古来より、人間は自分の手の届かない存在を崇めていたと言う。それは、ある時は天雷であり、ある時は燃え盛る業火であり、ある時は抑圧不可能な激流であり、踏破不可能な山岳地帯であった。それらは人間の上位の存在であり、人間が抑える事は不可能な現象だ。
吹く風は凍りそうなほどに冷たく、雪と氷が決して消える事の無い白銀の世界に人間が立ち入る事は許されず、だからこそ其処は聖域と崇められていた。
土地の名を、ヒマラヤ。
常に峻嶮な山脈。災害を引き起こす猛威。同時に、豊穣を麓に齎す神。絶えず人間を見下ろし、決して揺らがない雄大成る姿に、大地に住む者達は揃って頭を垂れたのだ。
しかし、今現在は――――その山の権威も、陰り始めている。
この地に住む民だけでは無い。脅威に曝されている世界に住む民、全員にとっての、山の災害よりも、もっと直接的に恐ろしい相手が存在していたからだ。
人間を見下ろすヒマラヤ山脈を眼下に、悠々と飛行する一艇の戦艦が有る。
その姿が、まるで、山脈すらも己の領域に過ぎないと――傲岸不遜さを示す印象を受けるのは、決して気のせいでは無いだろう。
機体に記された紋章は、蛇を喰らう猛る獅子。
神聖ブリタニア帝国の飛行艇だったのだから。
コードギアス 円卓のルルーシュ
第一章『エリア11』編 その①
中国大陸上空を飛行するブリタニア保有飛行艇の中に、その部屋は有った。
机の周囲には、紙を初めとする各種の道具が雑多に置かれていた。
ブリタニア帝国所属の飛行艇内部には、本来ならば――――室内に居る人物の言を借りるのならば、『無駄に豪華で湯水のように資金が使われた挙句、実用的には程遠い、見掛け倒し以外の何物でもない執務道具』が並べられているのだが、この部屋は違った。
どれも中身を重視した物。華麗さよりも頑丈さを、装飾性よりも利便性を、そしてその上で質が良いという、仕事量と、処理をする人間の性格に見合った価値を有していた。
まあ、部屋の中の色彩が、何処となく可愛らしい事と、部屋の各所に猫マークが見える事は――――別に構わないだろう。部屋の持ち主は、意外と可愛い趣味を持っているのだし。
椅子の上で、優雅に書類を読みこむのは、青年だ。
黒髪。白磁の肌。女性と見紛うばかりの美貌。そして深い紫水晶の瞳。女性よりも美しい男性、と帝国内で人気を博す――――帝国最強の剣が一本にして、『円卓の騎士』最高の知将と称される男。
『円卓の騎士』《第五席》ルルーシュ・ランペルージ。
戦闘能力が何よりも重視されるラウンズで、決して他者と引けを取らず、しかし同時に優秀な知啓を宿す男。天才的な軍師の才能を持った、一騎当千の騎士と、名を響かせている。
本人は煩わしいだけ、らしいが。
勿論、この飛行艇は彼の物では無い。ラウンズ専用の飛行艇は、本来ならば人数分存在するのだが、生憎、彼の物は整備中で本国から動かせない。仕方が無いので、同僚の保有する飛行艇を回して貰っているという訳だ。
因みに件の同僚は、というと、数刻前から姿を消している。まず間違いなく、数ブロック先の格納庫でナイトメアを弄っているのだろう。
何かと他者に纏わり付かれる事の多いルルーシュにとって、一人の時間は貴重だった。
「――――さて」
ぽい、と友人達に頼まれた書類を適当に蹴りを付けて、彼は手を伸ばした。
「“目的地”の情報入手に、努めるか」
呟き、机の片隅に置かれていた『《第五席》へ』と書かれたファイルの中から、紙の束を引っ張り出す。部外秘の資料だ。
『エリア11――――』
手に携えられた書類は、そんな見出しで言葉が始まっていた。
◇
数日前。
「協力、感謝する。ランペルージ卿」
旧オマーン、現エリア18の暫定政庁を兼ねたG-1ベースの一室で、ルルーシュは一人の女性と対面を果たしていた。といってもルルーシュは傅いているし、相手も頭を下げている訳ではない。対面と言うよりも謁見に近い状態だろう。
