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[27203] パチリアさん、暗躍する(IS、オリ主)
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/20 23:14
・このSSはにじファン様にも投稿させて頂いています。

















少女にとって、他人とは恐怖そのものだった。
必死に、自分なりに努力をしても適応出来ない自分を疎ましく思い、他人に受け入れてもらおうとする努力は無為に終わり、ついには他人全てに恐怖した。
少女の何が悪かったという訳ではない。ただ、ほんの少しだけ他人とは違うだけだったのだ。
だが、その僅かな躓きがみるみるうちに壁となって行った。
少女を囲む壁は高く、厚く。少女から足掻く気力を削り取って行く。

だが。

少女を受け入れないのが他人であるのなら、部屋で独りきりで泣く少女を受け入れるのも、また他人。
少女の壁を颯爽とぶち抜くのは、これまた少女。
彼女の名は、

「わたくしの名前はセシリア・オルコットですわ。貴方のお名前は何とおっしゃるの?」

まだ齢十にも満たない少女ではあるが、その魂はすでに高貴。
涙に沈む少女へと微笑みかけるセシリアの姿に人は慈愛を見るだろう。
人を信じられなくなっていた少女はセシリア・オルコットに希望を見た。
いや、希望という言葉ですら足りない。

「あ、あたくしは……」

これは、ある少女の愛の物語である。













それから数年後。

「あたくしキシリア・スチュアートの剣にかかって、死ぬがいいですわ! 織斑一夏ァァァァァァァァァっ!!」

「ちょっと待て!? 白目剥きながら、斬りかかってくんな! マジで怖い!」

IS学園クラス代表決定戦。
キシリア・スチュアートが駆る量産型IS『打金』は織斑一夏のワンオフ専用機『白式』を追い詰めていた。
機動性に劣る打金での巧妙なステップワークで白式を逃さない。
打金の標準装備である身の丈ほどある刀ではなく、更に巨大なツヴァイハンダー(両手持ちの西洋剣)を右手に一本。左手に一本。
セシリアより、僅かに短い金髪の縦ロールを振り乱しながら、荒ぶる竜巻の如き熾烈な猛攻。
血走った白目を剥き、狂乱の舞を踊り続けている。
だが、怒りと憎しみと嫉妬に狂いながらも白式を逃がさぬ間合いの潰し方は、IS搭乗時間が一時間にも満たない織斑一夏を苦しめる。
対する一夏と言えば、完全に気合い負け。ブレード一本しか無い近接戦闘特化型だと言うのに、キシリアに踏み込む素振りすら無く、必死の形相で防ぎ続ける。
だからと言って、一夏が特別に臆病だとは観客全員は思わなかった。

「死んで、畑の土におなりなさい!」

文章に起こせば、こうなるだろうが実際、キシリアは叫び過ぎて、

「じんでばだげのずじにおな゛りなざぁぁぁぁぁぁい゛!」

と、老婆が癇癪を起こして叫んでいるような嗄れた声。
うら若き少女が涎が飛び散らせながら暴れまわる姿は怒る闘牛の方がまだ可愛げがある。
関わりたくないタイプの人であった。
どうして、こんな状況となったのか。それは少し時間を遡らねばならないだろう。



キシリア・スチュアートとセシリア・オルコットはかなり似ている。
キシリアの方が僅かに髪が短い程度で顔ではなかなか見分けがつきにくい。
楚々とした所作は二人とも貴族の出らしい礼にかなったものである。
セシリアに憧れるキシリアは必死の思いでちょっとした仕草、表情、ファッションの全てを真似たからだ。

だが、セシリアとキシリアを間違える者はなかなかいない。
何故ならキシリアは大草原。セシリアはなかなかの二つの山を持っている。
つまり、キシリアの胸はぺたんというより、すとん。
欧州では巨大さよりも総合的なシルエットを大事にする以上、どちらが上とは言えないだろうが。
しかし、キシリアはセシリアと自分と比べれば確実にセシリアが上だと固く信じている。
と、いうよりもそんな愚論は語るまでもないと思っている。
それでも身に付ける物は常にセシリアよりワンランク下を維持。
セシリアに何かを言われたからではなく、キシリアにとって、それは至極当然の事なのだ。



―――天上におわす御方よりも神々しく、羽ばたく蝶より華麗なお姉様と同程度の物を身に付けるなど、あたくしがより惨めになってしまいますわ。
あたくしはお姉様の影であればいいのです。



それを真顔で言い切る女がキシリア・スチュアートである。
そして、憎き怨敵織斑一夏はキシリアが言う所の世が世なら女神として崇め奉つられていたであろう美姫セシリアに、

「ちょっとよろしくて?」

話しかけられるという彼のおがくずのような下らない人生の中で唯一、光輝くであろう栄誉に対し、

「へ?」

あろう事か間抜け面でとんまな返事を返したのである。
本来であれば即座に跪いて、

「この豚めに何かご用で御座いましょうか」

と答えるのがあるべき姿なのである。
それをあの男は、

「ギ、ギギ、ギギギギギギギギ…… キシャァァァァァァァァァァァァ!」

「え、何この声!?」

あらかじめ何かをやらかさないようからセシリアに待てと言い付けられたキシリアは必死に耐える。
周りの有象無象が騒いでいるが、キシリアにとってはどうでもいい事だ。

「まぁ、なんですの、そのお返事!? わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるのではないかしら!?」

―――こんな無礼な男に何とお優しいお姉様……!

キシリアはセシリアの宇宙の如き広大無比な広い器に涙した。
もし、世の凡愚共を救う弥勒菩薩がいたのならば、セシリアの姿をしていると再確認した。

「悪いな。俺、君が誰だか知らないし」

キシリアは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の織斑一夏をを除かなければならぬと決意した。セシリアには男がわからぬ。キシリアは、セシリアの愛の僕である。常にセシリアの背後で近付く男達を排除してきた。だからこそセシリアには、人一倍に敏感であった。

―――お姉様は案外、ちょろいのですわ。

友人が少ないセシリアだが、その分懐に入った相手にはどこまでも優しい。
キシリアのように懐いて来る相手も突き放せはしない。
もし、一度、織斑一夏がセシリアの警戒を破り、内側へと入ってしまえば?
過去、オルコット家を強欲な連中から守るためにキシリア以外に心を開かなかった時期もあるセシリアだが、

―――お姉様はちょろいですから、心配ですわ。

今までは近付く男はキシリアが物理的に、社会的に、生物学的に叩き潰して来たが織斑一夏は世界初のISを動かせる男性である。
各国の諜報機関が二十四時間、完全に監視していて手が出せなかった。
もし、一夏が学園内で女性と「イタした」場合は全世界の国のリーダーに一時間以内に報告が入るだろう。
更に生徒会長更識楯無と対暗部用暗部『更識家』もなかなかの手練れである。キシリア単独で生徒会長と更識家を相手をするには少しばかり荷が重い。
そんな織斑一夏を始末してしまえば、キシリアだけではなくセシリアにまで迷惑がかかるだろう。
機会を待たねばならない。
「仕方のない事故だった」と受け取られるようなタイミングを待たなければならない。
キシリア・スチュアート、臥薪嘗胆の心意気である。



そして思ったよりも、その機会は早く訪れた。

「それではこの時間は実践で使用する各種装備の特性について説明する」

この学園で織斑千冬を無視出来る者は何人いるだろうか。
凛として、清廉。現在、学園内踏まれたいランキング一位を独走し、史上最強の名に最も近いと噂されるIS乗りである。
名も実も兼ね備え、教壇に立つ彼女を平然と無視し、自らの思考に耽るような者は現在、一組の教室ではキシリア・スチュアートのみである。
何百、何千通りの織斑一夏を陥れる策を練り続ける彼女は見た目だけは模範的な生徒であるが、千冬の話は右耳から入って、左耳から抜けている。
ちなみに副担任の場合は全く耳にも入っていないのだから、まだマシな方だ。

「ああ、その前に再来週行われるクラス対抗戦に出るクラス代表者を決めないといけないな」

その時、キシリアに電光が走った。
合法的に織斑一夏を抹殺出来る手段が。しかも、衆人環視の元での"事故"を起こせるチャンスが来たのだ。
だが、まだ待たなければならない。

「はい! 織斑くんを推薦します!」

キシリアの未来予測はこの先の展開を読み切った。

「私もそれがいいと思いますー」

「では候補者は織斑一夏…… 他にはいないか? 自薦他薦は問わないぞ」

お姉様の素晴らしさを知らない愚民共がただの物珍しさで織斑一夏を推薦するのは"読み筋"だ。
そう、織斑一夏は次に、

「(へへえ、あっしのような豚が素晴らしきセシリア様を差し置いて、クラス代表者になれるはずないでゲス!と言う……!)」

「ち、ちょっと待った! 俺はそんなのやらな―――」

「自薦他薦は問わないと言った。 他薦されたものに拒否権はない」

人間、誰にでも間違いはあるのだ。
だが、

「そのような選出は認められません!」

セシリアが机を叩いて、立ち上がるのはキシリアにとっては確定事項。
一夏を深く知らないせいで多少、間違えたがセシリアが次に何を言い出すかは全て読める。

「実力から行けばわたくしがクラス代表になるのは必然。 それを物珍しいからと言って、極東の猿にされては困ります!」

ヒートアップして行くセシリアにさすがにかちんと来たのか、情けなく緩んでいた一夏の表情に少しずつ怒りが浮かぶ。

「(これは……不味いですわね。 お姉様はプライドの欠片もない相手はお嫌いですが、意地を見せる相手には……ちょろくなってしまいますわ!)」

罵倒され、情けなく笑っているような人間はキシリアも嫌いではあるが、セシリアは更にその思いが強い。
魑魅魍魎のような、金のためなら誇りを捨てる連中を相手にオルコット家を守るためIS操者になったくらいだ。逆に見事な矜持を見せた相手には賞賛を惜しまない。
下手な転び方をしてしまえば、キシリアにとって不味い事になるだろう。

「イギリスだって大してお国自慢ないだろ。 世界一不味い料理で何年覇者だよ」

正直、キシリアも一夏と同意見だが、セシリアにはこの言葉は許せないだろう。
セシリア・オルコットは誇り高き貴族だ。国を馬鹿にされて笑ってはいられない。
だから、

「なっ……「我が祖国を侮辱されては黙ってはいられません。決闘ですわ!」 ち、ちょっと、キシリアさん!?」

ここで割り込む。
キシリアが国のために怒った。そう思い、割り込んでも不興を買わないタイミングで。

「申し訳ありません、お姉様。 しかし、この男の暴言……許せませんわ!」

キシリアは何故、日本のオープンカフェはどうでもいいような景色しか見えない場所に作るのだろうと考えながら、立ち上がり、セシリアならこうするという動作で一夏を指差した。

「セ、セシリアが二人……? いや、パチリア?」

「最高の誉め言葉ですわね! しかし、あたくしは手加減しませんわよ!」

なかなかこの豚は見る目が有るではないか、とキシリアは一夏の評価を一段階上げた。
ただの排除対象から敵へ。この上手く回る口でセシリアを口説くつもりなのだろう。

「あれ、今、俺はいつ誉めたんだ? と、とにかく」

「織斑先生、よろしくて!?」

「あ、ああ、では勝負は一週間後、第三アリーナでだ」

一夏が今の千冬を見れば驚く事だろう。あの織斑千冬がキシリアに呑まれ、口を半開きにし、目を丸くしている。
完全に横から無理矢理に入って来たキシリアに主導権を奪われてしまったのだ。

「あたくしが勝ったら、お姉様がクラス代表ですわ。 もし、わざと手を抜いて負けるような事があれば去勢しますわよ」

「ああ、真剣勝負で手を抜くほど腐っちゃいないさ」

そう言い切った織斑一夏は表情を改めると、キシリアを真っ直ぐに見つめ返す。

「(不味いですわ…… こういうタイプの方、お姉様は好きですもの……!)」

セシリアを完全に決闘から排除するには成功したのだが、改めて怨敵織斑一夏の恐ろしさを思い知らされるキシリアだった。



[27203] 二話『お前に決闘を申し込む』
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/22 01:17
油抜きしておいた厚揚げを寮の部屋に備え付けられたコンロに置いた網に乗せ、火にかける。
その間、ボウルに味噌と砂糖、みりんとほんの少しの日本酒を入れ、かき混ぜる。
キシリアはじりじりと焼き色が着いて来た厚揚げをひっくり返すと、あらかじめ用意してあったネギを刻み始めた。
これを食べるセシリアの喜ぶ様を想像するだけで、キシリアの胸は甘い感情で一杯になってしまう。
そんなときめきと共にネギを切り終えると足取りも軽く冷蔵庫から、ライムのジュースを取り出し、クラッシュアイスを入れたコリンズグラスに僅かに注ぐ。あとはシュガーシロップとジンジャーエールを注いでマドラーでかき混ぜる。
カットしたライムを完璧な角度でグラスの縁に飾り付け、ストローを刺してサラトガクーラーの完成だ。

狐色にこんがりと焼けた厚揚げに刷毛でさっと、作っておいたタレを塗り裏返す。再び裏面にタレを塗り裏返す。
この間にまな板と包丁をさっと洗い、厚揚げを焼いている網を漬けておくための水も用意。
朝、さっと洗い物を終わらすための一工夫だ。
あまり焼け過ぎないように、だが味噌の香ばしい匂いが漂い始めたら用意しておいた皿に盛り付け、刻んだネギを乗せて、残ったタレをかける。

「我ながら完璧過ぎますわ……!」

自画自賛する出来はきっとセシリアを喜ばせる事だろうとキシリアは確信した。
シルバーのトレイに厚揚げの味噌焼きとカクテルを乗せたキシリアはキッチンを抜け、セシリアの待つ部屋へと戻る。
ネギと味噌の香ばしい匂いが辺りに漂う。
窓辺に置かれたテーブルには、すでにセシリアが座っていた。
頬杖を着き、物憂げに窓の外を眺めるセシリアの美しさはキシリアの心を弾ませる。

―――同時に"だが"とも思う。

開け放たれた窓から、僅かにそよぐ春の風。眼下には夜の中でも鮮やかに咲き誇る桜並木が見えるだろう。
セシリアは寝間着の白いキャミソール。
月の光が美しい身体のラインを浮かび上がらせ、

「辛抱溜まりませんわ……!」

「今、何か仰いまして?」

「いえ、桜が綺麗だと思っただけですわ」

そうですの、とキシリアの言葉を疑った気配も無く、セシリアは目線を再び桜の花へと戻した。
その間にもテーブルの上にキシリアは料理とカクテルを並べて行く。
セシリアが手伝おうともしないのは自らが邪魔になるだけだと自覚しているからだ。
容姿端麗、学業優秀。しかし、それは生まれもって才能のみではない。常に不断の努力で自らを鍛え上げている。
しかし、そんなセシリアではあるが家事は全く駄目なのである。いくらキシリアが教えても不器用だった。
だが、そういう弱点が無ければ、自分が役に立てる事がないと思うキシリアにとって喜ばしい事で、セシリアを尊敬する気持ちに変化はない。
弱点や対人関係の弱さはキシリアが補えばいい。補いたいと思っている。

「さあ、お姉様。 冷めないうちに頂きましょう?」

「あら、とても美味しそうですわね。 今日のお夜食はなんですの?」

「厚揚げの味噌焼きという日本食ですわ」

「えっと……。 日本ではお料理を頂く時は……いただきます、でしたわね?」

「はい」

「それではキシリアさん、いただきます」

胸の前で手を合わせ、先程までの物憂げな表情では無く、柔らかに微笑むセシリアを見て、

「はい、どうぞ召し上がってください」

キシリアも自然に笑みが零れた。

―――お姉様はやっぱり笑顔の方が素敵ですの。

キシリアは胸の内で万を超えるセシリアを賞賛する言葉を生み出し続けるが、それを口にする事はない。
何故ならナイフとフォークで厚揚げを切り分けたセシリアが厚揚げを口に運び、

「ん……」

声を漏らし、僅かに前後にこくこくと頭を揺らし、厚揚げを咀嚼していく。
これがセシリアが美味しいと思った時の癖だとわかっていて、この後に発せられる言葉はわかっている。
しかし、

「美味しいですわ、キシリアさん」

セシリアに眉尻を下げた微笑みと純粋な賞賛を受けるのはキシリアにとって、何物にも代え難い幸福だ。
踊り出したくなるような喜びを無理矢理、理性で縛り上げて優雅にキシリアは微笑んだ。

「ありがとうございます」

「こちらのカクテルもお味噌の香りとライムの香りが綺麗に合っていますわね」

セシリアのためにキシリアは色々とカクテルを研究している。
セシリア本人はアルコールを嗜むも淑女の勤めだと思っている。それを理解しているキシリアではあるし、言われた通りにカクテルを出している。
ただノンアルコールのカクテルだと伝えていないだけだ。
酔うと脱ぎ癖と甘え癖のあるセシリアに色々とされてしまうと心の象さんがぱおーんして色々といたしてしまういそうになる自分を必死……いや、絶死の域で抑え込まねばならない。
セシリアのカクテルにアルコールを仕込んでしまえと囁く悪魔の誘惑に耐えるキシリアであった。

「キシリアさん、もう一杯……そうですわね、カトレアを頂けます?」

「それは今夜はオッケーという事ですね」

「何がですの?」

きょとんとしたセシリアの表情を見て、キシリアはちょっと死にたくなった。
天使よりも純粋無垢なセシリアは地を這いずりまわるキシリアには時々、眩し過ぎるのだ。





セシリア・オルコットにとって、キシリア・スチュアートは二人目の親友だ。
何の利害が絡まない、という意味では彼女ただ一人だけかもしれないし、一人目は素直に友人だと言うには色々と差し支えがある。
だからこそ、自分のやった事の責任を彼女に取らせる訳にはいかないとセシリアは思う。
何故ならセシリアは、

「(わたくしは、この子のお姉さんなのですから……!)」

セシリア・オルコットはキシリア・スチュアートの目標であらねばならない。
夜風に舞う桜の花びらは風情があり、これまでに食べた日本食はどれも美味しかった。
こうして日本に来てみれば、野蛮な猿の住む島だなどとは言えない。ただ文化の色が違うだけで、イギリスと日本の文化のどちらが上かなどと喚くのは大人気ない態度だった。
あとイギリスの料理が不味いと言われても正直、セシリアには反論は出来ない。
食に関してだけ言えば国籍を移したいくらいだ。

「ねえ、キシリアさん。わたくし考えましたの」

作ってくれたカクテルを口に含むと紅茶の芳醇な香りが心を落ち着かせてくれる。
セシリアは淑女らしく、アルコールを窘める自分に満足感。
そして、一杯目よりも氷を減らされたカクテルは、寝る前にあまり身体が冷え過ぎないようにというキシリアの気遣い。
こういう所は勝てない、と思いながら、口を開いた。

「えっと……一夏さんを最初に侮辱したのは、わたくしでしたわ。
まず、彼に謝ろうと思いますの。
そして、謝罪を受け入れて頂ければ、改めてわたくしがクラス代表を決めるために一夏さんと勝負をしますわ!」

最初に一夏を侮辱したのはセシリアで、一夏はそれに怒っただけ。
それは正当な怒りだろう。むしろ、自分の祖国を馬鹿にされて怒らない方が間違っている。怒らず、へらへらと笑っているような者がいれば、男女問わずにおかしい。
セシリアは織斑一夏に僅かに興味を持ち始めていた。

織斑一夏は間違っていない。
キシリア・スチュアートも間違っていない。
なら誰が間違っている?

