の諸君は、余をハルケギニアの皇帝にすることを決めたのだ。
 さて子爵。君は先程からその少女を見ていたが、今一度話してみたくはないかね?」
「……宜しいのですか?」
「君の願いはそれのようだ。では、ミス・サウスゴータ。貴女に『虚無』の系統をお見せしょう」

 クロムウェルは腰に差した杖を引き抜き、小さな詠唱をロから漏らすと他の者には見えぬよう、心臓に指輪から零れる雫を垂らす。
 その瞬間、崩れた身体が戻って行く。飛び出した眼球、千切れた四肢、陥没した胸。
 それらは再生と言う言葉ですら馬鹿馬鹿しくなるほどの速さで復元され、元の姿を完璧に再現する。
 そうして、彼女はゆっくりと身を起こした。青白かった顔が、見る見る内に生前の面影を取り戻していき、完全に立ち上がる頃にはかつて見せた美貌を取り戻していた。

「おはよう、ミス」
「あなたは……?」

 まるで寝起きの子供の様な動作で尋ねる彼女に対し、クロムウェルは手を差し伸べて立ち上がらせる。

「皇帝だよ、ミス。宜しければ、貴女の名前をお伺いしても良いかな?」
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。皇帝陛下」

 恭しい動作で一礼する彼女に、うむと頷くと、クロムウェルは子爵へと引き合わせる。

「ワルド君、安心したまえ。どの道トリステインは裸だ。余の計画に変更はない。
 外交には二種類あってな、杖とパンだ。とりあえずトリステインとゲルマニアには温かいパンをくれてやる」
「御意」
「トリステインは、なんとしてでも余の版図に加えねばならぬ。あの王室には『始祖の祈祷書』が眠っておるからな。聖地に赴く際には、是非とも携えたいものだ。
 さてピェーペル君。君は何を望む?」
「いえいえ、こちらは何も要りませんよ? 欲しいモノは手に入りましたしね」
 肩に下げた漆黒の魔剣を見せつけるピェーペルという男に満足げに頷くと、クロムウェルはルイズを置いて去っていった。


     ◇


「さて」

 クロムウェルが立ち去った後、子爵はピェーペルと名乗った男に向き直る。
 猜疑と憎悪に満ちた、負の表情で。

「どういうつもりだ?」
「さて。何の事でしょう?」
「とぼけるな!」

 怒りを露わにする子爵を前に、男はただ黙するのみ。
 柳に風と言う言葉は、正にこういう事を言うのだろう。

「何故開戦前に奇襲を行った!? あれさえ無ければ、万事上手く行っていたというのに!!」
「そう言われましてもねぇ……貴方が内部に潜っていた事は聞き及んでいましたが、こちらは損耗を少なくしろと言う命令に従っただけですし。
 まさか婚約者を殺す程に汚染されていた・・・・・・・とは思わなかったので」
「何?」

 首をかしげる子爵に、男は下らないとばかりに溜め息を零す。
 付き合い切れない、と。
 まるで三流劇場の三文芝居を延々と見続けたような観客のように、苦々しい顔つきで。

「もういい。今の貴様には何を言っても無駄だ」

 そんな言葉を口にした。
 言葉が出ない。確かにこの男が得体のしれない人間である事は子爵も知っていた。
 だが、本心からの言葉を口にする事も無かったのだ。
 この男は道化だと、そう思っていたが故に、子爵は男が距離を取るまで反応が遅れる事になる。

「待て! その剣を何処で手に入れた!?」
「拾ったんですよ。鹵獲なら他の連中もやってるでしょう」

 もう男は何も見ていない。この場に留まる理由さえ無いと言うように、子爵たちを意に介す事無く、その場を立ち去った。


     ◇


 そうして男が去った後、フーケは薄紅色の髪の少女を見つめる。
 美術品を検分するように、その目は一つの嘘も逃さないと言うように見つめるも、やがて溜息とともに視線を離す。
 飽きたのではなく、少女が彼女の方に向いた事に居心地が悪く感じた為だ。

「これが、虚無………? 死者が蘇った。そんなバカな」

 子爵も遣る瀬無い顔つきであったが、本人が去った以上は関心が薄れたのだろう。
 フーケへと向き直り、口を開く。

「虚無は生命を操る系統。閣下が言うには、そういうことらしい。おれにも信じられんが、目の当たりにすると、信じざるを得まいな」
「もしかして、あんたもさっきみたいに、虚無の魔法で動いてるんじゃないだろうね」
「生憎。幸か不幸か、この命は生まれつきのものさ。
 しかしながら、数多の命が聖地に光臨せし始祖によって与えられたとするならば、全ての人間は『虚無』の系統で動いているとはいえないかな?」
「驚かせないでよ」
「しかし、おれはそれを確かめたいのだ。妄想に過ぎぬのか、それとも現実なのか。聖地にその答えが眠っていると、おれは思うのだ」

 そう言いながら、子爵は傍らに立つ少女の髪を手櫛で梳きつつ問うた。
 君は、おれを憎むのか、と。
 少女は返さない。ただ、微笑み返しながらそっと子爵の手を取り、応えた。

「────あなたは、変わられてしまった」

 かつてと同じ微笑み、かつて小舟で見せた、無垢な笑顔のままで。

「……それはお互い様だよ、ぼくのルイズ」

 微かに漏れたその言葉は、誰の耳にも届かなかった。


     ×××


あとがき

 第三章三話。投稿完了しました。

 しかし、今回も内容としては酷い……読者様が愛想尽かすのも無理ないと改めて思いました。

 VOL1とか最初は伏線張ったりする以外は何も考えてませんでしたし、主人公は高圧的で貴族に否定してるしでかなり酷い内容ですし。
 やっぱりもう一度(というか何度も)見直して修正する必要がありそうです。

 こんな稚拙な作品がArcadiaに有ることが許せない読者様がおられる事でしょうが、途中で投げ出すのはダメだと思うので書けるところまで書き続けようと思います。

 さて、次回は出張もありますので遅れることになりそうですが、飽きもせず私などの作品を読んで下さる方と、辛辣であってもご指摘をしてくださる読者様に無情の感謝を。

 それでは今日はこのあたりで、失礼いたします。



[5086] 004
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/10/21 14:33

    Side-Guiche


 頬を霞める風は冷たくも温かくもなく、ただ生温い。どうせなら真冬の様な冷たさを持ってくれれば今の自分にとっては嬉しかったのだが、それはそれで朝が辛いので結局は季節任せにするしかない。
 いや、ボク自身が風の系統なら話は違うのだろうが、生憎とコモンマジック以外では土系統しか使えないし、土系統にしても使えるのも錬金や固定化、硬化が精々だ。
 ……けれど、今はそれで良い。ボクにも出来る事はあるのだと、彼は教えてくれたから。
 今はまだこれしか出来ないけど、この一つを鍛える事は自分にはとても誇らしい。
 運ばれてきた夜風に汗で張り付いた髪の数本を乱されながら、空を見上げる。
 まだ遠い。この程度では、彼に届かない。

 そして────あの卑劣な裏切り者にも。

 自らが造った槍の一振りを手に取り、片手で弄ぶ。
 とはいっても、今の自分でも扱える程に軽量化を施している訳ではなく、レビテーションで浮かばせているに過ぎない。
 最初は縦に、次は横に。重量その物で言えば七十リーブル───約三十三キロ───と言った所だろう。
 ジャベリンなどの投擲用の槍が三リーブル─── 一・五キロ前後───である事を考えればふざけているとしか思えない重量ではあるものの、『砲弾』として用いるには強度が不足している。

「独学の限界、か……」

 造花の杖の花弁は青銅から鉄へと変えているが、それでもまだ足りない。
 より多く、より強い武装を造り出すには、今のイメージだけでは駄目だ。
 土系統のメイジとしては教師であるミセス・シュヴルーズが優秀だが、彼女は錬金で武具を造る事には賛同しないだろうし、何より基礎的な部分を重視している。
 単純な素材を造り出すイメージは既に掴めている以上、ここから先は独力で磨いていくしかない。
 そういった点はナオヤに関しても同じだ。彼の発想や着眼点はなまじ教養として魔法を教えてくれる教師よりも実戦性を重視しているし、何より判り易く伝えてくれる。
 だが、彼はそういった知識を経験から引き出しているだけであって、メイジという訳ではない。
 あくまでもナオヤはアドバイザーであり、白兵戦や戦術の講師だ。
 魔法を扱った経験が無い以上、その説明を応用する事は出来ても魔法の実践する分に役立つかと問われれば否と応えるしかない。
 ……せめて、そちらに強い方が居てくれればいいのだが。
 馬鹿な事を考え、すぐさま首を振る。戦場に立つのは貴族の義務であり、従軍する事が常と言えど、そう簡単に戦場に慣れ親しんだ教師など見つかる筈もない。
 いや、『疾風』のミスタ・ギトーはそちらの噂を耳にしているが、風系統以外の生徒の面倒は見たがらないだろう。
 ……結局は現状維持。先に進む術がないのであれば、基礎を磨いて地力を上げて行くしかないのだから。

「先は長いな……」

 言葉と共に肺に溜まった重苦しい空気を吐きだし、帰路に立つ。
 ────本当に、先は長い。


     Side-Naoya


 ひゅー……ひゅー……ひゅ……ごぼッ…………。

 口元から零れかけた液体を、目覚めと共に片手で塞ぐ。
 部屋に差し込む日差しは暖かく、その強さは夏季の到来を告げるものである筈だと言うのに、この身体は冷え切っていた。
 脳を万力か何かで締め上がられる様な疼痛。五臓六腑を素手で捏ね回されたかのような嘔吐感。軋む骨と関節は今動けば次はないと訴える様に、一挙一挙に苦痛という信号を全身に伝える。
 ああ、生きている。この目覚めくつうがあって、初めて俺は俺が生きているという実感を得るに至るのだ。
 何と言う蒙昧さか。痛みなど無くとも、真っ当な人間であれば生きている実感など呼吸の一つでさえ足りると言うのに、俺はここまでの痛みがなければそれを実感する事が出来ないのだから。
 痛みと眩暈でドロドロになった思考を覚醒され、手に付いた液体をジーンズに擦り付けた。
 こういう時、黒い服は便利だと改めて実感する。日本に居た頃から周りの連中には気味悪がられていたが、多少の血を擦り付けても目立たず、誤魔化しが効く。
 口内に残る鉄と塩気の利いた血を唾と共に飲み下し、外へと出た。

「もう行かれるのですか?」

 しわがれた声で訊ねて来た御老人……仁さんに挨拶と共に一礼すると、いいえと頭を振る。

「こちらを発つ前に、もう一度逢っておきたい方が居ますので」
「シエスタは朝餉を作っておった筈ですが……成程、ありがとうございます。
 父上も喜ばれましょう」

 どうも、ともう一度一礼し、俺は目的の人物に会うべく歩を進めた。


     ◇


 共同墓地の一角。かつて『竜の羽衣』を譲り渡す条件として訪れた場所の前へ、俺はもう一度立つ。
 おそらくはこれで最後。もう二度と、自分はこの場所へ来る事はないだろうと、そう思いながら俺は両の手を合わす。
 伝えるべき事は多くある。陛下が崩御され、零戦をお返しする事が出来ないと言う事。
 ここに眠る人物の妻……女手一つで佐々木の家を護って来た女性は、生涯貴方を想い、一人身を通した事。
 自分の曾祖父である宇川誠が、最期まで貴方を気にかけていた事。
 そして……俺が宇川を継いだという事。
 どういった事情かは未だに思い出せない。事故だったのか、何らかの事件に巻き込まれたのか。
 だが『徒花』が俺の家族はおらず、俺が宇川を継いだと語った以上、それは真実なのだろう。
 自分に関わりの浅い所は思いだせると言うのに、肝心なことばかり忘れてしまうとは……。
 
 己の覚えている限りの事を報告し、合わせた手を離す。
 ここまでは宇川の家を知る人間としての報告であり義務。俺が本当にここに来たのは、そうした報告だけでなく、俺自身が言いたかった事があるから。
 静かに、だがしっかりと頭を下げる。ここに眠る人物。
 終ぞ祖国に帰る事の出来なかった、日出国の英霊に。

「────本当に、ありがとうございました」

 俺がここに立っているのは、多くの日本人が、今も平穏に暮らしていけるのは、

「今があるのは───貴方達の、お陰です」

 あの戦争は、確かに間違いだったのかもしれない。多くの人が苦しんで、多くの命が、塵芥のように散って行った。
 戦争は悪であり、人殺しが罪だと言う事は理解している。そんな当たり前のことは誰だって判っている。
 けれど、それは今の人間だから、あの時代の人間ではないからこそ言えることだ。
 確かに利己的な考えに走った者もいれば、戦争を言い訳にした者も居た。
 だが、どうしてそれが、彼らの全てを否定する事に繋がるのか?
 あの時代、あの世界を生きた人々は、ただ必死だった。
 犯した過ちは確かにあっただろう。だがそれと同じ、いや、それ以上に流すべき涙も多くあった。
 かつて、曾祖父が言った言葉。おぼろげな己の記憶の中で、今も鮮明に覚えている言葉を、俺は思い返す。

『御國とはな、故国だけの事を言うのではない。生まれ育った故郷、刻まれた歴史と文化、愛すべき家族。
 かつて我々が御國と呼んだのは────それら全てなのだ』

 護るべき民。愛すべき祖国。彼らはそれを、ただ掛け替えの無いモノを護りたかった筈だ。
 だというのに、世間の多くは彼らを悪と呼ぶ。己の国の恥部だと、空襲で失った家族や同郷の者に涙を流し、それらを愛していた想いを胸に認めて散って逝った彼らを、何故罪人のように敬遠できようか?
 家族を残し、先立った者。次の世代の為に、死地へ向かった者。
 彼らは……最期まで愛していた。

 自分達の────護り通したかったモノを。

 再度の一礼と共に、振りかえる事無くこの場を立ち去る。
 俺は……貴方達の様に護る事が出来なかったから。
 だからせめて……俺は……………………。


     ◇


 シエスタの家に戻り朝餉を取った所で、約束を果たして貰うべくタバサへと向く。
 今日で三日目。身体は癒えていないが、約束は約束だ。

「あの……その前に、見て貰いたいモノがあるんです。
 まだ、時間はありますよね?」

 唐突に、横からかけられたシエスタの言葉に数瞬の間煩悶するも、すぐさま頷く。
 きっと、これが最後。もうこの村に来られる事は、おそらく無いだろうから。



「この草原、とっても綺麗でしょう? この景色をナオヤさんに見せたかったんです」

 本当に美しい。透き通るような群青の空は山々を映えさせ、そよ風に凪ぐなだらかな大地へ降り注ぐ日差しが、緑の草原に彩りを添えさせる。
 言葉さえ出ない。三日も此処に居たと言うのに、こんな素晴らしい景色を、俺は目に収めようとさえしていなかったのだ。
 シエスタも俺も、お互いの顔を見る事はなく、けれど同じ遠い地平を見つめている。
 それが今は、とても心地良い。

「私、ナオヤさんに憧れてたんです。貴族よりよっぽど強くて、いつも何処か遠くを見てるけど、周りに居る人たちの事を何時も気遣ってくれて……」

 それは俺への言葉なのか、単に彼女が胸の内を独白しているだけなのかは判らない。
 だが、その先にあるモノを俺は理解していた。いや、俺でなくとも余程の朴念仁でなければ理解出来よう。
 女性の心に愚鈍である男というモノは、等しく罪深いものなのだから。

「嬉しかったんです。学院に居る間はお仕事でお喋りが出来なくて、私と同じように奉公している人たちも、憧れる半面何処かナオヤさん怖がっていたから、近付こうとする私を引き止めてましたし」

 当然だろう。どれ程意識していなくても、彼らは俺が普通と何処か違う事は感じていた筈だ。
 人間に限らず、生物は異端を拒絶する。ましてや俺の様な人殺しであれば尚更だ。

「けど、私はそんな事はないって思ってました。あなたからは懐かしい感じがしたから」
「……俺も、」

 歯切れが悪い。言わなければならない言葉と、彼女の言葉から感じた本心とが、今も内で鬩ぎ合っている。

「シエスタを見て懐かしいと感じた」

 吹き抜ける風と共に薫るのは、果てまで広がる草原と、シエスタ自身から来る日向の香り。
 懐かしく、何処か落ち着くその姿を、俺は首だけを向けて見つめていた。

「……ナオヤさん、どうしても学院に帰るんですか?」

 思いつめた様に硬い声質で問うシエスタに俺は口を開こうとする。
 答えなぞ初めから決まっている。俺がルイズ・フランソワーズの使い魔として、彼女を護れなかった罪を背負うのは当然だ。だというのに。

「────行かないで」

 泣きそうな、そんな声と表情で、シエスタは俺を引き留める。
  
「もう良いじゃないですか。ナオヤさんは何も知らないまま異国から連れて来られて、無理やり使い魔にされて……。
 ミス・ヴァリエールは確かに気の毒でした。けど、彼女は自分から死地に行ったんでしょう? 姫殿下の為だから。自分の栄誉の為に。
 ……ミスタ・グラモンも言ってました。フーケの時も、ナオヤさんは何も手に出来なかったと。一番頑張ったのに、何も与えられなかったって。
 なのに……どんなに忠義を尽くしても報われないのに、いざ失敗したら責任を取れなんて、おかしいじゃないですか」

 そっと、シエスタは後ろから手を回す。俺からは彼女の姿は見えない。
 ただその息使いだけが、後ろから伝わってくる。

「一緒に、この村で暮らしましょう? 父も、おじいちゃんも認めてくれる。
 私さえ良ければ学院の奉公もしなくていいって。麦を植えて、畑を耕して、葡萄を作って、弟や妹たちと笑って遊んで……そんな当たり前を、あなたと生きたいんです」

 叶うなら、望む事が出来たなら、それはなんて素敵な願い ユメ
 退屈で在り来たりで、だけど愛おしいと感じる日常。ああけれど……

「済まない────俺は、君を愛せない」

 俺は、それを引き剥がした。手にすれば掴める安息にちじょうを、今この手で断ち斬ったのだ。
 何て愚か。こんな自分を愛してくれる少女さえ、俺は振りほどこうと言うのだから。

「……逢って日の無い、ましてや少なからず血の繋がった女に、好意を抱く事は出来ないというのね」

 本当は……違う。そんな暖かな日々みらいがあるのなら、それは素敵な事だろう。
 畑を耕し、愛を育み、子を育てながら日々の幸福に感謝する。
 そんな少女のささやかな願いユメを、俺は砕いたのだ。
 俺にその資格が無いからと、愛を得るには罪を重ねすぎたからと。
 この身に残された時間が無いからと。
 その選択は彼女を必ず不幸にすると、自分一人で決めつけて。

 シエスタの想いを────踏みにじったのだ。

「酷い人。あなたも、私も」
 
 それは、どういう……?

「ミスタ・グラモンと一緒に水系統の教師の方から聞いたんです。
 ナオヤさんの水の流れがおかしいって……もう長くないって」
「それは……」
「良いんです。ナオヤさんが優しいのは、判ってますから。それに言ったでしょう、私も酷い人なんです。
 ミス・ヴァリエールが亡くなって、ナオヤさんが一番傷ついている時に、それを利用としたんです。私がナオヤさんに振り向いて欲しいがために。
 恨みごとの一つでも言えば、優しいあなたは靡いてくれると、そんな恥知らずな真似までして……」

 失ったモノ。空いてしまった胸の内に入り込もうとしたのだと。
 その為に嘆くべき少女の死を利用したと、俺自身の心情さえ逆手に取ったとシエスタは語る。
 だが、それを否定する事は出来ない。何故なら、

「ありがとう。その気持ちを嬉しく思う」

 それは傷を癒そうとするものだから。失ってしまったモノ。俺がこの手から取りこぼしてしまった事で出来た穴を、シエスタは塞ごうとしたのだ。
 たとえシエスタ自身にそういった考えが無かったとしても、彼女が俺の悲しみを癒そうとした事実は変わらないのだから。

「本当に酷い人───そんな言葉を投げ掛けて、それでも私の元には来て下さらないのね」

 ああ────本当に最低な答えだ。

「後ろを、向いて下さい」

 言われるがまま、背を向ける。
 背に感じたのは、つい先ほど引き剥がした暖かな温もりと、熱い雫。

「少しだけ、こうさせて下さい。
 少しだけ……そうしたら、いつもの私に戻りますから。
 何処にでもいる、一人の村娘に戻りますから」

 ここで振り返り、抱きとめる事が出来たらどんなに楽だろう?
 それだけで、この少女がどれ程満たされ、救われるだろうか?
 けれど、それをする事は出来ない。俺はそういう選択をしたから。
 それは単に俺だけのエゴでしかないから。俺自身が楽になるだけの選択だから。
 本当に馬鹿な男だと思う。もし身近に入れは殴りたくなるだろう。

 それでも。

 例えそれがシエスタを傷付けてしまうとしても、これから先も、彼女を傷付けることになったとしても。

 俺は……シエスタと共には生きられないんだ───────────


    ◇


 本当にそれは僅かな時間。言葉を交わす事もなく、お互いが離れ、そうして帰路に着くと、タバサのシルフィードに一同が乗り込む。
 零戦はコルベール先生の伝手で、学院長が竜騎士たちを送ってくれたため、彼らが学院に届けてくれるそうだ。
 二、三の別れの言葉。シエスタの父と祖父の言葉と共に俺はシルフィードに乗ろうとし、そこで、シエスタの弟に袖を掴まれた。

「行っちゃうのか……?」

 それはここに居る間に、遊んであげた子供に一人で、シエスタが一番手を焼いていたやんちゃ坊主で。

「ごめんな」

 その瞬間。俺は思いっきり殴られた。

「シエスタ姉ちゃん、兄ちゃんと一緒に居たいって言ってたんだ」

 あわてて駆け寄ろうとする御老人やシエスタを、俺は手で制す。

「兄ちゃんの事が好きで、俺も兄ちゃんが家に居てくれたら良いって思ってた。
 許さないかんな……」

 許さないという言葉。純粋に、姉を想うからこその肉親の言葉が、俺の胸を貫く。

「だから……全部終わったら、もっかい姉ちゃんに謝れ。
 やる事があるから帰るんだろ。それで姉ちゃんを振ったんだろ!
 好きとか嫌いじゃなくて、姉ちゃんの事なんかこれぽっちも考えないで……」

 だから、今度こそ謝れと。立場や役目からではなく、男として本当の意味で、言葉を告げろと。
 自分の半分にも満たぬ少年は、そう俺に怒鳴った。

「俺、兄ちゃんが大好きだったけど、大っ嫌いになった。
 けど、姉ちゃんはまだ大好きなんだ。だから……」

 俯いたまま、怨嗟の念を向ける少年の手を取る。
 膝を付いて、同じ眼の高さになって、俺ははっきりと告げる。

「約束する。シエスタには、全てが終わったらちゃんと謝る。
 勿論、君自身にも、君の家族にも」

 だから……もう一度、ここに戻ってくる。

「約束だかんな」

 そう告げる少年に、俺は頷く。
 誓いは確かに。今度こそ、この手から取りこぼさない為に。

 そうして俺は、この村を後にした。
 はるか上空。振り返った小さな村には、今も穏やかな風が吹く。
 願わくば、この村の景色が、変わる事が無い様に。

 そんな些細な願いが呆気なく砕かれる事を、今の俺は知らなかった。


     ×××
 

 あとがき

 
 今回はタルブの村の最後という事でシエスタの告白回でしたが、主人公には彼女を振って頂きました。

 よく多くのラブコメなんかでは曖昧な言葉で返して期待を持たせた挙句に、最終的にメインヒロインと付き合ってそのままという事が多いのですが、作者的には例え女性を傷付けることになっても、はっきりと断るべきだと思います。
 下手に長引かせて、その気になる様な言葉をかけて、結局『俺、あいつと付き合うから付き合えない』何て言うのは不誠実が過ぎると個人的に思います。

 まあ作者が言いたいのは、世のハーレム男共は女嘗めんなって事です。
 相手が真摯である以上は自分も真摯になって応えるべきでしょう。例え相手を傷付けるとしても。

 この辺り、ちょっと読者様の意見を訊いてみたいところですが。


 それとは別に、墓前で主人公が大東亜戦争について語っていたりしますが、主人公の曾祖父の言った(正確にはそう言ったと言う事を思い返した)時の発言ですが、

『御國とはな、故国だけの事を言うのではない。生まれ育った故郷、刻まれた歴史と文化、愛すべき家族。
 かつて我々が御國と呼んだのは────それら全てなのだ』

 この台詞、実は作者が考えた物ではなく、実際に第二次世界大戦で戦場に行った方から、数年前に取材で話を聞いた時に語って頂いた発現だったりします。
 勿論、今回の投稿に当たって、事前に許可は頂いております。
 やはり実際に死地に向かった方の言葉は重みが違うと思いました。


 さて、次回に関してですが、このまま本編を続けるか、番外編で主人公の曾祖父の話をするのか決めかねています。
 曾祖父の話は本編とは直接関わりはないのですが、主人公の思想の根幹となっている人物なので、どうした物かと悩んでいます。
 でも話が全然進まないのも問題なので、この辺りのバランスをどうにかしたいと考えていたり……。

色々と前途多難ではありますが、それでもこの作品を呼んで下さる方に感謝を。

 それでは皆様、また次回にお会いしましょう。


※以下、感想のお返しを。

 紅明さま。
 誤字報告、ありがとうございました。
 こんな作品でも楽しく読んで下さるとは……その言葉を励みに、これからもがんばって行こうと思います。
 本当にありがとうございました。







[5086] 005
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2011/02/18 22:13
 晴れ渡る空から窓辺に差し込む心地よい日差しを受けながら、トリステイン魔法学院の長たるオスマン氏はぼんやりと窓の外を見つめていた。
 退屈が好ましくない訳ではない。むしろ何事もなく過ごす日常というモノは、悲痛な過去を知る者からすれば何物にも代えがたい至福の時である。
 だが、現状のオスマン氏の顔色は芳しい物ではなく、苦虫を噛み潰した様な表情だ。
 愛用の水煙管さえ咥えていないことからも、今のオスマン氏がどれ程思いつめているかを見てとれる。

「学院長。ラ・ヴァリエール公爵から書簡が、」
「そこに置いておきなさい」

 面倒だと言わんばかりのオスマン氏の言葉に僅かに顔をしかめつつも、言われるがままに花押の押された書簡を『疾風』のギトーは机に置く。
 ギトー自身もここ数日でこの手の対応には慣れたものではあったし、既に机の上に置かれた何通もの書簡を見れば、学院長であるオスマン氏の態度にも頷けるものがある。
 居なくなったミス・ロングビル……『土くれ』のフーケの代役としてコルベールを秘書兼雑用に扱っていたオスマン氏だったが、その彼も居ない今ではギトーに給料分の働きをして貰うべく、コルベールの代役を務めて貰っていた。

「宮廷へ直々に出向いたという話もあります。恐らく……今日中にはこちらにも来るかと」
「判っておるよ」

 宮廷での公爵家の一件は既に聞き及んでいる。当然、それに対する宮廷側の返答も。
 内心今にも掴みかかろうとする程の憎悪を滲ませつつも、ミス・ヴァリエール……ルイズ・フランソワーズの一件で謝罪等を求めた公爵家に対し、宮廷側は今回の一件はトリステイン学院貴族の自由意思によって行動したものであり、こちらに非はないとした。
 尤も姫殿下自身は今回の一件で責任を感じ、直々に謝罪する事でその場を収めたらしいが、それがどれ程の慰みになったかは疑問だ。
 少なくとも謝罪のみで丸く収まるのであれば、こうして山のような書簡を送りつけようとはすまい。
 内容はどれも同じものだ。最初の一通を数行読めば、誰であろうと内容の察しはつく。

『娘の使い魔を寄越せ。それが出来ないならば、こちらから出向く』

 簡潔に纏めるならばこんな所だ。やや口調が荒いのは、公爵家の人間ではありえない様な走り書きが物語っている。幾ら文面では丁寧な口調で体裁を繕うとも、所々で強く握りすぎた為に穴の空きそうになった羊皮紙は誤魔化せない。
 恐らくは羽ペンに血が滲み込むほどの強さで書き殴ったのだろう。
 宮廷側にしても今回の件は見越していたらしく、何処から伝わったのか定かではないが、ルイズ・フランソワーズの使い魔が平民であるという情報を意図的に流したのは間違いない。
 その結果がこれだ。宮廷では既に今回の一件は片付いた事になっているし、一国の存亡を争う事態となれば口を挟む事も難しい。
 今の公爵家に出来る事は、戦争になった際に兵を出す事を拒否する位しか残されてはいないだろう。少なくとも、あの次女が居る限り、彼らはこの国を見限れないのだから。

「まったく……内輪で揉めている場合ではないと言うのに」

 アルビオン王家の崩壊に伴い、アルビオンの新政府樹立の公布が為されたのは、先日の事だ。
 何処ともなく流れた───無論、それが新生アルビオンの物である事は語るまでもない───前アルビオンのウェールズ皇太子と、トリステインのアンリエッタ王女とのスキャンダルによってゲルマニアとの同盟が破棄された今、トリステインに緊張と混乱が走ったが、神聖アルビオン共和国初代皇帝クロムウェルは特使をトリステインとゲルマニアに派遣し、不可侵条約の締結を打診し、両国は協議の結果、これを受けた。
 共和制という国家体制はゲルマニアにとっても眼の上の瘤である物の、トリステインとの空軍力を合わせても、アルビオンの艦隊には対抗しきれない。
 喉元に短剣を突きつけられたような状態での不可侵条約であったが、未だ軍備が整わぬ両国───特に同盟を破棄されたトリステインにとっては───にとって、この申し出は願ったりであった。
 それが表面上の物でしかなく、いずれアルビオンがトリステインを襲うであろう事は、ここに居るオスマン氏とギトーは理解している。
 あの日。特務が言い渡され、この学院の生徒が死地に向かった時から、彼らはそうなるであろう事を読んでいたのだから。

「ミスタ・ギトー。いざという時には私は学院の生徒を護らねばならん、その時は……」
「既にマンティコアを呼び付けてあります。
 例え王家の命が非ずとも、アルビオンを攻め落とした者共と、王家に反逆した卑劣な裏切り者をこの手で葬ってご覧にいれましょう」

 誰もそこまでは求めてはおらん、とオスマン氏は一蹴しかけるも、この男ならば例え止められようとそれを行うだろう。
 王家への反逆や国の危機、そういったモノよりも私的な点でギトーは神聖アルビオン共和国……レコン・キスタへの憎悪を抱いている。
 だが、だからといってオスマン氏は窘める様な真似はしない。既にギトーの決意は固まっているだろうし、万が一にもこの男が死ぬなど有り得ないのだから。
 故に、今は目と鼻の先にある問題を片づけなければならない。

「来たか……」

 言葉と共に視線を窓辺に移す。遠見の魔法なぞ必要ない。巨大な羽音を立てて迫る竜籠は、既に中庭へと降り立つ準備を始めていたのだから。


     ◇


 学院の中庭に降り立った人物を前に、生徒達は騒然とする。
 当然と言えば当然だ。竜籠と呼ばれる複数の竜によって高速移動を可能とする貴族御用達の乗り物に乗って来た事は本来彼らにとっては珍しくないが、それでも学院に来るのであれば手続きを踏み、正門から馬車で来るのが通例である。
 だが、そんな事は瑣末ごとに過ぎない。少なくとも、それに乗っている人物を鑑みれば。
 年頃は五十を過ぎた辺りか。やや白ずみ始めた金の髪と口髭を揺らし、王族さえもかくやという豪奢な衣装に身を包んだその貴族を、この国に於いて知らぬ者はいまい。
 ラ・ヴァリエール公爵。トリステインが誇る名門貴族にしてルイズ・フランソワーズの実の父でもある存在だ。
 左目にはめたモノクルの位置を戻しつつ竜籠の扉を開け、ゆったりとした動作で歩を進める。
 その姿を見た者からしてみれば不可解極まりないだろう。従者も付けず、駆け付けた教師に何を告げるのでもなく敷地へと踏み込んで来たのだ。
 ありえない。一体何故?
 授業を受けていた生徒達は眼下に現れた人物の唐突な来訪に不信感を抱くも、各々が憶測を口にする。
 曰く、ルイズ・フランソワーズは許嫁との婚約ではなく、学院を退学に処された為に公爵がやって来た。
 曰く、学院を中退するに当たってオスマン氏と何らかの手続きがある。
 学院の教師が生徒をなだめ、授業を続けるよう促すも、やはり公爵家の来訪ともなれば教師陣も気が気ではない。
 現に授業を中断し、オスマン氏に公爵の来訪を告げるべく足を運んだ教師や生徒で学院長室はごった返していた。
 そして、その中にあって、ギーシュは一目散に中庭へと駆けた。
 己がすべきことを、今から行う為に。


     Side-Guiche


 胸を締めあげる様な威圧感。まだ間近でさえ無いと言うのに感じる公爵の気配と殺気に足を竦ませそうになりながらも、礼を欠く事の無い様に片膝をつき、頭を垂れる。

「何のつもりか?」
「グラモン家の四男。ギーシュ・ド・グラモンに御座います。ご拝顔の栄にあたり、恐悦至極」
「何のつもりかと聞いている?」

 威厳を崩さぬ調子であるものの、言葉に怒気が混じる。
 かつて権力ではなくかつて積み上げた武勲の重さが未だに衰えてはいないと、邪魔立てするならばその全てを消し炭に変えると、そう言外に語っていた。

「此度の来訪の件につきましては存じております。
 貴方のご息女、ミス・ヴァリエールと共に此度の任務には私めも同行しておりました。
 同じ志を胸にし、忠誠と名誉を胸にかけながらも卑劣な裏切り者の眼を見抜けず、任務に失敗したばかりか貴方のご息女であり、共に貴族足るべく己を磨いていった友を護る事さえ出来ませんでした。
 故、罰を下すのはこの私めに与えて頂きたいのです」
「それは出来ん。貴公は確かに任務に従事していたが、娘を護衛する立場にはない。
 さらに言えば、貴公を罰するのは儂ではなくグラモン元帥が適任だろう。あの男には散々貴公の小言を聞かされていてな。学業も結構だが、いい加減に領地で元の生活を歩めばよかろう。貴公自身を鑑みれば、尚更にな」

 ああ、成程。要するにこの方はボクの秘密を知っているという事か。
 まったく、父にはあれ程硬く口止めしておいたというのに。どうも昔のよしみとなると口は軽くなってしまうものらしい。

「しかし、此度の任務においての責は貴族である私めが背負うべき筈。
 一介の平民に責を押し付けたとあっては、貴族たる己が許せないのです!
 何より、これはトリステイン国家の問題! トリステイン貴族たる自分が一人責を逃れるなど、」
「透けて見えるぞ。どうあってもその平民を庇いたいと見えるが……よもや、我が娘の使い魔は貴公の中にまで踏み入れるようになったか?
 ……いや、今のは下世話な話だったな。だが平民であろうとも使い魔である以上は変わらん。
 使い魔とは主を守護し、目となり耳となる者。その役を果たせなかった責は重い。
 何より貴公の為だ。かの者は斬首に処す。この決定は覆らん」

 遮るように告げだ決定。斬首という言葉が、脳裏に反響する。
 そんな事があって良いのか? そんなのはただの八つ当たりで、真に誅を下すべき相手が他に居る筈だと言うのに? そんな馬鹿な事があって良いのか!?

「しかし!」
「ギーシュ。もういい」

 思わず激昂しかける中、突然の声に振り向く。そこには、先程まで護ると誓った筈の少年が立っていた。


     ◇


 何故ナオヤはここに居る?
 彼は、キュルケ達とタルブの村に行った筈だ。その彼がどうしてこんなタイミングで戻ってくる!?
 ミスタ・コルベールは判っていた筈だ。ナオヤが戻れば、公爵家は必ず彼を殺す事を。
 一切の慈悲もなく、先程公爵が述べたとおり、斬首に処すだろう。

「貴様が……娘の使い魔か?」

 握りしめた豪奢な杖が、みしりと音を立てる。どれ程の体裁を取り繕うと、どれ程穏やかな口調で語りかけようとも、身から滲みだす怒気は隠せない。
 おそらくはこの場にボクがいる為だろう。次のナオヤの一言次第では、その首が地に落ちる。だというのに。

「はい。おそらく、来られるとは思いました。我が主、ルイズ・フランソワーズの御父君とお見受けしますが、相違いないでしょうか?」

 ナオヤが片膝をつき、恭しく頭を垂れている。
 それは、かつて姫殿下との対応を見た者だからこその違和感。あの時、姫殿下がルイズの部屋を来た時とは明らかに違う対応。確かにあの時も礼節を守ってはいたが、今回程ではなかった筈だ。
 つまりはそういうこと。ナオヤが真に見つめていたのは、ルイズ・フランソワーズという女性に対してのみであり。
 ナオヤにとっての自分は、ただそこに居るだけの、所謂クラスメイトとして接する物でしかなかったという事で。
 けれど、自分はそれを悔しいとは思えない。だって、ナオヤにとってのボクは────

「その通りだ。此度の来訪、その意味が判らん訳ではあるまい?」

 その言葉に、再び現実に引き戻された。
 そうだ。目の前の人物はそのためにこそ存在する。断罪を。ただ使い魔としての責務を全う出来なかった者に厳粛なる粛清を。
 ただその為に。公爵はここに来たのだ。
 故に、ここでの自分の行動は決まった。ナオヤを押し退ける形で公爵と彼の間に立ち、片膝をつく。
 これで良い。怒りは膨れたが、その対象がこちらにある以上は流血を回避できる。
 後は目の前の人物が矛を収めるだけの材料を用意すれば良い。

「お待ち下さい、此度の件はワルド子爵の裏切りによる物。平民である彼には栄あるグリフォン隊の隊長を止めるには荷が重すぎるのでは?」
「……との事だが。平民、此度の件で申し開きがあるならば言ってみよ」

 項垂れた首筋に置かれる杖。あと一言。たった一挙動の動作で、ナオヤの首は宙を舞う。
 目前に迫る『死』を前に、しかしナオヤは恐れを感じさせぬ声で応じる。

「アルビオンの貴族派が、近々トリステインへと攻め入る事は明らか。故、自分に最前線へ向かう御許可を頂きたいのです」
「その条件として、我が娘を護れなかった罪を不問にせよと?」

 論外だとばかりに杖に力を込める。
 生を伸ばしたければ、もう少しまともな事を言えば良い。娘さえ護れなかった貴様が、アルビオンとの戦いに身を投じるなどあり得ないと、公爵殿は思っているに違いない。
 だがボクは知っている。ナオヤは責任を先延ばしにしたり、ましてや放り投げる様な事をする人物ではない。

「自分の望みは一つ。〝元〟魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵の首級を上げる事。
 その後はこの首を好きに扱って頂いて結構。主亡き後の世に、未練なぞありません」
「吠えたな……平民。だが、貴様にそれが出来るか?
 敵の空軍力はトリステインのみならず、愚昧な成り上がり者共とはいえ、こと軍事力のみであれば精強たるゲルマニアをも凌ぐ。それを、空も飛べぬ平民が相手取ると?」
「二言は御座いません。卑劣なる裏切り者と、アルビオンの兵を討ち取ると約束致します」

 しばしの静寂。一秒か二秒か、時間に置き換えればその程度だろう。
 だが、喉を干上がらせ、ここから先の展開に内心の不安を湧き上がらせるには充分な時間。
 それに耐え切れず、思わず声を上げようとした所で、

「その言葉に、偽りはないか?」

 突如として現れた貴婦人に、皆が目を奪われた。
 年老いたマンティコアから降りた貴婦人に、第一に反応したのは公爵だ。何故なら彼女は、公爵の妻なのだから。

「来ていたのか……?」
「ええ。貴方の様子がおかしかったもので、大方宮廷の雀たちの情報に一先ず乗ってやったと言うところなのでしょうが、まさか本当に平民とは……」

 齢五十を過ぎてなお澄んだ声を響かせる貴婦人、ラ・ヴァリエール公爵夫人はため息交じりにナオヤを一瞥すると、公爵へと顔を向けた。

「まあ、それは良いでしょう。それよりも、貴方に拝謁したいと申し出る者が居るのです」
「オスマン氏か……あの男ならば先程から遠見の魔法で見ていたな。
 大方、手荒な真似をすれば止める手筈だったのだろうが、」
「いいえ」

 恐らくは気付いていたが故だろう。愚痴を零しながら杖を一先ずは引いた公爵に、夫人は遮る様に否定すると、後ろを振り向く。
 一体いつからそこに居たのか。フードを纏った人物はすっと、右手を前に出すと静かに告げた。

「既に貴族の者たちに衆目を晒している。ここから先は、学院長室で」

 本来ならば公爵殿は反駁しただろう。彼に対し、そのような発言をしていい者など、この国には片手の指程にも居ない。
 だが、公爵殿は渋々ながらに頷く。その右手に填められた指輪が、フードの人物の身分を告げていたのだから。


     ◇


 場を包む静寂。本来であれば大多数の人間が来たとしても収容できる筈の学院長室が、今では限りなく狭い。
 それは決して人数のせいだけではないだろう。ことこの場は二桁の人間さえ収容できる場所なのだから、その所為でないのは当然だ。
 それはすなわち、ここに居並ぶ者たちの存在感。
 ある者は嚇怒の念を持ち、ある者は策謀を練り、ある者は自己の断罪を望む。
 各々が持つ念と入り乱れる思考。そして重苦しい場の空気が、室内に充満していた。

「さて、自己紹介が必要な者は居るかの?」
「それには及ばん。皇太子殿下とは何度か顔を見合わせておるし、ここの教師陣も見知った顔なのでな」

 開口一番オスマン氏が周りを見渡しながら告げた言葉を、公爵殿が返す……というより両断したという表現の方が正しいだろう。
 如何に衆目に己の姿を晒していたとはいえ、平民の首を刎ねた程度であれば多少の動揺は広がるだろうが、それでもトリステインであれば公爵殿にナオヤが無礼を働いた、という事で落ち着く。
 強引ではあるが、少なくともこうして学院長室に集まった以上は流血沙汰には出来ないし、振り上げた拳を下ろす事が出来ない為にいらつきが増しているのだろう。

「それで? わざわざサイレントをかけて話を進めようと言うのだから、余程の事なのだろうな?
 言っておくが、そこの平民の罪を赦せと言うのは却下だ。無論、娘のみならず未熟な生徒をみすみす死地に向かわせたお前たち教師に関しても」

 その発言に対し、皇太子殿下が前に進み出ると同時、頭を下げた。

「すまなかった……だが、その使い魔君を粛清するのは私の話を聞いてからにして欲しい」

 頭を垂れる皇太子殿下に一同が瞠目するも、話を進めるにつれて、次第に平静を取り戻す。
 アルビオンでの一端。空賊に偽装した皇太子と兵の一団が商船を襲い、たまたまルイズ達を拿捕した事。
 その際にナオヤは独自に空賊に扮した皇太子殿下を見破り、ワルド子爵が裏切り者だと言う事を皇太子殿下に告げるも、後にワルド子爵がナオヤこそ裏切り者だと進言し、その発言を信用したばかりにナオヤを投獄した事。
 そして……。

「結果、我が娘の使い魔は救出に間に合わず、娘に命を救われた皇太子殿下と貴族と共に、崩落寸前のアルビオンから脱出した、という訳か……」

 話の幕を公爵殿が締めくくると、再び場が沈黙する。
 おそらく、ナオヤは見てしまったのだ。自らの血に沈むルイズと、そこに立つ子爵の姿を。
 そして、その一瞬の慟哭と放心を突いての子爵の奇襲に倒れた。
 ボクの見立てではナオヤが為す術無く子爵に倒された物ばかりだと思っていたが、成程、そういう事ならあの逆転劇にも納得できる。
 話の流れの通りなら公爵殿はナオヤを糾弾する事は不可能だろう。
 主であるルイズを守護する使い魔を引き離したのが、ここに居る皇太子殿下本人だと言うならば、責任は皇太子殿下と、姦計に嵌めたワルド子爵という事になるのだから。
 その内容に対し、公爵殿はしかし、と疑問を口にする。

「今の話を聞くに、そこの平民は如何にして脱出を図った?
 先程の話が正しければ状況は絶望的の筈。アルビオンより脱出する事は不可能だろう」
「それは……」

 至極尤もな疑問に、皇太子殿下は答えに窮する。しかし、その問いに応えたのは他ならぬナオヤだった。

「それはミスタ・グラモンの助けによるものです。殿下」
「な……」

 思わぬ発言に、声が漏れる。ボクの助け? 馬鹿な、あの場でボクらを助けたのは……。

「本当なのか?」
「はい。彼は子爵の姦計によってラ・ロシェールへ残されるも独力でアルビオンへと渡り、子爵によって窮地に陥った自分を救出し、単身で子爵へ挑み、退けました。
 後は先程の皇太子殿下の発言通りです」
「成程、ミスタ・グラモンには感謝しなくてはならないな。
 君が居なくては、私はこの使い魔君を弁護する事さえ出来なかったのだから」

 違う……何でそんな出任せを? 今回の功績があれば、不問とまではいかないまでも君を糾弾する事は難しくなる筈なのに。

「ミスタ・グラモン。本当に感謝しています。
 貴方に救って頂いたおかげで、自分にはもう一度機会が出来ました。あの場で主と共に死す事は叶いませんでしたが、あの裏切り者に一矢報いる機会を与えてくれたのですから」

 他人行儀な礼と、造り物の表情。
 それは演技とするにはあまりにも完璧すぎて、この場に居る誰もが、彼の表情に騙されてしまう。事実。

「……そういう事であれは、貴公を罪に問う事は出来んな。
 グラモン元帥には儂から言っておく。娘の事は残念であったが……貴公の勇気と献身には敬意を払おう」

 先程までの刺々しい物言いとは違う、称賛する笑みを見せた公爵殿。
 否定してしまいたい。それをすれば良い。そう今直ぐにでも……!