乾燥地帯特有の、何処か紅い太陽が窓から差し込んでいる。その光に照らされ、己の半身たる騎士と、有能なる副官を背後に、椅子に腰かける姿は、正しく皇族の傲慢さと高貴さを示していた。
「貴公らの助力が有ってこその結果だ」
しかし、威丈高に聞こえる声を持つその相手も、頭こそ下げないが、その言葉の中には感謝が伺えた。そして、それ以上に優しい想いが見え隠れしている。
両者共に、これは儀礼として行っているだけなのだ。仕事中は決して崩さないが、ルルーシュも相手も、プライベートならば格式ばった交流は望まない。
「いえ。コーネリア殿下も、不慣れな地形と気候を感じさせない手腕でした。……正直、私達は無用ではないかと思ったほどですよ」
穏やかなルルーシュの言葉に先に居たのは、ブリタニア皇族でも一、二を争う軍功と武勲を持つ女傑。
コーネリア・リ・ブリタニア。
《戦場の魔女》と恐れられる、神聖ブリタニア帝国第二皇女だ。
その言葉に、僅かに苦い笑みを浮かべて、彼女は静かに告げる。
「世辞は良い。……最終局面に現れた陸上戦艦。あれは私とギルフォードだけでは難しかった。味方の被害も増えただろう。C.C.卿とアールストレイム郷。そしてランペルージ卿。……三本の剣は、過剰では有ったが、無駄では無かったと思っている。皇帝陛下に、大きな声で報告が出来る」
「――――恭悦、至極にございます」
優雅に、彼は一礼した。
皇族と違い、騎士と言う人間は頭を下げる事が多い。主君である皇帝は勿論、貴族にも相応の振舞いが必要とされる。ルルーシュも勿論、その例には漏れない。今の様に、首を垂れる。
だが、その姿を見るコーネリアは知っている。こうして頭を下げていても、所詮は演技。慣習や法則である為、義務としてこなしているだけだ。生来の気質は頭を下げられる側。外見では取り繕っていても、“心の底から”頭を下げる事は、まず殆ど無いと言って良い。
仮にあったとすれば、それは矜持や地位よりも大事な物の危機だけである。
「……ところで。次はエリア11だったな」
「――――ええ」
一瞬、言葉を停滞させて、ルルーシュは頷いた。その停滞の意味を、コーネリアは知っていた。
先日の『円卓会議』の話題も合わせて、ルルーシュは彼女に既に、エリア11へ向かう事を伝えて有った。
元々余力を残しての降伏や、エリア政治の腐敗、果ては周辺諸国からの介入も有り、エリア11は世界有数の紛争多発地帯になっている。ラウンズの真意が何であれ、帝国からの戦力が介入するには丁度良い土台が構築されているし、表向きの理由には事欠かない。
「……明日の午後から明後日、補給物資を搭載した艦隊が港に到着します。護衛に付いているエルンスト郷も一緒です。……一つのエリアに、ラウンズ四人は多すぎるでしょう」
「ああ、確かにな」
エリア18が安全と言うつもりはないが、それでもラウンズ四人は多すぎる。残存勢力を叩き、地下を探るとしても、半分いれば十分だ。コーネリアも、流石に其処までラウンズに頼る気はなかった。
机の上に置かれていた書類から、何枚かを渡す。
「ダールトンには輸送機の手配と、エリア11の現状を纏めた書類を準備させてある。目を通しておいてくれ。ナイトメアの方は、……砂漠地帯で無理に中を弄る訳にもいくまい。済まないが、向こうの租界に付くまで整備を見合わせて欲しい」
「……Yes, your highness。了解しました」
整った場所に行かないと手が付けられない位、ラウンズの機体は面倒だ。軍用規格に近い、アーニャが繰るグロースター(重)だけならば、まだ何とかなる。しかしルルーシュの『ミストレス』やC.C.の『エレイン』は、専門の整備士でないと、色々と不具合が起きやすい。
下手な技術者に任せるよりも、自分自身で応急処置を施した方が安全とまで言われるほどである。
「それと――――誰を連れていくのだ? やはりC.C.卿か?」