結局、何故かセシリアの代わりにキシリアが決闘する事になってしまった。
セシリアが侮辱し、一夏が怒り、キシリアが決闘する。
何一つとして筋が通っていないではないか。
そして、筋を通していないのはセシリア・オルコットだ。
きちんと間違いを認められる所は認めなければならないという事を身を持って教えるのが、お姉さんの勤めだろう。

「わかりましたわ、お姉様。 お姉様がそうすると言うのであれば、あたくしに否はありません」

きちんと話せばわかってくれるキシリアはセシリアの自慢の妹だ。
色々と間違いの多いセシリアだが、これだけは胸を張って言える事だった。

「キシリアさん、感謝いたしますわ」

「いえ、あたくしも考えてみれば、お姉様の邪魔をしてしまったと思っていましたの。 ……それでお姉様、今日は一緒に寝てもよろしいですか?」

紫の、セシリアとは色違いの寝間着を着て顔を赤らめ、もじもじとはにかみながら言うキシリアを可愛いと思う。

「ええ、よくってよ」

セシリアは答えた。
しっかりしているようで、まだまだ甘えたがりなキシリアをとても可愛らしく思ってはいる。
しかし、

「(わたくしの胸に顔をうずめて、すりすりする癖は何とかならないかしら)」

ちょっぴり"きゅん"として、"もやもや"と来てしまう自分はお姉さん失格だと思ったが、なかなか断る気にもなれなかった。
寂しがり屋の妹を持つとお姉さんも大変なのだ。





「(むにー。むにー)」

天蓋付きのキングサイズのベッドに二人で入り、セシリアの胸に即顔を埋めるキシリアは幸せの絶頂。
イギリスに居た時は勿論、家は別であり、こうやって一緒に寝れる機会は滅多に無かった。

「(えへへ……。 うふふ……。 げへへ……)」

新しい三段階笑いを生み出すキシリアの表情が見えないのは、お互いにとって幸せな事だろう。

「もうっ、キシリアさんはまだまだ甘えん坊ですわね」

そう言いながら、セシリアはキシリアの頭を優しく撫でる。
もう、とっくの昔に撫でぽ(撫でられて、ぽの意)されているが、とっくに上限突破しているキシリアの好感度がぎゅんぎゅんと上がって行く。ぎゅんぎゅんである。

「あ、そうですわ」

幸せ一杯、色々な意味で胸一杯なキシリアの背筋がぞわりと何かを感じ取る。
セシリアが何かロクでもない事を言い出そうとしている事にキシリアは気付いた。

「日本にはお花見という風習があるそうですわね。 キシリアさん、ご存知かしら?」

「……はい、確か桜の花の下で飲めや歌えの酒席を開く事でしたわね」

「ええ、一夏さんが謝罪を受け入れて下さった時は三人でお花見をしましょう!」

さも名案だ、とばかりに声を弾ませるセシリアに、

「(むにむにむにむにむにむにむにむに)」

顔をすりすりと動かした。
むにむにでした。

「あ、ちょっとキシリアさん、動き過ぎですわ。 ……やんっ」

ちょっと満足したので動きを止めた。

「……キシリアさん、お嫌でしたの?」

「違いますわ! 想像しただけで楽しそうで、つい……!」

セシリアの嬉しそうな声につい嫉妬の炎が燃え上がる。キシリアは織斑一夏を抹殺しなければならないと改めて誓った。
セシリアの言い付けを破るつもりはないが、だからと言ってそれは別の話。

「うふふ、その時は美味しいお料理、期待していますわよ」

「はいっ!」

セシリアの楽しげな声を聞くだけで嬉しいし、セシリアに期待されるのも嬉しい。
セシリアと"二人っきり"での花見も、さぞ楽しい事だろう。
キシリアはセシリアの胸に顔を埋めながら、にたりと嘲った。

「あっ……! こらっ、どうしてお尻撫で回しますの!?」

「そこにお尻があったから……もとい、お姉様と一緒に寝るのが久しぶりだからですわ」

「もう、仕方有りませんわね」




















「どういうことだ」

「いや、どういうことって言われても……」

時間は放課後、場所は剣道場。
俺は箒に怒られていた。
手合わせを開始してから十分。結果は俺の一本負け。
それも俺は防戦一方。一矢報いるどころじゃない。

「どうして、ここまで弱くなっている!?」

「受験勉強してたから、かな?」

まぁ実際は家計を助けるために、バイトしてたから三年間、帰宅部だったせいなんだけど。

「織斑くんてさあ」
「結構、弱い?」
「ISほんとに動かせるのかなー」

辺りにはギャラリーが満載。
ひそひそと聞こえる落胆の声。
珍獣扱いされてるのも惨めだけど、女よりも弱い男だと失望されるのも情けない。
くそう、格好悪い……。

「お姉様、いましたわよ」

何だか聞いた覚えのあるキンキンとした声に俯いていた顔を上げれば、

「……パチリア?」

と、セシリアなんとかさんがいた。

「ま、また、そうやってあたくしを褒め千切って……! なんですの!? あたくしに惚れたんですの!? お生憎ですが、あなたのような野蛮な方とはお付き合い出来ませんわよ!」

「一夏、貴様!?」

「訳わかんねえ!?」

パチモンのセシリアって、どう考えても悪口じゃないのか。
なんでそれを言って、俺はパチリアに惚れた事になって、いつの間にかフラれて、ついでに箒は怒ってるんだ!?
箒の打ち込みを必死に防ぐ俺に、

「まあ、お稽古中ですの?
一夏さん、話がありますので、終わったら少し、お時間いいかしら」

ぎりぎりと鍔競り合いをする最中、セシリアが話しかけて来る……って今、話しかけられても。
片手に抱えていた面を足元に放り投げ、必死に両手で押し返す。
片手じゃ無理だ。

「やっぱり、あのような軟弱な男などお姉様が構う事はないのですわ」

「キシリアさん、そのような事を言うものではなくってよ」

押し込まれる竹刀を必死に防いでいる最中だというのについ、のんきに話している二人に視線を送ってしまった。
セシリアと比べて、パチリアは全体的にちっこいんだな。
胸だけじゃなくて、身長も十センチくらい小さいし。

「どこを見ている!?」

「ぐえっ」

更に怒った箒が足払いを仕掛けて来る。お前、これが試合だったら反則だぞ。

「ふんっ! この軟弱者め」

どす!どす!と足を踏み鳴らして、箒は更衣室に行ってしまった。
あー、これは俺が悪かった。後で謝っておかないと。
稽古中に気を逸らすなんて、付き合ってくれていた箒に失礼だった。
でも、ちゃんと防具は自分で片付けて行けよ。

「一夏さん、大丈夫ですの?」

俺の、箒に叩き潰されるというあまりの醜態にギャラリーが散っていく中、セシリアが心配そうな顔で手を差しのばしてくれた。

「……ああ、大丈夫だよ」

女に負けて、更にここで女助け起こされてなんて……これ以上、みっともない所は晒せない。
箒に叩きつけられた背中の痛みをぐっと我慢して、立ち上がった。

「まぁ、なんて失礼な方なのかしら! せっかくお姉様が!」

「キシリアさん、少し静かになさい」

「はい、わかりました!」

パチリアに尻尾があったら、ぶんぶん振り回してるんじゃないかと思うような笑顔。怒られたんじゃないのか、今?
女はさっぱりわからんけど、パチリアは更にわからん。なんでそんなに嬉しそうなんだ。

「そうだ、何か話があるんだろ?」

「そうでしたわ。そ、その……一夏さんに謝罪に参りましたの!」

「へ?」

セシリアは左手を腰に手を当てて、右手の人差し指にピシッと突き付ける……って近い近い。
指が俺の鼻に触りそうだ。
決闘ですわ!と言葉を変えても違和感がないと思うのは俺だけか?
人に謝る態度じゃないと思うんだが。

「き、極東の猿だなんて言って……ごごごごごごごごご」

「ゴリラ?」

「ら、ラッパですわ!」

「……パンダ?」

「だ、ダージリン!」

「ン・ビラ」

アフリカにある打楽器らしいぞ。俺は見た事ないけど。

「違いますわ! どうして、しりとりになってますの!?」

「さあ?」

何が言いたいのかさっぱり……ってこればっかりだな、俺。

「とにかく! ご、ごめんなさい!」

金髪をばさっと翻すようにして、セシリアは頭を下げた。
よくわからんけど、いいぜ。
そう答えようとした時、セシリアは頭を上げて、

「わ、わたくしとした事があなたのように軟弱な方を相手にムキになり過ぎましたわ! し、仕方なくあなたの無礼を許して差し上げますわ!」

カチン。
覆水盆に返らず。転がる石は止まらない。
そんな流れに乗せられての話じゃない。

「いいぜ。お前の謝罪を受け入れる」

「あ……」

顔を真っ赤にしながら、喋りまくっていたセシリアは安心したように止まった。

「だけど、改めて俺からお前に決闘を申し込む」

俺は俺の意志でセシリアに決闘を挑む。
興味本位の期待が無くなっても、どうでもいい。
だけど、ここまでナメられて引き下がったら男じゃない。

「え」

「さすがお姉様……自爆の天才ですわ」

セシリアの後ろでぶつぶつパチリアが言っているが、知った事じゃない。
それにこんなに馬鹿にされてへらへら笑って逃げ出したら、俺だけじゃなくて千冬姉の名前まで汚す事になる。

「ち、ちょっとお待ちになって!? な、何故そういう話になりますの!?」

「そうですわ! お姉様と戦いたいなら、あたくしを倒してからになさい!!」

パチリアはセシリアにそっくりなポーズで、セシリアを押しのけて前に出て来た。

「ああ、望む所だ!」

望まない場所に望まない状況。
だけど、まだ俺にだってプライドがある。
久しぶりに味わった底辺の気分を更に叩き落としてくれた、この二人に俺の意地を見せてやる。

―――やってやる。

俺は、久しぶりに誰かに勝ちたいと思った。
これから本気で鍛え直す。

「わ、わたくしは望んでませんわよ!?」

セシリアの叫びを背中で聞きながら、俺はその場を後にした。
試合まで、今日を入れてあと五日。
やれる事をやり尽くしてやる。















自分が何のために戦ってるか思い出せ、織斑一夏!
クラス代表がどうこうじゃない。俺は男の意地見せるんだろ!
代表決定戦が始まってから、パチリアに気合い負けしてしまって、すでにシールドエネルギーを半分にまで落ち込んでいる。クリーンヒットこそ無いが、とにかくコツコツと当てられてしまった。
こんな有り様で負けたら、俺が俺を許せなくなる。
だけど、かなり手の内は見せてもらった。 ……そろそろ仕掛けてみるか。

「そろそろ落ちなさい、織斑一夏ぁぁぁぁぁぁぁッ!」

「やなこった!」

キレてる分、パチリアの攻撃のタイミングは単調だ。
右手のツヴァイハンダーの振り下ろしを一、左手のツヴァイハンダーハンダーの切り上げで二、右手のツヴァイハンダーの逆道で三、次の一は左手のツヴァイハンダーの打ち下ろし!

「もらった!」

今まで防戦一方で下がり続けていたけど、ここで前に出る。
右足を一歩前に踏み出し、踏み込みは十分。パチリアのツヴァイハンダーを思いっきり弾き返す。

「なっ!」

片手じゃさすがにあんな長物を保持出来なかったのか、ツヴァイハンダーが遠くに飛んで行き、

「やぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

俺は近接用ブレードをパチリアのがら空きになった胴に完璧なまでに叩き込んだ。
決まった……!パチリアの背後に抜けて勿論、残心を忘れず、

「馬鹿者! これは剣道の試合ではないぞ!」

箒の声が聞こえて、やべっと思った瞬間、

「お返しですわ!」

俺のブレードの衝撃による反作用、重量級武器の遠心力、踏み込み、IS自体の推進力。
それら全てをまとめたキシリア全力の回転斬りが背後から迫る。

「ぐっ……!」

話で聞いただけの『瞬時加速(イグニッションブースト)』をぶっつけ本番で!
思いっきり踏み込むようなイメージ!

「間に合いませんわよぉぉぉぉぉぉおおッ!!」

あ、と思った瞬間に『瞬時加速』が発動。だけど、パチリアのツヴァイハンダーはシールドを抜き、俺の右のブースターを切り裂いた。
突然、片方のブースターが破壊されたせいで左右の加速力がズレた結果、

「ぐえっ」

一秒にも満たない時間の中で何回転したかわからないくらいに錐揉みして、地面に叩き付けられる。
何とか操縦者保護機能で意識が吹っ飛んだりはしなかったが、それでも消せなかった衝撃が俺の頭をくらくらさせる。
だけど、

「無様ですわね!」

追い討ちかけてくるよな、こいつなら!
寝ている暇も無く、その場から飛び退いて、何とかギリギリに避ける。
回転斬りの遠心力を更に乗せたのか、一瞬前に俺のいた場所から凄まじい砂煙が吹き上がった。
ちくしょー、油断しなけりゃなあ。
とにかく、

「お互い一発ずつ。まだまだここからだな」

「ダメージはあなたの方が大きいですけどね」

その冷静な声を聞いて確信した。さっきまでの暴れっぷりは罠か……。
砂煙が晴れた先に立っているパチリアはまるで屠殺場に送られる豚でも見るような冷たい表情だった。
もし、俺が『瞬時加速』を使えなければ、あの一撃で沈められていただろうし、追い討ちに気付かなければ確実に終わっていた。
なんで演技してる時より素の方が怖いんだ、こいつ。

だけど、そろそろ思い出して来た。



―――俺が一番、強かった頃を。



[27203] 三話『俺を、恐れたな?』
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/16 20:38
「織斑先生、お願いがあります」

一日の仕事も終わり、自分の部屋に帰って、ちょっと一杯引っ掛けようか。
そう思って気を抜いた矢先に織斑千冬は弟の一夏に引き留められた。

「……話してみろ、織斑」

普段は叱られても叱られても、千冬姉と甘えの混じった呼びかけを続ける弟が突然、『織斑先生』と来た。
千冬でなくても、一体どうしたものかと訝しむだろう。
常の柔らかな、悪く言えばお気楽な表情をしている一夏が千冬の目をしっかりと見返す。その視線は真剣そのもの。

―――今日はビールを飲めそうにもないな。

千冬は思った。

















これ終わったら絶対、千冬姉に怒られるな……。
千冬姉に教わった事、全然生かせてないよ。自業自得とは言え、試合の後が怖い。

両手剣が一本になった事によって、パチリアの動きは劇的に変わった。
二刀流の時は遠心力と推力を生かした勢いのある嵐のようなデタラメな剣線。刃を立てる気すら最初から無い動きはとにかく俺をぶん殴ろうとしていたようにしか思えなかった。荒れ狂う二本の剣と、あの気迫に踏み込むのには、かなりの勇気がいった。
その分、隙も多かったし、読みやすくもあったんだが、

「しっ!」

パチリアの両手剣は綺麗な踏み込みと腰の動きの連動が合わさり、上段からの速くて重い一撃に生まれ変わる、って!?
俺はサイドステップ、というより身体を投げ出すように飛び退く。

「ちっ、避けやがりましたわね」

振り下ろしの途中からいきなりISの推力を生かしての突きに変化して来やがった!
パチリアの剣は正統派の剣術とISの特性を使ったいやらしい剣に仕上がっている。
こいつの性格そのままの動きだな、これ。

俺の残りシールドエネルギーは48。多分、軽くかすっただけで終わる。前半の防戦一方が大きく響いてしまった。だけど、まだまだこれから。

「ふうー……」

俺は一度、息を深く吐く。
もっと、もっと深く行けるはずだ。
もっと深く、冷静になれ、織斑一夏。







「織斑先生、俺にISについて教えてください」

「毎日の授業で教えている」

まさに一刀両断。
それはそうだろう。毎日の授業はIS操縦者のための授業だ。あれでISについて教えていないのならば、何を教えているというのだ。

「言い方を変えます。織斑先生、俺に戦い方を教えてください」

だが一夏は引こうとはしなかった。
過去に剣道を習っていた時も見た事がないくらいに深々と、しっかりした礼に則り、一夏は頭を下げてくる。
どうしたものかと千冬は頭をガシガシとかいた。
他の女性がやれば粗野で下品になりかねない仕草のはずだが、千冬の場合は不思議とそれが様になっている。

「あー……くそ」

千冬はそう吐き捨てると下げていた一夏の頭に手をやり、撫で回しすというよりも激しく乱暴な手付きで自分によく似た一夏の癖の無い髪を掻き回す。

「頭を上げろ、一夏」

「織斑先生!」

「今は千冬姉だ。
全く……本来であれば、クラス代表戦でどちらかに肩入れする事は望ましくないんだが……」

「千冬姉……ありがとう!」

「その代わり今日明日だけではない。これから毎日、お前に稽古をつけてやる。いいな?」

にやりと口角を跳ね上げて笑う千冬に、冷たい汗が背筋を伝った。
少し早まったかと一夏は思った。



再び場所を剣道場に移した二人は竹刀を手に向き合う。
すでに夕日も暮れようかという時間となり、織斑姉弟以外の人影はない。照明も点けず、千冬は言った。

「そのまま動くな」

防具も付けないままの一夏に上段に構えた千冬がじりっと近付く。

「え、ち、ちょっと待てよ、千冬姉!?」

「動くな。ただ見ていろ」

じりっ、じりっ。
僅かずつ、焦らすかのような動きで千冬は一夏への間合いを詰める。

―――やべえ、マジでこええ!?

動くなと言う以上、一夏は動く訳にはいかない。
それがわかっていても剣を握るは最強のブリュンヒルデ織斑千冬である。
その剣がいつ落ちて来るかわからなず、なぶるかのようにじりじりと間合いを詰められるとなれば、いっそ自分から斬りかかって楽になりたいと思うほどのプレッシャー。

「…………………………」

まだ剣を一度も振っていないというのに一夏は先程、箒と行った試合よりも酷い汗を全身にかいていた。
だが、動かない。動けない。
蛇に睨まれた蛙のように間抜けに突っ立っているのが精一杯。

「…………っ!」

唾を飲み込もうとした瞬間、一夏の目の前、皮一枚を残した距離に千冬の竹刀が置かれていた。振り下ろされた竹刀が全く見えず、最初から、そこに置かれていたようにしか一夏は思えない。
ずっと見ていたはずなのに、振り下ろしは全く見えず、さらりと一夏を撫でる刃風が汗に濡れた身体を、心を冷やす。

「もう一度だ」

再び千冬は竹刀を上段に構えた。
竹刀が真剣にしか見えない程の威圧感に、一夏は必死に耐えた。









「くっ!? なんで! いきなり当たらなくなりましたの!」

右、左、横薙ぎからの変化で籠手。それを見せ札にして『瞬時加速』からのショルダータックル。
爆発的な加速が空気を押し除け、俺の髪を揺らす。だけど、それなりのエネルギーを使って効果があったのは、それだけだ。
全てをぎりぎりで避け、『瞬時加速』で吹き飛ぶようにして加速して行ったパチリアに、わざと見せ付けるようにして向き直る。

小学生の頃に俺は剣道を習っていた。
あの時、体格差も力の差も大して無かった箒に俺が圧勝していたのは一重に視野の広さの差だった。
相手の動きの起こり―――例えば、踏み込み。股と膝を動かしてから足底が地面に着く―――を見切れば、その先の動きは全て予想出来る。
一つ一つの僅かな動きを、相手の攻撃を恐れる事なく拾い上げれば、後の先を取れる。
これが俺のスタイルだった。
本人が覚えてない事まで千冬姉はよくもまぁ覚えていたもんだ。
最初はパチリアに呑まれたものの、千冬姉にプレッシャーほどではなかった。
パチリアは千冬姉より、怖くない。
なら、

「今度は俺から行くぞ」

ISの足はきちんと摺り足が出来るほどに、僅かに硬さはあるが精密に俺の動きに着いてくる。
構えは上段。
イメージは俺よりも遥か高みにいる千冬姉。
背筋を伸ばし、自分を大きく見せて圧迫感を与える。
散々に見せられた。だけど、俺じゃあの完成された技には届かない。
千冬姉に比べば不細工な動きだろうけど、今のパチリアには通じる。
何故か当たらない攻撃、逆に飲まれていた事を忘れれているかのように冷静な俺。それは不可解でパチリアに焦りを生む。
本来であればエネルギーもまだまだ残っていて、ブースターがやられていないパチリアの方が圧倒的に有利だ。
だけど、

「………………………うう」

顔を青ざめさせ、考え込んでいるパチリアに僅かの余裕も無い。
ここでパチリアが機動力を生かして、ヒットアンドウエイを繰り返す作戦に切り替えれば、俺はかなり不味い事になるだろう。
しかし、人間、心に余裕がなければそんなアイデアも浮かばないものだ。
じりっ、じりっと千冬姉にやられたように僅かずつ間合いを詰める。
対するパチリアは円を描くように左に回って行く。

「なあ、気付いてるか?」

「な、何がですの!?」

俺の苦しい台所事情を思い出されないように、あえて不敵に笑って言ってやる。

「下がったな?」

綺麗な円を描いていたパチリアの軌跡が一カ所だけ大きく歪んだ。

「な!?」

「お前、今、下がったな?」

たった一歩。たった一歩だけど、これまで前に出続けて来たパチリアは一歩、俺から下がった。

「俺を、恐れたな?」

一歩下がろうが、二歩下がろうが本来であれば関係ない。間合いの調節は本来であれば、当たり前の事だ。
だけど、

「お、お黙りなさい!」

焦りに飲み込まれたパチリアには、それがもう理解出来ない。
これまでの基本に忠実で綺麗な動きに比べれば、それは雑の一言。間合いすら読まず、気息すら整えず。乱れた心身のままパチリアは手にした剣を振り下ろして来る。
落ち着いて、まずはきっちり一撃ずつ決めて行こうか。