「公爵殿、自分は、」
「ミスタ・グラモン……そう言えば、子爵との戦いで受けた傷は癒えていないでしょう?
 未だに引き摺っているではありませんか。大部分は秘薬で癒されたようですが、片足が完治に至っていないご様子。
 此度の働きは見事でありましたが、貴方は此度の英雄。裏切り者と自身への憤慨も尤もでは御座いますが、御身は代替無き存在故、ご自愛ください」

 あくまでも平民としての礼を取りながらも、退出を促す。

「君は、君はそうやってきたのか……今までも、これからも!?」

 ……全て、背負い続ける気なのか? 自分一人で!!

「平民とは、傅く者で御座いましょう? そして、替えの効く物でもある。この国に住まう貴方ならばご存じの筈。
 自分などという卑賤の者にさえ慈悲の心を向けて下さった事だけでも、充分に報われました」

 その言葉を最後に、ミスタ・コルベールが自分の手を引く。
 これ以上は話せないと言わんばかりに、ボクは部屋の外へと連れ出された。


     Side-out


 ギーシュとコルベールの退出によって、再び場が静寂に包まれる。
 ここにこれ以上北澤直也を弁護できる人間はいない。いや、オスマン氏に関しては減刑を訴え出る事も出来たが、北澤直也本人がそれを望んでいない事は先程のギーシュとの会話が物語っていた。
 おそらく、死ぬ気なのだろう。傷を癒した時、この使い魔の少年が長くない事も水の流れから判っていた。だが唯で死ぬ気も無い事はオスマン氏にも判っている。
 いや、オスマン氏に限らず、優れた水系統のメイジである公爵も一目で判った筈なのだ。
 この国の貴族として裏切り者へ誅を下す。公爵はその大義名分の下、己の娘を殺した不届き者を自らの手で消したがっているのは周知の事実だ。
 それが公爵自身、娘を死地に追いやった宮廷連中の思惑通りであったとしても、結果として自身の得になるのであれば問題は無い。
 そして、だからこそ使い魔の少年を殺したがる。いや、正確には殺したいのではなく関わらせたくないのだ。
 公爵とて馬鹿ではない。物事の分別は付くし、この使い魔の少年に非が無い事は先刻承知の筈。何より、使い魔の少年を殺した所で留飲が下がるかと問われれば否だ。
 愛娘を奪った男への復讐。使い魔の少年はそれを妨げる要因だからこそ、公爵は彼を始末したがっている。
 無論、使い魔の少年がワルド子爵を殺せるなど露とも思っていない。公爵からしてみれば、己の不安要素を出来るだけ消しておきたいというだけに過ぎないのだ。
 だからこそ、そこに付け入る隙があるとオスマン氏は確信する。
 公爵の神経を逆撫でするのは肝が冷えるが、『破壊の杖』という恩人の遺品を取り戻して貰った時、出来る限りの事をすると約束した。
 ならば、この気難しくも忠義に厚い使い魔の少年にささやかではあるが、恩を返そう。
 この選択が救いとなる事は無いが、残りの余生位は、望む通りにさせてやりたい。

「ときに、ラ・ヴァリエール公爵殿。先日、アルビオンとトリステインの同盟が結ばれた下りはご存じか?」
「耄碌したか、オールド・オスマン」

スキャンダルを煽り立て、ゲルマニアとの同盟を破棄させた時点での同盟など有り得ない。
 そこいらの貴族の子供でも判りそうな問いを、オスマン氏は確かに、と答えた。

「ならば、いざ戦争が起きた時はいかが為される?」
「知れた事。不届き者共には儂自らが誅を下す。
 軍務を退いた身とはいえ、娘を奪った者共を赦しておくと思うか?」

 あまりにも予想通りな答えにオスマン氏は内心笑みを浮かべる。ならば良い。

「成程……やはり公爵殿も兵。であるならば、宮廷にはこちらから言っておきましょう。
 ラ・ヴァリエール公爵には宮廷への叛意は無く、自国の為にその身を削らんとする準備があると」

 暴れたければ好きなだけ暴れてくればいい。その手助けをしてやる様に見せればいいのだ。

「恩を着せたつもりか? 宮廷の雀共など、こちらでどうとでもなるわ」
「無論で御座いましょう。であればこそ、戦場は公爵殿の舞台であるべき。
 舞台でお目汚しになりかねぬ、平民である使い魔の少年には、一切合切公爵殿の邪魔にならぬ様こちらで申し付けておきます。平民は平民と殺し合わせるのが分相応」

 公爵の口元が微かであるが歪む。確かに地べたで傭兵共と殺し合わせるならばそれも良し。
 仮にも〝元〟グリフォン隊隊長であるワルド子爵に、騎獣が与えられぬ事は有り得ない。

「つまり、そこの平民は儂を邪魔立てする事も儂の視界に入る事も無い訳か」

 良いだろう、と公爵は呟く。自らの邪魔をする事が無い以上は歯牙にかける必要はない。
 さらに言えば、先程のオスマン氏の発言の中に使い魔を赦せ、などという言葉は一言も無かった。
 己の条件を全て満たし、且つ全ての障害が消える。であれば、断る理由は無い。

「そこの平民はよく首を洗っておけ。精々共和国の傭兵に殺されぬようにすることだ。
 でなくば、罰の与えがいが無いのでな」
「御身のご期待に応えられるべく、奮励努力致します。ラ・ヴァリエール公爵殿」

 首を垂れる北澤直也に対し、公爵は鼻を鳴らして踵を返すと、公爵夫人も後に続く。
 残された者は、ただ静かにその背を見送った。


     ◇


 トリステイン魔法学院の図書館。本来教師のみが閲覧を許される、『フェニアのライブラリー』にて、ラ・ヴァリエール公爵と公爵夫人であるカリーヌ・デジレ・ド・マイヤールは先程の会合を振り返っていた。
 ここでは人が来る事などまず無いし、周囲にサイレントをかけているため、万が一来たとしてもこの会話が伝わる事は無い。
 尤も、この二人が現れた瞬間、図書館を管理していた司書はそそくさと立ち去ってしまったが。

「忌々しい平民だ……あの場でああも強かに虚言を弄するとは」

 実際、ラ・ヴァリエール公爵にしてみれば北澤直也の虚言を見切る事は容易かった。
 北澤直也が初めて公爵に顔を見せた際にはギーシュに傅くどころか敬語さえ使っていなかったし、中庭では片膝をついて礼節を守っていたというのに、いざ学院長室でギーシュに傅く段になってはただ怯えるだけの平民のぎこちない礼になっていた。
 あれでは演技が如何に完璧であったとしても、すぐにばれて当然。
 第一、公爵を前にして眉一つ動かさない人間が、ただの平民である筈が無い。

「グラモンの子も、精神力で言えば『トライアングル』の上位……感情の昂りがあれば『スクウェア』に届いたでしょうが、グリフォン隊の隊長を退けるには足りませんしね」

 以前グラモン家の領内で会った際には『ドット』でしたが、とカリーヌは付け加えた。

「戦場で才能が開花したのだろう。死地に追い込まれれば思わぬ所で本領を発揮する。
 磨けばお前の居るところまで進めるだろう。……とはいえ、今のままではお前や儂の足元にも及ぶまい」
「まるでこちら側には踏み言って欲しくないと言いたげですね」
「当然だ。あれを見ていると昔のお前を思い出す。向こう見ずで脇が甘く、その癖真っ直ぐすぎる。
 ……もし真っ当に育っておればと思えば、こんな事にはならなかったものを」

 力の無いまま死地に臨み、純粋であるが故に捨て石にされた。今回戻ってこられたのも、単に運が良かったからに過ぎない。

「だからこそ、娘の使い魔の虚言に乗ったのでしょう? グラモンの子へ責を与えず、負傷を理由にこれから起こるであろう戦争から遠ざけるために」
「お前が真っ先に責を与えるのではと、ひやひやしたがな。『烈風』のカリン。
 マンティコア隊のモットーは『鋼鉄の規律』ではなかったか?」
「規律とは組織を保たせ、己の立場を弁えさせる為にある物です。命令を下した者が歪んでいてはどうしようもないでしょう」

 冗談めいた口調で訊ねる公爵に、カリーヌはやや尖った口調で答えつつも、すぐさま沈鬱な表情に戻ってしまう。
 愛する娘を失った。それは公爵だけではなく、妻であり産み落としたカリーヌにとっても大きい。
 いや、周囲に怒りを向けている公爵以上に、カリーヌの哀しみは内側に大きく膨らんでいるかもしれない。
 思えば自分達は、あの子に何をしてあげられただろう? 内心可愛いと思いながらも、他の貴族との社交や娘の嫁ぎ先にばかり目が行っていた。
 周囲に『ゼロ』と言われ、長女や自分達も魔法の才には諦めていた。
 それで良いと思った。力の無い事は貴族に取ってコンプレックスとなるだろうが、過ぎた力は利用される。
 若りし頃の自分たちが、幾度となく死線を超えたが故に。例えそれが望んだものであれ、望まなかったものであれ、結果として死地に送られるぐらいならば、婚約を果たし、子を産み、愛でて行く人生を送らせたかった。
 ……なのに。

「結果として、あの子は追い詰められていたのかもしれませんね」

 自分が『ゼロ』と呼ばれることに……。

「裏切り者も、共和国の兵も、こちらが何とかしよう。
 カリーヌ。お前はカトレアの傍に」
「それは貴方が適任でしょう? 学院長の前で大見得を切った手前後に引けないのは判りますが、私はともかく、貴方が死んでは残りの娘はどうなるのです?
 カトレアに領地の一部を託しているとはいえ、まだ教えるべき事はあります。エレオノールもルイズの事で宮廷へ飛び出しかねません。
 ヴァリエールは貴方が居なければ纏まらないのですよ?」

 カリーヌの叱責に公爵も息詰まる。公爵自身としては妻までも失いたくはないという想いがあっただけなのだが、どうも理解されない物らしい。

「それに忘れましたか? 貴方の妻は、『烈風』のカリンでもあるのですよ?」

 誇らしげに、かつての名を口にする妻に、公爵はやれやれと肩を竦めつつ、昔と変わらんな、と呟く。

「さて、これ以上何かを言われる前に領地に戻らねばな。
 それに、あの平民の首を置く台を作らせねばならん」

 歯切れの悪い口調で呟く公爵に、カリーヌはくすりと笑う。

「本当は、とっくに赦しているのでしょう?」

 確かに公爵は平民どころか地位の低い貴族にさえ、ぞんざいに扱うものの、それは他の貴族への示しを付ける為であったり、トリステインの慣習に合わせているために過ぎない。
 何が正しく、間違っているかを見極める事も出来るし、自らの立場を度外視すれば、平民であっても手を差し伸べたいと思っている。
 何より……。

「……おそらく、子爵を退けたのもグラモンの子ではなくあの使い魔でしょう。
 もしかすれば、本当に娘の仇を討つやもしれません」

 譲るつもりはありませんが、とカリーヌは付け加える。

「死にたいならば死ねばいい。万が一生き残り、儂が手を下さなかったとしても二年後には動けなくなるだろう」

 公爵とて水メイジである以上、それ位の事は判る。
 おそらく、あの使い魔の平民も気付いている。だからこそ、『死』への恐れも無く、首を差し出した。
 ここで死ぬならばそれまでの事。後の世への希望が無いからこそ、絶望の淵に立つ事への迷いが無い。
 その凄絶な生き方は、公爵にとって一度として見た事の無い平民の生き方であり、だからこそ内心どうして良いのかさえ分からなくなる。
 実際、首を刎ねようと思えばいつでも出来た。
 だが、それをした所で罰にはならない。生きることに希望を見いだせず、『死』という終わりを受け入れている人間に、斬首は罰にならない。
 如何に宮廷側に非があるとはいえ、救いを与えてやるために学院まで足を運んだ訳ではないのだから。

「だからこそ、死地へ向かわせるのですよ」

 それは確かに使い魔の少年が望んだ結末で、彼自身にとっては救いなのかもしれない。
 だが、そこで味わう事になる。

 ────その復讐は、かくも救いの無い選択なのだと。


     ×××


あとがき

 さて、今回はヴァリエール公爵夫妻の回でしたが、皆様も言いたい事があると思います。
 例えば、

 原作で才人とルイズがイチャイチャしてた程度で打ち首獄門にする父親や、スクウェアクラスの魔法をいきなり娘に使ったり、壁に穴を開ける母親に常識がある訳ねーだろとか。

 平民どころか下級貴族さえ扱いの酷い公爵家がここまで丸い筈ねーだろとか。

 作者自身思う所があるのですが、これは別に主人公を優遇したい訳ではなく、単にあからさまな平民批判とかはアンチに繋がり易いですし、『烈風の騎士姫』で平民の娘の恋に落ちた公爵が、そこまで平民を見下したりするだろうかと考えた結果、こうしました。

 でも一番の理由は、作者がアンチしたくなかったというのが大きいです。
 アンチにして貶めるのは簡単ですけど、原作キャラの株を勝手に落とすのは如何なものかと思いますし、基本公爵やカリーヌさんは良い人なので。

 ……けどやっぱ丸すぎますよね。すみません。


 あ。ちなみに今回、ギーシュはせいぜい『トライアングル』とカリーヌが言っていたのに対し、VOL2では子爵が『烈風』と同等って言ってたのと違うじゃーねーか。
 という声が聞こえそうなので補足なのですが、作中でも書いたとおり同等なのは※魔力だけで、しかもあの時は覚醒状態だったからです。
 本編中でも精神の昂りによって威力が跳ねあがりますし、将来的には『烈風』クラスの実力になる、という可能性を提示しておきたかったので子爵に『烈風』と同等発言をさせました。

 ギーシュは完成系キャラの主人公と違って、発展途上キャラなので物語が進むにつれて徐々に実力を付けて行く形になりそうです。

 ※本作では、原作では魔法に使う力を『精神力』ではなく『魔力』と時々表記していますが、これはギーシュと子爵との対決時に地の文を書いた際、『精神力』ではどうしても締まらなかったので、違うと知りつつも『魔力』という表記をさせて頂きました。
  気に触った方が居たらごめんなさい。

 次回も出来る限り早くかけるように頑張っていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。


※以下、感想のお返しを。

 Sさま。
 一つ一つについての謝罪を。
 >文章が猥雑。
  すみません。努力していきます。
 >主人公の性格。
  これは作者自身思う所があります。というか、作者自身歪みまくってる事を狙って書いてるので、文句のつけようがありません。
  この主人公はいつか原作キャラにぶん殴らせたい。
 >ルイズの死。
  すみません。以前にも書きましたが、彼女の死は一番初めから決まっていたので変更が出来ません。
  いえ、彼女が嫌いという訳じゃないんです。むしろ大好きです。
  けど、大好き=優遇という訳ではないですし、彼女は今後出番もあるので見ていて頂ければ幸いです。


 ああああ様。
 友人に頼んで家から原作を持って来て貰いましたが、そのような描写はありませんでした。
 おそらく、使い魔が死んだ事によって契約が破棄される事や、ロマリアでジュリオが使い魔と主人の繋がりを断つのは死だけ、と言っていたのが誤解の原因だったのではと思います。
 決定的だったのは、ジョセフをミョズニトニルンであるシェフィールドが殺した事ですね。
 もし主人が死んだ事で使い魔が死ぬなら、あの時点でシェフィールドは死んでる筈ですから。
 ……まあ、彼女もすぐにジョセフの後を追ったので、時間差があると考えれば何とも言い切れなせんが。
 とりあえず、この作品では主人が死んだからと言って使い魔まで死ぬ事は無いです。


 syaさま。
 作風が変わったのでは? という意見は以前からありましたが、あの時はルイズ死亡という本作の分水嶺だったので応える事が出来なかったので、今お答えしますと、やりたかった本筋に合わせた感じです。
 VOL1の頃は原作通りすぎるとの声がありましたが、これは作者自身にとっても早く進めたいと思っていた時期でした。
 ですが、あくまでも転換期はVOL2の中盤と決めており、ゼロ魔の二次である以上原作のゼロ魔の事件と絡ませないと、ゼロ魔の二次で出す意味が無いと思っていた為(ゼロ魔と絡ませないならオリジナルファンタジーでも良いですし)VOL1からVOL2の中盤までは、『主人公の経歴・思想・能力といった紹介』と、『シナリオ分岐の為の準備』、そして『伏線を張る』ための回と割り切っていました。

 VOL2ラストで灰色の男(ピェーペル)に『君の紡ぐ物語はプロローグを悲劇で閉じた』という台詞を使ったのは、ここからが本筋だ、という隠れた意思表示だったりします。

 けど、読者様の質問をないがしろにしてしまった事を考えると、罪悪感でいっぱいだったりします。少なくとも、今は答えられないと言う事を伝えるべきでした。
 読者の皆さま、本当に申し訳ありません。

 そしてこんな作品をゼロ魔を使った異伝として、楽しく読んで下さっていると言う事で、本当に頭が上がりません。
 この作品をどう読むかは読者の皆さま次第で、シリアスまがいの莫迦な作品と思って頂いても結構ですし、暇潰しだったり、批評をしたり、途中で投げ出してしまうと言う形も有りだと思っています。
 これからも頑張っていきたいと思いますので、批判や疑問も含め、さまざまな声をお待ちしております。
 そしてsyaさま。本当にありがとうございました。




[5086] 006
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/10/21 22:31
     Side-Guiche


「どうしてナオヤを連れて来たのです!? 貴方ならば事の重大さが判らない筈が無いでしょう!?」

 研究用の薬剤や油の臭いで充満されたミスタ・コルベールの研究室で、怒りのままに詰問する。

「落ち付きたまえ、ミスタ・グラモン」

 落ち付け? 今友が目の前で死にかけたこの状況で、しかも公爵の怒りの矛先は未だにナオヤに向け続けられているこの状況で!?

「ふざけないで頂きたい!」

 机の上にあった空の試験管やフラスコを片手で払うと自分でも判る程、きつく歯を噛みしめた。ギリギリと、貴族としてはするべきでは無い程に不作法で礼儀知らずな行為だとは理解している。
 だが、目の前のミスタ・コルベールは驚いた様子さえ無い。
 いや、確かに驚いてはいるが恐怖を一切感じていないのだ。出来の悪い生徒を見る様に、癇癪を起した子供を見る様な目でしか、いまのボクを見ていない。
 腹立たしいと、そう思うものの今のボクには問わなくてはならない事がある。

「ナオヤに平民の礼を教えたのは貴方ですね?」

 礼節も何もない、怯えるだけの瞳と挙動を。

「ああ」
「ナオヤに、この国の貴族の価値観を教えたのも」

 ただ弱者から奪うだけの、ナオヤと出会うまでのボクが持っていた『常識』を。

「ああ」
「それが、ナオヤの望みだったのですか?」
「ああ」

 きっと、その言葉は全て本当で、ナオヤも同じように応えるのだろう。
 自分が望んだと。罰を受ける事も、一人で背負う事も。

「どうして……」
「それは、直接聞いてみてはどうかな?」

 ミスタ・コルベールが視線をボクの後ろへと向ける。
 建て付けの悪い扉を軋ませて、ナオヤが研究室へと入って来た。


     ◇


「……ナオヤ」

 乾いた唇から、微かに言葉が漏れる。何を話すべきなのか、何を問うべきなのか。
 聴くべき事は山ほどあると言うのに、次の一言が出て来ない。

「……コルベール先生。先程公爵夫妻が学院を去りました。
 零戦の到着は何時頃になるでしょうか?」
「おそらくではありますが、日が落ちるまでには届くでしょう。
 学院長に感謝しなくてはなりませんな。貴方の縁の者が遺した品だと告げると、すぐに『羽衣』の運搬と引き取りに尽力して下さいましたよ」

 こちらの事を意に介すまでも無く、二人は会話を進めていく。いや、ナオヤに関してはこちらが居る事に多少の疑問があったのかもしれないが、ボクが答えに窮しているのを見てミスタ・コルベールに意識を切り替えたのだろう。

「成程。後でお礼を伝えなくてはなりませんね。
 それと零戦に関してですが、あれは『燃料』……こちらで言う所の火にくべる薪の様な物が必要でして、特殊な油が必要になります」
「ふうむ……それはどのような物なのかね?」
「固定化によって化学変化を防いでいるのであれば、燃料タンクの中に僅かではありますが、残っているかと。
 流石にこればかりは、実際に見て頂く必要が、」
「ナオヤ!」

 強引に割り込む形で声を上げる。
 こちらを見てあからさまなまでに嫌な顔をしているが、どうせ演技だ。気にする必要はない。

「どうして、あんな事を言ったのかね? 君なら、」
「早く死ぬ。君と違って、こちらは老い先短いのでな」
「ふざけないでくれ……!」

 早く死ぬ? それが何だ! 重要なのはそんな事ではないだろう!
 そんな事はどうでも良いじゃないか。何故君が全て背負わなくてはならない!?

「何故自分だけ死地に向かおうとするのかね!?」

 何故、ボクを置いて行くんだ……?

「君は足手まといだ」
「……ッ」

 思わず奥歯を噛み締める。ああ、そうだろうさ。
 君と比べれば、ワルド子爵の偏在一人に手をこまねいていた自分は足手纏いにしか映らない。
 判ってるさ。そんな事。だけど、だけど……!

「第一、」

 言うな……。言わないでくれ…………。
 そんな顔で、そんな声で………………。

「これは俺自身への罰だ」

 ボクを……ワタシを……………………………。

「君が口を挟む事ではないし、」

 お願い─────

「君には────関係ないだろう」

 ─────やめて!!

「いい加減にしたまえ……!!」

 初めて、誰かを殴った。訓練とか、そういったものではなく、ただ純粋に、喧嘩をする様な勢いで。
 握りしめた手が痛い。ジンジンと骨に響くし、手首だって酷く痛めている。だけど、そんなのはどうでも良かった。

「君は頑張ったじゃないか! ボロボロになって、姦計に嵌まって閉じ込められて、絶対に間に合わない状況でも諦めずに駆けつけて!!」

 口から滑るのは、関係無いと、そう言うナオヤ自身への𠮟咤たてまえと、見放されたくないというボクのほんね

「それで何が足りなかったと言うんだ! 結果か? 覚悟か? 
 ああ、そうだろうさ。君は確かに間に合わなかった。確かにルイズを救えなかった。
 だがそれを言うならば、ボク達は何だ!?
 最後まで足を引っ張り、君さえいればどうとでもなると高を括り、結局は……なにも成し遂げられなかったボク達と、君は何が変わると言うんだ!」

 何て酷くて、見苦しい言い訳。
 一人で行かないで欲しいと、君にまだ学院に居て欲しいと。
 そんな気持ちを覆い隠すように、言葉は途切れることなく溢れてしまう。

「同じじゃないか。ボク達だって……間に合わなかった。君に言われて、裏切りだって気付いていて、だけど駄目だった。それだけじゃないか」

 君が悪かったんじゃない。悪いのはボク達じゃないのか?
 君の声に耳を貸さなかった皇太子殿下じゃないのか?
 君を巻き込んだ姫殿下じゃないのか?
 ボク達に傷を負わし、奪い、裏切った子爵ではないのか?

 そして────君を召喚したルイズにも、非は無かったのか?

「君は……君の何が、悪かったって言うんだ」

 そんな言葉を紡ぎながら、ごめんなさいと、心の内で謝る事しか出来ない。
 本当は違う。君を責めたいんじゃない。
 けれど、君が遠くに行ってしまいそうだから。君の友で居続けたいから。
 だから、

「─────君の何処に、非があると言うんだ」

 ただ、唯一の疑問。建前ではなく、ボク自身が感じている疑問を口にする。
 きっと立ち止まってくれると。君はここに居てくれると。思い返し、自分に非は無かったと思って貰う為に、最後に問い質す。
 なのに、

「保身だよ」

 だというのに。その一言が全てだと言うように、ナオヤは静かにこちらを見据える。
 光の無い黒瞳。吸い込まれる様な闇を具現化したそれは、彼が召喚されてきた時から変わらずに持っていたもので。
 いやそもそも。この少年は何処かおかしくて。
 ボクは何か、重要な事を見落としているのではないか?

「……俺は、人形で在り続けるべきだった」

 聞こえるかどうかさえ判らぬ声でナオヤは呟くと、話は終わりだとばかりに背を向けた。
 もうナオヤは振り向かない。どんなに声をかけても、彼は返さない。どんなに手や肩を掴んでも、煩わしそうに振り解かれる。
 待っているのだ。ボクがこの部屋から出て行くのを。ボク自身が立ち去る事が、最後の明確な拒絶となるから。
 だから出て行くべきではない。例え呆れられようと、殴られようと、ここにいつまでも居座ってやると、そんなふてぶてしい考えを持ちながら、ただ立ちつくす。
 いや、立ちつくしている筈だった。
 なのに、何故君はボクを睨む? 君は出て行くのを待っていたんじゃないのか?
 ボクに、諦めさせたかったんじゃないのか?
 やめろ。やめてくれ……もう演技は良いだろう?
 君は優しいから、だからそんな眼を向けるんだろう?
 睨んでいた瞳は諦めたように、まるで路傍の石や、子供が飽きて捨てた玩具を見る様な瞳で、ボクを見る。

 ─────お前など、知らないと。


     ◇


 気付けば、ボクは研究室の外にいた。
 呆然と、静かに閉まるドアの音が耳に響く。
 待ってくれ! 待って……!!
 お願いだ、ドアを開けてくれ…………!!
 薄っぺらいドアが、今はどんな宮廷の門よりも厚く感じる。
『アンロック』を使えばすぐに開けられるのに、今の自分にはそれさえ出来ない。
 ただ縋りついて、膝をついて、嗚咽を噛み殺すしか出来なかった。

「……ナオヤ」

 何故なんだ……何故君は遠くへ行ってしまう。
 こんなに傍にいるのに……。

 こんなに近くに居るのに────どうしてこんなにも遠いのか。

「歯痒いですか? ギーシュ・ド・グラモン」

 そして、そんなボクを、妙齢の貴婦人が見下ろしていた。
 ボクは知っている。かつて父に聞いた通りの、幼き頃、一度だけ出逢った己の理想たる人物を。

「何故……? 貴女は学院を去ったのではないのですか?」

 ボク自身が去る現場を見た訳ではないが、ナオヤは公爵夫妻は竜籠に乗って去る所を目撃したと言っていた。
 ふと口にした疑問を、今一度振り返る。もしナオヤが見間違えていないとするなら、それは……。

「『偏在』。……自分の分身を作ったのですね」
「学業は疎かにしていないようですね。
 さて、こちらに残ったのは他でもありません。貴方に、聞きたい事があったからです」

 言葉と共に、公爵夫人は杖を静かに振る。
『サイレント』。ここから先は、どうやら誰の耳にも入れるべきではない事らしい。

「私が問いたいのは一つだけ。貴方は、いえ、貴女は今も目指しているのですか?」
「この姿を見ればお判り頂けるかと。尤も、つい最近までは道を見失っておりましたが」

 かつて目指した道。怠惰な日々に埋もれる事で忘れかけた、己の志。
 それを、思い出させてくれたのは……。

「そうですか……けれど、今なら引き返す事も出来るのですよ?
 私が武勲と勲功を重ねていた時代、誰もが挙って私の真似をしていた時もありましたが、現実は甘くはないのです。
 私とて、何度ばれるのかという焦燥感に駆られ、いつ追い出されるのかと日々に不安を抱いていました。
 女であることと、騎士であり続ける事の両立はそう出来る物ではないのです。
 恋をし、愛を知り、やがて子を育む暮らしは悪い物ではありません。
 自らが特別である必要など、何処にもないのですよ?」

 確かにそうだろう。安易な人生は決して悪い物ではない。
 人並みの幸福とは暖かく、『特別』になってしまった者にとって、何よりも尊いものに見えるのだ。
 何故ならそれは。

「それを多くの者が知る為に、ボクは騎士となりたいのです」

 それは誰もが得たい幸福のカタチだから。
 他国と比べ、トリステインは決して強くはない。魔法大国と呼ばれるガリア公国や、平民を公職に着かせる事を許し、機会を与える事で国力を発展させたゲルマニアと比べれば、むしろ小国とさえ言えるのだ。
 国境沿いは常に小競り合いは絶えないし、始祖の血族たる王家の存続こそが神聖という概念も、アルビオンの崩壊によって覆った。
 決して、この国は安定などしていない。伝統を重んじるが故に不安定さを露呈した国家へ付け入ろうとするのは、他国からすれば当然だ。
 だが、だからこそとボクは思う。
 決して安定してはいない、いつ崩れるかも判らぬ平和。
 それが崩れてしまった時、多くの者が願う、ありふれた幸せは、何処へ行ってしまうのか?
 愛する夫は血に染まり、母は泣き崩れながら蹂躙する者たちの贄となる。
 子は父と同じく血に染まるか、母と同じく慰み物へとされるのか?
 それとも身一つで流浪の存在となり、この世に怨嗟を向け続けるようになってしまうのか?
 敗北し、国を失った者の辿る未来は、決して明るい物ではない。
『イーグル』号へ乗ってアルビオンを脱出した貴族の子女や夫人が、今ではトリステインの郊外で残りの財産で細々と身を寄せ合いながら暮らし、一部はこの学院で使用人として働く事が決まった者もいるが、それでも恵まれている方だ。
 ある者は沈んでゆく己の国に絶望し、フネから身を投げたと言う。
 ある者は婚約の決まっていた相手に別れを告げられ、心を壊してしまったと言う。
 愛する事さえ赦されず、敗者はただ耐える事しか出来ない。
 その結末を望まぬが故に、ボクは進むと決めたのだ。

「〝烈風〟のカリン殿。貴女への憧れは確かにある」

 目の前の貴婦人が、かつて呼ばれていた名を、ボクは口にする。
 その積み上げた武勲と勲功は伝説であり、今なお多くの貴族に憧憬の対象とされる存在。
 悪竜の群を単騎で討伐した。反乱を援軍が駆け付けるより先に単騎で鎮圧した。その名を訊いただけで軍が撤退した。
 その生涯は確かに伝説に相応しく、ボクも又尊敬している。

「ですが、憧れだけで貴女のようになろうとしているのではない」

 ボクにはボクの信念があり、道があるのだと。その想いを込めて、正面から見据える。

「けれど、迷っているのでしょう?」

 ……その通りだ。ボクは未だに迷っている。それどころか、つい先ほどまで泣き叫んでしまいそうだった。
 女々しくて、情けなくて、ナオヤを護りたいと思いながら結局は縋っている半人前な存在だ。
 依存しなければ行動出来ない、勇気の無い臆病者だ。
 けれど……迷い続けているけれど。
 見失っていた道を、教えてくれた人が居るから。

「それでもボクは、諦めたくない」

 周囲を包む静寂。それは一秒にも満たない筈なのに、万日のように感じられた。
 そして、呆れる様に。何処か祝福する様な瞳で、公爵夫人はボクを見る。

「本当に、貴女は昔の私のよう。
 真っ直ぐで、向こう見ずで、融通がきかなくて、そのくせ気持ちばかり一人前」

 そう言いながらボクの頤に手を当てると、公爵夫人はボクの顔を上向かせる。愛でるように、品定めをするように。

「けれど、貴女にもいつか来る。夢や信念が折れそうになる時も、愛と立場に揺れ動く時も……その時は」

 ゆっくりと、女性らしい笑みを浮かべながら。

「貴女が、正しいと思う選択をしなさい。
 その全てが正解となる訳ではありませんが、それでも後悔の無い様に。
 それが、公爵夫人カリーヌとして私が貴女に教えられる事です」

 そこまで言って、公爵夫人はボクの頤から手を離す。瞬間、先程とは打って変わって険しい顔つきへと変わった。
 背筋に伝う汗を感じながらも、これからの事を予測して直立不動の体勢を取る。

「そして、貴方の志が確かである事が判った以上、〝烈風〟カリンとして私の全てを貴方に教えましょう。
 すぐに領地へ向かいます。行きますよ」

 有無を言わさぬ、身も凍るような怜悧な口調と猛禽のような視線が圧迫する。

「い、今からですか? 学院は、」
「オスマン氏には話を通してあります。この会話だけでも時間の損失ですよ?」

 そういう言うや否や指を口にくわえ、口笛を吹く。
 降り立つのは、かつての〝烈風〟のカリンを象徴するマンティコアと、子爵の一件で処分したいが、王家の所有物である為に対処を保留とされたグリフォン。
 二頭の幻獣を片手間で手繰りながら、公爵夫人は自らのマンティコアに乗り込む。
 仕方ない。どうせ今はここに居ても仕方ないのだと半ば自棄になりながらグリフォンに跨ると、こちらが命令していないのに徐々に高度を上げていく。
 次第に小さくなっていく学院を見ながら、ボクは決意する。

 今は必要とされない、弱い存在なのかもしれない。君にとってボクは重荷で、困らせてばかりだけど。
 けれど、けれど強くなるから。君が頼ってくるぐらい強くなるから。君の横に並べるぐらい、強くなるから。
 だから今は、君の元を離れよう。
 そんなに直ぐには変われないから、次に会う時も弱いままで、情けないままかもしれないけど。

 それでも……今よりもほんの少し、強くなろう。


     Side-out


「……良かったのですか、これで」
「ええ。魔法で鍵を開けられるのではと危惧していましたが、コルベール先生のおかげで事なきを得ました」

 そういう事を言いたかったのではないと、コルベールは汗の浮かぶ禿頭をハンカチで拭きながら溜め息をつく。
 だが、どの道こうなるだろうとも思っていた。どんなにギーシュが北澤直也を庇おうとも、北澤直也自身にその意志が無い以上はどうしようもない。
 あの学院長室の時から判っていた事だ。北澤直也は、ギーシュよりも上手だと言う事は。

「慕う者を拒んでまで、貴方は進むつもりですか?」

 その先に救いは無いと言う想いを込めて、コルベールは問う。だが、北澤直也は揺るがない。

「それで、ギーシュが傷つく事が無いのなら」

 大切なモノだからこそ、壊れぬよう、傷付かぬように遠くに置くのだ。
 例えそれが恨まれることになろうと、恩知らずだと蔑まれようと、決して揺らいではならない。
 もう失う事の無い様に、自らの手で手放そう。そこに救いなどありはしないが、そもそも初めから求めてはいけなかったから。

 何より。そんなモノを求めたからこそ、北澤直也はルイズ・フランソワーズを護れなかったのだ。


     ×××


あとがき

 前々回の後書きの件で、皆様に不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
 読者の方からは、荒唐無稽な話である以上、当然疑問に思われる事でしょうし、作品と関係ない以上省くべき点でした。
 近況報告につきましては、ご指摘の通り、削除させて頂きました。

 では、それとは別に今回の内容についてですが、以前から主人公を殴りたいと思って殴らせたものの、一方的な断罪というより言い訳みたいな形でギーシュが殴ってしまった為、いまいちな展開になってしまいました……。

 いつか本当に糾弾する為に主人公は殴りたい。

 ギーシュに関してはこれ以上主人公と行動した所でそこまで伸びないだろうと思い、カリン様に連れて頂く事にしました。
 けど、だからといってカリン様並みに強くなったりはしません。
 というか、作者自身カリン様より強くしたくないと言うのがあったり。
 ゼロ魔最強のお方なので。


 ここからはコメントのお返しを。

 WEBの住人さま
 勿論、読了しないと感想を仰る権利はないとは言いません。
 前回の後書きでも述べましたが、途中で投げると言うのも読者様の読み方の一つと考えていますので、むしろ私にそこまでの文才が無かったと猛省すべき所だと思っています。
 主人公に関しては、原作の才人君が素人から頑張る主人公だった為、この作品の主人公を素人にするのもな、と思った事と、アクションシーンを書く際に素人では出来ない動きが出てきてしまう為、それならばと強くした結果、こうなってしまいました。
 この手の主人公は読者様に嫌われると判っているのですが、こういう書き方しか出来なかったのは反省するしかない点であります。

 宮司さま
 確かに作者自身、ギーシュとかけ離れていると感じています。
 ヘタレ度が圧倒的に足りませんし、女性的な面が強く出て来ている為、キザな雰囲気が消えていますし……。
 確かにオリ設定が濃すぎたと思いました。