ラウンズの動向を抑えて置くのは、皇族の常識である。最も彼女の場合、本人の為を思って尋ねたのだが、これは皇族としてはかなり珍しい部類に入るだろう。
戦場や重要度の高い任務に付く時、ラウンズは大抵ペアになる。それも、己の弱い部分を補い合う形のペアだ。防御が主体のルルーシュの場合、必然的に攻撃に優れた相手が相方に納まる事が多い。
相性が良い、色々と深い関係を持っているルルーシュとC.C.の名は、色々と有名だった。コーネリアがそう思ったのも、当然と言える。
「いえ。アー……アールストレイム卿です」
一瞬、アーニャ、と、名前を呼び掛けたルルーシュだった。警戒心を抱いていない相手を前に、安心して長い話をしていると、時々うっかり、ドジを踏む。
咳払いを小さくして、誤魔化すと、彼は続けた。
「エルンスト卿は、長旅の後ですから、当然ですが。……C.C.卿が、此方に残りたいと希望を出しました。地下を気にしている様です。……アールストレイム卿にも良い経験になるでしょう」
C.C.の最後に卿を付けるのは、本人含めて誰もが変だと思っているのだが、口には出さない。
コーネリアも同じだったようで、華麗に無視して、ルルーシュの目を見て言った。
「そうか……。向こうでも気を付ける様に。心配はしていないが、戦場に絶対は無い」
目線を合わせて会話をする事は、この女傑にしては非常に珍しい。
その真剣さは、唯の同業者を案じる瞳では無い。もっと別の――――自分と関わりが深い相手に対する、配慮と懸念を示す、暖かくも強い瞳だった。
「……Yes, your highness。感謝します」
それだけを言って、ルルーシュは立ち上がる。彼には、同僚ならば兎も角、目上の皇族と無駄話をする猶予も、そして権利も無かった。コーネリアに頭を下げて、部屋を立ち去ろうとする。
彼女も、余分な話をする暇は無い。時期にこのエリアの総督が決定するだろうが、それまでに終わらせなければならない雑務は山積みだ。
……ただ、自分が伝えたかった要件が一つだけ。二十秒で終わる話が有った。
「……これは私の、唯の独り言なのだがな」
立ち去ろうとしたルルーシュが、背中を向けたまま、無言で止まる。
「物資の補給の目途も立った事だし、残存兵が動くまでに余裕はある。……今夜は久しぶりにコックが腕を振るう、手の込んだ食事を取れるんだ。……私としては、“誰か”に、二人ほど顔馴染みを連れて、夕餉に訪ねて来てくれると、――――私はとても、嬉しい」
「……分かりました」
静かに帰って来た声に、過去の彼が重なったのは、多分、コーネリアの気のせいでは無い。
こんな経緯を経てルルーシュ・ランペルージは、同僚と共にエリア11へと向かっているのだった。
◇
『エリア11。旧国名・日本。総面積約三十七万八千平方キロメートル。人口約八千万人(名誉ブリタニア人、イレブンを含む。要調査の事)。北海道・本州・四国・九州と沖縄、八丈島などの七千以上もの小島によって成り立っている。ブリタニアによる統治以前より文化レベルが非常に高く、また先進国に数えられる技術を有していた為、現名誉ブリタニア人及び、未帰属のイレブンの文化尺度、識字率、及び教育水準は高い――――』
基本事項から始まり、男女比。出生率。学校数。第一次から第三次までの職種分布と従事者数。平均給与率。ブリタニアの支配が始まって以降の、それらの推移と変化を示すデータの羅列を目で追っていく。
パラリ、と書類を捲った。
『ブリタニアによる統治前は、人口一億人を超える先進国家だった。しかし現在の人口は、ブリタニアとの戦争によって少なくとも七~六割以下に落ちており、その内の半数は名誉ブリタニア人である。現在、抵抗勢力として根強く残っているイレブンは、少なく見積もっても十万人。ブリタニアに憎悪を抱き、勢力予備軍と見做される数は百万人はいるとされ、今尚も各地で小競り合いが絶えない』