振り下ろしを半歩下がって避ける。本当であれば横に避けたい所だったが、そこまで上手くは行かなかった。
下がりで体重の乗っていない剣だけど、それでもまともに頭部にヒット。動きの止まった所で改めて踏み込み、返す刀でホームランを撃つような気持ちで全力での胴打ち。

「行ける……!」

俺の剣で吹き飛んだパチリアの残シールドエネルギーは20前後と白式が報告してくる。
あと一発で俺の、勝ちだ。
もう少しで俺の、勝ちだ。





「はぁぁぁぁぁぁぁ、凄いですねぇ、織斑くん」

やっと登場の機会が与えられた山田真耶がため息混じりに呟く。
ピットにあるリアルタイムモニターには仰向けに倒れ、胸が上下し荒い呼吸を繰り返すキシリアと自信に満ち溢れた表情の一夏。
空を駆けるのが本分であるIS戦闘の定石は外れているが、一夏は二回目の起動とは思えない見事な戦いぶりだった。
しかし、千冬の表情は忌々しげに歪んでいる。

「あの馬鹿者。浮かれているな」

ブレードの柄尻を引っ掛けるように握る左手を閉じたり開いたりを繰り返すのは浮かれて調子に乗っている時の一夏の悪癖である。その浮かれた精神は大抵、簡単なミスを誘発してしまう事を千冬はよく知っていた。
それだけではない。倒れた相手に追い討ちをかけないのは確かにスポーツマンシップの観点から見れば正しい。
しかし、ISはあくまで兵器なのだ。
スポーツの大会と大して変わらないモンド・グロッソにしても、賭けられているのは個人の誇りなどではない。あくまで「この国の技術力はいかほどの物であり、我が国とはどの程度の差があるのか」という事を一番、わかりやすく各国に実例を挙げて、見せ付ける場なのだ。
毎回、一回戦負けした国は上位の国に色々とむしり取られており、ISについては先進国の日本が外交下手でも、なかなかの躍進を見せている事からも明らかだ。
モンド・グロッソに出場するヴァルキリー達に求められるのは泥臭くとも、如何なる手を使ってでも常に勝利をもぎ取る貪欲さだ。
必要なのは綺麗なスポーツマンシップではなく、国家間の代理戦争を勝ち抜く冷静さだ。
つまり、まだ"織斑一夏は戦士ではない"。むしろ、キシリアの方がその事を、よくわかっているくらいだ。

「ふ、ふふ、ふふふふふふあはははははは」

千冬の頭の中では不甲斐ない弟をどのように鍛えてやるかで一杯になっている。
今までなかなか接する時間もなかったが、これからは"沢山、可愛がってやれそうだ"と思えば、笑みの一つも零れる。
あくまでどう"可愛がろうか"と考えているだけだ。千冬の基準での可愛がりだが。

「お、織斑先生どうしたんですか!? 元々、怖い顔が更に怖くなっていますよ!」

「………………………………いやなに。 今後、どうやって愚弟を鍛えてやろうかと思ってな」

千冬は真耶の肩に手を置くと、

「そうだ、山田くん。 君も教員生活でなまってるだろう? 愚弟と一緒に私が"可愛がって"やろう」

「お、織斑先生の"可愛がり"ですか!? き、拒否権は!? 拒否権をください!」

「無い」

「田舎のおっか、とうちゃん……真耶はもう……そっちさ帰れそうにねえだ……」

静かに絶望に沈んで行く真耶を気にもかけていない様子で、ずっとモニターを見つめているのは箒とセシリア。二人の表情は対照的だ。

「「………………………………」」

箒はわずかに口を開き、ほっとした表情。
セシリアは眉根に皺を寄せ、モニターを睨みつける。
もし、箒は一夏が負けそうになっていたとしても、心の中で僅かに祈っただけだろう。
彼女の秘めた想いは、ただ一夏の勝利を望む。

もし、セシリアはキシリアが有利であったとしても、眉根に皺を寄せていただろう。
可愛い妹分が怪我をするかもしれないと思うと、セシリアお姉さんとしては気が気ではない。
だが、今のセシリアはそれよりも許せない事がある。

「オルコット、貴様!?」

千冬の叱責など耳に入らない。
モニターを見つめたまま、セシリアは専用機『ブルーティアーズ』を開放。
ピットにいる全員を瞬き一つの間に抹殺出来るだけの兵器を開放した。
しかし、そんな力よりも今、セシリアに必要なのは、ただ一つ。





「はあ……はあ……はあ……」

キシリアはこれでもかと言うくらいに折れていた。
キシリアは元々、自分に自信がある方ではない。才能がある方でもないし、何よりもちっこい。
すごく頑張って、セシリアの二番手のイギリス代表候補生候補の座を手に入れたものの、何しろちっこいのだ。
ちっこいという事はそれだけ体内に蓄えられるエネルギーが少ない。どれだけ鍛えても筋肉が着かないから、体力も着かない。
国家代表候補生なら軽々と走り切る10kmで、もう限界だ。
それなのに織斑一夏はズルいと、キシリアは思う。
少し鍛えただけで、キシリアの頑張りをあっさりと超える。元々の性能が違う。男はキシリアとは違う。

男だから。男は怖い。私をイジメるから。もうやだ。私は寝て暮らす。お家から出ないもん。お布団から出たくない。頑張っても当たらないし、凄い頑張ったら腕も上がらない。足も動きたくないって言ってるし、何より脳が動けないって言ってる。
最初から私が男に勝てるはず無かったんだもん。

キシリアは空を見上げながら、完全に全てを投げ出していた。
手も力が入らないし、あちこち痛い。身体中の筋肉が蛙にでもなって、げこげこ言いながら暮らしたいと思っている。げこー。
足はだらしなく放り投げられていて、一夏から見れば霰もない姿。
もう、そんな事も気にならない、

「キシリアさん!」

訳がなかった。
オープンチャンネル。
キシリアの視界にセシリアの怒った顔が一杯に広がる。
あ、ヤバい。とキシリアは反射的に立ち上がった。
半透明のセシリアの顔の向こうには、いきなり立ち上がったキシリアに驚いた織斑一夏。
ブレードを構えた一夏にキシリアは頭上で大きく腕をクロスし、

「お姉様ターイム!!」

お姉様の時間。
お姉様が通信を入れて来てくれたから、ちょっとタイムね。
この二つの意味が混ざったキシリア語である。

「お、おう?」

スーパーお姉様タイムは全てに優先されるのだ。
これはキシリア大聖典第二条に書かれている。
第一条は『好き好き大好きお姉様!』。
これを破ったら、キシリアは死ぬ。確実にめっちゃ死ぬ。
怒られるな、というしょんぼりとした気持ち。
お姉様だー。お姉様ー。お姉様ぁーという気持ち。
それらが1:9の割合でキシリアの中に生まれる。
体力が尽きて、ちょっと頭の可哀想な子になっているキシリアは、飼い主が帰って来たわんこの如く撫でくりまわしてくれるのを待った。セシリアの言葉を待った。

「キシリアさん」

「はい」

画面の向こうのセシリアが息を深く吸って、











「頑張りなさい!」

「はいっ!」

セシリアのシンプルな言葉は痛みも、倦怠感も、諦めも、男嫌いも、蛙になりたいという気持ちもぶっ飛ばし、キシリアは一夏に向かった。

そうは言ってもあちこち痛いし、ISのアシストが有っても、そろそろ体力限界。
さっきお姉様分が補給出来たけど、いきなり尽きちゃいそう。お姉様の胸に顔をうずめて、むにむにしなければ死んでしまう。むにむにしなければ死んでしまう。大事な事だから、もう一回。むにむにしないと死んでしまう。
これはレズとか性欲じゃないの。綺麗な穢れなき愛なの!
それに、

「今日のお姉様を称えるポエムがを書いてませんのよ! お姉様の素晴らしさをエクストリームアイロン掛けに例えて高らかに全っ!世界にっ! 届け、お姉様へのあたくしのラァァァァァァァァァァァブッ!」

「本気で意味わかんねえ!
そんな事よりも今は俺を見ろよ!」

俺もパチリアもカス当たりでもした時点で試合は終わる。もう一秒でも、空を飛ぼうとした瞬間にエネルギー切れで落ちるんじゃないか?
だけど、そんな下らない決着は、望んでない。俺もパチリアも望んでいない!
相手を正面から、ねじ伏せようと足を止めての叩き合い。
明らかに正気の目をしていないパチリアだけど、その剣は精密にして荒々しい。さっきまでの読みやすい剣とは違う。
これがパチリアの本気。
今だって俺の胴を真っ二つにしようと、パチリアの剣が風を切り裂いて迫って来る。

「な、何を馬鹿な事を仰ってるのの!? 私が見たいのは、お姉様だけです!」

あたくし……ああ、もう酸素が足りなくて、お姉様の模倣する余裕がない。私もう本当に限界でお姉様分が欠如してめまい、頭痛、目の霞みなどの症状が……。
お姉様お姉様お姉様ぁぁぁぁ……って、お姉様の次に綺麗に纏まっていた私の縦ロールが織斑一夏のブレードで切られた!
真面目にショック!?

「な、なんて事するの!?」

「おっと、悪い。 だけど、縦ロールより、ストレートの方が似合ってるし、今の素のお前の方が好きだぜ!」

初めて見たにも関わらず、セシリアと比べると、少し覇気の無さそうな、唇を尖らせた拗ねた子供みたいな表情がパチリアの素だと確信した。
一合一合打ち合う毎に自分が強くなって行く実感。
こんなにも楽しくて気持ちいいのに、こんなにも俺はお前を見ているのに、つれないパチリアに少しむっとして言葉を返す。髪の毛については、あとでちゃんと謝ろう。
もう、何合打ち合ってるかはわからないけど、百は超えた気がする。
だけど、まだまだ行ける。
パチリアに俺はまだまだ着いて行ける。
俺にパチリアはまだまだ着いて来れる。
昔、剣道をやっていた頃……違う。強くなりたかった頃の俺にはまだ届かない。
でも、こいつともっと戦えれば……いつか千冬姉を守れる力が手に入るはずだ!

「ななななななななー!」

本当におかしな奴だな。いきなり真っ赤になったと思ったら、間合いの外に飛び退いた。
やっぱ、パチリアはよくわかんねえ……と思ったけど、そうか。
最後はやっぱりこうするのが、お約束だもんな。

「行くぜ、パチリア。次が俺達の最後の一撃だ!
閉幕(フィナーレ)はお互い派手に行こう!」

ブレードを左の脇にだらりと構える。
ぎりぎりまで脱力。体力も使い果たしてる今は逆に丁度いい。
インパクトの瞬間に今の俺の全てを叩きつける。

「これで俺が勝ったら、パチリア……。
俺と付き合ってもらうぜ!」
















「は?」

箒はまーるく、ぽかんと口を開いた。

「……………………………………」

千冬は静かにキレた。

「わぁぁぁぁぁぁぁぁ……! わぁぁぁぁぁぁぁぁ! いいなっ、羨ましいですね、キシリアさんっ!」

真耶は目をきらきらさせた。

「あらあら、まあまぁ。 どうしましょう」

セシリアは一夏の猛烈なアタックに彼が可愛い妹を任せられる男かどうかを考えた。











これからは俺の稽古に付き合ってもらうぜ、パチリア。
深く、地面に埋まるくらいに右足で踏み込む。二之太刀は考えない。
ISのエネルギーを残った左バーニアに叩きこんでの『瞬時加速』。
エネルギー切れより速く、この剣を叩き込めばいい。俺の剣をパチリアより、先に叩き込んでやる。
右のバーニアを失った『瞬時加速』は踏み込んだ右足を軸に左への回転運動に生まれ変わり、そして、その力はそのまま俺のブレードの速さになる!










「え?」

え、今、告白された? ……いやいや、そんなまさか。 お姉様相手ならともかく私なんかに。 あ、そうか。私を踏み台にして、お姉様に近付こうと!
あれ、でも、さっきの彼の表情は……。 真剣で、ちょっと格好よか―――わ、私にはお姉様という方が!
でも、嘘ついてたようには思えなかったし……ええ!? まさか本当に、











「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

織斑一夏の人機一体となった剣はキシリアを胴を左脇から入り、右肩から抜ける逆袈裟一閃。同時に絶対防御が発動し、ISがロック。
一夏は右手に保持していたブレードを突き上げると、

「俺の…………………………勝ちだぁぁぁぁぁ!」

天に届けと、全てに自分の勝利を伝えるかのように、一夏は吠えた。
一夏のISも勝利を喜ぶかのように一瞬、光輝くが、すぐに収まる。
エネルギー切れで絶対防御が発動し、第一次移行は失敗。
だが、そんな事は一夏は知らない。知っていたとしても、どうでもいいと思うだろう。

そして、全てが終わった事を知らせるかのようにブザーが鳴り響いた。

「試合終了。 勝者―――織斑一夏! おめでとうございまいたたたたたたた!? 織斑先生、痛たたたたたたたた!」

アリーナに山田真耶の悲鳴が響いた。
その声を聞きながら、

「さすがに疲れたー……」

一夏は深い満足感と疲労に包まれながら目を閉じた。
言葉とは裏腹に一夏の顔には笑みが刻まれていたのだった。



[27203] 四話『ここにいるぞ』
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/17 18:45
クラス代表決定戦が終わった次の日。
眠気を誘う春の陽気。
そして、日曜日で学園はお休み。綺麗にて整備された中庭には外出しなかった生徒の姿があちこちに見られる。
寮内で異性の目がないせいか色々な意味で彼女達は見せられる格好ではない。
そんなだらしない彼女達を気にせず、キシリアは椅子を、セシリアは大きな布と竹で編まれたデイリーバックを小脇に抱えて中庭に現れた。

腕から肩にかけて白い肌が見える、淡い桃色のサマードレスをキャンパスとして、彼女自慢のブロンドが太陽の光を浴びて鮮やかに映える。
咲き誇る桜の木々のように華麗に歩くのはセシリア・オルコット。
柔らかく微笑む彼女を誰もが目を奪われる。

「今日はいいお天気ですわね、キシリアさん」

「はい、晴れてよかったです」

キシリアは鮮やかなセシリアとは違う。
無地の白いTシャツにクラッシュジーンズ。ラフと見るか活動的と見るべきか。
昨日、織斑一夏に縦ロールを一本、カットされたために片方だけ残った縦ロールが物悲しい。
相方を失った寂しさのせいか、心なしか残された縦ロールは力無く垂れ下がっているように見える。

二人は人のいない木陰に椅子を置いた。

「お姉様、この辺りでいいでしょうか?」

「ええ、そうですわね」

「それでは、よろしくお願いします」

「はい、ではこちらにお掛けになってください」

おどけながら、キシリアは椅子に腰掛けた。
セシリアは、ばさりと手にした布を広げると手際よくキシリアの首に巻く。
それはキシリアの身体をすっぽりと覆い隠し、頭以外の肌は見えない。

「お客様、今日はどのように致しましょうか?」

地面に置いたデイリーバックから霧吹きを取り出すと、しゅっしゅとキシリアの髪に湿り気を与えてゆく。

「可愛くしてくださいませんか?」

セシリアとは違い、湿り気を帯びた、キシリアのちょっと強い癖のある髪に気を付けながら、櫛を通す。

「お客様は元から可愛いですから、それは難しいですわね」

縦ロールにもしゅっしゅ、さっさと小気味いい音を立てながら櫛を通して真っ直ぐに戻す。
正面に回ったセシリアが見たキシリアの表情は目を瞑り、どこか嬉しそうだ。

「ありがとうございます」

―――…………………………えいっ。

セシリアは、ちょこんとキシリアの形のいい鼻を摘んだ。

「ひうっ!? び、びっくりしましたわ!」

びっくりして目を開いたキシリアに、

「あんまり可愛いから、つい悪戯してしまいましたわ」

「も、もうっ! お姉様ったら」

二人は見つめ合い、しばし楽しげに笑い合う。

「さて、カットいたしましょうか」

セシリアの手にはプロ仕様のカット鋏。
きちんと手入れしてある刃は顔が映るほどに輝いている。

「真面目にどうカットしましょうか? この際ですから、イメージを変えてみません?」

具体的には縦ロールを切り落とす感じである。
セシリアとしては、自分と同じようなヘアスタイルを見ても楽しくはない。妹分が自分の真似をしようとするのは、とても胸きゅんではあるのだが。
その複雑な心境はすでに縦ロールだった部分に向けて鋏を構えている事から明らかだ。目を瞑っているキシリアは気付いていないが。

「いえ、今回もお姉様と一緒がいいですわ! また伸びたら戻しますので整えるくらいにして頂けませんか?」

予想通りの返事にセシリアは胸の内で、ちょっとため息。
仕方ない、と思いながら鋏を、

「ふぇ〜、せしりーとぱちりーは仲良しさんなんだねぇ〜」

しゃきっ。

いきなりかけられたら声に振り返れば、モップに似た赤いもこもこ。
頭にはどこを見ているかわからない多分、目っぽい何か動くたびに揺れる。その下の部分には人の顔。

「い、いきなりで驚きましたわ……! え、えーと、確か……布仏さんでしたわね」

「そうだよぉ〜。布仏本音さんですぞぉ〜」

赤いモップのようなもこもこした着ぐるみに身を包んだ少女、本音は威嚇するかの如く、ぶかぶかの袖を挙げて言った。まぁ、ゆるゆると笑う表情のせいで恐ろしくとも何ともないが。

「ご挨拶が遅れましたわ。わたくし、セシリア・オルコットで」

「あたくし、キシリア・スチュアートですわ」

「うん、よろしくねぇ〜」

えへへと笑う本音にセシリアも、うふふと笑い返した。
セシリアのお姉さん力(ぢから)が発揮されたのである。
しかし、背後でお姉さん力が発揮されて面白くないのはキシリアだ。
ただの友達なら構わないにしても、セシリアの妹はキシリアだけでなければいけない。

「あ、あのお姉様……」

本当なら、あたくしだけを見て!と言いたいのを我慢しながら、キシリアは控えめにアピール。

「あら、ごめんなさ……………………………………」

「……………………あらぁ〜」

視線をキシリアに戻した二人は、

「え、どうしましたの!?」

「…………………なんでもありませんわよ?」

「……………………なんでもないよ?」

「え!? ここで布仏さんがいきなり普通に話始めるとか、何がありましたの!?」

キシリアは膝の上に僅かな重みを感じた。視線をそこに移すと無残な縦ロールが、

「ぱちりー、ぱちりー。 私は本音でいいよぉ〜? せしりーもね」

「あ、えと、はい」

「あら、もうお二人はお友達になりましたのね。 わたくし、ちょっと妬けてしまいますわ」

「せしりーもお友達ぃ〜!」

「うふふ、光栄ですわ、本音さん」

「えへへ〜」

「えー?」

流されていると理解しながらも、キシリアは口を噤んだ。
髪を切られている時、目を開くのは怖いし、耳元でしゃきしゃきと踊る鋏はひどく楽しげでセシリアの気持ちを表しているようだったから。

―――お姉様はそんなにあたくしの髪型を変えたかったのでしょうか……?

ちょっとへこんだ。





「おはよ……」

「む、どうした一夏? 教室の入り口で止まるな。後の者に迷惑ではないか」

朝、箒と一緒に登校して来た俺は思わず足を止めてしまった。

「………………………………………………………………………………」

教室に入ると自分の席に座ったパチリアがじとーっとした暗い目でこちらを睨んで来た。

「キ、キシリアさん、そんなにその髪型、嫌でしたの?」

「す、すっごく似合ってると思うなぁ〜!」

パチリアの周りにはセシリアと、いつものほほんとした……名前知らねえや。のほほんさんでいいか。
二人が慌てた様子でパチリアを慰めていた。

「……………………………………………………お姉様と一緒が良かったんですの」

パチリアは残っていた縦ロールも切ったのか、髪型ががらりと変わっていた。
肩の辺りで真っ直ぐに切り揃えられて、前髪もぱっつん。
金髪の市松人形みたいだ。
パチリアは唇を尖らせて、じとっとした目つきで俺を見上げて来る。
何を求められてるんだ、俺は…… そうか。

「よく似合ってるぞ、パチリア」

ただでさえちっこいのに余計、幼く見えるけど。

「今のあたくしにパチリアという名は相応しくありませんわ……!」

「パチリアって名前に、そんな厳しい条件があるのか」

パチリアは勢いよく立ち上がると、

「当然ですわっ! あたくしのお姉様への愛が! つまりは愛ですわ! そう……Loveですわね?」

「愛しか言ってねえ!?」

結局、どういう事なんだ!?

