秋篠宮妃紀子様の実弟君で、東京農業大学の講師で獣医師である川嶋舟氏は福島県相馬市で被災した後、支援物資が届かない殆ど届かないため相馬市長と相談して「届かないなら、自分が東京まで取りに行く」と東京へ向かい「米(白米、無洗米)」、「粉ミルク」、「粉ミルク(アレルギー児用)」、「ベビー用紙おむつ」、「介護用紙おむつ」、「女性用生理用品」、「下着類」などをはじめとした物資を3月16日(発生6日目)に相馬市に届けるほか、被災直後の家畜(馬)やペットなどの支援を行う。
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川嶋氏 活動履歴
3月11日(大地震発生当日)
川嶋舟氏は、妻と子が待つ妻の実家へ向かうために乗っていた電車の地震による横転に巻き込まれながらも生きのび、その後襲ってきた津波からも命からがら逃れた。
獣医である川嶋氏は、地震・津波の後に住民が避難した後に残された馬の救出を行う。
3月13日(発生3日目)
相馬市の状況は報道以上に混乱していたうえ、救援物資が殆ど届いていなかった。
"食べ物ももうすぐ底をつく。衛生用品(ハブラシ、オムツ、水のいらないシャンプー、ウエットティッシュなど)も必要。"
という状況の中、「届かないなら、自分が東京まで取りに行く。」と相馬市長と相談して現地の受入れ態勢をつくり、キャンピングカーと2tトラックを借りて東京へと移動。
併せて高校時代からの親友である関口ふたば(みんなの党)氏に東京サイド連絡係としての協力を得て、物資の提供依頼を呼び掛ける。
3月14日(発生4日目)
「短期的には物的支援、中期的には人的支援、長期的には経済的支援が必要となる」との考えを持ち、まずは物的支援を取り付けるため、各種申請業務や物資の提供依頼を東京にて行う。
また、この段階で「それぞれの仲間ができる範囲で協力していければいいと思います。支援は、すべてが責任の所在と関係がはっきりとしていることが大切だと考えいます。」という見解を示し、後に問題となるチェーンメール化するリスクの低減や買い占めに対する牽制を行う。
3月15日(発生5日目)
前日に引き続き、「今回の一連の活動は、現地で被災しその状況をみて、個人的にわずかな力でもできることと考え動いております。この動きが無制限に意図とはしない方向に動いていかないことだけを願っています。チェーンメールなどで引用していくのではなく、一人づつ直接そして確実に思いをつたえ、思いを共有できる形でつながっていくことができれば幸いです。意図しない形で広がりデマのようになるのを心配しています。常に発信元が確実になるよう連絡を取りながら進めることが大切であると思っています。ご支援をいただいている立場でこのような気持ちを伝えることは心苦しいのですが、皆様にもご理解いただいていただきたくお伝えいたします。」との見解を示し、デマの流布が行われないよう再度釘を刺したうえで、支援物資の第1便と共に東京を出発。
3月16日(発生6日目)
早朝、相馬市に支援物資の第1便(車3台分)が到着。
相馬市についた物資は、現地で再度仕分けをしたのち、相馬市役所の救援物資担当者に引渡し、
市内に開設されている10か所ほどの避難所他に必要に応じ速やかに提供されました。
相馬市内には、南相馬市などから避難されてきている方もおり、その方々にも物資は届けられました。
3月18日(発生8日目)
早朝、支援物資の第2便が東京を出発し、相馬市へ。
川嶋氏は、その足で話題になっていた南相馬の病院へボランティアとして食事介助、おむつ交換などを行う(同病院では翌19日に入院患者の搬送を開始)。
3月24日(発生13日目)
支援物資の第3便が東京を出発。
3月30日(発生20日目)
まだまだ課題が多い状況ではあるものの相馬市内の物流も回復しつつあるとの見解を示すとともに、被災者への支援のほか、被災ペット・動物への支援のお手伝いも始めていることを明らかにしました。
3月31日(発生21日目)
一般の方々から提供される支援物資の受付を終了。
相馬支援隊としての最終便が東京を出発。
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