「……百万人、か」
多いな、と思う。其れだけの数の人間が、仮にカリスマ性を持った偉大な指導者――――例えば、自分や帝国宰相シュナイゼルの様な、リーダーに牽引された場合、エリア11は一大危険地帯と化すだろう。
帝国特務局が、危機感を覚える理由も分かるという物だ。
そして、あのベアトリス・ファランクスが“こんな情報”を送って来ると言う事は、エリア11の支配は上手く行えていないという言外の断定である。
一見すれば事務的だが、付随するデータには、生々しい、かつて日本と名を有していた国家の現状を如実に示す、深刻かつ重要な情報が詳細に記されていた。辺境のインフラ設備や、不足している医薬品、植生変化に加え、トウキョウ疎開のエリア11政庁の金の流れまで乗っている。
つくづく、母の弟子なのだと痛感させられた。
自分を上手に使える人間の数少ない一人だけの事は有る。
『ブリタニアの統治と同時に、在野に下った優秀な人材も多く、その大半は、既に死亡していると思われる。ブリタニア統治の元でも、国民を思って敢えて苦汁を飲んだ者もいる。しかし、専門職を身に付けた彼らを手中に収める事も、また心を掴む事も、現状で行えているとは言い難い……』
――――とまで書かれているのだ。一歩間違えれば帝国批判に成りかねない。
皇帝筆頭補佐官の性格が、見える様だった。
(……流石は、優秀だよ)
ふ、と小さく笑みを浮かべて、椅子に体重を預けた。
彼には少し小さな、固めの感触を背中に感じながら、ルルーシュは次の紙を取り上げた。
『日本がブリタニアの標的と成り、エリア11として支配された背景には、日本が保有するサクラダイト鉱山が有る。富士山渓に埋蔵される希少金属サクラダイトは、ナイトメアフレームを初め各種エネルギー産業の要であり、必須物資である。七年前の第二次太平洋戦争の発端は、旧日本がブリタニアへのサクラダイト輸出を規制し始めた事が、原因の一端である、と歴史書には記されており――――』
やはり一般常識から始まり、今度は諸外国との関係についてが書かれていた。先に進むにつれて、普通の軍人は愚か、上層部でも簡単には閲覧できないレベルの情報がぽんぽん乗って来るが、気にしない。
そもそも、ラウンズの権限は、皇族の待遇。皇族には礼節を尽くす義務があるが(大体のラウンズは出生からして貴族であるので、これも余り問題はない)――皇帝からの勅命を受けた場合は、皇族以上の権力を手に出来る。他の騎士とも一線を画すのだ。
まあ、そんな裏話は置いておく。
今は、かの国の情報の復習だった。
『エリア11における最大の輸出品目、サクラダイト鉱山の開発と提供は、ブリタニアにいち早く恭順の意を示した桐原産業(後述添付資料を参照の事)によって行われている。桐原産業を初めとする各種旧日本企業と財閥はNACと名を変え、エリア11の内政庁の管理下に置かれている。内部不透明な金の流れが存在する為、彼らと秘密裏に交渉して、利権を得ている貴族・官僚の数もかなりの数だと思われる……』
――――これもまあ、予想していた事だ。
矯正エリアでの金の流れが怪しい事は今に始まった事ではない。そもそもブリタニアは『やってもばれなければ良い。気が付けない方が悪い』という考えに近い。少しは共感できる。
金が全て、という人間は大嫌いだが、金と言う存在を嫌うつもりは更々無い。ルルーシュだって特許の申請をしてかなりの金を稼いでいるし、いざ使う時は、躊躇なく金を使う性格だった。
だから、決して厳格に取り締まる気は、無い。お金で買えない物はあるが(そして金以上に価値の有る物をルルーシュも持っているが)、買えない物を守る為には、金が絶対に必要だ。
そもそも、不正をした官僚を逐一全部罷免していたら、ブリタニア帝国は直ぐに立ち行かなくなる。
『毎年、富士河口湖畔ではサクラダイトのシェアを決める国際会議が開かれており、今年の会議には――――……』