 Tellさま
 誠に申し訳ありませんでした。
 この作品を読む方々への配慮を忘れ、不快にさせてしまった事と、以前から真摯に感想を書き、作品を読んで下さった方々に対し、罪悪感が募るばかりです。
 作品の改定も、出来る限り早くしたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。

※読者様のご指摘の元、近況報告の説明を削除する事に致しました。
 皆様、本当に申し訳ありませんでした。



[5086] 007
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/12/03 02:44
「どうやら、届いた様ですな」

 研究室の扉の向こうからギーシュの気配が消えて一時間程経った後、コルベール先生は数頭の竜の翼のはためきが聞こえると共に視線を窓へと移した。

「……あまりにも早すぎるのでは?」

 俺やコルベール先生がタルブから学院に到着したのはつい先刻。
 如何にトリステインで力を持つ学院長の指示で行動を起こし、竜騎士隊が大型の竜を用いて数頭掛かりで運んできたとはいえ、零戦を輸送する為の網を作成したり運搬の下準備を行ったりするのでは最低でも三日はかかる筈だ。
 ……と、そこまで考えたとき、もしやと、ある可能性が脳裏によぎる。
 確かに準備に時間がかかる物の、学院長が助け船を出したのは輸送費用や学院での保管と言った申請であり、それより以前からこちらに持ってくる事を決めていたのではないか?
 そして……自分の目の前に、研究と発明を生きがいだと豪語している人物が居る。
 しかもその人物はあのタルブで零戦を引き取る為に、石碑の解読を必死に行っていた。
 そしてその人物は、伝書フクロウを用いて学院へ逐一報告を行っていた。
 つまり……。

「こちらが石碑を読み上げた時点で、着々と準備を進めていたと言う訳ですか……」

 呆れ交じりに溜め息をつきつつも、その手際の良さには感服せざるを得ない。
 何より、これから起きるであろう戦争へ赴く事を考えれば、コルベール先生の対応は渡りに船とさえ言える。

「……零戦は学院の敷地外に置いて頂くよう頼んで下さい。
 おそらく、この学院の敷地内では滑走距離が足りませんので」

 相判ったと頷くと共にコルベール先生は研究室を飛び出すと、新しい玩具を手に入れた子供のような声で竜騎士隊に指示を飛ばす。
 その様子を横目にしながら、俺も研究室を後にした。


     ◇


 竜騎士隊へ代金と書類を渡し、正式に引き取るとコルベール先生は目を輝かせながら零戦の各部を興味深そうに、時折触っては首を傾げていた。

「しかし不思議なモノですな。君の世界では、これが空を飛ぶと言うのが常識なのだろう?
 どういう原理なのかね?」
「翼の部分を横から見て頂ければ判ると思いますが、下が平らで上が丸くなっているでしょう?
 その翼がエンジン……動力部の力で、プロペラ……その機首に付いている風車のようなものを動かす事で風を受けると、翼の下面に比べて上面のほうが空気の流れが速くなります。
 すると空気の流れが速い上面のほうが下面よりも空気の圧力が低くなります。
 この翼の上下にできた圧力の差によって、上に持ち上げる揚力という力が発生しますが、その力が飛行機の重さより大きくなったときに初めて浮き上がる訳です」

 うろ覚えなので説明に関しては多少の誤りはあるかもしれないが、コルベール先生は成程と頷きつつも、エンジンが何処なのかとか、この車輪は飛行機が浮くまでの時間を稼ぐものなのか? といった質問をしてきたので、それに答えながら、機体へと左手を添える。
 やはりこれもまた一つの武器。皇国を護る為の剣である以上、左手は俺にこの機体の全てを余すことなく伝えてくる。
 正式名称〝零式艦上戦五二甲型〟
 武装は九九式二号二十ミリ機銃二挺……残弾百と十五発。
 九七式七・七ミリ機銃二挺……携行残弾数各六百と十二発。
 六十キロ爆弾内臓。
 被弾、損耗なし。各操作に影響はないが、燃料の化学変化による機体の操作ならび武装の使用には固定化の解除が必須。
 増槽タンクは……なし、か……。
 おそらくは戦闘となり切り離されたのだろうが、あれがあるのと無いのでは航続距離にかなりの差が出てしまう。
 尤も、だからと言ってそこまで危惧する必要もない。
 アルビオン軍がトリステインのどの位置から攻めてくるかにもよるが、燃料タンクを満タンにすれば航続距離は約一九二〇キロメートルにもなる。
 アルビオンへと渡るためにラ・ロシェールへ向かった際の距離は本来であれば馬で三日。
 こちらは馬を変えながらの踏破であったとはいえ、目的地までには一日で着いたのだ。
 それを考えれば、敵と遭遇するまでに燃料を使い切ってしまうとは思えなかった。
 さて、燃料はどれ程残っているのか……。
 タンクのハッチを開け、中を確認する。固定化をかけられている為、燃料は気化する事無く残っていた。
 ……とはいえ、零戦をお借りした佐々木武雄氏が元の世界へと帰る為に飛び回っていたのだろう。
 残された燃料はコップ一杯分有るかどうか。これで解析と複製を行えるかは、魔道に通じない自分には判らないが、一抹の不安を感じさせるものだった。
 ハッチから顔を離し、コルベール先生を呼び付けると先生は食い入るように中を覗きこむ。

「この量で、大丈夫でしょうか……?」

 しばし顎に手を当てながらコルベール先生は考え、こちらを見た。

「これは、まさか……取り敢えず、燃料を中に運びましょう」

 俺は言われるがまま、フラスコを琥珀色に濁った液体で満たしていった。


     ◇


 フラスコ内を燃料で満たした後、コルベール先生の研究室へと戻って来た。とはいえ、距離にすれば大したことはなく、軽い散歩程度の道のりでしかない。
 こちらが机の上に置いたフラスコに何らかの措置をするとばかり思っていた。
 だが、すぐさまその予想は覆る。戸棚の奥。人眼には決して使ないであろう一角から、コルベール先生は別のフラスコを持ちだした。
 その中に入っていたのは……。

「ガソリン、ですか……?」
「以前休暇を使って、伝説の竜が落ちたと言う半島に出向いた事があってね。
 ……まあ、あの時は右も左も判らないまま海へ駆けだして漂流しかけたのですが。
 ともあれ私は半島に辿りつき、そこで〝竜の羽衣〟と同じような形状をしたモノを見つけたと言う訳です。
 尤も、原形を留めぬ程の状態となっていたため、この〝ガソリン〟とやらと一部の撤回しか持ち帰る事が出来ませんでしたがね」

 そういって次に持ち出したのは、カウリングされた鉄板だ。
 そして、俺はそれを知っている。禍々しくも強大であり、たとえ歴史に疎い者であっても、それを掲げた者たちを畏怖と憎悪の対象として見続ける存在。
 鉤十字……ハーケンクロイツやスワスチカの名で知られるドイツ第三帝国の象徴。
 日本と共に世界に覇を唱えんとした帝国の遺産。
 まさか……。

「これに乗っていた者は、何処に?」
「すまない……半島に乗っていた者たちによれば、これに乗っていた男は即死だったらしいのだ」

 沈鬱な空気が室内を満たす。ここにきて、自分以外の同郷の者と相まみえる事があればと願っていたが、どうやらそれは、またしても叶わなかったようだ。
 そんな俺の心中を察してか、それとも沈黙に耐え切れなかったのか、コルベール先生は口を開く。

「ああ、思わぬ所で脱線してしまいましたな。それで、複製するのはどちらが良いのでしょうか?」
「……後者の方でお願いします。そちらの方が質が良いでしょうから」

 零戦ではなく、ドイツ軍の戦闘機に積んであったであろうガソリンの入ったフラスコを取って応える。
 どちらもガソリンであることには変わりないが、おそらくこの二つには中に含まれるオクタン価に違いがあると踏む。
 オクタン価とは、ガソリンのエンジン内でのノッキングの起こりにくさ───耐ノック性・アンチノック性───を示す数値であり、オクタン価が高いほどノッキングが起こりにくいとされている。
 大東亜戦争時代の日本は資源に悩まされ、他のアルコールと混ぜたオクタン価のかなり低い燃料を使っていたと言う事らしいので、ここはドイツ側の燃料を選ぶのが正解というものだろう。
 尤も、ここに来てからも問題なく飛んでいた事を考えれば、どちらも大差はないだろうが。

「了解しました……して、この液体の成分が何か判りますか?
〝錬金〟を用いて複製するにしても、より近い物質であればある程良いのです」

 逆を言えば、この物質から遠い物であればある程難しいと言う事だ。

「微生物……と言えば判るでしょうか? それと、化石というものも」

 こちらの言葉に無論だと言わんばかりに胸を張って頷く。それならば話は早い。

「簡単に言えば、この燃料は微生物の化石から作られています。そして、それと近しい物質で身近にあるのは、」
「木の化石……石炭ですな」

 そこまで判れば話は早いと、コルベール先生は作業に取り掛かる。
 作業に必要な道具をあらかた机の上に並べた所でこちらに向き直った。

「そういえば、この〝ガソリン〟とやらが入っていた場所はかなりの大きさがありましたが、どれぐらい作れば良いでしょうか?」

 あまり多くなると時間がかかるのだが、と付け加える。
 その問いは出来れば多くない方が良いな、などという期待を込めた物だったのかも知れないが、生憎とフラスコ一つ分では雀の涙ぐらいなのである。

「……最低でも、樽で五つ分は」

 こちらの言葉を訊いて愕然としたのか。僅かに視線を宙に彷徨わせ、崩れそうになる足を強引に踏み止まらせた。

「……樽五つ分……精製で丸一日かけるとして、そこから量産するにしても徹夜で三日は」
「あの、そこまで急ぐ必要は……」

 流石に徹夜しろとまでは言えないし、コルベール先生にも授業がある以上無理は言えない。
 だが、コルベール先生は未だ乾いた笑みを顔面に張り付かせていた。もうどうにでもなれと言った心境の表れなのかもしれない。
 こちらの言葉は一切耳に届いていないのか。コルベール先生は徐々に笑みを大きく、不気味なまでに口元を釣り上げた。

「ふ、ふふふふふふふふははははははは!! 試練は大きく、壁は高いからこそ崩し涯があると言うもの! さっそく学院長へ休暇の申請をしてきまショウ!!」

 勢い良く部屋から飛び出し、フライを使って学院長室の窓を蹴破って休暇を大声で申請するコルベール先生。
 遥か彼方の最上階からこんな所まで声を響かせている辺り正気ではないだろう。

 ……結論を言おう。もはや手遅れだ……!!

 しかし、俺はアクション映画の主人公のように断崖絶壁を壁走りする事は出来ないので、取り敢えず身体が許す限りの全力疾走で学院長室へと向かう。
 願わくば、俺が着くまでにあの気の良い四十二歳の独身教師がクビにならない事を祈るばかりである。


     Side-out


 ここしばらく慌しかった事を踏まえても、今の学院長は機嫌が良かった。
 公爵夫妻がミスタ・グラモンを連れ去った事や、件の使い魔の罰を後回しにした事は実質的に解決になっていないとはいえ、先送りすることにも成功した。
 例の『竜の羽衣』という使い魔の少年の国の品を学院に置く事も宮廷へ手続きを済ませた。
 要するに、僅かではあるがオスマン氏にとって有意義かつ平和な時間を久々に味わう事が出来るようになったのだ。
 今なら多少の面倒事も困った物だ、で済ませてしまっても良い。
 教師が給金を引き上げろと言ってきても、笑顔で相談に乗ってやれる位の猶予はある。
 先日、料理長から送られてきた東方……ロバ・アル・カリイエより運ばれた『お茶』という飲み物を口に含む。
 微かな苦みと共に何処か心を落ち着かせる味を楽しみながら、ぼんやりと視線を虚空に彷徨わせる。

〝ああ、何と平和な事か。願わくば、この様な日々が何時までも続いて〟

「オールド・オスマン───────────────────!!!!」

 しかし、其の儚い希望は窓を叩き割りながら突っ込んできたハゲによって、粉々に砕かれたのだった…………!!

「何事───────────────────!!!?」

 突然の事態に思わず顔を振り向く、いや、振り向こうとするも突然の事態に身体が付いていかなかったのだろう。
 勢い余って突っ込んだ禿げ頭によってその身体は強かにセコイアの机に叩きつけられ、直後にパリン! と何かの砕ける音がする。
 もしこの世に神が居たならば、オスマン氏は真っ先に杖を向けた事だろう。
 というか、出てこいやコラ、と魔法を全力でぶっ放していたに違いない。

「突然失礼しました、オールド・オスマン! 実は折り入って頼みたい事が」

 そしてそんな状況に全く気付く事無く馬鹿ハゲは自分の要望を口にする。
 瞬間、何処からかブチ、という何かの切れる音が響いた。

「ほう……それは退職願かね? ミスタ・コルベール」

 ここ最近の事件による心労や書類整理から身体に限界が来かけ、ようやく休める段になってこの仕打ち。
 もしこれがナイスバディなお姉さまなら喜んで受けた挙句に追加を要求しただろうが、生憎とそれをやったのは中年のハゲである。

「あ……」

 ここに来てようやく正気に戻ったのだろう。急激に身体から血の気が引いて行くのを感じ、そればかりか冷たい汗がだらだらと背中を伝っていく。

「で? どうなのかね、ミスタ・コルベール。まさかとは思うが、私にここまでの事をしておいてさらに注文を付ける等とは言うまいのぉ……」

 未だ一度として学院の人間には見せた事の無い学院長の魔法。
 空気中の大気が唸りだし、次第に巨大な力が具現化していく。

「お、落ち付いて下さいオールド・オスマン! 実は例の『竜の羽衣』の件で相談がありまして、休暇を申請したいと」

 それが遺言かと言わんばかりに学院長は鬼の様に形相を歪める。
 砕けたティーカップの破片が顔に刺さっていた為にその光景はシュール極まりないが、この場に立ち会ったものであれば間違いなく腰を抜かすであろう魔力の束が、学院長室を包み込んでいた。

「ちょ、オールド・オスマン! 流石に貴方が魔法を使ったら学院が、」

 瞬間、学院長室は光に呑まれた。

 北澤直也が到着するまで早くて一分。
 それまでに持つか、コルベール。
 耐えるんだ、コルベール。
 お前居ないと零戦が動かねえから。


     ◇


 コルベールがオスマン氏の手によって生死の境を彷徨っている頃、ギーシュ・ド・グラモンはラ・ヴァリエールの領地へと足を踏み入れていた。
 とはいえ、名門たるラ・ヴァリエール家の領地というものは他の貴族とは格が違う。
 馬車であれば学院から丸二日……たとえ領地に入ってからであっても、屋敷には半日以上の時間をかけてしまう。
 カリーヌはギーシュに時間が惜しいと言ったが、成程、確かに学院から屋敷までの距離を考えれば納得のいく話である。

「して、ミセス・カリーヌ。私はこれからどのような特訓を行えばよいのでしょうか?」

 グリフォンから降り立ったギーシュは、あくまでも恭しい挙動で問う。
 確かに強引ではあったものの、自己鍛錬だけでは伸び悩んでいたのが現状だ。ましてやかの『烈風』のカリンに指南して貰う等というのは、王宮の近衛衛士でも叶わぬ望みである。
 だが。

「今日は何もしませんよ。強いて言えば、『風』系統の私に変わる魔法の講師を紹介しようと思いましてね。
 私はあくまでも貴方自身の成長の一助を担うに過ぎません」

 その言葉に、ギーシュは放心する。『烈風』のカリンと言えば地獄の獄卒さえ生温いと言わしめるほどの訓練と、部隊を維持する為の規律を重視した軍人として伝わっていた。その彼女が何もしない、等と言うのは俄かにも信じられなかった。

「てっきり、オーク鬼やトロル鬼の群を退治しろとか、精神力が尽きるまで魔法を酷使し続けろとか、邪竜や魔獣を討伐しろとか、杖一本で密林を一週間過ごせと言う物だと……」
「貴方は私を何だと思っているのですか? そういう事はきちんと順序立ててやるものでしょう?」

〝その時がきたら、やる事はやるんだな……〟

 内心冷や汗をかきながら、取り敢えず指示を待つ。屋敷の巨大な門を背に立っているカリーヌと二人きりになるのは正直威圧されっぱなしの為、居心地が悪いが、この程度で腰を引いていては戦場では生き残れないと自分に言い聞かせながら、ギーシュは杖を忍ばせる。
 最悪、遠距離から魔法を放たれる事も考慮しなくてはならない。
 安心させておいて、脇が甘いと背後から奇襲をかけられる事も想定しておかなければならないのだ。
 そんなギーシュの猜疑心も、すぐさま消し飛ぶ。耳に届くのは馬の嘶きと、蹄鉄を付けた蹄の速駆け音。
 美しくも凛々しい白馬に跨ったその女性は、ウェーブがかったブロンドを風に靡かせながら、カリーヌの元へとやってきた。

「母様、一体どういう事です!? アカデミーに宮廷の者が来てルイズが、わたくしの小さなルイズが!?」
「客人の前ですよ、エレオノール。落ち付きなさい」

 これが落ち着いていられるかとばかりに、エレオノールと呼ばれた女性は馬から飛び降りる。いや、飛び降りようとしたつもりだったのだろう。
 急いた気持ち。半ば混乱しかけた思考の中で、彼女は身に染み付いた動作さえ忘れていた。
 ぐらり、と。彼女は頭から地に落ちるように向かう。メイジらしく杖を使うとか、受け身を取るだのと言った考えは浮かばない。
 元よりそんな事を考えるだけの余裕があるならば、身に染み付いた動作を忘れる事など無いのだから。

「……ッ」

 一瞬の恐怖。そして己がどうなるのかという不安。それらを刹那に満たぬ時間に感じながら、しかし次の瞬間にエレオノールに伝わったのは、微かな浮遊感と、暖かな手の感触だった。

「大丈夫ですか? ミス……」
「────あ」

 しばしの間。短い沈黙には、これといった意味はない。
 ギーシュにとって、女性に手を貸す事はこれまでの人生の中で当然のようにとって来た行動であり、エレオノールにとって、自分の置かれている状況を再認識しただけに過ぎない。
 だから、この沈黙に何の意味もないのだと、お互いはそう認識して、微かな時間の停滞を解いた。
 ゆっくりと、手弱女を扱う様にギーシュはエレオノールを立たせ、エレオノールはそれは紳士と名乗るならば当然の行為だと言わんばかりにそっぽを向く。

「ふん。一応、女性への扱いには心得がある様ですね。
 名乗りなさい、今後によっては覚えておかない事もないわ」
「ギーシュ・ド・グラモンと申します。ミス」

 恭しい一礼に、ふん! と鼻を鳴らしてエレオノールはカリーヌへと向き直る。

「それで、どういう事なのです? 宮廷の使いの言が正しいのであれば、裏切り者である子爵へ引導を渡す事は必定ですが、使い魔への罰はいかが為されたのですか?」

 凛とした、それこそ氷のような冷やかな顔つきの中で、瞳だけが獰猛さを顕す。
 もし未だ手を下していないならば、己こそが手を血に染めると、そう見つめるエレオノールに、カリーヌは頭を振った。

「使い魔に関してはこちらに任せなさい。あの者は死以上の苦痛を味わう事になるのですから。
 それより、宮廷の者が言ったのですか? ルイズの使い魔が平民だと」
「ええ。平民の使い魔など俄かには信じられませんでしたが。
 ……まったく、アカデミーの者が強引に仕事を押し付けてきたのは父様の発言でしょう?
 どうあっても、わたくしに真実を伝えたくなかったのですね」

 その親の気心と言う物が、結果として真実だと言う事を伝えたのだと、当の本人は気付いているのだろうか?

「まあ良いでしょう。それで? わたくしにここに来るよう計らったのは何故ですか、母様」

 これ以上妹について言えば、せっかく冷静になれた精神がまた不安定になると踏んだのだろう。
 或いはそれは、これ以上客人と呼ばれた存在の前で痴態を晒したくないと言うものがあったのかもしれない。
 カリーヌは本来の目的であり、エレオノールがここへ来るに至った疑問を氷解させるべく、言葉を口にした。

「貴方には、そこの客人に『土』系統の魔法を教授して欲しいのです。
 出来れば念入りに、基礎から徹底的に叩き直して下さい。ボロ雑巾になっても構いません。一日でも早く、そして確実に使い物になる様に」

 最後の台詞に感じた不安を内心押し殺しながら、ギーシュは頭を下げた。

「ミス・エレオノール、面識のない貴女にこのような事を頼むのは重々承知しております。
 ですが、ボクにはやらなければならない事があるのです。
 お願いです。どうかボクに……」

 ────力を。大切なモノを護る術を与えて欲しいと。

 そうギーシュは頭を下げた。

「こちらの都合も顧みず、随分と身勝手な物言いですね、ミスタ・グラモン」

 だが、そんな事は知った事ではないとばかりに、一瞥しただけで視線を外し、

「ですが。貴方には母様たっての頼みと、何よりわたくしが先程助けられた借りがあります。それを返さないのは、公爵家としての沽券に関わるわ」
「では、」
「勘違いしない様に。別段、貴方の言葉に何か感じ言った訳でも、いえ、何か他の感情があったのではありません。
 ただ客人の前で取り乱してしまった無礼と、先程の恩を返しておきたいだけ。ゆめ、肝に銘じておくように」

 そういうだけ言って、エレオノールは屋敷の門をくぐってしまう。
 いや、そうではない。彼女は待っているのだ。ギーシュ・ド・グラモンが、ラ・ヴァリエールの屋敷へと入るのを。
 従者に任せるのではなく、あくまでも恩の有る自分がギーシュを屋敷へと向かえる為に。
 その優しさ。言葉ではなく行動で示す様を、不器用だな、と内心感じながらもギーシュはカリーヌへ一礼し、屋敷への門を潜っていく。
 
 残るわずかな時間。それまでに、一歩でも追い続けた者の近くへと立つ為に。


     ◇


 結局、その日は魔法の講義も実践も無かった。
 屋敷の中を案内し、客人用の部屋を身繕い、夕餉を食すだけで一日が終わってしまったのだ。
 尤も、それは初めから決まっていたこととはいえ、いざ教えようと張り切っていたエレオノールにとっては居心地が悪い物だったらしく、大量の魔法の研究書を明日までに纏めるよう羊皮紙と一緒にギーシュに突き付け、そそくさと退出していった。
 そうして彼女は、ある部屋を訪れる。自分の妹。これ以上ない程に可愛くて愛しい、けれど本人の前では何時もつらく厳しくすることしか出来なかった、そんな妹の部屋を。

「ルイズ」

 呟いた名の主は、もう返事は返さない。当然だ。この部屋はおろか、この世界のどこを探した所で、もう居ないのだ。
 その現実が、エレオノールの胸を締め付ける。

〝どうして……、あの子が?〟

 お世辞にも魔法の才能がある訳ではない。周りはおろか、エレオノール自身でさえ、妹の事を『ゼロ』と呼んだ。
 そんな妹が、どうして王宮の密命に行かなくてはならないのか?
 いや、少しでも考えれば判る筈だ。時間さえあれば、何時もエレオノールはルイズの魔法を見続け、少しでも上達する様に指導していた。
 繰り返される失敗。周りが匙を投げ、エレオノールもまた無能だと蔑んだ。
 それがどんなに妹を傷付けているかを知りながら、厳しくする事でしか、自分はあの子に向きあう事しか出来なかった。
 その厳しさが、何時か妹を報わせると。例え自分を嫌いになったとしても、何時か妹が一人前のメイジになると信じて。
 だからこそ、エレオノールは魔法研究所アカデミーへと入った。
 魔法を失敗した所で爆発はしない。ならば必ず未知の原因がある筈だと、多忙な日々を送りながらも原因を探求すべく日々を費やした。
 結果は言うまでもない。妹は『ゼロ』と嘲笑され続け、アルビオンで命を奪われた事が、その結果を告げているのだから。
 そう、ゼロと呼ばれ続け、誰にも認められる事の無かった日々。

 ────他者に理解されぬ苦衷こそが、妹を死に追いやった原因のだと。

 辿りついたその事実に、エレオノールは両膝を突く。

「ル、イズ………う……………っ」

 こんな時でしか。失ってしまった後でしか涙を流す事さえ出来ない。
 もう少し自分が優しかったなら。あの次女のように、少しでも自分が真っ直ぐに妹を見てやれたら、そうすれば死地に赴く事は無かったのではないか?
 後の祭。全てが消えてしまった後の悔恨など、果たして何の意味がある。
 もしこの場にあの忌々しい『元』婚約者が居たならば、エレオノールは気が触れていただろう。
 怒りのままに魔法を放ち、命乞いを幾らしようと、決して許さぬと杖を向けた事だろう。
 けれど、怒りを向ける相手はいない。
 居るとすれば、それは。

「……魔法学院に、使い魔が居る」

 それは宮廷の使いの言。主を守れなかった従者は、未だのうのうと生きていると、同情する様な瞳と声で、使いの者はそう言った。
 ただ今は慰めが欲しい。それで留飲は下がらずとも、せめて妹の所には送ってやろうかと、そう考えた所で。

「エレオノール……」

 自らの名を呼ぶ声に、熱を覚まされた。
 そうだ、そんな八つ当たりに意味はない。本当に赦せないのは……。

「……母様」

 涙でぬれ、脹れた顔を拭う間も無く、首だけ後ろを向く。
 本当なら立ち上がりたい。決して人前で弱みを見せぬ長女の性格を、母であるカリーヌは誰よりも理解している。だから。

「……あ」

 そっと。後ろから両手を回す。
 小さかった頃。絵本を読んで聞かせた様に。涙で燻っていた頃に、暖かな温もりで包んだように。

「貴女が気に病む事などありません。全て母に任せなさい。
 ルイズの事は残念でしたが、私はこれ以上貴女やカトレアには傷付いて欲しくないの」
「ありがとうございます。だけど、だけど……!
 それでも、わたくしは憎まずには居られない!」

 噛みしめた奥歯がギリギリと音を立て、声は涙で途切れ、掠れながらも想う全てを紡ぎ出す。

「……判っています。宮廷の者たちは自らの責を覆い隠したいのでしょう?
 だから全てを使い魔に、平民に押し付ける。ラ・ヴァリエール家は平民はおろか、下級貴族さえ人とは認めない。
 多少尾ひれは付いていますが、わたくしもそう育てられたのですから、それは正しいのでしょう。
 ですが、それで納得が出来ますか!? あの子を奪われ、カトレアが領地から出られないのを良い事に奴らは常に責を押し付け合い、生贄を用意している!!
 わたくしは、わたくしは────」

 ────それがどうしても赦せないと。

 嗚咽を噛み殺しながら、エレオノールは言葉にする。

「それは、あの子を慕う者たちにとっては同じ事。父上も、使い魔も、皆あの子の事を愛し、慕っていたが故に怒りを滲ませているのです。
 ギーシュ・ド・グラモンもそのうちの一人。自らに力さえあれば、誰もかもを護れたのではと責めている。
 エレオノール。貴女があの子を愛していたように、他の者たちもそれと同等の怒りを誅すべき者へ向けている事を知っておいて。
 ────全てが終わったら、一緒にあの子の墓を建てて、全てを訊かせましょう?
 私達は、貴女を愛していたと」
「はい────母様」

 既に主の居なくなった部屋の中で、主を愛していた母娘は抱き合う。
 願わくば、これ以上失う事のないように。

 失ったモノを忘れない様にする為に。母娘はただ、互いの悲しみを分かち合っていた。


     ×××


あとがき

 まずはじめに。前回、無用な事をつらつらと書き続け、読者の皆様に不快な思いをさせてしまった事を、この場で今一度、謝罪したいと思います。
 前回に確約致しました通り、今後は一切(感想の質問も含め)作品に関わる事以外は話さないと誓います。
 
 皆さま、本当に申し訳ありませんでした。



 さて、今回の話に関しては前半はギャグ。後半シリアスと言うつもりだったのですが、エレ姉さんの登場によって滅茶苦茶重くなってしまいました。
 やはりコッパゲと学院長のコンビでは全体の場を和ませるには行かなかったようです。
 この作品にギャグは合わないのは重々判っていたので、それまでと言えばそれまでですが……。

 そして何より問題なのが、ギーシュとエレ姉さんの間にフラグらしきものが立ってしまった事。
 本来はただの魔法の講師役だったのですが、今後の展開によっては百合ルートが出来そうで怖いです。
 ……本当、どうしたものでしょうか。

 さて、今後の展開に関してですが、アルビオン戦はできれば早く書きたいと思っているのですが、ギーシュの特訓等を書くともう少し先になりそうです。
 遅筆で申し訳ありません。


それでは、ここからは感想のお返しを。
(出張の質問に関しては、蛇足となるので省かせて頂きます。書いて頂いた読者様、誠に申し訳ありません)


syaさま
 確かに読者様に関係の無い事を延々と述べ、気分を害してしまった事を誠に申し訳なく感じております。
 あくまでも読者様は作品を読みたくて来ているのであって、作者の愚痴を訊くためではないと言う事さえ判っていなかった短絡的な行為だったと感じています。
 ご指摘ありがとうございました。

功さま
 確かにこちらで書くべきではなかった事を書いてしまい、読者の皆様に迷惑をかけた事を申し訳なく思っています。
 前回の後書きは削除させていただきました。ご指摘、ありがとうございます。

aaaさま
 ギーシュに関しては今後活躍していくのでご期待下さい。
 それと、多くの読者の方が疑問に思ったり批判するのは当然の事ではないかと、作者自身思っています。
 自分が逆の立場であれば信用できませんし、作者のとった行動は短絡的かつ迷惑な物ではなかった訳ですので。
 最後に、応援ありがとうございました。頑張っていきたいと思います。

自称良識者さま
 後書きにつきましては削除させていただきました。
 ご指摘、ありがとうございました。

ちゃるちゃるさま
 作者自身、この作品は暗い部分がある為にどうしてもきつい色になっていると感じていますが、そんな作品でも読んで下さる事を嬉しく思っています。
 応援、ありがとうございました。

ミヤビさま
 確かに作品を投稿する場に置いて、必要以上に個を出してしまった事は、猛省すべき点であると感じました。
 この作品を読んで下さっていた方々に対し、大変不快な思いをさせてしまっていた事を気付かせて下さり、誠にありがとうございます。
 今後は作者の個人的な事情は一切書きません。ご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

Smithさま
 確かに主人公に関しては台詞等でアピールできる部分が少ない為、かなり装飾過多な部分が見られると読み返して感じました。
 そして、作品を楽しんで下さっている読者様に、それ以外の点で不快な思いをさせてしまったのは恥じるべき点であると感じています。
 ご指摘と応援、誠にありがとうございました。これからも頑張っていきたいと思います。

EMTさま
 いえ、今回の件は完全に書くべきではない事を書き連ね、読者の皆様に大変不快な想いと迷惑をかけてしまった作者に非があると感じています。
 多くの読者様を不快にさせてしまった事。作者の恥知らずな行動にご指摘して下さった事を噛み締めて、これから書いていこうと思います。
 ご迷惑をかけてしまい、大変申し訳ありませんでした。

宮司さま
 ギーシュはヒョロッ子というか、自分の足場そのものがしっかりしていない奴なので、その辺も含めて強くしていきたいと思っています。
 というか、もうギーシュが主役で良い気がしてきた今日この頃。

ポスペチさま
 いえ、自分の文章などまだまだで、かなり粗が目立っています。誤字が滅茶苦茶多くて現段階でも修正しきれてませんし。
 こんな作品でも続けて欲しいと言ってくれるなら、作者にとっても喜ばしい事です。
 この先どうなるかは判りませんが、続けられる所まで続けて行きたいと思います。

あかなさま。
 中二が過剰なのは作者が仕事以外では中二な文章しか書けないという最大の問題がある駄作者からです。お目汚しとなってしまい、申し訳ありません。
 あと、この主人公は最低系というより本当に最低な奴なのです。多分、物語が進むにつれて今よりさらにドン引きになってしまうぐらい。
 今の主人公に剛速球で石とか投げたい、というのは作者の願望。



[5086] 008
Name: c.m.◆8bd4fd3f ID:131713d8
Date: 2011/02/09 02:20
     Side-Guiche


 天蓋付きのベッドから上体を起こし、辺りを見回す。
 一人で過ごすにはあまりにも広い客室。その周囲は完全な闇に包まれていた。
 おそらくカーテンを開けた所で何も変わりはしないだろう。
 部屋の隅にある大時計が示す時刻は四時を過ぎた辺り。完全に寝付いたのが一時である為、三時間程しか寝ていないが、寝れただけでも上等だと言える。
 何せ辞典かと見紛う程の分厚い研究書から、自分なりの考察や理論を纏める作業を半日もかからずに行う羽目になったのだ。
 はっきり言って判らない事だらけだったし、授業で習った事だけでは到底追いつかない。
 取り敢えずはボク自身の最も得意とする錬金について纏めはしたが、内容を見れば破り捨てられてしまうに違いない。

「けど……いきなり過ぎないかい?」

 思わず愚痴を零してしまったが、そんな事を言った所で何かが変わる筈もない。
 書き連ねた文章に誤字がないかを確認し、修正を加えるべき所は一通り修正し終えた所で、窓へと視線を移す。
 日が昇るには早いが、日課となってしまった事は変えられない。
 鏡を見て跳ね上がった髪を梳かし、すぐに化粧台の上にある腕輪を填める。
 そうして鏡に映るのは、いつも通り多くの者が認識している自分。
 ギーシュ・ド・グラモンという一人の少年の姿がある。
 ……酷い欺瞞だ。こんな物が無ければ、戦いに赴く事さえ出来ないなんて。
 身に付けた腕輪を片手で弄りながらも、すぐさまシャツに袖を通す。そろそろ厚手のシャツは季節的に辛くなってきたが、腕輪を隠すには長袖が要る。
 機会があれば学院から薄手のシャツを持ってくるかと考えながら、夜中に汲んで来た井戸水で顔を洗うと、音をたてぬ様、静かに部屋を後にした。


     ◇


 誰に気付かれる事無く部屋から屋敷の外に出るのは、思いの外楽だった。
 窓からフライを使ったのだから当然と言えば当然だが。

「さて、と……」

 まずは柔軟。ナオヤとこれを行う際は、三十分以上もの時間を費やす。
 長すぎると感じたのだが、彼曰くこれでもまだ短いらしく、暇さえあれば行うように言われた為、風呂上がりなどに同時間程行っている。
 ……というか、するように言われた。
 尤も、ボク自身重々自分の身体が硬い事と、柔軟と肉体のバネの必要性が日々の鍛錬で判ったので、今では積極的にやっているのだが。

「完全に開脚出来るまでもう少しかな?」

 とはいえ、こんな物は序の口らしく、ナオヤが横だけでなく縦に開いたり爪先が頭の方まで上がった所で制止したりしていたのを思い出す。
 あそこまで行くと蛸だよな、と思い返しながら一通りの柔軟を済ませる。
 ここからは領地の中を駆けていたり、腕立てや腹筋といった基礎体力の底上げを行っていく。
 あの日。彼に教えを請う立場になった時から、一日だって欠かさなかった日々の日課を、徐々に釣り上げながら行っていく。
 昨日よりも一歩。
 昨日よりも一回。
 進むたびに強くなれると、繰り返すたびに強くなれると信じて、今日もボクは繰り返す。
 そして、ここからが本領。
 ナオヤでは理解しきれない、メイジとしての特訓。
 薔薇の杖を手に、意識を集中する。細部に至るイメージの具体化。
 それこそが錬金という一種の創造を完璧にする物だと、研究書にはあった。
 ならば、その知識を元にやってみようと、杖から一枚の花弁を地に落とそうとし、

「あいた!!?」

 突如、後頭部を硬い何かで殴られた。

「何をしているのですか、ミスタ・グラモン」
「……おはようございます。ミス・エレオノール」

 後ろから分厚い本で殴って来た女性に挨拶をする。だが、そんな事はどうでも良いとばかりに、彼女はボクを睨みつけてきた。

「もう一度問います。何をしているのですか? ミスタ・グラモン」

 怒っている。一体どういう理由かは判らないは、ミス・エレオノールはご機嫌斜めの様だ。

「その……日課といいますか、鍛錬を」
「へえ……魔法の実践はわたくしの講義の後に行うと昨日伝えた筈ですが?」

 え?

「あの……確か昨日は研究書を纏めるようにとのことだった筈ですが……」

 というか、それ以外聞いていないのだが……。

「え……? な、何を言っているのです! わたくしはちゃんと説明しましたよ!
 ええ、した筈ですとも! まだ寝ぼけているのでしょう! 朝食がそろそろ出来上がりますから顔を洗って支度なさい!!」

 文句を言う間も無くミス・エレオノールは屋敷へと戻っていく。
 もう後姿さえ見えず、しばしぼんやりと佇むしか無かったが、次第に落ち着きを取り戻し、先程の彼女の顔を思い返す。

「泣いて、いたのかな……?」

 僅かに腫れ、赤くなっていた瞳は何を想っていたのか。それを考え無ければ分からない程、愚鈍ではいられない。
 ……動転していても仕方ないなと納得し、ため息と共に屋敷へと戻るのだった。


     ◇


 言われるがままに顔を井戸水で洗い、朝食を取るべく席へと付く。
 二度目の洗願は、汗を掻いて気持ち悪かった顔を洗う上でも気持ちよかったので、重畳と言える物だった。……何より、さぼったら後が怖い。
 学院の物と何ら遜色のない食事を朝から残さず平らげた。
 はっきり言ってきつい。学院に居た時はナオヤと一緒にマルトー料理長に交渉し、出来るだけ健康と量に気を使った食事に変えて貰っていた為、ここまでの量を食べるのは本当に久しぶりだった。
 尤も、食事メニューを変えるまでは食べ切れない事が多かったのだが。

「随分と多く食べるのですね」

 半ば呆れ気味にミス・エレオノールが声を漏らす。勿論出された以上は残さず食べなくてはならない。

「礼を以て迎え入れられ、歓待を込めて出された食事を無碍には出来ませんから」

 ささやかな糧に感謝しろ、というのはナオヤも普段から言っていたし。
 それに……もし彼がここに居たら、おそらくはこんな風に言うと思うから。

「……育ちの良い事。貴方の世話役はさぞ厳しかったのでしょうね」

 世話役……か………………。

「ええ。苦労ばかりを、かけさせてしまいました」

 だから。

「ミス・エレオノール。直ぐにでも土系統の教授を」

 こちらの言葉に、ミス・エレオノールは渋々ながらに頷いた。


     ◇


「まず、貴方の纏めたレポートを読ませて頂きましたが」

 ごくりと、生唾を飲み込む。一体どんな暴言が飛ぶのかと肩を竦ませた所で、

「まあ、最初ならこんな物でしょう」

 その言葉に耳を疑った。

「へ? あの、とても読めた物ではないと思いますし、ボク自身理論的な所はさっぱりだったのですが……」
「当然です。たかだか一般の学生にあんな物を一割も理解できる筈もないでしょう?
 わたくしが知りたかったのは貴方がどの分野に興味を持ち、実践したいかを見る事。そして貴方がどれ程の意欲を持って取り組めるかという事です。
 まさか錬金一辺倒とは思いませんでしたが……基礎を積み上げて行くのは悪い事ではありませんしね」

 本当に面目ない。錬金に関してはミセス・シュヴルーズから『トライアングル』クラスの実力はあると授業で誉められはしたものの、それ以外は『ライン』の、しかも下級の魔法が精々なのです。

「取り敢えず、貴方の錬金の作業工程を見させてもらいます。
 良いですか。自分の中のイメージをしっかり持って、一番創り易い物を作ってみなさい」

 指示の下、意識を自分の内へと向ける。造り上げるのは常に至高。
 ただ一片の隙もなく、己の持つ全てを注ぐ。
 あの日。学友、ルイズ・フランソワーズが殺され、ナオヤさえワルドに斬り捨てられたあの日。
 憎かった、悔しかった。理不尽な出来事と、赦せぬ存在と、何よりもそれらを見過ごした自分自身への憎悪。
 感情が鬩ぎ、思考が織り交ぜられ、その中で一振りの槍を生み出した。
 ただ殺し、ただ奪う。他のあらゆる存在を凌駕する究極の機能美。その一振りを。
 だが……

「……これが、貴方の錬金ですか?」

 今ここにあるのは、あの日の槍と比べるのもおこがましい代物だった。

「……」

 声にさえ出来ない。この程度の鈍らで、どうやってあの子爵を討ち取ろうと言うのか。
 ミス・エレオノールはため息と共にこちらを見た。

「はっきり言えば、貴方の錬金は無茶苦茶です。ただ強くあれ、というイメージだけで作っているだけ。材質も構成もあった物ではありません。
 確かに単純な鋼の塊でさせぶつければある程度の脅威となるでしょうが、これではハリボテ同然ですよ?」

 返す言葉もない。確かにあの日と同じような感情で創り上げた筈だと言うのに、どうして此処まで開きが出てしまうのだろう?

