政府の混乱は震災発生直後から起きていた−。東電の清水正孝社長が、福島第1原発が深刻な事故に見舞われた3月11日の東日本大震災当日、出張先から東京に戻るため航空自衛隊の輸送機で離陸後、防衛官僚の判断でUターンさせられていたことが分かった。26日付の産経新聞が報じた。
被災地救援を優先させるべきとする北沢俊美防衛相の意向をくんだ過剰反応ともいえる。しかも、輸送機がいったん離陸したことは北沢氏に報告されておらず、官僚との間で十分な意思疎通が図れていなかったことが、結果的に清水社長を足止めした。
清水社長は12日早朝、チャーターした民間ヘリで名古屋空港を離陸し、都内の本店に到着したのは午前10時ごろ。社長不在の間、原子炉内部の放射性物質を含む蒸気を外部に逃す「ベント(排気)」と呼ばれる措置も遅れた。防衛省内には「離陸した輸送機をUターンさせるロスを考えれば、そのまま飛行させるべきだった」(幹部)との指摘もある。
清水社長は震災当日、関西に出張中。東京に向かう高速道路が通行止めだったため、名古屋空港から東電グループの民間ヘリで帰京しようとしたが、航空法の規定でヘリは午後7時以降は飛行できなかった。防衛省によると午後9時半ごろになって、首相官邸にいた運用企画局長に対して、清水社長を空自輸送機に搭乗させるよう要請があった。経済産業省からの働きかけとみられる。
清水社長は名古屋空港と同じ敷地内にある空自小牧基地からC130輸送機に搭乗。11日午後11時半ごろ離陸したが、報告を受けた北沢氏は「輸送機の使用は被災者救援を最優先すべきだ」と強調した。事態対処課長は離陸直後だったC130にUターンを求め、同機は12日午前0時10分ごろ小牧基地に着陸した。
課長は産経新聞の取材に「大臣指示を受け、災害派遣医療チーム(DMAT)など人命救助のための人員輸送を最優先すべきと判断し、Uターンを求めた。判断は適正だったと考えている」と述べた。