「愛されてるねぇ、せしりー」

「わたくしとしてはキシリアさんに、もう少し姉離れしてもらいたいんですが」

しかも、もう外野に回ってる人達がいますよ、奥さん。
これは俺が何とか纏めなきゃいけないのか?

「大丈夫だ、お前以外にパチリアに相応しい人材はいない」

パチリアって呼ばれたい奴も他にいないだろうし。

「駄目ですわ……。 今のあたくしは出来損ない。 つまり、パチパチリアですの……」

「ややこしいな、パチパチパチリア」

吉本みたいだな。

「うー……! パチパチパチリアって! パチ一個増やすくらいに今のあたくしは見苦しいと言いたいんですのね……!」

「すまん、ただ間違えただけだ」

「お姉様への愛は間違ってませんわよ!」

「お前、面倒くさいな!?」

「そ、そもそも貴方が悪いんですわ!」

パチリアはちょっと涙目になって、顔も赤くなっている。
俺にはよくわからないけど、パチリアにとって、セシリアと似たような格好をするのは大事な事なんだろう。
人生色々だもんな。
それに女の髪を事故だったとはいえ、ばっさり斬ってしまったんだ。
誠心誠意を込めて謝らなければいけないだろう。

「本当に悪かった、パチリア。 俺に責任を取らせてくれ」

少しでも気持ちが伝わるように、俺は深く頭を下げた。
まぁ俺に出来るのは飯を奢るくらいだけどさ。 ……はぁ、自業自得とは言え、また財布が軽くなるぜ。

「………………ん。 どうした、皆?」

「「「「「なんでもないよ!」」」」」

あちこちで好き勝手に話していたクラスメイト達が、いきなり黙り込んだと思ったら一矢乱れぬ返事が返って来た。
ひょっとして新手のイジメか、これ?

「待て、一夏!」

「ん、どうしたんだ、箒?」

なんだか顔が青いぞ。 寝不足か?
……いや、それは無いか。
昨日はぐっすり寝てたもんな。 ……ああ、そうか。"あの日"か。
口に出して怒られるほど俺は間抜けじゃないぜ。
何度、口に出して千冬姉に怒られたかわかったもんじゃないからな!

「一夏、きちんと答えてくれ……!
お前はこいつと……その付き合うのだろう? そ、その……そして……………つまり、責任を取るという事は」

「ああ、そういう事だ」

稽古に付き合うんだし、飯くらい奢らないとな。
しかし、どうして箒はそのくらいの事で、こんなに言いにくそうにしてるんだ?

「なあ、箒」

「待て、一夏! まだ出会って一週間くらいだろう!? は、早すぎやしないか?」

出会って一週間で稽古に付き合ってもらうのが早いのか……?
あ、そうか。 きちんと髪を切った責任取ってからにしろって事か。
こんな事だから、いつも女心がわからないって言われるんだろう。
反省しないとな。

「ありがとう、箒。 お前のお陰で目が覚めたぜ」

「そうか! わかってくれたか!」

「ああ」

俺はパチリアに向き合うと、しっかりと目を見た。


「俺と日曜日、飯食いに行こうぜ」

「「「「「きゃぁぁぁぁぁぁ! デートよ、デート!」」」」」

なんだか皆、盛り上がってるな。誰と誰がデートするんだ?

それはともかく、ちょっと奮発して、ステーキ!……はさすがに無理か。 ファミレスでパフェ付きくらいで許してくれないだろうか。
バイト出来ないから金が無いんだ。

「え、え、え、え、えっと、そそそそそそその…………お姉様!?」

パチリアはどこかで見た事のあるような、明らかな挙動不審な動きを始めた。
キタキ○踊りみたいだ。

「あらあら、キシリアさん。 殿方に恥をかかせてはいけませんわ」

「そ、そんな!?」

パチリアは涙目を超えて半泣き。そんなに嫌だったのか?
それよりセシリアと離れるのが嫌なのかもな。
将を射るなら馬からと言うし、ここは一つ。

「そうだ。 なら、セシリアも一緒にどうだ? 大した物はご馳走出来ないけどさ」

「そうですわね……」

セシリアは小首を傾げ、少し考えると、

「構いませんわよ。 貴方という人を確かめさせてもらいます」

「ああ、失望はさせないつもりだ」

俺の誠意を見せて、謝罪を受け入れてもらおう。

「お、お姉様、待ってください! え、えーと……えっと……………他に行く者はいないかぁ!」

「ここにいるぞ!」

おい、待て箒。
お前、そんなに食い意地張ってたのか……。
そこまで必死になって……腹空かせてるのか。

「ここにもいるよぉ〜」

のほほんさんまで!?

「……仕方ない。 じゃあ、この五人で行こうか」

千冬姉、少し金貸してくれないかな……。



[27203] 五話『遠いな』
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/25 18:19
木刀を正眼に構える。

最近、見つけたあまり人目につかない雑木林の中にある僅かに開けた場所に箒は独り立つ。
とっくに太陽は沈み、夕飯も食べ終わり早い者なら、すでに夢の中に落ちている事だろう。
誰かと話したい気分でも無かった。特に一夏と顔を合わせているのが、ひどく苦痛だった箒はまるで逃げ出すかのように、この場所に来たのだった。

ゆっくりと木刀を持ち上げる。
構えはクラス代表決定戦で一夏が見せた上段の構え。
普段は意識せずとも背筋がぴしりと伸ばされる構えなのに今日は力を込めなければ自然と背中が丸まってしまう。

箒はゆっくりと息を吸い、ゆっくりと優に普段の三呼吸分ほどの時間をかけて息を吐いた。
ゆっくりとした呼吸に合わせるかのように、ゆっくりと足を踏み出した。
あまり最近の剣道では見かけない、古武術でよく見られる一つ一つの動作を確かめるための動きである。
斬る、という動作に腕力はいらない。

肉体改造と称し、ひたすらに上半身を鍛えた、あるプロ野球選手がいた。
腕力があれば、ホームランが打てる。子供でも考きそうな理屈だ。
しかし、超一流のプレイヤーが皆、上半身のみを鍛えているのだろうか。
答えは否である。
彼はそれまでに培って来たバッティングフォームを捨て、力任せに打とうとした結果、打てなくなってしまい、最後には上半身と下半身のバランスを崩し、身体を壊してしまった。
腕力も確かに必要だが、絶対の条件ではない。
本当に必要なのは身体の稼働部の連動により、対象に体重を乗せる事だ。
超一流のプレイヤーは皆、フォームに力みがない。
何故なら力を入れるという事は、それだけ筋肉を収縮させているという事。それはエネルギーを無駄にロスしているという事だ。
身体を連動させ、望んだパフォーマンスをするには余分な力を入れず、心静かに自然体を維持する必要がある。

それを理解している箒だが今日はどうにも上手く行かない。
膝は流れ、腰は揺れる。体幹がブレる。
箒の心のように流れ、揺れて、ブレている。

くそっ、と胸の内で罵りを発する。
自分か、一夏か、あの女か。
誰に向けて放ったのか。それもわからずに余計にイラつく。

くそっ、とまた剣を振る。
不細工な剣線は空気すら斬れぬ。
一のブレは連動され、結果的に十のブレになる。箒の揺れる心はブレを増幅させ百のブレ。
上手く行かない焦りが振りをどんどん速く。そして、乱雑にしていく。

くそっ、とまた剣を振る。
何も斬れないなまくらの技。
これなら素人の方がよほどマシだと箒は自嘲する。
この溢れる感情が自嘲だと思い込む。

くそっ、また剣を振る。
斬れぬ。斬れぬ。何も斬れぬ。
木に打ち込めば弾かれる。
空気は斬られるよりも速く逃げ出すだろう。
この迷いに迷う我が心も斬れぬ。



未練も斬れぬ。



何故だ、と箒は自問自答。
私の方が先に一夏を好きになった。私の方が一夏との付き合いは長い。私の方が一夏を理解している。私の方が一夏と沢山、稽古をしてきた。私の方が一夏をあの女よりも好きなはずだ!ずっとずっと私は一夏を想って来た!私は一夏が好きなんだ!
なのに、

「どうしてだ、一夏……」

何故、あの女を選んだんだ。
何故、私じゃないんだ。
何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故!?

「どうしてなんだ!? どうして!?」

責任を取る、と言った真剣な一夏はとても格好よかった。
ただ真っ直ぐに、傷付けてしまったあの女と生涯を共にする事を、いっそ無造作に見える程に決めてしまう姿は箒に男を感じさせた。
それが他の男であれば、見事と褒め称えたであろう。
だが、

「私は何て見苦しい女だ……!」

責任を取ろうとした一夏に、まだ早いと説得した。
真っ直ぐに生きよう。生きたい。生きるべきだ。
ずっとそう思って来た箒があろうことか嫉心に狂ってしまった。
醜い。何と醜き事か。
自分が許せないし、許してはいけない。

「一夏は……悪くない」

ただ一夏は選んだだけだ。

「あの女も……悪くない」

選ばれただけだ。一夏に。

「私も……悪く……ない」

選ばれなかっただけだ。一夏に。

「なら……!?」

この想いをどうしろと言うのだ。
ただ持て余し、吐き出す事も出来ないというのか。

「好きなんだ!」

幼い頃から篠ノ之箒は織斑一夏を好きだった。

「お前じゃなきゃ駄目なんだ!」

離ればなれになっても、いつか出会えると信じていた。

「一夏ぁ……………」

また出会えた。
出会えれば想いは通じると信じていた。

「好きなんだ……一夏ぁ……!」

だが、箒は選ばれなかった。

「私は……私は……………私は」
箒は、ただ泣く事しか出来なかった。
声も出さず、ただただ箒は泣いた。





少女のキラキラとした美しい想いは儚く砕け散る。
そして、残骸から溢れ出すのは真っ黒な感情。

―――自分はこんなにも醜いのか。

純真無垢だった少女の心はあっという間に穢れに満ち満ちる。
嫉妬は悲しみになり、悲しみは憎しみへと生まれ変わる。
穢れなき乙女の想いは無残。無残。無残。




















だが、箒にはまだ残っている想いがあった。




















「点呼を取りますわよー。1」

「にぃ〜」

「3だ」

「4……って、おい」

「5。 なんだ、私がいるのが不満か? 一夏」

朝九時、学園校門前に五人揃っていた。
上から、
セシリア・オルコット。
布仏本音。
篠ノ之箒。
織斑一夏。
そして、織斑千冬である。

「はぁ〜い、質問でぇ〜す。 どうして織斑先生がいるんですかぁ〜?」

「ふっ、愚問だな」

休日だというのに一部の隙もない黒いスーツはまさに麗人。
触れれば切れるような冷たい美貌。
千冬は口端を吊り上げ、威風堂々と言う。

「一夏の金で酒が飲めると聞いて」

「千冬姉、何言ってんだ!?」

「冗談だ。 オルコットから今日は花見に行くから引率として来てくれと頼まれただけだ」

「ん、花見?」

聞いていないと一夏は首を傾げ、セシリアが答えた。

「はい、人数が増えましたので、どうせなら、お花見をいたしましょう!」

胸の前でぱちんと手を合わせ、セシリアは朗らかに笑う。

「え、俺、何も聞いてないんだけど」

「あら? わたくし、篠ノ之さんに伝えましたわよね?」

最初に点呼に答えてから箒は俯き、言葉を発していない。
どことなくぼんやりした姿は普段の竹を思わせるようなすらりとした印象からは程遠かった。

「あ……すまん、一夏。 伝え忘れていた……」

「おい、箒。 しっかりしてくれよ」

「す、すまん」

「おりむー、おりむー」

てこてこと一夏の正面に本音が立つ。

「ん、どうしたんだ?」

「めっ」

ぺちん、と一夏のおでこに本音の平手が当たった。

「うえっ!?」

一番、このような事をしそうにもない本音に叩かれた一夏は痛みよりも純粋に驚き。

「おりむーはちょっと黙ってた方がいいと思うなぁ〜」

「そうですわね」

「愚弟め」

「ちょ、どういう事だ!?」

「おりむーはおばかさんだねぇ〜」

「な、なんでだ……」

知らぬは本人ばかりなり。
一夏に悪気があろうとなかろうと、乙女の純情を踏みにじっているのだ。

「む、そういえばスチュアートはどこだ?」

「キシリアさんなら今、車を取って来ますわ」

「……車?」

黙っていろと言われても、つい口を開くのは一夏の悪癖だろう。
考えがすぐに顔と口に出てしまう。

「はい、この近くの桜の名所を調べたら、歩いて行くのも大変みたいですもの」

「ん? あれ、千冬姉って車の免許持ってたっけ?」

「私は持ってないぞ。 今日はスチュアートの運転だ」

「え、なんでパチリアが免許持ってるんだ?」

「キシリアさんは十八歳ですもの。 免許を持っていてもおかしくないでしょう?
イギリスで国際運転免許に切り替えて来ましたんですわ」

「誰が十八歳?」

「だから、キシリアさんですわ」

ぷっぷー、と軽快なクラクションを鳴らしながら、ワンボックスのワゴン車が止まった。
運転手は無論、

「皆さん、お揃いですわね」

キシリア・スチュアートである。

「嘘だ!?」

叫ぶ一夏。

「私は知ってたよぉ〜」

「無論、私も担任だから知ってる」

そんな一夏を尻目に本音と千冬はさっさと乗り込んだ。

「一夏さん、年上はお嫌いですの?」

「あ、いや、そういう事じゃないけどさ」

「なら、いいじゃありませんの」

セシリアは一夏の胸をとん、と押すと、

「さあ、行きましょう?」

桜の花よりも美しく微笑んだ。




パチリア……いや、パチリアさんだったのか。
何故か助手席に座らせられた俺は横目でパチリアを見つめた。

「なんですの?」

「いや、なんでもない」

明らかにセシリアより幼い感じだよな。
ロリセシリア。略してロリア。
やっぱパチリアがいいか。

「……不愉快な視線ですわね」

「生まれつきだ」

「そ、そうですか」

な、なんだ。この空気は……。
なんでパチリアは言い返して来ないんだ。
やっぱりまだ怒ってるのか?

「なあ、パチリア。 確かに昨日、少し先走り過ぎたと思う。
すまなかった」

「うー……」

女の髪を切るだなんて、男として最低だった。
それを忘れて稽古に付き合ってもらおうなんて虫のいい話だ。
何よりも先に俺はきちんと謝って許してもらわなければいけなかった。
本当に十八歳か気にするよりも俺にはやらなければいけない事があったんだ。

「本当に悪かった。 お前の気持ちも考えないで……。
それだけお前に付き合って欲しいかったんだ」

「あ、うー……う、うぇい……」

「一夏さん、キシリアさんは今、運転中ですのよ。 あまり困らせないであげてくださいな」

「あ、そうか。 すまん」

のほほんさんと一緒に二列目に座っていたセシリアに窘められる。

「そういえば今日のご飯はぱちりーが作ってくれたんだよねぇ〜」

「そうですわ。 キシリアさんの作るお料理は絶品ですのよ!」

妹……姉? いや、妹か。
セシリアは妹が誉められたのを喜ぶ姉のようにしか見えない。

「一夏さん、あとで材料費は請求させて頂きますわね」

「ああ、勿論だ」

セシリアは逆にここで割り勘なんて言われてしまえば俺の面子が立たない事を察して、ここであえて金の話をしてくれている。
もし、その気遣いに気付かない相手なら不快に思われてしまうかもしれない。なのに、こうやって自分から泥を被れるセシリアは俺なんかより凄く大人なんだろう。
俺もこうやって自然に相手に気遣い出来るようになれば、のほほんさんにおばかさんと言われずに済むんだろうか。

「それは多分、おりむーには無理だと思う……」

「待ってくれ。 声に出してないし、そこまで本気で暗くなるような話じゃないはずだ」

のほほんさん、何か俺に厳しくない!?


















「本当に悪かった。 お前の気持ちも考えないで……。
それだけお前に付き合って欲しいかったんだ」

後部座席に、一夏から一番遠い所に座る箒の耳にもその言葉は聞こえて来た。
一夏らしいまっすぐな告白は箒の心を抉る。

―――来なければ、良かった。

何故、好きな男が別な女を口説くのを見せつけられねばならないのか。
だが、泣く訳にはいかない。一夏が心配する。
篠ノ之箒が知る織斑一夏は泣いている誰かを放っておきはしない。
一夏の負担にはなりたくない。

「……篠ノ之。 ん、今の私はプライベートだから箒でいいか」

「何でしょうか、織斑先生」

冷静に返そう。そう思って発した言葉は控え目に言っても涙声一歩手前。何とか泣いていないというだけ。

「まぁこれでも飲め」

千冬から渡された缶を確認もせずにぐいっと呷った。
舌に苦味。 飲んだ事の無い味と喉に触れる淡い炭酸。
不味い、と思いながらも箒は一気に飲み干した。

「ぷはぁ……美味しくありませんね」

「お前……たまに私が冗談を言ってみれば完全にそれを上回って来るな」

手にした缶を見てみれば、ビールだった。
普段なら酒を飲まされたと怒る所だが、今の気持ちを誤魔化せるなら法律すらどうでもいい。

「千冬さん、もう一本ください」

「……山田くんを連れて来て押し付ければよかったな」

露骨に嫌そうな顔をする千冬が嫌々渡してくれたビールを開け、再び呷る。

「ぷはぁ! ……不味いですね」

もう一本、と手で催促。

「せめて、一気飲みはやめろ」

味わうと美味しいのだろうか?と思いながら一応、ちびりと飲んでみる。
舌の上でビールを転がしてみるが、箒にはやはり美味しいとは思えなかった。



晴れたる空。満開の桜並木。
桃色の花びらが風に流される。
そんな美しいはずの光景を見ても、箒の心はぴくりとも動かない。

「よくこんな場所取れたな」

「ふふん、朝早くから場所を取りましたのよ!」

「なんだ、言ってくれれば俺も一緒に来たのに」

「お姉様と二人きりの時間を邪魔しないでください!」

小さな身体で胸を張るパチリアと一夏。何だか兄妹のよう。
似合っている、という事なのだろうか。
二人の距離。
一夏とパチリアの距離は近い。 肩が触れるか触れないか。 そんな距離感は一夏と箒では滅多に無い。

一夏が言うようにいい場所を取ってなのだろう。
桜の名所として有名な公園の中でも一際、大きな桜の木の下に六人が輪になって座っても悠々と出来る。
シートの下を軽く均したのか、箒の尻に石の感触が伝わって来る事は無かった。

「うわっ、この唐揚げうまいな!」

「そうでしょう? キシリアさんの唐揚げは絶品ですわ」

「えへへ、お姉様ぁ〜」

セシリアに誉められ、頭を撫でられ喜んでいる。 そして、

箒は恋する乙女だ。 恋する乙女が恋する乙女を見間違える事は有り得ない。



―――パチリア・スチュアートは織斑一夏の言葉に喜んだ。



待って……。
まだ心の準備が出来ていないんだ。
傷つく準備が出来ていない。
それがいつ出来るのかわからないけど、今はまだ無理だ。
見ていられなくて視線がつい自分の膝に向かう。

「ほうきん、ほうきん?」

「あ、ああ。 布仏か……どうした?」

「んーん、コップが空になってるから、お酌してあげるぅ〜」

「……すまない」

気を使われているな、と思った。
だが、それがどうした。そうも思った。
僅かばかりの煩わしさを感じながら、紙コップを差し出した。

「はぁ〜い」

とく、とく、とく。
黄金色の泡立った液体が注がれて行く。

「一夏さん、ご飯粒がお顔に着いてますわよ」

「うわっ、本当か? ……取れたか?」

「こら! お袖でごしごしするんじゃありませんの! ……仕方有りませんわねぇ」

パチリアはハンカチを取り出すと一夏の顔を拭ってやった。

「……………っ!」

それを見て箒は、

―――とく、とく、とく。 溢れても、まだ注がれて行く。

「……布仏?」

そこで初めて彼女の顔を見た。

「ほうきん、駄目だよぉ〜」

笑顔。
笑顔のはずなのに、

「ほうきんは何もしてないんだよぉ〜?」

何故、彼女はこんなにも悲しい顔をしているのか。
よく冷えたビールが箒の手を、腕を、脇を、腰を濡らして行く。

「誰も悪くないなんて、そんなはずないの」

背筋に広がる冷たさはビールのせいか。それとも、

「違う」

反射的に箒は答えた。
なら、悪いのは誰だと言うのだ。

「待ってたら王子様が来てくれるなんて事はないんだよ?」

箒は待ち続けていた。いつか一夏が迎えに来てくれるのを。
仕方ない話だろう。
ISを生み出した篠ノ之束を付け狙う人間は、それこそ星の数ほどいる。
その巻き添えで箒達を人質に、テロの標的にするような連中も同じくらい存在している。
だから、箒は身を隠さねばならなかった。
一夏と離ればなれにならなければならなかった。

そんな事情を知らないまま、この女に好き勝手に言われるのは我慢がならない。

「お前に何がわかる」

「ほうきんの事情なんて知らないよ? でもね」

箒の怒りを籠めた視線に本音は小揺るぎ一つしない。

「ほうきんも私を知らないよね」

「当たり前だ! 殆ど話した事もないお前の事など私が知るか!」

「うん、だから同じように話してもいない気持ちをおりむーが知ってるはずないんだよ」

「…………………っ!」

「ほうきんはまだスタートラインにすら立ってないと思うな」

想いは通じる。そう思っていた。
だけど、現実は何も通じてはいない。

「だけど……迷惑になる」

一夏に迷惑に思われる。
そんな事を考えただけで、箒の身は震えを帯びる。

「なるね」

「だったら、言わない方がいい」

「ほうきんはそれで諦められるの?」

一夏に迷惑に思われるのは怖い。
一夏に嫌われるのは怖い。
一夏に選ばれないのは怖い。

「…………………………………………られない」

「ん〜?」

「諦められない」

小学生の時から想っていた。
そんな簡単に諦められるなら、とっくに諦めていた。

「大丈夫だよ。 おりむーなら」

箒は俯いていた顔を上げた。
雲一つ無い青空が桜の花々の隙間から見えた。
ビールと食べ物と桜の香り。
ビールに濡れた身体に服がまとわりついて、箒の身体のラインを露わにしている。
濡れた身体の冷たさが箒の目を覚ます。



見えなかった物が見えてくる。



一夏は案外、しっかりしている。
服を脱ぎ散らかす事もないし、誰かに言われずとも掃除もする。
だけど、どこか面倒くさがりで目の届かない所は露骨に手を抜く。
自分がいなければ、どうなっているかわからないと思う。

パチリアと戦ってから何かを決心した一夏は毎朝、四時に起きて、ランニングを始める。
窓から走る一夏を見れば、真剣な表情はとても格好がいい。
だから、低血圧で朝起きるのが辛いのにタオルとぬるめのスポーツドリンクを用意してやっているのだ。

「ありがとな」

そう一夏に言われると凄く嬉しい。
胸がぽかぽかして、とても暖かい。
もっと、と思ってしまう。

小学生の頃、男女だといじめられていた箒を助けてくれたように曲がった事を一夏は許せない。

―――この時、はっきり一夏を好きだって気付いたんだ。

でも、多分それはただのきっかけけ。
本当はとっくの昔から一夏が好きだった。

―――篠ノ之箒は織斑一夏を大好きなんだ。

篠ノ之箒が惚れた織斑一夏は想いを寄せる女を邪険にするような器の小さい男だろうか?