「……何が、原因なのでしょうか?」

 疑問を口にすると、彼女は懐から出した自らの杖を指揮者のように宙に振る。
 変化するボクの槍。それは先程の槍と全く変わらぬ外観でありながらも、内に漂う魔力の密度が決定的なまでに違っていた。

「貴方の魔力量は確かに大きい。まだ眠っている物も引き出せば、母様にさえ届く程に。
 ですがそれだけです。どんなに量が多くとも、それを無駄に使っては宝の持ち腐れ。
 一の魔力で一の物を生み出すのでなく、十の魔力で一の物を生み出す錬金など、何の脅威にもなり得ません」

 もし錬金を完成したくば、一を以て一の……否。一を以て十の物を生み出せと、そうミス・エレオノールは言外に告げた。

「ならば、如何すればいいのですか……?」

 自分には先は無い。図書館の蔵書を漁り、授業を聞き、独力で行きつく所までは進んできた。
 残された時間も僅か。そんな中でどうすればいいのかと、声を絞る様に紡ぐ。
 だというのに。

「簡単な事です。貴方の中には一番重要なモノが欠けている」

 それは誰にでも判る事なのだと、覚えの悪い生徒を見る様に、彼女は呟いた。

「貴方の中には図面がない。この槍を生み出すにしても、どういった形を造り、何処へ重点を置くのか。
 長さや幅、穂先の種類。槍という一つのカテゴリとして認識するのではなく、どういった槍を生み出したいのか。
 槍の材質を構成する物は? この槍を使用するに足る用途は?
 この槍を使用するに適した場所は?」

 言いながら、槍の穂先をゆっくりとこちらへ向ける。レビテーションによって宙に浮いた槍は、その穂先をぎらつかせながら喉元へと付きつけられた。
 見れば、何もかもが同じだと思っていた槍は僅かながらに違う。

「……用途は刺突。柄が短くなっているのは、ここが室内だからですね」
「正解です。さらに言えば、穂先も短く、膨らみを持たせてあります、理由は、」

 くるりと、宙を一回転し、ボクの足元へと突き刺さる。手に取れと言う事だろう。

「引き抜きやすいから……」

 完璧なまでの実戦主義。名門のお嬢様と軽んじてはならない。
 彼女は、ミス・エレオノールは紛う事なき『烈風』の娘。武門を背負うに足る存在。もし彼女が親同様その道を歩んだならば、間違いなく輝かしい功績を残したに違いない。

「母様曰く、己の身を護れる程度にと言われて覚えさせられましたからね。わたくしだけでなく、この程度ならカトレアにも出来るでしょう」
「それは、貴女の姉妹で?」
「……気になりますか」

 その言葉に首を思い切り横へ振る。この相手を怒らせてはいけないのは先刻重々承知しているのだから。

「まあいいでしょう。とにかく、錬金をモノにしたいなら設計図から始めなさい。
 初めは数を増やさなくとも構いません。出来るだけ細かく、無駄の無いようになさい。それがある程度形になれば、次は材質に関しても考慮するように。
 幸いにも書斎には多くの資料はありますし、鉱石などの材料も一通り手配しておきます」
「何から何まで、本当に申し訳ありません」

 もうこれ以上ない位頭を下げる。ただでさえ色々と世話をして貰っていると言うのに、その上こんなことまで……。

「何か私めに出来る事は……」
「なら……まずはその敬語を止めなさい。どうせこれからさらに厄介になるのですから。
 今さら他人行儀にされてもむず痒いだけです」
「は、はい!」

 宜しい、というミス・エレオノールの言葉に直立不動で応える。
 どうもボクの身体は彼女に対して既に服従の体勢にあるらしい。

「さて。取り敢えず、これ以上の武具を明日までに完成させるように」

 え……………………?

「これと同じ、ではなくですか?」
「これと同じ物を作ったところで単なる複製以外の何物でもないでしょう?
 仮にも武門の人間ならこの程度の壁は楽に越えなさい。この程度、『ライン』のメイジですら可能です」

 そういうや否や書斎の見取り図と、選出する本を書き込んだ羊皮紙を投げて寄越される。
 書斎と言えば小さく感じる物の、学院の図書館と引けを取らぬ程の蔵書率だ。見取り図を手渡されなければ迷子になっていただろう。
 後ろから投げ掛ける様にお礼を言うと、彼女は振り向きもしないまま書斎を後にした。
 返答を聞くまでも無い。彼女の背中は、嬉しそうに笑っていたから。

 さて、言われた通り、課題をこなして行くとしよう。


     ◇


 とはいえ……早々変われる物ではない。図面を用意しろと言われても、平民の武器が載っている様な本など一冊あれば恩の字。
 戦争に関する本を読み漁った所で、記載されているのは陣形の組み方や兵の動かし方といった集団戦を想定した物で、武器を個別に用意するような場面はそうは無い。
 そもそもハルケギニアにおける陸上戦の基本は、メイジが詠唱の時間を稼ぐために平民の弓兵を使用し、後に雑兵を最前線に送り込むか、調教したトロル鬼やオーク鬼を仕向けるのが基本だ。
 集団戦に優れる広範囲魔法を操る火系統のメイジ。
 風系統であれば高位のクラスによる雷の殲滅戦や、吹雪の壁による防衛戦も可能だし、風による不可視の刃を用いれば背後からの奇襲も出来る。
 土系統ならば攻城用のゴーレムによる城攻め、あるいは歩兵による戦闘といった具合である。
 唯一戦闘に参加し辛いのは水系統のメイジだが、彼らは治癒や汚れた水を飲料水に変えたりといったサポートが中心になるし、高位の者になれば───法律で禁止されているが───他者の心を操る秘薬や、人間の水の流れをかき乱して内側から破裂させたりと言った事もできる。
 はっきり言って、個人戦で一番当たりたくない系統と言える。

 そして、自分が用いる系統は土。錬金による武具やゴーレムの作成だが……。
 攻城用ならば破城鎚……歩兵なら陣形を駆使した集団戦……。
 待てよ?
 そこまで考えてページを捲っていた手が止まる。そういえばこの槍以上と言っておきながら、ミス・エレオノールは用途によって武器は性質を変えるという事を告げていた。
 つまり、単純にこの槍以上の物を作るのではなく、こうした槍以上に自分が有効に活用出来る物を作れば良いのではないか?
 思えばおかしかったのだ。少なく見積もっても『トライアングル』クラス以上の魔力を込められた槍が、どうして『ライン』クラスでも追い越す事が可能なのか?
 用途や性質によって、武具が本質を変えると言うならば……。
 この槍の歯が立たない状況の物を生み出せばいいのではないか?
 思い立ったが吉日とばかりにすぐさま別の資料を漁り出す。あった……竜騎士隊の甲冑図鑑。
 地上での行動をする部隊はレザーアーマーやチェーンメイル、あるいは兜や胸板、籠手といった一部分にのみプレートメイルを身につける物が多いものの、竜に跨った彼らはその機動力を持つが故に自らの防御を重要視する。
 全身を騎士甲冑で構成する歩兵のゴーレムにとって、打って付けとさえ言える物だった。

「まずは種類からか……」

 人が身につける物ではない以上、重量を気にする必要はない。むしろ関節部に鏃や銃弾を叩き込まれて動かなくなる方が問題だ。
 そうなると関節部を鎖帷子で保護するプレートアーマーより関節部全体を金属で保護するフィールドアーマーの方が良い。
 欲を言うならば大型の盾を持たせる事でより関節部の防御を完璧にしたいが、それでは機動力に問題が出る。
 元より銃も矢も剣も槍も意に介さぬモノ。痛みもなくば動きが鈍る事もない。
 朽ち果て、完全に破壊されるまで動き続ける不死の軍団。鋼鉄の騎士団。
 構造上に過剰な破壊をかけない限り動き続ける存在を作り上げる以上、如何に壊れ難くなるかが鍵である。
 そして、彼らが向かうのは最前線フロントライン。敵の進軍より如何に速く到達し、押すか押されるかの戦いをして貰わなくてはならない。
 忘れてはならないのだ。ここで組み上げる騎士はあくまで雑兵。されど何百、何千という凡夫と渡り合うだけの質が求められる。
 使い捨てのポーンであると同時に最速の進軍を可能とする女王クイーン
 それこそが、そのあまりにも欲張った性能を可能としなければ、彼らを使う意味などない。
 必要とされたくば、必要とされるまでになってみろ。
 自分があの少年に見放されたように、無様な足手纏いとなりたくないのなら、その身を変成させるが良い。
 真に不死たる戦乙女ワルキューレへと生まれ変われ。
 ページをめくり、脳に設計図を叩き込みながら、戦争に赴く彼女たちワルキューレを夢想した。


     ◇


 ……頭痛がする。どうやら夜が更けるまで夢中になってしまったらしい。
 よく見れば、ボクの肩には毛布がかけられているし、目の前には小さな食器に水とサンドイッチが置いてあった。
 やれやれとテーブルの上に置かれた数種類の籠手や、床に転がった兜などをどかそうとしたところで……
 目の前で凛と佇む女性の姿があった。
 まるで彫像。見るも麗しい貴婦人は、その瞳を閉じていなければただ寡黙に佇むだけだと誰もが思うだろう。
 自分がかけられていた毛布をかけ、再び椅子に座り直る。
 よく見れば、自分が開いていた本にもいくつかの付箋が挿んであったり、こちらが書き込んだ羊皮紙に注意書きがしてあった。
 ……思わず自己嫌悪に陥りかける。

〝どうせこれからさらに厄介になる〟

 そう昼に言われた言葉を、骨身に染みて痛感した。
 何故ここまでしてくれるのか? それを理解する事は今のボクには出来ない。
 だけど、ミス・エレオノールがボクに求める役割が判らない以上、ボクはせめて期待に応え続けられる生徒でなくてはならないだろう。
 決して落胆などさせない。彼女が望む限り、望む以上の高みを目指そう。
 その献身を以て、尊くも美しく、賢くも純粋たる女性への誠意としよう。
 それが、今の自分に出来る全てなのだから。

「やるか」

 手早く食事を済ませ、味わう間も無く水を胃に流し込む。
 ここからが正念場だ。ボクが真に目指すボクである為、その先駆けとしてこれを完成に至らしめよう。

 ────さあ、生まれる時だ。君達の生誕を心から祝おう。

「────愛しの戦乙女ワルキューレよ」


     Side-out


 昇る朝日と共に、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールは目を覚ました。
 ……失態だ、とエレオノールは思う。様子を見てから離れるだけだった筈が、転寝をするどころか完全に寝入ってしまったのだ。ましてや嫁入り前の身で不完全な姿を異性の前に晒すこと自体、完璧主義者である彼女からしてみれば恥じるべき汚点だろう。
 だが、そんな感情も一瞬で消え去る事となる。目の前にあるソレに、エレオノールは瞳を奪われてしまったのだから。
 思わず息を呑む。武骨と言って差し支えぬ程に装飾を排した甲冑は、されど引き寄せられずにはいられない。
 強いて言うならばそう……その甲冑の機構そのものこそ、真に美しいと言える点だった。
 如何に強靭な剣や槍を以てしても太刀傷を負わせられぬのではという肉厚な鋼。
 あらゆる鏃も銃弾さえも受け流してしまう見事な流線。
 人体に可能な、否、それ以上の動きさえも可能とするのではという関節部。
 こと機能美という点に置いて一分の隙もない甲冑は、エレオノールから見ても合格ラインを遥かに上回る。

 ……ただ一つ文句を付けるとするならば、それは甲冑の配色。

 作り手の趣味かどうかは判らないが、この甲冑は兜から鉄靴に至るまで漆黒に染め上げていた。
 色々と台無しだ。確かに装飾過多であるのは問題だが、だからといってここまで飾り気もないのなら、せめて色ぐらい気を配るべきだろう。
 これが群青か、或いは白銀であったなら、さぞ流麗なる戦乙女の勇姿を目にする事が出来たであろうに。
 内心落胆にも似た気持ちを抑えながら、鎧をくまなく検分する。
 関節部を曲げたりして動作を確認しようと思ったが、手動で行う事は諦めた。
 流麗な見た目に反して、甲冑の重量は基礎となったそれとは比ぶる事さえおこがましい程の質量を誇る。
 微かに指を触れ、次いで軽く二、三度叩く。土系統の人間ならば物の厚みや質量を図る事は造作もない。
 この程度の芸当、今のギーシュにすら可能だろう。
 その重量、約四百キロ。二メートル近い長身の甲冑を、一片の空洞なく鋼で満たせばそうなってもおかしくはあるまいが、よもやここまでとは直に触れるまでエレオノールは予想だにしていなかった。
 これ程の長身と重量を誇る騎士に、一体どれ程の武具を持たせようと言うのか? この生徒の出来の良さを少しは誉めてやっても良いのではないか、とそんな事を考えた所で辺りを見やる。
 おかしい。ここにあるのは甲冑だけで、肝心の槍も剣も楯もない。
 まさか丸腰で戦う訳でもないだろうと、細かく甲冑を観察。もしかすれば折り畳み式の短刀が腕から生えたり、爆薬の類でも仕込んでいるのではないかと調べてみたが、あるのは甲冑ただ一つ。
 ……結論を言うならば、ギーシュは甲冑だけ作って眠ってしまったと言う事らしい。
 どうしようもなく苛立ちが込み上げる。精神力が切れてしまった、等という言い訳は通用しない。というか、そんな話は聞く耳持たない。
 愛用の茨の鞭を取りだし、撓らせる。氷の様な女王は冷え切った怜悧な瞳をギーシュに向け、問答無用で蹴り起こす。

「ぐふぅ……!?」

 突然の事に何が何だか分からないといった様子でギーシュが床を転げ、一瞬で眠りの国から帰還する。

「こ、これはミス・エレオノール。おはようございます」

 敬語は使わなくて良いと言われたものの、流石に今回ばかりは恐怖心が勝ったのか、思わず萎縮してしまう。
 そんなギーシュに対し、エレオノールは冷ややかな表情で口を開く。

「ミスタ・グラモン。課題は終わったのですか?」
「あ、いえ。あと一歩という所で……」
「課題は一日ごとにこなしていく物です。もう日が昇っていますよ?」

 言葉遣いは丁寧だと言うのに、行動が明らかに怖い。
 両手に持っている鞭を床に打ちつけ、カーペットに線条痕を残す様をギーシュはガクガクと震えながら見やった。

「申し訳ありません! 今すぐ作ります!!」

 言って即座に錬金。この手の相手には下手の良い訳ではなく行動で応えるのが最も被害が小さい。
 小さいが、すぐさま錬金の槍は叩き折られた。

「あの戦乙女にこの程度のなまくらを持たせる気ですか?」

 言い訳など聞く耳持たん、という様にずるずると引き摺られる。
 直後、屋敷に絶叫が響いたのを使用人も含め、全員が聞かなかった事にしたのは余談である。


     Side-Guiche


「うっ……うう……」
「何を女のようにメソメソと泣いているのです。別段傷が残ったとしても男ならどうという事は無いでしょう」
「酷い……あんまりだ。こんな事ではお嫁に」
「婿の間違いでしょう。いい加減にしなさい。ミスタ・グラモン。
 それとも余裕ですか? 何ならもう四、五発いきますか?」

 よかった……思わず口が滑ったのは悪ふざけだと思われたらしい。
 けど、よりにもよって同性に傷モノにされるなんて……。

「……まあ、万が一貰い手が居ないようなら」
「え?」

 今何か、とんでもない事を呟いていなかったかい?

「何でもありません……それより、本題に移りますよ」
「あ、はい……」

 氷の様な無表情で向き直られる。流石にふざけている場合ではないか。

「まず貴方のゴーレム……確かワルキューレと言いましたか。あれに積む武装ですが、貴方は本来、あれを戦場で複数用意して使うつもりなのでしょう?」
「そこが本来ボクが向かうべき場所ですので。あれには最前線に立って貰うつもりです」
「それなら武装も限られるでしょう。鋼の鎧に火器や鏃は脅威ではない。ならば」

 歩兵や騎馬隊……敵側の狙いはこちらの重量を逆手に取った横転ということだろう。
 こちらの回答に対し、ミス・エレオノールは満足げに頷く。

「相手が倒そうとするのであれば、倒されないよう備えればいいのです。例えば、大型の盾の底面を地に埋め込ませて固定し、防御を完全にするといったように」
「確かにボクも考えました。しかし大型の盾は防御を完全にしますが機動力が損なわれます。それなら三十メイル程のパイクやハルバードを駆使して槍衾を作り、守備形態を強固にする方が得策かと」
「よろしい。ここで流されるようなら一から叩き直す所でした。
 それで? 貴方はどうする気なのですか?
「楯に関しては不要でしょう。最前線の者らは膝立ちの状態で槍を構えて頂ければ事足ります。問題は……」
「武器、ですね」

 顎に手を当てて考える。敵との衝突が避けられないのであれば、近付かれるまでにある程度の数を減らしておく必要がある。
 例えば、平民の持つ銃のように遠距離から狙い撃てば……

「ミスタ・グラモン?」
「申し訳ありません。お手数をおかけする事になりますが、取り寄せて頂きたい物があるのです」


     ◇


「まさか、こんな物を頼むとは」
「感謝しています。ミス・エレオノール」

 如何にヴァリエール家とはいえ、まさかこんなにも早く用意して貰えるとは思わなかった。
 申し訳程度に布切れに包まれた最新式のカノン砲を片手で撫で、頭の中で一つずつパーツを分けて行く。
 元が錬金によって一から構築した物だったのだろう。平民が手ずから作った物では解析に苦労するが、こうしたメイジによるものであれば構造把握は容易い。
 内部の構造を把握した後、イメージの具現化に取り掛かる。
 脳裏に浮かべるのはあの日、ルイズが亡くなり、ナオヤが子爵との戦いで倒れた時。
 ……思い出したい訳ではない。だが、あの時突如現れた男の持っていた武器を、ボクは忘れられなかった。
 ハルケギニアの兵は銃と剣、或いは槍を持って行動する。銃に剣や槍の機能を付け加える、という発想自体が欠落していたのだ。
 いや。もしかすれば、平民に必要以上に強力な武器を持たせない為の措置だったのかもしれないが、実際に目の当たりにした身としては、あれは衝撃的な物だった。
 そう。あの場に居た誰より劣等感に苛まれていた自分だからこそ、あの男の持っていた武器に目が行った。
 より強く禍々しい品。現行の銃とは明らかに一線を画すであろうそれを見て、ボクは朧げではあるが構造を理解した。
 連射機能。単発式のマスケット銃とは比べ物にならない、それこそ旧来からの平民とメイジの間にあった絶対的な壁を取り払いかねない殺戮の利器。
 尤も、今のボクにそれを再現する能力は無い。理由はいくつかあって一つは単純に見たのが一瞬であった為、内部構造を完璧に解析できなかった事。……信じがたいが、おそらくあれは平民の手によって作られた物だ。
 そうでなくば、あの場で見た時に構造は理解できていた筈だから。
 そしてもう一つは、たとえ設計図を叩き込めたとしても今のボクに再現しきれる力量が無い事。
 連射という機能を持たせるために改良を重ねたのであれば、当然その構造は複雑になる。
 おそらく、今のボクが作ろうとしても見かけだけの鑑賞用の品が出来上がるだけ。
 それでは何の意味もないし、己の力量は弁えている。
 ならばどうする? 決まっている。今の自分に作れる物を作れば良い。
 その為にこそ、大砲などという馬鹿げた物を用意して貰った。
 既存のマスケット銃は銃身の強度に不安が残る。こちらが錬金した物に硬化を施せばその不安は解消されるが、それでは所詮雑兵と変わらなし、意味が無い。
 彼女ワルキューレを最強としたいなら、凡夫の存在と同列の物を渡すべきではない。
 故に、その身に相応しい物を届けよう。その腕に取る物こそ、今のボクに生み出せる最強の槍なのだから。
 眼を閉じろ。設計図を頭に叩き込め。一分の隙もなく仕上げて見せろ。
 生み出すのは至高の一。ここで妥協をしたならば、そこから後は三流以下のゴミとなる。
 自分が力不足だと言う事は弁えている。だからこそ、分不相応な舞台に立つ為には己の全てを賭けなくてはならないという事も。
 だから……こんなスタートラインでの失敗など、万が一にも有り得ない!
 こちらの作り上げた物を見て、ミス・エレオノールは呆れ交じりに言葉を紡ぐ。

「……発想は悪くありません。ですが、実際に目にするとなると言わずにはいられませんね。
 貴方、気は確かですか?」

 確かにそうだろう。こんな物、槍と呼べる物かどうかさえ怪しい。
 優に十メイル以上はあろうかという長筒。その横幅は槍の柄というにはあまりに大きく太い。
 当然だ。これは柄ではなく砲身。従来の大砲とは比較にならぬ長さを持つ長砲は、構成が完全ならば二リーグ先の敵さえ難なく撃破できる筈だ。
 そしてこの砲身の先端に、本来有り得ぬ物が光る。余りにも異様かつ巨大な刃。
 三メイル近い穂先は、当然ながら砲身から射出される砲弾を避けるよう配置されており、その存在があってこそ、これが槍としての機能を果たしているのだと他者にも判る。
 石突から穂先にかけての全長は十三メイル。例え刃が無かろうと、鈍器として振り回すだけで絶大な威武を誇る槍は、同時に城塞さえ打ち崩す破城鎚でもある。
 尤も、このままでは砲身の巨大さゆえに持つ事は出来ない。だからこそこの槍は砲身に沿うように取っ手が付いてある。
 見方を変えれば階段の手摺のように不格好な物ではあるが、ともかくこれで彼女ワルキューレの持つ武装は完成した。

「戦乙女が駆る槍にしては武骨に過ぎますが、元より彼女達の役目は万軍を相手取る事。
 生半可な得物であってはすぐに討ち取られてしまいますので」
「それで長砲を持たせたと……『砲亀兵』は優秀な兵科ですが、このゴーレムのそれと比べれば文字通り兎と亀の勝負となるでしょう」

『砲亀兵』。ハルケギニアの陸戦においてポピュラーな存在だ。甲長四メイルはあろう巨体を持つ陸亀の背に青銅製のカノン砲を乗せた攻城兵科。
 本来亀という生物が巷で言われる程鈍重でない事を利用し、大砲の迅速な展開を可能とさせた事で攻城戦の歴史を塗り替えた存在。

「もしこれを完璧に量産できたなら、貴方は『砲亀兵』に変わって新たに攻城戦の歴史を塗り替えるでしょうね」

 だが、それさえもボクが創った存在の方が上なのだと、ミス・エレオノーレの思いがけぬ賛辞に思わず萎縮してしまう。

「しかし、ボクのワルキューレは一体を完全に創るのでこの様です。量産には程遠いでしょう」

 生み出し、築き上げたのは確かに理想形であり現段階における完璧。しかし、だからこそそう易々とは創れない。

「だとしても、これに近づけるよう突き詰めて行けばいいだけでしょう?
 これを元にした雛形は、これまで以上の可能性を貴方に示す。誇りなさいな、ギーシュ・ド・グラモン」
「……貴女は……もっと厳しい方だと思っていましたよ、ミス」

 率直なこちらの感想に、しかし彼女は余裕を崩さない。癇症でこそあれど理由もなく無暗にヒステリックになる事は彼女にとっても避けたいのだろう。

「……貴方を含め、多くの者は私を嗜虐家と思っている節があるようですが、私は結果を出す者は正当に評価します。
 まして、貴方は私の創造した結果を上回ったのですよ? 賛辞こそすれ、貶める理由はありません」

 そう嘯く彼女を不覚にも美しいと感じながら、唐突に揺れる視界に僅かばかり意識を空白にする。
 ぐらつく足元、突然の酩酊感に戸惑うも、満足に身体を支えきれない。

「まだ魔力の運搬が慣れていないのでしょう? 倒れて貰っては後の講義に差し支えます。三分ほど休みなさい、これは命令です」

 そうして、厳しくも優しい声色の女性に、支えられる形となった。
 ……本当、ルイズといい、どうして公爵家の女性は素直になり切れないのか。
 いや、異性に対して急に素直になれる女性など居る筈もない。居るとすれば、それは既に自分の中で決めている者位だ。例えばそう……。

「いつまで休んでいるつもりですか?」

 その言葉に勢いよく立ちあがる。もう鞭打ちは勘弁して欲しい。そっちの趣味には目覚めたくないし。

「さて、ここからは」
「ここからは私の番でしょう? エレオノール」

 軍靴の音に振り替える。そこに立つのはかつての伝説。肩まで届く髪を後ろに結わえ、古びたマンティコア隊のマントを身に纏った女性は、戦士としての威容さと同時に女性らしい凛々しさを兼ねていた。

「母様……」
「そう不機嫌な顔をされては困ります。講師を受け持った手前、投げ出したくない気持ちは判らなくもないですが、貴女はバーガンディ伯爵から食事の誘いが来ているでしょう?
 竜籠を用意していますから、早く支度なさい」

 誘いが来ている、というのは以前から決められていた事なのだろう。
 そう言われては是非もないとばかりにミス・エレオノールは肩を竦め、気の乗らぬ顔のまま屋敷へと踵を返そうとし、

「明日は精神力の効率的な運用についての講義をします。
 母様からの鍛錬も同じような形になるでしょうから、精々今の内に形だけでも掴んでおきなさい」

 そう僅かに振り返って、今度こそこの場を後にした。その足取りは、やはり気乗りがしないと言いたげだった。


     ◇


「まったく……唯でさえ婚期を逃しているというのに」

 そう仕向けたのは貴女でしょう、と言える物なら言いたかったが、そんな軽口を叩ける相手ではないので視線だけで言葉を告げる。

「……確かにその通りですが、どうも私にとっても予想外の事態に転んでいるのですよ、ギーシュ・ド・グラモン。
 あれは私に似て強情ですから、万が一そうなったとしても貴方が必要以上に関わらねば問題ないと思っていたのですが……一つ聞かなくてはならなくなりました」

 何を、と返す事も出来ない。ここから先の展開は、公爵夫人のこれまでの発言から予想出来た物だったから。

「貴方、同性に恋愛感情を持つ事はありますか?」
「ありません、持たれたとしても問題ないようにしています」

 即答である。一応そういった事態を防止する為に幼馴染に恋人役を買って出て貰っている。

「……本当に貴方は私に似ていますね」
「まさか……あの話は本当だったのですか?」

 現王妃……アンリエッタ姫殿下の母君に見染められたという事を父から耳にしていた。
 さしずめ悪趣味な冗談だろうとさして気にもしていなかったが……。

「不本意……いえ、大変栄誉な事ではあったと思うのですが何にせよ大変であった事には変わりがありません。
 貴方の前では癇症さを控えていますが、あの娘は本来内面をさらけ出す事が無いのです。同性であるが故に貴女はそこいらの男より余程女性の扱いを弁えているというのが大きいのでしょうが、このままでは本当に最悪の事態に転びかねません」

 ……それは、つまり。そういう事なのか?

「まあ、エレオノールはあれで生娘より身持ちは堅く手弱女より純情と来ています。
 今以上に近づく事が無ければ恋慕の念を向けられる事は無いでしょう。今はまだそこまでの想いを抱いている訳ではありません。
 尤も、だからと言って油断はしない様に。あれは自分にも他者にも素直になれない半面、爆発すれば見境が無くなります。
 ……最悪、女であることを告げても止まらぬやも知れません」

 それは勘弁して欲しい。傷モノにされた事もショックだったが、百合の花の咲き乱れる様な展開だけは問題だ。
 何よりその結末はお互いに不幸な展開にしかならない。

「判りました。彼女に関しては、ボクに恋人が既に居る事を告げれば問題はないかと」
「それなら初日に言っていますよ。グラモン家の男はそちらに関しては剛の者だから甘言を本気にするな、とね。
 実質的に貴方が剛というより柔の存在であり、女性の相手をするには誠実過ぎたのがあの娘にとって意外だったのでしょう」

 話と違う、自分は特別に思われている。意識していなくとも、心の何処かではそう感じずには居られない。
 原因の一端を作ったのは他ならぬ公爵夫人だが、ここまで事態を発展させてしまったのは他ならぬボク自身である以上、責める事は出来ないだろう。

「……出来得る限り、好意を持たれ過ぎないよう善処します」
「面目ないわ。それから、もし万が一最悪の事態になったとしても貴方に非はありません。むしろ、あの齢になるまで満足のいく交際相手を用意できなかったこちらと、素直になり切れずに縁談を破談にしてきたあの娘自身に非があるのですから」

 そう言ってくれるのは確かに嬉しいが、だからといって付き合えないから蔑にするしかない、というのはあんまりだ。それでは誠意の欠片もない。
 なら……。

「ボクは、彼女の生徒でありたい。男女としてでなく、そういう関係を築きたいという意思を見せます」

 そうする事でしか、お互いにとって救いとなる道はないと思うから。
 こちらの言葉に、公爵夫人は満足げにうなずいた。




     ×××


あとがき

 長い期間更新を開けてしまいましたが、ようやく投稿完了。

 ギーシュの折檻イベントは書いてたのですが、どうやってもXXX版行きが避けられなかったので全削除しました。

 次回の更新は何時になるか未定ですが、どんな形になるにせよ、完結を目指して行きたいと思っています。


 それでは、ここからは感想のお返しを。


練炭さま
 Sage修正はテスト版で練習したので、今度からやって行こうと思います。
 アドバイス、誠にありがとうございました。

宮司さま
 いつも温かいご感想をありがとうございます。
 これからも頑張って行きたいと思っています。応援の言葉、ありがとうございました。

0406さま
 この主人公に関してですが、達観しているようで、思想や発言が穴だらけだったり、人間的にぶれていて非常にちぐはぐな奴だったりします。
 感情移入は……作者的にも無理です。後々書いて行きますが、この主人公はかなり精神的に危うく、そして危ない奴なので。
 戦闘に関しても同様で、爽快感よりも後味の悪さが目立つようにしているので、戦闘そのものの爽快さに関してはギーシュに任せようと思っています。



 それでは、失礼致します。



[5086] 009
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2011/02/15 14:54
 アルビオン空軍工廠の街ロサイスは、首都ロンディニウムの郊外に位置している。革命戦争───と、レコン・キスタでは先程終結した内戦を呼んでいる───の前からここは王立空軍の工廠であったため、様々な建物が並んでいた。
 巨大な煙突が何本も立っている建物は製鉄所。その隣にはフネの建造や修理に使う、木材が山と詰まれた空き地が続いている。
 赤レンガによって築かれた巨大な建造物である空軍の発令所には誇らしげに『レコン・キスタ』の三色の旗が翻っていた。
 中でも一際異彩を放つのは、天を仰ぐばかりの巨艦であろう。
 雨避けの為の布が巨大なテントのように、停泊したアルビオン空軍本国艦隊旗艦『レキシントン』号の上を覆っている。全長二百メイルにも及ぶ巨大帆走戦艦が巨大な盤木に載せられ、突貫工事で改装が行われていた。
 とはいえ改装に関しては殆ど終えており、後は雨避け用の布を取り払った後に各所の確認を終えれば、そのまま不可侵条約を締結したトリステインへの親善訪問へ向かう手筈となっている。
 アルビオン皇帝、オリヴァー・クロムウェルが従者を引きつれ、現場を視察しているのも今日の午後には大使がトリステインへと向かう予定にある為だ。

「なんとも大きく、頼もしい艦ではないか。このような檻を与えられたなら世界を自由に出来る様な、そんな気分にならんかね? 艤装主任」
「我が身には余りある光栄ですな」

 気のない声で答えたのは、『レキシントン』号の盛装主任に任じられたサー・ヘンリ・ボーウッドだ。
 彼は革命戦争の折、レコン・キスタ側の巡洋艦の艦長であり、その際、敵艦を二隻撃破する功績を認められ、『レキシントン』号の改装艤装主任を任されることになったのである。
 艤装主任は艤装終了後、そのまま艦長へと就任する。王立であった頃からのアルビオン空軍の伝統だ。

「見たまえ、あの大砲を。余の君への信頼を象徴する、新兵器だ。アルビオン中の錬金術師を集めて鋳造された、長砲身の大砲だ。設計士の計算では……」
「トリステインやゲルマニアの戦列艦が装備するカノン砲の射程の、おおよそ一・五倍の射程を有します」
「そうだな、ミス・シェフィールド」

 サー・ボーウッドは、シェフィールドと呼ぼれた冷たい妙な雰囲気のする二十代半ばぐらいの女性を見据えていた。細い、肌に張り付く様なぴったりとした黒いコートを身に纏っている。
 見た事のない奇妙な身なりだった。マントも付けていないということはメイジではないのだろうか?
 ……尤も、ぼくにとっては全く関係のない事だ。
 次代のアルビオンの皇帝が誰であろうと、新兵器が誕生しようとどうでも良い。ただ竜騎士として、新国家の一軍人としての責務さえ果たせたなら、何の問題も無いのだから。

 クロムウェル閣下は満足げに頷くと、サー・ボーウッドの肩を叩く。

「披女は東方の『ロバ・アル・カリイエ』からやって来てね。エルフより学んだ接術でこの大砲を設計した。彼女は未知の技術を……我々の魔法の体系に沿わない、新技術の多くを知っておる。君も親しくなって損は無いぞ、艤装主任」

 サー・ボーウッドはつまらなげに領く。これは現在のアルビオン空軍では有名だが、彼は心情的には王党派だ。しかし軍人は政治に関与すべからずとの意思を強く持つが故に、上官であった艦隊司令が反乱軍側についたため、しかたなくレコン・キスタ側の艦長として革命戦争に参加したのだという。
 アルビオン伝統の『貴族の責務ノブレス・オブリージュ』を体現するべく努力する彼にとって、未だアルビオンは王国であり、クロムウェル閣下は忌むべき王権の纂奪者だ、などと考えているに違いない。
 誇りか立場かを割り切れないからそういう事になる……その点に関しては、ぼくも他人の事は言えないのだが。

「これで、『ロイヤル・ソヴリン』号に敵う艦は、ハルケギニアの何処を探しても存在しないでしょうな」

 おそらくわざとなのだろう。サー・ボーウッドは間違えた振りをして、この艦の旧名を口にした。その皮肉に気づいてか、クロムウェル閣下は微笑む。

「ミスタ・ボーウッド。アルビオンにはもう『王権ロイヤル・ソヴリン』は存在しないのだよ?」
「そうでしたな。しかしながら、たかが親善訪問の出席に新型の大砲を積んでいくとは下品な示威行為と取られますぞ」

 トリステイン王国とゲルマニアの不可侵条約の締結が終え、アルビオンと両国の仲を親密にすべきとの名目上、国賓として初代紳聖皇帝兼貴族議会議長のクロムウェルや神聖アルビオン共和国の閣僚は、まずトリステインに訪問する手筈となっている。その際の御召艦が、この『レキシントン』号と言う訳だ。
 親善訪問に新型の武器を積んでいくなど砲艦外交ここに極まれり、といったところか。
 クロムウェル閣下は何気ない風を装って呟く。

「ああ、君には『親善訪問』の概要を説明していなかったな」
「槻要?」

 また陰謀か、とサー・ボーウッドは頭が痛くなったようにこめかみを押さえた。
 クロムウェル閣下はサー・ボーウッドの耳に口を寄せ、二言、三言口にすると彼の顔が一瞬にして青ざめる。
 それ程クロムウェルが口にした言葉は、サー・ボーウッドにとって常軌を逸していたと言う事だろうが……竜騎士を含めた現場の人間には伝わっている。
 知らぬのはサー・ボーウッドだけだ。

「莫迦な────そのような破簾恥な行為、聞いたことも見たこともありませぬ!」
「軍事行動の一環だ」
「トリステインとは、不可侵条約を結んだばかりではありませんか!? このアルビオンは長い歴史の中で、他国との条約を破り捨てた歴史はない……!!」

 激昂するサー・ボーウッドに対し、クロムウェルは事もなげに肩を竦めると、窘めるような穏やかな口調になる。

「ミスタ・ボーウッド。それ以上の政治批判は許さぬ。これは議会が決定し、余が承認した事項なのだ。君は余と議会の決定に逆らうつもりかな。いつから君は政治家になった?」

 それを言われれば、ボーウッドとしてはもう何も言えないだろう。彼にとっての軍人とは物言わぬ剣であり、盾であり、祖国の忠実な番犬なのだ。
 彼にとってはあくまで『誇りある』の部分を強調したいのだろうが、それが政府の……指揮系統の上位に存在する者の決定なら、黙って従うより他はない。
 それが軍人としての彼が律したルールであり、そうでなければ王党派ではなく貴族派に着いた自身の決定を根底から覆す事になる。

「……アルビオンは、ハルケギニア中に恥を晒す事になります。卑劣な条約破りの国として、悪名を轟かす事になりますぞ」

 苦しげに呟くその言葉は、せめて他国の目を気にして動けと言いたいのだろう。
 確かにそれは正解だ。計画を実行に移す直前の人間に歯止めをかけるには、内側ではなく外側の人間に目を向けさせるのが手っ取り早い。
 だが、それに対するクロムウェルの答えも簡単な物だった。

「下らんよ。ハルケギニアはレコンキスタの御旗の元に纏まるのだ。来る日にエルフ共から聖地を奪還した暁には、些細な外交上の経緯など気にも留めん」
「条約破りが些細な外交上の経緯ですと? 貴方は祖国をも裏切るつもりか!?」

 詰め寄るボーウッドを、両脇に控えた二名の男が律する。
 片や、手にした銃を眉間へ。
 片や、手にした杖を喉元へ。
 どちらも自分にとっては見知った顔だ。
 銃を手にした男は王党派との決戦において開戦時刻を偽り、奇襲による攻撃と内部から敵を打ち崩す電撃戦によって、貴族派の損害をほぼ無くす形にした策士。
 誇りとは無縁の戦い方であったし、自分としても好感を持てる存在ではないが、結果として貴族派に大勝をもたらした功績者だ。
 杖を手にした男は、聖地奪還という大義から祖国を離れ、レコン・キスタに与した元トリステインの誉れあるグリフォン隊隊長。
 素性を本人が話した事は無いが、マントに縫い込まれた二頭のグリフォンと、トリステイン王家の紋章である百合の刺繍が、彼の本来の立場を知らしめていた。

 ────かつての名誉を、自ら泥で塗る様に。

 サー・ボーウッドにこれ以上異論を唱える事は出来ない。いっそ、ここで殺された方がまだ救いがあっただろうに、クロムウェルと二名の従者は悠々と踵を返して行った。

「……あいつは、ハルケギニアをどうしようというのだ」

 その場に取り残されたサー・ボーウッドの声は、誰の耳にも届かない。
 ……ぼくにしてみても、未練がましい男の独白など聞きたくもなかったから。


     ◇


 呆然と立ち尽くしたままのボーウッドを置き去りに、雨避け用の布が取り払われる。
 凄まじい物だ、と実際に目にすれば感じずにはいられないだろう。
 だが、既にぼくの興味はそこにはない。
 今の自分にあるとすれば、これから戦場となるであろう場所に赴く事への高揚を抑える事だ。
 正直、不安は尽きない。先の王党派の戦いでは殆ど敵と言う敵と戦う事なく勝敗が決してしまった為、自分には本格的な実践というものを味わえる機会が無かった。
 だが、泣きごとなぞ言っている場合ではない。
 既に杖は振られた。あの日、あの時からこうなる事を覚悟していた筈だと手にしたロケットを強く握りしめると、横からべろりと、ぼくの顔をウィンザーが舐める。

「……ありがとう。ぼくは大丈夫だよ」

 幼い頃から共に過ごした火竜の頭を撫でつつ、ロケットを懐に収めた。
 どういう訳か判らないが、先程からクロムウェル閣下の傍に侍っていた男がこちらに来ているのだ。

「何かご用でしょうか、ミスタ?」

 貴族ではないとはいえ、クロムウェル閣下の傍に侍る者である以上無礼は許されない。恭しく頭を下げるこちらに対し、男はいえいえと頭を振った。

「そんなに堅苦しくなくていいですよー。こっちはただの平民ですし、ちょっと気分転換に無駄話でも出来ればと思っただけですから。
 あ。自分のことはピェーペルとでも呼んで下さい。偽名ですけど」
「……ヘンリー・スタッフォートと言います。ミスタ・ピェーペル」

 自分から偽名だとばらすのはどうかと思うが、そういった道化めいたところに飲まれてはならないと自分を律しつつ応える。
 よもやとは思うが、自分がクロムウェル閣下に叛意有りなどという疑いをかけられて調べに来られた、という可能性も否定できないからだ。
 だが。

「そんな取り調べに応えるような顔しないで下さい。あくまでこっちはただのお喋りなんですから。ところでお菓子食べます?」

 こちらの考えを読まれたような発言に、思わず息を詰まらせる。
 が。相手はそれに対して気にした風も無く、はい、どうぞとクッキーの入った包みを出す。ディネクト・マジックをかけたいところだが、流石にそれは失礼だと考え、無言のまま一枚手に取る。無論、食べる様な真似はしない。

「そこの火竜って君の使い魔?」

 クッキーの包みを懐に仕舞いつつミスタ・ピェーペルは問う。どうやら相手も食べる気は無いらしい。

「はい。幼少の頃より傍に」
「良い事です。使い魔と主人は二人で一人、その繋がりは死が分かつ時まで……いえ、死してもお互いを忘れる事など無いでしょう」

 大切にしないといけませんよ、とまるで協会の神父か何かのように慈愛に満ちた声で語る。しかしだ。

「貴方は平民では?」

 思った事を口にする。たとえ立場的な問題があるとはいえ、ぼくとウィンザーの繋がりを軽く見られたくなどないからだ。

「そうですね。確かにこの身は平民です。
 しかし、失う事への苦しみというのは何者にも共通する。違いこそあれど、生きて行く中で等しく経験するものなのです。
 君はその事を深く判っているようですから、まあブリミルに教えを説く様な物でしたね」

 忘れて下さい、と今度は水筒を差し出される。手に取りはしたが、口を付けたりはしない。

「……話が見えません。一体何が言いたいのです?」

 一見良い事を言っているように思えるが、はっきりいって真意が全く読めない。
 本当に無駄話をしに来たのならまだ判るが、わざわざクロムウェル閣下の元を離れてまで一介の竜騎士に会う理由は無い筈だ。

「────失うには早い、ということですよ」

 先程までの陽気さなど欠片も無い、深く冷たい声でミスタ・ピェーペルは告げる。

「……何が、ですか?」

 聞きたくなどない。その先を聞けば不安になるだけだ。だというのに、ミスタ・ピェーペルは止めない。

「今回のトリステイン侵攻は貴方方竜騎士は既に聞き及んでいるでしょうが、君は行かなくて良い」

 一体どういう事だ? 長距離の大砲があるから竜騎士が役に立たないと、この男はそう言いたいのか?