其処まで読んだ時だ。
ひょい、と書類が手から引き抜かれた。
アーニャだった。
「ルルーシュ。仕事、し過ぎ」
見れば、何時の間に部屋に入って来ていたのだろうか。ハンガーで自機を弄っていたアーニャが、目の前に立っていた。ルルーシュが今の今迄読んでいた書類を、ひらひらと弄んでいる。
取り返そうと手を伸ばしたら、素早く一歩下がられ、手は虚空を切った。
「……まだ読んでる途中なんだがな、アーニャ」
「ルルーシュなら、読まなくても頭に入ってる筈。……そんなに暇だった?」
アーニャの、でしょ? という小さく首を動かす問いかけに。
「まあな」
と、少し笑いながらも、返す。正直、確かに暇だった。
皇室御用達の最高級輸送航空艦と言っても、スペースは限られている。故に、娯楽は限られている。勿論、本棚の一つ位は部屋に備え付けられて有ったのだが、ルルーシュの趣味には合わなかった。
パソコンや通信機の画面ばかり見ているのも、暇な時には遠慮したい。唯でさえ戦場では画面越しだ。
腰を上げて、窓の外を見ながら背を伸ばす。エリア11は、まだ遠い。
「発達したと言っても、移動が面倒なのに違いはないな」
「うん、KMFの輸送も、大変」
先程まで自機を弄っていたアーニャも隣に来て頷いた。幾ら大型といっても、輸送機での作業は面倒だった筈だ。
軍用民用に限らず、航空輸送艦も他の乗り物と同じ。動力源はエナジーフィラーだ。大雑把にいえば、無線操縦の電動ヘリコプターの理屈で動いていると言っても良い。乾電池の代わりに大型エナジーフィラーを搭載し、無線機の代わりに操縦桿と電子機器を使っているだけである。大重量を長距離輸送するには、色々と障害が有って当然だった。
「特派のフロートシステムが、限定だろうと量産されれば、もっとマシになるのだろうがな……」
「――――今は、二つ?」
「ああ」
フロートシステムは、特別派遣嚮導技術部、通称を「特派」によって開発されている飛行機構だ。
その性能故に、かなりの将来性を見込まれているのだが、主任が第七世代ナイトメアに掛かりきりな為(というか、他への興味を示さない為)、一向に量産体制が整わない。今迄ロールアウトしたのは、二つ。つい先日で三つだ。
完成品第一号が、帝国宰相シュナイゼルの航空母艦『アヴァロン』に。
第二号は、『円卓の騎士』所有の飛行KMF『エレイン』に。
「もう時期に、三つになるな。……来月には搭載されるんじゃないか?」
第三号は、これも『円卓の騎士』所有のKMF『トリスタン』への搭載が決定されている。戦場に出て、どんどんデータを取ってくれ、というのが先方からの注文だった。まあ、ジノの事だ。好き勝手に空を飛んで来るだろう。何とかと煙は高い所が好き、とも言う。
「上手く行けば、来年にも量産されるだろうな」
そうなったら多分、最優先でラウンズの輸送艦に備え付けられるだろう。もう少しの辛抱だ。
「――で、より効率良く戦争をする、と」
「そう言う事だ。発展の光と闇だな」
意外と辛辣な一言に、あっさりとルルーシュは返す。
大凡、世界の覇権を握っていると言っても良いブリタニアだ。それは同時に、世界最高、最先端の技術を保有しているという事でもある。
国民の受ける利益は莫大だが、その裏では、今日も何処かで侵略の犠牲になっている。それを忘れた事はない。自分達がしている事が、正しく“悪”だと、彼らは理解していた。
そして、今から行く土地は、その犠牲となった国家である、と言う事も。
「……そう言えば、ルルーシュ。エリア11に行った事は?」
その質問に。
ルルーシュは、過去を思い出しながら、静かに答えた。
「エリア11“には”、無い。――――八年前。日本と言う国家を、訪れた事は……有る」
◇
トウキョウ・ハネダ空港。