―――違う。

そんな事も忘れていたというのか。
どれだけ自分の目が曇っていたのか気付き、少しおかしくなる。
織斑一夏がいい男なのは、篠ノ之箒が一番よく知っているはずだろう?

「布仏、感謝する」

「ならぁ〜本音って呼んで欲しいなぁ〜」

へにゃりと笑う本音。

「ああ、本音には結婚式で友人代表の挨拶をしてもらうさ」

「楽しみにしてるねぇ〜」

箒は並々と注がれたビールを一気に飲み干した。
色々と気付いた箒だが、ビールだけはやはり美味しく感じなかった。

「やっぱり、不味いな!」

「あは〜、いい飲みっぷりだねぇ〜」

本音から勇気を貰った。
答えはこの胸に最初からあった。
無かったのは、

―――私の一夏への信頼だけだった。

一夏は女一人の想いくらい、しっかりと受け止めてくれるだろう。

一夏に選ばれるのを待つんじゃない。
篠ノ之箒が選んだんだ。
世界中の男の中から、たった一人。 篠ノ之箒が織斑一夏を選んだんだ。
こんなにも溢れる気持ちを押さえつけておけるものか。

「一夏が私を選ばないなら、私が一夏を惚れさせればいい」

決めた。 決めた。 そう決めた。
篠ノ之箒に惚れさせるのだ。 織斑一夏を惚れさせるのだ。

自己中心的なエゴイスティックな想いだろう。 この想いは一夏の迷惑になるかもしれない。
だけど、そんな事は知らない。 知った事ではない。 目覚めた篠ノ之箒には関係ない。
何故なら、

「恋する乙女は盲目だねぇ〜」

ああ、まさにその通り。
何も見えない中、篠ノ之箒は戦うのだ。
ただこの胸を焼き尽くすような炎を武器に戦うと決めた。

そもそも箒は頭がよくない。
多分、生まれて来る時に姉に全部、吸い取られたのだろう。馬鹿が馬鹿な事を考えても馬鹿な答えが出るだけだ。
馬鹿+馬鹿=馬鹿だ。
だから、馬鹿なりに馬鹿らしく行こう。

「一夏」

「ん、どうしたんだ、箒?」

考えずに動いた結果、いつの間にか一夏の傍らにしゃがみ込んでいた。
一夏まで30cm。

――ふむ、遠いな。

普段の距離をあっさりと乗り越えて箒は一夏に近付く。

5cm。

慌てて逃げようとした一夏の頬にそっと手を伸ばす。

「なあ、一夏」

「な、なんだ!? てか近い!?」

知らん、と箒は流した。
私が近付きたいんだ。 何の文句があると言うんだ。

「私は決めたよ。 もっといい女になって、お前に私を選ばせてみせるさ」

「……あ、ああ」

何もわかっていない一夏にちょっぴりムカっと来る。
しかし、同時に一夏の頬はひどく熱い事に箒は気付く。

―――この熱が、もっと欲しい……。

もっと触れれば、もっと熱が伝わるだろうか?
無意識のうちに唇を舐めた。
熱に浮かされた頭は自然と熱に引き寄せられる。

「一夏ぁ……」

一夏の唇から目が離せない。
考える事を止めた箒の身体は勝手に動く。
自分がこんなにも媚びた声を出すなんて……とも思ったが、まぁいいやとも思う。

「ほ、箒?」

まだ何もわかってないのか、馬鹿者。
私はお前が欲しいんだ。

3cm。

2cm。

1cm。

































2cm。

3cm。

「…………………………………」

「………………箒?」

「出来るかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「うごぁ!?」

思いっきり振りかぶった頭突きが一夏の顔面に叩き込まれた。

馬鹿が馬鹿なりに動いても結果はやはり馬鹿な事になるのだった。
篠ノ之箒の道は、まだまだ遠いようである。




















「きゃあ!? 鼻血がお料理に!!」

「大惨事ですわ!?」

騒ぐキシリア、一夏の心配をするセシリア。

「一夏ぁ……一夏ぁ……」

一夏を揺する箒。

「…………………………………」

完璧に落ちた一夏。

「………………なんであいつノンアルコールビールしか飲ませて無いのに出来上がってるんだ?」

静かに酒を飲みたいから面倒には関わりたくない千冬。
引率などする気はない。

「あはは〜」

笑いながら、本音は千冬にお酌。
あらかじめ二人とも自分の分の料理は退避済み。

「しかし、お前が首を突っ込むとは思わなかった」

千冬は当然の如く本音の酌を受ける。
受け慣れているその姿は明らかに飲兵衛そのもの。

「ほうきんにも味方がいないとぉ〜可哀想ですよねぇ〜」

それに、

「……あいつが一夏と結婚したら束が義妹か。 ぞっとしないな……」

「あはっ」

結局、自分の後悔を押し付けただけだ。
千冬の独白を聞きながら、本音は思った。

「ガキはガキらしくしておけばいいものを」

「私は早く大人になりたいですねぇ〜」

「はっ! 大人になっても酒を飲んでも文句言われなくなるだけさ」

千冬は笑った。



[27203] 六話『フラグ職人の朝は早い』
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/21 05:06
織斑一夏の朝は早い。
午前四時、まだ寝たりないと抗議する身体を無理矢理、意志の力でねじ伏せると、ベッドから身を起こす。
顔を洗い、同室の箒を起こさないように、というよりも色々とまずい姿を見ないようにこっそりと支度を始める。
浴衣が着崩れ、ちょっと動いたら、あちこち見えてしまいそうな有り様。
鈍感要塞サイガスと呼ばれた一夏でも、うっかり引き寄せられそうな艶姿なのだ。

冷たい水で顔を洗い、眠気を追い出すと寝癖だけを直し、ジャージに着替える。所要時間は五分もかかっていない。
前日から用意しておいた室温のスポーツドリンクを持ち、汗を拭くためのタオルを首にかけると部屋を出た。
扉が閉まった後、寝ているはずの箒が舌打ちした事を一夏は知らなかった。

相撲に入った力士がまずやらされる事は徹底的な柔軟だ。股割りをするなら、泣こうが喚こうが徹底的に伸ばされる。
怪我を防ぐためにもスポーツ選手、武道家を問わず、柔らかい筋肉を持つ事は絶対条件だ。
一夏もまずはストレッチから始める。

ゆっくりと、だが一カ所につき十秒程度で三セットずつのストレッチは科学的も正しいやり方だ。二十秒以上のストレッチを繰り返すと筋肉がリラックスし過ぎてしまい、反応速度が落ちてしまう。
どの筋肉を伸ばしたいのか。きちんと意識した上で行われるストレッチは確実に効果を上げていた。
左右に足を180度開脚し、体を前にべったり倒す股割も今の一夏には苦にはならない。
そのまま上半身を捻り、腰回りの筋肉も伸ばす。

三十分ほどの時間をかけて、ストレッチを終えるといよいよランニングを始める。
日が上り始め、足元が見やすくなり、辺りが見えるようになって来ると案外、色々な発見がある。
山田先生がこっそりと植えた花壇の花々が蕾から花咲こうとしているのが見えるし、寮の方をふと見てみれば箒が窓からこちらを見ていたりもする。(何故かすぐに慌てて隠れたが)
昼間は人から隠れているような名前も知らない鳥が沢山いる事に気付く。
そのうち図鑑でも見てみようか。一夏は思った。

「おはよう!」

「げえっ」

「おはようございます、一夏さん」

毎朝、一夏はセシリアとパチリアに出会う。
二人とも一夏と同じようにランニングだ。
髪をポニーテールに纏めたセシリアとサイドテールのパチリア。
そんな彼女達を一夏はそのまま、

「じゃあ学校でな!」

「はい、また後で!」

「フシュー!」

スルー。
怒った猫のように毛を逆立てて威嚇音を発するパチリアに恐れおののいたという訳では無論ない。
織斑一夏はストイックな男なのだ。トレーニングはあくまで自分のペースを崩さない。
そんな彼が『IS学園一のジゴロ』と呼ばれるのは、とても"不思議"な事である。

一時間ほど走り込んだ一夏が向かう先は剣道場。
軽く汗を拭い、水分を補給すると一夏は言った。

「用意はいいぜ、千冬姉」

「ああ、どこからでもかかって来い」

ジャージ姿の千冬とジャージ姿の一夏。
二人が手にするのは木刀。
当たり所が悪ければ、命を奪いかねない凶器を手にしているというのに、防具を着けていない。
初めはその事に難色を示していた一夏だったが、

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「気合いだけは入るようになったな」

千冬の普段となんら変わる事のない声音。しかし、人命を容易く奪うだけの威力を宿した一夏の木刀にその身を晒している。
一、二、三。十、二十、三十といくら打ち込もうとかすりもしない。
持つ者がいない凶器を恐れる者がいないように、当たらぬと解っている剣に怯える理由が千冬にはない。だからこその平常心。だからこその明鏡止水の心意気。
そんな千冬を相手にして、防具を着けろと一夏は言えなかった。

「右腕」

一夏は千冬から目を離さなかった。だらりと下げられている剣から目を離さなかった。
しかし、激痛が右腕から唐突に発生。
打たれた、と思う間も無く、千冬に打たれたのだ。

「左足」

せめて、距離を取ろうと思えば出足を潰された。

「左腕」

打ち返そうとすれば、叩き潰される。

「腹。 耐えろよ?」

ずしんと来る鈍い痛みが一夏をうずくまらせる。
全く見えない千冬の剣は、一夏を痛みと屈辱に涙を浮かばせた。
しかし、必死に涙をこらえ、必死にせり上がって来る反吐を飲み下す。

「あ、ありがとうございました!」

千冬に稽古を着けてもらい始めて、そろそろ一カ月になるが、自分が強くなっているか一夏には解らなかった。
毎回、反吐を吐かなくなったのは進歩なのだろうか。

千冬が去った後、一夏は再びストレッチを始める。
今回はクールダウンのストレッチで一度に三十秒近く伸ばし、全てを一セット。
じっくりと、しかし手早くストレッチを終えた一夏は最後に道場の雑巾掛けを始める。

「ありがとうございました!」

雑巾掛けが終わると誰もいない道場に一礼。
腑が煮えくり返りそうな悔しさと次はこうしよう、こうしてやろうという工夫が脳内で入り混じる。
明日も百考えた事を一も使わずに終わるにしても、一夏は強くなりたかった。





部屋に戻った一夏を出迎えるのは、

「おかえり。 疲れただろう?」

ここ最近、全く心当たりは無いが優しくなった箒である。
どういう理由か一夏はさっぱり解らないが今も柔らかな笑顔を浮かべて労ってくれている。
ひょっとしたら、離れていた時間をやっと埋められたのだろうか?と一夏は考えている。
恐らく彼が真実に辿り着く事はしばらくは無いだろう。

「あ、ああ、ただいま」

出来るだけ箒を見ないように一夏は風呂場に向かった。
最近、これまたさっぱり理由がわからないが部屋の中では豊満な胸がこぼれ落ちそうなタンクトップ、何とかぎりぎり尻を隠しているくらいのホットパンツを着ている箒が目の毒だ。
一夏の青春棒とて、木石ではない。青春の青い暴走、または暴発を恐れる心が、一夏にもあった。

「(箒の奴、いくら幼なじみだからって俺の事、男と思って無いんじゃないか?)」

つくづく考えれば考えるほど逆方向にすっ飛んで行く男である。





シャワーを浴びて上がってみれば、脱衣場には下着と制服が用意してあった。

「箒、」

ありがとな!と続けようとした時である。

「呼んだか?」

がらりと扉を開け、入る女は篠ノ之箒。

「うわ、おま!?」

「ふむ……」

箒の視線は下、そして徐々に上に。

「し、閉めろ!?」

「ああ、すまなかった」

ばたん。





最近、一夏は座学の方もなかなかの頑張りを見せている。
さすがに一万分の一の確率を抜けて入学して来た少女達ほどではないが、どうしようもないくらいに理解出来ないというレベルではない。
むしろ、どうしようもないのは、

「………………………………」

黒板をキリッとした表情で見つめる箒。

「(あわわ……。 篠ノ之さんが怖いですよ!?」

山田先生にそう思われているとも知らず、まるで怒りをこらえているかのようだ。
何をそこまで彼女を掻き立てるのか。
















「(いいいいいいいいいいい一夏の【青春棒】を見てしまったではないか!? 違うんだわざとじゃないんだ。 つい出来心で……だが、大きくなっていたな!
つまり……私にこ、興奮していたのか!?)」

織斑一夏誘惑計画はなかなかに順調なようだ。箒は確信した。

「(いや、だがさすがに最後までは駄目だぞ、一夏! そ、そそそそそんな破廉恥な事は結婚してからなのだからな!)」

やはり、女の子としては純白のドレスもいいだろう。 だが、やはり神前式も捨てがたい……。

「(ふむ、これほど悩ましい問題だとは……………………えへへ)」

「し、篠ノ之さ〜ん?」

「(結婚したら一夏と呼ぶべきか、あなたと呼ぶべきか……。
むむむ、何という難題だ!?)」

「篠ノ之さぁ〜ん、先生の話聞こえますか〜? 無視しないでくださーい!」

「山田先生!」

「ひ、ひぃ!?」

「結婚したら、名前とあなた。 どちらがいいのでしょうか!」

「え、ええっ!? ……………………わ、私はあなたがいいですね〜!
おかえりなさい、あなた。 お風呂にする? ご飯にする? そ・れ・と・も……」

「授業だ」

千冬の無慈悲な出席簿が箒と処女(おとめ)山田真耶に振り下ろされた。











「うへぇ……」

「お疲れ様です。 今日は五分三十秒でしたわね。 また少し伸びましたわ!」

「あー、ちくしょー……」

放課後も放課後で一夏に休みはない。
セシリアに付き合ってもらい、ISの模擬戦を行う。
どれだけ必死に避けても、セシリアの専用機ブルーティアーズの特殊武装『ブルーティアーズ』のみで叩き落とされている。

「あー、ところでパチリアはどうしたんだ?」

「あの子は恥ずかしがり屋さんですから」

「……恥ずかしがり屋さんねえ?」

そう言いながら、白式を待機状態に、

―――ガガガガガピーガー。

戻すと異音。

「なんなんですの、その音は」

「さあ? パチリアと戦ってからなんだよな。 整備科には頼んだけど、ハード面でもソフト面でも問題はないらしいぜ」

「精密機械なんですから、凄く問題ありそうですわよ……」

「だよなぁ……。 よし、今日はありがとうな!」

「いえ、わたくしもいい訓練になりましたわ」

「……次は一太刀入れてやるからな!」

「期待してますわ」











「パチリア! 待ってくれ!」

「いやぁぁぁぁ、またですの!?」

また走り始めた一夏。
走っていたら見つかったパチリア。

「今日こそ、付き合ってもらうぜ!」

「いーやーでーすー!」


ランニングというより、すでにダッシュ。
ここ数日、周りの人間が「またやってるよ……」と思うくらいに繰り広げられている。





「な、なんなのよ……。 あの女!?」

鳳鈴音は見ていた。
建物の影から、逃げるパチリアと追う一夏を余す所なく見ていた。

「待てよぉ、こいつめぇ〜!」

「あははぁ〜、捕まえてごらんなさぁい」

という会話でもしているに違いない。鈴音は思った。

「本当にしつこいですわね! これでも食らいなさい!」

「ぐおっ! 砂は卑怯だろ!?」

「ふははー、卑怯で結構でしてよ!」

現実はこうだが。
しかし、声まで聞こえない鈴音にはわからない。

「う、羨ましい……!」

鈴音の乙女回路はまさにフルドライブ。

「捕まえたぜ、俺の可愛い子猫ちゃん……(キラッ)」

「やぁん……ダーリン、駄目だっちゃわいや」

「君より一秒でも長生きする。 だから、俺と……」

「い、いっちー!」

ひしっと抱き合う二人。
バックには沈む夕日。
そして、流れるBGM……。

「えんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 嫌ァァァァァァァァァァァァァ!?」

鈴音は叫んだ。

「春ねぇ」
「春よねぇ」

そんな通りすがりの連中の言葉は耳に入らない。
乙女道とは修羅の道である。
余計な言葉に耳を貸している暇はない。

「そうだ」

鈴音は考えた。
恐らく一夏はあの女に騙されているのだ。
何がどう騙されているのかは知らないが、とにかく一度、がつんとやってしまえば、

「大丈夫だった、一夏? ごめんね……痛かったでしょう」

「Oh、My Goddess……!」

鈴音の強さと華麗さと優しさを見せ付けてやれば一夏も目を覚ますのではないだろうか?
そうと決まれば話は早い。

「クラス代表を……乗っ取る」

鈴音が"優しくOHANASI"をすれば、きっと"わかってくれる"。
人は理解し合えるはずだ。
鈴音はそう確信している。
どっちが上で、どっちが下かとかそういう辺りは特に。



[27203] 七話『俺にいい考えがある』
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/22 21:00
「ここがあの女のハウスね……!」

よし、殺そう! いつそんな物騒な事を言ってもおかしくないような光を反射しない目でセシリアとパチリアの部屋の前に立つ鈴音。
"穏便に話し合った"結果、二組のクラス代表は鈴音になる事が穏当に決まった。
次は不埒な泥棒猫に『退場してもらわなければならない』

「ブロンドきたない。 さすがブロンドきたないな」

日本の成人男性の八割はパツキンダイナマイトな白人女性が好きだという統計が出ている。 鈴音調べでは。

「同じモンゴルマンの中国人じゃ不利じゃないのさー!」

どうせなら鈴音とて、むちむちぷりんになりたかったのである。
いいではないか、むちむちぷりん。
なのに鈴音の胸は貧しい。
貧乳は希少価値だ、という意見があるが希少価値よりも汎用性……いや、対織斑一夏用ぼいんが欲しい。