「我々が、不要だと……?」

 血が滲む程に拳を握りながら問うも、そうではないとミスタ・ピェーペルは語る。

「竜騎士を侮辱している訳ではないし、戦いにおいて彼らは必須と言える存在です。
 しかし先程はこう言った筈ですよ? 『君は』出なくて良いと」
「若輩の身では、足手纏いだと?」
「いいえ。君の騎乗は見ましたが、実に筋が良い。そこいらの竜騎士より遥かに良く活躍してくれるでしょう。ですが、若輩の君だからこそ出て欲しくないのです」

 一体何が言いたい。まさか若い人間が死ぬのは忍びないとでも?
 そんな下らない理由で自分を戦地から遠ざけようなどと……。

「君の思っている通りです。君は若く先がある。婚約者がいるのでしょう?
 竜騎士たちは皆、貴方を気にかけていましたよ」

 その言葉に、今度こそ思考が停止しかける。何だそれは? そんな事はとっくに話が付いている。
 既に出立前に……。

「婚約は破棄したと……ですが、婚約者は君を待っている。
 先程こちらに来た若い女性がいましてね。軍事機密ゆえお通しできませんでしたが、まあ……今ならまだ時間があります。
 恋の使者なんてのは柄じゃないですが、女性の頼みは断れませんから」

 行ってきなさい、という言葉を最後まで聞く事なく駆けだす。
 懐にしまったロケットを握り締めて、会うべきではないと判っている女性の元へ走っている。
 未練は確かにあった。だが、今度こそ手紙では無く伝えなくてはならない。自分を諦めてくれと。
 幼い頃から親しかった、あの美しい女性ひとにもっと別の未来があるのだと。
 そう伝えなければならないから。

「────ヘンリ!」

 ……ああ、だけど。

「───────」

 ────どうしてぼくは、その言葉を口に出来ないのか?

 声が掠れる。愛した人の名を叫びたいのに、どうしても声に出来ない。

「来て……くれたのね」
「どうして?」

 どうして君はここに来た? 君は来るべきではない。もっと素敵な人が居て、王家に苦しめられてきた君はようやく解放されたのに……。

「ぼくは……君を棄てたのに」

 愛してはならないと、立場とか名誉とか、そういったモノの為に君を棄てたのに。
 なのに。

 ────どうして君は、こんなにも温かい?

「私が貴方を愛したから」

 鎧の上から感じる温もり。決して伝わる筈の無い体温が、どうしてこんなに実感できる?

「───────」

 口にした名前。これまでの人生で何度も何度も叫んだ名前。それを、彼女にしか聞こえない程の……ひょっとしたら、彼女にさえ聞こえていないのではないかという声で、ぼくは呼ぶ。
 抱きしめられる力はより強くなる。
 ……けれど、ごめん。

「それでも、ぼくは……君とは生きられない」

 きっとぼくは泣いていた。震える声で、自分でも告げたくない言葉を口にしなくちゃならない。

「ミス・サウスゴータの為?」

 その言葉に無言になる。ああ、そうだ。詰まる所、それだけだ。そして、それこそが全てを狂わせたのだ。

 …………全ては、あの日。あの惨劇から狂ったのだ。

「ぼくは王家を赦せない。この世界の認識が赦せない」

 だから聖地に向かうのだ。戦う為でなく、彼らエルフと話し合う為に。
 王家は打倒した。レコン・キスタも利用してやる。ぼくはぼくの誇りを抱いて、この道を進まなくちゃならない。

「だから戦わなくちゃならない。君を虐げるものは無くなった。
 今度は彼女達の無念を晴らす番だ」

 もう二度とあんな悲劇を引き起こさない為に。たとえ己が泥を被る事になり続けるとしても、その泥を誇りに変えて進んでいきたいから。

「なら……私も待っています。あの二人の……あの家の様な悪夢を二度と引き起こさない為に戦うのなら、私はそんな貴方と共にありたい」
「君は……馬鹿だ」

 そんな事を言って、そんな風に微笑んで…………ぼくが断れないのを知っているくせに。

「そんな私を、貴方は愛してくれるのでしょう?」

 ああ、そんな君を愛していこう。この道に救いが無かったとしても、君が居てくれるなら、戦い続ける事が出来るから。


     ◇


「あれ? 意外と早かったですね。もうお仕舞い?」
「はい。お手数おかけしました」

 頭を下げるこちらに、ミスタ・ピェーペルは良いですよ、と軽く応える。

「無礼を承知で言わせて頂けるなら、正直……貴方の事を誤解していました」
「別に構いませんよ~。こっちとしても若い人には青春して貰いたいですし。
 そんなのはキャラじゃないって判ってますしね~。けど、ほんとに行くんですか? 竜騎士一人抜けたって良いんですよ? その分こっちが働くし。めんどいけど」

 本音なのかどうか判らないおふざけを混ぜるのはもう聞きなれた……という事は無いが、今ではこの軽さにも好感が持てそうだ。

「ぼくは既に王家と敵対した身です。今回の戦場に出る事が無かったとしても、次の戦場へ向かわなくてはなりません」

 結局はそれが全てだ。一つの戦場に行かなかったとして、それで確実に生き残れる筈も無い。貴族として生きるのなら、戦場に赴くと言う責務を果たさなくては嘘だ。
 たとえ裏切りを行った身でも、ぼく自身の誇りだけは貫いて行きたいから。

 ………二度とあんな悲劇を起こさない為に。戦い抜くという決意を持ち続けたいから。

「決意は固いようですね。君ぐらいの年の子は頑固だから困るんですよ。
 では一つだけ忠告を。黒い服を着た少年を見たら逃げなさい。良いですか? 絶対ですよ!」

 これだけは何としても守れ、と念を押すようなミスタ・ピェーペルに苦笑交じりに、はいと応える。

「それは敵国の騎士ですか?」
「いいえ。平民です、主人を殺された、ね」

 その言葉に胸が詰まる。きっと……戦場に赴くとはそういう事で、敵にも愛する者がいたということだろう。だが、平民なら何の問題も無い。

「ぼくの戦場は空です。フネの上も地上も関係ありませんよ」
「そうでしたね……余計な心配でした」

 頭を掻きながら、ミスタ・ピェーペルは去っていく。口にしたクッキーからは、何処か懐かしい領地の香りがした。


     Side-out


 ボーウッドとの小競り合いを終えた後、クロムウェルは傍らを歩く貴族に話しかけた。

「子爵、君は竜騎兵隊の隊長として、『レキシントン』号に乗り組みたまえ」
「目付け、という訳ですか?」
「否だ。あの男は決して裏切ったりはしない。頑固で融通がきかないが、だからこそ信用出来る。余は魔法衛士隊を率いていた君の能力を買っているだけだ。竜に乗った事はあるかね?」
「ありませぬ。しかし、私に乗りこなせぬ幻獣はハルケギニアには存在致しません」

 決してそれは過剰な自身から来るものではないのだろう。だろうな、と言ってクロムウェルは微笑むと不意にワルドへと問うた。

「子爵、君は何故余に付き従う? 君の忠誠を疑う訳ではないが、あれだけの功績をあげながら、何故何一つ余に要求しようとはしない? 『聖地』だけが望みだと言うのか?」
「私が探すものは、そこにあると思います故」
「信仰か? 欲がないのだな」

 元聖職者でありながら、信仰心など欠片も持たぬクロムウェルはそう口にするも、ワルドは頭を振って否定した。

「いえ閣下。私は世界で一番、欲深い男です」

 ワルドはそう言いつつ、首から下げられた古ぼけた銀細工のロケットを開く。
 中には描かれているのは美しく繊細な女性の肖像だ。それを見つめていると、ワルドの胸の奥が熱く騒ぐ感覚にとらわれた。
 しばし極小の肖像を見つめた後にロケットを閉じると、ワルドは己より離れていたローブの少女を抱き寄せる。

「それに、私は閣下より既に欲しい物を賜っています」

 口元を歪めるワルドを見て、クロムウェルはそうだったなと呟いた。

「君の活躍には期待しているよ、子爵」


     ◇


 トリステイン檻隊旗檻の『メルカトール』号は新生アルビオン政府の国賓を迎える為、艦隊を率いてラ・ロシェールの上空に停滞していた。
 後甲板では艦隊司令長官のラ・ラメー伯爵が正装して居住まいを正している。その隣には、艦長のフェヴィスが口髭を弄っていた。
 手癖が悪いと言われればそれまでだが、その事に対して異を唱えるものは居ない。何せアルビオン艦隊は約束の刻限をとうに過ぎているのだ。
 向こう側が詫びこそすれ、こちら側に一切の非が無く待ちぼうけを喰らっているともなれば、多少の手癖の悪さ程度見過ごされてしかるべきだろう。

「奴らは遅いではないか。艦長」
「自らの王を手にかけたアルビオンの犬共は、犬共なりに着飾っているのでしょうな」

 内心の苛立ちを隠す事無くラ・ラメーが呟くと、それに同意するようアルビオン嫌いの艦長が頷く。
 しかし噂をすれば、というように檣楼に登った見張りの水兵が大声で艦隊の接近を告げた。

「左上方より、艦隊!」

 水兵の発言した方向を見やると、雲と見紛うばかりの巨艦を先頭にアルビオン艦隊が静々と降下してくるところだった。

「あれがアルビオンの『ロイヤル・ソヴリン』扱か……戦場では会いたくないものだ。
 とはいえ、それも叶わんだろうがな。艦長、水兵に準備を怠らせるなよ」

 降下してきたアルビオン艦隊は、トリステイン艦隊に併走する形になると、旗流信号をマストに掲げた。

「貴艦隊ノ歓迎ヲ謝ス。アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号艦長」
「こちらは提督を乗せているのだぞ。艦長名義での発信とは、コケにされたものですな」

 艦長はトリステイン艦隊の貧弱な陣容を見守りつつ、自虐的に呟く。

「あのような艦を与えられれば、世界を我が手にしたなどと勘違いしてしまうのであろう。
 良い、返信だ。『貴檻隊ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎ス。トリステイン艦隊司令長官』、以上」

 ラ・ラメーの言葉を控えた士官が復唱し、それをさらにマストに張りついた水兵が復唱すると、マストに命令通りの旗流信号がのぼる。
 同時、アルビオン艦隊から大砲が放たれた。礼砲である。弾は込められておらず、大砲に詰められた火薬を爆発させるだけの空砲だ。
 しかし、巨艦『レキシントン』号が空砲を撃っただけで辺りの空気が震えさせる。その迫力に、ラ・ラメーは一瞬後退る。よしんば砲弾が込められていたとしても、この距離まで届くことはまずない。
 それが判っていながら、実戦経験もある提督を後退らせる程の、禍々しい迫力を秘めた『レキシントン』号の射撃であった。

「よし、答砲だ」
「何発撃ちますか? 最上級の貴族なら、十一発と決められております」

 礼砲の数は相手の格式と位で決まる。艦長はそれをラ・ラメーに尋ねているのだ。

「八発で良い」

 子供のような意地を張るラ・ラメーをにやりと笑いながら見つめると、艦長は命令した。

「答砲準備! 順に七発! 準備出来次第撃ち方始め!」

 艦長の言葉にラ・ラメーは笑い返す。要はどちらも子供なのだった。


     ◇


 アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号の後甲板で、艦長のボーウッドは、左舷のトリステイン艦隊を見つめていた。隣では艦隊司令長官及びトリステイン侵攻軍の全般指揮を執り行う、サー・ジョンストンの姿が見える。
 貴族議会議員でもある彼は、クロムウェルの信任厚いことで知られているが、実戦の指揮は執ったことがない。サー・ジョンストンはあくまで政治家であって軍人ではないからだ。

「艦長……」

 心配そうな声で、ジョンストンは傍らのボーウッドに話しかけた。

「サー?」
「こんなに近づいて大丈夫かね? 長射程の新型大砲をつんでいるのだろう? 離れたまえ。私は閣下より大事な兵を預かっているのだ」

 クロムウェルの腰巾着が、と内心呟きつつ、ボーウッドは冷たい声で返す。

「サー、新型の大砲といえど、射程いっぱいで撃ったのでは当たるものではありません」
「しかしだな。私は閣下から預かった兵を、無事にトリステインに下ろす任務を担っている。兵が怖がってはいかん。士気が下がる」

 怖がっているのは兵ではないだろう、とボーウッドは思いながら、ジョンストンの言葉を無視して命令を下す。
 空では己こそが法律であり、政治家風情に譲るつもりは無いと言うのが軍人としての彼なりのプライドなのだろう。

「左砲戦準備」
「左砲戦準備! アイ・サー」

 砲甲板の水兵たちによって大砲に装薬が詰められ、砲弾が押し込まれる。
 トリステイン艦隊から轟音が轟いた。トリステイン艦隊旗艦が答砲を発射したのだ。

「作戦開始だ」

 その瞬間、ボーウッドは軍人に変化する。政治上の経緯も、人間らしい情も、卑劣な騙し討ちであるこの作戦への批判も、全て思考の外に追いやった。
 己は軍人でありそれ以外の何物でもない。任務の遂行こそ最上たる使命であり、それ以外は有象無象に過ぎぬのだと、己に言い聞かせるまでも無く神聖アルビオン共和国艦隊旗艦『レキシントン』号艦長、サー・ヘンリ・ボーウッドは矢継ぎ早に命令を下す。
 艦隊の最後尾の旧型艦『ホバート』号の乗組員が準備を終え、『フライ』の呪文で浮かぶボートで脱出するのがボーウッドの視界の端に映った。


     ◇


 答砲を発射し続ける『メルカトール』艦上のラ・ラメーは、本来であれば驚くべき光景を日の当たりにした。アルビオン艦隊艦隊最後尾……一番旧型の小さな艦から、火災が発生したのだ。

「成程、そう来ましたか」

 フェヴィスが呟いた次の隙間、火災を発生きせた艦に一瞬にして火が回り、空中爆発を起こした。
 残骸となったそのアルビオン艦は、燃え盛る炎とともに、ゆるゆると地面に向かって墜落していく。

「小型のボートを後方より確認! 他の大型艦に乗り移る様です!」
「さっさと大砲を準備しろ。連中の古びたフネと一緒にあの世に送ってやれ!」

 艦長のフェヴィスが水兵たちを叱咤する。『レキシントン』号の艦上から手旗手が、信号を送ってよこす。それを望遠鏡で見守る水兵が、信号の内容を読み上げた。

「『レキシントン』号艦長ヨリ、トリステイン艦隊族艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明セヨ」

 水兵の読み上げた内容に対し、ラ・ラメーは口元を釣り上げる。いいだろう、そう来るなら話は早いとばかりに声を張り上げた。

「返信しろ『コレガ我ラノ答砲ダ』とな!!」

 既に大砲は装填済み。あとは射程距離内に入るのみだが、それは敵も同じ事だと、ラ・ラメーは考え、操舵主に指示を出す。瞬間────着弾。

『メルカトール』号の甲板に大穴が開くも、取り乱す事無く状況を把握する。

「この距離で大砲が届くのか……」

 揺れる甲板の上でフェヴィスが驚愕の声をあげるも、ラ・ラメーはそれがどうしたとばかりに指示を飛ばす。

「風系統のメイジを集めろ! 砲弾の軌道を逸らせ! マストや動力炉を撃たれぬ限り航続に問題は無い!!」

 最早先程までの空砲に後退っていたラ・ラメーはここに居ない。ボーウッドがそうであったように、彼もまた一度戦場の空気を嗅いだ瞬間に軍人としての血が湧き上がったのだ。

〝嗚呼……感謝するぞアルビオン。長い間嗅ぐ事の出来なかった空気だ。
 貴様らも楽しむが良い。我らは王党派とは違うのだ、貴様らの奇襲などものともせん。共に華々しく踊り狂おうではないか〟

 釣り上った口元を元に戻す事もせず、犬歯を剥き出しにしたままラ・ラメーは杖を引き抜くと同時、『レキシントン』号の後続の戦列艦の一隻が寸断された。
 まるで巨大な刃で切断されたかのように戦艦が解体され、乗組員の血肉と共にパラパラと大地に落ちて行く。
 確かに砲弾はまだ射程外。しかし、魔法が届かないと誰が言ったのか。
 トリステインが国土こそ小さく、他国からの侵略を幾度となく受けていながら生き残っているという事実。
 三本の王権の内の一本を未だ残す最大の要因。それはメイジの質そのものにあると言っていい。

〝『烈風』や『疾風』程ではないが、小型艦であれば問題ない。さて、射程内に入るまでにあの目障りな『レキシントン』号の主砲を潰しておくか〟

 敵にも風系統のメイジぐらいは居るだろうが、そこいらのメイジであれば二桁の人数が集おうと敵の主砲ごと切り刻んでくれると、そう内心ほくそ笑みながら杖を構え────

 ────瞬間、ラ・ラメーの右腕が吹き飛んだ。

「……な」

 吹き飛ばされた腕から血が飛沫く。一体何があったのか? あの『爆発』は何が原因で起こったのか。
 それを確認するより早く、彼の艦のマストが半ばより爆発で吹き飛ぶ。

「ふ、ふざけるな…………!!」

 こんな馬鹿な事があってたまるかと、ラ・ラメーのみならず他の水兵たちも驚愕に顔を歪ませる。
 敵戦艦の砲弾は命中していない。そもそも爆発するまで軌道の確認はおろか予測さえ出来なかった。
 まるで腕やマストから爆発したかのような現象。それをふざけていると言わず何と言うのか。
 だが、その正体を掴む間もなくラ・ラメーの体が四散し、フェヴィスの視界から消えた。
 同時、爆発の余波でフェヴィスは甲板に叩きつけられる。
 艦上で発生している爆破による火災。周りでは傷ついた水兵たちが、苦痛の呻きを上げてのた打ち回っている。
 頭を振りながら立ち上がり、フェヴィスは叫んだ。

「艦隊司令長官戦死! これより旗艦艦長が艦隊指揮を執る! 各部被害状況知らせ! 艦隊全速! 右砲戦用意、急―――」

 言葉を言い切るより早く、フェヴィスは上空を見上げる。遥かな頭上。風竜に跨る男の姿を、彼は知っている。
 トリステイン王国魔法衛士隊グリフォン隊『元』隊長、名を────

「ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド……………!!」

 激昂と共に杖を引き抜く。貴様かと、貴様があの爆発を引き起こしたのかと言葉より先に杖で問うも、ワルドは口元を釣り上げ、そっと抱きとめる様に手前に乗せたローブを纏った小柄な……子供ではないかと見紛うような人物のフードを捲る。

「な……」

 風に靡くピンクブロンドに鳶色の瞳。記憶にある姿とは年頃こそ違えども、それはかつて社交界で見た────

「……ミス・ヴァリエール? そんな……貴女は、」

 死んだ筈だと、そう呟くより早くフェヴィスは上半身を吹き飛ばされる。
 爆炎に靡く彼女の髪は、生前の頃よりくすんでいた。


      ◇


「見えるかい? これは君の手柄だ。君を無能だと罵ってきた者も、君に才能がないと匙を投げた者も、皆君より劣っていた。
 ぼくはずっと、君の才能に気付いていたんだよ。ルイズ」

 ワルドはそっとフードを被せると、包み込むようにルイズを抱きとめる。その声は今までのどの声より穏やかで温かみのある物だった。

「────貴方は、変わられてしまった」

 もう何度目かも判らない、同じ言葉。ワルドもそれが判っていながら、同じように繰り返す。

「……それはお互い様だよ、ぼくのルイズ」





     ×××


あとがき

 いつもよりかなり早く投稿完了。

 なんですが、今回は主人公もギーシュも出てきません。
 つうかヘンリー・スタッフォートって誰よ? と言われそうなので答えますと、彼は『ゼロの使い魔 双月の騎士』というアニメ版2期の10話に一回だけ登場したキャラだったりします。
 ……アニメ見てない方には判らないキャラで申し訳ありません。
 作者的に出来るだけオリキャラ出さない様にしたかったのでこうなったのですが、かなりオリ設定の嵐です。
 サウスゴータ家に関わりがあったりとか……もう殆ど名前借りただけのオリキャラに近いです。

 あと、今回登場したトリステイン軍人のラ・ラメーさんとフェヴィスさんですが、こっちはちゃんと原作に出てきます。
 出てきますが……済みません、ラ・ラメーさんは悪ノリで魔改造しちゃいました。
 ホントは砲弾の破片でやられるだけのモブだったのですが、せっかくなら活躍させたいと思い、ついやってしまいました……すみません。調子に乗り過ぎました。

 あと、今回一番謝らないといけないのが、ルイズの爆発魔法。
 あれって狙って当てられないらしいんですよね、原作設定だと。
 すみません、この辺りはオリ設定という事で勘弁して頂ければ幸いです。



それでは、ここからは感想のお返しを。

kayaさま
 作者としてはゼロ魔キャラは皆大好きなので、作者的なアンチというより、単に主人公が原作キャラを毛嫌いしてるだけだったりします。好き嫌い激しいんですよこいつ。
 作者としても貴族が嫌いなのではなく、嫌な奴もいれば良い奴もいるのが世の中の真理だと思ってますので、その辺は気を付けて書いて行きたいと思っています。

 それはさておき、この作品のギーシュは色んな意味で生命線なので作者的にもかなり気を使ってるキャラだったり。今後どう活躍させるかが鍵になりそうです。
 アンリエッタさんは……どうだろう? 後々かなり精神的に追い詰められるかもしれません。
 長文の感想、ありがとうございました!!


T.S.さま
 『パワーバランスが破綻しまくってるRPG』……成程、確かにそうです。
 主人公とかワルドに一発でやられたのに急に復活してワルドぼこったり、そのワルドは劣勢の時と優勢の時で滅茶苦茶開きがありますし。
 何より各所にご都合主義的な展開が見られますし……ホントに色々おかしいですね、この作品。


小弓公方さま
 誤字報告、誠にありがとうございました。これから徐々に直して行こうと思います。








[5086] 010
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2011/02/26 02:54
 時間はラ・ロシェールのトリステイン艦隊とアルビオン艦隊の衝突から、おおよそ半日……その日の早朝まで遡る。

 トリステイン王国公爵家、ラ・ヴァリエールの領地にてギーシュ・ド・グラモンは頭を抱えたい心情であった。
 理由は公爵夫人カリーヌ────『烈風』カリンの特訓が激しすぎる為……ではない。
 むしろギーシュとしては血反吐を吐き、泥を啜るかの如き日々を考えていたにも拘らず、今日までの特訓と言えば錬金の精度の確認やグリフォンの騎乗訓練ばかりであった。
 とはいえ、これに関しても体力や魔力の消費が激しい為、苦しいと言えば苦しいのだが、父より耳にしていた現役時代の『烈風』カリンの訓練の苛烈さを思えば、むしろ拍子抜けするほどであったと言っていい。
 否。拍子抜けなどしている場合ではない。今ギーシュの相貌にはありありと焦りの色が伺えるが、それは無理からぬことだろう。
 アルビオンがトリステインに牙を剥く事が目に見えている以上、一刻も早く己を高める事が必要であると、そう考えた為にあの『烈風』に師事したのだ。
 なのに。

「今日も……騎乗訓練ですか、ミセス」
「不服ですか?」

 本来ならいいえ、と応えるのが筋だろう。いかな理由があろうと師弟の間柄にあるのであれば師の指導に従い、師の望む結果を出すのが弟子としての務めである。

「……ボクは、正直焦っています。本当にこれで間に合うのでしょうか?」

 思ったままの疑念を向ける。こちらに来てから既に一週間が経とうとしているが、ギーシュ自身上達の実感は無い。
 そればかりか、昨日に至っては休みも必要だと称して杖を取り上げ、魔法を使うどころか身体を鍛える事さえ禁じた程だ。
 この時期、目と鼻の先に危機が迫る今にあって何故そのような真似をするのか。
 本当は自身を戦場から遠ざけたいのではと、そう思わずにはいられなかった。

「ミスタ・グラモン。グリフォンを連れてきなさい」

 しかし『烈風』カリンは質問を返す事無く、そればかりか他の選択など無いとばかりに告げる。
 ここで食い下がる事も出来ただろうが、そうなっては力づくで抑えられ、要らぬ時を過ごす事になるだろう。
 ゼロか一かの差でしかないだろうが、その一さえ受けられぬのは無駄に尽きる。
 内心渋々と、しかしそれを表に出す事はせず、言われるがままにグリフォンを連れてくる。この一週間で進展があったとするならば、グリフォンとの信頼が築けた事だろう。
 人馬一体とはよく言うが、知性の高い幻獣にあってはそれが如実に現れる。単純な手綱の取り方一つとっても、機嫌が良い時と悪い時では感じが違うし、何より呼吸を合わせようと努力しなければすぐに臍を曲げてしまう。
 ヒステリックな恋人と共にするような気持ちで、と『烈風』カリンはギーシュに告げたが、彼女をしてそう言わせる理由が良く判る。
 だからこそギーシュは努力を惜しまなかった。如何にグリフォンの機嫌を取るか、ではなく如何にグリフォンの信頼を勝ち取れるのかと言う点において、ギーシュは乗せられるのではなく、自らが乗って先導するのだと言う意思を第一に見せた。
 うろたえる事も戸惑う事もせず、餌で釣るでも無く己の努力と意思を見せつける事を常に重要視した。
 この身はお前に相応しい騎手になると、そう言葉より雄弁に伝える為に。
 ……尤も、未だ完全と言う訳ではない。今でさえやっと普通の馬程度には乗りこなせると言うだけであり、生粋のグリフォン隊の面々と比べれば、その騎乗技術には雲泥の差が見られる事だろう。
 それでもグリフォンはギーシュを相方とすること自体には納得したらしく、時折ではあるものの自ら毛繕いをせがむ様になっていたのは大きな進歩と言えるだろう。
 ……何せ、気に入らなければ飼育係でさえ、目も合わせようとしない程の貴意の高さなのだから。

「今日はどちらまで?」
「ラ・ロシェールです。困難な道のりになるでしょうから、覚悟しておく様に」

 いうや否や、取り上げたギーシュの杖を手渡す。見れば、薔薇の花弁がより純度の高い鋼に変わっていた。
 もしや……と、ギーシュはここまでの経緯からある事を推察する。
 騎乗と錬金の質のみに徹底した鍛練。昨日禁止した魔法と鍛練。取り上げられた杖の質の向上。

「来るのですか……アルビオンが」

 ラ・ロシェールと言えばアルビオンとトリステインを結ぶ港町。そしてこれまでの不自然な対応を見れば、そうと考えるしかない。

「……話しても良かったのですが、下手に告げて貴方が空回りするとも限りませんでしたしね。それに、一週間では教えられることも限られるでしょう。
 覚悟する時間を与えなかった事は悪いと思っています。それでも、」
「────行きます。ボクは、その為にこそ貴女に師事したのですから」

 一切の迷いなくギーシュは返す。全てはこの日のために。卑劣なるアルビオン共和国とワルドに一矢報い、あの少年を責から解放する為に。
 その言葉に頷くと共に、カリンはマンティコアへと乗り込む。翻るマンティコア隊の黒マントと、顔の下半分を覆う鉄仮面。
 優雅にして勇壮、雄々しきにして凛々しき誉れの騎士。
 先代マンティコア隊長として、今なお生ける伝説として語り継がれる『烈風』カリンの姿があった。

「出撃!」

 猛々しい叫びと共に、マンティコアの蹄が宙を蹴る。
 この日、『伝説』はその後継者と共に、再び表舞台へと駆け上がるのだった。


     ◇


 ギーシュとカリンが領地を出立して数刻。タルブ村では生家の庭でシエスタが幼い兄弟たちを抱きしめ、不安げな表情で祖父を囲む一団を見つめていた。
 タルブ領主、アストン伯とその従者……彼らは戦装束に身を包み、竜の轡を並べながら、物々しい足取りで何の変哲もないこの村へと踏み込むと、シエスタの祖父を出すようにと村長に告げた。
 老骨に鞭打って、いちにもなく畑仕事から戻った祖父を村長が引っ張り出すと、そこから集まってきた村人を解散させるように告げ、今に至る。

「この様な老骨に、どのような用向きで御座いましょうか? アストン伯」

 恭しい礼と共に、自らが引き出された疑問を口にするシエスタの祖父、ジンにアストン伯は鼻を鳴らす。

「とぼけるのは関心せんな。私がわざわざ平民であるお前に会いに来た理由など、そうある訳がなかろう」

 剣呑なやり取りに、遠巻きに眺めていたシエスタは肩を震わせる。
 幼い頃の彼女が、初めて貴族を恐ろしいと感じた日。何と言う事のない昼下がりに唐突に村を抜けた祖父が、翌朝血達磨になった状態で村へと投げ捨てられていた。
 そして、その時に見せた顔こそがタルブ領主アストン伯であり、彼女のみならず村に居た者たちは鼻を鳴らして去って行った領主を見届け、貴族の恐ろしさを根幹に叩きこまれたのだ。
 総身が鳥肌立つ。出て行ってはいけない、そんな事は判っている。だが、それでもシエスタは耐え切れず駆けだしていた。
 これが不作法だと言う事は判っている。もしかすれば、自分だけでなく村の者たちさえどうなるかは判らない。
 だが、だからこそシエスタはアストン伯へと縋ろうとする。
 従者の竜騎士が彼女を抑えつけるも、それでも滂沱の涙を流しながら、噎び泣くように懇願する。

「お願いでございます、アストン伯! 祖父を、おじいちゃんを殺さないで下さい! 私に出来る事なら何でもします! だから、だから………………!!」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったシエスタの相貌。血を吐く様なその哀訴に、アストン伯はしばしシエスタを見据えると、やがて小さくため息を吐いた。

「……貴様。まさか口外していなかったのか?」
「申し訳御座いません。ですが、私如きの身で領主様の沽券に係わる様な真似を致す訳には……」
「馬鹿者が。私を王宮の差別主義者と一緒にしてくれるな」

 まったく、と溜め息と共に肩を竦めると、従者にシエスタを開放するように告げ、彼女の方へと向き直る。

「娘、名は?」
「シエスタと……申します」

 青ざめた顔つきで問うシエスタに、そう怖がるな、とアストン伯は肩に手を置いて宥める。

「どうもトリステイン貴族というものは民から怖がられる物らしい。こう言った点を言うならば、宿敵であるゲルマニアさえ羨ましく感じるな。
 まったく……無駄に貴意の高いだけの無能など、私には煩わしいだけでしかないと言うのに……」

 そこにシエスタの知る恐ろしい貴族の姿は無い。むしろ何処か親しみさえ込められた物だった。

「お言葉を赦して頂けるなら、むしろアストン伯こそが稀有なお方だと存じます」
「貴様は口が減らんな。そういった所は私としても気に入っているが、もうじき王宮から派遣された竜騎士が到着する頃合いだ。
 従者だけならば一向に構わんが、連中が来るまでにその口は縫っておけ」

 奴らは私の様には行かんぞ、というアストン伯に、ジンも心得ておりますと返す。

「さて、何から話すべきか……まあいい。手短に話すとしよう」

 そうしてアストン伯と語りだす。それは今から十年前。
 あまりにも馬鹿馬鹿しく、呆れるほどに荒唐無稽な男の話。


     ◆


 十年前……羊か何かの鳴き声程しか聞けぬ程牧歌的かつ辺鄙な村に住む老人は、唐突に村を抜け出した。
 領地はおろか、生まれてから一度として村さえ出て行かなかった出不精の男が、である。
 朝早くに王都へ村の葡萄酒と羊毛を売りに出そうとした者が言うには、異様なまでの険しい顔立ちに目も合わせられなかったという。
 一体何があったのかと訝しむも、取り敢えず大事には至らないだろうと村人は考えた。
 幼いシエスタは祖父が家を抜け出したのを、涙を滲ませながら問うていたが、村人はそんな彼女に心配ないと宥めた。
 老齢に達しながらも村一番と言われたシエスタの父以上の剛力を持ち、傭兵にでもなった方が実入りが良かったのではと、村一番の腕の立つシエスタの祖父の身を案じる者は、実のところ皆無だった。
 むしろ、普段は好々爺で通す老人の表情が険しくなっていた事こそを訝しみ、その怒りを買った身の程知らずに黙祷さえ捧げた程である。



 一方、タルブ領主アストン伯はと言えば、領内各地での収穫などを事細かに調べていた。
 如何に辺鄙な土地と言えども、領主である以上目を通しておかねばならない事はある。
 余所の領主のように代官を雇ったり従者に任せるという手もあるが、人任せを嫌う彼本来の気性からか、出来る限りは己の手で領地を経営しておこうと常日頃から従者を使いに出し、不備があるようなら自らが直接動くと言う徹底ぶりであった。
 そのトリステイン貴族には稀有な在り方からか、彼の傍に侍る従者は身の回りの家事をこなす者を除けば、片手の指で足りる程である。
 尤も、アストン伯はそんな事に頓着などしていない。彼が貴族の三男坊の身でありながら伯爵位という地位にまで登り詰めたのは、家督を長男が継ぐと判って早々に軍に入り、人より多く、正確に職務に励んだためだ。
 貴族には二種類あり、領地を持つ封建貴族と、官職を得て政府に奉職する法衣貴族とがある。
 先の例で言うならばアストン伯は軍に属していた為、法衣貴族であった筈なのだが、堅実な勤務姿勢が実を結び、他者以上の評価を得る事が出来た。
 特別である必要などない。認められたいなら千の労力に万の努力で臨めばいい。
 己はそうして今の地位を得たのだと言う自負があり、この行動もまた誇りこそすれ鼻にかけられる事など無い。
 そう考えるアストン伯にも、そう考えるに至った理由はある。宮廷政治に浮かれ、己の領地に一度も足を踏み入れる事のないまま分不相応な地位に付く者共。
 おそらくはそう。彼が精力的に領地経営を行うのも、怠慢した政治家に対する一種の反抗なのだと理解しつつ、その怒りを内心に留め、職務を誇る様に彼はその日も領地に使いを出していた。


そうして夕刻になった頃だろうか? 領内でオーク鬼を見たという村人の声を訊いた使いがおっとり刀で帰ると、それと入れ替わる様にアストン伯は別の使いに竜を出すよう指示した。
 オーク鬼は醜悪な外見とは裏腹に高い知性を持ち、集団で行動する。
 厄介な点は人間の子を好んで食す嗜好を持ち、何より特筆すべきはその強大さにあった。その怪力たるや、熟練の戦士十五人とさえ称され、オーク鬼が蹂躙した事によって投棄した村など掃いて捨てる程にある。
 既に日は沈みかけているが、ここで踏み止まっては領地が荒らされる事となる。
 生憎とアストン伯は、自分の領地が荒らされるのを放置する程怠慢でもなければ、我慢強くもない。何より、亜人どもに領民を苦しめられる事など断じて是とはしなかった。



 ともあれ、アストン伯と従者は自前の竜に乗り込み、目撃情報の有った森へと飛ぶ。
 内心既に村が襲われていないかという焦りと共に駆け付けた彼らは、森の中で己が目を疑った。
 身の丈二メイルを超すであろう巨大なオーク鬼、その群れに取り囲まれる形で立つ老人の背こそが、オーク共より尚巨大にアストン伯たちの眼に映ったのだから。
 無論錯覚だ。数十の数で囲むオーク鬼と老人の身長差は歴然であり、子供と大人ほどの差が出ていた。
 だが、問題はそこではない。
 アストン伯達の足元に転がる複数のソレ。豚のように突き出た鼻と緑色の皮膚を持つ生首は、明らかにオーク鬼のそれである。
 ここに来るまでに人影はなく、目の前に立つ老人は何の冗談か血に濡れたバスタードソードを手にしていた。
 思わず眩暈さえアストン伯は起こしそうになる。自分より高齢の、しかも平民の男が数頭のオーク鬼を単騎で撃退したなどと、冗談にしても笑えない。
 だが、自身の内で否定していた考えも、アストン伯の眼前で一匹のオーク鬼の頸が飛んだ事で完膚無きまでに打ち崩された。
 大気を裂きながら振われる長剣と、闇夜に迸る赤い雫。
 最早否定など出来ようはずがない。このオーク鬼の群を今の今まで一人で相手取っていたのは、このしわがれた顔をした老人だったのだ。
 老人が何者かは判らない。領地によってはオーク鬼を討伐せしめた者には報償を送るとお触れを出す所も多いが、アストン伯はそのような真似はしていない。
 では手違いか? いや、そもそも報償があるかどうかの確認を怠る者が金儲けなど考えまい。
 ともあれ案山子のように突っ立っていては始まらぬと、腰に佩した軍杖を抜き払うと同時、魔法をオーク鬼に向けて放つ。
 絶叫と興奮、そして混乱。オーク鬼は突然の奇襲に我を忘れて荒れ狂い、手にした棍棒を振り上げる。
 狙いは言うまでもなく、未だ囲まれたままの老人。だが振り下ろされる棍棒より老人の剣が速いと、アストン伯は経験から確信し、

 ────その老人が、背を棍棒で叩きつけられながらもアストン伯へと向かってきた。

 その時アストン伯が感じたのは、老人への𠮟咤でも心配でも無い。老人がこちらの後方を見据え、剣を振りかぶっているという事実。
 見れば、連れてきた従者も前方の光景に目を奪われていた為か、背後が疎かになっていた。
 迂闊。
 自身をそう詰るより先に、アストン伯は後方へと杖を振りかぶり、既に振り下ろされたオーク鬼の棍棒を視界に収める。
 これは間に合わない。棍棒は確実に頭蓋を砕く。
 驚くほど冷静にアストン伯は事態を見据え、そして息を吐く間もなく覚悟ができた。
 殺される。そう経験から理解していたが故に受け入れるのも早かった。
 子宝に恵まれていたのも受け入れられた要因が大きかったのだろう。長男と長女は幼く、後に生まれた次女に至っては乳飲み児であったが、それでも後継ぎの心配がないだけましだ。
 惜しむらくは娘達の縁談を用意してやれなかった事と、息子に色々と教える前にこの世を去る事への未練だが、こうした事態に備えて己の死後に行うべき事を書簡に書き留めてある。
 妻には再三己の身に何かあれば王宮に届けるよう言い含めてあるのだ。
 だから何の心配もないと、己を落ち着かせるように瞳を閉じかけ────

 ────それをするより先に、オーク鬼の腕が宙を舞い、次いで首が飛んだ。

 一体如何な手段を用いたのか。少なくとも先程までの老人とアストン伯の距離は約二十メイル。
 風系統のメイジならばいざ知らず、如何な俊足と言えど、剣を携えて四歩で踏み込むには土台無理がある。
 ……とはいえ、目の前でそれを行われてはぐうの音も出ないが。



 何はともあれ、この時確かにアストン伯は九死に一生を得、残ったオーク鬼を駆逐した後に老人は力尽きたのか、糸の切れた人形のように倒れた。
 無理からぬ事である。背にオーク鬼の棍棒を受けて、ああも暴れられる方が異常と言う物だ。
 これではどちらが鬼か判らんな、と苦笑交じりに呟きつつ、自らの手で水魔法をかけてやる。
 やがて意識が戻ったのか。老人は微かに目を瞬かせ、アストン伯の出で立ちを見るや否や、身を起して礼を執る。
 否、執ろうとしたと言うのが正しいだろう。そも、未だ動ける状態ではない。
 背に受けた棍棒のみならず、老人の肉体は満身創痍。亀裂の走る骨と、至る所に出来た青痣……何より額かどこかを切っていたのか、とめどなく溢れ出る血は衣服を散々に染めていた。
 だが、その大事に遭ってなおアストン伯の身を案ずる所は流石と言うべきか。いっそ仕えさせれば下手な騎士より余程甲斐甲斐しく働くのではと考え、そこで止めた。
 聞かなければ事は多くあるのだし、何故ここに居たのかや、老人の素性をまず問うべきだ。
 聞けば老人はタルブの住人であり、今朝方から不穏な気配を嗅ぎつけて森を散策していたのだと言う。
 老人曰く、

〝村の空気は澄んでおります故、腐臭を放つ者らの気配を嗅ぎつけるのは容易でした〟

 との言葉であったが、良く言う、とアストン伯は重く息を吐き出す。
 魔狼ですらそこまで鼻は利くまい。
 一体どういう生活を行えば、ここまで異常な老人が生まれるのかと問い質した所、どうも老人の父に当たる者が異国の軍人であったらしく、その先祖は代々騎士であったらしい。
 耄碌した老人の与太話かと従者はまともに取り合わなかったが、アストン伯は何処かで納得した。
 軍に身を置いていた頃は平民の傭兵連中の剣を見た事があったが、それでもこの老人の剣は今まで見たどの傭兵達とも違っていたし、何よりアストン伯自身、タルブの村に不可思議な男が住み着いていたと村長から耳にしていた。
 鉄の飛竜に乗って現れたその男はタケオ・ササキと名乗っていたらしく、家名がある所からしてもそれなりの身分であった人物なのだろうと推察できた。
 


 傷を癒す頃には朝が来ていたが、それを気にすることなくアストン伯は自ら老人を村へと届けた。
 ……まさかぎっくり腰で動けなくなるとは思わなかったが、村の者が来るので心配ないと老人は頭を下げた。
 アストン伯としても借りを返す意味も込めて最後まで届けてやるつもりだったが、従者の手前、是非もない。


 後日、タルブ村の今年の税を下げる旨を村長に使いで伝え、今回の件の報償という形で終えた。


     ◆


「以上が私とこの男の馴れ初めだ……尤も、この話を村人にしなかったせいで、私は他国から揶揄されるトリステイン貴族そのものになってしまったようだが」

 じろりとジンを睨みながら話は終わりだと告げるアストン伯に、シエスタは顔を引き攣らせるも、ここで一つの疑念が浮かぶ。

「アストン伯、ご質問をしても?」
「ここに何故来たのか、であろう?」

 アストン伯の言う通りだ。税を下げる事を報償としたのであれば、彼がここに来る意味は無い。
 だが、あの日以来村から一歩も外に出ていないジンにアストン伯は一体何の用があると言うのか?

