《超電磁砲1》
平均すると4秒半。
ぼんやりと通り過ぎる人の顔を17数えたところでカウントをあきらめたが、過去の経験と比較するにやや長めの部類にはいるだろう。
度数分布は正規分布ではなく、おそらく2秒と6秒付近に2つのピークができるはずだ。
ピークができる理由は大きく分けて2つ。
厄介なことにかかわりたくないとすぐ目をそらすタイプと、興味と心配を混ざってしばらく見ているタイプの2パターンがあることだろう。
なお、平均値を押し上げているのは、自分と自分を囲む者たちの服装によると推察される。
ともあれ、「自分と目線が合っている時間曲線」は、極狭い範囲で収束する。
他者のためにリスクをとる行為は取りがたいのは当たり前であって、この状況で目線を合わせることは対岸の火事を自分の岸に吹き寄せることになるのだから、残念ながら仕方ないが。
そのような冷めたことを考えつつ、その一方で無視し続けているのにいつまでも諦めない男たちにイライラしつつ、彼女は日が落ちた三車線道路脇の歩道を急ぐ通行人を眺めていた。
彼女が比較的広めと自覚しているパーソナルスペースを笑いながら侵害する男たちの制服をみれば、彼らが学園都市では―能力開発という意味では―かなり優秀な高校に通う生徒であることを知らない人は少数派だろう。入学時の条件は、確かレベル2以上。学力もそれなりのものを要求されているはずだから、彼らが馴染みの「お客さん」とは雰囲気が違うのも当然だ。
「だからね、俺たちとしては常盤台の教育プログラムをどうしても知りたいわけよ」
長い髪を揺らしながら放つ誘い文句も確かに新鮮だ。しかし、新鮮だから好印象を与えるかというと、そういうものでもない。
言葉や態度には2重程度のオブラートを掛けてあるが、その真意はつまるところナンパであり、レベル3以上は確実である常盤台の学生に、数の力でプレッシャを与えようとする方法も、結局は過去の事例と変わらない。そして、常盤台の制服が、通行人をもって自分で自分を守るくらいの力はあるだろうと思わせるのに有効であることも規定事項だ。
新しいパターンに、最初の1分間とはいえ僅かな好奇心を持ってしまったのは、今日の実験で思った以上に疲れていたせいだと結論する。
「君にとっても、我々の高校のプログラムは能力向上に役立つと思うよ」
TPOが悪いと、どんな言葉も悪質なキャッチセールスの常套句のように聞こえるものだ…そんな惰性的思索を続ける大人の態度も、さすがに肩に手を回されれば即座に瓦解する。
「……離しなさいよ」
「へえ」、「そう」、「興味ないから」に加えて、この言葉を使うときはリーチが掛けられたことを意味する。彼女の客人が圧倒的優位と思っていた状況が一転し、自分が刈り取られる側になることに気づくことに。すなわち、常盤台の超電磁砲、御坂美琴がその能力の一部を解放することに。
「まあ、そういわずにさ。夕飯まだなんでしょ。なんでもおごるよ」
歴然たる力の差に固まった表情に、彼女がささやかで無自覚な暗い喜びを感じることに。
「……離しなさい。痛い目を見るわよ?」
一応、警告はする。聞き入れて解放されたためしはないし、聞き入れられるとも思っていない。
だから、これは挨拶、あるいは能力を使用することに対する自分への言い訳と同義だ。止まれ、といわれて止まる者は最初から脱走をせず粛々と刑期を終えるだろう。
逃げ続ける覚悟で脱獄するのだから、そんな言葉を掛ける暇があるならば銃で撃てばよいのにと思う。
その理屈なら、自分も警告なしで打ちのめすべきか、などと物騒な思いに、かすかな匂いが入ってくる。
ゼロ距離にある長髪から漂う香水は、意外と自分の趣味に合うものだった。
香水は体温によって香りが変わっていく。
ジュール熱をかければ、さらに好みになるのだろうか。
感情の沸騰は一瞬で、すぐに冷静かつ攻撃的な発想に戻ってくるくらい、
御坂美琴にとって彼らの未来予想図は明らかだった。
「そんなに怒らないで、さ」
言葉はあくまで穏やかだが、語調からオブラートは解けつつあると感じる。
後ろの誰かの舌打ちがかすかに聞こえる。そして、その音にわざと少し強めの視線を向ける。この視線は好ましいものであるはずがない。