「モンゴルマンとはなんですの?」

「ラーメンマンよ!」

「そうなんですの?」

「そうよ! ……ん?」

豪奢なブロンド、白磁の肌。
柔らかい微笑みは同性の鈴音もどきりとさせる。

「な!?」

何故、鈴音の奇襲がわかったというのか。
部屋の扉からイギリス代表候補生セシリア・オルコットが姿を現していた。
あまり、他人には興味の無い鈴音ではあるが彼女の名前くらいは聞いた事がある。 むしろ、IS乗りでなくても知っているだろう。

現役のIS学園生でありながら、ロシア代表操縦者の更識楯無。
そして、更識楯無の次に現役学生で国家代表操縦者が出るとしたらセシリア・オルコットではないか?
そんな噂を鈴音は何度も耳にしてきた。

「あわわわわ……」

他にもセシリアには数々の武勇伝がある。

曰わく、拳銃一本でマフィアを潰した。
曰わく、プロのIS乗り十機を単独で落とした。
曰わく、射撃戦のみに限定すれば現役最強。

どう間違っても、鈴音に勝ち目のある相手ではない。

「どうしましたの?」

「は、はい、いいえ! なんでもないであります、マム!」

「………………………………」

一度だけ見た事のあるセシリアの戦闘映像はシャレにならない衝撃を鈴音に与えていた。
相手がわざわざそこに突っ込んで行くようにしか見えないような、偏差射撃どころではない魔技を見た。
牽制弾で相手のルートを固定し、最後の本命を撃ち込む。 そんな生易しい技術を使ってくれる相手ではない。
ただセシリアは撃った。
三発だった。
それが全て当たった。
ただ単純に撃たれただけの弾丸が歴戦の代表候補生を撃ち倒していた。
全く理解出来ないような高みにいるセシリアを鈴音はそれ以上、見る事を拒否。
心が折れる前にセシリアから逃げ出した。

そんな相手が今、鈴音の前にいる。
唇に指を当て、小首を傾げ、

―――あれ、何か可愛いな。 この人。

「そうでしたのね……」

「ひい!?」

心でも読まれた!? 一夏じゃあるまいしー!と内心では大慌てになりながら、とにかく鈴音は直立不動。
せ、せめて優しくしてください……!とすでに鈴音の心は完全に服従している。

「キシリアさんのお友達ですわね!」

「は、はいぃぃぃ!?」

「……違いますの?」

「いいえ、違いません!」

キシリア? パチリアじゃないの?と思いながら、とにかく少しでも命を長らえようと返事。

「あらあら、では中でお待ちになってくださいませ。 今はまだ帰って来ていませんが多分、すぐに戻って来ますわ。
それまでは、このわたくしセシリア・オルコットが! キシリアさんのお友達であるあなたを全力で歓待しますわよっ!」

歓待ってイギリス流の隠語かなぁ……。 せめて、顔はやめて欲しいなぁ……。
そんな事を再び光を反射しない瞳になりながら、鈴音は考えていた。





「そういえば、お名前はなんと仰るのかしら?」

「ふ、鳳鈴音です!」

さすがセシリア・オルコット。
部屋の中に入っても、セシリアだった。
鈴音にはよくわからないが、高そうな絨毯。 高そうな家具。

―――天蓋付きのベッドってどこに売ってるんだろう。 部屋の中で屋根つけて何の意味が?

よくわからないけど、とにかく何かすげー部屋だと鈴音は理解した。

「鳳さん、烏龍茶と紅茶どちらがいいかしら?」

「あ、そんな! お構いなく」

「キシリアさんの淹れたお茶はなかなかの物ですわよ。 どうか遠慮なさらず飲んでください」

セシリアは冷蔵庫を開けると、二リットルのペットボトルを取り出した。
さすがにどんなに美味しいお茶でも時間が経ってしまえば、香りが飛んでしまうだろう。
お茶の味には、あまり期待出来そうにないな。 鈴音は思った。

「はい、どうぞ」

何故か湯飲みに冷えた烏龍茶。

「ありがとうございます」

「鳳さんとわたくしは同級生でしたわね。 そんなに堅くならないでくださいまし」

「い、いえ……」

そんな事を言われてもタメ口でセシリアの気に触って消し飛ばされるのは嫌だ。 めっちゃ怖い。
間を保たすためにも、鈴音はお茶に手を伸ばした。

―――中国の同期にあの『青の射手(ロビン・フッド)』にお茶ご馳走になったって言えば自慢になるよね。

「あ……美味しい」

話題作り、間を保たすため。 その程度の気分で手を伸ばしたお茶は緊張でガチガチになっていた鈴音の心を溶かした。
冷蔵庫で一度、冷やしたお茶がこんなにも豊潤な香りを保てるなんて、想像もしていなかった。

「うふふ、でしょう?」

思わず漏らした鈴音の声に自分が褒められたかのように、嬉しそうなセシリア。

「わたくしの自慢の妹が淹れたお茶はお気に召しまして?」

「はい」

「こちらのゴマ団子もいかがかしら?」

勧められるままにぱくり、と食べればゴマの香りとこしあんの甘さ。
もぐもぐ、ごくんと一個。 また、ぱくり。

「うふふ、感想は聞くまでも無さそうですわね」

「あはは」

お茶もゴマ団子も美味しい。
セシリアも噂より怖くない。 それどころか妹が大好きなんだな、と顔を見れば、よくわかる。

―――結構、好きかも。 この人。

すでに鈴音はここに来た目的を忘れ始めている。
美味しい物をくれる人に悪い人はいないはずだと鈴音は思った。






「あはは、セシリア小姐。 それはペンですわ」

「うふふ、鈴さんこそベンに貸してあげるだなんて」

ビクビクしながら始まったお茶会はか和やかな雰囲気になっていた。
セシリアの柔らかい雰囲気と豊富な話題は鈴音の緊張をほぐした。緊張がほぐれれば、元々の人懐っこさを発揮した。
敬語だけは無くならなかったが。

「だーかーらー! 着いて来ないでくださいまし!」

「お前を追いかけまわして流石に疲れたから、お茶でも飲ませてくれよ」

「なんて図々しいのかしら!
あーもう……飲んだら帰ってくださいましね!」

ばたんと派手な音を立てて入って来たのはパチリアと一夏である。
二人ともどれだけ走って来たのか、滝のような汗。 ジャージが水に濡れたように湿っていた。

「おかえりなさい。 一夏さんもお疲れ様でした」

「ただいま帰りましたわ!」

「ああ、またお邪魔するぜ」

"また"?
一夏はそんなにもこの部屋に出入りしているのか。

「臭い! 男臭いですわよ!? ……はい、タオル使ってください」

「おう、ありがとう」

―――あれが……ツンデレ。

なんという破壊力であろうか。
通常のツンデレが200万乙女力。
更に顔を赤らめながらタオルを渡す事によって二倍。

「お、うまいな。 このゴマ団子」

「何を勝手に食べてますのー!」

そして、料理も上手で1200万乙女力……!
これなら、あのバッファローマンだって上回る。
恋のファイティングコンピューターだとでもいうのか。

「ま、負けないからね!」

「え、誰ですの?」

「お前、鈴か! 久しぶりだな!」















「ひ、久しぶりね」

鈴が中学の時に引っ越して以来だから……。

「一年ぶりか! 変わってないなぁ、お前」

貧乳とか。

「何だかいきなりあんたを殴りたくなって来たわね……」

「待て、俺は何も言ってない。 人間には思想の自由があるはずだ」

「言い訳するにしても、せめてゴマ団子に手を伸ばさないで私だけを見なさいよ!」

だってこれ、本当にうまいよな。作り立て食べてみたいぜ。

「あ! ……私だけ見なさいよってそういう事じゃなくて……。
あ、でも」

「パチリア、ゴマ団子もう少し作ってくれよ」

「嫌ですわよ。 なんであたくしがあなたのために作らなきゃならないんですの!」

「そう言わずに頼むよ」

「キシリアさん、わたくしももう少し食べたいですわ」

「はい、喜んでー!」

どこぞの居酒屋か。
やっぱりパチリアに頼むより、セシリアに頼んだ方が早いな。

「………………………………………こ、こ、この!」

ん、なんで鈴の奴、顔を真っ赤にしてるんだ?ぷるぷる震えて、生まれたての小馬か。

「風邪か?」

鈴の髪を軽くよけて、鈴のおでこに俺のおでこを合わせた。

「んー……よく考えたら今、運動して来たばかりだから俺の体温が高くてわからないな」

「!?!!?!!!!!」

「……鈴、本気で大丈夫か? 凄い顔赤いぞ」

おいおい、本気で不味いんじゃないのか?

「よし、鈴。 ちょっと我慢してろよ!」

「あ、ちょっと!? やぁ……!」

膝の裏に手を入れて、俺はそのまま鈴を抱え上げた。
お姫様抱っこなんて恥ずかしくてしょうがないが、久しぶりに再開した幼なじみが調子悪いのを恥ずかしいって理由で見過ごす方が男として恥ずかしいぜ。

「一夏さん、鈴さんは大丈夫ですわ」

「でも、セシリア。 鈴こんなに顔真っ赤にしてるし」

「大丈夫ですわよ。 ね、鈴さん?」

「は、はい、セシリア小姐。 お、降ろしてよ、一夏……」

なんだ、小姐って。 確か目上の女性に付ける言葉だった気がするんだが。 だけど、同い年のはずなのに俺もセシリアさんって言いたくなるから気持ちはわからなくもない。

「……本当に大丈夫か?」

「だ、大丈夫よ……」

本当か?
普段は真っ直ぐ目を見て話す鈴が俯いて、目を逸らしている。
正直、心配で仕方ない。

「あらあら、そんなに心配ですの?」

「ああ、鈴は俺の大事な幼なじみだ」

「一夏……!」

鈴の親父さんにもお世話になったしな。
ああ、また親父さんの酢豚食べたいな……。 さっきからずっと食べ物の事しか考えてないけど。

「そう言えば酢豚……」

「お、覚えててくれたんだ!?」

おかしな奴だな。 あれだけ親父さんの酢豚食べさせてもらったのに忘れるはずないだろ。



















夕暮れの教室。
見つめ合う二人。

「わ、私が料理、上手になったら……私の作った酢豚を毎日食べてくれる?」

心臓が口から飛び出ちゃうくらいに私はドキドキしていた。
だって、生まれて初めての告白で。

「ああ、いいぜ」

















覚えててくれたんだ……!
一方的な約束で一夏はきっと忘れてると思ってた。
でも、覚えててくれた。
これってひょっとして……両思い!?
……え、本当に?
………………………………ヤバい。 凄く嬉しい。
お姫様抱っこは嬉しいけど、このまま泣いちゃいそうな今は不味い。
泣き顔なんて、とてもじゃないけど見せられない。

「お、降ろして!」

「ん? ああ」

り、両思いなのに普段と変わらないぽけっとした顔してるわね。
でも、これが一夏のいい所なのかめ。 たまに真剣になった時は格好いいし。
わぁぁぁぁぁ……ヤバい。 泣く。 本当にこれは泣く。 泣いちゃう。
だ、だって唐変木オブ唐変木の一夏が……夢? まさか夢オチ?

「一夏、私のほっぺたを抓りなさいよ!」

「何を言ってるんだ、お前は」

「い・い・か・ら! 早く!」

「意味がわからん」

「一夏が私を抓らないなら私がやるわよ!」

むぎぃ! 痛い。
……夢じゃない? 夢じゃないんだ!

「一夏!」

「うおっ、どうしたんだ。 いきなり抱き付いて来て!?」

一夏ぁ一夏一夏一夏! 大好き大好き大好き!
ま、まだこんな事を言えないけど……いつかちゃんと言うからね?















鈴……。 そうか。
長旅で疲れてたんだなぁ、お前。
足がもつれて、転んだのを隠すためにそんなにすりすりしなくても。

「鈴、わかってる」

昔から意地っ張りだもんな、こいつ。
照れ隠しにしても、ひどいな。

「ほ、本当に……? 私の気持ち、わかってくれてるの?」

そんなに顔赤くして……恥ずかしいなら、やらなきゃいいのに。

「ああ、わかってるさ」

「一夏……!」

「……なんですの、この空気。 蛍光ピンクと何も考えてない真っ白が見えますわよ」

「うふふ」

ごま油のいい香りと一緒にパチリアが戻ってきた。
手に持った皿には山盛りのゴマ団子。
これまたうまそうだな。 ちょっと、よだれが出てきた。

「もーらいっと」

「あ、最初の一個はお姉様の!」

あちち、やっぱり揚げたては熱いぜ。

「鈴、あーん」

「あ、あーん……」

パチリアから奪ったゴマ団子を鈴に食べさせてやる。 久しぶりに出会った幼なじみへの優しさというやつだな、うん。

「美味しい……。 えへへ、一夏。
私……幸せだよ」

大げさな奴だな。 そんなにうまかったのか。
俺ももう一個。 ……こ、これは!
かりっとした食感とゴマの風味が絶妙に絡み合いながら、中のあんこは甘すぎない。 しかし、それでいて甘くない訳ではない。しっかりした甘さが絶妙なバランスで成り立っている。
これは……至高だ。 こんな至高のゴマ団子を食べられるなんて、

「俺も幸せだ……!」

もう一個もらおう。

「……………………………………………」

「あらあら、キシリアさんどうしましたの?
そんなにむくれてたら、可愛いお顔が台無しでしてよ」

「な、何でもありません! もうっ、お姉様は考え過ぎです!」

どうしたんだ、パチリアの奴?ほっぺたが膨れたフグみたいになってるぞ。

「鈴、ちょっといいか?」

「あ、うん。 ごめん」

足元もしっかりしてるし、もう俺に寄りかからなくても大丈夫だろう。 まだ顔が赤いのが気になるが。

俺はパチリアの前に立つと、

「ていっ」

ほっぺたを押した。

「ぷひゅー!」

「あはははははは!」

口から空気がぷひゅーって!
面白いな、これ。

「や、やめりゃはい! こ、こにょお!」

「わはははははは!」

お、そうだ。

「俺にいい考えがある!」

「……何だか嫌な予感しかしませんわよ、そのフレーズ」

「何でだよ。 司令官御用達だぞ」

それはともかく、よくわからないがイライラする=ストレスが溜まってる=稽古で身体を動かせばいい。

「だから、俺と付き合えばいいんだって。 パチリア」

セシリアは思った。

―――地雷源でタップダンスを踊るのが趣味なのかしら。



[27203] 八話『少々、怒りましたわよ』
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/25 18:15
ぜんかいのあらすじ。

好きだった幼なじみに再会して両思いだと思ったら次の瞬間、幼なじみが別の女を口説いていた。
何を言ってるかわからねえと思うが、にこぽ、なでぽなんてチャチなもんじゃねえ……。
もっと恐ろしい物の片鱗を味わったぜ……。


















「……………………………………………………」

殺す。 死ね。
そんな言葉を言われた経験は恐らく誰にでもあるだろう。
だが、そこに本当の意味での殺意など乗ってはいなかった。 怒りはあれど真の殺意は存在していなかった。
しかし、ここにあるのは純粋な殺意。
観客席を守るシールド越しですら、見る者の肌をひりつかせる。

クラス代表対抗戦。
本日、第二アリーナに集まった観客達は生まれて初めて真の殺意を肌で感じ取った。
小さな体躯に装甲を纏い、肩の横に浮いた特徴的な非固定浮遊部位(アンロックユニット)。
まるで今の鳳鈴音(ファンリンイン)の心を現すかのような尖り具合である。
中国代表候補生、鳳鈴音が駆る専用機『甲龍(シェンロン)』。
仁王立ちする鈴音は感情の浮かばない瞳で敵を見据える。

「鈴……」

対するは織斑一夏。
困惑したような、何がどうなっているか理解していない表情。 ここに至って、まだ何もわかっていない凡愚。
だが、戦意はある。
姉、千冬との激しい稽古に比べれば、まだ鈴音の殺意など春風の如し。
さらりと流せるが旧知の友人に殺意を抱かれる彼の思いは複雑だ。
何故、という疑問。 果たして自分が本気の代表候補生とどこまで戦えるのか、という好奇心。

蛙の子は蛙。
彼も所詮は最強のブリュンヒルデ。 『人修羅』織斑千冬の弟だという事か。
織斑の血、戦を嗜む。
そして鷲の弟、大鷲となるか、下らぬ雑鳥か。
未だ答えは出ずとも、翼はここにある。
纏うは専用機『白式』。
一夏と同じ、一次移行もしていない未熟な存在。
しかし、唯一の武装であるブレードを天を突くかの如く上段に構える姿は堂に入っている。

すでに言葉を交わす理由は存在していない。 ならば、もはや剣にて語るのみ。

互いの目を見れば、互いの気を感じ取れば、相手の覚悟がわかる。すなわち相手を倒し、どちらが強いか。 相手を屈服させるという意志。
その意志のみが織斑一夏と鳳鈴音を突き動かす。
先に動いたのは一夏。
剣しか持たない彼が先に動くのは道理だ。

そして、鈴音が下がり、肩の非固定浮遊部位に搭載されている衝撃砲にて、とにかく一夏を撃つのが道理だろう。 一方的に攻撃する事で上手く行けば無傷で倒せるかもしれないのだ。 例えどんな素人でも考えつく策である。
天才軍師が神算鬼謀の限りを尽くしたかのような複雑な策は一つ崩れてしまえば脆い物だ。
素人でも理解出来る単純極まりない策こそが正道。
だが、鳳鈴音はその正道たる道理を選ばない。
それどころか最大速度で一夏に向かうではないか。



鳳鈴音、必勝の策あり。



異形の、柄の先と尻の両方に備え付けられた青龍刀をバトンのように回転させ、遠心力を充分に刃先へと乗せながら一直線に突っ込んで来る鈴音に一夏は出遅れる。
射撃を警戒し、緩い弧を描くようにして進む一夏は白式を最大加速に乗せられなかったのだ。

「ああああああああああああ!」

前方へのショートジャンプ。
軽い体重を補うためにも鈴音は自らの身体すら回転。
青龍刀の遠心力と鈴音自身の遠心力。 更にはIS自体の推力を全て叩き込む一撃。
天から地を這う虫けらを叩き潰す龍の如し。

「おおおおおおおおおおおおお!」

上段では不利と見切った一夏は即座に下段へと切り替える。
重い踏み込み。 出遅れを無に返すために全身を跳ね上げ、バネを生かした斬り上げを放つ。
その斬撃、まさに跳躍する虎の如し。

鋼と鋼。 意地と意地。
ぶつかり合う両者の軍配はまずは鳳鈴音に上がった。

跳ね上げられた一夏の剣は空に浮かぶ鈴音の青龍刀を弾いた。

「しまっ……!」

そう、軽く弾けてしまったのだ。
しまった。 一夏が全てを言い切る前に鈴音は動く。
全力の斬り上げで身体が泳ぐ一夏に対し、鈴音は一夏の剣撃の衝撃を受け流し、即座に青龍刀の柄を分解。左に一刀。 右に一刀。 つまりは二刀をその手にした。
回転の勢いが終わらぬ中、右に手にした青龍刀の斬撃が一刀の脳天を叩き割ろうと迫る。
何とか身を捻る事により、それをかわした一夏ではあったが次の左はかわせなかった。
まるで独楽のように回転した鈴音の左の青龍刀が一夏の前腕の装甲を斬る。

「くっ! だけど、ここまでだ!」

何とか腕をねじ込み、二刀連撃を防いだ一夏。
青龍刀を振り抜き、ぴたりと回転を止めた鈴音は地に伏せるかのように、一夏に背を向けている。
このような背後を取られる状況に至れば、剣聖と呼ばれる技量を持たない限りどうしようもあるまい。
そして、鳳鈴音にそのような技の極みは立っていない。
あるのは、

「甘いよ、一夏」

ほぼ360度全てをカバーする二門の衝撃砲『龍咆』の見えない弾丸が鈴音に襲いかかろうとした一夏を吹き飛ばした。
倒れる一夏を見下す鈴音の瞳に色は無し。





二刀という術理は、かの大剣豪宮本武蔵が名を成した。
宮本武蔵以前にも左右の腕で一本ずつ刀や剣を扱う術理自体は大昔から存在してきた。
しかし、何故、現在二刀流は一刀流に比べて、その数が少ないのか。
答えは単純である。 遅いのだ。
二本の腕を使った方が一本の腕で剣を振るよりも速く振れるのは幼子とて知る道理。
更には片手のみの握力にて、剣を保持するのはなかなかに難しい事。