「私がここに来たのは、貴様の剣を揮って貰う為……早い話が、傭兵の契約と同義だ。
 ……乗れるかは別として、幼竜が一匹いてな。渡りに船だ」

 ありえない、シエスタはその思いを口にせずにはいられなかった。

「お待ち下さいませ、アストン伯! 祖父は高齢の身、オーク鬼を相手取るのであれば祖父に限らずとも村の者が、」
「敵はオーク鬼ではない。アルビオンだ」

 その言葉に、今度こそシエスタは愕然とする。アルビオンと言えば先日領主であるアストン伯自身が、不可侵条約が締結されたとのお触れを出したばかりであったからだ。
 だが、一方で納得できる部分もあった。彼女の知る少年、北澤直也がその一件で責任を追及されていたのだから。

「奴らは親善訪問と称して本日中にラ・ロシェールに着く。
 無論、その際に侵略行為をする事は愚鈍な宮廷連中でも理解している。故、私はこうして先手を打つ為にここに来た。
 村長には既に村の者に荷を括るよう伝える事を指示してある。村は時間をかければ戻るが、領民の血は流れれば二度と戻らんからな」

 そこまで言い切って、アストン伯はジンを見据える。その顔は何処か申し訳なさげでもあった。

「平民の身である貴様に、このような事を頼むこと自体が間違っているのは重々承知だ。
 無理強いはせん。傭兵の契約と言ったのもその為でな。貴様が首を縦に振らねば、我々と王宮からの駒だけで動くつもりだ」

 その言葉に、ジンは呵呵と笑う。領主の前では不敬に尽きる笑みを、それは心底楽しそうな、獰猛な笑みを口元に刻んでいた。

「お忘れですかな、アストン伯。この身は不肖なものなれど、貴方様の様な高潔なお方にならば命を差し出す覚悟があると、あの日私は申した筈」
「……媚を売る平民など幾らでも居たのでな。今でこそ他の領民の評価から、貴様はそういった者ではないと判っていたが、許せ。
 だが、貴様の父の出自がどうあろうとこの国では平民。戦場に立つは貴族の義務であって平民の義務ではない。その事を理解しているのか?」

 それは突き放すような言い草であったものの、シエスタという孫を案じての事だろう。
 残りの余生を孤独な戦場で散らすより、寿命で逝く僅かな間とはいえ、孫と共に居させてやることこそが平民としての幸福ではないのかと考えていた。

「もう一度言う。貴様はこの国に、トリステインにおいては平民だと言う事を。国家の為に身命を擲つは貴族の務め。
 そして我々が食う為の土台を作り、栄誉とは別の形で日々に誇りを抱くのが平民だ。
 幼少より日々家族を養い、新たな家族を持ち、子を為し、孫を抱いた貴様は平民としての務めを果たした。それこそ鏡のようにだ。
 貴様とは……貴様ら平民とは違うのだ。我々は貴族として果たすべき務めのさ中に居る。
 国と民を護る事こそ我らの務め。だが、貴様は護られねばならん立場だ」

 あまりにも真摯であり、この国の真実であるその言葉。だが、ジンはそれを頑として拒んだ。

「武士に二言は御座いません。捨て石の如く使われてこそ武人の誉れと言うもの。
 ……孫娘も重々承知の上に御座います」

 本気かと問うようにアストン伯はシエスタを見据える。先程まで顔を腫らしながら祖父が傷付き、死ぬ事を厭った孫に、そんな殊勝な心掛けがあるのかと。
 だが、ジンの決意が固いと見るや、シエスタは静かに姿勢を正す。

「私は戦場など見た事もありませんし、根っからの平民の身です。
 人が血を流すのは見るに堪えませんし、人同士が殺し合うのを厭ってもいます」

 ですが、と。シエスタは一旦区切る。その眼は何処か諦観する様で、しかし誇らしげなものでもあった。

「私も曾祖父の血を引いた……日ノ本の血の流れる女です。
 戦場で果てるは武士の本懐、国に奉ずるは臣民の務めと常日頃より教わっておりました。
 何より、ここで祖父が引いたならその分村人の……いえ、トリステインに暮らす全ての民が危ぶまれましょう」

 言って、シエスタは弟に曾祖父から使っていたバスタードソードを持って来させると、恭しく両手でジンへと手渡す。

「留守は息子に任す。シエスタ、弟妹を頼んだぞ」
「武運長久をお祈りしております。どうかご無事に御勤めを」

 是と剣を手にすると共に一瞥さえ寄越さぬまま、ジンはアストン伯へと膝を付き頭を垂れる。

「────不肖、佐々木 仁。此度タルブ領領主アストン伯に奉公仕る誉れ、ありがたく頂戴致します」
「……つくづく平民にするのが惜しいな。貴様を雇う対価は、タルブ村の恒久的な税の引き下げと報奨金だ。
 口約束ですまんが、万が一村を落とされる可能性もある。子息と妻、そして使用人とここに集った従者にも言い含めてあるので反故の心配はいらん。
 戦が終わったなら、好きな時に屋敷に村長を送れ。来れぬ様なら使いが出向く」

 平民の、それも老人一人を雇うには破格とさえ言える厚遇だ。税の恒久的な引き下げなど軽々しく言える物でも無いと言うのに、それに付けて報奨金まで出すと言う。
 感極まったようにジンは声高に宣言する。

「しからば、敵三騎を討ち取るまで討死は致しません! 必ずや首級を上げる事を約束致します!!」
「吠えたな……精々期待しておくか。さて、その為にはまず竜に乗って貰わねばならん。
 これさえ出来ぬなら、首級を上げるなぞ夢のまた夢だぞ?」
「承りました」

 言うや否や、他より二回り程小柄な幼竜の手綱を取る。が、アストン伯は別として、従者たちは不安と評するのが相応しい面持ちであった。
 本来竜とは幻獣の中において最も乗りこなすのが難しいとされ、気難しい気性の持ち主でもある。
 騎手の腕のみならず、ふさわしい格の魔力を備えているか。頭は働くのかと言った点まで事細かに観察し、己の認めた者のみしか乗せまいとする為だ。
 無論、平民であるジンに魔力などあろうはずもなく、その時点で失格とさえ言える。
 いま涼しい顔で竜に乗ってきた従者たちでさえ、乗りこなすのに三年もの月日を要したのだ。当然、ジンは跨った瞬間に振り落とされようとし、

 ……強引に、その背にしがみついた。

「は?」

 誰かが声を漏らす。それはこの場に居た全員の思いを代弁したものだったのかもしれない。
 ロデオそのものだ。野生の馬に鞍を付け、嫌がるのを承知で乗り続ける。
 馬が飽きるまで。もしくは完全に屈服するまで。
 しかし今回は竜。馬などとは比べ物にならぬ暴れぶりを見せ、翼を広げて勢いよく飛び立ったかと思えば、そのまま地面すれすれに急降下を行う。
 胃がせり上がり、脳が揺れる。何より身体にかかる圧力に至っては相当な物である筈だ。
 にも拘らず、ジンは決して諦めない。そればかりかしがみついていた両腕を手綱にやり、しかも片腕で剣を抜き払う。
 豪快にして豪胆。落とせる物なら落として見ろと、言葉でなく全身を使って表現するジンに、幼竜も負けじと縦横無尽に飛び回り……やがて、地に降り立った。
 先程までの荒々しさは何処にもない。むしろ自らジンに歩み寄り、その頬を擦り寄らせている。
 つまりは合格。その結果に従者たちは大口を開けて固まり、アストン伯は豪笑した。

「うちの者共より余程肝が据わっておるではないか! 貴様と言う奴はどこまで私に期待させてくれる!?」
「無論、死す時まで」

 事もなげに言い返すジンに、それは良いと再びアストン伯は笑う。貴族らしからぬその笑いは、心底楽しんでいると言った風なのだろう。

「縁起でもない事を言ってくれるな。戦場で果てる事が誉れと言えど、生還の兆しを心根に持たぬ者に活路は開けん……しかし、その心意気や良し!
 私に続け! これより、ラ・ロシェールへ向かう!!」

 マントを翻し、アストン伯は竜に跨ると、従者も一糸乱れぬ動きで竜へと乗り込む。
 視線の遥か先。ラ・ロシェールでは、今まさにアルビオン艦隊とトリステイン艦隊の矛が交わろうとしていた。


     ◆


 話をしよう。幼いが故に憧れ、そして焦がれた、かつて少年であった男の話だ。

 少年の家系は貴族の中でも決して高い身分とは言えず、代々軍に席を置いたものの小官止まりが精々と言えた家系だ。
 とはいえ少年の父はそれなりに優秀であったらしく、トリステイン王家で誉れとされた魔法衛士隊に名を連ねていた。
 幼い頃より軍に入る事を決定づけられた少年は従騎士……いわば雑務をこなしつつ騎士としての勉学に励む見習いとして、魔法衛士隊の宿舎へと入った。
 誰もが何故子供がいるのかと訝しむ程の年齢。だが少年は周りの目など気にしなかった。例え平民が奉公で来ているのだと噂されても、ただただ雑務と勉学に明け暮れた。
 当然だ。少年は将来を決定づけられ、周りを見る暇があるなら自らを磨かねばならないと、幼いながらに成熟した考えを持っていたのだから。
 ひたむきであり、実直であり、誠実だった少年。そんな彼を父は誇りとし、彼もまた父の期待に応えたがっていた。
 否。少年にはそれしか無かったと言う方が正しいか。物心つくより先に家の事を教えられ、父よりも高みを目指す事を期待された少年。
 そんな彼に軍以外の居場所などあろうはずもなく、それ以外の事など二の次だった。
 楽しいとは思わない。だが辛いとも思わない。
 少年は何かに満たされると言うことを知らないまま日々を過ごし、そして転機が訪れた。



 それはある晩のこと。衛士隊でさえも宿舎で寝入る時間帯まで少年は雑務に勤しみ、使用人用の宿舎へと帰省しようとした際にある音を耳にした。
 それがマンティコアによる独特の翼のはためきである事は、ここに勤めて長い少年にとっては一度聴けば充分に判別出来る。
 誰かいるのだろうか? 興味本位で音源の場所へと歩を進め、思わず物陰に隠れた。
 顔の下半分を覆う鉄仮面。腰まで届くような長い髪を後ろに結わえ、羽帽子を被ったその騎士を見てしまったから。

 ────トリステイン魔法衛士隊マンティコア隊長、『烈風』のカリン。

 トリステイン貴族において、否、平民であろうとその名を知らぬ者は居ないと言わしめるほどの生ける伝説。
 築き上げた武勲もさることながら、その眉目秀麗さには思わず吐息さえ零さずにはいられまい。
 たとえ同性であろうとも、否、同性であるが故に及びもつかぬ美しさが理解出来た。
 そしてトリステイン最高の騎士は周囲に人気がない事を確認すると、静かに鉄仮面を外し、羽帽子を取る。

 その瞬間……少年は息をのんだ。

 きっと、この場に少年以外の者が居ても同じように二の句を告げる事も、正常に思考を働かせる事も出来なかっただろう。
 月光を浴びて輝く肌と、吹き付ける風が流す薄紅の髪。
 何の確証もないまま、しかし少年は確信する。あの騎士は────『烈風』カリンは女性なのだと言う事を。
 己の中で時間が止まる。確かに驚愕もあったし、知ってはならない事を知った恐怖もあった。
 だが、それらを度外視して少年はただ思う。

 ────美しいと。

 大海に沈む宝石のように、空に浮かぶ月のように。誰もが求めて止まず、しかし手にする事の出来ない輝きを称えた騎士を、少年は息をする事さえ忘れて見続けた。



 やがて風に当たる事さえ飽きたのか。『烈風』カリンは鉄仮面を付け直すと、その場を立ち去った。
 残された少年はただ目の前の事態に身を固めつつも、しかし言い知れぬ感覚に身を預けていた。魔法衛士隊に女性がいる。本来であればご法度と言える事さえ、今の少年にとっては瑣事でしかない。
 どうでも良かった。ただただ少年は先程の光景を思い返しては、恍惚とした表情で月を見上げた。
 吹き付ける夜風は、むしろ火照った身体を冷ますには丁度良い。熱を孕んだままの身体と、いままで経験する事の無かった感情に戸惑いながら、少年は宿舎へと千鳥足で向かう。
 本来なら女性の衛士隊など許されない。規律を重視する軍人であろうとするならば、すぐさま報告すべき事柄でこそあったものの、少年はどこか誇らしげな気持ちでそれを隠した。

 自分だけが知っている。自分だけが、あの騎士が特別なのだと知った。

 誰も知らなくて良い。知って欲しくなどないと少年は望み、それからより一層従騎士としての務めに傾倒した。
 居場所を作る為。それ以外の道しか知らぬが故に必死なだけだった少年にとって、『憧れに追いつきたい』というその目標こそが最大の原動力だった。

 誰よりもあの人のお傍にいたい。あの人に認めて貰いたい。

 思えば思う程に高鳴る感情に従いながら、少年は自己を高めて行く。僅か二桁……ようやく十の齢になろうとする事には、『トライアングル』のクラスに至る程に。


 少年の父は狂喜した。同僚の魔法衛士隊にさえ息子の事を声高に話し、いずれ一族の中で最も優れた騎士になってくれるだろうとより期待した。
 それは父に限った事ではない。小間使い同然に扱っていた魔法衛士隊の面々ですらその歳で『トライアングル』クラスのメイジとなった事を称賛し、いずれ自分達の後輩となる事を素直に喜んだ。
 父はグリフォン隊に所属しており、周りの魔王衛士隊もグリフォン隊に来るかと思っていたが、少年がマンティコア隊を志願していると知るや否や苦笑しだし、肩を叩きつつも応援した。
 皆が少年が『烈風』に憧れているのだと知ったのだろう。少年もそれを包み隠す事はせず、むしろ声高に『烈風』の様な騎士になりたいと語った。
 史実の英雄や物語の勇者に憧れる少年特有の夢。そんな風に大人達は捉え、それならばと少年を引き連れた。


 向かった先は鍛練場。口角泡を飛ばしながら部下の訓練を監督するその騎士を前に、少年は完全に硬直した。
 そこに居たのはあの日の騎士。少年が憧れた美しい女性ひと
『烈風』に目を奪われた少年を、『烈風』の迫力に気圧されたと思いこんだ大人達は、軽口と共に待つよう告げると、『烈風』と二、三、言葉を交わす。
『烈風』は部下の訓練があると軽く流すと、少年にしばし待つように伝えるよう大人は言われた。

 少年にとってそれはありがたく、また申し訳なくも感じた。自分があの人に出会える歓喜と、あの人の手を煩わせる事に対する不甲斐無さが鬩ぎ合う。
 訓練が終わる頃には日が茜色に染まり、少年はその間まで訓練を見続けた。
 苛烈にして凄絶。筆舌に尽くしがたいとは正しくこういう事を言うのだろうと実感し、明日から一層気を引き締めようと決意を新たにした矢先、軍靴の足音が近づいて来た。

『烈風』カリン。憧れて止まず、焦がれてきた存在が、今目の前に立ってくれている。

 放たれる威圧感も、身を凍らすような鋭い視線も心地良い。怖気づいたりなど決してしない。だっていつも夢見ていたから。
 たとえどのような辛辣な言葉であろうと、遥かに遠い存在であった少年には、今この時こそが至上の幸福なのだから。
『烈風』は口を開かない。ただ黙したまま少年を見続け、半刻程過ぎた所でようやく口を開いた。

 ────何か、私に言いたい事があるのか? と。

 あまりにも短い問い。言いたい事など考えていなかった少年であったが、考えるより先に口にしていた。

〝私は貴方に相応しい騎士となりたい。何時の日か、貴方の横に並び立てる様な者となりたいのです〟

 それこそが望み。それこそが夢なのだと、瞳を輝かせる少年の頭に『烈風』は手を置き、静かに〝待っている〟と告げると、足早に立ち去っていった。
 周りの大人達はよく『烈風』を前にして尻ごみをしなかったな、と感心した。
 が、少年の心はここに無い。他の者が聞けば己の夢をただ語っただけの少年の発露。
 それがどのような意味を持つのかは、少年だけが知ることだ。


 その晩。少年は夢だったのではないかと言う不安と、確かな現実の歓喜に悶えながら眠りに就き、翌日からより一層自己に苛烈な鍛練を課した。
 その凄まじさたるや、正式に士官学校で訓練を受けている訓練生さえ……否、今まさに魔法衛士隊で行われている訓練と何ら遜色のない物───尤も、騎乗訓練など専門的な事は出来ないのだが───を、日々の雑務を疎かにする事無くこなしているのだ。
 周囲の大人達は一層少年に期待の眼差しを向けており、少年はそんな大人の評価を上回ろうと妥協のない日々を送った。



 初めて正式に『烈風』と言葉を交わしてから一月ほど経った夜。
 そういえば初めてあの方を見たのもこんな夜だったと思い返し、少年は外へと出向いた。
 風こそ温かみのある物に変わったものの、それでも胸に吹く風はあの頃のまま。

 ────そして。少年は偶然にも、再び女性としての『烈風』を見た。

 あの日と同じ美しさ。あの日と同じ高潔さを保った女性。
 重苦しい魔法衛士隊のマントでさえも、彼女が纏っているだけでドレスにさえ変わる。
 己だけが知る女性としての『烈風』。
 己だけが知る女性としての騎士。

 けれど────その真実を知るのは、己だけでは無かった。

 唐突に現れる、モノクルをかけた魔法衛士隊の男性。彼の事は知っている。何せ『烈風』と旧知の間柄だ。
 積もる話もあるのだろうと考え、そこではたと考える。そういえば、鉄仮面を付けても、羽帽子を被ってもいないのに話している。
 むしろ隠す素振りさえ無い。長年の交流が男性から『烈風』が男だという意識を刷り込ませているのだろうかと思い、内心に募る不快な何かを胸に手を当てる事で押さえつけた。

 男性はそっと『烈風』の肩に手を置き、『烈風』もそれを拒もうとはしない。

 不安が高まり、きつく噛み締めた歯の隙間から血が口内に広がる。
 出歯亀などしていると知られれば、おそらく、いや、確実に尊敬した人は少年に失望する。
 それだけは何としても避けたいと思う気持ちが、少年をその場に縫い留めていた。
 だが、それも限界だった。

 ────男性の唇が近づき、『烈風』も身を任す。

 その光景を最後まで見届けることなく、少年は走り去る。おそらく二人には気付かれただろうが、そんな事はどうでも良かった。
 とにかくこの胸に蟠る何かを抑えなければ、自分が壊れてしまいそうだったから。



 一体どれ程走ったのか。魔法を使えばもっと速く走る事も出来ただろうに、とにかく頭が働かない。
 先程までの光景がぐるぐると回り、これまでの想いが音を立てて崩れて行く。
 一体自分はどうしてしまったのだろう? こんな風に取り乱し、あまつさえ目には涙さえ湛えている。
 何が悲しいのか、それわえ判らないまま無様を晒した己を、少年は𠮟咤し続ける。
 己の後ろに響く、翼のはためきにさえ気付かぬ程。


 そして、『烈風』は静かに問うた。

 私を軽蔑しますか? と。

 少年が騙され、傷付いたと思ったのだろう。ともすれば、魔法衛士隊を除隊する覚悟さえ『烈風』にはあったのかもしれない。
『鋼鉄の規律』を掲げるマンティコア隊隊長が女であったなどと、知られる訳にも行かない。おそらく、表向きには任意除隊か病気除隊という事で幕を引く。
 だが、少年はそれに頭を振った。
 そんな事は無いと。貴方は私にとって憧れのままだと少年は告げ、マンティコア隊を止めないで欲しいと懇願した。
 決して口外はしないと。貴方が居なくなっては、どうすればいいのか判らないのだと。
 泣き濡れる少年を母か姉のように抱きとめた後、『烈風』は全ての秘密を打ち明けた。
 己が女であること。先程の男性とは恋仲であり、いずれ婚約と共に除隊する予定なのだということも。
 少年は心に深い影を落としつつも、これ以上の醜態を見せる訳には行かないと、表面だけでも毅然とした態度で聞き、静かに語る。

〝私は貴女に負けぬ騎士となりましょう。何時の日か、貴女と比肩される騎士となり、貴女に変わって国を護る。そして〟

 そこまで言って、少年は僅かに拳を固く握りしめる。
 目の前の憧れに相応しい騎士となりたいなら、決してこの憧れの騎士の一番になれない己は、一体どうすれば良いのかを考え、その答えを出す。

〝何時の日か貴女が子を生した時、私は貴女の子を立派なメイジに育てて見せます〟

 誓いは確かに。その決意に『烈風』は騎士としても、女性としても凛々しい笑みと共に少年に二つ名を送った。

 その銘は『疾風』。これより先、騎士となり、次代のマンティコア隊隊長と目されながらも教職の道へと進んだ、ある男の二つ名である。


     ◆


 トリステイン魔法学院、学院長室に一人の教師が訪れた。
 黒一色のローブを纏ったその教師は、その優雅とさえ言える歩調で学院長の前に立つと、静かに告げる。

「学院長、先刻お伝えした通り、本日から休暇を取らせて頂きます」
「……止めても無駄じゃろう。そも、君には王家から依頼の書簡が届いておった筈じゃが?」
「ああ……」

 これの事でしょう、とここに入っていた時から手にしていたそれを、見せつける様に破り捨て、魔法で粉微塵に切り裂くと窓から風を使って外へと飛ばした。

「オールド・オスマン。貴方にだけは本心を言わせて貰えるならば、私は王家などどうでも良いのです。
 ですが、それでも私は国を護る貴族の一人として……この学院の生徒を死地に送った愚かな教師として行かねばなりません」

 その言葉にオスマン氏は、この見た目こそ年若く見える教師に視線のみで告げる。それだけではないだろうと。お前には別の理由があるだろうと告げる視線に、教師……『疾風』のギトーは静かに頷いた。

「私は貴族としても、教師としても、一人の男としても最低な存在です。
 だからこそ……私は行かなくてはなりません。もう、私にはそうする事でしか贖えないのです」

 オスマン氏の返答を待つことなく、足早にギトーは立ち去る。その背を最後まで見届けた後、オスマン氏は重く息を吐いた。

「大馬鹿者じゃな……お主たちも儂も」

 言葉は静謐な室内に溶けて行く。結局、誰が悪かったのか。
 きっと誰もが悪かったのだ。知っていて止めなかったオスマン氏も、『ゼロ』の汚名を雪がせようと躍起になっていた教師や本人も。
 誰もかもに責任があり、だからこそ、その罪に贖うべく戦地へと歩を進めて行くのだろう。
 益体もなくそんな事を思いながら、オスマン氏は水煙管を口に咥えた。






     ×××


あとがき

 色々と難産な回でしたが、どうにか書き終えました。例によって今回も主人公は登場せず。
 ギーシュは一応出てきましたが、今回のメインを言うなら、やはりギトーやアストン伯と言ったモブやオリキャラであるジンです。
 この三人……特にギトーはサブで終わらせるには惜しいと以前から考えており『烈風』と『疾風』って響きが似てるし、過去に何かあった様なエピソードを書けないかなと思ってやったのですが、原作設定と矛盾する点が出てきています。

 原作においてギトーは若い教師なのですが、この作品ではマンティコア隊の現役時代のカリン様と会わせた為、どんなに若くても三十後半は確実……読者の皆様にはオリ設定と言う事で目を瞑って頂ければ幸いです。
 ……烈風と交流があった時点で、逸脱しまくってますが。




それでは、ここからは読者の皆様に感想のお返しを。


黒だるま様
 故・榊原鍵吉様に関しては中学時代に剣道をやっていた時に顧問の先生が語っていたのを思い出し、兜割に心惹かれて悪ノリでやってしまいました。
 こんな作品に燃えて下さるとは、大変うれしい限りです。感想、ありがとうございました。


以下名無しに代わり様
 その件につきましては誠に申し訳なかったと言う他ありません。不快にさせてしまった読者様にも、お詫び申し上げたいと思います。


ボンバーマン様
 このような駄作を楽しんで頂ける事に、心から感謝の念を述べさせていただきます。
 誠にありがとうございました。





[5086] 011
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2011/04/12 01:23
 それは奇妙な光景であった。貴族の象徴であるマントを身に着け、甲冑を纏いながら一糸乱れぬ動きで隊列を崩さぬ領主と部下達。
 剽悍決死と見える面持ちにありながら、しかし何処か昂揚感を孕んだ彼らの中で、ひときわ異彩を放つ者が居た。
 それは老人だった。中央に控えるアストン伯よりも年老い、今にも床の間に付きそうなほどに深い皺を刻んだ男は、しかしこの場に居る誰よりも喜悦の笑みを零していた。
 生まれ育った村を護り、家族を護るという義務感。そして祖国を蹂躙せんと迫る敵を迎え撃つ事への使命感。
 今は亡き父の遺言を果たし、家族に看取られながらただ老いさらばえ、死に逝く事を良しとした老骨が、今もこうして生きている。
 失う物など何もない、否、ここで何もせず座して死を待った時こそ、真に佐々木 仁は失う事になるだろう。
 愛してきた家族を。育って来た村を。亡き父の愛した景色を。
 それだけは認められぬ。例え末期の乏しき灯とて、老いさらばえた牙とて、ここで敵を食い止めねば、死んでも死に切れぬのだから。

「見えたぞ」

 アストン伯の一言によって、ジンの表情はより一層固くなる。今彼らの目の前には、燃え盛り、爆破という大輪を咲かす戦艦が見えていた。


     ◇


 海ならぬ空の藻屑と化して地上へと落ちゆく戦艦と、恐らくはかつて人であった物の一部を視界に収めながら、アストン伯はただただ奥歯を噛み締める。

 ────トリステイン艦隊、全滅……。

 予想していなかった、と言えば嘘になる。アルビオンの空軍力はハルケギニア随一とされ、その艦隊と竜騎士は天下無双と謳われた存在だ。
 だが、如何に天下無双と言えどもこの光景を受け入れる事は容易ではない。今回、トリステイン艦隊の前線指揮を取っていたのは己が武威を矜持とし、一騎当千とさえ謳われたトリステイン艦隊司令長官ラ・ラメーである。
 持ち前の風魔法は大砲を超える射程と威力によって、紙を鋏で切るかのように容易く戦艦を寸断せしめるあの魔法を前に、敵艦隊はほぼ無傷と言っていい戦力を有したまま。
 しかもこちらに竜騎士隊が向かってくる所を見るに、恐らくはタルブ領を拠点とする為に向かっているのだろうと推察する。つまり……。

「偵察隊も全滅、か……」

 本来であれば早い段階で合流する手筈であったが、ここに来て予想は最悪と言っていい形で的中した。
 目前に迫るは天下無双を謳いし騎兵。王党派についた古参兵は先の内乱でこそ命を散らせたのであろうが、一糸乱れぬ敵兵の編隊飛行はアストン伯が見たどの竜騎士隊より統率のとれた物だった。
 おそらく、彼らは先の内乱で打ち勝ったのだ。古き伝説。天下無双の伝説を築いた竜騎士隊を打ち倒し、新たな歴史を作るべく集った無双の騎士達。
 その佇まい。轡を並べし彼らの視線は正しく己が騎士として、軍人としての迷いの無さを言外に告げていた。
 すなわち。向かう者にすべからく死を与えるというという宣誓を。
 轡を並べし火竜の一匹。鏃型に隊伍を組みながら迫る中で、その中心にして先頭に立つ一匹が吼える。
 それは開戦の合図。両国の命運を分かつ戦いが幕を開けた事を告げる合図……ではない。
 火竜の咆哮と共に散開する竜騎士隊を前に、アストン伯達は僅かに顔を訝しめた。
 通常竜騎士や幻獣同士の戦いにおいて、戦場で乱戦が起こる事は日常茶飯事ではある。
 だが、戦場という無法地帯の中にも少なからずルールは存在する。
 敵の大将ないし代表が先陣に立ち、幻獣に咆哮を行わせる事を合図に始まる戦い。
 それは古くから伝わる空の騎士道を賭ける決闘であり、その際両軍は戦いを制止して一騎打ちを見守らねばならない、というのが暗黙の了解だ。
 無論、これは相手も先陣に立って幻獣に吼え返させねば成立はしないが、決闘を断る事は貴族に取って恥であり、臆病者と家名さえ傷付けられる為、断る事は余程の事が無い限りは有り得ない。
 現に敵の代表と思わしき騎士は周囲の騎士が散開した後も残っている所を見るに、合図を待っているのだろうと、少なくともアストン伯の部下達は考えていた。
 だが、違う。本来決闘において両軍は決闘を行う者の後方に下がるのが通例だ。散開する意味など無い。
 周囲を警戒しつつも、しきたりに従う義務があろうとアストン伯が中心へと躍り出た時、それは起きた。

「な……!」

 驚愕は背後から。本来決闘に代表者が居ない場合、各々の指揮官が相対する慣わしであり、アストン伯が出たのもそのためだ。
 だが、敵は暗黙の了解を破った。隊の指揮官が離れた隙を狙っての部下への強襲。
 如何に王家を裏切ったとはいえ、誇りを重んじる決闘にさえ泥を塗った敵を前に、アストン伯は口角泡を飛ばす。

「卑怯者! 決闘を何と心得る!!」
「私は貴様を謀っても、規律を破った訳でも無い。これは私と貴様の決闘。
 他の者が何を為そうと関係あるまい?」

 確かに決闘を見守る事は暗黙の了解で合って規則ではない。そもそも決闘自体が不文律の物である以上厳格な規定が無いのは当然だ。
 だが、よもや貴族としての矜持を試す決闘においてこのような卑劣極まる戦法を取る事は、未だかつてなかっただろう。
 呪詛の言葉を撒き散らす事さえできず表情を固めるアストン伯に対し、敵はフルフェイスの兜の下から陰湿な口調とは裏腹に、若く澄んだ声で喜悦に滲んだ笑いを漏らす。

「さあ杖を構えよ! 尋常の立ち合いに背を見せるか? トリステインの騎士!」

 歪んでいるどころではない。捻じ曲がっている。既にこれは誇りも矜持もかける決闘では無くなっている。だが、トリステインに生きる貴族として、軍人として引き下がってもいいのか? それは眼前で喜悦を漏らす相手と同じではないのかと、そう内から湧き上がる疑念も又アストン伯には有った。

「私は……」

 声が枯れる。喉が干上がる。迷いという時間はその分部下の命を削る。
 仮にこの場で決闘を断り、背を向けたとしても、背後から胸を貫かれるだろうと、半ば諦観にも似た思考で決闘を受諾しかけたその時、

「待てい……!!」

 天を突くかの如き怒声が、群青の世界に響き渡る。

「倶に天を戴かず大敵と言えど、尋常の立ち合いに策を弄すなど愚の極み!
 斯様な妄言で人心を惑わす豺狼に御大将のお手を煩わせようなど不届きも甚だしい!」

 猛き獅子吼と共に割って入る騎兵に、微かに身構える敵の竜騎士。だがその構えもすぐさまに緩む事となる。

「平民……それも御老体か。トリステインは無辜の民さえ戦場に出さねばならぬ程不抜けていようとは……成程、決闘を渋る筈よ」

 他の竜より二回りほど小さな幼竜。その背に跨るは、反比例するかのような老骨であり、その手に握るのは刃の毀れた剣が一振りと来ているのだ。
 失笑を買わぬ道理は何一つとしてない。

「老骨と侮ってくれるなよ……矜持なき武威如き、その玉ごと粉と砕いてくれるわ」
「ジン……」
「行って下され、アストン伯。貴方様が向かわねばならぬのは、向き合うべきはここではないのです」

 先程までの鬼気迫る表情とは別の、切実なる哀訴。それを前に、アストン伯は静かに沈みかけた面を上げる。

「まずは一騎。その首級を私の元へ持ち帰れ。忘れたか、貴様は敵三騎を討つまで死ぬ事を禁じたのだぞ!」
「委細承知」

 敵前故に頭を下げる事こそなかったものの、その眼は確かに感謝の念を湛えていた。
 静かに。それこそ水面に波紋さえ広がらぬのではという程に静かな動作で、ジンは敵を見やり、剣を持つ。
 構えは八双。騎馬戦における十八番にして尤も効率のよい構えである。

「……平民。名は?」

 そして。その構えを見て竜騎士も悟る。この相手は、この老骨は決してその気性までも老いてはいない。己が裡に猛禽を飼う修羅であるという事を。

「宇川が分家、佐々木家前当主、佐々木 仁。
 平民たる不肖の身ながら、故あって此度の戦に馳せ参じた」
「覚えたぞ、ジンとやら。その魂、死してヴァルハラに逝く資格ありと私が認めよう。我が杖に散れ!」

 かくしてここに、騎士と平民という異例の戦いの幕が上がるのだった。


     ◇


 そして。時刻が午後をゆうに過ぎ、アルビオン竜騎士とアストン伯一党が衝突しようとしている時、北澤直也はコルベールと共にようやく完成したガソリンを満杯になるまで給油し終え、無線機等の不必要な部品を取り外す所まで漕ぎ着けた。
 固定化を解除した後に各所の動作を確認、試験飛行を済ませるだけなのだが……。

「どうしました? コルベール先生」

 顔色が優れないのを見咎めてか、北澤直也はコルベールに問うも、彼は黙したままコクピットに着いた北澤直也に動作を確認するよう告げた。

「問題は無いかね?」

 固定化を解いた後、操縦桿を握り、フットバー踏む事でエルロンや昇降舵といった各部の動作を確認し、さらにこれまでは節電の為に使う事の無かった計器盤の上の標準機の電源を入れる。
 ガンダールヴから得た情報では、機体の側面に備え付けられた発電機が問題なく稼働する事が判っていたが、やはり実際に見てみると安心できる。
 硝子盤に描かれた円環と十字の光像を満足げに見やると、コルベールに問題ない事を告げた。

「そうか……ナオヤ君。実は、君には伝えていなかったのだが」

 唐突にコルベールが語りだす内容を怪訝な顔つきで聞いていたものの、すぐさま北澤直也は先程までの緩慢な動作とは打って変わって操縦席から立ち上がると、ポケットに常日頃から入れておいた粗めの砥石で『徒花』の切先から物打までを軽く磨る。
 映画など創作の中では省略されがちだが、日本刀という得物は本来研ぎ上げられたそのままでの状態では、切れ味が俗に言われる程の鋭さを発揮できない。
 意図的に刃を荒らし、鋸状の細かな傷を付ける事で肉へ食い込み易くする。これによって日本刀は初めて他の刀剣を圧倒する切れ味を誇るのである。
 兜割の際は斬り込んだ対象が対象であっただけに省略したが、今回一太刀浴びせるのは無骨な鉄でなく柔らかな人肉である以上、万全の状態で臨む必要がある。
『寝刃合わせ』と呼ばれる作業を終え、再び座席に着くと共に風防キャノピーを締めにかかるも、コルベールがそれを差し止める。

「待ちたまえ! まだ試運転が済んでいない! 満足に飛べるかは、」
「左手が飛べると告げています。コルベール先生はプロペラを魔法で回して下さい。正面から勢いよく風を吹きつければ回る筈です」

 本来であれば手動でクランクを回し、エンジンをかける必要があるのだが、今回はクランクが無い為に魔法で行うしかない。
 燃料コックをガソリンを入れたばかりの胴体のメインタンクに切り替え、混合比レバー、プロペラピッチ・レバー等を最適な位置へと合わすと、カウル・フラップを開き、滑油冷却機の蓋を閉じる。
 後はプロペラの回転具合からタイミングを見計らい、点火スイッチを入れる事でエンジンをかけるのみだ。

「コルベール先生。貴方が何故こんな土壇場になってから言ったのかは判っているつもりです」

 北澤直也は責めも問いもしない。下手に親善訪問の日にちを教えれば零戦が万全の状態で無くとも駆け出していたかもしれぬし、現に今も試運転さえ済ませぬまま戦地へと向かおうとしている。
 何より、コルベールが北澤直也に戦地に赴いて欲しく無かったという事も、間に合って欲しく無かったという事も、当人には正しく理解している。

「君は公爵家の者と約束したな……決して彼らの邪魔はしないと」
「反故にする事など彼らとて百も承知でしょう。元より自分は譲る気はありませんでした」

 己の死という結果。最後に待ち受ける結果は変わらないのなら……否、おそらく公爵家は北澤直也を殺さないだろう。
 もし本当に彼を殺したいのであれば、公爵家は初めて出会った際にその首を刎ねていた筈なのだから。
 ……それが、北澤直也にとって何よりも苦痛だった。
 この世への未練なぞ当に無い。罰を受けるというなら如何な責め苦でも甘んじて受けよう。だが、子爵への復讐を果たせないということだけは我慢ならなかった。
 手を出すな? ここは譲れ? 莫迦なことを。初めから譲る気など毛頭ない。
 子爵をこの手で殺し、レコン・キスタの旗に集う者を鏖殺する。それこそが、それだけが今の北澤直也の望みだから。

「君は……戻っては来ないのかね?」
「自分は────彼女を守れなかった時に死ぬべきでした。ですが、今も生きている」

 そうだ。生きている。死ぬべきだった筈の命の灯が今もこうして微かに燃えている。ならば、北澤直也が為すべき事は何なのか。それはあまりにも単純であり、余りにも醜いエゴだった。

「君は……何を為すのかね?」
「────復讐を」

 短く呟くと共に風防キャノピーを締める。

「ナオヤ君!!」

 言葉は返さない。右手に握り込んだ点火スイッチを押しこみ、左手のスロットルレバーを前に倒して開く。
 響くエンジンの轟音は魔鳥の咆哮。世界最大にして最悪の大戦。全てを焼き尽くす焔の中より生まれた天駆ける鉄騎が、今再び天へと昇った。


     ◇


 遥か遠くより響く爆破音と燃え盛る炎を前に耳も塞がず、目も閉じる事もないままに『疾風』のギトーは眼前の敵を見やる。
 彼が捉えているのはアストン伯達と矛を交える竜騎士隊ではなく、その遥か後方、ラ・ロシェールよりタルブ領へと遅れて向かう艦隊に他ならない。

〝やはりか……〟

 侵攻作戦上要となる艦隊だが、敵戦力の全てを叩くのに使用する必要は無い。
 ましてやそれが、自分達が今後拠点として使用する草原がある場所であれば尚更だ。
 何もない辺鄙な村。だが、そこが戦時下において如何に重要な土地であるかは軍部に携わる者であれば誰の目にも明らかであり、であればこそ、かつて軍に属していたアストン伯にあの土地が任されたというのも頷ける。
 事実、敵はラ・ロシェールに留まれば良いものを敢えて向かってきている。
 トリステイン艦隊を落とした事もあるのだろうが、体勢を立て直す事もなく足早に向かっていることからも、拠点を確保することの重要性が判っていると言っていい。
 すなわち。