おそらくこのぎりぎりの平衡状態を崩すだろう。
そのとき、その後ろからまっすぐに自分を見ながら一人の男が歩いてくることに気がついた。
「なんだよ、その目は」
10秒くらいか、と予測する。高校生であろうその男は無表情だ。
これから6対1の争いに入り込む覚悟があるようには見えない。
それでも目をそらさないのは、状況を把握していないか、状況を把握して安全域でジャッジメントに通報するつもりなのだろう。
舌打ちの音源にさらに挑発的と見えるような視線を送りつつ、視野の端で自分の予測結果を確かめる。
「無視するんなよ」
15秒。予測より長い。ひょっとしたらそれなりに高いレベルの能力者なのか。
彼らの制服をみて、それでも対処可能であると思える程度の能力者が、
可哀想な自分に手を差し伸べてくれるというのか。
まあ、このような状況に陥ることは数え切れないぐらいだから、そのような偶然があっても不思議ではない。
―数え切れないほど絡まれる要因のひとつに、隠し切れていない自分の不遜があることを、
もちろん彼女は自覚していない。
「おい、…聞いてます?」
25秒。男たちの輪が少し狭くなる。瞬時に使って良い能力の強さを確認する。
自分が背中にしている店や傍らの自動販売機に影響がない、本日の「被害者」が死なない、
しかしながらそれ相応の痛みを受ける程度の電撃。
もちろん、こちらからは使わない。相手に先に手を出してもらわないと正当防衛にはならない。
件の男は歩みを止めない。彼のどのような対応をするのだろう。
「ちっ…。…おい、なんだお前?」
30秒。肩に回された力が増す。長髪は自分をコーティングすることは放棄したらしい。
溜まっていた苛立ちをぶつけるように、イレギュラーな乱入者に胡乱な視線をぶつけた。
ここで強さを見せておけば、この女もおとなしくなるだろう、ぐらいは考えているのかもしれなかった。
しかし受ける高校生は相変わらず無表情のまま、
「多人数で女の子を口説くのはカッコ悪い。そして、5分以上話しかけて脈がないなら諦めたほうが無難だと思うけど」
静かに喧嘩を売ってきた。
やはり高レベルの能力者か。どれ程のものかお手並み拝見といきたい、と御坂は思った。
高レベルの能力者の喧嘩はほとんど見たことがない。
自分を助ようとする善意に対しての罪と自覚しつつも、実力が伯仲すればなお面白い、
など期待が沸くのも否めない。
御坂の期待に応えるつもりではないだろうが、元々馬鹿ではないはずの周りの連中にも同様の推察は成り立ったらしい。
緊張が走り、能力が使用される独特の感覚―AIM拡散力場か―が高まるのを感じる。
そして、御坂の周りの空気が揺らいだ
発火能力者だ。
長髪は肩に片手を回したまま両手を突き出すように前にだす。その前に炎が現れる。
強度は多分レベル4。自分に話しかけていたのは基本的にこの長髪だったから、彼らの中ではリーダーみたいなものかと思っていたが、この能力なら納得できる。
彼らの学校でもきっと最も強い部類に入るだろう。あそこにはレベル5はいないから。
さて、乱入してきた彼はどう対応するのか。
未だ両手をポケットに突っ込んだまま、無表情を決めているが、それほど自分の強さに自信があるのかね。
その態度がただのハッタリでないことを期待しつつ、ハッタリだったときは即座に助けられるように目を配りつつ、
なんとなく傍観者になったかのように目の前の展開を見ていた御坂だが、何かが焦げる、その独特な臭い…その正体に気づいた瞬間、
「ふざけんなアアアアアアアアアアアアアア!」
怒声とともに、手加減があまり効いていない電撃を周囲に放ってしまった。
あたりが光と爆発音で包まれる。隣の自動販売機がボンッ、と小さな音を立てて機能停止する。
背中のシャッタの塗装がめくれる。
強引に電気の通り道にされたアスファルトが僅かに溶けた臭いがする。
「あー……」
しまった、と思ったときには遅かった。
理不尽に重い罰を受けた男達は軽く痙攣しながら地面に倒れていた。
とっさに心電位、脳波、網膜電位を確認するが全員問題なし。