しかし、鳳鈴音は克服した。
二刀の弱点を克服したのだ。
鈴音の動きは全て回転から始まる。 常に止まらず、休まず加速し続ける。
太極拳の動きをベースとした変化に富んだ剣は一夏に見切りを許さない。 ISの機械仕掛けの握力は武器を巻き落とす事すら許してはくれない。
パチリア・スチュアートがはったりに使ったパチ二刀とは違う完成された術理である。
パチリアを雑な台風とすれば、鈴音は小さな、だが巻き込まれれば確実に命を失う竜巻か。
そして、強引に竜巻に割り込もうとすれば、死角無き衝撃砲が一夏を襲う。
これぞ鳳鈴音、必勝の策『二刀二砲の構え』である。





鳳鈴音は織斑一夏を見ている。
鳳鈴音は織斑一夏を感じている。
一夏の瞳に斬り崩せない焦りはある。 だが、一片の諦めもない。倒す、という強い眼差しが鈴音を貫く。

「あはっ」

獲物を狙う蛇のような殺意を込めた刺突と一緒に思わず、笑みが零れた。
斬り払われ、刺突は大きく弾かれたが、それでも二の矢、三の矢、四の矢が残っている。
一夏がどう鈴音に相対するつもりなのか。 それがどうにも不味い事に楽しみで仕方がない。
一夏を打倒し、怒りと嫉妬のままに彼を跪かせたいという欲求。 一夏に打倒され、彼の前に跪かされてみたいという欲求。
本来なら矛盾する事だろうが、鈴音の中ではイコールだ。

世間の女はこんなにも強く男に求められる事はあるのだろうか、と疑問が浮かぶ。
迷いなき真っ直ぐな一夏の想いが伝わって来る。 どっちが強いか、きっちりはっきりさせようと全身全霊を賭けて鈴音に向かって来る。
高速の一撃の交換は、則ち高速の心の交換。 一夏がどこを狙うか、防ぐか、捨てるのか。
一夏が何を望んで、守って、譲れるのか。
鳳鈴音と、織斑一夏にとって戦闘とは会話以外の何物でもない。
殺意は殺意のまま、殺意を抱く程の理由に辿り着く。

―――ああ、そうなんだ。 一夏は、




















「お、お姉様だぁ……。 うへへ、久しぶりのお姉様タイムだぁ……」

しがみついて来るキシリアを小脇に抱えながら、観客席に座るはセシリア・オルコット。
その瞳はアリーナでの絶剣乱舞に向かわず、虚空を睨んでいた。
所々、雲の残る空は人の視線を拒むベールのよう。
しかし、

「なんて、無粋」

何者がセシリア・オルコットの魔眼から逃れられるというのか。

「お二人の不協和音が、やっと美しい交響曲になって来たというのに……不愉快ですわ」

響く剣戟はリズム。
荒々しい吐息のメロディ。
指揮者は二人。 交わる響きはついには一つに。

だと言うのに、

「そんなお二人のクライマックスを邪魔しようとするどなたかも」

キシリアを小脇に抱えたまま、セシリアは立ち上がった。

「それを止められなかったわたくしも」

光がセシリアの身体を包んで行く。

「わたくし……少々、怒りましたわよ」

専用機ブルーティアーズを開放。
天より降り注ぐ極太のレーザーがアリーナのシールドを破ると同時に、セシリア・オルコットは翔んだ。
常の柔和な微笑みを、僅かに寄った眉間の皺に変えて。



















高度6000m。
吹きすさぶ寒風を超える速度。 瞬時加速を二回、繰り返す事による爆発的な加速により、セシリアは昇った。
アリーナでのシールドが破られてから僅か二秒。
頭上には黒い全身装甲(フルスキン)のIS。

「無人機ですわね」

人体のサイズを逸脱した巨体。 自らを抱き締めるように巻きついた長い腕。
腕に比べて短い足は着地に備えてだろう。 折り畳まれている。とにかく数を取り付けましたと言わんばかりのセンサー類が頭部に所狭しと密集している。
卵のように丸まった姿勢は恐らく衛星軌道上からアリーナへと落下するための衝撃吸収のためか。

そんな見た目からの情報。 そして、ISに無人機は存在していないという固定観念。
全てを知った上でセシリアは自分の勘を信じた。
あのISから人は感じない。

「なら、思いっきり全力出しちゃってもいいですわね」

「ひ、ひいっ! お姉様の全力ですの!?」

キシリアを胸に抱きつかせたまま平然と音速超過して高空に昇ってきたセシリアはくるりと頭を地に向けた。

「……ああ、なんであたくし着いて来ちゃったんだろう」

専用機の無いキシリアは無論、普通の制服しか着ていない。
セシリアが億が一、被弾して墜ちるとは思っていないが本気のセシリアは物凄く怖い。

「あら、わたくしの事が大好きだからですわよね」

上昇するための速度を殺すため空に向かってブースターを一つ吹かした。
直後、真横を無人機が落下。 押しのけられた空気がソニックブームを生み出し、

「うー……それはそうですけど。 でも、少しは手加減とか」

「行きますわよー」

そんな緩い言葉とは裏腹に卓越した姿勢制御でソニックブームを軽く凌いだセシリアは宙を蹴った。
ビット『ブルーティアーズ』を足場としての反転加速。
大した速度にはならないが、それでも確かに下へと向かう。

「ジェットコースターみたいで、ワクワクしますわね」

「うー……」

実はジェットコースターが苦手なキシリアは目を瞑っているのも怖いので、セシリアの顔だけを見つめる事にした。

しゅっとした綺麗なラインを描く顎にちゅっちゅしたり、小さな可愛い耳にちゅっちゅしたいなー。 あと鼻もぱくんと。
お、お姉様とちゅっちゅしたいですわ!
でも今、目を合わせると怖いから、おっぱい。 うん、おっぱいがいいですわね。
お姉様の変態機動見てると酔ってしまいますしね。

「むにーむにー」

「こら、悪戯するんじゃありません」

キシリアが目を伏せた瞬間、セシリアの背後にビームの光が流れて行った。
レベル7のシールドを破る程の出力はないが、それでもIS一機を落とすほどの威力はある。
そんな弾幕に向かい、セシリアはブルーティアーズを全力でぶん回す。
セシリアの全力機動はブルーティアーズの慣性制御を超えて、圧力がキシリアの小さな身体にのしかかる。 内臓が左右にシェイクされて色々と乙女的に不味い物がばしゃばしゃ出そうだ。

「こ、これはヤバいですわ!?」

恐らくセシリアが瞬時加速を入れたのだろう。 内臓が押し付けられる感覚。
着地を考えなければ行けない無人機はキシリアの目算で高度約3000mを切った今、減速をしなければならない。
対してセシリアは着地に関しては"アテ"があるから加速し続けても問題はない。
それに乙女的に不味い物が瞬時加速の圧力で抑えつけられているお陰で引っ込んだが多分、地上に降りたら、大観衆の前でやらかしかねない。
そこまで理解しているキシリアだが、一番の問題はそんな所には無かった。

―――圧力でおっぱいに顔が押し付けられて息が出来ない!

柔らかい乳肉に鼻と口が完全に押さえつけられ、呼吸が全く出来ない。
更にそれも一番の問題足り得ない。
何故なら、

―――このままでは幸せ死してしまいますわ!

生物はストレスが一切無い状況に陥ると死を迎える。

ストレスという言葉は現代で悪い物の代名詞にすらなっているが、そもそもの意味は負荷。 負荷が無くなれば人は死ぬ。
例えば一切、動かさないままの人間がいた場合、三日ほどで起き上がるのが困難になるほど筋肉が落ちてしまう。
真空に生物を何の装備も無く、送り込めば外圧と拮抗していた体内の内圧により、内部から自然に破裂するのだ。

キシリアにとって、セシリアの胸とはつまり理想郷。 エデンはすぐそばに有ったのだ。
最強無敵と信じるセシリアの胸の内にいれば外敵を恐れる理由があろうか。 しかも、むにむにしているのだ。
絶対的な安心感と絶対的なむにむに感の中、キシリアの魂は安らぎに包まれ、天に召されようとしていた。

―――あ、あとはお尻。 お尻を触れればあたくしの人生、一片の悔い無し……!

だがしかし、なんという強欲か。 理想郷に住みながら禁断の果実に手を伸ばしたイブのようにキシリアはもがく。

―――あと、あと少し……! あと少しなんですの! 動け、動きなさい!

死に絶えつつある魂と満足死、つまりサティスファクションデッドを迎えつつある身体を必死に奮い起こし、キシリアは祈る。

―――我が曇りなき身命、ご照覧あれ! 尻神様よ、あたくしに力を!

それはキシリアの無垢なる力。 ただ純粋に"お姉様のお尻をめっちゃ触りたい"という想い。
その尊い想いがキシリアに力を与える!

「ぐえっ!」

訳はない。
八百万の神様とて、こんな欲望丸出しの願いは嫌だったのか。 天罰が下った。
セシリアは無人機の頭部に着地。 その衝撃に片手を離していたキシリアは耐えきれず、思いっきり装甲に叩きつけられ、車にひかれた蛙の断末魔のような声を上げる事になった。

「何を遊んでいますの」

跳ね返って来たキシリアを左手で抱きかかえると同時に右手には近接用武装"インターセプター"を展開。
接敵からここまで一秒。
地面まで恐らく三秒はかからないだろう。
だが、充分。

インターセプターを手放すと重力に引かれ、ゆっくりと落ちる。
展開しておいた二機のビットがインターセプターを器用に保持し、刃先を頭部装甲の継ぎ目に差し込んだ。
ここまで接近されてはシールドも発動しない。
ようやく無人機なりに危険を覚えたのか、長い右腕の先に備えつけられた砲口をセシリアに向ける。

「ちょろいですわね」

がつん。
インターセプターを蹴る。
がつん、がつん、がつん、がつん!
蹴られるたびにずっ、ずっ、ずっと刃が無人機の頭部に埋まって行く。
びくん、びくんと無人機の腕が痙攣するかのようにもがいた。
最後にがつん!
まるで牡蠣の殻でも剥くように頭頂部がぱかんと開いた。

「取ってきなさい、ブルーティアーズ」

無人機の頭の中に無数のコードに繋がれ、中空に張り付けのようになっている物体。
"ISコア"。
セシリアに声をかけられ、喜ぶかのように身震い一つすると三機のビットが侵入して行く。

「"また"員数外のコアですわね……」

全世界に467個しかないはずのコア。 数個はある組織に強奪されたという噂があるにしても、このような使い捨て前提の作戦で貴重なコアを失うような真似はどこの国も出来るはずがない。
出来るとすれば、コアが貴重ではない、"コアの製造能力を持つ組織"だけだ。

「参ってしまいますわよね。 わたくし、ただのか弱い学生なのですから」

あんまり妙な陰謀に顔を突っ込みたくないのですわよ、と右手を頬に当てて、ため息一つ。
再びがつん、とインターセプターを蹴ると、開いた頭部装甲に当たって明後日の方向に跳ね返った。
その先には最後の足掻きとばかりにセシリアを狙う無人機。 チャージしていた砲口にインターセプターがホールインワン。
同時に砲身内で解放されたレーザーの熱量が無人機の腕を大空に大輪の花火を咲かせた。
破片が爆圧に押され、飛び散るがシールドで防ぐ事もなく、セシリアを避けるかの如く、かする気配もない。

「まぁいいですわ」

頬に当てていた右の掌を空に向けると、落ちて来る物。 無人機のISコアだ。
ビットを操作し、内部のコードを切断。 器用に打ち上げて回収したのだ。

「これでキシリアさんの可愛い可愛いドレスを作りましょうね」

戦利品は勝利者の物だ。
イギリス代表候補生セシリア・オルコットは、過去の祖国を見習い、海賊の理論を押し通す事にした。
花咲くような笑顔で。


















「ふぅ……」

緊急自体を知らせるために鳴り響く警報を無視して織斑一夏は覚悟を決めた。
鳳鈴音もどうやら、そのつもりらしい。

―――そうこなくっちゃな。

にやり、と一夏は自覚のないままに、ひどく男らしい笑みを浮かべた。
二刀二砲破りのビジョンは見えた。 しかし、いくつかの不確定要素、『織斑一夏がどこまでやれるのか?』という問題が残っている。
超えるべきハードルはいくつかあり、超えられる自信が無い物もいくつかある。

―――だけど、

「前に進むしかないんだよな、俺!」

射撃武器が欲しい、とも思うし、剣一本担いで突っ込む以外、自分に何が出来るのかとも思う。
セシリアのような華麗な機動も出来なければ、パチリアのようないやらしい駆け引きも出来ない。 鈴音の技巧に満ちた動きも無理だ。
何より千冬のように絶対的な力もない。
織斑一夏に出来る事などはたかが知れている。

だから、バックハンドで回され、自分の首を狙う鈴音の剣を同じように迎撃。

「馬鹿の一つ覚えよね!」

全く鈴音の言う通りだ。
その通り過ぎて、

―――我慢した甲斐があった!

鋼と鋼がぶつかり合う音……がしなかった。

「無手にて、お相手仕る!ってな!」

打ち合う寸前に近接用ブレードを格納。 想像もしていなかった展開にまんまとひっかかった鈴音の腕をキャッチ。

脇固め。
プロレスなら、ただ相手の関節を痛めつけるだけの技だが千冬に仕込まれた戦場の技は一味違う。

「極めたら、即へし折れ」

という千冬の言葉通り、鈴音の腕を脇に抱え、手首と肘をロック。 これだけでも肘を痛めるはずだが、更に一夏は自分の身を投げ出し体重をかけ、へし折る。

「まだっ!」

寸前に鈴音の殺意が一夏の顔面を射抜く。 同時に衝撃砲が発射。

―――あと二本!

ここまで全て読み筋通り。
極めていた腕を視点に、体操の鞍馬のようにくるりと周り回避。
地面に降り立つと再びブレードを展開。 構えはいつもの上段。
鈴音の二刀二砲は一刀一砲へと半減した。
次に来るのは、

「……っ!」

見えないはずの衝撃砲を一夏は振り下ろしにて切り払う。
どこに来るかわかっていれば、何とかなる。

セシリアのような華麗な機動も出来なければ、パチリアのようないやらしい駆け引きも出来ない。 鈴音の技巧に満ちた動きも無理だ。
何より千冬のように絶対的な力もない。
しかし、一夏にも模倣は出来る。
パチリアのいやらしい駆け引きを模倣し、罠にはめたのだ。

―――次がラスト……!

だが、一夏は動けない。
振り下ろしから切り上げるまでのタイムラグに対し、鈴音はすでに刺突の動きが始まっていた。
ここからどう足掻いても、一夏の剣は間に合わない。
間に合わないから、一夏は諦めた。

鋼と鋼がぶつかり合う。

「馬鹿じゃないの、あんた!?」

鈴音の刺突は一夏への胸部装甲に突き刺さった。
"シールドをカットしたため"、何の抵抗も無いままに鈴音の青龍刀は一夏の胸部装甲へと突き刺さった。

「だけど、二刀二砲……全部、止めたぜ!」

一夏は踏み込んだ。
膝の力は抜き、あくまでゆるりと。 背部ブースターを半舷のみ解放。 『瞬時加速』。
パチリア戦で編み出した織斑一夏の、一夏だけの必殺技。

「瞬時加速斬りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

音速超過、目にも止まらぬ一夏の剣が鈴音のシールドを切り裂いた。
鈴音の絶対防御が発動。

「試合終了! 勝者」

山田真耶のアナウンスが響く。

―――俺は、強くなっている。

そんな確信と共に空を見上げれば、黒い影。
鈴音の剣先が僅かに刺さった胸から、漸く痛みが伝わって来た。
疲れきった身体が思わず、ふうっと息を吐く。

「……黒い影?」

と、呟いた一夏に音速を超えた黒い何かが落ちて来た。

「ええ!? し、勝者セシリアさん!?」

一夏を潰した黒い無人機の上に立つのはセシリア・オルコット。
無人機をクッションに華麗に着地成功。
小脇に抱えたパチリアすら優雅に見える立ち姿。
鈴音は倒れた。 一夏も倒れた。
乙女の純情を弄ぶ悪に天誅を下した。
地面に優しく下ろされたパチリアは、

「おろおろおろおろおろおろおろ」

パチリアは乙女の秘密液ゲ○を吐いている。
つまり、戦場で最後に立つのはセシリア・オルコット。

クラス代表対抗戦、織斑一夏vs鳳鈴音。
勝者はセシリア・オルコットという事になった。
そういう事になった。






















目の前に浮かぶ文字列。

―――白式のフォーマットとフィッティングが終了しました。 一次移行しまうわなにをすくぁwせdrftgyふじこlpふんぐぃるふんぐいる! いあいあ! 天才束お姉さんにエラー報告をしますか? Y・N?

ちくしょう、これ以上カオスにしてたまるか……!
一夏は消えゆく意識の中、Nを連打した。




















 ヘ○ヘ
   |∧   荒ぶるのほほんさんの構え!
  /



[27203] 番外『覚悟しておけよ』前編
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/27 10:00
アンケート結果を元にした結果、NsT様の、

>次回のお話はキャラクタ問わず甘くて、辛くて、でもネタに溢れていて、それでいて時々しょっぱいような。
>そんなお話だったらとっても嬉しいなって……

と、あとアンケートに入っていて出せるキャラ全員!
そして、まさかの0票だった箒さんメイン回です。
メインヒロインェ……。

詰め込み過ぎて完全に字数オーバーしたので、またPC使える時に後編と纏めます。










鏡に映った笑顔はひきつりすぎて血に飢えた狂戦士のように禍々さすら感じた。

「…………………………………………マジか」

篠ノ之箒、十五歳の初夏の事である。
揺れる乙女心は大ピンチ。

―――まさか私は普段からこんな笑顔を浮かべていたのか……!

一夏と再会した時に彼がこんな笑顔を浮かべていたら、小さな恋についての歌が、みかんについての歌に変わるくらいの衝撃を受けるだろう。
多分、話した事もないクラスメイトに愛媛のみかんがどう日本一かを説明していただろうと箒は思った。
『愛しのカレをキュートな笑顔でフィィィィィィィィッシュ!』と表紙にでかでかと書かれた雑誌を見て、笑顔の練習をしていただけだというのに凄まじい現実を発見してしまった。
他には『肉食系女子のススメ』『女は猛禽であれ』などと書かれているような雑誌は色々と間違っている事を箒は知らない。
昨日の深夜、サングラスとマスク。 全身を隠すトレンチコートを着てコンビニで三時間かけて迷いに迷って買ったという涙ぐましい結果がこれである。 女性向け雑誌を買うのは自分には似合わないと変装するのはいいが、コンビニの店員に非常に迷惑だ。
篠ノ之箒。 女は黙って、チャン○オン一択。
弱虫ペ○ルで泣いた。

「待て……まだ慌てるような時間じゃない」

やれやれ、と両手を上げて、ダンディーなジェスチャー。
まだ『ふぁっしょん』に気を使えば、挽回出来るはずだろう。 出来るはずだ。
しばらく前に不審者の装いを着込み、"ぶてぃっく"なる店舗にて、ディスプレイに飾られていたマネキンを指差し、

「これだ! このマネキンをくれ!」

と店員に詰め寄ったら、マネキン込みで売ってもらった"わんぴーす"を試すしかあるまい。
何と"ぶてぃっく"とは面妖な場所か。 マネキンが邪魔くさくて仕方ない。

「いざ!」

気分は決闘。
すぱんと漢らしく服を脱ぐと、わんぴーすを着る。

「……………………………………さすがにこれは丈が短すぎやしないか?」

真っ赤なわんぴーすが隠している部分<<<<<(超えられない壁)<<<<<肌。
少しでも動けば、スカートが捲れて、ぱんつが見えるだろう。 と、いうかブラの上部の縁がちょっと見えている。
試着もサイズの確認もしていなかったせいで二サイズほど下を買って来た箒である。
腰回りもぱつんぱつんで、むちむちだ。

「さすがにこれは無理だろう!?」

無理があろうと押し通す。 それが武士である。
だが、武士篠ノ之箒にも不可能な事はあった。

試しに前屈みになって、両腕で胸を挟むグラビアでよくあるポーズをとってみる。

「あほかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

"あひる口"なる男を誑かす技も併用してみるものの、鏡に映った箒は控えめに言って、痴女がひょっとこの真似をするが如く。

「ただいまー……って、お前ぱんつ丸出しで何を」

そして、空気を(色々な意味で)読む事に定評のある織斑一夏、帰宅である。
また稽古をしていたのか、汗に濡れた額がセクシー。

「な!? な! …………………しゅっ!」

弓術、馬術、水術、薙刀、槍術、剣術、小具足、杖術、棒術、鎖鎌術、手裏剣、十手術、居合・抜刀術、柔術、捕手術、もじり術、隠形術、砲術。
古来、武士とは武芸十八般と呼ばれる技能を身に着けていた。
無論、箒とて心得はある。
突如、乙女の秘密を覗いた不埒者にチャン○オンが唸りを上げて飛んでいく。 箒の手裏剣術もなかなかの物だ。

「あぶなっ! おい、何するんだ、箒! まだ俺、今週のチャン○オン読んでないんだぞ!」

「う、うるさい! ……然らば御免!」

軽くチャン○オンを避けた一夏ではあるが、逃げる隙は生まれた!
開いていた窓からの、

「私は飛べる!」

大跳躍。
ほうきはにげだした。

「……大した奴だ」

二階から飛び降りて、即座にダッシュする箒を見て一夏は呟いた。



















「今日のは自信作なんだよぉ〜。 えっへん」

布仏本音こと通称のほほんさんは誉めろとばかりに胸を張った。
生き生きとする緑の木々。 そんな木々が生み出す木陰を借りて、テーブルと椅子四つを出して優雅にお茶会をする三人。

「まぁ、とても美味しそうですわね」

ぱちんと胸の前で手を叩いた彼女はセシリア・オルコット。
『蒼の射手(ロビン・フッド)』『人間台風』『お姉様』など数々の異名を持つセシリアではあるが、わざわざ気の置けない友人のみが集まるお茶会で微笑まない理由がない。

「むむっ……腕をあげましたわね、ほんね!」

紅茶を淹れながら、呻くちっこい淑女はパチリア・スチュアート。 通称キシリア・スチュアートだ。
パチリアの視線はテーブルの上に用意された丸い、まるで半分に切られたレモンのような形をしたケーキに向けられている。
白いテーブルクロスに少し濃いクリーム色の可愛らしいお皿。 淡い爽やかな黄色を帯びたケーキ。
このお茶会が始まった当初、場の色合いまでは考えていなかった本音の長足の進歩にパチリアは震えた。

―――面白いですわ。 これでこそ我がライバルほんねですの!