〝タルブに辿り付こうと躍起になっている今こそ、付け入れる〟

 確かにトリステイン艦隊は全滅した。ラ・ラメーを含め、優秀なメイジも散った。
 だが、まだ負けてはいない。トリステインに敗北は無い。

〝敗北などあり得ない────何故なら〟

 ────私がお前達を討つのだから。

 自惚れではなく、真実そうなのだと告げる様に、『疾風』のギトーは内心ほくそ笑むと、静かに杖を引き抜く。
 敵艦隊の陣形は『輪形陣』。旗艦を中心に従属艦が周囲を取り巻く陣形であり、砲戦時には不利とされるが、あの雲と見紛うばかりの巨艦が作戦の要となるのは誰の目にも明らかである以上、最優先で護る必要がある敵にとって竜騎兵の様な小型の対空戦力を叩く上で最良の陣形と言える。
 おそらくは拠点確保と同時に『円陣』に組み替えるだろうが、それをさせる気は毛頭ない。
 長年連れ添った使い魔であるマンティコアの手綱を繰り、その二つ名に相応しき疾風の如き速度で突貫する。
 まずは一隻。こちらに気付く事もない哀れな小型艦の真横を、『疾風』のギトーは通り過ぎた。
 同時、ギトーの背後より響く炸裂音。船体を両断し、動力源である『風石』を破壊したのは、全長五十メートルを優に超える刃渡りを持つ『ブレイド』である。

「……さて、次はどれを落とすか」

 今、彼の眼中に旗艦は無い。これは闘争ではなく誅伐。愚かなるレコン・キスタに、教え子を奪った者共を恐怖と絶望を与えながら沈めること。
 その憎悪の念を殺意に変えて、『疾風』のギトーは凄絶な笑みを次の標的へと向けていた。


     ◇


 雲霞の如く広がる戦艦が砲を放ち、竜騎兵は己が魔法を殺戮の利器として用い、競い合う。
 これまでの人生の中では決して見る事の無かった戦場という現実。それを目の当たりにした時、ギーシュが感じたのは恐れと瞠目だった。

「あれは……ミスタ・ギトー?」

 風系統のスクウェアメイジにしてトリステイン魔法学院の教師。そんな彼が何故ここに居るのかという疑問に応えるかのように、轡を並べるカリンが溜め息を零す。

「燃え落ちているのは三隻……小型艦ばかりとはいえ、流石は次期マンティコア隊隊長と目されただけの事はありますね」
「次期隊長……? ミスタ・ギトーが?」

 確かに風のスクウェアメイジにして魔法学院で教師を務める程の腕ともなれば、それ位の経歴は指して驚くには値すまい。
 トリステインの名門貴族達を束ねる学院ともなれば、教師の質も一流でなくてはならないというのは当然の帰結だ。
 疑問なのは、何故彼の口からその経歴が語られなかったのかという点だが、ギーシュの表情を察してか、カリンは静かに語る。

「彼にも色々あるのですよ、ミスタ・グラモン」

 穏やかでありながら何処か硬さを含んだ言葉から、これ以上深入りすべきではないと悟ったのだろう。少なくとも『烈風』のカリンと『疾風』のギトーが知古の縁である事が判れば充分であるし、今はそのような事を気にしている時ではない。

「敵艦隊は対空戦力を落とす陣形を組んでいます。まずはミスタ・ギトーの援護を?」
「その必要はありません。従属艦など彼にとっては物の数ではありませんから。我々はあの巨艦を落とします」

 いきなり敵戦力の要を落とすと言われては、ギーシュも驚愕せざるを得ない。如何に質に勝ろうと数が勝るのは向こうだ。
 対多数による乱戦を繰り広げるのであれば、叩ける敵戦力を叩いておくのが常道というものだろう。
 にも拘らず、その鉄則を『烈風』のカリンは破るという。その理由を問うには値しない。
 何故ならば、カリンにとっての勝利とはトリステイン軍に捧げる物ではない。己が娘を奪った怨敵への復讐であり、王軍の勝利なぞ二の次。
 確かに王軍の勝利は今後の娘たちを思えば是が非でも達成されるべきではあるが、だからといってみすみす大将首まで奪われてはたまらない。
 王軍への貸しを作り、尚且つ主導権を握らせず、目的も達成する。
 この全てを望むままにするには、トリステイン軍が集結してからでは遅いのだ。

「ミスタ・ギトーが道を作ってくれています。ミスタ・グラモン、後れを取ってはなりませんよ!」

 高々と掲げられる軍杖。大気を震わす魔力の奔流を、果たして何人が目に取ったのか。
 いずれにせよ、彼女を見た者は間違いであってほしい、という念に駆られる事だろう。
 顔の下半分を覆う鉄の仮面とマンティコア隊のマント。その姿を正面から見据えた者は死神の来訪を悟り、背後から見た者は畏怖と憧憬の眼差しを向ける。
 彼女こそは稀代の英雄。トリステイン建国時より比肩する者など存在せず、ハルケギニアにおいて最強の名を冠するメイジの中のメイジ。
 名を─────

「『烈風』だ────────…………………!!!!」

 夥しい叫び。その姿を捉えた者共の身を引き裂かんばかりの絶叫と共に、戦艦の砲がたった一人の騎士へと向けられる。
 だが駄目だ。その程度の砲では、『烈風』の進撃は止められない。
 無数の砲弾も、風の刃も、炎の槍も、一つとして『烈風』カリンには届かない。既に彼女の道を阻む艦は『疾風』によって落とされており、残る従属艦もその進撃を止めるには至らない。
 冗談を超えている。轟音と共に唸り、放たれる砲は風の障壁によって防がれ、一つ余さず『烈風』カリンへは届かない。
 その圧倒的な実力差。挑む事さえ馬鹿馬鹿しく思える両者に繰り広げられるのは、戦いでさえ無かった。
 しかし、誰もが気付いては居ない。あまりにも凄まじい『烈風』の進撃の威光に、誰もが目を奪われ過ぎた。
 故に、彼らは名もなきメイジをここで知る。後の世に彼女の後継と謳われる一人の魔法使いの初陣。その秘めたる実力を。

「遅れは……取れない………………!!」

 言葉と共に危うい手つきで手綱を繰るギーシュだが、その速度と敏捷性は目を見張るものがある。現に今のギーシュには、ただの一発も被弾は無い。
 ある物は躱し、ある物は軌道を変え、ある物は錬金した楯で防ぎ、ある物は土塊へと変えた。
 その殆どが綱渡り。文字通り死と隣り合わせの作業にもかかわらず、ギーシュは追いつく事さえ危うい『烈風』の背に喰らい付く。
 そう。本人さえ気付いていないことではあるが、ギーシュ・ド・グラモンは己が身に迫る無数の攻撃を無意識に防御していた。
 異常というならば正しく異常。だが、彼は知っている。その身がかつて、己の半身をただ一つの傷さえ負う事無く破ったという事実を。
 万感の思いを込めて彼は両の手を叩く。惜しみの無い賛辞を、ここに辿りついた二人へと送る為に。

 ────ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは、ここに集った英雄に拍手を送った。

「くっくくく……ははっははハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」

 彼が座す風竜が滞空するのは『レキシントン』号の上空。アルビオンが作戦を遂行するにはこの巨艦が要となる以上、敵は必ずこの戦艦を叩きに来る。ならばどうするか? 簡単だ。そこにあらかじめ居れば良い。
 本来であれば竜騎士隊の指揮を取らねばならぬ身でありながら、単独行動を行うなど正気の沙汰ではないが、元よりワルドが行わねばならないのは任務の遂行だ。
 有象無象が相手ではアルビオンの竜騎兵に叶う筈もなく、かといって手持無沙汰となるのは避けたい。
 何より、彼はここに辿り着くであろう人物を三人知っている。うち一人は姿を現さないままだが、二人は確かにここに来た。

「待ち侘びたぞ、ギーシュ・ド・グラモン。そして、お久しぶりですな我が師よ」
「……子爵」

 微かにカリンが漏らす呟き。そこから響くのは凍える様な殺意に他ならず、大気は悲鳴を上げている。それでも。

「……貴方は、あの子を愛していたのではないのですか?」

 これだけは訊いておかなくてはならないと、何処か縋るようにカリンは問う。

「貴方は、あの子の為にその名を持ったのではないのですか!? 答えなさい、『閃光』!!」

 蒼穹の空に響く叫びは、風に乗ってワルドに届く。だが、彼が返したのは氷の様な視線だった。

「忘れたのですよ。愛や道……そんなモノに、何の意味があるのですか?」
「貴方は────変わられてしまった」

 知らず呟く言葉。カリンの口から零れ出たそれは、自身の娘が彼に告げた言葉に他ならず、

「ああ、変わったのですよ。時は人を変える」

 そう嘯きながら微かに視線を落とす。この時、ワルドの表情は完全に消えた。

「……そして、おれは『閃光』などではない」

 閃光では生ぬるい。微かな閃きでは、あの神速には届かない。故に裏切りの男は名を改める。かつての二つ名、自身が光り輝いていたあの頃を、完全に決別するために。
 其の名は────

「『禍風まがつかぜ』────それが、おれの二つ名だ」


 そう宣誓して、ワルドは杖を向ける。かつての恩師。両親を失ってから自身を影ながら支えてきてくれた恩人に。

「貴女の時代は終わった。消えろ、旧き伝説よ」
「……そうですか」

 そして。カリンもまた杖を向ける。かつての教え子。両親を失い、血を吐く様な日々の中で、未来を見据えていた筈の存在に。

「娘を想っていた貴方は死んだ。消えなさい、忌わしい負の残滓よ」

 因縁の師弟。稀代の天才と謳われた両者が相克する。

 ────ここに、ハルケギニアの最強を決する戦いが幕を開けた。


     ◇


 大剣が空を切る。一度掠っただけでも致命傷となるそれは、初めの一撃以降ただの一度も触れていない。

「ちい!」

 忌々しそうに唾するジンであったが、竜騎士としてもそれは同じ、否、最初の一太刀を肩に浴びた時点でジンの特異性が理解できたがために、むしろ内心の苛立ちは相手の方が上だろう。

「……避けるばかりしおって」

 元より騎乗の技術においては竜騎士に分がある上、空中という三次元的な戦いはジンに取って初の経験と言える。むしろそんな彼がここまで生き残っている事こそ、瞠目に値しよう。
 だが、ジンはそこに満足などしていない。今すぐにでもこの竜騎士の頸を落とし、アストン伯の元へと向かわねばならないのだ。
 故に、ジンは初見の一撃に全力をかけた。騎乗での戦いが長引けば経験に勝る敵が優勢となって行く。
 初撃必殺、短期決戦に持ち込む事が出来なかった失策をジンは内心歯噛みする。敵は既に重装の鎧が大剣の下には無意味であると、斬られた肩当てから悟っている。
 ただ一太刀。如何に分厚い鎧に護られていようとジンにとって、否、完成された宇川の士に取って鎧など無意味なのだ。
 宇川の家の課す個人の技量を判別するための技『矢止め』『兜割り』『縮地法』。この内のいずれかを果たせば免許皆伝とされるのが宇川の剣であるが、実のところ続きがある。

 例えば『矢止め』
 矢を落とせるようになった人間は、弩砲を防げるか?

 例えば『兜割り』
 兜を断てる様になった人間は、鎧さえ断ち斬れるか?

 例えば『縮地法』
 神速を持った人間は、真に千里を一歩で踏みこめるか?

 無論、否である。現に宇川の人間のうち幾人かは試した事があるものの、その結果は悲惨に尽きる物であったし、そも縮地に関して言えばそれ自体が絶技と称される物である。
 結果、名家として名を残し優れた武人を輩出した宇川と言えども、こればかりは不可能とされ、免許皆伝の難易度を落とした。
 そう。落としたのである。本来宇川の剣が真に『完成』を目指したのは、他の流派より盗んだ技の豊富さなどではない。
 飛来する矢に限らず、それを超える物さえ落とす動体視力。
 兜はおろか、身を包む甲冑さえ一刀の下に断つ剛力。
 比喩ではなく、真に千里さえ目前とする不可視の疾駆。
 この三つを備えた究極こそ、真に宇川が求めた武人の完成。如何に多岐に渡る技であろうとも、絶対的な存在の単純な一撃の前には無意味であり、人の積み上げた術理を上回る不条理によって、乱世を生き延びる。
 尤も、そのような考えは初期の段階から捨てていた。武に固執するばかりでは家は残せない。乱世の世は永遠ではない。
 太平の世がいずれ来るなら、武に拘るより政敵を影で消す暗器の方が重宝されるであろうし、何より位を上げたいなら人心を掴む手腕も必要となる。
 一つに固執しては時代の流れに残される。残されれば捨てられる。それが判っていたからこその難易度の引き下げであり、理想形として伝える以外は指して重要視しなかった。

 ────だが、例外はここに存在する。

 兜のみならず、あらゆる鎧をあらゆる角度から断つ最強の剛剣。
 真に『兜割り』を極めた無双の鬼神は、いま異世界で剣を揮う。肩当てのみが斬られたのは運以外の何物でもない。
 その切断面の滑らかさは明らかに大剣の切れ味による物ではなく、ジン個人の技量故のもの。
 真に恐るべきは、その一撃を防ぐ手立てが無いという事か。鋼鉄を断つ大剣。それを以てすれば、如何に硬い鱗に覆われていようと竜の頸を落とすだろう。
 ただの一太刀も触れさせぬ。籠手の内にある汗を隠すように手綱を強く握り、竜騎士は魔法を放った。


     ◇


 それは正に悪夢だった。目の前に繰り広げられるのは戦いではなく虐殺なのだと、アストン伯は杖を交わらせた段階でようやく理解した。
 弱者を嗅ぎ分け、常に数を減らす事を意識しつつ一対多数の戦闘によって追い詰める。
 騎士道など欠片もない、さながら獲物を追い詰める猟犬の手際で竜騎士達はアストン伯の部下を一人、また一人と追い詰め、落として行く。
 彼が駆け付けた時には既に部下の数は片手の指でも余る程だった。

「下がれ! お前達はもう逃げろ!!」

 敢えて身を晒し、部下を逃がそうとするその自己犠牲。
 もし誇りを重んじる貴族がいれば彼を崇拝し、利権を重んじる貴族がいれば彼を嘲笑するだろう。
 そして、アストン伯に仕える従者は前者である。彼らもまたアストン伯と同様、貴族の三男坊や四男坊の生まれであり、軍に在籍してからかなりの歳月が経ち、下士官に尻を叩かれていた一兵卒であった彼らに、領地を経営する際、声をかけたのが馴れ初めだった。
 彼らはアストン伯の申し出に目を瞬かせ、次いで是非にとせがんだ。
 無論、アストン伯とて善意で行った訳ではない。彼らを誘ったのは周りの者たちより仕事が出来ていたからに過ぎず、こんな所で腐らせるには惜しいと判断したからだ。
 ともあれ、そこから先は領地での職務だけでなく従者となった者たちに魔法や作法も仕込み、何処に出そうと恥ずかしくない従者として、何より傍に侍らせるに足る存在として仕立て上げた。
 もう充分だ、彼らは務めを果たした。死の行軍に付き合う意味など何処にもないのだと、そう訴える様にアストン伯は部下を見据え、それに応える様に従者達は手綱を引いた。

「アストン伯、貴方にお仕え出来た事を、誇りに思います」

 粛々と、何処か清々しい面持ちで部下達は頭を下げ、

「そして、貴方の命に背く我らにお赦しを、罰はヴァルハラにて!!」

 言葉と共に、ただひたすらに敵へと突貫した。

「止めろォ……!!」

 ここで死ぬ必要など何処にもない。彼らはまだ若く、未来がある。
 夢があり希望がある。婚姻を果たすどころか女の事さえ知らぬ彼らが、何故ここで死なねばならぬのか。
 何故死地へ向かうのかと、血を吐く様な叫びを上げながら、アストン伯は手綱を繰る。
 だが、敵の竜騎士は手を緩めない。死を恐れず向かう彼の部下の腕を貫き、火竜のブレスで火達磨にし、止めとばかりに首を刎ねた。
 編隊から包囲、攻撃へと流れる様なアルビオン竜騎士の動きは、さながら近代航空戦の戦闘機乗りの如しであり、違いがあるとすれば鋼鉄の鉄騎が幻想の魔獣に変わったぐらいの物である。
 騎士道など欠片もない。戦場における浪漫や武勇伝、他に聴かせるだけの勇猛さなど無きに等しい。
 これが戦場だと。弱者は淘汰され、強者の身が統べる世界が戦場ここなのだと。
 散って逝く部下達を見せつけながら、竜騎士達はアストン伯に言外に語る。

 ────旧き時代は、ここで終わるのだと。

「止め……ろ、」
 
 そして、アストン伯にもまた例外は無い。彼もまた旧き時代の貴族なればこそ、滅びの道は避けられない。
 散って逝く部下の顔が見える。共に過ごした全てを覚えている。

「止めてくれ……」

 血と贓物を撒き散らす様な不手際は無い。落ちて行く部下達は炎に包まれ、血の一滴を零す間もなく炭化している。

「部下を、部下を……………」

 虚空へと伸ばす手は既に赤く、それが自身より流れている物だと最後までアストン伯は気付かない。
 彼の眼に映るのは燃え尽きようとする部下であり、未来のある筈だった若者なのだ。
 だから行かなくてはならない。彼らを助け、彼らを救わなくてはならない。
 もう己は充分生きた。家庭を持ち、世継ぎに恵まれ、思い残す事は何もない。
 だから、だから……

「……部下を、殺す、な」

 そうして、アストン伯は死んだ。ただの一人も救えず、ただの一人の敵も討てず。
 虫のように────彼は死んだのだ。


     ◇


 そして、その姿をジンは見た。見てしまった。
 視界に捉えたのは刹那。杖と大剣が交差する一瞬に、視界の端にそれを見る。
 血を流し、燃え落ちる自らの主。首級を上げると約束した。追いついて見せると心に誓った。
 だが、もうそれは叶わない。アストン伯は落ちて行く。冷たい骸に炎を纏わせ、その顔を苦悶に歪ませたまま。翼の折れた鳥のように、羽を失った虫のように。

「アァァアァァアァァアァァアァァアァァアァァアァァアァ………………!!!!」

 許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ!! 貴様ら全員の頸を落とし、その頭蓋の皿を酒杯にしてくれると、砕ける様に歯を噛み締め、血が滲む程に目を見開きながら大剣を揮う。
 それは正に最強の一撃。鋼さえ一太刀の下に斬って捨てる剣閃は、眼にも映らぬ速度で振り抜かれ─────

 ────次の瞬間には、ジンは竜より身を落としていた。

 両の腕は既に無い。天下無双の剛剣は、肩の付け根から落とされた手が未だに握っていた。
 これが現実。如何に無双を誇る剣鬼と言えど、魔道の支配する空の領域には敵わない。
 一度矛を交われば判る事。どれ程優れた剣士であろうと、未開の領域には赤子も同然であり、奇跡など万に一つも起きはしないのだ。
 首級を三つ上げる。生きて戻る。そのような口約束など、誰もかれもがしていることだ。
 弱者が強者を倒す事では出来ない。強者を斃せるのはそれを超える強者であり、その理は覆らない。
 故に、その現実にジンはただ歯噛みする。
 ここで己が終わること。それ自体に後悔は無い。墓無き死など覚悟していた。だが、それでも……。

「護れ、なんだ…………」

 己の弱さ、護り切れなかった口惜しさに目尻に雫を浮かばせる。
 息子がいた、孫がいた。共に過ごした村人がいた。ここで死ぬこと。倒れるという結末が意味するのは一つ。
 奪われ、犯され、殺されるという現実。
 敗者はただ苦衷を噛み締め、罪人も同然の責めを受ける。シエスタの様な年頃の娘となれば、格好の餌食だろう。
 愛孫が犯され、嬲られるという結末。それが死に向かうまでの間、ただひたすらに脳裏をよぎる。
 己が無力であったから。何も出来ぬ身であったから、孫達が辱めを受ける。
 その無念、その無力さに老躯は声を枯らしながら泣き叫ぶ。

〝誰もかれも死んでしまえ。あの村を焼く者、あの村に手を出す者、一木一草悉く、死の濁流に呑まれてしまえ……!!〟

 己は死しても貴様らを呪う、呪い続け末代まで祟り、貴様らの犯した罪の数倍の責め苦を味わわせると。裂け、血の飛沫く喉から呪詛の念を撒き散らすその時、ジンは見た。
 生まれおちてより耳にする事の無かった独特の羽音。
 唸る轟音は幻獣による生物としてのはためきでも無ければ、魔による術理でも無い。
 これはこの世界における異物。魔を持たぬが故に魔を超えた領域に踏み込んだ者達の遺した遺産。
 その姿を捉えた者は、後にこう呼ぶことになる。

 ────濃緑の悪魔。『竜の羽衣』

 だが、佐々木 仁には見えていた。かつて一度として飛ぶことの無かった父の形見。
 世界に冠たる赤き太陽の帝国を統べる陛下より借り受けたという至高の誇り。
 何よりも強く、何よりも気高く、大空の覇者として君臨したその姿を視界に収め、彼は歓喜に噎び泣いた。

〝来て、下さった。嗚呼……どうか、この老いぼれの望みを……ただ一つの奇跡を〟

 そうして、家族の生を望みながら。
 誰よりも勝利を確信しながら、佐々木 仁は息絶えた。


     ◇


 そして、彼らはすべからく動きを止めた。
 その存在を知らぬ者は、呆然と立ち止まり、

「来たのか………」

 その背を追った者は、彼の到来に不安と焦燥を覚え、

「……来ましたか」

 罰を課した者は、彼の到来に苛立ちを覚え、

「来たか……!!」

 彼との決着を望んだ者は、歓喜の叫びを上げる。

「「「北澤直也ガンダールヴ!!!」」」

 ────かくして死神 かれ戦地ここに来たる。

 己が会稽を遂げるために。
 一切の慈悲もなく、その命を刈り取らんがために。
 
 そして……後の世にこの日は語り継がれる。
 数多の命が奪われし災禍の日と。悪魔が死神を呼び寄せたのだと。
『タルブの悪夢』はここに始まり、ここに終わりを告げるのだった。




     ×××


あとがき

 皆様お久しぶりです。……が、まずは更新が遅れた事に関する謝罪を。大変申し訳なく感じております。

 で、今回の話なのですが、原作で死んだアストン伯も含め、ジンさんもお亡くなりになってしまいました。
 多分名前の出るオリキャラは過去編にでもならない限り出る確率は低い為──作者的にもオリキャラは極力出したくないので──ここで散らせるには惜しいキャラだったのですが、『戦場では死ぬ奴は死ぬ』という、どうしようもない作者の主観で殺してしまいました。

 本当はもっと活躍させたかったのですが、まあ順当に考えれば剣士として強くても本職の竜騎士には敵わねーだろ、というのと、これ以上書くと宇川家の連中が本気で怪物になるので手早く切ったというのが本音だったりします。

 宇川一族は超人ハルクばりの人体改造でもしたかったのだろうか? とか。
 きっとSFモノになったらスパイダーマン大量生産とかし出すんじゃなかろうかとつい妄想してしまった。
 多分するだろうな、宇川の御先祖たちなら。

 ……と、作者の腐りきった脳内ネタは置いておいて、次回からはようやく主人公の出番です。
 けど、この主人公の活躍なんて誰も見てないんだろうな、きっと。
 多分次あたり血の雨が降ります。今も思いっきり振ってますが。



以下、感想のお返しになります。

あららみ様

 ワルドの奴がくたばるのは待って下さい。奴は確かにとんでもねー奴ですし、怒られても仕方のない奴ですが、あいつ居ないとこの物語が成立しなくなるので。
 ……そして、それと同様の意味でも主人公は生かしておかないといけないという。
 ワルド以上にこいつを何とかしたい。





 最後に。
 ここからは蛇足でしかないのですが、主人公の絵を描いてみました。
 状態としてはVOL2 009のワルド戦。鋼糸と黒デルフ装備。一応流血表現があるのでR-18Gです。
 pixivなんでアカウントが無いと入れないのですが、別段作者には大した画力は無いので、見に行っても良い、という心の広い方が居られましたら見て下されば幸いです。
 多分タグ検索でタイトル入れれば出る筈。

 ……あと、もし宜しければ、筋肉か太刀傷の上手い描き方を知っている方がいましたら教えて下さい。
 どうしても両方上手くいかなかったので……本当はもっと、ごついイメージなのですが。


 それではまた次回、お会いしましょう。










[5086] 012
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2011/04/27 01:31


     ◆


 とある昔の話をしよう。
 白の国に住む貴族の一家の話を。彼らは悪政を敷くでもなく、何か恨まれる様な事をした訳でもない善良な貴族だった。
 領民から敬われ、暖かい家庭を持ち、日々の生活に必要以上何かを求める事さえない。
 そんな彼らには当然親身になる者も多く、社交界で出逢った貴族たちも、彼らと大変親しかった。
 ヘンリー・スタッフォートの家であるスタッフォート家もその内の一人であり、かつてのヘンリもまた彼らに良くして貰ってか、大変好感を持っていた。
 特に、彼らの家の娘であるミス・サウスゴータはヘンリと歳こそ離れていたが、彼女は彼女なりにヘンリを弟のように慕った。


 今思えば、それはヘンリにとって初恋だったのかもしれない。
 年の離れたその女性は、ヘンリにとってとても温かく、魅力的でもあった。
 ヘンリの幼馴染はそんな彼に年相応の反発心を抱いていたが、次第にミス・サウスゴータと打ち解けて行った。
 そして、彼らは秘密を共有する。サウスゴータ家にとっての知られてはならない秘密。
 アルビオンのみならず、ハルケギニア全土にとっても禁忌たる存在。
 それに初めて出会った時、ヘンリもヘンリの未来の婚約者となる幼馴染も恐怖した。
 特徴的な尖った耳を持つ種族『エルフ』。砂漠の地に住まう、人を食すとされた種族であり恐ろしい魔法を使うという。
 だが、ヘンリ達が見たエルフは非常に可憐な存在であり、さらに言えば温厚かつおとなしい気質であった事が、その誤解を打ち解けさせる要因足り得たのだろう。
 美しいエルフの少女は次第に彼らと話し、領地の中だけとはいえ共に遊ぶようになった。
 種族の違いなど関係ない。四人は何時までも友であろうと誓い合い、それは死ぬまで果たされるだろうとこの場に居た誰もが信じて疑わなかった。


 …………全ては、あの日。あの惨劇から狂ったのだ。


 それはどうという事の無い、いつもと同じ日。
 違いがあるとするならば、ヘンリ達がサウスゴータ家に泊まるという事になっただけ。
 だが、不幸にもその日に悲劇は起きた。
 魔法によって破られる屋敷の門。甲高い使用人の叫びと共に、屋敷は炎に包まれた。
 あの日の地獄を、ヘンリは一生忘れない。
 杖を手に襲い来る集団。男は無残に首を刎ねられ、女は腱を斬られてのたうちまわる。
 生きた女がどうなるのかは、幼いヘンリには判らない。ただ生きて欲しいと祈りながら、生きている男は自分位だと言い聞かせ、幼いながらにミス・サウスゴータ達を起こして手をとった。
 決して気付かれるな。自分達が太刀打ちできない事なんて判っている。
 あのエルフの少女の元へ急いで向かわなくてはならない。彼女だけは一部の使用人以外にしか見つからないよう別室にいる。
 だから急がないといけない。この土地にエルフが居ると判ればどうなるか、幼いながらに想像でき────

 ────想像以上の出来事が、そこでは起こっていた。

 通り過ぎれば良かった。そこは違う部屋だから見なければ良かった。
 だがヘンリは見てしまった。複数の大人が、長い耳をした妙齢の女性を追い詰めている。
 まるで汚物か何かを見る様に。自分達が相手をしているのは、オークか何かだと言う様に。

 まず、その耳が不快だと両耳を削ぎ落した
  ───女性は痛みで床を転がった。

 悪魔に美しい顔はいらないと焼いた。
  ───女性は血を吐く程叫んだ。

 人と同じ手足は要らないと斬り落とした。
  ───女性はぴくぴくとしか動かなくなった。

 生きている事が醜いと、胸を貫いた。
  ───女性は二度と動かなくなった。

 ────ヘンリは無我夢中で駆けだした。

 一目散に走り続けて、エルフの少女の部屋へと入った。
 目にしたのは杖を突きつける男達と、姉と共に震える少女。
 ────そして。音の鳴らない、蓋の開いたオルゴール。

 エルフの少女は杖を手に、一言、二言の呪文を唱える。
 この時ヘンリは思った。エルフが強い魔法を使うなら、彼女は助かるのではないかと。
 それは半分正解で、半分間違っていた。
 魔法は決して強くない。どういう訳か倒れた男達は無傷で、起き上がった男達は自分達が何者かを覚えていないと言う。
 そして、男達はローブを取り、そこにあった真実をヘンリは見た。

 もし彼らが無頼であれば、個人を怨めば良かった。
 もし彼らが敵国の者なら、敵国を怨めば良かった。
 彼らは……アルビオン王家の人間だった。

 息が詰まる。夢であって欲しいと願った。けれど結果は変わらない。何度見ても変わらない。彼らの纏う鎧は確かに、その胸の紋章は確かに、アルビオン王家の物だったから。

 叫びたくても叫べない。
  ───そうしたら、大切な友達を失うから。

 狂いたくても狂えない。
  ───そうしたら、彼女達を護れないから。

 だからヘンリは静かに屋敷を抜け出した。誰にも見つからないよう、決して捕まらない様に。
 けれど何時の間にか、二人の少女は消えていた。
 広がるのは赤く染まる領地。手にした温もりは一つだけ。あの屋敷で共に語らい、共に過ごした二人の姉妹は、いつの間にか消えていた。
 どうしても思い出せなくて、それがどうしようもなく辛くて、無力な自分が嫌だった。
 赤い世界で、ヘンリはただ涙を流す。
 自分の手を握る幼馴染も、同じように泣いていた。


 これはとある昔の話。
 白の国に住む貴族の一家の話。時代という流れの中の一つの価値観が生んだ、有り触れた悲劇の一幕。


     ◆


 操縦席に身を預け、長年苦楽を共にしてきた愛馬のようになれた手つきで、北澤直也は操縦桿を握りしめる。
 ゆったりとした機体の操作と落ち着きを払った吐息は、事情を知らぬ者からすれば彼が試運転を兼ねた遊泳飛行かと見紛うだろう。
 その左手が、常に機銃発射レバーに置かれていなければの話であるが。
 既にタルブ村は目前へと迫り、当然ながら彼の眼にはそこで繰り広げられた光景が映った……映ってしまった。
 ガンダールヴによって底上げされた身体能力は視力さえも強化し、文字通り千里眼を以て米粒にも等しき存在を視界に収める。
 ただし、少年の眼に映ったのは敵でも王軍でも無く、

 ────あの長閑な村で、

「あ……」

 短くも笑いながら過ごした────

「……ああ」

 ────シエスタの、

〝……そうか。貴様らはそこまで奪いたいか〟

 理解と共に、殺意が裡より込み上げる。
 それほどまでに奪われたいか。
 それほどまでに簒奪を謳うか。
 ならば謳え。ならば酔え。勝利を謳い、凱歌を謳い、簒奪に酔い、略奪に酔え。
 貴様らが背徳を謳うなら────

「────俺は地獄を謳おう」

 知らず呟くその言葉が、舞台の幕を今開ける。
 これより始まるのは血の惨劇ワルプルギス
 それとも敗残兵の恐怖劇 グランギニョル
 否々、舞台で踊るのは殺戮者のみに非ず。この舞台の主役が復讐者達なれば、舞台もまた復讐劇。

 ────さあ、怨み語りを始めよう。


     ◇


 その異形がもたらす音に誰もが凝然と振り向いた。
 耳を聾す独特の轟音。生物には有りえぬ異質な姿。如何なる術理か、或いは魔道によるものか。その濃緑色の凶鳥を見た瞬間、誰もが戦争を忘れた。
 あれを落とせ、あれを殺せ。決して牙を剥かせるな。その爪牙は死を運び、一つ余さず地獄へ連れ行くと、戦地に立つ者らはすべからく理解した。
 上空で戦い合うワルド子爵と『烈風』カリンから逃れるべくタルブ村へと足早に動いていた『レキシントン』号より対空砲火が放たれ、従属艦も一様に砲を叩き込む。
 来させるな、近付かせるな。あれは生かしておいていい物ではない。何を置いても倒さなくてはならない存在なのだと、兵としての長年の経験が、『死』を感じ取った兵の直感が、あれを殺せと告げていた。



 そして、それをいち早く感じ取ったのは最前線にて勝利を収めた竜騎士隊である。
 損耗、負傷ゼロ。誰もが己の戦果を誇る事無く、勝利して尚一様に気を引き締める彼らは正しく軍人としての鏡だった。
 未知の存在を前にし、頭上を越える豪雨の如き砲撃に動揺を抑えきれずとも無理は無い筈であるにも拘らず、彼らは訓練によって鍛え上げた鋼の精神で己を律し、個としてでなく完全なる統率の下に動く群として行動を開始する。
 だが、そこで彼らは知る。濃緑の悪魔の真価。現在において世界最大最強を誇る国家をして尚強敵と言わしめた鋼鉄の鉄騎の実力を。
 呵責なく降り注ぐ無数の砲弾。隙間なき弾雨を、敵戦艦を遥かに凌ぐ高高度を以て避け、砲撃の後に迫りくる竜騎士の内二騎を急降下と共に蜂の巣へと変える。
 重力落下と加速を合わせた急降下。その速度に愕然としたのは、射線に入らなかった竜騎士であり、憐れ九七式七・七ミリ機銃の洗礼を受けた竜騎士は愛騎と共に身を引き裂かれ、肉片をばら撒きながら奈落へと落ちて行く。

 ……有り得ない。そう感じた竜騎士達の思いは正しい。

 元より竜騎士の駆る火竜の速度が約百五十キロであるのに対し、零式艦上戦闘機五二甲型の最高速度は約五百三十キロという驚異的な差を叩きだし、従来の五二型より主翼外装板を〇・二ミリ厚くした事によって急降下時には七百四十キロにも達する。
 だが、先の零戦の急降下時の速度は実に八百キロ。本来であれば急降下時の加速に耐え切れず空中分解を起こす速度であるにも拘らず、何故、平然としていられるのか。
 その真相に気付いたのは、他ならぬ竜騎士であった。

「『解析』が出来た! あの濃緑の悪魔には『硬化』がかけられている……!!」

 竜騎士の声に一同は得心する。如何に未知の存在と言えど術理がこちらと同じ、ならば出し抜く手もあるだろうと、そう身構えた際に彼らは呆気にとられた。
 逃げている。あろう事か一瞬にして二騎もの竜騎士を落とし、優勢となっていた筈の敵が尻を見せながら逃走しようとしているのだ。さしもの竜騎士もこれには愕然とせざるを得ず、一拍遅れて再動した思考に憎悪の念が迸る。

「ふざけるな……よくもデュークとローランドを」

 共に新たな国家で理想を目指そうと約束した。もう二度と、血や歴史に左右されない国家を歩むと。
 たとえ卑劣なる簒奪者と謗られようと、平民を家畜の様に扱うトリステインを落とし、後の世に泰平を築く者でありたいと誇らしげに語っていた。

「許さん……許さんぞ、この下種めが!!」

 双眸が怒りに燃え、殺意が魔力となって紡がれると、猛る主に呼応して竜もまた驚異的な加速で追い縋る。
 両者の間には距離こそ離れているものの、充分に魔法の射程内。さらに言えばいかに優れた速度を持とうとも火系統のメイジによる火弾は狙い定めた相手を余さず追尾する。
 逃れようとも逃れられぬ。摂氏にして三千度。竜騎士の殺意に応えるが如く、燃え盛る炎は十メートル大もの火球となって濃緑の悪魔を落とそうとし……
 ……彼らは敵の策にまんまと填められた。
 完全に背を見せていた筈の零戦は急激に機首ピッチを上げ、百八十度のループとロールを連続的に行い、縦方向へのUターンを行う事で正面対正ヘッドオンの体制へと持ち込まれた。
 竜騎士は知らない。それが今より遥か昔、第一次世界大戦という悪夢の戦争において北フランス戦線を駆けた大英雄、マックス・インメルマンの生み出した空戦機動であり、現代航空戦においても、その英雄の名に畏怖と崇拝を込めて呼び習わされる不朽の技巧。

 ────インメルマンターン。

 落ちろ、と。風防キャノピーの内より覗く殺意の念と共に、追撃に専念した者たちは断末魔さえ上げることなく落ちて行く。彼らの紡いだ怨念の炎は濃緑の悪魔に届く事無く霧消した。
 そして、誰もかもが同様の末路を辿る。竜騎士の持つ編隊機動が、血の滲むような努力の末に完成させた技巧が、この敵には歯が立たない。
 当然だ。零戦を駆る少年が要とするのは敵を瞠目させる様な空戦機動マニューバではない。
 少年が用い、要とする戦法は元より一つ。圧倒的なまでの物量差を前に勝負を挑むなら、持ち前の速度と航続距離を最大限に活かせばいい。
 一撃離脱戦法。かの世界最高の撃墜王エーリヒ・ハルトマンの用いた戦法は一対多数の局面において絶大なる効果を発揮する。
 同高度であった機体をインメルマンターンによって高度の優位を稼ぎ、降下による加速と機銃掃射による攻撃を併せることで、いまの少年は空を統べる死神と化した。

 ────神秘の力を、鉛の暴力が蹂躙する。

 一騎、また一騎と竜騎士を落とし、少年は最後の一騎へと照準を定めた。
 佐々木 仁を殺した騎士。その存在を、地獄へと引き摺り込む為に。


     ◇


 ヘンリー・スタッフォートは、ただ目の前の光景に愕然とするしか無かった。
 デュークとローランドは彼と同じく前政権に義憤し、ハルケギニアの民を正しく導きたいという崇高な志を掲げていた。
 マノックは彼とは三倍近い年齢であり、前線に出る事を渋られていたが、若い騎士達には負けぬと息巻いていた。
 ローワは女好きだったが、意中の相手には真摯だったし、決して他人が心に決めた相手には手を出さず、ヘンリにも応援と助言をしてくれた。
 共に歩み、進み、戦い抜いた朋友たち。明日への希望を語らい合った彼らから未来を奪ったのは、恐らく正規の部隊ではない。
 敵はトリステイン王家の百合の紋章もなければ、己が何処の出自かも名乗ろうとはしない。
 あれは……あの敵は何のかかわりもない分際でこの戦争に介入した。
 我々とは違う。王家などという歴史をただ積み重ねてきただけの愚鈍な政権に抗い、民草を導こうとした我々を名誉も誇りもないままに殺して行くその存在を前に、ヘンリは微塵の恐懼もなく、己が勇気を振り絞って見据えていた。
 逃げるなどという考えは元よりない。もし一度でも背を向けたなら敵はヘンリを追い立て、その背に鉛を浴びせて悠々と艦隊へ向かうだろう。
 それだけはさせない。たとえここで死ぬことになろうと、一矢報いなくてはならない。
 でなくば志半ばにして散って逝った朋友たちの無念を、誰が汲み取ってやれるのだ?
 己が殺した老人の魂は、何の意味があったのだ?
 積み上げた犠牲という咎。理想の完遂を目的に、多くの命を摘み取った。正しい者もいれば歪んだ者もいた。
 恥も外聞もかなぐり捨て、騎士の誉れに泥を塗ることを承知でここまで来た。
 全ては罪なき者の為に。あの日、サウスゴータ領の悪夢から、ヘンリはそれだけを願っていた。
 その為に全てを棄ててきた。あの日の真実……サウスゴータ家の秘密を王家に告げたのが、他ならぬ己の父であると知った時から彼は維新の時を待っていた。
 ヘンリの父は王家に密告する事で罪を免れ、交友を持ったヘンリを救おうとした。
 そう……ヘンリの父が救おうとしたのはヘンリのみ。彼の幼馴染であり許嫁で逢った女性は、数に含まれていなかった。
 幼馴染の家は土地と財の殆どを奪われ、他の貴族の眼を気にしながら苦汁の日々を過ごし続ける事になる。
 故にヘンリは貴族派についた。王党派についた父を殺し、王家を裏切る事でしか、将来を誓い合った幼馴染を救う手立ては無かったから。
 レコン・キスタの理念である優れた貴族による統治という部分に賛同しながらも、聖地の奪回という点に内心苛立ちと不安を募らせながら。
 自分は進まねばならない。この戦場を越え、次も、その次の戦場も越えて進み続けなくてはならない。
 何時の日か聖地に辿り着くその日までに、エルフとの講和の道を見いだす為に。
 出来る筈だ。何故なら彼は知っている。種族や文化の違いなど、心を通わせた前には瑣事に過ぎない。
 歴史や血筋でなく、真に優れた貴族の統治する国家ならば夢物語のような道も何時か開けると。そう願い、戦ってきた。
 あと一歩。おそらくこれ以上の強大な敵は、二度とヘンリの前には現れる事は無いだろう。
 故に勝つ。故に乗り越える。散って逝った朋友に、散らせてきた魂に、救えず零した多くの嘆きに、自らの信念に証を立てろ。
 この道に正義はあると。この道の果てに平和を築くと。朽ちぬ理想の国家の下に、手にかけた命以上の民を導こう。

「無辜の民に光あれ! 共和の旗は道を示そう!」

杖を固く握りしめ、アルビオン万歳! の掛け声と共にヘンリは愛騎であるウィンザーの手綱を繰ると、赤き太陽の紋章の描かれた濃緑の凶鳥を正面から捉える。
 中世騎士の馬上槍試合ジョストよろしく真っ向から向かうヘンリを、生き馬の眼を抜くかの如き精密射撃で零戦は過たず狙い撃つ。
 だが、

「────嘗めるな!!」

 若くもその身は誉れある竜騎士の一員。常軌を逸した手綱裁きと応年来の相棒との阿吽の呼吸によってヘンリは微かに高度を落とし、九七式七・七ミリ機銃の射線を紙一重で避ける。
 そして、彼はそのまま敵へと突貫するかと思いきや、零戦の進行ルートと交差する形ですれ違い、零戦が自らの背を通り抜けたのを確認すると共に制止すると、やはりといった顔で確信する。

〝あれは空中での制止は出来ない。速度と攻撃の威力こそ高いが、決して万能という訳ではない〟

 散って逝った仲間はその事実に気付く間もなく、あるいは気付いても対策の取れないまま無残な末路を遂げた。だが、ヘンリは違う。散って逝った十九騎の朋友は彼に対策を取らせ、いま一矢報いる機会を得た。
 すれ違う直前では狙いが定まらない。敵が己と交差し、己の後ろに回った瞬間、コンマ一秒のタイミングが生死を分かつ。
 九死に一生を得るが如きその賭けにヘンリは見事成功し、回避不能な距離で背を見せた敵に狙いを定める。
 風の呪文は構築済み。大気を震わす不可視の刃は、たとえ硬化をかけた機体と言えども二つに引き裂くだろう。
 ────敵が、そこに居たならば。

「な……」

 莫迦な、と。彼はただ辺りを見回す。敵がこれまでのように縦方向の旋回を行うならば当然気付くし、何より距離と速度を稼がねば成立しない筈。
 だというのに、

 ……敵は何故己の背後に居るのか?