普段は国内旅行客で賑わい、あるいは各地区に逗留するブリタニア軍に物資を運搬するこの空港も、今は緊張感に包まれていた。緊迫感では無い。緊張感だ。堅い空気による硬直とは違う、熱気が渦を巻く様な緊張だった。
輸送機の搭乗口前には一列に歩兵が並び、一糸乱れぬ体型で敬礼をしているが、並ぶ兵たちの目は何処か輝いている。目の前を通って行くだろう相手を一目見られる事に、期待に胸を膨らませているのだ。
英雄に市民が憧れる事は、何時の時代も変わらない。
滑走路に降り立った輸送機には、帝国の紋章が飾られている。そして、それと並列して記されるのは、搭乗者を示す紋章。ラウンズのシンボルだ。
普通、ブリタニアからのエリア11への国際線は、ナリタ国際空港で離発着している。しかしナリタがレジスタンス組織の拠点が有る事は、この国の者ならば常識だ。危険度は少ないし、非常に厳戒に守られているが、それでもゼロでは無い。故に、皇族やVIP待遇の者は、ハネダへと輸送機が回される。
輸送機の後部が下がる。大きな口を開けるかのように、静かに地面へとハッチを下ろした。そして、作られた階段を静かに下りて来るのは――――帝国最強の剣、その二振りである。
降り立った瞬間に、このエリア特有の湿気を含んだ、羨望とも取れる熱が彼らに向かう。
ルルーシュ・ランペルージ。
アーニャ・アールストレイム。
どちらも若い。ルルーシュは十七歳。アーニャに至っては最年少の十四歳だ。しかし両社共に、その若い年でラウンズに抜擢され、そして飾りでは無い事を功績によって証明している。だからこそ、ブリタニア兵士達は、一様に彼らを英雄視している。
武勲を立てれば、あの場所に立てるかもしれない。
自分も又、彼らと同じ英雄に成れるかもしれない。
その思いは、兵士達を奮起させる。ラウンズとは、そう言う階級だった。皇帝を守る剣と言う意味だけでは無い。届かぬ者達にとっての確固たる目標で、指針だったのだ。
その戦略的価値、戦場での実力も高いが、何よりもたった一人いるだけで兵士の士気が明らかに違う。有る者は意の一番に戦場に切り込み、有る者は常識外れの狙撃を決め、有る者は堅牢な砦を有する。そんな、たった一人で戦況を傾かせる者が傍にいると知っていて、必死にならない兵はいない。
結果としてラウンズの存在は、その戦場を席巻する。
そうして、数多の戦場を勝利に導いてきた。
皇帝シャルルは語る。闘争と競争は、発展であり前進である、と。
同意をする訳ではない。だが、確かに真実を得ている部分は有ると、ルルーシュは思っている。
良くも悪くも、戦いは人を成長させる。人だけでは無い。国家を、民を、技術を、文明を変えていく。日本との戦争が無かったら、ナイトメアフレームの実用化はまだ時間が必要だったと語られる程だ。争い、戦う事で確かに人間はその有り方と世界を変えて来た。
だから、闘争を日常とする世界は――――確かに、進んでいく。それは、進まざるを得ないからだ。進めなくなった時が、即ち己の崩壊と腐敗の、始まりに等しいからだ。
けれども、その裏で消えていく物は多い。
消えていく物が、己に成らないという保証が無い事を自覚出来る者は、多くない。
そして、その裏で消えていく物の事を思え、背負える者は――限りなく低いだろう。
ルルーシュは知っている。
世界を変える事は、決して簡単ではないという事を。
整然と並ぶ兵士の、憧憬の雨を潜り抜ける。この中の何人の兵士が、定年まで軍で働く事が出来るのかを思う。恐らく、二割は確実に減るだろう。そして、その二割の中に、己が入らない保証は無い。
真っ直ぐ進んだ正面に、エリア11の総督がいた。礼を取って自分達を出迎えている。報告書で読んでいる。カラレスとかいう権力志向の強い男だ。無能ではないが、才覚が有る訳でも無い。
少なくとも、自分と比較をすれば、絶対に己の方が有能だ。
けれども、自分の才覚を存分に使用したとしても、果たして世界を変え、導く事は出来るだろうか?