大事にならなくて安堵のため息を一つ落とす。
同情できるところは限りなく少ない人種だが、それでも髪の毛を少し焦がされただけで回復不能なダメージを与えることには抵抗が大きい。
動揺の波が引き、余裕を取り戻したので聞いてみた。
「……で、アンタはなんで無事なわけ?」
相変わらず両手をポケットに突っ込んだまま、無表情な乱入者に。
見たところ彼はまったくダメージを受けていない。
距離的には同程度の位置に倒れる犠牲者は服も焦げているのに。
自分が無意識に彼だけを避けるように攻撃したのだろうか…
いや、そんな配慮はなかったはずだ。やはり高レベルの能力者か。
しかし、ボールを投げられた男は周囲を一瞥し、僅かに考えるそぶりを見せたあと、
「どうやら、余計なお世話だったみたいだね」
と、ぼそりとつぶやいた。
「質問に答えて欲しいんだけど」
「ジャッジメントには通報しておくね。大丈夫だとは思うけど、病院に運んだほうが良いと思うし」
聞かれたら、女の子がしつこく絡まれていた、と証言するけどそれでいいよね?と続ける。
やはり、納得できる答えが返ってこない。なんだ、この男は。
「一体、何の能力を使ったわけ?」
急速にイラつきが増していくのを抑えて、努めて冷静に聞く。
電撃はステップトリーダでさえマッハ100を超える。
電撃を見てからの反応では、絶対に防御は間に合わない。
仮に自分が発電系能力者と知っていて―良くも悪くも自分の知名度は理解している―能力を使うことをとっさに察知して
能力で防御したにしても、これだけの電気量を受け流すのは容易なことではないはず。
それができる能力者はレベル4でも上位のものだろう。
「ああ…、俺はてっきり君が外してくれたんだと思っていたけど」
「それはない」
「言い切るのか…。一応、助けに入ったんだけどね、俺」
「で、何で?」
「だから、君が配慮してくれたんだろう?」
「違うって言ってるでしょ!」
この男はあくまで惚けるつもりらしい。でもそんなことは許せない。
自分の能力が通用しないなど、簡単に認められるものではないから―
「答えたくないなら…答えたくなるようにしてもいいのよ?」
うっかり言ってから、醜い言葉だと後悔した。
ああ、これは完全に脅迫だ。筋違いもいいところだ。
この言葉は、倒れている者たちに言うべきものだ。
彼はリスクを負って自分を助けようとしてくれたのに、なぜこんな言葉をぶつけられるのだ、自分は。
今日の実験が大変だったせいだ、など自己弁護する自分がふと現れる。
同時にそれを非難する自分が登場する。
でも、何を御坂が思おうとも、音のエネルギーは拡散しても、言葉は取り返すことができない。
「まあ……もし、君の配慮じゃないとすれば」
それでも、彼は姿勢も表情も変えない。淡々と、同じトーンで、
「きっと、日ごろの行い、ってやつじゃないかな」
または、神のご加護かもね。などと彼自身、絶対に信じていないだろうと思われる台詞を述べる。
それはあまりにも馬鹿馬鹿しい回答だったから、御坂は苛立ちも後悔も忘れてしばらく呆然とした。
「あ、ごめんね」
その間に、彼はポケットから携帯を取り出す。
どうやら電話の相手と待ち合わせしているらしく、遅刻を詫びているようだ。
「……もう、いいわ。助けてくれたのに、悪かったわ」
今、これ以上の質問をしても、自分の望む回答は得られないことがなんとなくわかった。
これ以上質問すると、自分の嫌な面と向き合うことになるかもしれないこともわかった。
そして、質問するエネルギーもどこかに消えてしまった。
だから、ひょっとしたら気づかれないかもしれないくらい軽く頭を下げ、
御坂美琴はその場を後にしたのだ。
決して人には知られたくないプライバシーがあり、それを尊重しようなど殊勝な思いがあったからではない。
それなりに強い能力者なら、データバンクに入り込めばすぐに見つかるはずだ、という見込みがあった。
だから、今この場で聞かなくても良い、と保留しただけだ。
その甘い見通しのために、ストーカーまがいのことをする羽目になるとは、
このときの御坂美琴には想像できなかった。