すでに次のお茶会ではどんなお茶菓子を出そうかと脳内パチリア会議が始まる。
"お手軽なお菓子"で"優雅なお茶会"を、という暗黙のルール。 毎回、パチリアと本音の死闘は熾烈の一途を辿っている。

見よ、この艶やかさを。 まるで真珠のような鈍い輝きを見せるケーキは何と乙女中枢を何と刺激する事か。
フォークで切ってみれば、僅かにかかる重さ。 中のしっとり感はパチリアの想像を超えていた。
口に運ぶ前に香りを楽しむ。 くっ、これは……レモンだと!?
レモンの香りに引き寄せられるように、パチリアはケーキを口に入れた。

「…………………………………」

「どうかなぁ〜?」

答えはわかってるんだよ?と言わんばかりの本音のチェシャ猫のような笑み。
悔しいが、ここは認めねばなるまい。

「うンまぁぁぁ〜い!ですわ! やりますわね、ほんね。 今回はあたくしの負けでしてよ!
ですが、次のあたくしのお菓子をで、ぎゃふんと言わせてみせますわ!」

「やったぁ〜!」

「あらあら。 仲良しさんですわね」

きゃいきゃいと騒ぐ二人を優しくセシリアは見つめる。
IS学園に来る前はセシリアしかキシリアの友人はいなかったというのに。 それを思えば、

「来てよかったですわね」

イギリスの国家代表を蹴って、遠い異国に来た甲斐があったものだ。
セシリア・オルコットは冷たい過去と幸せな今を想った。

「よう、ガキ共。 今日も喧しいな」

最後に空いていた椅子に当然の如く座るのは織斑千冬。
その堂々とした姿は場の空気を千冬の黒に染め上げる。

「お待ちしておりましたわ、織斑先生。
キシリアさん、先生の分をお出しして差し上げて?」

「はい、お姉様! ほんね、ケーキはお任せしましたわよ」

「お任せあれぇ〜」

だが、セシリアが口を開けば、そのピリッとした空気も暖かな、色に例えるなら柔らかな蒼。 晴れの空の色に変わる。

「はっ、こういう場ではさすがにお前には勝てないか」

触れれば切れる氷の刃を絵に描いたかのような千冬も、これには苦笑いを浮かべるしかない。

「踏んでいる場数が違いましてよ」

柔らかく微笑むセシリアに千冬は降伏する事にした。
それにセシリアを怒らせて、目の前のレモンケーキをふいにするのは惜し過ぎる。
レモンケーキの香りが鼻に。 その刺激を受けた脳が口に命令を出す。
じゅるりと千冬の口の中に唾液が充満した。

「今日は布仏の番だったか? もらうぞ」

「はい、召し上がれぇ〜」

フォークを手に取ると獲物を狙う目になった千冬はレモンケーキに、










「そのテーブルクロス、少し借りるぞ!」

テーブルクロスを高速で引き抜く事により、テーブルの上の物を倒さないという芸がある。
高速で引き抜く力。 そして、真っ直ぐに引き抜く技。
突如、乱入した篠ノ之箒には絶対的に後者が足りなかった。
結果は、

「あ」

「あ〜」

「あらあら」

「………………………………」

無残。 千冬のフォークが何もない虚空を刺す。
一瞬前にはレモンケーキが存在していた虚空を刺す。

「す、すまなかった!? この詫びは後で必ず返す!」

痴女ファッションの箒はテーブルクロスを纏うと踵を返して、再び走り出した。

「逃がすかぁぁぁぁぁ!」

「ひい!?」

突き刺さるフォーク。
箒の足をガチで狙ったフォークは怒りで狙いを外し、巻いていたテーブルクロスに命中し、地に植え付けた。
地面に埋まったフォークは柄の中ほどまでしか見えない。 一体、どれほどの力で投げつけたというのか。

「ふふふふふふふ……久しぶりだ。 久しぶりだなぁ!
こんなにも私にナメた真似をする愚か者は……!
姉妹揃って、よくも私を虚仮にしてくれる喃、篠ノ之ぉぉぉぉぉぉぉぉ」

箒は地獄の鬼をそこに見た。
織斑千冬に地獄の鬼を見た。

「あ……………………」

あ、漏らした。










乙女回路はショート寸前。 今すぐ死にたいよ……。
箒は思った。

走りまわったせいで、スカートはずれ上がり、ぱんつ丸出しで地面の上に正座させられている。 しかも、ぱんつ冷たい。

「……何のプレイでしたのかしら?」

パチリアの得体の知れない物を見る目が痛い。

「そんな事はどうでもいい……。
問題は私のケーキを……! 万死に値する」

ただの木の枝を振り上げる千冬。 この烈女が操れば、木の枝とて死を箒に与えられるだろう。
三寸切り込めば、人は死ぬのだ。
酒飲みから酒と甘味(かんみ)を取り上げる事の恐ろしさを箒は知った。

「では、これで解決ですわよね?」

む?と呻いた千冬の前にはビット『ブルーティアーズ』。
その上に乗せられているのは、

「おお、ケーキ……!」

いち早く気付いたセシリアがビットを操る事により、セシリア、パチリア、本音が自分達で持ち込んだお気に入りのカップ三つとケーキ一皿のみを救出していたのだ。
千冬の湯飲み(ブランデー入り)は飲めればなんでもいいだろうから諦めた。

一機のビットが皿に乗ったケーキを。 もう一機がフォークを千冬に差し出す。

「………………………」

ケーキを口に運ぶ千冬に箒は祈った。

―――どうか勘弁してください……!

「……………………ふん」

切なる祈りが天に通じたのか、

「布仏に感謝をしておくんだな」

千冬は背を向けてクールに立ち去る。
これから飲むつもりだ。

「あ、ありがとうございます!」

箒は本音に深々と土下座。
本音のケーキが、もし千冬を満足させていなければ……箒の首は繋がっていなかっただろう。

「うむぅ〜、よきに計らえ〜」

布仏本音、今日は全員に認められて満足である。
しかし、

「さて、あのような暴挙を行った理由をお話して頂けますわよね?」

まだ終わってはいない。
四機のビット『ブルーティアーズ』で箒を囲んだセシリアは微笑んだ。
自分がホストのお茶会で、このような不手際を見せたとあればセシリアの面子が立たぬ。
貴族とヤクザの差は、法の内にあるか外にあるか。 その一点のみ。












かくかくしかじかまるまるうまうまと半泣きになりながら、箒は説明した。
いっそ、シチューになりたいと思いながら説明した。

「あらあら、まぁまぁ!」

その結果、セシリアは白い頬を赤く染め、

「ごくり……」

パチリアが生唾を飲むくらいに色気のある様だ。
セシリアのお姉さんエンジンがぎゅいんぎゅいんと回転を始め、その身にお姉さん力(ぢから)を充填。

「キシリアさん、本音さん! 今日のお茶会は中止して、箒さんを一人前のレディーにして差し上げますわよ!」

「了解ですわ!」

「あいあいさぁ〜!」

「い、いや、そんな。 これ以上、迷惑をかける訳には!」

四機のブルーティアーズが、ぷるぷる震えながら、テーブルを運び、

「先に戻って、準備しておきますわ」

「わぁ〜」

パチリアが椅子を、本音が食器類を運び、走り去る。

「ま、待て!」

それを追おうと箒は立ち上がり、

「さ、行きましょうか?」

セシリアに首根っこを掴まれた。



[27203] 番外『覚悟しておけよ』後編
Name: 久保田◆4b468a75 ID:6b87a2f4
Date: 2011/04/27 10:01
クレンジング、洗顔料、化粧水、乳液、クリーム、ファンデーション、アイシャドー、アイライン、マスカラ、チーク、アイブロウペンシル、コンシーラー。

「待て、何の呪文だ」

セシリアの部屋に連れて来られた箒の前に並べられる化粧品の山、山、山。
何か瓶に入ってるやつやら、筆みたいな物やら、化粧のような物には縁がない箒には、さっぱり理解出来ない光景だ。

無理矢理、座らせられた箒の前にはパチリア。

「とりあえず、まずは無駄毛の処理からでしょうか?」

「さ、さすがに無駄毛の処理くらいはしてるぞ!」

女の子にもすね毛も生えれば、脇毛も生えるのである。

「違いますわよ。 顔の無駄毛ですわ」

「顔の?」

「眉毛や産毛、髪の生え際とかですわね。 箒さんは眉の形は綺麗ですし、そこまで弄る必要はないと思いますわ」

パチリアの説明に、

「はあ……」

としか答えられない箒である。
産毛があるとファンデーションのノリが悪い、など基本的な事を説明しようかと思ったパチリアだったが、

「面倒くさくなってきましたから、とりあえずやっちゃっていいですわよね?」

「い、いい訳あるか!?」

「はいはい、お姉様達が箒さんに似合うお洋服見つけるまでベースだけは済ませますわよー」

「や……やぁぁぁぁぁぁぁ!」

〜五分後〜

「特に変わったようには思えないんだが……」

「まだ最低限の最低限をしただけですわよ。 ……本当は、もう少し細かくやりたかったんですけど」

「これ以上、毛なんてどこにあるんだ?」

「……今度、細かく一から教えてあげますわね」

〜三十分後〜

「うう……動いていいか? お尻が痛くなってきた」

「少しは我慢しなさい!」

「ぱちりー、ぱちりー。 この服とこの服、どっちがいいかなぁ〜?」

「わたくしはカジュアルな感じがいいと思うんですけど」

「違うよぉ〜。 普段とのギャップを見せ付けて、おりむーをどきっとさせないとぉ〜」

〜一時間後〜

「お姉様はわかってないですわ! 長身でぼいんぼいんの箒さんにはドレスより、スタイリッシュな感じに!」

「キシリアさんがそんなに分からず屋だとは思いませんでしたわ! 敢えて優雅な装いを!」

「あ、あの私の意志は……」

「「お黙りなさい!」」

〜二時間後〜

「胸を生かすべきですわね」

「腰を生かすべきですわね」

「えろぼでぃを生かすべきだねぇ〜」

「……帰りたい」

〜三時間後〜
















「瞬時加速斬り!はやっぱり無いと思うわ、私」

「いいじゃないか。 俺の必殺技はロマンなんだよ、ロマン」

鈴とだべりながら、寮の廊下を歩いていた。 夕飯を食べに外に出たら偶然、外にいたのだ。
しかし、女にはロマンがわからないのだろうか。

「いや、必殺技が欲しいっていうのはわかるのよ。 でも、どうせならイグニッション斬!とかの方が格好いいわ」

ああ、そう言えばこういう奴だったな……。 中学の時から微妙にセンスがおかしい奴だった。
どう考えても瞬時加速斬りの方が格好いいのは確定的に明らかだろう。

「それならイチカストラッシュの方が」

「それはない。 ……はぁ、元通りで安心していいのか、悪いのかわかんないじゃない」


「ん? 今、なんて言ったんだ」

「なんでもないわよ!」

いきなり怒り出してどうしたんだ。
そんなにイグニッション斬がよかったのか? でも、叫ぶのは俺だから譲らないけどな!

「やってられるかー!」

うおっ!? いきなり扉が開いたと思ったら、中から黒と白を基調として、あちこちにひらひらとしたフリルの着いた服。 そう、メイド服を着た誰かが飛び出して来た。
腰で結ばれた大きなリボンがポイントだな。 長い黒髪が少しウェーブがかかっていて、後ろ姿だけでも多分、美人さんだという事がわかる。

「お、お待ちになってください! 少し悪ノリが過ぎましたわ!」

ん、この声はパチリアの声か。
と、いう事は……ん〜っふっふ、わかりました。 この部屋はセシリアさんの部屋ですね。

「あんた、またくだらない事考えてるでしょ」

刑事ごっこをしてただけなのに読まれるとか何なんだ、俺。

「やっぱり悪ノリだったのか!? も、もしこんな格好を一夏に見られたら、どうするんだ!?」

「ん、呼んだか?」

ぴしっ、とメイド服の子から何かが砕けるような音。
ギ、ギ、ギと錆び付いた機械のように振り向いたのは、

「どうしたんだ、箒。 そんな格好で」

おお、化粧もしてるのか。
普段の凛々しい美人さんな所が、ちょっと女の子してて尖った感じを抑えて、しっくり来ている。
似合ってるな。

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!?」

と言おうとした瞬間、箒は走り出して行った。
ひょっとして泣いてたか?

「な、なんだぁ!? ……いてっ」

どかっ!
いきなり足元に痛みが!?

「何すんだ、鈴!?」

「いいから早く追いかけなさいよ! あんた、どうせ誰にでもホイホイいい顔するんだから、責任取りなさい!」

「意味がわからん!」

あーもう、鈴に怒るのは後だ!
泣いてる女の子を放っておいたら、

「千冬姉に怒られるからな!」









「なんで私が他の女の面倒まで見てやんなきゃならないのよぅ……」

「……あなたも難儀な方ですわねぇ」

「キシリアさん、箒さんにクレンジングオイル持って行って差し上げてくださいな」




















……見られた。 見られた。 見られた!
一夏に見られた!

「どうしたんだ、箒。 そんな格好で」

そんな格好って言ってた。 やっぱり私みたいな男女が、こんな可愛い格好をしても似合うはずないんだ!
やだ、嫌だ。 私みたいな女が誘惑しようなんて考えた事自体が間違ってたんだ。
化粧なんて似合うはずないし、一夏が私なんかを好きになってくれるはずないじゃないか!

「待て、箒!」

嫌だ!
私みたいな乱暴でがさつな女じゃ駄目に決まってる。
例えば鳳鈴音のような可愛らしい女の子が一夏と並んで歩いていたら、きっと絵になるだろう。
例えばパチリア・スチュアートのような美しい少女と一夏が歩いていたら、美男美女のカップルだ。

「一夏の小さい女の子好き!」

「待て!? 根も葉もない不名誉なデマを流すな!」

くっ、一夏がスピードを上げた!
最近、頑張っている一夏はどんどん足が早くなって体力をつけてきている。
それを一番わかっているのは、いつも近くにいる私だろう。
でも、それだけじゃ足りない。 私じゃ一夏の一番にはなれない。

一夏の側にいるのが辛い。

「でも、いたいんだ!」

「どこが痛いんだ! まず止まれ!」

絶対、何かを勘違いしている一夏。
だけど、そんな抜けている所も可愛いと思う。
トレーニングに励む一夏の真剣な眼差しは格好がいい。
一つの事しか目に入らなくなる愚直な所も好ましい。
好きで好きでたまらない。 一夏の一番近くにいて、一夏の一番になりたい。
ずっとずっと、絶対に誰よりも長く想っていたんだ。
ああもう、くそ! どうして私は可愛く生まれて来なかったんだ。 どうして私はもっと素直になれないんだ! あの人の妹に生まれなければ、もっとずっとずっと一緒にいられたはずなのに!

「一夏のばかぁっ!」

大体、気付いてくれてもいいじゃないか!
こんなに……こんなにお前が好きなんだから! 少しくらい気付け!

「はあ!? ば、ばかって言う方がばかなんだぞ、ばか!」

「うるさい。 うるさい。 うるさい! ばかにばかって言って何が悪いんだ、ばかー!」

もう訳がわからない。
自分が悲しんでいるのか、怒っているのか。
この流れる涙は後悔なのか。
自分が何一つわからないけど、

「受け身取れよ、箒!」

背後から一夏のタックルを受けて地面に倒される。
走っていた勢いそのままにゴロゴロと地面を転がされた。

とりあえず、この追いかけっこがここで終わりだという事だけは確からしい。























ヤバい。
何がヤバいって超絶ヤバい。

赤く染まった頬が涙で濡れている。 確かに化粧は少し崩れてはいるけど、潤んだ唇に触れている一本の髪の毛すら綺麗で、

「綺麗だ」

うおっ!? 俺は何言ってんだ!? く、口が勝手に!? お、お口にチャックだ、俺!

「嘘だ」

「嘘じゃない」

でも、本気で言った事を箒に嘘だと思われるのは……何か嫌だ。
なんだ? 今の俺は何かおかしいぞ。

「だったら……一夏」

箒は目を閉じて、顎を少し突き出した。

「その言葉が嘘じゃないと……証明してくれないか?」

その言葉を最後に箒は口を閉じて、唇を……。
……嘘じゃないんだ。 だったら、俺は……。
























「駄目だ」

「ああ、うん。 そうだろうな……」

寂しそうな声で箒は呟いた。

「違う。 そうじゃない」

くそっ、俺は箒に、こんな声を出させたい訳じゃないんだ。
考えろ、考えろよ、織斑一夏。

「正直、今の箒はすげえ可愛くて、キスしたくなるけど、やっぱりこういうのは雰囲気に流されてじゃなくて、しっかりとお互いに色々確かめ合ってからだな!?」

あー! 自分が何を言ってるかわからん!
いや、でもちゃんとつき合ってる訳でもないし、最近の乱れた高校生の性というのは日本男子たる者――――

「ぷっ」

「む、なんだよ。 俺は真剣に」

「ああ、わかった。 真剣に一夏が私の事を考えてくれたのはわかった。
今は……それだけで十分だ」

そう言って笑う箒は、何か俺の柔らかい所にずきゅんと来て、

「だから、これは私の宣戦布告だ」

頬と唇の境界に柔らかい感触。

「次は一夏、お前からしたくなるようにさせてやる。 覚悟しておけよ?」

にっこりと悪戯っぽく笑う箒。
ああ、もう……こんなにも格好いい、いい女に応えられない俺は格好わりいなぁ……。
好きとかよくわかんねえんだよ、俺。



















「―――よし、殺そう」

そんな不吉な言葉が耳に入った。
クラス代表対抗戦で、目に焼き付くくらいに見た完全展開された甲龍。

「おほほほほ。 よくわかりませんけど……イライラしますわねぇ」

笑ってるはずなのに全然、笑っていない。
目の前に突き出されたのは、クラス代表決定戦で流星のように俺を斬ったツヴァイハンダー。
待て……どうして生身なのに、そんな長物を普通に扱えるんだ、パチリア。

「待て、話せばわかる」

「あたくし聞いた事がありますわ」

「そうね、こういう時はこう答えるのよね」

鈴とパチリアは一分の狂いも無く言った。

「「問答無用!!」

「あ、やめて。 死んじゃう! 死んじゃう!」

「あは、あはははは! あははははははは!」

ちくしょー! 箒も笑いやがって! 助けてくれよ!?
でも、まぁ……笑ってくれてるならいいか。

「一夏ぁ!」

「一夏さん!」

でも、出来たら助けてくれないかなぁ?


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