 振り返る暇さえ無い。ヘンリに機体の真下を潜られ、交差を終えたその瞬間、左旋回による捻り込みによって背後を取った零戦は、今まさに死を運ぶ暴威の嵐をヘンリに叩きつけた。
 たった一発。それだけでヘンリの胴は下肢より千切れ、無残に天地を逆転させる。霞む視界。長年連れ添った友の……ウィンザーの断末魔がその耳朶を震わせ、震える手を虚空に伸ばす。
 ……否、伸ばした筈だった。もう手など動かない。懐に収められたロケットが空しく宙を舞い、愛しい姿をヘンリに見せたのは神の慈悲か、それとも悪辣な趣向故か。

「───────」

 呟いた筈の愛しい女性の名は、しかし決して言葉にはならず、震える唇が微かに動いただけだった。
 どうして? どうして世界はこれ程まで理不尽なのか?
 愛を呟き、平和を願い、正義を掲げようとする意志。誰よりも、何よりも世界の不義を正したいと願う祈りさえ、何故摘み取られねばならないのか?

〝い、やだ…………〟

 愛した人と共に居たい。彼女と共に生きていたい。
 戦争だって判っていても、それでも生きていたい。

〝……ミス・サウスゴータ、テファ……ぼくは、君達を〟

 救いたかった、と。その想いを吐露し、涙するより早く、彼の頭部は吹き飛び、四散した。


     ◇


 空間が悲鳴を上げ、衝撃波が大気を引き裂く。
『烈風』と『禍風』の戦いは、既に人としての域を超えていた。
 アルビオンの時とは違う。昔日の子爵はフネ一隻を動かす為の力を己の魔力で賄い、ギーシュ達と戦う以前に王党派のスクウェアメイジ四人とウェールズ皇太子を相手取っていた。
 その消耗。常軌を逸した連戦があったからこそ、自分達は生き延びる事が出来たのだと、ギーシュは今更ながらに納得する。
 速度が違う、威力が違う、技術が違う……ありとあらゆる面において、今のギーシュは子爵の足元にも及ばない。
 現に、今の子爵はギーシュに一瞥さえ寄越さない。その瞳が捉えているのは、狂気と殺意に取り憑かれた死神に他ならないのだから。

「見えるか、ミスタ・グラモン。あの哀れな竜騎士共はただの一度としてあの凶鳥に触れることさえ出来なかった。
 ……ああ、伝わるぞ、奴の殺意が。身も凍るような絶望を与えんとするその意志が。
 ガンダールヴがやってくるぞ!!」

 あれを駆るのが北澤直也だという事は、子爵からは見えてはいない筈。だというのに、子爵は一目見た瞬間からあれは北澤直也だと看破した。
 否。子爵に限らず、この場に居た彼を知る全ての者が、北澤直也だと理解したのだ。
 この局面、この事態にあって戦局を変える者がいるとすれば、彼以外にあり得ないと。その実力と妄執を知るが故に、子爵は偏在に戦いの全てを任せ、悠々と仲間である筈の竜騎士が殺されていくのを見過ごした。
 いま『烈風』が相手取る子爵もその一つ。十騎にもなる竜騎士はその全てが子爵の偏在であり、その全ての戦力がたった一人の騎士を追い詰める為に使われていた。
 そして、本体である子爵には、

「落ちろッ…………!!」

 無数の槍が迫り来る。
 ただの一振りでも掠れば肉を削がれるその猛攻を、しかし子爵は一瞥さえくれることなく軽く片手で杖を振るだけで受け流す。

「……やはり以前の貴様は感情の昂りによって底上げされていただけか。
 尤も、今もそれによってスクウェアには届いているようだが……先日ならばいざ知らず、今のおれには無駄だ。それより、足元が留守になっているぞ?」

 子爵の言葉に視線を微かに下に向けると同時、従属艦の砲がギーシュに迫る。
 だが、ギーシュも又それがどうしたと言わんばかりに錬金した楯で砲弾を防ぐと、鬱陶しげに杖を揮う。
 舞い散る花弁は僅かに三枚。だが、たかが従属艦を相手取るならばこれで充分。
 三枚の花弁は虚空に流れるや否やその一枚一枚が全長三十メートルを超える巨大な石柱と化し、ぴたりと己を攻撃した艦の真上につく。

「ほう……」

 ここから先の展開が判ったのだろう。既に阿鼻叫喚の渦となった戦艦に、ギーシュは一片の迷いもなく石柱を落とす。
 落下による運動エネルギーと加速。そしてトン単位の質量は戦艦を貫き、海ならぬ空の藻屑へと変えた。
 最早アルビオン艦隊は『レキシントン』号を含め、片手の指で足りる程。
『疾風』のギトーも健在であることを考えれば、アルビオン艦隊の敗北は避けられまい。

「たとえ貴様が無敵であっても、帰りの足が無くなれば終わるのではないかね?」

 してやったりといった顔でギーシュは問う。如何に子爵が難敵と言えども、退路を断たれた上で『烈風』や『疾風』を相手取るのは荷が勝ち過ぎる。
 さらに北澤直也もこちらに向かっている事を考えれば、趨勢は時間が経つ程に傾いて行く。
 だというのに、子爵の表情に焦りは無い。むしろ己の窮地を愉しむかのように不敵な笑みを見せるのみだ。

「『疾風』か……確かに奴も腕は立つようだ。どれ、遊んでみるか」

 言うや否や、『烈風』と対峙させていた偏在の半数を戦闘から離脱させ、その矛先を変える。
 狙いは問うまでもない。五騎の偏在は本体と同じ凶笑を顔に浮かべながら、新たな獲物へと迫って行った。否、行こうとしたというのが正しいだろう。
 子爵の偏在がギトーの視界に入った時、彼は熟練の猟師の手際で従属艦を落とすのを止め、一目散に子爵へと向かってきた。
 赦さぬと、貴様だけは赦さぬと、その双眸に憎悪の念を湛えながら。


     ◇


「全滅……、だと? 僅か五分の戦闘で全滅だと?」

『レキシントン』号の後甲板にて、トリステイン侵攻軍総司令官サー・ジョンストンは遠見の魔法を用いて事の顛末を見据えていた。
 既に『疾風』によって艦隊はほぼ壊滅。上空では子爵が『烈風』を食い止めているものの、状況はお世辞にも芳しいとは言えぬだろう。加えて、

「報告します! トリスタニアの方角よりグリフォン隊が向かっている模様!
 おそらくはトリステイン軍の増援と思われます!」
「烏合の衆など、どうでも良い! それよりあの悪魔を落とせ! 今直ぐ落とすんだ!!」

 内心の苛立ちも隠す事無く、怒りとも狼狽ともとれぬ表情で口角泡を飛ばしながら伝令に掴みかかるジョンストンを、ボーウッドは片手で制す。

「兵の前でそのように取り乱しては、士気にかかわりますぞ。司令長官殿」
「何を申す! 貴様が敵戦力を見誤ったがために、貴重な竜騎士隊の全滅を招いたのだろう!! 最早一刻の猶予もならん! 従属艦をあの濃緑の悪魔にぶつけろ!!
 どうせこのまま死を待つのであれば駒も本望であろうよ!!」

 数十余りの水兵からなる従属艦を、ただの一騎の為の捨て石にすると言い放つジョンストンに、ボーウッドのみならず水兵も硬直する。
 確かに艦隊はほぼ壊滅。トリステイン王軍も再度集結するとなれば敗戦は避けられぬだろう。だが、だからと言ってその命令は容認できるものではない。
 帆船の速度は竜騎士のそれと比べても明らかに劣る。あの濃緑の悪魔を相手に自爆覚悟の特攻など成功する筈もない。
 何より、味方を捨て石にしたと判ればそれこそ士気は格段に下がる。一矢報いるどころか、抵抗の活力さえ奪われるだろう。
 ボーウッドは静かに杖を引き抜くと、艦長室に閉じ籠もろうとしたジョンストンに狙いを定めた。瞬間、彼の頭は撃ち抜かれ、血の飛沫と共に甲板に転がる。

「流れ弾、ですな……」

 誰も異を唱えようとはしない。それどころか、周囲の水兵たちも口々にボーウッドを擁護する発言をし出す。

「名誉の戦死ですな」

 水兵の一人が零す言葉に、ボーウッドは見事な戦死だと上官殺しをしたことなど忘れたように振舞う。
 無能な指揮官などに用は無い。必要なのは冷静に事態を見据え、行動できる存在だ。

「竜騎士隊が全滅したとて、本艦『レキシントン』号は未だ無傷。そして、ワルド子爵もまた『烈風』を相手取りながらも健在だ。
 一騎で二十騎を討ち果たした英雄は、しかし、たかが英雄だ。所詮は『個人』に過ぎない。いかほどのカを持っていようと、個人には、変えられる流れと、変えられぬ流れがある。『烈風』とて今は子爵一人に足止めを受けているのが何よりの証明だ」

 そして、我々こそが後者なのだと高らかに言い放つ。

「左砲戦開始。以後は別命あるまで射撃を続けよ。上方、下方、右砲戦準備。弾種散弾」


      ◇


 全ての竜騎士を愛騎もろとも挽肉に変え、次なる獲物に視線を向けた零戦を、子爵は遥か高空にて睥睨する
 少年には、先程まで戦っていた屍の事など頭には無いのか。
 長距離砲の流れ弾よって被害を受けた村と、森林より上がる黒煙にはおそらく気付いているだろう。身を焦がす様な殺意を肌で感じつつも、それが今の自分に向けられていない事に微かに子爵はため息を零す。

 ……あるいはこの時、少年がある事実に気付いていれば、運命は変わっていたのかも知れない。

 だが、怒りに狂った零戦はただひたすらに加速する。
 全てを喰らい、全てを呑み込まんとする狂気 さついを振り撒きながら『レキシントン』号へと迫って行く。
 同時、『レキシントン』号より飛来する散弾。本来は竜騎士の撃墜を前提としたものであるが、猪武者の如く直進する零戦には格好の的である。
 こればかりは避けられぬ。文字通りの鉄屑となる末路を、『レキシントン』号からの砲撃を見た者は、誰もが予想するだろう。

 ────ただ、当人と子爵を除いて。

 殺戮の鏃が機体を引き裂くその刹那、まるで虚像がすりぬけたかのように背後に流れて消えて行った。
 当然ながら、零戦は確かな存在としてそこにある。無数の鏃が機体を引き裂かなかったのはその実、零戦が己の手足を動かすが如き精密さを以て回避運動を取り、その全てを躱していったというだけに過ぎない。
 本来であれば縦横無尽の空中機動と水平旋転バレルロールによってブラックアウトどころか内臓破裂を起こして死亡してもおかしくなく、むしろそれこそが当然であるにも拘らず、少年が回避し続けられるのは左手を持っているからだ。
 ガンダールヴのルーンによって強化された肉体は急激なGなどものともしない。

 ────かつて髑髏の帝国と並び、世界へと挑戦した太陽の帝国の遺産。

 今や魔と科学の混血児ハイブリットという超上の域へと踏み込んだ機体を駆るのは、同じく魔に犯され、魔を御す人外羅刹の存在に他ならない。
 子爵が視線を移した『レキシントン』号では、事態に追いついていけないのか、動揺と共に一心不乱に砲弾を詰める水兵たち。
 子爵は彼らに今から踏み潰される蟻を眺める様な眼を向けると、微かに口角を釣り上げる。

〝ここで見殺しにしても構わんが……奴が望んだ獲物を喰らえずには歯軋りするのを見るのも一興か〟

 おそらくその怒りは計りしれぬだろう。ましてやそれを行うのが子爵であれば、少年は如何なる道理を先送りにしてでも子爵を討つのに全てを注ぐに違いない。
 故に、子爵は風竜の手綱を繰る。風竜はブレスの火力こそ火竜に劣るものの、速度においては他の追随を許さない。難敵を相手取る為に敢えて選んだ風竜であったが、あの濃緑の凶鳥へ相対するには絶好の騎獣である。
 そして、意気揚々と現れた子爵を前に、凶鳥は怒りに猛り狂う様に機銃を乱射する。
 名乗り上げも一切無用。両者は目を合わせたその時より、殺し合いが始まる事を理解していたが故に。

「貴様が来る事は判っていたが、その凶鳥は何処で拾った? ハルケギニアの論理で作られたのではあるまい! 貴様は『聖地』にでも踏み入れたか!?」

 不快な問いに怨念に満ちた七・七ミリ機銃の放火で返答するも、子爵はそれを風の障壁で防ぎ切る。
 機銃を防いだ際の衝撃が恐怖となって脳に電流を流し、背筋に氷が突き入れられる。実力など関係ない。これが、これこそがギーシュ・ド・グラモンにも『烈風』カリンにもない狂気。
 憎しみでしか語り合えぬ事を是とするその意志こそ己が殺され、殺すに足る存在なのだと子爵は肌で実感した。
 よもや機銃掃射に耐え切るとは想像していなかったのだろう。返す刀で放たれた魔法を急上昇によって回避すると、宙返りウィングオーバーを用いて背後を取り、少年はその背にさらに機銃を叩き込む。
 多少の動揺はあったであろうし、動きを止めざるを得なかった所を見るに七・七ミリ機銃以上の火力を用いれば打倒する事も可能だろう。
 だが、子爵もまた返礼とばかりに無数の風の刃を放つ。その流れ弾によって子爵自身の偏在も一騎落とされたが、そこに何の頓着もない。
 凶鳥は遥か高みへ。先の竜騎士との戦闘を見ていた子爵には、次の行動が容易に読み取れた。
 敵を引きつけての攻撃か、それとも高度と速度差による攻撃か。
 いずれにせよ現段階の火力では足りぬし、少年は決定的な過ちを犯した。それは風竜の加速度と、子爵自身の技量。
 風魔法を用いる事によって生まれた推進力は風竜の速度をさらに向上させ、零戦に肉薄する程に追い縋る。

 ────双月の空。高みを望んだ濃緑の凶鳥は、ここに己の限界を悟る。

 限界高度を迎えた零戦が、ぐらりとその身を傾がせた。小鳥を邪竜が飲み込む様に。子爵が頭上に掲げた杖は、今まさに必殺の顎となって、末期の鳥を呑み込みにかかる。
 ここに勝敗は決定した。末期の鳥の囀りは、邪竜の牙によって断末魔を響かせるだろう。

 ────そう。相手がただの小鳥であったなら。

 傾ぐ機体はその向きを変える。天を目指した凶鳥は、その視線を奈落へ向けた。
 鮮やかな反転によって天地逆転した零戦は、今まさに重力という最高の推進力を得ると共に、逃れられぬ距離まで迫った愚かな敵を見据えている。

 ────失速反転ストール・ターン

 実戦において使用される空中機動とは違う曲技飛行に分類される、いわば大道芸同然の技を本物の戦場で披露するというというその破天荒ぶりは、しかし面白半分で行った物ではない。
 零戦の持つもう一つの武装、九九式二号二十ミリ機銃はその威力こそ信頼のおける物ではあるが、初速の遅さから実戦性を疑問視されていた武装である。
 中れば良し、だが子爵を相手に一度外せば次は無いのも弁えていた。二度同じ手が通用する相手とは微塵も思ってはいない。
 故にこの失速反転ストール・ターンだ。両者共に必殺の間合いに入り、敵の攻撃という最大の硬直を狙った上で高度による優位を捥ぎ取る。
 この距離では間違っても外す事は無いだろうが、今の少年は狩人としての分を弁えている。完全にして確実に殺したくば、運以外の要素をすべて排除する事。
 この距離にあって照準をぴたりと胴の中心に合わせ、トリガーを引き絞ると同時、ありったけの弾丸が、ただ一人の人間を屠る為だけに放たれた。

 ────殺戮の豪雨が子爵の総身に叩きこまる。

 断末魔さえ上げる間もなく、子爵は風竜と共に墜ちて行った。


     ◇


「……抜け駆けとは感心しませんね」

 子爵と少年の死闘。それを遥か遠方より見据えていた『烈風』カリンが声を漏らす。
 無数の銃弾を叩き込み、子爵を屠った筈の少年は、己が行為に何の感慨も抱けなかった事だろう。

 ……何故なら彼の弾は中っていない。

 機銃が命中する紙一重の差で放たれた『烈風』の不可視の槍は過たず子爵の身体を貫き、虚空へと身を躍らせる。後に命中した弾など死体に鞭打っただけに過ぎず、それを中ったというのは明らかに間違いである。
 決して譲りはしない。子爵を討つのは肉親である己の役目だと、頑として認めぬカリンにとって、いかに遺恨があろうと少年に決着をつけさせる訳にはいかなかった。
 呪詛の叫び位はあるだろうと、カリンの眺めていた機体が斜めに傾ぐ。
 子爵の放った魔法は確かに零戦へと命中していたのだ。吹き飛ばされた尾翼は少年の手から操作を完全に奪い、独楽のように旋回しながら地上へと落ちて行く。

「ナオヤ……!!」

 カリンの近くに居たギーシュが叫ぶ。錐揉み状に回転しながら落ちていく機体は墜落という絶望を予見させるほかは無く、ギーシュの顔面は蒼白となっていた。
 だが、その状況下にあってなお少年は冷静さを失っていなかった。強引に風防キャノピーをこじ開けると、身も凍るような外気に触れるのも構わずに立ち上がる。
 有り得ない。本来ならその身を虚空に流されていく筈であるにも拘らず、少年は涼しげな表情のまま今の位置と機体の落下位置を確認していた。
 機体が落ちる先は従属艦の一隻。六十キロ爆弾を内蔵されている零戦を突っ込ませれば相応の被害をもたらす。
 だが、少年の視線はそこに無い。彼の視線の先にあるのは、敵の旗艦『レキシントン』号に他ならない。
 すらりと鞘より佩剣を抜き、左手に提げると共に、少年は両足へと力を込める。

「まさか……飛ぶ気か?」

 少年と旗艦の彼我の距離は三百メートル。未だ錐揉み回転し続ける機体は少年の景色を目まぐるしく変え続けている筈である。
 無謀であり、不可能な行為。微かにでも理性があれば歯止めのかけられる行いを、しかし少年は実行しようとする。
 そこに一片の迷いもなく、そこにただ一つの恐懼も有りはしなかった。

 ────そして、少年は跳ぶ。

 その跳躍はさながら飛翔。常軌を逸した跳躍力によって零戦のコクピットは無残な形へと変形し、対して少年は流星の如く突き進む。
 それは物理法則の上では不可能な動作。本来であればあり得ぬ行為。
 慣性の法則に従い、虚空に堕ちる筈であった人影は、音さえないままに『レキシントン』号の甲板へと降り立つのだった。


     ◇


「怪物が……」

 言葉を漏らしたのは『疾風』だ。メイジでも無く、己の跳躍力のみでこの距離を跳ぶなど、悪い夢としか思えない。

「ガンダールヴ……子爵がそう漏らしていましたが、成程、私の娘の使い魔にはそういう秘密がありましたか」
「カリン殿……その件は後ほどにしましょう。今は、」

 これらを何とかすべきでは? と、ギーシュは固い声音で訊ねる。
 彼らを取り囲む十騎の竜騎士。そのどれもが偏在で創られた物であり、その存在が意味する所は一つ。

「子爵は……まだ生きているのですか?」
「手応えはありましたし、娘の使い魔の攻撃も命中はしていた筈です。おそらく、魔力の残滓でしょう。既に術が綻びかけています。五分もすれば自然に消滅するでしょう」

 カリンの発言は、逆を言えば五分間は偏在と戦わねばならないという事を意味する。
 それまでの間、『レキシントン』号に降り立った少年を止める手立てはなく、流血という地獄を作るには、あまりにも長すぎる時間だった。


     ◇


 濃緑の悪魔から『レキシントン』号へと駆ける黒の流星。それを落とすべく甲板上の水兵が用いたのは砲弾で無く、己の魔法。
 既に散弾でさえ落とせなかった経験から、そちらの方が効果的と判断したのだろう。
 だがそれこそが真実誤り。もしここで散弾を用いていたならば、或いは撃ち落とせていたものを。
 飛来する極大の火球。触れるどころか近づいただけで焼け死ぬ熱量を誇るそれを、少年は一太刀の下に斬って捨てると、続いて迫る悉くを剣戟の結界で防御する。
 魔を祓い、魔を断つという破魔刀の特性は対メイジにおける絶好の楯となり、その仕手を敵対する者の牙城へと送り届ける桟橋となる。

 ……そして、死神はここに辿り着く。

「殺せぇ……………………………………………………………!!!!」

 甲板上に響き渡る怒号。己の得物を向ける水兵たちに対し、少年は眉一つ上げることなく右腕を上げる。同時、

「ギャアァァアァァアァアアアアアアアアァアァァアァァアァァアァ!!!!!?」

 夥しい絶叫が甲板を呑み込む。銃を構えていた者の腕が肩口より落とされ、杖を構えていた者はその胴を下肢と切り離された。
 不可視の糸が触れた水兵はその身をサイコロか何かのように寸断され、磨き上げられた甲板を己の血肉で塗り潰す。
 ここは既に死神の領域。死地に望む事への恐懼も戦いへの昂揚もなく、死神はただ怜悧にして冷酷な鎌を振るい、生に縋る者の魂を刈り取るのみだ。

「貴様ァ……!!」

 恐怖より早く怒りが彼らに伝播した。死せず生きようとするには恐怖に陥るより早く狂気に身を任せるしか術は無い。
 貴様さえ、貴様さえいなければ我々の勝利も夢では無かった。貴様さえいれば、我々にも道があったのにと。
 憤怒と共にサーベルを振り上げる水兵の眼に、少年は指を突き入れる。

「ひぎッ!?」

 苦悶の声など耳に届かない。突き入れた指はそのままに、眼窩に指を引っ掛ける形で強引に相手の身体を引きこむと、他の水兵の放ったマスケット銃の楯に用いる。
 分厚い筋肉と胸甲に護られた男の身体は楯として実に有効だった。激痛に仰け反る男をさらに動かし、背後から剣で背を貫こうとした敵に串刺しにさせ、そこでようやく指を引き抜いた。
 既に男は絶命し、仲間に止めの一撃を刺した事で放心した水兵の頸動脈を刀で引き裂く。
 態々骨を断ったり鍔元まで刀を突き入れる必要性は何処にもない。鋭利な切先を以て引っ掻く様に首筋を裂いてやれば、人を殺すには事足りるのだ。
 だが、それでは足りぬ。それではまだ甘い。その程度の傷で息絶えるなど、死体としては上等過ぎる。
 崩れ落ちた水兵の頸椎を踏みつける。放っておけばそれだけで息絶えた筈の存在にこの仕打ち。
 鈍い音を立てて歪な形で床に転がった死体に一瞥もくれず、次なる獲物に視線を向ける。
 まだ十代であろう若々しい顔立ちの青年。怯えとも困惑ともとれる表情で杖を向けたその相手の鼻を削ぎ、口を裂いて眼を真一文字に切りつけると、止めとばかりに腹を裂いた。
 息の根を完璧には止められず、顔を両手で押さえながら五臓六腑を腹から零してのたうちまわる青年を置き去りに、一人、また一人と血祭りに上げて行く。
 恐怖のあまりに失禁し、杖を手に甲板から身を乗り出そうとする兵を鋼糸で拘束する。

「いやだ……死にたくない、死にたくないィ……ッ」
「駄目だ。死ね」

 鋼糸によって両足を落とされた逃亡兵を、そのまま血溜となった床に引き摺りながら手繰り寄せる。逃亡兵は自由な状態の両手で床に爪を突き立てたが、所詮は徒労。
 まるで釣りでもするかのように、逃亡兵の悲鳴を愉しむ様にずるずると引き、床に突き立てた両手の爪がベリベリと剥がれる。

「赦して……頼む、赦してくれ!!」

 許しを乞う声に耳さえ貸さず、むしろその声が鬱陶しいと言わんばかりに人中を蹴り上げた。

「助げ……ッ!?」

 上顎骨と前歯の砕ける音が響く。
 貴様らを緑の大地に立たせはしない。この穢れた血肉を運ぶフネこそ、貴様らの死に場所に相応しいと、少年は既に抵抗すらままならない逃亡兵の五体を切り刻んだ。

 ────ここは死神の屠殺場。

 感情も感傷も感想もなく、ただ苦痛と恐怖が支配する。
 狂騒に満ちた空間は、徐々にその声を小さくし、足場は屍山血河に満ちて行く。
 そうして残った二人の内、一人の兵に上段廻し蹴りを叩き込み、その頸椎を砕いた上で背骨に鉄槌の如く踵を落とす。
 そして。最後の一人に目をやってから、少年は手にした刀を血振りする。
 刀身に返り血は殆どない。鮮やかなまでの切断は出血の時間さえ遅らせ、斬られた本人ですら数瞬の間、己がどうなったのかさえ認識できなかった程なのだから。
 刃筋から数滴零れ落ちた僅かな血も、その一振りで完全に取れる。

 ────その血は吸うに値せずと、侮蔑を込めるかのように。


     ◇


「久しぶりじゃねえか……どうしておれを残した?」

 最後の一人、膝を震わせながらもしっかりと少年を見据える男は、慎重に言葉を選びながら問う。
 男には……片耳が無かった。それはかつて少年が奪った物であり、ラ・ロシェールへの道中に少年が見逃した傭兵こそが彼だった。

「……生き残りは何処だ?」

 喉を鳴らす野狼のような声音。喰い殺し尽くすという事を前提としたその声は、しかし一切の抑揚もない。

「そういう事なら話は早え。来な、案内してやる」

 先程まで敵としての立場を保っていながら、こうも早く鞍替えする傭兵に何の感慨も抱く事無く少年は男の背について行き、瞬間、後ろ腰から抜き払った先込め拳銃パーカッションピストルの銃声が響きわたる。
 ぐらりと身体が傾ぎ、血の海に沈んだのは少年に一矢報いんと起き上がったアルビオン兵に他ならない。

「これで信用になるかい?」

 もくもくと硝煙の上がる先込め拳銃パーカッションピストルを腰に差し直し、傭兵は片手に提げたサーベルで道を示す。

「後はあそこから中に入るだけだが、死角から不意を突く奴も多い。アンタは脇が甘そうだからな、俺が先導してやるよ」

 少年から警戒が消えた為か、寡黙なまま背後に付く少年に傭兵は饒舌に語りながら先導する。
『レキシントン』号艦長であるサー・ボーウッドを安全圏に退避させ、艦内に押し入る刺客を打って出ようとした水兵たちは、しかし艦内の全てを把握する傭兵の裏切りに為す術無く床へと転がって行く。

「……仲間は感謝してたぜ。アンタみたいな良い奴は居ないって、気持ちの良い男だったって」

 そうして。目的地まであと少しという所になって、傭兵は己の内心を口にする。

「フーケの姐さんが話してたよ。アンタは不義を赦さない奴だったって。平民を罵倒してた貴族に喧嘩売ったり、護りたい人間のいる奴には悪党だって見逃すって……。
 ……おれや、おれの仲間も二度も見逃して貰ったしな」

 脚は決して止まらず、傭兵の言葉も止まらない。少年は背を見せながら進む傭兵に一言も発しはしなかった。

「アンタがここで人殺しなんかしてんのは金じゃねえんだろ? 国軍に喧嘩売るなんざリスクがでかすぎるし、アンタみたいな奴が何の理由もなくあんな惨い殺しをやる筈がねえ。アンタは理由が有ってやってんだろ?」

 その沈黙を、他者はどう受け取るか。少なくとも傭兵は沈黙を肯定の証として受け取ったらしい。

「おれは……本当はアンタみたいになりたかった。
 アンタみたいに他人の為に動ける奴になろうとして……けど、上手く行かなくなっちまった。現実見過ぎて、偉い奴には頭下げて人を殺して奪って、そんな事ばっかだ。
 けどよ……もし手遅れじゃねえなら────」

 ────おれは、アンタのようになりたいと。

 現実に生きた傭兵は、少年にかつての理想を重ね合わせる。
 それは遠い過去。強者が弱者を虐げる事を良しとせず、この理不尽な世を正したいと願った子供の願い。
 その理想を願って、いつか世の中を変えられると信じて。
 そして……現実に膝をついた在りし日の子供は、ここにもう一度道を見いだす。

 この少年の隣で道を見つけること。それこそが正しい道なのだと。

「さあ、着いたぜ。『レキシントン』号艦長、サー・ボーウッドはここに居る筈だ」

 言って、傭兵は艦長室の扉に手をかける。瞬間、

「がァ……ッ!?」

 鮮血の花が咲く。無数の風の刃と銃弾を浴びて、傭兵は力なく両手を下げる。
 ……既に扉など存在せず、この結末は判っていたとばかりにボーウッドは眉一つ動かさず相手を捉えた。
 そう。敵は未だ死せず。共に歩みたいと願った傭兵を楯に、少年はそこに立っていた。
 この結末は判っていたと、そう瞳だけで底の浅い策を嗤いながら。
 既に用を成さない邪魔なだけの傭兵を片手で放り投げ、右手の鋼糸で水兵を八つ裂く。肉片が飛び散り、豪奢な艦長室は瞬く間に赤く染め抜かれた。
 そして、ボーウッドが手にした杖を少年に向けるより早く、懐に飛び込んだ少年が万力めいた握力で首を締めあげ、そのまま壁に叩きつける。

 どうして、と? アンタは違うだろうと。傭兵は自らが楯にされた事より、理想として見出した筈の少年がそんな顔をした事にこそ悲壮な情念を抱く。

 己を楯にし、兵を八つ裂き、今艦長に引導を渡さんとする少年の口元は、三日月のように歪んでいた。
 これは違う。こんなのは悪夢だ。あの少年は弱者の為に戦い、世の不義を赦さない筈の人間だ。
 だからこそ横柄な貴族からメイドを助けたのだろう? だからこそ護りたい者の為に盗賊に身を窶したフーケを見逃したのだろう?
 だからこそこの戦場に足を踏み入れたのだろう?
 全ては涙を流す者の為に、その為に強者の血を流したのではないのかと?
 その疑問を口に出せず、ただ眼だけで問い続けたまま、傭兵は息を引き取った。その瞳は涙に濡れたまま。どうか違って欲しいと願いながら。


     ◇


「……貴様、は、何者だ? トリステイン軍の者ではある、まい」

 喘ぐようにとぎれとぎれに言葉を発しながら、ボーウッドは尋ねる。

「まあいい……所詮私は、誇りなき簒奪者に尻尾を振ったのだ。犬畜生に殺されるのが似合いだろうよ」

 返答が無い事に辟易したのだろう。投げやりになったボーウッドに対し、喜悦に歪んだ口元だけを覗かせて、少年は刀を喉元に突き立てる。

「だが、覚えておけ……貴様も下種な共和国連中もヴァルハラへは行けぬ。大義ではなく利権のみを追従し、誇りと伝統に泥を塗った者共ではな!
 貴様ら犬畜生に、ヴァルハラへの道は開かれん! 地獄で己が罪業を悔やめ、狂犬!!」

「……成程。それが、貴様の答えか」

 ゆらりと、艦長室の入口から水兵が現れる。少年が手ずから止めを刺したのではなく、待ち伏せに気付いていた傭兵が斬ったがために仕損じたのだろう。
 肩口より袈裟に斬られた男は、緩慢な動作でマスケット銃を突き付ける。

「……大義が無いだと? 黴臭い歴史や血筋などでしか物事を判断できぬ貴様らが……生きようと励む小さなものから希望を拭うのであろうがよ!!
 己たちこそが選ばれた者だと……ヴァルハラへ赴く資格を持つ者だと思いあがる。
 貴様らこそが犬畜生だ! 歴史でしか物事を計れぬ愚者が、我らの道を穢すのだ!!」

 震える手で、嚇怒に滲んだ瞳で銃把を握り、殺意を込める。いま末期の叫びと共に引かれようとして銃爪は、しかし、

「あ……」
「……俺の獲物だ」

 先程までボーウッドの首を締めあげていた少年によって、喉を斬り裂かれた。
 そして、過呼吸を起こしながらも取り落とした杖を拾うべく伸ばしたボーウッドの手に踵を落とす。
 細かな骨が粉々に砕かれ、砂利の詰まった砂袋のようになった手を、さらにぐりぐりと床に押し付ける。

「誰にも渡さん……名誉や大儀など知った事か」

 この時初めて、少年は己の内をぶちまけた。

「貴様らが憎い……どれ程泣き叫ぼうと、どれ程希おうと赦さない。
 さっきまでの威勢はどうした? 末期の言葉ぐらい飾ってくれよ? ヴァルハラに行くんだろう!? 誇りある貴族様!!
 苦しめ……神にでも悪魔にでも祈って赦しを乞え! 肺が潰れるまで叫び続けろ!!」

 鬼火のような憎炎に燃える瞳を向けながら、犬歯を剥き出しにしながら唾を吐き捨てた。

「ぎぃ………………」
「あは、あはははははっはははっはっははァ……………………!!」

 その哄笑は高らかに。ボーウッドが苦痛に声を出すごとに、狂気に比例するように大きくなっていく。
 殺せば殺す程。嘆きと恐怖が膨れ上がれば上がる程、それを喰らい肥え太るかのように少年は狂気に染まって行く。
 やがて苦痛に喘ぐ声にも飽きたのか。ぐちゃぐちゃに潰れた手から足を離し、背骨が砕ける程、背中を踏みつけて固定する。

「────地獄ヴァルハラに落ちろ。サー・ボーウッド」


     ◇


 白刃が舞う。床ごと相手の首を断つ程度、少年には造作もなく、名誉と歴史に取り憑かれた艦長の首は、

「ぐ、がは……!?」

 繋がったままだった。

 強襲は少年にとって予想出来る物ではなく、たとえ予想しようとも既に首を断つまでに刹那の時間を要しない所まで来ていた少年に、回避する事は不可能だっただろう。
 この艦長室へと一直線に。途中の通路ごと吹き飛ばして少年を叩き伏せるなど、冗談にしても笑えず、その冗談を可能とする者は泰然と艦長室へと歩を進める。

「露払いは御苦労でした。ですが、敵の大将を仕留める許可を出した覚えはありませんよ?」

 マンティコア隊のマントをたなびかせ、威風堂々を現れるのは『烈風』カリンのみ。
 ギーシュ・ド・グラモンや『疾風』の姿はそこにない。
 この艦の甲板に広がる惨状を遠目から目に取ったカリンが、二人に従属艦の相手を任せた為だ。

「知った、事か……」

 未だ『烈風』には目もくれず、少年の血走った瞳が捉え続けるのは、殺し損ねたボーウッドだけだ。

「殺してやる……殺してやる殺してやる殺してやる………………!!!」

 怨嗟と狂気に染まった声。純然たる殺意の叫びと共にバネ仕掛けのように少年は跳ね起きると、今度こそ止めを刺そうと刀を振り上げた。
 だが、そうはさせまいと既に斬られる寸前に気絶したボーウッドに一瞥さえ寄越さず、カリンは少年の水月に蹴りを叩きこみ、壁際まで吹き飛ばされた少年の喉元に杖をめり込ませる。

「……ぐげッ」
「昇った血を下ろして良く聞きなさい。確かに初めは露払いを行わせる取り決めでしたし、貴方の働きは見事でした。
 ですが……子爵のみならず二度までも私情に駆られた貴方には、今回の働きだけでは罪を帳消しにはできません」
「……殺すなら殺せばいい」

 生きる意志など何処にもないのだろう。復讐も果たせず、ただ有象無象を嬲り殺した殺戮者。けっして復讐を果たす事の出来なかった少年に、カリンは静かに罰を下す。

「────罰として、貴方には自害をする事も、自ら望んで殺される事も禁じます。生きながらに、罪という業火に炙られなさい」

「ふざけるな…………………!」

 先程までの死人のような姿は無い。喉が裂ける程に吼え立てながら己の死を望む少年は、矢継ぎ早にがなりたてる。

「俺を殺せ! でなくばその男を殺させろ!!」

 だが『烈風』はそんなには頓着しないし、罰を帳消しにするような真似もしない。

「黙りなさい」

 再び杖が喉仏にめり込む。このまま窒息させる事も出来たが、早々にそれを取り止めた。
 これ以上強くすれば自分から杖に貫かれようとする。自害という形でなく、あくまでも罰として殺されたという事になってしまう。
 伝える事は伝えたとばかりに、喉元に突き付けた杖を収める。

「去ね」

 短く、しかし有無を言わせぬその声に、操られたかのように少年は立ち上がると、ふと足元に転がる豪奢な杖を見やる。
 艦長に与えられる指揮杖……ボーウッドの得物であった。それを、一太刀の下に斬って捨てると、幽鬼の様な足取りで甲板へと向かおうとし、

「持っていけ」

 背後から、先程斬った指揮杖が投げて寄越された。
 最早逆らう気力など持ち合わせていないのだろう。言われるがままに杖を受け取り、静かに甲板へと踵を返す。

 復讐も果たせず、何も成せぬまま自ら作った地獄へ戻って行く。
 視線を彷徨わせながら出口へと向かうその姿は、幽鬼を思わせるものだった。




     ×××



あとがき

 お久しぶりです。遅くなってしまいましたが、今回はいつもより多めです。多分過去最長で、もしかしたら短い話二本分はあるのではないかと思います。

 さて、今回の話は主人公がとことん殺します。……主に善人な方々を。

 ただでさえ底辺の主人公株を、ここに来て落ちようのない位落とす大虐殺。
 腐れ外道ここに極まる。暴れ方からして死神というより狂戦士ベルセルクに近いです。

 あまりに胸糞悪くなったので『烈風』殿には全力で蹴ったり突いたりして貰いました。

 もっとも、元より作者は主人公に関してはマキシム善人やモテ男を書きたかった訳ではなく、むしろ『とことん他者を苦しませて自分も苦しむ』ことが前提だったので、今回のは予定通りと言えばそれまでです。
 ……そもそも、こいつが本当に善人ならVOL2で王党派を手にかけたりする筈がありませんし。

 まあ、主人公に関しては置いておいて、今回はレコン・キスタの面々に視点を置いて書いてみました。
 というのも、基本彼らは原作のみならず多くの二次創作において、『村を荒らした悪党として殺される』のが大半なのですが、彼らにも彼らなりの誇りとかがあって戦場に赴いた筈ですし、フーケみたいなのがアルビオンに居ないとは思えなかったので、作者なりに掘り下げてみました。

 ヘンリの死に関しては、作者的にも殺すかどうか悩んではいたのですが、彼やレコンキスタの面々の死は、この作品を書く上での根幹たるテーマの部分をストレートに表していたので、殺す事に致しました。
(テーマに関しては、区切りの良い所や今後の作中で語って行こうと思います)

 ただ、惜しむらくはレコン・キスタ側に感情移入するあまりボーウッドの株を落とすような描写になってしまった事が悔まれます。
 彼にも彼なりの誇りがあって、レコン・キスタ側とはまた違った信念を貫くキャラにしたかったのですが、どうもうまくいかなかったのが残念でなりません。
 アンチは好きではないだけに……。


 次回を以て、VOL3は終了。おそらく近いうちに投稿できそうです。
 それではまた次回、お会いしましょう。失礼致します。


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