ルルーシュは難しいと思っている。不可能とは思っていない。しかし今の体勢を壊す事は、生み出す事よりよっぽど難しい。仮に出来たとしても、導く事までは決して出来ない。壊して、その対価に自分も死んで、それで終わりだ。誰かが引き継ぐかもしれないが、必ず一回は混迷の時代を引き起こし、多くを殺す。
正直に言えば、やろうと思えば、多分、今からでもルルーシュは、壊すだけならば出来る。可能だ。
けれども、其れをしたくは無い。
世界を壊したとしても、己の守りたい物を守れる訳では、無い。
ルルーシュの守りたい世界は本国に有る。金より大事な、金を幾ら払っても守っていたい平和な世界が、本国に確かに存在している。だからルルーシュは、この場所にいる。この場所で戦っている。
自分は、恵まれているのだろう。
本国から追われる事は無い。上位の皇族は愚か、皇帝も気に懸けてくれている。頼れる同僚もいる。家族も有る。地位も強固だ。己の才を万全に発揮する環境が整っている。
だから、恵まれている。
ルルーシュは皇族では無い。皇帝になる事は出来ない。いや、そもそもなりたくは無い。国家を動かして世界をどうこうしようなど、考えただけで面倒だ。今以上に、愛する家族とまともな時間も過ごせない等、背筋が震える位に恐ろしい。
けれども、戦う力が無い事は、もっと恐ろしかった。
守りたい物が有る。
そして、倒すべき相手がいる。
戦場で対する者に、悪魔だ、魔王だと、呼ばれようとも、それでも尚、歩む理由が有るのだ。
エリア11でも、だから己の歩みは、止まらない。
「『Knight of Rounds.』 ルルーシュ・ランペルージ。――――皇帝陛下よりエリア11平定の補佐を命じられた。以後、宜しく頼む」
総督に言葉を告げ、同時に、己の仕事を自覚する。
僅かな期間だが、幼い時を過ごしたこの土地を、ルルーシュは好んでいる。愛している。侵略した国家の人間が何を、と言われるだろう。ふざけるなと思われるだろう。だが事実だ。本心だ。出来ればこれ以上、悲惨な目に合わせたくは無いと――――心から、思っている。
けれども。
(……お前達は、俺の敵なのだろうな、きっと)
嘗てこの国で一緒に遊んだ、幼馴染達を思い、ルルーシュは小さく息を吐いた。
登場人物紹介 その④
コーネリア・リ・ブリタニア
神聖ブリタニア帝国第二皇女。
《戦場の魔女》の異名を持つ、皇族の中でも最も多くの軍功を持つ女傑。
皇族だが、軍人・武人としての性格が強い。しかし、身内(特に年下の血縁者)には甘い。時々、その点をギルフォードやダールトンに指摘される。
「統治する為に命を懸ける」独自の信念を持ち、卓越した技量で常に前線で戦う事が多い。テロ相手にも自分で乗り出して行く。その為、度々罠に嵌るが、優秀な騎士や副官、そして彼女自身の才能のお陰で切り抜けている。
だから、愛機「グロースター」の損傷率は結構高い。
ノネット、ベアトリスと並ぶマリアンヌの弟子。彼女達と同様に、ボワルセル士官学校を首席卒業。
何かとルルーシュを心配しているが……まあ、その理由は言わなくても分かるだろう。
用語説明 その②
帝国特務局
皇室全般を取り仕切る皇帝直属の特務機関。ブリタニアの六大権力機構の一つ。
現在の局長は、筆頭秘書官を兼ねるベアトリス・ファランクス。
例えば、王宮で働く人間は、メイド、庭師、料理人、警備員など、全てが特務局所属の人間。
皇族付きの騎士は勿論、皇帝の騎士である『円卓の騎士』に対しても対等以上に接する事が出来る。
皇妃や皇族が住む各離宮の管理、皇族主催の夜会の警護といった些細かつ重要な仕事。更には、反乱を企てる皇族に対する秘密裏な情報収集や、皇室に害なす「国家の敵」の調査、各エリアの情報収集まで行っている。
尚、特務局所属の人材は、誰一人として軍籍を保有していない。これが同じ仕事をするにしても、機密情報局との最大の差で有ろうか。
やっと更新できました。
次が何時になるかは不明ですが、気長に待っていてくれると嬉しいです。